「南京の真実」(ラーベ著:講談社)より
1月28日
フィッチが今日、何の前触れもなく田中領事から上海へ行く許可をもらった。イギリスの砲艦ビーで行き、6日後にアメリカの砲艦オアフで戻ると言っている。なんだか妙な話だ。証明書とか旅券、あるいはそういうたぐいのものを一切よこさないだけに、なおさら変な気がする。
昨日の晩、福井氏に、フィッチのために上海へ行く許可をだしてもらえないかと言った時にはにべもなく断られたのに。ひょっとすると、昨日の件で、アメリカ人に対して弱腰になったのかもしれない。何しろアメリカと日本の間には、ここのところ、それからそれへと不愉快な事件が続いたから。昨日、アメリカ大使館の南京責任者、アリソン書記官が、なんと日本兵に横面を張られるという事件が起きた。直ちにこれはワシントンに報告され、今日、ロンドン発の最新ニュースとしてラジオが伝えたばかりだ。日本はアリソン氏に謝罪することはしたが、氏が日本語でけしからんことを言って兵士を怒らせたからだ、という立場をあくまでも崩そうとしない。
それにしてもローゼンにも困ったものだ。昨日、一緒に街をまわった時、日本軍から配属された衛兵を連れて行こうとしなかったのだ。言葉を尽くして説得したがだめだった。この件はすぐに日本大使館に報告され、今日、私のところに次のような声明文が届けられた。
南京にはなお平服の中国兵(便衣兵)がいる。日本兵は、疑わしい人物はすべて撃つよう、命令されている。それゆえ大使館員には日本人の衛兵が付き添い、保護することになっている・・・・
おっと、ここで一言言わせてもらおう。もし本当にまだ便衣兵がいたとしても、絶対に我々外国人に手出しはしない。いまや我々が中国人を保護するために残ったのを知らない者はないからだ。
難民収容所を2月4日に強制的に解体する、との通達。難民たちはいやおうなしに瓦礫の町へ戻らなければならない。泊まる所があろうがあるまいが知ったことか、というわけだ!惨憺たることになるのは目に見えている。だが、だからと言って手の施しようがないのだ。権力を握っているのは日本軍なのだから。
「南京事件の日々」(ヴォートリン著:大月書店)より
1月28日 金曜日
午前中いっぱい飛行機がさかんに飛んでいた。死と破壊を運ぶ重爆撃機が頭上を通って北西の方向へ飛んで行く。私たちには、中国全土が破壊されていくように思える。どんな運命が濾州府に降りかかったのだろうかと再三案じている。
午前中、外界に出す手紙を書いて過ごした。今夜9時30分までにアメリカ大使館に持って行けば、アメリカ砲艦オアフ号で運んでもらえる。夜はキャンパスから出ないことにしているので、5時30分までには出かけよう。まるで何年間もー実際は12月12日以来だがー夜間の外出をしていないような気がする。
午後、安全区内の地区長会議が「傀儡協会」ー陳さんが使っている名称だが、あまりにも的を射ているので変える必要がなさそうだーの本部に召集された。日本軍将校一名が同席していた。発表された計画によれば、安全区の避難民は全員が2月4日までに帰宅し、安全区の街路に並ぶにわか露店はすべて同日以後は撤去しなければならない。城内の秩序は維持されることとされている。兵士が非行を働いた場合、通報に基づいて処罰できるようにする方策が練られてきた。兵士は制限区域に留まることとされており、私たちとしては、発表どおりにこれが実現することを切望している。
城内の3つの慈善事業団体が、極貧の人々に米1000袋と2000ドルを配布することを計画している。私たちの要請に沿って女子学院には、無料米グループ向けの、つまり「赤札」グループ向けの野菜と食用油の調達費として200ドルが交付された。現在、このグループは、子どもを含めておよそ1000人を数える。
午前10時ごろ、大きな封筒に入った郵便物が校門に届けられた。外国船で上海から運ばれてきたものだ。私たちは、友人たちの消息をどんなに渇望していることか。夕食後、程先生の居間で、私たち一同宛の手紙や、誰にとっても興味深いような手紙を読み、ちょっとしたパーティとなった。これまでのところ、外国郵便は全く来ていない。
難民の中には、盲目の少女が4人いて、現在、彼女たちは程先生の寄宿舎で生活している。とても明るくひたむきな少女たちで、私たちが会いに行くのを待ち焦がれている。今では、足音を聞いただけで私たちだとわかるほどだ。土曜日の午後の礼拝に彼女たちを連れて行ったところ、それ以来、主の祈りの文章の意味を質問してくる。いつか彼女たちを上海の盲人学校に行かせることができるといいのだが。
避難民家族を受け入れて以来、8時30分には電燈が消えるので、夜の長い時間はロウソクかカンテラの明かりで書き物をしている。安全区内のいくつかの地域では市の電力供給が復旧している。市営水道の給水も、少なくとも安全区内では再開されている。電話はまだ通じていない。
夕方・・・・・・
「Imagine9」解説【合同出版】より
9条がゆきわたった世界
「武力によらずに平和をつくる」という日本国憲法9条の考え方は、国家や人種、民族の壁を越えて「地球市民」として生きていくための共通の鍵となります。
「世界中の国が憲法9条をもてば、すべての国は戦争ができなくなる」、それは無理なのでしょうか。いいえ。奴隷制に苦しんだ黒人の人々が、人間として生きる権利を獲得したように、長いあいだ社会から排除されてきた女性たちが参政権を得たように、戦争も、私たちが働きかければなくせるものなのです。
第2次世界大戦を経験した人類は、「もう2度と悲惨な戦争を繰り返してはならない」という思いで、国連をつくりました。国連憲章は、「武力行使をしない」「軍事費は最小限にする」ことを定めました。しかしその国連憲章がつくられたあとに、広島と長崎に原爆が落とされ、戦争は終わりました。そして、日本の憲法9条が生まれました。
国連憲章も日本の9条も、目標は同じ「戦争をなくす」ということです。
同じ目標のもとで、日本の9条は、国連憲章よりもさらに一歩前に踏み出しました。9条は、戦争につながるような軍隊をもつことを否定したのです。9条が一歩踏み出したその先に続くのは、私たちです。9条から見えてくる世界の創り手は、私たち一人ひとりなのです。
第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
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