731を問う!!
2020年5月14日木曜日
細菌戦の系譜!!
●1940年と2020年の東京オリンピック
●『ウサギと化学兵器』いのうえせつこ著
●731部隊と国立感染症研究所の問題!!
●731部隊・細菌戦資料センター総会のご案内
●731部隊の罪業
●731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
●ビザ発給拒否裁判 1審不当判決
●情報公開裁判「化学学校記事」「衛生学校記事」
●小林開さん 映画「ひろしま」を語る!!
●核なき世界へ 映画「ひろしま」
●南方軍防疫給水部の記録を探し求めて(リム・シャオピンさん)
●天皇制廃止に向けての第一歩:雲上人を人間化する運動を
●京都大学に対する第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求める活動
●武蔵村山の国立感染症研究所問題!!
●731部隊・100部隊展
●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。
今、世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス。これは、細菌戦(生物戦)ではないのか?
過去に、日本が中国で行なった細菌戦のように。(以下は現在分かっている細菌戦)
1939年 731部隊 ノモンハン事件にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
1940年 6月4日 731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日 731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日 731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日 731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した
8月 731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月 100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置
【コロナは生物兵器か】人工のコロナウイルスショックによる文明の転換点 船瀬俊介氏が語る
米軍300人が新型コロナの感染が広がる前に武漢にいたという。
新型コロナウィルスを撒いたのは??
この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、
日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、事実も認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄した生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?
今回の新型コロナウイルスは、日本軍が遺棄してきたものが影響しているのか、それともどこかで作られたのか?それとも動物を介して新たに自然発生したのか?
作ったとすれば、アメリカが作ったのか、それとも、日本軍の細菌戦に苦しんだ中国が作ったのか、はたまた、ロシアかそれとも日本(又は日米共同)が作ったのか?よくわからないが、世界各国で生物戦の研究がなされていることは確かであろう。
生物兵器禁止条約の署名を日本は1972年にして、この条約は、1975年に発効されたが、日本がこの条約を批准したのは、1982年。なんでこんなに時間がかかったのか?批准されてからも、細菌(生物)兵器は、極秘裏に各国は研究開発しているのだろう??
●細菌戦裁判
資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)
「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって
本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。
(松村高夫慶応大学教授)
判決は法的には敗訴となりましたが、なぜそうなったのでしょうか。97年に家永教科書訴訟で731部隊のことが731部隊の事が最高裁判所で認められ、部隊が人体実験をしたという事が裁判所で認定されました。その判決は東京高裁で敗けましたが、最高裁判所では勝ちました。なぜ97年には勝ち、今回は敗けたのでしょうか。
まず97年の勝因は、93年から日本の中で731部隊の移動パネル展が行なわれて、日本全国で60か所以上で開かれ、20数万人以上がそれを見て、731部隊の事が日本の中に拡がっていった。これが、97年の訴訟で勝因の1つになったと思います。
●731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?
731部隊の行なった細菌戦
東大伝染病研究所は、1947年に主に検査・製造に関わる部門などを厚生省所管の国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)として分離し、1967年に伝染病研究所を改組して医科学研究所が設置された。
国立予防衛生研究所所長と731部隊員の繋がり(教えてげんさんより)
(所長が731部隊員であれば、元隊員もたくさん入るだろう)
戦争中細菌戦部隊及び組織に属していて、戦後、国立予防衛生研究所に関係した人です。
*朝比奈正二郎 (当時)731部隊第1部第9課(水棲昆虫)長。発疹チフスワクチン製造
(戦後)国立予防衛生研究所 名誉所長
*小林六造 (当時)京大教授、防疫研究室嘱託
(戦後)国立予防衛生研究所 初代所長
*小島三郎 (当時)東大伝染病研究所教授、栄1644部隊所属 サルモネラ菌の研究
(戦後)国立予防衛生研究所 第2代所長
文部省百日咳研究班員
*小宮義孝 (当時)華中衛生研究所(栄1644部隊関連)
(戦後)国立予防衛生研究所第4代所長
*柳沢謙 (当時)陸軍軍医学校防疫研究室で嘱託として結核研究 凍結乾燥BCG
(戦後)国立予防衛生研究所 第5代所長
*福見秀雄 (当時)陸軍軍医学校防疫研究室 インフルエンザ
(戦後)国立予防衛生研究所 第6代所長
文部省百日咳研究班員
(注)1951年、国立東京第一病院に入院中の乳児たちに、
両親に告知や許可を受けずに大腸菌を飲ませる実験を行なった
*村田良介 (当時)1644部隊
(戦後)国立予防衛生研究所 第7代所長
*倉内喜八郎 (当時)731部隊細菌戦研究班
(戦後)永寿病院院長
【コロナウイルス・4/17追記】永寿総合病院でメガクラスター発生、160人以上が感染・20人死亡、屋形船から感染拡大
・・・・・・・
自衛隊に入った731部隊員・・増田美保、近喰秀大、神子謙、金原節三、井上義弘、中黒秀外之、園口忠男、高橋三郎、佐伯実、木村直正など
コロナウイルス「PCR検査」を遅らせた“戦犯”は?〈週刊朝日〉
帝国陸海軍の「亡霊」が支配する新型コロナ「専門家会議」に物申す(下)
それともロシアや中国などが研究しているだろうか?
新型肺炎、米メディアが報じた「研究所が発生源」説
生物兵器禁止条約が1975年に発効されたにもかかわらず、その裏でどんなことが起こっているのだろうか??
免責された731部隊員は、戦後、ABCC(原爆傷害調査委員会)に全面協力し、原爆被爆者を治療するのではなく、放射能の人体に対する影響を追跡した。そして日本は、アメリカの非人道的な原爆投下を問うこと全くなく、原子力の平和利用に突っ走った。
新型コロナは「パンデミック」 WHOが表明
●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!
安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難
2013年5月12日、安倍晋三は宮城県東松島市の航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。
731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)
旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!
731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記
核兵器、生物兵器、化学兵器廃絶!! 戦力不保持!!安倍政権打倒!!
どこの研究所で新型コロナウィルスが誕生したのだろうか??
●ニュース
戦争責任を取らぬまま、そのまま在位した昭和天皇、その後の天皇も日本の侵略戦争の謝罪をしていない!!
このウィルスは自然発生なのか?どこの研究所がこんなウィルスを開発したのか??それとも日本軍が遺棄した生物兵器が影響しているのだろうか?
もし人工的につくられたのであれば、どこで製造されたのだろうか?アメリカか?それとも中国?、日本?・・・
731部隊が建物を爆破して日本に逃走した後、その近くの村でペストが流行した。100部隊の逃走した時は、鼻疽菌などに汚染された馬を放ってきた。
中国各地に日本軍の細菌戦研究所が存在したのだから、その施設が遺棄した生物兵器はその後どうなっているのか?
中国の細菌戦被害地では、今でも毎年鼠を捕獲してペストの検疫を行っている。日本軍の遺棄した生物兵器がその後も生きていて、いま中国で広がっている新型コロナウィルスや豚熱に影響はしていないのだろうか?遺棄毒ガス弾が多くの中国人を苦しめているように。
重慶爆撃を考える集会
なぜ天皇はコロナ禍にビデオメッセージを発しないのか、皇室記者の考え
緊急事態宣言、39県を午後解除 新型コロナ、諮問委員会を開催へ
トヨタ衝撃「8割減益」 危機再び 予想あえて公表
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米専門家、性急な経済再開に警鐘 トランプ氏との温度差浮き彫り―新型コロナ
WHO、新型コロナ「消滅しない可能性」 終息に長い道のり
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福島原発、見えぬ「トリチウム水処分」のゆくえ
チェルノブイリ原発付近で森林火災が発生 放射線量が上昇したとの報告も
事故車両公開に遺族賛否 課題は記憶継承 JR福知山線脱線事故15年
戦闘機は必要なのだろうか???
河野防衛相、F35A視察 空自三沢基地
イージス艦もいらない!!
河野太郎防衛相が訓示 イージス艦「まや」就役
自衛隊とオウムのサリン製造の関係は??情報が漏れていたのでは??
地下鉄サリン事件から25年…「オウム」の跡を訪ねて 熊本・旧波野村
大竹まことゴールデンラジオ・金子勝・2020-05-08(文化放送)
●パネル展「日中戦争―その実相に迫る!」感想(2020年2月8日~13日)
22. 全て印象に残った。あまりにも無知であること、知りました。国民に広めること大切かと。有識人になるためには。ダメなものはダメと個人がハッキリ言える日本国民に持っていくこと、これは教育しかない、日本人教育として。(男、70、偶然)
●映画「ひろしま」アンケート(1月13日 横浜)
( )は性別・年代・住まい・情報
8、観ることが出来、本当に良かったです。どんどん広まる事を願っています。小学生の頃、原爆の写真集を恐ろしくて見られませんでした。70代になりましたが、今9条を変えようとしている現政府を思うと、この映画がどんどん広まる事を心から願っています。
(女性・70代・市内・朝日新聞)
日本は、日中戦争で国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
●細菌戦
【真相】(unit731)
・『石井細菌戦部隊―極秘任務を遂行した隊員たちの証言』
郡司陽子編(1982年11月30日初刷:徳間書店)
Ⅲ ペスト攻撃班、恐怖の実戦秘録
―第2部5課(攻撃・実戦担当)K・S
マニラで細菌戦の予備訓練を受ける
ところで、少し「丸太」について記憶にあることを、ここで書いておきたい。
731部隊に入ってすぐ、「『丸太』1本逃走」という話を耳にした。私は、何のことか分からなかった。不思議に思って、上司にきくと、「丸太」とは、全満から集めた、中国人やロシア人の捕虜・スパイで、全員死刑囚である、との説明があった。もはや彼らは、人間ではなく、単なる実験材料に過ぎず、番号で呼ばれ、1本・2本と数えられることになっているという。「『丸太』1本逃走」とは、安達実験場で、1人の「丸太」が逃亡したことをさしていたのである。この「丸太」は、とうとう捕まらなかったようであった。
・『証言 人体実験(731部隊とその周辺)』
中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳
二 大規模な細菌生産と残虐非道な人体実験
山内豊紀自筆供述書(1951年11月4日)
この間私は、超音波装置が設置されていなかったので仕事が無かったが、各種のチフス・ワクチン及び軍医学校のチフス・ワクチンの効果について研究したり、伝研【伝染病衛生研究所】、北研【北里衛生研究所】、衛研【大連衛生研究所】のワクチンと軍医学校のワクチンの効力について研究報告を行なったりした。同時に、江島技師と共同で赤痢本型耐久培養法を研究したが、成果が得られず中止した。この時石井は大量の菌体を要求してきたので、生産班は昼も夜もチフス菌体を大量に生産し続けた。私の記憶では、安東洪次が4,5名を引き連れてこの任務に参加協力したが、菌体の生産は結局失敗に終わった。10月初旬、出動した部隊がノモンハンから戻り、班員から関東軍惨敗の状況を知らされた。特にショックだったのは、防疫給水部が大きな打撃を受けたことである。
●毒ガス戦
・『日本軍の毒ガス兵器』 松野誠也著
はじめに
本書の基本をなしているのは、筆者が2001年2月に完成させた博士論文「日本陸軍による化学兵器の配備・実戦使用と陸軍中央」である。この論文は、日本軍の毒ガス兵器の研究・開発・製造・教育・使用・配備・遺棄などについて、拙いながらも包括的な検討を試みたものである。本書は、この修士論文を大幅に整理・加筆すると共に、その後の研究成果や新しい発見した資料などを盛り込んだものである。
ここで本書が使用する資料について触れておきたい。本稿で議論の基盤をなす主な資料群を古い順に記すと、次の5つになる。
①これまでに発掘された日本軍資料
②軍人の業務日誌や業務メモ
③軍関係者の戦後の回想録、兵器研究史・部隊史及び学校史など
④これまでの様々な方の研究成果
⑤筆者が入手した毒ガス関係資料
・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)
第12章 癒しがたい傷
毒ガス島最期の日々
大久野島では、張り詰めた空気がより強烈であった。なぜなら、アメリカの飛行機は既に九州への空襲を頻繁に繰り返していたし、最近はまた「軍艦島」と呼ばれる近隣の契島に対する掃射を行なったので、人々は、いつかある日、あの黒い大きな「鉄の鳥」が大久野島に「お出まし」になるのではないかという不安に駆られていたのである。契島とは違って、もしもB29が大久野島に爆弾を投下して毒ガス倉庫を爆破したなら、周辺に及ぼす影響は計り知れない。日本軍はこうした危険について勿論十分に知っていたから、島で大掛かりな防空対策を講じるよう命ずるとともに、一部の毒ガスを近くの大三島に移すことを決めた。
日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題
●『三光』 中国帰還者連絡会編
「反省なき民族」のために 本田勝一
日本鬼子(リーベンクイズ)
軍医の野天解剖
小美野義利
戦務班長 憲兵曹長
〈旧部隊名〉
関東軍特別警備隊2大隊本部
この事件は1940年9月の初旬、新京(しんきょう)憲兵隊長近藤新八大佐の命により市内新発露(シンパーロ)憲兵隊将校官舎付近で逮捕した3人の中国人労働者に対し、私が直接行なった罪業(ざいごう)である。
9月と言ってもまだ、ジリジリする暑さにどんより腐ったような眼つきで新聞を眺めていた特高係長・小林少尉は電話に手を伸ばし、ダイアルを回した。「アッ、大佐殿ですか、この前約束しておいた件、今日やります。都合はどうですか・・・・ハッ、じゃ待ってます」
ガチャリ、受話器を投げ出すと腰巾着(こしきんちゃく)の小美野伍長を呼び出した。「今日、やるから準備だ」と命令した。部屋に帰った小美野は桐原軍曹に、「国民党地下組織容疑者の3人は結局、何も出ないので、いよいよ内緒で処分することになったよ」と、ニタニタしながら腕をさすっていた。
「ハハア・・・・手前(てめえ)、斬る気か、アハハ・・・」太田曹長が馬鹿にしたように高笑いした。
昨年2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)
●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作ってもいいのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!
日本の毒ガス
沖縄・南西諸島が軍事要塞化している現実はおかしくないか??
「琉球処分」から140 今の沖縄を考える
●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?
・731部隊関連の「情報公開裁判」に関する報告
和田千代子(731細菌戦部隊の実態を明らかにする会事務局長)
しかし7年目を迎えた本裁判で、次の2つの事が明らかになってきました。
①『衛生学校記事』発刊当時の衛生学校長であった金原節三氏(戦時中731部隊と密接に関係していた陸軍省医務局で医事課長の職にあり、戦後1955年~57年衛生学校長)が1976年10月に死亡した後、遺族が旧軍関係史料を含め2028点を衛生学校に寄贈しました。
この寄贈された金原資料は大変貴重なものなので衛生学校は「金原節三先生資料目録」を作成し、1982年9月に「彰古館」(自衛隊三宿駐屯地に内にある自衛隊の展示室)に。「金原文庫」を設立して金原資料を収納しました。
・次回『衛生学校記事』情報公開裁判(第26回)
緊急事態宣言が出たため、4月の裁判は延期になりました。東京地裁419号法廷
第4代衛生学校長だった金原節三が亡くなってから、遺族が、当時の防衛庁に寄贈した金原節三資料の中に13点の『衛生学校記事』が含まれている。それがいまだに未開示であり、その行方が防衛省は分からないという。
1995年に防衛研究所に衛生学校から金原資料の全部を移管した。翌年1996年には、その資料の中で旧軍資料の価値の高いものを、防衛研究所に残して、あとは衛生学校に戻した。
『金原文庫』はいつまで、衛生学校の彰古館に開設されていたのであろうか?その中に果たして『衛生学校記事』があったのか?また、金原資料はキチンと整理をされていたのだろうか?金原資料の中には『特殊武器衛生』というものもある。防衛省は、金原資料をすべて開示すべきである。
1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊
第4代衛生学校長
『衛生学校記事』を発刊したときの、衛生学校長金原節三とはどんな人物なのだろうか?
金原節三(1901~1976)
陸軍省医事課長時代(1941.11~43.8)に731部隊から報告を受けていた。「陸軍省業務日誌摘録」
厚生省東海北陸医務出張所から衛生学校へ 1955.8.1
金原節三と細菌戦
金原の略歴を見ると、昭和16年11月に陸軍省医務局医事課長になっていて、17年に8月に軍医大佐になっている。
細菌戦資料センターの会報には、次のような記載がある。「陸軍省医務局医事課長だった金原節三元軍医大佐が、1955年に陸上自衛隊に入隊した。細菌戦部隊を指導していたのは、陸軍参謀本部、陸軍省医務局衛生課そして陸軍省医務局医事課である。金原は、「金原業務日誌摘録」に細菌戦部隊からの報告を記録している。
金原節三と武見太郎
金原と戦後日本医師会会長になり、医師会、薬剤師会、歯科医師会に大きな影響を及ぼした武見太郎は、軍隊内の先輩・後輩関係にあった。『金原節三資料目録』(陸上自衛隊衛生学校)の巻頭言は、日本医師会長武見太郎が書いている。
※彰古館には、自衛隊関係の資料も保管している!!
『軍事史研究』2010年9月
軍事史関係史料館探訪(56)
陸上自衛隊衛生学校 医学情報史料室 彰古館
喜多義人
収蔵品の多くは、旧陸軍軍医学校由来の品々と医学文献であり、『大東亜戦争陸軍衛生史』編纂の際に寄贈された史料も所蔵されている。また、衛生学校にかつて開設されていた同校戦史室が収集した戦史史料、戦後の警察予備隊から保安隊を経て陸上自衛隊に至る草創期の衛生科部隊の行動史、研究報告なども含まれている。
・化学学校記事」情報公開裁判 (第16回)
次回 2020年6月3日(水)11:30~ 東京地裁522号廷
●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。
Ⅲ 日本における生物・化学兵器の歩み
1、 生物・化学兵器の開発の歩み
神経ガスの出現まで
生物・化学兵器の歴史は古い。中でも毒ガスといえば、第1次世界大戦でドイツ軍がベルギーのイープルで初めて使用したというように信じられているが、実はそうではない。
毒ガスを戦争に使おうとする試みは、古代からあらゆる国で、あらゆる所で行われていたことが歴史の記録に見られる。最も古いと思われるのは紀元前431年~404年のアテネ・スパルタ戦役である。紀元前428年のプラチアの包囲戦で木材を硫黄やピッチに浸して城壁の下で大量に燃やすという戦術を編み出した。この古代化学戦は大成功となり、以後各種戦闘に進んでこの戦法が利用されるのである。
第5代衛生学校長
井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身
1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】
第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任(『大東亜戦争陸軍衛生史』を編纂するため、膨大な旧軍資料を集め、又戦後に日本独自の細菌戦部隊の復活させようとしたことが原因か??)になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を解任され、その後を井上が引き継いだ。
井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。
又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。
南方軍防疫給水部(岡9420部隊)
●イタイイタイ病を究明した男 萩野昇
●驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く
●水俣病問題
●小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去
●小泉親彦と宮川米次の絆
●ヒロシマからフクシマへ
●宮川正
●「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—
●ビキニ「死の灰」世界各地へ
●自衛隊とサリン
●相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場
●日本の国家機密
●兒嶋俊郎さんを偲ぶ
●昭和天皇の戦争責任を問う!!
天皇万歳に浮かれる無責任国家 田中利幸より
重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)吉田裕監修 2001年ピュリッツァー賞受賞
※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
第12章大元帥の試練
Ⅲ
ガダルカナルの喪失を招いた陸・海・空での戦闘のたびに天皇が示した反応を、 さまざまな記録から知ることができる。天皇は米軍上陸の報に接したとき、「それは米英の反攻の開始ではないか」と、ただちにその潜在的な危機を察知した。
しかし、原油、ゴムなどの資源の備蓄を着実に増やすには、攻勢を維持しなければならないと考えていた。昭和天皇は、ガダルカナル島の戦いに執着することには疑問を抱いていた。それにもかかわらず、天皇は動員できるあらゆる兵器と兵力を用いて強力な攻勢と痛撃を続けるようにと、ソロモンの司冷官たちを督戦した。杉山は、 一木支隊が事実上、壊滅した後の9月15日、「(ガダルカナルを)断じて確保できることを信ず」と奉答していた。天皇は、陸海両軍が本当にこの作戦を
行う意志を持っているのかどうか疑念があるとして、杉山や永野が自らの言葉を守るように要求した。天皇が圧力を加えたため、ふたりはガダルカナル島を奪還し、確保する決意を固めたが、その結果、天皇がまさにもっとも懸念していた消耗戦に陥ることとなったのである。
"
●小泉親彦と昭和天皇
●近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~
●近代天皇制の真髄は
●福沢諭吉
●神武と戦争
憲法9条を生かそう!!
731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!!
日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?
地球の温暖化や異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!
●『二酸化炭素温暖化説の崩壊』広瀬隆(集英社新書)
第1章 二酸化炭素温暖化論が地球を破壊する
南極の氷と氷河は大丈夫か
同じ年の『NHK地球大紀行4 恐竜の谷の大異変 氷河期襲来』NHK取材班(NHK出版)、105頁にも同様の記述が出ている。意味がお分りだろうか。本の刊行時の130年前は、引き算すると1857年になる。つまりこの氷河は、2010年現在で言えば、150年以上前から後退(消滅)し始めたのである。赤祖父資料と全く同じ結論になる。どこの図書館にもあるNHKの本なので、読者が万一にも本当に地球を愛していると自分で思うなら、私を信用しないで、自ら本を開いて確認し、自分の意見として他の人に話すようにならなければいけない。
●核実験(ウキペディアより)
若くして白血病で亡くなった夏目雅子、本田美奈子、また五輪候補選手だったスイマーが白血病になったのは、放射能の影響ではないのか?
月の砂漠の犠牲者 夏目雅子と本田美奈子
アメリカ合衆国
マーシャル諸島での核実験
1946年7月1日からアメリカ軍占領下にある日本の委任統治領であるマーシャル諸島のビキニ環礁で核実験を行い、1947年にアメリカ領となった後も核実験を継続し、エニウェトク環礁と合わせて67回の核実験を行った。
1946年7月、原爆実験クロスロード作戦では、日本の戦艦長門など約70隻の艦艇が標的として集められ、そこを原爆で攻撃して効果を測定した。1回目は7月1日に実験(エイブル)し、2回目(ベイカー)は7月25日に行なわれた。
その後、太平洋核実験場として指定され、1954年3月1日ビキニ環礁で水爆実験(キャッスル作戦)では、実験計画では数Mtクラスの爆発力と見積もっていたものが、実際には15Mtの爆発力があったため予想よりも広範囲に死の灰が拡散して、多数の被曝者を出した。
ビキニ環礁の島民は、強制的にロンゲリック環礁へ移住させられ、現在に至るまで帰島出来ていない。
日本のマグロ漁船第五福竜丸など数百〜千隻の漁船が、死の灰で被曝した。
240km離れたロンゲラップ環礁にも死の灰が降り、実験の3日後に住民全員が強制避難させられた。
ビキニ環礁面積の80%のサンゴ礁が回復しているが、28種のサンゴが原水爆実験で絶滅した。
水素爆弾の恐怖・ビキニ環礁 (アメリカ)
「北朝鮮の核実験の威力」と「史上最強の核兵器"ツァーリ・ボンバ"の破壊力」【核兵器】
●核なき世界へ!!
Toward a Nuclear-Free Future
●核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について
●原発・化石燃料発電→再生可能エネルギー発電の増加
【金子勝の言いたい放題】NO5 世界は電力タダの時代に エネ転が拓く経済転換(飯田哲也さんと) 20191230
●日本政府・自衛隊は情報を公開せよ!!(情報開示!!)
今年も8月12日がくる──。33年前 520人が犠牲になった日航機墜落、遺物の化学分析で判明した事実とは?
中曽根元総理が知る日航機墜落事故の真実とは?墓場まで発言の真意を調査!
ここの研究所は、どんなことをやっているのだろうか??
●国立感染症研究所村山庁舎(武蔵村山)
●1954年3月1日第5福竜丸他1000隻もの船が被曝!核兵器廃絶!!
なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。
XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より
・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。
2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。
封印された原爆報告書
水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した!!
JCOの臨界事故
福島第1原発事故
●核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!
●「731部隊・100部隊・毒ガス戦」パネル展 2019年4月29日~5月3日
●「日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか 」 田中利幸さん
●日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病
●731部隊(unit731)
●昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!!
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