2022年5月22日日曜日

細菌戦の系譜!!

     



























日米首脳会談の共同声明、異例の核軍縮呼びかけへ…米中に協議の場なく「中国の核開発は野放し」

ウクライナに平和を!!
日本は、戦争の反省をしているのだろうか??
「戦争の加害展」プレ企画

6月181915分〜2115

後田多敦さん公開学習会

「沖縄『本土復帰50年にあって」

◉オンラインで開催申込→https://peatix.com/event/3207920 (参加費500円)

講師;後田多敦さん(しいただ・あつし、神奈川大学教授)今年5月で「本土復帰50年を迎える沖縄。「復帰」前と「復帰」後の、本土と沖縄の関係をどうとらえるか












731部隊全景

731部隊の真実

東京ブラックホールー戦後0年


戦争を停止する道を探れないのか??


No War!!Stop War!!
Нет войне!!Стоп Война!!

Why is America not actively moving towards peace ??

Почему Америка не движется активно к миру??

何故アメリカは、和平に向けて積極的に動かない??



Article 9 of the Constitution to the World Constitution !!

Статья 9 Конституции Всемирной Конституции

憲法9条を世界憲法へ!!

RENUNCIATION OF WAR Article 9.
Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, world forever renounce war as a sovereign right of the nation and the threat or use of force as means of settling international disputes.
In order to accomplish the aim of the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained. The right of belligerency of the state will not be recognized.


ОТКАЗ ОТ ВОЙНЫ Статья 9.
Искренне стремясь к международному миру, основанному на справедливости и порядке, мир навсегда отказывается от войны как суверенного права нации и от угрозы или применения силы как средства разрешения международных споров.
Для достижения цели предыдущего абзаца сухопутные, морские и воздушные силы, а также другой военный потенциал никогда не будут сохранены. Право воинственности государства признаваться не будет.

戦争の放棄
第九条 世界は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
② 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない


I want the United Nations to do everything in its power to stop Russia's invasion of Ukraine!!

Я хочу, чтобы Организация Объединенных Наций сделала все возможное, чтобы остановить вторжение России в Украину!!


国連はロシアのウクライナ侵攻をやめさせることに全力で取り組んでほしい!!

I want Japan, which has Article 9 of the Constitution, to move more positively toward a ceasefire !!

Я хочу, чтобы Япония, у которой есть статья 9 Конституции, более позитивно двигалась к прекращению огня !!


憲法9条を持つ日本はもっと停戦に向けて前向きに動いてほしい!!

War in the 21st century? ?? In the 21st century, a world without war!!

Война в 21 веке? ?? В 21 веке мир без войн!!

21世紀に戦争??21世紀こそ、戦争のない世界に!!












延期されていた「表現の不自由展・東京」がはじまる 最高裁の決定が後押しに













森友記録を開示せよ!!




ソニアの日記


コタバル 伝えられなかった戦争(2011)


セピア色の証言ー張作霖爆殺(86)


開戦ー前編ー




推薦問題に「歴史戦」とやらの余地はない



反原発!!



大元帥・現人神・昭和天皇と皇族の戦争責任を問う。
日本は戦争を起こしたことを全く謝罪しなくていいのだろか??

重慶無差別爆撃





京都大学出版会(2022年4月10日発行)

もしかすると中国人の人骨も京都大学にはあるのでは??
丹羽雅雄弁護士の話:遺骨という問題は非常に大きな問題なんですよ。死者の尊厳ですからね。死者の尊厳ということは、生きている人の尊厳につながっているんですよね。当時の帝国大学は色々な人骨研究をやっていますからね。そうすると恐らく朝鮮半島の御遺骨の問題も当然あるはずです。リストにありますからね。
それから、台湾もあるだろうし、東南アジアもあるだろうし、そういう風に広がっていく可能性があるんですね。遺骨の問題は先住民の大きな長い歴史の中で国際的にも重要な問題になっていると・・・


遺骨収集には、清野謙次の影響が強くあった。清野は731部隊長石井四郎の強力な支援者だった。(病理解剖の最高顧問)

南京大虐殺の真相

南京大虐殺:侵華日軍南京大屠殺 南京電影制片庁 21分


マギーフィルム(字幕付き)



政府は都合の悪いことはいつでも隠す
森友“改ざん”赤木さん妻が財務省に抗議文

川崎の徴用工 故・金景錫の闘い お話:梓澤和幸弁護士

731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)

20201107 UPLAN 西里扶甬子「生物戦部隊731研究の現在地~今を生きる日本人が知るべきこと」
浅川地下壕を歩く(2021年2月7日)





2021年 パネル展「731部隊 戦前・戦後の医学」アンケート

14日(日)

・素晴らしい展示です。特に731部隊の加害者の実名が明らかになっているのがよい。

(70代、市外)

















原告たちのあまりに理不尽な被害

JUSTICE 中国人戦後補償裁判の記録』(中国人戦争被害賠償請求事件弁護団 編著、高文研)評者:根岸恵子


                





自衛隊における731部隊の記述

「部外秘 参考資料 CBR講習資料」11頁 作成日時不詳 陸上幕僚監部化学科より

d旧日本軍の細菌戦活動

旧日本軍の石井部隊は又の名を関東軍防疫、給水、731部隊、加茂部隊、特25204部隊と呼ばれた。細菌戦闘専門の特殊部隊であった。隊の設立は昭和6(1931)年で満州の研究所完成は昭和10(1935)年である。日本軍細菌戦部隊の本拠は満州ハルビン郊外濱江省(ひんこうしょう)双城県平房の4階建近代建築でその中で遮断隔離の生活をしていた。設備は爆撃機(細菌撒布用)10機、1000kwタービン発電機2台である。この本部の元に、孫呉、海拉爾(ハイラル)、牡丹江、林口、大連の5支部があり、大連のものは大連研究所または松林機関とも言われていた。他の部課は細菌の攻撃方法、容器散布方法、防疫問題を研究していた。最も力を入れたのはヒタツリ菌(注:脾脱疽菌)であった。この菌を粉末にして榴散弾の70g位の鉛製弾子に混ぜ、これを砲弾内に詰め、炸薬が爆発すると弾子が飛散して人馬に感染さすようになっている。実験場所は731部隊研究所から北に300(?)㎞ばかりのアンダ飛行場を使用した。そして砲弾が爆発しても菌の40%は生きていること及び培養器に飛ばされた菌は確実に付着する事、負傷者は発病することが確認されている。1938年中国廬山の戦闘で日本軍が毒ガス、ホスゲンを使用したという2,3の細菌記録がある。この記録を持つ731部隊は1945年8月9日午前6時ハルビンの工兵、歩兵、砲兵によって徹底的に破壊され付属設備は地上から姿を消した。ソ連の対日参戦による退却の結果である」

 

長岡大学 研究論叢 第16号より(2018年8月)

・・・731部隊に関する概要が正確に記述されており、更に1938年に毒ガスを作戦で使用したことまで記している。これは化学学校の教育部長が、特殊課程の学生に講義した内容である。内容は事実であると確認して行ったと考えるほかはない。戦後自衛隊は731部隊の実態とその活動を把握した上で、何ら反省することなく自衛官に「教育」してきたのである。また教科書裁判では日本政府は長きにわたり731部隊の活動の事実認定さえ回避してきたが、陸上自衛隊の内部教育資料にも明記されるほど、自衛隊幹部周知の事実だったのであり、日本政府は一貫して内外に虚偽の主張をしてきたと言える。


『日本医学百年史』195711の731部隊の記述






































日本医学界では731部隊の反省は戦後全くなされていないが、以下の書に731の記述が記されている。
『日本医学百年史』第4章 戦時体制下の医学 全体主義思想p236

「このようにして日本の医師の戦争政策への積極的な協力が行われていったのであるが、直接的な戦闘行為への協力の中で極めて非人道的な、目を覆わざるを得ないものに、細菌戦の準備があった。細菌戦の準備と実行を持った特殊部隊は、昭和10年(1935)夏、石井四郎を部隊長に満洲で編成され「関東軍防疫給水部」と称せられた。

昭和17年頃に「第731部隊」に昇格し、その研究、実験、製造は急に活発になった。(昭和14年のノモンハン事件に参加し、感状をもらっている)この部隊は細菌の製造、兵器としての細菌の利用、人体実験等を行い、施設として、常備爆撃機10機、1000kw発電機2台、隊員及び家族約6000名、年間研究費予算8000千円以上と言われている。

勿論、この部隊に多くの医学者が参加した。このことから、科学者としての責任の問題と同時に戦争責任が問題になってくる。

 細菌戦準備への医学者の参加は、戦争責任の最も極端な場合として提起したわけであるが、このことの深い反省の上に戦後の再建も始められる必要があったし、現在でもなお問題とされねばならない。」



第3章 生物戦の愚かな第1歩は、日本の731部隊からはじまった





731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第1回

731部隊と人権ー裁判から考える


731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第2回


731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第3回

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第4回


731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第5回

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第6

「登戸研究所と731部隊」(お話:山田朗さん)


731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第7

「731部隊について」(お話:五井信治さん)


731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第8

731部隊と100部隊-人獣共通感染症への戦争動員―(お話:小河孝さん)


731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第9

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第10




パネル展「731部隊 戦前・戦後の医学」
      医学と人権を考える―
(番外編)
『医学者は公害事件で何をしてきたのか』 津田敏秀著
      (2014年5月16日第1刷発行)

Ⅲ 必要な制度の見直し

2、学者製造機構としての医局

医局というところ

また医局は人事交流を行なうことにより、情報交換機能や、生涯教育の提供機能を持つ。これは、医療関係職の中で医療事務などの外部組織からの人材派遣が進んだ部門に於て、人材派遣の会社が現場のノウハウを蓄積している現実を見ても分かる。現実的には、規制が多く多種の専門性を要求される保健医療業界では、医局が医師のアウト・ソーシング機能そのものであると言える。ただこの医局による人材派遣の機能が効率的かどうかは一度検証してもよいだろう。さらに、現在の大学病院は独立行政法人や独立採算制の問題も出てきているので、このまま医局が機能するかどうかは分からない。民間のドクター派遣会社も出てきている。








隠された毒ガス兵器


小津安二郎も毒ガス部隊だった


森友・加計問題などで公文書改ざん、事実の隠蔽などが問題になっているが、敗戦時の証拠隠滅、文書焼却、事実の隠蔽は、その比ではない!今も
続く歴史改ざん!!     

※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!


     

 

 

●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。


日本政府は、真摯に過去に向き合い、生物兵器を作ったことを謝罪し、今のこの難局に、立ち向かうべきだ!!

 

 

東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫

元731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉

「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」


1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日  731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日  731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日  731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土壌への浸透力の調査した 
8月  731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月  100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置













戦争犯罪と戦争責任を考える(帝銀事件捜査から)山田朗
(『日中友好新聞』2022年2月15日号より)

  捜査資料には、捜査の途中(7月頃)から、米軍と約束したから話せない、と言った関係者の言葉が記録されている。
 この口止め工作には、米軍と結びついた有末清三(元中将)などの旧軍関係者も深く関与していたことも分かる。有末は、捜査官に、旧軍関係を探るのはGHQとの関係でやめた方が良い、といったことを忠告している。また、捜査当局に、秘密を話させないということだけでなく、証言を変えさせるということまで行われた。
 それは、操作初期の4月の段階で、使用された毒物は旧軍が開発した「青酸ニトリール」という特殊なものだと捜査官に断言していた人物が、毒物に関する知識がない平沢が逮捕されたのち(9月)に、「誰でも入手できる青酸カリだ」と証言を変え、毒物の専門家として鑑定書まで捜査本部に提出し、裁判でも同様の証言をしていることからも分かる。

 



 



 

 

























1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察

 

 731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。

 

●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!

 

731部隊被害者遺族の訴え!!        

 


東大伝研とは戦前、どんなことをやっていた機関なのか?

1934年6月、宮川米次と阿部俊男は何をしに満洲国へ行ったのか?

満洲衛生技術廠とは、一体何をやっていたところなのか??

東大伝研は731部隊と連携を図っていなかったのか??

伝研で毒ガスの講演?毒ガスへの対処法も考えることになるのか??

小島三郎の渡満では、満洲衛生技術廠や大連衛生研究所にもいったのだろうか?



実験医学雑報19巻 第7号(1935年)


宮川米次


日本人には独創の頭なきや


日本住血吸虫の本場は支那の福建、浙江、その他揚子江沿岸10州に亙っている地方であるのであります。

その昔南京地方と極めて密接な関係を有した本邦は、この地方よりも本病に罹りながら、移住して来た支那人が相当あったと見なしてよいと思われる。それが、本邦に土着するに当たっては彼らは自らが好む所に至ったものと見えて、支那に最も近い所では佐賀の付近であり、その他中国の一地方、山梨、或いは江戸の近郊という具合であったものか、その所には今日も尚地方病的に本病が見られる事実と総合すると、この想像は決して無理ではないと思う。然るに今日その地方に行って住民を親しく見ても、何れも皆完全な日本人で、その所に少しも支那人らいし所を見出すことが出来るものではありませぬほどに同化しておりますが、しかし彼らが持ってきました地方病のみは独り依然としてその地に土着し、今日に及んでいるものと言うことが出来ましょう。



 



翌年の1936年5月10日には、浜松一中で大福餅の食中毒事件、1937年9月25日には大牟田

で爆発赤痢事件が発生している?防疫研究室との関係はないのか??

浜一中大福餅事件

                浜松一中の慰霊碑

大牟田の慰霊碑(裏)


(碑文)

「時維(ときにこれ)昭和12年9月25日恰も支那事変勃発して3月全市を挙げて銃後の遂行に邁進せる秋(とき)、青天の霹靂の如く突如として我が12万市民は古今を絶する悪疫の魔手に掩われたり。ここに大産業都市として殷賑を極めたる本市は忽にして阿鼻叫喚の巷ト化し官民必死の防疫にも拘らず竟(つい)に一万数千の罹患者を出し七百十二名の精魂を奪はる・・・・・」


<三池の冬1997 その2>より

わたしの笹林公園探検の目的は、その隣の隣の慰霊碑であった。さてこれは何の慰霊碑であるか。ここに戦前戦中史の大きな謎が隠されている。(中略)

この慰霊碑は、炭坑事故の慰霊碑でもなく、戦没者の慰霊碑でもありません。1937(昭和)12年に突然大牟田で発生した集団赤痢事件の被害者の慰霊碑なのです。慰霊碑には、一万数千の罹患者を出し、七百十二名の精魂(生命)を奪ったと記されています。この集団赤痢事件がなぜ起こったかについての真相は、いまだ闇に包まれています。しかし、中国戦線に向けて三池(三井)染料が内密に作っていた化学兵器工場で爆発事故が発生し、この事故を隠蔽するために清里の水源地に赤痢菌をまいたという重大な仮説が提起されています。三池染料はわたしの祖父の職場でありました。その祖父は7年前に亡くなりました。この当時のことをもっと聞いておけばと悔いが残ります。近々、この仮説を実証する資料を、受けとることになっていますので、またそのときご報告します。


戦時下 大牟田「爆発赤痢」事件、隠された企業犯罪・国家犯罪

北宏一郎






 


赤痢予防薬は陸軍軍医学校が満洲事変から1年の間に作ったワクチンの1つで、20万人分が作られた。
(石井四郎考案の赤痢菌大量生産装置が使われた)。この結果、大牟田市民からいろいろの種類の
赤痢菌が検出されることになる。
志賀菌、駒込B型異型1号、陸軍衛生部Y菌、北里異型Ⅱ、川灘?菌など。




 

  伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より 

   
























この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認
 定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。
 日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
 この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
 今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時で
 はないのか?


 

 

●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)

「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 

本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。


第6部

資料・731部隊細菌戦裁判

第1審判決全文

原告らの主張 (別紙3)

第6部

資料・731部隊細菌戦裁判

第1審判決全文

原告らの主張 (別紙3)

日本軍による中国への細菌戦の実行(事実論)

第6被告による細菌戦の隠蔽及び細菌戦被害賠償立法の不作為

4  1980年代(第3期)の被告の隠蔽行為

5 1990年代(第3期)の被告の隠蔽

(3)従軍慰安婦、毒ガス等の戦争犯罪に対する謝罪・賠償に逆行する細菌戦隠蔽

 被告・日本政府は、1990年代に入ると、軍隊慰安婦問題、遺棄毒ガス兵器問題の戦争犯罪に対する調査を行なうようになった。

 軍隊慰安婦問題については、政府は当初軍の関与を示す資料は無いと言っていたが、韓国の元軍隊慰安婦3名が日本政府に謝罪と賠償を求めて提訴したことなどを受けて調査をし、平成5(1993)年8月4日、第2次調査結果と官房長官談話を発表した。この官房長官談話は、これまでの政府見解を完全に覆し、軍の関与を認めた。


731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?



 

●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!

安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??

 

           










2013年5月12日、安倍晋三は宮城県東松島市の航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。

           












731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)

 

 

 

 

 日本の中国東北侵略から91年

●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』

 



 












一月二二日

日本人の官舎が十二、三軒ある 
その方で昼食をしたかつたが行軍の目的が違う。     
耐寒行軍兼教科行軍故やむを得ない。でき得る限り支那人と接するようにして日本軍隊の威式を示すと共に 日本の友和と日本を理解せしめ以って南州における共営共住を一大目的としたる行軍故 昼食も支那人の家でする。先発隊のおかげで豚肉入りのオミオツケがあれど 口に入らず 
 其の理由は。?丁度その家では豚を殺しつつあった。その場で殺した肉ではないが駄目だ。喉元から出る血を平然と飲む所や残酷性を発揮するに充分な殺し方は目を背けざるを得ない。親指ぐらいにして二尺余りの鉄の棒を後ろ足の外側に面した皮と肉の間より体内に差し入れ  腹といわず口耳 豚の内部を 未だ泣き声をするのに平然と無茶苦茶につき回している所を見た。


「ずっと父が嫌いだった」




軍都広島での物語

知られていない 8月5日までの 広島 バージョン2

原爆詩集
峠三吉
・・・一九四五年八月六日、広島に、九日、長崎に投下された原子爆弾によって命を奪われた人、また現在にいたるまで死の恐怖と苦痛にさいなまれつつある人、そして生きている限り憂悶と悲しみを消すよしもない人、さらに全世界の原子爆弾を憎悪する人々に捧ぐ。


〈ヒロちゃん ヒロちゃん〉

抑える乳が

あ 血綿(けつめん)の穴

倒れたまま

――おまえおまえおまえはどこ

腹這いいざる煙の中に

どこから現れたか

手と手をつなぎ

盆踊りのぐるぐる廻りをつづける

裸のむすめたち

つまずき(たお)れる環の

瓦の下から

またも肩

髪のない老婆の

熱気にあぶり出され

のたうつ癇高(かんだか)いさけび



 

●『細菌戦部隊』

731研究会編   1996年9月(核時代51年)初版発行

Ⅲ 細菌戦部隊の周辺


陸軍病院の軍医として
14人の中国人を生体解剖した

湯浅謙(陸軍軍医)
■この証言は新宿・渋谷731部隊展(1993年7月)、東京東部同展(93年8月)、千葉同展(93年9月)、石川(金沢)同展(1993年11月)ほかの『報告集』よりまとめたもの。

(経歴〉
1916年生まれ
1941年10月 短期現役軍医として旭川28連隊入隊
1942年2月  北支山西省潞安陸軍病院附
1945年8月  現地で敗戦を迎え、年末に国民党軍の徴用を受け人民解放軍と交戦
1949年4月  解放された人民政府病院勤務
1951年2月  捕虜として捕虜収容所へ拘束される
1952年12月 戦犯として太原監獄へ収監
1956年6月  起訴免除により帰国

はじめての生体解剖

 そして手術が始まると、すぐに盲腸を取りました。麻酔はかけるのですが、正常な盲腸は腫れていないから小さくて取りにくく、1回・2回切っても駄目で3回切ってやっとミミズのようなひゅるひゅるとした盲腸を見つけたというのを覚えています。それから腕を切る。切断だとスパっと切るんですが、血がピューっと噴き出す。それを止めておいて、後でノコギリで骨を切断するのです。そうやって足も切る。

戦時中の東南アジアの様子(731部隊員増田知貞が撮影したフィルム)


日本軍政下香港(1997.7.27)







●証言

生体解剖(旧日本軍の戦争犯罪)

中央档案館

中国第2歴史档案館

吉林省社会科学院編


江田憲司

兒島俊郎

古川万太郎編訳


解説

証言「供述者」の背景ーある日本人戦犯を中心に


変化する収容者たちの意識


 米食に切り替えると言っても、食糧事情が豊富になった現在ならともなく、当時は米は高粱などに比べて値が高く、また東北地方には米は不足していた。この食事の改善についても、また例によって所内から、俺たちにも食べられないものを、どうして彼らに食わせなければならないのだ、という反発が起き、実現までにひと悶着あったようだ。




                     



































消せない記憶「元軍医たちの謝罪の旅」


●毒ガス戦


・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著

第8章 戦後史の中の日本軍毒ガス兵器問題



4 毒ガス戦をめぐる歴史資料と国会論戦


「陸軍省大日記」をめぐって


1984年に吉見義明氏が米議会図書館作成の「旧陸海軍文書マイクロフィルム」から中支那派遣軍司令部「武漢攻略戦間に於ける化学戦実施報告」(1938年11月)を発見したことが同年10月6日の『朝日新聞』で報道された。この資料は、〈『陸支密大日記』1939年第35号〉に収録されていたものだが(原本を日本に返還するのでアメリカはマイクロフィルムに撮影した)。当時、吉見氏が資料の原本に当たろうとしたところ、防衛庁防衛研究所図書館は「他の巻はあるが、この巻はもっていない」と説明したという(『資料集』解説)。しかしその後、無いと説明されていた〈『陸支密大日記』1939年第35号〉が同図書館で公開されたが、「武漢攻略戦間に於ける化学戦実施報告」が入っている第65頁前後の目次は削除され、資料は綴りから抜かれていて閲覧できなかった。原資料の閲覧が可能になったのは1997(平成9)年になってからである(『資料集Ⅱ』解説)。




海軍の相模海軍工廠跡を訪ねて(2022年4月9日)

旧横浜ゴム平塚製造所記念館

明治38年、軍用火薬製造のため、日本海軍と英国の3企業(アームストロング社、チルウォース社、ノーベル社)の合弁で日本火薬製造株式会社(明治40年に日本爆発物製造株式会社と改称)が設立され、本社はロンドン、支店・工場は平塚に置かれた。
工場は明治40年頃に完成したが、この洋館は、英国人支配人の執務室または住居として同時期に建設されたものとも、同44年に焼失し翌年再建されたものとも言われる。
大正8年、会社が日本海軍に買収され海軍火薬廠として発足すると、この洋館は横須賀水交社(海軍将校の社交クラブ)の平塚集会所となり、昭和20年の終戦まで続いた。
戦後は、占領軍による接収を経て、昭和25年、横浜ゴム株式会社が敷地ごと払い下げを受け応接や会議に使用したが、平成16年に平塚市へ寄贈され、同22年に八幡山公園に移築公開された。




*A事案区域とは、環境省が平成 15 年に実施した<昭和 48 年の「旧軍毒ガス弾等の 全国調査」フォローアップ調査※1>において終戦時における旧軍の化学兵器に関連する情報を集約した結果を踏まえ設定したA事案(毒ガス弾等の存在に関する情報の確実性が高く、かつ、地域も特定されている事案)に該当する区域のことです。具体的には、以下の3区域となります(図1参照)。 
①旧相模海軍工廠跡地(神奈川県寒川町内) 
②旧相模海軍工廠化学実験部跡地(神奈川県平塚市内) 
③ 旧陸軍習志野学校跡地(千葉県習志野市・船橋市内)

略史
昭和 5年  海軍火薬廠用地の一部割愛を受け、海軍科学研究部化学兵器研究室が平塚出張所を開設
昭和 8年  平塚出張所に一号・二号・三号特薬兵器の製造実験工場を建設
昭和 9年  海軍技術研究所化学研究部として独立
昭和12年  特薬庫、火薬庫、爆発円筒及び特殊化兵研究室などを建設。総敷地面積は124,000平方メートルに
昭和17年  相模海軍工廠(寒川町)の新設と同時に、化学研究部が相模海軍工廠化学実験部になる
昭和20年  終戦、廃廠
 第一次世界大戦後、日本は化学兵器の調査研究と技術開発に着手、大正11年に艦政本部内に担当部署が設置され、翌12年には海軍技術研究所となり化学兵器の研究と技術開発を開始。
相模海軍工廠では士官・常用工・徴用工員・女子挺身隊員・勤労動員学徒等3,500人余りが従事し、主として化学兵器・火工兵器の研究開発・製造が行われた。
海軍では毒ガスを攻撃用よりは防御用とすると認識が強く、相模海軍工廠では防毒マスクの生産が主力だった。(相模海軍工廠より)







第1次世界大戦では、毒ガスが大量に使われた。

百年の悲劇は、ここから始まった1






・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)

第10章 残酷な人体実験毒ガス実験


35人に被害、3人は重体

紅旗09号船の中毒患者リスト
職種       姓名         備考
船長      王希勝        熟練工
副船長     賈克剛        熟練工
水夫長     宋偉華        熟練工
水夫      向長安        熟練工
水夫      相伝林        臨時工
水夫      於清富        臨時工

 

SNSで人気「ウサギの島」が背負った〝毒ガスの歴史〟大久野島を歩く


加害の歴史」北九州市の毒ガス工場 第二次世界大戦で旧陸軍が使用









 

 

 









 

●『三光』     中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)

核時代39年(1984年)5月初版発行


●『三光』     中国帰還者連絡会編
核時代39年(1984年)5月初版発行

細菌戦ー731部隊の蛮行


田村良雄(たむらよそお)防疫診療助手 兵長
(略歴〉
1939年5月  元関東軍防疫給水部本部(731部隊)に入隊
1943年3月  退職
1944年3月  元関東軍59師団32連隊に現役兵として入隊
1945年8月  元関東軍125師団軍医部兵長
1952年6月  逮捕さる。河北省永年県において

本籍地=千葉県長生郡 出身階級=雇農 年齢=34歳


「フ、フ」-私は飢えた狼そのままに、ころがされた婦人をなめるように眺めまわしました。
灰色になった“病衣”から露出されている足の片方はかかとのところから無く、片方は指が全部無く、黒い肉となり骨が出ております。《だるまならちょうどあつらえ向きだ》私はあお向けにされ失神したように一切の気力を失い、何の抵抗する力もなくなっている婦人の前にひざをつくと、婦人のすそを力任せにまくり上げました。婦人はあらん限りの力を出して体の向きを変えようともがき、羞恥と憎しみに燃えた眼は怒りを増し、火を吐くばかりでありました。
 婦人は凍傷試験で手足をもぎ取られ、今又二木班の第4性病の研究でモルモットにされ、残酷に殺害されようとしているのでした。婦人の下腹部に目をやった私は、下腹部から鼠蹊部(そけいぶ)にかけて赤紫にはれ上がり、ウミが床一面に流れているのを見ました。「チェッ、畜生」獣欲を満足することができないと知ると、婦人の腰を力任せに蹴りとばして出て来ました。

2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)

 



    


    






































●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!




















(2021年2月4日)

在日米海軍厚木基地(大和、綾瀬市)で米陸軍が化学、生物、放射線、核(CBRN)の対応訓練を予定していることに対し、厚木基地爆音防止期成同盟(爆同)など関連4団体が4日、同基地正門前で抗議集会を開き、訓練の中止を訴えた。

 訓練実施は1月28日に、日米合同委員会で合意。防衛省南関東防衛局が大和、綾瀬市に連絡した内容によると、訓練場所は、同基地を共同使用する海上自衛隊が管理する区域内にある滑走路南端の約2万平方メートル。今月5日から9月30日まで使用することで合意した。

 米側は訓練への参加部隊に関し米本土所属と説明しているが、参加人員や日程については知らせていない。危険物の持ち込みや騒音の発生はないなどの情報提供にとどまっている。

 CBRNへの対応訓練は同基地で過去に例がなく、周辺住民に不安が広がっている。

 今月4日には同基地正門前に爆同など住民団体から約60人が集まり「危険な訓練をやめろ」などと声を上げた。爆同の石郷岡忠男委員長は「昨秋には迎撃ミサイル訓練があった。米空母艦載機部隊の移駐後に空いた施設を使った新たな訓練場になることを危惧している」と強調。基地司令官宛てに、基地の機能強化につながる運用などに抗議する要請書を提出した。


CBRNとはchemical weapon:化学兵器、biological weapon:生物兵器、radiation:放射能物質、nuclear weapon:核兵器を意味する。従来はCBRだけで用いられることが多かったが、近年は核兵器Nを加えてCBRN(日本語ではシーバーンと発音する)として用いることが多くなっている。

●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?


日本の国家機密』(現代評論社刊 1972年初版発行)

藤井治夫著

第2篇  自衛隊の機密

第2章 日米共同作戦

3 空の共同作戦

防空作戦の協定  

 航空自衛隊の総合運用教範の1つについて解説した『防空作戦教範解説』(空自幹部学校)は、「防空作戦は、元来全般航空作戦の一環として行なうものであって、それ自体独立した作戦ではない。すなわち、防御(防空)によって持久目的を達成して決勝を支援するものである」と攻防の相互関係を説き、この観点から防護対象として決勝航空戦力に高い優先順位を与えている。

 


1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊



 


●『BC兵器』久保綾三著(1969年)

Ⅱ 自衛隊と生物・化学兵器―その思想と作戦

5 生物・化学戦における被害想定

 化学剤死傷見積り

 特に、VX攻撃では、液状VXに接触すれば、皮膚を通じて、マスクを使用している部隊人員でも死傷する。だがHDやVX液状の汚染については、多くの不確定要素を持っているので、直接あるいは間接の液状汚染による死傷者の見積もりは困難である。むろん、死傷発生数が防護装備品を装着しているか、攻撃後の部隊の防護行動などのいかんに左右されるのは言うまでもないが、汚染が2時間から12時間経ってから死傷者が発生することは予測できることである。

 このような死傷予測を前提にして、作戦実施のための想定見積りが行なわれるのであるが、その想定は次のようなものである。



 


 

 ●昭和天皇の戦争責任を問う!!


天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より

重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。


 


 



●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)

吉田裕監修 

 

2001年ピュリッツァー賞受賞

 

※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!


戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!  

     





第1部 皇太子の教育

1901(明治34)年―1921 (大正10)年


第一章少年と家族と明治の遺産

3学期(冬の1月から3月まで)になると、教職員と生徒は気候の温暖な沼津の御用邸に移転した。教室での授業は幾分くだけた雰囲気になる。学友が親元に帰る6月から9月までの夏の間も、皇太子は両親とはごく短い期間しか過ごせない。彼の夏休みは、国内の主な陸軍駐屯地、海軍基地、兵器廠を視察する過密な予定でいっいである。彼はまた、陸海軍大学校を訪間し、参謀本部と軍令部を定期的に訪ね、駆逐艦と巡洋艦の遠洋訓練航海で海軍士官の経験を積み、大砲の試射に立ち会い、師団や連隊の演習を観戦した。

日本国憲法9条

第9条【戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認】

①、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

②.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、
これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


RENUNCIATION OF WAR Article 9.

Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation
and the threat or use of force as means of settling international disputes.

In order to accomplish the aim of 
the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained.
The right of belligerency of the state will not be recognized.

 



731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!

 

日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?

●地球の異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!

※私が考える、今の異常気象の要因は

1、1940年代から60年代にかけて大規模に行われた、核実験による環境破壊の影響

2、戦争、

3、都市化したコンクリート(アスファルト)ジャングルによるヒート・アイランド現象

4、その結果による、交通機関(電車・バス・乗用車・航空機・船舶)やオフィス・住居などの冷暖房による排熱

5、原子力発電による温排水の排出・・などに拠っているのではないか?


「日本が動かなければ」 核兵器禁止条約発効1年、各地で訴え




核実験

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』



地球を破壊する核爆発・核実験


放射能の影響

核実験により多量の放射性物質が、放射性降下物(いわゆる「死の灰」・「黒い雨」)として、広範囲に拡散をする事で大気汚染・土壌汚染・海洋汚染・生物汚染を引き起こす。このため短期・長期の様々な影響がある。

核実験が行われるようになって以降、北部大西洋の中層でも放射性同位体比が上昇している。これは海洋表層に散布された放射性元素が海洋大循環によって沈み込んだためである。

核実験で放射性同位元素の炭素14が大気中に散布されたため、放射性炭素年代測定法による年代測定は、1950年頃以降を特定するための年代測定としては、従来の手順では使えなくなった。





アインシュタイン「科学者たちの罪と勇気」

メアリーが伝えるヒロシマ




 「北朝鮮の核実験の威力」と「史上最強の核兵器"ツァーリ・ボンバ"の破壊力」【核兵器】



●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future

●核融合もすべきではない!!



なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!

       

      

















原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。


・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。




水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した。


















           












JCOの臨界事故


福島第1原発事故

徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!






























0 件のコメント:

フォロワー

ブログ アーカイブ

自己紹介

新しい自分を発見中