「南京の真実」(ラーベ著:講談社)より
1月30日
委員会としては気にかけていることを書いてローゼンに渡し、日本側にかけあってくれるよう頼んだ。とはいえ、これでよくなるという希望を抱いているわけではない。なぜなら、ローゼンは日本人にとって必ずしも好ましい外交官ではないからだ。いや、むしろその逆だ。けれども、いずれにせよ、2月4日に難民を強制的に立ち退かせる計画をやめさせるよう、できるだけのことはしなければならない。そうなると、結局ローゼンということになる。なんといっても私はドイツ人なので、やはりドイツ大使館を通じるのが一番だからだ。
わが家の収容所はまたもや一面の泥沼になってしまった。2日間にわたってかなりの大雪になり、今その雪が溶けているのだ。難民たちはしょんぼりしている。2月4日にはここを立ち退かなければならない。600人がすでにそう覚悟を決めている。大半はここからそう遠くないところに住んでいるので、万が一の時はすぐに戻ってこられるだろう。
中には百人ほど、特に貧しい人たちがいる。その人たちのために、韓と私の2人でささやかな募金をして、百ドルかき集め、一人一ドルずつ配ることができた。みな大喜びだった。
貧困はすさまじい。それなのに明日は中国の新年(旧正月=春節)、中国人にとっての最大の祝日だ!わが家の収容所は比較的小さいのだが、新年の餅のための調味料代として委員会から5ドルの特別手当があった。600人にたったの5ドル。残念ながらこれ以上は出せないのだ。だがこれだってないよりはましだ。その上、一人当たり米をもう一カップ(内緒で!)配った。日々の割り当ては、かわいそうに、たった2カップしかないのだ。・・・・・・・・・
午後4時、漢口路で大勢の中国人に車を停められた。50人はいる。聞けば女の人が日本兵に連れて行かれたという。どうか助けてください、とかわるがわる訴えている。薛家巷4号の家に入っていったというので、そこまで案内してもらった。
中に入ると家中くまなく荒らされていた。床一面ありとあらゆる破片で足の踏み場もない。部屋は開け放しで、そのうちの一室には棺桶が安置されており、わらだのがらくただのが散らばっている隣の部屋でまさにことが始まろうとしている。間一髪だった。
私はそいつを玄関へ引きずり出した。大勢の中国人と、ハーケンクロイツがついた私の車を見て泡を食ったらしく、やつは近くの瓦礫の中へいずこともなく姿を消した、中国人たちは家の前でなにやらぶつぶつ言っていてなかなか帰ろうとしない。こんなところでぐずぐずしていると別の日本兵がやってくるぞと言うと、蜘蛛の子を散らすように逃げていった。
16時半・・・平倉巷での礼拝。
・・・・・・・・・・・・
「南京事件の日々」(ヴォートリン著:大月書店)より
1月30日 日曜日
今日は飛行機が飛ばなかった。
旧正月の到来を告げる爆竹の炸裂音が時折聞こえると、思わずはっとする。ごく最近まで銃や銃剣が支配していたのだ。
今朝の礼拝は出席者があまり多くなかった。人々は自宅で本当に旧正月の準備をしているのだろうか。女子学院から金陵大学にかけての通りは、群衆でびっしり埋まっている。
午後の礼拝は参加券の所持者を対象とし、クリスチャンの女性またはミッションスクールに通っている少女だけで行われた。南音楽教室は満席の状態だった。「新年を迎えるにあたって」と題して婁さんが素晴らしい話をした。家にではなく心に新年を迎える、と言う話である。・・・・・・・・
メリーが平昌巷3号での英語の礼拝に行く番だった。彼女は、私たちの郵便物を積んだイギリス砲艦でジョージ・フィッチが昨日上海に向かったことを知った。彼は、南京を出ることを許された2人目になる。私たちもフィッチについて、上海の合同教会の礼拝に出かけた情景を想像してみると、南京に夫のいる女性たちが南京の情況を知りたいと真剣に彼に懇願する様が思い浮かぶ。彼は、南京に戻ってきてよいとの約束を取り付けた。本当に戻れるだろうか?3号にいる人たちは、上海からの食料ーミルク、ベーキングパウダー、缶詰などー持っている。何週間も食べ物が乏しかったあとだけに、そこの料理人は、そうした貯蔵食料を手にしてどんなにか喜んでいることだろう。ケーキやクッキーなどは、それこそ何週間も口にしたことがなかったのだ。
使用人のための今晩の礼拝は、大晦日の礼拝の形式で行われた。過去の罪の許しを請い、新しい未知の道を拓く力を授かるよう願う礼拝である。使用人たちの間には素晴らしい精神がみなぎっている。彼らは誠実であり、つらい仕事をしてくれる。
国際委員会は、2つに分けて金銭を贈ってくれた。一つを、食べ物しか持っていない臨時使用人への心づけとして、残りの一つを、余分に全員の食料を買うのに使うつもりだ。豚肉の値段は一ポンド70セントしている。無料米グループに野菜と食用油を臨時に配給した。
「Imagine9」【合同出版】より
世界は、
9条をえらび始めた。
・平和が武器によってつくられるものではないということに世界中の国が気づき、すべての国が憲法9条をもつようになることを願ってます。(オーストラリア、20代・女性)
・このグローバル9条キャンペーンに非常に感動しました。憲法9条を維持しようというこの草の根運動には、日本がアジアとの関係に誠意を持って向かっている姿勢がうかがえます。このキャンペーンに多くの日本人が賛同し、成功することを望みます。がんばってください!(韓国、30代・男性)
・憲法9条に賛同します。このような憲法があることで、私たちは、戦争のもついかなる攻撃性に対して共に、立ち上がるような地域社会の結びつきを強くしていくことができると思います。私たち一人ひとりのの協力こそが、最高の平和の武器だと思います。(ベルギー、50代・男性)
・日本のような歴史を持つ国が、憲法9条を広めようという行動をとることは、世界のほかの国々にとっての模範です。ほかの国々もそれに続くことを祈って。私たちに必要なことは平和への挑戦です。
(コスタリカ、20代・女性)
・日本国憲法第9条の改定に反対です。(ロシア、20代・男性)
第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
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