731からフクシマまで!!

731を問う!!

2020年2月21日金曜日

細菌戦の系譜!!


731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
『ヒロアカ』騒動で集英社がお詫び (731部隊の新資料)
ビザ発給拒否裁判 1審不当判決
情報公開裁判「化学学校記事」「衛生学校記事」
小林開さん 映画「ひろしま」を語る!!
核なき世界へ 映画「ひろしま」
ABC企画委員会パネル展2019中野
南方軍防疫給水部の記録を探し求めて(リム・シャオピンさん)
小津安二郎と宮柊二と毒ガス戦
天皇制廃止に向けての第一歩:雲上人を人間化する運動を
京都大学に対する第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求める活動
平沢正欣論文を検証する(人体実験は行われたか?)
武蔵村山の国立感染症研究所問題!!
731部隊・100部隊展




731部隊の行なった細菌戦


日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題





日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?
地球の温暖化や異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!
●『二酸化炭素温暖化説の崩壊』広瀬隆(集英社新書)
奇々怪々の現代

科学が明らかにした地球の気温変化
1999年のラニーニャでは、ハリケーンなど異常気象が発生した。ラニーニャは夏に猛暑を、冬には厳寒をもたらす。2007年8月の夏には、ラニーニャが発生したため、埼玉県熊谷市と岐阜県多治見市の2か所で40.9℃を観測し、国内最高気温を74年ぶりに塗り替えるなど、異例の猛暑となった。つまり二酸化炭素の増加は、これらの異常気象に無関係なのである。と言うのは、エルニーニョやラニーニャは、古く19世紀から人類が気づいていた異常気象である。一方、日本の高温記録も、1933年に山形市で40.8℃、その前の1927年に愛媛県の宇和島で40.2℃を記録しており、近年の記録を見ただけでは、過去の異常気温の説明がつかない。


●核実験(ウキペディアより)
若くして白血病で亡くなった有名女優、有名歌手、また五輪候選手だったスイマーが白血病になったのは、放射能の影響ではないのか?
月の砂漠の犠牲者 夏目雅子と本田美奈子

核実験(かくじっけん,英語:Nuclear weapons testing)とは、核爆弾の新たな開発や性能維持を確認したり、維持技術を確立したりするために、実験的に核爆弾を爆発させることを指す。1945年から約半世紀の間に2379回(その内大気圏内は502回)の核実験が各国で行われた。そのエネルギーはTNT換算で530メガトン(大気圏内は440メガトン)でこれは広島へ投下されたリトルボーイの3万5千発以上に相当する。

歴史上重要な核実験
歴史的重要度の高い核爆発・核実験
年月日 名称(実験名) 核出力 (kt) 実施国 重要性
1974年5月18日 微笑むブッダ 12  インド インドによる初の核分裂爆発実験
1998年5月11日 シャクティ I 43  インド インドによる初の潜在核融合増幅兵器実験(正確な核出力は25 kt〜45 ktの間で議論されている)
1998年5月11日 シャクティ II 12  インド インドによる初の原子爆弾実験
1998年5月28日 チャガイ-I 9-12?  パキスタン パキスタンによる初の原子爆弾実験
2006年10月9日 北朝鮮の核実験 (2006年) 1.5-15?  北朝鮮 北朝鮮による初の原子爆弾実験

水素爆弾の恐怖・ビキニ環礁 (アメリカ)


「北朝鮮の核実験の威力」と「史上最強の核兵器"ツァーリ・ボンバ"の破壊力」【核兵器】



●核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について


●原発・化石燃料発電→再生可能エネルギー発電の増加
【金子勝の言いたい放題】NO5 世界は電力タダの時代に エネ転が拓く経済転換(飯田哲也さんと) 20191230



核兵器、生物兵器、化学兵器廃絶!! 戦力不保持!!安倍政権打倒!!
どこの研究所で新型コロナウィルスが誕生したのだろうか??
●ニュース
戦争責任を取らぬまま、そのまま在位した昭和天皇、その後の天皇も日本の侵略戦争の謝罪をしていない!!
どこの研究所がこんなウィルスを開発したのか??それとも日本軍が遺棄した生物兵器が影響しているのだろうか?
731部隊が建物を爆破して日本に逃走した後、その近くの村でペストが流行した。100部隊の逃走した時は、鼻疽菌などに汚染された馬を放ってきた。
中国各地に日本軍の細菌戦研究所が存在したのだから、その施設が遺棄した生物兵器はその後どうなっているのか?
中国の細菌戦被害地では、今でも毎年鼠を捕獲してペストの検疫を行っている。日本軍の遺棄した生物兵器がその後も生きていて、いま中国で広がっている新型コロナウィルスや豚熱に影響はしていないのだろうか?遺棄毒ガス弾が多くの中国人を苦しめているように。
6道県で新たに8人の感染確認 新型コロナウイルス

新型肺炎対策なし 立憲民主など野党が予算案組み替え動議提出へ

「私」のために「公権力」を行使する安倍総理<小川淳也氏>

肺炎で航空会社損失3兆円 業界試算、アジア直撃

「検察人事介入」深まる対立 政府答弁変転、野党が攻勢

玉城デニー沖縄県知事、“2.5兆円工事”や多発する米軍の犯罪への「強い憤り」語る

「桜を見る会」資料提出も名簿なし


「医師として働く場なくなる」 医学部2教授が講師にパワハラ 那覇地裁、大学に賠償命令




大竹まことゴールデンラジオ#金子勝 (文化放送 2020-02-14)



日本政府・自衛隊は情報を公開せよ!!(情報開示!!)
今年も8月12日がくる──。33年前 520人が犠牲になった日航機墜落、遺物の化学分析で判明した事実とは?

中曽根元総理が知る日航機墜落事故の真実とは?墓場まで発言の真意を調査!

ここの研究所は、どんなことをやっているのだろうか??
国立感染症研究所村山庁舎(武蔵村山)

●なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より
・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。
封印された原爆報告書



水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した!!
ビキニ「死の灰」世界各地へ



JCOの臨界事故


福島第1原発事故


核兵器廃絶

徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!

「731部隊・100部隊・毒ガス戦」パネル展 2019年4月29日~5月3日
「日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか 」 田中利幸さん
日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病



731部隊(unit731)


昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!



●パネル展「日中戦争―その実相に迫る!」感想(2020年2月8日~13日)

1. 写真7、印象的。100部隊、知りませんでした。広く知らせなくてはならないですね。(男、60、市内,新聞折り込み)


●映画「ひろしま」アンケート(1月13日 横浜)
( )は性別・年代・住まい・情報
25、感想を述べるのが難しい。ドキュメンタリーなのかドラマなのか、被爆しての直後は映画で表すような状況だったろうと思いを巡らせながら見ました。映画の後の講演で内容の理解を深めることができた。又、長年にわたり歴史を残し伝える活動を続けられてことに敬意を表したい。
(男性・70代・大和市・ウェブ)


●【真相】(unit731)
石井細菌戦部隊―極秘任務を遂行した隊員たちの証言
郡司陽子編(1982年11月30日初刷:徳間書店)


Ⅱ 中支・寧波(ニンポー)細菌戦出動始末
-元千葉班・工務班 H・F

いつもとは違う「出張」命令
こうして、私もまた、2、3回安達に行くうちに、冷静に任務を遂行できるようになっていったのである。
 話を冒頭に戻そう。
「明晩2130に部隊正門前に集合せよ」という命令を受けた時、私は、いつもの安達「出張」だと思った。ところが、いつもと少し様子が違う。
 工務班から、私1人だけが行くと言うのだ。ふつう、工務班の場合、野外での設営の規模に応じて、人員や道具を用意せねばならない。そのことを下士官にただすと、1個中隊規模の宿泊地を1週間ほどで建設するのだ、という。






●日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より

第10章 残酷な人体実験毒ガス実験

科学に対する冒涜
実験の結果については、以下のような記載がある。
1「ちゃ1号」(青酸ガス)について
「4~5分内に人を昏睡状態にすることができる。野鼠と人とは情況が等しいため、野鼠を携帯(して実験を実施)すればよい。
95式(ちゃ瓶)を用いれば、5分以内に功を奏する。事前に運動をさせておけば、さらに効果がよい」
2 糜爛性ガス(イペリット、ルイサイト)の漂白粉による消毒について
 「毒ガスを吸った後30分以内に処理しなければ効果がない。じかに皮膚に対して消毒すると、皮膚に火傷のような結果が現われ、乾いた布で拭いても効果がない」






●証言 人体実験(731部隊とその周辺)
中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳

松本英雄供述書(1954年10月23日)

種村文三供述書(1954年8月31日)
答:黒川は以前私と同じ部隊に所属しており、顔見知りだった。私はその時、本名の白川を黒川に変えているのは特殊任務のために違いないと思った。会った時、黒川はすぐ私の名前を呼んだが、特殊任務をついているのだから私と話をするとまずいのではないか、とたずねると、彼は「フム」といっただけだった。それ以上何も話さずに別れた。





●『人間の価値』
―1918年から1945年までのドイツ医学
Ch.ブロス/G.アリ編
林 功三訳

■訳者あとがき(1992年11月 林功三)
非ナチ化と「反ファシズム・民主主義」を国是にした東ドイツが、その理想主義的確信を国家への忠誠へすり替えて、抑圧の道具にしていまい、同伴者だった階層、市民の個人的戦争責任を問題にせず、人種的反ユダヤ主義もファシズムのたんなる付随現象にしてしまい、結局ナチズム理解を不十分なものにしてしまった過程を同時に見ていくと、『人間の価値』の示している「過去の克服」の歴史的意義は一層はっきりする。
 ささやかな書物にすぎないが、この書物はドイツと同じように戦争責任を抱える日本人のわたしたちにとって示唆するものが大きい、とわたしは信じている。
1992年11月   林功三


昨年2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)



●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作ってもいいのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!
日本の毒ガス

沖縄・南西諸島が軍事要塞化している現実はおかしくないか??
「琉球処分」から140 今の沖縄を考える

●「衛生学校記事」とはどんなものだろうか?
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?


次回『衛生学校記事』情報公開裁判
4月23日14:00~東京地裁419号法廷

”桜を見る会”や”森友””防衛省の日報”等で公文書の廃棄や改ざん、隠蔽などが問題になっているかが、『衛生学校記事』・『化学学校記事』での防衛省の公文書管理は一体どうなっているのだろうか?

4年前には、不要決定簿冊というのがあったという。それには、廃棄するものには、2重線が引かれていて、不要決定という印が押されていた。ところが今回閲覧した図書原簿には、2重線だけしかなかった。
これで『衛生学校記事』というのが本当に廃棄されたのかどうか??4年に間にシステムが変わったのか?

第4代衛生学校長だった金原節三が亡くなってから、遺族が、当時の防衛庁に寄贈した金原節三資料の中に13点の『衛生学校記事』が含まれている。それがいまだに未開示であり、その行方が防衛省は分からないという。
1995年に防衛研究所が衛生学校から金原資料の全部を移管したようだ。1996には、その資料の中で価値の高いものを、防衛研究所に残して、あとは衛生学校に戻したようだ。
『金原文庫』はいつまで、衛生学校の彰古館に設置されていたのであろうか?その中に果たして『衛生学校記事』があったのか?また、金原資料はキチンと整理をされていたのだろうか?金原資料の中には『特殊武器衛生』というものもある。毒ガスや生物兵器を指すのだろうか?

次回の裁判では、その移管作業に関わった5人の方々の陳述が出るのかどうかが焦点になる。


※彰古館には、自衛隊関係の資料も保管している!!
『軍事史研究』2010年9月
軍事史関係史料館探訪(56)
陸上自衛隊衛生学校 医学情報史料室 彰古館
喜多義人
収蔵品の多くは、旧陸軍軍医学校由来の品々と医学文献であり、『大東亜戦争陸軍衛生史』編纂の際に寄贈された史料も所蔵されている。また、衛生学校にかつて開設されていた同校戦史室が収集した戦史史料、戦後の警察予備隊から保安隊を経て陸上自衛隊に至る草創期の衛生科部隊の行動史、研究報告なども含まれている。


●「化学学校記事」情報公開裁判
次回 2020年6月3日(水)11:30~ 東京地裁522号廷
防衛省は、化学学校記事16号の存在を今回初めて認めた。まだ公開していない『化学学校記事』がたくさんあるはずだ。果たして自衛隊は、どんなことをしているのかその全貌を明らかにすべきだ。戦力を保持しないという憲法に本当に抵触していないかを明らかにすべきだ。
1977年発行の化学学校発行の『20年のあゆみ』について、防衛省はマスキングに時間がかかるため、2か月後の提出は難しいかも知れないと述べた。
『20年のあゆみは』は1970年代だから、沖縄での、毒ガス漏洩事件や本土の相模原補給廠での毒ガスの問題がある中、毒ガスや核兵器に関する研究の記述もあるのだろう。それらをマスキングして公開しないというのは、日本の情報公開がいかに遅れているかと象徴している。
、佐藤内閣時代に実際に核兵器を持とうとしていたのだから、自衛隊ではどんなことが研究をしているかを、国民に広く知らせるべきである。ましてや日本は、広島、長崎、ビキニ、福一で甚大な被曝をしている国なのだから。



1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊


第4代衛生学校長
『衛生学校記事』を発刊したときの、衛生学校長金原節三とはどんな人物なのだろうか?
金原節三(1901~1976)
陸軍省医事課長時代(1941.11~43.8)に731部隊から報告を受けていた。「陸軍省業務日誌摘録」
厚生省東海北陸医務出張所から衛生学校へ 1955.8.1

金原節三と細菌戦
金原の略歴を見ると、昭和16年11月に陸軍省医務局医事課長になっていて、17年に8月に軍医大佐になっている。
細菌戦資料センターの会報には、次のような記載がある。「陸軍省医務局医事課長だった金原節三元軍医大佐が、1955年に陸上自衛隊に入隊した。細菌戦部隊を指導していたのは、陸軍参謀本部、陸軍省医務局衛生課そして陸軍省医務局医事課である。金原は、「金原業務日誌摘録」に細菌戦部隊からの報告を記録している。


金原節三と武見太郎
金原と戦後日本医師会会長になり、医師会、薬剤師会、歯科医師会に大きな影響を及ぼした武見太郎は、軍隊内の先輩・後輩関係にあった。『金原節三資料目録』(陸上自衛隊衛生学校)の巻頭言は、日本医師会長武見太郎が書いている。

『BC兵器』 久保綾三著(1969年)より


Ⅱ 自衛隊と生物・化学兵器―その思想と作戦

3 自衛隊における人体実験の疑念

“人道的兵器”は存在するか
後に詳しく触れるように早くから細菌戦提唱者として知られていた故石井四郎軍医中将のもとに731部隊が編成されて、ペスト、コレラ、チフス、ジフテリア、結核、ガス壊疽、破傷風、馬鼻疽菌などの病原細菌の利用と予防の研究や実験を中心とした細菌戦の研究が行なわれ、その技術がそのまま朝鮮戦争の際にアメリカ軍によって継承され、実戦に使用され、一方では、帝銀事件が731部隊の関係者による犯行で会ったという、捜査当局者のレポートも出ている。


第5代衛生学校長
井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身
1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】
第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任(『大東亜戦争陸軍衛生史』を編纂するため、膨大な旧軍資料を集め、又戦後に日本独自の細菌戦部隊の復活させようとしたことが原因か??)になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を解任され、その後を井上が引き継いだ。
井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。
又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。
南方軍防疫給水部(岡9420部隊)





イタイイタイ病を究明した男 萩野昇

驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く

水俣病問題

小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去

小泉親彦と宮川米次の絆

ヒロシマからフクシマへ

宮川正

「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—

ビキニ「死の灰」世界各地へ

自衛隊とサリン

相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場

日本の国家機密

兒嶋俊郎さんを偲ぶ



●昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!!
天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より
重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。


●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)吉田裕監修 2001年ピュリッツァー賞受賞

※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!



第11章 真珠湾への道


次のような全般的な作戦の説明は、注目に値する。「本奇襲作戯〔真珠湾攻撃〕は桶間の戦にも比すべき極めて大胆なる作戦で御座いまして其の成否は固より戦運に依り左右せらるること大で御座いますが、奇襲当日敵鑑隊が在泊して居ります限り戦艦及航空母艦各二、三隻を撃沈致しますことは可能と存じます」。
 陸海統帥部の総長ならびに企画院総裁鈴木貞一は、統計的な証明を日本戦史からひいたたとえ話に巧みに結びつけて説明を行った。こうすることで持久戦については、たとえそれに備えた現実的な計画がなくても、持久戦を遂行できるだけではなく、満足のゆく形で戦争に決着をつけることができると、天皇を納得させることができたのであろう。


小泉親彦と昭和天皇

近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~

近代天皇制の真髄は

福沢諭吉

神武と戦争




憲法9条を生かそう!!

















2020年2月20日木曜日

細菌戦の系譜!!


731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
『ヒロアカ』騒動で集英社がお詫び (731部隊の新資料)
ビザ発給拒否裁判 1審不当判決
情報公開裁判「化学学校記事」「衛生学校記事」
小林開さん 映画「ひろしま」を語る!!
核なき世界へ 映画「ひろしま」
ABC企画委員会パネル展2019中野
南方軍防疫給水部の記録を探し求めて(リム・シャオピンさん)
小津安二郎と宮柊二と毒ガス戦
天皇制廃止に向けての第一歩:雲上人を人間化する運動を
京都大学に対する第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求める活動
平沢正欣論文を検証する(人体実験は行われたか?)
武蔵村山の国立感染症研究所問題!!
731部隊・100部隊展




731部隊の行なった細菌戦


日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題


「船内はものすごく悲惨な状態」クルーズ船立ち入りの医師、ネット動画が波紋




日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?
地球の温暖化や異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!
●『二酸化炭素温暖化説の崩壊』広瀬隆(集英社新書)
奇々怪々の現代

科学が明らかにした地球の気温変化
インドネシアでは干ばつが続き、山火事が相次いだため、煙によって飛行機の運行や都市生活に支障が出た。1998年夏は中国や韓国で記録的な大雨となり、中国の大洪水では2億人以上が被災し、多くの犠牲者を出した。日本では集中豪雨が続き、死者・行方不明者は20人を超えた。
 ラニーニャは逆に、同じ太平洋海域の海水温が低下する現象で、太平洋赤道海域を吹く東風の貿易風が強まり、暖かい海水が西に吹き寄せられるため、東側のペルー沖で水温が下がる。大気の対流活動が活発な海域が変るため、異常気象をもたらす。

●核実験(ウキペディアより)
若くして白血病で亡くなった有名女優、有名歌手、また五輪候選手だったスイマーが白血病になったのは、放射能の影響ではないのか?
月の砂漠の犠牲者 夏目雅子と本田美奈子

核実験(かくじっけん,英語:Nuclear weapons testing)とは、核爆弾の新たな開発や性能維持を確認したり、維持技術を確立したりするために、実験的に核爆弾を爆発させることを指す。1945年から約半世紀の間に2379回(その内大気圏内は502回)の核実験が各国で行われた。そのエネルギーはTNT換算で530メガトン(大気圏内は440メガトン)でこれは広島へ投下されたリトルボーイの3万5千発以上に相当する。

歴史上重要な核実験
歴史的重要度の高い核爆発・核実験
年月日 名称(実験名) 核出力 (kt) 実施国 重要性
1955年11月22日 RDS-37 1,600  ソビエト連邦 水爆(ソビエト連邦による初の多段階、実用兵器)
1957年11月8日 グラップル X 1,800  イギリス 水爆(イギリスによる初めて成功した多段階)
1960年2月13日 ジェルボアーズ・ブルー 70  フランス フランスによる初の原子爆弾
1961年10月31日 ツァーリ・ボンバ 50,000  ソビエト連邦 人類史上最大の水爆実験
1964年10月16日 596 22  中国 中国による初の原子爆弾実験
1967年6月17日 実験 No. 6 3,300  中国 中国による初の水爆実験
1968年8月24日 カノープス 2,600  フランス フランスによる初の水爆実験
水素爆弾の恐怖・ビキニ環礁 (アメリカ)


「北朝鮮の核実験の威力」と「史上最強の核兵器"ツァーリ・ボンバ"の破壊力」【核兵器】



●核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について


●原発・化石燃料発電→再生可能エネルギー発電の増加
【金子勝の言いたい放題】NO5 世界は電力タダの時代に エネ転が拓く経済転換(飯田哲也さんと) 20191230



核兵器、生物兵器、化学兵器廃絶!! 戦力不保持!!安倍政権打倒!!
どこの研究所で新型コロナウィルスが誕生したのだろうか??
●ニュース
戦争責任を取らぬまま、そのまま在位した昭和天皇、その後の天皇も日本の侵略戦争の謝罪をしていない!!
どこの研究所がこんなウィルスを開発したのか??それとも日本軍が遺棄した生物兵器が影響しているのだろうか?
731部隊が建物を爆破して日本に逃走した後、その近くの村でペストが流行した。100部隊の逃走した時は、鼻疽菌などに汚染された馬を放ってきた。
中国各地に日本軍の細菌戦研究所が存在したのだから、その施設が遺棄した生物兵器はその後どうなっているのか?
中国の細菌戦被害地では、今でも毎年鼠を捕獲してペストの検疫を行っている。日本軍の遺棄した生物兵器がその後も生きていて、いま中国で広がっている新型コロナウィルスや豚熱に影響はしていないのだろうか?遺棄毒ガス弾が多くの中国人を苦しめているように。
感染症専門家・岩田教授をクルーズ船から追い出したのは、橋本岳・厚労副大臣だった! ずさんな体制による船内感染拡大を隠蔽

日常生活復帰に不安の声 政府の下船者対応、各国と差 新型肺炎

新型肺炎 職員・家族「差別的扱い」 相模原、看護師感染の病院


新たに5都道県で9人感染…相模原は院内感染の疑い強まる

非難が噴出…「定年延長」東京高検検事長は官邸の期待を裏切れるのか

検事長定年延長、人事院が答弁修正 安倍首相答弁との「つじつま合わせ」か


“桜”前日夕食会 首相の答弁“虚偽では”

加計学園・獣医学部 愛媛県知事、「四国枠合格者ゼロ」にチクリ 補助金は計上

「青汁王子」突然現る、実刑籠池氏の保釈金支援宣言


大竹まことゴールデンラジオ#金子勝 (文化放送 2020-02-14)



日本政府・自衛隊は情報を公開せよ!!(情報開示!!)
今年も8月12日がくる──。33年前 520人が犠牲になった日航機墜落、遺物の化学分析で判明した事実とは?

中曽根元総理が知る日航機墜落事故の真実とは?墓場まで発言の真意を調査!

ここの研究所は、どんなことをやっているのだろうか??
国立感染症研究所村山庁舎(武蔵村山)

●なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より
・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。
封印された原爆報告書



水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した!!
ビキニ「死の灰」世界各地へ



JCOの臨界事故


福島第1原発事故


核兵器廃絶

徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!

「731部隊・100部隊・毒ガス戦」パネル展 2019年4月29日~5月3日
「日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか 」 田中利幸さん
日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病



731部隊(unit731)


昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!



●パネル展「日中戦争―その実相に迫る!」感想(2020年2月8日~13日)

2/8(土)感想文に先立って、この会に手紙が届いていたので紹介します。
手紙:村瀬さんの写真展を開いていただき、ありがとうございます。
   私は村瀬さんが経営していた埼玉県川越市の共同パンという会社1951年から2年近く働いたものです。
   村瀬さんの会社の外での活動は、いろいろの方から語られていますが、会社内ではどうだったのか、ひと言加えさせていただき
   ます。
   共同パンはほとんど10代20代の若者50名位の会社で、それは明るい、楽しい職場でした。
   給料が良かった。私は16歳からパン屋の小僧として働き、住み込み生活で横浜東京等転々としてきたのですが、他と比べ約2倍で
   した。
   村瀬さんが指導してきたのか、従業員は労働組合として組織され団体交渉なども行ってきました。
   市内に売店が40軒ぐらいあったのですが村瀬さんは売店組合として組織しました。
   まだ当時苦しかった前進座が川越に来た時は座員を社内に泊まらせたり宣伝に車を出しました。
   村瀬さんが亡くなった時、葬儀会場に前進座の大きな旗が立っていました。
   村瀬さんの中国での写真を私は当時見ませんでしたが、公表したとき、右翼がうるさく攻撃してきたと奥さんはのべておられまし
   た。(男性)


●映画「ひろしま」アンケート(1月13日 横浜)
( )は性別・年代・住まい・情報
24、若い人にももっと見てもらいたいが、なかなか難しい。老人は金を出し、席を埋めることだけでもすればよい。
(男性・70代・藤沢市・チラシ・東京新聞)


●【真相】(unit731)
石井細菌戦部隊―極秘任務を遂行した隊員たちの証言
郡司陽子編(1982年11月30日初刷:徳間書店)


Ⅱ 中支・寧波(ニンポー)細菌戦出動始末
-元千葉班・工務班 H・F

いつもとは違う「出張」命令
実験直後の現場は、ひどいものだった。細菌爆弾の場合は、直ちに効果があるわけではなかったが、爆弾の場合は、「丸太」は文字通り飛ばされ、四散していた。私は、最初のおり、1週間、食事がのどを通らなかったのを覚えている。
 何故こんなことを―という疑問は、わかなかった。部隊での教育で、「『丸太』は人間と思うな」とか「細菌戦の重要性」を叩き込まれていたからである。
 後に残った理屈を越えた感情の痛みも、行動を共にしている軍医や他の隊員たちの冷静な態度を見ているうちに、「恥ずべきもの」として、自分で圧し殺していったように思う。






●日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より

第10章 残酷な人体実験毒ガス実験

科学に対する冒涜
例えば、陸軍科学研究所近藤軍医中佐の署名で1939年4月21日に書かれた「満洲において行なった特殊実験に関する報告」の中に、陸軍科学研究所と関東軍技術部化学兵器班(すなわち後の516部隊)が行なったイペリット、ルイサイト、ホスゲン、青酸ガスなどの致死性毒ガス、くしゃみ・催涙性毒ガスに関する人体実験についての叙述がある。







●証言 人体実験(731部隊とその周辺)
中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳

松本英雄供述書(1954年10月23日)

種村文三供述書(1954年8月31日)
問:石井四郎とはどんな関係で、どんな教育と任務を受けたのか。
答:私と石井四郎は上官と部下の関係だった。1933年12月にハルピンではじめて会ったが、石井はそのとき既にハルピンの南約40㎞の所に細菌研究所を作っていた。会った時石井は日本から来たばかりで、歩兵軍服に着替え、東郷少佐と名前を変えていた。その時石井と一緒だった白川初太郎軍医は歩兵大尉の軍服を着て、黒川と名前を変えており、2人は鉄道連防第1大隊の装甲列車に乗ってハルピンに来ていた。





●『人間の価値』
―1918年から1945年までのドイツ医学
Ch.ブロス/G.アリ編
林 功三訳

■訳者あとがき(1992年11月 林功三)
しかし、ドイツでも「過去の克服」がはじめからすんなりおこなわれてきたわけでは決してない。医学界でその歩みの困難であったことが本書にもうかがわれる。ここでは、ドイツの「過去の克服」の歩みを詳しく論じるわけにはいかないので、暗示にとどめたい。
 45年以降西ドイツでは中途半端な「非ナチ化」しかおこなわれなかった。
「沈黙の50年代」と反共の冷戦時代に、反ファシズムは抽象的なものにすぎなかった。しかし、その後、学生と若者の反乱の時期から西ドイツのナチズム理解は次第に大きく変わっている。民主主義が成熟し、社会も大きく変わった60年代後半と70年代に、さらに80年代に入ると、「過去の克服」がいっそう徹底し、一部の戦争犯罪人の追及だけでなくナチズムに同意した学者、医者、さまざまな市民組織、個人の責任が問われるようになった。思想的にも、歴史研究においても、市民的世論のレベルでもそうである。ドイツでは―反動的な勢力も強いが―ナチズムの歴史に対する正しい認識と反省が着実におこなわれていること、もう決して後戻りさせられないものになっていることがわかる。そのすぐれた例のひとつがこの『人間の価値』であろう。


昨年2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)



●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作ってもいいのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!
日本の毒ガス

沖縄・南西諸島が軍事要塞化している現実はおかしくないか??
「琉球処分」から140 今の沖縄を考える

●「衛生学校記事」とはどんなものだろうか?
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?


次回『衛生学校記事』情報公開裁判
4月23日14:00~東京地裁419号法廷

”桜を見る会”や”森友””防衛省の日報”等で公文書の廃棄や改ざん、隠蔽などが問題になっているかが、『衛生学校記事』・『化学学校記事』での防衛省の公文書管理は一体どうなっているのだろうか?

4年前には、不要決定簿冊というのがあったという。それには、廃棄するものには、2重線が引かれていて、不要決定という印が押されていた。ところが今回閲覧した図書原簿には、2重線だけしかなかった。
これで『衛生学校記事』というのが本当に廃棄されたのかどうか??4年に間にシステムが変わったのか?

第4代衛生学校長だった金原節三が亡くなってから、遺族が、当時の防衛庁に寄贈した金原節三資料の中に13点の『衛生学校記事』が含まれている。それがいまだに未開示であり、その行方が防衛省は分からないという。
1995年に防衛研究所が衛生学校から金原資料の全部を移管したようだ。1996には、その資料の中で価値の高いものを、防衛研究所に残して、あとは衛生学校に戻したようだ。
『金原文庫』はいつまで、衛生学校の彰古館に設置されていたのであろうか?その中に果たして『衛生学校記事』があったのか?また、金原資料はキチンと整理をされていたのだろうか?金原資料の中には『特殊武器衛生』というものもある。毒ガスや生物兵器を指すのだろうか?

次回の裁判では、その移管作業に関わった5人の方々の陳述が出るのかどうかが焦点になる。


※彰古館には、自衛隊関係の資料も保管している!!
『軍事史研究』2010年9月
軍事史関係史料館探訪(56)
陸上自衛隊衛生学校 医学情報史料室 彰古館
喜多義人
収蔵品の多くは、旧陸軍軍医学校由来の品々と医学文献であり、『大東亜戦争陸軍衛生史』編纂の際に寄贈された史料も所蔵されている。また、衛生学校にかつて開設されていた同校戦史室が収集した戦史史料、戦後の警察予備隊から保安隊を経て陸上自衛隊に至る草創期の衛生科部隊の行動史、研究報告なども含まれている。


●「化学学校記事」情報公開裁判
次回 2020年6月3日(水)11:30~ 東京地裁522号廷
防衛省は、化学学校記事16号の存在を今回初めて認めた。まだ公開していない『化学学校記事』がたくさんあるはずだ。果たして自衛隊は、どんなことをしているのかその全貌を明らかにすべきだ。戦力を保持しないという憲法に本当に抵触していないかを明らかにすべきだ。
1977年発行の化学学校発行の『20年のあゆみ』について、防衛省はマスキングに時間がかかるため、2か月後の提出は難しいかも知れないと述べた。
『20年のあゆみは』は1970年代だから、沖縄での、毒ガス漏洩事件や本土の相模原補給廠での毒ガスの問題がある中、毒ガスや核兵器に関する研究の記述もあるのだろう。それらをマスキングして公開しないというのは、日本の情報公開がいかに遅れているかと象徴している。
、佐藤内閣時代に実際に核兵器を持とうとしていたのだから、自衛隊ではどんなことが研究をしているかを、国民に広く知らせるべきである。ましてや日本は、広島、長崎、ビキニ、福一で甚大な被曝をしている国なのだから。



1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊


第4代衛生学校長
『衛生学校記事』を発刊したときの、衛生学校長金原節三とはどんな人物なのだろうか?
金原節三(1901~1976)
陸軍省医事課長時代(1941.11~43.8)に731部隊から報告を受けていた。「陸軍省業務日誌摘録」
厚生省東海北陸医務出張所から衛生学校へ 1955.8.1

金原節三と細菌戦
金原の略歴を見ると、昭和16年11月に陸軍省医務局医事課長になっていて、17年に8月に軍医大佐になっている。
細菌戦資料センターの会報には、次のような記載がある。「陸軍省医務局医事課長だった金原節三元軍医大佐が、1955年に陸上自衛隊に入隊した。細菌戦部隊を指導していたのは、陸軍参謀本部、陸軍省医務局衛生課そして陸軍省医務局医事課である。金原は、「金原業務日誌摘録」に細菌戦部隊からの報告を記録している。


金原節三と武見太郎
金原と戦後日本医師会会長になり、医師会、薬剤師会、歯科医師会に大きな影響を及ぼした武見太郎は、軍隊内の先輩・後輩関係にあった。『金原節三資料目録』(陸上自衛隊衛生学校)の巻頭言は、日本医師会長武見太郎が書いている。

『BC兵器』 久保綾三著(1969年)より


Ⅱ 自衛隊と生物・化学兵器―その思想と作戦

2、研究開発と自衛官の入学拒否

大学問題に頭を抱える

“自前装備”を目指す自衛隊にしてみれば、何よりも一番痛いところであり、この問題の解決にはこれといった名案も浮かばず弱り果てている。
 自衛隊の医官不足の現状と、3次防の中の研究員増員計画は別表の通りである。


第5代衛生学校長
井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身
1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】
第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任(『大東亜戦争陸軍衛生史』を編纂するため、膨大な旧軍資料を集め、又戦後に日本独自の細菌戦部隊の復活させようとしたことが原因か??)になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を解任され、その後を井上が引き継いだ。
井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。
又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。
南方軍防疫給水部(岡9420部隊)





イタイイタイ病を究明した男 萩野昇

驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く

水俣病問題

小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去

小泉親彦と宮川米次の絆

ヒロシマからフクシマへ

宮川正

「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—

ビキニ「死の灰」世界各地へ

自衛隊とサリン

相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場

日本の国家機密

兒嶋俊郎さんを偲ぶ



●昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!!
天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より
重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。


●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)吉田裕監修 2001年ピュリッツァー賞受賞

※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!



第11章 真珠湾への道


11月8日、昭和天皇は真珠湾攻撃作戦について詳細な報告を受けていた。15日には戦争計画の全容と詳細について報告を受けた。 最終的に完成された計画の唯一にしてもっとも重要な特徴とは、第一段階である南太平洋における海上攻勢が完了すれば、持久戦に必要な自給自足経済を守る 「難攻不落」の軍事体制が確立するという仮説にあった。これを別としても、長期持久戦の段階における戦争指導については、なんら長期的、具体的計画が存在していなかった。攻勢段階については、陸軍と海軍が別個の戦略と目標を考えていた。開戦決定にいたる政策形成のロセスは、状況対応的な思考により覆われていた。そのため、予測しなかった状況が戦略を決めてしまうこととなった。攻勢の展開をどこで、いつ終わらせるのかも明記されていなかった。このように歴然とした欠陥があるにもかかわらず、大元帥昭和天皇はこれを裁可した。のちに、太平洋における守勢作戦体制への移行が致命的に遅れるお膳立てができたのである。

小泉親彦と昭和天皇

近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~

近代天皇制の真髄は

福沢諭吉

神武と戦争




憲法9条を生かそう!!

















2020年2月19日水曜日

細菌戦の系譜!!


731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
『ヒロアカ』騒動で集英社がお詫び (731部隊の新資料)
ビザ発給拒否裁判 1審不当判決
情報公開裁判「化学学校記事」「衛生学校記事」
小林開さん 映画「ひろしま」を語る!!
核なき世界へ 映画「ひろしま」
ABC企画委員会パネル展2019中野
南方軍防疫給水部の記録を探し求めて(リム・シャオピンさん)
小津安二郎と宮柊二と毒ガス戦
天皇制廃止に向けての第一歩:雲上人を人間化する運動を
京都大学に対する第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求める活動
平沢正欣論文を検証する(人体実験は行われたか?)
武蔵村山の国立感染症研究所問題!!
731部隊・100部隊展




ビザ発給拒否裁判 1審不当判決


安倍政権の歴史改ざん政策(中国人ビザ発給拒否裁判)


731部隊の行なった細菌戦




日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?
地球の温暖化や異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!
●『二酸化炭素温暖化説の崩壊』広瀬隆(集英社新書)
奇々怪々の現代

科学が明らかにした地球の気温変化
1993年には、エルニーニョのため日本は暖冬で、1~3月の真冬日が一日しかなかった。そして夏は低温、日照不足、豪雨に見舞われた。この年には、後に述べる1991年のフィリピンのビナツボ火山の噴火も重なって冷害が続き、岩手県では作況指数30の大凶作を記録し、全国平均のコメの作況指数は戦後最悪の74となり、コメ不足の為、国産米の価格高騰やタイ米の緊急輸入などで大騒動を引き起こした。1997年春から98年夏にかけては、過去最大規模のエルニーニョが発生し、全世界で数千人が死亡した。


●核実験(ウキペディアより)
若くして白血病で亡くなった有名女優、有名歌手、また五輪候選手だったスイマーが白血病になったのは、放射能の影響ではないのか?
月の砂漠の犠牲者 夏目雅子と本田美奈子

核実験(かくじっけん,英語:Nuclear weapons testing)とは、核爆弾の新たな開発や性能維持を確認したり、維持技術を確立したりするために、実験的に核爆弾を爆発させることを指す。1945年から約半世紀の間に2379回(その内大気圏内は502回)の核実験が各国で行われた。そのエネルギーはTNT換算で530メガトン(大気圏内は440メガトン)でこれは広島へ投下されたリトルボーイの3万5千発以上に相当する。

歴史上重要な核実験
歴史的重要度の高い核爆発・核実験
年月日 名称(実験名) 核出力 (kt) 実施国 重要性
1952年10月3日 ハリケーン         25  イギリス イギリスによる初の原子爆弾
1952年11月1日 アイビー マイク       10,400  アメリカ合衆国 人類史上初の多段階熱核反応兵器実験(非実用兵器)
1953年8月12日 RDS-6(ジョー4)     400  ソビエト連邦 ソビエト連邦による初の水爆(非多段階、実用兵器)
1954年3月1日 キャッスル ブラボー   15,000  アメリカ合衆国 水爆(人類史上初の多段階、実用兵器)、放射性降下物
事故(第五福竜丸が被曝)
水素爆弾の恐怖・ビキニ環礁 (アメリカ)


「北朝鮮の核実験の威力」と「史上最強の核兵器"ツァーリ・ボンバ"の破壊力」【核兵器】



●核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について


●原発・化石燃料発電→再生可能エネルギー発電の増加
【金子勝の言いたい放題】NO5 世界は電力タダの時代に エネ転が拓く経済転換(飯田哲也さんと) 20191230



核兵器、生物兵器、化学兵器廃絶!! 戦力不保持!!安倍政権打倒!!
どこの研究所で新型コロナウィルスが誕生したのだろうか??
●ニュース
戦争責任を取らぬまま、そのまま在位した昭和天皇、その後の天皇も日本の侵略戦争の謝罪をしていない!!
どこの研究所がこんなウィルスを開発したのか??それとも日本軍が遺棄した生物兵器が影響しているのだろうか?
731部隊が建物を爆破して日本に逃走した後、その近くの村でペストが流行した。100部隊の逃走した時は、鼻疽菌などに汚染された馬を放ってきた。
中国各地に日本軍の細菌戦研究所が存在したのだから、その施設が遺棄した生物兵器はその後どうなっているのか?
中国の細菌戦被害地では、今でも毎年鼠を捕獲してペストの検疫を行っている。日本軍の遺棄した生物兵器がその後も生きていて、いま中国で広がっている新型コロナウィルスや豚熱に影響はしていないのだろうか?遺棄毒ガス弾が多くの中国人を苦しめているように。
新型肺炎、中国の死者2千人に 7万4千人超が感染、拡大続く

クルーズ船の感染「予想以上に増えた」 WHO

安倍首相の「桜」答弁に野党反発 ホテル説明と食い違い? 

リニア問題、JRの補償方針批判 志太3市自治会連会長が川勝知事に要望書

「営業の秘密に関わるため」なくても「全体として同じこと」? ANAホテル「回答」めぐり国会紛糾続く

証拠あがってるのに…不正入試認めない聖マリアンナ医科大に批判高まる

森友学園 きょう前理事長らに判決予定 延期の可能性も

大竹まことゴールデンラジオ#金子勝 (文化放送 2020-02-14)



日本政府・自衛隊は情報を公開せよ!!(情報開示!!)
今年も8月12日がくる──。33年前 520人が犠牲になった日航機墜落、遺物の化学分析で判明した事実とは?

中曽根元総理が知る日航機墜落事故の真実とは?墓場まで発言の真意を調査!

ここの研究所は、どんなことをやっているのだろうか??
国立感染症研究所村山庁舎(武蔵村山)

●なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より
・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。
封印された原爆報告書



水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した!!
ビキニ「死の灰」世界各地へ



JCOの臨界事故


福島第1原発事故


核兵器廃絶

徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!

「731部隊・100部隊・毒ガス戦」パネル展 2019年4月29日~5月3日
「日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか 」 田中利幸さん
日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病



731部隊(unit731)


昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!



●横浜「戦争の加害展」感想


2月10日

19.非常に怖い(男性30代市内)

●映画「ひろしま」アンケート(1月13日 横浜)
( )は性別・年代・住まい・情報
23、映画「ひろしま」を見られて本当に良かったです。火災により家の下敷きになった家族を助けられない場面は心が痛みました。阪神淡路大震災でも同じ場面がありましたが、地震は天災、原爆は人災です。戦争がなければ起こらなかったのですから、なおさら心が痛みました。
又、教師が子どもたちの生死を確かめるシーンも本当に悲しかったです。あの場面が実際にあちこちで、家族間でもあったのでしょう。本当に実際にあったつらい場面でした。
大根の種をまいて芽が出た―みんなの希望になったのでしょうね。
私も友人が広島におり、広島米を送ってくれます。また、友人にこの映画をみたことを知らせます。
又、小学校で教育支援をしており、「平和学習コーナー」の掲示板をもらっているので、そこにチラシを掲示し、この映画のことを知らせます。
(女性・70代・市内・朝日新聞)


●【真相】(unit731)
石井細菌戦部隊―極秘任務を遂行した隊員たちの証言
郡司陽子編(1982年11月30日初刷:徳間書店)


Ⅱ 中支・寧波(ニンポー)細菌戦出動始末
-元千葉班・工務班 H・F

いつもとは違う「出張」命令
だだっ広い野原に、2、3の仮小屋が建っているだけの場所に「丸太」を連れて行く。その「丸太」たちを縛り付ける杭や板を、地中に穴を掘って立てていくのが、我々の仕事だった。
定められた中心から、いろいろな距離や角度に立てられた杭に縛り付けられた「丸太」に、様々な実験が試みられた。私が目撃したのは、飛行機による細菌爆弾の投下(これは、我々が防毒衣を着用させられたのでわかった)、それに、地上にセットされた爆弾の威力テストだった。
実験終了後の、資材の完全な回収も、我々の仕事だった。とにかく、実験の痕跡を残してはならなかった。






●日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より

第10章 残酷な人体実験毒ガス実験

科学に対する冒涜
1993年6月、『従軍慰安婦』問題を調査する為、吉見義明、伊香俊哉らの学者が日本の防衛庁防衛研究所図書館で資料を調べ、旧日本陸軍の一部の重要な士官の業務日記を発見した。その中に軍医大佐金原節三の『陸軍省業務日誌摘録』があった。金原節三は1937年8月から日本陸軍省医務局医事課員となり、1941年11月からは医事課長を務めた。合わせて35冊の『日誌』の中に、各種の化学毒剤による人体実験を行ったことに関する重要な資料がある。







●証言 人体実験(731部隊とその周辺)
中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳

松本英雄供述書(1954年10月23日)

種村文三供述書(1954年8月31日)
問:炭疽菌に冒された馬を川に捨てたら下流の人民にどんな悪影響があるか、そのことはわかっていただろう。
答:わかっていた。私は11月になると帰国したので、こうすれば下流の地域ではいたるところで炭疽菌による伝染病が発生するだろうと思ったが、当時調査しなかったので、発生したかどうかわからない。






●『人間の価値』
―1918年から1945年までのドイツ医学
Ch.ブロス/G.アリ編
林 功三訳

■訳者あとがき(1992年11月 林功三)
この展示会と本書をご覧になれば、ドイツでどれほど「過去の克服」がおこなわれているかを理解していただけるだろう。ドイツでは、これと同様、各地で連邦司法省による『司法とナチズム』の展示会(1989年)とカタログの刊行がおこなわれている。本来どこの国でも医師層や司法界などは最も保守的な層である。その層がこのように自分たちの過去を問い、「悲しみと恥を」まともに表明しているのは驚くべきことではないだろうか。しかも個人や個々のグループだけではなく、公的な機関がそこをおこなうまでになっている。現代医療の問題に関しても、このような反省無しには倫理の確立はありえまい。その他にも、ここで紹介することはできないが、歴史研究、ジャーナリズム、教育界など、ドイツではあらゆる分野でナチズムの歴史への反省がおこなわれている。その事例は枚挙にいとまがない。それをみると、わたしたちは目をみはらないではいられない。どうしてこうなのか。なぜドイツでは今までこういう「過去の克服」が可能であったのか、なぜそれが日本ではできないのか。ドイツと比べてわたしたちの社会の歪みは大きい。そのことと「過去の克服」のおこなわれていないこととは無関係でないはずである。


昨年2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)



●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作ってもいいのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!
日本の毒ガス

沖縄・南西諸島が軍事要塞化している現実はおかしくないか??
「琉球処分」から140 今の沖縄を考える

●「衛生学校記事」とはどんなものだろうか?
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?


次回『衛生学校記事』情報公開裁判
4月23日14:00~東京地裁419号法廷

”桜を見る会”や”森友””防衛省の日報”等で公文書の廃棄や改ざん、隠蔽などが問題になっているかが、『衛生学校記事』・『化学学校記事』での防衛省の公文書管理は一体どうなっているのだろうか?

4年前には、不要決定簿冊というのがあったという。それには、廃棄するものには、2重線が引かれていて、不要決定という印が押されていた。ところが今回閲覧した図書原簿には、2重線だけしかなかった。
これで『衛生学校記事』というのが本当に廃棄されたのかどうか??4年に間にシステムが変わったのか?

第4代衛生学校長だった金原節三が亡くなってから、遺族が、当時の防衛庁に寄贈した金原節三資料の中に13点の『衛生学校記事』が含まれている。それがいまだに未開示であり、その行方が防衛省は分からないという。
1995年に防衛研究所が衛生学校から金原資料の全部を移管したようだ。1996には、その資料の中で価値の高いものを、防衛研究所に残して、あとは衛生学校に戻したようだ。
『金原文庫』はいつまで、衛生学校の彰古館に設置されていたのであろうか?その中に果たして『衛生学校記事』があったのか?また、金原資料はキチンと整理をされていたのだろうか?金原資料の中には『特殊武器衛生』というものもある。毒ガスや生物兵器を指すのだろうか?

次回の裁判では、その移管作業に関わった5人の方々の陳述が出るのかどうかが焦点になる。


※彰古館には、自衛隊関係の資料も保管している!!
『軍事史研究』2010年9月
軍事史関係史料館探訪(56)
陸上自衛隊衛生学校 医学情報史料室 彰古館
喜多義人
収蔵品の多くは、旧陸軍軍医学校由来の品々と医学文献であり、『大東亜戦争陸軍衛生史』編纂の際に寄贈された史料も所蔵されている。また、衛生学校にかつて開設されていた同校戦史室が収集した戦史史料、戦後の警察予備隊から保安隊を経て陸上自衛隊に至る草創期の衛生科部隊の行動史、研究報告なども含まれている。


●「化学学校記事」情報公開裁判
次回 2020年6月3日(水)11:30~ 東京地裁522号廷
防衛省は、化学学校記事16号の存在を今回初めて認めた。まだ公開していない『化学学校記事』がたくさんあるはずだ。果たして自衛隊は、どんなことをしているのかその全貌を明らかにすべきだ。戦力を保持しないという憲法に本当に抵触していないかを明らかにすべきだ。
1977年発行の化学学校発行の『20年のあゆみ』について、防衛省はマスキングに時間がかかるため、2か月後の提出は難しいかも知れないと述べた。
『20年のあゆみは』は1970年代だから、沖縄での、毒ガス漏洩事件や本土の相模原補給廠での毒ガスの問題がある中、毒ガスや核兵器に関する研究の記述もあるのだろう。それらをマスキングして公開しないというのは、日本の情報公開がいかに遅れているかと象徴している。
、佐藤内閣時代に実際に核兵器を持とうとしていたのだから、自衛隊ではどんなことが研究をしているかを、国民に広く知らせるべきである。ましてや日本は、広島、長崎、ビキニ、福一で甚大な被曝をしている国なのだから。



1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊


第4代衛生学校長
『衛生学校記事』を発刊したときの、衛生学校長金原節三とはどんな人物なのだろうか?
金原節三(1901~1976)
陸軍省医事課長時代(1941.11~43.8)に731部隊から報告を受けていた。「陸軍省業務日誌摘録」
厚生省東海北陸医務出張所から衛生学校へ 1955.8.1

金原節三と細菌戦
金原の略歴を見ると、昭和16年11月に陸軍省医務局医事課長になっていて、17年に8月に軍医大佐になっている。
細菌戦資料センターの会報には、次のような記載がある。「陸軍省医務局医事課長だった金原節三元軍医大佐が、1955年に陸上自衛隊に入隊した。細菌戦部隊を指導していたのは、陸軍参謀本部、陸軍省医務局衛生課そして陸軍省医務局医事課である。金原は、「金原業務日誌摘録」に細菌戦部隊からの報告を記録している。


金原節三と武見太郎
金原と戦後日本医師会会長になり、医師会、薬剤師会、歯科医師会に大きな影響を及ぼした武見太郎は、軍隊内の先輩・後輩関係にあった。『金原節三資料目録』(陸上自衛隊衛生学校)の巻頭言は、日本医師会長武見太郎が書いている。

『BC兵器』 久保綾三著(1969年)より


Ⅱ 自衛隊と生物・化学兵器―その思想と作戦

2、研究開発と自衛官の入学拒否

大学問題に頭を抱える

3次防以降の技術者の増強計画を見込んで32年度から始めた「貸費学生」(派遣学生)の制度が、大学側から拒否されるという事態に直面して完全に挫折状態となり、庁内では3次防計画どころかこのままだと現状維持すら危ぶまれると心配する者が多くなっているほどの打撃である。他の省庁ならともかく、札付きの防衛庁であってみれば“青田刈り”でもしようものなら薮ヘビになることは請け合いだ。


第5代衛生学校長
井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身
1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】
第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任(『大東亜戦争陸軍衛生史』を編纂するため、膨大な旧軍資料を集め、又戦後に日本独自の細菌戦部隊の復活させようとしたことが原因か??)になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を解任され、その後を井上が引き継いだ。
井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。
又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。
南方軍防疫給水部(岡9420部隊)





イタイイタイ病を究明した男 萩野昇

驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く

水俣病問題

小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去

小泉親彦と宮川米次の絆

ヒロシマからフクシマへ

宮川正

「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—

ビキニ「死の灰」世界各地へ

自衛隊とサリン

相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場

日本の国家機密

兒嶋俊郎さんを偲ぶ



●昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!!
天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より
重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。


●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)吉田裕監修 2001年ピュリッツァー賞受賞

※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!



第11章 真珠湾への道


この日、天皇は驚くべき提案を東条にしていた。昭和天皇は、戦争の収拾策について、その最終的な行動を統制下におき、予測できるようにしておくために、行動計画を用意しておくように話したのある。驚くべきことにバティカンにいる「ロ-マ法王」と連絡をとるようにうにというのである。東条はすばやく行動し、忠誠心を見せた。しかし、11月15日、戦争の終結を促進させる案として連絡会議で正式に採用された計画は、まだ始まってもいない戦争(せいぜい引き分けに終わる見込みの戦争)で、日独がまず大勝利をおさめれば、そこから戦争終結の好機をつかもうという程度の筋書きでしかなかった。それにもかかわらず、それは天皇を満足させるものであった。

小泉親彦と昭和天皇

近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~

近代天皇制の真髄は

福沢諭吉

神武と戦争




憲法9条を生かそう!!

















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