2018年11月9日金曜日

近代天皇制の真髄は

ブログ王ランキングに参加中!


近代天皇制の真髄は明治憲法の第3条「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」要するに「天皇が現人神である」というところにある。
天皇の神聖化が日本の近代のすべての過ちの原因なんですね。
我々は長い間日本政府がポツダム宣言を受諾し降伏したのはアメリカによる2つの原爆投下で力尽きたからだと思い込んでいたが『昭和天皇独白録』には思いもよらぬ事実が記されていた。
思いもよらぬ事実?
『昭和天皇独白録』では天皇が終戦の決心をしたのは1番目に「このままでは日本民族が滅びてしまう」から
2番目に「このままでは米軍が伊勢湾に上陸して伊勢神宮・熱田神宮を支配下においてしまい、三種の神器を守ることができない。それでは『国体』の維持ができない」からだと言っている。
三種の神器を守るですって!


1番目はまったくの飾り言葉よ
だってそれ以前に米軍による空襲で多くの多くの国民が命を失われ、そして米軍の空襲を防ぐ力が日本にはないことをよく知っていながら2発原発を落とされても天皇は終戦を決意しなかったじゃないの。
本当だ。
ところが原発を2発落されても終戦を決意しなかったその天皇は米軍に三種の神器を奪われるかもしれないと怯えたとたんに
終戦を決意したのだ。
国民より三種の神器の方が大事だったのね。
昭和天皇は万世一系の天皇が日本を統治する「国体」を護ることに凝り固まっていたことがよくわかる。
そうか
天皇自身近代天皇制の洗脳を受けていたんだ。
その通り。


・天皇家に生まれて近代天皇制の洗脳を受けた昭和天皇は自分が神聖な存在であると心底信じていた。
天皇の速記である木下道雄の『側近日誌』(文芸春秋)によれば天皇は敗戦後「天皇人間宣言」と言われている詔書の作成に際して「自分が神の子孫ではないと言う事には反対である」と言ったと記されている。
・敗戦後でも本当に自分が神の子孫で神聖な存在だと信じていたのね!
だが天皇になるべくして生まれて近代天皇制の天皇教育を受ければ誰でも昭和天皇のようになるだろう。
・そして自分が神聖な存在である現人神であるとしたらいったい誰に対して責任を取れと言うのか。
・神が人間に対して責任を取ることはあり得ない事だろう。

・確かになあ、神である自分が臣下の起こした戦争の責任を取るわけないな。
・だから「独白録」で弁明したり、「戦争責任は言葉のアヤ」だなんて言ったんだ。
・今はしょうちょうてんのうせいだから大丈夫ですね。
・とんでもない。1971年の記者会見で、昭和天皇は「天皇は日本国民の統合の象徴」という憲法第1条は「日本の国体の精神に合っている」と言っている。
・ええっ!象徴天皇制は「国体」に合っているというの!
・象徴天皇の意識は敗戦後も全然変わっていなかったのね!

・1945年9月27日昭和天皇は連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサーをアメリカ大使館公邸に訪問した。64年に書いた回顧録の中でマッカーサーはその時昭和天皇は「戦争遂行にあたってただ一人の責任者として、貴下が代表する国々の判断に我が身をゆだねるために、私はここにやってきました」と言ったと書いている。
・戦争のすべての責任は自分にあると言ったのですね。
・いさぎよい態度です。美談ですよ。
・ところが昭和天皇の死後90年に雑誌『文芸春秋』が「昭和天皇独白録」を公表し、後に一冊の本にした。(『昭和天皇独白録 寺崎英成・御用掛日記』文芸春秋)
・これは46年3月から4月にかけて寺崎英成などの5人の側近が昭和天皇から直接聞いてまとめたものだと記されている。
・昭和天皇は、張作霖の爆殺事件、15年戦争の始まりとなった満州事件から敗戦までの間の事を話している。
・へぇー、昭和天皇が自分から戦争との関わりを話したの!
・いったい何のために?



・2つの説があって、1つは「東京裁判」対策の弁明書というもの、もう1つは単なる回想録だというものだ。
・その時、昭和天皇は思い風邪にかかっていたのに、執務室にベッドまで持ち込んでまで独白録の作業を進めたのよ。単なる回想録なら、体調が良くなるのを待って、ゆっくり書けばいいのに。
・待てよ、東京裁判が、始まったのは。
・46年5月3日。
・そうか、もし弁明の書なら東京裁判が始まる前に仕上げなければならなかったから重い風邪をおしても作業を続けたことの説明がつく。
・それを決定づけたのがこの本だ。(『昭和天皇2つの「独白録」』東野真著、NHK出版)
・2つの独白録?
・NHKの取材班はマッカーサーの側近。ボナー・フェラーズの残した文章の中から「独白録」の英語版を発見した。同時に
この本には昭和天皇の元侍従長稲田周一の日記が収録されている。
・稲田周一は風邪をおしえてまで独白録を作るのは、東京裁判対策だとはっきり書いているし、発見された英語版が独白録は、連合国軍総司令部に提出するのが目的だったことを証明するものとなった。
・それじゃ独白録は東京裁判に備えた弁明の書だったんだわ。


・独白録で昭和天皇の言っていることは自分は戦争に反対だったが、自分は立憲君主だから開戦を決めた軍部と政府の方針を認めざるを得なかったという事に尽きる。
。しかも驚くことに、昭和天皇は、松岡洋右(ようすけ)をはじめ何人もの臣下を名指しで非難しているんだ。
・責任を臣下に押し付けているのね。
・マッカーサーに言った事と大分違うじゃないか。
・それにマッカーサーに会う2日前に、「ニューヨーク・タイムズ」のクルックホーン記者の質問状に対して「宣戦の詔勅を東条のやったように使用することは本意ではなかった」と言って、真珠湾奇襲を東条の責任にしたのよ。
・マッカーサーに会う前と会った後にマッカーサーに言ったのとは正反対で自分の責任逃れをしているなんて
・極めつけは75年10月訪米後の記者会見で天皇の戦争責任についてどう思うかという質問に対して昭和天皇は「そういう言葉のアヤについては私はそういう文学の方面はあまり研究もしていないのでよくわかりませんからそういう問題についてはお答えできかねます」と答えたことだ。
・ええっ!
・戦争責任が言葉のアヤ!
・戦争責任が文学方面のことですって!
・どうしてちゃんと答えなかったのだ!
・そんなのごまかしじゃないか。


・結局昭和天皇が、戦争責任を認めたというのは、マッカーサーの回顧録に書いてあるだけ。
・昭和天皇自身は一言も戦争責任を認める発言をしたことは無い。
・マッカーサーの回顧録について、アメリカのマサチューセッツ工科大学のジョン・ダワー教授は、マッカーサーが天皇の発言を脚色したと言っているわ。
・マッカーサーと昭和天皇の通訳をした奥村勝蔵の残した極秘メモにも天皇がマッカーサーにそんなことを言った事は全然記されていない。
・一体真相は何なんだ!
・昭和天皇の態度は不可解というより無責任と言った方がいいが、これは昭和天皇個人の人格のせいだけではない。
・近代天皇制の下で天皇になれば誰でもこんな態度取らざるを得ない。
・誰が天皇になってもですか?
・それが、近代天皇制の最大の害悪の1つなのだ。




0 件のコメント:

フォロワー

ブログ アーカイブ

自己紹介

新しい自分を発見中