2009年1月20日火曜日

1938年 南京 1月20日

「南京の真実」(ラーベ著:講談社)より
1月20日
 吹雪だ!難民の状態は見るも哀れの一言に尽きる。いかに情の薄い人でも、これを見たら同情せずにはいられまい。我が家の収容所はいまや巨大なぬかるみだ。テントやわら小屋の周りには小さな排水溝が作られ、雪の溶けた水が少しは流れるようになった。難民はわら屋根の軒下で火をたいているが、見て見ぬ振りをすることにしている。この吹雪だ、火なんかたいてもすぐにまた消えてしまう。そうであれば、少しぐらい危険でも暖まらせてやりたい。・・・・・・・・・・


 この間、近所の作りかけの家からレンガを2,3千ばかり失敬してきて、テントや小屋の間に細長い通路を作った。こうしておけば少しは泥よけになる。
 そのほか、仮設便所の周りにレンガで壁を作ったので、いくらか見栄えが良くなった。
もっともこんなことをしたところで、焼け石に水だが。依然としてあたり一面泥の海にかわりはない。そこらじゅうでせき込んだり、吐いたりしているが、さもあらんと思う。一番心配なのは伝染病だ。
 国際赤十字代表のマギー牧師が、負傷兵を収容している外交部の赤十字病院の中国人看護婦から聞いた話を伝えてくれた。ここは我々外国人は立入り禁止だが、看護人は買い物のために時々は外出できる。そういう折に、本部に立ち寄ってこんな報告をしていったという。一人の中国兵が、食べ物が不十分だと苦情を言った。給食は小さなお椀で一日お粥三杯だそうだ。するとその兵士は監視の日本兵に殴られた。さんざん殴られたあとで、腹が減っているのがいけないのかと言ったところ、中庭に引きずり出されて、銃剣で突き殺されてしまったというのだ。この処刑の様子を看護婦たちは窓から見ていた。
 難民の誰一人、安全区から出て行こうとしない。元の家に戻ろうとした人たちが大勢、日本兵から石を投げつけられて追われたり、あるいはもっとひどい目にあわされたりしたからだ。それなのに、街には日本軍の大きなポスターが貼られている。「家へ帰りなさい!食べ物を支給します。日本軍を信用しなさい。我々はみなさんの力になります」


「南京事件の日々」(ヴォートリン著:大月書店)より
1月20日  木曜日
 今日は雪が降っているが、それほど寒くない。靴について持ち込まれる泥とベタ雪のせいで、建物がどんな状態か想像がつくと思う。再びきれいな状態に戻るかどうかわからない。
 王さんと孫さんは引き続き、夫や息子が戻ってこない女性のデータを書き留めている。ついさっき、ある女性が、12月16日、38歳の夫と17歳の息子が連れ去られ、彼女と幼い娘だけがあとに残されてしまった、と話してくれたところだ。かりに彼女が自宅に留まっていたとしても、夫と息子を危難から救うことができたかどうかーあの恐怖の時期にー誰が答えられようか。程先生は、こうしたデータを福田氏に提出しない方がよいと考えている。つまり、程先生の考えでは、日本にとって中国は憎い敵であり、中国をどんなに苦しめても、日本はそんなことなど意に介しないということを忘れてはならないのだ。一両日中に福田氏に会って、私に助力を求めて訴えている多くの女性のことを話し、何かうまい手立てがあるかどうか相談するつもりだ。
 今朝理事会宛の報告書を書き始めた。非常にたくさんの事件が発生しているので、簡潔な報告にまとめるのは容易ではない。報告を書いている最中、若い日本軍将校が私に相談があるとのことで、私は執務室で面会した。彼は近く南京を発つにあたって、20歳と14歳の中国人女性2人をここに引き取ってもらいたかったのだ。現在、彼女たちは外交部の近くに住んでいるが、彼によれば、2人がそこに住むのは非常に危険だ、というのだ。それはおかしいと思った。なぜなら、避難民は(日本軍から)、家に戻るようしきりに催促されていたのだから。私は、ここが避難民にとっていかに居心地が悪いかをはっきり説明し、彼女たちの生活ぶりを見てもらった。果たして彼が二人を連れてくるかどうか興味深いところだ。彼女たちが来ないことを切に願っている。私の推測では、彼は年上の方の女性に関心があって、安全区の外にある彼女の家に住まわせておくのが心配なのだろう。・・・・・
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 広い幅員があったころの上海路を知っている人は、今の上海路を見ても、ほとんどそれと気づかないだろう。午後、漢口路から寧波路(アメリカ大使館の真北)まで歩いたが、上海路の右側に新しく建てられた店を数えたら38店あった。もちろん、むしろか木材を使った粗雑な造りであるが、食料品やさまざまな盗品の販売で繁盛しているらしい。喫茶店もあればレストランもある。まだ今のところ、安全区の外に住もうと思うほど勇敢な人はほとんどいない。
 中国赤十字会のG氏の話では、彼は、1月17日、米を手に入れに出かけた際、漢中路の外側に男の死体がうずたかく積まれているのを目撃した。付近にいた人たちが言うには、12月26日ごろ現場に連行されてきて、機関銃で射殺されたそうだ。登録の際に、かつて兵士であったことを告白すれば、労務要員として賃金を支払ってもらえるという約束で、おそらく、事実を認めた人たちなのだろう。

「Imagine 9」解説【合同出版】より



基地をなくして


緑と海を取りもどしていく世界




 基地をなくして、緑や美しい海を取りもどし、きれいな空気がよみがえる。それが、人々にとっての本当の「平和」ではないでしょうか。
それは、人々が「平和に生きる権利」を確保することでもあります。

 フィリピンでは、1992年、国民的な運動の結果、米軍基地はなくなりました。韓国ではピョンテクという場所に新たな米軍基地がつくられようとしている事に対して、人々は反対運動を続けています。
 沖縄では「もう基地はいらない。美しい海を守りたい」と、辺野古での新しいヘリポート建設に反対する人たちが活動しています。自分たちの土地がイラクやアフガニスタンを攻撃する拠点として使われることに黙っていられないと、世界の人々は立ち上がっているのです。
 かつて日本やアメリカに占領されてきた歴史をもつミクロネシアの憲法は、その前文で、次のようにうたっています。
「ミクロネシアの歴史は、人々がイカダやカヌーで海を旅したときから始まった。私たちの祖先は、先住民を押しのけてここに住んだのではない。ここに住んでいる私たちは、この地以外に移ろうとは望まない。私たちは、戦争を知るがゆえに平和を願い、分断された過去があるがゆえに統一を望む」



第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


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