2012年9月30日日曜日

この世の地獄!731・原発・南京!!

日本政府は、戦後60余年も経っているのに、731部隊の資料を公開していない!!
いや、公開できない?
今でも生物戦の研究を進めている?
731部隊の人体実験のレポート発見(1992年)

「731細菌戦部隊と医師の戦争責任1」

「731細菌戦部隊と医師の戦争責任2」

「731細菌戦部隊と医師の戦争責任」質疑応答
731部隊の人体実験のレポート見つかる(NHKニュース)


旧日本軍が中国で実施した人体実験や細菌戦に関する資料を日本政府は未だに秘匿している。そしてその事実を認めようとしない!!
敗戦前、原爆投下の広島・長崎に医師の調査団を送り、原爆の被害調査を丹念に行ない、その報告書をアメリカに渡した。もちろん、調査だけで、医療手当など行なわなかった。
731部隊を隠蔽する目的の取引!NHKスペシャル 封印された原爆報告書
肥田舜太郎(95)、命の叫び!!

日本は、国体を護持(天皇制維持)するためにアメリカにいい印象を、与えたかった。
そして、戦後、天皇裕仁とマッカーサーのトップ会談が何回も持たれ、いろいろ話し合われた。私は、その内容については全く知らないが、その中で非人道的な731部隊の人体実験や細菌戦、またアメリカによる原爆投下などのことにも触れているのではないかと想像してしまう。お互いの2国間の政府の間では、そのことを問題にするのはやめようと。
その結果、東京裁判では、731部隊のことや原爆のことは全く問題にされず、誰一人そのことで裁かれなかった。
731部隊の詳細な資料と何人かの隊員はアメリカに渡り、アメリカはその資料や隊員の話を元に自国の遅れていた細菌戦研究を進め、朝鮮戦争やベトナム戦争で実戦使用した。
また、原爆に対しても、全く世界から非難されなかったことで、原爆→水爆という狂気の道に突き進んでいった。
一方、日本は、731部隊員に全くお咎めが無かったものだから、元隊員たちは以前と変わらぬ倫理観で医療の現場に立ってしまった。精神病院や乳児院、その他製薬会社などで人体実験が行なわれ、時々大きな事件となり、世の中を騒がせた。
戦後の医学界は、731部隊について反省するどころか、権力側が容認したものだから、その731部隊の中枢に近い人たちが、医学界をリードしたため、全く731部隊の反省はされず、その系譜が今に引き継がれている。
731の学者
731の学者

日本学術会議の態度
日本学術会議の態度

日本医師会の歴史認識
日本医師会の歴史認識


原発事故の福島や、国立感染症研究所や自衛隊の化学学校では実際どんな研究がされているのか、と考えるとそら恐ろしくなる。

防御と攻撃は紙一重!!防疫給水と言って戦中細菌戦を進めていたことを見ればよく分かる。
自衛隊化学学校の実態
動画でわかる!陸上自衛隊化学学校
また、原発事故で明らかになったように、日本も原爆開発に執念を燃やしている!!
日本国憲法第9条は全く形骸化しているのではないかとも思う。
第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

これに対し、ドイツの脱原発やドイツ医学会の謝罪は本当に素晴らしいと思う!!
ドイツ医師会の反省
ドイツ医師会の反省

ドイツ精神医学会の反省
ドイツ精神医学会の反省



これじゃ死者(=殺された者)は浮かばれない!!
オウムのやったことと旧日本軍のやったことはよく似ている!!
サリンを撒いた!細菌を撒いた!
日中国交正常化40周年
問われる日本政府の隠蔽体質!!
問われる日本人の歴史認識!!
日本は世界で唯一、第2次大戦中、細菌兵器を実戦に使った加害国だった!!
きけ!!「マルタ・アジアの被害者」の悲痛な叫び!! 
「怨」
黒い太陽731部隊



「吾、吾が罪を知る」という遺書を残して自死した東大助教授に石井らは果たして何を要求したのか?(詳しくは「細菌戦部隊と自決した2人の医学者」【新潮社】をお読みください!)
昭和20年9月2日大学の研究室で自殺。(その日は戦艦ミズーリで日本が降伏文書に調印した。)
海自いじめ自殺、破棄したはずのアンケート存在
自衛隊のいじめ→自殺者毎年100人

●731部隊
細菌戦実施の新資料・金子論文を読む
シンポジウム:全記録 2012年2月29日
常徳は井本日誌ではっきりしている

【吉見】次に常徳ですけれども、常徳にペスト菌を撒いたということは、井本日誌によって非常にはっきりしている訳です。これはいろいろなところで引用されていると思いますけれども、1941年11月25日の日記に、長尾参謀からホ号―細菌兵器の実戦使用をホ号作戦と言っているんですが―の報告を受けているのです。
念のため読んでみます。4/11というのは11月4日という意味ですが、「4/11朝目的方向ノ天候良好ノ報ニ接シ97軽機1キ出発、0530・・・」。これは日本時間です。中国でも日本軍は日本時間を使っていたようですが、朝5時30分に到着。「霧深シ、H(高度)ヲ落トシテ捜索、H800附近ニ層雲アリシ為1000m以下ニシテ実施ス」。低空で撒いたということですね。「増田少佐操縦、片方ノ開函不十分、洞庭湖ニ函ヲ落ス」。函が2つあったんですが、一方が開かなくて片方だけ撒いた。残りは洞庭湖に落としていったということです。
次に「アワ36kg」と書かれていますが、この「アワ」というのは、ペストノミだけではなくて、それに一緒についているフスマなどの穀物を含めた重量ではないかと思います。と言いますのは、今回の金子論文では、常徳に撒いたPXの量は1.6キログラムと書かれてあって、その違いが余りに大きいからです。「其後島村参謀捜索シアリ」と書かれています。
「NPO法人 731資料センター 会報3号」より
吉見資料1
吉見資料1
吉見資料2
吉見資料2
吉見資料3
吉見資料3


●原発
ずっと真実を伝えて下さい!!存続希望!!MBSはどうしたんだ!!
小出裕章(京大原子炉実験所助教) 「たね蒔きジャーナル」存続呼びかけ

肥田舜太郎(95)、命の叫び!!


原子力村をぶっつぶせ!!原発の再稼動を許すな!!まさか、日本が劣化ウラン弾を作ってはいないでしょうね?


2011年12月22日 「国の放射能の『除染に効果はない』」神戸大教授 山内知也

「瓦礫処理うけいれが東北復興にならない」

大義なき戦争「イラク戦争」に日本は間接的に加担した!!憲法9条はどこへ行ってしまったのか?
覚悟が必要です。劣化ウラン弾放射能影響「ファルージャの子供たち」

三井化学岩国大竹工場が爆発、2012年4月22日 深夜に爆音・炎上

劣化ウラン保管、地元は初耳

山口・化学工場爆発と劣化ウランについて。- 2012.04.22

■三井化学大竹工場は劣化ウラン弾の秘密工場だった

イラク攻撃で使用されている劣化ウラン弾に日本の電力会社の劣化ウランが使われている強い疑惑

やはり日本の原発は核開発目的だった!

日本はプルトニウム製造列島 福島原発事故と石原知事発言の関連は? 

日本、原子力利用に「安全保障」の文言 北が「核武装合法化」と非難

(朝鮮日報日本語版) 【社説】中朝の軍事力拡大を口実に核武装目指す日本

「即時原発ゼロ」を 増え続ける使用済み核燃料 再稼働なら6年で満杯

来春、伊方3号機が手始めか。田中俊一が規制委員長に就任早々、再稼働へ着手

2012年09月26日【水】Radio News たね蒔きジャーナル


20120926 たね蒔きジャーナル 京都大学原子炉実験所助教 小出裕章

20120927 たね蒔きジャーナル 京都大学原子炉実験所助教 小出裕章

小出裕章先生・たね蒔きジャーナル最後の出演(´・_・`)



●情報操作
日航ジャンボ墜落事故!!これは、事実か?本当ならなぜマスコミはもっとこれを追及しない、いやできないのか!!これも証拠湮滅しなければならないという強力な力が働くのか?戦争・原発事故と同じ?
20120803 [2/2]たね蒔きジャーナル「どこに向かう 日本」

たまたま自衛隊員が真実を語る
・当時から今日まで友人が語ってくれた話がどうしても私の脳裏から離れる事ができないのです。事故当時、航空○○隊に勤務していた友人が、事故から数週間後に休暇を貰って地元に帰ってきた時に聞いた、本当の話です。友人は、私(普通の一般人)に対して嘘をつかなければいけない理由なんてないだろうし、そして、まだ事故原因も分かっていない時期に、私に、いずれは分かると思うんだけど(直ぐに真の原因が分かると言う意味だったんだと思います)...と言って話してくれた事は、「123便の事故は、本当は○○隊が○落させたんだよ。当時訓練で標的機を飛ばしていて、それが操縦不能になって、行方が分からなくなり、そのとき近くを飛んでいた123便にぶつかったんだ。墜落現場には標的機のオレンジ色の残骸があったから、誰もいないうちにヘリで回収したんだ」と言っていました。当時まだ事故から数週間しか経っていない時にそう言ったのが当時、凄く印象的でした。もちろん当時私は半信半疑でしたが、今考えても彼が私に嘘を語る理由もないし、嘘の話をしたところでなんにもないのです。ただ、彼も自分が知っている事を誰かに話したかったんだと思います。そして、一般隊員(だと思います)の彼が知っているくらいだから、当時○○隊内ではこの話を知っていた人は結構いたのではないでしょうか。私がこの話を投稿(このような話を真実と確認していないのにいいのかと迷いましたが、聞いた話は本当だったので)したのは、「8・12連絡会」が発行した「旅路」を目にしたからです。
・実際の事故機墜落現場は早くからわかっており、地元民らは救出に向かおうとしていたのに、わざと違う事故現場を報道させ、また地元民らにも救出に向かうことを禁止した。
写真
日航ジャンボ機墜落事故 "最後の交信記録" 2000.8.13放送
中曽根康弘元首相のつぶやき ~日航機墜落事故などについて~
http://www16.atwiki.jp/911next/pages/15.html
・・・・・
また日本のマスコミはよほどアメリカの気分を害した政治家以外には、後から真相を追及しないのが暗黙の了解だ。日本のマスコミには政府が言ったことをなるべく正確に伝える通信者はいるが真実を探るジャーナリストはいない。いや、そんなことをする記者が出ては困るのだ。あくまでも政府や警察の言うとおりのことを伝え、時々、順番に記者クラブを通じてちょっとしたリーク記事のネタをあげるようにしているだけだ。
そうしないと彼らマスコミも商売にならないからな。

生存者の一人・落合由美さんの証言
やがて真暗ななかに、ヘリコプターの音が聞こえました。あかりは見えないのですが、音ははっきり聞こえていました。それもすぐ近くです。これで、助かる、と私は夢中で右手を伸ばし、振りました。けれど、ヘリコプターはだんだん遠くへ行ってしまうんです。帰っちゃいやって、一生懸命振りました。「助けて」「だれか来て」と、声も出したと思います。ああ、帰って行く・・・・・。
このときもまだ、何人もの荒い息遣いが聞こえていたのです。しかし、男の子や若い女の人の声は、もう聞こえてはいませんでした。

「日航ジャンボ機墜落事故」
自殺した航空自衛隊員が所持していた 2枚の写真 (世界の真実の姿を求めて!)
JAL123便 日航機墜落事故の真相
日航ジャンボ機墜落事故
日本航空123便墜落事故とオスプレイと脱原発


●南京大虐殺
「この事実を・・・・」
(「南京」市民に仕えた宣教師証言集:章開沅/編 加藤 実/訳)
(発行:ストーク、発売:星雲社、定価2200+税)
※『日中歴史共同研究』(2010年1月31日公表)でも明らかなように、日中戦争は日本の侵略戦争であり、南京大虐殺は歴史事実である。私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!
マッカラム 001
マッカラム
家族への手紙
(1937年12月19日~1938年1月15日)
1月12日、水曜日
今日君達が上海に到着するはずだと、やっと耳にした。それで多くの疑問が解けたけど、君達直接アメリカン・スクールに向かうんだろうと思っている。これからは手紙を託けてもらえるといいんだが。イギリス、ドイツ、アメリカ大使館の人たちは、いつ誰がやってくるのか聞けば、気軽に頼まれてくれる。日本の新聞記者たちが飛び道具で持って来てくれたけど、もちろん封が切られていた。君達ほんの少ししか、身につけて行かれなかったと思うし、何かを置いていかざるを得なかったのか、気になっている。僕達ブレイディ博士をすごく必要としていて、来てもらえる道が開かれるよう願っている。手伝ってくれる人が要るんだ。とりわけヴォートリンが単身の女性の助け手を求めている。だけど誰でも来るのに、自分で食料や布団など必需品を持ってこないといけないんだ。家具のほかには、僕達の住まいには何にも無いんだ。

南京大虐殺・731部隊の悪行を幻にするな!!

南京大虐殺の真相

(1/14)南京大虐殺を謝罪する勇敢で良識ある元日本兵たち

映像の世紀 南京大虐殺26 見透かされた否定派の陰謀1/2

1. 南京大虐殺 日本軍によるアジアでの 残虐行為 Rape of Nanking Part 1

2. 南京大虐殺 日本軍によるアジアでの 残虐行為 Rape of Nanking Part 2

映像の世紀 南京大虐殺12 元日本兵の証言 金子安次

In the Name of the Emperor 天皇の名のもとにー南京大虐殺の真実

映像の世紀 南京大虐殺13 元日本兵の証言 東史郎1/13

映像の世紀 南京大虐殺14 元日本兵の証言 東史郎2/13

映像の世紀 南京大虐殺15 元日本兵の証言 東史郎3/13

映像の世紀 南京大虐殺16 元日本兵の証言 東史郎4/13

映像の世紀 南京大虐殺17 元日本兵の証言 東史郎5/13

映像の世紀 南京大虐殺18 元日本兵の証言 東史郎6/13

映像の世紀 南京大虐殺19 元日本兵の証言 東史郎7/13

映像の世紀 南京大虐殺20 元日本兵の証言 東史郎8/13

映像の世紀 南京大虐殺21 元日本兵の証言 東史郎9/13

映像の世紀 南京大虐殺22 元日本兵の証言 東史郎10/13

映像の世紀 南京大虐殺23 元日本兵の証言 東史郎11/13

映像の世紀 南京大虐殺24 元日本兵の証言 東史郎12/13

映像の世紀 南京大虐殺25 元日本兵の証言 東史郎13/13

南京大屠殺 ( Nanking Massacre )

兵士たちが記録した南京大虐殺1

The Rape of Nanking & Unit 731

1937 Nanking Massacre

NHKスペシャル 映像の世紀 第11集 JAPAN

情報遮断!1937年12月12日・・南京攻略下の南京にとどまって取材活動を続けていた4人の外国人記者が、無線記事の送信に利用していたアメリカ砲艦パネー号を、日本軍が撃沈した!!なお、USS PanayのUSSは、US Shipの略号で、米国艦船であることを示します。

南京大虐殺マギーフィルム)1

南京、マギーフィルム2

南京、マギーフィルム3

南京、マギーフィルム4

証言ー侵略戦争1

証言ー侵略戦争2

証言ー侵略戦争3

07-07. そういう話には乗らないでほしい—元日本兵の証言02





日本政府は731・南京大虐殺等の戦史資料及び、福島原発事故当時の官邸議事録を公開せよ!!

日本は世界で唯一の被爆国であり、広島・長崎では核兵器廃絶のアピールが毎年盛んに行われていたが、今度はその日本が、放射能汚染の加害国になってしまった!!
原発輸出反対!!

日本政府は、先の侵略戦争を真摯に反省し、アジア・日本の被害者に対し謝罪すべきである!!
遺棄毒ガス兵器の処理を急げ!!

No More 731!! No More Nanking!!
No More Noborito!! No More War!!
No More Fukushima!!
武器よ!原発よ!さらば!!
沖縄の米軍基地撤去!!
「日の丸」・「君が代」反対!!
(侵略のシンボル)(天皇賛美の歌)
9条を世界に!!

新しい日本!! 

世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!!
昭和天皇の戦争犯罪・戦争責任を問う!!
政府は戦史資料を全面公開せよ!!
原発・軍事偵察衛星・次期主力戦闘機・リニア・スパコンは要らない!!
税金を震災復興に回せ!!憲法9条が泣いている!!

※リニアモーターカーは膨大な電力を食い(原発3基分)、福島第1原子力発電所の事故ではスピーディー(スパコン)で計算されたデータは全く生かされなかった!!


沖縄を米軍の基地にしたのは誰なのか。

城山三郎著『落日燃ゆ』には広田弘毅が、南京大虐殺当時の外相として事件の処理にあたり、軍部に対しても強く抗議した模様が描かれているが、外相・首相と務めれば日本軍が中国で何をやっていたかを熟知していただろう!!もちろん731部隊の残虐な実験や作戦についても!!東京裁判では広田は何も弁明していないが、日本がアジア諸国に及ばした加害の事実はよく知っていたのではないのか?

広島・長崎の原爆の詩は、日本軍が中国・アジア太平洋で行った残虐行為を受けた多くの被害者の方々にも当てはまる!!
峠三吉の詩『にんげんをかえせ』
ちちをかえせ ははをかえせ 
としよりをかえせ 
こどもをかえせ
わたしをかえせ わたしにつながる 
にんげんをかえせ
にんげんの にんげんのよのあるかぎり 
くずれぬへいわを 
へいわをかえせ 


福島に限らず放射能汚染に悩む全世界の人々の悲痛な叫び!!
ふるさとを返せ!!自然を返せ!!
日常を返せ!!  脱原発!!

日本は、“平和を愛した?”「昭和天皇」・“原子力の未来を明るく描いた”「鉄腕アトム」・“アメリカと結託して原子力を推進した”「中曽根・正力」・“今現在でも原子力を推進しようとする「石原」に騙され続けているのでは?と強く思う!!



●731・原爆・原発
アーニー・ガンダーセン氏へのインタビュー
東電のカネに汚染した東大に騙されるな!
日本を導く頼もしい学者先生方
【315】 国は正しい ?? 水俣病と福島原発
医学は水俣病で何をしたか(抜粋)
水俣病のときは、東大の学者を利用して世論操作を行い、被害を拡大させてしまって...
[証言記録 市民たちの戦争]封印された大震災 ~愛知・半田~

「原爆報告書」は、毒ガス戦・731部隊の隠蔽と国体護持のために、アメリカに少しでもいい心証を与えるために国策として作られ、当の苦しんでいる被爆者には活用されなかった!!なるほど、天皇は原爆忌に広島・長崎には行けないわけだ!!
731部隊を隠蔽する目的の取引!NHKスペシャル 封印された原爆報告書

封印された原爆報告書
広島・長崎あわせて20万を超える人々の命を奪った原子爆弾。これまで日本は、アメリカが原爆攻撃の準備をしていることを知らないまま、“想定外”の奇襲を受けたとしてきた。しかし実際は、原爆投下に向けた米軍の動きを事前に察知していたことが、新たな証言と資料から明らかになってきた。日本軍の諜報部隊が追跡していたのは、テニアン島を拠点に活動するある部隊。軍は、不審なコールサインで交信するこの部隊を、「ある任務を負った特殊部隊」とみて警戒していたのだ。8月6日、コールサインを傍受した軍は、特殊部隊が広島に迫っていることを察知。しかし、空襲警報さえ出されないまま、原爆は人々の頭上で炸裂した。そして9日未明、軍は再び同じコールサインを傍受、「第2の原爆」と確信した。情報は軍上層部にも伝えられたが、長崎の悲劇も防ぐことはできなかった。
番組では、広島・長崎への原爆投下を巡る日本側の動きを克明に追う。情報を掴みながら、なぜ多くの人々が無防備のまま亡くならなければならなかったのか…。原爆投下から66年、その問いに初めて迫る調査報道である。
*SPEEDIの情報をつかみながら住民の避難に生かさず見殺しにした民主党政権は、戦時中の大本営とまるで変わりありません。

原爆投下 活かされなかった極秘情報

天皇制維持条件にポツダム宣言受諾
ソ連は、アメリカの原爆投下の意図が日本を単独占領し、ソ連を脅して戦後世界政治の指導権を確保することにあると察知しました。ヤルタ協定で約束した対日参戦の時期を早め、8月8日、日本に対する宣戦布告を通知して、ソ連軍は9日未明から中国東北部(旧満州)と樺太への進攻を開始しました。ソ連を仲介者として戦争終結を模索していた日本の戦争指導者たちはポツダム宣言受諾を余儀なくされました。しかし、その通告を行う余裕もなく、2発目の原爆が長崎に投下され「この世の生き地獄」が繰り返されてしまいました。

8月9日の御前会議で、軍部は広島に投下された爆弾を原爆とは認めず、戦争継続を主張しましたが、国体護持を条件にポツダム宣言受諾は決まりました。8月10日、日本政府は「天皇の国家統治の大権に変更を加えるいかなる要求をも包含していないという諒解の下に」ポツダム宣言受諾を申し入れました。この申し入れに対し、当初、アメリカのバーンズ国務長官は、70%の米国民が天皇を戦争犯罪人として何らかの処罰を望んでいることを理由に、承認に反対しました。けれども、バーンズは、進攻を始めたソ連が日本本土に到達し、日本の占領管理に発言権を要求するようになることは、アメリカの利益を損なうというスチムソン陸軍長官の意見を受け入れて、暗に占領下の天皇存続と将来の天皇制存続の可能性を示した回答文を作成しました。この回答文を受け取った日本では8月14日の御前会議で、天皇が「敵は国体を認めると思う」として、軍部の反対を退けてポツダム宣言受諾を決めました。

こうした経過をたどってみると、アメリカ政府の原爆投下は戦争終結を早めるためだったという原爆投下正当化論は歴史的真実ではありません。

111006肥田舜太郎氏インタビュー

第26回 原爆被害の隠ぺい(1)

日本政府の秘密主義・隠蔽体質を理解するための注目動画3題

731部隊と山下俊一
731細菌戦部隊残党と長崎大学の放射線医学者たち 福見秀雄・青木義勇と長瀧重信・山下俊一
ヒロシマからフクシマへ 戦後放射線影響調査の光と影【無料版】堀田伸永
山下俊一トンデモ発言

「御用学者」批判ができない大学社会
山下俊一のお師匠さん、重松逸造とは?

広瀬隆氏が山下教授や高木大臣、東電幹部らを刑事告発

福島1万人余外部被ばく量推定(2月20日 21:00更新)
長崎大学:チェルノブイリ原発事故と甲状腺がん
甲状腺がん手術症例数の年次推移
このスライドはベラルーシ共和国のがん登録数で、年齢別に手術された甲状腺がん患者10万人あたりを年次推移としてあらわしたもの。
ここで、福島原発事故後に福島県の放射線健康リスク管理アドバイザーに就任した山下俊一・長崎大学教授がチェルノブイリ原発事故後10年をピークに、被ばく時年齢0から15歳未満の甲状腺がん手術数が激増していると解説している。
山下教授は、アドバイザーに就任以降、後に計画的避難区域に設定さた福島県飯舘村で行った講演等で、「健康へのリスクは低く、心配する必要はない」などと発言しているが、飯舘村はベラルーシの強制移住の基準を超えている。
これを隠蔽と言わずして何を隠蔽と言うのだろうか 子供さんの甲状腺腫が深刻だ
原発導入のシナリオ ~冷戦下の対日原子力戦略~

日本の原子爆弾開発
ザ・スクープ
日本の原爆開発:核兵器開発競争? 鳥飼行博研究室

古舘、生放送原子力村の存在を認める

120411大石又七氏インタビューダイジェスト

小佐古内閣官房参与辞任・20ミリシーベルト問題

●731部隊
「731部隊のすべて~人体実験・細菌戦~」
(2012年4月15日東京ウィメンズプラザ・ホール)

「悪魔の飽食」
人体実験被害者遺族の証言
細菌戦被害者の証言
細菌戦の研究
新資料発見者 奈須重雄さんのお話
松村高夫(慶大)さんのお話
(日本軍の毒ガス被害)日本の被害者は救済するが、中国の被害者は救済しない?
遺棄毒ガス敦化被害事件、不当判決!!
遺棄毒ガス問題について
周桐さん・731記念館館長のお話
最後の挨拶

731細菌戦部隊の全貌

731部隊では何が行われたのか

731部隊員の証言 1


中国再訪の旅5

七三一部隊の簡単な歴史 常石敬一

日本「731部隊」の細菌戦で2万6000人がペスト菌感染

◆旧日本軍の細菌戦、中国人の被害27万人以上

◆「731部隊」米軍へ細菌兵器攻撃を計画 (TBS 06/7/21)

ニュース保存用

武田薬品が、核ビジネス・モンサントとつながっているとすれば

「政府は細菌戦の資料公開を」中国の被害者遺族ら会見

旧日本軍、中国で細菌戦 陸軍の極秘公的文書に記述

細菌戦の新発見資料について

▼金子論文はこちら(PDF 14MB)

731部隊の細菌戦 新証拠発見

100部隊

こんなにもあった細菌戦部隊

※731部隊は、ホルステン河に細菌をまき、日本兵を感染させ治療し感状を貰った!!
(731部隊の治療実績を陸軍に見せつけ、陸軍内での石井四郎の発言力・影響力を強めた!!)

ノモンハン事件・石井の野望 2

<731部隊>関係者リストの作成作業に協力要請

医学界とは731部隊そのものである

国家主義者平泉教授の戦慄  人間魚雷と731部隊 (その1)

朝鮮戦争でアメリカは細菌戦を行った!

戦時中、普通の軍医・医学者が行なった生体解剖
[証言記録 兵士たちの戦争

[証言記録]従軍看護婦が見た戦争

太行の麓をしのんで -生体解剖-

湯浅謙

九州大学生体解剖事件
ザ・スクープ



※アメリカは中国における日本軍の情報を集めていた。
南京大虐殺・重慶などの都市の無差別爆撃、毒ガス戦・大規模な細菌戦などの残虐行為に対して、今度は報復に出た。


※満州の満人部落をはじめ、農安県でも731部隊は細菌をばらまき、多くの人々を殺し、家々を焼き払った。これも、細菌が自然発生したように見せかけた謀略であった。
フェル・レポートによればPX(ペスト菌を保菌しているゲオプスネズミノミという兵器)を使用した細菌戦は12ケ所で行われ、一次流行したら二次流行と続き多くの犠牲者を出した。
今現在でも中国でこの細菌戦の調査が行なわれている。また、他の病原菌を使った細菌戦やゲオプスネズミノミ以外のペストノミを使用した細菌戦もあったようだ!!(『731資料センター会報第2号』を参照・・・ノブ)

※・・・加えて、フランクリン・D・ルーズヴェルト大統領が、1943年には、日本の細菌兵器及び化学兵器による攻撃を非難する声明を出した。ルーズヴェルトは、「日本の武装勢力によって中国の様々な場所で有毒ガスが使用されているとの信頼すべき報告が当政府に届いている」と言明した。彼は次のように警告した―。

もし、日本がこの非人道的な戦闘方式を、中国に対してでも他のどの連合国に対してでも採用し続けるならば、当政府はそのような攻撃を、アメリカ合衆国に対して行われたものとみなし、全身全霊をかけて最大限の報復を日本に対してなすであろうことを、間違いなく明確にしておきたいと心から願うものである。

ルーズヴェルトは、彼の警告を以下の言説で締め括っている―「我々は完全な懲罰を強制する準備をしておかなければならない。日本には(国際)責任が発生するであろう」
(『死の工場』シェルダン・H・ハリス著、近藤昭二訳 P139)

細菌戦の新発見資料について
精魂塔(表)
精魂塔(裏)

精魂塔(これは一体誰を供養しているのだろうか?裏側は何か消したようにも見える!!)
731部隊・細菌戦731部隊・細菌戦資料センターのホームページより)
殺人工廠(1)
731の最後 死亡列車0
「前事不忘 後事之師」(前の経験を忘れず、後の教訓とする)
“戦争を語る”人々

戦犯たちの戦後

証言ー侵略戦争1

北朝鮮による拉致も大きな政治課題だが、戦時中に日本軍が行なった大規模な強制連行(拉致)に対しては戦後日本はきちんと対応したのであろうか?
中国人強制連行1


中国に咲いた一輪の花!!
朝日新聞より   2011年7月9日15時30分
中国の731部隊跡地に謝罪の碑
731謝罪の碑
日本人の募金で設置731部隊の旧跡に建てられた日本人の募金による記念碑=9日、ハルビン、西村写す

(日本政府が正式に謝罪すべきだ!!)

罪の重さを思うと言葉で「謝罪」は表せない!(ABC企画NEWSより)
7月9日、ハルピン市平房区、731部隊本部遺跡内に建立した碑・『謝罪と不戦平和の誓い』除幕式典で、日本側代表挨拶を終え、壇上から降りた矢口仁也は“ああするしか思いつかなかった”とつぶやいた。
今日、私たちはこの日を迎えるに当たって、これまでの道のりを回顧すると、裁判闘争に限界を感じ、日本政府の歴史認識の曖昧さに落胆し、怒り、“せめて市民の手で「謝罪」の碑を建てよう!”と決意し2004年、名称も碑文も決まらないまま『殉難烈士慰霊碑』(仮称)建立募金の呼びかけを開始した。
名称『謝罪と不戦平和の誓い』、わずか4行の碑文に加害者としての謝罪の言葉を記すことの難しさは6月、石碑に文字を刻む作業直前まで迷い続けた。私達の思いは果たして被害者の心に届くのであろうか?一抹の不安を抱えながら迎えた除幕式であった。
「731部隊によって虐殺された3000人以上の烈士の皆さん、夫を、父を、息子を奪われた遺族の方々、そして731部隊に住処を奪われ「労工」として強制的に働かされた多くの罪なき人々、1人1人にどの様に謝ればよいか申し上げるべき言葉はありません。」と言って矢口代表は碑の前にひざまずいた。参列者の私たちも思わず頭を垂れた。この謝罪碑は、731部隊によって亡くなった方々への謝罪と同時に、日本の侵略戦争によって侵された全ての犠牲者に対する謝罪の気持ちを込めた碑でもある。
落成式に参列したペスト被害者の故靖福和夫人、『特移扱』被害者遺族の朱玉芬さんは「市民の皆さんが建てた謝罪碑によって多少心が和んだ。皆さんの気持ちに感謝したい、しかし、それでも日本政府には是非謝罪を求めたい」と述べた。

新たな気持ちで次の一歩を!
碑を建設したことで“謝罪が終わった。許していただいた”ということではない。15年にも亘る侵略戦争によって語り尽くせないほどの被害を受けた中国人民に対し、世代が変わろうと、加害者である日本人としての責任は果たさなければならない。
私たちはその責任の1つに731部隊遺跡保存があると考えている。731部隊遺跡は平房区の住民にとっては本来“目の前から消えてほしいもの”。その屈辱の遺跡が今日まで保存されているのは住民の皆さん、歴代陳列館長を初めとする区、市、省政府の諸先生方の歴史認識の結果であると思う。彼らの努力に感謝するとともに、今日を新しい出発点として、友好を深め、平和を創造し、子孫の未来のために日本政府が正式に謝罪し、戦後補償を実現するまで私たちは運動を続けていくことを誓う。
今回、国会議員の参列は実現できなかったが、阿部知子衆議院議員、服部良一衆議院議員、今野東参議院議員、斉藤勁衆議院議員、川田龍平参議院議員、笠井亮衆議院議員の6人からメッセージを頂いたことは今後の運動への第一歩ともいえる。
最後に、除幕式開催にあたり特に協力、準備してくださった黒竜江省外事弁公室の諸先生方、金成民陳列館館長と職員の皆様に心から感謝します。

問題提起731部隊・細菌戦資料センターのホームページより)
日本は中国に対する侵略戦争中に各地で細菌作戦を実行しました。細菌戦によるペストやコレラの流行によって、中国では多数の犠牲者が発生しました。1997 年と1999 年、細菌戦被害者計180名が日本国に謝罪と賠償を求めて細菌戦裁判を東京地裁に起こしました。

一審・二審の判決は、
1、731 部隊等が細菌兵器の開発の中で人体実験を行っていた事実、
2、731部隊等が陸軍中央の指令で、ペスト菌やコレラ菌を使った細菌兵器を中国各地で実戦使用した事実、
3、細菌戦によって浙江省や湖南省で1万人を超える中国の一般市民が殺された事実、
4、731 部隊等が犯した細菌戦が国際法(1925 年ジュネーブ条約等)に違反していること、
5、細菌戦を実施した日本国にはハーグ陸戦条約第3 条に基づく国家責任が成立したこと、
6、細菌戦は、その被害が悲惨かつ甚大で、非人道的な行為であること、
などの重大な事実認定を行いました。

ところが、日本政府は、判決後も現在まで細菌戦の事実を全く認めていません。これは日本政府が中国侵略に対する真摯な反省を全く行っていないことを意味しています。日中の真の友好とアジアの平和を実現するために、日本が犯した重大な戦争犯罪である細菌戦について、政府は一刻も早く加害と被害の事実を認め、被害者に謝罪と賠償を行うべきです。

731 部隊等の犠牲者に対する戦後補償の速やかな実現は、日本政府だけでなく日本の国民全体の責任です。

●戦後の医学界・薬学界・政界
731部隊員は戦後、裁判によって1人も裁かれなかった!!考えてみれば、戦時中、国家総動員法が敷かれ、日本の大学の専門家も何らかの形で戦争に加わった。医学界であれば、嘱託として731部隊に係った。その数はかなりの数にのぼるだろう。
戦後占領軍のアメリカは独占的に731部隊のデータを安く買い取り、自国の細菌兵器開発に役立てた。そして、731部隊員を裁くどころか、アメリカに協力させ、厚遇してしまった!!だから、医学界では731部隊に係った人間が巾を利かせ、長らく牛耳ってしまった。(今も影響を与えているのではないか?)
戦後もアメリカの要請で人体実験は刑務所などで行なわれ、医学界は731部隊のことを反省するどころか、胸を張ってしまった!!人間を物として扱い、人命を軽視する医療は戦後長らく続いてしまった。(今も変わっていないのかもしれない?)
医学界が中心となって時の政府に圧力をかけ、731部隊の秘密(細菌戦・生体実験等)を決して公式に認めさせないようにしているのではないか?
テレビに出演する名医と呼ばれる大先生も、731部隊のことはよく知っているのだと思うのだが、医学界の“掟”『731部隊のことは公言するな!!』と言うのを忠実に守り通しているのではないか?もちろん、医学界・製薬会社・薬学界・政界で活躍している者、これから出世しようと思う者にはこの“掟”が厳然として生きているのではないか!!
2009.10.25  「戦争と医の倫理の検証を」(東京保険医新聞)
「戦争と医の倫理」の検証を進める会


●731部隊と天皇
欧米の帝国主義にならって、日本も中国侵略を真剣に考え、実行していった。
当時、天皇は現人神であり、日本国においては絶対の存在だった。日本人は、小さい頃から、家庭や学校で天皇を拝み、学校では教育勅語が奉読され、天皇のために死ぬことが最高の価値のように教えられた時代でもあった。当時植民地であった朝鮮や台湾の人々を二等国民とか三等国民と呼び、中国人をチャンコロと呼んで蔑視していた。また、軍医になって中国に渡れば、731部隊に所属しなくても生体解剖は当たり前のように行われていた。
日本の傀儡政権が満州に成立すると、早速、陸軍軍医少佐の石井四郎は、満州の背陰河で人体実験を重ねながら、安くて強力な兵器(貧者の核爆弾)の開発を目指した。
1936年、天皇の認可の下に中国ハルピンの郊外平房の広大な敷地に研究施設を作り、東京の陸軍軍医学校やその他多くの石井のネットワークと連携しながら、中国人・朝鮮人・ロシア人・モンゴル人などをマルタと称して生体実験・生体解剖などをし、試行錯誤を重ね、より強力な細菌兵器の開発を目指した。
1938年(昭和13年)の5月には国家総動員法が発令され、京大や東大の研究者なども上司の勧めや説得により、731部隊に派遣された者もいる。731部隊は国家的プロジェクトだった。そこで開発された細菌爆弾(陶器爆弾)は中国の都市で実戦された。ペスト菌で多くの被災者を出し都市は混乱した。
研究成果は思ったよりも上がらず、兵器の開発を急いだが、時すでに遅く、ソ連の参戦を許してしまった。
ソ連が参戦するや否や、軍部・天皇はいち早く731部隊の証拠隠滅をはかり、建物を爆破し、収容されていたマルタを全員殺し、731部隊員を急遽日本へ戻した。
これも戦争犯罪がばれると、天皇にもその責任が問われることになるからだ。
731部隊にも三笠宮をはじめ何人かの皇族が行き来し、実際731に係わっていた皇族(竹田宮)もいた。東条も足を運び、大元帥昭和天皇の耳にも731についての情報は入り、実際細菌戦の命令も出していた!!
莫大な予算をかけ、全国の優秀な医学者(京都帝大・東京帝大医学部が中心)を集めて作られた731部隊は、軍部・天皇がもっとも期待していた部隊であった!!

マッカーサーは、軍人であった。軍事戦略に長けていた。日本軍の731部隊の細菌戦や、そこで行われている人体実験、また、アメリカ人捕虜に対する残虐行為などの情報はある程度知っていた。しかし、マッカーサーが占領統治に当たって重視したのは、そのようなことを裁くのではなく、円滑に日本統治をすすめ、将来的には日本が、アメリカの傘下に入って、共産主義と対峙する国にしようとしたのではないか?
そのためには、日本人がその当時も今もかもしれないが天皇教に洗脳されていることを利用し、昭和天皇をそのまま在位させて、その力を統治に最大限活用した。
そして、国家的プロジェクトであった細菌兵器の開発や、731部隊で行われていた人体実験のデータを極秘裏に集め、自国の遅れている生物兵器開発に役立てようとした。
そのためアメリカは、731部隊員に戦犯免責を与える代わりに731部隊のデータ全てを独占して買い取り、また、上級部隊員をアメリカ軍に協力させ、朝鮮戦争やベトナム戦争に開発した兵器を使用したようだ。
このような流れの中で、アメリカは東京裁判では731部隊の事は取り上げず、731部隊のことに関しては報道管制を敷き、天皇はじめ731部隊関係者が法廷に立つことはなかった。
結果、天皇の戦争責任は問われることはなく、日本の生物戦の戦争犯罪も一切問われなかった。
そして、東京裁判は、形式的なのものになってしまった。

マッカーサーと昭和天皇
アメリカ大使館での昭和天皇(1945年9月27日フェレイス撮影3枚中の1枚)

日本政府及び天皇とアメリカは、一緒になって、731部隊の隠蔽を図り、これが東京裁判で裁かれない様にし、その残虐な事実が国民の前に公表されないようにした。(昭和天皇とマッカーサーとの会談は極秘裏に戦後11回行われた。新憲法が制定された後でも、「象徴天皇」という新たな憲法上の地位に“制約”を感じることもなく「政治的行為」として、マッカーサーと「トップ会談」がなされていた。それも、当時の政府を飛び越えて行われていた。この「トップ会談」の「公式記録」はこれを所管する宮内庁・外務省が正式に資料公開すべきである!!)
その結果、裁判で国民の前に731部隊の情報が公開されなかったし、追及もされなかったものだから、大元帥昭和天皇の戦争責任を問う声は国民からはあがらなかった。日本政府は戦争の加害の事実に目をつぶり、隠ぺいし続けているが果たしてこれでよいのであろうか?

※パウエルの記事と森村の本は、日本で政府が見解を出さざるを得ないほどの騒ぎを巻き起こした。政府は国会で731部隊の存在と、731部隊の戦争犯罪について初めて認めた。議論の中で政府は、石井の細菌実験について知りながら石井にかなりの軍人恩給を給付していたことを全く偶然に露呈してしまった。【 『死の工場(隠された731部隊)』:シェルダン・H・ハリス著、近藤昭二訳 193頁】

●巨大なプロジェクト:石井機関
(常石敬一:『部隊展』全国実行委員会より)
ジュネーブ議定書の下で
・・・・・・・日本について筆者(常石敬一)は次の3点を報告した。第1に生物兵器を戦争で使用したこと。未遂のものを含めると対象国は(時代順に)ソ連、中国、そしてアメリカだったこと。第2に生物兵器研究・開発計画には日本中の医学者が総動員されており、そのかなめが軍医学校防疫研究室だったこと。第3に第2次大戦時の首相東条英機や敗戦時の参謀総長梅津美治郎ら内閣や軍の最高幹部は、生物兵器開発の遂行やその過程で人体実験を知っていたこと。・・・・・・
今回初めてこうした項目立ての下で日本の生物兵器研究開発の歴史を見た結果、重要なポイントでありながらこれまであまり注意を払ってこなかった点がいくつか見えてきた。
その第1は要員1万人以上という、日本の生物兵器開発計画の規模の巨大さだった。もうひとつは日本の計画では始めからヒトに対する生物兵器攻撃が予定され、人体実験が行われてきたことである。
規模で当時1000人を超えていたのは旧ソ連だけだった。他は比較的大規模だった英独でも数百人規模だった。このように大規模なものとなったのは陸軍の最高幹部の承認および奨励の下でこの計画が進められたためである。それだけ日本の計画は本気だったということである。計画発足当初から対人用の生物兵器開発が行われたこともそうした本気であることの表れである。


1937年12月13日
南京陥落!!

南京大虐殺
日本政府は、戦史資料を公開せよ!!
河村・石原両氏の発言には全くあきれる!!
清明節前に南京大虐殺記念館のモニュメント清める=江蘇省
教科書検定で「南京大虐殺」を否定、中国ネット上で反発の声
南京大虐殺は世界的に誤解されています。

中核的な出来事は南京陥落時の城外における大規模な捕虜の殺害です。
父親(栗原利一)のスケッチブックでも7万余人と書かれています。
非戦闘時の7万余人の捕虜の殺害ですから、当然、日本陸軍が軍の組織として行なったものです。
捕虜の多くは蒋介石軍兵士などです。

ただ、中国側の言う30万人説は戦闘時の犠牲者も含めた数として合理的な数です。
昭和12年7月の南京の人口は135万人です。
11月末の人口は50万人で、これに南京防衛軍15万が加わった65万人が日本軍の攻撃に晒されました。

否定派の言う20万人は逃げ場の無い貧民の数です。
小平市の警察学校と小平団地を合わせた(昔の警察学校の広さ)10万坪の安全区に押し込められた貧民の数です。

(65連隊のシャーカン【下関】おける2千人斬首は父だけが日本側の証人です。名古屋市の河村市長は無知なだけです。「ジョン・ラーベ」は城内での出来事しか書かれていないので日本人には誤解を与えます。)【核心氏のコメント(2009年11月2日)】
栗原利一資料集
20万人しかいなかったから30万人殺せない、というのはウソ   
南京事件-日中戦争 小さな資料集
日本人の「南京大虐殺」に対する認識
三笠宮崇仁と南京事件
偕行社の「お詫び」に見る南京大虐殺
23.南京大虐殺の責任(上)
東京裁判 天皇との絡み新たに
南京大虐殺 稲田朋美氏よ 日本人として恥を知れ!(その1:李秀英名誉毀損裁判)
【「南京大虐殺見た人いない」/ 田母神氏が隊員に教育か】
南京【あの発言から2か月】河村市長へのアドバイス(今、本当にできること)
「河村たかし名古屋市長の南京事件を巡る発言」

史実を守る会は、河村市長に以下の抗議文を
送りました。


抗議文

名古屋市市長 河村たかし殿

(1)貴殿は2012年2月20日午前、表敬訪問に訪れた南京市の共産党市委員会常務委員の一行に対し、「南京事件はなかったのではないか」と発言し、その後も同趣旨の発言を繰り返し、その結果、南京市は名古屋市との交流を一時停止、中国国内でも大きな反発を呼ぶなど、大きな問題に発展している。

(2)貴殿の今回の発言をまとめると、南京事件を否定する根拠として、①終戦後、下士官だった貴殿の父上が南京市において手厚くもてなされた、②目撃者がいない、という2点を挙げている。

しかし、根拠①は、当時の蒋介石政権の「以徳報怨」政策(国共内戦を見越しての日本軍宥和政策)に基づくものと解されるが、そもそも、この様なことが大虐殺を否定する根拠となるはずもない。これを根拠に大虐殺を否定するなどというのは、父上に対して温情を示した南京市民を裏切る暴論である。

また、根拠②は、事実に基づいていない。まず、その前提として指摘するが、南京市の地理の広さ、事件の期間の長さを考慮すれば、大虐殺の全体像を「目撃」することは不可能である。したがって、ここでの「目撃者」とは個々もしくは一定集団に対する虐殺の目撃事例ということになる。
そこで目撃の一例を挙げるならば、夏淑琴さんのケースがある。夏さんは、当時7~8歳だったが、2家族13人の内、11人が殺害されたことを目撃している(※1)。
一方、 独立工兵第1連隊第2中隊の岩崎昌治伍長は、捕獲した敗残兵を殺害したり、「城内に居った支那人を約二千名」を「全部殺してしまった」と陣中書簡に書いている(※2)。
また、ロイター通信社のスミス記者は、揚子江の桟橋で、「一千人の中国人を」「脆かせ、後頭部を撃ち抜く」という処刑の光景を目撃している(※3)。
この様に南京事件は、被害者も加害者も、また第三者でさえも虐殺の模様を「目撃」している。貴殿が言うところの「目撃者がいない」とは、単に「目撃事例の資料を知らない」ということでしかない。

(3)貴殿の「根拠」は根拠たり得ないものであり、それをもって「南京事件はなかったのではないか」などと主張するのは、非科学的主張としか言いようがない。
あまつさえ、表敬訪問に訪れた被害国の要人に向かい、この様な非科学的主張によって被害事実を否定するなどということは、誹謗中傷と受け止められても致し方ない。
即刻、「南京事件なかった」という暴言を取り消し、日中双方の国民に向かい、自身の不明を詫びることを求めるものである。

2012年2月26日
南京への道・史実を守る会
fact_keeper@yahoo.co.jp
http://jijitu.com

※1 笠原十九司『体験者27人が語る南京事件』(高文研、2006年)P132-146
※2 岩崎稔『或る戦いの軌跡』(近代文藝社、1995年)P23-80
※3 石田勇治他『ドイツ外交官の見た南京事件』(大月書店、2001年)P44-50


河村たかし名古屋市長による
南京大虐殺否定発言に対する抗議声明

1 河村たかし名古屋市長の発言
名古屋市の河村たかし市長は2月20日、姉妹都市である南京市の共産党市委員会の訪問団に対し、1937年12月の「南京大虐殺事件」について、「通常の戦闘行為はあったが南京事件というのはなかったのではないか」と南京大虐殺を否定する発言を行った。その後も河村市長は同趣旨の発言を繰り返し、中国国内で大きな反発を呼び起こすとともに、各種交流事業が中止になるなど、日中間の友好関係に多大なる支障をもたらしている。
しかし南京大虐殺の事実があったことは、多数の目撃者や幸存者が現実に存在しており、南京市民の「民族の記憶」として記憶され、日本、中国及び欧米の膨大な資料がその事実を裏付け、歴史学界の定説ともなっており、第3次家永訴訟では①南京事件が組織的に行われたこと、②大量のレイプが行われたことを認めている。加えて、当弁護団が関与した幾多の判決においてもその存在が認定されている紛れもない歴史の事実である。

2 判決の認定した事実
731・南京・無差別爆撃訴訟事件において1999年9月22日に東京地方裁判所が言い渡した判決は、「『南京虐殺』というべき行為があったことはほぼ間違いのないところというべきであり、原告李秀英がその被害者であることも明らかである」と認定している。
この李秀英さんは、南京大虐殺当時妊娠7ヶ月だったが、日本兵の強姦に抵抗したことで全身を29箇所37回も銃剣で刺され、流産したが自身は奇跡的に生き残ったという体験をした。この李秀英さんを“ニセ被害者”呼ばわりした著者と出版社を訴えた「李秀英名誉毀損訴訟」で、2002年5月の東京地裁判決は、著者と出版社の責任を認めて損害賠償として150万円の支払を命じている。
同じく南京大虐殺の当時8歳で、家族7人を含む11人が日本兵によって虐殺され、母親や姉がレイプされ殺された現場に居合わせた夏淑琴さんについて、“ニセ被害者”と中傷した大学教授と出版社を訴えた「夏淑琴名誉毀損訴訟」でも、2007年11月に東京地裁判決は、「被告東中野の原資料の解釈はおよそ妥当なものとは言い難く、学問研究の成果というに値しないと言って過言ではない」と断罪し、400万円の損害賠償を夏淑琴さんに支払うよう命じた。
そして、上海から南京に進軍中の二人の日本軍少尉が中国人に対するいわゆる「百人斬り競争」を行ったとの毎日新聞報道や、それに対する本多勝一記者による検証論稿等が名誉毀損に問われた「南京百人斬り訴訟」で、2006年5月に東京高裁判決は、「両少尉が、南京攻略戦において軍務に服する過程で、当時としては『百人斬り競争』として新聞報道されることに違和感を持たない競争をした事実自体を否定することはできず」として、その実態が無抵抗の捕虜や農民らに対する「据えもの百人斬り」であったことを実質的に認めている。

3 撤回及び謝罪要求
これら裁判所が認定した事実は、いずれも「通常の戦闘行為」ではない日本軍による虐殺行為である。河村市長による今回の発言は、我が国の裁判所でも認定している「南京大虐殺」の事実を否定するものであり、何らの根拠のない妄言であることは明らかである。
河村市長が、こうした妄言によって中国国民を深く傷つけたこと、それによって日本国民全体の名誉も毀損したこと、さらに日中友好を大きく妨げたことは看過できない。即座に、南京大虐殺の事実を否定した発言を撤回し、中国国民及び日本国民に対し、公式に謝罪することを求めるものである。

2012年3月19日

中国人戦争被害賠償請求事件弁護団
731・南京・無差別爆撃訴訟弁護団
李秀英名誉毀損訴訟弁護団
夏淑琴名誉毀損訴訟弁護団
南京百人斬り訴訟(本多勝一)弁護団

南京事件「生き証人」の証言を残せ、口述史分会を発足へ―江蘇省南京市
「ノブの日記」(yahoo!ブログ)に寄せられたコメント!
南京大虐殺の大きな特徴は、武装解除した中国兵捕虜の虐殺が多いことです。すでに<12月18日の時点>で、複数の下級兵士の陣中日記に、<7万~10万人の捕虜の虐殺>の記録があります。それ以降も、虐殺が続きます。(捕虜の虐殺は、戦果となり、<軍人として出世の評価>となるので、日本軍側で集計しており、記録に残します。しかし、民間人の殺害は、隠すべきことなので、日本軍側には記録がない)これに、民間人の虐殺が追加されます。特に農村部での掃討作戦と言いながら中国人全員の殺害が多く、更に、食糧徴発、実際は掠奪の際にも、虐殺しています。(農民も、12月冬ですから食糧を掠奪されたら飢え死にです)
2012/4/10(火) 午前 7:24 [ sat*atu**200* ]
「ノブの日記」(seesaaブログ)に寄せられたコメント
河村は本当に馬鹿な男だ、数年前実名で河村に抗議したが返事なし、30万は毛沢東の宣伝で過大だが蒋介石は3万人以上と国連に報告、虐殺は有った、私は中国から復員してきた友人の父親の軍医から聞き15年前南京を訪問現地の資料をみて恐ろしくなった。(sakai)
藤村官房長官「非戦闘員の殺害、略奪行為あった」 村山元首相談話の踏襲表明問6.「南京大虐殺」に対して、日本政府はどのように考えていますか。

南京大虐殺74周年、日本は沈黙
“南京事件”…犠牲者名簿に新たに1万人を追加=中国
南京大虐殺、新たな証拠品
南京大虐殺 日本の住職、資料を寄贈
南京大虐殺74年で追悼式典 未解決の歴史問題浮き彫り

3月28日 南京に中華民国維新政府成立。南京事件終焉する。
4月 1日 国家総動員法公布。 
【南京事件:笠原十九司著:岩波新書より】
「南京事件」143枚の写真            

夏淑琴さん
李秀英さん
侵略の戦場で何があったのか!!

12月17日 南京入城式
『南京城頭日章旗翻る』&『南京入城式』
・映画やテレビの時代劇ではクライマックスにチャンバラシーンがあるが、斬られた方のその後の苦しみ・悲惨な光景は省略されることが多い!!日中戦争でも多くの捕虜や市民が日本刀による「据えもの斬り」にされ、殺された。最近のテレビでは日本刀を伝統文化だといって取扱っている番組があったようだ!!恐ろしい!!
・なぜ南京軍事法廷では皇族の朝香宮(当時上海派遣軍司令官)は皇族ゆえ裁かれなかったのか?
Rape of Nanking Part I Atrocities in Asia Nanjing Massacre
『地獄のDECEMBER-哀しみの南京- 』舞鶴公演(2011.3.17) -2-
南京大虐殺マギーフィルム)1
南京大虐殺
日中戦争 (1937-1938)
南京大屠殺 ( Nanking Massacre )
兵士たちが記録した南京大虐殺1

NHKスペシャル 映像の世紀 第11集 JAPAN
阳光卫视 纪录片 国殇 第十二集:南京大屠城
「南京!南京!」が見られる映画サイト
映画「南京!南京!」日本語字幕版全編1/14
日本の戦争 2
南京大虐殺9
南京大虐殺
南京大虐殺5
南京大虐殺
情報の遮断を狙う?日本軍、アメリカ砲艦パネー号を撃沈!!
(アメリカ砲艦パネー号は、南京攻略下の南京にとどまって取材活動を続けていた4人の外国人記者が、無線記事の送信に利用していた。)
アメリカ合衆国では、パネー号の撃沈は、南京で発生していた大規模な強姦と殺戮全体よりも大きな騒動を巻き起こした。12月13日にフランクリン・D・ルーズベルト大統領は、爆撃に「衝撃を受けた」と語り、天皇裕仁に即刻の賠償を要求した。数日後に、消耗しきった生存者たちがようやく文明社会にたどり着いたとき、大衆の反応はますます悪化した。汚れて寒さに震え、毛布と中国の掛け布団、ぼろぼろになった衣服を身にまとった生存者の中には、ショックで未だに死線をさまよっている人もいた。彼らの話は、彼らの写真とともに、この国の全ての主要紙に、「1時間も続いた日本軍の攻撃にさらされたパネー号の被害者」とか、「南京における屠殺と略奪の統治」というような見出しで掲載された。アレイとメイエルのフィルムが劇場で上映されると、アメリカの観衆の間にさらなる激怒と反日感情を喚起するばかりだった。(P176、映像ジャーナリスト 「ザ・レイプ・オブ・南京」アイリス・チャン著より)


●陸軍登戸研究所
・陸軍登戸研究所とは
1937(昭和12)年、新宿にあった陸軍科学研究所の実験場が登戸に移され、電波に関する研究と実験が行なわれた。その後、秘密・謀略戦の研究所として本格的に拡充された。
陸軍参謀本部直属で、1942(昭和17)年に正式名称が「第9陸軍技術研究所」とされたが、軍の法規にすら記載されずにその存在は最後まで秘匿され、ただ「登戸研究所」と俗称されていた。
登戸研究所の任務は、秘密戦・謀略戦に関わる研究・開発だった。毒物、細菌などの生物化学兵器・他国紙幣の偽造・風船爆弾・憲兵隊やスパイ(特務機関員)などが使う武器・器具などを開発、製造した。したがって単なる研究所ではなく、数多くの地元住民を含めて約1000人が働く巨大な秘密兵器生産工場でもあった。
【「陸軍登戸研究所見学のしおり」より:登戸研究所保存の会】

動物慰霊碑
①正門裏手にあって、高さは3メートルほどある。
碑の裏面には、「陸軍登戸研究所」「昭和18年3月」とあり、碑文の書は所長の「篠田鐐」であることも刻まれている。
②「陸軍登戸研究所」となっていることが注目される。正式名称「第9陸軍技術研究所」はあらゆる陸軍法規からも抹消されていた。
③碑の巨大さも不可解である。ここで格別に多数の動物を実験材料に使っていたという形跡はない。にもかかわらず、すでに戦局が傾いている最中にこれだけの大きさの碑を建てたのは、何か別の理由があったと考えられる。
第2科では生物化学兵器を研究・開発していた。その過程でイヌ、サル、モルモット、ブタなどを使って動物実験を繰り返したのだが、完成すると中国で人体実験を行なった。1941年5月22日から、登戸研究所の幹部7名が南京1644部隊に赴いて、青酸カリ、青酸ニトリール、雨傘毒蛇、ハブの毒などを用いて、約30人の中国人に実験した。1943年12月から翌年1月にかけても青酸ガスなどの人体実験を行なっている。いずれも防疫給水本部(731部隊=石井部隊)の協力のもとで行なわれた。
この事実を踏まえると、人体実験犠牲者の慰霊碑は建てられないので、動物の慰霊碑として巨大なものを建てたとも考えられる。費用は、この時期に陸軍大臣から与えられた「陸軍技術有功章」に伴う賞金が充当された。
④人体実験をする科学者の心理はどのようなものか。通常の倫理観を持った科学者が悪魔の科学者に変身する。第2科で生物化学兵器研究の中心にいた伴繁雄(終戦時、陸軍少佐)は、帝銀事件の捜査で警察の事情調査を受けた時、次のように供述している。
「実験を始めた。最初は厭であったが、馴れると1つの趣味になった(自分の薬の効果をためすために)。相手は支那の捕虜を使った。相手が試験官を疑うので偽装して行なった。たとえば・・・・。」(帝銀毒殺事件捜査手記第5巻より。昭和22年4月26日)
【「陸軍登戸研究所見学のしおり」より:登戸研究所保存の会】

(200)陸軍登戸研究所⑤ 731部隊と登戸研究所
動物慰霊碑1

動物慰霊碑2

秘密戦関係
秘密戦関係
記念写真
記念写真(中央 三笠宮)
偽札
偽札(登戸研究所で作っていた)
風船爆弾
風船爆弾(模型)登戸研究所で製造していた!!

●516部隊
第516部隊
516部隊
516部隊と731部隊
中国戦線における日本軍の毒ガス戦
日本軍が遺棄した毒ガス及び中国人に与えた傷害 その1
内閣府大臣官房遺棄化学兵器処理担当室
化学兵器CAREみらい基金ブログ
旧日本軍が遺棄した毒ガス兵器で今現在でも苦しむ人々が、日本や中国に多くいる!!
ニュースレター Vol.12でもご報告いたしましたが、チチハル毒ガス事件の被害者、曲忠誠さんが肝臓がんのため、昨年12月15日に亡くなりました。45歳でした。年末も押し迫った頃、中国人のコーディネーターから連絡が入りました。残念でなりません。マスタードガスに含まれていたイペリットは発ガン物質として知られおり、皮膚だけではなく、内臓にも被害が及びます。曲さんの肝臓がんと毒ガス事故の因果関係は、医学的にも否定することはできません。
曲忠誠さん
曲忠誠さん: 2010年3月 日中合同ハルビン検診にて 


大久野島と毒ガス

全国各地で奮闘する語り部たち
悼みの列島2
(相模湖・大久野島・花岡・・・・で戦時中何があったのか?)
必見!!「戦争を語り伝える人々」のガイドブック!!
『ルポ 悼(いた)みの列島』 あの日、日本のどこかで
室田元美
もう過去のことなんて、いいんじゃない?と思う人もいるかもしれないが、私の胸のなかには、石川啄木「韓国併合」のおり詠んだ「地図の上朝鮮国にくろぐろと墨をぬりつつ秋風を聴く」が常に引っかかっている。(「はじめに」より)

1945年3月10日
●東京大空襲

東京大空襲
母子と思われる二つの遺体。子供を背負って逃げていたらしく、母親の背中が焦げていない(石川光陽撮影)

我々は106回の東京の空襲も風化させてはならないが、中国重慶に対して218回も無差別爆撃した事実も忘れてはならない!!

「重慶大爆撃とは?」

重慶大爆撃は、1938年から1943年までの5年半に及んでいる。日本軍が重慶の一般住民の殺戮を意図的に狙った残虐な無差別爆撃である。日本は、1937年7月の廬溝橋事件で中国への全面的な侵略戦争を開始したが、これ以降日本軍機は上海、南京をはじめとする中国のほとんどの主要都市を爆撃した。
重慶大爆撃が最も激しかったのは1939年から41年までの3年間であった。1939年の「五・三、五・四」、1940年の「101号作戦」、1941年の「102号作戦」・「六・五大隧道惨案」とそれぞれ呼ばれている爆撃では、重慶は甚大な被害を出した。最近の資料では、この5年半の爆撃による死傷者は6万1300人、うち死者2万3600人、負傷者3万7700人とされる。重慶大爆撃は、日本の侵略戦争に徹底抗戦する中国の政府・民衆の戦意喪失と侵略への屈服を狙った最大規模の無差別・戦略爆撃であり明白な戦争犯罪であった。
重慶大爆撃とは①
日本の原爆開発:核兵器開発競争? 鳥飼行博研究室

東京大空襲東京大空襲・戦災資料センターとは
東京大空襲・戦災資料センター
昭和20年3月10日 史上最大の虐
東京大空襲2絵 吉野山氏提供
アジアとの友好のために(1)

消えた日の丸1


●君が代
橋本さん!首相公選制よりいっそのこと、天皇制から大統領制にしてみては!!
(戦争の反省とそれに基づく憲法9条を国是にして)

大阪府教育基本条例案に反対します

「君が代」は歌えない!!
君が代の口元チェックは何が問題なのか


<君が代訴訟>「減給や停職は慎重に」…最高裁が初判断
<大阪府教委>君が代起立斉唱の職務命令
都教委は、「君が代」不服従の教員を
停職処分にするな! 免職(解雇)にするな!


戦争の爪痕を感じる!!
関越バス事故:逮捕の運転手 経営者から一転、日雇いに

●昭和天皇の戦争指導
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戦前の日本において天皇は現人神(あらひとがみ)とされ、大日本帝国憲法では、天皇は日本国の主権者として国のすべてを統治すると定められていました。天皇には軍隊を指揮・統率する最高の権限【統帥権(とうすい権)】があり、開戦と終戦を決定する権限も天皇にあったのです。日本の軍隊は天皇の軍隊という意味で「皇軍(こうぐん)」と呼ばれました。
一方、「天皇は神聖にして侵す(おかす)べからず」(同憲法第3条)とされ、天皇に政治や軍事の責任を負わせることはできないとされていました。かわりに政治は各国務大臣が天皇を輔弼(ほひつ・・・助けて)して責任をとり、軍事は統帥部(陸軍は参謀本部、海軍は軍令部)が天皇を輔弼して責任を負うことになっていました。
1937年に日中全面戦争を開始すると、拡大する戦争を指導するために、皇居内に大本営を設けました。大本営は陸海軍の最高司令官である大元帥(だいげんすい)・天皇の総司令部という意味で、戦争指導の最高統帥機関となりました。この大本営は参謀総長と軍令部総長を幕僚長とし、陸海軍大臣も参列した軍部指導者だけの会議でした。
大本営陸海軍首脳が天皇の御前(ごぜん)で行なった会議が大本営御前会議で、左右に陸海軍のトップが座り、中央の奥に昭和天皇が座りました。この会議では、重要な戦略・作戦について審議し、決定しました。この会議では、陸軍統帥部や海軍統帥部からの上奏(じょうそう・・・意見や事情などを天皇に申し上げること)に対して、天皇は御下問(ごかもん・・・質問)や御言葉を与えるというかたちで戦争指導・作戦指導に深くかかわりました。
昭和天皇はこのほかにも、戦闘の勝利や軍事行動の成功に対して賞賛、激励の勅語(ちょくご)や嘉賞(かしょう・・・おほめ)の言葉を与え、国民の戦意高揚、国威発揚(こくいはつよう)のために積極的な役割を果たしました。 (『未来をひらく歴史』第2版日本・中国・韓国=共同編集:122頁)

「今の状態でも危ないのに、これ以上原発再稼動・戦争・軍事演習・核実験を繰り返していたら、もっと早く地球は壊れてしまう!!」

第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

●祈り1
●祈り2

2012年9月29日土曜日

この世の地獄!731・原発・南京!!

日本政府は、戦後60余年も経っているのに、731部隊の資料を公開していない!!
731部隊の人体実験のレポート見つかる(NHKニュース)


旧日本軍が中国で実施した人体実験や細菌戦に関する資料を日本政府は未だに秘匿している。そしてその事実を認めようとしない!!
 敗戦前、原爆投下の広島・長崎に医師の調査団を送り、原爆の被害調査を丹念に行ない、その報告書をアメリカに渡した。もちろん、調査だけで、医療手当など行なわなかった。
731部隊を隠蔽する目的の取引!NHKスペシャル 封印された原爆報告書
肥田舜太郎(95)、命の叫び!!

日本は、国体を護持(天皇制維持)するためにアメリカにいい印象を、与えたかった。
そして、戦後、天皇裕仁とマッカーサーのトップ会談が何回も持たれ、いろいろ話し合われた。私は、その内容については全く知らないが、その中で非人道的な731部隊の人体実験や細菌戦、またアメリカによる原爆投下などのことにも触れているのではないかと想像してしまう。お互いの2国間の政府の間では、そのことを問題にするのはやめようと。
 その結果、東京裁判では、731部隊のことや原爆のことは全く問題にされず、誰一人そのことで裁かれなかった。
731部隊の詳細な資料と何人かの隊員はアメリカに渡り、アメリカはその資料や隊員の話を元に自国の遅れていた細菌戦研究を進め、朝鮮戦争やベトナム戦争で実戦使用した。
 また、原爆に対しても、全く世界から非難されなかったことで、原爆→水爆という狂気の道に突き進んでいった。
 一方、日本は、731部隊員に全くお咎めが無かったものだから、元隊員たちは以前と変わらぬ倫理観で医療の現場に立ってしまった。精神病院や乳児院、その他製薬会社などで人体実験が行なわれ、時々大きな事件となり、世の中を騒がせた。
戦後の医学界は、731部隊について反省するどころか、権力側が容認したものだから、その731部隊の中枢に近い人たちが、医学界をリードしたため、全く731部隊の反省はされず、その系譜が今に引き継がれている。
日本医師会の歴史認識

 原発事故の福島や、国立感染症研究所や自衛隊の化学学校では実際どんな研究がされているのか、と考えるとそら恐ろしくなる。
また、原発事故で明らかになったように、日本も原爆開発に執念を燃やしている!!
 日本国憲法第9条は全く形骸化しているのではないかとも思う。
第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 これに対し、ドイツの脱原発やドイツ医学会の謝罪は本当に素晴らしいと思う!!
ドイツ精神医学会の反省



これじゃ死者(=殺された者)は浮かばれない!!
オウムのやったことと旧日本軍のやったことはよく似ている!!
サリンを撒いた!細菌を撒いた!
日中国交正常化40周年
問われる日本政府の隠蔽体質!!
問われる日本人の歴史認識!!
日本は世界で唯一、第2次大戦中、細菌兵器を実戦に使った加害国だった!!
きけ!!「マルタ・アジアの被害者」の悲痛な叫び!! 
「怨」
黒い太陽731部隊



「吾、吾が罪を知る」という遺書を残して自死した東大助教授に石井らは果たして何を要求したのか?(詳しくは「細菌戦部隊と自決した2人の医学者」【新潮社】をお読みください!)
昭和20年9月2日大学の研究室で自殺。(その日は戦艦ミズーリで日本が降伏文書に調印した。)
海自いじめ自殺、破棄したはずのアンケート存在
自衛隊のいじめ→自殺者毎年100人

●731部隊
細菌戦実施の新資料・金子論文を読む
シンポジウム:全記録 2012年2月29日
衢県(くけん)・寧波(にんぽー)の被害も日本側の公文書で確定

【吉見】それから、「蚤ハ1g、約1700」と書かれています。ケオプスネズミノミの1匹の重さはよく分からないのですが、1グラムで1700匹という意味でしょうか。なお、「別表ニ依リ説明」とも書かれているのですが、残念ながらその別表は添付されていません。「効果」については、「効果ノ判定ヲ期待ス。密偵。」と書かれています。日本の占領地域ではないので、スパイを放って、どういう「効果」があったのか探っている、ということでしょう。
次に、1940年10月8日、井本参謀が聞いた増田中佐と吉橋少佐からの報告では、「Cハ出ナイト思フ、Pハ或ハ成功スルカモ知レヤモ知レズ」と言っています。「コレラの影響は出ないと思う。ペストは成功するかも知れない」と考えている訳です。
これと今回の新発見の資料とを照らし合わせてみますと、衢県と寧波について、井本日誌ではペストノミを撒いたということは必ずしもはっきりしませんが、金子論文により、どちらもペストノミを使用したという事実が公文書によって確定されたことになります。それから日時も特定された。使用量も特定された。衢県の場合は8キログラムと非常に多いですね。寧波では2キログラム。それから被害は、731部隊は「効果」と言っていますが、どれくらいの死者が出たのかという数字が挙げられています。衢県・寧波の数字はどういう風にして出したのかということは、今回の資料からはちょっとはっきりしない。推定によるものがかなりあるのか、とも思われますけれども、それでも非常に大きな数字が出ているということは非常に重要なのではないかと思います。
「NPO法人 731資料センター 会報3号」より
吉見資料1
吉見資料1
吉見資料2
吉見資料2
吉見資料3
吉見資料3


●原発
ずっと真実を伝えて下さい!!存続希望!!MBSはどうしたんだ!!
小出裕章(京大原子炉実験所助教) 「たね蒔きジャーナル」存続呼びかけ

肥田舜太郎(95)、命の叫び!!


原子力村をぶっつぶせ!!原発の再稼動を許すな!!まさか、日本が劣化ウラン弾を作ってはいないでしょうね?


2011年12月22日 「国の放射能の『除染に効果はない』」神戸大教授 山内知也

「瓦礫処理うけいれが東北復興にならない」

大義なき戦争「イラク戦争」に日本は間接的に加担した!!憲法9条はどこへ行ってしまったのか?
覚悟が必要です。劣化ウラン弾放射能影響「ファルージャの子供たち」

三井化学岩国大竹工場が爆発、2012年4月22日 深夜に爆音・炎上

劣化ウラン保管、地元は初耳

山口・化学工場爆発と劣化ウランについて。- 2012.04.22

■三井化学大竹工場は劣化ウラン弾の秘密工場だった

イラク攻撃で使用されている劣化ウラン弾に日本の電力会社の劣化ウランが使われている強い疑惑

やはり日本の原発は核開発目的だった!

日本はプルトニウム製造列島 福島原発事故と石原知事発言の関連は? 

日本、原子力利用に「安全保障」の文言 北が「核武装合法化」と非難

(朝鮮日報日本語版) 【社説】中朝の軍事力拡大を口実に核武装目指す日本

「即時原発ゼロ」を 増え続ける使用済み核燃料 再稼働なら6年で満杯

来春、伊方3号機が手始めか。田中俊一が規制委員長に就任早々、再稼働へ着手

2012年09月26日【水】Radio News たね蒔きジャーナル


20120926 たね蒔きジャーナル 京都大学原子炉実験所助教 小出裕章

20120927 たね蒔きジャーナル 京都大学原子炉実験所助教 小出裕章

小出裕章先生・たね蒔きジャーナル最後の出演(´・_・`)



●情報操作
日航ジャンボ墜落事故!!これは、事実か?本当ならなぜマスコミはもっとこれを追及しない、いやできないのか!!これも証拠湮滅しなければならないという強力な力が働くのか?戦争・原発事故と同じ?
20120803 [2/2]たね蒔きジャーナル「どこに向かう 日本」

たまたま自衛隊員が真実を語る
・当時から今日まで友人が語ってくれた話がどうしても私の脳裏から離れる事ができないのです。事故当時、航空○○隊に勤務していた友人が、事故から数週間後に休暇を貰って地元に帰ってきた時に聞いた、本当の話です。友人は、私(普通の一般人)に対して嘘をつかなければいけない理由なんてないだろうし、そして、まだ事故原因も分かっていない時期に、私に、いずれは分かると思うんだけど(直ぐに真の原因が分かると言う意味だったんだと思います)...と言って話してくれた事は、「123便の事故は、本当は○○隊が○落させたんだよ。当時訓練で標的機を飛ばしていて、それが操縦不能になって、行方が分からなくなり、そのとき近くを飛んでいた123便にぶつかったんだ。墜落現場には標的機のオレンジ色の残骸があったから、誰もいないうちにヘリで回収したんだ」と言っていました。当時まだ事故から数週間しか経っていない時にそう言ったのが当時、凄く印象的でした。もちろん当時私は半信半疑でしたが、今考えても彼が私に嘘を語る理由もないし、嘘の話をしたところでなんにもないのです。ただ、彼も自分が知っている事を誰かに話したかったんだと思います。そして、一般隊員(だと思います)の彼が知っているくらいだから、当時○○隊内ではこの話を知っていた人は結構いたのではないでしょうか。私がこの話を投稿(このような話を真実と確認していないのにいいのかと迷いましたが、聞いた話は本当だったので)したのは、「8・12連絡会」が発行した「旅路」を目にしたからです。
・実際の事故機墜落現場は早くからわかっており、地元民らは救出に向かおうとしていたのに、わざと違う事故現場を報道させ、また地元民らにも救出に向かうことを禁止した。
写真
日航ジャンボ機墜落事故 "最後の交信記録" 2000.8.13放送
中曽根康弘元首相のつぶやき ~日航機墜落事故などについて~
http://www16.atwiki.jp/911next/pages/15.html
・・・・・
また日本のマスコミはよほどアメリカの気分を害した政治家以外には、後から真相を追及しないのが暗黙の了解だ。日本のマスコミには政府が言ったことをなるべく正確に伝える通信者はいるが真実を探るジャーナリストはいない。いや、そんなことをする記者が出ては困るのだ。あくまでも政府や警察の言うとおりのことを伝え、時々、順番に記者クラブを通じてちょっとしたリーク記事のネタをあげるようにしているだけだ。
そうしないと彼らマスコミも商売にならないからな。

生存者の一人・落合由美さんの証言
やがて真暗ななかに、ヘリコプターの音が聞こえました。あかりは見えないのですが、音ははっきり聞こえていました。それもすぐ近くです。これで、助かる、と私は夢中で右手を伸ばし、振りました。けれど、ヘリコプターはだんだん遠くへ行ってしまうんです。帰っちゃいやって、一生懸命振りました。「助けて」「だれか来て」と、声も出したと思います。ああ、帰って行く・・・・・。
このときもまだ、何人もの荒い息遣いが聞こえていたのです。しかし、男の子や若い女の人の声は、もう聞こえてはいませんでした。

「日航ジャンボ機墜落事故」
自殺した航空自衛隊員が所持していた 2枚の写真 (世界の真実の姿を求めて!)
JAL123便 日航機墜落事故の真相
日航ジャンボ機墜落事故
日本航空123便墜落事故とオスプレイと脱原発


●南京大虐殺
「この事実を・・・・」
(「南京」市民に仕えた宣教師証言集:章開沅/編 加藤 実/訳)
(発行:ストーク、発売:星雲社、定価2200+税)
※『日中歴史共同研究』(2010年1月31日公表)でも明らかなように、日中戦争は日本の侵略戦争であり、南京大虐殺は歴史事実である。私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!
マッカラム 001
マッカラム
家族への手紙
(1937年12月19日~1938年1月15日)
1月11日、火曜日
アメリカ大使館の人たちと、2日前に食事を共にしたが、今日又、イギリス大使館にドイツ大使館の人たちと食事した。ほんとに嬉しいことだ。誰とも外界からの人とは、1ヶ月以上も会わなかったんで、いっぱい言いたいことがあり、ほんとにおしゃべり饗宴だった。
彼らの一言一言にじっと耳を傾けもし、聞きたいことはいっぱいあるんだ。
病院のいろんなことは、緊急事態を通り越したところだ。今は電気もあるし、ラジオが聞けて、周りの世界がずっと近くなった感じがする。病院の設備がもう少し確保できたら、正常に近い感じになるだろう。
強姦と略奪とが終わっていなくて、耳にたこができるほど古い話になっている。今は脅かしと賄賂―現にある救済組織をだめにしようとする試みなんだ。他の人たちは燃料と食糧の供給に携わっている。国際委員会は1袋10ドルで売っている。日本側から1袋4ドルで買うんだが、日本側には何らのコストもかかっていない―戦利品なんだ、彼らの。
牝牛をもう4頭、今日提供された。もし僕に飼う場所があったら、ミルクが飲めるんで喜んでもらうんだが。僕達が救い出した牝牛にやる飼料が問題だ。今日飛び切り上等なお知らせの1つは、領事警察の1人たる田中に関するものだ。彼は僕達の略奪された財産を検分するのに、あちこち僕達を連れて回ったことがある。いろんな場合に、あの場所、この場所からちょっとした物を持ち出していく様子が伝えられているけど、昨日シュペルリングさんが出くわしたのが、素敵なドイツの家の1軒から、疑いもなく彼が賞賛して止まなかった上等な骨董品を、人力車2台に積んだのと一緒に、出てくるところだった。

南京大虐殺・731部隊の悪行を幻にするな!!

南京大虐殺の真相

(1/14)南京大虐殺を謝罪する勇敢で良識ある元日本兵たち

映像の世紀 南京大虐殺26 見透かされた否定派の陰謀1/2

1. 南京大虐殺 日本軍によるアジアでの 残虐行為 Rape of Nanking Part 1

2. 南京大虐殺 日本軍によるアジアでの 残虐行為 Rape of Nanking Part 2

映像の世紀 南京大虐殺12 元日本兵の証言 金子安次

In the Name of the Emperor 天皇の名のもとにー南京大虐殺の真実

映像の世紀 南京大虐殺13 元日本兵の証言 東史郎1/13

映像の世紀 南京大虐殺14 元日本兵の証言 東史郎2/13

映像の世紀 南京大虐殺15 元日本兵の証言 東史郎3/13

映像の世紀 南京大虐殺16 元日本兵の証言 東史郎4/13

映像の世紀 南京大虐殺17 元日本兵の証言 東史郎5/13

映像の世紀 南京大虐殺18 元日本兵の証言 東史郎6/13

映像の世紀 南京大虐殺19 元日本兵の証言 東史郎7/13

映像の世紀 南京大虐殺20 元日本兵の証言 東史郎8/13

映像の世紀 南京大虐殺21 元日本兵の証言 東史郎9/13

映像の世紀 南京大虐殺22 元日本兵の証言 東史郎10/13

映像の世紀 南京大虐殺23 元日本兵の証言 東史郎11/13

映像の世紀 南京大虐殺24 元日本兵の証言 東史郎12/13

映像の世紀 南京大虐殺25 元日本兵の証言 東史郎13/13

南京大屠殺 ( Nanking Massacre )

兵士たちが記録した南京大虐殺1

The Rape of Nanking & Unit 731

1937 Nanking Massacre

NHKスペシャル 映像の世紀 第11集 JAPAN

情報遮断!1937年12月12日・・南京攻略下の南京にとどまって取材活動を続けていた4人の外国人記者が、無線記事の送信に利用していたアメリカ砲艦パネー号を、日本軍が撃沈した!!なお、USS PanayのUSSは、US Shipの略号で、米国艦船であることを示します。

南京大虐殺マギーフィルム)1

南京、マギーフィルム2

南京、マギーフィルム3

南京、マギーフィルム4

証言ー侵略戦争1

証言ー侵略戦争2

証言ー侵略戦争3

07-07. そういう話には乗らないでほしい—元日本兵の証言02





日本政府は731・南京大虐殺等の戦史資料及び、福島原発事故当時の官邸議事録を公開せよ!!

日本は世界で唯一の被爆国であり、広島・長崎では核兵器廃絶のアピールが毎年盛んに行われていたが、今度はその日本が、放射能汚染の加害国になってしまった!!
原発輸出反対!!

日本政府は、先の侵略戦争を真摯に反省し、アジア・日本の被害者に対し謝罪すべきである!!
遺棄毒ガス兵器の処理を急げ!!

No More 731!! No More Nanking!!
No More Noborito!! No More War!!
No More Fukushima!!
武器よ!原発よ!さらば!!
沖縄の米軍基地撤去!!
「日の丸」・「君が代」反対!!
(侵略のシンボル)(天皇賛美の歌)
9条を世界に!!

新しい日本!! 

世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!!
昭和天皇の戦争犯罪・戦争責任を問う!!
政府は戦史資料を全面公開せよ!!
原発・軍事偵察衛星・次期主力戦闘機・リニア・スパコンは要らない!!
税金を震災復興に回せ!!憲法9条が泣いている!!

※リニアモーターカーは膨大な電力を食い(原発3基分)、福島第1原子力発電所の事故ではスピーディー(スパコン)で計算されたデータは全く生かされなかった!!


沖縄を米軍の基地にしたのは誰なのか。

城山三郎著『落日燃ゆ』には広田弘毅が、南京大虐殺当時の外相として事件の処理にあたり、軍部に対しても強く抗議した模様が描かれているが、外相・首相と務めれば日本軍が中国で何をやっていたかを熟知していただろう!!もちろん731部隊の残虐な実験や作戦についても!!東京裁判では広田は何も弁明していないが、日本がアジア諸国に及ばした加害の事実はよく知っていたのではないのか?

広島・長崎の原爆の詩は、日本軍が中国・アジア太平洋で行った残虐行為を受けた多くの被害者の方々にも当てはまる!!
峠三吉の詩『にんげんをかえせ』
ちちをかえせ ははをかえせ 
としよりをかえせ 
こどもをかえせ
わたしをかえせ わたしにつながる 
にんげんをかえせ
にんげんの にんげんのよのあるかぎり 
くずれぬへいわを 
へいわをかえせ 


福島に限らず放射能汚染に悩む全世界の人々の悲痛な叫び!!
ふるさとを返せ!!自然を返せ!!
日常を返せ!!  脱原発!!

日本は、“平和を愛した?”「昭和天皇」・“原子力の未来を明るく描いた”「鉄腕アトム」・“アメリカと結託して原子力を推進した”「中曽根・正力」・“今現在でも原子力を推進しようとする「石原」に騙され続けているのでは?と強く思う!!



●731・原爆・原発
アーニー・ガンダーセン氏へのインタビュー
東電のカネに汚染した東大に騙されるな!
日本を導く頼もしい学者先生方
【315】 国は正しい ?? 水俣病と福島原発
医学は水俣病で何をしたか(抜粋)
水俣病のときは、東大の学者を利用して世論操作を行い、被害を拡大させてしまって...
[証言記録 市民たちの戦争]封印された大震災 ~愛知・半田~

「原爆報告書」は、毒ガス戦・731部隊の隠蔽と国体護持のために、アメリカに少しでもいい心証を与えるために国策として作られ、当の苦しんでいる被爆者には活用されなかった!!なるほど、天皇は原爆忌に広島・長崎には行けないわけだ!!
731部隊を隠蔽する目的の取引!NHKスペシャル 封印された原爆報告書

封印された原爆報告書
広島・長崎あわせて20万を超える人々の命を奪った原子爆弾。これまで日本は、アメリカが原爆攻撃の準備をしていることを知らないまま、“想定外”の奇襲を受けたとしてきた。しかし実際は、原爆投下に向けた米軍の動きを事前に察知していたことが、新たな証言と資料から明らかになってきた。日本軍の諜報部隊が追跡していたのは、テニアン島を拠点に活動するある部隊。軍は、不審なコールサインで交信するこの部隊を、「ある任務を負った特殊部隊」とみて警戒していたのだ。8月6日、コールサインを傍受した軍は、特殊部隊が広島に迫っていることを察知。しかし、空襲警報さえ出されないまま、原爆は人々の頭上で炸裂した。そして9日未明、軍は再び同じコールサインを傍受、「第2の原爆」と確信した。情報は軍上層部にも伝えられたが、長崎の悲劇も防ぐことはできなかった。
番組では、広島・長崎への原爆投下を巡る日本側の動きを克明に追う。情報を掴みながら、なぜ多くの人々が無防備のまま亡くならなければならなかったのか…。原爆投下から66年、その問いに初めて迫る調査報道である。
*SPEEDIの情報をつかみながら住民の避難に生かさず見殺しにした民主党政権は、戦時中の大本営とまるで変わりありません。

原爆投下 活かされなかった極秘情報

天皇制維持条件にポツダム宣言受諾
ソ連は、アメリカの原爆投下の意図が日本を単独占領し、ソ連を脅して戦後世界政治の指導権を確保することにあると察知しました。ヤルタ協定で約束した対日参戦の時期を早め、8月8日、日本に対する宣戦布告を通知して、ソ連軍は9日未明から中国東北部(旧満州)と樺太への進攻を開始しました。ソ連を仲介者として戦争終結を模索していた日本の戦争指導者たちはポツダム宣言受諾を余儀なくされました。しかし、その通告を行う余裕もなく、2発目の原爆が長崎に投下され「この世の生き地獄」が繰り返されてしまいました。

8月9日の御前会議で、軍部は広島に投下された爆弾を原爆とは認めず、戦争継続を主張しましたが、国体護持を条件にポツダム宣言受諾は決まりました。8月10日、日本政府は「天皇の国家統治の大権に変更を加えるいかなる要求をも包含していないという諒解の下に」ポツダム宣言受諾を申し入れました。この申し入れに対し、当初、アメリカのバーンズ国務長官は、70%の米国民が天皇を戦争犯罪人として何らかの処罰を望んでいることを理由に、承認に反対しました。けれども、バーンズは、進攻を始めたソ連が日本本土に到達し、日本の占領管理に発言権を要求するようになることは、アメリカの利益を損なうというスチムソン陸軍長官の意見を受け入れて、暗に占領下の天皇存続と将来の天皇制存続の可能性を示した回答文を作成しました。この回答文を受け取った日本では8月14日の御前会議で、天皇が「敵は国体を認めると思う」として、軍部の反対を退けてポツダム宣言受諾を決めました。

こうした経過をたどってみると、アメリカ政府の原爆投下は戦争終結を早めるためだったという原爆投下正当化論は歴史的真実ではありません。

111006肥田舜太郎氏インタビュー

第26回 原爆被害の隠ぺい(1)

日本政府の秘密主義・隠蔽体質を理解するための注目動画3題

731部隊と山下俊一
731細菌戦部隊残党と長崎大学の放射線医学者たち 福見秀雄・青木義勇と長瀧重信・山下俊一
ヒロシマからフクシマへ 戦後放射線影響調査の光と影【無料版】堀田伸永
山下俊一トンデモ発言

「御用学者」批判ができない大学社会
山下俊一のお師匠さん、重松逸造とは?

広瀬隆氏が山下教授や高木大臣、東電幹部らを刑事告発

福島1万人余外部被ばく量推定(2月20日 21:00更新)
長崎大学:チェルノブイリ原発事故と甲状腺がん
甲状腺がん手術症例数の年次推移
このスライドはベラルーシ共和国のがん登録数で、年齢別に手術された甲状腺がん患者10万人あたりを年次推移としてあらわしたもの。
ここで、福島原発事故後に福島県の放射線健康リスク管理アドバイザーに就任した山下俊一・長崎大学教授がチェルノブイリ原発事故後10年をピークに、被ばく時年齢0から15歳未満の甲状腺がん手術数が激増していると解説している。
山下教授は、アドバイザーに就任以降、後に計画的避難区域に設定さた福島県飯舘村で行った講演等で、「健康へのリスクは低く、心配する必要はない」などと発言しているが、飯舘村はベラルーシの強制移住の基準を超えている。
これを隠蔽と言わずして何を隠蔽と言うのだろうか 子供さんの甲状腺腫が深刻だ
原発導入のシナリオ ~冷戦下の対日原子力戦略~

日本の原子爆弾開発
ザ・スクープ
日本の原爆開発:核兵器開発競争? 鳥飼行博研究室

古舘、生放送原子力村の存在を認める

120411大石又七氏インタビューダイジェスト

小佐古内閣官房参与辞任・20ミリシーベルト問題

●731部隊
「731部隊のすべて~人体実験・細菌戦~」
(2012年4月15日東京ウィメンズプラザ・ホール)

「悪魔の飽食」
人体実験被害者遺族の証言
細菌戦被害者の証言
細菌戦の研究
新資料発見者 奈須重雄さんのお話
松村高夫(慶大)さんのお話
(日本軍の毒ガス被害)日本の被害者は救済するが、中国の被害者は救済しない?
遺棄毒ガス敦化被害事件、不当判決!!
遺棄毒ガス問題について
周桐さん・731記念館館長のお話
最後の挨拶

731細菌戦部隊の全貌

731部隊では何が行われたのか

731部隊員の証言 1


中国再訪の旅5

七三一部隊の簡単な歴史 常石敬一

日本「731部隊」の細菌戦で2万6000人がペスト菌感染

◆旧日本軍の細菌戦、中国人の被害27万人以上

◆「731部隊」米軍へ細菌兵器攻撃を計画 (TBS 06/7/21)

ニュース保存用

武田薬品が、核ビジネス・モンサントとつながっているとすれば

「政府は細菌戦の資料公開を」中国の被害者遺族ら会見

旧日本軍、中国で細菌戦 陸軍の極秘公的文書に記述

細菌戦の新発見資料について

▼金子論文はこちら(PDF 14MB)

731部隊の細菌戦 新証拠発見

100部隊

こんなにもあった細菌戦部隊

※731部隊は、ホルステン河に細菌をまき、日本兵を感染させ治療し感状を貰った!!
(731部隊の治療実績を陸軍に見せつけ、陸軍内での石井四郎の発言力・影響力を強めた!!)

ノモンハン事件・石井の野望 2

<731部隊>関係者リストの作成作業に協力要請

医学界とは731部隊そのものである

国家主義者平泉教授の戦慄  人間魚雷と731部隊 (その1)

朝鮮戦争でアメリカは細菌戦を行った!

戦時中、普通の軍医・医学者が行なった生体解剖
[証言記録 兵士たちの戦争

[証言記録]従軍看護婦が見た戦争

太行の麓をしのんで -生体解剖-

湯浅謙

九州大学生体解剖事件
ザ・スクープ



※アメリカは中国における日本軍の情報を集めていた。
南京大虐殺・重慶などの都市の無差別爆撃、毒ガス戦・大規模な細菌戦などの残虐行為に対して、今度は報復に出た。


※満州の満人部落をはじめ、農安県でも731部隊は細菌をばらまき、多くの人々を殺し、家々を焼き払った。これも、細菌が自然発生したように見せかけた謀略であった。
フェル・レポートによればPX(ペスト菌を保菌しているゲオプスネズミノミという兵器)を使用した細菌戦は12ケ所で行われ、一次流行したら二次流行と続き多くの犠牲者を出した。
今現在でも中国でこの細菌戦の調査が行なわれている。また、他の病原菌を使った細菌戦やゲオプスネズミノミ以外のペストノミを使用した細菌戦もあったようだ!!(『731資料センター会報第2号』を参照・・・ノブ)

※・・・加えて、フランクリン・D・ルーズヴェルト大統領が、1943年には、日本の細菌兵器及び化学兵器による攻撃を非難する声明を出した。ルーズヴェルトは、「日本の武装勢力によって中国の様々な場所で有毒ガスが使用されているとの信頼すべき報告が当政府に届いている」と言明した。彼は次のように警告した―。

もし、日本がこの非人道的な戦闘方式を、中国に対してでも他のどの連合国に対してでも採用し続けるならば、当政府はそのような攻撃を、アメリカ合衆国に対して行われたものとみなし、全身全霊をかけて最大限の報復を日本に対してなすであろうことを、間違いなく明確にしておきたいと心から願うものである。

ルーズヴェルトは、彼の警告を以下の言説で締め括っている―「我々は完全な懲罰を強制する準備をしておかなければならない。日本には(国際)責任が発生するであろう」
(『死の工場』シェルダン・H・ハリス著、近藤昭二訳 P139)

細菌戦の新発見資料について
精魂塔(表)
精魂塔(裏)

精魂塔(これは一体誰を供養しているのだろうか?裏側は何か消したようにも見える!!)
731部隊・細菌戦731部隊・細菌戦資料センターのホームページより)
殺人工廠(1)
731の最後 死亡列車0
「前事不忘 後事之師」(前の経験を忘れず、後の教訓とする)
“戦争を語る”人々

戦犯たちの戦後

証言ー侵略戦争1

北朝鮮による拉致も大きな政治課題だが、戦時中に日本軍が行なった大規模な強制連行(拉致)に対しては戦後日本はきちんと対応したのであろうか?
中国人強制連行1


中国に咲いた一輪の花!!
朝日新聞より   2011年7月9日15時30分
中国の731部隊跡地に謝罪の碑
731謝罪の碑
日本人の募金で設置731部隊の旧跡に建てられた日本人の募金による記念碑=9日、ハルビン、西村写す

(日本政府が正式に謝罪すべきだ!!)

罪の重さを思うと言葉で「謝罪」は表せない!(ABC企画NEWSより)
7月9日、ハルピン市平房区、731部隊本部遺跡内に建立した碑・『謝罪と不戦平和の誓い』除幕式典で、日本側代表挨拶を終え、壇上から降りた矢口仁也は“ああするしか思いつかなかった”とつぶやいた。
今日、私たちはこの日を迎えるに当たって、これまでの道のりを回顧すると、裁判闘争に限界を感じ、日本政府の歴史認識の曖昧さに落胆し、怒り、“せめて市民の手で「謝罪」の碑を建てよう!”と決意し2004年、名称も碑文も決まらないまま『殉難烈士慰霊碑』(仮称)建立募金の呼びかけを開始した。
名称『謝罪と不戦平和の誓い』、わずか4行の碑文に加害者としての謝罪の言葉を記すことの難しさは6月、石碑に文字を刻む作業直前まで迷い続けた。私達の思いは果たして被害者の心に届くのであろうか?一抹の不安を抱えながら迎えた除幕式であった。
「731部隊によって虐殺された3000人以上の烈士の皆さん、夫を、父を、息子を奪われた遺族の方々、そして731部隊に住処を奪われ「労工」として強制的に働かされた多くの罪なき人々、1人1人にどの様に謝ればよいか申し上げるべき言葉はありません。」と言って矢口代表は碑の前にひざまずいた。参列者の私たちも思わず頭を垂れた。この謝罪碑は、731部隊によって亡くなった方々への謝罪と同時に、日本の侵略戦争によって侵された全ての犠牲者に対する謝罪の気持ちを込めた碑でもある。
落成式に参列したペスト被害者の故靖福和夫人、『特移扱』被害者遺族の朱玉芬さんは「市民の皆さんが建てた謝罪碑によって多少心が和んだ。皆さんの気持ちに感謝したい、しかし、それでも日本政府には是非謝罪を求めたい」と述べた。

新たな気持ちで次の一歩を!
碑を建設したことで“謝罪が終わった。許していただいた”ということではない。15年にも亘る侵略戦争によって語り尽くせないほどの被害を受けた中国人民に対し、世代が変わろうと、加害者である日本人としての責任は果たさなければならない。
私たちはその責任の1つに731部隊遺跡保存があると考えている。731部隊遺跡は平房区の住民にとっては本来“目の前から消えてほしいもの”。その屈辱の遺跡が今日まで保存されているのは住民の皆さん、歴代陳列館長を初めとする区、市、省政府の諸先生方の歴史認識の結果であると思う。彼らの努力に感謝するとともに、今日を新しい出発点として、友好を深め、平和を創造し、子孫の未来のために日本政府が正式に謝罪し、戦後補償を実現するまで私たちは運動を続けていくことを誓う。
今回、国会議員の参列は実現できなかったが、阿部知子衆議院議員、服部良一衆議院議員、今野東参議院議員、斉藤勁衆議院議員、川田龍平参議院議員、笠井亮衆議院議員の6人からメッセージを頂いたことは今後の運動への第一歩ともいえる。
最後に、除幕式開催にあたり特に協力、準備してくださった黒竜江省外事弁公室の諸先生方、金成民陳列館館長と職員の皆様に心から感謝します。

問題提起731部隊・細菌戦資料センターのホームページより)
日本は中国に対する侵略戦争中に各地で細菌作戦を実行しました。細菌戦によるペストやコレラの流行によって、中国では多数の犠牲者が発生しました。1997 年と1999 年、細菌戦被害者計180名が日本国に謝罪と賠償を求めて細菌戦裁判を東京地裁に起こしました。

一審・二審の判決は、
1、731 部隊等が細菌兵器の開発の中で人体実験を行っていた事実、
2、731部隊等が陸軍中央の指令で、ペスト菌やコレラ菌を使った細菌兵器を中国各地で実戦使用した事実、
3、細菌戦によって浙江省や湖南省で1万人を超える中国の一般市民が殺された事実、
4、731 部隊等が犯した細菌戦が国際法(1925 年ジュネーブ条約等)に違反していること、
5、細菌戦を実施した日本国にはハーグ陸戦条約第3 条に基づく国家責任が成立したこと、
6、細菌戦は、その被害が悲惨かつ甚大で、非人道的な行為であること、
などの重大な事実認定を行いました。

ところが、日本政府は、判決後も現在まで細菌戦の事実を全く認めていません。これは日本政府が中国侵略に対する真摯な反省を全く行っていないことを意味しています。日中の真の友好とアジアの平和を実現するために、日本が犯した重大な戦争犯罪である細菌戦について、政府は一刻も早く加害と被害の事実を認め、被害者に謝罪と賠償を行うべきです。

731 部隊等の犠牲者に対する戦後補償の速やかな実現は、日本政府だけでなく日本の国民全体の責任です。

●戦後の医学界・薬学界・政界
731部隊員は戦後、裁判によって1人も裁かれなかった!!考えてみれば、戦時中、国家総動員法が敷かれ、日本の大学の専門家も何らかの形で戦争に加わった。医学界であれば、嘱託として731部隊に係った。その数はかなりの数にのぼるだろう。
戦後占領軍のアメリカは独占的に731部隊のデータを安く買い取り、自国の細菌兵器開発に役立てた。そして、731部隊員を裁くどころか、アメリカに協力させ、厚遇してしまった!!だから、医学界では731部隊に係った人間が巾を利かせ、長らく牛耳ってしまった。(今も影響を与えているのではないか?)
戦後もアメリカの要請で人体実験は刑務所などで行なわれ、医学界は731部隊のことを反省するどころか、胸を張ってしまった!!人間を物として扱い、人命を軽視する医療は戦後長らく続いてしまった。(今も変わっていないのかもしれない?)
医学界が中心となって時の政府に圧力をかけ、731部隊の秘密(細菌戦・生体実験等)を決して公式に認めさせないようにしているのではないか?
テレビに出演する名医と呼ばれる大先生も、731部隊のことはよく知っているのだと思うのだが、医学界の“掟”『731部隊のことは公言するな!!』と言うのを忠実に守り通しているのではないか?もちろん、医学界・製薬会社・薬学界・政界で活躍している者、これから出世しようと思う者にはこの“掟”が厳然として生きているのではないか!!
2009.10.25  「戦争と医の倫理の検証を」(東京保険医新聞)
「戦争と医の倫理」の検証を進める会


●731部隊と天皇
欧米の帝国主義にならって、日本も中国侵略を真剣に考え、実行していった。
当時、天皇は現人神であり、日本国においては絶対の存在だった。日本人は、小さい頃から、家庭や学校で天皇を拝み、学校では教育勅語が奉読され、天皇のために死ぬことが最高の価値のように教えられた時代でもあった。当時植民地であった朝鮮や台湾の人々を二等国民とか三等国民と呼び、中国人をチャンコロと呼んで蔑視していた。また、軍医になって中国に渡れば、731部隊に所属しなくても生体解剖は当たり前のように行われていた。
日本の傀儡政権が満州に成立すると、早速、陸軍軍医少佐の石井四郎は、満州の背陰河で人体実験を重ねながら、安くて強力な兵器(貧者の核爆弾)の開発を目指した。
1936年、天皇の認可の下に中国ハルピンの郊外平房の広大な敷地に研究施設を作り、東京の陸軍軍医学校やその他多くの石井のネットワークと連携しながら、中国人・朝鮮人・ロシア人・モンゴル人などをマルタと称して生体実験・生体解剖などをし、試行錯誤を重ね、より強力な細菌兵器の開発を目指した。
1938年(昭和13年)の5月には国家総動員法が発令され、京大や東大の研究者なども上司の勧めや説得により、731部隊に派遣された者もいる。731部隊は国家的プロジェクトだった。そこで開発された細菌爆弾(陶器爆弾)は中国の都市で実戦された。ペスト菌で多くの被災者を出し都市は混乱した。
研究成果は思ったよりも上がらず、兵器の開発を急いだが、時すでに遅く、ソ連の参戦を許してしまった。
ソ連が参戦するや否や、軍部・天皇はいち早く731部隊の証拠隠滅をはかり、建物を爆破し、収容されていたマルタを全員殺し、731部隊員を急遽日本へ戻した。
これも戦争犯罪がばれると、天皇にもその責任が問われることになるからだ。
731部隊にも三笠宮をはじめ何人かの皇族が行き来し、実際731に係わっていた皇族(竹田宮)もいた。東条も足を運び、大元帥昭和天皇の耳にも731についての情報は入り、実際細菌戦の命令も出していた!!
莫大な予算をかけ、全国の優秀な医学者(京都帝大・東京帝大医学部が中心)を集めて作られた731部隊は、軍部・天皇がもっとも期待していた部隊であった!!

マッカーサーは、軍人であった。軍事戦略に長けていた。日本軍の731部隊の細菌戦や、そこで行われている人体実験、また、アメリカ人捕虜に対する残虐行為などの情報はある程度知っていた。しかし、マッカーサーが占領統治に当たって重視したのは、そのようなことを裁くのではなく、円滑に日本統治をすすめ、将来的には日本が、アメリカの傘下に入って、共産主義と対峙する国にしようとしたのではないか?
そのためには、日本人がその当時も今もかもしれないが天皇教に洗脳されていることを利用し、昭和天皇をそのまま在位させて、その力を統治に最大限活用した。
そして、国家的プロジェクトであった細菌兵器の開発や、731部隊で行われていた人体実験のデータを極秘裏に集め、自国の遅れている生物兵器開発に役立てようとした。
そのためアメリカは、731部隊員に戦犯免責を与える代わりに731部隊のデータ全てを独占して買い取り、また、上級部隊員をアメリカ軍に協力させ、朝鮮戦争やベトナム戦争に開発した兵器を使用したようだ。
このような流れの中で、アメリカは東京裁判では731部隊の事は取り上げず、731部隊のことに関しては報道管制を敷き、天皇はじめ731部隊関係者が法廷に立つことはなかった。
結果、天皇の戦争責任は問われることはなく、日本の生物戦の戦争犯罪も一切問われなかった。
そして、東京裁判は、形式的なのものになってしまった。

マッカーサーと昭和天皇
アメリカ大使館での昭和天皇(1945年9月27日フェレイス撮影3枚中の1枚)

日本政府及び天皇とアメリカは、一緒になって、731部隊の隠蔽を図り、これが東京裁判で裁かれない様にし、その残虐な事実が国民の前に公表されないようにした。(昭和天皇とマッカーサーとの会談は極秘裏に戦後11回行われた。新憲法が制定された後でも、「象徴天皇」という新たな憲法上の地位に“制約”を感じることもなく「政治的行為」として、マッカーサーと「トップ会談」がなされていた。それも、当時の政府を飛び越えて行われていた。この「トップ会談」の「公式記録」はこれを所管する宮内庁・外務省が正式に資料公開すべきである!!)
その結果、裁判で国民の前に731部隊の情報が公開されなかったし、追及もされなかったものだから、大元帥昭和天皇の戦争責任を問う声は国民からはあがらなかった。日本政府は戦争の加害の事実に目をつぶり、隠ぺいし続けているが果たしてこれでよいのであろうか?

※パウエルの記事と森村の本は、日本で政府が見解を出さざるを得ないほどの騒ぎを巻き起こした。政府は国会で731部隊の存在と、731部隊の戦争犯罪について初めて認めた。議論の中で政府は、石井の細菌実験について知りながら石井にかなりの軍人恩給を給付していたことを全く偶然に露呈してしまった。【 『死の工場(隠された731部隊)』:シェルダン・H・ハリス著、近藤昭二訳 193頁】

●巨大なプロジェクト:石井機関
(常石敬一:『部隊展』全国実行委員会より)
ジュネーブ議定書の下で
・・・・・・・日本について筆者(常石敬一)は次の3点を報告した。第1に生物兵器を戦争で使用したこと。未遂のものを含めると対象国は(時代順に)ソ連、中国、そしてアメリカだったこと。第2に生物兵器研究・開発計画には日本中の医学者が総動員されており、そのかなめが軍医学校防疫研究室だったこと。第3に第2次大戦時の首相東条英機や敗戦時の参謀総長梅津美治郎ら内閣や軍の最高幹部は、生物兵器開発の遂行やその過程で人体実験を知っていたこと。・・・・・・
今回初めてこうした項目立ての下で日本の生物兵器研究開発の歴史を見た結果、重要なポイントでありながらこれまであまり注意を払ってこなかった点がいくつか見えてきた。
その第1は要員1万人以上という、日本の生物兵器開発計画の規模の巨大さだった。もうひとつは日本の計画では始めからヒトに対する生物兵器攻撃が予定され、人体実験が行われてきたことである。
規模で当時1000人を超えていたのは旧ソ連だけだった。他は比較的大規模だった英独でも数百人規模だった。このように大規模なものとなったのは陸軍の最高幹部の承認および奨励の下でこの計画が進められたためである。それだけ日本の計画は本気だったということである。計画発足当初から対人用の生物兵器開発が行われたこともそうした本気であることの表れである。


1937年12月13日
南京陥落!!

南京大虐殺
日本政府は、戦史資料を公開せよ!!
河村・石原両氏の発言には全くあきれる!!
清明節前に南京大虐殺記念館のモニュメント清める=江蘇省
教科書検定で「南京大虐殺」を否定、中国ネット上で反発の声
南京大虐殺は世界的に誤解されています。

中核的な出来事は南京陥落時の城外における大規模な捕虜の殺害です。
父親(栗原利一)のスケッチブックでも7万余人と書かれています。
非戦闘時の7万余人の捕虜の殺害ですから、当然、日本陸軍が軍の組織として行なったものです。
捕虜の多くは蒋介石軍兵士などです。

ただ、中国側の言う30万人説は戦闘時の犠牲者も含めた数として合理的な数です。
昭和12年7月の南京の人口は135万人です。
11月末の人口は50万人で、これに南京防衛軍15万が加わった65万人が日本軍の攻撃に晒されました。

否定派の言う20万人は逃げ場の無い貧民の数です。
小平市の警察学校と小平団地を合わせた(昔の警察学校の広さ)10万坪の安全区に押し込められた貧民の数です。

(65連隊のシャーカン【下関】おける2千人斬首は父だけが日本側の証人です。名古屋市の河村市長は無知なだけです。「ジョン・ラーベ」は城内での出来事しか書かれていないので日本人には誤解を与えます。)【核心氏のコメント(2009年11月2日)】
栗原利一資料集
20万人しかいなかったから30万人殺せない、というのはウソ   
南京事件-日中戦争 小さな資料集
日本人の「南京大虐殺」に対する認識
三笠宮崇仁と南京事件
偕行社の「お詫び」に見る南京大虐殺
23.南京大虐殺の責任(上)
東京裁判 天皇との絡み新たに
南京大虐殺 稲田朋美氏よ 日本人として恥を知れ!(その1:李秀英名誉毀損裁判)
【「南京大虐殺見た人いない」/ 田母神氏が隊員に教育か】
南京【あの発言から2か月】河村市長へのアドバイス(今、本当にできること)
「河村たかし名古屋市長の南京事件を巡る発言」

史実を守る会は、河村市長に以下の抗議文を
送りました。


抗議文

名古屋市市長 河村たかし殿

(1)貴殿は2012年2月20日午前、表敬訪問に訪れた南京市の共産党市委員会常務委員の一行に対し、「南京事件はなかったのではないか」と発言し、その後も同趣旨の発言を繰り返し、その結果、南京市は名古屋市との交流を一時停止、中国国内でも大きな反発を呼ぶなど、大きな問題に発展している。

(2)貴殿の今回の発言をまとめると、南京事件を否定する根拠として、①終戦後、下士官だった貴殿の父上が南京市において手厚くもてなされた、②目撃者がいない、という2点を挙げている。

しかし、根拠①は、当時の蒋介石政権の「以徳報怨」政策(国共内戦を見越しての日本軍宥和政策)に基づくものと解されるが、そもそも、この様なことが大虐殺を否定する根拠となるはずもない。これを根拠に大虐殺を否定するなどというのは、父上に対して温情を示した南京市民を裏切る暴論である。

また、根拠②は、事実に基づいていない。まず、その前提として指摘するが、南京市の地理の広さ、事件の期間の長さを考慮すれば、大虐殺の全体像を「目撃」することは不可能である。したがって、ここでの「目撃者」とは個々もしくは一定集団に対する虐殺の目撃事例ということになる。
そこで目撃の一例を挙げるならば、夏淑琴さんのケースがある。夏さんは、当時7~8歳だったが、2家族13人の内、11人が殺害されたことを目撃している(※1)。
一方、 独立工兵第1連隊第2中隊の岩崎昌治伍長は、捕獲した敗残兵を殺害したり、「城内に居った支那人を約二千名」を「全部殺してしまった」と陣中書簡に書いている(※2)。
また、ロイター通信社のスミス記者は、揚子江の桟橋で、「一千人の中国人を」「脆かせ、後頭部を撃ち抜く」という処刑の光景を目撃している(※3)。
この様に南京事件は、被害者も加害者も、また第三者でさえも虐殺の模様を「目撃」している。貴殿が言うところの「目撃者がいない」とは、単に「目撃事例の資料を知らない」ということでしかない。

(3)貴殿の「根拠」は根拠たり得ないものであり、それをもって「南京事件はなかったのではないか」などと主張するのは、非科学的主張としか言いようがない。
あまつさえ、表敬訪問に訪れた被害国の要人に向かい、この様な非科学的主張によって被害事実を否定するなどということは、誹謗中傷と受け止められても致し方ない。
即刻、「南京事件なかった」という暴言を取り消し、日中双方の国民に向かい、自身の不明を詫びることを求めるものである。

2012年2月26日
南京への道・史実を守る会
fact_keeper@yahoo.co.jp
http://jijitu.com

※1 笠原十九司『体験者27人が語る南京事件』(高文研、2006年)P132-146
※2 岩崎稔『或る戦いの軌跡』(近代文藝社、1995年)P23-80
※3 石田勇治他『ドイツ外交官の見た南京事件』(大月書店、2001年)P44-50


河村たかし名古屋市長による
南京大虐殺否定発言に対する抗議声明

1 河村たかし名古屋市長の発言
名古屋市の河村たかし市長は2月20日、姉妹都市である南京市の共産党市委員会の訪問団に対し、1937年12月の「南京大虐殺事件」について、「通常の戦闘行為はあったが南京事件というのはなかったのではないか」と南京大虐殺を否定する発言を行った。その後も河村市長は同趣旨の発言を繰り返し、中国国内で大きな反発を呼び起こすとともに、各種交流事業が中止になるなど、日中間の友好関係に多大なる支障をもたらしている。
しかし南京大虐殺の事実があったことは、多数の目撃者や幸存者が現実に存在しており、南京市民の「民族の記憶」として記憶され、日本、中国及び欧米の膨大な資料がその事実を裏付け、歴史学界の定説ともなっており、第3次家永訴訟では①南京事件が組織的に行われたこと、②大量のレイプが行われたことを認めている。加えて、当弁護団が関与した幾多の判決においてもその存在が認定されている紛れもない歴史の事実である。

2 判決の認定した事実
731・南京・無差別爆撃訴訟事件において1999年9月22日に東京地方裁判所が言い渡した判決は、「『南京虐殺』というべき行為があったことはほぼ間違いのないところというべきであり、原告李秀英がその被害者であることも明らかである」と認定している。
この李秀英さんは、南京大虐殺当時妊娠7ヶ月だったが、日本兵の強姦に抵抗したことで全身を29箇所37回も銃剣で刺され、流産したが自身は奇跡的に生き残ったという体験をした。この李秀英さんを“ニセ被害者”呼ばわりした著者と出版社を訴えた「李秀英名誉毀損訴訟」で、2002年5月の東京地裁判決は、著者と出版社の責任を認めて損害賠償として150万円の支払を命じている。
同じく南京大虐殺の当時8歳で、家族7人を含む11人が日本兵によって虐殺され、母親や姉がレイプされ殺された現場に居合わせた夏淑琴さんについて、“ニセ被害者”と中傷した大学教授と出版社を訴えた「夏淑琴名誉毀損訴訟」でも、2007年11月に東京地裁判決は、「被告東中野の原資料の解釈はおよそ妥当なものとは言い難く、学問研究の成果というに値しないと言って過言ではない」と断罪し、400万円の損害賠償を夏淑琴さんに支払うよう命じた。
そして、上海から南京に進軍中の二人の日本軍少尉が中国人に対するいわゆる「百人斬り競争」を行ったとの毎日新聞報道や、それに対する本多勝一記者による検証論稿等が名誉毀損に問われた「南京百人斬り訴訟」で、2006年5月に東京高裁判決は、「両少尉が、南京攻略戦において軍務に服する過程で、当時としては『百人斬り競争』として新聞報道されることに違和感を持たない競争をした事実自体を否定することはできず」として、その実態が無抵抗の捕虜や農民らに対する「据えもの百人斬り」であったことを実質的に認めている。

3 撤回及び謝罪要求
これら裁判所が認定した事実は、いずれも「通常の戦闘行為」ではない日本軍による虐殺行為である。河村市長による今回の発言は、我が国の裁判所でも認定している「南京大虐殺」の事実を否定するものであり、何らの根拠のない妄言であることは明らかである。
河村市長が、こうした妄言によって中国国民を深く傷つけたこと、それによって日本国民全体の名誉も毀損したこと、さらに日中友好を大きく妨げたことは看過できない。即座に、南京大虐殺の事実を否定した発言を撤回し、中国国民及び日本国民に対し、公式に謝罪することを求めるものである。

2012年3月19日

中国人戦争被害賠償請求事件弁護団
731・南京・無差別爆撃訴訟弁護団
李秀英名誉毀損訴訟弁護団
夏淑琴名誉毀損訴訟弁護団
南京百人斬り訴訟(本多勝一)弁護団

南京事件「生き証人」の証言を残せ、口述史分会を発足へ―江蘇省南京市
「ノブの日記」(yahoo!ブログ)に寄せられたコメント!
南京大虐殺の大きな特徴は、武装解除した中国兵捕虜の虐殺が多いことです。すでに<12月18日の時点>で、複数の下級兵士の陣中日記に、<7万~10万人の捕虜の虐殺>の記録があります。それ以降も、虐殺が続きます。(捕虜の虐殺は、戦果となり、<軍人として出世の評価>となるので、日本軍側で集計しており、記録に残します。しかし、民間人の殺害は、隠すべきことなので、日本軍側には記録がない)これに、民間人の虐殺が追加されます。特に農村部での掃討作戦と言いながら中国人全員の殺害が多く、更に、食糧徴発、実際は掠奪の際にも、虐殺しています。(農民も、12月冬ですから食糧を掠奪されたら飢え死にです)
2012/4/10(火) 午前 7:24 [ sat*atu**200* ]
「ノブの日記」(seesaaブログ)に寄せられたコメント
河村は本当に馬鹿な男だ、数年前実名で河村に抗議したが返事なし、30万は毛沢東の宣伝で過大だが蒋介石は3万人以上と国連に報告、虐殺は有った、私は中国から復員してきた友人の父親の軍医から聞き15年前南京を訪問現地の資料をみて恐ろしくなった。(sakai)
藤村官房長官「非戦闘員の殺害、略奪行為あった」 村山元首相談話の踏襲表明問6.「南京大虐殺」に対して、日本政府はどのように考えていますか。

南京大虐殺74周年、日本は沈黙
“南京事件”…犠牲者名簿に新たに1万人を追加=中国
南京大虐殺、新たな証拠品
南京大虐殺 日本の住職、資料を寄贈
南京大虐殺74年で追悼式典 未解決の歴史問題浮き彫り

3月28日 南京に中華民国維新政府成立。南京事件終焉する。
4月 1日 国家総動員法公布。 
【南京事件:笠原十九司著:岩波新書より】
「南京事件」143枚の写真            

夏淑琴さん
李秀英さん
侵略の戦場で何があったのか!!

12月17日 南京入城式
『南京城頭日章旗翻る』&『南京入城式』
・映画やテレビの時代劇ではクライマックスにチャンバラシーンがあるが、斬られた方のその後の苦しみ・悲惨な光景は省略されることが多い!!日中戦争でも多くの捕虜や市民が日本刀による「据えもの斬り」にされ、殺された。最近のテレビでは日本刀を伝統文化だといって取扱っている番組があったようだ!!恐ろしい!!
・なぜ南京軍事法廷では皇族の朝香宮(当時上海派遣軍司令官)は皇族ゆえ裁かれなかったのか?
Rape of Nanking Part I Atrocities in Asia Nanjing Massacre
『地獄のDECEMBER-哀しみの南京- 』舞鶴公演(2011.3.17) -2-
南京大虐殺マギーフィルム)1
南京大虐殺
日中戦争 (1937-1938)
南京大屠殺 ( Nanking Massacre )
兵士たちが記録した南京大虐殺1

NHKスペシャル 映像の世紀 第11集 JAPAN
阳光卫视 纪录片 国殇 第十二集:南京大屠城
「南京!南京!」が見られる映画サイト
映画「南京!南京!」日本語字幕版全編1/14
日本の戦争 2
南京大虐殺9
南京大虐殺
南京大虐殺5
南京大虐殺
情報の遮断を狙う?日本軍、アメリカ砲艦パネー号を撃沈!!
(アメリカ砲艦パネー号は、南京攻略下の南京にとどまって取材活動を続けていた4人の外国人記者が、無線記事の送信に利用していた。)
アメリカ合衆国では、パネー号の撃沈は、南京で発生していた大規模な強姦と殺戮全体よりも大きな騒動を巻き起こした。12月13日にフランクリン・D・ルーズベルト大統領は、爆撃に「衝撃を受けた」と語り、天皇裕仁に即刻の賠償を要求した。数日後に、消耗しきった生存者たちがようやく文明社会にたどり着いたとき、大衆の反応はますます悪化した。汚れて寒さに震え、毛布と中国の掛け布団、ぼろぼろになった衣服を身にまとった生存者の中には、ショックで未だに死線をさまよっている人もいた。彼らの話は、彼らの写真とともに、この国の全ての主要紙に、「1時間も続いた日本軍の攻撃にさらされたパネー号の被害者」とか、「南京における屠殺と略奪の統治」というような見出しで掲載された。アレイとメイエルのフィルムが劇場で上映されると、アメリカの観衆の間にさらなる激怒と反日感情を喚起するばかりだった。(P176、映像ジャーナリスト 「ザ・レイプ・オブ・南京」アイリス・チャン著より)


●陸軍登戸研究所
・陸軍登戸研究所とは
1937(昭和12)年、新宿にあった陸軍科学研究所の実験場が登戸に移され、電波に関する研究と実験が行なわれた。その後、秘密・謀略戦の研究所として本格的に拡充された。
陸軍参謀本部直属で、1942(昭和17)年に正式名称が「第9陸軍技術研究所」とされたが、軍の法規にすら記載されずにその存在は最後まで秘匿され、ただ「登戸研究所」と俗称されていた。
登戸研究所の任務は、秘密戦・謀略戦に関わる研究・開発だった。毒物、細菌などの生物化学兵器・他国紙幣の偽造・風船爆弾・憲兵隊やスパイ(特務機関員)などが使う武器・器具などを開発、製造した。したがって単なる研究所ではなく、数多くの地元住民を含めて約1000人が働く巨大な秘密兵器生産工場でもあった。
【「陸軍登戸研究所見学のしおり」より:登戸研究所保存の会】

動物慰霊碑
①正門裏手にあって、高さは3メートルほどある。
碑の裏面には、「陸軍登戸研究所」「昭和18年3月」とあり、碑文の書は所長の「篠田鐐」であることも刻まれている。
②「陸軍登戸研究所」となっていることが注目される。正式名称「第9陸軍技術研究所」はあらゆる陸軍法規からも抹消されていた。
③碑の巨大さも不可解である。ここで格別に多数の動物を実験材料に使っていたという形跡はない。にもかかわらず、すでに戦局が傾いている最中にこれだけの大きさの碑を建てたのは、何か別の理由があったと考えられる。
第2科では生物化学兵器を研究・開発していた。その過程でイヌ、サル、モルモット、ブタなどを使って動物実験を繰り返したのだが、完成すると中国で人体実験を行なった。1941年5月22日から、登戸研究所の幹部7名が南京1644部隊に赴いて、青酸カリ、青酸ニトリール、雨傘毒蛇、ハブの毒などを用いて、約30人の中国人に実験した。1943年12月から翌年1月にかけても青酸ガスなどの人体実験を行なっている。いずれも防疫給水本部(731部隊=石井部隊)の協力のもとで行なわれた。
この事実を踏まえると、人体実験犠牲者の慰霊碑は建てられないので、動物の慰霊碑として巨大なものを建てたとも考えられる。費用は、この時期に陸軍大臣から与えられた「陸軍技術有功章」に伴う賞金が充当された。
④人体実験をする科学者の心理はどのようなものか。通常の倫理観を持った科学者が悪魔の科学者に変身する。第2科で生物化学兵器研究の中心にいた伴繁雄(終戦時、陸軍少佐)は、帝銀事件の捜査で警察の事情調査を受けた時、次のように供述している。
「実験を始めた。最初は厭であったが、馴れると1つの趣味になった(自分の薬の効果をためすために)。相手は支那の捕虜を使った。相手が試験官を疑うので偽装して行なった。たとえば・・・・。」(帝銀毒殺事件捜査手記第5巻より。昭和22年4月26日)
【「陸軍登戸研究所見学のしおり」より:登戸研究所保存の会】

(200)陸軍登戸研究所⑤ 731部隊と登戸研究所
動物慰霊碑1

動物慰霊碑2

秘密戦関係
秘密戦関係
記念写真
記念写真(中央 三笠宮)
偽札
偽札(登戸研究所で作っていた)
風船爆弾
風船爆弾(模型)登戸研究所で製造していた!!

●516部隊
第516部隊
516部隊
516部隊と731部隊
中国戦線における日本軍の毒ガス戦
日本軍が遺棄した毒ガス及び中国人に与えた傷害 その1
内閣府大臣官房遺棄化学兵器処理担当室
化学兵器CAREみらい基金ブログ
旧日本軍が遺棄した毒ガス兵器で今現在でも苦しむ人々が、日本や中国に多くいる!!
ニュースレター Vol.12でもご報告いたしましたが、チチハル毒ガス事件の被害者、曲忠誠さんが肝臓がんのため、昨年12月15日に亡くなりました。45歳でした。年末も押し迫った頃、中国人のコーディネーターから連絡が入りました。残念でなりません。マスタードガスに含まれていたイペリットは発ガン物質として知られおり、皮膚だけではなく、内臓にも被害が及びます。曲さんの肝臓がんと毒ガス事故の因果関係は、医学的にも否定することはできません。
曲忠誠さん
曲忠誠さん: 2010年3月 日中合同ハルビン検診にて 


大久野島と毒ガス

全国各地で奮闘する語り部たち
悼みの列島2
(相模湖・大久野島・花岡・・・・で戦時中何があったのか?)
必見!!「戦争を語り伝える人々」のガイドブック!!
『ルポ 悼(いた)みの列島』 あの日、日本のどこかで
室田元美
もう過去のことなんて、いいんじゃない?と思う人もいるかもしれないが、私の胸のなかには、石川啄木「韓国併合」のおり詠んだ「地図の上朝鮮国にくろぐろと墨をぬりつつ秋風を聴く」が常に引っかかっている。(「はじめに」より)

1945年3月10日
●東京大空襲

東京大空襲
母子と思われる二つの遺体。子供を背負って逃げていたらしく、母親の背中が焦げていない(石川光陽撮影)

我々は106回の東京の空襲も風化させてはならないが、中国重慶に対して218回も無差別爆撃した事実も忘れてはならない!!

「重慶大爆撃とは?」

重慶大爆撃は、1938年から1943年までの5年半に及んでいる。日本軍が重慶の一般住民の殺戮を意図的に狙った残虐な無差別爆撃である。日本は、1937年7月の廬溝橋事件で中国への全面的な侵略戦争を開始したが、これ以降日本軍機は上海、南京をはじめとする中国のほとんどの主要都市を爆撃した。
重慶大爆撃が最も激しかったのは1939年から41年までの3年間であった。1939年の「五・三、五・四」、1940年の「101号作戦」、1941年の「102号作戦」・「六・五大隧道惨案」とそれぞれ呼ばれている爆撃では、重慶は甚大な被害を出した。最近の資料では、この5年半の爆撃による死傷者は6万1300人、うち死者2万3600人、負傷者3万7700人とされる。重慶大爆撃は、日本の侵略戦争に徹底抗戦する中国の政府・民衆の戦意喪失と侵略への屈服を狙った最大規模の無差別・戦略爆撃であり明白な戦争犯罪であった。
重慶大爆撃とは①
日本の原爆開発:核兵器開発競争? 鳥飼行博研究室

東京大空襲東京大空襲・戦災資料センターとは
東京大空襲・戦災資料センター
昭和20年3月10日 史上最大の虐
東京大空襲2絵 吉野山氏提供
アジアとの友好のために(1)

消えた日の丸1


●君が代
橋本さん!首相公選制よりいっそのこと、天皇制から大統領制にしてみては!!
(戦争の反省とそれに基づく憲法9条を国是にして)

大阪府教育基本条例案に反対します

「君が代」は歌えない!!
君が代の口元チェックは何が問題なのか


<君が代訴訟>「減給や停職は慎重に」…最高裁が初判断
<大阪府教委>君が代起立斉唱の職務命令
都教委は、「君が代」不服従の教員を
停職処分にするな! 免職(解雇)にするな!


戦争の爪痕を感じる!!
関越バス事故:逮捕の運転手 経営者から一転、日雇いに

●昭和天皇の戦争指導
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戦前の日本において天皇は現人神(あらひとがみ)とされ、大日本帝国憲法では、天皇は日本国の主権者として国のすべてを統治すると定められていました。天皇には軍隊を指揮・統率する最高の権限【統帥権(とうすい権)】があり、開戦と終戦を決定する権限も天皇にあったのです。日本の軍隊は天皇の軍隊という意味で「皇軍(こうぐん)」と呼ばれました。
一方、「天皇は神聖にして侵す(おかす)べからず」(同憲法第3条)とされ、天皇に政治や軍事の責任を負わせることはできないとされていました。かわりに政治は各国務大臣が天皇を輔弼(ほひつ・・・助けて)して責任をとり、軍事は統帥部(陸軍は参謀本部、海軍は軍令部)が天皇を輔弼して責任を負うことになっていました。
1937年に日中全面戦争を開始すると、拡大する戦争を指導するために、皇居内に大本営を設けました。大本営は陸海軍の最高司令官である大元帥(だいげんすい)・天皇の総司令部という意味で、戦争指導の最高統帥機関となりました。この大本営は参謀総長と軍令部総長を幕僚長とし、陸海軍大臣も参列した軍部指導者だけの会議でした。
大本営陸海軍首脳が天皇の御前(ごぜん)で行なった会議が大本営御前会議で、左右に陸海軍のトップが座り、中央の奥に昭和天皇が座りました。この会議では、重要な戦略・作戦について審議し、決定しました。この会議では、陸軍統帥部や海軍統帥部からの上奏(じょうそう・・・意見や事情などを天皇に申し上げること)に対して、天皇は御下問(ごかもん・・・質問)や御言葉を与えるというかたちで戦争指導・作戦指導に深くかかわりました。
昭和天皇はこのほかにも、戦闘の勝利や軍事行動の成功に対して賞賛、激励の勅語(ちょくご)や嘉賞(かしょう・・・おほめ)の言葉を与え、国民の戦意高揚、国威発揚(こくいはつよう)のために積極的な役割を果たしました。 (『未来をひらく歴史』第2版日本・中国・韓国=共同編集:122頁)

「今の状態でも危ないのに、これ以上原発再稼動・戦争・軍事演習・核実験を繰り返していたら、もっと早く地球は壊れてしまう!!」

第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

●祈り1
●祈り2

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