2018年11月9日金曜日

宮川正

ブログ王ランキングに参加中!

宮川正
被ばく被害を隠ぺいするため暗躍している御用学者と731部隊の関連について投稿したきたが、
今回は731部隊レントゲン班に所属していた宮川正東大名誉教授について調べてみた[1][2][3]。
経歴 ([4]に加筆)
1913年 広島県呉市で生まれる
1937年 東京帝国大学医学部医学科卒業
1944年 731部隊レントゲン班  (終戦まで)
1946年 逓信省病院、国立東京第一病院勤務
1953年 横浜市立大学医学部教授に就任
1956年 東京大学医学部放射線科教授に就任
1973年 東京大学を停年退職、東京大学名誉教授となる。埼玉医科大学教授に就任
1978年 埼玉医科大学放射線医学教授に就任
1980年 埼玉医科大学附属病院副院長を兼務
1983年 埼玉医科大学附属病院院長に就任
1989年 埼玉医科大学学長代行に就任
1993年 埼玉医科大学名誉教授となる
2002年 逝去 88歳
宮川教授は、731部隊に所属していた前歴をずっと隠していたが、何と東大の定年退官直前に
それがバレて、退官記念講義の場で学生から厳しく追及されるハメに陥った[5]。
---------(関連情報[5] p.248 引用ここから)--------------
ある退官記念講演にて
ところで、最近、全日本医学生連合中央書記局で出している「全日本医学生新聞」(1973年4月1日号)が
つぎのような記事を発表している。以下はその全文である。
(中略)
東大宮川教授に対する追及は、3月2日最終講義の場において大衆的に貫徹された。
公開質問状
放射線科 宮川 正教授殿
(中略)
その中で、日中戦争時における細菌兵器と生体実験を行なった731部隊の犯罪性が明らかにされ、
学術会議南極特別委員会に"返り咲い"ていた元731部隊員吉村寿人、北野政次について、
その生体実験を中心に検討小委員会が設けられることになりました。これは新聞にも大きく
報道されたのでご存知のことと思います。
 ところがこの学術会議の場で、宮川教授が731部隊出身であることが明らかにされました。
われわれは防衛医大の問題を考える時「医学者の戦争責任」を決してさけて通ることはできないと
思います。教授は自らの戦争責任とりわけ731部隊に加わっていたことをどのように考えておられるのか、
以下の点について公開の場で見解を明らかにしていただきたく思います。
1、731部隊に加わったのはいつからか、又どのような経緯でそうなったのか。
2、731部隊における教授の任務は何だったのか、そしてどのような活動を行なったか。
3、以上をふまえて教授自身、戦争責任とりわけ医学者としての戦争責任をどのように考えておられるか。
4、防衛医大設置に対してどのように考えどのような態度をとられるか。
昭和48年2月23日                        医学部共闘会議
われわれは以上の公開質問状に対し最終講義の場で回答するよう要求した。
医学者の"名誉"とは?
 それに対し教授はいかなる対応をしたか。
 彼はまず何より戦後20数年たった今日、"隠しおおせた"と思っていた自らの戦争犯罪が
「最終講義」というまさに土壇場で曝露されたことに対し驚きと狼狽を示した。
 「最終講義は授業の場だから答えられない」といったり、
「最終講義はセレモニーでしかないから追及されるくらいならやめてしまってもよい」などと
矛盾したことをいいつつ、公開質問状に回答することを拒否した。
 はては「記念すべき退官記念講演の場で私を追及するなんて君らは残酷だ」となどと
泣き事ともつかぬ事をいいだす始末だった。
 戦後「医学者としての戦争責任」を何ら追及されなかったばかりか逆に医局講座制の頂点に
君臨してきたこの教授が土壇場で演じたのは、自らの戦争責任を大衆の場で明らかにすること
ではなく、自己の"名誉"を必死で守り抜こうとする醜態でしかなかったのだ。
 細菌兵器と生体実験によって中国人民を虐殺した731部隊の犯罪性を捨象し、
「最終講義で追及されることを残酷だ」としか感じとることのできない人間に「医学者」を名乗る
資格はない。
 3月2日、われわれの闘いによって講演後2時間余りにわたって宮川教授に対する大衆的な
追及が展開された。
 われわれの追及に対して、宮川は昭和19年4月から20年8月まで731部隊に所属していたこと、
又放射線によるワクチンの研究を行なっていたことを明らかにしたが、「自分が第何部に
属していたかは知らない」「人体実験はやっていない」などとうそぶき、"核心"にふれる事については
「知らない。忘れた」など一切"黙秘"を押し通すことによって居直り続けた。
 そして「医学者の戦争責任」についても、すべて「戦争が悪い」「天皇の命令だからやった、
反抗すれば殺されていたかも知れない」などということによって自己を免罪し、あげくの果ては
「日本国民全体の中の一人としてなら反省してもよい」などと"反省"にならぬいいわけを
並べたて、彼の本質を大衆の面前で曝露した。
 防衛大に対しても、「よく知らない」「自衛隊の中にも医者は必要だ」といいのがれをし
"軍医養成と軍事医学研究"という指摘をつきつけられるや、「軍医の役割は大きい。軍医は必要だ」
とヌケヌケといってのけた。
 このように居直る宮川教授に対する追及は、席を立つ学生がほとんどいないという熱気の中で
続けられ、731部隊の戦争犯罪を大衆的に確認し貫徹された。
(以下略)
---------(引用ここまで)--------------
退官記念講義は敬意と感謝に包まれて暖かい雰囲気で行なわれるものだが、左翼系学生の
つるし上げにあい散々なものになったようだ。
悪いことはできないものだ。自業自得である。
当時の左翼学生の活動すべてを肯定するつもりはないが、ここでの追及は正義に基づいたものであり、
まともである。(この人たちは今どうしているのか。そして今の学生は何をやっているのか)
彼が731部隊で行なった人体実験の詳細はよくわかっていないが、肝臓にレントゲンを照射して
致死量を確認する実験を行なったという証言がある[6]。
退官記念講義の場で追及されても、実験内容を明らかにできないほど凄惨なものだったのだろう。
ナチスは、強制収用所のユダヤ人の生殖器に大量のX線を照射して不妊にさせるといった
悪魔のような冷酷な実験を繰り返していた。
同じようなことを731部隊でやっていたことは間違いない。
亀井文夫監督の有名なドキュメンタリー「世界は恐怖する 死の灰の正体」の製作に宮川教授は
協力している[7]。
映画の冒頭でコバルト60のガンマ線を小鳥が死ぬまで浴びせる衝撃的な実験が紹介されているが、
恐らく731部隊では中国人を使って同じことをしていたのだろう。示唆に富んだ実験である。
宮川教授は、「記念すべき退官記念講演の場で私を追及するなんて君らは残酷だ」と言ったが、
自分が中国人に対して行なった凄惨な人体実験は残酷でなかったとでも言うのだろうか。
こんな人物に名誉教授を授与するのが東京大学なのである。
戦後、731部隊の他の隊員と同じく、彼は米国に人体実験データを渡すことを条件に免責となった。
弱みを握られているから、当然、米国原子力産業の言いなりであり、以後、彼も放射能被ばくの
過小評価に協力することになる。
1954年に起きた第5福竜丸事件では、被ばく船は800隻もあったと言われているが、第5福竜丸
一隻だけとしたのも宮川教授である[6]。
宮川教授は放射線医学研究所(現・放射線医学総合研究所)の設立に尽力したが、
本来は独立して研究を行なうべき放射線医学もまた原子力産業に取り込まれていく。
米国・原子力産業の意向には一切逆らえないのである。
現在、放医研はIAEA協力センターに指定されているが、実質的にIAEAの傘下組織と
言ってよいだろう[8]。
前稿でも述べたが、宮川教授の弟子の弟子、たった2代下るとあの中川恵一准教授である。
マスコミに頻繁に登場して安全デマを流布している中川氏もまた731直系の御用学者なのだ[9]。
自分の出世や金儲けのために人間をモルモットのように使う731部隊の悪魔のような伝統は、
現在もしっかり受け継がれている。
731直系の御用学者が安全デマを流布して、福島の人たちを危険な放射能汚染地域に
とどまらせようとしていることがその動かぬ証拠である。
731部隊関連の情報は、安倍政権・日本会議が最も闇に葬りたい事実であり、ネット上からどんどん
情報が削除されている[10]。
東大のウェブサイトに載っていた宮川教授の訃報も、私が731との関与を指摘した後、あっという間に
削除された[4]。
不都合な歴史事実を隠ぺいしようとするのは全体主義国家の典型的な特徴である。
まさに現代の焚書と言ってよい。
731関連でこれは重要と思う情報を見つけたら、すぐにコピーを取って保存するよう、
みなさんにお願いしたい。
もっとも、インターネットで世界がつながっている時代に、いくら不都合な真実を隠そうとしても無駄である。
世界中のサイトの情報を削除改変することはできない。
無意味な悪あがきはやめろと言いたい。
過去の過ちをきちんと反省、改心しないから、何度でも同じ間違いを繰り返し、
日本はいつまでもまともな国になれないのだ。


0 件のコメント:

フォロワー

ブログ アーカイブ

自己紹介

新しい自分を発見中