2009年1月31日土曜日

1938年 南京 1月31日

「南京の真実」(ラーベ著:講談社)より
1月31日
 中国の新年。使用人や従業員の祝日だ。難民が庭できちんと整列して、3度お辞儀をしてくれた。中には若い娘さんもたくさんいる。おかげで守られ、救われたと言って、誰もが感謝してくれるが、あいにくまだことは片付いていない。難民たちから縦横3×2メートルの大きな赤い絹の布を渡された。何か中国語で書いてある。感謝状ではないだろうか。
 張に渡すと、応接間にうやうやしく張りめぐらしたのでぎょっとした。中国人の客が何人か、神妙な顔つきでその前に立ち、中の一人が英語に訳してくれた。
「ラーベさんはあまたの人間にとって生ける仏です」
 ちゃんと聞いていたわけではないが、こんな風なことを言っていた。これではいくらなんでも誉めすぎだ。・・・・・・・・・


 あなたは仏様のような慈悲と勇気をお持ちです
 あなたは幾千もの寄る辺なき民をお救い下さいました
 どうか天の恵みが授けられますように
 あなたに幸福と神の祝福が訪れますように
           収容所難民一同

 こんな深刻な時代でさえなかったら、この感動的な献辞は笑い飛ばしたいところだ。 
 まだ「市長職」を退いてさえいないうちから、生き仏にされるとは!そんなことはともかく、爆竹のにぎやかな伴奏つきのこの贈り物をうかうか喜んではいられない。2月4日が、この人たちがここから追い出される日が、すぐそこまで来ているのだから。それでも私はドイツ国旗を見せれば最悪の事態は避けられるのではないか、という希望を捨てきれないでいる。
 神よ、神はどこにおいでになるのですか!果てしない日本人との闘いに、くじけてしまいそうです!


 今、張が知らせてきた。うちの収容所にいる24歳の娘さんが暴行されたのだ。今日の午前11時。場所は広州路46号。元住んでいた家だ。叔父が日本軍の指示で家に戻ったので、昼食の支度をしに行った矢先の出来事だった。銃剣を手にした兵に、命が惜しければ体を許せと迫られたという。
 6週間もの間、わが家の前にうち捨てられていた中国兵の死体が、ようやく埋葬されたと聞いて、胸のつかえがおりた。



「南京事件の日々」(ヴォートリン著:大月書店)より
1月31日 月曜日
 邪悪な精神を追い払い、幸運の新年を迎え入れる力を爆竹が持っているとすれば、くる年は、間違いなく、大いなる幸福と恵みの年となるだろう。早朝、まだ明るくならないうちから爆竹が鳴り始めた。一発ずつではなく、騒々しくめったやたらに炸裂し、その音はほぼ午前中ずっと続いた。・・・・・
・・・「新年が平和な年になりますように」と、深い意味を込めて挨拶したらよいのではないかと思った。
 午後、女性と子どもたちの集会のあと、庭師と私は農家へ出かけて行った。去年、とても見事な切花を売ってくれた農家の人に、腊梅の小枝を分けてもらえるかどうかを聞きたかったのだ。キャンパスの西の道路を北方向へ行った。途中、埋葬されていない2体の死体のそばを通り過ぎた。一体は12月中旬から放置されたままになっている。道路の西に広がる田園は真正の無人地帯で、生活が営まれている形跡は全くない。小さな家はことごとく窓に板が打ちつけられ、戸口は、横木を渡して開かないようにしてあった。寺院地区まで来ると、そこはあまりにもさびれ果てていたので、腊梅の切り花を手に入れるためとはいえ、そこを通って少し先の農家まで行く勇気は出なかった。そういうわけで、私たちは引き返すことにした。キャンパスのすぐ近くまで戻ってきてから丘に上った。3人の男の死体がいまだに転がっていた。私は、12月16日ごろ、彼らが射殺される際の銃声を耳にしており、その死体は、私の目には民間人のように見えた。庭師は彼の家に着くと、湯気の立っているチキンスープに卵を落とし、しきりにそれを私に勧めた。彼もきっと、(パール・バックの)『大地』のなかに描かれている人物なのだろう。勤勉な中国農民の典型であり、土にすっかり慣れ親しんでいる。
 キャンパスに戻ると、いくつかの少女のグループが私を取り囲んで、避難民の帰宅期日として「傀儡協会」が設定した2月4日以後もここに置いてほしいと懇願した。彼女たちは何という窮地に直面しているのだろう。

「Imagine9」【合同出版】より


世界は、

9条をえらび始めた。



・ある国が戦争放棄を掲げるということは、世界のほかの国々への力強いメッセージになると思います。
(イギリス、30代・男性)

・第二次世界大戦の悪夢を経験した一人として、私は、力ではなく正義と社会秩序による国際紛争の解決手段があること、そしてそれに基づいた国際平和と理解が達成できることを信じています。紛争解決は、交戦ではなく平和的な方法でなされるべきだと思います。(フィリピン、60代・男性)

・僕の国はベトナムで戦争をして、何百万人ものベトナム人と何万人もの自国の兵士を犠牲にし、何も得ませんでした。それなのに、今も戦争をしています。アメリカは根本的に反省しなかったんです。こういう国に従って日本が憲法を変えようとするのは、非常に残念です。
(アメリカ、50代・男性)

・武器でいっぱいの世の中に暮らすことは、自分の墓を掘っているようなものだと思います。現実には、世界の指導者たちが行っていること、特に軍事力を増強していくことは、私にとって全く無益なことだと思います。お金をこうして無駄にするのではなく、教育の拡大と貧困の撲滅のために利用した方がよっぽど有効だと思います。
(フィリピン、60代・男性)

・私は第二次世界大戦の経験者として、日本国憲法第9条をいかなる手段でもっても排除すべきでないと思います。戦争は、人の命を奪い、人びとを苦しめました。武器はこの世に必要ではありません。世界に脅威を与えるべきではありません。過去の過ちを繰り返さないで下さい。(ロシア、60代・男性)



第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


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