2018年11月9日金曜日

『731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~』

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NHKスペシャル 『731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~』 20170813



NHKスペシャル『731部隊の真実 エリート医学者と人体実験』その1  マスコミ(165)2017年8月17日・Ⅱ
命を守るべき医学者がなぜ人体実験に手を染めたのか


 きょうの未明、午前1時に再放送されたNHKスペシャル『731部隊の真実 エリート医学者と人体実験』を録画しておいて見た。力作である。NHKの良心的な仕事がここにあった。
 まずは、冒頭のタイトルが出るまでを詳しく再現してみよう。

ナレーション
 関東軍防疫給水部いわゆる731部隊。戦時中、細菌兵器の開発を行った日本軍の秘密部隊です。これまで、厚いベールの被われてきたこの組織、その全貌を知る手掛かりがロシア・モスクワで見つかりました。
 【ロシア国立音声記録アーカイブの映像】

担当者の声と映像
 これは1949年のハバロフスク裁判のオリジナルの磁気テープです。

ナレーション
 当事者たちの肉声を記録した22時間に及ぶ音声テープ。終戦から4年後、731部隊の幹部らを裁くために旧ソ連で開かれた軍事裁判の記録です。

テープの音声
 マイクの前に寄ってください。
 【被告人たちの映像】

ナレーション
 細菌兵器開発のために生きた人間を実験の材料として使ったと証言されていました。

テープの音声 関東軍軍医部長の証言
 秘密中の秘密というのは、細菌戦をもって攻撃をやるという研究をやったということと、それから人体実験を行ったという、2つ点であります。

テープの音声 731部隊衛生兵の証言
 びらんガスを人体実験に使用して、手とか足、顔がびらんガスにかかってただれて、留置所の中に入っているのを見ました。

ナレーション
 731部隊の実験を行っていたのは、中国東北部の旧満州にある秘密研究所。生きたまま実験材料とされ、亡くなった人は3000人に上るともいわれています。
 【捕虜が柱に縛られている映像】
 なぜ、人体実験はこれほどの規模で推し進められたのか。
 【慶応義塾大学や東京帝国大学、京都帝国大学の医学資料や写真の映像】
 NHKは、国内外の数百点の資料を収集しました。浮かび上がってきたのは、軍人だけでなく、東大や京大などから集められたエリート医学者たちの、人体実験を主導していた実態でした。
 【学者の写真】
 京大出身のこの細菌学者は、致死率の高いチフス菌を研究、細菌を詰めた爆弾で、大量感染を引き起こす実験をしていました。【爆弾の図】
 【別の学者の写真】
 この医学者は、人の手や足を人為的に凍傷に罹(かか)らせる実験をしていたといわれます。【日本兵士の凍傷の写真】

テープの音声 731部隊憲兵隊員の証言
 その中国人の手を見ますと、3人は手の指がもう全部黒くなって落ちておりました。残りの二人はただ骨だけ残っておりました。

ナレーション
 専門知識をもった医学者が集められ、組織されたことで、実験が大規模に進められていったのです。

731部隊元隊員インタビュー
 薬学博士だとか理学博士、だから731部隊っていえばねぇ、そういったその各界の権威が集まっていましたよ。

ナレーション
 命を守るべき医学者がなぜ人体実験に手を染めたのか。70年の時を経て明らかになる731部隊の真実です。

タイトル
 「731部隊の真実 ~エリート医学者と人体実験~」
ナレーション
 中国東北部にある都市ハルビン。ロシア人が建設したこの国際都市は、戦争中、日本軍の拠点となっていました。【ハルビンの現在の映像】
 ハルビンの郊外20キロ、731部隊の本部跡が今も残っています【破壊された731部隊跡の現在の映像】。破壊された建物の残骸、終戦間際、存在を隠すために爆破されました。

 当時の写真です。
 部隊は、周囲数キロに及ぶ広大な敷地で、極秘に研究を進めていました。四角い形の3階建てのビルには、冷暖房を備えた最先端の研究室が並んでいたといいます。
 その中央に周囲から見えない形で牢獄が設置され、実験材料とされていた人々が捕らわれていたといいます。
 731部隊が編成されたのは1936年。当時の日本は旧満州に進出、国境を接し、軍事的脅威となっていたソ連に対抗するため、細菌兵器を開発していたのです。
 部隊を率いていたのは、軍医・石井四郎です。【731部隊部隊長・石井四郎の顔写真】
 当時、細菌兵器は国際条約で使用が禁止されていました。
 しかし、防衛目的の研究はできるとして開発を進めました。
 部隊の人数は最大3000人。【竹田宮を中心とする731部隊の集合写真】
 石井は、細菌兵器開発のため、全国の大学から医学者を集めていました。


極秘で進められた731部隊の研究
 その活動を公けにしたのが、【ロシアハバロフスクの現在の映像】終戦から4年後に旧ソ連が開いた軍事裁判、ハバロフスク裁判でした。
 裁かれたのは、731部隊の幹部や関東軍の幹部ら12人。多くの医学者が日本へと引き上げた中、逃げ遅れ、ソ連に抑留された人々でした。
 この裁判はこれまで、ソ連が公表した文書しかなく捏造だと批判する声もありました。今回見つかった音声記録では部隊の中枢メンバーが人体実験の詳細を証言していました。

テープの音声 検察側(ロシア語)
 人体実験はどのようの行われたのか、できる限り詳しく話してください。【検察側の写真】

テープの音声 731部隊衛生兵・古都証人
 昭和18年の末だと記憶しています。ワクチンの効力検定をやるために中国人、それから満人(注:満州人)を約50人余り人体実験に使用しました。
 砂糖水を作って、砂糖水の中にチブス菌を入れて、そして、それを強制的に飲ませて細菌に感染させて、そして、その人体実験によって亡くなった人は12~13名だと記憶しています。

ナレーション
 医学者たちの指示のもとで、致死率が高い細菌を使って、人体実験を繰り返したと語られました。

テープの音声 731部隊軍医・西俊英の証言
 ペスト蚤(注:ペスト菌に感染させた蚤)の実験をする建物があります。その建物の中に約4~5名の囚人を入れまして、家の中にペスト蚤を散布させて、そうしてその後、その実験に使った囚人は全部ペストに罹ったといいました。



生きて監獄を出たものはいない

ナレーション
 これは731部隊の隊員が持っていた中国人の写真です。【3人が杭(丸太)に立ったまま縛り付けられている写真】
 こうした人々が部隊に送られ、実験材料にされたといいます。

 当時の日本軍は、日本に反発する中国やソ連の人たちを匪賊(ひぞく)と呼び、スパイや思想犯として捕えていました。【捕虜の写真】

 ロシアで発見された資料です。【『関東軍実兵隊司令部警務部長通達』の写真】
 逆スパイにするなどの利用価値がないと軍が判断した人は、裁判を経ずに731部隊に送られたと記されています。その中には女性や子どもも含まれていたと裁判で証言されました。

テープの音声 検察側(ロシア語)
 囚人の中に女性がいましたか

テープの音声 731部隊第一部(細菌研究)部長・川島清の証言
 おりました おそらくロシア人だと思います【被告人の写真、同上】
 (以下、検察側と川島証人のやり取り)

検察 それらの女性の1人は乳飲み子を持っていましたか
川島 持っておりました
検察 人を細菌に感染させた後は、部隊で治療していましたか
川島 治療します
検察 その人間が回復した後はどうしましたか
川島 相当長い期間置きました後に また他の実験に供されるのが常であります
検察 そうしてその人間が死に至るまで実行したわけですか
川島 そういうことになります
検察 そうすると あなたが部隊に勤務中 この部隊の監獄より生きて出たものは一人もいないわけですか
川島 そのとおりであります





731部隊少年隊員へのインタビュー

ナレーション
 こうした人体実験に大学から集められた医学者たちは、どうかかわっていたのか。当時を知る元部隊員にたどり着きました。14歳の時に731部地に入隊した三角武さんです。
 【731部隊元少年隊員・三角武さんの自宅インタビュー映像】
 事実を知ってほしいと、今回初めて取材に応じました。
 部隊が保有する飛行機の整備に携わった三角さん。医学者の実験のため囚人が演習場に運ばれた時に立ち会いました。囚人は“マルタ”と呼ばれていました。

三角さん 頭、丸坊主。全部刈ってしまって丸坊主。マルタはみんな丸坊主。杭を打ってね、ずーっと杭を打って、そこにマルタをつないでおくんです。実験の計画に沿って、憲兵が連れて行って何番の杭に誰を縛るか、つなぐとかやるわけね。

ナレーション
 三角さんたちは、少年部隊員と呼ばれ、1年間、細菌学などの教育を受けました。指導したのは全国の大学から集められた優秀な医学者でした。

三角さん 薬学博士だとか、理学博士、医学博士なんて言うのが、いっぱいいますからね。だから731部隊といえばそう言った各界の権威が集まっていましたよ。そろっていましたよ。

ナレーション
 元部隊員の一人、須永鬼久太さんです。【731部隊元少年隊員・須永鬼久太さんの自宅インタビュー映像】
 これまで全貌が知られていなかった医学者たちの関与。その手掛かりとなる貴重な資料を保管していました。731部隊の戦友会が戦後まとめた名簿です。【『帝国陸軍防疫給水部編成総覧』の写真】

須永さん 京大、東大医学部、そういう所が多いですね。

ナレーション
 載っているのは731部隊に集められた医学者たちの出身大学と名前です。こうした人々は技師と呼ばれ軍の所属となっていました。




ナレーション
 私たちはこの資料だけでなく、現存する部隊名簿や論文などから技師の経歴を洗い出し、確認していきました。
 その結果明らかになった内訳です。【日本地図に大学名の映像、そこに人数が書き加えられていく】
 最も多くの研究者を出していたのは京都大学。ついで東京大学。
 【東北帝国大学1名、東京帝国大学6名、慶應義塾大学2名、北里研究所1名、京都帝国大学11名、京都府立医科大学1名、京城帝国大学2名、満州医科大学3名、その他の満州の研究所12名】
 少なくとも10の大学や研究機関から合わせて40人の研究者が731部隊に集められました。
 技師となった医学者たちは軍医と並ぶ将校クラスと位置づけられ731部隊の中枢にいました。【ピラミッド型の図のいちばん上が技師、真ん中に下士官など、最下層に衛生兵や少年隊】
 エリート医学者が部隊の研究を指導していたのです。なぜこれほど多くの医学者が731部隊にかかわることになったか。取材を進めるうちに、部隊と大学の知らぜらる関係が浮かび上がってきました。

京都帝国大学に731部隊から多額の研究費

 最も多い11人の技師が確認された京都大学です。公文書を保存する文書館が取材に応じました。【京都大学文書館の現在の映像】

文書館の担当者
 文部省と京都大学の間の往復文書を年ごとに閉じていると、そういった資料ですね。

ナレーション
 その中から731部隊と大学の金銭のやり取りを示す証拠が初めて見つかりました。【731部隊からの特別費用の書類】
 細菌研究の報酬として現在の金額で500万円に近い金額が研究者個人に支払われていたのです。【1600円の支給を示す資料】
 受け取っていたのは医学部助教授だった田部井和(たべい・かなう)です。致死率の高いチフス菌の研究をしていた田部井。【731部隊第一課(チフス)課長田部井和の顔写真】




 731部隊設立後間もなく赴任し、研究班の責任者となります。そこでどんな実験をしていたのか。部下が証言をしています。

ハバロフスク裁判の音声テープ 731部隊衛生兵(田部井の部下)古都証人
 チブス菌を注射器でもってスイカ、マクワ(うり)に注射しました。そして、それを研究室へ持って帰って菌がどのように繁殖したか、または減ったか等を検査しました。そして、完全に菌が増殖しているのを確かめてから、それを満州人と支那人に約5~6名の人間に対して食べさせました。

音声テープ 検察側(ロシア語)
 果物を食べた哀れな人間はどうなったんですか。

古都 全員感染しました。

ナレーション
 人体実験をしていたという田部井。同じ時期、京大からは医学者7人が部隊に赴任していました。取材を進めると、教え子たちを部隊へ送ったとみられる教授たちの存在が浮かびあがってきました。【教授たちの写真】
 大きな影響力を持っていたのが医学部長を2度にわたって務めた戸田正三です。戸田は軍と結びつくことで多額の研究費を集めていたことがわかりました。それを裏付ける戸田の研究報告書です。【1943年の報告書の写真】
 陸軍などから委託された防寒服の研究で8000円、軍の進出先の衛生状態の研究で7000円…(注:ほかの委託研究費も含めて)現在の額で合わせて2億5000万円にものぼる研究費を得ていました。
 軍との関係を深めていった戸田。そのきっかけとなったのが満州事変でした。(1931年~)
 傀儡国家満州国が建国されると国民はそれを支持します。こうした世論の中で大学は満州の病院などに医師を派遣。現地の人を病気から守る防疫活動【当時の写真】のためとしてポスト争いを始めます。戸田が所属する京大からも多くの医師が派遣されます。東大や慶大などと競いながら【東大 1933年35人→1940年48人、慶応 1936年40人→1940年54人】、京大はその数を倍増させていきました。【京大 1936年36人→1942年75人】


 当時戸田は、医学者も国の満州国進出に貢献すべきだと語っていました。

医学部長・戸田正三と731部隊長・石井四郎の関係

戸田の発言【満州日々新聞1936年「移民衛生調査委員会議」より】 俳優による復元音声
 今まで未開であったところの東洋の北部を開く指導者になることは、我々に与えられた一大試金石である。

ナレーション
 こうした中、大学への影響力を拡大したのが731部隊です。巨額の国家予算が与えられていたといいます。

テープの音声 検察側(ロシア語)
 部隊の経費としていかなる金額が供出されていましたか。

テープの音声 731部隊第一部(細菌研究)部長・川島清の証言
 確実な数字はただいま記憶しておりませんが、だいたいの数字を申しますと昭和15年度におきましてはだいたい1000万円(現在の金額で約300億円)に近い予算が使われておったように記憶しております。

ナレーション
 いまの金額で年間300億円の予算。それを動かしていたのが731部隊の部隊長・石井四郎でした。京大医学部出身の石井は母校の指導教官の一人だった戸田と関係を深めていました。戸田は石井と人事の話もしていたといいます。

戸田の弟子の回顧録【雑誌『国民衛生』】 俳優による再現音声
 戸田先生が東京へ出られると石井君と3人でよく会談をした。研究の件もあれば人事の件もあり、先生はよく京大や若い人のために奔走され、そのため占領地の支那本土へも旅行された。

ナレーション
 戸田が部隊の研究内容を把握していた文書も見つかっています。教え子が書いた回顧録によれば戸田は中国の731部隊の関連施設を繰り返し訪れていたといいます。

戸田の弟子の回顧録 俳優による再現音声
 戸田先生が来ると早速高等官、将校一同を集めて学術講演会が開かれ、和気藹々と部隊の研究を推進された。

ナレーション
 戸田と関係が深い教授の研究室からは8人の医学者が、京大全体では11人が731部隊に赴任したことがわかっています。【写真】


  

ナレーション
 京大に次いで多くの研究者が731部隊に集められた東京大学。【東京大学の現在の映像】
 取材に対し、組織として積極的に関わったとは認識していないと回答しています。
 取材を進めると東大の幹部が石井と交流していた事実が明らかになりました。医学者で東大の総長を務めた長與又郎【顔写真】です。
 遺族の許可を得て入手した長與の日記です。【日記の写真】
 そこには総長時代から石井と接点があったこと、そして、退任後の昭和15年、731部隊の本部を視察していたことが記されていました。

長與の日記 俳優による再現音声
 関東軍司令部に赴き、軍医部長を訪い(おとない)、さらに司令官に面会す。平房(注:731部隊のあった所の地名)に石井部隊を訪い、石井大佐の案内にて事業の一般を見学、水だき(水炊き)の饗応を受く。

ナレーション
 この時の記録には、東大から赴任した研究者たちの名前が記されていました。東大からは戦時中、少なくとも6人が集められたことがわかっています。【「長與又郎博士歓迎会出席者」】
東大で開かれた微生物学会の集合写真、石井を囲んでいるのは、全国から集まった名だたる教授たちです。大学の幹部と石井が結びつく中で、優秀な医学者が集められていったのです。



零下50度の外に出し扇風機をあて凍傷にさせる

ナレーション
 医学者のなかには、731部隊に送られた経緯を詳細に書き残していた人もいました。
 (京都帝国大学医学部講師・吉村寿人の写真)
 京大医学部の講師、吉村寿人です。基礎医学の研究で多くの命を救いたいと医学者を志したといいます。国内で研究を続けたいと思いながらも教授の命令には抗えなかったと回想しています。

吉村の回想【「喜寿回顧」】 俳優による再現音声
 軍の方とすでに約束済みのようであった。先生は突然、満州の陸軍の技術援助をせよと命令された。せっかく熱を上げてきた研究を捨てることは身を切られるほどつらいことであるから私は即座に断った。
 ところが先生は、今の日本の現状から、これを断るのはもってのほかである。もし軍に入らねば破門するから出て行けと言われた。

ナレーション
 吉村らが送られた731部隊の秘密研究所。実験のために運び込まれた囚人は年間最大600人に上ったと言われています。【現在の研究所跡の映像】
 生理学が専門だった吉村が命じられたのは、凍傷の研究でした。当時は関東軍の兵士たちは、寒さによる凍傷に悩まされていました。【足の凍傷の写真】
 その症例と対策を探る目的で、人体実験を行っていた様子が裁判で語られていました。【凍傷実験棟跡の写真】

ハバロフスク裁判の音声テープ 731部隊軍医・西俊英の証言
 第一部の吉村技師から聞きましたところによりますと、極寒期において、約零下20度くらいのところに、監獄におります人間を外に出しまして、そこに大きな扇風機をかけまして、風を送って、その囚人の手を凍らして、凍傷を人工的に作って研究をしておるということを言いました。
 そうして凍傷が人工的にできた場合は、小さな棒でその指を叩くと、板のように硬くなると吉村は言っておりました。

ナレーション
 人間を凍傷に罹らせる実験をしたという吉村。部隊で凍傷研究を進めながら満州の医学会では論文も発表していました。【731部隊吉村の論文「凍傷について」の写真】
 論文には様々な条件に人間を置いて実験していたことが記されていました。
 絶食3日、一昼夜不眠などの状態に置いてから、零度の氷水に指を30分つけて観察していました。
 裁判では吉村の研究室で凍傷実験の対象となった人を実際に見たという証言もありました。

裁判の音声テープ 731部隊憲兵班・倉員証人
 人体実験を自分で見たのは、1940年の確か12月ごろだったと思います。
 まずその研究室に入りますと、長い椅子に5名の中国人の囚人が腰を掛けております。それでその中国人の手を見ますと、3人は手の指がもう全部黒くなって落ちておりました。残りの2人は指がやはり黒くなって、ただ骨だけ残っておりました。それは、吉村技師のその時の説明によりますと、凍傷実験の結果、こういうことになったということを聞きました。




医学者はなぜ残忍な人体実験に手を染めたのか  マスコミ(170)2017年8月24日・Ⅲ
NHKスペシャル『731部隊の真実 エリート医学者と人体実験』その5

世界最大の悪は、ごく平凡な人間が行う悪です。
そんな人には動機もなく、信念も邪心も悪魔的な意図もない。
人間であることを拒絶した者なのです。
そして、この現象を、私は”悪の凡庸さ”と名付けました。

 これはハンナ・アーレントの有名な言葉。ナチスのホロコースの最高責任者の一人、アイヒマンのエルサレムでの裁判を傍聴して得た結論である。周りがみんなそうだったからとか、上からの命令に従っただけだとか、そのような、考えることを拒否した人間の犯す悪が最も恐ろしい悪であると喝破したのだ。
 アーレントの言うことは当然、731部隊の軍人や生体実験に協力した医学者たちにもあてはまる。ハバロフスク裁判における妙に落ち着いていて淡々とした証言態度からは、「悪の凡庸さ」を感じないわけにはいかない。
 今回は、細菌爆弾の実戦使用と、医学者たちがなぜ一線を越えてしまったのか、その背景を描いた部分を紹介する。

ナレーション
 部隊から高額の報酬を受けとっていた京大の田部井和。【731部隊第一課(チフス)課長・田部井和の写真】
 実験室の研究から実戦使用の段階へと進んでいきます。開発したのは細菌爆弾。大量感染を引き起こす研究を始めていたのです。【細菌爆弾の図の写真】
 一度に10人以上の囚人を使い、効果を確かめたと部下が証言しています。

ハバロフスク裁判のテープ音声 731部隊衛生兵(田部井の部下)古都証人
 安達の演習場で自分の参加した実験はチフス菌であります。それは瀬戸物で作った大砲の弾と同じ型をした細菌弾であります。
 空中でもって爆破して地上に噴霧状態になって、その菌が落ちるようになってました。そして菌が地上に落ちたところを被実験者を通過させたのと、それから杭に強制的に縛り付けておいてその上でもって爆破して頭の上から菌を被せたのと、2通りの方法が行われました。
 大部分の者が感染して、4人か5人が亡くなりました。





ナレーション
 生きた人間を実験材料にした医学者たち。本来人の命を守るべき医学者はなぜ一線を越えたのか。それを後押ししたとみられるのが日本国内の世論です。
 1937年(注:731部隊編成の翌年)日中戦争が勃発。中国側の激しい抗戦で日本側も犠牲が増していきます。日本軍は反発する中国人らを匪賊と呼び、掃討作戦を行っていきます。【日中戦争の映像】
 政府もメディアも日本の犠牲を強調し、中国人への憎悪をかり立てました。【当時の新聞の写真。「暴虐極まる匪賊」「匪賊を徹底殲滅」】
 世論は軍による処罰を強く支持。匪賊に対する敵意が高まっていたのです。そうした時代の空気と研究者は無縁ではありませんでした。
 731部隊以外でも学術界では匪賊を蔑視する感情が広がっていました。それを示す資料が北海道大学で見つかりました。当時の厚生省が主催する研究会が発行した雑誌です。【厚生省予防局優性課内民族衛生研究会、『外国に於ける断種法実施状況』の写真】
 染色体を研究する大学教授の講演の記録。満州の匪賊を生きたまま研究材料としたことを公けに語っていました。

北海道帝国大学教授の講演記録【『民族衛生資料』1940年】 俳優による再現音声
 匪賊の人間を殺すならば、その報復ではないが、その匪賊を材料にしてはどうかと思いついた。死んだ者は絶対にダメである。染色体の状況が著しく悪くなる。匪賊一人を犠牲にしたことは決して無意義ではありません。これほど立派な材料は従来断じてないということだけはできます。




ナレーション
 14歳の時に731部隊に入隊した三角さん。【731部隊元少年隊員】
 匪賊は死刑囚だから実験材料として利用してよいと教えられたといいます。

三角さん こういう時代なんだからそうしなきゃ俺たちがやられるんだよと、そういった考えでしたね。だから口には出せないんです。可哀そうだとか、何だとかということは。見ても口には出せないです。出したら非国民だとやられちゃう。そういった雰囲気というか、そういった一般的な風潮がそうだったんです

ナレーション
 戦争が泥沼化していった1940年代。731部隊は遂に細菌兵器の実戦使用に踏み込みます。中国中部の複数の年で少なくとも3回、細菌を散布。細菌兵器での攻撃は、国際条約で禁止されていましたが、日本は批准しないまま、密かに使用しました

裁判のテープ音声 731部隊第1部(細菌研究)部長・川島清の証言
 私がおりました間のことを申しますと、昭和16年(1941年)に第1回、それから昭和17年に1回、中支において第731部隊の派遣隊は、中国の軍隊に対して細菌兵器を使用しました

ナレーション
 さらに民間人にまで感染を広げる目的で、中国の集落に細菌を撒いたと証言されています

川島清の証言 使われる細菌は主としてペスト菌、コレラ菌、パラチフス菌であることが決定しました。ペスト菌は主としてペスト蚤(ペスト菌に感染させた蚤)の形で使われました。その他のものはそのまま水源とか井戸とか貯水池というようなところに撒布されたのであります

裁判のテープ音声 731部隊衛生兵・古都証人
 あの当時、現地に中国人の捕虜収容所が2か所ありました。その人員は約3000名と言われてました
 饅頭(マントウ)作りに参加しました。少し冷やしてからそれに注射器でもって菌を注射しました

検察側 その後は(3000個の饅頭を)どうしましたか

古都証人 その収容所へ持ってきて、それを各人に食べるようにして渡して

検察側 そして細菌の入ったその毒の饅頭を食べさせてから、中国人の捕虜をどうしたんですか

古都証人 その現地でもって解放しました

検察側 パラチフスを大量感染させる目的でしたか

古都証人 はい、自分はそのように聞きました
NHKスペシャル『731部隊の真実 エリート医学者と人体実験』その6(最終回) マスコミ(171)2017年8月30日
敗戦ですべての囚人を殺害
医学者たちには特別な列車が用意され、いち早く日本に帰国した

 番組は最後に、責任をとらずにまっ先に逃げ帰り、戦後も反省するどころか、医学界の権威として生き続けた医学者たちを静かに告発する。
 相変わらず、真実を見つめず、歴史を修正しようとする日本人への警告である。

ナレーション
 そして、戦争末期の1945年8月9日、ソ連が満州に侵攻。【当時の映像】
 731部隊は直ちに撤退を始めます。部隊は証拠隠滅のため、すべての囚人を殺害。実験施設を徹底的に破壊しました。医学者たちには特別の列車が用意され、いち早く日本へ帰国しました。
 部隊のことは一切口外するなと言われた三角さん。この時、死体の処理を命じられました。

三角さん【インタビュー映像】
 死体の処理に少年隊来いって引っ張られて行って、死体の処理を各独房から引っ張り出して、中庭で鉄骨で井桁組んで、ガソリンをぶっかけて焼いたわけ。
 焼いてね。全部焼き殺して骨だけにして、こんど骨を拾う。いや、戦争っていうものはこんなものかと、戦争ってものは絶対するもんじゃないと……つくづくそう思いましたね。ほんとにね。一人で泣いた……。

ナレーション
 人体実験を主導し、日本へいち早く帰国した医学者たち。戦後、その行為について罪に問われることはありませんでした。アメリカは人体実験のデータ提供と引き換えに隊員の責任を免除したのです。
 多くの教え子を部隊に送ったとみられる戸田正三は金沢大学の学長に就任。部隊とのかかわりは語らないまま医学界の重鎮となりました。【顔写真】
 チフス菌の爆弾を開発していた田部井和(たべい・かなう)。【顔写真】
 京都大学の教授となり、細菌学の権威となりました。
 凍傷研究の吉村寿人も教授に就任。自分は非人道的な実験は行っていないと生涯否定し続けました。

吉村寿人の回想 『喜寿日記』 俳優による再現音声
 私は軍隊内において、凍傷や凍死から兵隊をいかにして守るかについて、部隊長の命令に従って研究したのであって、決して良心を失った悪魔になったわけではない。

ナレーション
 当事者たちが口を閉ざす中でタブーとなってきた731部隊。戦後72年となる今年、その歴史が改めて問われています。
 医学者をはじめ、様々な科学者の代表が集う日本学術会議です。【日本学術会議、第173回総会の映像】
 防衛省から大学への研究資金が急増する中で、いま、大学と軍事研究の在り方が議論されています。

研究者の発言(男性)
 軍事研究=兵器研究ではないですよと、兵器研究ではない。軍事研究はもうちょっと幅の広いものだと、こういうふうな認識ではないかと私は思っています。【発言者の映像】

ナレーション
 会場では731部隊がアメリカの原爆開発と並んで取り上げられました。

研究者の発言(女性)
 科学者の責任ということです。科学者は戦争に動員されたのではなくて、むしろ歴史を見てくると、科学者が戦争を残酷化してきたという歴史があると思います。

ナレーション
 いま、私たちに問いかける医学者と731部隊の真実。それは戦争へと突き進む中で、いつの間にか人として守るべき一線を越えていったこの国の姿でした。
 今回発見された音声記録。その最後には被告たちが自らの心情を語った発言が残っていました。医学者・柄沢十三夫、人体実験に使われた細菌を培養した責任者でした。戦争が終わってから初めて罪の重さに気づいたと語っています。

ハバロフスク裁判のテープ音声 731部隊軍医・柄沢十三夫の証言
 自分は現在平凡な人間といたしまして、自分の実際の心の中に思っていることを少し申してみたいと思います。
 私には現在日本に……82になります母と妻、並びに2名の子どもがございます。なお、私は自分の犯した罪の非常に大なることを自覚しております。そうして終始懺悔をし、後悔をしております。私は将来生まれ変わってもし余生がありましたならば(泣き声)自分の行いました悪事に対しまして、生まれ変わった人間として人類のために尽くしたいと思っております。【裁判で証言する柄沢の写真】

文字
 この医学者は刑に服した後、帰国直前に自殺したと伝えられている。
(終わり)





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