2022年5月31日火曜日

『731部隊と100部隊-人獣共通感染症への戦争動員』 小河孝講演会

 


第7回「戦争の加害パネル展」プレ企画

当初の講演者の事情により、講演者が変更になりました。何卒ご了承ください。



小河孝講演会






『731部隊と100部隊-人獣共通感染症への戦争動員』

日時:7月18日(月・祝日)

   14:00~16:00

会場:かながわ県民センター2階ホール









資料代:500円

お話:小河孝さん(元日本獣医生命科学大学獣医学部教授)






概要・・・関東軍731部隊は、ジュネーブ議定書(1925年)で禁止された生物兵器の開発・研究を「マルタ」を用いた人体実験をハルビンでおこない、中国戦線ではペストノミなどによる細菌戦を実施した。

 いっぽうで、森村誠一『悪魔の飽食』(1988)は満洲に731部隊の他に「悪魔の姉妹・」として関東軍軍馬防疫廠(100部隊)の存在を記していたが、ハバロフスク軍事裁判の被告・三友一男の『細菌戦の罪』の記述以外に、その実態解明は進まなかった。

 今回、これまで取り上げられることのなかった100部隊について、人獣共通感染症の鼻疽や炭疽をキーワードに、部隊成立の経緯と鼻疽菌の大量培養や炭疽菌の野外散布など細菌戦活動の一端を明らかにしたい。

さらに、西山勝夫・滋賀医科大学名誉教授から提供された厚生省資料「留守名簿 関東軍軍馬防疫廠」と、中国で新たに編集された近藤昭二・王選編『日本生物武器作戦調査資料」第六冊のGHQ法務局「山口本治ファイル」を解読を通じて、100部隊の内部構造の実態を分析する。

 2022年2月に始まったロシアのウクライナ侵略戦争でプーチン大統領は、日本の731部隊の事例を取り上げて自分たちの生物化学兵器準備を正当化しようとしている。しかし、関東軍731部隊と100部隊の問題は、過去のことでなく日本の科学者が自ら反省し解明をしなくてはならない今日的課題である。

主催;記憶の継承を進める神奈川の会  電話 ◉ 090-7405-4276  090-8721-3222 メール◉ hiromatu914@yahoo.co,jp 

※「戦争の加害」パネル展(8月2日〜9日、かながわ県民センター1階展示室)のプレ企画です。


細菌戦の系譜!!

      






























核なき世界へ!!

「核兵器禁止条約の会・長崎」結成 核軍縮の再起動を

NATO2カ国、核禁会議に参加 ドイツとノルウェー


「オブザーバー参加を」 被爆者らが「核なき世界」訴え 広島

ロシア 地方議会で議員が反戦訴え

「プーチン大統領は謝罪すべき」 ロシアの大物退役軍人がウクライナ侵攻で異例の批判

アメリカも銃規制をしてもらいたい!!
米テキサス州の小学校で乱射 生徒19人と教師2人が死亡


戦争では、何も解決しない!!即時停戦を!!
世界の食糧危機!!、世界の環境破壊!!生態系の激変!!貧困、虐殺、レイプ、人間不信!!

На войне ничего не решить! !! Немедленное прекращение огня! !!
Мировой продовольственный кризис! !! , Всемирное разрушение окружающей среды! !! Кардинальные изменения в экосистеме! !! Нищета, резня, насилие, человеконенавистничество! !!

У війні нічого не вирішиться! !! Негайне припинення вогню! !!
Світова продовольча криза! !! , Знищення навколишнього середовища світу! !! Різкі зміни в екосистемі! !! Бідність, бійня, зґвалтування, мізантропія! !!

Nothing will be solved in the war! !! Immediate ceasefire! !!
World food crisis! !! , World environmental destruction! !! A drastic change in the ecosystem! !! Poverty, slaughter, rape, misanthropy! !!



反攻へ戒厳令90日間延長 ウクライナ 侵攻3カ月もなお長期化へ

ウクライナに平和を!!

日本は、戦争の反省をしているのだろうか??
過去最大の防衛予算 歯止めなき膨張許されぬ

「戦争の加害展」プレ企画








*7月18日の加藤哲郎講演は、事情により小河孝講演に変更
になりました。











731部隊全景

731部隊の真実

東京ブラックホールー戦後0年


戦争を停止する道を探れないのか??


No War!!Stop War!!
Нет войне!!Стоп Война!!

Why is America not actively moving towards peace ??

Почему Америка не движется активно к миру??

何故アメリカは、和平に向けて積極的に動かない??



Article 9 of the Constitution to the World Constitution !!

Статья 9 Конституции Всемирной Конституции

憲法9条を世界憲法へ!!

RENUNCIATION OF WAR Article 9.
Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, world forever renounce war as a sovereign right of the nation and the threat or use of force as means of settling international disputes.
In order to accomplish the aim of the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained. The right of belligerency of the state will not be recognized.


ОТКАЗ ОТ ВОЙНЫ Статья 9.
Искренне стремясь к международному миру, основанному на справедливости и порядке, мир навсегда отказывается от войны как суверенного права нации и от угрозы или применения силы как средства разрешения международных споров.
Для достижения цели предыдущего абзаца сухопутные, морские и воздушные силы, а также другой военный потенциал никогда не будут сохранены. Право воинственности государства признаваться не будет.

戦争の放棄
第九条 世界は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
② 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない


I want the United Nations to do everything in its power to stop Russia's invasion of Ukraine!!

Я хочу, чтобы Организация Объединенных Наций сделала все возможное, чтобы остановить вторжение России в Украину!!


国連はロシアのウクライナ侵攻をやめさせることに全力で取り組んでほしい!!

I want Japan, which has Article 9 of the Constitution, to move more positively toward a ceasefire !!

Я хочу, чтобы Япония, у которой есть статья 9 Конституции, более позитивно двигалась к прекращению огня !!


憲法9条を持つ日本はもっと停戦に向けて前向きに動いてほしい!!

War in the 21st century? ?? In the 21st century, a world without war!!

Война в 21 веке? ?? В 21 веке мир без войн!!

21世紀に戦争??21世紀こそ、戦争のない世界に!!















森友記録を開示せよ!!






ソニアの日記


コタバル 伝えられなかった戦争(2011)


セピア色の証言ー張作霖爆殺(86)


開戦ー前編ー




推薦問題に「歴史戦」とやらの余地はない



反原発!!



大元帥・現人神・昭和天皇と皇族の戦争責任を問う。
日本は戦争を起こしたことを全く謝罪しなくていいのだろか??

重慶無差別爆撃







京都大学出版会(2022年4月10日発行)

もしかすると中国人の人骨も京都大学にはあるのでは??
丹羽雅雄弁護士の話:遺骨という問題は非常に大きな問題なんですよ。死者の尊厳ですからね。死者の尊厳ということは、生きている人の尊厳につながっているんですよね。当時の帝国大学は色々な人骨研究をやっていますからね。そうすると恐らく朝鮮半島の御遺骨の問題も当然あるはずです。リストにありますからね。
それから、台湾もあるだろうし、東南アジアもあるだろうし、そういう風に広がっていく可能性があるんですね。遺骨の問題は先住民の大きな長い歴史の中で国際的にも重要な問題になっていると・・・


遺骨収集には、清野謙次の影響が強くあった。清野は731部隊長石井四郎の強力な支援者だった。(病理解剖の最高顧問)

南京大虐殺の真相

南京大虐殺:侵華日軍南京大屠殺 南京電影制片庁 21分


マギーフィルム(字幕付き)



政府は都合の悪いことはいつでも隠す
森友“改ざん”赤木さん妻が財務省に抗議文

川崎の徴用工 故・金景錫の闘い お話:梓澤和幸弁護士

731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)

20201107 UPLAN 西里扶甬子「生物戦部隊731研究の現在地~今を生きる日本人が知るべきこと」
浅川地下壕を歩く(2021年2月7日)





2021年 パネル展「731部隊 戦前・戦後の医学」アンケート

11月16日(火)

(加藤哲郎講演)

・内容がたくさん詰まった講演でした。ありがとうございました。現代の動きがその前からどう続いてきたのか詳しい御話でした。

(70代、?)

















原告たちのあまりに理不尽な被害

JUSTICE 中国人戦後補償裁判の記録』(中国人戦争被害賠償請求事件弁護団 編著、高文研)評者:根岸恵子


                





自衛隊における731部隊の記述

「部外秘 参考資料 CBR講習資料」11頁 作成日時不詳 陸上幕僚監部化学科より

d旧日本軍の細菌戦活動

旧日本軍の石井部隊は又の名を関東軍防疫、給水、731部隊、加茂部隊、特25204部隊と呼ばれた。細菌戦闘専門の特殊部隊であった。隊の設立は昭和6(1931)年で満州の研究所完成は昭和10(1935)年である。日本軍細菌戦部隊の本拠は満州ハルビン郊外濱江省(ひんこうしょう)双城県平房の4階建近代建築でその中で遮断隔離の生活をしていた。設備は爆撃機(細菌撒布用)10機、1000kwタービン発電機2台である。この本部の元に、孫呉、海拉爾(ハイラル)、牡丹江、林口、大連の5支部があり、大連のものは大連研究所または松林機関とも言われていた。他の部課は細菌の攻撃方法、容器散布方法、防疫問題を研究していた。最も力を入れたのはヒタツリ菌(注:脾脱疽菌)であった。この菌を粉末にして榴散弾の70g位の鉛製弾子に混ぜ、これを砲弾内に詰め、炸薬が爆発すると弾子が飛散して人馬に感染さすようになっている。実験場所は731部隊研究所から北に300(?)㎞ばかりのアンダ飛行場を使用した。そして砲弾が爆発しても菌の40%は生きていること及び培養器に飛ばされた菌は確実に付着する事、負傷者は発病することが確認されている。1938年中国廬山の戦闘で日本軍が毒ガス、ホスゲンを使用したという2,3の細菌記録がある。この記録を持つ731部隊は1945年8月9日午前6時ハルビンの工兵、歩兵、砲兵によって徹底的に破壊され付属設備は地上から姿を消した。ソ連の対日参戦による退却の結果である」

 

長岡大学 研究論叢 第16号より(2018年8月)

・・・731部隊に関する概要が正確に記述されており、更に1938年に毒ガスを作戦で使用したことまで記している。これは化学学校の教育部長が、特殊課程の学生に講義した内容である。内容は事実であると確認して行ったと考えるほかはない。戦後自衛隊は731部隊の実態とその活動を把握した上で、何ら反省することなく自衛官に「教育」してきたのである。また教科書裁判では日本政府は長きにわたり731部隊の活動の事実認定さえ回避してきたが、陸上自衛隊の内部教育資料にも明記されるほど、自衛隊幹部周知の事実だったのであり、日本政府は一貫して内外に虚偽の主張をしてきたと言える。


『日本医学百年史』195711の731部隊の記述






































日本医学界では731部隊の反省は戦後全くなされていないが、以下の書に731の記述が記されている。
『日本医学百年史』第4章 戦時体制下の医学 全体主義思想p236

「このようにして日本の医師の戦争政策への積極的な協力が行われていったのであるが、直接的な戦闘行為への協力の中で極めて非人道的な、目を覆わざるを得ないものに、細菌戦の準備があった。細菌戦の準備と実行を持った特殊部隊は、昭和10年(1935)夏、石井四郎を部隊長に満洲で編成され「関東軍防疫給水部」と称せられた。

昭和17年頃に「第731部隊」に昇格し、その研究、実験、製造は急に活発になった。(昭和14年のノモンハン事件に参加し、感状をもらっている)この部隊は細菌の製造、兵器としての細菌の利用、人体実験等を行い、施設として、常備爆撃機10機、1000kw発電機2台、隊員及び家族約6000名、年間研究費予算8000千円以上と言われている。

勿論、この部隊に多くの医学者が参加した。このことから、科学者としての責任の問題と同時に戦争責任が問題になってくる。

 細菌戦準備への医学者の参加は、戦争責任の最も極端な場合として提起したわけであるが、このことの深い反省の上に戦後の再建も始められる必要があったし、現在でもなお問題とされねばならない。」



第3章 生物戦の愚かな第1歩は、日本の731部隊からはじまった





731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第1回

731部隊と人権ー裁判から考える


731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第2回


731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第3回

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第4回


731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第5回

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第6

「登戸研究所と731部隊」(お話:山田朗さん)


731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第7

「731部隊について」(お話:五井信治さん)


731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第8

731部隊と100部隊-人獣共通感染症への戦争動員―(お話:小河孝さん)


731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第9

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第10




パネル展「731部隊 戦前・戦後の医学」
      医学と人権を考える―
薬害エイズ裁判と731部隊
                       公開日 2001年06月05
事件で問われるもの

しかし、この事件を通じて問われたのは、人命より社益を優先させた製薬会社の体質・行政の怠慢と天下り・医師の低い人権感覚などだけではない。全体から見れば小数だが、一部のマスコミ(新聞・TV・雑誌)が日中戦争以来の731部隊とミドリ十字の歴史関係に着目し、日本の戦後医学会における人体実験体質に言及している。すなわち、元731部隊の中枢にいた陸軍軍医学校教官の内藤良一(元軍医中佐)が戦後創業した製薬会社こそ旧ミドリ十字であり、そこには多くの731部隊員が就職していた。細菌兵器を開発するために多数の人間を人体実験に供し、「マルタ」と呼んで番号化し抹殺していた731部隊は、アメリカへの資料提供の見返りに東京裁判で免責となり、ほとんど裁かれることなく戦後社会の中に再び復帰した。この事実は、強制収容所で人体実験に従事していた医師らがニュルンベルグ医師裁判などで裁かれたドイツとは、根本的に異なった事情を戦後日本の医学会にもたらしてきたのではないか。






隠された毒ガス兵器


小津安二郎も毒ガス部隊だった


森友・加計問題などで公文書改ざん、事実の隠蔽などが問題になっているが、敗戦時の証拠隠滅、文書焼却、事実の隠蔽は、その比ではない!今も
続く歴史改ざん!!     

※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!


     

 

 

●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。


日本政府は、真摯に過去に向き合い、生物兵器を作ったことを謝罪し、今のこの難局に、立ち向かうべきだ!!

 

 

東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫

元731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉

「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」


1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日  731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日  731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日  731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土壌への浸透力の調査した 
8月  731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月  100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置





戦争犯罪と戦争責任を考える(帝銀事件捜査から)山田朗


(『日中友好新聞』2022年2月15日号より)

帝銀事件捜査が行われていた1948年1月から9月当時、まだ東京裁判やBC級戦犯裁判が行われている最中であり、一方で残虐行為のために死刑判決を受ける人がいた反面、他方では極めて組織的な残虐行為を行なったにもかかわらず、米軍に保護され、完全に免責されるという人(のちに米軍に雇われる人もいた)が存在したのである。
 つまり、帝銀事件の捜査の段階で、日本の民主化・非軍事化政策の一環として行われた戦犯追及は、大きくねじ曲げられ、戦争犯罪・戦争責任が隠蔽されたということである。その意味で、帝銀事件の捜査は、占領政策の大きな転換をもたらす分岐点なったと言えるのである。(明治大学平和教育登戸研究所資料館長)

 



 



 

 

























1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察

 

 731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。

 

●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!

 

731部隊被害者遺族の訴え!!        

 


東大伝研とは戦前、どんなことをやっていた機関なのか?

1934年6月、宮川米次と阿部俊男は何をしに満洲国へ行ったのか?

満洲衛生技術廠とは、一体何をやっていたところなのか??

東大伝研は731部隊と連携を図っていなかったのか??

伝研で毒ガスの講演?毒ガスへの対処法も考えることになるのか??

小島三郎の渡満では、満洲衛生技術廠や大連衛生研究所にもいったのだろうか?



実験医学雑報19巻 第7号(1935年)


宮川米次


日本人独創の芸術


徳川時代以前にも多少は見られる風俗画はこれを浮世絵と言わない。徳川時代に発達したものに限って特にこの名を許しているので、一名には江戸絵と呼ぶのも決して偶然ではない。この種の芸術は忽ち泰平に飽きていた元禄時代の庶民の嗜好に完全に一致し、江戸美術の表徴ともなり、身分の高いも低いもなく、江戸絵の版画のない家はないと迄言わるる程の勢いで、庶民の芸術的欲望を満たすことができたのであった。この庶民芸術の嗜好が、終には上流芸術たる大和絵等を圧迫する計りに、上層民衆に迄も淫侵して行ったのも、時代相の然らしむる所で、全く自然の赴く所如何ともすることができないといった有様であったのである。




 



翌年の1936年5月10日には、浜松一中で大福餅の食中毒事件、1937年9月25日には大牟田

で爆発赤痢事件が発生している?防疫研究室との関係はないのか??

浜一中大福餅事件

                浜松一中の慰霊碑

大牟田の慰霊碑(裏)


(碑文)

「時維(ときにこれ)昭和12年9月25日恰も支那事変勃発して3月全市を挙げて銃後の遂行に邁進せる秋(とき)、青天の霹靂の如く突如として我が12万市民は古今を絶する悪疫の魔手に掩われたり。ここに大産業都市として殷賑を極めたる本市は忽にして阿鼻叫喚の巷ト化し官民必死の防疫にも拘らず竟(つい)に一万数千の罹患者を出し七百十二名の精魂を奪はる・・・・・」


<三池の冬1997 その2>より

わたしの笹林公園探検の目的は、その隣の隣の慰霊碑であった。さてこれは何の慰霊碑であるか。ここに戦前戦中史の大きな謎が隠されている。(中略)

この慰霊碑は、炭坑事故の慰霊碑でもなく、戦没者の慰霊碑でもありません。1937(昭和)12年に突然大牟田で発生した集団赤痢事件の被害者の慰霊碑なのです。慰霊碑には、一万数千の罹患者を出し、七百十二名の精魂(生命)を奪ったと記されています。この集団赤痢事件がなぜ起こったかについての真相は、いまだ闇に包まれています。しかし、中国戦線に向けて三池(三井)染料が内密に作っていた化学兵器工場で爆発事故が発生し、この事故を隠蔽するために清里の水源地に赤痢菌をまいたという重大な仮説が提起されています。三池染料はわたしの祖父の職場でありました。その祖父は7年前に亡くなりました。この当時のことをもっと聞いておけばと悔いが残ります。近々、この仮説を実証する資料を、受けとることになっていますので、またそのときご報告します。


戦時下 大牟田「爆発赤痢」事件、隠された企業犯罪・国家犯罪

北宏一郎






いわゆる「大牟田爆発赤痢事件」の真相

赤痢予防錠について

 陸軍軍医学校にて石井四郎は防疫部、防疫学教室で、赤痢、コレラ、ペスト菌の研究、開発を進めていました。その後、防疫給水部731部隊で兵器化しますが、赤痢予防錠(経口ワクチン)という名で開発した、人体実験を繰り返しながら(兵士に持たせる)量産体制に入っていく。
 時は1931年満州事変。
 この赤痢予防錠は通常のワクチンに比して、1人当たりの細菌の量が2㏄で、この為副作用が強いものであった。ワクチンとしての効果はほとんどないもの。
 だが、大量生産の為、石井四郎が考案した細菌培養缶(特許出願1932年1月、許可1933年4月17日、許可番号100615号)を防疫部は1934年まで115個製作し、大量生産にあたった。
 24万人分の生産を保存し、1937年当時、熊本、久留米の師団、連隊に保存。



 

  伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より 

   
























この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認
 定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。
 日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
 この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
 今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時で
 はないのか?


 

 

●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)

「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 

本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。


第6部

資料・731部隊細菌戦裁判

第1審判決全文

原告らの主張 (別紙3)

第6部

資料・731部隊細菌戦裁判

第1審判決全文

原告らの主張 (別紙3)

日本軍による中国への細菌戦の実行(事実論)

第7 原告らの損害

1、衡州の原告らの損害

浙江省衡州の原告らは、別紙「原告及び死亡親族一覧表」の原告番号1から14迄の14名である(尚、同番号は7地域通しの番号とする。又、原告の生年月日は、全て1900年代なので、西暦の下2桁のみを表示する。死亡者は、原告の3親等内の親族の被害者である。以下同じ。)

 上記14名の原告らが戦時中の被告の細菌戦によって被った精神的苦痛を金銭に評価すると、それぞれ各1000万円を下らない。また、上記原告らが被告の細菌戦隠蔽行為によって被った精神的苦痛を金銭に評価すると、それぞれ各500万円を下らない。さらに、上記原告らが被告の立法不作為によって被った精神的苦痛を金銭に評価すると、それぞれ各500万円を下らない。



731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?



 

●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!

安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??

 

           










2013年5月12日、安倍晋三は宮城県東松島市の航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。

           












731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)

 

 

 

 

 日本の中国東北侵略から91年

●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』

 



 












一月二六日

晴 風なし 午前六時起床  零下二九度  じっとしていられない具合だ  山口竜之助氏より便り及加藤家よりの最近便り   写真が封入してあり。
僕はこんな窮屈な生活は大嫌いだ。初めての当番勤務なり。
朝から目が回りそうだ。こんなところにいれば大隊付幹部の裏面が手に取るように見える (勿論書くことを欲せない)失敗談もなければ説明談もなく無事終わつたことを喜ぶ
午後九時半床に入れども十一時半不寝番で起こされる そして珍しい山口竜之助様の所からの便りに対し返事を書く  加藤様より便りあり写真が入っている  清治君の面影が非常に懐かしい。
何といふ寒さだろう?湯殿に行ったならば四方の壁は一寸ぐらいの雪がいつぱいにできている。湯気が氷ったのだ。濡れた手でドアの金を持ったならば金にも手を取られそうであった。大隊当番も楽ではないが  動かない覚悟なら平気なものだ  しかし週番中隊長の五円紙幣で一銭の買い物を頼まれたものは少々閉口した(マッチニつ)


「ずっと父が嫌いだった」




軍都広島での物語

知られていない 8月5日までの 広島 バージョン2

原爆詩集
峠三吉
・・・一九四五年八月六日、広島に、九日、長崎に投下された原子爆弾によって命を奪われた人、また現在にいたるまで死の恐怖と苦痛にさいなまれつつある人、そして生きている限り憂悶と悲しみを消すよしもない人、さらに全世界の原子爆弾を憎悪する人々に捧ぐ。


盲目

 

巨大な崩壊を(くぐ)りこえた本能が

手脚の浮動にちぎれ

河中に転落する黒焦(くろこげ)梁木(はりぎ)

ゆらめく生の残像

 

嬰児(えいじ)と共の 妻のほほえみ
  透明な産室の 窓ぎわの朝餉(あさげ)

そして

硝子にえぐられた双眼が

血膿(ちうみ)と泥と

雲煙の裂け間

山上の

暮映(ぼえい)()



 

●『細菌戦部隊』

731研究会編   1996年9月(核時代51年)初版発行

Ⅲ 細菌戦部隊の周辺


陸軍病院の軍医として
14人の中国人を生体解剖した

湯浅謙(陸軍軍医)
■この証言は新宿・渋谷731部隊展(1993年7月)、東京東部同展(93年8月)、千葉同展(93年9月)、石川(金沢)同展(1993年11月)ほかの『報告集』よりまとめたもの。

(経歴〉
1916年生まれ
1941年10月 短期現役軍医として旭川28連隊入隊
1942年2月  北支山西省潞安陸軍病院附
1945年8月  現地で敗戦を迎え、年末に国民党軍の徴用を受け人民解放軍と交戦
1949年4月  解放された人民政府病院勤務
1951年2月  捕虜として捕虜収容所へ拘束される
1952年12月 戦犯として太原監獄へ収監
1956年6月  起訴免除により帰国

石井四郎の噂

また、1人の女性が大隊長の子を妊娠したけれど、堕(お)ろさないと頑張っていると聞きました。これは日本の権威にかかわる。つまり、朝鮮民族は卑しいという観念が植え付けられているので、大隊長の子を生ませるわけにはいかない。そこで副官に命じて堕ろさせたこともあります。

戦時中の東南アジアの様子(731部隊員増田知貞が撮影したフィルム)


日本軍政下香港(1997.7.27)







●証言

生体解剖(旧日本軍の戦争犯罪)

中央档案館

中国第2歴史档案館

吉林省社会科学院編


江田憲司

兒島俊郎

古川万太郎編訳


解説

証言「供述者」の背景ーある日本人戦犯を中心に


学習活動から手記運動へ

 この結果、さらに新たな運動が起きてきたのである。過去の行為を、系統的に学習する運動である。系統的に、という意味は、国友の説明によると、侵略戦争で自ら犯した誤ちを、ただ感情的に「悪いことをした」と言って済ますのではなく、筋道を立てて整理し、理論的に構成しようということであった。例えば、人を殺すということは、相手の肉親にとってはどういう事を意味し、どういう影響を与える事になるのか。妻や子はどういう思いをするであろうか。自分がその立場に置かれた場合、どう考えるだろうか。にも関わらず、日本軍はなぜ他人の領土へやってきて、平然とそうした行為を働く様になったのか・・・。そこまで深く掘り下げて分析しよう、というのであった。この学習活動が、「手記」を記す活動へと発展していったのである。






                     



































消せない記憶「元軍医たちの謝罪の旅」


●毒ガス戦


・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著

第8章 戦後史の中の日本軍毒ガス兵器問題



4 毒ガス戦をめぐる歴史資料と国会論戦



「大陸指」をめぐって

 集められた大陸命・大陸指の原本は、散逸を恐れた宮崎部長が松戸の自宅に保管していたが、その後2度場所を変えたのち、「昭和」24年3月頃、世田谷区松原の服部〔卓四郎〕宅に、他の資料も一括して保管された。これらの資料は、昭和28年3月『大東亜戦争全史』の刊行に活用され〔自らの執筆で戦史を書きたいとの〕日本側関係者の願望は達せられた。昭和30年、防衛庁に戦史室が創設され、厚生省引揚援護局整理部(もとの資料調査部)にあった資料の大部分が戦史室に移管された。しかし、大陸命・大陸指その他重要資料は「写」(うつし)であった。32年夏、西浦進戦史室長(元陸軍省軍事課長)が服部氏と交渉し、原本のマイクロ撮影の承諾を得て、同年春頃にはマイクロ化作業を終えた。原本が戦史室に保管されたのは、35年4月、服部氏逝去以降であった(森松俊夫監修・解説『参謀本部 臨参命・臨命総集成1』〈昭和6年9月~昭和11年〉。


海軍の相模海軍工廠跡を訪ねて(2022年4月9日)




旧横浜ゴム平塚製造所記念館

明治38年、軍用火薬製造のため、日本海軍と英国の3企業(アームストロング社、チルウォース社、ノーベル社)の合弁で日本火薬製造株式会社(明治40年に日本爆発物製造株式会社と改称)が設立され、本社はロンドン、支店・工場は平塚に置かれた。
工場は明治40年頃に完成したが、この洋館は、英国人支配人の執務室または住居として同時期に建設されたものとも、同44年に焼失し翌年再建されたものとも言われる。
大正8年、会社が日本海軍に買収され海軍火薬廠として発足すると、この洋館は横須賀水交社(海軍将校の社交クラブ)の平塚集会所となり、昭和20年の終戦まで続いた。
戦後は、占領軍による接収を経て、昭和25年、横浜ゴム株式会社が敷地ごと払い下げを受け応接や会議に使用したが、平成16年に平塚市へ寄贈され、同22年に八幡山公園に移築公開された。




*A事案区域とは、環境省が平成 15 年に実施した<昭和 48 年の「旧軍毒ガス弾等の 全国調査」フォローアップ調査※1>において終戦時における旧軍の化学兵器に関連する情報を集約した結果を踏まえ設定したA事案(毒ガス弾等の存在に関する情報の確実性が高く、かつ、地域も特定されている事案)に該当する区域のことです。具体的には、以下の3区域となります(図1参照)。 
①旧相模海軍工廠跡地(神奈川県寒川町内) 
②旧相模海軍工廠化学実験部跡地(神奈川県平塚市内) 
③ 旧陸軍習志野学校跡地(千葉県習志野市・船橋市内)

略史
昭和 5年  海軍火薬廠用地の一部割愛を受け、海軍科学研究部化学兵器研究室が平塚出張所を開設
昭和 8年  平塚出張所に一号・二号・三号特薬兵器の製造実験工場を建設
昭和 9年  海軍技術研究所化学研究部として独立
昭和12年  特薬庫、火薬庫、爆発円筒及び特殊化兵研究室などを建設。総敷地面積は124,000平方メートルに
昭和17年  相模海軍工廠(寒川町)の新設と同時に、化学研究部が相模海軍工廠化学実験部になる
昭和20年  終戦、廃廠
 第一次世界大戦後、日本は化学兵器の調査研究と技術開発に着手、大正11年に艦政本部内に担当部署が設置され、翌12年には海軍技術研究所となり化学兵器の研究と技術開発を開始。
相模海軍工廠では士官・常用工・徴用工員・女子挺身隊員・勤労動員学徒等3,500人余りが従事し、主として化学兵器・火工兵器の研究開発・製造が行われた。
海軍では毒ガスを攻撃用よりは防御用とすると認識が強く、相模海軍工廠では防毒マスクの生産が主力だった。(相模海軍工廠より)







第1次世界大戦では、毒ガスが大量に使われた。

百年の悲劇は、ここから始まった1






・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)

第10章 残酷な人体実験毒ガス実験



現場に居合わせ、悲劇を共にした者として、被害者とその家族の苦しみは誰よりもよく分かる。「川には日本軍が捨てていった砲弾がたくさんあります。積極的な解決措置を取らなければ、事故は本当に簡単に起こるでしょう」と宋さんは語る。彼は安全監査室の同僚と共に、ジャムス一帯の河川で作業に当たる人々に声をかけてあり、砲弾が見つかった時には即刻連絡をもらえるようにしてある。1994年6月4日、ジャムスのドッグから4000mの地点で、砂浚渫船がまた2個の砲弾を掘り当て、宋さんは自らこれを引き取りに行った。当事者の見たところ、この2つも74年のものと外形、大きさ共にほとんど変わらず、目下、より詳しい分析が行われているところだ。 


SNSで人気「ウサギの島」が背負った〝毒ガスの歴史〟大久野島を歩く


加害の歴史」北九州市の毒ガス工場 第二次世界大戦で旧陸軍が使用









 

 

 



●『三光』     中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)

核時代39年(1984年)5月初版発行


●『三光』     中国帰還者連絡会編
核時代39年(1984年)5月初版発行

細菌戦ー731部隊の蛮行


田村良雄(たむらよそお)防疫診療助手 兵長
(略歴〉
1939年5月  元関東軍防疫給水部本部(731部隊)に入隊
1943年3月  退職
1944年3月  元関東軍59師団32連隊に現役兵として入隊
1945年8月  元関東軍125師団軍医部兵長
1952年6月  逮捕さる。河北省永年県において

本籍地=千葉県長生郡 出身階級=雇農 年齢=34歳


大木は、さっきから須藤と私を交互に見ております。大木の視線に合った私は、消毒薬で須藤の全身を拭き始めました。平静を装うために私はできるだけ乱暴に行ないました。「よし、科学者は冷静であるべきだ」課長は私を褒(ほ)めたんだな、と感じ取った私は、中国人に対したと同じように消毒薬を浴びせました。消毒薬の冷たさで正気に返ったのか、うつろな目を見開き左右を見回そうとして首を動かそうとしました。動かすごとに首かせが食い込んでいきました。
「班長殿、班長殿、胸が・・・胸が・・・・」顔をゆがめもだえたと思うと、グーグー口からドス黒い血を吐き出しました。「班長殿、班長殿」と須藤はこの病気に感染して以来ずっと叫び続けてきたであろう、治療を要求しておりました。

2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)

 



    


    






































●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!




















(2021年2月4日)

在日米海軍厚木基地(大和、綾瀬市)で米陸軍が化学、生物、放射線、核(CBRN)の対応訓練を予定していることに対し、厚木基地爆音防止期成同盟(爆同)など関連4団体が4日、同基地正門前で抗議集会を開き、訓練の中止を訴えた。

 訓練実施は1月28日に、日米合同委員会で合意。防衛省南関東防衛局が大和、綾瀬市に連絡した内容によると、訓練場所は、同基地を共同使用する海上自衛隊が管理する区域内にある滑走路南端の約2万平方メートル。今月5日から9月30日まで使用することで合意した。

 米側は訓練への参加部隊に関し米本土所属と説明しているが、参加人員や日程については知らせていない。危険物の持ち込みや騒音の発生はないなどの情報提供にとどまっている。

 CBRNへの対応訓練は同基地で過去に例がなく、周辺住民に不安が広がっている。

 今月4日には同基地正門前に爆同など住民団体から約60人が集まり「危険な訓練をやめろ」などと声を上げた。爆同の石郷岡忠男委員長は「昨秋には迎撃ミサイル訓練があった。米空母艦載機部隊の移駐後に空いた施設を使った新たな訓練場になることを危惧している」と強調。基地司令官宛てに、基地の機能強化につながる運用などに抗議する要請書を提出した。


CBRNとはchemical weapon:化学兵器、biological weapon:生物兵器、radiation:放射能物質、nuclear weapon:核兵器を意味する。従来はCBRだけで用いられることが多かったが、近年は核兵器Nを加えてCBRN(日本語ではシーバーンと発音する)として用いることが多くなっている。

●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?


日本の国家機密』(現代評論社刊 1972年初版発行)

藤井治夫著

第2篇  自衛隊の機密

第2章 日米共同作戦

3 空の共同作戦

制服独走の危険

松前・パーンズ協定に出てくる要撃機の運用に関する「交戦準則」(rules of engagement)とは、「戦時非常事態に至るまでの間、対象軍の兵力と交戦するための特定条件、すなわち武力攻撃 (敵性行為)の判定とこれに対処する武力行使の基準等に関する事項を定めた規則」(空幕『術語の解』67年7月) をいう。

自衛隊ではこれを要撃準則と称する。

1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊



 


●『BC兵器』久保綾三著(1969年)

Ⅱ 自衛隊と生物・化学兵器―その思想と作戦

5 生物・化学戦における被害想定

仮定生物剤風下危険距離


なぜならば、この種の作戦による非戦闘員の死傷者は、戦闘員の死傷者をはるかに上回るものであることは、広島と長崎の例が示してくれている。自衛隊の戦闘による死傷者の見積りは、常に一般の国民の被害は除外されているのが現実であり、それがなぜあるかということを我々は考えなければならないだけでなく、そこには自衛隊のいう「防衛とは何か」という基本的な問題がでてくるのである。

 


 

 ●昭和天皇の戦争責任を問う!!


天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より

重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。


 


 



●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)

吉田裕監修 

 

2001年ピュリッツァー賞受賞

 

※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!


戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!  

     





第1部 皇太子の教育

1901(明治34)年―1921 (大正10)年


第一章少年と家族と明治の遺産

東京砲兵工廠(1919、21年)、釜石鉱山(1919年)、足尾銅山(1921年4月)、八幡製鉄所(1920年)、神戸の川崎。三菱両造船所(1921年夏)と、史上もっとも激しい労働争議がこの時期に集中して起こった。神戸の造船ストには3万5000人以上の労働者が参加したが、それにも軍隊が派遣され、いつもながら経営者側に立って介入した。この争議で300人以上の労働者が負傷し、250人余りが逮捕された。このように、軍隊がその使命を国内の法と秩序の維持に転換したため、日本人の一般社会におけるその声望は地に落ちた。とりわけ農民運動、労働争議の鎮圧に出動した軍隊は、至るところで罵声を浴びた。軍が公然と批判の対象になったのは、建軍以来これが2度め(最初は1870、80年代)である。

日本国憲法9条

第9条【戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認】

①、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

②.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、
これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


RENUNCIATION OF WAR Article 9.

Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation
and the threat or use of force as means of settling international disputes.

In order to accomplish the aim of 
the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained.
The right of belligerency of the state will not be recognized.

 



731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!

 

日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?

●地球の異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!

※私が考える、今の異常気象の要因は

1、1940年代から60年代にかけて大規模に行われた、核実験による環境破壊の影響

2、戦争、

3、都市化したコンクリート(アスファルト)ジャングルによるヒート・アイランド現象

4、その結果による、交通機関(電車・バス・乗用車・航空機・船舶)やオフィス・住居などの冷暖房による排熱

5、原子力発電による温排水の排出・・などに拠っているのではないか?


「日本が動かなければ」 核兵器禁止条約発効1年、各地で訴え




核実験

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』



地球を破壊する核爆発・核実験


核兵器禁止条約

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

・2022年6月21日、第1回締約国会議を招集。開催地はオーストリアのウィーン。


内容

当条約の原文は、国連公用語である英語・フランス語・ロシア語・中国語・スペイン語・アラビア語で、国際連合の公式ウェブサイトに掲載されている。
なお日本は不参加のため外務省の公式な翻訳はないが、外務省は英文、暫定的な仮訳、日本国政府の考えを掲載中。
当条約は前文と20の条文から構成される。
前文では核兵器の非人道性、全廃の必要性、安全保障上の利益、「核兵器のない世界」の達成、国際人道法、過去決議との関連、法的禁止、平和利用、教育の重要性などを締結国の認識と記載した。



アインシュタイン「科学者たちの罪と勇気」

メアリーが伝えるヒロシマ




 「北朝鮮の核実験の威力」と「史上最強の核兵器"ツァーリ・ボンバ"の破壊力」【核兵器】



●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future

●核融合もすべきではない!!



なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!

       

      

















原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。


・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。




水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した。
















           












JCOの臨界事故


福島第1原発事故

徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!






























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