1937年の蘆溝橋(ろこうきょう)事件をきっかけに中国に侵略していった日本軍はその当時の中国の首都南京(なんきん)を12月に陥落させた。その南京でどのようなことが起こったかを、南京で避難民を保護する区域をつくり(安全区)その活動の中心的な人々(ここではラーベ【ジーメンス社南京支社支配人、ナチス党支部長代理、南京安全区国際委員会委員長、ドイツ人・男性】とヴォートリン【金陵女子文理学院教授、宣教師、強姦(ごうかん)・暴行を防ぐために献身的な活動を続けた、アメリカ人・女性】)の日記を引用しながら日ごとに見ています。南京大虐殺と呼ばれている事件です。関心ある人は読んでみて下さい!
「南京事件」(笠原著:岩波新書)より
1938年(昭和13年)
1月1日・・・南京市自治委員会成立(日本軍の傀儡〔かいらい〕自治委員会・・・ノブ)
「南京の真実」(ラーベ著:講談社)より
1月2日
本部の隣の家に日本兵が何人も押し入り、女の人たちが塀(へい)を越えて我々のところへ逃げてきた。クレーガーは、防空壕の上からひらりと塀を飛び越えた。塀は非常に高いのだが、警官が一人手伝ってくれたので、私も後を追おうとした。ところが2人ともバランスを崩して落ちてしまった。さいわいかなり太い竹の上だったので、竹が折れただけで、けがをせずにすんだ。その間にクレーガーは兵たちをとっつかまえた。やつらはあわてふためいて逃げていった。ただ、ちょっと様子を見に来ただけだ、というのだ!
銃剣でのどを突かれた近所の奥さんを私が鼓楼病院に送り込んだのだが、今日ようやく退院が許された。入院費は1日当たりたった80セント。その10日分だ。お金がないというので、私がかわりに払った。
日本軍の略奪につぐ略奪で、中国人は貧乏のどん底だ。自治委員会の集会がきのう、鼓楼病院で開かれた。演説者が協力という言葉を口にしているそばから、病院の左右両側で家が数件焼けた。軍の放火だ。・・・・・・・・・
安全区の通りは、あいかわらず見渡すかぎりの人の海だ。何千というおびただしい人々が道ばたにたたずんでいる。値段の交渉をしている人もある。道路の両側には行商人が鈴なりになって、食料品、タバコ、古い衣服を売っている。
誰もが日本の腕章や国旗をつけて飛び回っている。横町や道路の間の空き地には、わら小屋が所狭しと建ち並び、難民村ができている。我が家と同じ光景だ。うちの庭には、もはや草一本生えていない。美しかった生垣もあっという間にふみつぶされ、見る影もなくなった。なにしろ大人数だ、しかたあるまい。なによりまず生きることが先決なのだ!
昨夜、またしても日本兵の乱暴が相次いだ。スマイスが書きとめ、いつものように抗議書として日本大使館に提出した。
我々がひそかに恐れていたことがついに起こった。中国の爆撃機がやってきたのだ。といったからといって、決して友人としてではない。敵としてだ!かつての日本軍のように、時間通りに爆弾を落としていく。だが、今までのところ、幸いなことにたいていは同じ場所、つまり南の飛行場かその近くに限られている。日本の防空部隊が姿を現したが、人数も少なく、いとも手薄だった。
空襲がこのまま安全区の外にとどまるかどうかは、あとになってみないとわからない。だが、そうであってほしい。さもないと、今までよりもっと悲惨なことになるかもしれないのだ。今の安全区の込み具合ときたら、日中は上海よりすごい。そんなところに一発爆弾が落ちたが最後、ものすごい数の人命が失われるのだ。そう思っただけでもぞっとする。
「南京事件の日々」(ヴォートリン著:大月書店)より
1月2日 日曜日
小春日和。家を消失したり、夜具を盗まれた人たちにとっては何よりの恵だ。
午前、粥の配給中に、年配の日本人女性3人が車で乗りつけた。国防婦人会の代表者たちだった。彼女たちは何も言わなかったが、興味深そうに眺めていた。日本語を話せたら、ここの避難民たちがこうむっている苦難の一端を説明できるのに、と残念でならない。
10時、李さんと一緒に鼓楼教会へ行った。それは、実に素晴らしい礼拝だった。・・・・
午後2時、中国軍機5機が南京市上空に飛来し、爆弾数発を投下した。すると、かつて私たちの側に属していた高射砲の砲声がとどろいた。
サールはリリア(1)からの手紙を受け取った。日本の新聞記者が持ってきてくれたものだ。彼女がサールから受け取った最新の手紙は11月14日付けだった。彼女はサールにあてて手紙12通、電報6通を送ったが、彼からの返事は受け取らなかった。今日までのところ、南京城内に入ってくることを許された者は一人もいない。
(1)サール・ベイツの夫人リリアは、戦火の南京から避難して日本の東京の世田谷区上北沢に息子と一緒に住んでいた。
※南京からの情報は日本軍が検閲していて配達されなかったのだろう。特に12月の南京の様子は外部に漏らさないようにした。〔ノブ〕
「Imagine 9」より【合同出版】より
想像してごらん、
おたがいに戦争しないと
約束した世界を。
Imagine,
A world that promises
not to fight wars with each other.
戦争して平和を取り戻すんだという意見があります。
でも、イラクを見てください。ブッシュ大統領はサダム・フセインを倒すといって実行しましたが、平和にすることはできませんでした。戦争が起きると、もっと多くの人が犠牲になるだけなのです。暴力や武力では平和はつくれないことを、今のイラクは証明しています。(ケニア/男性)
第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
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