2024年7月11日木曜日

1644部隊員の秘蔵写真集発刊!!










 写真集の復刻出版にあたって


この度、金沢文圃閣様より、父の残した写真集(アルバム)『聖戦の憶ひ出』を中心とした、復刻写真集を出版していただく事となりました。

タイトルは

『帝国陸軍防疫給水部ビジュアル写真帖―七三一部隊姉妹機関「栄一六四四部隊」員旧蔵』

                                    です。


少し説明させていただきますと、1909年(明治42年)生まれの父は、尋常高等小学校、実業補修学校、青年訓練所本科卒業後、1930年(昭和5年)21歳で歩兵松本50連隊に機関銃隊、二等兵として入営、すぐに衛生兵となりました。その後、1936年(昭和11年)までに、あわせて2回(昭和7年3月・昭和9年4月)満州(現中国東北部)に出征しています。

1937年(昭和12年)舞鶴重砲兵隊に衛生曹長として配属、1938年(昭和13年)1月より奈良陸軍病院に7月まで病院付衛生兵(庶務・内科)として勤務、8月1日より8月7日まで(内地)陸軍軍医学校に入校、卒業後直ちに、防疫給水部編成要員として輜重兵第一連隊へ。9月1日勅令12号により衛生准尉昇格、9月12日、「18創られた野戦防疫給水部」の第九師団、第四防疫給水部、部隊長、佐藤大雄軍医少佐(隊員医官含む225名+文官28名)に配属、日中戦争最大規模と言われる、武漢作戦に参加。(尉官以上の顔写真、苗字、階級、はあるものの名前の記載がないためまだ人物特定できず)


この武漢作戦時、九江から岳州までの防疫給水部活動を記録したのが『帝国陸軍防疫給水部ビジュアル写真帖―七三一部隊姉妹機関「栄一六四四部隊」員旧蔵』復刻版写真集です。


「18創られた野戦防疫給水部」のうち現在記録の見つかっているのは、私が探した限りでは、第12防疫給水部(渡邊簾軍医少佐部隊長)の「行動詳細」(大東亜戦争陸軍衛生史第7巻)と第11防疫給水部(井上勇軍医少佐)の「菊の防給」という思い出集(写真は両方とも少しのみ)、だけでした。


復刻版出版にあたり『解題』は福島医科大学の末永恵子先生にお書きいただけました。部隊長であった「佐藤大雄軍医少佐(のち軍医中佐)」について、私が調べられなかったことも本当に詳しく調べていただき、感謝しています。

我が家に写真確認にお見えになられた、末永恵子先生、松野誠也先生(明治学院大学、国際平和研究所研究員、本書の推薦文を書いていただいています)は、防疫給水部の実戦における活動を撮影した写真集としては初めてで、現在見つかっているうちでは一番古いものではないかと思われますとの事です。

『聖戦の憶ひ出』写真集には約100枚の写真があり、「中支憲兵隊の検閲済み」になっています。またキャプションに地名が書き込まれたものもあります。その地名と戦史叢書等から進行(行軍)、日にちを探し地図に大まかですが書き込んでみました。現在第12防疫給水部のような行動詳細がないかと調べていますが見つかっていません。

『聖戦の憶ひ出』写真集(アルバム)以外にも、武漢攻略戦間記録写真集1・2もありますがこちらは検閲を受けてない写真を貼ってあるもので、500枚くらいあります。

ただこれらは終戦後日本に戻ってから(昭和18年軍隊生活最後と思える特別休暇で帰国した記録があり、この時持ち帰った? 終戦時以降は持ち帰ることはできなかったと思う)、貼り付けたと思え、順序はばらばらのように思います。 武漢作戦時(第4防疫給水部)、それ以降の中支那防疫給水部(榮1644部隊)との写真区別を進めているところです。


武漢作戦後、韓湘会戦、宜昌作戦、浙韓作戦、常徳作戦に参加、終戦後、158(漢口第一陸軍病院),178(漢口第二陸軍病院)兵站病院でそれぞれ勤務(軍歴票に記載されている)、178兵站病院は第六方面軍に於ける最後発病院としての業務を続行していました。

昭和21年、7月 復員帰還、浦和で兵役解除となっています。

中国大陸で行われた、日中戦争における大きな作戦に衛生兵、衛生将校として参加したということです。 在るところから頂いた名簿には、なぜかメディカルオフィサー(MO・軍医)と書かれたものもありました

中支那防疫給水部の創設は 1939年(昭和14年)4月とあります。昭和16年1月1日、再編成されます。 父はその時、第11支部(漢口支部)、利根部隊、應山隊(わたなべ隊?)に配属されています。その後、武昌分遣隊、漢口本隊に移動勤務しています

158・178兵站病院の留守名簿、178兵站病院の復員帰還時部隊編成表並業務編成表も

手元にあります。(約400名の軍医、兵隊、従軍看護婦の帰還乗船名簿)

中支那防疫給水部の留守名簿も全体のものはまだ公開されていませんが、父の個人分は厚労省より取り寄せてあります。(要審査ですが三親等以内の親族が申請すれば入手できます)


2025年(令和7年)、戦後80年を迎えるにあたり、この写真集が復刻出版されますことを大変ありがたくうれしく思います。また今回載せることのできなかった満州事変を含む多くの写真も、いつの日か発表できればと考えます。

この写真集により、まだ眠っていると思われる多くの、写真、記録が、発見、発表されることを切に願います。


金沢文圃閣様、西山勝夫先生、末永恵子先生、松野誠也先生、はじめ

多くの関係された方々に感謝の意をこめて

                   

2024年(令和6年)7月1日  竹上勝利


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