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●映画『終の住処を奪われて 福島原発被害東京訴訟』 2017年/37分
あれから6年、原発事故は未だ収束していない。福島県外の避難者は8万人を超え、
その多くが生活の不安を抱えている。だが、国・福島県は避難住宅の無償提供を打ち
切るなど、復興の名のもとに避難者を切り捨てる姿勢だ。そんななか、国と東京電力
の責任を追求し損害賠償を求める、福島原発被害東京訴訟が進行中だ。原告団長・
鴨下祐也さんの活動を軸に、事故被害を科学的に検証、避難者たちの闘いを追った。
日本は過去を反省すべし!!
NO WAR!!
あらゆる紛争を、武力ではなく話し合いで解決できないものか??
地球は、戦争と核実験によって壊れかかっている!!
11月17日、ジュネーブの国連本部におけるパレスチナ国連大使のスピーチ
VIDEO
地球環境を破壊してきた最大の原因:戦争、核実験、原発。
これからの世界が真っ先に取り組まなければならないこと(SDGs)は、
1、核廃絶(核実験後の除染、核弾頭の処理、原発全廃、廃炉作業、核のゴミの処理)
2、戦争の後始末(地雷除去、化学兵器の処理、被害者の治療、PTSDの治療)
3、武器の廃棄(基地撤去、軍備全廃、環境整備)
※これらを実施するためには、国連改革が必要だ!!【紛争は話し合いで解決する!!、
五大国廃止(拒否権行使撤廃)等】
世界は、放射能の影響を無視し続けている!! 戦争反対!!
1945年から約半世紀の間に2379回(その内大気圏内は502回)の核実験が各国で行われた。そのエネルギーはTNT換算で530メガトン(大気圏内は440メガトン)でこれは広島へ投下されたリトルボーイ(TNT換算で15 kt)の3万5千発以上に相当する。
アメリカだけではない!!世界は核実験・原爆・原発事故により放射能で汚染され、地球は破壊された。多くの人が核被害で苦しみ、温暖化は進んでいる!!
世界に拡がる放射能汚染は、核抑止論・軍事機密のために、隠蔽され、矮小化されている!!
第9回「戦争の加害展」(横浜)
広島・長崎・ビキニ・福島と4度被ばくした日本はいつまで、危険な原発をやるつもりなのだ!! 核兵器廃絶!!脱原発!!医学者も声を上げよ!! いつ大地震が起きるかわかりゃしない!!
3月20日に飯田市の飯田市平和祈念館に寄りました。下の写真のパネルは市教委が昨年9月に新たに作成したパネル。もう少し、詳しいパネルがほしい!!なんで日本は医学者が中心となって細菌兵器の開発に突き進んだのか? 飯田平和祈念館展示
検討委員会のある方のご意見
・9月1日に新たに展示された731部隊のパネルは一歩前進ではあるが、下に展示されている医療器具や本との関連が説明されていません。どうしても731部隊の証言が必要です。
昭和天皇が裁可したこの巨大施設で、細菌兵器の開発のため、人体実験が繰り返され、細菌兵器を製造し、中国各地で細菌戦が行われた!! (中国・平房) 改めて、昭和天皇・皇族・医学者の戦争責任を問う!!
ニュルンベルグでは、アメリカは医師裁判 などを行い、医師裁判では 23人の被告人が裁かれ、うち7名が絞首刑となった。
市教委が展示したパネル
VIDEO ・山田先生の講演を聞いた人の感想
化学兵器や生物兵器は天皇の戦争責任にどう関係したでしょうか?小泉親彦や橋田邦彦の自死、あるいは帝銀事件が東京裁判で天皇の責任が問題になりそうな時に起きているのが気になっています。
・山田朗先生の回答
昭和天皇が化学戦・生物戦について認識していたことは、大本営からの命令(大陸指)の発令や、731部隊の関係者と接触した三笠宮からの報告で動かしがたいものだと思われます。ご指摘のように、敗戦から1947・48年の間にどのような隠蔽工作が行われたのか、これはまだほとんど解明されておりませんので、しっかり取り組んでいこうと考えております。ご指摘、ありがとうございました。
会場には、100名を超える人々が参加して、山田さんの講演を聞き、又意見交換もしました。 三笠宮と731部隊員の記念写真
三笠宮は回顧録の中で、「多数の中国人捕虜を貨車やトラックに積んで満州の広野に連行し毒ガスの生体実験をしている映画」を見たのを憶えている、としている。彼は次の様にも述べている。
「その実験に参加したある高級軍医は、かつて満州事変を調査するために国際連盟から派遣されたリットン卿の一行に、コレラ菌を付けた果物を出したが成功しなかった」、と語っていました。
(『死の工場』シェルダン・H・ハリス著 柏書房 p227)
※三笠宮は紀元節復活に反対( ウィキペディア より)
1950年代後半から「紀元節」(神武天皇即位紀元(皇紀)に基づき、三笠宮自身の父系祖先と伝承される初代天皇・神武天皇が即位したとされる西暦紀元前660年2月11日を「日本建国の日」とするもの)の復活への動きが具体的なものになってくると、考古学者及び歴史学者としての立場から「神武天皇の即位は神話であり史実ではない」として、「『神話』と『史実』は切り離して研究されるべき」と強く批判し、皇族の身分でありながらも積極的に「紀元節復活反対」の論陣を張った。編著『日本のあけぼの』は、このときに刊行されたものである。
竹田宮と731部隊
竹田宮は、他にもっと直接的なつながりを、細菌兵器施設との間に持っていた。彼は関東軍司令部によって設置された、731部隊と100部隊の事業の監督をするための特別委員会の幕僚メンバーだった。彼の幕僚メンバーとしての最も重要な責務は、平房や他の支部施設を訪問する許可を与えるかどうかを決定することであった。関東軍に於ける医療行政官のチーフのように権力ある個人すら、平房(の施設)に立ち入る際には竹田宮・宮田(竹田宮は宮田武中佐と名乗っていた)が発行した通行証を求める必要があった。関東軍司令官もしくはその直属の部下が731部隊を訪れる時は、竹田宮自身が彼らの一行に混じって彼らをエスコートした。(『死の工場』シェルダン・H・ハリス著 柏書房 p228)
入学式の日の丸
「はだしのゲン」巡り揺れる広島 教材から削除、販売は急増―原爆忌
「香川の子どもと教科書ネット」通信
第68回会議報告より
【二】 「はだしのゲン」
「ひろしま平和ノート」から教材「はだしのゲン」を削除させたのは、広島県教育委員会の方針というよりも、「天皇制」安泰の力にすがりついている安倍自民党政権を引きついでいる岸田自民党政権の下にいる文科省の圧力に忖度している松井一実広島市長の権力によるものだなと、次第に見えてきた。
自民党政権が続くかぎり、「昭和天皇」に対して、激しく批判、攻撃している、「はだしのげん」を、学校教育の中に放置するわけにはいかないのだろう。
松井一実広島市長は、「天皇制」永続にとっては、「はだしのゲン」の中に書かれた昭和天皇に向けられた(元・げん)の激しい怒りの台詞が、耐えがたい程に邪魔な存在と言うその本音を必死に隠しているのだなと思う。
「はだしのゲン」の(2巻)(3巻)に続き、(4巻)~(7巻)には、昭和天皇への怒りがどのように書き込まれてあるのだろうか?引き続き、読み返してみた。
長周新聞
E 墓誌をつくるための調査で、1家12人が全滅した家もあったことなど、地元の人も初めて知る事実が明らかになっているが、都にも当時の犠牲者名簿などの資料があるにも関わらず遺族が申請しても公開されないのだといわれていた。
地蔵や碑の建立についても「宗教的なものは受け付けない」とかの理由で許可は下りず、「黙認する」程度だという。行政から助成も受けられないため、発起人を中心に町内外に呼びかけたら、続続と寄付が寄せられてつくることができたといっていた。
終戦直後にも数千人が空襲で亡くなった墨田区の菊川橋のたもとに慰霊碑を建てようとしたが、区役所から拒否されている。河畔を改装するたびに白骨がたくさん出てきたので「これ以上放っておくわけにはいかない」と住民が独自に地蔵を建立して毎年法要している。
※カーチス・ルメイ ・・・焦土作戦は東京・大阪・名古屋などの大都市を焼き払った後は、富山市・郡山市などの地方の中小都市も対象となった。これらの空襲は日本国民を震え上が
らせ、日本側から「鬼畜ルメイ」「皆殺しのルメイ」と渾名された。
勲一等旭日大綬章の授与
1964年12月7日に日本に返還されたばかりの入間基地で、勲一等旭日大綬章を浦茂航空幕僚長から授与された。理由は日本の航空自衛隊育成に協力があったためである。12月4日の第1次佐藤内閣の閣議で決定された。叙勲は浦がルメイを航空自衛隊創立10周年式典に招待したことを発端とした防衛庁の調査・審査に基づく国際慣例による佐藤内閣の決定であることが明かされている。推薦は小泉純也防衛庁長官と椎名悦三郎外務大臣の連名で行われ、防衛庁から佐藤栄作首相・賞勲局へ叙勲が適当であるという説明があった。勲一等旭日章という種類の選定は大将という階級から慣例に基づいたものである。
授与への批判
ルメイが東京大空襲や原爆投下を行った部隊の指揮官だったことから授与に対して批判も大きく、現在でも「勲章は返還するべきである」と唱える者もいる。当時は日本社会党・原水爆禁止団体・被爆者などから国民感情として納得できないという声が上がった。
日中戦争の最中、中国の国民党政権の臨時首都となっていた重慶市にたいして、日本軍は、無差別爆撃をくり返し、多くの人々を殺傷しました。(中国人民政治協商会議四川省重慶市委員会文史資料研究会編『重慶抗戦紀事』によると、爆撃は1938年2月~43年8月にかけて218回、被害は死傷者2万6千人、焼失家屋1万7千戸。ほかに41年6月5日、
防空壕で数千人から1万人以上が窒息死したといわれる惨劇がある)
日本は戦争の加害をきちんと伝えるべきだ!!2024年2月20日初版発行:アテネ出版(3000円+税)第533回 反核座り込み行動 核も戦争もない平和な21世紀に!!
この映画では、元731部隊員(レントゲン班)の宮川正(東大教授)は協力している。
汚染水放出反対!!(海の生態系の破壊!!)
戦後、日本は、GHQ(主にアメリカ)によって占領され、そのGHQは、その占領政策をスムーズに進めるため、東京裁判が始まる前に、天皇に「人間宣言」をさせ、開戦を裁可した昭和天皇を戦犯免責にし、象徴天皇制と憲法9条を盛り込んだ憲法草案を提示し、それを日米でアレンジした。1946年 6月、枢密院で可決された憲法改正案は、第90回臨時帝国議会に提出され、貴族院・衆議院両院で修正が行われた後、同年10月7日可決。この改正案を10月29日に枢密院が可決したことを受けて、日本国憲法は同年11月3日に公布された。
東京裁判では、日本 軍の上層部で活躍した皇族や 極悪非道な、細菌戦や毒ガス戦、無差別爆撃に関わった、731部隊員、毒ガス部隊員、登戸研究所員等も戦犯免責にし、アメリカはその情報を持ち帰り生物戦、化学戦の研究を進めた。
そして、アメリカの行った非人道的な原爆投下、無差別爆撃等は東京裁判では、全く取り上げられなかった。免責の見返りに、一部の731部隊関係者はアメリカの核戦略に全面的に協力し、被爆の被害の矮小化を図った。 その流れが、ビキニ、福島、原発政策へと続き、依然として原子力村、安保村が日本の原発・軍事問題を牛耳っている。
唯一の最悪の地上戦を経験した沖縄は、昭和天皇によって、見捨てられ、戦後、アメリカの占領下となり、日本に復帰した現在も、米軍基地問題で大きく揺れている。
また、日本は、戦時中、百万人を超す朝鮮人を日本国内に強制的に連行し、苛酷な条件のもとに強制労働させたが、戦後は日本人ではないとして、戦後補償を受けられずに、非常に困難な生活を強いられた。
だが、軍事裁判では、日本軍兵士として、BC級戦犯となり、厳しく裁かれた。
靖国神社は、A級戦犯であった、東条、広田、板垣、松井等を合祀し、あの戦争を賛美し、反省をしていない。
日本は戦後、軍人や軍属、その遺族らに総額60兆円超の年金や恩給をいまも支払い続けている。戦犯の遺族にも支払っているが戦後、外国籍になった日本軍兵士には支払っていないということには驚く!!
一方、天皇が、宣戦布告した戦争で、国は戦争被害者に損害を国民は同じように堪え忍ぶべきだという受忍論を押し付け、空襲で家や財産、親や子どもを奪われた人たちへの補償は全くしていないし、公的資金を投じた追悼施設さえない(東京大空襲等)。
日本と中国では、戦後毒ガスによる被害者が多数出ているが、大久野島で毒ガスの製造に関わった 被害者だけは、優遇されているがその他の被害者にはわずかの補償か、 全く補償がない。 アジアの国々に対して日本は、戦争責任を認めて、率直に謝罪することが出来ていない。 平和博物館では、展示が日本の空襲や戦時中の暮らし向きだけが展示され、加害の展示は殆どないのが現状だ。
過去の侵略の事実を無かったことにしようとする日本政府の姿勢に疑問を強く感じる。
戦争による、残虐事件の証拠隠滅が、戦時中、戦後すぐに行われ、その解明は、十分ではない。1つの絶対的な権力が形を変えて残ることは、その解明を妨げている。
情報公開をオープンにし、実態解明ができる社会にしないと真実がわからない。
最近の裁判所で起こっている証拠隠滅にも戦前の体質を垣間見る!!
靖国神社を廃止し、国立の戦没者追悼施設の建設を!!
東京裁判での東条の証言
(東条)「日本国の臣民が陛下の御意志に反してかれこれすることはありえぬことであります。いわんや日本の高官においておや。」
この発言に最も慌てたのがアメリカの首席検察官キーナンだった。
東条の言葉は、解釈次第では戦争開始の決定は天皇の意志によるものだった、ということになる。
アメリカ政府とGHQは、占領政策を円滑に進める上で、天皇は不可欠な存在と考え、天皇不訴追の考えを固めていた。
731部隊罪証陳列館見学に並ぶ長蛇の列(中国・ハルビン)
長生炭鉱(山口県宇部市)「ヒロシマ通信」から 山口宇部・長生炭鉱の「水非常」は、事故で亡くなった183 名のうちの136 名が朝鮮人でした。2月3日におこなわれた現地での追悼の集いは、さまざまな問いかけを私たちに突きつけてきます。・・・終わり近く9分ごろのところに金平記者が長生炭鉱のピーヤの見える海岸でインタビューしているシーンも出てきます。たいへんに貴重な28分ほどの映像、まだ観ていない方、ぜひ視聴をオススメします! https://www.youtube.com/watch?v=oT781LkmlmY&t=35s
敵基地攻撃能力などいらない!!自衛隊を災害救助隊にすべし!!
VIDEO
日本の中国侵略、原発事故を問う!!
1月19日、「花地蔵物語」の完成披露演奏会が、東京の武蔵小金井の宮地楽器大ホールであった。会場は、満席で、大成功でした。
珠洲原発があったら大惨事であった!!原発をなくそう!! 能登半島地震の写真や図説
未知の断層はまだまだあるのではないか??
同時に、原発事故が起きていたら?? 国策原発推進反対!!
原発活用の国策見直しを!!
ビキニ被災から70年!!
地球を破壊した戦争・核実験・原発 世界に拡がる放射能汚染!!
核兵器禁止条約批准せよ!!
反原発!! 温暖化の一番の原因は2000回以上行われた核実験にあるのではないか?
あれだけの戦争をし、ヒロシマ・ナガサキ・ビキニ・フクシマで4度の被ばくの体験した日本から、核廃絶・反原発・反戦をアピールしよう!!
グーグルをはじめとしたプラットフォームと呼ばれるサービスは、クリック数のような偏った指標に基づくネット空間を加速させてしまっている側面はあります。一方で、すべてをデータ化してくれるおかげで、静かに記憶を引き継ごうとしている人の存在を可視化させてくれてもいます。
ゼロではない折れ線グラフ。これを、白いフェンスに掲げられた小さなプレートと同じように、忘れっぽい私たちへの警鐘と受け止め、流されがちで大事な出来事を「ロングテール」で伝えていきたいと思っています。
築地市場跡の白いフェンスにあるプレートには、当時の様子を伝える記録が記されている
ビキニ 隠された被害 アンケートから
12月13日(水)
2,731部隊の事は日本のメディア(報道)ほとんど扱っていないのではないだろうか。中国では、歴史教育ほとんどの中国の人は学校で教えられて知っていると思う。ところが日本では小学~高校の社会で教えられていなくて知らない人が多いと思います。日本という国は少しでも都合の悪い事は無関心。これでは過去の歴史から学ぶということが出来ないと思う。「戦争はいや」「平和が良い」という言葉が一人歩きしているようです。戦争をしない、平和を守るための議論が社会で為されていないような気がする。(家庭、学校)など、もう少し日本も歴史教育の教科書に時間を割いて、事実から学んでいく議論を深めていくべきだと思う。まるで受験勉強のように知識としてしか学ばない、議論を深めていくのをしないのは危険だと思う。(60代以上、市内、チラシ)
VIDEO
●三多摩平和交流会の感想
17、貴重なパネル展示を多数見ることが出来まして、有難うございます。
ここまで、用意された皆様方の御苦労大変だった事と思います。展示内容も、戦争、空襲、被害状況、三多摩地区以外の広島原爆に関することや731部隊、又、PTSD、PFAS汚染問題、オスプレイ、又、高校生平和活動等幅広く扱っており、大変勉強になりました。これからも皆様方の御活躍応援致します。
(チラシ、70代以上)
第5章 平頂山事件の解決に向けた日中市民の取り組み
2006年5月16日の最高裁判所の決定で裁判は終わった。しかし、日中の市民は、2006年6月5日の共同声明の精神に基づき、平頂山事件の被害者及び遺族が掲げる平頂山事件の解決のために、現在まで地道で粘り強い活動を続けている。以下、その活動のいくつかを紹介する。
3 「『撫順』加害と再生の地から ~現代と未来を考えるシポジウム」(2008年9月13日 東京大学弥生行動)
平頂山事件幸存者 王質梅さんの証言(通訳・藤原知秋)
<王質梅さんの略歴>
1921年撫順市平頂山で生まれる。平頂山事件当時11歳。事件で父,母,弟を殺される。自分も銃剣で背中を刺されるが奇蹟的に生き延びる。事件後,叔母の家に引き取られ,名前を代え,長春に移住。2005年9月,撫順市社会科学院の調査により,平頂山事件の生存者であることが初めて知れる。現在長春市在住。87歳。
翌朝、大人たちが、外が静かになったのを確認して私を呼びに来ました。後でわかりましたが、当時の「大刀会(抗日義勇軍)」が平頂山を通ったのでした。貯蔵庫の穴から上がって外の無事を確認したら、私たち一家も普段の生活をしようとしていました。ところが、朝の9時か10時頃、いきなり十数台のトラックに日本兵が乗って、銃を持ってきました。私たちに銃剣を突き付けて、村民を村から追い出しました。近所に病気のおばあちゃんが住んでいました。身振りで外に出ろと言われましたが、おばあちゃんは起き上がれなかったので、その日本兵は無残にもおばあちゃんを刺し殺しました。
一昨年(2022年)4月2日に開かれた日本医学会記念事業では、「過去の過ちに学ぶ」で、731部隊のことが取り上げられた。
731部隊で非人道的な人体実験があったことを述べている!! (以下の動画、5分20秒過ぎ)
●ビキニ被ばく船員訴訟意見陳述 (2023年9月12日東京地裁)
令和3年(行ウ)第594号
原告増本美保外11名 被告
全国健康保険協会
意見陳述書
2023年(令和5年) 9月12日
東京地方裁判所 民事第51部lA係御中
原告ら訴訟復代理人 弁護士 内藤雅義
第3 本件の被ばくとその問題点
被告の主張は、保険部報告をもとに、外部被ばく、内部被ばくを合わせても、最大0.92mSvであり、 lmSvにも達しないと主張します。
これをめぐる争点について述べます。
3 生物学的線量評価
原告側は、船員保険の申請段階で、船員の生物学的な線量評価を提出しました。
ビキニ海域から戻った直後の血液検査、リンパ球による染色体異常による線量評価、さらに歯のエナメル質の線量評価などです。
原告側の専門家は、外部被ばく線量としても500mSv程度、場合により、1000mSvを超えると主張しています。
これに対し、被告は、 自分たちの線量評価によれば、そんなことが起きないと言っています。
被爆地選出の首相が、なぜ放射能の恐ろしさを語らない?? 再生可能エネルギーの積極的活用を!! 福島原発事故の写真 世界史上最悪(レベル7)の原発事故福島第1原発 原発推進、汚染水放出、アメリカと日本の関係?? 日本の医学界も、原発推進、汚染水放出等の問題に、なぜ沈黙する。 グリーンピースからのメールの一部より
汚染水放出に反対、再生可能エネルギーへの早期転換を求めて
8月22日、日本政府は、東京電力福島第一原発敷地内に貯留されている「ALPS処理汚染水」の海洋放出を気象や海象条件などに支障がなければ、9月24日にも開始することを発表しました。 グリーンピース・ジャパンは、 2023年8月17日、汚染水の海洋放出に反対する署名36,334筆を経済産業省に、原子力発電所に反対する署名18,642筆を内閣府に提出しました。 「放射能汚染水を海洋放出しないで」署名を経済産業省の担当者に提出しました。 日本政府および東京電力は、漁業関係者や住民、太平洋地域や近隣諸国の懸念を押し切って、放射性物質を含むALPS処理汚染水を海に放出する決断に踏み切りました。あらゆる問題を山積みにしたまま、数日のうちにも海洋放出が開始するかもしれないこの状況に、憤りを覚えていらっしゃる方も多いのではないでしょうか。 グリーンピースは8月17日、54,976筆の署名を、国際環境NGO FoE Japanなどが主催する政府・東電との討論会の場などで政府に提出しました。また8月18日には、市民団体「これ以上海を汚すな!市民会議」が、首相官邸前にて行った汚染水の海洋放出に反対する要請行動に参加しました。
8月18日の「これ以上海を汚すな!市民会議」主催の抗議集会
放射性廃棄物の海洋放出は、福島第一原発の廃炉計画の失敗を明らかにしています。いったん海に流された放射性物質は決して回収できません。一方で、汚染水の発生を止める有効な手段はとられていないままです。放射性廃棄物を意図的に放出し、海を汚染するという選択は、日本の数十年にわたる原発政策が招いたものです。
署名提出、討論会でわかったこと
グリーンピースが政府に署名を提出した2023年8月17日、市民と政府および東京電力との討論会がありました(国際環境NGO FoE Japan主催)。経産省、原子力規制庁、東京電力から10名以上が出席し、市民側は放出に反対する福島県民、オンライン参加者も含め多くの参加がありました。
2015年、政府・東電は、「関係者の理解なしにいかなる処分も行わず、他核種除去設備で処理した水は発電所敷地内のタンクに貯留します」と文書で約束しています。討論会で「この約束は守られるのか」と問われた際には、はっきりと「守る」と回答していました。それにもかかわらず、海洋放出を推し進めようとする政府の不誠実な姿勢は、到底受け入れられるものではありません。
また、討論会では、グリーンピースはじめ、多くの研究者らが提案してきた陸上に保管する代替案について、ほとんど議論されていなかったことが改めて浮き彫りとなりました。東電は「モルタル固化処分案」については「ALPS小委員会においても検討が行われている」と回答しましたが、検討されたのは地下に埋設する別の方法についてであり、さらにそれも2行書いてあるだけで、会議資料にも議論の記録はありません。 処理費用と期間も大幅に膨れ上がっています。様々な処理方法が検討されていた2018年の時点で、海洋放出の費用は17〜34億円とされていましたが、現在の試算では1200億円となり、処理にかかる期間も52〜88ヶ月程度と書かれていましたが、現在は少なくとも30年以上と言われています。
海を汚染しない選択を求めます
福島第一原発の廃炉作業を進めるために「ALPS処理汚染水」の海洋放出は必要ありません。抜本的な解決策について、グリーンピースは元ゼネラル・エレクトリック社で東電福島第一原発などに勤務していた原子力コンサルタントの佐藤聡氏に委託し、2021年に具体的な提案を含むレポートを公表しています。
欧米で運用されているより高精度な多核種除去設備で限界まで放射性物質を取り除いた処理汚染水を、現行のタンクより堅牢な大型タンクに移し、さらに高度な除去技術を開発することが、現段階では最善の解決策であるとグリーンピースは考えます。
2023年の「戦争の加害展」の感想
◆8月26日(土)
3, 毎年参加していますが、今年の関東大震災時朝鮮人虐殺のパネルは勉強になりました。独立新聞による犠牲者6,661人のうち神奈川が3,999人、横浜市が3,000人というのは驚きです。この間フィールドワークにも参加させていただき、スタッフの皆さんとも顔見知りになりましたが、大切なパネル展ですので、今後とも継続していただきたいと思います。ありがとうございました。
※私は1951年生れの戦後世代です。父は1923年生れで関東軍697部隊に所属、叔父は1927年生れで旧制中学時代、相模海軍工廠に学徒勤労動員されました。私には戦争の直接責任はありませんが、戦前、戦中世代が責任を取らない限り、知らないという訳にはいきません。今日の戦争前夜的な社会を許さない責任は私たちにあると思います。
(70代・横浜市内・友人)
こんな大事なパネルが展示されていないとは!! 日本が中国に棄ててきた毒ガス問題 中国に戦後日本軍が遺棄した毒ガス被害に苦しむ人がいる(日本政府は補償していない)が、日本にも毒ガス工場で働いた人、毒ガス工場解体時に被害にあった人がいるが、 その人たちへの補償はどうなっているのだろうか? 以下は、毒ガス研究者の田中浩朗さんの『日本軍の毒ガス戦の歴史』による。
「1952年に大久野島毒瓦斯傷害者互助会が結成され、国に毒ガス傷害者の援護が求められた。そして、1954年の大蔵省通達「ガス障害者救済のための特別措置要綱」によって忠海製造所の旧従業員(旧陸軍共済組合の組合員)に対する援護(医療費や各種手当の支給など)の道が開かれた。その後、徐々に援護の対象が拡大され、現在では旧東京第二陸軍造兵廠忠海製造所、旧広島陸軍兵器補給廠忠海分廠、旧東京第二陸軍造兵廠曽根製造所、旧相模海軍工廠の旧従業員(財務省所管)および元動員学徒等(厚生労働省所管)に対する接護制度が存在する。最後の援護対象となった旧相模海軍工廠の旧従業員らが援護されるようなったのは、戦後半世紀以上が経過した1999年のことであった。」
化学兵器禁止条約が発効(1997年4月29日)されて10年過ぎても20年過ぎても(原則10年以内に廃棄)、中国に遺棄した日本軍の毒ガスは廃棄できないでいる。(廃棄完了は2027年の予定)分解できない砒素はドイツの地下に貯蔵?
毒ガスの処理事業は、内閣府は、下記の資料では2022年に終了することになっていたが、終わらす、2027年には完了するとしているが、本当に終わるのであろうか??
なぜ、処理事業で、処分できない砒素がドイツへ行くの? その遺棄化学兵器の処理が化学兵器禁止条約が発効した1997年から26年経ってもまだ終了していない。本当に内閣府の計画通り、今までに発見されている遺棄化学兵器は、2027年までに処理が完了するのであろうか? 次回裁判期日 7月18日(木)16時~703号法廷
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被告は①3月末に開示決定変更通知を提示し、開示できる部分については開示する、②不開示理由については4月末に500ページ、5月末までに更に500ページ提出し、半年以内に全不開示理由を提出する旨陳述しました。これを受け、裁判長は原告に対し申立の変更手続きをするよう伝えました(元となる開示決定が無効になるため)。 原告の私としては不開示であったことの違法性について判決があってほしいところですが、裁判の進め方として、開示できる部分については開示させていくことや、新たな開示内容やその理由について追求したほうがよいという弁護団の判断で、どういうものが出てくるのか様子を見ることになりました。 なかなか亀の歩みで地味な裁判ですが、少しずつ進展を見せています。皆さまの注目が頼りです。引き続き、ご関心をお寄せ頂けたら幸いです。 \ご支援よろしくお願いします/
リーフレット
プレ企画 映画「隠された爪痕」「払い下げられた朝鮮人」の感想 6、呉監督のお話を聞くことができ、とても心に響きました。DVD全部見たかった。
(70代、 横浜市内、フェミン)
「戦後50周年の終戦記念日にあたって」(いわゆる村山談話)
1995年8月15日
先の大戦が終わりを告げてから、50年の歳月が流れました。今、あらためて、あの戦争によって犠牲となられた内外の多くの人々に思いを馳せるとき、万感胸に迫るものがあります。
敗戦後、日本は、あの焼け野原から、幾多の困難を乗りこえて、今日の平和と繁栄を築いてまいりました。このことは私たちの誇りであり、そのために注がれた国民の皆様1人1人の英知とたゆみない努力に、私は心から敬意の念を表わすものであります。ここに至るまで、米国をはじめ、世界の国々から寄せられた支援と協力に対し、あらためて深甚な謝意を表明いたします。また、アジア太平洋近隣諸国、米国、さらには欧州諸国との間に今日のような友好関係を築き上げるに至ったことを、心から喜びたいと思います。
南京大虐殺
VIDEO
原爆投下や東京大空襲ばかり取り上げて、 日本のテレビや教科書が重慶爆撃を取り上げないのは問題だと思います。 (視聴者のコメント)
原爆
【歴史】なぜ原爆ができたのか
※ダイナマイトの例
ダイナマイトを発明したのはノーベル賞を創設したノーベルです。ノーベルはニトログリセリンを安全に使用する技術を開発し、ダイナマイトとして製品化しました。石炭採掘や鉄道・道路のインフラ整備でダイナマイトは非常に役立ちます。
しかし、ノーベルはニトログリセリンを利用した軍用の火薬「バリスタイト」も開発しました。ノーベルが死去したという誤報が流れたとき、新聞は彼のことを「死の商人」として死を報じました。この記事を読んだノーベルは大きな衝撃を受けたといいます。*4)
このように、優れた技術は軍事用に転用することも可能なのです。
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●東京帝国大学伝染病研究所
伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より ●東京帝国大学伝染病研究所『実験医学雑報』 ・東大伝研とは戦前、どんなことをやっていた機関なのか? ・1934年6月、宮川米次と阿部俊男は何をしに満洲国へ行ったのか? ・満洲衛生技術廠とは、一体何をやっていたところなのか?? ・東大伝研は731部隊と連携を図っていなかったのか?? ・伝研で毒ガスの講演?毒ガスへの対処法も考えることになるのか?? ・小島三郎の渡満では、満洲衛生技術廠や大連衛生研究所にもいったのだろうか? ・1933年頃から細菌兵器開発の一環として、「満洲」の背蔭河では人体実験が行なわれているが、そこでも赤痢菌の研究が行なわれていたのだろうか?35年の川崎市の爆発赤痢は、人為的に行なわれたものなのか?それとも自然流行なのか? ・1936年5月に浜松一中で大福餅事件、37年9月に大牟田で爆発赤痢事件が起きているが、これなども細菌兵器・研究の一環として軍医学校や伝研の関与による仕掛けられたものか、自然に発生したものか究明する必要がある。 ・1936年5月と37年9月の両事件に、小島三郎が出張しているが、果たして何をやったのであるか?? ・河本禎助も毒ガスの研究をしていた。 ・1938年6月1日の伝染病研究所で石井の厚意によって上映された映画には、731部隊の生体解剖でも映っていたのでであろうか? 精神的緊張裡とは、何のことだろうか? ・実験医学雑報20巻 第7号(1936年) 本所職制改正 この度本所では職制を次の如くに改正し7月より実施することとなった。 *特別研究室とは何だ??・中込亘は、731部隊で細菌に感染して死んだのだろうか?
雑報6号(23巻、1939年)
伝染病研究所創立41周年記念日に当り医学界を展望して所感を述ぶ
宮川米次
(ロ)第四性病の病原体
斯くの如くして、第四性病の病原体たる宮川小体は内外の学者によってあらゆる方面より証明せられ、意義付けられつつあることは愉快に耐えないのである。痘瘡の病原体と言われるPaschenの小体も組織培養法によって、増殖を認めることが出来るが本小体の様に盛んなる増殖は見られない。近時特に本邦に於いて盛んなる研究がせられつつあるトラコーマの病原体たるProwazek小体も、第1代は可なりよく発育増殖するが、第2代に於いては、終に充分なる所見を得られないと言うことであることは別項に述べたことであるが、宮川小体は第2代は勿論、数十代の世代を重ねて培養した場合でも、やはり全く同様の所見を呈することが、生活体として最も有力なる証拠と言うても良いと思われるのである。
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より) 吉田裕監修
2001年ピュリッツァー賞受賞
※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。
好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
第3部 陛下の戦争
1931(昭和6)年―1945 (昭和20)年 第7章 満州事変
Ⅱ
1932年9月15日、斎藤内閣は正式に満州国を承認し、日満議定書に署名した。日本は満州国の国防に責任を負うとされ、それが承認されたが、秘密の付属文書では、日本が望むことは何でも満州で行えることが認められていた。
国際連盟のリットン調査団は、紛争に関する調査を行い、満州事変に関する報告書を10月2日の総会に提出した。しかし、総会は日本政府が対応を整えるための時間を配慮して、報告書の審議を遅らせた。
●日本国憲法9条 第9条【戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認】
①、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、 国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、 国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
②.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、 これを保持しない。
国の交戦権は、これを認めない。
RENUNCIATION OF WAR Article 9.
Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation and the threat or use of force as means of settling international disputes.
In order to accomplish the aim of the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained.
The right of belligerency of the state will not be recognized.
IMAGINE9
解説
9条をつかって、
戦争のない世界をつくる。
01
軍隊のお金を
みんなの暮らしのために使う世界
世界の軍事費は、今世紀に入ってからとくに増え続けています。世界の軍事費の約半分はアメリカの軍事費なのですが、そのアメリカが、2001年の「9.11テロ」をきっかけに、「テロとの戦い」と称してイラクを攻撃したり、世界中のアメリカ軍を強化したりして、軍事費を増やしているからです。
その一方でアメリカ国内では、社会保障や教育すら十分に受けられない人びとが増えています。ハリケーンがアメリカを襲ったとき、これらの貧しい人びとがもっとも大きな被害を受けました。これによって「超大国アメリカ」の中の貧困問題が目に見える形で浮かび上がりました。
※次期戦闘機の輸出が閣議決定され、色々な武器を自民党は輸出しようとしているし、武器の輸入も拡大している!!
『 鹿屋(かのや)航空基地 史料館』(鹿児島県鹿屋市)について ~ご理解していただきたいことを文章にしました~
2022年7月17日記鶴ヶ岡裕一(都内在住)
私は若い頃、『きけ わだつみのこえ』をよく読んでいました。読んでいく中で波長の合う戦没学生を数名見つけて、現在も時々、読み返しています。とりわけ、佐々木八郎さんの残した手記や日記は私の魂にピタッと伝わってきました。その佐々木さんも、当該鹿屋航空基地から出撃しています。学徒出陣の22歳、沖縄海上で戦死。宮沢賢治の『烏の北斗七星』に関連して書いた自分のエッセイを(第一高校の)クラス会にて発表するほど、戦争(戦いで敵を殺すこと)に対して根本的な疑問を持っていた佐々木さんの、出撃直前と思われる機上での笑顔の写真もあります。それは、生来の朗らかさと親友たちへの別れの笑顔が重なったものと思われます。
黒井さんのメールより
授業の生徒感想文の一部を紹介いたします。
2024年2月16日、50分の授業を受け持ちました。
★感想文
6、PTSDについて以前に学習したことがあったが改めて恐ろしいものであると思った。PTSDによって激しいけいれんをともない、精神病がエスカレートすることにより殺人、自殺などになってしまい自分自身を苦しめ、家族を苦しめてしまうのが本当に恐ろしいなと思う。
戦争が世界を席巻しています。
戦争を仕掛ける集団(国家)と対抗する集団がこの瞬間も殺し合いを続けています。
戦争は集団同士の殺し合いです。
私は戦争することを決めた集団の意思と集団に属する個人の意思の尊重を考えます。
そもそも戦争することはどういう過程を経て決まったのでしょうか。国会で、大統領権限で、集団の長の意思で、あるいは集団の総意でしょうか。集団の多数意見でしょうか。
戦争をしている兵士は全て志願兵でしょうか。殺し合いの場である戦場に派遣されることに強制されたりしていないのでしょうか。全て自由意志でしょうか。
祝 PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会
(元・PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会)
立ち上げ6周年
★2018年1月17日の立ち上げ宣言・全文
父は戦争の事だけでなく他の事にも無口でした。 1948年生まれの私はそういう父を生来の父の姿と思ってきました。 しかしベトナム戦争で米兵の3割前後が悲惨な戦争体験で精神を崩し、元の社会に復帰できないという。 同じような日中戦争や太平洋戦争を体験した日本兵も、つまりは私の父たちも精神を侵されたとして不思議ではない。 本当は父は正常な精神に戻りたいと必死に戦後社会を生きていたのではないだろうか。 私は快活だったかも知れない出征前の父は知らない。復員した後の無口な父しか知らない。 私は「本当の父」を知らないままに父を亡くしたのではないだろうか。 2~3年前からそんな思いで父を振り返るようになりました。 だとしたら、父も私も不幸だった。本当の自分を見せることも心の内を語ることもできずに苦しんだかもしれない父。 そんな風には生前一度も思ったことの無い息子。 その無口の父に反発し続けた私。父を通じて私も又戦争の傷を心に負ったのかもしれない。 私たちの世代にも呼びかけたい。 父親たちを見直そう。父親たちの精神世界を想像してみよう。 語り合おうではないか。 若い人たち、我々の子供たち、孫たちにも戦争は兵士のみならずその家族をも。戦争が終わったその後も家族を通じて長い間影響を与え続けるのだと伝えたい。 この指にとまってほしい!
2018年1月17日 黒井秋夫。
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