2009年1月31日土曜日

1938年 南京 1月31日

「南京の真実」(ラーベ著:講談社)より
1月31日
 中国の新年。使用人や従業員の祝日だ。難民が庭できちんと整列して、3度お辞儀をしてくれた。中には若い娘さんもたくさんいる。おかげで守られ、救われたと言って、誰もが感謝してくれるが、あいにくまだことは片付いていない。難民たちから縦横3×2メートルの大きな赤い絹の布を渡された。何か中国語で書いてある。感謝状ではないだろうか。
 張に渡すと、応接間にうやうやしく張りめぐらしたのでぎょっとした。中国人の客が何人か、神妙な顔つきでその前に立ち、中の一人が英語に訳してくれた。
「ラーベさんはあまたの人間にとって生ける仏です」
 ちゃんと聞いていたわけではないが、こんな風なことを言っていた。これではいくらなんでも誉めすぎだ。・・・・・・・・・


 あなたは仏様のような慈悲と勇気をお持ちです
 あなたは幾千もの寄る辺なき民をお救い下さいました
 どうか天の恵みが授けられますように
 あなたに幸福と神の祝福が訪れますように
           収容所難民一同

 こんな深刻な時代でさえなかったら、この感動的な献辞は笑い飛ばしたいところだ。 
 まだ「市長職」を退いてさえいないうちから、生き仏にされるとは!そんなことはともかく、爆竹のにぎやかな伴奏つきのこの贈り物をうかうか喜んではいられない。2月4日が、この人たちがここから追い出される日が、すぐそこまで来ているのだから。それでも私はドイツ国旗を見せれば最悪の事態は避けられるのではないか、という希望を捨てきれないでいる。
 神よ、神はどこにおいでになるのですか!果てしない日本人との闘いに、くじけてしまいそうです!


 今、張が知らせてきた。うちの収容所にいる24歳の娘さんが暴行されたのだ。今日の午前11時。場所は広州路46号。元住んでいた家だ。叔父が日本軍の指示で家に戻ったので、昼食の支度をしに行った矢先の出来事だった。銃剣を手にした兵に、命が惜しければ体を許せと迫られたという。
 6週間もの間、わが家の前にうち捨てられていた中国兵の死体が、ようやく埋葬されたと聞いて、胸のつかえがおりた。



「南京事件の日々」(ヴォートリン著:大月書店)より
1月31日 月曜日
 邪悪な精神を追い払い、幸運の新年を迎え入れる力を爆竹が持っているとすれば、くる年は、間違いなく、大いなる幸福と恵みの年となるだろう。早朝、まだ明るくならないうちから爆竹が鳴り始めた。一発ずつではなく、騒々しくめったやたらに炸裂し、その音はほぼ午前中ずっと続いた。・・・・・
・・・「新年が平和な年になりますように」と、深い意味を込めて挨拶したらよいのではないかと思った。
 午後、女性と子どもたちの集会のあと、庭師と私は農家へ出かけて行った。去年、とても見事な切花を売ってくれた農家の人に、腊梅の小枝を分けてもらえるかどうかを聞きたかったのだ。キャンパスの西の道路を北方向へ行った。途中、埋葬されていない2体の死体のそばを通り過ぎた。一体は12月中旬から放置されたままになっている。道路の西に広がる田園は真正の無人地帯で、生活が営まれている形跡は全くない。小さな家はことごとく窓に板が打ちつけられ、戸口は、横木を渡して開かないようにしてあった。寺院地区まで来ると、そこはあまりにもさびれ果てていたので、腊梅の切り花を手に入れるためとはいえ、そこを通って少し先の農家まで行く勇気は出なかった。そういうわけで、私たちは引き返すことにした。キャンパスのすぐ近くまで戻ってきてから丘に上った。3人の男の死体がいまだに転がっていた。私は、12月16日ごろ、彼らが射殺される際の銃声を耳にしており、その死体は、私の目には民間人のように見えた。庭師は彼の家に着くと、湯気の立っているチキンスープに卵を落とし、しきりにそれを私に勧めた。彼もきっと、(パール・バックの)『大地』のなかに描かれている人物なのだろう。勤勉な中国農民の典型であり、土にすっかり慣れ親しんでいる。
 キャンパスに戻ると、いくつかの少女のグループが私を取り囲んで、避難民の帰宅期日として「傀儡協会」が設定した2月4日以後もここに置いてほしいと懇願した。彼女たちは何という窮地に直面しているのだろう。

「Imagine9」【合同出版】より


世界は、

9条をえらび始めた。



・ある国が戦争放棄を掲げるということは、世界のほかの国々への力強いメッセージになると思います。
(イギリス、30代・男性)

・第二次世界大戦の悪夢を経験した一人として、私は、力ではなく正義と社会秩序による国際紛争の解決手段があること、そしてそれに基づいた国際平和と理解が達成できることを信じています。紛争解決は、交戦ではなく平和的な方法でなされるべきだと思います。(フィリピン、60代・男性)

・僕の国はベトナムで戦争をして、何百万人ものベトナム人と何万人もの自国の兵士を犠牲にし、何も得ませんでした。それなのに、今も戦争をしています。アメリカは根本的に反省しなかったんです。こういう国に従って日本が憲法を変えようとするのは、非常に残念です。
(アメリカ、50代・男性)

・武器でいっぱいの世の中に暮らすことは、自分の墓を掘っているようなものだと思います。現実には、世界の指導者たちが行っていること、特に軍事力を増強していくことは、私にとって全く無益なことだと思います。お金をこうして無駄にするのではなく、教育の拡大と貧困の撲滅のために利用した方がよっぽど有効だと思います。
(フィリピン、60代・男性)

・私は第二次世界大戦の経験者として、日本国憲法第9条をいかなる手段でもっても排除すべきでないと思います。戦争は、人の命を奪い、人びとを苦しめました。武器はこの世に必要ではありません。世界に脅威を与えるべきではありません。過去の過ちを繰り返さないで下さい。(ロシア、60代・男性)



第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


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2009年1月30日金曜日

1938年 南京 1月30日

「南京の真実」(ラーベ著:講談社)より
1月30日
 委員会としては気にかけていることを書いてローゼンに渡し、日本側にかけあってくれるよう頼んだ。とはいえ、これでよくなるという希望を抱いているわけではない。なぜなら、ローゼンは日本人にとって必ずしも好ましい外交官ではないからだ。いや、むしろその逆だ。けれども、いずれにせよ、2月4日に難民を強制的に立ち退かせる計画をやめさせるよう、できるだけのことはしなければならない。そうなると、結局ローゼンということになる。なんといっても私はドイツ人なので、やはりドイツ大使館を通じるのが一番だからだ。
 わが家の収容所はまたもや一面の泥沼になってしまった。2日間にわたってかなりの大雪になり、今その雪が溶けているのだ。難民たちはしょんぼりしている。2月4日にはここを立ち退かなければならない。600人がすでにそう覚悟を決めている。大半はここからそう遠くないところに住んでいるので、万が一の時はすぐに戻ってこられるだろう。
 中には百人ほど、特に貧しい人たちがいる。その人たちのために、韓と私の2人でささやかな募金をして、百ドルかき集め、一人一ドルずつ配ることができた。みな大喜びだった。
 貧困はすさまじい。それなのに明日は中国の新年(旧正月=春節)、中国人にとっての最大の祝日だ!わが家の収容所は比較的小さいのだが、新年の餅のための調味料代として委員会から5ドルの特別手当があった。600人にたったの5ドル。残念ながらこれ以上は出せないのだ。だがこれだってないよりはましだ。その上、一人当たり米をもう一カップ(内緒で!)配った。日々の割り当ては、かわいそうに、たった2カップしかないのだ。・・・・・・・・・


 午後4時、漢口路で大勢の中国人に車を停められた。50人はいる。聞けば女の人が日本兵に連れて行かれたという。どうか助けてください、とかわるがわる訴えている。薛家巷4号の家に入っていったというので、そこまで案内してもらった。
 中に入ると家中くまなく荒らされていた。床一面ありとあらゆる破片で足の踏み場もない。部屋は開け放しで、そのうちの一室には棺桶が安置されており、わらだのがらくただのが散らばっている隣の部屋でまさにことが始まろうとしている。間一髪だった。
 私はそいつを玄関へ引きずり出した。大勢の中国人と、ハーケンクロイツがついた私の車を見て泡を食ったらしく、やつは近くの瓦礫の中へいずこともなく姿を消した、中国人たちは家の前でなにやらぶつぶつ言っていてなかなか帰ろうとしない。こんなところでぐずぐずしていると別の日本兵がやってくるぞと言うと、蜘蛛の子を散らすように逃げていった。

 16時半・・・平倉巷での礼拝。
・・・・・・・・・・・・


「南京事件の日々」(ヴォートリン著:大月書店)より
1月30日 日曜日
 今日は飛行機が飛ばなかった。
 旧正月の到来を告げる爆竹の炸裂音が時折聞こえると、思わずはっとする。ごく最近まで銃や銃剣が支配していたのだ。
 今朝の礼拝は出席者があまり多くなかった。人々は自宅で本当に旧正月の準備をしているのだろうか。女子学院から金陵大学にかけての通りは、群衆でびっしり埋まっている。
 午後の礼拝は参加券の所持者を対象とし、クリスチャンの女性またはミッションスクールに通っている少女だけで行われた。南音楽教室は満席の状態だった。「新年を迎えるにあたって」と題して婁さんが素晴らしい話をした。家にではなく心に新年を迎える、と言う話である。・・・・・・・・

 メリーが平昌巷3号での英語の礼拝に行く番だった。彼女は、私たちの郵便物を積んだイギリス砲艦でジョージ・フィッチが昨日上海に向かったことを知った。彼は、南京を出ることを許された2人目になる。私たちもフィッチについて、上海の合同教会の礼拝に出かけた情景を想像してみると、南京に夫のいる女性たちが南京の情況を知りたいと真剣に彼に懇願する様が思い浮かぶ。彼は、南京に戻ってきてよいとの約束を取り付けた。本当に戻れるだろうか?3号にいる人たちは、上海からの食料ーミルク、ベーキングパウダー、缶詰などー持っている。何週間も食べ物が乏しかったあとだけに、そこの料理人は、そうした貯蔵食料を手にしてどんなにか喜んでいることだろう。ケーキやクッキーなどは、それこそ何週間も口にしたことがなかったのだ。
 使用人のための今晩の礼拝は、大晦日の礼拝の形式で行われた。過去の罪の許しを請い、新しい未知の道を拓く力を授かるよう願う礼拝である。使用人たちの間には素晴らしい精神がみなぎっている。彼らは誠実であり、つらい仕事をしてくれる。
 国際委員会は、2つに分けて金銭を贈ってくれた。一つを、食べ物しか持っていない臨時使用人への心づけとして、残りの一つを、余分に全員の食料を買うのに使うつもりだ。豚肉の値段は一ポンド70セントしている。無料米グループに野菜と食用油を臨時に配給した。

「Imagine9」【合同出版】より


世界は、

9条をえらび始めた。


・平和が武器によってつくられるものではないということに世界中の国が気づき、すべての国が憲法9条をもつようになることを願ってます。(オーストラリア、20代・女性)


・このグローバル9条キャンペーンに非常に感動しました。憲法9条を維持しようというこの草の根運動には、日本がアジアとの関係に誠意を持って向かっている姿勢がうかがえます。このキャンペーンに多くの日本人が賛同し、成功することを望みます。がんばってください!(韓国、30代・男性)

・憲法9条に賛同します。このような憲法があることで、私たちは、戦争のもついかなる攻撃性に対して共に、立ち上がるような地域社会の結びつきを強くしていくことができると思います。私たち一人ひとりのの協力こそが、最高の平和の武器だと思います。(ベルギー、50代・男性)

・日本のような歴史を持つ国が、憲法9条を広めようという行動をとることは、世界のほかの国々にとっての模範です。ほかの国々もそれに続くことを祈って。私たちに必要なことは平和への挑戦です。
(コスタリカ、20代・女性)

・日本国憲法第9条の改定に反対です。(ロシア、20代・男性)



第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


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2009年1月28日水曜日

1938年 南京 1月29日

「南京の真実」(ラーベ著:講談社)より
1月29日
プリドー=ブリュン・イギリス領事とフィッチが今朝9時にビー号で出発した。私の日記帳もお供した。フィッチが近いうちに戻れるなどと、誰も信じていない。日本人との緊張感は日増しに高まっている。委員会を解散して、新たに救済委員会を組織し、新しい自治委員会と協力するようにしたほうがいいかもしれない。目下真剣に検討しているところだ。
 日本軍と協力しようと私は口を酸っぱくして言っているが、アメリカ人は反対だ。委員会が賛成してもいないのに日本側と交渉するわけにはいかない。それに向こうが同意するかどうかも全くわからないのだから。ひょっとするともう遅すぎるのかもしれない。時機を逸してしまったのではないだろうか。
 そうかといって、脅した通り、日本軍が2月4日に難民を強制的に立ち退かせて収容所に入れ、この前の赤十字病院の伝で立ち入り禁止にしてしまったら、我々は手も足も出ない。
 ドイツ大使館は日本軍から覚書を受け取った。そこには、難民に対するさまざまな援助には感謝しているが、2月4日に収容所を閉鎖するように、とあった。私は会議を開いて、それぞれの大使館に次のことを確認、ないしは調べてもらうことにした。


1、日本は、外国人の土地、もしくは外国人の家にある収容所からも難民を立ち退かせることができるのか?(収容所のかなりの数がアメリカ人の土地にある。ジーメンス・キャンプといわれるラーベの収容所もその対象になる。ドイツ人の庭にあるからだ)
2、もっと多くの難民を受け入れても良いのだろうか?
3、我々の立場を明らかにするまで、各大使館に本件に関する日本側への返事を待ってもらいたい。


 マギーが8歳と4歳の少女を見つけた。親族は11人だったというが、残らず残忍な殺され方をしていた。近所の人々に救け出されるまでの14日間、母親の亡骸のそばにいたという話だ。姉娘が家に残っていたわずかな米を炊いて、どうにか食いつないでいたという。



「南京事件の日々」(ヴォートリン著:大月書店)より
1月29日 土曜日
今日は雪が降っているが、寒くはない。旧正月の準備が何のわずらいもなく進められそうだ。期待感が漂っている。値段は例年になく高いが、通りには食料品がいつもよりもたくさん出回っている。
 午前中、新たな手紙と、わたし用の『アトランティック』誌1月号の他に『クリスチャン・センチュリー』誌12月号数部も届けられた。アメリカからの私宛の郵便物はどこに行ってしまったのだろうか。私は、南京の郵便局を信用していない。
 今日は程先生、王さん、薜さんと私とで4時間かけて、国際委員会に提出できるよう用紙に所定事項を記入した。最も困窮している避難民たちが上海及び国外からの救援基金による援助を受けられるかどうかは、私たちの勧告いかんによるのだ。幼い子どもを持つ女性についての私たちの所見は、多くが次のように書かれている。「夫が戻ってくれば何の問題はない。戻らない場合は、3月1日から6月30日まで金陵女子文理学院が運営する職業訓練学校または家政学校に入学させる。」多くの女性については、中国西部にいる夫と連絡がとれるまで小額の貸付金を借りることを勧める。一部の女性については、再出発するための援助金として5ドルを全額贈与する。彼女たちの再自立をどのように支援したらよいか知るのは難しい。女子学院には社会学部があり、社会学の専攻者いればよいのだが。
 程先生と私は、野菜・食料油・米を材料とする、明日旧暦大晦日の夕食の無料米グループ向け料理について最終の打ち合わせをした。交付された資金でこうした食事が約10回分提供できるはずであり、健康維持に多少とも役立つだろう。
 今日は兵士にも将校にも会っていない。というわけで、状況が変化したことがわかる。
 以前、金陵女子文理学院で働いていた手伝いの女性が農村から出てきて、14歳と18歳の女の子2人を引き取ってほしいと懇請した。彼女の話では、農村地域での状況はいまなお非常に悪く、兵士たちがありとあらゆるものを持ち去り、若い女性たちはいつも危険にさらされているそうだ。外国人が南京城外に出ることはまだ許されていないので、彼女が責任を持って少女を変装させ、何とか連れてくることになる。
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 午後、紅卍字会会長の張南武が私に話してくれたところによれば、同会は2000体を埋葬したそうだ。彼に、寺院付近にある焼け焦げの死体を埋葬してほしいと懇請した。彼らの亡霊が絶えず私の前にあらわれる。




「Imagine9」【合同出版】より



世界は、

9条をえらび始めた。



・憲法9条はまるで、神が私たち人類に送ってくれた宝物のようです。(中国、40代・男性)



・9条は、明らかに戦後の東北アジア地域のパワーバランスを保ってきた一要因です。(モンゴル、60代・男性)



・9条は、日本が多くの残虐行為をおこし、侵略戦争を行った反省から制定されたものです。その9条をなくすことに賛成できません。(韓国、60代・女性)



・9条の平和主義は、私たちの世代だけでなく、次の、その次の世代の平和にも重要です。(中国、40代・男性)



・すべての国が憲法9条を持つようになり、平和が最後の手段としてではなく、唯一の手段となる日が来ることを願っています。(イギリス、20代・男性)


第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


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1938年 南京 1月28日

「南京の真実」(ラーベ著:講談社)より
1月28日
 フィッチが今日、何の前触れもなく田中領事から上海へ行く許可をもらった。イギリスの砲艦ビーで行き、6日後にアメリカの砲艦オアフで戻ると言っている。なんだか妙な話だ。証明書とか旅券、あるいはそういうたぐいのものを一切よこさないだけに、なおさら変な気がする。
 昨日の晩、福井氏に、フィッチのために上海へ行く許可をだしてもらえないかと言った時にはにべもなく断られたのに。ひょっとすると、昨日の件で、アメリカ人に対して弱腰になったのかもしれない。何しろアメリカと日本の間には、ここのところ、それからそれへと不愉快な事件が続いたから。昨日、アメリカ大使館の南京責任者、アリソン書記官が、なんと日本兵に横面を張られるという事件が起きた。直ちにこれはワシントンに報告され、今日、ロンドン発の最新ニュースとしてラジオが伝えたばかりだ。日本はアリソン氏に謝罪することはしたが、氏が日本語でけしからんことを言って兵士を怒らせたからだ、という立場をあくまでも崩そうとしない。
 それにしてもローゼンにも困ったものだ。昨日、一緒に街をまわった時、日本軍から配属された衛兵を連れて行こうとしなかったのだ。言葉を尽くして説得したがだめだった。この件はすぐに日本大使館に報告され、今日、私のところに次のような声明文が届けられた。
 南京にはなお平服の中国兵(便衣兵)がいる。日本兵は、疑わしい人物はすべて撃つよう、命令されている。それゆえ大使館員には日本人の衛兵が付き添い、保護することになっている・・・・
 おっと、ここで一言言わせてもらおう。もし本当にまだ便衣兵がいたとしても、絶対に我々外国人に手出しはしない。いまや我々が中国人を保護するために残ったのを知らない者はないからだ。
 難民収容所を2月4日に強制的に解体する、との通達。難民たちはいやおうなしに瓦礫の町へ戻らなければならない。泊まる所があろうがあるまいが知ったことか、というわけだ!惨憺たることになるのは目に見えている。だが、だからと言って手の施しようがないのだ。権力を握っているのは日本軍なのだから。



「南京事件の日々」(ヴォートリン著:大月書店)より
1月28日 金曜日
 午前中いっぱい飛行機がさかんに飛んでいた。死と破壊を運ぶ重爆撃機が頭上を通って北西の方向へ飛んで行く。私たちには、中国全土が破壊されていくように思える。どんな運命が濾州府に降りかかったのだろうかと再三案じている。
 午前中、外界に出す手紙を書いて過ごした。今夜9時30分までにアメリカ大使館に持って行けば、アメリカ砲艦オアフ号で運んでもらえる。夜はキャンパスから出ないことにしているので、5時30分までには出かけよう。まるで何年間もー実際は12月12日以来だがー夜間の外出をしていないような気がする。
 午後、安全区内の地区長会議が「傀儡協会」ー陳さんが使っている名称だが、あまりにも的を射ているので変える必要がなさそうだーの本部に召集された。日本軍将校一名が同席していた。発表された計画によれば、安全区の避難民は全員が2月4日までに帰宅し、安全区の街路に並ぶにわか露店はすべて同日以後は撤去しなければならない。城内の秩序は維持されることとされている。兵士が非行を働いた場合、通報に基づいて処罰できるようにする方策が練られてきた。兵士は制限区域に留まることとされており、私たちとしては、発表どおりにこれが実現することを切望している。
 城内の3つの慈善事業団体が、極貧の人々に米1000袋と2000ドルを配布することを計画している。私たちの要請に沿って女子学院には、無料米グループ向けの、つまり「赤札」グループ向けの野菜と食用油の調達費として200ドルが交付された。現在、このグループは、子どもを含めておよそ1000人を数える。
 午前10時ごろ、大きな封筒に入った郵便物が校門に届けられた。外国船で上海から運ばれてきたものだ。私たちは、友人たちの消息をどんなに渇望していることか。夕食後、程先生の居間で、私たち一同宛の手紙や、誰にとっても興味深いような手紙を読み、ちょっとしたパーティとなった。これまでのところ、外国郵便は全く来ていない。
 難民の中には、盲目の少女が4人いて、現在、彼女たちは程先生の寄宿舎で生活している。とても明るくひたむきな少女たちで、私たちが会いに行くのを待ち焦がれている。今では、足音を聞いただけで私たちだとわかるほどだ。土曜日の午後の礼拝に彼女たちを連れて行ったところ、それ以来、主の祈りの文章の意味を質問してくる。いつか彼女たちを上海の盲人学校に行かせることができるといいのだが。
 避難民家族を受け入れて以来、8時30分には電燈が消えるので、夜の長い時間はロウソクかカンテラの明かりで書き物をしている。安全区内のいくつかの地域では市の電力供給が復旧している。市営水道の給水も、少なくとも安全区内では再開されている。電話はまだ通じていない。
 夕方・・・・・・


「Imagine9」解説【合同出版】より


9条がゆきわたった世界

 「武力によらずに平和をつくる」という日本国憲法9条の考え方は、国家や人種、民族の壁を越えて「地球市民」として生きていくための共通の鍵となります。
 「世界中の国が憲法9条をもてば、すべての国は戦争ができなくなる」、それは無理なのでしょうか。いいえ。奴隷制に苦しんだ黒人の人々が、人間として生きる権利を獲得したように、長いあいだ社会から排除されてきた女性たちが参政権を得たように、戦争も、私たちが働きかければなくせるものなのです。
 第2次世界大戦を経験した人類は、「もう2度と悲惨な戦争を繰り返してはならない」という思いで、国連をつくりました。国連憲章は、「武力行使をしない」「軍事費は最小限にする」ことを定めました。しかしその国連憲章がつくられたあとに、広島と長崎に原爆が落とされ、戦争は終わりました。そして、日本の憲法9条が生まれました。
 国連憲章も日本の9条も、目標は同じ「戦争をなくす」ということです。
同じ目標のもとで、日本の9条は、国連憲章よりもさらに一歩前に踏み出しました。9条は、戦争につながるような軍隊をもつことを否定したのです。9条が一歩踏み出したその先に続くのは、私たちです。9条から見えてくる世界の創り手は、私たち一人ひとりなのです。



第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


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2009年1月27日火曜日

1938年 南京 1月27日

「南京の真実」(ラーベ著:講談社)より
1月27日
 今日は皇帝ヴィルヘルム2世の誕生日だ。ちょっとくらい皇帝をしのんだところでナチ党員であるということに傷はつくまい。私のように皇帝の時代に生まれた人間は、やはりそうすっぱりと忘れることはできない。ただし、私が懐かしんでいるのは皇帝ではなく時代だ。指導者としてはヒトラーのほうがいいと思っている。だが、よく言うように、思い出というのは心の奥底に染み付いている。皇帝の誕生日がめぐってくるたび、色鮮やかな制服に身を包んで喜び勇んでパレードをしていた人々の亡霊が現れるからだ。どの人もそれは誇らしげだった。今ではその誰もが、いやほとんどが土に帰っている。安らかに眠らんことを!

 ラジオ上海によると、フランス政府は、ジャキノ神父にレジオン・ドヌール勲章を授けることにしたそうだ。我々の経てきた道のり、15人ものメンバーが力を合わせ、艱難辛苦に耐えてようやく克服できた数々の困難を思うにつけ、この人が、一人きりでそれを成し遂げたと思うと信じられない気がする。叙勲も当然だ。
 今日、午前中にローゼンと車で東部地区をまわった。家という家は軒並み略奪されてがらんとしており、しかもそのほぼ3分の1が焼けていた。
 たった今、背筋が寒くなるような知らせが舞い込んだ。鼓楼病院の責任者マッカラムが、押し入ってきた2人の日本兵に銃剣で襲われ、のどをけがしたのだ。幸い命には別状ないらしいが、実にゆゆしき事件だ。直ちにアメリカと日本の政府に電報が打たれた。




「南京事件の日々」(ヴォートリン著:大月書店)より
1月27日  木曜日
 今日は飛行機がさかんに飛んでいる。たくさんの飛行機が北西方向へ飛んで行った。その中には重爆撃機もあった。城内にはありとあらゆる噂が広まっていて、なかには、中国兵がすぐ近くに来ていると考える人もいる。十分な衣服をまとっていない兵士たちは、厳しい寒さの中で難儀しているに違いない。
 今日紅卍字会【こうまんじかい(1)】が、「赤札」グループ向け、つまり無料米グループ向けの野菜及び食用油の調達費として200ドルを女子学院に交付してくれた。旧正月の贈り物である。
 北東の寄宿舎の浴室を使って浴場を開設することを計画している。余分な仕事が増えることになるが、多くの人々に喜んでもらえるだろう。第一の問題は石灰の入手で、第二の問題は、信頼できる運営責任者を見つけることだ。
 「最初の一ヶ月を回顧して」を書き終えた。数え切れないほどたくさんの邪魔が入った。今夜は時間をかけて読み返すのは無駄のような気がする。
 膨大な量の盗品が安全区に持ち込まれているのは頭が痛い。最初のうちは安全区は人の生命を救ったけれども、いまや盗品の蓄蔵と販売のための退避所になっている。街路には小さな店や露店が立ち並んでいる。このことから察すると、「老百姓」は大胆になり、安全区外の住宅に軒並み押しかけ、彼らが売りたい物や使いたい物を持ち去っている。今日ソーン氏が話してくれたところによると、安全区のちょうど境界ぎわにある彼の家から、危うくドアが持ち去られるところだったそうだ。安全区への盗品持ち込みは禁止しなければならないが、そうするには、持ち込む中国人を上回る大きな力を安全区側が持っていなければならない。マッカラム氏は、中華学校からこれ以上物が盗まれないようにするため、目下、そこに要員を投入しているところだ、と言っている。これから先の数ヶ月間にどんなことが起こるのだろうか。というのも、海中で炸裂する爆弾によっていっさいの滓(かす)と汚物が攪拌されるように、社会のすべての邪悪分子が解き放たれたように思えるからだ。

(1)紅卍字会は「道院」という新興宗教団体の社会慈善事業実行機関である。紅卍字会南京分会には会員300余人がいて埋葬隊を組織、南京自治委員会から資金援助を受けて死体埋葬作業を行った。中国赤十字会(中国語では中国紅十字会)は紅卍字会と違い、日本の赤十字にあたり、本部は上海にある。外国人が国際赤十字委員会を組織し、中国人が中国赤十字会を組織するという関係にある。


「Imagine9」解説【合同出版】より



9条がゆきわたった世界

 みなさんは学校で、どんな歴史を学んできましたか?
 国内で行われた戦国時代の戦い以外に、日本がほかの国々と行った戦争について、どのように教わってきましたか?
 多くの国々では、自分の国がいかに正しく、立派であり、誇らしいものであるかを繰り返し強調してきました。その影で、自分の国がほかの国の人々に被害を与えたことについては、忘れられる事が多かったのです。
「国のためではなく人々のために歴史を教えたい」そう願う日本、韓国、中国の市民や研究者たちは、一緒になって一つの歴史教材をつくりました。(日中韓3国共通歴史教材委員会編『未来をひらく歴史』、高文研、2006年)。傷つけた側、傷を受けた側が、共通の歴史をとらえ直そうとしているのです。
 イスラエルは、60年にわたりパレスチナの土地を占領しています。それが理由となって、中東地域全体で暴力の連鎖が続いています。そんな中にあっても、イスラエルの若者とパレスチナの若者が出会い交流を進めています。
 インドとパキスタンは、国境のカシミール地方の領有権をめぐる対立を60年間にわたって続けています。国境では衝突が絶えず、両国は核兵器をもちミサイル開発を続けながらにらみ合っています。それでも、平和を求める市民は、国境を越えた交流を進めています。
 南アフリカでは、人種隔離政策(アパルトヘイト)の中で白人が黒人を抑圧してきました。アパルトヘイトは終わり、「真実と和解委員会」がつくられ、過去を見つめて和解を進めました。それぞれの問題において、一人ひとりの「対話」で少しずつ、ゆっくりと解決をしようと努力が続けられています。


第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


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2009年1月26日月曜日

1938年 南京 1月26日

「南京事件」(笠原著:岩波新書)より
1月26日・・・日本軍将校がアメリカ大使館員アリソンを殴打、外交問題となる(アリソン事件)

「南京の真実」(ラーベ著:講談社)より
1月26日 
中国人兵士の死体はいまだに野ざらしになっている。家の近くだからいやでも目に入ってしまう。いったいいつまでこんなことが続くのだろう。信じられない。なんでもたいそうなお偉いさんが来るという話しだ。こちらの軍隊ではなく、陸軍省直属の将校だとか。是非ともこの混乱をおさめてもらわなければ。もう限界に来ている。


 この間一人の若いアメリカ人が、日本の衛兵に付き添われてやってきた。イギリス大使館に配属されているそうだ。英米合弁製材会社の膨大な在庫を日本軍に売りにきたという。この人から聞いたのだが、上海からここへ来る途中、はじめの50マイルで出会った人間は全部でたった60人ぐらいだったという。いまだに大勢が住んでいるのはもはや南京だけだと言っていた。上海と南京の間はどこも死に絶えたも同然だ、と。

 安全区を出て人気のない道を行く。どの家にもそのまま入っていける。ドアが軒並みこじ開けられているか、大きく開けっぱなしになっているからだ。そして、くり返しすさまじい破壊の結果をみせつけられる。なぜこんなに野蛮なのか、理解できない。
 いったい何のためにこれほどひどいことをするのだろう。ただただ訳がわからない。日本大使館の態度から、軍部のやり方をひどく恥じていることがずっと前からわかっているだけになおさらだ。何とかしてもみ消そうとしている。南京の出入りを禁止しているのだって、要は南京の実態を世界に知られたくないからだ。だがそんなことをしたところで、しょせん時間の問題だと思うがね。ドイツ、アメリカ、イギリスの大使館が再び外交官を置くようになってから、何百通もの手紙が上海へ送られているのだから。それには、ここの状況が克明に記されている。大使館が電報で報告しているのは言うまでもない。
 南京の中で、安全区は人々が生活していることを感じさせる唯一の場所だ。ここの中心部には次々と新しい露店ができている。朝早く、たいていまだ薄暗いうちに、人々は手元に残った品物を手当たり次第に引きずってくる。まだ、売り物になるもの。あるいは、なる、と思っているもの。そして、誰か買ってくれないだろうか、ときょろきょろするのだ。食べ物以外のものに使える金をまだいくらかふところにしている人はいないだろうか、と。群衆は押し合いへしあいしながら、この露店の立ち並ぶ街、常設市を押し分けて進んでいく。貧困と窮乏の支配する市を。米、小麦粉、肉、塩、野菜、タバコなど、生活必需品や嗜好品のその時その時の相場で物価が決まる。
 我々はドイツをはじめ、アメリカやイギリスの各大使館に頼んで、何とかして食糧を取り返してもらいたいと考えている。市内の倉庫にはまだ米や小麦粉があるはずなのだ。だが日本軍の手に渡ってしまったので、取り戻せる見込みはきわめて少ない。
 我々の話を聞いた大使館の3人は、それはどうかな、という顔をして首を振った。たとえまだ残っているとしても日本軍は引き渡さないだろう。それどころか、何とかしてこれ以上補給させまいとがんばるに違いない。我々は彼らにとって目の上のこぶだからだ。厄介払いしたいに決まっている。一日一日と煙たい存在になっているのだ。そのうち、ぽいと上海に追い出されはしないかと、我々の方でもひやひやしている。


「南京事件の日々」(ヴォートリン著:大月書店)より
1月26日 水曜日
 今朝再び爆撃機数機が西の方角に飛んで行ったが、その後、午後になって引き返してきた。どうやら句容から飛び立っているようだ。漢口、武昌、それに重慶のような都市のことも心配だ。
 今日キャンパスの避難民何人かが夜具がほしい、と言っていた。彼女たちの中には、自宅にずっととどまろうとした者もいたが、依然として兵士が押し入ってきて、夜具や「花姑娘」(若い娘)を要求しているのだ。一昨夜、王さんの弟と姑が寝具を奪われてしまった。水西門近くの自分の家で暮らそうとしている矢先のことだ。
 午前から午後の始めにかけて、「最初の一ヶ月を回顧して」と題する報告を書いていたが、やたらと邪魔が入るので、きちんとした報告が書けない。時としては一つの段落がまとまらないうちに3,4回も邪魔が入る。
 5時近くまで仕事をしたあと、思い切って金陵女子学院の西の通りへ散歩に出かけることにした。虎踞関という通りだ。家々はすべて戸締りされ板で囲われて、どの街路もほとんど人通りがなかった。やっと出会った人はアリソン氏の料理人の母親だった。彼女は、家の向かいの知人の家に寄寓している。兵士がやってくるかもしれないので、心配で自分の家に帰ることができないのだ。彼女は、残っているわずかばかりの物を「老百姓」(庶民)に盗まれないように見張りをしている。私は関邸ー明の第一代皇帝から関一族に与えられたものーを訪ねた。そこには、焼けて炭になった材木や黒焦げの瓦や煉瓦が一面に転がっている。年老いた管理人が挨拶に出てきて、火災原因について彼の推測を話してくれた。兵士たちが牛を盗み、料理するためにこの家に持ち込んだ。当然ながら、彼らは部屋の真ん中で派手に火を焚き、立ち去るさいにそれを消さなかった、というのだ。焼けこげた材木と牛の骨は、管理人の説明が真実であることを証明していた。こうして、興味深い史跡がまた一つ消えてしまった。
 廃墟からの帰途、知り合いの女性に出会った。彼女は私に、揚沟の池に多数の死体があることを知っているか、と尋ねた。そのことは多少聞いて知っているので行ってみたい、と答えると、同道しよう、と言ってくれた。しばらくして彼女の夫に出会い、彼が、私と私の使用人を案内してくれることになった。私たちは問題の池を見つけた。黒焦げになったたくさんの死体が岸辺に転がり、灯油かガソリンの空き缶2缶が死体に混じっていた。死人の両手は、背中の後ろで針金を使ってしばられていた。死体が何体あるのか、また、最初に機関銃で撃たれ、そのあと焼かれたのかどうかはわからない。だが、そうあればよいと思う。これ以外にも焼け焦げた死体は、西側の小さいほうの池におそらく20体ないし40体あった。履いていた靴の中には兵士の靴ではないものもあり、それらは一般民間人の靴のようだった。焼かれていない死体が丘陵地全体に見られる。


「Imagine9」解説【合同出版】より



ひとりひとりの安全を


大事にする世界



 また、地球上の人々の生命と権利を守る責任は国際社会全体にあるのだ、という考え方も広がりつつあります。たとえば、国の中で紛争状態や人権侵害があるときに、その国の政府が「これは国の内部の問題だから外国は口出しするな」などということは、もはや許されないのです。国と国が戦争をしていないからといって、それは平和を意味しません。人々の生命や権利が脅かされているかぎり、それは平和ではないのです。

 日本国憲法には、9条と並んで、もう一つ重要な部分があります。
それは前文の次の言葉です。
「我らは、全世界の国民が、等しく恐怖と欠乏からまぬかれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」

 世界には、戦争に行くことを正しいことではないと考えて、兵隊に行くのを拒む人々もいます。これを「良心的兵役拒否」の権利と呼びますが、この権利を国際的に保障しようという動きも活発化しています。
 平和は、国から市民へ降りてくるものではなく、市民が国を動かし、国際社会を動かしてつくり上げていくものなのです。


第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


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2009年1月25日日曜日

1938年 南京 1月25日

「南京の真実」(ラーベ著:講談社)より
1月25日
外交部に設けられた病院で働く中国人の男女2人の看護人が、マギーに連れられて本部にやってきた。病院で働いていた苦力が一人、日本兵に刺し殺されたのだ。我々は詳しい事情を聞き、極秘文書に記録した。それと同時に、どうやらひどい状態らしい軍政部の病院について、何人かに報告してもらうことにした。
 我々が届けを出さなかった事件の一つにこういうのがある。ある中国人が日本人のために一日中働き、お金の代わりに米をもらった。疲れきって家族と共に食卓に着くと、テーブルには妻が今さっき置いたばかりの鉢がのっており、おかゆが少し入っていた。これが一家6人の夕食だった。そこへ通りかかった日本兵が面白がってその鉢に放尿し、笑いながら立ち去った。彼は何の罰も受けずに済んでしまった。
 この話を聞いた時、『奴隷となるよりは死を』というリーリエンクローンの詩が思い浮かんだ。だが中国人たちにあの自由人、リーリエンクローンのまねをしろといったところでどだい無理な話だ。これでもかとばかりに踏みつけにされ、中国人はもう長いことひたすら苛酷な運命に甘んじてきたのだ。前にも言ったように、これなどほとんど気にも留められないほどの小さな出来事なのだ。もし、強姦した人間が残らず仕返しに殴り殺されたら、進駐軍の部隊は多くはすでに全滅していることだろう。
 ドイツ大使館を通じて、たった今妻のドーラから手紙を受け取った。「今ならすぐに休暇でドイツへ帰れます。今逃げ出さないと、あと5年、待つことになりますよ」。まあ、そこまでひどくなることはもうないと思うが。
 3月1日までここに残ってもいいと会社が言ってくれるかどうか、とりあえず待つことにしよう。最もその時になってもまだ片付いていないかもしれないが。私としては、休暇は歓迎だ。実際のところ、今中国にはいいかげん嫌気がさしている。けれど、だからと言って逃げ出すわけにはいかないのだ!
 
22時10分
 ラジオ上海によると、クレーガーが日曜日の晩、1月23日に、屋根のない列車に12時間揺られた末、無事に上海に到着したそうだ。



「南京事件の日々」(ヴォートリン著:大月書店)より
1月25日  火曜日
 私たちは、新しい状況に順応している。しばらくの間はすべての窓のカーテンをきちんと閉め、明かりにはすべて黒い覆いをかぶせていた。今では、人が住んでいることを示すためにむしろ明かりを点けておくほうが賢明だと考えている。
 昨夜、使用人2人が、愚かなことに、窓を全部閉め切った部屋で豆炭ストーブを使用したところ、今朝、2人は一酸化炭素中毒で意識不明に陥っていた。程先生、私、そのほかここにいる者みんなで2人の意識を呼び戻そうと努力した結果、夜にはかなりよくなった。
 9時から12時30分まで寧海路5号で難民収容所の所長会議が行われた。私たちが建設的に活動できるように各収容所の本部に、さまざまな必要事項について調査する経験豊かなソーシャルワーカーがいてくれたらよいのだが。各家庭の実態を把握するのは難しく、そして、自立心ではなく依存心を避難民に持たせるのは簡単だ。現在、それぞれの収容所は極貧家庭の調査に取り組んでいる。資金が増額されたとか、肝油のような薬が余分に入手できるといったような、元気の出る知らせが上海から届いた。
 長老派教会の奉仕者である呉愛徳は、感謝と明るい気持ちを持ってこのキャンパスで生活している避難民であるが、20人の少女を対象に、今朝発音教室を開設した。彼女は、午後の集会の手伝いもしている。もっと大勢の奉仕者と空き教室があれば聖書研究会を始めることができるのだが。
 午後、532人のデータカード用紙を福田氏の所へ持参し、アメリカ大使館にもそのことを報告した。また、「傀儡政府」-陳さんが南京自治政府につけた名称だがーの当局者のところにも行き、盗品を売る店を安全区から締め出せないかどうか打診した。寧海路や上海路の沿道に何百という小さな店がにわかに出現しているのは、貧窮者たちによる略奪が毎日増えていることを意味する。日本兵が率先して略奪をしなかったら、彼らはあえて店開きはしなかっただろう。
 私たちは、外国人から毎日寄せられる少しばかりの情報をどれほど貪り読んでいるかしれない。
彼らは、放送内容を労を惜しまずに書きとめて送ってくれる。漢口、武昌、長沙、重慶に避難した友人たちはどうしているのだろうか。放送によると、重慶も空襲されているようだ。友人たちの離散、学校の閉鎖、生命と財産のすさまじい破壊など、すべてがぞっとする悪夢のように思われる。いったい本当なのだろうか。
 人力車はどうしたのだろうか。12月12日ーたしか、この日だったと思うがー以来、通りで人力車を見かけたことがない。タイヤや車輪を取り外した人力車がたくさん隠されていたのは知っているが、通りを往来する人力車は見かけない。私たちは歩くか、さもなければ車で出かけている。
 午後、程先生と一緒にグレイス朱の家へ行った。といっても、お茶を飲みに行ったわけではない。彼女の家は難民でいっぱいだ。家の中の状態は想像を絶する。程先生は、ラジオや食器類などわずかに残っていた物をいくつか持ち帰った。朱さんの所有物は、その一部を兵士たちが、あとの残りを難民たちが持ち去り、ほとんど全部なくなっていた。


「Imagine9」解説【合同出版】より



ひとりひとりの安全を


大事にする世界



これまで多くの人々は、平和とは「国を守ること」と考え、国を守るためという目的で大きな軍隊がつくられ、国の中での争いが放置されてきました。しかし近年では、「国家の安全」だけではなく「人間の安全」という考え方を大切にしようという事が、世界的に言われ始めました。
 緒方貞子・元国連難民高等弁務官などが中心となった国際専門家委員会が、2003年に「今こそ"人間の安全保障”を」という報告書を発表し、国連に提出しました。そこには、「国どうしが国境を越えて相互依存を深めていく中、国家ではなく人々を中心とした安全保障の考え方が今こそ必要である」という事が述べられています。
 武力紛争下の人々、国境を越えて移動する移住労働者たち、国内外に逃れる難民たち、極度の貧困、HIV(エイズ)などの感染症との戦い、女性の性と生殖に関する健康といった問題は、「国家の安全」だけを考えていたら見落とされてしまいがちな、しかも深刻な「人間の安全」に関わる問題です。

 2005年の国連世界サミットでは、「人間の安全保障」という言葉が初めて最終文書に盛り込まれました。じつは、これを推進したのは日本政府でした。「人間の安全保障」という考え方は、「武力によらずに平和をつくる」という憲法9条の考え方と通じ合うものがあります。私たちは、こうした考え方をもっと世界の中で広めていく必要があるでしょう。



第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


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2009年1月24日土曜日

1938年 南京 1月24日

「南京の真実」(ラーベ著:講談社)より
1月24日
 高上校のボーイが突然やってきた。何も食べるものがないというので5ドルやった。主人の高上校漢口へ逃げてしまったという。
 委員会はキリスト教評議会を介してジーメンス洋行中国本社に打電し、3月1日まで私をここにおいてくれるよう、頼んでみるという。だから、上海行きの旅券を申請するのは当分の間差し控えることにした。・・・・・・・・

・・・・・・・・・その気になれば、盗品の故宮宝物で家中を飾り立てられるだろう。なんせ闇で二束三文で売られているのだから。今高いのは食料品だけだ。例えばニワトリ一羽が二ドルもする。ということは明時代の花瓶きっかり二個分だ。


 今日また高玉が本部へやってきた。中国語のできる警察の高級将校が一緒だ。高玉は、大学の難民収容所で若い娘を手に入れようとしているところをベイツに見つかってしまった。だから、収容所で「洗濯や料理をする人」を捜していたのだ、といいにきたという訳だ。「洗濯や料理をする人」だと?いったい誰がそんなたわごとを信じると思っているんだ。中国では洗濯と料理は男の使用人の仕事だ。そんなことぐらい、アジアじゃ子どもでも知っている。つまり、この男は名誉回復をしようというのだ。
 スマイスは一部始終しっかり書きとめた。「さっそく、各国の大使館に報告しましょう」。高玉がますますご機嫌ななめになったのはいうまでもない。奴さん、当てが外れてすごすごと帰っていった。ただ、「そんなつまらんことで大使館を煩わせるものではありませんぞ!」と、いやに力を込めて付け加えるのだけは忘れなかった。本部にいた連中はみな、いい気味だと言って喜んだ。


 マギーは書状一通と日本の銃剣一丁を私の机の上に置いた。それには、中国人女性を銃剣で脅していたところへ、委員会のメンバーが三人、ふいに姿を現したため、その日本兵はあわてて武器をとりおとし、そのまま逃げたとあった。目撃者がアメリカ人だったので、スマイスが勇んでアメリカ大使館に報告した。アリソン書記官が日本大使館への報告役を肩代わりしてくれたので、感謝している。アリソン氏はあっけにとられ、不思議だ、びっくりした、を連発した。そこで、ローゼンは早速「不思議に国のアリソン」と命名した。


「南京事件の日々」(ヴォートリン著:大月書店)より
1月24日   月曜日
 今朝非公式の報告書をタイプし始めてからほどなく、フォスター氏がどっさり情報を持って現れた。彼は、先週の土曜日の晩に大使館で起こった出来事を話してくれた。
 アリソン氏たちがジョージ・フィッチとP.ミルズを招いて夕食をとっていると、使用人の一人が、三号車庫に兵士が2人いると知らせてきた。アリソン氏が車庫に行ってみると、2人はマージャンをしていた。彼は2人に、出て行くように言った。あとで彼は、いささかきつく言いすぎたような気がして、果たして適切な処置だったろうかと考えながらテーブルに戻ってきた。アリソン氏が席に着くか着かないうちに、今度は別の使用人がやってきて、彼の娘が拉致されたことを知らせた。この一家は五号車庫で生活していた。アリソン氏は今しがた二人の兵士に、敷地内から出て行くように言ったばかりだったので、使用人がきっとその2人と取り違えているのだ、と言ったが、使用人は、それとは別の兵士で、初めのうちは彼の末の娘を要求したが、彼ら両親が断固拒否したのだ、と言った。そのあとアリソン氏は娘を捜しに飛び出して行き、当の娘が戻ってくるところに出くわした。どうやら、少女を連れ出した兵士に先の2人の兵士が出会い、アメリカ大使館にいた少女だから帰してやれ、と言ったらしい。私はどんな人も傷つけたいとは思わないが、それでもやはり、クアト・ヒューゼッケン卿射撃事件(1)、パナイ号爆撃事件、イタリア高官傷害事件、アメリカ高官傷害事件、アメリカ大使館からの少女拉致事件が発生したことを喜んでいる。少なくとも、このような事件があれば、日本や欧米諸国の国民の注目が集まるからだ。
 引き続き午後の集会は行われている。
 昼食のすぐ後アメリカ大使館に行き、車で日本大使館まで送ってもらった。福田氏との会話のなかで私は、大勢の女性が夫や息子を取り戻すために私に助力してほしいと懇願していることを訴えた。彼らの中には、12月13日に連れ去られた者もいる。福田氏は、データを持ってきてくれれば、出来るだけのことはしよう、と言ってくれた。と言うのは、彼も、そうした事態に悲しみを覚えたからである。明日532枚のデータカードを渡したら、彼はびっくりすることだろう。
 大使館に行くつもりで校門を出ようとしたら、一人の少女が近づいてきて、今しがた3人の兵士が彼女の家に押し入り、少女たちを連れて行こうとしている、と訴えた。彼女と一緒に駆けつけたところ、兵士たちはすでに立ち去ったあとで、彼らが連れて行こうとした少女たちは敏捷機敏に行動して、首尾よく裏木戸から逃げ出し、金陵女子文理学院に駆け込んだのだった。少女と一緒に学院に歩いて戻る道すがら、彼女は、日本兵が城内に初めて侵入してきた際、彼女の67歳の父親と9歳の妹が銃剣で刺し殺されたことを話してくれた。
 今日は相当な数の爆撃機が西の方角へ飛んで行った。城内の火災は少なくなってきてはいるものの、完全になくなったわけではなく、毎日1,2件は発生している。

 (1)・・・1937年8月26日、駐華イギリス大使クナッチバル・ヒューゼッケン卿が自動車で南京から上海に向かっていた途中、大倉付近で日本海軍機に機銃掃射を受け、大使が重傷を負った事件。


「Imagine9」解説【合同出版】より



戦争にそなえるより


戦争をふせぐ世界へ



 また、資源などを狙う外国が、その国の中の武力紛争を悪化させることも少なくありません。平和づくりはその国の人々が主人公になるべきであり、人々が自分たちの土地や資源に対してきちんとした権利を持つ事が重要です。貧しい国に「援助してあげる」のではなく、人々の権利を保障していく事が、平和の基盤をつくるのです。

 いわゆる「テロ問題」も同じです。テレビでは連日、イラクなどでの「自爆テロ」が報道されています。それに対して軍が投入されても、「テロ」はなくなるどころか、かえって増えていってしまいます。「テロリスト」と言う言葉が独り歩きしていますが、このような暴力をふるう人たちは、いったいどのような動機からそうしているのでしょうか。
 「貧困、不正義、苦痛、戦争をなくしていくことによって、テロを行おうとする者たちの口実となる状態を終わらせる事ができる」と、コフィ・アナン国連前事務総長は語っています。暴力に対してさらに大きな暴力で対処しようとすることは、結果的に暴力を拡大させ、人々の命を奪い、人々を大きな不安の中におとしいれます。どうすれば人々が暴力に走ることを予防できるのか考える事が大事です。
 そのための鍵は、軍隊の力にあるのではなく、市民どうしの対話と行動にあるのです。


第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


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2009年1月23日金曜日

1938年 南京 1月23日

「南京の真実」(ラーベ著:講談社)より
1月23日
 予定通り今朝6時にクレーガーは上海に向かった。
 シンバーグがまた南京にやってきて、たまご6個と生きたアヒル20羽を持ってきてくれた。
勤務中なのでやむを得ず袋に入れっぱなしにしておいたところ、3羽も死んでしまった。コックは「大丈夫、食べられますよ!」といっているが。
 8人も警官を引き連れて、高玉が事務所に訪ねてきた。いやに興奮している。2,3日前にアメリカンスクールからピアノが一台盗まれ、アメリカ大使館はワシントンに打電した。早速東京から「直ちにピアノを元に戻すように」との指令がきたのだという。ピアノがどこにあるのかわからないのだが、心当たりはないか、というのだ。どうせとっくにたきぎにされてしまったのだろう。私はそのままお引取り願った。そんなことまで一々言ってくるな!
16時30分
平倉巷での礼拝。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

18時
ローゼンを訪ねた。今日は城門の外まで足を伸ばしたそうだ。ゴルフ場がすっかり焼き払われていたという。

19時
フィッチの55歳の誕生日。みなで食事をした。私のプレゼントはアヒル2羽。生きちゃいるが骨と皮ばかりだ。かわいそうに、もう長いこと干乾しになっているのだ。


「南京事件の日々」(ヴォートリン著:大月書店)より
1月23日 日曜日
 特に記すこともない一日だった。寒さは厳しい。朝、メリーが鼓楼教会へ出かけ、私は午後、平昌巷3号で行われた英語による礼拝に行った。・・・・・・・・


 今朝、この収容所で生活している避難民の甥が私を訪ねてきた。昨日34日ぶりに帰ってきたとのこと。彼は、12月18日に400人ほどの人たちと一緒に連行された。「隊長」の夜具を長興に運び、食事の用意もした。8日間、この将校に仕事をさせられた後放免され、帰ってもよいと言われた。帰路、宜興まで来た時、別の将校に捕まってしまい、1月14日まで拘束された。この二人目の将校は甥のことが気に入り、親切にしてくれた。将校は彼を放免するとき、城門の外まで付き添い、幹線道路を避けて帰るように、と言った。520華里(260キロメートル)を歩いて帰ってくるには8日を要した。湖州のような都市には「老百姓」(庶民)は全く見当たらず、市の7割ほどが焼失していた。広徳は、それをめぐる攻防戦が長期にわたって激しく続いたため、ほとんど何も残っていなかったそうだ。彼の話によれば、ある地区では、「大刀会」が匪賊や中国軍、日本軍から村を護っていた。彼らは大刀を背負い、異様な目付きをしていたそうだ。村びとたちは彼らを尊敬し、彼らの前で叩頭するだけでなく、香を焚いて彼らを迎えた。溧水、溧陽、宜興といった都市はいずれもほとんど全滅し、再建には30年かかるだろう、と彼は話してくれた。道で出会った人たちはとても親切にしてくれて、彼に食べ物をくれたり、夜は家に泊めてくれたりしたそうだ。こういった人が、もっとたくさん家族のもとへ戻ってこられることを切に願ってやまない。
 ハイドさんと一緒に活動している長老派教会奉仕者の呉愛徳(音訳)さんが午後の女性の集会で、自身の逃亡についてすばらしい話をしてくれた。少女を物色していた兵士に見つからないように、彼女はおよそ40日間隠れて過ごした。積み上げられた牧草の中や豚小屋、船、空き家を転々として、最後に金陵女子文理学院のことを聞いて、そこへ行ってみようと決心した。彼女は年寄りに変装し、6歳(数え歳)の少年を借りて背中に負い、借りた杖をついてとぼとぼ歩いてきた。どんな障害も乗り越えたようで、集会が行われている真っ最中に彼女はここにたどり着いた。あの日元気いっぱいに歌っていたのは誰だろうかと思っていたが、彼女だったのだ。彼女はほかの避難民と一緒に北の寄宿舎の渡り廊下で生活している。


「Imagine9」解説【合同出版】より



戦争にそなえるより


戦争をふせぐ世界




「反応ではなく予防を」。これは、2005年にニューヨークの国連本部で開かれた国連NGO会議(GPPAC世界会議)で掲げられた合言葉です。紛争が起きてから反応してそれに対処するよりも、紛争が起こらないようにあらかじめ防ぐこと(紛争予防)に力を注いだ方が、人々の被害は少なくてすみ、経済的な費用も安くおさえられるのです。
 紛争予防のためには、日頃から対話をして信頼を築き、問題が持ち上がってきたときにはすぐに話し合いで対処する事が必要です。こうした分野では、政府よりも民間レベルが果たせる役割の方が大きいと言えます。どこの国でも、政府は、問題が大きくなってからようやく重い腰を上げるものです。ましてや軍隊は、問題が手におえなくなってから出動するものです。市民レベルの交流や対話が、紛争予防の基本です。市民団体が、政府や国連と協力して活動する仕組みをつくり上げることも必要です。

 2005年、国連に「平和構築委員会」という新しい組織が生まれました。これは、アフリカなどで紛争を終わらせた国々が、復興や国づくりをしていくことを支援する国際組織です。このような過程で、再び武力紛争が起きないような仕組みをつくる事が大事です。貧困や資源をめぐる争いが武力紛争の大きな原因になっている場合も多く、こうした原因を取り除いていく必要があります。つまり、紛争を予防するためには、経済や環境に対する取り組みが重要なのです。



第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


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2009年1月22日木曜日

1938年 南京 1月22日

「南京の真実」(ラーベ著:講談社)より
1月22日
竹の担架にしばりつけられた中国兵の死体については、これまでも幾度か書いてきた。12月13日からこのかた、わが家の近くに転がったままだ。死体を葬るか、さもなければ埋葬許可をくれと、日本大使館に抗議もし、請願もしてきたが、糠に釘だった。依然として同じ場所にある。しばっていた縄が切れて、竹の担架が2メートルほど先に転がっただけだ。いったいどうしてこんなことをするのか、理解に苦しむ。日本は、ヨーロッパ列強とならぶ大国だと認められたい、そのように扱われたいと望んでいる。だが、その一方で、こういう粗雑さ、野蛮さ、残忍さを見せつけているのだ。これではまるでチンギス=ハーンの軍隊と変わらないではないか。もう、これ以上、この哀れな男の埋葬を気にかけるのはやめることにした。ただ、時々、死んだまま、あの兵士がまだこの世をさまよっていることを思い出すことにしよう。・・・・・・



 マギーがまたしても悪い知らせを持ってきた。日本兵が食用の家畜をつかまえ、手当たり次第手に入れているというのだ。近頃は、中国人の若者を使って豚をつかまえさせている。なかなかつかまえられなかったり、全然つかまえることができなかった若者は、銃剣で突き殺された。なかの一人は内臓がはみ出して垂れ下がっていたという。
 これはみな目撃した人の話だ。こんなことばかり聞かされていると、気分が悪くなってくる。そうだ、日本軍は犯罪者の寄せ集めだと思えばいいんだ。ふつうの人間にこんなことができるはずがない。
 今日、トラックが数台、南の方からやってきて、下関(シャーカン)へ向かっていった。どれも中国兵で満員だ。おそらく捕虜だろう。ここと蕪湖の間でつかまって揚子江のほとりで処刑されることになっているのだ。
 高玉がやってきた。この人は総領事館警察の責任者だが、そのまま日本大使館付きになっていた。私は車を一台工面してやったことがある。徴用証書をもらおうとすると、署名する代わりに無言でそれをポケットにねじ込んだ。がっかりした。
 高玉は、以前はいつも青い制服を着ていて、それがよく似合っていたが、今は平服だ。南京で撮影された空中戦や墜落した日本機の写真を探している。半官の写真代理店が撮った写真が何枚かあって、一枚一ドルで買うことができる。なかに日本人パイロットが16人写っているのがあった。墜落して中国の捕虜になったのだが、丁重に扱われ、きちんとした待遇を受けていた。
 高玉によると、この中に友人がいるそうだ。捕虜たちの名前を聞いたが、知らない名前だった。その後どうなったのか、とても関心を持っているらしく、詳しいことを教えてくれと言った。
 そういわれてもどうしようもない。何も知らないのだ。たとえ何か知っていたとしても、発言には十分気をつけたことだろう。日本軍将校は(パイロットの中には将校もいた)捕虜になるとハラキリしなければならない、と福田書記官が言っていたからだ。捕虜になること自体、許されないという。そんなことに関わりたくない。もっとも、ここでさんざん残虐なことをしたやつらがハラキリしようと知ったことではないがね。
 
 人呼んでパパ・シュペアリング、つまり委員会警察委員のシュペアリングは、我々が大使館にあてて報告書を書くのをずっと横で見ていた。そのうち、自分もひとつ書いてみようという気になったようだ。・・・・・・・・・
 だが、誰しも生まれついての作家ではない。それにしても彼の書いたものはあまり素晴らしいとは言えないが。私は下書きを見せられた。けれども、だめだというのはしのびない。ま、いいだろう。おびえて震えている母親に抱かれた子ども、娘を乱暴しようと裸になっていた兵隊の話なども報告してもらうことにしよう。


「南京事件の日々」(ヴォートリン著:大月書店)より
1月22日 土曜日
 今日は寒いが晴天だ。キャンパスのすぐ近くにあるかなりの数の若い避難民たちは、今では昼間は帰宅して夜間は戻ってきている。今日私が話を交わした日本兵は、2月には平和になって全員が帰宅できるようになると思う、と言っていた。
 今朝手紙をタイプしてもらおうと思っていたとき、4人の男性がやってきた。将校一人と兵士3人だ。兵士の一人は英語を話した。神戸のミッションースクールで学んだ、と言っていた。クリスチャンなのかと尋ねると、彼は、自分はそうではないが、妻はクリスチャンで、2人の娘はミッションースクールに通っている、と答えた。彼が将校の通訳をした。まず最初に将校は、南京で起こった様々な事件について申し訳なく思っている、状況はまもなくよくなると思う、と言った。李さんと王さんが4人の視察の案内をし、その後私の執務室に戻ってきたので、お茶を出した。キャンパスに兵士は来るのか、と将校に尋ねられたので、よい機会だとばかりに、今日は誰も来なかったが、昨日は4人の兵士がやってきて、少女3人を連れ去ろうとしたことを話した。南京特務機関にこの件を報告するよう将校から求められ、午後、報告することができた。(これに先立って若い将校が中国人少女2人を連れてきて、ここの避難民収容所に置いてほしい、と言った。本当は引き取りたくはなかったが、どのように断ったらよいのかわからなかった。24歳の女性は、かつて私たちのミッションースクールの生徒だったことがあり、ギッシュ先生とケリー先生を知っていた。この件については、あとで補足したいと思う。)
 正午、昼食をとり始めてすぐに、上海からの食料品の包みと分厚い手紙の束ー12月13日以後に書き送った手紙への初めての返事ーを受け取った。夕食後、スタッフ全員に手紙を読んで聞かせたが、みな、外界から情報を得て、それこそ大喜びだった。・・・・・・・

 私たちほとんどの者が数時間かけて手紙を書き、6時までに私がそれをアメリカ大使館に持って言った。手紙は明日軍用列車で上海に運ばれる。ドイツ人のクレーガーが持って行ってくれることになっている。彼は、12月13日のあとすぐに南京を離れた4人の外国人記者を除けば、南京が陥落して以来、ここから脱出する最初の住民である。外界からほとんど情報が入らず、情報を送り出す手段も持たずにこの地に37日間も閉じ込められていることを想像してもらいたい。
 たしかに、少なくとも安全区では状況はよくなってきている。夜のあの恐怖はもはや味わわなくてもよいし、窓には今も厚いカーテンをかけているが、とにかく、その両端を鋲で留めることはないし、ロウソクを使用することもない。
 午後、ジョン・マギーが無線による情報を持ってやってきた。


「Imagine9」解説【合同出版】より



女性たちが


平和をつくる世界



ノーベル平和賞を受賞した女性たちの会「ノーベル女性イニシアティブ」は、次のように宣言しています。「平和とは、単に戦争のない状態ではない。平和とは、平等と正義、そして民主的な社会を目指す取り組みそのものである。女性たちは、肉体的、経済的、文化的、政治的、宗教的、性的、環境的な暴力によって苦しめられてきた。女性の権利のための努力は、暴力の根源的な原因に対処し、暴力の予防につながるものである」
 この会には、地雷禁止運動のジョディ・ウィリアムズ、「もったいない!」で有名なケニアの環境活動家ワンガリ・マータイさん、北アイルランドの平和活動家マイレッド・マグワイアさん、ビルマ民主化運動のアウンサン・スーチーさん、イランの弁護士シリン・エバティさん、グァテマラ先住民族のリゴベルタ・メンチュさんらが参加しています。
 国連では、「すべての国は、女性に対する暴力を止めさせる責任がある。そして、あらゆる平和活動の中で、女性の参加を拡大しなければならない」と決議しました(2000年、国連安保理決議1325)
紛争後の国づくりや村おこしなど、平和活動の中心には常に女性たちがいなければならない、ということです。実際、アメリカやヨーロッパはもちろんのこと、韓国をはじめとするアジア諸国でも、NGOなど市民による平和活動の中心を女性たちが担っています。


第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


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2009年1月21日水曜日

1938年 南京 1月21日

「南京の真実」(ラーベ著:講談社)より
1月21日
 クレーガーはもう一日出発を遅らせなければならなくなった。日曜日にようやく発てるという話だ。ただし列車で。おまけに、途中で飛び降りないよう、腕っ節の強い兵士が一人、見張りにつくとか。何とかして私も旅券を手に入れよう。一目でもいい、ドーラに会いに上海に行きたい。となると、残された方法は一つ。つまり、本当のことを言うのだ。会社には「もう金がありません」と。ジーメンスの責任者である私がそんなことを言ったら、けげんな顔をされるだろう。だが、もうそんなことを言っていられる場合ではない。一月分の給料だって、クレーガーを拝み倒して5百ドル借りてようやく払ったのだ。


「南京事件の日々」(ヴォートリン著:大月書店)より
1月21日 金曜日
 地面に雪は残っているものの、温暖と言ってもよいような一日だった。泥が目下の問題だ。粥を買いに粥場へ出かける何百人もの人、さらには、キャンパスで生活している親戚に食料を差し入れにくる何百人もの人が、私たちの手に負えないほど大量の泥を建物内に持ち込んでくる。
 昼食後まもなく、午後行われる女性の集会のことを知らせるために北西の寄宿舎へ出かけようとしたとき、避難民数人が私の方へ走ってきて、キャンパスの裏手に兵士がいる、と言った。私は裏門の方へ向かい、かろうじて間に合った。というのは、4人の兵士は私を見るなり、農民の朱の家の近くの難民小屋から連れ出した3人の少女を解放したのだ。兵士たちは丘の向こうへ姿を消した。この後まもなく憲兵の一団がキャンパスに来たので、事件の顛末を彼らに報告することができた。さらにしばらくしてから、将校2人がやってきて、彼らが南京城外に駐屯していることを告げた。
 ここ数日間、悲しみで狂乱状態の女性たちが報告してきたところでは、12月13日以来、夫や息子が行方不明になっている件数は568件(?)にのぼる。彼女たちは、夫は日本軍のための労務要員として連行されたのだと、今もそう信じている。しかし、私たちの多くは、彼らは黒焦げになった死体に混じって、古林寺からそう遠くない池に放り込まれているか、埋葬されることなく定准門外にうずたかく積まれた半焦げ死体に紛れ込んでいるのではないかと思っている。12月16日の一日だけで422人が連行されたが、この数は、主としてここのキャンパスにいる女性の報告によるものだ。16歳か17歳の若者多数が連行された。また、12歳の少年が行方不明であるとの報告もあった。ほとんどの場合、連行された者は一家の唯一の稼ぎ手であった。
 女性や子どものための午後の集会は続いている。自立手段を持たない女性たちのための職業訓練学校の開設計画に着手しようとしているところだ。
 5時、アメリカ大使館に出向き、ジョン・アリソン三等書記官ときわめて満足のいく話し合いをした。彼は私たちに、アメリカ人に対する権利の侵害を逐一報告することを切望している。私たちのために主張し、行動してくれるよう、ドイツ、イギリス及びアメリカの政府代表に南京に戻ってもらうことが、不幸な南京の人々にとって大いに意味のあることなのだ。アリソン氏は、非常に思慮深い人のように思われる。
 『新生報』という新しい新聞が発行されているが、その1月8日付けに、「難民を優しく慰撫する日本軍。南京市に融和の雰囲気が明るく広がる」と題する記事がある。この記事は25の文から成り、そのうち太陽、鼓楼、憲兵、及び日本国旗の地位に関する四つの文は真実を述べている。それ以外は一つが半ば真実、19の文は誤り、残り一つについては、私には判断がつかない。正誤テストなら、あまり高い得点とは言えない。
 レベッカに無線電報を送った。
 昨夜、二条巷(安全区内)にある王さんの親戚の家に4回にわたって兵士がやってきた。1回は、兵士が少女を連れ去ろうとしたが、彼女はうまく難を逃れた。後の3回はちょっとした略奪だった。ここの避難民に帰宅するよう説得できない理由がわかってもらえるだろう。


「Imagine 9」解説【合同出版】より



女性たちが


平和をつくる世界



 戦争で一番苦しむのは、いつも女たちです。戦争で女たちは、強姦され、殺され、難民となってきました。それだけでなく女たちは、男たちが戦場に行くことを支えることを強いられ、さらに男たちがいなくなった後の家族の生活も支えなければなりません。戦場では軍隊の「慰安婦」として、女たちは強制的に男たちの相手をさせられてきました。これは「性の奴隷制」であると世界の人々は気づき、このような制度を告発しています。
 男が働き、戦う。女はそれを支える。昔から、このような考え方が正しいものだとされてきました。最近では日本の大臣が「女は子を生む機械だ」と発言して問題になりました。その背景には「女は子を生む機械だ。男は働き戦う機械だ」という考え方があったのではないでしょうか。第二次世界大戦下、日本の政府は、こういう考え方をほめたたえ、人々を戦争に駆り立ててきました。このような男女の役割の考え方と、軍国主義はつながっているのです。
 「男は強く女は弱い」という偏見に基づいた、いわゆる「強さ」「勇敢さ」といった意識が、世界の武力を支えています。外からの脅威に対して、武力で対抗すれば「男らしく勇ましい」とほめられる一方、話し合おうとすれば「軟弱で女々しい」と非難されます。しかし、平和を追求することこそ、本当の勇気ではないでしょうか。私たちが、国々や人々どうしがともに生きる世界を望むならば、こうした「男らしさ、女らしさ」の価値観を疑ってかかり、「強さ」という考え方を転換する必要があります。



第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


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2009年1月20日火曜日

1938年 南京 1月20日

「南京の真実」(ラーベ著:講談社)より
1月20日
 吹雪だ!難民の状態は見るも哀れの一言に尽きる。いかに情の薄い人でも、これを見たら同情せずにはいられまい。我が家の収容所はいまや巨大なぬかるみだ。テントやわら小屋の周りには小さな排水溝が作られ、雪の溶けた水が少しは流れるようになった。難民はわら屋根の軒下で火をたいているが、見て見ぬ振りをすることにしている。この吹雪だ、火なんかたいてもすぐにまた消えてしまう。そうであれば、少しぐらい危険でも暖まらせてやりたい。・・・・・・・・・・


 この間、近所の作りかけの家からレンガを2,3千ばかり失敬してきて、テントや小屋の間に細長い通路を作った。こうしておけば少しは泥よけになる。
 そのほか、仮設便所の周りにレンガで壁を作ったので、いくらか見栄えが良くなった。
もっともこんなことをしたところで、焼け石に水だが。依然としてあたり一面泥の海にかわりはない。そこらじゅうでせき込んだり、吐いたりしているが、さもあらんと思う。一番心配なのは伝染病だ。
 国際赤十字代表のマギー牧師が、負傷兵を収容している外交部の赤十字病院の中国人看護婦から聞いた話を伝えてくれた。ここは我々外国人は立入り禁止だが、看護人は買い物のために時々は外出できる。そういう折に、本部に立ち寄ってこんな報告をしていったという。一人の中国兵が、食べ物が不十分だと苦情を言った。給食は小さなお椀で一日お粥三杯だそうだ。するとその兵士は監視の日本兵に殴られた。さんざん殴られたあとで、腹が減っているのがいけないのかと言ったところ、中庭に引きずり出されて、銃剣で突き殺されてしまったというのだ。この処刑の様子を看護婦たちは窓から見ていた。
 難民の誰一人、安全区から出て行こうとしない。元の家に戻ろうとした人たちが大勢、日本兵から石を投げつけられて追われたり、あるいはもっとひどい目にあわされたりしたからだ。それなのに、街には日本軍の大きなポスターが貼られている。「家へ帰りなさい!食べ物を支給します。日本軍を信用しなさい。我々はみなさんの力になります」


「南京事件の日々」(ヴォートリン著:大月書店)より
1月20日  木曜日
 今日は雪が降っているが、それほど寒くない。靴について持ち込まれる泥とベタ雪のせいで、建物がどんな状態か想像がつくと思う。再びきれいな状態に戻るかどうかわからない。
 王さんと孫さんは引き続き、夫や息子が戻ってこない女性のデータを書き留めている。ついさっき、ある女性が、12月16日、38歳の夫と17歳の息子が連れ去られ、彼女と幼い娘だけがあとに残されてしまった、と話してくれたところだ。かりに彼女が自宅に留まっていたとしても、夫と息子を危難から救うことができたかどうかーあの恐怖の時期にー誰が答えられようか。程先生は、こうしたデータを福田氏に提出しない方がよいと考えている。つまり、程先生の考えでは、日本にとって中国は憎い敵であり、中国をどんなに苦しめても、日本はそんなことなど意に介しないということを忘れてはならないのだ。一両日中に福田氏に会って、私に助力を求めて訴えている多くの女性のことを話し、何かうまい手立てがあるかどうか相談するつもりだ。
 今朝理事会宛の報告書を書き始めた。非常にたくさんの事件が発生しているので、簡潔な報告にまとめるのは容易ではない。報告を書いている最中、若い日本軍将校が私に相談があるとのことで、私は執務室で面会した。彼は近く南京を発つにあたって、20歳と14歳の中国人女性2人をここに引き取ってもらいたかったのだ。現在、彼女たちは外交部の近くに住んでいるが、彼によれば、2人がそこに住むのは非常に危険だ、というのだ。それはおかしいと思った。なぜなら、避難民は(日本軍から)、家に戻るようしきりに催促されていたのだから。私は、ここが避難民にとっていかに居心地が悪いかをはっきり説明し、彼女たちの生活ぶりを見てもらった。果たして彼が二人を連れてくるかどうか興味深いところだ。彼女たちが来ないことを切に願っている。私の推測では、彼は年上の方の女性に関心があって、安全区の外にある彼女の家に住まわせておくのが心配なのだろう。・・・・・
・・・・・・・・



 広い幅員があったころの上海路を知っている人は、今の上海路を見ても、ほとんどそれと気づかないだろう。午後、漢口路から寧波路(アメリカ大使館の真北)まで歩いたが、上海路の右側に新しく建てられた店を数えたら38店あった。もちろん、むしろか木材を使った粗雑な造りであるが、食料品やさまざまな盗品の販売で繁盛しているらしい。喫茶店もあればレストランもある。まだ今のところ、安全区の外に住もうと思うほど勇敢な人はほとんどいない。
 中国赤十字会のG氏の話では、彼は、1月17日、米を手に入れに出かけた際、漢中路の外側に男の死体がうずたかく積まれているのを目撃した。付近にいた人たちが言うには、12月26日ごろ現場に連行されてきて、機関銃で射殺されたそうだ。登録の際に、かつて兵士であったことを告白すれば、労務要員として賃金を支払ってもらえるという約束で、おそらく、事実を認めた人たちなのだろう。

「Imagine 9」解説【合同出版】より



基地をなくして


緑と海を取りもどしていく世界




 基地をなくして、緑や美しい海を取りもどし、きれいな空気がよみがえる。それが、人々にとっての本当の「平和」ではないでしょうか。
それは、人々が「平和に生きる権利」を確保することでもあります。

 フィリピンでは、1992年、国民的な運動の結果、米軍基地はなくなりました。韓国ではピョンテクという場所に新たな米軍基地がつくられようとしている事に対して、人々は反対運動を続けています。
 沖縄では「もう基地はいらない。美しい海を守りたい」と、辺野古での新しいヘリポート建設に反対する人たちが活動しています。自分たちの土地がイラクやアフガニスタンを攻撃する拠点として使われることに黙っていられないと、世界の人々は立ち上がっているのです。
 かつて日本やアメリカに占領されてきた歴史をもつミクロネシアの憲法は、その前文で、次のようにうたっています。
「ミクロネシアの歴史は、人々がイカダやカヌーで海を旅したときから始まった。私たちの祖先は、先住民を押しのけてここに住んだのではない。ここに住んでいる私たちは、この地以外に移ろうとは望まない。私たちは、戦争を知るがゆえに平和を願い、分断された過去があるがゆえに統一を望む」



第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


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2009年1月19日月曜日

1938年 南京 1月19日

「南京の真実」(ラーベ著:講談社)より
1月19日
 ラジオによると、あるベルリンの新聞がこれ以上中国に侵攻するなと日本に警告したそうだ。さらに、名誉ある平和を中国に申し出るよう勧めたとか。いやはや、いい気なもんだ。日本がいわれたとおりにするとでも思っているのか。
 隴海鉄道沿線での大規模な戦闘が間近に迫っている。国民政府軍はおよそ4万人の兵力を擁し、編成し直されたとの話だ。少なくともラジオではそう言っている。無能な将校は一掃されたとも聞く。だが、残念ながら、中国が勝つという希望はこれっぽっちももっていない。
 青島も、日本軍に占領された。済南も。芝罘では、日本側の報告によると、中国警察が反乱を起こし、略奪したそうだ。
 山東省の司令官韓復榘と2人の将官が、即決裁判によって、蒋介石の命により射殺されたそうだ。抵抗が十分ではなかったということらしい。こちらでは、韓復榘が現金をそっくり日本の銀行に投資したと、もっぱらの噂だ。そうに決まっている。おそらく日本からもらった金だろう。・・・・・

 漢口から出発した防毒部隊はいっこうに到着しない。まだ役に立つかどうか、あやしくなってきた。


 今日、解雇通知を書いた。中国本社の指示で、事務所を閉鎖しなければならないからだ。・・・・
・・・・・一月分の給料を全額支払おう。だが正月の心づけはなし。思えばこれは非常にむごいことだ。中国の正月は2月1日からなので、もう目の前に迫っている。正月だからというので、食料品の価格は(まだ手に入ればの話だが)、とてつもなく上がってしまった。もっとも、ここ何十万もの人たちだって、彼らよりましな暮らしをしているわけではないのだが。従業員はみな、私のところで暮らしているが、それも私がここにいられる間の話だ。食料を買う金が足りなくなったら、国際委員会の給食所に厄介にならざるをえない。どっちみち、すでに650人のほとんどがそこから食糧をもらっている。一日、米2袋だ。・・・・・




 長年のアシスタント、韓にあてた解雇通知 
1938年1月19日 於南京
 韓様
 戦争による業務停止のため、上海からの指示により、やむなく南京支社を閉鎖しなければならないことになりました。したがって、あなたの職務も終わります。けれども、当社としては、戦争が終わった後、事情さえ許せば、ぜひまた韓さんに働いていただきたいと考えています。つきましては今後の住所を知らせていただきたいと思います。
 この場をかりて、当社における過去6年間の忠実な勤務に対し、心からの賞賛と感謝の気持ちを表したいと思います。
                        敬具
   ジーメンス洋行    ジョン・ラーベ、南京代表



「南京事件の日々」(ヴォートリン著:大月書店)より
1月19日 水曜日
 ほとんど一日中、やむことなく雨が降った。道路がどんな状態になっているか想像がつくと思う。2週間前に何万人もの人たちがこのキャンパスで登録したさい、地面を踏みつけ、今や雨でそれがぬかるみとなってしまった。何千人という人が靴に泥をつけたまま建物に入ってくるので、どうすることもできない。
 午後、すばらしい集会が二つあった。・・・・・・・



 午前中、王さんと刁さんは、夫や息子がいまだに帰宅していない女性から引き続きデータを集めている。夫と4人の息子を連れ去られたまま一人も戻ってこない、という女性がいた。あまりにも大勢の人が援助を求めてやってくるので、目立ってしまい、女子学院やここの避難民に危害が及ぶことにならないかと心配している。

 今日は外界からの情報は聞いていない。ご存知のように、無線はないし、情報を持っている数少ない外国人、たとえばジョン・マギー、国際委員会、大学病院、平昌巷三号などと常に連絡をとっているわけではない。今日クレーガーが訪ねてきて、最近は上海から船が全く来ないので、いつ南京から出られるかわからない、と言っていた。
今夜、キャンパスの奉仕者仲間が程先生の居間に集まって、それぞれの避難民を確認するための名札1500枚に番号をつけスタンプを押す作業を終えた。各家族グループの組長の服に縫い付けてもらうつもりだ。ここの収容所のほうが便利であるという理由だけで、よその収容所から移ってきてもらいたくない。そのような人がいるという話を聞いている。また、名札は粥場を運営している男性たちにとっても、ここの避難民が日々の割り当て量を確実にもらえるようにするのに役立つだろう。・・・・・



「Imagine 9」解説【合同出版】より



基地をなくして


緑と海を取りもどしてい世界



 戦争は最大の環境破壊です。油田が燃やされ、爆破された工場は有毒物質を垂れ流し、ときには「劣化ウラン弾」(放射性物質の兵器)が使用され、周辺の環境を何世代にもわたり破壊します。しかし、環境に深刻な影響をもたらすのは、実際の戦争だけではありません。

 世界中に、戦争に備えるための軍事基地がつくられています。アメリカは、40カ国700ヵ所以上に軍事基地をもち、世界規模で戦争の準備をしています。日本にもたくさんの基地があります。
 基地の周りでは、兵士による犯罪が大きな問題になっています。基地周辺の女性が暴力にあう事件が頻繁に起きています。ひどい騒音もあります。
 基地による環境汚染は深刻です。ジェット機の燃料が垂れ流されたり、危険な毒物、金属、化学物質が土地を汚染しています。こうした問題を、国はいつも隠そうとします。国は汚染した土地の後始末にさえまじめに取り組もうとはしません。それでいて、「基地は平和と安全を守る」と繰り返しています。基地の周りの人々の暮らしは「平和や安全」とはとても言えたものではありません。
 軍事基地はつねに、植民地に設置されるなど、立場の弱い人たちに押し付ける形でつくられてきました。先住民族は押さえつけられ、その権利や文化は奪われ、人々の精神や心理さえもむしばまれてきました。



第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


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2009年1月18日日曜日

1938年 南京 1月18日

「南京の真実」(ラーベ著:講談社)より
1月18日
ほうぼうで煙が立ち昇っている。あい変らず景気良く放火が続いているのだ。9時頃、難民収容所の管理者が集まって、本部で会議が開かれることになっている。日本軍に妨害、いや、禁止された場合のことを考えて、手は打ってある。衛兵を一人、塀の外に立たせておいたのだ。この前のように、警察官に包囲されたら、直ちにドイツ大使館に通報することになっている。うれしいことに、ローゼンをはじめ、クレーガー、シュペアリングもきてくれた。日本軍が何か言ってくるのではないかと、みなはらはらしていたが、会議はつつがなく進行した。
 午後、スマイスとフィッチがきた。米だけでなく、他の食料品も運んでもいけないし倉庫から取ってきてもいけないことになったと言うではないか。上海から取り寄せることも禁じると言う。どうやら日本軍は難民を飢え死にさせるつもりらしい。だが、断じてそんなことはさせないからな。そこで我々は上海のキリスト教会に電報を打った。


 上海、国際キリスト教評議会ポイトン様(抄録)
 食糧事情はますます厳しくなってきました。市民のために定期的に輸送することができないからで  す。
  現在5万人の難民に毎日米を無料で配っています。我々が当地で購入した米や小麦を持ち込むこ とも、上海から600トンの食料品を船で搬入することも許されませんでした。是非とも上海でこの件に ついて交渉してください。もし中国の緑豆が手に入るなら、できるだけ早く船で100トン送るようお願 いします。とにかくやってみて下さい。どうか募金も続けてください!救済資金が必要になるに違い ありません。
                       1938年1月18日
                               フィッチ
 
 アメリカ大使館はワシントンの国務省にまたぞろ「事件」を報告する羽目になった。当地のアメリカンスクールが今日また略奪にあったのだ。ピアノを運び出すため、壁に大きな穴まであけられて。だが、残念ながら大使館の職員は間に合わず、現場を押さえられなかった。再び大使館が置かれた以上、日本軍がよもやこんな恥さらしをなことをやらかすとは思っていなかったのだ。
 どうやって事務所を閉鎖したらいいのだろう。私は頭をかかえてしまった。中国本社から「事務所をたたむように!」という電報が届いた。荷造りしようにも木箱が手に入らない。・・・・・

 私が引き揚げたら、上海に行ってしまったら、家屋敷はどうなってしまうのだろう?多分日本政府は私に旅券を出してくれるだろう。いやそれどころか、私を厄介払いできて、せいせいするのではないだろうか。だが、ここにいる650人の難民はどうなる?血のにじむような苦労をしたあげく、こんなに厳しい結末を迎えようとは!


「南京事件の日々」(ヴォートリン著:大月書店)より
1月18日 火曜日
 城内の兵士が交替したそうだ。(1) 今朝私の外出中に4人の兵士がやってきた。メリーが彼らの対応し、キャンパスを案内して回った。メリーの印象では、あまり礼儀をわきまえない人たちのようだった。・・・・・・・

王さんは、夫が連れ去られたまま戻ってこない女性たちのデータをとる事に、毎日10時から12時までの時間を当てている。たぶん、こうしたデータをとるのは中止しなければならないだろう。というのは、ここ2日間に100人を超える人たちがやってきて、今日も混雑がひどく、問題が起きるのではないかと懸念しているからだ。おそらく、12月16日が最悪の日だった。大勢の人が射殺されたのではないかと思う。死体さえも見つけることができないだろう。おそらく焼かれただろうから。非常に多くの人が、力を貸してもらえると思っているが、実際のところ、私たちには行方不明者の氏名を提出してやるぐらいのことしかできない。・・・・・・
・・・・・・・
 避難民たちは、帰宅するのを今も怖がっている。家財が何も残らなくなるおそれがあるので、比較的年齢の高い女性には、帰宅するようしきりに促している。というのも、日本兵だけでなく一般の中国人による略奪も続いているからだ。南京の家から持ち出される略奪品は、いつかそのうちに日本の家に運ばれていくのだろうか。・・・・・・・

 午前9時から12時まで、第2回の難民収容所所長会議に出席した。自活手段を持たない避難民を対象とするアンケートについての論議に午前の大部分を費やした。これを公平に行うのは難しい。多くの人が援助を望んでいて、実際にはその必要のない人までもが援助してもらいたがる。その結果、援助しなければならない人の数が大幅に増えることになる。
 少しばかり暖かくなった。いまのところ、まだ雪は降らない。金陵女子文理学院にはいまなお5000人ないし6000人の避難民がいる。しばらく臥せっていた程先生はいまはベッドから起きてはいるが、部屋から出ないようにしなければならない。


(1)それまで南京警備を担当していた第16師団が華北へ移駐して行き、かわって第11師団の天谷支隊(歩兵第10旅団)が南京に進駐してきた。南京警備司令官には、旅団長の天谷直次郎少将が就任した。



「Imagine 9」解説【合同出版】より



武器を使わせない世界


 生物・化学兵器は、国際条約ですでに全面禁止されています。もちろん禁止しても、隠れて開発する国や人々が出てくる可能性はあります。その時には国際機関が査察を行い、科学技術を用いて調査し、法に従って解決すべきです。

 ノルウェーは2006年、地雷や核兵器といった非人道兵器を製造している企業に対しては、国の石油基金からの投資を止めることを決めました。日本は、「核兵器をつくらない」「もたない」「もちこませない」という「非核三原則」をもっています。
 原爆を投下された日本は、「やり返す(報復)」のではなく「この苦しみを誰にも繰り返させたくない。だから核兵器を廃絶しよう」という道を選びました。私たちは、この考え方をさらに強化して、世界に先駆けた行動をとることができるはずです。



第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


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2009年1月17日土曜日

1938年 南京 1月17日

「南京の真実」(ラーベ著:講談社)より
1月17日
 ローゼンと話し合いをしたとき、すでに岡崎総領事は先日のいさかいの調停に乗り出していた。ベルリンや東京が何も言ってこなければ、一件落着となる。そうなれば大変ありがたい。とにかく日本人と折り合っていかなければならないのだから。
 昨日の午後、ローゼンと一緒にかなり長い間市内をまわった。すっかり気が滅入ってしまった。日本軍はなんというひどい破壊の仕方をしたのだろう。あまりのことに言葉もない。近いうちにこの街が息を吹き返す見込みはあるまい。かつての目抜き通り、イルミネーションなら上海の南京路にひけをとらないと、南京っ子の自慢の種だった大平路は、あとかたもなく壊され、焼き払われてしまった。無傷の家など一軒もない。見渡すかぎり廃墟が広がるだけ。大きな市が立ち、茶店が建ち並んでいた繁華街夫子廟もめちゃめちゃで見る影もない。瓦礫、また瓦礫だ!いったい誰が元通りにするというんだ!
帰り道、国立劇場と市場の焼け跡によってみた。ここもなにもかもすっかり焼け落ちていた。南京の三分の一が焼き払われたと書いたが、あれはひどい思い違いだったのではないだろうか。まだ十分調べていない東部も同じような状態だとすると、三分の一どころか半分が廃墟と化したと言ってよいだろう。
 日本軍は安全区から出るようにとくり返し言っているが、私は逆にどんどん人が増えているような気がする。上海路の混雑ときたら、まさに殺人的だ。・・・・・・・・・・
 難民の数は今や約25万人と見積もられている。増えた5万人は廃墟になったところに住んでいた人たちだ。彼らは、どこに行ったらいいのかわからないのだ。



「南京事件の日々」(ヴォートリン著:大月書店)より
1月17日  月曜日
 今日は雨が降っている。大きな恵みであった日照りは、私たちを見捨ててしまった。ベッドが泥で汚れている。ぜひ建物をのぞいてもらいたいものだ。
 警備兵だけでなく大使館の警官も校門に立たなくなってから幾晩か過ぎた。先週の土曜日、このことを日本大使館に報告したが、何の措置もとってくれない。安全区で見かける兵士はそれほど多くない。残念なことに、中国の警察は、今ではほとんど無力だ。
 午前中を無為に過ごした。創造的エネルギーは全く残っていない。しなければならないことは山ほどあるが、どうにもやる気が出てこない。
 午後2時、アメリカ聖公会の奉仕者たちに手伝ってもらって連続集会を始めた。・・・・・・・


 今夜は、南の方角ーたぶん、南門の外側ーに立ち込めるものすごい煙を眺めていた。闇夜の空は、時々炎で赤く輝いている。破壊は依然としてやまない。南京がどの程度破壊をまぬがれるかは、兵士や民衆による略奪がいつやむかに懸かっている。避難民たちは帰宅するようしきりに促されているが、どうして帰宅する勇気など出ようか。比較的に年齢の高い女性たちは、徐々に帰宅しているが、若い女性たちは帰らない。
 今日はキャンパスに日本兵は来なかった。メリーとフォスター氏は城南に出かけ、外国人墓地にも立ち寄った。・・・・・・2人が通った通りの中では、太平路が最も徹底して無残に破壊されているようだ。
 一ヶ月前の今夜、12人の少女がキャンパスから連れ去られた。あの夜の恐怖をはたして忘れることができるのだろうか。


「Imagine 9」解説【合同出版】より



 武器を使わせない世界


 世界中の兵器をいっぺんになくすことはできません。それでも人類は、二つの世界大戦を通じて国際法をつくり、残酷で非人道的な兵器の禁止を定めてきました。
 たとえば、地雷は、踏むと反応する爆弾で、人を殺さず手や足だけ奪う兵器です。NGOが運動を起こし、カナダ政府と協力して、1997年に「対人地雷全面禁止条約」を実現しました(オタワ条約)。
 また『クラスター爆弾」は、爆発すると周辺一帯に大量の「小さい爆弾」が飛び散るようにつくられた爆弾です。あたり一帯に不発弾が残り、地雷と同じ働きをします。クラスター爆弾も全面的に禁止するべきだと、ノルウェー政府とNGOが動き始めています。

 広島と長崎に落とされた2発の原爆は、瞬時に20万人の命を奪いました。被爆者たちは、60年以上たった今も、放射能によって健康をむしばまれています。
 このような核兵器が、世界に26,000発もあります。その大部分はアメリカとロシアのものです。核保有国は「自分たちの核兵器は許されるが、ほかの国が核兵器をもつのは許さない」と言います。アメリカは自ら核兵器の強化を図っているのに、イランや北朝鮮の核開発には制裁を課し、イラクに対しては「核疑惑」を理由に戦争を始めました。
 いわば「タバコをくわえながら『みんなタバコをやめろ』といっているようなもの」(エルバラダイ国際原子力機関事務局長、ノーベル平和賞受賞者)です。自分たちの核はいいのだと大国が言い続けている限り、ほかの国々もそれに続こうとするでしょう。



第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。



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2009年1月16日金曜日

1938年 南京 1月16日

「南京事件」(笠原著:岩波新書)より
1月16日・・・近衛首相、「帝国政府は爾後国民政府を対手とせず」との声明を発表。

「南京の真実」(ラーベ著:講談社)より
1月16日
 日本大使館での晩餐会はいともなごやかな雰囲気のうちに過ぎていった。出席者は全部で13人。日本大使館の人たちの他、委員会から9人。ヴォートリン、バウアー、ベイツ、ミルズ、スマイス、トリマー、クレーガー、それから私。マギーは食事が始まってからやってきた。遅刻癖はあるが、それを除けば愛すべき仲間だ。・・・・・・
 私はテーブルスピーチを頼まれていたので、あらかじめ原稿を用意しておいた。


 ご臨席の皆様!
 本日温かいお招きに対し、南京安全区国際委員会を代表しまして、日本大使館の皆様に心から感謝の意を表明します。誓って申しますが、私たちはもう長いこと、このような素晴らしい晩餐にあずかっておりません。
 お招きくださった方々に、私たちのことを少しばかりお話させていただこうと思います。
 委員会のメンバーの多くは、当地南京で宣教師として活動しておりました。彼らは中国人の友人を見捨てないことが、キリスト者としての義務だと考えております。一会社員である私が加わることにしましたのは、この地で30年を過ごしたからであります。長の歳月、この国、この国民から手厚いもてなしを受けてきた私は、その不幸な時期に彼らを見殺しにしてはならないと思ったのです。
 私たち外国人がここにとどまり、難民を、逃げようにも資金がなく、行く当てもない、この国で最も貧しい人々を救おうとしたのはそのような理由によるものです。
 私たちが自ら引き受けた苦労や災難については申し上げません。皆様が良くご存知だからです。

 私たちは日本の方々の高貴な感情、サムライの精神に訴えたい。・・・・・・・
サムライは数々の戦で非常に勇敢にお国のために戦いながらも、もはや身を守る力のない敵に対しては、「武士の情け」を示した、つまり寛容だったと聞き及んでいます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 ・・・・・・・・・・・・・国際委員会を代表しまして、ここに深く感謝の意を表します。

 アメリカ人たちがこれをどう思ったかはわからない。心にもないことを言ったことぐらい、百も承知だ。だが、そうしておいたほうが得策だと思ったのだ。「嘘も方便」と言うではないか。 
 とにかく、たとえわずかでも日本大使館の役人が助けてくれたことは確かなのだ。我々の被害報告を軍部に渡してくれ、ほんの少しとはいえ、とりなしてもくれた。つまり我々に力を貸すことのできた唯一の人たちであることにかわりはない。成果がなかったのは、日本の外交官は軍部に従わなければならないからだ。今日、日本政府を牛耳っているのは軍部なのだから。それを考えれば、大使館の人々、福井、田中、福田の3氏は、それなりによくやってくれたと言うことができるのかもしれない。けれどもこれだけ辛酸をなめたいまとなっては、とてもそんな気持ちにはなれなくなった。

 帰る少し前、福田氏は、「ローゼン氏事件」で大使館側が頭を痛めているとほのめかした。
「なんらかの歩み寄りの姿勢をみせるよう、ローゼン氏を説得していただけないでしょうか。日本大使館に立ち寄って、二言三言愛想の良い言葉を(謝罪の言葉を、とは言わなかった)かけるとか・・・・)

 ともかくあたってみよう。だが、あの人のことだ、頭から受け付けないような気がする。



「南京事件の日々」(ヴォートリン著:大月書店)より
1月16日 日曜日
 神の御恵みで今日もまた小春日和だ。今にも降りそうだった雪は、気が変わって降るのをやめたようだ。いつものように今日も早朝から、都市や鉄道を破壊する仕事に出かけていくたくさんの飛行機の爆音が聞こえた。せっせと衣類を洗濯して、木という木に片っ端から吊るす女性あり、粥をもらいに粥場に向かう女性あり、夜間はキャンパスに戻ってくるが、昼間だけ帰宅する女性ありで、ここのところキャンパスはすこぶる慌ただしい。キャンパスに通じる大通りはいつも混雑しているようだ。これまでどおり男性のキャンパス立入りを断っているが、彼らは、私たちが彼らの妻や子どもたちを護るために精一杯努力していることを知っているので、そうした制限を道理あることとして受け入れてくれる。そして、そのことをどれほど嬉しく思っているかを感謝の言葉で示してくれる。あい変らず毎日火災が発生しているが、その件数は以前ほど多くはない。・・・・・・・


・・・・・・・・・・


 新しい支配者たちが、帰宅を促す大きなポスターを安全区の外に貼り出した。日本兵が2人、農民、母親、それに子どもたちが描かれている。兵士はとても友好的で親切そうに描かれ、また、中国人たちが彼らの恩人に心から感謝している様子が描かれている。書かれた言葉は、人々が自宅に戻った場合、万事がうまくいくだろうということを暗に伝えている。たしかに、城内の緊張はゆるんできているし、女性たち、とくに年齢の高い女性たちは試しに帰宅している。初めは昼間だけ帰宅してみて、何事も起こらなければ、そのまま自宅で暮らしている。若い人たちはいまも大変おびえている。


「Imagine 9」解説【合同出版】より

 

おたがいに戦争しないと



約束した世界



 地球規模では、世界各国では軍隊を減らす一方、国連に「緊急平和部隊」をつくり、紛争や人権侵害を防止しようという提案がなされています。また、イタリア憲法11条は、日本国憲法9条と同様に「戦争の放棄」をうたっていますが、そこには「国どうしの平和的関係のためには、国の主権が制限される場合もある」と定められています。つまり、国際的なルールや制度によって平和を保つ事が重要であり、「自国を守るため」といって勝手な行動をとることは許されないということです。
 グローバル化の時代、人々は国境を越えて行き来し、経済や社会はつながりあっています。安全を自国の軍事力で守ろうとすることよりも、国どうしで約束をつくり、国際的に平和のシステムをつくることの方が、現実的に必要とされてきているのです。


第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。



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2009年1月15日木曜日

1938年 南京 1月15日

「南京事件」(笠原著:岩波新書)より
1月15日・・・大本営政府連絡会議で、国民政府との和平交渉の最終打ち切りを決定。

「南京の真実」(ラーベ著:講談社)より
1月15日
上海から来た手紙、つまり昨日ドイツ大使館を通じて受け取ったものと、上海のジーメンス中国本社にあてた1月14日付けの私の返事を見れば、上海ではこちらの状況をまだ全然知らないことがわかるだろう。

 ドイツ大使館南京分室事務長シャルフェンベルグの記録

 南京の状況   1938年1月13日
 当地南京では、電話、電報、郵便、バス、タクシー、力車、すべて機能が停止している。水道は止まっており、電気は大使館の中だけ。しかも一階しか使えない。イギリス大使館にはまだ電気が通じていない。
 なぜ交通が麻痺しているかといえば、城壁の外側は中国人に、市内のその大部分が日本人によって、焼き払われてしまったからだ。そこにはいま誰も住んでいない。およそ20万人の難民はかつての住宅地である安全区に収容されている。家や庭のわら小屋に寄り集まって、人々はかつがつその日をおくっている。多い所には600人もの難民が収容されており、彼らはここから出て行くことはできない。 
 安全区は番兵によって封鎖されている。
 安全区の外の道路には人気がなく、廃墟となった家々が荒涼とした姿をさらしている。
 食料品の不足は限界にきている。安全区の人たちは、すでに馬肉や犬の肉に手を出している。・・・・・・


 ラーベ氏の率いる委員会はアメリカ人と力をあわせて目覚しい成果を上げた。1万人の命を救ったと言っても、過言ではない。
 水の問題も深刻だ。水道は正常に働いていない。洗濯もできない。沼と言う沼には死体が投げ込まれており、汚染されているからだ。
 ラーベ氏の委員会から業務を引き継ぐことになっている新しい機関、自治委員会も、日本軍の横槍で機能していない。・・・・・


 南京の進駐したときの日本軍の仕業については黙っているのが一番だ。チンギス=ハーンを思い出してしまう。要するに「根絶やしにしろ!」ということだ。ある参謀部の中佐から聞いたのだが、上海から南京へ向かった補給部隊は本隊に追いつけなかったそうだ。
それで、日本兵はベルゼルガー(北欧神話に出てくる熊の皮をまとった大力で狂暴な戦士)のように手当たり次第に襲ったのか。「戦い抜けば、南京で美しい娘が手に入る」とでも言われたに違いない。
 だから女性たちが、ここでいま目もあてられないほどひどい目にあっているのだ。それを目の当たりにした人たちとその件について話すのは難しい。話そうとすると、くり返しその時の嫌悪感がよみがえるからだ。
 部隊が統制を失ったからだ、と言うことはやさしい。だが、私はそうは思わない。アジアの人間の戦争のやり方は、我々西洋人とは根本的に違っているからだ。もし、日本と中国の立場が逆だったとしても、おそらく大した違いはなかっただろう。特に、扇動する人間がいる場合には。占領された地域では市内でも田舎でも、作物が畑で腐っている。市内の畑に近寄ることは禁じられており、田舎では住民が逃げたか、殺されたかしたからだ。野菜、ジャガイモ、かぶ。そのほかどれもこれもみなだめになって、飢えが蔓延している。             シャルフェンベルグ


「南京事件の日々」(ヴォートリン著:大月書店)より
1月15日 土曜日
 今朝6時から7時にかけて飛行機10機が南京上空を南西方向へ飛んで行った。私たちは、おそらく、2,3時間後に貴陽、漢口、長沙あたりが爆撃されるのではないだろうかと危惧した。・・・・


 午後、夫や息子が連行されたまま戻ってこないという26人の女性の事例を日本大使館に報告した。いずれの事例でも、夫がかつて兵士であったことはなく多くの場合が大勢の家族を養うただ一人の稼ぎ手だった。大量虐殺が行われた当初のあの残酷非情の時期に、このような人たちがどれほどたくさん殺害されたことだろう。当時は銃声が聞こえるたびに、誰かがーおそらくは何の罪もない者がー殺されたのだろうと思ったものだ。
 久しぶりに兵士がキャンパスに入ってきた。彼は門衛に何ら注意を払わずに入ってきたが、避難民のいる南西の寄宿舎の部屋に入ろうとしているところを私が見つけた。付き添ってキャンパスから送り出すと、おとなしく立ち去った。
・・・・・・・・・・・・・


 今夜は校門に警備兵がいない。どうか無事でありますように。


「Imagine9」解説【合同出版】より



おたがいに戦争しないと


約束した世界



 「相手が攻めてくるから、準備しなければならない」
 軍隊は、いつもそう言って大きくなってきました。でも、こちらが準備することで、相手はもっと不安に感じ、さらに軍備を増やしていきます。その結果、安全になるどころか、互いに危険がどんどん増えていきます。
 このような競争や衝突を避けるため、国々は「お互いに攻めない」という約束を結ぶ事ができます。
とくに、地域の中でこのような取り決めを行っているところは多く、ヨーロッパには「欧州安全保障・協力機構(OSCE)」が、東南アジアには「東南アジア諸国連合(ASEAN)」が、アフリカには「アフリカ聯合(AU)」が地域の平和のための枠組みとして存在します。

 日本を取り囲む東北アジア地域には、このような枠組みはありません。朝鮮半島は南と北に分断されており、中国と台湾は軍事的ににらみ合っています。日本では多くの人が「北朝鮮が怖い」と感じていますが、逆に朝鮮半島や中国の人たちの間では「日本の軍事化が怖い」という感情が高まっています。
 NGOは、「東北アジア地域に平和メカニズムをつくろう」と提案しています。
 その一つのアイデアは、東北アジアに「非核地帯」をつくることです。
日本や韓国、北朝鮮は核を持たないことを誓い、一方でアメリカ、中国、ロシアなどの核保有国はこれらの国に「核による攻撃や脅しをしない」という法的義務を負うような条約をつくるのです。すでにこのような非核地帯条約は南半球のほとんどにできており、最近では中央アジアにもできました。
 また、日本とロシアの間で争いになっている「北方領土」周辺に平和地帯をつくるとか、中国と台湾それぞれが軍備を減らし平和交流を増やすといった提案がなされています。


第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。



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2009年1月14日水曜日

1938年 南京 1月14日

「南京の真実」(ラーベ著:講談社)より
ラーベの返事(抄録)1938年1月14日  於南京
 W.マイヤー社長の1938年1月3日付の書状に関して
 本日、ドイツ大使館を通じてお手紙いただきました。昨年、漢口へ行くようにとのご連絡をいただきましたが間に合いませんでした。電報が届いた時、ドイツ人たちはすでにクトゥー号で発ったあとだったのです。また、中国人従業員、つまり韓さん一家をはじめ、整備工たちもみなオフィスに避難しておりましたので、彼らを見捨てることはできないと考えておりました。あのときお返事しましたように、私は安全区を設置するために当地で発足した国際委員会の代表を引き受けました。現在ここは20万人もの中国人非戦闘員の最後の避難場所になっています。これを組織するのは必ずしも容易な仕事ではありませんでした。しかも日本から全面的には承認を得られず、中国軍上層部が、ぎりぎりまで、つまり南京から逃げ出すまで部下と共にここに駐留していたために、いっそう困難になりました。
 今まで、給食所や食糧の配給所などを設置して、安全区にひしめいている20万人の市民をどうにか養ってこられました。ところが今度、「難民の保護は新しく設立された自治委員会が引き継ぐ。よって米販売所を閉鎖すべし」との命令が日本軍から出されたのです。市内に秩序が回復し、南京を出る許可が下りましたらそちらに参ります。今までのところ、申請はすべて却下されています。
 安全区委員会の解散まで私が当地に留まることをお許し下さいますよう、遅ればせながらお願い申し上げます。というのも、わずかとはいえ、我々外国人の存在が大勢の人々の禍福を左右するからです。日本兵のすさまじい乱暴や殺人行為から逃れるため、12月12日以来、私の家と庭だけでも600人以上の極貧の難民たちがおります。たいていは庭のわら小屋に住んでおり、毎日支給される米を食べて生きています。
      ナチ式敬礼をもって     ジョン・ラーベ


「南京事件の日々」(ヴォートリン著:大月書店)より
1月14日 金曜日
 再び陽が照りだし、かなり暖かい。言葉に表せないお恵みが続いている。
 ヒルクレスト学校に近い寺院の倉庫から学院に米28袋を搬入することで一日が終わった。もし、リッグズがトラックを確保できなければ、手押し車や荷車による運搬で一日費やすことになるだろう。
午後3時ごろ、私たちがあきらめかけていたその時、リッグズがトラックに乗ってあらわれた。
 新しい警備員と顔見知りになるため、午前11時30分、王さんと一緒にまた門衛所まで出向いた。隊長は農民で、他の2人は技術者と軍需工場の労働者である。顔見知りになるためにこうした方法をとるのは、時間がかかるが、それだけの価値があると思う。様々な警備兵がやってくるが、今までのところ何も問題を起こしていない。警備兵を毎日交替させないで、優秀な警備兵4人を選んで常時配置してくれたら、もっと落ち着いた気分になれるのだが。
 現在は城内の少なくとも一部で電灯がついており、近く無線通信がまた聞けるようになる。徐州府付近に中国と日本の大軍が集結しているというニュースが入ってきた。その地域の一般民衆をつくづく気の毒に思う。
 今日、豚を生きたまま一頭買おうとしたが、ある情報通から、南京の周囲何マイルにもわたって豚はいない、と言われた。馬肉、ラバ肉、そして犬の肉までも売られているが、豚肉や牛肉は売られていないそうだ。・・・・・・・・


 午後から夜にかけて大きな火災を2件目撃した。1件はは北西方向、もう1件は東方だった。略奪と焼き払い、そしてその後遺症がまだ続いている。おびただしい量の略奪品が街頭に出てきている。下層分子が好機に乗じようとしている。警察力がない場合、放免される連中だ。
 今日憲兵と一般兵士の2人が外国人の家で略奪を働いているところを発見された。

「Imagine9」解説【合同出版】より


武器をつくったり


売ったりしない世界


 世界では今、武器貿易を取り締まるための「武器貿易条約(ATT)」をつくることが提案されています。世界的な市民運動の結果、このような条約をつくろうということが2006年に国連総会で決議され、そのための準備が始まっています。
 しかし、世界的には武器をつくること自体、また、武器を売ること自体が禁止されているわけではありません。提案されている条約も、武器貿易を登録制にしようというものであり、武器貿易の全面禁止にはほど遠い内容です。
 
 日本は、憲法9条の下で「武器輸出を原則的に行わない」という立場をとっています(武器輸出三原則)。このような日本の立場は、世界でも珍しい先進的なものです。
 しかし、一方で、日本はアメリカと共同でミサイル防衛の兵器開発を進めており、この分野は武器輸出禁止の「例外」として認めています。
ミサイル開発に携わる企業からは、武器輸出を認めるよう求める声が高まっています。「日本は将来、憲法9条をなくして、ハイテク技術を駆使して武器をつくり世界に売り始めるのではないか」と心配する人も増えてきています。
 私たちは、武器を輸出する国になるのか、それとも「武器の禁止」を世界に輸出する国になるのか、分かれ道にいます。



第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。



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2009年1月13日火曜日

1938年 南京 1月13日

荒廃する南京
「南京の真実」(ラーベ著:講談社)より
1月13日
「安全区国際委員会を国際南京救済委員会に変更する」という私の提案は委員会で否決された。せっかくいま、日本から事実上認められているのに、もし自発的に解散したりしたら、これ幸いと黙殺される恐れがある、というのだ。私が多数派の意見に従ったのはもちろんだ。常に足並みをそろえて行動しなければ。

 イギリス海軍を通して上海の中国本社からの無電電報を受け取った。1月10日付けで、ここをたたみ、韓をつれてできるだけ早く上海へくるように、とある。明日「外国人も中国人もいまは街から出られない」と返事をしよう。クレーガーも何度か上海へ行く許可をもらおうとしたがだめだった。
 今日、ローゼンとクレーガーが城壁の外へ出た。戦災孤児院の近くにあるシュメーリング家と、中山陵記念公園地区にあるエッケルト家の様子を見にいったのだ。大使館の車で戻る途中、福田氏や日本の将校たちに停められた。将校たちは、なぜ城壁の外に出たのか、どうして日本軍の命令に従わないのかとといただしたそうだ。話しながら双方ともしだいに興奮していった。
 ローゼンは言った。私は日本軍の命令に従うなどと約束したことは一度もない。私には外交官として職務をきちんと果たす権利と義務がある。ちょうどいま、ドイツ人の財産の日本人による被害状況を確認しようと思っているところなのだ。すると日本側は、その旨を文書にしろと言ってきたので、ローゼンはそれを書いて渡した。そして帰るとすぐに上海のドイツ大使館に電報を打ったという。さて、どうなることやら・・・・。


「南京事件の日々」(ヴォートリン著:大月書店)より
1月13日 木曜日
 1ヶ月前の今日南京が陥落した。ある程度事態の好転があった。略奪は少なくなり、安全感はわずかながら増し、兵士の数は極めて少なくなった。とくに国際安全区では強姦はほとんどなくなった。安全区外については噂は耳に入るが、事実のほどはわからない。もっとも、兵士だけでなく「老百姓」(庶民)による略奪も続いている。
 かくまって保護してほしいと、私のところにやってきた若い5人の女性ー短期養成コースの看護婦ーの問題を解決することに午前のかなりの時間を費やした。5人全員を受け入れることはできないと思った。他の避難民と同様に彼女たちも危険にさらされることになるからだ。ここも含めて5ヵ所の収容所を選び、5人にくじを引かせた。そのあと紹介状を書いてやり、彼女たちに使用人を同行させた。使い走りの呉(正しくは魏)少年は、苦い経験をして以来、キャンパスの外に出るのを怖がっている。
 午後は、女子学院に米を搬入してもらう段取りに4時間近くを費やした。やっとのことで12袋を運び込むことに成功した。国際委員会は米の取り扱いを自治政府に委ねてしまい、その結果、実にさまざまな困難にぶつかっている。これまで販売所はヒルクレスト学校の近くにあったが、今後は安全区の外に移すよう強要されている。なぜなのか、私にはわからない。以前は中国軍の米を利用していたが、現在は日本軍から米を入手している。リッグズ氏の話では、石炭屋を7軒訪ねたが、在庫がないそうだ。燃料も問題になってきている。安全区外から何とかして持ち込めないかぎり、家屋や家具が燃料としてますます使われるようになるだろう。
 人々の健康を維持する食料も問題となっている。実際、どの農村にも青物類は残っていない。7万人の(日本軍)兵士がこの地方にしばらく寄食していたので、鶏も豚も牛もほとんど、というか全く残っていない。ロバや馬も食肉用に屠殺されている。今日馬肉が売られているのを見たものがいる。豆、落花生、青物を上海から手に入れようと苦心しているところだ。
 メリー、程先生、ブランチはいまだに風邪で臥せっている。陳さんは床を離れたものの、外には出ないでいる。・・・・・・・・

「Imagine9」解説【合同出版】より


武器をつくったり

売ったりしない世界


「武器はどこから来るのでしょうか?
ヨーロッパやアメリカから来るのです。彼らは、武器貿易の達人です。アフリカの私たちは戦う必要も、殺しあう必要もないのです。だから、憲法9条は、アフリカにこそ導入されるべきだと思います。9条があれば、これ以上アフリカに武器を持ってこさせないようにする事ができます。」

 これは、2007年1月にナイロビで開催された「世界社会フォーラム」で、ケニアの青年が語った言葉です。アフリカには、スーダンやソマリアなど、数多くの内戦に苦しんでいます。子どもたちまでもが兵士とさせられ、武器をもたされ、傷つき、多くの民間人が命を落としています。
 世界でもっとも多く武器を輸出している国々は、アメリカ、ロシア、ドイツ、フランス、オランダ、イギリス、中国といった大国です。これらの国々から、中東、アジア、アフリカ、中南米へと、武器が売られています。紛争で使われる小型武器は、世界中に6億個以上あり、さらに毎年800万個がつくられていると言われています。これらの武器によって、世界で年間50万人の死者が出ていると推定されており、これは「一分で一人」をいう計算になります(「コントロール・アームズ・キャンペーン」による)。


第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。



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2009年1月12日月曜日

1938年 南京 1月12日

「南京の真実」(ラーベ著:講談社)より
1月12日
 南京が日本人の手に渡って今日で1ヶ月。私の家から約50メートルほど離れた道路には、竹の担架に縛り付けられた中国兵の死体がいまだに転がっている。
 ドイツ、アメリカ、イギリスの大使館を訪ねて、昨日の家捜しを報告し、ローゼン、アリソン氏、プリドー=ブリュン各氏と相談した。この件について、全員の意見が一致した。すなわち、日本の警察は、外国人の建物に入る時には、その国の大使館へ事前に連絡するか、もしくはその国の大使館員を同伴する義務がある、ということだ。

 こうしている間に、米の販売が全面的に中断されてしまった!米だけではない、石炭も安全区に運び込めなくなった。日本軍は塀に貼り紙をして、自分の住居に戻れといっている。肝心の家が焼き払われたり略奪にあったりしていることなんか、てんでおかまいなしなのだ。
 日本人と友好的にやっていくにはどうするかとあれこれ考えた末、あることを思いついた。・・・・・・


「南京事件の日々」(ヴォートリン著:大月書店)より
1月12日  水曜日
 とても寒くなった。雪が降ってきそうだ。できることなら何としても、建物の裏の(一語欠落「汚物」か?)をきれいに片付けてもらいたい。雪で散らばってしまうだけだろうから。あいにく、どこへ行っても石灰が手に入らないので、消毒薬としてそれが使えない。私たちが掘った穴に避難民全員の汚物桶を空けさせるのは無理だった。米飯の配給はキャンパスの外で毎日2回行われているし、登録業務も中止されているので、学院の使用人たちは、これまでよりも多少掃除の時間に余裕がある。・・・・

 10時から12時まで王さんは文科棟の来客室で、夫や息子がいまだに行方不明の女性たちから事情を聴取していた。午後、この情報を福田氏に届けた。彼なら何かできると期待することにしよう。無料で米がもらえる赤色の配給券をほしがる人が増えてきている。一つには、人々が持ち金を使い果たしてしまったからであり、また一つには、貧しい人々が入ってきているからである。夜具をほしがっている人も大勢いる。
 午後、王さん、・・さん、夏さん、張さん、それに私とで、アメリカンースクールの北にある寺院に出かけた。彼らや学院が使用する米を手に入れることができるかどうかを知るためだ。米は入手できたが、それを運ぶ手段がなかった。雑踏する上海路を戻ってくると、大勢の露天商人が道端で盗品を売っているのが目に入った。・・・・・・

 あらゆる無法分子が活動しているが、何の規制もない。当然ながら、南京に残留している中国人警官は少数で、権限を持っておらず、また、数少ない日本の憲兵も、自国の兵士を取り締まることができないのに、ましてや「老百姓」(庶民)を取り締まることなどできるわけがない。多くの人々は、まだ安全になっていないのに、安全区から出て帰宅をしている。そうでもしなければ、家の構造部材、扉、窓、床板を盗まれてしまうからである。
 今日は程先生、F.陳さん、メリー・トゥワイネンが風邪で寝込んでいる。誰もが働きすぎで、緊張が激しい。・・・・・・・・・・・・・・・・・



「Imagine9」【合同出版】より


軍隊のお金を

みんなの暮らしのために使う世界


 世界中の政府は、2000年に、貧困をなくすための一連の目標に合意しました。国連の「ミレニアム開発目標」と呼ばれるもので、2015年までに次のような目標を達成するとしています。

●極端な貧困や飢餓をなくす(1日1ドル以下で暮らす人を半減する)。
●すべての子どもたちが、女の子でも男の子でも差別なく、学校に行けるようにする。
●赤ちゃんが栄養失調で命を落としたり、お母さんが出産時に亡くなってしまうことを防ぐ。
●HIV(エイズ)、マラリアなどの感染症の広がりを止める。


 こうした目標を達成するためには、世界的に軍事費を減らし、人々の暮らしや発展のためにお金を回すことが不可欠です。
 国連憲章には、「世界各国は軍事費に回すお金や資源を最小限にしなければならない」(第26条)と書かれています。世界のNGO(非政府組織)は、この国連憲章26条を今こそ実行し「軍事を減らして人々の発展に回そう」という運動を始めています。そうした世界の人々の中からは「国連憲章26条と日本国憲法9条は、同じ目標のための双子のようなものだ。ともに発展させよう」という声が上がっているのです。


第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


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2009年1月11日日曜日

1938年 南京 1月11日

「南京の真実」(ラーベ著:講談社)より
1月11日
 イギリス大使館を訪ね、プリドー・ブリュン領事、フレーザー大佐、ローゼン、アリソン、ヒュルター各氏と会う。イギリス、ドイツ、アメリカの各大使館が私の頼みを引き受けてくれた。頼みと言うのは、日本兵の違法行為に関する日々の報告を我々から受け取って、日本大使館あるいはそれぞれの国の政府に転送することだ。こうしてもらえば委員会はうんと助かる。もし、それぞれの大使館が今後も日本軍に抗議し続けてくれれば、じき、状況は良くなるかもしれない。
 今日、日本軍に米の供給を禁止された。昼、我々が自治委員会のために手配した米の輸送が止まった。
 午後、私がまだ本部にいたとき、日本の警察がやってきて家捜しをした。脱走兵が略奪した古着を探していると言う。その服は、数日前、その兵士から受け取って本部のフィッチの事務所にしまってあった。たまたまフィッチの部屋だけに鍵がかかっていたため、怪しまれてしまった。だが、警官がドアをこじ開ける前に、クレーガーが現れ、鍵を持ってこさせて、はいよ、と服を渡した。
 全く日本の警察のやり方は訳がわからない。穏やかに入ってきても、我々はやはりあっさり渡しただろう。なにも完全包囲することなどないのだ。中国人脱走兵が服を略奪したと聞いて、それをネタに「事件」をでっち上げようとしたらしい。今度こういう目にあったらどうすればいいか、大使館と相談しておかなければ。


「南京事件の日々」(ヴォートリン著:大月書店)より
1月11日 火曜日
 就寝の準備もできたり、キャンパスに避難している女性難民の大集団が無事に朝を迎えるだろうと思えるような、そんな平穏なここ数日の夜がどんなにありがたいことか、当事者でない人には十分にわかってもらえないだろう。ここ2,3日は、新たに任命された憲兵5名が夜間警備に当たっているし、それ以前の8日間は、アメリカ大使館の警官1名が毎晩門衛所に詰めていた。女子学院の正規の夜間警備員のほか、元警官2名が補助要員としていまは民間人の服装でキャンパスを警備している。それ以前の5日間は、一般兵士の一隊(約25名)が警備に当たったが、彼らには少なからず悩まされた。というのは、私たちとしては精一杯のことはしたのだが、彼らは、キャンパスの外だけでなく中も警備すると言って聞かなかった。彼らがキャンパスに来た最初の夜、避難民2人が強姦されたので、その後すぐに大使館の警官に来てもらうようにした。城内全域にたいして憲兵は17人しかいなかった。憲兵がもっと大勢いたら、状況ははるかに良かったであろう。というのは、憲兵は一般の軍人よりもはるかに優秀と思われるからだ。私が会った憲兵は少数だが、みな非常に素晴らしい人のようだ。
 午前9時から正午までの間にF.陳と一緒に国際委員会本部に出かけた。難民収容所の責任者全員が初めて一堂に召集された。素晴らしい会議だった。初めのうちラーベ氏が私たちと一緒にいて、さまざまな収容所ー多分20ヶ所くらいあるーの責任者の努力に対して心からの謝意を表した。出席者は35人ほどだった。私たちが共通に抱えている困難な諸問題について、共に考え、話し合った。・・・・・
・・・・・・・



 4時から5時まで執務室にいると、大勢の女性が入ってきて、夫の捜索に力を貸してほしいと懇願した。数週間前から、つまり、12月14日以来いなくなってそれきり、という事例もいくつかあった。ご主人は戻ってこないだろう、とはあまりに酷なことで、そんなことは言えない。しかし、連れ去られた若者については、多くの場合それは当たっている。若者たちは当初のあの恐ろしい時期に銃殺されたのだ。
 夕食後、警備兵と話をするため、王さんと一緒に校門に出向いた。警備隊長の名前を聞いた上で、キャンパス内の秩序維持については私たちが責任を持つことを伝えるのが賢明だと思っている。
北東の空が一面に赤く輝いている。さらに一棟が延焼しているようだ。
 この後、薜さんと一緒に文科棟へ避難民数の調査に行った。文科棟には、当初の見積りで490人ほどを割り振ったが、それでも詰め込みすぎたと思った人もいる。しかし、ピーク時には、間違いなく、1棟に2,000人はいたと思う

「Imagine9」解説【合同出版】より。



軍隊のお金を

みんなの暮らしのために使う世界


 1年間に世界で120兆円、日本で5兆円という、想像もつかないほど巨額のお金が、戦争のため、又はその準備のために使われています。1発数千万円ないし数億円もかかるようなミサイルを何百発も準備することが、「国を守るため」として正当化されています。
 世界の軍事費は、今世紀に入ってから特に増え続けています。世界の軍事費の約半分はアメリカの軍事費なのですが、そのアメリカが、2001年の「9.11テロ」をきっかけに、「テロとの戦い」と称してイラクを攻撃したり、世界中のアメリカ軍を強化したりして、軍事費を増やしているからです。
 その一方でアメリカ国内では、社会保障や教育すら十分に受けられない人々が増えています。ハリケーンがアメリカを襲った時、これらの貧しい人々が最も大きな被害を受けました。これによって「超大国アメリカ」の中の貧困問題が目に見える形で浮かび上がりました。

 世界的には、いわゆる北の先進国が莫大な軍事費を使う一方で、南の途上国では貧困が広がっています。「人類の5分の1が住む国々では、人々は1杯2ドルのコーヒーを当たり前に飲んでいるのに、別の5分の1が住む国々では、人々は一日1ドル以下で暮らし、子どもたちは蚊帳(かや)がないためにマラリアなどの病気で死んでいる」(国連開発計画=UNDP,2005年)というのが、世界の格差の現実です。


第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


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2009年1月10日土曜日

1938年 南京 1月10日

「南京の真実」(ラーベ著:講談社)より
1月10日
9時  クレーガーが、石田少佐から返事をもらって帰ってきた。日本軍はなんと、我々に米や小麦粉を売ろうとしない。はっきりと約束したくせに。自治委員会だけに売ろうと言うのだ。我々の方では、言われたとおり今朝早々と米の販売を中止してしまった。難民たちはひどくがっかりした。自治委員会がまだ専用の販売所を開いていないからだ。これは大変なことになる!
 ローゼンが本部に訪ねてきた。日本軍は、私にだけでなくローゼンにも、報告書に少し手加減してもらいたいと言ってきたという。ローゼンはいった。「だから、『あなた方に水と電気をとめられたと報告しておきましょう』といってやりましたよ」

16時 自治委員会は、安全区の中、我々の本部の近くに販売所を作った。これで、さしあたり最大の難問は解決したことになる。アリソン氏に引き合わせるため、ミルズは私を連れてアメリカ大使館に行った。これまで我々が日本大使館に毎日提出してきた、ひきもきらない日本兵の犯罪に関する報告書を代わって作ってくれることになったのだ。


「南京事件の日々」(ヴォートリン著:大月書店)より
1月10日 月曜日
 じつに素晴らしい一日だった。とりわけ、一日も終わるところが素晴らしかった。夕食の時、ルースから1月5日付けで分厚い手紙が届いていることを知った。・・・・・・・・・
・・・・・夕食後すぐに居間の円卓を囲み、みなで何度も読み返した。上海支部がより強力になってきているのがわかり、何よりだった。・・・・・・私たちは呉博士とルースの手紙を読んだ後、金陵女子学院の今後の計画についてどんなに議論したことか。現時点ではキャンパスに中学校を開設する案は全く問題外だが、無残にも夫を殺害された女性たちのための職業訓練学校の開設は大いに必要であり、また、現実味があるように思われる。

 上海に運んでもらうため、午後4時前、たくさんの手紙をアメリカ大使館に持って行った。考えても御覧なさい。現在、城内にはアメリカ人、イギリス人、ドイツ人がそれぞれ3人、計9人の外国の外交官がいる。生活はほとんど正常に戻ったようだ。もっとも、午後、遠方に見えた煙は、略奪が続いていることを示す証拠であろうし、キャンパスからほど遠くないところで今朝少女が2人強姦された。


Imagine 9解説)【合同出版】より 


  9条をつかって、

  戦争のない世界をつくる。



 中米の国・コスタリカも平和憲法をもっています。コスタリカは1949年、軍隊を廃止しました。
軍隊の廃止によって、国は教育や医療などにお金を使うことができるようになりました。また、軍隊がないコスタリカに攻め入ろうと考える国はありません。
 ところが、2003年に、アメリカがイラクに対する戦争を始めると、コスタリカ政府はこれを「支持する」と表明しました。これに怒った大学生ロベルト・サモラさんは、裁判所に政府を訴えました。「イラクへの戦争を支持するなんて、平和憲法への違反だ!」
 裁判所はロベルトさんの訴えを認めました。そしてコスタリカ政府は、イラク戦争への支持を取り下げました。ロベルトさんは日本に来て言いました。
「憲法はただ単に守ればよいものではありません。平和憲法は人々のもの。人々が使うためにあるのです」

 ほかにも世界の多くの国が平和憲法をもっています。イタリアや韓国の憲法は侵略戦争をしないと定めています。フィリピンは核兵器をもたないという憲法をもっています。
 スイス、オーストリア、アイルランドなどの国々は、憲法で軍事対立のどちら側にも味方しないという中立をうたっています。
 こうした平和憲法を私たちが活用し、世界にゆきわたらせていけば、戦争を起こさない世界をつくる事ができます。「イマジン 9」は、そのような世界のつくり方を、9通りにわたって、皆さんと考えたいと思います。



第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


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2009年1月9日金曜日

1938年 南京 1月9日

「南京の真実」(ラーベ著:講談社)より
1月9日
 午前10時。自治委員会のメンバー、王・・(通称ジミー)との談合。数日前、国際委員会の活動を日本軍が力ずくで止めさせようとしていたと聞かされる。結局これは実行には移されなかったが、我々は今後避難民に米を売ってはならないことになった。もし、自治委員会が販売を引き受けるというなら、異存はない。
 ローゼン家とヒュルター家、それから大使館に行ってみた。どこも問題はないが、電気も水も止まっている。
 11時にクレーガーとハッツが本部に来て、たまたま目にする羽目になった「小規模の」処刑について報告した。日本人将校一人に兵士が2人、山西路にある池の中に中国人(民間人)を追い込んだ。その男が腰まで水につかったとき、兵士の一人が近くにあった砂嚢のかげにごろりと寝ころび、男が水中に沈むまで発砲し続けたというのだ。

 ローゼンとヒュルター、シャルフェンベルグの3人がイギリス砲艦クリケットで到着した。イギリス大使館の役人3人とプリドー=ブリュン領事、フレーザー大佐、空軍武官のウォルサー氏も一緒だった。だがウォルサー氏は、事前に報告しなかったと言いがかりをつけられて、上陸させてもらえなかった。・・
・・・・・・・


 夜8時。ドイツ大使館の3人とクレーガーを夕食に招いた。ワインもある。クレーガーが以前、シャルフェンヴェルグの家から失敬してきたものだ。そしてジャーディン海運社の船客のその後の様子、それからビー号とパナイ号のことを話してもらった。・・・・・・・

・・・・・・・・・・
 8時にいよいよ食事を始めようとすると、近所の家から火の手があがった。外交官がやって来ようと、放火を命じられた日本兵は少しも気にならないようだ。




「南京事件の日々」(ヴォートリン著:大月書店)より
1月9日  日曜日
 晴れているが、相当に寒い。池の氷は厚さが半インチある。渡り廊下やベランダで寝ている避難民はいないが、一部の避難民はいまなおホールにいる。多くの人が夜に泊まりにきて、日中は帰宅している。気の毒に、サールが金陵大学や養蚕学校、中学校で抱えている多くの問題、たとえば、収容されている中国人同士の争い、そして彼らの一方による日本軍への通報、それに避難民による盗品の持ち込み、さらには、それをめぐる争い、また、内部のスパイ問題、などは女子学院ではまだ起こっていない。・・・・・
・・・・・・・・・


 私たち14名は4時30分からの英語による礼拝に参加した。ジョン・マギーが主宰した。アメリカ大使館のエスピー氏が参加しており、アメリカ砲艦パナイ号が沈没したこと、それと同時にスタンダード石油会社の船2隻もも沈没したことを初めて知った。日本軍による故意の爆撃のようだった。どうしてそのようなことをしたのか、理解に苦しむ。私が接触した日本軍の兵士や将校はみな、アメリカ人に対しては友好的なようだが、しかし、ロシア人やイギリス人に対しては気をつけるようにと、決まって警告する。今日3人のイギリスの外交官が着任したので喜んでいる。これで私たちのメンバーにさらに6人が加わり、いっそう安定してきたということだ。

・・・・・・・・・・・・・


 トリマー医師の話では、中山路に日本の店が一軒開店したそうだ。リッグズ氏は時間をすべて割いて粥場に石炭を配達し、またソーン氏は米を配達してくれている。彼らの骨折りがなかったら、大勢の人がひもじい思いをしているのではないだろうか。


「Imagine9」(合同出版)解説より。





9条をつかって、

戦争のない世界をつくる。



「戦争をしない、軍隊をもたない」という日本国憲法9条がどうしてできたか知っていますか。
それは、日本が行った戦争への反省から生まれたのです。
 日本はかつて、朝鮮半島や台湾を植民地として支配し、中国や東南アジアの国々を侵略しました。
日本はアジア太平洋地域で2000万人命を奪いました。日本国内では広島と長崎に原子爆弾が落とされ、沖縄では大規模な地上戦が行われ、東京など大都市は空襲を受けました。日本では300万人が戦争で亡くなったのです。
 第二次世界大戦は、1945年に日本の「敗戦」で終わりました。
その直後に、日本の平和憲法は生まれました。日本、アジアそして世界の人々に対する「二度と戦争をしません」という誓いとして憲法9条は誕生したのです。
 同時にこの憲法は、民主主義の憲法でもありました。それは国民の権利を定め、また「世界中の人々が平和のうちに生きる権利をもつ」とうたいました。


第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


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2009年1月8日木曜日

1938年 南京 1月8日

「南京の真実」(ラーベ著:講談社)
1月8日
 ローゼン、ヒュルター、シャルフェンベルグの3氏が、明日イギリス大使館の2人と一緒に南京に来ると福井氏が知らせてくれた。ローゼン、ヒュルターの家はどちらも無事だ。ドイツ大使館も。ただローゼン家からは車と自転車、それから酒が数本盗まれた。イギリス人の家の様子はわからない。シャルフェンベルグの家は安全区の外だったこともあって、ひどい荒らされようだった。ヒュルターの家に泊めてもらわなければなるまい。困ったことに、どこも電気や水が止まっている。そこで福井氏にまた手紙を書いた。アメリカ大使館の人たちの家も同じ状態らしい。みな、寒い寒いと言いながら、大使館の大きな暖炉にへばりついているという。電気や水が使えるよう、日本軍に要求すればいいと思うのだが。
 福井氏がいうには、日本大使館が国から新しい車を取り寄せるそうだ。ドイツ大使館員に、おそらく他の大使館にもだろうが、盗まれた車を弁償するという。

 

 今日、中国人の間で、中国兵たちが南京を奪い返そうとしているという噂が、またもやひろまった。それどころか、市内で中国兵の姿を見かけた、という話まで出ている。まず、安全区の家々に飾られていた小さな日の丸がそっくり姿を消した。日本の腕章も。中国人のほぼ全員がつけていたのだが。そしてつい今しがた、ミルズが教えてくれたところによると、相当数の難民が日本大使館を襲おうと考えていたという。


 この時のささやかな暴動に加わった人たちは死刑になった。いままでは安全区が平穏でいられて、本当によかった。どうかこういう悲惨なことにならないようにと祈るばかりだ。・・・・・・




「南京事件の日々」(ヴォートリン著:大月書店)
1月8日   土曜日
 今日は寒く、陽が出なかった。十分な夜具や衣服を持っていない人たちは病気にかかるだろう。キャンパスの外はあまり落ち着いた状況ではないが、帰宅する人はますます増えている。キャンパスにはいまでは5000人ほどが残っているだけだ。キャンパスの西に住んでいる陶は、家族と共に東の中庭で生活していたが、今朝家から戻ってきて、いつ何時兵士たちが押し入って金銭を要求するかもしれないので、男性さえ、今の居住地域に留まるのは不可能だ、と言っている。渡す金がない場合は、兵士たちは、「花姑娘」つまり若いきれいな娘を見つけて来いと強く要求する。彼の話では、家には何一つ残っていない。ドアや窓ぐらいは残っていてほしいと念じながら帰宅したのだが。午後キャンパスから3つの方角に火災が見えた。略奪が続いていると言うことだ。・・・・・・・
・・・・


 午後日本大使館の高頭が訪ねてきて、学院や個々のアメリカ人がこうむった損害の賠償請求を出すよう私に促した。彼が同伴してきた通訳は、中国人教職員の被害については考慮しないことを明言した。・・・・・・
・・・・・・・・・


 いろいろな噂が野火のように広がっている。中国軍が南京の近くまできている、日本軍が、変装して逃げられるように中国人の衣服を借り集めている、などなど。なるほど、民間人の衣服をほしがっているのだろうが、おそらく、もっと真実に近い動機をいくつか私は知っている。高頭に、いつになったら南京に平和が回復し、避難民が帰宅できるようになるのか、と尋ねると、「2日ぐらいしてからだ」という答えだった。農村からやってきた女性たちが言うには、ぞっとするような状況になっていて、彼女たちは、ともかく身の安全を図るため、自分の体を実際に地中に埋めなければならなかったそうだ。
 4時から5時までの間に王さん、程先生と一緒に、王師傳を捜しに車でグレイさんの家に行った。あのようにひどく取り散らかった彼女の家はいまだかつて見たことがない。彼女の持ち物はほとんど全部庭に出されている。生死のほどはともかく、王師傳は見つからなかったが、12月13日以前に蕪湖へ行ったものと推測される。後ほど、私たちは新街口に行った。目抜き通り(中山路)の両側にあった多くの店が焼けてしまい、焼けずに残った店は軒並み略奪に遭ったようだ。道路にトラックが2台停まっていたが、略奪品が積み込まれている最中だった。・・・・・・・
・・・・・・・・・・


「Imagine9」【合同出版】より



想像してごらん、



9条がゆきわたった世界を。



Imagine,



A world filled with Article 9.



憲法9条は、日本という「国」のものではありません。
日本に住んでいる「人々」、つまりみなさん自身のものです。
そしてそれは、日本国民にとってだけではなく、すべての人類にとって重要なのです。
(アメリカ/男性)



第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

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2009年1月7日水曜日

1938年 南京 1月7日

「南京の真実」(ラーベ著:講談社)より
1月7日
 福田氏に国際委員会の趣意書を渡す。氏の話だと、何が何でも南京の秩序を即刻回復せよ、と東京から厳命があったとのこと。また、行政的な職務(この私、ラーベの「市長職」も?)我々「よそ者」ではなく、すべて自治委員会が担当すべし、といってきたという。そういわれてしまっては、手も足も出ない。願わくは自治委員会にそれだけの能力があらんことを。

 南京の危険な状態について、福田氏にもう一度釘を刺しておいた。「市内にはいまだに千ほどの死体が埋葬もされずに野ざらしになっています。なかにはすでに犬に食われているものもあります。でもここでは道ばたで犬の肉が売られているんですよ。この26日間というものずっと、遺体を埋葬させてほしいと頼んできましたがだめでした」。福田氏は紅卍字会に埋葬許可を出すよう、もう一度かけあってみると約束してくれた。

 今日午前10時ごろ、私の留守中のことだった。日本兵が一人、使用人の部屋に押し入り、女たちが悲鳴をあげながら私の住居へ逃げこんできた。・・・・・・・・
 占領されて今日で26日。南京のヨーロッパ人住宅の治安状況がどんなものか、これでわかるだろう。

 リッグズが今日の視察の報告書をもってきた。うつろな目をした女性が一人、通りをふらふらさまよっていたという。この人は病院に運ばれ、身の上話をした。18人家族だったが、生き残ったのはこの人一人だという。残りの17人は射殺されるか、銃剣で突き刺されるかして死んだ。家は中華門の近くだそうだ。わが家の収容所にやはり近くに住んでいた女性がいる。弟が一緒だが、こちらは両親と3人の子どもを亡くした。全員日本兵に射殺されてしまったのだ。せめて父親だけでも埋葬したいと、なけなしの金で棺おけを買ったところ、これを聞きつけた日本兵たちがふたをこじ開け、亡骸(なきがら)を放り出したという。中国人なんかその辺に転がしておけばいいんだ、というのが彼らの言い分だった。


「南京事件の日々」(ヴォートリン著:大月書店)より
1月7日 金曜日
 きょうの登録は3時に終了した。ここ2日間の登録方法は最も満足のいくものだった。作業はすべて中国人が行ったので、緊張感や恐怖感が取り除かれた。ごく少数の日本人警備兵が傍らの離れたところにいるだけだ。日本大使館の警官数名が中国側警官にいつでも協力できるように待機している。正午に少人数の女性の一団があわただしく入ってきた。南京の西方17華里(8.5キロメートル)のところからやってきたという。彼女たちは、登録したらもう安全、と思っている。・・・・


・・・・・・
 昨日大使館に到着した3人のアメリカ人に頼まれて、今朝報告書を作成した。・・・・・・
・・・・・私は、ルース、フローレンス、アリスの3人にあてた手紙を持って行った。今日上海へ発つことになっている船にそれを持って行ってもらえるからだ。上海ではどの程度徹底した検閲が行われているのかわからないので、どんなことを書いたらよいか判断が難しい。・・・・・



 今日は久々にラジオニュースの切抜きを受け取った。私たちが恐れていたことについて情報を伝えてくれるものだった。ここ数日、月明かりの夜に漢口が激しい空襲に見舞われている、というのだ。あのような人口密集都市ではひどいことになっているだろう。漢口は、南京と同様、恐怖の都市に化したと伝えられる。神様、不幸な人々に哀れみを。私たちが南京でこうむった10日間の恐怖の支配を彼らが味わわずにすみますように。・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・


 安全区国際委員会の男性メンバーは、すばらしい働きをしている。彼らは自分たちの家は略奪されるがままに任せながらも、中国人の大集団を救済するため、もてる時間とエネルギーすべてを捧げている。ドイツ人ビジネスマン(1)たちもとてもよくやっているし、チームワークが抜群だ。委員長のラーベは恐れを知らない。

(1)ラーベ、クレーガー、の他に、ドイツ資本の上海保険公司の南京支店長のエドゥアルト・シュペルリングがいる。彼は日本兵の難民に対する暴行を体を張って阻止し、「安全区の警察官」と呼ばれた。


「Imagine9」【合同出版】より



想像してごらん、



ひとりひとりの安全を



大事にする世界を。



Imagine,



A world that values



the safety of



each and every human.




政府と政府とのあいだにではなく、人と人とのあいだに平和をつくる事が
大切だと思います。人と人とのあいだには、文化があり文明があります。
政府が変わっても、人間の文化や文明は変わりません。
私はイラク人として、日本の人たちとイラクの人たちの間に
平和をつくりたい。それが私の理想です。
(イラク/男性)


第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

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2009年1月6日火曜日

1938年 南京 1月6日

「南京の真実」(ラーベ著:講談社)より
1月6日
万歳!アメリカ大使館のアリソン、エスピー、マクファディエンの3氏がアメリカの砲艦オアフ号で今日上海から到着した。すでに12月31日に南京を目の前にしていたのだが上陸の許可が下りず、蕪湖で待機していたのだ。アリソン氏はかつて東京で勤務したことがあり、日本語ができる。
 日本の軍当局から米と小麦粉(両方とも軍が略奪したものだが)が買えそうだ。価格は高いが(米一袋13メキシコドル)、約5万メキシコドル買うことにした。石炭も1万2千メキシコドルぐらい買っておかなくては。難民の蓄えが底をついてきたので早急に手を打つ必要がある。・・・・・


 10時ごろ日本軍のトラックが来て、うちの収容所から下関の発電所の作業員を15人連れて行った。みなしぶしぶ出かけていった。前回、食事をちゃんと与えるという約束をしておきながら、ろくなものを食べさせてもらえなかったからだ。全くありつけなかった者もいた。それだけではない。発電所ではなく、市の南部の門の近くで塹壕堀をさせられた者も何人かいた。

 午後5時、福田氏来訪。軍当局の決議によれば、我々の委員会を解散して、食料などの蓄えや資産を自治委員会に引き渡してもらいたいとのこと。自治委員会が今後我々の仕事を引き継ぐことになっているからだという。冗談じゃない。私は直ちに異議を申し立てた。「仕事を譲ることに関しては異存はありませんが、これだけはいっておきます。治安がよくならないかぎり、難民は元の住まいには戻れませんよ」。難民の住まいの大半は壊され、略奪されている。焼き払われてしまった家もあるのだ。


 早速会議を開いて、福田氏にどう返事をしたものかと相談した。また、治安や秩序を取りもどすためにどういう提案をするかについても。日本から助言を得てはいるが、自治委員会はまるで無策だという気がする。どうやら狙いは我々の金だけらしい。つまり、「国民政府からもらったのだから、俺たちのものだ!」というわけだ。
 しかし我々の考えは全く違う。なんとしてもこちらの主張を通そうということになった。アメリカやドイツの大使館が支持してくれると当てにしたうえでの結論だ。といっても、先方が果たしてどう考えているのか、まるっきりわからないのだが。


「南京事件の日々」(ヴォートリン著:大月書店)より
1月6日 木曜日
 昨日午後遅く中国人の登録計画がどうやら変更されたらしい。というのも、引き続き女性の登録は金陵女子文理学院で、男性の登録は金陵大学で行うという通知を受け取ったからだ。しかし、今後は軍ではなく行政職員の指揮で行われることになった。8時には再び女性たちが押し寄せてきた。今回は訓示はなかったが、彼女たちは12列ほどの縦隊に並ばされた。各列の先頭付近にはテーブルが2脚置かれ、最初のテーブルで許可証を、2番目のテーブルで登録カードを受け取るようになっていた。・・・・・・・



 午後、警備の兵士15人が派遣され、現在、彼らは門衛詰め所、というよりは張さん一家が住んでいる家にいる。8日間にわたって夜間警備に当たってくれた大使館の警官にはしごく満足していたので、避難民の警護方法を変更することには気が進まなかった。困ったことに、警備兵と一般兵士とを見分けることができないので、キャンパスから警備兵を追い出すというひどい過ちを犯すことになりかねない。・・・・・・
 ・・・・・・・・
 比較的年齢の高い避難民は徐々に帰宅しているが、若い人たちは大部分がいまなおキャンパスにとどまっている。賢明な選択だと思う。帰るべき家のない人たちのことを思うと胸が痛む。そのような人たちが大勢いる。

「Imagine9」【合同出版】より



想像してごらん、


戦争にそなえるより


戦争をふせぐ世界を。



Imagine,


A world that instead of


preparing for war,


prevents war.



コスタリカは1949年の憲法で軍隊をなくしました。
コスタリカのように武器を持たない国が 国際的に大きな強みを
発揮する事があります。
なぜなら、コスタリカは軍隊を持たない分、教育に力を入れ、人づくりをしているからです。
若者たちは、紛争が起きたとき、武力ではなく交渉や対話によって
解決できるということを、一人ひとりが子どものころからしっかりと学んでいます。
(コスタリカ/男性)


第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

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2009年1月5日月曜日

1938年 南京 1月5日

「南京事件」(笠原著:岩波新書)より
 1938年1月5日に、「査問工作」を打ち切った佐々木到一城内粛清委員長は、その成果をこう記す。

   1月5日  査問会打ち切り、この日までに城内より摘出せし敗兵約2000、旧外交部に収容、外国宣教師の手中にありし支那傷病兵を俘虜として収容。
城外近郊にあって不逞行為を続けつつある敗残兵も逐次捕縛、下関(シャーカン)において処分せるもの数千に達す。
(「佐々木 到一少将私記」)

 年末から新年にかけて実施された「敗残兵狩り」によって、少なくとも数千の男子、それも元兵士の嫌疑をかけられた一般住民が多く虐殺されたのである。南京の近郊区から千単位の男子を敗残兵として連行して下関で処刑したことが記されているが、県城や村においても「敗残兵狩り」の名による虐殺、強姦、放火が行われたのだった。

「南京の真実」(ラーベ著:講談社)より
1月5日
 わがジーメンス・キャンプは他の収容所からあまり芳しくない評判をとっている。韓がちょっぴり余計に米を配るからだ。・・・・・・・
 いくらなんでも500平方メートルの庭に602人は狭すぎるので、難民を一部、他の収容所に移そうとしたがうまくいかなかった。ここだけが安全だと思っているので、誰も出たがらない。・・・・・

 衛生状態が気になる。これについては私もどうしていいのかわからない。伝染病が拡がらないといいが。今日の昼までは水が出たのだが、午後になって止まってしまった。電気はまだつかない。それなのに、近所ではいまだに家が燃えている。
 登録はまだ終わっていない。何万人もの女の人が乳飲み子を抱えて5列に並んだまま、人によっては6時間も外で待たされている。果てしなく長い行列だ。この厳しい寒さの中、一体どうやって耐えているのかと思う。

 またもや漢中門が閉まっている。昨日は開いていたのに。クレーガーの話では、門のそばの干上がった側溝に300ほどの死体が横たわっているそうだ。機関銃で殺された民間人たちだ。日本軍は我々外国人を城外の外に出したがらない。南京の実態がばらされたら困るからな。


「南京事件の日々」(ヴォートリン著:大月書店)より
1月5日 水曜日
 登録業務のため、今朝は7時30分に(通常は8時)に朝食をとった。中国人警官と立ち話をしていると、8時30分までに5000人ないし10000人の女性が私の前をひっきりなしに通り過ぎて行った。なんと哀れな光景だったことか。女性たちは、たいてい4人1組でやってきた。というのも、後のち、その隊形で行進させられるからだ。通達では、30歳までの女性だけ、となっていたにもかかわらず、高齢者が大勢いた。・・・・・・・

 9時には役人の車が到着したものの、驚いたことに、女性たちは、登録を受け付けてもらうどころか、誰も登録するには及ばないと言われ、重い足取りで家路についた。朝4時から並んで待っていた者もいる、と門衛から聞かされた。・・・・・・・


 状況がいくらか良くなり、緊張がゆるんできている。その証拠に、私たちの仕事を支えてくれている程先生、ブランチ呉さん、王さんの3人が午後風邪と疲労で寝込んでいる。しかし、安全区の状況は依然としてあまりよくない。
 午後、P.ミルズが、昨夜強姦されたという56歳の女性を戸部街から連れてきた。
 夜、男性がキャンパスに避難している娘に食べ物を差し入れたい、と言ってきた。ここには男性を入れることはできないと言うと、「私には今は娘しか残っていない。3日前の夜、安全区内で妻が抵抗して大声を出したら、銃剣で胸を突き刺され、その上、幼い子どもは窓から放り出されてしまった」と訴えた。これも午後のことだった。私が執務室にいると、新婚18日目の若い花嫁が、夫を捜す手伝いをしてもらえないか、と言ってきた。彼は何の罪もない洋服の仕立て屋で、12月15日、家から連れ去られたまま戻ってこない、というのだ。さらに別の新婚2ヶ月の若い花嫁がやってきて、12月16日に夫が連れ去られたと話し、私に援助を求めた。いずれの場合も夫は兵士ではなかったが、戻ってくる見込みはほとんどないのではないかと思う。当初のあの狂乱の時期には多くの若者が銃殺されたからだ。前者は10家族を、後者は8人家族を扶養する一家の柱であった。このような悲話が絶えず耳に入ってくる。
 5時から6時までの間に、王さんと一緒に日本大使館へ出かけた。大使館の警官を引き続き毎晩校門に配置するよう要請するためだ。警官がいてくれるのはとても助かる。



「Imagine9」【合同出版】より

想像してごらん、

女性たちが

平和をつくる世界を。



Imagine,

A world where

women create peace.


戦争は、子どもや夫が戦いにいくことを女性が認めない限り起こりません。
女たちは、一歩前へ踏み出し、男たちを含むあらゆる人間の産みの親として、
地球とそこに生きるすべてのものたちの世話役として、破壊をやめさせる責任を
果たす事ができます。
(アメリカ/先住民女性)


第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


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2009年1月4日日曜日

1938年 南京 1月4日

「南京の真実」(ラーベ著:講談社)より
1月4日
 あいにく、わが家は安全区のはじにある。そのうち、火の手がのびてくるのではないかと不安でたまらない。昨日、またしても近所で3軒放火された。今こうしているうちにも、南の方で新に煙が立ち昇っている。それはそうと、市内はあい変らず闇に包まれている。下関の発電機は無事なはずなのに。幾度も日本側に抗議しているが、さっぱりだ。取締りのため軍事警察がおかれてからは、治安は全体的に確かに良くなったといえるだろう。けれども警察官の中にもいかがわしい連中がいる。そいつらを見て見ぬ振りをするだけだはない。一緒になって悪事を働くことさえあるのだ。


「南京事件の日々」(ヴォートリン著:大月書店)より
1月4日 火曜日
 晴天の暖かい日が続いているところをみると、天にまします神は、きっと弱者に手心を加えてくださっているのだろう。キャンパスでは引き続き登録が行われている。男子に関してはほとんど完了した模様だ。今日は、多分5000人ないし一万人の女性が登録しただろう。少なくとも訓示を聞き、予備登録票を受け取るという第一段階は終了しただろう。手続きは8時少し過ぎに始まり、昼休みを除いて4時まで続いた。17歳から30歳までの女性だけが登録するように、との指示があったが、多くの者はそれよりも若いか年長であった。概して、女性は男性よりもましな扱いを受けたが、それでもやはり、警備についている兵士たちは、牛を扱うように女性を引き立て、しきりに面白がったり、時としては頬に判子を押すなどして、当然ながら、彼女たちに恥ずかしい思いをさせている。
・・・・・・・・・・・・・・・・・

 南京が陥落してから今日でちょうど3週間になるが、今までのところまだ外国人の出入りは認められていない。

・・・・・・・今夜、南山公寓から火災を2件ー1件は南門付近、もう1件は東門付近ーを目撃したが、これは、いつもに比べてずっと少ない件数だ。登録が終わり次第、避難民は、安全であるという保証のもとに、自宅に帰るよう強く促されるだろう。かわいそうに、帰る家のない人が大勢いるし、たとえ幸運なことに家があっても、これまで何度となく略奪をこうむっているというのに。

「Imagine9」【合同出版】より

想像してごらん、

基地をなくして緑と海を

取りもどしていく世界を。

Imagine,

A world that gets rid of

military bases and reclaims

the forests and the oceans.


森に抱かれ、海にはぐくまれ、人とともに生きる北限のジュゴン。
乱獲があり、戦争があり、今わずかに生き残ったジュゴンのすむこの海に、
また、新しく米軍基地がつくられようとしています。

おばぁは言います。「この海があったから、子どもたちを養い、孫を大学までやる事ができた。
この海は命の海。
この海をこわして、沖縄の明日はないよ・・・・」
(沖縄/女性)

第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。



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2009年1月3日土曜日

1938年 南京 1月3日

「南京の真実」(ラーベ著:講談社)より
1月3日
昨日夜7時に、スマイスがフィッチ宛の報告書を手に医者の許伝音氏のところからやってきた。

    フィッチ様!
 本日午後4時半頃、劉培坤は暴行されそうになった妻を守ろうとして日本兵に射殺されました。
 近所の家が日本兵に占領されているため、我が家は今、逃げてきた婦人達でいっぱいです。私はシュペアリング氏に手紙を書き、すぐにこちらへ来て我々を守ってくださるようお願いしました。シュペアリング氏の体があかない場合、ここ寧海路五号に、誰か他の外国人を差し向けていただけないでしょうか?                         敬具
                           許伝音


 本部に泊り込んでいるはずのシュペアリングをスマイスが探しに行っている間、私はマギーと一緒に日本大使館へ行った。マギーはすでにこの件について詳しい報告を受けていた。田中氏に軍部に出向いてもらい、この事件を調査するよう要求してもらうのだ。これは実に計画的で残虐な犯行だ。
 劉の妻がおそわれたのは昨日の朝だった。5人の子どもがいる。夫が駆けつけ、日本兵の横っ面をはって追い払った。午後、朝は丸腰だったその兵士は、今度はピストルを持ってやってきて、台所に隠れていた劉を引きずり出した。近所の人が必死で命乞いをし、ある者は足元にひれ伏してすがった。だが日本兵は聞き入れなかった。
 田中氏は、直ちに軍部に報告すると約束した。私も氏が約束を果たさなかったとは思っていない。だが結局、沙汰やみだ。兵士の処罰といえば、いつだってたかだか平手打ちどまり。それ以上こらしめたという話は聞いたことがない。
 せめてもの慰めのつもりだろう、田中氏は、その後とてもうれしいことを教えてくれた。目下蕪湖にいるローゼン、それから多分ヒュルターとシャルフェンベルグの3人が、1月5日に南京に到着するそうだ。ということは、アメリカ大使館の人たちと同じ日だ。そちらからはすでに連絡が来ている。
・・・・・・・・・・・


 今日は2階の風呂場でも水が出た。正午には、安全区のあちこちで電気もついたのだが、一時ごろになってまた止まってしまった。多分、我々にラジオのニュースを聞かせないためだろう。
 給食所と収容所の決算報告で、委員会の財政が必ずしも楽ではないことがわかったが、これには改めてうなってしまった。要するに、働いている中国人がめいめいしっかり手数料を取っていたのだ。なんせここは中国だ。手数料なしには何一つ運ばない。・・・・・・・・・


「南京事件の日々」(ヴォートリン著:大月書店)
1月3日 月曜日
 引き続き登録が行われている。おそらく8ヶ所で行われているのだが、間違いなく、金陵女子文理学院には大勢の人がきている。午前8時には日本側の警備兵が到着し、8時30分には訓示が始まり、最初は女性に対し、そのあと男性に対して行われた。昨日中国側が策定した新「自治」機構方式は、少なくとも金陵女子文理学院では、日本側の担当官によって完全に、そして唐突に放棄されてしまった。午前中に金陵大学に行ったところ、そこでも農学部棟で登録が行われていることを知ったが、群衆の人数は女子学院に比べると少ない。そのために、女子学院では粥の配給が一日一回に減らされており、子どもたちにはとてもつらい思いをさせている。しかし、兵士であるとして連行されそうになった場合、ここでは、自分の連れ合いに兵士ではないことを証言してもらえるせいか、男性たちは、女子学院で登録する方が良いと思っているようだ。キャンパスで登録が行われているかぎり、うろつき回る兵士による事件は起きていない。5人の女性の夫を捜し出すのに力を貸したいと思い、今日は彼女たちのために手紙というか、嘆願書を書いた。
 今夜、使い走りの魏少年が彼の体験をつぶさに話してくれた。12月14日、少年は最初に国際委員会に、次に大学病院に手紙をもって行く途中のことだった。鼓楼の近くで2人の兵士に制止された。
一人が腹部に銃剣を突き付け、もう一人が背後で銃を構えていた。彼らは、少年が腕に巻いていたアメリカ大使館の腕章を引きちぎり、私の書いた手紙を奪い取って破り捨て、少年が携帯していた身分証明書を投げ捨ててしまった。そして、もちろん、自転車は取り上げられた。少年は無理やりに下関(シャーカン)へ行かされ、そこでは10日間、彼らのためにもっぱら略奪を働いたり、盗品をトラックに積み込んだりして過ごした。少年は、何百人という中国人が殺害されるのを目撃したそうだ。兵士もいれば民間人もいるし、老人もいれば若者もいた。いたるところに死体が転がっていた。倒壊をまぬがれた建物はほとんど残っていないようだ。残っているものとしては揚子江賓館と聖公会の建物を少年は記憶していた。運び出されなかった家具は薪に使われたそうだ。ストーブで燃やすのではなく、焚き火に使ったようだ。その後2日間、少年は中央大学のすぐ西隣りの家に連れて行かれ、またもや略奪品の運搬をすることになった。最後は略奪品を句容に運ばされた。夜明け前に出発し、丸一日飲まず食わずで、日がとっぷり暮れてから句容に到着した。そこに到着してから、男性18人に放免が通告されて、南京に戻ってもよいと言われた。暗闇の中を移動するのは危険だったが、彼らは思い切って出発することにした。何度となく銃剣を突き付けられて制止されながらも、ついに南京に到着した。結局のところ、彼らのうち2人以外はみな、またもや運搬の仕事をさせられるために連行された。道すがら、沼はどこにも、人間や動物の死体でいっぱいだったが、それでも、のどの渇きを癒すためにはその水を飲まなければならなかった、と少年は語った。12月28日、彼は、やせ細り憔悴して帰宅した。いまなお疲れが取れず、動くこともできないでいる。
 午後、若い女性2人が私の執務室に来て、夫を捜し出すのに力を貸してほしい、と訴えた。3人兄弟のうち2人が12月14日に連行されたという。その一家は、南門の近くで鴨肉屋を経営していた。・・・
・・・・・・・・・・・

「Imagine 9」【合同出版】より

想像してごらん、

武器を使わせない世界を。

Imagine,
A world that doesn’t
let weapons be used.


憲法9条はどんな軍隊より、どんな核兵器よりも大きな力をもっています。
なぜなら、核兵器はけっして平和をもたらさないからです。
それはこれまでの歴史が証明しています。
核兵器はこれまでに何十万人もの人々の命を奪い、国を破壊してきましたが、
世界はまだ暴力と戦争だらけです。
(アメリカ/男性)



第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

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2009年1月2日金曜日

1938年 南京 1月2日

1937年の蘆溝橋(ろこうきょう)事件をきっかけに中国に侵略していった日本軍はその当時の中国の首都南京(なんきん)を12月に陥落させた。その南京でどのようなことが起こったかを、南京で避難民を保護する区域をつくり(安全区)その活動の中心的な人々(ここではラーベ【ジーメンス社南京支社支配人、ナチス党支部長代理、南京安全区国際委員会委員長、ドイツ人・男性】とヴォートリン【金陵女子文理学院教授、宣教師、強姦(ごうかん)・暴行を防ぐために献身的な活動を続けた、アメリカ人・女性】)の日記を引用しながら日ごとに見ています。南京大虐殺と呼ばれている事件です。関心ある人は読んでみて下さい!


「南京事件」(笠原著:岩波新書)より
1938年(昭和13年)
1月1日・・・南京市自治委員会成立(日本軍の傀儡〔かいらい〕自治委員会・・・ノブ)

「南京の真実」(ラーベ著:講談社)より
1月2日
 本部の隣の家に日本兵が何人も押し入り、女の人たちが塀(へい)を越えて我々のところへ逃げてきた。クレーガーは、防空壕の上からひらりと塀を飛び越えた。塀は非常に高いのだが、警官が一人手伝ってくれたので、私も後を追おうとした。ところが2人ともバランスを崩して落ちてしまった。さいわいかなり太い竹の上だったので、竹が折れただけで、けがをせずにすんだ。その間にクレーガーは兵たちをとっつかまえた。やつらはあわてふためいて逃げていった。ただ、ちょっと様子を見に来ただけだ、というのだ!

 銃剣でのどを突かれた近所の奥さんを私が鼓楼病院に送り込んだのだが、今日ようやく退院が許された。入院費は1日当たりたった80セント。その10日分だ。お金がないというので、私がかわりに払った。

 日本軍の略奪につぐ略奪で、中国人は貧乏のどん底だ。自治委員会の集会がきのう、鼓楼病院で開かれた。演説者が協力という言葉を口にしているそばから、病院の左右両側で家が数件焼けた。軍の放火だ。・・・・・・・・・


 安全区の通りは、あいかわらず見渡すかぎりの人の海だ。何千というおびただしい人々が道ばたにたたずんでいる。値段の交渉をしている人もある。道路の両側には行商人が鈴なりになって、食料品、タバコ、古い衣服を売っている。
 誰もが日本の腕章や国旗をつけて飛び回っている。横町や道路の間の空き地には、わら小屋が所狭しと建ち並び、難民村ができている。我が家と同じ光景だ。うちの庭には、もはや草一本生えていない。美しかった生垣もあっという間にふみつぶされ、見る影もなくなった。なにしろ大人数だ、しかたあるまい。なによりまず生きることが先決なのだ!
 昨夜、またしても日本兵の乱暴が相次いだ。スマイスが書きとめ、いつものように抗議書として日本大使館に提出した。

 我々がひそかに恐れていたことがついに起こった。中国の爆撃機がやってきたのだ。といったからといって、決して友人としてではない。敵としてだ!かつての日本軍のように、時間通りに爆弾を落としていく。だが、今までのところ、幸いなことにたいていは同じ場所、つまり南の飛行場かその近くに限られている。日本の防空部隊が姿を現したが、人数も少なく、いとも手薄だった。
 空襲がこのまま安全区の外にとどまるかどうかは、あとになってみないとわからない。だが、そうであってほしい。さもないと、今までよりもっと悲惨なことになるかもしれないのだ。今の安全区の込み具合ときたら、日中は上海よりすごい。そんなところに一発爆弾が落ちたが最後、ものすごい数の人命が失われるのだ。そう思っただけでもぞっとする。


「南京事件の日々」(ヴォートリン著:大月書店)より
1月2日 日曜日
 小春日和。家を消失したり、夜具を盗まれた人たちにとっては何よりの恵だ。
 午前、粥の配給中に、年配の日本人女性3人が車で乗りつけた。国防婦人会の代表者たちだった。彼女たちは何も言わなかったが、興味深そうに眺めていた。日本語を話せたら、ここの避難民たちがこうむっている苦難の一端を説明できるのに、と残念でならない。
 10時、李さんと一緒に鼓楼教会へ行った。それは、実に素晴らしい礼拝だった。・・・・


 午後2時、中国軍機5機が南京市上空に飛来し、爆弾数発を投下した。すると、かつて私たちの側に属していた高射砲の砲声がとどろいた。
 サールはリリア(1)からの手紙を受け取った。日本の新聞記者が持ってきてくれたものだ。彼女がサールから受け取った最新の手紙は11月14日付けだった。彼女はサールにあてて手紙12通、電報6通を送ったが、彼からの返事は受け取らなかった。今日までのところ、南京城内に入ってくることを許された者は一人もいない。

(1)サール・ベイツの夫人リリアは、戦火の南京から避難して日本の東京の世田谷区上北沢に息子と一緒に住んでいた。

※南京からの情報は日本軍が検閲していて配達されなかったのだろう。特に12月の南京の様子は外部に漏らさないようにした。〔ノブ〕

「Imagine 9」より【合同出版】より

想像してごらん、

おたがいに戦争しないと

約束した世界を。

Imagine,

A world that promises

not to fight wars with each other.


戦争して平和を取り戻すんだという意見があります。
でも、イラクを見てください。ブッシュ大統領はサダム・フセインを倒すといって実行しましたが、平和にすることはできませんでした。戦争が起きると、もっと多くの人が犠牲になるだけなのです。暴力や武力では平和はつくれないことを、今のイラクは証明しています。(ケニア/男性)


第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


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2009年1月1日木曜日

1938年 南京 1月1日

新年明けましておめでとうございます!!
今年もよろしくお願いいたします!!

1937年の蘆溝橋(ろこうきょう)事件をきっかけに中国に侵略していった日本軍はその当時の中国の首都南京(なんきん)を12月に陥落させた。その南京でどのようなことが起こったかを、南京で避難民を保護する区域をつくり(安全区)その活動の中心的な人々(ここではラーベ【ジーメンス社南京支社支配人、ナチス党支部長代理、南京安全区国際委員会委員長、ドイツ人・男性】とヴォートリン【金陵女子文理学院教授、宣教師、強姦(ごうかん)・暴行を防ぐために献身的な活動を続けた、アメリカ人・女性】)の日記を引用しながら日ごとに見ています。南京大虐殺と呼ばれている事件です。関心ある人は読んでみて下さい!

 1945年、大日本帝国【その当時の日本の呼び名】は戦争に敗れ、戦争は終わりました。その侵略戦争の反省のもとに、アジア・世界の人々に対して「二度と戦争はしません」という誓いとして憲法9条は誕生しました。その9条についてもいろいろと考えてみたいと思います。世界に9条が拡がればと思います!!
 


「南京の真実」(ラーベ著:講談社)より
1938年1月1日
 昨日の夜9時半、7人の同志が年始に来た。アメリカ人のフィッチ、スマイス、ウィルソン、ミルズ、ベイツ、マッカラム、リッグズの面々だ。手元に残った最後の赤ワインをあけ、一時間ほどおしゃべりした。日頃は意気軒昂のベイツが、疲れ果てて眠り込んでしまったので、早めにお開きになった。私にも中国人の客にとっても休養をとることに依存はなかったから、そろって11時に寝た。・・・・・・

 家に戻ると、盛大な歓迎が待っていた。うちの難民たち「老百姓」(ラオパイシン・・・中国語で名もなき民の意)はずらりと両側に並び、私に敬意を表して、日本軍からもらった何千もの爆竹をいっせいに鳴らした。こうして新しい自治政府を祝うのだ。それから600人全員で私を取り囲み、白い包装紙に朱液で書かれた年賀状を手渡し、いっせいに3度お辞儀した。ありがとう、とうなずいて私が年賀状を折りたたみ、ポケットにつっこむと、まわりから歓声があがった。残念ながら、大きすぎてとてもこの日記帳にはおさめられない。中国人の友人が訳してくれたところによると、

  ラーベさんへ
    どうかよい年でありますよう
       一億があなたのそばにいます!
                  収容所の難民たち
                  1938年


 この「一億」がどういう意味なのか、いまだに私にはよくわからない。たぶんこれは「一億人の善男善女」の意味だろう。張に聞くと、こともなげに言った。
「ドイツ語で新年おめでとうっていうことですよ!」

 火花の雨の後は、使用人とジーメンスの従業員が総出で行列を作り、おごそかに慣例の新年の叩頭(こうとう)の礼をした。
・・・・・・・

 夜の9時に日本兵がトラックに乗ってやってきて女を出せとわめいた。戸を開けないでいたらいなくなった。見ていると中学校へ向かった。あそこは絶えず日本兵におそわれている。私は庭の見張りをいっそう厳重にして、2人組みの歩哨(ほしょう)に警笛を持たせた。こうしておけば、いつお越し下さってもすぐにはせ参じられる。だが、ありがたいことに、今晩は無事に過ぎた。

「南京事件の日々」(ヴォートリン著:大月書店)より
1938年1月1日 土曜日
元旦!1938年の最初の日だ。「新年おめでとう」という言葉は、のど元から出かかっても消えてしまう。「平和が訪れますように」とだけ挨拶する。7時30分からのスタッフの礼拝集会には9人が参加した。今ではつとめて毎日、この礼拝集会を行うようにしている。今なお外界から完全に遮断されていて、友人たちがどのような状況にあるか分からないので、想像をめぐらしながら祈っている。・・・
・・・・・・・・
 正午、程先生とメリーは、新年の昼食に招かれてバックの家に行った。程先生を出かけさせるには骨が折れた。先生は悲嘆に暮れ意気消沈していて、とても浮かれた気分にはなれないからだ。午後、私が交替して執務室に詰めていると、4時までに2つの事件があった。3時ごろ使用人の一人があわただしく入ってきて、キャンパスに避難している少女一人を兵士が連れ去ろうとしていることを知らせてくれた。急いで出て行き、図書館のすぐ北の竹林に少女と一緒に兵士がいるところを見つけた。
 兵士は私の声を聞きつけると、あわてて逃げ出した。このあと、ときを同じくしてキャンパスにやってきた兵士2人を追い返した。
 キャンパスの少女たちの中には、全く分別のない子がいる。私たちが精一杯努力しているというのに、建物の中に入っていないで正門の方へぶらぶら出て行くのだ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




 今夜は北里門橋の方角で大きな火災が発生している。略奪が続いているのだ。2、3日前に聖経師資培訓学校(聖書講師養成学校)内で女性27人が強姦されたが、それでも、強姦事件は減少してきていると思う。今日、憲兵ー確かに優秀なようだーが、、重大な不行跡のかどにより一般兵士若干名(7名)を逮捕したそうだ。彼らは銃殺されたと、人々は憶測している。
 午後、鼓楼広場で大きな集会があり、そこで市の新しい役員が任命された。(1) 
 私たちの地区は、1000人の代表を送るよう求められた。五色旗と日本国旗が盛大に並んでいた。細かな事情は聞いていないが、心痛のあまり食事ものどを通らなかった代表を知っている。あなた方は、この新体制を自発的に、そして熱烈に歓迎している〔かのごとき〕写真をきっと目にすることでしょう。
 元日もすでに夜だが、大使館の警官がまだ来ていないので心配だ。

(1)南京特務機関(機関長佐方繁木少佐)の工作のもとに組織された南京自治委員会の成立式。


「Imagine9」【合同出版】より


想像してごらん、

武器をつくったり

売ったりしない世界を。

Imagine,

A world that doesn't

make or sell weapons
.


紛争が続くアフリカでは、子どもたちまで武器を持ち、命を落としています。
その武器はヨーロッパやアメリカから売りつけられています。
アフリカの私たちは、殺しあう必要もないのに買わされているのです。
 だから、9条はアフリカにこそ必要だと思います。
9条があれば、これ以上アフリカに武器を持ち込ませないようにできるのです。(ケニア/男性)


第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。




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