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●水俣病問題
1956年(昭和31年)、熊本大学医学部の研究チームにより、有機水銀原因説が有力視されたのだが、同年11月12日には厚生省食品衛生調査会常任委員会・水俣食中毒特別部会が大学と同様の答申を出したところ、厚生省は翌13日に同部会を突如解散。1960年(昭和35年)4月、日本化学工業協会が塩化ビニール酢酸特別委員会の付属機関として、田宮猛雄・日本医学会会長を委員長とする「田宮委員会」を設置。後に熊本大学医学部研究班も加わることとなった。有機水銀説に対する異説として清浦雷作・東京工業大学教授らがアミン説を発表し、彼らの主張がそのままマスコミによって報道されたため、原因は未解明という印象を与えた。
(Wikipediaより)
医学は水俣病で何をしたか(抜粋)(ごんずい53号)宇井純
集中砲火を浴びた熊大研究班
原因が工場排水中の水銀らしいと見当がついた1959年夏以降は、熊本大学医学部の研究班は企業や通産省、御用学者の集中砲火を浴びることになる。(略)熊本大学医学部研究班が、東大を中心に水俣病をもみ消すために作られた田宮委員会に屈服し、チッソから金をもらって代表団をローマの国際神経学会に送ったのは1961年であり、64年にそれまでの研究をまとめたいわゆる赤本(熊本大学医学部水俣病研究班「水俣病-有機水銀中毒に関する研究-」・編集部注)が用意された段階では、水俣病を否定する医学界本流と熊大医学部の手打ち式は完了していたと見てよい。この赤本にはチッソから費用が出ていることが明記されている。(略)この間医学界主流にあった東京大学医学部を中心として作られた田宮委員会は、水俣病つぶしの有力な手段であり、日本化学工業協会とチッソから研究費をもらっていたが、表に出ないもくろみは、米国の公衆衛生院(NIH)から熊大へ支給された三万ドルの研究費をねらったらしいことが、複数の関係者の証言で裏づけられる。もみ消しだけで十分犯罪的である上に、横取りまで考えていたとなるとおそろしい話である。(略)日本医学会会頭、東大名誉教授田宮猛雄を委員長とし、公衆衛生学教授勝沼晴雄を幹事長とした田宮委員会と対立するということは、いわば日本医学界全体を敵とすることを意味する。こうして孤立した熊大医学部としては、水俣病の病像をすでに文献記載があって誰も文句のつけられないハンター・ラッセル症候群に限定しておくことが有利であった。新しい症状などをつけ加えたら、ますます学会から袋だたきにあうであろう。
出たよ出たよ。大企業は金で権威を買収し、自分たちに有利にマスコミを操作する手法は、今も昔も変わっていない。東電からは、200億円ともいわれる資金がマスコミに流れており、有名大学への寄付金も含めると、いかほどになるものか図りかねる。そして『原子力政策は国策です。個人の意見で左右されるものではありません。』なんていうお人好しを生んでいくのだ。原発稼動を望んでいる皆さん。原発は誰にとって「益」があるかおわかりですか?それは、原子力事業にかかわる天下り先を確保できる行政のトップの人々であり、経団連と関係のある原発建設関連の会社です。地元が補助金で潤うというのは見せかけであり、後々は補助金漬けで自立できない体質へと変えられ、震災が起これば土地を捨てて流浪の民になるしかないことは、もう福島で証明されてるじゃない?それでも原発は必要っていう人は、どんな洗脳をされてるんだろう?いろんなデータから客観的に判断する力を持とうよ。いいですか、もう一度言います。水俣病の時、当時の自民党政権は国民を守ることをせず、日本化学工業協会の利益を優先しました。その政権が推し進めた「原子力政策」が、誰のためのものであるか。今一度冷静に考えてみてください。
●全く活かされていない水俣病の教訓 -- 環境省の報告書を読んで類似性に唖然!
半世紀以上前に起きた水俣病を若い世代の人たちはほとんど知らないと思うが、
いまだに多くの人が苦しんでいるし裁判も係争中だ。
環境省・国立水俣病総合研究センターがまとめた水俣病の報告書がここにある。
「水俣病の悲劇を繰り返さないために --水俣病の経験から学ぶもの--」
http://www.nimd.go.jp/syakai/webversion/houkokushov3-1.html
通産省(当時)に責任転嫁するような表現が気になるが、内容はまともな報告書である。
少し長いがぜひ読んでいただきたい。福島原発事故と非常によく似ていることに驚くだろう。
類似点をいくつか挙げよう。
- 最初に起きた動物の異変 (ネコの狂死)
- 早くからわかっていた健康被害とその原因
- 御用学者の暗躍、インチキ学説による真の原因の隠蔽
- マスコミによる事実隠蔽、誤認報道
- 住民の健康・生命軽視
- 天下り先・大企業の利益最優先
- これだけの産業が止まったら日本経済に大打撃を与えるという殺し文句
- 全く動かない検察、全く問われない刑事責任
- 抗議する市民、被害者への弾圧
- 被害者に対する偏見と差別
- 全くされなかった汚染海域の漁業規制。漁協による操業自粛のみ。
- 関係者による水飲み安全パフォーマンス
報告書から一つ引用しよう。
----(引用ここから)-----------------------------------------------
<コラム>[通産省のチッソ擁護姿勢]
水産庁をかかえる農林省からの出向者は、排水を止めるべきだという主張もしていた。だが汲田は、通産省の官房に毎週のように呼び出され、強い指示を受ける。
「『頑張れ』と言われるんです。『抵抗しろ』と。止めたほうがいいんじゃないですかね、なんて言うと、『何言ってるんだ。今止めてみろ。チッソが、これだけの産業が止まったら日本の高度成長はありえない。ストップなんてことにならんようにせい』と厳しくやられたものね」
結局、経企庁も通産省も、水銀に関する水質規制や排水停止の措置はとらず、チッソの排水はそのまま流れ続けることになった。水俣の沿岸に水質規制が実施されたのは、水俣工場がアセトアルデヒド工場をスクラップしたあとの、1969年のことだった。
----(引用ここまで)-----------------------------------------------
チッソ→東電、水銀→放射能と置き換えれば、今起きていることそのものだ。
要するに役者が変わっただけで台本は全く同じなのである。結末もまた同じであろう。
一つ、非常に気がかりなのは、真の原因を隠蔽したまま迅速に対応をとらなかったために、
第二の水俣病が新潟県で発生してしまった事実だ。
これは、グズグズとまともな安全対策を施さないうちに、どこかの原発でまた致命的な爆発が起きることを示唆している。
それを考えると夜も眠れない。
もう一つ、序文から引用しよう。
------(引用ここから)----------------------------------------------
水俣病を経験した我が国は、これを教訓として、このような悲惨な公害がこの地球上で繰り返されることのないよう、日本国内のみならず、世界の国々に対しても、積極的な貢献をしていくべきである。
そのためには、水俣病がなぜ起こり、なぜ拡大したのか、また、なぜ発見から政府による公式見解まで12年間もかかったのか。その時々における行政決断の遅れや研究者、地域住民、原因企業等の対応を検証し、水俣病の経験から教訓を明らかにしたい。
そして、特に最終章を読む際に、あわせて今の自分の置かれた立場を振り返って、自分は今同じ過ちを繰り返そうとしていないかどうかを 問い直していただきたい。
------(引用ここまで)----------------------------------------
いったい誰に向かって言っているのか。何一つ水俣病の教訓から学んでいないではないか。
唖然とするばかりだ。開いた口がふさがらない。
水俣病に限らず、ダイオキシン、アスベスト禍からサリドマイド、キノホルム、薬害エイズまで、
すべてこの国の政治家・役人の利権と、無関心・無責任が産み出した悲劇である。
早急に対策をとれば被害・損害は最小で済むのに、企業・天下り先の利益最優先で何もせず、悲惨な結果となる。
多くの生命が失われ、金銭的損害も莫大になる。
しかし誰も責任をとらない。何度でも同じ間違いを繰り返す。学習能力ゼロ。
ミミズのT字迷路学習という実験がある。
左に曲がったときだけ電気ショックを与えると、右にしか曲がらなくなるというものだ。ミミズも学習するらしい。
懲りずに何度でも同じ間違いを犯すこの国の政治家・役人は、ミミズ以下と言われてもしかたがあるまい。
先ほど福島原発事故も水俣と同じ結末になると書いたが、今回は数百、数千倍と規模が違う。
水俣病は中央官庁から遠く離れた一地方での「他人事」であったが、今回はそうではない。
すでに霞ヶ関・経産省前の植え込みは1万ベクレル/kg、チェルノブイリ強制移住地域並の汚染である。
大気も水も食品も信じられないほど汚染されてしまった。
無責任極まる政治家や役人も今回は被曝被害者である。首都圏の汚染から逃げることは不可能だ。
今までの無責任な公務員の度重なる悪事に、ついに天の裁きが下ったのだと思う。
それでも性懲りもなく、真実に目を閉じ、「安全です、問題ありません」と被曝で倒れるまで、
国家が崩壊するまで彼らは繰り返すのだろう。
ミミズ以下のバカ者につける薬はない。バカは死ななければ治らないのである。
●田宮猛夫
前回取り上げた福見秀雄、宮川正に続いて、今回は日本医師会会長であった田宮猛雄と731部隊、
福島原発事故とのつながりを見ていこう[1][2][3]。
[経歴] ([4]に加筆)
1889年 大阪府で生まれる。
1915年 東京帝國大学医科大学(現・東京大学医学部)を12月に卒業、伝染病研究所の技手となる。
1918年 伝染病研究所の技官となる。
1924年 医学博士号を取得。論文の題は「脾脱疽感染及び免疫に関する実験的研究」
1927年 東京帝國大学伝染病研究所教授に就任。
1931年 同大学医学部教授となる。衛生学講座を担当。
1944年 伝染病研究所第7代所長に就任。
1945年 同大医学部長に就任。
1948年 日本医学会会長に就任、亡くなるまで務める。
1949年 東京大学を停年退官。名誉教授となる。
1950年 日本医師会会長となり2期務める。
1960年 水俣病研究懇談会(田宮委員会)の委員長となる。
1962年 国立がんセンター初代総長となる。
1963年 日本学士院会員になる。7月11日に胃癌のため死去。墓所は大阪市阿倍野区。正三位、勲一等。
医学者としてこれ以上は望めない輝かしい経歴だが、御用医学者としての業績もまた超一流である。
田宮猛雄といえば、水俣病研究懇談会、通称「田宮委員会」での悪行が有名である。
医師会会長の権威を利用して、腐った魚を喰ったせいだなどという説をでっちあげ、
真の原因である有機水銀説をつぶし、被害を拡大させ新潟での第二水俣病まで引き起こした[5]。
しかし彼は731部隊にも深く関与しており、部隊員とも懇意で、戦後も人体実験をしていたことは
あまり知られていない。
彼の死後、追悼文集が出版されたが、その中で北岡正見、安東洪次、目黒康雄、田嶋嘉雄など
731関係者が勢ぞろいして思い出を語っている[6]。
731部隊マラリア菌研究班に所属していた目黒康雄は、軍医として戦地に送られるところを
田宮の計らいで防疫給水部(731部隊の別名)の職を斡旋してもらったと語っている。
田宮は「徴兵逃れ」をエサに教え子を731部隊へ送り込んでいたのである。
また田宮は731部隊の別働隊でもある北京の1855部隊へ出張していたとも言われている[7]。
田宮は731部隊第2代部隊長・北野政次とも非常に親しく、戦後、北野が東大伝研に現われたとき、
もっとも北野の庇護したのが田宮であった[8]。
また福見秀雄や北岡正見とも一緒に研究をしている[2]。
終戦直後、GHQの軍医が田宮を訪れ、米軍の資金提供を受けて共同研究を始めた[8]。
田宮は英語が流暢で、GHQの信頼も厚かった。
1947年、GHQの命令で厚生省と東大伝研が府中刑務所の受刑者に対し、発疹チフス人体実験をしている。
この件で田宮は北野政次らと深く関与している。
発疹チフス人体実験は北野らが731部隊で行なっており、いわばその"続編"であった。
1952年に新潟大内科の桂重鴻教授らが新潟精神病院で精神病患者149人にツツガムシ病リケッチアを注射し、
8人が死亡、1人が自殺というとんでもない事件(ツツガムシ病人体実験事件)が起きた[9]。
実は米軍の資金援助により田宮が北岡正見らによびかけてツツガムシ病研究グループを組織し、
この人体実験事件を主導したことも判明している[8]。
いくら米軍から無理難題を押しつけられても、731部隊での犯罪を不問にしてもらっているから断れないし、
断るつもりもなかったのだろう。
田宮は731部隊で多くの人間を犠牲にしたことを反省するどころか、戦後も人体実験を続けて得た功績で
着々と出世を続け、ついに医学者として最高のポスト、日本医師会の会長まで登りつめる。
田宮委員会は御用医学者として最後の大仕事であり、大勢の犠牲者を出した。
さすがにこれだけ悪事を重ねると天罰が下るようで、数年後、田宮は末期の胃がんで亡くなった。
手の施しようのない状態だったという。
トップレベルのがん専門医を結集させた国立がんセンターの総長でもあった彼にしては、
無様な死に方であった。
731部隊や水俣病の犠牲者の呪いかもしれない。
数々の凄惨な人体実験に関わってきた悪魔のような人間が、最高のポストである日本医師会
会長の席におさまる。悪夢のような話だが、これが日本の現実なのである。
残念なことに彼の死後も医学の倫理に反する人体実験の伝統は脈々と受け継がれている。
田宮が所長を務めた東大医科学研究所(旧伝染病研究所)や、初代総長となった国立がん研究センター
(旧国立がんセンター)に勤務した上昌広教授は、国立病院では患者の治療よりも研究の成果や
効率が優先され、陸海軍の亡霊がいまだに行き続けていると述べている[10]。
陸海軍というより731部隊の亡霊と言ったほうが正しいだろう。
その上教授も、福島原発事故が起きるや否や、本来ならすぐに避難させなければならない福島の住民を
だましてモルモットにし、白血病のデータを収集して金儲けや出世に利用しようとしている。
やっていることは731部隊と何ら変わりはない。
731部隊の人体実験の責任を追及し、関係者を処罰し医療倫理を正さなかったために、
本人の同意も得ずに人間をモルモット代わりに使う悪しき伝統が現在まで続いているのだ。
新薬や新しい治療法には臨床試験が必ず必要である。それなしには医学の進歩はない。
しかし臨床試験にあたっては、被験者に期待される効果と危険性をきちんと説明して
同意を得なければならない。
正しい判断が出来ない幼児や精神病患者、あるいはノーと言えない若い自衛隊員や受刑者をだまして
実験台にすることは絶対に許されないことだ。
福島も全く同じである。
住民に被ばくの危険性をきちんと伝えず、安全だとだましてモルモット代わりにするとは言語道断である。
これは立派な犯罪である。
ちなみに、田宮家一族は学者が多く、息子は被爆直後の広島で放射線が脳細胞に与えた
ダメージを調べた精神医学者・島薗安雄、孫が著名な宗教学者で、原子力を批判している
島薗進・東大名誉教授である。
島薗進氏は東大理科3類に合格したが、医学界の権威主義や倫理性軽視が問われた
東大医学部紛争の中で苦悩。「生きている意味を含め考え直そう」と宗教学へ進んだという[11]。
紛争中、水俣病被害を拡大させた田宮猛雄も厳しく批判・非難された。
頭脳明晰な島薗氏は、おそらく医学者になっても素晴らしい業績をあげただろうが、
医学界では常に悪名高い祖父の名がつきまとうのに耐えられなかったのだろう。
歴史上の事実をきちんと認識し、あやまりを正し反省しなければ、極悪非道が繰り返され、
いつまでたっても日本はまともな国になれないだろう。
731を問う!!
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