障害などを理由にした強制的な不妊手術を認めていた旧優生保護法について、最高裁判所大法廷は「憲法に違反していた」として、国に賠償を命じる判決を言い渡しました。今後は、被害者への全面的な補償を速やかに行うための仕組みづくりが求められます。
旧優生保護法のもとで、障害などを理由に不妊手術を強制された人たちが国を訴えた裁判で、最高裁判所大法廷は3日、「旧優生保護法は憲法に違反していた」として、国に賠償を命じる判決を言い渡しました。
最高裁は、国に対し「特定の障害がある人を差別し、重大な犠牲を求める施策を積極的に実施していた。責任は極めて重大だ」と指摘しました。
また、「旧優生保護法の規定は、国民の権利を侵害するもので、国会議員の立法行為は違法だった。規定がなくなったあとは、国会で適切、速やかに補償の措置を講じることが強く期待されたが、一時金320万円を支給するのにとどまった」とし、補償してこなかった政府と国会の対応を厳しく非難しました。
全国で起こされている裁判の原告39人のうち、6人が亡くなるなど被害者が高齢となるなか、今後は、全面的な補償を速やかに行うための仕組みづくりが求められます。
岸田首相 新たな補償を行うしくみの検討を急ぐ方針
旧優生保護法について、最高裁判所が憲法違反と指摘して国に賠償を命じる判決を言い渡したことを受け、岸田総理大臣は「判決を重く受け止める。多くの方々が心身に多大な苦痛を受けてきた。政府としても真摯(しんし)に反省し、心から深くおわびを申し上げる」と述べました。
岸田総理大臣は今月中にも、原告らと面会して直接、伝えるとともに、政府として判決に基づいた賠償の手続きを速やかに進めることにしています。
また、被害者が受けた苦痛や高齢化が進む現状を踏まえれば、問題の解決は先送りできないとして、2019年に成立した法律に基づいて一律で支給している320万円の一時金に加え、新たな補償を行うしくみの検討を急ぐ方針です。
今後の検討では、補償の対象範囲や金額など具体的な制度設計が焦点となる見通しで、政府としては、この問題に取り組んできている超党派の議員連盟とも調整しながら、できるだけ早期に結論を得たい考えです。
旧優生保護法は憲法違反 国に賠償命じる判決 最高裁
旧優生保護法のもとで障害などを理由に不妊手術を強制された人たちが国を訴えた裁判の判決で、最高裁判所大法廷は、旧優生保護法は憲法違反だとする初めての判断を示しました。
そのうえで「国は長期間にわたり障害がある人などを差別し、重大な犠牲を求める施策を実施してきた。責任は極めて重大だ」と指摘し、国に賠償を命じる判決が確定しました。
戸倉裁判長「旧優生保護法は憲法違反」
旧優生保護法のもとで障害などを理由に不妊手術を強制された人たちが国に賠償を求めている裁判のうち、仙台や東京などで起こされた5つの裁判の判決が3日、最高裁判所大法廷で言い渡されました。
戸倉三郎裁判長は「旧優生保護法の立法目的は当時の社会状況を考えても正当とはいえない。生殖能力の喪失という重大な犠牲を求めるもので個人の尊厳と人格の尊重の精神に著しく反し、憲法13条に違反する」と指摘しました。
また、障害のある人などに対する差別的な取り扱いで、法の下の平等を定めた憲法14条にも違反するとして、「旧優生保護法は憲法違反だ」とする初めての判断を示しました。
そのうえで「国は長期間にわたり障害がある人などを差別し、重大な犠牲を求める施策を実施してきた。責任は極めて重大だ」として原告側の訴えを認め、5件の裁判のうち4件で国に賠償を命じる判決が確定しました。
宮城県の原告の裁判については、訴えを退けた2審判決を取り消し、賠償額などを決めるため仙台高等裁判所で審理をやり直すよう命じました。
不法行為から20年が過ぎると賠償を求める権利がなくなるという「除斥期間」については、「この裁判で、請求権が消滅したとして国が損害賠償責任を免れることは、著しく正義・公平の理念に反し容認できない」として、認めませんでした。
判決は裁判官15人全員一致の結論で、法律の規定を最高裁が憲法違反と判断したのは戦後13例目です。
1996年まで48年間続いた旧優生保護法は精神障害や知的障害などを理由にした不妊手術を認め、手術を受けた人はおよそ2万5000人に上るとされています。
判決を受けて国は被害者への補償など、対応についての議論を迫られることになります。
3人の裁判官 判決で個別意見
判決では、3人の裁判官が個別意見を述べました。
検察官出身の三浦守裁判官は、結論を補足する意見として
「損害賠償を請求する権利が『除斥期間』の経過で消滅するという考え方は、判例として確立していて、不法行為をめぐる法律関係を速やかに確定させるものとして合理性がある。『除斥期間』の考え方まで改めることは相当ではない」と述べました。
そのうえで、「国のこれまでの対応、被害者の高齢化などの事情を考えると、国が必要な措置を行い、全面的な解決が早期に実現することを期待する」としています。
弁護士出身の草野耕一裁判官も、結論を補足する意見を述べ
「旧優生保護法が、衆議院と参議院ともに全会一致で成立したという事実は、憲法違反だと明白な行為でも、異なる時代や環境の下では誰もが合憲と信じて疑わないことがあることを示唆している」と指摘しました。
そのうえで、「政治が憲法の適用を誤ったと確信した場合には、その判断を歴史に刻み、立憲国家としての国のあり方を示すことが、司法の役割だ」と言及しました。
また、学者出身の宇賀克也裁判官は
賠償を求める権利を定めた改正前の民法の規定について、多数意見とは異なる法律上の解釈を示しました。
多数意見は20年で権利がなくなる「除斥期間」ととらえたうえで、今回の裁判では適用されないと判断しましたが、宇賀裁判官は、3年で権利が消える「消滅時効」と解釈するのが望ましいとしています。
そのうえで、今回の裁判で国が主張することは、権利の乱用で許されないという意見を述べました。
原告や支援者 喜び分かち合う
判決が言い渡されたあと、裁判所の前では原告や弁護団が集まった支援者たちに拍手で迎えられ、「勝訴」や「全ての被害者の救済を」などと書いた紙を一斉に掲げていました。
支援者たちは「おめでとう」とか「よかったね」などと声を上げたりして喜びを分かち合っていました。
《原告の声 全国から》
東京「2万5000人の全面解決を」
原告と弁護団は最高裁判所の弁論の後、都内で会見を開きました。
東京の原告の北三郎さん(仮名・81)は、子どものころに問題行動を起こしたとして施設に入れられ、14歳の時に手術を受けさせられました。
その後に結婚した妻にもおよそ40年にわたって手術のことを打ち明けられず、妻が亡くなる直前「隠していて悪かった」と伝えたということです。
同じ手術を受けた人たちが裁判を起こしたことから、6年前に提訴し、被害を訴え続けてきました。
3日の判決を受けて「こんなにうれしいことはありません。自分ひとりでやれることではなく応援してくれた皆様、ありがとうございます。手術を受けさせられた2万5000人の人たちに勝ったことを伝えたい。まだ、全面解決にはなっていないので、2万5000人の全面解決をしてもらいたい」と述べました。
大阪「障害がある人もない人も子どもを育てられる社会に」
大阪の原告でともに聴覚障害がある高齢の夫婦が、判決を受けて大阪府内で会見を開きました。
70代の妻は、50年前、帝王切開で出産したときに何も知らされずに不妊手術を受けさせられました。
子どもは生まれてまもなく亡くなりました。
夫婦は旧優生保護法の存在を知らないまま長年、苦しみ続けてきましたが、同じように手術を強制された人たちが国を相手に裁判を起こしたことをきっかけに5年前に訴えを起こしました。
1審は2人の訴えを退けたものの、2審の大阪高等裁判所が国に賠償を命じる初めての判決を言い渡しました。
3日の判決について、妻は手話通訳者を通じて「不妊手術に対してはずっとおかしいことだと思っていました。手術を受けたことは苦しかったですが、勝つことができてとてもうれしいです。国には苦しい思いをしていることを理解してもらいたいです。このような人権侵害が2度と起こらないように、障害がある人もない人も同じように子どもを産んで育てられる社会になってほしいです」と話しました。
また、80代の夫は「私たちは手術を受けたことを障害者への差別だと訴え続けてきました。それが認められてとてもうれしく思います。今回の結果や私たちの行動が、まだ声をあげることができていない人たちに届いてほしいと思います」と話しています。
兵庫「歴史的な判断が下された」
兵庫県明石市に住み、聴覚障害がある原告の小林寳二さん(92)は同じく聴覚障害があり、不妊手術を受けさせられた妻の喜美子さんとともに裁判を闘ってきましたが、喜美子さんはおととし、2審の大阪高等裁判所の判決を前に病気のため89歳で亡くなりました。
1960年に結婚し、まもなく妊娠がわかりましたが、喜美子さんは母親に連れて行かれた病院で、詳しい説明も無いまま中絶手術を受けさせられたということです。
その後も子どもができないまま過ごしていましたが、6年前、「全日本ろうあ連盟」による調査で、中絶手術を受けた時に不妊手術もあわせて行われていたことがわかったといいます。
小林さんは判決後の会見で、手話通訳を介して「歴史的な判断が下されたと思います。この長い闘いで私は思っていることをすべて伝えました。皆さんの応援とご支援のおかげです。本当にありがとうございました」と述べました。
兵庫「障害者も当たり前に暮らせる世界に」
神戸市に住む、先天性の脳性まひが原因で手足に障害がある原告の鈴木由美さん(68)は、12歳のころに突然、母親に病院に連れて行かれ、具体的な説明もないまま不妊手術を受けさせられたといいます。
42歳のとき、子どもを産めない体であることを伝えたうえで、ボランティアで介助をしてくれていた男性と結婚しましたが、5年後に離婚しました。
離婚の際、男性からは「子どもがいたら違ったかもしれない」と言われ、深く傷ついたといいます。
2018年に国に賠償を求める裁判が全国で初めて起こされたことを知ったのをきっかけに、鈴木さんもよくとしに神戸地方裁判所に訴えを起こしました。
鈴木さんは判決のあとに開かれた原告と弁護団の会見で「このような判決をもらえてよかったです。国が悪いと裁判所が認めてくれたが、私と同じように苦しんでいる人がまだいます。この判決を第一歩に、障害者も当たり前に暮らせる世界にしていきたい」と話していました。
北海道「国は私の体にメスを入れたので謝罪してほしい」
札幌市に住む原告の小島喜久夫さん(83)は養子として引き取られた家庭の環境になじめず、荒れた生活をしていたという19歳のころに精神科の病院に連れて行かれ、強制的に不妊手術を受けさせられました。
手術についてはおよそ60年間、誰にも打ち明けることができず、結婚後も家族を失いたくないという思いから、妻には「おたふくかぜで子どもができないんだ」とうそをついたということです。
6年前、同じ手術を受けた人が裁判を起こしたことを知り、初めて妻に手術を強制された過去を告白し、提訴しました。
判決を受けて小島さんは「6年前から毎日が闘いで妻とともに頑張って助け合ってきました。きのうもおとといも眠れず、判決を聞くのがこわかったです。国は私の体にメスを入れたので謝罪してほしいと思う」と述べました。
宮城「国は手術をされたすべての人に謝罪と補償を」
宮城県の原告の1人、飯塚淳子さん(70代・仮名)は16歳のときに知的障害があるとして説明がないまま不妊手術を受けさせられました。
のちに、実際には障害がないことが判明しました。
両親の話から不妊手術だったことを知り、負い目を感じていくつもの縁談を断ったといいます。
その後、結婚したものの子どもができないことで気まずくなって離婚。
その後に結婚した夫に手術のことを打ち明けると夫が去ってしまい、義理の母に離婚を迫られて実家に戻ったこともあったといいます。
25年以上前から全国に先駆けて被害を訴え続け、一連の裁判が広がるきっかけとなりました。
しかし、最高裁判所で審理された5件の裁判のうち、2審では飯塚さんともう1人が起こした宮城県の裁判だけが「賠償を求められる期間を過ぎた」として退けられていました。
今回、最高裁がこの2審判決を取り消し、審理をやり直すよう命じたことについて、飯塚さんは「長い間、苦しみながらここまで来ましたが、いい判決だったと思います。きょうは最高の日です。支援者にお世話になりながらここまで来ることができ、本当にありがとうございました。国は手術をされたすべての人に謝罪と補償をしてほしい。そして障害者差別のない社会になってほしい」と話しました。
宮城「いい判決をいただいたので本当によかった」
宮城県の佐藤路子さん(60代・仮名)は義理の妹で、全国で初めて裁判を起こした佐藤由美さん(60代・仮名)を支え続けてきました。
妹の由美さんは15歳のときに知的障害を理由に不妊手術を受けさせられたあと、卵巣を摘出したり、縁談も破談になったりするなど苦しんできたといいます。
6年前に全国で初めて訴えを起こしましたが、裁判に参加することが難しいため、由美さんに代わって路子さんが法廷に足を運び、思いを届けてきました。
宮城の原告や支援者たちは、路子さんが由美さんを思って手作りしたピンクの腕輪をともに身につけ、結束を強めてきました。
判決のあとの会見で路子さんは「1審と2審で2連敗し、とくに仙台高等裁判所の判決はあまりにひどく、おかしいと思っていましたが、弁護団が頑張ってくれてここまでつながりました。最後はみんな一緒に並んでいい判決をいただいたので本当によかったです」と話していました。
岸田首相「多くの方々が心身に多大な苦痛 心から深くおわび」
岸田総理大臣は総理大臣官邸で記者団に対し「旧優生保護法の規定を憲法違反とした上で、国家賠償法上の違法を認める判決が言い渡されたことを重く受け止めている」と述べました。
そのうえで「規定が削除されるまでの間、多くの方々が心身に多大な苦痛を受けてこられた。政府としても旧優生保護法を執行していた立場から、真摯に反省し、心から深くおわびを申し上げる」と述べました。
首相 原告らとの面会の調整を指示
旧優生保護法をめぐる裁判で最高裁判所が法律は憲法違反だとして、国に賠償を命じる判決を言い渡したことを受けて、岸田総理大臣は関係閣僚に対し、原告らとの面会を今月中に行う方向で調整するよう指示しました。
旧優生保護法のもとで障害などを理由に不妊手術を強制された人たちが国に賠償を求めた裁判で、最高裁判所大法廷はきょう「旧優生保護法は憲法違反だ」とする初めての判断を示し、国に賠償を命じる判決が確定しました。
これを受けて岸田総理大臣は、3日夕方、加藤こども政策担当大臣らと総理大臣官邸で会談し、判決の概要などの報告を受けました。
そして岸田総理大臣は、判決の内容を精査しつつ、新たな補償のあり方について速やかに検討するとともに、裁判の原告を含む当事者との面会を今月中に行う方向で調整するよう指示しました。
会談のあとこの問題を担当する加藤大臣は記者団の取材に応じ「岸田総理大臣の指示に沿って、速やかに対応を進めていきたい」と述べました。
林官房長官「判決に基づく賠償を速やかに行う」
林官房長官は午後の記者会見で「特定の疾病や障害を理由に生殖を不能にする手術を強いられた方々に対しては、内閣総理大臣と厚生労働大臣からそれぞれ真摯(しんし)な反省と心からのおわびを表明している。政府のこうした立場は今も変わりがない」と述べました。
そのうえで「きょう確定した判決に基づく賠償を速やかに行うとともに、今後、関係省庁で判決内容を精査のうえ、原告から要請されている岸田総理大臣との面会を含め、適切に対応を検討していく。旧優生保護法のもとで不妊手術を受けた人たちを対象にした一時金については、引き続き周知・広報に努めて着実な支給に全力を尽くしていく」と述べました。
専門家「救済の範囲が広がる画期的な判決」
憲法が専門の慶應義塾大学法学部の小山剛教授は最高裁判所の判決について「不良な子孫を残さないという目的で生殖能力を失わせ、重大な侵害を与えたことを憲法違反と判断した。法律が改正された後も国は不誠実な対応に終始していて、そのことに対する最高裁判所の怒りを感じた」と話していました。
争点となっていた「除斥期間」について、最高裁判所が適用しないと判断したことについて、「これまでの高等裁判所の判決では『時の壁』と呼ばれる除斥期間をずらす形で判断していたが、今回は権利の乱用だとして『時の壁』を取り払う判断をしている。救済の範囲が広がる画期的な判決だ」と話していました。
今後について「国として明確な謝罪が必要だ。手術を受けた人は2万5000人に及ぶが、一時金を申請した人はその一部にすぎない。今後立法での解決が求められるが、多くの被害者が声を上げられる仕組みを作る必要がある」話していました。
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《判決のポイント》
旧優生保護法が憲法に違反すると指摘した最高裁判所の判決について、ポイントをまとめました。
旧優生保護法 憲法13条 憲法14条に違反
判決では、旧優生保護法が、「自己の意思に反して体を傷つけられない権利」を保障する憲法13条に違反すると指摘しました。
最高裁は「立法当時の状況を考えても正当でないのは明らかで、生殖能力の喪失という重大な犠牲を求めた。個人の尊厳と人格の尊重の精神に著しく反する」とし、法律ができた当時から憲法違反だったとしました。
国の調査では不妊手術を受けたおよそ2万5000人のうち、8500人あまりは本人の同意のもとで行われたとされていました。
しかし最高裁はこの点について「同意を求めること自体が個人の尊厳と人格の尊重の精神に反し許されない」とし、実質的にはすべて強制的な手術だったと判断しました。
法の下の平等を定めた憲法14条にも違反すると指摘しました。
最高裁は、「正当な理由なく特定の障害のある人たちを手術の対象にし、障害のない人と区別をすることは、合理的な根拠に基づかない差別的取り扱いだ」としました。
政府と国会の責任
政府と国会の責任についても厳しく指摘しました。
政府に対しては、手術を行うときに身体の拘束やだますことなども許されると自治体に呼びかけていたことなどを挙げ、「特定の障害のある人を差別し重大な犠牲を求める施策を積極的に実施していた。責任は極めて重大だ」と指摘しました。
この法律は議員立法で全会一致で成立していて、国会に対しても「国会議員の立法行為は違法な評価を受ける」としました。また、法律が改正されたあとについても「国会で適切、速やかに補償の措置を講じることが強く期待されたが、一時金320万円を支給するのにとどまった」と指摘しました。
「時間の壁」適用は著しく正義・公平の理念に反する
この裁判では、不法行為から20年が過ぎると賠償を求める権利がなくなるという「除斥期間」が適用されるかどうかが大きな争点でした。
この「除斥期間」は「時間の壁」とも呼ばれ、最高裁がこれまで例外を認めたのは2例しかありませんでした。
これについて最高裁は、「著しく正義、公平の理念に反するとき、裁判所は、除斥期間の主張が権利の乱用などとして許されないと判断することができる」という初めての判断を示しました。
また今回のケースについて、▽不妊手術を強制された人たちが損害賠償を請求することは極めて困難だったこと、▽法律の規定が削除されたあとも、国が長期間にわたって補償をしないという立場をとり続けてきたことを指摘しました。
そして、「国が責任を免れることは著しく正義・公平の理念に反し到底認めることができない」として除斥期間を認めず、国に賠償を命じる判決を言い渡しました。
日弁連など 今月16日に無料電話相談会を開催
旧優生保護法のもとで不妊手術を受けた人の中には、さまざまな事情でいまも声を上げられない人が多くいるとみられ、被害者側に情報をどのように伝えていくかが課題となっています。
こうした状況を受け、日弁連=日本弁護士連合会などは今月16日に無料の電話相談会を開きます。
相談会の対象は、旧優生保護法による手術を受けた可能性がある人やその家族、知人、またはそうした情報を持っている福祉関係者や医療関係者などです。
全国の弁護士が無料で相談に応じ、一時金の請求方法などさまざまな悩みについて、対応にあたるということです。
手術を受けた証拠や確証がない人も相談できます。
相談会は今月16日の午前10時から午後4時までで、
電話番号は、0570-07-0016です。
電話での相談が難しい人を対象にFAXでの相談も同じ時間帯に受け付けます。
FAX番号は、022-224-3530です。
原告「国から謝ってもらいたい」
原告と弁護団は3日午後1時すぎ、「国は謝罪と補償を」と書かれた横断幕を持って最高裁判所に向かいました。集まった支援者は拍手で、原告たちを送り出していました。
東京の原告の北三郎さん(81)は「裁判長の口からできれば『勝ったよ』と言ってほしい。そして国から一言ぐらい謝ってもらいたい。勝ったら、親と妻の墓参りに行きたい」と話していました。
「人生狂わされた」“旧優生保護法下で不妊手術”最高裁で弁論
「旧優生保護法」とは
「旧優生保護法」は戦後の出産ブームによる急激な人口増加などを背景に1948年に施行された法律です。法律では精神障害や知的障害などを理由に本人の同意がなくても強制的に不妊手術を行うことを認めていました。
当時は親の障害や疾患がそのまま子どもに遺伝すると考えられていたこともあり、条文には「不良な子孫の出生を防止する」と明記されていました。
旧優生保護法は1996年に母体保護法に改正されるまで48年間にわたって存続し、この間、強制的に不妊手術を受けさせられた人はおよそ1万6500人、本人が同意したとされるケースを含めるとおよそ2万5000人にのぼるとされています。
国は「当時は合法だった」として謝罪や補償を行ってきませんでしたが、不妊手術を受けさせられた女性が国に損害賠償を求める裁判を起こしたことなどを受けて、2019年に旧優生保護法のもとで不妊手術を受けた人たちに一時金を支給する法律が議員立法で成立、施行されました。
この法律では旧優生保護法を制定した国会や政府を意味する「我々」が「真摯(しんし)に反省し、心から深くおわびする」としています。そのうえで本人が同意したケースも含め不妊手術を受けたことが認められれば、一時金として一律320万円を支給するとしています。
国のまとめによりますと、ことし5月末までに1331人が申請し、このうち1110人に一時金の支給が認められたということです。
一方、これまで1審と2審で原告が勝訴した12件の判決では慰謝料や弁護士費用など最大で1人あたり1650万円の賠償が命じられ、一時金を大きく上回っています。
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裁判の2つの焦点 原告側と国の主張
【焦点1】旧優生保護法は憲法違反か
最高裁判所の判断で注目されるのは、旧優生保護法が憲法に違反していたかどうかです。
原告側は障害者などへの強制的な不妊手術を認めていた旧優生保護法について、「国は障害者らを差別し、人としての尊厳を否定した。優生手術によって子どもを産み育てるかどうかを自分で決められず、体を傷つけられた」などとして平等権や個人の尊厳などを保障する憲法に違反していたと主張しています。
一方、国は旧優生保護法が憲法違反かどうかについて、これまで一切、主張していません。
最高裁が法律の規定について憲法違反だと判断したのは、戦後12例しかなく、今回どのような判断になるか注目されます。
【焦点2】「除斥期間」が適用されるかどうか
もう1つの焦点は、不法行為から20年が過ぎると賠償を求める権利がなくなるという「除斥期間」が適用されるかどうかです。
原告側は「国が旧優生保護法に基づく施策を推進したことで偏見や差別が浸透し、原告たちは被害を認識することが困難な状況だった。『除斥期間』を適用することは著しく正義・公平の理念に反する」として、不妊手術から時間がたっていても損害賠償を求めることができると主張しています。
一方、国は「旧優生保護法で手術が行われていたことは公にされていたのだから、当事者が損害賠償を求めることができなかったとは言えない」と反論しています。
また、不妊手術を受けた人たちに一時金を支給する法律が施行されたことを踏まえ、「国会が問題解決の措置を執ったのに、裁判所が判例を根本的に変更して解決を図ることは裁判所の役割を超えている」と主張しています。
「除斥期間」は「時間の壁」とも呼ばれ、最高裁が例外を認めた判決は2例しかありません。声を上げることができなかった原告たちの事情をどのように判断するのか注目されます。
宮城県の原告「国がきちんと謝罪と補償を」
3日の判決を前に宮城県の原告と家族がNHKの取材に応じ、思いを語りました。
原告の1人、飯塚淳子さん(70代・仮名)は25年以上前から全国に先駆けて国に謝罪と補償を求め続け、裁判が全国に広がるきっかけとなりました。
飯塚さんは「手術がなければ幸せがたくさんあったと思います。この被害を闇に葬られては困ると思い、迷いながらたった1人で声をあげました。ここまで来るのに本当に長く苦しかったです。人生がもうなくなっているので国がきちんと謝罪と補償をするような判決であってほしいです」と話しています。
また、佐藤路子さん(60代・仮名)は、一連の裁判で全国で初めて裁判を起こした知的障害がある佐藤由美さん(60代・仮名)の義理の姉です。
裁判に参加することが難しい由美さんを支え、代わりに裁判に参加し続けています。
路子さんは「間違ったことをしたのだから、謝罪するのが人としても国としても当然のことです。最高裁には最後の砦として、『20年の除斥期間を適用しない』とはっきり明言してもらい、国にはきちんとした謝罪と被害者の救済をしてほしい。日本の福祉や障害者の差別解消に向けて明るい一歩になるような判決を期待しています」と話しています。
これまでの判決 「除斥期間」の判断分かれる
旧優生保護法のもとで不妊手術を強制された人たちが国に賠償を求める裁判は、6年前に知的障害がある宮城県の女性が仙台地方裁判所に初めて起こし、その後、全国に広がりました。
弁護団によりますと、これまでに39人が12の地方裁判所や支部に訴えを起こし、1審と2審の判決は、原告の勝訴が12件、敗訴が9件となっています。
これまでの判決では、多くの裁判所が旧優生保護法について平等権や個人の尊厳を保障する憲法に違反すると判断した一方、不法行為を受けて20年が過ぎると賠償を求める権利がなくなるという「除斥期間」については判断が分かれました。
最初の判決となった2019年の仙台地裁の判決では、旧優生保護法は憲法に違反していたという判断が示されましたが、賠償については国の主張を認め、手術から20年以上たっていて「除斥期間」が過ぎているとして訴えが退けられました。その後、全国の裁判所でも時間の経過を理由に原告の敗訴が続きました。
おととし2月、大阪高裁が「除斥期間の適用をそのまま認めることは著しく正義・公平の理念に反する」と指摘して初めて国に賠償を命じる判決を言い渡すと、その翌月にも東京高裁が「原告が国の施策による被害だと認識するより前に賠償を求める権利が失われるのは極めて酷だ」として「除斥期間」の適用を制限し、国に賠償を命じました。
これ以降、全国で原告の訴えを認める判決が次々と出されるようになり、去年3月には札幌高裁と大阪高裁が「除斥期間」の適用を制限して国に賠償を命じました。
一方、全国で初めて提訴された裁判は、去年6月、仙台高裁が「除斥期間」を理由に再び訴えを退け、原告側が上告しました。
原告は高齢で、弁護団によりますと、これまでに、全国で訴えを起こした39人のうち6人が死亡しました。最高裁判所大法廷では、札幌、仙台、東京、大阪の高裁で判決があった5件についてまとめて審理されています。
公費で手話通訳者を法廷に配置
3日の判決では、最高裁判所は聴覚に障害がある人も傍聴することが予想されるとして、公費で手話通訳者を法廷に配置します。最高裁によりますと、こうした取り組みは全国の裁判所で初めてとみられます。
裁判所の敷地内にも手話通訳者が配置され、所持品検査などの手続きで傍聴を希望する聴覚障害者をサポートします。原告の弁護団や支援者はこれまで、障害者が傍聴しやすい環境整備について繰り返し要望していました。
弁護団の関哉直人弁護士は「今まで何度求めても実現しなかった傍聴者向けの手話通訳が実現したのは、本当に大きなことだ。今後、全国の裁判に大きな影響を及ぼすという意味で歴史的な一歩だ」と話していました。
最高裁で勝訴「67年間苦しんできた。こんなに嬉しいことない」
断種「おまえの番だ」 愛楽園強制不妊 もがく男性 羽交い締め 屈辱の手術
2018年5月17日 06:30
出来上がった畝を見下ろし、くわに手を置いて一息入れていた時だった。突然、背後から男性職員2人に羽交い締めにされ引きずり出された。必死にもがく男性を押さえ、職員は耳元で言い放った。「おまえの番だ」。連れて行かれた場所は手術室だった。手術台に寝かされた男性はふんどしを看護婦にはぎ取られた。指で性器をぱちぱちとはじく看護婦の顔には薄笑いが浮かんでいた。
沖縄県名護市済井出にあるハンセン病療養施設「沖縄愛楽園」に強制隔離された男性(97)は、1947年ごろ、強制された断種の様子を初めて証言した。今も家族にすら明かせない体験を語るその口調は怒りに満ちていた。「人間のやることじゃない」
ハンセン病は以前「らい病」と呼ばれ、病名そのものに偏見が含まれていた。国は1907年、「ライ予防ニ関スル件」を公布し、31年に「癩(らい)予防法」を制定した。沖縄を含め、全国で患者の強制隔離を進め、「患者根絶」を図った。愛楽園は1938年、設立された。沖縄戦と米統治を経て、今も147人の元患者が暮らす。
不妊手術を強制された男性は20代前半で愛楽園に隔離された。園で出会った女性と恋仲になり、25歳で結婚した。
男性は、隔離された人々への強制不妊が施されていたことは知っていた。愛楽園では園内で暮らすことや、結婚を条件に断種を実施した。入所者名簿を基に、看護婦や職員が対象者を呼び出して施術した。呼び出しに応じないものは探し出して手術台へ連行した。
当時、愛楽園は一つの村のような広さがあり、強制的に連れてこられた人々と医師らの居住区はそれぞれ分かれていた。「断種しないと園におられなかったから、呼び出しに応じた人もいた。だけど、私は園内を逃げ回っていた」
「妻に腹いっぱい食べさせてやりたい」。おびえながらも、農作業に汗を流す日々がしばらく続いたが、園が男性を見逃すことはなかった。
あれから70年余。男性は屈辱的な光景が今も脳裏を離れない。「国にとってね、私らは人じゃなかった。恥よ。恥の子供を残させんと考えていたんだろう」。コンクリートの手術台に男性は全裸で押さえ付けられた。医師は有無を言わさずメスを入れた。
愛楽園内にある病棟。命が宿り膨らんだおなかをめがけ、看護婦が針を突き立てた。薬剤を注射され、母親のおなかから死産で出された赤ちゃんは真っ黒に変色していた。愛楽園は男性への断種だけでなく、妊娠した女性の堕胎も強制していた。
1950年、9歳で愛楽園に収容された金城幸子さん(77)=うるま市=はのちに回復者として実名を公表し、ハンセン病をめぐる社会の責任を長く訴えてきた。その中でも、金城さんにとって強烈な記憶として残る出来事がある。入所以来、金城さんを妹のようにかわいがってくれた女性から聞いた話だった。
その女性が妊娠すると、愛楽園の医師らが堕胎させようと注射をおなかに打ったが、赤ちゃんは生きたまま母胎から産まれた。だが、看護婦は赤ちゃんを体重計の皿に置き、そのまま放置した。赤ちゃんは母親を求めるかのように、小さな手足を懸命にばたつかせた。しかし、誰も手を差し伸べず、赤ちゃんはやがて動かなくなった。「治療されてたら今も生きている命だ」。見殺しにされた赤ちゃんを思い、金城さんの涙は今も止まらない。
ハンセン病患者・回復者の女性は妊娠すると、家族や知人を頼って園外に逃亡し、周囲に知られないよう出産するしかなかった。堕胎させられた赤ちゃんの遺体は、親が自ら園内に埋めた。
51年、9歳だった金城さんは愛楽園内の小屋に偶然入った。普段は施錠され、試験室と呼ばれる場所だった。内部は薄暗い。目を凝らすと、壁際の棚には複数のガラス瓶が置かれていた。中に入っているのは、人間だということが少女の目でも分かった。瓶の高さは30センチほど。胎児だけでなく大人の大きさの手、内臓のようなものまで、それぞれの瓶に入っていた。「こんなことが許された。まるで動物だ」。その衝撃は金城さんの中で怒りに変わった。
愛楽園交流会館などによると、園内の強制断種・堕胎は戦前から行われてきた。断種と堕胎の強制は繰り返されてきたが、「vasketomie(断種)」と記された患者カルテが複数枚残っているだけで、多くはカルテに記載されなかった。ホルマリン漬けの胎児について証言する元患者も多い。しかし、その内容や目的、現存するか否かなど今も未解明な点がほとんとだ。実態が闇から闇に葬られることへ、元患者らの懸念は根強い。
愛楽園自治会は2007年、産まれることを許されなかった赤ちゃんたちを慰霊する「声なき子供たちの碑」を園内に建立した。子どもたちを悼む琉歌が刻まれた。「天と地の恵み しらん水子たや やみの世の嵐 うらみきるな」(天地の恵みを受けずに逝った子よ 縁無き世相を恨まず蓮上の華となり 咲いてくれることを父母は祈っています)
断種を強制された男性は70年がたつ今も、怒りと悔しさで叫び出しそうになる。堕胎された友人の子を布できれいに巻いて一緒に園内に埋葬したこともある。「国による殺人さ。あんた、どう思うね」。男性は赤く腫らした目でこう問い掛けた。 (佐野真慈)
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名護市済井出の愛楽園開園から11月で80年を迎える。19、20日には県内で7年ぶり2回目となる全国「第14回ハンセン病市民学会総会・交流会」も開かれる。回復者の証言などを通し「らい予防法」廃止から22年が経過してもなお残る回復者や家族の苦しみを探る。
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