2018年11月11日日曜日

日本の国家機密

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日本の国家機密   藤井治夫著
はしがき
戦後ひとたびは完全に消滅したはずの国家機密が、いまでは、わが国の政治を骨絡みにするまでに増大してきている。今日まで国民が知りえたのは三矢研究、沖縄密約など、ごく僅かなものにすぎなかったがその内容は衝撃的なものであった。
国家機密は、国民全体の運命にかかわるものである。そして、その核心をなすのが軍事機密である。国の進路をどのように定めるか (国家戦略)、仮想敵国をどこに設定し、いかなる国とどのような軍事同盟関係を結ぶか、戦争を始めるか否か―こうした問題こそ、主権を有する国民にとって何よりも重要であり、それゆえ「知る権利」の第一の対象とされなければならない。だが、これら国政におけるもっとも基本的な情報こそ、国家機密として厳重に秘匿されているのである。
明治以降のいくつかの大戦争に当たって国民は、つねに戦争を始めるか否かの意思決定過程から排除されてきた。もはや引返しのきかない時点で大本営発表を受け、犠牲と負担に堪えるほかなかったのである。軍機保護法と国防保安法を両軸とする軍事機密・国家機密の保護体制が、侵略戦争への道を掃ききよめたのであった。再びこの道を歩んではならない。
戦後日本の国家機密は、自衛隊の成長と日米安保体制の強化を根源として肥大化してきた。こうして、防衛庁と外務省は、国家のなかの国家として、国会のコントロールをも徹底的に拒否している。そして機密の扉のなかで、アジアにおける最強の抑圧者をめざす計画と準備が着々と進行しているのである。
国家機密を不可侵の聖域としておくことは、侵略戦争の加担者となることを意味する。これを全面的に否定し一掃することこそ、反戦平和と民主主義を貫徹するためのカギであるといえよう。私は60年安保以後、経済とともに軍備もまた高度成長を遂げはじめた時期から、「非軍人」こそ軍事研究の主体とならねばならぬと考えて、そのための作業をはじめた。軍事にたいする市民のコントロールを確立する架け橋となることに意義を見出したからである。そのときから、正確な事実の紹介と分析のために、秘匿されている基本的資料に着目してきた。
今年(1972年)3月17日、反戦自衛官小西三曹にたいする刑事裁判(新潟地裁)で、弁護団が54件にのぼる自衛隊関係文書について裁判所にたいし証拠物提出命令の発動を申し立てたさい、私は特別弁護人の一人としてその理由を陳述した。この準備過程で、国家機密・軍事機密の総体について分析したリポートをまとめる必要性を痛感したところから生まれたのが本書である。
国家機密にたいする闘争は、戦後、国会の場において果敢に闘われてきた。岡田春夫、檜崎之助、中谷鉄也、横路孝弘、田英夫氏ら、小西裁判弁護人または5人の反戦自衛官の懲戒免職にたいする審査請求代理人として、共同の戦列にある人びとによって担われてきた議会内反軍・反国家機密の闘争は、世界史的にみても資本主義国における議会活動の輝かしい典型であるといえよう。国会会議録によって、その貴重な成果を多く引用させていただいた。
巻末に収録した主要極秘文書は、断片的に入手することさえ困難なものも含んでいる。また原文の構成にしたがって配列した初めてのものである。出版に当たっては現代評論社の中村公省氏にひとかたならぬお世話をいただいた。心からお礼を申し上る。
1972年9月 藤井治夫

第一章 国家機密と軍国主義
1、戦後日本の機密保護体制
占領ではじまり安保で強化
1950年代前半の時期に日本支配層は、みずからの手による機密保護体制整備の第一段階を終えた。これに先だつ占領下においては、支配体制の機密は占領軍の超憲法的権力を核心として軍政状態下に保護されていた。総司令部によるプレスコードその他の覚書により、公式に発表されていない連合国占領軍の動静にかんする報道および論議は、最高10年の懲役の対象とされたのである。また憲法施行直後の47年12月には「議院における証人の宣誓及び証言等に関する法律」が施行され、国会にたいする公務員の職務上の秘密に関する証言、書類の提出は最終的に内閣の声明によって拒否することがみとめられた。同じころ公務員の守秘義務を定めた国家公務員法が成立、翌48年の改正で刑事罰が付加された。議院証言法、国公法などの秘密保護規定が、その後どれほど悪用されてきたかについては改めて指摘するまでもない。だが成立当初それらは、占領支配を補足する機能を果たしていたのであって、国会審議過程はいうまでもなく、あらゆる分野に貫徹していたのは占領軍の権力であつた。
 1952年4月のサンフランシスコ平和条約発効にともない、新たな機密保護立法が日程にのぼった。はやくも同年5月6日には、日米行政協定に伴う刑事特別法が成立し、合衆国軍隊の機密は10年以下の懲役という苛酷な刑罰で保護されることになった。これにつづいて治安立法が強力に推進され、同年7月には破壊活動1952年4月のサンフランシスコ平和条約発効にともない、新たな機密保護立法が日程にのぼった。はやくも同年5月6日には、日米行政協定に伴う刑事特別法が成立し、合衆国軍隊の機密は10年以下の懲役という苛酷な刑罰で保護されることになった。これにつづいて治安立法が強力に推進され、同年7月には破壊活動防止法が施行され、翌53年にはスト規制法の成立をみるにいたる。さらに54年5月には日米相互防衛援助協定(MSA)が発効、これにともなうMSA秘密保護法が同年7月1日に施行された。この日は自衛隊発足の日でもあった。こうして、占領支配体制を日本支配層による支配体制へと移し変える過程は、50年代半ばにいたって秘密保護の面でも一応完結したのである。
 刑特法およびMSA秘密保護法は、在日米軍およびアメリカから供与された装備品などの秘密を保護するためのものであった。後者は日本政府に供与され自国のものとなった秘密についてであるとはいえ、本来はアメリカにとっての秘密である。日本独自の機密を保護すべき単独立法が公然の問題となるのは50年代後半のことである(第4章参照)
 もっとも、自衛隊発足の時点で軍機保護法の作成が企図されなかったわけではない。MSA秘密保護法案審議のさい、参院法務委員長であった郡祐一(現法相)は、MSA協定交渉過程で保安庁(防衛庁の前身)を中心に政府が行なった秘密保護立法についての研究状況を紹介して次のように述べている。
「保安庁においても、MSA協定に基く援助に関してのみ秘密保護法を立案すべきが、又は此の際これらの秘密保護を含めて、当時予想されていた自衛隊の防衛出動、防衛出動部隊の編成装備等に関する秘密或いは防衛施設、暗号、作戦情報等に関する秘密をも保護する軍機保護法的な法案を作製すべきか、討議が交わされた・・・・」(『秘密保護法精義』 13ページ)。 p3
 だが、当時の防衛力の実状からすれば 「いたずらに独立国の面目にのみこだわり、軍機保護法的な立法をしても、到底実質的な内容を持ち得ない」し、かつ立遅れている工学関係の「学術の研究が万一にも制限されるようなことがあれば、将来に取り返えしのつかぬ禍根を残すおそれがある」ので、MSA関係だけにとどめたというのである。軍機保護法が見送られたとはいえ、自衛隊法は隊員の秘密を守る義務と違反者にたいする刑事罰を定めている(保安庁法にも同様の規定がおかれていた)。p4
 米軍関係の機密保護立法をすすめると同時に、行政内部における秘密保護体制の確立が推進された。この点ではとくに、53年4月30日の次官会議申合せ 「秘密文書等の取扱規程の制定について」(参考資料1)が重要な意味をもっている。それは「行政機関における秘密の保全について万遺憾なきを期するため、各行政機関の長は次の諸点に留意して秘密文書等の取扱規程を速やかに制定実施するものとする」と述べ、秘密区分として「機密」「極秘」「秘」「部外秘」の4段階をしめし、さらに秘密文書等の取扱いの基準を定めたものであった。これにより各省庁における秘密保全にかんする訓令、規程が相ついで制定されることになった。p4
 保安庁はさっそく「秘密保全に関する内訓」(昭和28年保安庁内訓第1号)により、次官会議申合せと同じ4段階の秘密区分(ほかに「人秘」〔人事秘密〕もあった)を定めている。内訓とは訓令(所掌事務に関し長官が発する規範的命令)と規定事項の範囲を同じくするものであって秘密の取扱いを要するものをいう。つまり秘密保全の規程自体が秘密とされたわけである。p4
 行政管理庁では53年7月27日、「秘密文書取扱要領」なるものを定めたとして、中央部内の課長
以上に送付したという。だが、それは規則番号も制定年月日もない変則的なものであったし、一般職員には知らされなかった。こうした為体のしれない「内規」により、のちに出版物によって官僚機構の腐敗を弾劾した公務員が不当な免職処分を受けたのであった。いわゆる『不正者の天国』事件である(高田茂登男『国家の秘密とは何か』140ページ参照)。
 53年の次官会議申合せは1965年、三矢研究(昭和38年度統合防衛図上研究)が国会で暴露された直後の4月15日に全面改正された(参考資料2)。新しい申合せは、政府の秘密主義にたいする批判を受け入れるかのようなポーズをとり、秘密文書の指定および作成は「必要最少限にとどめる」とうたっている。だが、それが真に狙ったのは、秘密保全体制の強化であった。申合せの文言自体がそれを物語っているだけでなく、後述するように多くの省庁は現在もなお、53年の申合せの線でそれぞれの秘密管理規程を定めているのである。

国家機密の本質
ところで50年代はじめに相ついで制定された秘密保護規程によって、秘密とされたのはなんであったか。当時、法務省刑事局が発行した『検察月報』(54年11月)―「部外秘」の標記が付いている―の巻頭論文「議院の国政調査権と検察権」は、国家の秘密について次のように述べている。
「国家事務の中には、その目的を一そう有効・迅速に達成し、妨害を未然に排除するため、事務の内容を秘密とする必要のある場合が少くない。殊に秘密保護の必要が強く認められるのは、一国の存立にもかかわる基本的な事務についてである。・・・・・警察・検察・裁判、あるいは軍事・外交等は、・・・・国家の任務を達成するためのもっとも基本的な仕事であった。・・・・この種の事務の1つである検察事務は、その運営如何が一国の運命を左右するといってもいいすぎではなく・・・・」(同誌19ページ)。p5
 この論文が30数ページにわたり検察の秘密の重要性を強調しているのには理由がある。今日的意義があるので紹介しておこう。というのは同年1月以来、造船疑獄事件が表面化し、4月にはついに自由党幹事長佐藤栄作逮捕の事態となった。だが、このとき犬養法相が指揮権を発動してこれを許さず、証拠の収集を不可能としたため結局ウヤムヤのうちに葬り去られたのである。これについて同年9月、衆議院決算委員会が証人として佐藤藤佐検事総長らを喚問したところ、佐藤栄作、池田勇人らの収賄嫌疑事実などについて、職務上の秘密に属することを理由として証言を拒否した。

決算委員会は議院証言法により法務大臣に証言の承認を要求したが、これも拒否されたので、さらに同法の規定により内閣声明を要求した。吉田内閣は12月3日、「右証言等の承認をすることは、国家の重大な利益に悪影響を及ぼすものと認める」と声明(参考資料3)、ついに決算委の追及は打切られたのである。これは、国会における証言拒否が内閣声明にまで発展した唯一の事例となっている。
『検察月報』論文が法務大臣および内閣の態度を肯定する立場から、国会の国政調査権を切りちぢめ検察の秘密を拡大するために、三百代言ぶりを発揮しているのは、こうした背景があったからである。この事例は「国家の重大な利益」「検察の機密保持」なるものの本質がなんであるかを、鮮明に国民にたいしてしめしたのであった。p6
 造船疑獄から20年めに、再び機密問題をめぐる国家悪の主犯として同じ佐藤栄作が登場することになったのは、歴史の皮肉であろうか。沖縄交渉をめぐる佐藤内閣の対米密約は、より高度な政治的次元において、国家機密とはなんであるかの問題を、するどく提起したのであった。
『検察月報』論文がみずから告白しているように、「秘密保護の必要が強く認められるのは」「警察・検察・裁判、あるいは軍事・外交等」「一国の存立にもかかわる基本的な事務についてである」。別の言葉でいえば国家の暴力装置の対内的・対外的作用が、もっとも厳重に秘匿されるのである。少数支配階級による多数人民の支配は、こうした暴力装置なしに維持することができない。だが、国家の暴力的本質は、蔽いかくさなければならない。それは権力の恥部なのである。こうして暴力には、不可分の属性として秘密がつきまとうのである。p6
 暴力のいま一つの属性はウソである。単純なウソから複雑厖大な虚構にいたるまで、あらゆる技巧が利用しつくされる。横路孝弘衆院議員(社会党)が72年3月27日の予算委員会で暴露した沖縄密約文書(外務省極秘電信文)が記しているように「問題は実質ではなくAPPEARANCE」なのである。沖縄交渉過程で日米支配層が共謀して努力したのは、議会や国民をいかに欺すかについてであつた。同じ外務省電信文が、佐藤首相、福田蔵相、愛知外相協議のさい「日米間で良く打合せ、対議会説明の食違いなく必要以外の発言はせざるよう米側と完全に一致する必要がある旨、全員一致で確認」したと述べているのも、その一例である(第3篇7参照)。 こうして反権力、反軍国主義闘争において、国家の機密を暴露し、ウソを論破するたたかいが重要な意義をもってくるのである。
「私の舌はみなさんと同じく一枚です」(衆院本会議68・5・14)とシャーシヤー答弁した佐藤首相が、在任中どれだけウソをついてきたか。楢崎弥之助衆院議員(社会党)は72年4月26日の外務委員会
で、常習犯化した政府のウソを列挙し、怒りをこめて追及している。
「43年度の予算委員会で三次防の技術研究開発計画、この中にアンチ・ミサイル・ミサイル、核兵器が研究課題に含まれておる、その指摘をしました。そうしたら、それはないという。現実に秘密理事会で突き合わせをした。あることを認められた。そうしたら委員会では何とおっしやるかというと、草案の草案の中に確かにありました。最終案にはありません。
 沖縄国会の始まった予算委員会で私は第1回の佐藤総理訪米資料を問題にした。そのとき佐藤総理は烈火のごとくおこられた。それは怪文書だとおっしゃった。これまた秘密理事会で現物を突き合わせをした。そうしたら確かに総理府の中にあつた。『極秘』の判を押してあった。
 沖縄密約の問題もそうでしょう。交渉の過程でこれっぽちもないと言った。そうしていよいよ突き合わせができたらどうですか。われわれもいろいろな非難を受けましたけれども、あそこまでしなくてはあなた方はあると言わないじゃないですか。そうしてそれが明らかになったら何ですか。交渉の過程ではあったかもしれないが最終案にはありません。いつもそのようなパターンでしょう。あなたがたの言っているのは」(会議録による、一部略)。p8

ブルジョア民主主義の恥部
秘密主義とウソで階級独裁を貫徹しようとする政治体質は軍事・外交・治安を中軸としながら国政のあらゆる分野を侵食している。国会にたいし大企業本位の減税措置の実態を秘匿しつづける大蔵省、放射性廃棄物の海洋投棄量を偽り報告した科学技術庁(いずれも『朝日新聞』72・4・24)など、数えきれないであろう。決定的な証拠資料が突きつけられ、食言が暴露されたときでさえ、楢崎議員が指摘しているように詭弁の技術ですりぬけようとするのである。沖縄密約が暴露され、国会答弁における外務当局のウソが追及されたとき、福田外相は 「(あのとき)お答えできません、こういうふうに言ったらよかったのかとも思います。それを、承知しておりません、こういうふうに言った。それはことばの表現上まずかった点があるような気がします。・・・・・・今後の問題といたしましては、答弁ぶりにつきましては十分検討いたしてみたい、かように存じております」(衆院予算委72・4・3)と、横路議員にたいしヌケヌケと答えている。常習のペテン師に反省や恥じらいを求めるのは愚かというものだろう。ドジをふんだとき、彼ら考えつくのはいっそう答弁技術を磨き秘密保全を強化することだけなのである。p8
 国政の秘密は、かつて政治が封建君主の私事であると考えられていた時代にはじまり、貴族と市民の政治参加の過程で「国王の秘密」から 「国家の秘密」におきかえられてきたのだという(福島新吾『非武装の迫求」112~3)。確かにわが国では、天皇と天皇の名による軍事・外交・司法が極端な秘密の扉のなかに隠されてきた。軍機保護法にいう軍事上の秘密の第一には「宮闕守衛二関スル事項」があげられていたし、その遺制は今日もなお残存している。そればかりではない。宮内庁では天皇の国事行為は特権的な侍従職の専管とされているし、天皇訪欧の際には同行記者団が宿泊するホテルまで「秘」扱いにされていたという。こうしたことにもあらわれている「天皇の秘密」の拡大は、憲法改悪・天皇元首化の狙いをもって執拗に推進されているのである。国家の秘密は、いまや体制のすべてを捉えている。p9
 ブルジョア革命は国民主権原理に立って表現の自由、政府にたいする批判の自由、それを保障する政府情報の公開を要求し、ある程度まで実現した。トマス ジェファスンが2回目の大統領施任演説において「批判の前に立つことができないような政府は、当然崩壊すべきであり、連邦政府の真の強さは、公開の批判を進んで許すこと、およびその批判に耐える能力をもつことである」と述べたように、政治の公開性―ガラスばりの政治と批判の自由は民主主義のカナメであった。p9
 だが、独占資本主義が発展し、富と権力がますます一部少数者に集中するなかで、民主主義原理は形骸化していった。それは政府秘密の増大と機密保護法制の強化となってあらわれている。その典型は、第2次大戦を契機として軍産複合体制を確立したアメリカである。そこには、網の目のようにはりめぐらされた秘密保護法規が、熱病的な反共主義と結びついて、民主主義的自由と民主的政治制度を完全に狩り取っていった姿がみられる。それによってはじめて、ベトナムをはじめとする数多くの「宣戦布告なき戦争」が可能となったのである。政治の最高の悪である戦争が恣意的に開始され遂行される条件を与えた政府の秘密体質にたいする批判が、ベトナム反戦と結びついた表現の自由の問題として提起されることになるまでには4半世紀を要した。p9
 1971年6月30日、ニューヨーク・タイムズのベトナム秘密文書公表事件について合衆国最高裁
は、政府の公表差止め要求を否定する判決を下した。これを契機としてニクノン政権は政府秘密の縮小に、わずかながらも着手せぎるをえなくなったのである。p9
2 シビリアン・コントロールの欺瞞
温存される専制政治
ニューヨーク・タイムズ最高裁判決における同意意見で、合衆国憲法修正第一条表現の自由の原則を、より徹底的につらぬく立場をしめしたダグラス裁判官(ブラック裁判官同意)は述べている 。 「政府内の秘密は、基本的に反民主主義的であって、官僚主義的誤りを永続させることになる。公の争点を公開で議論し討論することは、われわれの国の健康にとって肝要である。公けの問題に関しては、 “公開で健全な議論”がなければならない」。p10
 これにたいし、おなじく同意意見を述べたスチュアート裁判官(ホワイト裁判官同意)は、「基本的国防の領域では絶対的秘密の必要がしばしばあることは自明である」としながらも、「あらゆるものが秘密扱いされるときには、なにものも秘密扱いされないこととなり、その制度は、皮肉屋や不注意な者により無視され、また保身や自己の昇進を意図する者により巧みにあやつられるものになる。・
・・・・私は要するに、真に効果的な国際安全保障制度の折紙は、信頼関係が真に維持されるときにのみ秘密がもっともよく守られうることを認識して、最大限に可能な発表をすることであろうと考えたい」との見地から、秘密文書の公表が国家と国民にたいし 「直接、即座の、回復しがたい損害を確実にもたらす、ということはできない」として判決に加わったのであった(判決文引用は『法律時報』71年9月号堀部政男訳による)。p10
 前者を古典的なブルジョア民主主義的立場からの、後者を独占資本主義の修正的立場からの、政府秘密にたいする見解として特徴づけることも可能であろう。ところが日本においては、右のいずれかに属する見解や政策が体制の側から表明された事例を発見することはむずかしい。天皇の大権に属した国政の枢要にまつわる徹底的な秘密主義は、戦後の「民主化」過程においても独占資本主義の政治反動体制に組み込まれ、温存強化されてきたのである。現在の外務省秘密文書には、戦前の外交文書の極秘扱い分がなお残されているという(参院予算委72・4・11佐藤外務省官房長答弁)。公安関係文献もまた、戦前のものが現在ほとんど「極秘扱い」されていて研究者から隔離されているといわれる(『毎日新聞』72・4・5)。こうしたことにも、人民による民主的変革がなお達成されていない現実があらわれているのである。p11
 独占ブルジョアジーの反人民的暴力支配の本質と専制的官僚政治の遺物が結合した秘密主義は、とりわけ自衛隊に集中的にしめされている。軍隊が国家の暴力装置のなかで中核的機能を果たすことからもそうならざるをえないのである。自衛隊はブルジョア職業軍隊の本質をもっているだけでなく、特殊日本的体質を継承している。ここからその反人民性、秘密主義とウソの三位一体的特徴が倍加してあらわれ、まさに末期症状を呈しているのが現実である。こうした推移は、自衛隊出生の秘密をさぐることによって、もっとも具体的に理解されるであろう。p11
自衛隊の反人民的な伝統
 自衛隊は1950年7月8日のマッカーサー書簡により、警察予備隊として創設された。ちょうど国会開会期であったにもかかわらず意識的に国会での審議を避け、休会に入った直後の時期を狙って、ポツダム政令により設けられたのであった。国民はおろか国会さえも無視し、占領権力により、まさに「植民地土民軍」として強行的にスタートしたのである。今日の自衛隊が実質的にも形式的にも「国民不在」の軍隊であるのは、じつにこうした出生の経緯に起源をもっている。p11
 72年はじめ、自衛隊をめぐっていくつかの重要な政治的事件が起こった。すなわち四次防予算先取り、立川基地への奇襲移駐、沖縄派兵などでしめされたのは、このような国民不在の反人民的体質であった。立川市では市民の82%が、それぞれに理由をあげて自衛隊の移駐に反対していた。沖縄では朝日新聞社の調査(71年9月)によっても、県民の56%が自衛隊の配備に反対しており、賛成はわずか22%にすぎなかった。これほどに強い住民の反対を突破してまで配備を強行したのである。四次防予算先取り問題では国会はもちろん、国防会議まで無視された。p12
 体制内にあって軍備を認める人びとでさえ、国民の支持なき軍隊がいかに無力であるかは、いやというほど多くの事例をつうじて理解しているはずである。もっとも重要な暴力装置であるだけに、その機能を果たすためには、それが国民のために存在するたてまえをとらねばならない。そうでなければ、どれほど強力な兵器装備をもち大兵力を保有していたところで、あっけなく崩壊してしまうのである。したがって「国民の軍隊」としての擬制を、みずから突き崩すことは、それこそ支配階級への裏切り行為となるはずである。ところが政府・自衛隊首脳は、彼らが奉仕すべき階級にたいして「裏切り行為」を積み重ねたのである。そこには、「天皇の軍隊」としての体質を継承しつつ、これに「植民地土民軍」的体質を合成してきずかれた自衛隊の姿がある。あわせて独占資本主義の軍隊としてもつ腐敗と退廃をあげなければならないとすれば、自衛隊は三重の反人民性によって、その体質を規定されているといえるであろう。p12
 アメリカ最高裁のステュアート裁判官に「助言」を求めるなら、「国民とのあいだの亀裂を深めるお
それがあるならば、何十力所の基地でさえ放棄すべきであり、何千億円の新兵器でさえ断念すべきである」と答えるにちがいない。そうするのが、 「まとも」な頭脳をもつ「自主防衛」派のはずである。
 警察予備隊創設当時、アメリカ軍事顧問団幕僚長としてその企画、組織、配置、訓練に参画したフランク・コフルスキー大佐は、彼の著書『日本再軍備』のなかで、「米国が日本の保守政権と腹を合わせて憲法を無視した不正は、今になっていかなる詭弁を弄しても正しうるものではない」(勝山金次郎訳201ページ)と指摘している。彼は50年8月はじめのある日を回想して、次のように綴っている。
 「アメリカおよび私も個人として参加する『時代の大ウソ』が始まろうとしている。これは、日本の憲法は文字通りの意味を持っていないと、世界中に宣言する大ウソ、兵隊も小火器・戦車・火砲 ロケットや航空機も戦力でないという大ウソである。人類の政治史上恐らく最大の成果ともいえる一国の憲法が、日米両国によって冒漬され蹂躙されようとしている。・・・・」(同書50ペ-ジ)。p13
 憲法を蹂躙し国会を無視してスタートした大ペテンは、とうぜんその意図と実態を秘匿して進められねばならなかった。「日本におけるわれわれは自分たちのやっていることを敵に知らせないことのみならず、味方のものからも隠さねばならぬという余分の負担があった。・・・・われわれは、最初のうちは日本の幹部たちに、予備隊が将来日本の陸軍になるものであることを言ってはならなかった」 (同書28ページ)。 マッカーサー司令部の日本再軍備に関する「基本計画」は、「トップ・シークレット」の書類となっていた。コワルスキー大佐は、ビストルを着用し護衛とともに、これを極秘文書保管用の金庫に収めに行ったエピソードを記している。p13
 自衛隊はこのように、アメリカの機密計画から生まれたのであった。これにたいする批判は、占領政策違反をもって恫喝され、軍隊的装備のあいつぐ導入は、国民の眼を避けて秘密裡に進行した。「設置当初は、一般大衆は予備隊やキンプを訪れることを禁ぜられ、公用以外で一般人がキャンプに立入ることを禁ずる厳しい命令が出された」(同書142~3ページ) のであった。p13
 三つ児の根性百まで―自衛隊はこうして出生時に形成された体質から、もはや脱け出ることはできない。ウソはウソを生み、秘密主義はいっそう強まり、人民に敵対するグロテスクな外貌だけが、ますます際立ってきている。それはちょうど、伊藤博文らによって完全な秘密裡に起草制定された明治憲法が、戦前の国家体質を形づくったのに近似している。p14
 イチジクの葉の国防会議
 職業的軍隊―常備軍は、つねに国民の少数者であるにすぎない。だが、それが手中に握っている兵器の強力な破壊力と、彼らの組織暴力集団としての専門的技術は、ひとたび暴走すれば殲滅的威力を発揮することになる。国民全体の運命と権利を左右するのである。p14
常備軍が国王の私兵として使用されることから生じるさまざまな害悪から市民を守るために、軍隊にたいして市民の優越を確保し、市民による軍人のコントロールを実現する理念として、市民革命の時期に登場したのがシビリアン・コントロールである。シビリアンとはcitzenに属する人の意で市民身分のことである。それは国民主権のもとで議会制民主主義を手段として、議会による軍隊の統制によって実現れされてきた。このような本来の、実質的意義をもつシビリアン・コントロールが貫徹される前提そのものが、今日の自衛隊にはないのである。
 アメリカをはじめ、すべてのブルジョア諸国でも、シビリアン コントロールは形骸と化し、たんなる文官統制にすぎなくなっている。だが、いくつかの国々では民主主義の伝統が人民と労働者兵士のなかに生きている。軍隊と政治の理念や制度にも、民主主義的枠組みが残されている。これにたいし、憲法とそれにもとづく政治体制とは別に、全く異質の存在として設置され、強化されてきた自衛隊には、そのような条件はひとかけらもない。51年以降、大量にその指導部に流入した旧軍人は、天皇の軍隊の伝統を継承させる人的パイプとしての役割を果たし、60年安保闘争をはじめとす階級矛盾の発展は、独占資本の私兵としての性格をますますつよめた。p14
 政府のいう文民統制とは、先に述べたような実質的意味をもつものではなく、全く形式的なものにぎない。それは防衛庁内局(文官)、国防会議、政府、そしてほんの名目的に国会によるコントロー ルして規定されている。これらがすべて完全に機能したとしても、真の市民統制からは遥かにへだたっている。しかも現実は、こうした擬制としてのシビリアンコントロールでさえ形骸化していることをしめしているのである。p15
 文民統制のシンボルにまでもちあげられている国防会議は、四次防予算先取り問題、沖縄への
装備秘密輸送問題で明らかになったように、その形骸的役割さえ果たしていない。国防会議は防衛庁設置法第62条により「国防に関する重要事項を審議する」内閣の諮問機関とされ、内閣総理大臣は国防の基本方針、防衛計画の大綱なについて、これにはからなければならないと定められている。ところが、ここにいう防衛計画の大綱とは、国防会議が設置された当時の内部資料によれば、「国防の基本方針に基づく防衛力整備計画案などをさすのであって、狭義の作戦、用兵に関する計画は含まない、と解させる」とされている。p15
 一般に、軍事にかんする活動は、戦力の創造、育成、維持の分野と、こうして建設された戦力を直接間接にどう運用するかにかかる分野に分けて考えることできる。国防会議は、 このうち戦力をつくる面―防衛力整備は扱うが、戦力を使う面―作戦用兵にはタッチしないと自己限定しているのである。育成増強される軍事力がどう使用される計画であるか―つまり作戦計画と関連なしに、建設されつつある戦力の本質を捉えることはできない。国防会議は―したがってその議長である内閣総理大臣も当然に―この重要な分野に全く関与せず、事実上制服組にまかせてしまっているのが現実なのである。p16
72年3月8日の衆院予算委員会で、中谷鉄也議員(社会党)が明らかにしたところによれば、71年度中に防衛庁が国防会議に提示した秘密文書は、わずか27件にすぎなかった。それも秘密区分としてはもっとも軽度の「秘」に属するものばかりである。同年中に防衛庁が作成した秘密文書は2万4294件であった(第1表参昭)。つまりこの面からいえば、国防会議は千分の一のコントロール機能しか果たしていないのである。要するに、国防会議はイテジクの葉にすぎない。それは肥大化する軍隊と行政権力の補完物であって、真のシビリアン・コントロールの道具にはなりえないのである。国防会議の現実は、制服優位に立って軍民官僚の利害を調節する機関であり、軍事優先的体質をもつ反動政治家と制服組との癒着を蔽いかくすカクレミノにすぎないことををしめしている。

ツンボ桟敷の国権の府
 文民統制を保障する手段は国会である。だが国会は、作戦用兵面について全く知らされていないだけでなく、防衛力整備面についても、 重要な意味をもつ5ヵ年計画は付議されず、わずかに年度の予算と法律をコマ切れに審議しているですぎない。年間3万件前後におよぶ防衛庁の秘密文書のうち、国会に提出されるものはただの1件もないのである。国民や国会にたいしてだけではない。 『自衛隊』(朝日新聞社編)は指摘する。隊内には「“国会で突つかれるとまずい”からという、いわば“対国会秘”があり、また“局長にも報告していないから”という“対内局秘”もあった。たとえば、日米双方の現地部隊幕僚間の非公式な計画研究が、それだった。(同書74ページ) p17
まさに軍部独走である。71年12月28日の参院沖縄北方問題特別委員会で渡辺武議員(共産党)は、海上自衛隊の水中探知機用海底ケーブル秘密購入問題について、防衛当局を追及した。総額27億3336万円総量、4200トンにのぼるケーブルがなんのため、どこに敷設されるのか。質疑を要約すると次のようであった。
江崎防衛庁長官 この点についてはひとつ御容を願いたい。 1
―何本に分けて使っておりますか。
江崎 これはご容赦を願いとうございます。
―みんな御容赦願いますでは質疑続けることできませんよ。
江崎 これをはっきり申し上げますと、自衛隊の任務が根底からくつがえつてしまうわけです。p18
 こうしたやりとりが続くのである。研究者タイプの温厚な渡辺議員もついに怒った。 「何を聞いても答弁拒否。資料要求をしても資料を出さない。これは国権の最高機関である国会の上に軍隊を置いて、そうして議会制民主主義を踏みにじろうという軍国主義の明確なあらわれだ」。p18
そのとおり、ズバリ軍国主義なのである。この現実を直視するなら、とうてい「国会の民主的運営」
などに、なにひとつ期待するわけにいかないことが理解できよう。国会だけではなく国政全体の民主的変革が、反軍国主義闘争との結合のもとに社会主義への展望に立って成し遂げられねばならないのである。
 答弁し(なかっ)た江崎長官は、皮肉にもかつて防衛庁の秘密主義にたいして警告を発したことが
る。55年7月26日の衆院内閣委員会においてであった。
『時局の性質上、すでに防衛庁においても、秘密主義に流れておる傾向が、審議をめぐりまして強く現われております。かようなことでは再び軍閥独裁の過去の姿に帰らぬとは保証しがたいものがあるのであります。こういう秘密主義と同時に防衛庁及び国防会議のあり方につきまして、総理はどういうふうにお考えでございますか」。
 これにたいし、ときの総理大臣鳩山一郎は、「なるべく秘密主義というようなそしりを受けないようにしたい」と答えている。秘密主義と軍閥独裁の相互関係を正しく突いたはずの当人が、16年めにみずから軍国主義の生き証人として登場することになったのである。体制内、ハト派の末路が典型的にしめされているといえよう。p18 ″
 議会制民主主義が踏みにじられたのは、今日の自衛隊によてだけではない。警察予備隊としての発足と、その後の成長の全歴史をつうじて、そうなのである。したがって民主主義の枠内で考えるとしても、国民主権原理を無視し、稀代の大ウソでごまかしながら、ヤミからヤミへと既成事実を積み上げてきた根本にメスを入れなければならないことが理解できるであろう。「既成事実」の全面的な解消―自衛隊解体こそ、シビリアン・コントロールの第一歩なのである。p19
     3 「機密」概念の曖昧性
権力のほしいままに
機密とはなにか。その本質についてはさらに解明していくこととして、ここではその概念について検討しておこう。日本独自の機密についての定義は法律上は全く存在しない。定義がないというより、機密自体が存在しないというたてまえなのである。戦前の機密保護法規は、すべて敗戦後憲法施行までに廃止された。憲法上根拠があるのは「投票の秘密」と「通信の秘密」だけである。p19
 1952年5月、サンフランシスコ平和条約発効直後に、法務府検務局の津田総務課長と神谷刑事課長によって執筆された『刑事特別法解説』は、「今日のわが国自体には軍隊の機密なるものは勿論、国家機密、国防機密といわれるものは法律上は存在せず、従って一般的な刑罰法令としてこれを保護するものはない」と明言している。当時すでに施行されていた国家公務員法第100条にいう「職務上知ることのできた秘密」「職務上の秘密」、その他民事訴訟法、刑事訴訟法などにおける秘密が、国家機密、軍事機密と全く異質の概念であったことが理解できよう。p19

同様のことは、52年7月に公布された保安庁法についてもいえる。同法第54条は「職員は、職務上知ることのできた秘密を漏らしてはならない。その職を離れた後も同様とする」(第1項―以下、2項、3項も職員が隊員と変わっただけで現行の自衛隊法第59条にそのまま受け継がれている)と定めていた。したがってこれらにいう秘密は、厳密に限定して解されなけれならないのである。それは「全体の奉仕者」としての公務員の職務に立脚した、たとえば試験問題や入札予定価格とか、個人のプライバシー等々に関して職務上知りえた秘密を守る義務にすぎないのである。p20
 もっとも「職を離れた後」にも守秘義務があるとすれば、試験問題などだけがその対象でないわけだろうが、それも厳密に局限されるべきで、憲法上の根拠を欠くとして廃止された国家機密、軍事機密の守秘を強いるのは、もってのほかといえよう。たとえば「公開」原則を定めた原子力基本法のもとで、原子力委員にたいして守秘義務が課されているが、両者が矛盾するものあってならない以上、「職務上知ることのできた秘密」の限界は明らかである。p20
 機密とは「枢機に関する秘密」〔広辞苑)をいう。法律でこの範囲について定めているのは刑事特別法があるだけである。すなわち同法第6条は、「合衆国軍隊の機密」について「合衆国軍隊についての別表に掲げる事項及びこれらの事項に係る文書、図画若しくは物件で、公になっていないものをいう」と定義している。別表に掲げられた事項は、次の11項目である。
1 防衛に関する事項
イ 防衛の方針若しくは計画の内容又はその実施の状況
ロ 部隊の隷属系統、部隊数、部隊の兵員数又は部隊の装備
ハ 部隊の任務、配備又は行動
ニ 部隊の使用する軍事施設の位置、構成、設備、又は強度
ホ 部隊の使用する艦船、航空機、兵器、弾薬その他の軍需品の種類又は数量
2 編制又は装備に関する事項
イ 編制若しくは装備に関する計画の内容又はその実施の状況
ロ 編制又は装備の現況
ハ 艦船、航空機、兵器、弾薬その他の軍需品の構造又は性能
3 運輸又は通信に関する事項
イ 軍事輸送の計画の内容又はその実施の状況
ロ 軍用通信の内容
ハ 軍用暗号
それはおよそ軍に関するあらゆる事項を含んでいるといってよいほど広範なものである。前出『刑事特別法開設』はいう。p21

「明文上は表われていないが、合衆国軍隊において、機密として取り扱わていない事項で、そのことが明らかにされたものは、事柄の性質上当然合衆国軍隊の機密の範疇から除外されるものと解している。合衆国軍隊の機密には、その種類として重要度の高い順に挙ると(イ)トップ・シークレット(Top Secret)
 (ロ) シークレット(Secret)
(ハ)コンフィデンシャル(Confidential)
〔ニ)レストリクテッド(Restricted)
の四種がある由で、この分類のいずれかに該当するもののみが、ここにいう合衆国軍隊の機密に当るわけである」(同書54~5ページ)
 つまり、秘匿されているものは、すべて機密だというのである。ここには、重大な秘密を機密とする
定説にみられるような区分はない。秘密と機密は同範囲である。ところが、1954年6月のMSA秘
密保護法では、MSA協定によリアメリカ政府から供与された装備品等およびこれに関する情報で公になっていない一定のものが「防衛秘密」とされている(第1条)。同法施行令第一条は、秘密区分として「機密」「極秘」「秘」の三段階を定めている。これはMSA協定付属書Bで、日本国政府の執る秘密保持の措置は「アメリカ合衆国において定められている秘密保護の等級と同等のものを確保する」と取り決めていることにもとづくものである。すなわち、「トップ・シークレット」は「機密」に、以下対応する秘密区分が指定されるわけである。前出『刑事特別法解説』の秘密区分にあったレストリクテッドは、1953年アイゼンハワー大統領の行政命令により廃止されたので、いまはない。MSA秘密保護法における防衛秘密と、刑特法にいう機密とは、秘密区分の範囲を同じくしているのである(混同を避けるため本書では秘密区分上の「機密〔トップ・シークレット〕」については「」つきで使用する)。なお、現行の資本主義諸国軍隊の秘密区分を別に掲げておく (参考資料4)。
 いずれにせよ概念そのものが混乱しているわけだが、これは秘密そのものの本質に由来している。なにが秘密であるかを明確、具体的にしめすことは秘密の本性からして不可能であるし、それだけに権力者によってほしいままに拡大乱用され、抑圧の武器とされるのである。p22

憲法違反の機密保持
アメリカでは、「国家の秘密は二つに大別され、軍事または外交上の情報で、その公開が国家の安全を傷つけるものは国家機密(state secret),執行府が権力分立原理にもとづき情報を秘匿する固有の権利を有するという特権理論から秘密とされるものは秘密情報 (confidential information)
または職務上の情報(official infomation)と呼ばれ」ている(芦部信喜「民主国家における知る権利と国家機密」 、『ジェリスト』72・6・15)。秘密区分に関連づければ、 「一般に『機密』と『極秘』はstate secretsに当り、『秘』はconfdential(or official)informationに当ると解されている」(同論文)という。その内容を定めた法規としてはいわゆる防諜法(合衆国刑法典第18編37章「防諜および検閲」)、原子力法等があり、ほかに政府機関または政府職員を拘束する多くの法令がある。p23
 日本の場合、国家機密、軍事機密はありえないのに、政府は一貫して「国家機密という言葉はございませんが、やはり国家の利益に重大な影響を及ぼすというような機密は当然ある」(参院予算委65・3・22、小泉防衛庁長官)という趣旨の見解をしめしている。国会の場においてさえ、 「国家機密はいろいろな面からお答えできない」〔同65・3・5)として答弁を拒否するのである。この場合つねに引用されるのは、「その証言又は書類の提出が国家の重大な利益に悪影響を及ぼす旨の内閣の声明・・・・・・があった場合は、証人は証言又は書類を提出する必要がない」という議院証言法第5条の規定である。刑事訴訟法第144~145条の「国の重大な利益を害する場合」、職務上の秘密に関する証言について監督官庁等としての承諾を拒否できるとの規定も同様に悪用されている。p23
 その一例としては、札幌地裁におけるいわゆる恵庭裁判(自衛隊法違反)がある。66年2月26日、防衛庁長官は、証人として出廷した田中義男元統幕事務局長が職務上の秘密であるとして証言を避けた9項目について、わずか2項目の尋間を承諾しただけで、のこり7項目は「国の重大な利益に反する」として承諾を拒否したのである(参考資料5)。p23
 行政府によってほしいままに機密が設定され、それが刑事罰によって保護されることが現憲法下で全く許されないことはいうまでもない。『刑事特別法解説』(前出)でさえ、刑特法立案に際してとくに留意されたことの第一として「保護の対象たるべき合衆国軍隊の機密の意義、種類及び範囲が法律上明記され、且つ、できるだけ妥当を得るよう規定された」などと弁解せぎるをえず、さらに「戦前の軍機保護法における如く、機密の種類、範囲を命令に委任することは、新憲法の精神に反するといわなけれならないので、法律の別表においてその範囲が明らかにされることとなった」(同書49ページ)と述べている (しかしそれによって十分明確になったわけではもちろんなく、秘密の特性、とりわけアメリカの機密であって日本政府でさえ分らないものが保護対象であることから、包括的・抽象的な規定にすぎない。これらの点について批判的検討を行なったものとしては、佐伯千仭ほか「防衛秘密保護法」〔別冊法律時報〕、入江啓四郎「防衛協定と機密保持」〔法律時報臨時増刊〕などがある)。p24
 ところが国家公務員法、自衛隊法等にいう「職務上知ることのできた秘密」については、秘密の種類、範囲が法律によって全く定められていないのである。ここから、構成要件的に明確性に欠ける刑罰法規は憲法第31条(法定の手続の保障)に欠けるとして違憲の主張がなされているのである。p24
 だが、おどろくべきことに防衛庁秘密漏洩事件(いわゆる川崎一佐事件)の東京地裁判決(71・1・23)は、「自衛隊の秘密について考えるばあい、日米相互防衛援助協定等に伴う秘密保護法における防衛秘密を判断の参考にすることも、決して無駄ではあるまい。すなわち、これにより秘密の実体を合理的に推認することも必要である」などとして、かってにいくつかの「秘」文書が秘密に該当すると認定している。法律が一つあれば、あとはいくらでも裁判官の自由裁量によって刑罰を加えられるというのであろうか。p24
 さらに見逃がしがたいのは、同判決が 「事柄の性質上、それに相当するか否かの判断に当っては、当該秘密の対象そのものを公判廷において公開するに適しないばあいもあることが当然予想されるから、当該国家機関により秘密の種類、性質等のほか、秘密にする実質的理由を明らかにさせることによって秘密の実体を推認することは、是非必要であり、また可能であろう」としていることである。またしても「推認」なのである。いったい憲法第82条に定められた政治犯罪の対審の絶対的公開の原則はどこへいったのか(69年3月18日、東京高裁のいわゆる外務省スパイ事件第2審判決にも同趣旨の文言がある―『判例時報』516号参照)。 「もしこのようなことが許されるとするならば、現行刑事訴訟法の直接審理主義、自由心証主義のたてまえが大きく崩されることになり、憲法31条の適正手続条項にも違反する」として吉川経夫法政大教授は、国家秘密を刑法上保護する規定が現行憲法下では存立しえないことを」指摘している(「刑法における国家秘密の保護」、『法律時報』71年9月号)。p25

軍国主義のバロメータ
 ともあれ法制化されるよりも先に国家機密保護体制は、すでに裁判所をもまきこんで暴力的に強化されつつある。これは司法反動の到達点をしめしているだけでなく、まさに国家機構の中枢に軍国主義が確立していることの証左といえよう。p25
国家機密の量質にわたる増大と高度化は、そのまま軍国主義成長のバロメータとなるのである。軍隊はそれが国家機構のなかでもつ特殊な役割から、つねに強固な秘密保全の防壁をきずく。軍事機密は国家機密のなかでもっとも重要な部分を占めている。軍備拡充と兵器装備の近代化、編成配置・教育訓練の複雑化とりわけ対外侵略作戦能力の強化とそのための作戦研究、戦略計画の進展は秘匿の必要度を高め、秘密の範囲を拡大していく。p25
 アメリカの秘密区分 (classification)は、1953年のアイゼンハワー行政命令によって、公式には3段階(前述)と定められたが、実際にはそれだけにとどまらない。たとえば最高の「トップ・シークレット」の一段上のものとしてTOP SECRET-SENSITIVEというのがある。これは、もし公表されたら外交交渉その他進行中の微妙な工作に影響を及ぼすおそれがあるものに付けられる。ほかにEYES ONLY という標記もあり、これは国内回覧用のメッセージに付され、宛名の人物だけが見る。このように、政府の秘密は拡大してとどまることを知らない。日本の場合も、別掲 「資本主義諸国軍隊の秘密区分」中、台湾の項にある用語なを取り入れて、「機密」のうえに「極機密」「殊特機密」の区分を設定することになるかもしれないだろう。p26
 国家政策のなかで国防機関の発言力が強化され、軍事的観点が占める比重が高まるにともない、軍事機密は外交、治安、経済など国政のあらゆる分野を蔽いつくすにいたる。この過程に照応して国民は政治の意思決定過程から排除されていく。参政権は骨抜きにされ、知る権利と表現の自由が抑圧される。国会は国権の最低機関に転落する。これこそ軍国主義の発生と成長の一般的法則なのである。さいごにくるのは争である。p26
 戦争を始めるかどうかの決定に、もはや国民は全く参加することができない。戦争準備は極秘裡にすすめられ、ある日突如として戦争の人ぶたが切られる。国民はただ肉弾としての運命を甘受するほかなかったのが、かつての軍国主義日本であった。いや、政府や参謀本部の決定さえなしに、関東軍が勝手に戦争をおっばじめ、その「既成事実」をいやおうなく追認させられつつ、破滅的な侵略戦争にエスカレートしていったのであった。アメリカのベトナム戦争もまた、そうであった。p26

第二章国家機密の構造

国家機密と軍事機密
「庁秘」と 「防衛秘密」
 自衛隊の秘密にはMSA秘密保護法にもとづく「防衛秘密」と、秘密保全に関する訓令による「庁秘」がある。その総数は、第1、2表(15~7ページ)にしめしたとおり、70年12月31日現在の点数で、防衛秘密が9万0359点、庁秘が72万4241点、あわせて81万4600点に達している。加えて71年中に新たに防衛秘密271件、庁秘2万4294件が指定されている。70年までの実績からみると、増減を繰り返しているが決して減少していない。p27
 件数と点数との関係をみると、庁秘のうち「機密」は平均して1件あたり14点、「極秘」は1件につき30点、「秘」は1件につき10点ずつ作成されている(70年)。「機密」「極秘」の1件当り点数が多いのは、暗号書が含まれているからで、「秘」がすくないのは起案書が多いからであろう。なお、解除の件数、年末保管件数がしめされていないのは、これについて下部からの報告を徴していないからである。p27
 秘密保護に関する内部規定としては、防衛秘密についてMSA秘密保護法施行令にもとづく「防衛秘密の保護に関する訓令」があり、庁秘については1958年11月、「秘密保全に関する内訓」の全部を改正して定められた 「秘密保全に関する訓令」(以下、庁秘訓令という)がある。自衛隊が在日米軍と濃密な共同作戦関係にある以上、とうぜん防衛秘密(アメリカから供与された装備・艦艇等にかかるもの)以外に、刑事特別法によって保護されている在日米軍の秘密情報・資料が一定限、提供されているはずである。だが、これを庁秘と区別して保護する内規はないといわれている。したがつて、同じく庁秘訓令によって秘密区分を指定されているもののなかに、漏洩すれば刑特法により10年以下の懲役に処せられるものも含まれているわけである。一般庁秘については、防衛庁長官、国防会議議員などが漏らしても刑事罰は科せられない。しかし、防衛秘密および在日合衆国軍隊の秘密については、すべての者がMSA秘密保護法および刑特法によって拘束されている。したがって国会で答弁しても刑事罰の対象となるのである。p28
 庁秘訓令にいう秘密とは、 「防衛庁の所掌する事務に関する知識及びそれらの知識に係る文書、図画又は物件であって、機密、極秘又は秘のいずれかの区分に指定されたものをいう」(第2条)。保安庁内訓で「人秘」「部外秘」とあつた秘密区分は、58年の改正でなくなった。代わって「取扱注意」が設けられたが、これは訓令上の秘密にはあたらない。だが、「取扱注意」のなかに実質的秘密が含まれている場合は、自衛隊法上の「職務上の秘密」に該当するという見解を政府はとっている。庁秘訓令第5条は、保全の必要度に応じた秘密区分の基準を次のように定めている。p28
(1)「機密」とは、秘密の保全が最高度に必要であって、その漏えいが国の安全又は利益に重大な損害を与えるおそれのあるものをいう。
(2) 「極秘」とは、機密につぐ程度の秘密の保全が必要であって、その漏えいが国の安全又は利益に損害を与えるおそれのあるものをいう。
(3)「秘」とは、極秘につぐ程度の秘密の保全が必要であって、関係職員以外の者に知らせてはならないものをいう。
「取扱注意」については訓令第47条で 「官房長等の指定した者は、その取扱う事務に関する文書、図画又は物件で、その保全の必要度が第5条に定める基準には達しないが、当該事務に関与しない者にみだりに知られることが業務の遂行に支障を与えるおそのあるものについて、取扱注意の指定をするものとする」と定められている。p29
 このように訓令の規定は、 「区分」の名に値いしない、曖昧な基準をしめしているにすぎないのである。限界や基準をしめしえないのが秘密の特質であって、MSA防衛秘密の場合も大同小異である。アメリカで現行の秘密区分システムが設定されたのは1953年、アイゼンハワー大統領が定めた「秘密情報の保護」と題する行政命令10501号によってであった。これには、「トップ・シークレット」、「シークレット」、「コンフィデンシャル」の3区分の定義がしめされているが(参考資料6)、これも全く
抽象的であり、庁秘訓令の規定と共通している。p29
1941(昭和16)年、国防保安法が帝国議会で審議されたとき、秘密区分の基準についての質問があった。「明確ナル区別ガアリマスナラバ、御聴キシタイト思ヒマス」との問いにたいして「司法省ニ関スル限リハ如何ナル事項ヲ極秘トシ、如何ナル事項ヲ秘トスルカト云フ基準ハゴザイマセヌ。実ハ大体ノ感ジデ、是ハ大切ナモノダト思フモノヲ極秘トシテ取扱ツテ居ルノデアリマス」との答弁がなされているが(寺沢音一編著『国防保安法』釈義篇10ページ)、 戦後も戦前と変わりはない。なお、防衛庁の庁秘訓令は、改定前の次官会議申合せ(53・4・30)の基準そのままであることが注目される。p29
戦前の国家機密
ここで、戦前の国家機密について検討しておこう。当時の刑法には、「敵国ノ為メニ間諜ヲ為シ、又ハ敵国ノ間諜ヲ幇助シタル者ハ死刑又ハ無期若クハ5年以上ノ懲役二処ス 軍事上ノ機密フ敵国二漏泄シタル者亦同シ」(第85条)という規定があり(戦後、憲法制定時に廃止)、そのほか陸軍刑法(明治41年法律46号)、海軍刑法(同48号)にも、「軍事上ノ機密フ敵国二漏泄」したものは死刑に処すとの規定があった。また出版法(明治26年法律15号)にも、「外交軍事其ノ他ノ官庁ノ機密」「軍事ノ機密」の文言があった。さらに旧軍機保護法(明治32年法律104号)には、「軍事上秘密ノ事項又ハ図書物件」とあり、その探知漏洩が処罰の対象となっていた。しかし、いったいなにが軍事上の機密なのかについて示したものがなかった。
「軍ノ本当ノ機密卜申シマスノハ軍事機密卜申シマシテ、是ハ極メテ少イノデアリマス。軍事機密卜云フモノヲ洩ラシマストドンナ偉イ者デモピシャットヤラレル」 (前掲書6ヘージ)。決して少なくはなかったのだ、がこんな説明ではなんのことだかわからない。これについては、わずかに「陸軍ノ秘密書類二関スル件」(昭和8年2月18日、陸達第2号)が存在するだけであった。その全文を示すと―
第1条 陸軍ノ秘密書類ハ之ヲ陸軍機密書類及陸軍秘密書類トス
第2条 陸軍機密書類トハ作戦、戦時編制及動員二関スル書類中重要ナルモノ竝二特二指定シタル書類ヲ謂フ
第3条 陸軍秘密書類トハ作戦、戦時編制及動員二関スル書類中軽易ナルモノ竝二陸軍ノ内外ヲ問ハズ公表ヲ禁ジタル書類フ調フ
第4条 陸軍機密書類及陸軍秘密書類ノ取扱二関シテハ別二之フ定ム(末弘厳太郎編『現代法令全集 兵事篇』545ページ)
 
軍機保護法は1937(昭和12)年に大改悪され、その第1条に 「本法二於テ軍事上ノ秘密卜称スルハ作戦、用兵、動員、出師其ノ他軍事上ノ秘密ヲ要スル事項又ハ図書物件ヲ謂フ」(第1項)と定義されるにいたり、その種類範囲は陸海軍大臣が命令を以て定めることとされた 。これにより陸軍省令は「宮闕守衛」「国防、作戦又ハ用兵」「編成、装備又ハ動員」「国土防衛」「諜報、防諜又ハ調査」「運輸通信」「演習、教育又ハ訓練」「資材」「軍事施設」「図書物件」に関する事項を50項目にわたり指定したのである。このうち資材、図書物件に付する標記は、「軍事機密」「軍事極秘」「軍事秘密」の3段階に区分されている。海軍省令もほぼ同様であるが、軍事上の秘密に属する図書物件には「軍機」「軍極秘」の標記を付すことになっていた。海軍の場合、ほかに「秘」があったが、これは軍事機密に含まれていない。軍機保護法によって保護された軍事機密は一応、統帥事項であったが、それと関連あるものも「其ノ他軍事上ノ秘密フ要スル事項」であるとされ、無限に拡大されたのである(軍機保護法については日高巳雄『軍機保護法』参照)p31
 それがいかに暴威を振るったかの事例は多挙げることができよう(第4章1参照)。1937年の改正案審議のさい、一議員が政府にたいし、「所謂議員の正当の業務の範囲と云ふのは、何所まで及ぶといふ御見解をもってをられるか」とただした。これにたいする答弁は「不断に於て軍事上秘密としてゐる所を態々探知収集することは、たとえそれが将来の予算審議或は決算審議に利用しようと云ふ善意のものでありましても、やはり軍機保護法では動機の如何を問はないのでありますから、法規違反になるといふより他はなかろうと思います」(伊達秋雄「軍機保護法の運用を顧みて」、『ジュリスト』59号)というものであつた。全国民を対象とする機密保護法が、いかにおそるべきものであるかが理解できよう。そうた性格のものとして今日すでに刑特法、MSA秘密保護法がある。この2法律は機密の探知。収集罪について「合衆国の安全(MSA秘密保護法は「わが国の安全」)を害すべき用途に供する目的をもって、又は不当な方法で」としぼっているものの、「探知収集行為の手段が不当であることの故をもって犯罪としたのは・・・・日本国憲法の制定とそれに伴う現行刑事訴訟法の施行により、被疑者に黙秘権が与えられ、一方では予審制度が廃止される等刑事手続上の改革が行なわれた結果、いわゆる目的罪の立証が極めて困難となったことに対する立法上の措置である」(前出『秘密保護法精義』62ページ)といわれているように、乱用の危険があるとして国会審議でもつよく批判された。不当な方法とは不法な方法より広く、「情を通じ」たときどころか立入禁上を無視した場合などを含むのである。p32
 1941(昭和16)年、太平洋戦争突入直前に制定された国防保安法は、軍事機密以外の国家機密の保護を直接の目的としていた。その第1条は「国家機密トハ国防上外国二対シ秘匿スルコトヲ要スル外交、財政、経済其ノ他二関スル重要ナル国務二係ル事項ニシテ左ノ各号ノ一二該当スルモノ及之ヲ表示スル図書物件ヲ謂フ」として、
1 御前会議、枢密院会議、閣議又ハ之二準ズベキ会議二付セラレタル事項及其ノ会議ノ議事
2 帝国議会ノ秘密会議二付セラレタル事項及其ノ会議ノ議事
3 前二号ノ会議二付スル為準備シタル事項其ノ他行政各部ノ重要ナル機密事項
を挙げていた。これらの探知、収集、漏泄、公表などは死刑を含む苛酷な刑罰の対象となり、1944年には同法により3人に死刑が執行された。とくに第1条第3号中の「其ノ他行政各部ノ重要ナル機密事項」はいくらでも拡張解釈できた。そればかりか同法第8条は「外交、財政、経済其ノ他二関スル情報ヲ探知シ又ハ収集シタル者」にたいして10年以下の刑を科するとし、これにより新聞切抜きを集めた者まで弾圧されたのである (前出『秘密保護法精義』63ページ、なお国防保安法については大竹武七郎『国防保安法』参照)。p32

厖大な秘密文書
現在はどうか。政府はすでに国家機密が存在すると公言している。そして政府内部の秘密保護規程としては、次官会議申合せを基準として各省庁ごとに訓令等を定めている。これによ秘密文書として指定されたものは、1971年中だけで第3表、第4表がしめすように10数万件にのぼっている。もっとも多いのは外務省であり、防衛庁、法務省、公安調査庁などがこれに続いている。「機密」の区分を設けているのは16省庁とされているが、これはごまかしで、総理府本府、外務省も「機密」の区分をもっている。外務省は「機密」文書がないとしているが、後述するようにこれには疑いをもたざるをえない。なお「部外秘」「取扱注意」は65年の次官会議申合せでは削除されているのに、これを設定している省庁が16もある。これがすべて秘密文書のなかに入れられているが、省庁によっては訓令上の秘密とされていないところもある。p33
 また、この表には情報機関として大量の秘密をもつ内閣調査室が含まれていない。内調は1952年に発足、あらゆる諜報機関がそうであるように、秘密保全体制強化の歴史とともに成長してきた。72年度予算は9億5000万円で、秘密裡に内外の情報収集を続けている。収集された情報資料の大部分は秘密文書であり、とくにその分析結果は「機密」に指定され、官房長官を経て首相に提出れさている。そのほか、この表には国防会議なども入っていない。こうした点を留意したうえで分析する必要があろう。p34
 次に各省庁の秘密保全規程を瞥見しておこう。警察庁は「警察庁の秘密文書の取扱に関する訓令」(昭和29年12月25日訓令第18号)により、すでに廃止されたはずの53年次官会議申合せと同様の4段階の秘密区分を設けている。法務省(公安調査庁、検察庁、刑務所などを含む)もまた、1953年7月23日付訓令「秘密文書等取扱規程」により、同じく4段階の秘密区分を定めている。破防法によって設置された公安調査庁は、発足以来の訓令・通達だけでも4200件を超えている。そのすべてが秘密扱いであり、そのうち一部だけなら公表できるのが4件、他は件名さえ明らかにできないという。 「その秘の件名自体から内容がうかがわれて調査に支障を来たす」との理由で国会への提出さえ拒否している(衆院法務委72・3・22、川口公安調査庁長官)。その他の調書、資料入手調書も完全に秘匿されている。このようにして憲法違反のスパイ活動がなされているのであ。法務省と 同じく、経済企画庁の「秘密保全に関する訓令」も53年のものであるp35

 外務省は「機密保全に関する規則」(昭45年外務省訓令第5号)を70年6月12日に定めており、71年7月17日に改定している。だが、この訓令自体「秘・無期限」の秘密区分を指定されているため、国会各委員会での要求にもかかわらず提出されていない。p35
 これら各省庁の例から明らかなように、国家機関の中枢においては、65年の次官会議申合せが無視され、廃止されたはずの53年申合せそのままの基準が適用されているのである。お膝元の総理府本府だけが65年6月16日、あらたに「秘密文書取扱規程」を定めたにすぎない。なお、運輸省、農林省、通産省、郵政省、建設省、文部省、大蔵省、自治省、科学技術庁等は、一般の「文書管理規程」のなかに、秘密文書取扱いに関する章を設けているが、その多くは秘密区分について53年次官会議申合せの基準に従っている。また厚生省、農林省、通産省、警察庁、食糧庁、林野庁、水産庁、特許庁中小企業庁、消防庁などは文書管理規定上の定めがないのに、運用上「部外秘」(または「取扱注意」)を設けてさえいる。p35
最近発足した環境庁でさえ、71年7月1日に定めた「秘密保全に関する訓令」を、53年甲合せにもとづいて作成している。これにはさすがの竹下官房長官も 「追跡調査がきわめて欠けておった。そういう残念な事実も確かにある」と認めざるをえなかった(参院法務委72・4・20)が、こうした事実はたんに秘密主義に執着する官僚の体質をしめしているだけでなく、政府の意図的な政治的方向を暴露しているのである。沖縄密約問題でその秘密主義を追及された政府は、72年4月13日の次官会議において65年申合せを再確認しただけでお茶をにごす一方、「外務省、防衛庁は秘密文書の性格が違うので別個にきちんとしたものにする」(竹下官房長官)と、かえって国家機密保全体制強化の方向さえ打ち出したのである。p36


2安保体制の機密
日米密約のありか
 沖縄軍用地復元補償費400万ドルを実際には日本が負担しながら、協定文ではアメリカが 支払うことにみせかけたヤミ取引―沖縄密約問題について、外務省は国会ではあくまでそれを否定したが、非公式の場では一応認めたうえで次のように弁明したという。
 「外務省は ″外交交渉の内容はいずれなんらかのかたちで明るみにでる。だから、ひどい交渉はそうそうできるものではない〃という。ところが沖縄返還交渉は外交交渉としても特異なケースだったと説明する。つまり戦争で負けて取られた領上の返還を求めるのだから、いかに相手の要求する代償を値切るかが大変で、最初から大きな負い目のあった交渉だったというわけだ」(『朝日新聞』72・4・5)
とすれば、「負い目」のある外交交渉の場合は、密約があると考えていいのである。戦後の歴史を顧みるならば、「負い目」をもつ外交交渉こそ常態であって、そうでないほうがむしろ「特異なケース」であった。その最たるものは、占領支配の解消と引きかえになされた片面講和の締結であろう。同時に、旧安保条約が結ばれ、アメリカにたいして「極東における国際の平和と安全の維持に寄与し、並びに・・・・・日本国の安全に寄与するために」その軍隊を日本国内及びその付近に配備する権利を与えた。ひきつづくMSA協定もまた、アメリカの兵器装備、あるいはいわゆる余剰農産物売却資金を得るのと引きかえになされた「負い目」をもっていた。さらに、「アメリカの核のカサ」への依存もまた、相当の「代償」を要するはずである。以上のような占領の遺制ともいうべき特権の許与と、帝国主義同盟内部における強者への従属とが、日米関係において、国民に秘匿しなければならない数多くの密約を生んでいるひとつの要員であろう。p37

 だが、それだけではない。自衛隊の軍事力が強化され、その防衛分担が拡大するなかで、日米共同作戦体制は軍事行動のあらゆる分野におよび、またアジア太平洋全域にわたるひろがりをもつにいたっている。いわゆる日米ミリタリー・コンプレックス(軍事複合体)の形成である。したがって自衛隊の対外作戦は、あらゆる面でアメリカ軍との関わりをもつ。こうした体制のもとで実施される作戦研究とか協定される戦略計画は、在日米軍の機密として刑特法により、自衛隊法に比して10倍も強く(罰則の点で)保護されると彼らが考えたとしてもふしぎではない。いったん、刑特法上の秘密にしてしまえば国会はもちろんのこと、政府をも拘束できるのであるから、これにより日本の機密保護法体系の不備を補うことができる。刑特法第6条第2項は、「合衆国軍隊の機密で、通常不当な方法によらなければ探知し又は収集することができないようなものを他人に漏らした者」は10年以下の懲役に処すると定めている。これについて『刑事特別法解説』(前出)は、「合衆国軍隊の要員が自発的にその機密たる事項を話し、若しくは見せてくれ、又はその機密たる事項を表示した文書を貸与してくれた場合であっても、かかる機密事項や文書が通常の場合には不当な方法を用いない限り知り又は集め得ないようなものであるときは、これを他人に漏らせば本項の罪に該当する」といい、「他人に漏らす」とは「相手が特定又は一人を含む少数の人」であってもいいと述べている。となると、日米両軍間に設けられている多くの共同作戦機構において作成される協定、覚書、資料などは、うっかり防衛庁内局などへ報告することもできないであろう。
 「対内局秘」が生まれるゆえんである。65年度の日米共同作戦計画「フライング ドラゴン」などが、そうした取扱いを受けていることについては第2篇で述べる。p38

憲法に優先する安保条約
以上のような両面の性格をもつ安保体制の秘密について検討をすすめよう。52年に発効した旧安保条約・行政協定は、周知のように60年6月、新安保条約・地位協定に変わった。これにより安保体制の政治的内容は大きく変化したが、条約面では、大部分旧来のものを引き継いだ。とくに地位協定は、ほとんど行政協定そのままである。新安保体制はこれらの条約、協定を軸として築かれているわけだが、その構造はどうなっているのか、機密保全問題に焦点をあてて説明しよう。p38
 安保条約第6条によれば、「施設及び区域の使用並びに日本国における合衆国軍隊の地位」は、地位協定および「合意される他の取極」により規律されるとなっている。地位協定は安保条約とともに、条約のカテゴリーに属するものとして一応国会に提出され公表された。問題は、「合意される他の取極」の性格とその取扱いである。地位協定は、多くの事項を両政府間の取決めに委ねている。たとえば、個々の基地に関する協定は、日米合同委員会をつうじて両政府が締結すること(第2条)、 航空交通管理および通信体系の協調整合に必要な手続は、両政府の当局間の取極によって定めること(第6条)、そのほか気象業務(第8条)、警察権(第17条)等々である。これらの合意事項については60年3月25日、国会に提出された政府資料により29項目にわたって、その概要が明らかにされた。ついで62年4月28日、参院予算委に提出された資料で、新協定にもとづく改正点の概要が11項目についてしめされた。だが、公表されたものは「合意された取極」の概要にすぎず、しかも重要な部分はすべて除外されている。p39
 外務省の吉野アメリカ局長はいう。
「合同委員会の議事録ないし合意は一切不公表にする。・・・・・・・なぜ不公表にするかと申しますと、これはやはり日米間の安全に関するものでございまして、このような内容のものをそのまま出すことは諸種の見地から適当でない、こういう判断にもとづくものでございます。なお、米側はもちろんこれを不公表にすることを要請しております」
(衆院外務・内閣・地方行政・法務委連合審査会72・4・13)。
 合意書の秘密区分は「極秘」で、地位協定に関する合意書だけでも百数十件にのるといわれる。
憲法は内閣の職務として「条約を締結すること」をあげ、「但し、事前に、時宜によ ては事後に、国会の承認を経ることを必要とする」と定めている(第73条)。ここにいう条約の形式にはいろいろある。たとえば、旧行政協定は国会の承認なしに締結されたが、地位協定は国会に提出された。国際合意は条約(treaty)、協約(convention)、協定(agreement,accord)、規約(pact,covenant)、憲章(charter)、規定(statute)、取極(arrangement)といった名称でよばれようと、交換公文(exchange of letters)の形をとろうと、国際合意であるかぎり条約の範疇に入る(田畑茂二郎『国際法』92ページ、なお「条約法に関するウィーン条約」参照)。p39
 しかも、これらの合意は法律に優先するのである。日米共同防衛義務を定めた新安保条約第5条について林修三法制局長官は次のように述べている 。 「条約が成立したあかつきにおきましては、 第5条の規定は、日本国全体についての効力があるわけでございまして、日本政府のみがこれに拘束されるわけではどざいません。日本の国会も、政府も、裁判所も、すべてこの条約が拘束する範囲においては拘束されるわけでございます」。「法律と条約との関係では、公法たる条約が勝つ」(衆院安保特別委60・4・11)。条約という名称がついていようといまいと、それは変わらない。
 1953年、行政協定を改定する議定書が発効したとき、「改正行政協定第17条および公式議事録に関する政府の解釈等」と題する文書が、法務省刑事局により作成された。それは、最高裁事務総局が54年2月に発行した「部外秘」の『刑事裁判資料』(第87号)に収録されている。その冒頭には、刑特法と改正17条との関係についての政府見解が示されている。すなわち―
「刑事特別法の規定中には、改正行政協定第17条に抵触するものがあるので、政府においては、近く開かれる臨時国会に提出するため現在その改正法案を立案中であるが、その改正をまたないでも同法の規定中改正行政協定第17条に抵触するものは効力がない。即ち安全保障条約は国会の承認を経ており、行政協定は同条約の一般的委任の規定(第3条)に基くものであるから、行政協定は国会の承認を必要とせず、その改正についても更に国会の承認は必要とせず、改正行政協定第17条は実質的に条約と同様の効力を有するからである」(37ページ)。p40
 条約に一般的委任の規定があれば、どんな政府間協定を締結しても国会の承認を要せず、しかも法律以上の効力をもつというのである。こんなベラボーな話はない。たとえば、国会が「核兵器持込禁止法」を可決成立させたところで、政府が新安保条約第6条の一般的委任によリアメリカとの間で秘密裡に「核兵器持込協定」を締結すれば、後者が優先するというカラクリである。非核三原則は一内閣の政策にすぎないのだから、米日反動が共謀すればなんでもやれるわけである。しかも核持込みの事実は、当然に刑特法による合衆国軍隊の機密として保護されるわけであるから、国民も国会も全く知ることができない。それどころか、自衛隊が米軍の核兵器を共同使用することになり、そのための作戦協定が締結
されたとしても、やはり在日米軍の機密にかかわる事項として刑特法が適用されるのである。このように、日本の憲法原理と民主主義制度を根底から空洞化しているの安体制なのである。p41
 以上述べてきたように、「合意される取極」の効力は絶大なものがある。そうした取決めが数多くなされ、「極秘」文書とされているのである。安保条約関係で、このような取決めがどれだけ存在するかについて、国民の「知る権利」はいまだ有効に生かされていない。すべてが外交機密の名のもとに外務省の奥深く蔽いかくされているとしても、それらの取決めがどれだけ存在しうるのか、その範囲と事項を分析することは不可能ではあるまい。こうした作業がすすめられるよう期待しておきたい。p41

手厚く保護される米軍機密
 条約締結についての国会の権限が低下しているのは、日本だけではない。アメリカ憲法
は、条約の批准には上院の3分の2の賛成が必要であると定めている。だが近年、「従来上院の承認を要する条約事項であったものが、ますます多く行政協定事項となり、しかも極秘扱いによって隠されている」という(S・レンズ『軍産複合体制』小原敬士訳92ページ)。ペンタゴンは、秘密軍事協定の詳細を国民の眼から隠しつづける。 「これらの協定は、状況しだいによっては、国家を実際の戦争に追いやりかねないものである。このような了解がどの位たくさんあるのか、それは正確なところいった 造い何を包含しているのかということは、世間から隔絶した内部の少数者以外は誰も知っていない」(同書90ページ)『U・S・ニューズ・アンド・ワールド・レポート』(69・7・21)は、少なくとも24の軍事協定が秘密裡に締結されていると伝えている。レンズはこうした傾向を、「軍国主義の症状」と正しく指摘している。p41
 地位協第23条後段は、「日本国政府は、その領域において合衆国の設備、備品、財産、記録及び公務上の資料の十分な安全及び保護を確保するため、並びに適用されるべき日本国の法令に基づいて犯人を罰するため、必要な立法を求め、及び必要なその他の措置を執ることに同意する」としている。これは行政協定第23条をそのまま引継いだものであり、刑特法の根拠となっている。ここにいう「必要なその他の措置」として、なにがなされているかは明らかにされていない。p42
 このほかに地位協定第11条は、「公用の封印がある公文書及び合衆国軍事郵便路線上にある公用郵便物」について税関検査を行なわないことを定め、さらに同協定合意議事録は、地位協定第17条の10(a)および10(b)に関し、「日本国の当局は、通常、合衆国軍隊が使用し、かつその権限に基づいて警備している施設若しくは区域内にあるすべての者若しくは財産について、捜索、差押え又は検証を行なう権利を行使しない」としている。p42
 ここで一般に、合意議事録がいかなる意義をもつとされているかについて述べておこう。法務省刑事局見解はいう。「公式議事録は、協定の一部ではないが、協定締結に当って協定の内容に関し、両締結国に成立した合意として協定の内容を補充し単なる解釈資料以上の拘束力を有する」(前出最高裁資料28ページ)。議事録といえども拘束力をもつのである。
 このように米軍の機密は手厚く保護されている。刑特法の適用については、 「日米行政協定の規定を履行するため討議した問題」と題する予備作業班 (のちに日米合同委となる)裁判権分科委員会刑事部会の文書があり、52年7月30日の日米合同委で承認され発効した。それは次のようになっている。
38 質問 合衆国軍隊の機密を侵す罰の裁判、捜査において、日本の当局が、当該事項が合衆国軍隊の機密に属するや否やを如何にして知るか。
合意された見解 日本の当局は個々の事件について合衆国軍隊に、当該事項が機密に属するかどうかを昭会する。合衆国側は、これに対し、当該事項が機密に属するや否やを回答するものとする。
40 提案 日本にある合衆国の機密のスパイを防止し、国外に持出すことを防ぐのに役立たしめるため、日本政府は税関及び警察の職員に合衆国の機密の符号を知らしておくべきである。
合意された見解 本提案は合意された(最高裁事務総局『民事及び刑事特別法関係資料』232ページ)。p43
 
 行政協定第17条改正にともない、53年10月22日あらたにそれについての合意が刑事部会でなされたが、その第19項 (機密事項の照会)、第32項(機密符号の告知)も同様の定めをしている。また、
同年11月27日の合意では、「急使等に関する特例」(第47項)として、「権限を与えられたすべての急使その他機密文書若しくは機密資料を運搬又は送達する任務に従事するすべての軍務要員は、その任務の性質により、その氏名と所属部隊を確めるという必要以上に他の目的のためにその身柄を拘束されず、且つ、その所持する文書又は資料はその所持を奪われ、開披され又は検査さない旨相互に合意される」となっている(法務省刑事局『外国軍隊に対する刑事裁判権の解説及び資料』305、311,323ページ)。p43
 以上のように、アメリカ軍の機密は協定、合意事項、法令その他の措置によって、それ自体厳重に保護されている。そればかりか、これに関連する日米間の軍事・外交機密までが、その保護対象とされているのである。なお、防衛庁の庁秘訓令は、第10条第6項で「外国政府から得た秘密については、その外国政府の秘密区分に相当する秘密区分に指定するものとする」と定め、また、第29条第2項で「外国政府に秘密の知識又は文書、図画若しくは物件を伝達又は送達するときは、事務次官の定めるところによる」としている。事務次官の定めは秘密文書とされている。これにより日米間(日韓、日台間その他も含まれるであろう)の秘密情報資料の交換がなされているわけである。庁秘訓令に刑特法上の機密について特段の規定がないのは、それを知得するメンバーが極めて限定されているからであるともいわれている。p43

 安保条約とならんでMSA協定もまた、安保体制下の軍事機密を大量に生産している。同協定第3条は「各政府は、この協定によって他方の政府が供与する秘密の物件、役務又は情報についてその秘密の漏せつ又はその危険を防止するため、両政府の間で合意する秘密保持の措置を執るものとする」と定めている。これに関して同協定付属書BおよびMSA秘密保護法、ならびに防衛庁の「防衛秘密の保護に関する訓令」が、一連の秘密保護体制を構築していることについては、すでに述べた。また、MSA防衛秘密のうち文書については、70年末現在で「極秘」が27件217点、「秘」が3118件9万0142点あることが、前掲第2表の防衛庁資料で明らかにされている。物件は7~8万点といわれているが、公表されていない。というのは、MSA秘密保護法が、「品目及び数量」を防衛秘密としていることとの関連からであろう。p44
 だが、たとえば「ホークには数十の防衛秘密がある『何と何が防衛秘密であるかも、また秘密』だそうだ」(毎日新聞社編『安保と自衛隊』131ページ)といわれている。MSA秘密保護法適用第1号となった青木日出雄元三等空佐は、『航空情報』誌66年10月号の解説記事中に、F104Jジェット戦闘機の火器管制装置ナサール15Jの能力が出力220キロワット、探知距離40カイリである事実を記載したため取調べを受けたのであった。p44
 対空ミサイル「ホーク」がそうであるように、アメリカから供与される技術情報にもとづいて国産さ
れる近代兵器には、大量の秘密部分が含まれている。その一例として、四次防で第一線に登場しつつある航空自衛隊主力戦闘爆撃機F4EJファントムについてみておこう。航空自衛隊資料によると、その防衛秘密部分は航空機全体、レーダー装置、射撃管制装置に分けて詳細に指定されている。とくに対電子(ECM)、対電子対策(ECCM)関係は「極秘」である(参考資料7)。p44

3 外交機密の生態
底知れぬ外交機密
外務省の秘密文書は、71年度に新たに指定された分だけでも10万件を超え、累積されてきたものの総計は150万件に達する。各省庁のなかでも群を抜き、防衛庁の2倍近くもあるのである。中枢部分は、主として安保体制の秘密にかかわるものであろう。71年度分の内訳は、
機密?                電信 66、881
   極秘  40、673           公信 27、362        
   秘    59、915           調書 6、345
計    100、588件

と発表されている。だが、詳細はいっさい秘密の扉の中に隠されている。沖縄密約問題を契機に衆参両院で何回となく、この問題が取り上げられたが、まったくラチがあかなかった。参院法務委員会は秘密理事会まで開いたが、この席においても外務省は、 「機密保全に関する規則」についてすら説明しなかった。 「この間の秘密会でも外務省は、この文書取扱い規則といえども、ムニャムニャムニャムニャということでございます」(参院法務委72・6・6、野々山一三議員の発言) といった調子で逃げてしまった。わずかに行なわれた答弁でさえ、以下にみるように矛盾に満ちたもので、とうていまともに受けとるわけにはいかないのである。p45
 まず秘密区分についてみると、内閣官房資料(前掲第3表33ページ)では、「機密」の区分がないとされている。しかし実際にはある。佐藤外務省官房長はいう。「私のところは『極秘』と『秘』だけしかつくっておりません。『機密』という区分もございますが、『機密』という区分にしている文書はいまのところ1つもございません」(参院法務委72・4・20)。すなわち規則上は「機密」の区分があるのである。果たしてそれに指定された文書が、いわれるように存在しないのかどうか。p46
 1941年2月4日、国防保安法が帝国議会で審議されたとき、衆院国防保安法案委員会で政府委員大竹武七郎司法書記官は、こう答弁している。「国家機密ノ中ニハ、其ノ存在スルコト自体ハ公表サレナイケレドモ事実上、世間二分ルトイフヤウナモノモアリマス。併シ又一面二、存在自体ヲ秘匿シナケレバナラナイ、例ヘバ秘密内容ハ勿論、其ノ秘密ノ存在自体サヘモ秘匿シナケレバナラナイト云フニ種ガアリマス」。p46
 最高機密は、その存在自体さえ秘匿されるのである。これは現在もそうである。70年3月18日の衆院予算委第2分科会で、島田防衛庁官房長は 「『機密』の文書につきまして、どういう件名の機密文書があるかということは、これはやはり防衛の基本に関する問題に関連いたしますので、そういう意味におきまして、 やはりこれを外へ出すということは適当でないというふうに判断をするわけでございます」と述べ、「機密」区分の文書について題名を明らかにせよとの要求を拒否している。防衛庁は件名はじめさないが、件数、点数は発表している。外務省は件数までも秘密にしているのではないか、という疑惑が生じるのも当然である。いずれにせよ、内閣官房の資料がおざなりであることは確かといえよう。p46
 外務省の秘密文書は、電信、公信、調書に区分されている。その内容は明らかにされていないが、電信は在外公館から本省にあてた報告、暴露された沖縄密約電信のような情報伝達などが含まれていよう.。だが、こうしたものは、それほど重要な秘密ではない。在外公館からの電信は、すべて「秘」以上に指定すると政府は国会で答弁している(参院法務委72・6・6、竹下官房長官)。「在外公館は、現地新聞の記事を焼直して報告書に仕立てるのだが、これも秘扱いだし、レセプションに出席する場合の服装の注意まで秘印を押していることもあった」(『朝日新聞』72・4・9)。
こういう秘密体質にとどまるなら笑話ですむかもしれない。それはともかく、沖縄密約電信でさえ、国民には隠さねばならなかったが、アメリカにたいして秘匿しなければならぬものではなかった。その「対象事項は、沖縄返還にかんする対米交渉のかけひきの上で秘匿を要する性質のものではまったくなかったこと。たとえば、交渉者への本国政府からの訓電等とはその性質をことにしており、交渉の相手方に知られてもなんら支障のないものであった」(稲本洋之助「沖縄と報道の危機」、『別冊経済評論 裁かれる日本』335ページ)のである。p47
 より高度の秘密性をもつ訓令が、分類中の「公信」に入るのであろう。「調書」とは分析報告などであろう。たとえば、いわゆる外務省スパイ事件1審判決(東京地裁68・10・18)において、外務省職員が朝鮮人商工連合会商工新聞社記者に交付したとされている「第10回共産圏情報担当官会議資料(秘)」、「東欧情報―近東問題に対するソ連の動向(秘)」、「第8回東欧大使会議議事録(極秘)」 (『判例時報』543号)の類であろう。安保体制の深部に秘められた秘密取決め、合意議事録、了解覚書などが果たして「調書」類のなかに含まれているのか、すべてが「極秘」以下で「機密」はないのか、などは究明していべき問題点といえよう。 p47
暗号電報の仕組み
外務当局は、「機密保全に関する規則」を公表できないのは、「暗号の取扱いをどうするかという部分があるのです。それにまた類した案件がありまして、これは各省と非常に違う点であり・・・・そういうようなことでこれを公開をするということがむずかしいのです」(参院法務委72・6・6、福田外相答弁)と説明している。ところが同じ規則について竹下官房長官はいう。「私は実はざっくばらんに申しまして、いわゆる暗号電報の内容が入っておるから秘密であると、こういうふに理解をしておったのであります。ところが、昨日来調査いたしてみますと、いわゆる暗号電報の問題はまた別の扱いになっておりまして・・・」(参院決算委72・4・12)。同じ規則が、読む人によってこうも違のである。規則の条文が勝手に出たり入ったりしているのであろうか。まさに霞ケ関の怪談である。p48
 竹下長官のほうが、まだしもまじめに答弁していると判断すべきであろう。福田赳夫という人物は、官僚のミイラのように醜悪である。前掲東京地裁判決文は、「外務省においては、秘密指定の手続につき、その秘密文書取扱規程および官房長文回章等により『極秘』、『秘』等の指定基準、その指定および解除の決定者、様式、方法など詳細に定めており、特に秘密電信文については、暗号保護の見地等から一層高度の秘密性を保持するため、特別の配慮がなされているほか、ほぼ右規程に準ずる手続が定められていて・・・・」(『判例時報』543号90ページ)と述べている。やはり竹下答弁にいわれているようなシステムなのである。p48
 ここで、暗号について簡単に述べておこう。70年9月、中曽根防衛庁長官が訪米したさい、ワシントンで行なった外人記者との会見内容が「極秘」電信で外務省に送られてきたという記事(『朝日新聞』72・5・4)があった。事実とすれば噴飯ものだが、日本外務省も、それほど愚かではないだろう。秘密電信は暗号化して打電する。この場合、秘密区分にしたがって暗号の強度を区別するのが常識であろう。現在、暗号解読の技術は高度に発達しており、公知の文献を暗号化すれば、たちまち解読のカギを提供することなる。解読のカギがなくても、大部分の暗号電信はいつか解読できるのであるが、問題は時間にかか
ってくる。即座に解読されたのではお手上げだから、カギをしめすようなヘマなことはしない。p48

 日本で暗号解読作業を実施しているのは自衛隊であって、主として陸幕二部別室が担当している。指揮下の部隊が配置されているのは北海道東恵庭通信所、埼玉県大井通信所、鳥取県美保通信所、福岡県太刀洗通信所などで、いずれも完全な覆面部隊とされていて、公表される基地・部隊名のリストには掲載されていない。後述する「陸上自衛隊第二次防衛力整備計画(極秘)」中に、その拡充新設計画が含まれている(第三篇300ページ参照)。これにより、すでに二次防で大井、東恵庭、稚内、小舟渡、美保の各拡充計画、南九州の新設計画がたてられていたことが判明する。p49
 陸幕二部別室は陸上自衛隊の機関であるが、海空隊員も派遣されておvり、事実上陸海空の統合機関となっている。71年3月現在、航空自衛隊からの派遣要員は、将校32人、下士官94人、兵96人、事務官19人(藤井『自衛隊の作戦計画』215ページの表参照)であり、陸海も合わせて2000人程度の機関であると推定される。これらによって外国の無線通信を傍受し、暗号を解読する活動が日夜つづけられているのである。これを「コミント」(通信情報)作戦という。ソースは外国の通信電波および空中航法、レーダー、ミサイル管制のための電波である。p49
 アメリカは暗号の作成と解読を任務とするNSA(国家安全保障局)を設置し、職員2万人がこれに従事している。その太平洋事務所がおかれているのは、神奈川県の米軍基地「キャンプ淵野辺」である。沖縄のトリイ・ステーションも、その一機関である。NSAの海外における活動は、主として米陸海空軍が受け持つ。日本にはASA(陸軍保全部)が福岡県博多、東千歳とトリイ・ステーションに、NSG(海軍保安グループ)が博多、上瀬谷(神奈川)、波平(沖縄)に、AFSS(空軍保安部隊)が稚内(北海道)、三沢(青森)、博多にそれぞれの基地を設けている。その多くはエリント機能をもつ。つまり電波の内容だけでなく、電子器材の位置、量、方向および種類などをしめす電波特性をも捕捉し分析することができるのである。こうしてアメリカは、日本の地理的条件をあますところなく活用してきた。p50
 これらの基地の多くは、自衛隊にも一部共同使用を認めてきたが、最近は全面的肩代わりを進める傾向にある。日本海、オホーツク海上空を長時間飛行するナゾの定期便―エリント機による情報収集体制が強化されたためという。すでに東千歳、稚内などは、自衛隊に移管されている。p50
 自衛隊以外に、日本には米NSAにひとしい国家情報機関がないのであろうか。外務省が厖大な暗号を使用しているとすれば、暗号および暗号機を開発し、その保全体制を強化するとともに、あわせて外国の通信傍受と暗号解読を任務とする機関が、事実上設置されているのではないかとも考えられる。なぜなら、暗号作成技術は暗号解読技術の高度化に伴って発展するからである。一部には、そうした機関が民間情報機関を偽装して設置されているとの説もある。とすれば、施設は米軍、自衛隊内のものを使用しているのかもしれないが、自衛隊のコミント部隊さえ国民に知られていない現状からすれば、ありえないことではない。外務省や内閣調査室の機密費の行方は、だれも知らないのである。p50
 暗号としてもっとも強度なものは、無限乱数表を使用したものである。この方式によれば、同一乱数を絶対使用しないから解読不可能であり、完全暗号とよばれる。不規則な暗号化数字が無限につづいているので、米軍ではこの乱数表を「トイレット・ペーパー」と呼んでいるという(長田順行『暗号―原理とその世界』による)。これなら乱数表が漏洩しないかぎり、解読される危険はない。高度の外交機密は、この方式で暗号化され、送受信されているのであろう。p50
 一般秘密通信の場合は、暗号機が使用される。普通の文章(平文)をタイプすれば、ただちに暗号化されて発信され、受信先では自動的に平文化されて出てくる。だが、こうしたテレタイプによる高速自動暗号方式は、大量の秘密通信には適しているが、システムさえ解明すれば容易に受信解読できる。もちろんシステムは、つぎつぎに変更していくが、解読可能だからこそアメリカ軍や自衛隊が、巨額の費用と兵力を投入して、コミント作戦に躍起になっているのである。p51
 要するに、暗号には一定時間後には解読可能のものと、まったく不可能のものとの両者しかないわけである。完全暗号を使用したばあいは、サンプルが入手できても解読のカギにならないし、その他のものはおそかれはやかれ解読できるものである。したがって暗号から平文化された文書であるから、それが漏洩すると解読のカギを与えるという理由によって、実質的秘密性を判断するのは (いわゆる外務省スパイ事件1、2審判)、誤りであろう。あらゆる秘密は時間的秘密であるにすぎないとの説は、この点からも肯定しうるのである。

戦争を誘う秘密外交
外交交渉が妥結した場合は条約・協定その他の取決め、関連文書がまとめられる。これらが拘束力をもつ国際合意であることについては、すでに述べたが、交渉過程で交換される文書も、けっして軽視できない。いわゆる「トーキング・ペーパー」である。これには、交渉を進めるに当たって話合いの基礎にするものと、話合いの経過を議事録ふうにまとめたものとの、2種があるとされている。後者はふつう討議メモといわれ、このうち双方が合意したものは合意議事録と呼ばれて、先に述べたように「協定の内容を補充し単なる解釈資料以上の拘束力を有する」のである。p51
 たんに交渉過程で交換されただけの討議資料や討議メモも合意議事録ではないにしろ、条約解釈について行政府の見解をしめす重要な効果をもつ。したがって、安保条約や沖縄返還協定の全体系からみれば、公表されたものは、まさに氷山の一角にすぎない。その下部には、多くの「合意された取極」や交換文書が隠されているのである。p51
 沖縄交渉が最終ラウンドを迎えた69年8月から、東京で事務レベル折衝が開始された。このなかでアメリカ側は、アジアにおける「緊張の予想例」として100~200項目のリストを提示し、それぞれのケースについて日本政府の協力程度を明らかにするよう迫ったと伝えられている。これにたいする応答などが、69年日米共同声明を経て沖縄返還協定につながる日米軍事同盟の新段階を規定しているのである。p52
 71年10月29日の衆院予算委員会で楢崎議員が暴露した「佐藤総理訪米資料(極秘)」は、トーキングペーパの一例である。それは、佐藤首相の第1回訪米時の資料として63年12月に作成され、首相と大統領の会談のためのものと、首相と国務長官の会談のためのものの、2つの部分から構成されていた。その文言の多くは64年1月の佐藤・ジョンソン共同声明と一致しており、まさに共同声明の解釈資料としての意義をもっているのである。このときの共同声明が過去何回かの日米共同声明と異なる最大の点は、日本政府がはじめて公式に琉球および小笠原諸島における「米国の軍事施設が極東の安全のため重要」であることを認めたことにあった。この文言は、沖縄・小笠原に触れた共同声明第11項の冒頭に記されているのである。こうして佐藤内閣による沖縄交渉は、その出発点において米軍基地機能の維持補強を第一義とする枠組を設け、そのもとに進行することになった。トーキングペーパーは、こうした日本政府の姿勢を詳細かつ具体的にしめしている。すなわち、
「(アメリカは)基地の管理、運営を円滑に行ない、ひいて極東の安全を確保していくためには、その住民の協力をうることが不可欠の要件であると思う。以上のような見地から日米相協力して、常に沖縄住民の要望に充分の関心を払い、これを尊重し、その安寧と福祉の向上を図るとともに、基地運営に支障のないかぎり沖縄住民の希求してやまない自由と自治の要請に応じてゆくことが賢明であると考える」。p52
 このような姿勢のもとに、その後具体的に展開されてくる日米支配層の共謀路線が、多くの項目にわたって提起されている。この例にも明らかなように、条約・協定のもつ意味を正確に把握するためには、こうした全体構造を知る必要があるわけである。沖縄交渉に当たった愛知外相は、当時の公電だけでも百数十通あると述べている。これらの「極秘」文書こそ、抽象的な協定に真の内容を与えているのである。p53
 外務省が年間作成する文書は、70年を例にとると電信を含め約35万件、そのうちほぼ20%が「極秘」で、20%が「秘」であるという。これらの秘密が国家公務員法、外務公務員法あるいは刑特法によって守らているのである。71年2月25日の衆院内閣委員会で山中貞則総理府総務長官は、次のようなエピソードを語っている。沖縄で住民の陳情を米側に取りついだところ、話がついて村長から感謝電報がきた。そのあと外務省から回ってきた文書には「どうやら許可になる模様である」とあり、「極秘」となっていた。村長さんの電報と同じものが「外務省を通ったら極秘になるのかいなと思って首をひねったこともあります」というのである。外務官僚は官僚のなかでももっとも特権的・貴族的体質をもっている。それが秘密主義の土壌となっていることも確かだが、外交機密の核心は国の進路、国民の運命を決定するものであることを見失ってはならない。あらゆる帝国主義戦争は秘密外交から生まれたのである。p53

4 自衛隊の機密事項
複雑な内部規範
年間3万件前後が作成され、総点数70万を超える自衛隊の秘密(MSA協定による防衛秘密をのぞく)の実体は、どうなっているのか。この「庁秘」が 、「機密」「極秘」「秘」の3段階に区分され、その基準が庁秘訓令の第5条に示されていることについては既に述べた。だが、訓令に記された基準は、全く抽象的で、基準の名に値しないものにすぎない。国家機密はその範囲や区分基準を具体的に明確に示すことができない。ここから、無限に拡張解釈され、乱用されることになるわけである。とはいえ、官僚がすべて「大体の感じ」だけで機密区分を指定しているのではない。最も厳重に秘匿すべきものが放置されたりしないためにも、また、公務員に対して「秘密を守る義務」を強制するためにも、それなりに厳しい規範を示す必要があるわけである。p54
 防衛庁の場合は、外務省とちがって庁秘訓令を公表している。だがそれは、いわば公表できる部分を集めたものにすぎないのであって、秘匿したい事項は、なにひとつ記載されていない。その第50条は、「この訓令の実施に関し必要な事項は、官房長等が定める」とし、さらに「この訓令により難いときは・・・・長官の許可を得て、特別の定めをすることできる」と規定している。こうしたところにも、公表用にすぎない性格があらわれている。p54
 こうして秘密保全の例規は、陸海空各幕僚長、統幕会議が発する「達」にゆずられている。また、秘匿を要するものは、「秘」扱いの「達」ないし「通達」で定めることにしているのである。「(秘密区分指定の基準について)聞いてみたら、陸幕のほうは別の達でやって、達そのものを秘区分にしているのです。・・・・訓令があって達があって、達のまたその達のようなものがある。こういうようなかっこうになっている」(衆院予算委72・3月8日中谷鉄也議員)のが実情である。事務次官通達のひとつに68年12月5日付の「防防調第3192号―秘密保全に関する訓令及び防衛秘密の保護に関する訓令の一部改正について」がある。これには「官房長等は、そのつかさどる事務のうち、訓令第5条の基準に該当する事項について、秘密区分ごとに分類し、秘密区分の指定の基準を定めておくこと」との指示がなされている。なお、この通達や庁秘訓令に「官房長等」とあるのは、官房長、局長、陸海空幕僚長、統幕事務局長、防衛施設庁長官などをいう。p56
 陸上自衛隊の場合、秘密保全に関する規定としては「秘密保全に関する達」(昭和43年12月19日、陸自達第41-2号)、「陸上幕僚監部情報等業務規則」(陸上幕僚監部達第40-1号)、「暗号等の秘密保全に関する達」(陸自達第44-3号)があり、ほかに、「防衛秘密の保護に関する達」もある。航空自衛隊では、とくに「レーダー内立入制限区域の立入手続に関する達」(昭和35年空自達第52号)が定められている。以上のように、なんとも複雑な構造であるが、このカラクリを分析しなければ、自衛隊の機密構造を全面的に捉えることはできないのである。

正体不明の「機密」
 ここで、防衛庁の文書体系について述べておかなければならないだろう。防衛庁がその所掌事務について発する文書には、告示、訓令、達、行動命令、一般命令、個別命令、日日命令、指示、通達、承認、許可、上申、申請、報告、進達、通知、協議、照会、依頼、回答、諮問、答申などがある。それぞれの形式、内容、相互関係の基本は「防衛庁における文書の形式に関する訓令」に定められている。これについての一覧表を別に掲げておく (参考資料8)。p56
 庁秘訓令にもとづく陸海空幕の達についての検討をすすめよう。これらのうち、秘密区分の基準をしめしているのは、航空幕僚長が1968年11月28日付で定めた「秘密保全に関する達」(空自達第33号)である。その第9条は航空自衛隊における「機密」の基準として、次のように規定している。p56
 第9条
訓令第5条第1号の秘密区分の機密に指定すべき知識又は文書等は次の各号に掲げる基準によるものとする。
(1)航空自衛隊の基本的な方針及び計画のうち、訓令第5条第1号に該当するもの
(2)航空自衛隊の出動(災害派遣を除く。以下同じ)及び出動準備並びにこれらに関連する基本的な計画及び情報で、最高度の秘匿を要するもの
(3)前号に関連する主要部隊の配備計画及び命令
(4)航空自衛隊の出動実力の全容を詳細には握するに足る情報
(5)将来使用されるものを含み、訓令第5条第1号に該当する装備品等及びこれに関する資料又は情報
(6)個々の場合、極秘以下の秘密区分に指定すべきであっても総合編集の結果、前各号の1以上に該当するもの
(7)その他訓令第5条第1号に照らし、機密に指定すること適当とめらるもの。
この規定自体も、なお抽象的ではあるが、訓令にいう「秘密の保全が最高度に必要であって、その漏えいが国の安全又は利益に重大な損害を与えるおそれのあるもの」が、なにをさすかの輪廓はしめされている。それは主として防衛出動・治安出動に関する計画と情報、最新秘密兵器に関する資料・情報なのである。その具体的な件名は、国会でも明らかにされていない。恵庭裁判において田中元統幕事務局長も、「『機密』というのは、例えばどんなものがありますか」との問いにたいし、「これはちょっと、許可を得ないと申し上げかねます」と証言を拒否している。(第18回公判65・5・27)。
 防衛当局が国会で明らかにした最大限のものは、こうである。「『機密』文書 につきまして一例を申し上げますと、毎年毎年つくりますところの防衛計画の基本に関するもの、あるいは暗号の基本に関するもの、こういうものが『機密』文書になって、おるわけでございましてその一つ一つにつきましてここで申し上げるということは、必ずしも適当でないというふうに考えます」(衆院予算委第2分科会70・3・18、島田防衛庁官房長)。暗号については空自達の基準に全く出てこない。これは別個に秘密文書としての例規が定められているためである。その秘密区分は、「送信や解読に使うひとつひとつの暗号書(乱数表)は『極秘』で、その暗号書ナンバーを集めたものは最高度の『機密』という」(『毎日新聞』68・3・18)
 川崎一佐事件の第1審判決で「機密」にあたるとされたのは、「3次防地上通信電子計画概要(案)」のなかの特定情報回線の部分であった。それは「司令部と部隊とにおける情報伝達の回線設置計画が示され、設置の場所、年度別計画記載されて、航空自衛隊がある地点で情報関係の収集をやっているという状態を暴露するもので高度の機密性がある」とされ、空自達第9条の7号に該当するものといわれている。通電案自体には「秘」の指定がされていただけだが、内容の一部に「機密」に該当するものがあったわけで、関係者のミスということになる。ともあれ、情報収集は高度の秘密であって、先に述べた通信情報部隊などが、これに含まれるわけである。p58
「極秘」の指定基準
「機密」に指定されている個々の文書を摘示するのは第2篇の課題として、次に「極秘」の指定基準として空自達がしめしているものをみよう。それは次の12項目にわたっている。
第10条 訓令第5条第2号の秘密区分の極秘に指定すべき知識又は文書等は次の各号に掲げる基準によるものとする。
(1)航空自衛隊の出動及び出動準備に関連する基本的な計画及び情報で、秘匿を要するもの
(2)出動部隊の行動の詳細及び命令
(3)出動地域における出動部隊の編制装備、移動及び士気並びにこれらに関連する情報で秘匿を要するもの
(4)出動のための編制及び装備のうち航空自衛隊全般に関するもの
(5)出動部隊の輸送、通信連絡及び補給等の計画、命令、報告のうち訓令第5条第2号に該当するもの
(6)業務計画で訓令第5条第2号に該当するもの
(7)長期及び中期の各種見積のうち訓令第5条第2号に該当するもの
(8)将来使用されるものを含み、訓令第5条第2号に該当する装備品等及びこれらに関する資料又は情報
(9)技術開発に関する計画で、訓令第5条第2号に該当するもの
(10)秘匿略号及び隠語表で訓令第5条第2号に該当するもの
(11)個々の場合、秘の秘密区分に指定すべきもの又は秘密区分の指定を要しないものであっても総合編集の結果、前各号の1以上に該当するもの
(12)その他訓令第5条第2号に照らし極秘に指定することが適当であると認められるもの
 右基準によって明らかとなる2、3の問題をしめしておこう。無条件に「極秘」に指定されるものは、防衛・治安出動部隊の行動の詳細および命令、出動のための編制および装備で航空自衛隊全般に関するものなどである。また、出動および出動準備に関連する基本的な計画および情報は公表されるもの以外、すべて「極秘」以上に区分される。長期および中期の見積(たとえば戦略見積など)、技術開発に関する計画、装備品等およびこれに関する資料・情報なども、「極秘」に指定される場合があることは注目していい。これを総括すれば、作戦用兵関係はすべて「極秘」以上であり、防衛力整備関係は重要なものが「極秘」、その他大部分は後に述べるように「秘」に指定されるということである。p59

米軍のシークレット
自衛隊の創設・育成者として、つねに悪しき教訓を与えてきた米軍の場合はどうか。米陸
軍の管理訓練について公式の方針および規則をしめした陸軍規定((Army Regulation)が大統領行政命令にもとづくクラシフィケーションの準拠を明らかにしている。「トップ シークレット」に分類されるのは、たとえば次のような文書である。
①戦争の全体的指揮についてしるした戦略計画
②世界的規模での戦争指導計画
(a)計画のデータと設想
(b)核兵器使用の戦時計画要因
(c)敵戦力についての情報見積
(d)戦力の配備と展開
(e)数ヵ月にわたる時間相での実際所要量と施設の地理的位置
③単一の作戦計画または一連の複合作戦計画であって、②のファクターのいくつかと、出撃率、作戦開始日・完了日を含んでいるもの
④合衆国側の主要な情報活動の成果を明らかにするに十分な情報を含み、米国情報機関によって成し遂げられた成功、あるいはその能力を評価できるような情報文書
⑤核兵器、原子兵器など最新かつ極めて重要な装備に関する情報、など。
「シークレット」に区分されるのは、①「トップ・シークレット」に該当しない戦争指導計画、②その他の軍事上の計画、③交戦中の部隊の編組、識別、位置、①秘匿すべき情報資料、⑤直接的軍事利用が国防上重大な意味をもつ科学技術の進歩、⑥通信保全方策、⑦暗号資料、③重要な装備品の欠乏など弱点を表示したもの、などである。こうしてすべての戦争計画とスパイ謀略活動が軍事機密とされているのである。p60
 なお、1954年原子力法は、その第11条W項において、同法にいう機密資料とは①原子兵器の設計、製造または利用、②特殊核物質の生産、③エネルギーを生産するための特殊核物質の利用、に係るすべての資料をいう、と包括的に規定したうえ、第142条において、原子力委員会が「国家の防衛と安全保障に不当な危険を与えることなく公開できる」と判断したものについてのみ個別に機密を解除していく旨定めている。こうして例外的なものをのぞき全面的に機密資料とされているものについて、漏洩、収集、改ざん等をしたものにたいし、同法第18章は苛酷な罰則を規定しているのである。軍事機密は本来、無限界性をもち、戦争遂行能力が強化発展するにともない、機密事項の範囲が拡がり保全措置が厳しくなるわけだが、窮極兵器としての核兵器において、ついにその極限に到達するわけである。p60
5 「秘」の性格と内容
すべての文書が「秘」
71年6月24日、アメリカの下院政府活動委員会の分科委員会で証言に立ったフローレンス前米国防次官補代理は、ペンタゴンには少なくみても2000万件の秘密文書があるが、そのうち99.5%は最低限の秘密扱いの必要さえもないものであると述べている。証言によれば、ペンタゴンでは秘密区分の指定が軍機保持の目的から離れて日常茶飯事になっているという。秘密主義はあらゆる軍隊の属性であるわけだ。p61
 自衛隊も全く変わらない。その実態について検討をすすめよう。前記航空自衛隊の「秘密保全に関する達」は、「秘」の指定基準として次の19項目をしめしている。
第11条 訓令第5条第3項の秘密区分の秘に指定すべき知識又は文書等は、次の各号の基準 によるものとする
(1)平常時における航空自衛隊の部隊行動、配備計画及び主要補給品、施設等の配置計画並びにこれらに伴う命令、報告等で秘匿を要するもの
(2)平常時における部隊の移動計画、補給品、装備品の配分若しくは輸送の計画又はこれらに関する命令、報告等で秘匿を要するもの
(3)航空自衛隊の出動実力の一部をは握するに足る情報
(4)年度の各種見積で秘置を要するもの
(5)通例の情報報告書
(6)部隊行動の結果得た教訓で秘匿を要するもの
(7)教範又は技術上の取扱書等で秘匿を要するもの
(8)訓練の計画及びその成果で秘匿を要するもの
(9)将来使用さるものを含み、訓令第5条第3号に該当する装備品等並びにこれらに関する資料又は情報
(10)技術開発に関する計画のうち、極秘に該当しないが秘匿を要するもの
(11)予算に関する書類で秘匿を要するもの
(12)業務計画のうち、極秘に該当しないが秘匿を要するもの
(13)各種物件の調達計画で秘匿を要するもの
(14)編制及び装備のうち、極秘に該当しないが秘匿を要するもの
(15)衛生関係の統計資料で、秘匿を要するもの
(16)秘匿略号及び隠語表で極秘に該当しないもの
(17)調査及び秘密保全に関連する文書及び図画で秘匿を要するもの
(18)個々の場合、秘密区分の指定を要しないものであっても、総合編集の結果前各号の1以上に該当するもの
(19)その他訓令第5条第3号に照らし秘に指定することが適当であると認められるもの
「機密」から「秘」にいたる38項日におよぶ基準を検討するなら、自衛隊の基本的文書は、すべて秘密区分の指定を受けているといってよい。これに「取扱注意」を入れると、事実そういうことになる。むしろ秘密でないものの基準をしめしたほうが簡明であろうと“提言 ”したくなるのである。p62
「秘」区分の基準のうち重要なものを指摘しておこう。これに属するものは、主として平常時の行動、計画である。秘匿略号および隠語表はすべて「極秘」または「秘」に指定される。情報報告書は通例のものが「秘」、特別のものは「極秘」である。年度業務計画は「極秘」または「秘」に指定される部分と、その他(「取扱注意」)の部分に分かれる。予算関係書類にさえも「秘」区分のものがあり、年度の各種見積、教範類についてもそうである。p62
「秘」は公知の事実
川崎一佐事件の第1審判決文から、実質的にも「秘」にあたると判示された記載事項の具体例と、その理由を紹介しておこう。自衛隊の秘密の実体と、その秘密主義的体質をしめす貴重な資料であるから、該当条項ごとに整理しつつ、全部を掲出することにしたい。空自達第11条1号(平常時における部隊行動、配備計画など)にあたるとされた秘密は、
(1)レーダー改換表(3次防中に改換装される24個のレーダーの位置、改装する種類が記載され、日本の防空能力の現状、弱点わかる)
(2)AEW機(早期警戒機)用地上通電設備(AEW機に関する地上通信のための設備をするポジションとその内容が記載されている)
(3)対空通信強化(バッジ・システム〔自動警戒管制指揮組織〕における滞空している飛行機と地上局との間の対空送信装置〔GAT〕、対空受信装置〔1GAG〕を設置する地点と設備の内容が記載されていて、バッジの弱点がわかる)
(4)通信電子戦(ECCM〔電波妨害対抗装置〕を付加するレーダーの年度別の記載があり、弱点を暴露し将来の能力増をうかがいしることができる)
(5)年度別基幹部隊整備計画(廃止になる部隊、新設される部隊、保有すべき機種を時期的に明らかにする線表がある)
(6)42年度主要部隊編成配置計画 ((5)によってしめされたものの関連で、それがどこにあるか年度ごとに明瞭にしめす表がある)
空自達第11条3号(航空自衛隊の出動実力の一部を把握するに足る情報)に該当するものは、
(7)防空作戦能力(防空作戦に関する問題点として、撃墜率の具体的数字、F104戦闘機の弱点、ナイキの対空誘導弾の弱点が記載されている)
(8)現有防衛力の問題点中のその他(弾薬の不足について、数字をあげてはいないが、その種類、区分をいっている)
(9)弾薬の備蓄 (弾薬の各年度の取得数量が記載され、あわせて3次防末における弾薬の備蓄について言及している)
(10)防衛力整備の重点項目(F104戦闘機につける機能、新戦闘機についての基本的な考え方、ナイキの増強、新しいレーダーの採用、弾薬の備蓄などが記載されている)
(11)バッジの現組織の完成時における能力、用法、問題点ならびに3次防における整備目標 (昭和42年度末に建設が終るバッジの処理能力、すなわちレーダーに写ったものを主に計算機を使用して分析し、敵味方を判別し、敵機を迎撃する戦闘機をコントロールする能力、地区別の能力が数字で記載されている)
(12)防空組織(バッジ、要撃機、対空ミサイル)の運用要領とその能力(3次防末における迎撃機、戦闘機の数、対空ミサイルの数、それらの運用関係、撃墜率などの記載があり、とくに後者についてはwargameによる相当詳細な数字がしめされている)
(13)弾薬の整備(F104戦闘機の搭載弾薬、ナイキの弾丸について、3次防末までに取得することを要する数量の記載が年度別に具体的数字をもって示されている)
(14)要員の充足 (バッジ操作員、バッジ整備員のそれぞれの要員充足見積表があり、昭和41年以降昭和44年までの間の毎年4半期ごとにバッジ操作員、バッジ整備員の養成されていく数が示されて、バッジの能力が判断される資料がある)
(15)自動運用に必要な部隊練成訓練 (昭和41年度から昭和43年度までの間における各方面隊ごとの機材の運用能力、バッジの運用能力を知りうる表があり、これを見ればわが方の機材の運用能力が判断される)
(16)F104Jの可動率の見通し見積(昭和41年度から昭和43年度までの間における各航空団ごとのF104J戦闘機の可動率が数字でしめされており、これはこの国の秘密の一番大きな対象となっている)
(17)行動用資材の取得配分(昭和42年度において取得し配分する弾丸その他行動用資材の数量を数字でしめす表がある)
(18)高射部隊の建設構想 (高射部隊の設置場所、時期、規模をしめす表、その部隊展開にいたるまでの用地取得、施設工事の概要、養成するナイキ操作員を数字でしめす表がある)
(19)航空弾薬整備計画(備蓄弾薬類の取得計画AAM〔空対空ミサイル〕取得計画、訓練用航空弾薬使用計画、落下タンク備蓄計画などの、いざという場合の実力の一部を把握するに足る資料がある)
(20)ナイキミサイル整備計画(昭和47年度までの年度ごとの取得数が記載されている)
(21)地上火器用弾薬整備計画(航空機に搭載しない小銃、機関銃の弾薬の年度別備蓄、取得計画、訓用使用計画など) p65

 次に空自達第11条9号(装備品ならにこれらに関する資料または情報)に該当するものは、
(22)防空作戦能力 (F104戦闘機に付与したい機能、将来取得する戦闘機の選定条件、ナイキ部隊の増強と装備の改善、新レーダーの装備についての記載があり、これにより、わが方の弱点ないし今後の装備の方向も判明する)
(23)通信および電子戦能力 (ECCM能力をつけるレーダーの種類の記載がある)
(24)通信電子計画(ECCM能力をつけるレーダーの種類と新しいレーダーの取得についての記載がある)
(25)その他(F104戦闘機につける機能のことと新戦闘機の条件を含めて、3次防期間中に取得する航空機のことが数字でしめされている)
(26)ナイキ部隊整備計画(3次防期間中に増強するナイキ部隊の編成時期、場所、ナイキハーキュリーズに改変することが記載されている)
(27)戦闘機の整備について(F104戦闘機に付与する機能、新戦闘機の必要性、時期、数量が記載されている)

空自達第11条10号(技術開発計画)に該当するのは、
(28)研究開発計画(F104戦闘機につける機能のこと、どういう対空誘導弾にするかという研究、電子戦についての研究が記載されている)
空自達第11条21一号 (改正によって現行達前記19号となる―秘に指定することが適当であると認められるもの)にあたるのは、
(29)防衛力整備の方針(第3次防衛力整備期間中の整備についての基本的な考え方が記載され、防衛力整備の方向を示すもの)
(30)情報能力(3次防期間における情報機関に増強する2つの機能に関する記載がある)
(31)主要部隊整備計画および部隊配置 (航空機をもっている部隊、ナイキ部隊などの編成、廃止、移動の一覧表がある)
(32)防衛力整備の基本方針(どういう事態に対処する防衛力を考えるかということと5年間の整備についての基本的な考え方が記載されている)
(33)兵器からみた外国の航空攻撃能力およびわが防空能力の進歩発展の見通し(3次防末における将来の航空機およびミサイルの進歩の見通しとの関連で撃墜率に触れ、新戦闘機の必要性が記載されている) p66
以上が航空自衛隊の「秘」文書である「3次防地上通信電子計画概要(案)、「昭和42年度航空自衛隊業務計画説明資料(第1分冊と、「第3次防衛力整備計画について」、「第3次航空防衛力整備計画の概要」中の秘密事項だというのである。だが、ここにもっともらしく掲げられている事項の大部分は、軍事問題研究家にとっては公知の事実なのである。MSA秘密保護法が参院法務委員会に付託され、54年4 月27日公聴会が開かれたさい、かつて司法書記官として国防保安法の立案に参画した大竹武七郎氏は、同法案中秘密の要件とされている「公になっていないもの」という言葉が不明確であり、どの程度知られていれば公になっているものと解すべきかが問題であると指摘し、軍機保護法の苦い経験に立って乱用のおそれを強く戒めたのであった。p66
 漏洩された文書中の個々の具体的数字なども、基地の外から見れば分かる程度のものがほとんどである。計画の方向やその具体的内容についても、たとえば自衛隊が仮想敵国と考えているソ連などにとっては容易に分析しうるものであり、誤差が生じたとしても本質的意味をもつほどのものでないことは常識的に理解できるだろう。では、これらの文書にいかなる意味があったのか。それは事業計画を事前に知ることによって装備・資材の売込みを有利にするうえでは大いに役だつものあった。だからこそ、川崎一佐はヒューズと伊藤忠に手渡したのである。いわば入札予定価格と同質の秘密であった。

モザイク理論の登場
 だが、こうしたもののほかに、なんとしても秘匿しなけれならないと彼ら考えている高度の軍事機密が現実に存在していることも事実である。その1つは「国土防衛」の枠を超えた攻撃用装備とその運用構想である。それは奇襲戦略の利点を確保するために徹底的に秘匿しなければならないし、なにより国民に知らせるわけにはいかない。いま1つは諜報関係の分野である。攻撃対象の手の内を、どの程度読んでいるかは絶対に知らせるわにはいかないのである。つまり、高度の秘密とは「国民的合意」の許容限界を全く逸脱した、よこしまな意図をしめすものか、そのための具体的な活動内容なのである。その他のものは公になっているか、軍事的意義からすれば取るにたりないもの、あるいは利権の対象になるものである。自衛隊の秘密を認める立場からしても、フローレンス前米国防次官補代理のいうように99・5%、すくなくとも秘密区分「秘」は全部公開せよと主張すべきであろう。
p67 
 また、空自達に 「総合編集」の結果が秘密になるという、いわゆるモザイク理論が姿を見せているのも問題である。西ドイツでは「それ自体は公表されている事実であっても、それを体系的に編集し充分に総合することによって得られた国家の重要な軍事能力の正確な叙述は国家機密たりうる」という連邦裁判所の判決があったが、1962年、NATOの演習「ファレックス62」の内容を暴露した雑誌『シュピーゲル』事件に関する連邦憲法裁判所判決(66・8・5)では、「すでに知られているか、あるいは一般に知りうる状態にある個々の事実を体系的に総合して、国防の重要な要素の正確な全体像を構成したばあいにも国家機密の漏洩があるとする理論は認められない」との意見が半数の裁判官から出され、憲法訴願自体は却下されたがモザイク理論は出版の自由に反するとして認められなかった。(石村善治「報道の自由と国家機密」、『法律時報』71年9月号および野中俊彦「西ドイツ―連邦憲法裁判所判例を中心として」、『ジュリスト』72・6・15)。p68
 ヒトラーはモザイクによってナチスドイツの国防能力を分析した人物を投獄したという。国防保安法も同様であった。同法第8条の情報に関する罪は、「或問題に関し新聞雑誌其の他の出版物に掲載されてゐるところをそのまま、又はこれを集めて綜合して結論を出し」た場合をも対象としていた(大竹武七郎『国防保安法』149ページ)。そういうことになれば、さしずめ私の分析作業なども弾圧の標的となるかもしれない。もちろん現在の法制では、直接に秘密保護法令違反の対象にはならない。だが、自衛隊の内部規定に、すでにモザイク理論が存在するとすれば、いつ全国民を拘束する法律になるかもしれない。
軍国主義の原型は、つねに軍隊内に生まれるのである。ともあれ、「個々の場合、秘密区分の指定を要しないもの」は、どれほ多く総合しても秘密にはならない。それは民主主義のイロハである。分析総合は学問と表現の自由にもとづき、自衛隊員をも含めて完全に保障されなければならないのである。p68
 陸上自衛隊においても、「秘密保全に関する達」が定められている。このなかでとくに注目すべきものは、秘密保全の観点からの部外者の取扱規定である。同達第39条は、「通常部外者への公開、展示及び説明等を行なわない」施設として、次のものを挙げている。
(1)沿岸監視の施設
(2)秘密文書等の保管容器及び保管施設等
(3)弾・火薬、燃料類の貯蔵施設
(4)秘密の武器等を使用する訓練、演習等の行なわれている場所
(5)秘密の物件の実験施設等
(6)特殊の訓練、演習等の行なわれている場所
(7)作戦、情報及び通信関係施設p69
 庁秘訓令第20条は、「秘密の知識又は文書、図画若しくは物件が取扱われ、又は設置されている場所」についての立入禁止を規定し、その旨掲示されたところへは隊員といえども許可なしには立入りできない。この場合は個別に指定されるわけだが、陸自達は一般的に部外者への公開禁止を定めているのである。p69

第3章 秘密保全の機構と体制
秘密保全のシステム
厳重な保管体制
 外務省の「極秘」電文が暴露された直後、防衛庁はあわてて秘密保全講習会を開いた。集められたのは内局の文書係など約50人だが、そのうち7割は女子職員だった。「記者とナイトクラブヘ出入りしてはいけません」といった面白い話はひとつもなく、「法律、訓令の堅い話ばかりでつまんなかったわ―」とは彼女たちの感想であった(『朝日新聞』72・4・7)。秘密保全制度は訓令、内訓、達、「秘」達、通達などを積み重ね、アリの這い込む隙間もない防壁を築いている。内局には女性も多いが、陸海空幕の機密文書保管金庫には、制服の不寝番が立っているという。p70

 秘密に関与する範囲は、きびしく限定されている。その1は当該秘密事項の起案、運用、調査研究を命ぜられたもので、これを「取扱者」という。その2は、秘密に関する事務を取り扱う職制で、内局、各幕の課長以上、部隊では中隊長(陸)、航空隊長(空)等以上のもの、これを「管理者」という。その3は、管理者の指定により秘密文書等の管理を担当する准尉以上のもの、これを「保全責任者」という。だいたい以上を「関係職員」といい、この範囲以外の者に「職務上知ることのできた秘密」を漏らしてはならないとされている(庁秘訓令第6条)。保全責任者の補助者が設けられるときもあるが、補助者は 「関係職員ではないので、秘密内容に積極的に関与することは許されない」(次官通達)。p71

秘匿すべき文書、図画、物件に一定の秘密区分を付与する指定者は、段階的に定められている。「機密」については内局の官房長、局長、各幕僚長など、「極秘」については陸では師団長以上、空では航空団司令以上であるが、「秘」はさきに述べた管理者以上なら、だれでも指定できる。「取扱注意」にいたってはじつに多く、将校クラスが管理者から指定権を与えられる。防衛庁以外の省庁もこれと同じで、本庁だけでも合計2128人にのぼる課長クラス以上が指定権をもっている。これに外局、陸、海、空自衛隊などをふくめると、「取扱注意」をのぞき4000人程度になるだろう。p71

アメリカの場合は、行政命令により47人の各省長等に指定権が与えられ、うち34人は下級への権限委譲を認められており、合わせて千単位にのぼるという。それにしても日本はとくべつ指定権者が多く、この点は公明党などが国会で追及している。秘密主義の一因となっているからである。p71
 秘密文書の保管も、ますます厳重になってきている。陸上自衛隊「秘密保全に関する達」は、「機密」および 「極秘」の文書等は、3段式以上の文字盤付き鋼鉄製金庫、特殊書庫、耐火キャビネットの中に保管するよう定めており、庁秘訓令よりも厳しくなっている。文字盤カギは毎年2回以上、組合せを変更しなければならない。保管関係者が代わったときも同様である。開閉には2人以上の将校が立ち会うことになっている。「秘」および「取扱注意」は、カギのかかる鋼鉄製の箱に収める。p71

暗号書の保管について、航空自衛隊 「秘密保全に関する達」は、3段式以上の文字盤カギのかかる鋼鉄製金庫としているほか、暗号機、暗号書を取り扱う室は、窓に鉄格子と金網をつけ、曇リガラスを入れ、出入口には全金属性扉をつけ、さらに受付窓をつくるよう定めており、まさに監獄なみの厳重さである。統幕、各幕から各種司令部施設にいたるまで、オペレーション・ルームなど重要施設は、すべて立入禁止措置がとられている。表示がなく、正体不明の室や建物も多い。p72
 基地の内部で保全措置がとられているだけではない。沿岸監視部隊やレーダー基地、通信情報部隊などは、基地周辺に近づく一般住民まで規制している。数年前、青森県むつ市の釜臥山で観光客が自衛隊員により写真撮影を差し止められている事実が表面化した。山頂のレーダー基地(空自第42警戒群)に、「機密機械がたくさんあるから」というのである。軍機保護法は軍港、砲台、飛行場、軍需工場などの撮影、スケッチを禁じていた(遅反者は7年以下の懲役)。現在は全く法的根拠がない。やはり機密保護法制定のまえに、既成事実化が先行しているのである。海上自衛隊が津軽海峡で行なっているソナー(聴音機)による通峡監視作戦を受けもつ竜飛(青森県)、白神(北海道)などでも、撮影を規制している。p72
 
文書の場合、「極秘」以上は赤表紙を用いる。秘密区分は通常、縦1.8 センチ、横3.6センチの標記をつけてしめす。この表示自体を秘匿する必要があるときは、数字などでしめすことになっている(陸自教範『野外幕僚勤務』)。秘密の内容が少しでも含まれている文書は、全体について、もっとも高度の秘密区分を指定する(次官通達)。区分ごとに別冊にする場合はすくない。秘密区分を指定された文書は「秘密登録簿」に記載され、配布については「秘密作成配布簿」「秘密接受保管簿」に記録される。これらの簿冊自体「秘」ないし「取扱注意」に指定され、陸自の場合5年ないし10年、空自の場合20年ないし永久保存とされている。

送達についても、こと細かな規定がある。空自達によれば「機密」は将校または同等の地位にある事務官が携行し、1名以上の護衛隊員が同行する。暗号書、暗号機も同様である。 「極秘」は幹部による携行送達を原則とする。ただし護衛隊員はつかない。特命ある場合は第一種書留郵便による送達が認められる。「秘」は管理者の指定する隊員による携行、指示あるときは書留送達が許される。製作を外部に発注するときは、自衛隊の監督者が常駐する。p73



局限された「知る必要」
かくも厳重かつ広範に保全措置がとられている文書等が、いったいどのように利用されるのであろうか。貸出しは管理者の承認を要し、「極秘」以上については閲覧場所が指定さ
れる。「秘」についても当日限りである(陸・空達)。「極秘」以上を勤務時間外にわたり使用するときは、特別の立会人がつく。基地外への持出しは原則として禁じられている。
 だれに、なにを閲覧させるかの基準はあるのか、庁秘訓令が「関係職員」に限定している以外、具体的な規定は見当たらない。各省庁のものでは、法務省の「秘密文書等取扱規程」が「秘密事項は職務の上下にかかわらず、公務上必要な場合に限り知ることができる」(第7第2頑)と定めているのが目につく。科学技術庁「文書取扱規程」は、秘密区分とに許可権者がちがう。「機密」は主管局課の長および総務課長、「極秘」は主管局課の長、「秘」は主管課長の許可を要する。だが、許可を与えるさいの基準はない。p73


 航空自衛隊では防衛秘密に関し、空幕長から関係職員に「秘密保護適格証明書」を発給している。それには、取り扱いうる最高秘密区分がしめされる。いわゆるセキュリティ・クリアランスである.だが許可証をもっている者は、許された秘密区分以下ならなんでも見れるというわけではない。それを「知る必要」のあることが、確証できる場合に限られるのである。航空教育隊『教程』中には、「隊員は職務及び階級の上下にかかわらず、公務上必要なときに限り秘密事項を知ることができる」とある。おそらく秘密の達ないし通達にこうした詳細な定めがあるのであろう。p73

 これを「知る必要(meed-to-know)」の原則という。それを認定するのは、現にその機密資料を管理している者である。長官や次官でも勝手に見るわけにはいかない。米国防総省が発行した『極秘情報保護のための産業保全便覧』(66・3・1)は、これについて次のように述べている。
「『知る必要の有無』―これは当該極秘情報を開示する可否についての基準を端的に示す言葉である。すなわちこの言葉は国防のために国防省によって認可された極秘契約または計画を遂行するうえで絶対に必要な作業または職務を行なうために、ある者がその極秘情報に接し、それを理解する必要性を有するかどうかについての決定基準を示すものであり、この決定を行なうのはその作業または職務に含まれる情報を現に所有し、理解し、管理している者であって将来において当該情報を受領または取得する者がそれを行なってはならない」(ワース・ウェイド、小西基弘『機密管理マニュアル』192ページ)。p74

 この原則は、自衛隊においても同様に適用されているであろう。なおクリアランスについてもアメリカでは各種の段階が設けられている。自衛隊がどの程度これを導入しているかはともかく、秘密保全体制の現状と将来を分析するに役だつであろうから紹介しておく。アメリカでは秘密資料に接近するクリアランスの最高のものに「Q」という記号がつられている。しかし、それがなにかは知られていない。「当局者は、この種別に含まれている事柄がなんであるかが秘密であって、簡単に口にすることさえ許されないといっている。また『Q』よりもさらに高度にランクされているクリアランスがあるのかどうかについても政府当局者は秘密保持の見地から答えられないという」(『u・S・ニューズ・アンドワールド・リポート』71・7・5)。p74

「Q」よりも下にランクされている「トップ・シークレット」のクリアランスについては、「だれが、なにを知る必要があるのか」を基準として、情報のタイプに応じて与えられている。たとえば、戦略兵器制限交渉に当たっている人物であれば、これに関連する資料には接近できるが、他の分野の作戦計画等の機密文書は見ることができない。p74

日本だけの無期限秘密

ところで、このように厳重な保全措置をとっている秘密文書は、永久に公表されないのであろうか。外務省の文書には「無期限」と指定されたものが多い。65年から71年までの7年間に、外務省で秘密扱いを解除された文書は9355件にすぎず、それも条約・協定案や国際会議における演説テキストなど、公表を予定されていたものばかりである。公安調査庁、警察庁は同じ期間の解除件数ゼロと報告されている。防衛庁も高度の秘密についてはそうである。年間30万~40万点にのぼる秘密解除文書の大部分は、暗号書等の更新によるものである。その他のわずかな解除文書も、すべて廃棄しているといい、国民の眼にれることはない。また、政府あるいは各省庁の統一規定として、一定年限を経過したものについて原則的に秘密解除の措置をとるという定めもない。すでに歴史的資料となったものについてさえも、秘匿措置がとらているのである。p75


 アメリカではニュヨーク・タイムズによるベトナム秘密文書公表事件いらい、世論の批判が高まったためもあって72年6月1日、秘密文書取扱規則が改正されている。これにより一般秘密文書は、一定期間とに秘密区分をダウンレードし、10年後にはすべて公開することになった。また、国家安全保障にかかわる文書についても、30年を経過したときは自動的に秘密解除されることになった。ただし国務省、国防総省、CIAの文書および外国政府と取り交わした、とくに重要な文書については、関係官庁の長官が必要と認めたときは例外措置がとられる。p75
 このほか各国の状況をみると、学術研究者には全く制限を付さないのがアラブ連合、25年ないし35年で原則的に解除するのが東ドイツ、ハンガリー、アイスランドなど6ヵ国、50年で制限を解くのがイギリス、イタリアなど16ヵ国、100年で解除されるのがスペイン、バチカン、ベルギーの3ヵ国となっている(総理府調べ)。無期限なのは日本だけで、スペインやバチカより悪質ということになる。政府資料は、とうぜん国民に帰属する。そうした観念を全くもたないのが、わが支配階級なのである。p76

 秘密資料の解除手続きに問題があるだけではない。防衛庁図書館 (国立国会図書館防衛庁分館)の毎年度 『図書目録』を見ていると、公刊資料がつぎつぎに姿を消していくのがわかる。68年度と69年度を比較してみよう。定期刊行物で目録に収録されなくなったのは、陸上自衛隊の『幹部学校記事』、『航空自衛隊幹部学校記事』をはじめ、陸自の『富士学校記事』、『化学学校記事』、『会計記事』、『施設学校記事』、『衛生学校記事』、『武器』、『高射』、『通信電子』、『輸送』などで、いずれも月刊ないし季刊の公刊雑誌である。その多くはアメリカはもちろん、韓国、台湾や、西ヨーロッパ諸国の軍隊にまで送付されているのである。目録から消えたばかりか、現物も図書館に置かれていない。教範類も完全になくなり、
『防衛庁法規類集』さえ置かれなくなった。近ごろは、陸海空自衛隊の『公報』さえも消えてしまった。書棚はガラガラで、戦記読物や大衆小説が並んでいるにすぎない。

2 軍事警察とスパイ機関
戦後の弾圧事例
秘密保護法により弾圧された事例についてみると、刑特法第6条(合衆国軍隊の機密を侵す罪) 関係で、同法施行直後に4件あった。いずれも52年後半のことで、全部が不起訴となっている。54年5月11日参院法務委における政府説明によると、その概要は次のとおりであった。
(1)52年9月ごろ、路上で米軍機密と思われる軍事施設の位置、航空機の編成装備について記載した宣伝文書を頒布した者があったが、米軍から同文書の内容は機密に該当しないとの通告があり、不起訴処分とされた。
(2)そのころ、ある米軍基地で撮影禁上の標札があるのに基地内を撮影した者がMPに検挙された。しかし撮影対象が一般通行人の目撃しうるものであったので「公になっていないもの」に該当しないとして不起訴となった。
(3)同年8月ごろ、レストランで日本人と米軍将校が雑談中、たまたま同将校が米軍機の性能について語り出したため、居合わせたMPが将校を逮捕、日本人も警察の取調べを受けた。日本人は相手米軍人が偶然話し出したと弁解し、これが認められて不起訴となった。
(4)そのころ在日米空軍の移動状況を記載した文書を所持していた者が、別件の取調べで判明したが、他人からの預り物で犯意がないとして不起訴になった。
 以上4件は起訴されなかったとはいえ、機密ではないものを撮影したり公表したものが弾圧の対象になったという事実は、いったん法律が制定されると、現場ではとかく乱用されがちであることをしめしている。刑特法違反で起訴された事例もある。1955年に横須賀市で起きたクリーニング屋「谷源浜に係る刑特法違反事件」である。彼は基地近傍に「フリー・チャイナ・ランドリー」という店を持っていて、米兵相手に営業していた。入港してくる艦船に早く駆けつけ注文を取るのが商売のコツなので、米兵から聞いて出入予定日のメモを作っていた。このため検挙されて裁判の結果、懲役8月執行猶予2年刑受けた。ニュースを提供した米海軍通信隊のオペレーター、バーロー軍曹は軍事裁判で重労働2年、階級剥奪の刑を科せられたという。p77

 MSA秘密保護法で適用第1号となったのは、前述した『航空情報』事件で、解説記事をリライトた青木元3等空佐が取調べを受けている。自衛隊法関係では川崎1佐事件のほか、三矢研究漏洩事件で行なわれた大規模な捜査が注目されよう。このとき防衛庁、警視庁の合同捜査の対象となったのは、記者クラブのメンバーを含む約120人だった。この結果容疑者として「最後まで残ったのは2人だったが、2人とも決め手となる証拠がつかめなかった」(海原治防衛庁官房長〔当時〕談)とされている(「サンデー毎日』65・10・3)p77

警務隊と調査隊
こうした捜査や内偵を担当するのが、警務隊、調査隊である。警務隊は旧憲兵にあたる軍事警察機関であり、調査隊は米陸軍のCICと同じ対スパイ・スパイ機関である。警務隊は陸が1000人 空120人、海が100人で、それぞれ独自の本部と指揮系統をもって全国に配置されている。陸の本部は東京・芝浦分屯地にあり、幹部のほとんどは憲兵か警察官の出身である。全国に5つの方面警務隊本部をもち、各駐屯地に警務隊、警務派遣隊を分駐させている。海の本部は東京・市ヶ谷基地内におかれ、横須賀、呉、佐世保、舞鶴、大湊に地方警務隊本部、各基地に警隊分遣隊を置く。空の本部は防衛庁内にある。入口には「入室厳禁」の貼紙があり、表札はない。各基地に警務分遣隊を配置している。p78

 警務隊の権限は、自衛隊法第96条に定められ、陸海空自衛隊員および自衛隊学生の犯罪だけでなく、「職務に従事中の隊員に対する犯罪その他隊員の職務に関し隊員以外の者の犯した犯罪」(たとえば贈賄、秘密漏洩教唆)についてまで、司法警察職員としての職務を行なう権限をもつ。自衛隊の使用する艦船、営舎その他の施設内での犯罪(現行犯にかぎらない)、自衛隊が所有しまたは使用する施設または物にたいする犯罪についても同様である。したがって秘密暴露を 「企て、教唆し、又はそのほう助をした者」(第118条2項違反―懲役1年以下)や、「自衛隊の所有し、又は使用する武器、弾薬、航空機その他防 衛の用に供する物を損壊し、又は傷害した者」(第121条違反―懲役5年以下)は一般人も対象になる。そのほか自衛官組合なの結成、予備自衛官の防衛招集不出頭、防衛・治安出動待機命令下の職務離脱、治安出動時における命令不服従などを教唆、ほう助した者、または多数共同による抗命、権限なき部隊の指揮を共謀、教唆、煽動した者(第119条2項違反ー3年以下の懲役)、治安出動命令を受けた者のストライキ、サポタージュなどの争争行為等や、共同抗命、権限なき部隊の指揮を共謀、教唆、煽動した者、職務離脱を教唆、ほう助した者 (第120条2項―5年以下の懲役)、防衛出動命令を受けた者に、職務離脱、抗命を教唆、ほう助した者、または争行為等や権限なき部隊の指揮を共謀、教唆・煽動した者 (第122条2項違反―懲役7年以下)は、隊外の者でも捜査されるのである。郡祐一氏の『秘密保護法精義』も、警務官の権限が常人に及ぶことを指摘しており、「保安庁の秘密を保護する法律があったとすれば、その違反者に対しては、警務官も常人に司法警察権を及ぼし得る場合が考えられた」(同書148ページ、傍点は引用者)と述べている。警務官の権限、守秘義務について、保安庁法、自衛隊法は全く同一の規定をもっている。ということは、氏が「・・・あったとすれば」としたのが誤りであることをしめすのではなく、本来、自衛隊法などの守秘義務の規定には秘密保護法的意味あいが全くなかったことを証明しているのである。それはともかく、現実には自衛隊員にたいし、秘密暴露を教唆し、ほう助した一般市民にたいしても、警務官の捜査がおよぶのである。p79

ただし、MSA秘密保護法違反の犯罪については、自衛隊の使用する船舶、庁舎、営舎その他の施設内における現行犯人だけが警務隊による捜査の対象となり、その他は警察にゆだねられる(自衛隊法施行令第110条)。警務隊員は下士官以上を警務官と称し司法警察員と同格、兵士クラスは警務官補と呼ばれ司法巡査と同じである。旧憲兵の場合も「将校、准士官及下士」は司法警官、憲兵卒は司法警察吏とされていた(旧刑訴法第248条)。 こうして、警務隊は隊外の者にたしても逮捕、押収、捜索を含め捜査に必要な取調べをなしうるのである(事前に防衛庁長官の承認を要する)。自衛隊の秘密を取材したり、隊員に反軍・反戦闘争を呼びかける者にたいして警務隊はつねに監視の眼を光らせている。p79

張りめぐらされたスパイ網
陸自警務隊については、「警務隊の運用に関する達」(陸自達35-2)があり、その本部には秘密漏洩時の“科学捜査”に必要なあらゆる新兵器が揃っている。ウソ発見機は警視庁のものより高性能という。自衛隊独自の軍事警察制度が設けられた理由について陸幕監理部 『陸上自衛隊法制提要』(68年3月)は、次のように述べている。「出動時における犯罪は一般警察がこれを捜査することは事実上困難である」。また、「自衛隊の施設、物件等を保護することは、防衛力の温存として極めて重大であるから、この犯罪についてみずからの手により処理する必要がある」(161ページ)。このように軍事警察は、有事のさいに最大の暴威をふるうわけである。なお、警務科部隊は犯罪捜査のほか、施設・物件の警護、脱走の防止と逮捕、捕虜の尋間、交通統制にもあたる。平時においても脱走者が出れば、“立回り先”に張り込み“説得”によって隊に連行している。p80

 警務隊と連携して情報活動の中心になるのが調査隊である。陸自調査隊は中央調査隊が市ヶ谷基地にあり隊員60人、各地に分遣隊を置いている。総数は約600人という。空自調査隊は本部を防衛庁内に置き、全国で67人。海自調査隊の正体は全く知らされていない。調査隊は対スパイ、対謀略任務を主とし、このために隊員の思想調査、外部との関係調査を極秘裡に行なっている。その準拠として航空自衛隊は59年8月8日、「秘」指定の「調査業務に関する達」を定めている(参考資料9)。
「取扱注意」に指定されている「陸上自衛隊情報等業務規則」によれば、対情報業務とは、諜報または謀略などの活動にたいして秘密、部隊、隊員、施設、装備品などを保全することを目的とするもので、たとえば隊員の保全とは謀略などから隊員およびその士気を保全することであると定義されている。p80


 もしある隊員の親類に左翼がいることがわかると、調査隊はその隊員を秘密が含まれる任務から排除させる。情報業務の専門隊員を養成する陸自調査学校は、旧中野学校が復活したものだが、同校の1教官は述べている。「カギをかけた書類棚を、定期検査や責任者とは別に感づかれぬよう検査する。そのためにはカギについての教育がいる。隊内に反自衛隊的な落書きがあれば、筆跡鑑定もやる」(共同通信社会部編『この日本列島』140ページ)。
 情報活動は調査隊、警務隊だけでなく、陸海空のあらゆる部隊が、それぞれの内部に専門組織をもってすすめている。そのうち外国情報の収集を担当するのが、陸の中央資料隊(250人、防衛庁内)、海の海上作業隊(防衛庁内)、空の航空資料作業隊(50人、防衛庁内)である。海上作業隊は一般情報資料のほか海洋資料を、航空資料作業隊はレーダー資料を含む航空情報資料をそれぞれ収集、整理、分析している。これらの部隊も一面では秘密保全に役だつ。なぜなら仮想敵国がなにを知っているかが分かるからである。p80

3  産軍複合の秘密
軍需産業の秘密保全
自衛隊の秘密保全体制は、隊内だけにとどまらない。秘密情報資料を共有するものの第一は、軍需産業界である。MSA秘密に属する航空機、レーダー、ミサイルなどの製作、修理、それにともなう実験、調査研究の委託を受ける企業は、自衛隊におけると同様の厳格な秘密保全措置をとることが要求される。それ以外の庁秘関係についても、契約の条件としてMSA秘密と全く変わらない保全体制が強制されるのである。この点については、「防衛秘密の保護に関する訓令」も庁秘訓令も、規定の内容はそっくり同一である。
 まず、委託に当たっては、「厳密な調査」を行ない、秘密保護上支障がないことを確認したのち、官房長、各幕僚長、調達実施本部長などの許可を求める。契約書には秘密の保全に関する特約条項が設けられる。これにより企業側は、工事に関係のない者を作業場、倉庫等に立入らせ、付近をうろつかせたりすることを禁じられる。作業に必要な以外は、いっさい立入が禁止されるのである。また、社内および下請先での秘密保全を確実に行なうため、秘密保全規則を作成して防衛庁の確認を受けなければならない。さらに秘密の取扱いに必要な帳簿を作成して防衛庁の検査を受けること、随時の状況検査と必要な指示を受けることも義務づけられる。70年3月30日、防衛庁調達実施本部と三菱重工業KKとの間で締結された超音速高等練習機(T2)の試作契約書に付された「秘密の保全に関する特約条項」を別に掲げておく(参考資料10)。p82

 こうした契約にもとづく軍需受注で第1位を占める三菱重工業は、「防衛秘密保全規則」を作成し、秘密区分の指定、登録番号の標記、保管責任者の選定などを細かく規定している。生産現場の管理も厳しい。秘密を扱う作業場は塀で囲い、鉄格子や金網を張りめぐらせて外部からは見えないようにしているし、労働者が出入りするときは従業員バッジのほか、顔写真入りの防衛庁許可証をつけることを強制され、守衛が一人一人点検するという厳しさである。さらに調達実施本部は、数百人の工場駐在官を全国の軍需工場に配置している。彼らは製品検査に当たるとともに、秘密保全体制についても監視の眼を、光らせている。p82
 
66年8月31日の参院決算委員会で、この問題が取り上げられている。このとき島田豊防衛庁説明員は、企業との間の秘密保全取決めは内部的な特殊なものであるとして公表を拒否した。当時の防衛庁長官は“お国入り”で有名な上林山栄吉だったが、その答弁は見逃がせぬ内容のものであった。彼はこう言ったのである。
「防衛に関する機密的な兵器をつくるについては、これはほんとうは機密保護法があったほうがいいのです。率直に言って、しかしながら日本の置かれておる国情というものを考えて機密保護法をいまはつくらないというような意見もあるようでございます。・・・機密保護法がなくても機密保護法があったと同じとまではいかぬまでも、それに近いような機密保持というものが私は保たれることが必要である、日本の防衛上これは必要だ、こういうように考えています」。p83

 このように、事実上の機密保護法体制が、軍・産の合作ですすめられているのである。おめでたいだけに上林山長官は、彼らの狙いを「率直」に語ったわけである。次章で述べるように「改正刑法草案」には企業秘密漏示罪(第322条)が設けられている。これは懲役3年の刑罰をもって軍需生産上の秘密をも保護するものである.p83

金にまつわる秘密漏洩
産・軍の癒着は秘密を保全する面だけでなく、それ以上に、秘密を漏洩する面で際だっていることをも合わせて指摘しておくべきであろう。今まで防衛庁秘密漏洩事件としてジャーナリズムを賑わしたケースのほとんどは、軍需産業界と結託した将校によるものであった。それが表沙汰になったのは、防衛庁・業界の内部紛争からである。そしてヤリ玉に上がたのは比較的ザコばかりで、最大の秘密漏洩者はぬくぬくと利権を貪りつづけているのである。p83


 産軍複合体の秘密漏洩ルートは、退職将校を媒介としてつくられている。空将(空軍中将にあたる)で退職し某社に天下りした固武二郎が、『航空自衛隊幹部学校記事』(69年11月号)に書いている内輪話は、こうである。「私の現在の待遇は、旧職場の元二佐、某君より相当低い。退官時の廻り合せにもよろうが、その決定的要素は、職場の適否と実力の再評価である」。彼は、入社早々、上役から4次防の概況を求められて資料の収集に腐心し、またF104の着地スピードを問われて面喰らった。前者は、会社の長期企業計画策案の要素であり、後者は、ある電子計器設計上のポイントであった・・・」とも述べている。固武元空将は軍隊社会から脱け切れなかったのか、企業にとってあまり有用ではなかったらしい。
だが、いずれにせよ天下りした退役将校は、会社の長期計画立案のために必要な防衛力整備計画についての資料収集や、特殊な防衛機器設計に必要な技術的知識の提供等々を求められることがわかる。p84


こうしたとき、モノをいうのは在職中つちかったコネクションである。電話1本で、かつての部下や同僚を呼び出し、1席を設けるのである。わざわざ秘密文書を持ち出さなくとも、勘どころはツーカーで通じる。高級将校中のエリート層を形成する旧軍の士官学校、兵学校、陸大、海大出身者は、閉鎖的な特権集団をなしている。それは隊内だけでなく、産軍を結びつける人的動脈としてもつながっているのである。天下りした先輩に在職中なにかと尽くしておけば、停年時に役立つわけで、このような現役組と退役組の相互依存関係は、公然の秘密となっている。p84


 63年から71年までの9年間に退職した一佐以上の人数は2025人、このうち638人(31%) が防衛庁からの受注資格をもつ登録会社へ就職している。しかも、このなかで将官クラスは退職198人で、うち122人が登録会社へ入っている。上位のものほど歓迎さているわである。 一佐以上の天下り状況を企業別にみると三菱電機27人、東芝26人、三菱重工21人、川崎重工19人、石川島播磨15人、日本電気15人、小松製作所9人、新明和工業7人となっており、いずれも例年、防衛庁受注のベストテンに数えられる大手軍需企業である。p84


 産軍の癒着が政界をもあわせて体制化したのは1965年、日韓条約締結のころであったと考えていい。日本支配層は、60年安保を契機として急速な軍備拡充に乗り出した。軍事予算は60年の1601億円が65年には倍増して3054億円に達した。これにともない産業界は、利潤の源泉として防衛庁調達を重視することになった。年間受注量にウマミが出てきただけではない。兵器装備の受注では実績がものをいう。特殊な設備、高度な技術を必要とするので、それを蓄積しているものが有利な立場にたつわけである。いったん実績を確保すれば、新兵器への更新のさいの受注競争では圧倒的優位を保持することなる。こうして業界は、軍事予算と軍需生産の高度成長を見通し、いっせいに既得権獲得に乗り出したのである。p85


 汚職事件や秘密漏洩事件が、つねに新型装備の発注をめぐって表面化するのは、こうしたはげしい内部競争による。自民党内の派閥と制服首脳部、内局官僚が複雑に結びつき、これに大手商社、大企業が入り乱れて、すさまじい合戦を繰りひろげるなかで、シッポをつかまれた者が生けにえになるのである。ロッキード・グラマン騒動やバッジをめぐる黒い霧がそうであった。p85

政治資金の黒い霧
 佐藤内閣が登場したのは、ちょうど政・産・軍体制が確立されようとする時期であった。65年から68年ごろにかけて、一方では保守政界における佐藤派のヘゲモニーが強化され、
他方では軍需生産面で独占体を軸とする系列化がすすんだ。この2つの過程は、相関的に進行したのである。65~68年の間に佐藤首相によって防衛庁長官に任命されたのは松野頼三、上林山栄吉、増田甲子七と、すべて佐藤派からであった。これにより佐藤派は、内局官僚と制服首脳を掌握しつつ業界とのパイプをその手に確保したのであった。この過程で、河野派に近く“海原天皇”といわれるほど防衛庁内に強固な人脈を築いていた海原治官房長が、国防会議事務局長にとばされた(67年7月)。さらに森田装備局長の自殺(67年10月)、川崎一佐逮捕、山口空将補自殺(いずれも68年3月)事件があいついで起こった。これらはすべて、佐藤派体制をきずくための策謀に根ざすものであったと判断していい。p85


 60年安保当時の防衛庁長官であった赤城宗徳は、語っている。「問題は防衛庁の実権をにぎる政界の首脳と業者の関係だ。・・・ボクの時代には、業者との関係はなかったもんだ。・・・それが、ある時代からだらしなくなって、困ったんもんだねぇ」(『週刊朝日』68・3・22)。同じころの『毎日新聞』(68・3・7)も、65年あたりから「防衛庁長官のポストが建設や通産大臣などと同じく金ヅル確保のためのイスに変わった」ときめつける長官OBが存在する事実を伝えている。「ボクの時代」のことはともかく、60年代後半の時期に、佐藤内閣は産軍を結ぶパイプから巨額の政治資金を吸い上げる体制をきずいたのである。防衛庁長官は増田のあと、有田喜一(福田派)、中曽根康弘(中曽根派)、増原恵吉(福田系)、西村直巳(佐藤派)、江崎真澄(藤山派)とまわった。分け前の配分である。p86


 池田内閣のもとでバッジ・システムにヒューズ社製を採用させることに成功した伊藤忠商事は河野派とむすび、河野は池田内閣の主流であった。F104JにつづくFX商戦では、伊藤忠がノースロップF5を、日商がF4Eファントムの売込みをはかった。この競争過程で、佐藤派長官によって海原が追われ、つづいて伊藤忠とヒューズに秘密資料を流した川崎1佐が逮捕されたのである。その数日前には青木日出雄元3等空佐の『航空情報』事件に捜査の手が伸びている。伊藤忠に天下りしていた元航空自衛隊幹部3人が書いた原稿をリライトして雑誌に掲載したためである。さらに「3次防技術研究開発計画」(第3篇311ページ参照)の漏洩事件に火がついた。これは有吉防衛研修所長が朝日新聞政治部の防衛庁担当S記者に見せ、そのコピーが伊藤忠商事に流れたものという。こうして伊藤忠につながる内局、制服のメンバーがつぎつぎに追い落とされたのである。69年1月、日商のF4Eファントムの採用が決定された。日商は佐藤派と深く結びついているといわれている。p86


 もっとも、伊藤忠に同情するわけにはいかない。こんな話もある。「海原派とコネの深かった伊藤忠が故河野一郎以来の・・・・縁をこの辺で切り、ウシをウマに乗りかえて佐藤主流と縁結びのため海原派攻撃に自ら手を出した?とのカンぐりも行なわれている。川崎の上司為我井忠敬元2等空佐(伊藤忠航空機電子部部長代理)のロッカーから、為我井自身は焼却したバッジ関係の秘資料が見つかった―というミステリーが、この伊藤忠換馬説を裏付けるとの見方もある」(小和田次郎『デスク日記5』64~5ページ)。
 ともかく、こうして佐藤派のパイプが太くなる一方、軍需産業界では独占体の支配的地位が確立し、受注は大手に集中することになった。競争も一定の限度でコントロールされ、独占体の協定で分担生産する傾向がつよまっている。したがって、政界の体制内再編成が行なわれたとしても、かつてのような乱戦は生じないであろう。つまり産軍政の癒着は、そこまで深まったのである。p87


 こうして、自衛隊の秘密はますます独占ブルジョアジーとの共有部分を拡大している。それは研究開発部門で、特にいちじるしい。また、アメリカがそうであるように、軍事機密、外交機密が大学。研究機関における学問の自由を侵食する危険も増大している。研究資金の大部分を産軍に依存し、3重カギの秘密文書保管金庫が研究室に置かれるような日がやってこないという保証はない。こうしたなかで、個別企業と高級軍人は、習性化した秘密漏洩によって、それぞれに私腹を肥やしながら、人民にたいしては徹底的な情報管理を行ない、刑罰による威嚇をもって、もっとも基本的な国家情報を秘匿しているのである。p87
第4章 機密国家の復活
1、大日本帝国と国家機密
国家機密の生成
維新動乱のなかから出発した明治国家が、まず着手したのは中央集権制の基礎となる常備軍の建設であった。はやくも1868(明治元年)10月17日、伊藤博文は「東北凱旋ノ兵ヲ改テ朝廷ノ常備軍隊卜為シ・・・・新二我兵制ヲ改革シ、朝廷親シク之フ統御」すべきであると建議している。翌69年6月の版籍奉還の直後には、官制を改正して兵部省が設置された。(藤原彰『軍事史』24ページ)。こうして兵部大輔大村益次郎らによって、天皇の軍隊が創設されていくのであるが、その過程は同時に、国家機密保全体制の整備をともないつつ進行した。p88
 兵部省設置に先だつ69年5月には、出版条例が制定され、「妄リニ教法ヲ説キ人罪ヲ誣告シ政府ノ機密ヲ洩シ或ハ誹謗シ及ビ淫蕩ヲ導ク事ヲ記載スル者軽重二随ツテ罪ヲ科ス」と定められた。71年2月、薩長土3藩の献兵1万をもって御親兵、つまり陸軍が創設されたが、これにともない同年8月には海陸軍刑律が制定公布され、翌年2月施行された。この第70条には、「凡ソ軍機ヲ漏泄シ、軍情ヲ発露スル者、又記号暗号ノ類ヲ開示シ、機密ノ図書ヲ伝播スル者、又応援ノ路線、水攻ノ閘門ヲ公言シ、火薬ヲ蝕シ火門二釘スル等ノ挙二及フ者、其敗ヲ取リ事ヲ誤ル、之二基カスト雖モ各謀叛ヲ以テ論ス」と規定されていて、首従を論ぜず死、将校は奪官の後、銃丸打殺になった(日高巳雄『軍機保護法』、福島新吾『非武装の追求』による)。p89

こうして軍事機密保護法制が新設されるのと併行して、国防用兵方針にも転換の兆があらわれる。71年8月には、「機務密謀」に参画するものとして参謀局が設けられた。続いて同年12月24日、山県有朋らが軍事新政策を建議している。これは明治政府の初期における国防の基本方針ともいうべきもので「軍の重点を漸次、対内的より対外的に移動する」「北門の強敵(注―ロシア)、日に迫らんとするの秋、軍備を諸政一般に優先して完備する」ことを謳い、これにより治安軍備から対外的軍備への明確な方向転換が画されたのである。1年後には徴兵令が発布され、以後一貫して軍備優先の国策が追求された(防衛庁防衛研修所戦史室『大本営陸軍部(1)』9ページ)。

 1880~81年には機密保護法体系の原型となる基本的な立法がなされた。まず80年7月、旧刑法が布告された。その131条は、「本国及ヒ同盟国ノ軍情機密ヲ敵国二漏泄シ若クハ兵隊屯集ノ要地又ハ道路ノ険夷ヲ敵国二通知シタル者ハ無期流刑二処ス 敵国ノ間諜フ誘導シテ本国管内二入ラシメ若クハ之ヲ蔵匿シタル者亦同シ」と定めていた。ついで翌81年12月には陸軍刑法、海軍刑法が布告された。陸軍刑法は第54条に、「軍人敵ヲ利スル為メ土地道路ノ要害険夷ヲ指示シ若クハ攻守ノ用二供ス可キ図書及ヒ暗号記号ヲ開示シ其他軍機軍情ヲ漏洩スル者ハ死刑二処ス」の規定をおき、海軍刑法第60条も、ほぼ同様の条文であった。p89


 加えて83年4月には新聞紙条例が制定され、その第34条は「陸軍卿海軍卿ハ特二命令ヲ下シテ軍隊軍艦ノ進退及一般ノ軍事ヲ記載スルコトヲ禁スルコトヲ得 ・・・・」と定め、出版条例と合わせて言論統制の武器となった。これらの諸法令は、その後いくつかの小改正を経たが、重要なのは1888 (明治21)年の陸・海軍刑法改正であった。陸軍刑法第105条(海軍刑法第84条もほぼ同じ)は「軍人秘密ヲ要スル図書兵器弾薬ノ製法其他軍事二関スル機密ヲ漏洩スル者ハ3月以上3年以下ノ軽禁錮二処シ将校ハ剥官ヲ追加ス」と改められ、この規定は主として戦時事変の際、軍人以外にも適用されることになった。この年、旧来の鎮台組織を改めて師団編成がとられた。これにより名実ともに外征型軍備となったのである。なお、1893年には出版法が制定され、「外交軍事其ノ他官庁ノ機密二関シ公ニセサル官ノ文書及官庁ノ議事」(第18条)、「軍事ノ機密二関スル文書図画」(第21条)は、当該官庁の許可なくして出版することを禁じられ、これを出版した著作者、発行者は11日以上1年以下の軽禁錮に処せられることになった。p90

戦争と軍事機密
以上のような経過を経て、機密保護法規はほ骨格をととのえ、最初の本格的な対外戦争である日清戦争を迎えることになった。そしてこの戦争の勝利は、軍備と機密保護体制をいっそう強化するテコとして作用したのである。戦後まもなく、「諸外国の我が軍機を偵知せんとするの情漸く切であり、加ふるに我が国防計画は爾来著々達成に赴き動員出師の準備は年を追うて整頓する等愈愈軍事上の秘密を厳守するの必要を生じた」(日高前掲書)ので、1899(明治32)年7月15日、軍機保護法および要塞地帯法が公布されることになった。これにより一般国民を直接の対象とした特別の軍事機密保護法が、はじめて現われたのである。刑法、陸・海軍刑法の規定は主として戦時に関するものであり、出版法その他軍用電信、軍港要港の保全についての法令は特殊の分野に関するものであったが、軍機保護法は平戦時をとわず、軍事機密総体を保護するものであった。p90

 次に訪れた機密保護法令の大改悪は、日露戦争の直後であった。すなわち1908 (明治41)年10月1日、改正された刑法、陸軍刑法、海軍刑法がいずれも施行されることになり、その秘密保護規定は敗戦まで変わることがなかった。各規定は次のとおりである。
刑法
第85条 敵国ノ為二問諜ヲ為シ又ハ敵国ノ間諜ヲ幇助シタル者ハ死刑又ハ無期若クハ5年以上ノ懲役二処ス
軍事上ノ機密ヲ敵国二漏泄シタル者亦同シ
陸軍刑法
第27条 左二記載シタル行為ヲ為シタル者ハ死刑二処ス
1、軍隊又ハ要塞、陣営、艦船、兵器、弾薬其ノ他軍用二供スル場所、建造物其ノ他ノ物ヲ敵国二交付スルコト
2、敵国ノ為二間諜ヲ為シ又ハ敵国ノ間諜ヲ幇助スルコト
3、軍事上ノ機密ヲ敵国二漏泄スルコト〔以下略〕
海軍刑法第22条2号、3号は、陸軍刑法第27条2号、3号と同じである。続いて翌年には新聞紙条例が改められて新聞紙法となり、出版法とともに敗戦にいたるまで言論抑圧の武器となった。p91


 機密保護法制の第3次の大改悪期は1930年代、いわゆる満州事変が開始されてから太平洋戦争の前夜にいたる時期であった。すなわち34年軍用電気通信法が定められたが、その第10条は、軍用通信による通信の秘密を侵しまたは通信の秘密を漏泄した者への刑事罰適用の規定であった。次ぎに1937(昭和12)年8月13日、軍機保護法の大改悪がなされた。ちょうど盧溝橋事件の直後であった。同法改正理由書が、軍事機密の保全がつよく求められるのは「戦勝ノ関鍵ガ平時極秘裡二準備研究セル嶄新卓抜ナル作戦用兵等の諸計画・・・兵器、資材其ノ他一切ノ統合二依リテ構成セラレル奇襲戦法二存ス」るからであると指摘していることが注目されよう。こうした目的のために、あいついで新たな機密保護法規が考案されて、ついに国防保安法の制定にいたり、典型的な機密国家の出現をみたのであった。p92


 改正軍機保護法は、第1条で新たに軍事上の秘密についての定義を設けたが、その種類範囲は陸海軍大臣の命令に譲られ、統帥事項およびこれに関連ある広範な事項が含められた。また、たんなる漏泄でさえ無期、公示は死刑が最高刑として新設されるなど多くの点で改悪され、その他についての罰則も強化された。これにより直接に弾圧されたのは、「昭和14年末までの統計表によると、受理件数159件人数280人、内起訴31件44人、不起訴127件235人」であったという(伊達秋雄「軍機保護法の運用を顧みて」、『ジェリスト』59号)。その後の数は明らかでないが、新聞記者や雑誌編集者をはじめ、兵器研究に趣味をもっていた中学生、一般市民、あるいは労働運動活動家で召集により軍隊に入隊し通信記事を送った者にいたるまで仮借なく適用されている(参考資料11)。また、立入、撮影、飛行の禁止などの広範な行政的刑罰規定が新設され、国民は見ざる聞かざる言わざるの完全な無権利状態におかれたのであった。同法は太平洋戦争開始の直前、41年3月の再改正で過失による罪の罰則が強化され、敗戦にいたるまで暴威を振るったのである。


機密国家の悪夢
 中国侵略戦争がエスカレートしていくなかで、1938(昭和13)年には、国家総動員法が制定された。同法は新聞紙法、出版法を補強して政府にたいし、新聞紙その他の出版物の掲載につき制限または禁止をなしうる権限を与え、さらに、総動員事務に従事した者が知り得た官庁の機密を漏泄し、または窃用した場合などについての罰則規定をもっていた(佐藤達夫『国家総動員法』)。
 翌39年には軍用資源秘密保護法が制定された。同法は「軍用二供スル(軍用二供スベキ場合ヲ含ム)人的及物的資源二関シ外国二秘匿スルコトヲ要スル事項」につき、陸海軍大臣または主務大臣の指定をもって軍用資源秘密としていた。たとえば、公にする目的でこれを探知収集した者は10年以下の懲役、公にしたときは1年以上の有期懲役という苛酷なものであった。しかも指定秘主義をとっていたため、ありとあらゆるものが秘密とされた。p93

 これら個別の機密保護立法を集約するものとして、太平洋戦争の前夜、1941年3月7日公布され、同年5月10日施行されたのが国防保安法であった。同法は、軍機保護法とならんで秘密保護法令の二大支柱であった。国防保安法が直接の目的としたのは国家機密の保護である。すなわち「部分的、局部的な秘密ではなく、綜合された重要機密を保護すべき直接の規定」(大竹武七郎『国防保安法』10ページ)をもつものであった。「軍機保護法ハ軍事上ノ秘機ヲ保護スルト云フコトヲ目的トシテ居リマスノデ、軍機保護法二依ツテ国防保安法ガ目的トシテ居リマス外交、政治、経済等ノ国家機密ヲ擁護スルコトハ出来ナイノデアリマス、此ノ二ツニ依リマシテ初メテ国家ノ軍事上ノ機密卜、他ノ軍事以外ノ機密ノ擁護ガ出来ル」(寺沢音一編著『国防保安法』釈義篇25ページ)と説明されている。p93
 国防保安法は、偶然の原由で国家機密を入手して公にしたものについてまで、無期または1年以上の懲役を定めていた。これは、「例えば新聞記者が或官庁に行ったところが係官の机の上に国家機密を表示する図書が出してあったとか、話してゐるのを偶然聞いたといふやうな場合」(大竹前掲書132ページ) を含むものであった。p93


 だが、国防保安法の対象は、それだけではなかった。すでに述べたように、それはたんなる情報を探知収集する者にまで弾圧を加えた。さらに同法第2章には、特別刑事手続が設けられ、検事にたいし裁判所とは関係なく捜査を行なう権限を認めるとともに弁護権を制限し、また控訴を禁止するなどが定められていた。しかも、この章の規定は、軍機保護法、軍用資源秘密保護法、陸海軍刑法、国家総動員法などの秘密保護規定、刑法の外患に関する罪などにも適用されたのである。ゾルゲ事件も、これによって裁かれた。p93
 同法案が帝国議会で審議されたとき、これが戦時の臨時立法か否かという質問があった。柳川司法大臣はこれにたいし、「現下の国際情勢が著しき改善を見ざる限り本法案の必要性は何等減少しない」と答えている。つまり、戦争が終結すれば廃止するものではなく、恒久法として考えられていたのである。p94


 以上簡単にみてきたように、機密保護立法は対外戦争をバネとして、そのたびごとに強化され、ついにかつてない軍事警察国家を出現させたのである。そして機密保護法規の体系的完備の時期は、破滅的な大戦争開始のときでもあった。敗戦はこれら一切のものを、いったんは一掃したのであったが、数年を経ぬうちに、またも復活の歩みがはじまった。最初は密かに、それと気付かれぬようにすすめられたその動きは、50年代半にいたり、公然と総合的な機密保護法制定の意図を語りはじめるのである。p94

2 機密保護立法の動向
刑特法をのぞく現行法のなかで、機密という語が入っているのは外務公務員法である。同法る現行法 第19条第1項は、「外務職員が外交機密の漏えいによって国家の重大な利益をき損したという理由で懲戒処分を受けた場合におけるその処分についての行政不服申立ては、国家公務員法第90条第1項の規定にかかわらず、外務大臣に対してしなければならない」と定めている。一般の国家公務員が不利益処分を受けた場合は、人事院に審査を請求することができ、公平委員会による審理が行なわれる。この場合、請求があったときは口頭審理を行なわなければならないしさらに請求があったときは公開して行なわなければならないことになっている(国公法第91条)。

 外務公務員法は、これの例外規定を設けているわけである。外交機密の漏洩による懲戒処分の場合は外務人事審議会の調査に付され、その場合本人から請求があったときは口頭審理を行なわなければならないが、それは非公開とする、と定められている(第20条)。つまり秘密審理によって葬り去ろうという狙いなのである。p95


 自衛隊法はいっそうひどい。隊員が懲戒処分を受けたときは防衛庁長官にたいする審査請求が認められているだけで、外務公務員のように機密漏洩だけに限られていない。しかも、これを調査する公正審査会は、その決定により口頭審理、書面審理のどれかを勝手に選択することができるし、口頭審理の場合は、「公正審査会において審理の内容が秘密を要するものであると認めた場合には決定をもって公開しないで行なうことができる」(自衛隊法施行令第75条)とされている。処分を受けた者は代理人を選任することができるが、それには公正審査会の承認を得なければならない。これが現実には、どう運用されてれているのか。反戦自衛官小西誠3等空曹の懲戒免職処分にかんする審査についてみると、公正審査会は代理人8人の選任要求にたいし70年4月25日、審理の円滑のためと称して2人を認めただけで、同年6月19日には公開口頭審理をも拒否している。p95


 このような外交・軍事の分野における行政審査の現況は、かつての軍法会議、あるいは国防保安法における特別刑事手続を想起させるのである。もちろん公正審査会は特別裁判所ではないし、終審としての裁判を行なうものではない。その機能はちがうが、体質としては軍法会議の復活といっていい。陸軍軍法会議法第90条および海軍軍法会議法第90条は、「弁護人ノ数ハ被告人1人二付2人ヲ超ユルコトヲ得ス」としていた。国防保安法第30条も全く同文であった。裁判は多くの場合、安寧秩序を害する恐れがあるとして公開を停止された。公開されたときにも弁護人は国家機密、軍事上の秘密、官庁の機密について陳述することを禁止された。防衛庁が小西3曹の公正審査でとっている態度は、まさにこの再生なのである。それを許す規定がすでに自衛隊法、外務公務員法のなかに、設けられているのである。これがほんものの軍法会議の復活につながっていかないという保証はない。憲法改悪の重要な狙いの1つが、国防軍の公認とともに特別裁判制度の創設におかれていることを忘れてはならない。p96


このように、一見なんの変哲もない名称の法律のなかに、かつての機密国家体質が散りばめられている。「国民に対し、公務の民主的且つ能率的な運営を保障することを目的」とした国家公務員法が、すでに機密保護法的に運用されていることは、沖縄密約暴露問題でも明らかになった。地方自治法も同様の規定をもっている。p96


50年代の立法蠢動
 こうした法律が敗戦直後に占領権力のもとで制定されていった経過と、平和条約発効にともない刑特法が定められたこと、これらを補完するものとして53年4月30日、次官会議申合せ(参考資料1 105ページ参照)がなされ、各省庁の内規が作成されていったことについては、第1章で述べた。だが日本支配層は、国公法や内規で満足していたのではない。注目すべきは、次官会議申合せがなされたころ、すでに特別立法として機密保護法をつくろうという蠢動がはじまっていたことである。p96

 53年8月、佐藤藤佐検事総長は、「現在外国にはいずれも国防上の見地から軍事上の秘密のほか、政治・外交・経済などに関する国家の機密を保護する法律がある。わが国も独立国である以上、軍隊がなくても、軍事上の秘密以外の国家の秘密を保護するため、スパイ取締法のような法律が必要であることはもちろんである」との談話を発表している (『朝日新聞』53・8・22)。明治政府の足どりを追うかのように、彼らは独立国のメダルとして機密保護立法を待望したのである。翌54年6月にはMSA秘密保護法が成立し、7月には自衛隊の発足をみるが、この際にもMSA関係だけでなく自衛隊をも含めた軍機保護法的立法の可否が検討されたことについては、すでに述べた。このころ各省庁の内規も、しだいに整備されつつあった。日本新聞協会は54年7月24日、次のような秘密保持訓令に関する声明を発表している。p97


 「政府各省は次官会議の決定に基きそれぞれ『秘密保持に関する訓令』を定めつつある由であるが、われわれ新聞人は、これは国民の『知る権利』を制約するおそれあるものとしてその成行きに重大な関心を有するものである。民主政治のもとでは国民は国政運営の内容を充分知らされ、これが果たして国民の利益と合致するものか否かについて適正な批判を下す権利を有する。ところがこうした訓令実施さると各官庁は次第に密と称する事項を拡大し、その結果取材、報道の自由が制限され、国民の『知る権利』が縮小されることは必至である」(『マスコミ判例百選』222ページ)。p97


 マスコミ企業側の意思表明ではあるが、今日もなお、鮮明な印象を与える。声明の危惧は現実のものとなっている。だが、政府はこれに全くを耳をかさなかったばかりか、緒方竹虎副総理などは、「さきに成立した防衛秘密保護法とは別個に国家機密を保護するための新たな立法措置を早急に講じなければ、日本は滅亡するといっても過言ではない」と述べたのである。機密保護立法が宣伝の段階を過ぎ、実行に着手されはじめたのは50代後半であった。p97
 1958年2月9日、岸首相は記者会見において、「防諜法の国会提出を検討中」と語っているが、これを受けて同年9月、自民党治安対策特別委員会小委員会が作成した「諜報活動取締り等に関する法律案大綱」が治安対策特別委と政調会国防部会の了承を得て発された。 『朝日新聞』の報道により、その全文を別に紹介しておく(参考資料12)。大綱の特徴について指摘しておこう。第1に、秘密の範囲に含まれるのは、安保体制の秘密とくに日米共同作戦に関する約定と、自衛隊の機密事項が主なものである。これに刑特法、MSA秘密保護法の対象も包括されることになっているのが注目される。次に、罰則については軍機保護法、国防保安法の類型とほとんど変わらない。死刑と無期がないだけであって、刑特法、MSA秘密保護法の懲役10年以下よりも加重されているのである。p98


大綱は、60年安保改定交渉過程で アメリカ側の要求もあって具体化への動きをみせた。59年秋、左藤防衛庁長官が、軍事・外交機密の保護を目的とした「国家利益保護法」的な特別法を制定する意向を固めたと伝えられたし、60年3月には赤城防衛庁長官が、5年後には機密保護法が必要になるかもしれないと参院予算委で表明している。また、このころ刑法改正作業のなかで、機密探知罪新設のたくらみが進んだ。p98
 
    支配者の見果てぬ夢
 60年安保闘争の高揚と池田内閣による政策手直しの結果、一時この動きはストップした。だが、63年7月自民党安保調査会が中間報告のなかで、「国家機密保護体制の整備」を強調し、現状のままでは「白蟻的間接侵略を、不知不識に進行させることになりかねない」と警告を発したことから、またぞろ再燃しはじめた。とくに65年2月、三矢研究が暴露されたさいには、瀬戸山自民党副幹事長がこの問題について具体的な検討をすすめるべき段階にきたと発言している。さらに同年9月の第6回日米安協議委で、ライシャワー大使が機密保護法制定の必要を指摘した事実もある。この間、65年4月15日には、事務次官会議申合せ「秘密文書等の取扱いについて」(参考資料2参照)により、管理措置がいっそう 強化されている。p98


 彼らは決して秘密保全措置の強化と現行法の恣意的運用のみに甘んじているわけではない。佐藤首相は沖縄密約が暴露されたとき、参院予算委で「日本に守られなきゃならない機密、これがある。・・・・そこらに1つの網をつくっておかなきゃならないんじゃないかとかように考える。これは私のもともとの持論でございます」(72・4・8)と述べ、さらに機会が到来すれば単独法として秘密保護法を制定すべきだと彼の構想をしめしている。これはたんに、年来の宿願を果たそうとして果たせず、目前に退陣の日を迎えた佐藤栄作個人の繰り言ではない。p99
 政府は一貫して、現行憲法のもとでも機密保護法の制定は可能であるとの見解を明らにしている。「私は秘密保護法という題名で想像されるものが 全然できないというわけではないと思います。・・・・・(憲法上)どこの規定に根拠があるかどうかということを言いませんでも、憲法の規定に反しない限りはそういう法律ができる」(衆院予算委65・3・2、高辻法制局長官答弁)。こういう詭弁で自衛隊が設置されたし、非常事態立法や機密保護法が準備されている。そればかりか一足先に、その内容が先取りされてさえいるのである。p99

3 刑法改正による機密保護
復活するスパイ罪
 特別法として機密保護法を制定しようとする動きと併行して、刑法改正のなかでそれを実現しようという策謀もつづいている。法務省に設置された刑法改正準備会が60年4月に公表した「改正刑法準備草案」(未定稿)は、その第136条において、「①外国に通報する目的をもって、日本国の防衛上又は外交上の重大な機密を不法に探知し、又は収集した者は、2年以上の有期懲役に処する。②外国の利益をはかり、又は日本国の利益を害する目的をもって、防衛上又は外交上の重大な機密を外国に通報した者も、前項と同じである」と規定していた。p99

 この条が設けられた経緯について、準備会委員の1人であった吉川経夫法政大教授は、 「最初は防衛上の機密に限ることにしていたのですが、防衛機密だけというのは憲法との関係が目立ちすぎるというので 外交上ということも入れたのですが、かえって議論の種をまきましたね」と語っている(「改正刑法準備草案各則の問題点」、『法律時報』32巻10号94ページ)。準備草案は、1940(昭和15)年の改正刑法仮案を基礎とするものであった。

吉川教授はいう。
「やはり仮案を出発点としたことに根本的な問題があったと思います。仮案を技術的に参照するのは結構だけれども、少なくとも国家的法益に対する犯罪の規定の厳しさというものは、現在とうてい問題にならぬと思うのですが、委員のうちには、昭和15年当時よりも現在の方が治安状態は悪化しているから、この種の規定をもっと強化する必要があるという意見さえありましてね」(前掲誌87ベージ)。

 この発言は、準備草案の内乱・外患の教唆にたいする罰則が破防法より強化されていることに関連してのものである。だが、それはスパイ罪規定の背景にあるものがなんであったかをも、しめしているのである。このように準備草案は昭和35年を直接、昭和15年に接合するものであった。スパイ罪の罰則は、刑特法やMSA秘密保護法よりも重い。それは、内乱・外患教唆の罰則を「破防法の刑よりも重くすることについてはもちろん反対があったのですが、破防法は制定当時の政治情勢から遠慮しすぎた刑をもっているという意見もありましてね」(前掲書86ページ)と吉川教授が説明しているような理由によるのである。準備会主流の思想からすれば、「政治情勢」さえ許すなら軍機保護法、国防保安法、治安維持法と同じく死刑をもってのぞみたいところであろう。p100

 61年11月7日、植本法相は記者会見で、刑法改正を今後2、3年で実現するとの強い決意を表明、翌12月には確定稿が発表された。第136条は「機密探知等」として、一部字句を改めて存置されている。準備会の小野清一郎議長は、この規定を設けたわけを理由書のなかにこう記している。

 「現行刑法には、もと、間諜行為及び軍事上の機密を漏らす行為を罰する規定があったが(第85条)、昭和22年法律第124号によって廃止された。これは一切の軍備を撤廃した結果、もはや軍事上の機密というものもなく、従ってその探知収集(間諜)又はこれを漏らすということも問題にならぬと考えられたのであろう。
 しかし、今や防衛庁というものがあり、陸上、海上、及び航空自衛隊というものがある。そして防衛庁及び自衛隊は防衛上の秘密をもっている。その或るものは、国家の安危にかかわる機密である。刑法においてかような機密を保護する規定の必要であることは、あらゆる国の刑事立法において間諜その他機密保護の規定があることによっても明らかである。
 ところで、刑法において保護されなければならない機密は、防衛上の機密に限らない。国家はその行政の各部内において機密をもっている。・・・外交上の機密については、軍事上の機密を内容とするものもあるし、過去における経験に徴しても、その刑法における保護を必要とすることは明らかである。それで、本条は日本国の『防衛上又は外交上の重大な機密』を保護するために、これを漏らした者及び漏らす目的をもって探知又は収集した者を処罰する規定を設けたのである」(吉川経夫 「刑法における国家秘密の保護」、『法律時報』71年9月号より再引用)。p101


 憲法施行に当たって削除された刑法の通謀利敵罪は、「敵国」との関係にかかるもので、戦時にのみ適用された。しかも、これが存続した40年間に発動されたのは、ただ1件、それも1946年に免訴となっている(前掲吉川論文)。これにたいし、準備草案の規定には「外国」とある。つまり平時にも適用されるのである。準備草案は、法制審議会刑事法特別部会の審議に付された。機密探知罪は第4小委員会で検討されたあと1966年7月4日、刑事法特別部会の第7回会議で採決に付され、刑法中には規定しないことに決定した。この部会の議事速記録は「部外秘」に指定されているという(「知る権利と国家の秘密」、『法学セミナー 』72年6月号)。p101

 拡大される公務員の機密漏示罪
刑事法特別部会で決定された改正刑法草案は72年3月に公刊されているが、これに付された説明書は機密探知罪を設けなかった理由に触れ、次のように述べている。このなかで「特別法で詳細な規定を設ける」ほうがより適当であると指摘されていることを見逃がしてはならない。
「審議の過程では、日本国の安全を害するおそれのある防衛上又は外交上の機密の保護を十分にはかるため、この種の機密を不法に探知し、又は収集する行為、あるいは、外国の利益をはかり、又は日本国の利益を害する目的で、これを外国に通報する行為を処罰する規定を設けるべきであるとする意見があった(第1次案136条A案)。しかし、これに対しては、『機密』の概念が不明確で乱用の危険があり、新聞記者等の取材行為にまで適用することになると、憲法で保障された表現の自由を侵すことになるおそれもあること、この種の機密を保護する必要があるとしても、機密の範囲を具体的に限定して乱用の危険をなくするためには、特別法で詳細な規定を設けることとする方が適当であること、外国から武力の行使があった場合に防衛上の機密を探知したり又は通報したりする行為は、外患援助(第127条)として処罰の対象になることなどが指摘され、刑法には機密の探知等に関する特別の規定は設けないこととされた」(172ページ)。

 こうして、ふたたび独立立法としての機密保護法を追求することになったのである。代わりに改正刑法草案第140条に、公務員の機密漏示罪が新設されている。すなわち「公務員又は公務員であった者が正当な理由がないのに、職務上知ることができた機密を他人に漏らしたときは、3年以下の懲役又は禁固に処する」というものである。説明書はいう。
「公務員法等に定められた刑は、この種の行為に対するものとしては軽すぎること、国家公務員法又は地方公務員法の適用を受けない特別職公務員の中には、秘密保護のための罰則の適用を全く受けないものもあり、これらの公務員が機密を漏示した場合にも処罰の必要があること等の理由から本条を新設することとされた」 (176ページ)。
 このように、懲役1年以下が3年以下に引き上げられるだけでなく、特別職公務員にも適用する狙いが込められているのである。特別職には国公法が適用されない。そのうち総理大臣、国務大臣、就任について選挙によることを必要とする職員、国会議員の秘書などについては、同じ特別職の自衛隊員、外務公務員、裁判官などのように特別の法律もない。わずかに官吏服務紀律第4条の「官吏ハ己ノ職務ニ関スルト又ハ他ノ官更ヨリ聞知シタルトヲ問ハス、官ノ機密ヲ漏洩スルコトヲ禁ス 其職ヲ退ク後二於テモ亦同様トス」という規定が適用されるだけだが、これには罰則ない。そこで刑法に規定することにより、国会議員をも含めたすべての公務員を拘束しようというのである。なお、ここにいう「機密」とは、「国又は地方公共団体の有する秘密のうち特に重要なもの、いいかえれば、これを漏示することによって、国家の安全その他重要な公共の利益に重大な損害を与えるおそれのあるものをいう。公務所によって機密と指定されているかどうかを問わない」(説明書176ページ)とされている。p103
 いま一つ、第322条の企業秘密漏示罪新設がある。企業の役員または従業者が、その企業の生産方法その他の技術に関する秘密を第3者に漏示したとき、3年以下の懲役または50万円以下の罰金に処するというものである。これが軍需産業の企業秘密を守り、あるいは企業の公害責任を隠蔽するために利用されることは明らかであろう。p103
 全国民を拘束する刑法あるいは特別法によって、機密保護規定が新設された場合、状況は根本的に変わるであろう。たとえば、刑法中に公務員の機密漏示罪が設けられた場合、 どうなるかについて次のように指摘されている。
「現行法のように秘密漏示罪がもっぱら公務員の服務規律違反という形でとらえられていれば、第3者がこれを探知しようとする行為等が共犯として処罰される範囲は、性質上おのずから限定されるが、これが『自然犯』として、直接一般国民を対象とする刑法典中に取り入れられることになると、ストレートに刑法の共犯に関する規定の適用を受けることになり、それが拡大することは避けられない」(吉川経夫「刑法改正案の批判的検討」、『法学セミナー』72年6月号)。
 要するに、秘密保全体制の強化と現行法の乱用によってすすめられつつある量の蓄積が、それによって爆発的な増殖過程に入るのである。軍事・外交の中枢部に発生し、次第に市民社会をも蝕みつつある病巣が一挙にひろがり、ふたたび機密国家が出現することになるのである。

第2篇  自衛隊の機密
第1章 作戦用兵
1 軍令事項
軍政と軍令
現在、自衛隊では、「作戦用兵」「軍政・軍令」という用語を公式には使用していない。これらが禁句とされているのは、いうまでもなく、軍とか兵という字が自衛隊の違憲性を自己暴露するからである。だが、戦い字は、すでに解禁されている。たんに作戦といい、戦略というのは公認されている。かつて特車と称していたものも、61年の師団誕生のときから戦車と呼ぶことになった。戦争はやるが、それを遂行する主体は軍でなく自衛隊であり、その構成員も兵でなく隊員であるという、この辺が政府の欺瞞的憲法解釈の許容限界とされているわけである。p128
 ブルジョア古典兵学以来、軍事に関する活動は、2つの分野に分けて考察されてきた。その1は戦力の創造、育成、維持の分野、つまり軍政事項、自衛隊用語では防衛力整備の関係であり、その2は、こうして建設された戦力の使用に関する分野、つまり軍令―作戦用兵事項である。後者について自衛隊では、たんに行動または作戦、あるいはオペレーションの関係と呼んでいる。米軍はoperationの用語を「軍事行動一般を称する場合のほか、兵站又は訓練を遂行することにも使用」している(陸幕訓練資料『用語集』。陸海空自衛隊に共通する公式用語とその意義を定めた『統合用語教範』(68年3月、統合幕僚会議)は、「作戦〔行動〕」を次のように定義している。
1 広義には軍隊〔自衛隊〕が与えられた任務達成のために遂行するあらゆる軍事行動をいう。
2 狭義にはある目的を達成するまでの一連の戦闘行動をいい、捜索、攻撃、防御、移動、機動等及びこれに必要な補給活動を含む。
 同教範「はしがき」によれば〔〕内の字句は、「その直前の字句といずれか適当なものを選択して用いる」とされている。つまり、軍隊というか自衛隊というか、あるいは作戦とよぶか行動とよぶかは、選択の問題であるにすぎない。公式には右のような内容をもつ行動、作戦(オペレーション)の用語が使用されているのであるが、制服組は旧帝国軍隊以来の慣用にしたがい、作戦用兵、軍政、軍令などの語を多く使用している。旧軍の場合、軍令事項は天皇の統帥権に属し、陸軍は参謀総長、教育総監、海軍は軍令部総長が掌握していた。したがって内閣は、全く関与できなかったのである。 ただ軍政事項だけが、内閣に属する陸・海軍大臣の所管とされ、一定範囲で閣議事項となったにすぎない。p129
 参謀本部条例(明治41年軍令陸第19号)の第1条は、「参謀本部は、国防及び用兵の事を掌る所とす」と定めていた。軍令部令も同文であった。ここにいう国防とは兵力をもって国家を防衛することをいい、用兵とは外敵もしくは内敵にたいし、または治安維持のために軍隊を運用することを意味していた(日高巳雄『軍機保護法』152ページ)。軍令事項とはこのように広範囲のものであったが、具体的になにが含まれるかについては多くの問題があった。陸軍と海軍では相当の差異があり、また軍部の台頭にともなって軍令事項の範囲が拡大されていった。本来は軍政事項であった兵力量の決定が、昭和初年以降は軍令に含められたのが、その一例であろう。1922(大正11)年、陸軍当局は軍令事項として次の11項目を例示している。
①作戦計画に関する事項
②外国への軍隊派遣に関する事項
③地方の安寧秩序維持のため兵力使用に関する事項
④特別大演習に関する事項
⑤動員に関する事項
⑥平戦時編制
⑦戦時諸規則
③軍隊の配置に関する事項
⑨軍令(法形式としての)に関する事項
⑩特命検閲に関する事項
①将校及び同相当官の平戦時職務の命免及び転役
⑫其他軍機軍令に関し、臨時允裁を仰ぐを要する事項(防衛研修所『自衛隊と基本法理論』78~9ページによる)
 軍令事項の具体的内容は、大正末期には右のようであった。軍の内部規定としては、 「陸軍省・参謀本部・教育総監部関係業務担任規定」、「海軍省・軍令部業務互渉規程」に定められていた。いずれも天皇に上奏して允裁を得たものである。p130

開ざされた用兵面
 自衛隊では、軍政・軍令事項がどのように区分され、分担されているのであろうか。公表されている訓令には、これについて直接定めたものはない。わずかに「業務計画に関する訓令」(昭和34年訓令第14号)から、ある程度の推認ができるにすぎない。同訓令第2条は、用語の意義について定め、「(この訓令において)『業務』とは自衛隊法第6章に規定する自衛隊の行動に係る業務を除く業務をいう」としている。業務計画は毎年度の予算要求および執行の基礎となるものであり、防衛力整備5ヵ年計画(4次防など)と同じ性質のもの、つまり軍政の分野に属する。p131
 この対象から除かれているのが、隊法第6章「自衛隊の行動」関係なのである。第6章では、防衛出動、治安出動、防衛出動待機、治安出動待機、海上における警備行動、災害派遣、領空侵犯に対する措置の実施について定めている。この7つの任務を遂行するための各種の行為が、『統合用語教範』にいう広義の作戦または行動に含まれている内容なのである。これが自衛隊における作戦用兵―軍令の対象であると考えていい。用兵の系列における基本的計画は防衛計画と呼ばれている。とうぜん「防衛計画に関する訓令」があるはずであるが、公表されていない。「秘」扱いの内訓とされているのであろう。p131
 軍事力の建設と使用は、不可分の関係にある。自衛隊の軍事理論では、この両側面について決定するものを軍事政策または防衛政策と呼ぶ。それは国防政策の一部であって、防衛力の造成、維持ならびにその運用などに関する政策である。軍事政策は、①国家活動によって追求される基本的な目標である国家目的、②これを達成するため当面、国の努力を指向すべきところをしめす国家目標、③これを達成するため国の政治、経済、社会、軍事、その他各般にわたる国力を発展させ、これを運用することについて定めた国家政策というように順次導き出されてくるとされている。これらがどのように策定さているのか。公表されたものとしては57年5月20日、国防会議で決定された「国防の基本方針」が主なもので、国防政策といえるほの内容は含まれていない。p131
 だが、軍備増強計画と用兵計画は、相互連関をもって確定、推進されているのである。作用用兵は、軍事力の水準によって大きく影響される。つまり、時代の生産力の発展水準にもとづく兵器装備の特質と軍隊の社会的構成、編成配備の在り方が、窮極的には作戦用兵を規定するのである。装備近代化がすすめば編成配備にも変化が生じ、これに対応して戦略構想も積極的・攻撃的・侵略的な方向に転換していく。しかし他方では、国防用兵計画が軍備増強計画の規模と内容を決定していくのである。p132
 人的・物的戦力の客観的能力は、予算、装備、基地、兵員等の量質から、ある程度その概容を把握することできる。だが、それがどう使用されるかの用兵構想は、主として無形の意図であるにすぎない。しかも、侵略戦争計画、奇襲戦略が採用される場合、この意図は徹底的に秘匿される。とくに、強力な近代装備をもって相対する現代戦にあっては、軍事の分野に関するかぎり先制第1撃が決定的な意味をもつ。核ミサイル戦争がその典型であろう。p132
 こうしたわけで、帝国主義軍隊はその企図―作戦用兵計画に最高の秘密区分を指定するのである。旧帝国軍隊がそうであったし、自衛隊もまたそうである。用兵面こそ、国民から隔絶した自衛隊の、もっとも暗黒の部分であり、また、もっとも危険な側面である。これを解明することなしに、建設されつつある戦力の本質を捉えることはできないのである。

2  統合戦略見積

統合年度戦略見積
自衛隊制服組の最高機関である統合幕僚会議は毎年、次年度の統合戦略見積を作成する。また、必要に応じ次年度以降10年間の長期戦略見積を行なう。戦略見積とは、「戦略的な諸計画を作成するために実施する諸見積をいう。この場合の諸見積には、幕僚の行なう諸見積のほか指揮官の行なう情勢判断が含まれる」(『統合用語教範』)と定義づけられている。なお、見積(estimate)とは、「指揮官又は幕僚が、ある状況下において与えられた任務達成のためとるべき最良の行動方針を決定するために関係ある諸要因を分析評価検討して結論を求めること、ならびに将来のある時点又は期間における部隊等の各種能力又は必要とする人員、資材等の質及び数量等をあらかじめ概算することをいう」(同教範)とされている。p133
 統合年度戦略見積、統合長期戦略見積は、秘密区分「極秘」に指定される。年度のものとしては、「昭和40年統合年度戦略見積―資料」の一部が明らかにされている(参考資料13)。これについて72年5月17日、衆院外務委員会は秘密会を開いて審議している。この席における政府答弁にもとづき右文書の性格について分析しておこう。秘密会は同日午前11時10分から午後零時15分まで行なわれている。ことわっておくが、この秘密会の内容を、私が 「探知収集」したのではない。会議録として発行されているのである。奇妙な話だが、これは政府が秘密会においてさえ、まともな答弁をしていないことを物語っているといえよう。会議録にはとくべつ削除部分がしめされているわけではないし、また秘密会の席上、曽祢益議員(民社党)が、「きょうの議論を伺っていると、何ゆえに秘密会なのか全然わからない」と発言していることからも、そう判断できるのである。p133
 さて、久保防衛局長の秘密会における答弁によれば、右文書は統合戦略見積をつくるために幕僚が会議の討議資料として25部作成したものであり、これにもとづく討議の結果は戦略見積のなかに相当程度取り入れられている。だが、戦略見積作成後に右資料は廃棄されたという。では、なにが取り入れられたのだろうか。これについて、防衛当局の説明はない。「資料」は、自衛隊の核武装、海外派兵構想を明白に謳っている。方針の項には作戦準備は「核戦に対処することを併せ考慮する」とあり、また、「作戦実施の間に、必要な場合、核戦力の支援を得るものとする」とも述べている。さらに「自衛隊の行動区域は防衛目的達成のため必要な範囲とし、要すれば外国領域を含むものとする」と海外派兵の方向を打ち出してさえいる。この点について久保防衛局長は、次のように答えているのである。
「統幕をはじめ制服の人たちが考えますることは、きわめて軍事技術的な観点から考えております 。・・・・できれば相手国の基地をたたきたいという思想は確かにございます。・・・・ この資料にもありますように、可能であれば、わが方もやるんだという原則論が書いてあるだけでありますけれども、さっきも申し上げましたように、制服はやや勇み足と申しますか、そういうことで、わが国の政策には反することです。したがって、最終的に取り入れられる防衛計画の中では、これはすべて米側に依存するというふうに書かれております」。

果たして、そうなのか。「資料」にもとづき作成されたという戦略見積は、「極秘」文書であるとして、ついに国会には提出されなかった。「資料」自体も破棄したため存在しないという。したがって、たんなる討議資料であるという答弁も、にわかには信じがたい。むしろ、文書の内容から判断すれば、戦略見積の付属資料ではないかという疑問が生じる。なぜなら、そこに述べられているのは、『統合用語教範』にいう「見積」ないし「情勢判断」とは異質のものであって、むしろ自衛隊運用の基本を明らかにした内容であるからである。 この点からいえば、右文書は年度統合防衛計画の要約なのかもしれない。p134
統合長期戦略見積
戦略見積と防衛計画の関連について、江崎防衛庁長官は秘密会の席で、次のように説明している。
「年度統合略積というのは、防衛庁設置法の26条で、統合幕僚会議の所掌事務である年度の統合防衛計画の作成、これに資するために、統合幕僚会議事務局による幕僚研究、この作業を取りまとめたもの・・・・。この見積に基づいて、実際の自衛隊の運用の基本、陸海空それぞれの自衛隊の共同作戦の準拠について年度の統合防衛計画というものを詳密に作成をしていく」。p134
 年度戦略見積のほかに随時作成される統合長期戦略見積というのは、軍事政策の転換点、防衛力整備5ヵ年計画の立案時期などにつくられるものである。長期戦略見積とは、「将来における防衛戦略(注ー軍事戦略のこと)を検討して整備すべき防衛力の質的方向を明らかにし、もって防衛諸施策の策定に資することを目的とした戦略的見積」をいう(『統合用語教範』)。軍事戦略とは、武力の行使、または武力による威嚇によって国家目標を達成するため、国の軍隊を運用する方策をいう。つまり、先に述べた軍事政策の一部をなすものであって、最高の作戦用兵計画にあたる。長期戦略見積は、将来の軍事戦略を決定するために関係ある諸要因を分析、評価、検討して結論を導き出したもので、これにより防衛力整備の方向が定められるのである。p135
 戦略見積の構成について69年6月24日、宍戸防衛局長は、①内外の脅威の客観的見積、②わが能力の見積、③安保条約にもとづく米軍の能力、対日支援の期待度の見積からなると答弁している(衆院内閣委員会)。年度戦略見積については57年3月25日の衆院内閣委員会で、飛鳥田一雄議員(社会党) が次のように政府を追及したことがある。当時は戦略見積を情勢見積と言っていた。戦車が特車と呼ばれていた時期である。
「何か統合幕僚会議の中で統合情勢見積というようなことをやっておられるそうでありますが、これを伺いますと、対日作戦に使用することのできる兵力として、陸上は、開戦当初は約15師団、これを輸送力から見れば、大型船舶で5,6個師程度、小型艇では、1個師程度、空挺では1・5ないし2個師程度の同時輸送が可能だ、こういうことを統合幕僚会議の統合情勢見積としてお持ちになっているということであります。・・・それから航空の場合には、開戦当初各種機種合せて最大限2000機、このうち常時出動機数は約1000機ぐらいだろうというふうにお考えになっている、こう聞いておりますが、これでよろしいのかどうか。それから海上の場合には、潜水艦約120隻常時出動約40隻くらいとお考えになっておるように思われます。こういうものを私たちはあなた方の出したこの防衛6ヵ年計画の算出の基盤と考えていいかどうか」。
 当時の防衛庁次長 (現在の事務次官にあたる)は増原恵吉 (現防衛庁長官)であった。彼は次のように答えている。「周囲の情勢判断の中に、今お述べになりました数字に似たような数字のある場合もございます」。(なお、飛鳥田質問と同趣旨の資料は、堂場肇ほか著『防衛庁』〔56年9月〕150ページ以下にも掲載されている。)
 長期見積としては、「昭和44年統合長期戦略見積」(44L)の一部が報道されたことがある。69年8月6日、統幕事務局第5室作成の44L中間報告が統幕会議で承認され、9月25日、有田防衛庁長官に報告されたという](『朝日新聞』70・1・3)。その内容は、①全面戦争の可能性は少なく、直接、日本への侵攻作戦が行なわれることもない、②起こりうるのは朝鮮半島や台湾海峡での武力紛争の波及および間接侵略型の国内紛争である、③米国の極東戦略は、これまでのように紛争に積極的に介入する態度を変更し、自国の国益を中心に考えるであろう、④したがって日本は局地的紛争に独力で対処しうる体制を、これまで以上に積極的に進める必要がある、というものであった。こうした判断から69年秋の日米共同声明路線が生まれたのであったし、4次防計画が立案されていったのである。

仮想敵国についての証言
 戦略見積で「脅威」を分析評価する場合、もっとも重要なのは、仮想敵国の設定である。仮想敵国は本来、軍事政策ないし軍事戦略の次元で決定されるものである。自衛隊の軍事理論からすれば、それは国家目的・国家目標から導き出されてくるし、事実そうなっている。日本支配層が片面講和を選択し日米安保条約を締結したときから、その方向は明瞭にされている。「国防の基本方針」が「米国との安全保障体制を基調として」「外部からの侵略」に対処するというとき、「侵略者」としてどの国が想定されているかはいうまでもなかろう。p136
 だが、政府は一貫してこれを否定する。増原恵吉防衛庁次長は、さきの答弁(57・3・25)で、「いわゆる仮想敵国を想定するという形では私どもは作業をいたしておりません」と述べているし、60年安保締結のさいにも仮想敵国はないと答弁された。こうした政府の言明が2枚舌の欺瞞であったことは、三矢研究の暴露によって明らかとなった。同研究の統裁官であた田中義男元統幕事務局長は、恵庭裁判で次のように証言している。
で対象 れ 。
―(三矢研究で) 対象国は想定さましたか。
田中  はい。
―対象国というのは戦前、旧軍でよくいわれました仮想敵国という言葉とどういう関係になりますか。
田中  仮想であっても敵国というような表現をすることは非常に強い刺激を与えるということでありまして、とにかく研究をする上において必要なことを想定した相手であると、こういうような意味であります。
―三矢研究において対象国とはどこの国ということを決めてないということですか、決めているのですか。
田中  対象国はどこの国にしたかということにつきましては、これは、やはり防衛庁長官の許可を得てから申し上げたいと思います。
―あなた方のつかう言葉で言うと、北鮮・中共これは仮想敵国、対象国ではないですか。
田中  その点も防衛庁長官の許可を得てから申し上げます。
―それも「機密」なんですか、理由は。
田中  これは今まで対象国、どこだということは、政府は申しておらないはずです(65・5・28第19回公判調書による。一部省略)。
 こうして田中元陸将は証言を回避し、防衛庁も承諾を与えなかった (第1篇参考資料5、109ページ参照)。だが、「政府は申しておらない」にもかかわらず、防衛庁中枢では対象国として具体的な国名をあげて設定していることが明らかになったのである。三矢研究の場合、具体的な国名は記載されていなかったが、その他の機密文書には書かれていたのであろう。p138
 おなじく自衛隊裁判として闘われている長沼ナイキ基地事件で、元空幕長源田実参院議員がこの問題について証言している。
―いやしくも国家が軍隊を持った場合に、当然、想定敵国というものを想定をする。そして、国防の方針なり兵力量を決めていく、これは当然のことでしょうね。
源田   一般的にはそうですけれども、現在の日本では、想定敵国という考え方および言葉を用いないようにしております。
―対象国、あるいは防衛対象国という言葉を用いることはありませんか。
源田   対象国という言葉も、現在日本の政府および防衛庁関係、そういうところでは使っていないと思います。(70・10・9第6回口頭弁論調書による。一部省略)

対象国X・Y・Z
源田証言が真実であるとすれば、三矢研究が実施された63年時点には設定されていた
が、現在は消えているのであろうか。そうではない。『統合用語教範』には「対象勢力」の語があり、「防衛及び警備上の対象となる国内及び国外の勢力をいう」と規定されている。 いまも「対象」はある。しかし国名をあげず、たんに「勢力」と呼ぶように変更されたのであろうか。確かに68年ごろ、対象国についての取扱いが変化した。増田甲子七防衛庁長官の時期である。その間のいきさつについて、毎日新聞社編『安保と自衛隊』は、次のように述べている。
「現職の制服は立場上、公式には(仮想敵国について)はっきりした意見は述べない。しかし、非公式の話となると『ソ連は』、『中国は』、少しもはばからない。仮想敵国はあるのかないのか、それはソ連かどこか―こういう議論は、制服にとっては論外ということかもしれない。ところが仮想敵国はおろか、防衛対象国という言葉のタブーだ。防衛計画に中ソの具体的地名を織込むこともご法度。 『長官命令ですからね、従わざるを得ませんよ。でも、やりにくくなったな』制服のトップクラスはこぼしている。p138
 増田前長官の言い分を聞こう。『条約とか国策で決定した場合が、仮想敵国です。しかし、安保はそんなことうたっていないし、閣議で決定したわけでもない。だから仮想敵国はないよ。・・・・・』(同書208ページ)。
 どうやら、閣議決定にもとづく仮想敵国はないが、防衛庁かぎりの対象勢力はある、ただし社会主義圏の国名や地名は文書には記載しない、ということらしい。長官命令が出たのは68年3月16日の衆院予算委員会で、岡田春夫議員(社会党)が菊・はやぶさ演習想定を暴露したことが直接の契機であったとも伝えられている。想定は樺太、千島、沿海州を領土とする赤国と自衛隊が交戦するというもので、ソ連が仮想敵国とされていることに疑問の余地はなかった(菊・はやぶさ演習については藤井『自衛隊の作戦計画』52ページ以下参照)。
 では、現在の統合戦略見積あるいは防衛計画のなかで、対象国はどう表現され ているのだろうか。前述した衆院外務委国秘密会(72・5・17)で久保防衛局長は、こう説明している。

「40年度のときは、たしか外国の名前をあげてあったと思います。それから41年度ぐらいからかと思いますが、周諸国については特定の名前をあげておりません。・・・40年度でなく、それ以降の統合防衛計画あるいは戦略見積の中に使われておりまするローマ字そのものは外国の名前であります。・・・統合戦略見積あるいは防衛計画の中で使われておるZは、外国の名前であります」。p140
 
 久保防衛局長は統合防衛計画、統合戦略見積は、Zというローマ字で特定の外国を表現しているという。久保答弁の前後の関係から推定すれば、Zはどうやらソ連をさすらしい。とうぜんX、Yは中国、北朝鮮ということになろう。なんのことはない。国名は記さないが、国外対象勢力はX・Y・Z国とされ、それはソ・中・北朝鮮を意味しているのである。
 これと同じ手口は、陸上自衛隊の『対抗部隊』教範でも使われている。この教範は訓練用に使用するとの口実のもとに、仮想敵国軍の編成、装備、戦略、戦術を研究、集約したものである。それは3部からなり、甲はソ連、乙は中国丙は北朝鮮に関するものであって、その秘密区分は甲が「秘」、乙、丙が「極秘」となっている。
 第2図は情勢(戦略)見積と防衛計画作成その他との関連をしめしたものである。p140

3 最高の作戦計画

中期戦略目標計画
 戦略見積にもとづいて作成される自衛隊最高の作戦計画が統合防衛計画をはじめとする防衛計画である。策定手続、計画事項そのものが秘匿されているため、その実体を把握するのはもっともむずかしい。ただ1つ、56年5月に陸上自衛隊幹部学校が作成した「部外秘」文書『野外令―大部隊(第1次案)』に、これについての記述がみられる。その第2章第3節は「防衛計画」と題し、冒頭で次のように述べている。p141

(a) 防衛計画は、自衛隊の任務達成のため、予想されるすべての情勢に対応するように、平時から自衛隊の最高指揮機関、陸上・海上・航空自衛隊の最高指揮機関及び所定の大部隊において、あらかじめ策定準備する.
(b)自衛隊の最高指揮機関は統合防衛計画を、陸上・海上・航空自衛隊の最高指揮機関は統合防衛計画に基づきそれぞれ主任務遂行のための防衛計画を策定する。
 防衛計画は、通常これを長期(要求)計画、中期(目標)計画及び短期(能力または緊急)計画
 に区分する。
短期計画中、防衛作戦に直接関連するものは年度防衛計画である。
 防衛計画の策定要領は別に定めるところによる。p141

上のような構成は、今日も基本的には変わっていない。長期・中期防衛計画の策定を担当させるため1961年、統幕事務局に第5幕僚室が新設されている。防衛庁筋によれば、防衛庁長官の決裁を得たものとしては、今日もなお年度統合防衛計画だけしかないという。だが、それ以外に、一定の意義をもつ計画が作成されていることは確かである。『統合用語教範』にも、「中期戦略目標計画」の語があり、これは「防衛力整備計画に対する統合的な軍事要請として、対象期間末頃における防衛戦略構想を樹立し、これに基づく所要防衛力を検討するとともに、対象期間における防衛力整備その他統合的施策を要する事項についての戦略上の見解を明らかにすることを目的とした計画である」と解説されている。p141
 つまり、中期計画とは防衛力整備5ヵ年計画の策定に先だち、計画末期の軍事戦略をたてて軍事的見地からの要求をしめすものなのである。これに相当するものとしては、1959年に統幕事務局がまとめた「第2次防衛力整備計画に対する軍事的要請」をあげることができよう。その第1部「防衛力整備上考慮すべき基本的考え方」は、戦略上の分析と要を示して次のように述べているのである。

㋑核兵器は侵略者に対し、大なる侵略の代償を要求するので、防禦兵器としても効率的であるといわれる。軍備は本来精強を目的とするものであるから、核兵器を導入することは軍事的に当然の要求であろう。
㋺現在ソ連は核兵器を保有しており、核戦争の生起を抑止する決定的方策のない現在、わが防衛作戦において、核戦争を全面的に否定することはきわめて困難かつ危険である。また、米国は戦略的にも戦術的にも核戦力を中心とした装備を行なっているので、連合作戦においては米国は核使用を行なう可能性がある。したがって米国と連合して共産陣営に対抗するわが国としても、核戦遂行力を保有することは望ましいと考えられる。
㋩さらに、将来中共、北鮮、南鮮等が核装備を行なうことになれば、軍事的バランスの保持上、わが核装備が要求されるであろう。
㋥したがって対核戦能力は勿論、防禦用兵器を中心とする戦術核程度の使用能力は軍事的に見れば保有するべきであろう。

年度統合防衛計画
 上言からは、65年度の統合戦略見積―資料と共通する戦略思想を読み取ることができよ う。こうした軍事戦略にもとづいて作成されるのが、年度防衛計画である。これについて前掲『野外令―大部隊(第1次案)』はいう。
「年度防衛計画は、当該年度内においてその時機のいかんにかかわらず、現有する防衛戦力をもって実施する


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