2020年5月4日月曜日

藤原辰史:パンデミックを生きる指針 ——歴史研究のアプローチ


※この文章は岩波新書HP「B面の岩波新書」に掲載されたものです。著者の許諾を得て、PDF版をアップしまし た。このPDF版は自由に印刷・複製して頂いて構いません。ぜひ多くの方に読んでいただけるようご協力ください。

藤原辰史:パンデミックを生きる指針 ——歴史研究のアプローチ
1 起こりうる事態を冷徹に考える
2 国に希望を託せるか
3 家庭に希望を託せるか
4 スペイン風邪と新型コロナウイルス
5 スペイン風邪の教訓
6 クリオの審判
(本文中で言及された①~④の記事には、末尾で示したQRコードからアクセスできます)


1 起こりうる事態を冷徹に考える
人間という頭でっかちな動物は、目の前の輪郭のはっきりした危機よりも、遠くの輪郭のぼやけた希望にすが りたくなる癖がある。
だから、自分はきっとウイルスに感染しない、自分はそれによって死なない、職場や学 校は閉鎖しない、あの国の致死率はこの国ではありえない、と多くの人たちが楽観しがちである。
私もまた、その傾向を持つ人間のひとりである。
甚大な危機に接して、ほぼすべての人びとが思考の限界に突き当たる。
だから、楽観主義に依りすがり現実か ら逃避してしまう——日本は感染者と死亡者が少ない。
日本は医療が発達している
子どもや若い人はかかり にくい。
1、2週間が拡大か制圧かの境目だ。
2週間後が瀬戸際だ。
3週間後が分水嶺だ。
一年もあれば五輪開催 は大丈夫だ。
100人に4人の中には入らないだろう。
そう思いたくなっても不思議ではない。
希望はいつしか根拠のない確信と成り果てる。
第一次世界大戦は1914年の夏に始まり1918年の秋まで続いたが、開戦時にドイツ 皇帝ヴィルヘルム二世はクリスマスまでには終わると国民に約束した。
第二次世界大戦では、日本の勝利に終わると大本営は国民に繰り返し語っていた。
このような為政者の楽観と空威張りを、マスコミが垂れ流し、政府に反対してきた人たちでさえ、かなりの割合で信じていたことは、歴史の冷酷な事実である。
ペストの猛威、三十年戦争、リスボンの大震災、ナポレオン戦争、アイルランドのジャガイモ飢饉、コレラや ペストや結核の蔓延、第一次世界大戦、スペイン風邪、ウクライナ飢饉、第二次世界大戦、チェルノブイリ原 発事故、東京電力の原発事故。
世界史は生命の危機であふれている。
いずれにしても甚大な危機が到来したとき、現実の進行はいつも希望を冷酷に打ち砕いてきた。
とりわけ大本営発表にならされてきた日本では、為政 者たちが配信する安易な希望論や道徳論や精神論(撤退ではなく転進と表現するようなごまかしなど)が、人を酔わせて判断能力を鈍らせる安酒にすぎないことは、歴史的には常識である。
その程度の希望なら抱かない方が安全とさえ言える。
想像力と言葉しか道具を持たない文系研究者は、新型コロナウイルスのワクチンも製造できないし、治療薬も 開発できない。
そんな職種の人間にできることは限られている。
しかし小さくはない。

たとえば、歴史研究者は、発見した史料を自分や出版社や国家にとって都合のよい解釈や大きな希望の物語に落とし込む心的傾向を捨て る能力を持っている。
そうして、虚心坦懐に史料を読む技術を徹底的に叩き込まれてきた。
その訓練は、過去 に起こった類似の現象を参考にして、人間がすがりたくなる希望を冷徹に選別することを可能にするだろう。
科学万能主義とも道徳主義とも無縁だ。
幸いにも私は環境史という人間と自然(とくに微生物)の関連を歴史 的に考える分野にも足を突っ込んでいる。こうした作業で、現在の状況を生きる方針を探る、せめて手がかりくらいを得られたらと願う。


2 国に希望を託せるか
まず、現実を観察したい。
新型コロナウイルスは世界を分断している。
日本の内部も。
そもそも、日本だけ感染者が少ないという事実は、検査量の少なさに拠るところも多く、喜んでいられない。
運悪く最近まで東京オリンピックを七月に実施したいと足掻いていた人たちが、日本社会に根拠のない楽観主義をもたらしてきた。
しかし、延期が決定する やいなや首都では感染者の数が急速に増えつづけている。
世界では高齢者や重病者以外の感染者も死者も増えてきている。
さらにいえば、新型コロナウイルスは、人びとの健康のみならず、国家、家族、そして未来への信頼を打ち砕きつつある。
すでにもう土台がぐらついていたものばかりであるが。

第一に、国家。
人びとは、危機が迫ると最後の希望をリーダーとリーダーの「鶴の一声」にすがろうとする。
自分の思考を放棄して、知事なり、首相なり、リーダーに委任しようとする。
たしかに、もしも私たちが所属する組織のリーダーが、とくに国家のリーダーがこれまで構成員に情報を隠すことなく提示してきたならば、そのデータに基づいて構成員自身が行動を選ぶこともできよう。
異論に対して 寛容なリーダーであれば、より創造的な解決策を提案することもできるだろう。
データを改竄したり部下に改 竄を指示したりせず、きちんと後世に残す文書を尊重し、歴史を重視する組織であれば、ひょっとして死ななくてもよかったはずの命を救えるかもしれない。
自分の過ちを部下に押し付けて逃げ去るようなそんなリーダーが中枢にいない国であれば、ウイルスとの戦いの最前線に立っている人たち、たとえば看護師や介護士や保 育士や接客業の不安を最大限除去することもできよう。
危機の状況にも臨機応変に記者の質問に対応し少数意 見を弾圧しないリーダーを私たちが選んでいれば、納得して人びとは行動を起こせる。
「人類の叡智」を磨くために、「有事」に全く役に立たない買い物をアメリカから強制されるのではなく、研究教育予算に税金を費やすことを使命と考えてきた政府であれば、パンデミックに対して少なくともマイナスにはならない科学的政策を提言できるだろう。
ところが、残念ながら日本政府は、あるいはそれに類する海外の政府は、これまでの私たちが述べてきた無数の批判に耳を閉ざしたまま、上記の条件を満たす努力をすべて怠ってきた。
そんな政府に希望を抱くことで救われる可能性は、『週刊文春』の3月26日号に掲載された「最後は下部のしっぽを切られる」「なんて世の中だ」という自死寸前の赤木俊夫さんの震える手で書かれた文字群によって、また現在の国会での政府中枢の驚 くべき緩慢な言葉によっても、粉々に打ち砕かれている。
この政権がまだ45.5パーセントの支持率を得ているという驚異的な事実自体がさらに事態を悪くしている(共同通信社世論調査。2020年3月28 日配信)。
その上、「緊急事態宣言」を出し、基本的人権を制限する権能を、よりにもよって国会はこの内閣に与えてしまった。
為政者が、国民の生命の保護という目的を超えて、自分の都合のよいようにこの手の宣言を利用した事例 は世界史にあふれている。
どれほどの愚鈍さを身につければ、この政府のもとで危機を迎えた事実を、楽観的に受け止めることができるだろうか。


3 家庭に希望を託せるか
第二に、家庭。
国が頼りなければ、家庭に生死を決める重荷がのしかかってくる。家族ほど近くて頼れて安心できる存在はない。
「濃厚接触」は免れないから運命共同体とさえいえる。
しかし、在宅の仕事が難しい親は、小学生の子どもを家に置いていかなくてはならない。
その不安と罪悪感と闘わなくてはならない。
不況による解雇も増えている。
遠くに住む老いた両親に手伝いに来てもらうにも、感染リスクに晒されながらの長旅は正直心配だ。
結局、経済基盤も育児環境も改善しない。
家庭が安全であるという保証もない。
そもそも、子どもにとって家庭は安全な存在だろうか。
あるべきかどうかではない。
そうなのかどうか、である。
日本は、七人に一人の子どもが貧困状態にある国である。
経済状況の差をここまで広げた政策のつけは、 こういう危機の時代に回ってくる。
私は、『給食の歴史』(岩波新書、2019年)で、高度経済成長期でさえ給食で一日の重要な栄養をとって食いつないできた子どもたちが多数いたことを書いた。
まさに、現在は、子どもたちの最後の生命線が絶たれている現状とさえいえるのだ。
たとえ、三食最低限のご飯が食べられている家庭でも、危険はまだ残っている。
『クーリエジャポン』(3月29 日配信 ①)によると、「3月17日の外出禁止令以降、家庭内暴力が増加した可能性があることを認めている。
パリ警視庁管轄の地域では1週間で32パーセント、憲兵管轄の地域では36パーセントほど、家庭内暴力が増加したという」。
これはすでに女性への家庭内暴力が社会現象となっていたフランスだけの問題ではない。
日本でも、普段は長時間一緒に滞在しない家族の成員が同じ屋根の下で過ごすことで、なんとなく気まずい空気が流れている家は少なくないだろう。
普段虐待を受けている子どもにとって、家庭はますます逃げがたい牢獄となるだろう。
子どもだけではない。
配偶者、とくに夫の家庭内暴力を受けてきた妻には、外出が難しいこの現状は文字通り牢獄にほかならない。
今後、感染したことで家族の成員が欠けることも十分に考えられる。
家族が機能不全になったら地域に頼るしかない。
しかし、不運なことに、そもそも社会的に弱い立場にある人を支える場所が、新型コロナウイルスの影響で機能が低下したり、機能不全に陥ったりしている。
地域の活動 の場所であるPTAも自治会もNPOも、飛沫感染が恐れられるなか、活発な援助に手を出しにくい。
子ども食堂も学校給食もほとんど閉鎖され、子どもたちの腹と心の寂しさを誰も満たしてくれない。
しかも現時点で、近年頻発する水害や地震のような大災害が起こったならば、地域の避難所は間違いなく感染の温床となってしまうだろう。
ゆえに、現時点で各地方自治体は、災害時の避難の対応について早急にガイドラインを作成すべきである。



4 スペイン風邪と新型コロナウイルス
新型コロナウイルスの活動が鎮静ではなく、拡散の方向に向かっているいま、希望的観測から頼りうる指針を 選別していくため参考にすべき歴史的事件は、SARSやエボラ出血熱よりも「スペイン風邪」、すなわち、スパニッシュ・インフルエンザだと私は考える。
百年前のパンデミックである。
アメリカを震源とするこのインフルエンザの災いは、戦争中の情報統制で中立国だったスペインからインフルエンザの情報が広まったため、スペイン人にとっては濡れ衣にほかならない名前が歴史の名称となった。
1918年から1920年まで足掛け3年かけて、3度の流行を繰り返し、世界中で少なく見積もっても4800万人、多く見積もって一億人の命を奪い(山本太郎『感染症と文明——共生への道』岩波新書、2011年)、世界中の人びとを恐怖のどん底に陥れた。
そのわりに教科書でも諸歴史学会でもほとんど取り上げられなかった世界史の一コマである。
私は、第一次世界大戦期ドイツ の飢餓について研究を進めていく過程で(『カブラの冬——第一次世界大戦期ドイツの飢饉と民衆』人文書 院、2011年)、多くの民間人をも苦しめたスパニッシュ・インフルエンザについて調べたことがあるが、現状のパンデミックと似ている点が少なくないことに気づく。
どちらもウイルスが原因であり、どちらも国を選ばず、どちらも地球規模で、どちらも巨大な船で人が集団感染して亡くなり、どちらも初動に失敗し、どちらも デマが飛び、どちらも著名人が多数死に、どちらも発生当時の状況が似ている。
ただ、当時は、インフルエンザのウイルスを分離する技術が十分に確立されておらず、医療技術的には現在の方が有利、地球人口が17億程度だった当時と、75億人まで増えた現在とでは過去の方が有利だ。
新聞以外に SNSも含め多くのメディアが必要・不必要にかかわらず情報を大量に発信しているのも現在の特徴であり、正直、どちらに転ぶかわからない。
百年前はWHOも存在しなかったので、本来であれば現在の方が有利だと思いたいけれど、なかなかそう思いづらいのは報道の通りである。 百年前の日本はちょうど米騒動とシベリア戦争(シベリア出兵)の時代である。当時、アジアもヨーロッパも 北米大陸にも、これまであり得ないほどの人の移動があった。第一次世界大戦の真っ只中だったからである。
すでに1918年の春からインフルエンザが流行っていたアメリカから、多数の若い男たちが輸送船に乗ってヨーロッパにわたっていた。
換気が悪く、人口密度が高い船内でどんどん感染が広がり、健康そのものだった若者 が次々に死んでいった。
ヨーロッパにはアジアからも多くの人たちが労働者として雇われていた。
植民地である仏領インドシナからはフランスへ、インドやビルマからはイギリスへ、中国からは苦力が多数ヨーロッパに上陸していた(東南アジアの第一次世界大戦については、早瀬晋三『マンダラ国家から国民国家へ——東南ア ジア史のなかの第一次世界大戦』人文書院、2012年)。
やがて、アジアにも感染は拡大し、日本でも約40万人 前後が亡くなったと言われている。
インフルエンザがここまで世界に広がり、多くの兵士たちが死んでいった理由として、戦争中の衛生状態や栄養状態が考えられた
環境史家のアルフレッド・W・クロスビーによれば、兵士は、体調不良を感じても衛生的に悪い条件で無理して作業に従事するため、悪化しやすく、感染しやすかったという。
銃後は食糧不足に悩んでおり、やはりインフルエンザ・ウイルスの格好の餌食となった。
しかも当時兵士たちを悩ませていた一つ が虫歯だったことを考えれば(Ruchel Duffett, The Stomach for Fighting: Food and the Soldiers of the Great War, Manchester University Press, 2012, p. 21.)、ウイルスの主な生存場所である口腔の衛生状態は相当に悪かっただろう。
だからといって、いま、世界規模で繰り広げられるような戦争がなかったことを寿ぐことはできない。
ここ十年の人の移動の激しさは当時の比ではない。
その最大の現象は昨今のオーバーツーリズムである。
かつての兵士はいまのツーリストである。
船ではなく飛行機で動くツーリストたちの動きは、頻度と量が桁違いだ。
それが今回の特徴である。


5 スペイン風邪の教訓
スパニッシュ・インフルエンザの過去は、現在を生きる私たちに対して教訓を提示している。
クロスビー『史上最悪のインフルエンザ——忘れられたパンデミック』(西村秀一訳、みすず書房、2004年)を参考にしつつ、まとめてみたい。
第一に、感染症の流行は一回では終わらない可能性があること。
スパニッシュ・インフルエンザでは「舞い戻り」があり、三回の波があったこと。
一回目は四ヶ月で世界を一周したこと。
一回目よりも二回目が、致死率 が高かったこと。
新型コロナウイルスの場合も、感染者の数が少なくなったとしても絶対に油断してはいけないこと。
ウイルスは変異をする。
弱毒性のウイルスに対して淘汰圧が加われば、毒を強めたウイルスが繁殖する可能性もある。
なぜ、一回の波でこのパンデミックが終わると政治家やマスコミが考えるのか私にはわからない。
ちょっと現代史を勉強すれば分かる通り、来年の東京五輪が開催できる保証はどこにもない。
第二に、体調が悪いと感じたとき、無理をしたり、無理をさせたりすることが、スパニッシュ・インフルエンザの蔓延をより広げ、より病状を悪化させたこと。
何より、軍隊組織に属する兵士たちの衛生状況や、異議申し立てができない状況を考えてみるとわかる。
過労死や自殺者さえも生み出す日本の職場の体質は、この点、 マイナスにしか働かない。
第三に、医療従事者に対するケアがおろそかになってはならない。
スパニッシュ・インフルエンザを生きのびた人たちの多くが、医師や看護師たちの献身的な看病で助けられたと述懐している。
目の前の患者の命がかかっている場合、これらの人たちは、多少自分が無理しても助けようとすることが多いことは容易に想像できよ う。
しかし、いうまでもなく、日本の看護師たちは低く定められた賃金のままで、体を張って最前線でウイル スと戦っていることを忘れてはならない。
世界現代史は一度だって看護師などのケアの従事者に借りを返したことはないのである。
第四に、政府が戦争遂行のために世界への情報提供を制限し、マスコミもそれにしたがっていたこと。
これは、スパニッシュ・インフルエンザの爆発的流行を促進した大きな原因である。
情報の開示は素早い分析をもたらし、事前に感染要因を包囲することができる。
第五に、スパニッシュ・インフルエンザは、第一次世界大戦の死者数よりも多くの死者を出したにもかかわらず、後年の歴史叙述からも、人びとの記憶からも消えてしまったこと。
それゆえに、歴史的な検証が十分になされなかったこと。
新型コロナウイルスが収束した後の世界でも同じことにならぬよう、きちんとデータを残し、歴史的に検証できるようにしなければならない。
とくにスパニッシュ・インフルエンザがそうであったように、危機脱出後、この危機を乗り越えたことを手柄にして権力や利益を手に入れようとする輩が増えるだろう。
醜い勝利イヴェントが簇生するのは目に見えている。
だが、ウイルスに対する「勝利」はそう簡単にできるのだろうか。
人類は、農耕と牧畜と定住を始め、都市を建設して以来、ウイルスとは共生していくしかない運命にあるのだから(たとえば、ジェームズ・C・スコット『反穀物の人類史——国家誕生のディープヒストリ ー』みすず書房、2019年)。
もしも顕彰されるとすれば、それは医療従事者やケースワーカーの献身的な働きぶりに対してである。
第六に、政府も民衆も、しばしば感情によって理性が曇らされること。
百年前、興味深い事例があった。「合衆国公衆衛生局は、秋のパンデミック第二波の真っ只中、ほかにやるべき大事なことが山ほどあったにもかかわらず、バイエル社のアスピリン錠の検査をさせられていた」。
これは、「1918年当時の反ドイツ感情の狂信的なまでの高まり」が、変な噂、つまり、ドイツのバイエル社が製造していたアスピリンにインフルエンザの病原菌が混ぜられて売られているという噂が広まっていたためである(クロスビー『前掲書』259頁)。
現在も、疑心暗鬼が人びとの心底に沈む差別意識を目覚めさせている。
これまで世界が差別ととことん戦ってきたならば、こんなときに「コロナウイルスをばら撒く中国人はお断り」というような発言や欧米でのアジア 人差別を減少させることができただろう。
あるいは、政治家たちがこのような差別意識から自由な人間だったら、きっと危機の時代でも、人間としての最低限の品性を失うことはなかっただろう。
そしてこの品性の喪失は、パンデミック鎮静化のための国際的な協力を邪魔する。
第七に、アメリカでは清掃業者がインフルエンザにかかり、ゴミ収集車が動けなくなり、町中にごみがたまったこと。
もちろん、それは都市の衛生状況を悪化させること。
医療崩壊ももちろん避けたいが、清掃崩壊も危険であること。
第八に、為政者や官僚にも感染者が増え、行政手続きが滞る可能性があること。
たとえば、当時のアメリカの大統領ウッドロウ・ウィルソンも感染者の一人である。
彼が英仏伊と四カ国対談の最中に三九・四度の発熱で倒れ、病院に入院している間、会議の流れが大きく変わり、ドイツへの懲罰的なヴェルサイユ条約の方向性が 決まってしまった。


6 クリオの審判
さらにいえば、新型コロナウイルスが鎮静化すれば危機が去ったと言うことはできない。
実は、本当に怖いのはウイルスではなく、ウイルスに怯える人間だ。
ドイツの首相アンゲラ・メルケルは3月18日の演説で、日本の 首相とは異なり、基本的人権を制限することの痛みと例外性を強調した。
東ドイツ出身の彼女にとって、移動と旅行の自由は苦労してやっと得たものだった(日本語訳は、Mikako Hayashi-Husel ②)。
だが、これが例外でありつづけるのかどうか、私は大いに疑問である。
今回のパンデミックは人びとの認識を大きく変えるだろう。
人びとの不測の事態に対するリスクへの恐怖が高まり、ビッグデータの保持と処理を背景とした個別生体 管理型の権威国家や自国中心主義的なナルシズム国家がモデルとなるかもしれない。
ユヴァル・ノア・ハラリは新型コロナウイルスの後は、EU理念の復活のチャンスになりうるという希望的観測を慎重に抽出しているが、私は上記の理由から、逆に価値が暴落する可能性も考えている(Yuval Noah Harari, In the Battle Against Coronavirus, Humanity Lacks Leadership, in: Time on 15 March 2020. ③)。
また、ハラリは、コロナウイルスの対応において、各国の遮断ではなく協力を呼びかけており、それには全面的に賛成するが、それにしても自国中心主義に溺れる国家が国際社会には溢れすぎている。
こうして、世界の秩序と民主主義国家は本格的な衰退を見せていくのかもしれない。
すでにパンデミック以前から進行していたように。
または、ハラリは述べていないが、新型コロナウイルスを「滅菌」するための消毒サービスが流行して、恐怖 鎮静化商品の市場価値が生み出され、人びとが、ただでさえ蔓延していた潔癖主義に取り憑かれ、人間にとって有用な細菌やウイルスまで絶滅の危機、それによる体内微生物相の弱体化、そして免疫系統への悪影響に晒されるかもしれない。
第一次世界大戦後、毒ガスの民需転用で殺虫剤商品が増えていくが(その一つがユダヤ人虐殺に用いられたツィクロンBである)、これが公共交通機関や公共施設の消毒に用いられたのは、おそらく インフルエンザが猛威を振るったこととも関係しているだろう(拙著『戦争と農業』集英社インターナショナ ル新書、2017年)。
消毒文化の弊害については、さしあたり、マーティン・J・フレーザー『失われてゆく、我々の内なる細菌』 (山本太郎訳、みすず書房、2015年)が参考になるだろう。
そうして、ある特定のウイルスを体内に長年共生させ、他の病原菌から守るような状況になる可能性を失っていくかもしれない。
潔癖主義が人種主義と結びつくと、ナチスの事例に見られるようにさらに厄介である(H・P・ブロイエル『ナチ・ドイツ 清潔な帝国』大 島かおり訳、人文書院、1983年)。
このように、悪いことはいくらでも想像できる。
しかし、世界史の住人たちは一度として、危機の反省から、 危機を繰り返さないための未来への指針を生み出したことがない。
世界史で流された血の染み付いたバトンを握る私たちは、今回こそは、今後使いものになる指針めいたことを探ることはできないだろうか。 7

第一に、うがい、手洗い、歯磨き、洗顔、換気、入浴、食事、清掃、睡眠という日常の習慣を、誰もが誰からも奪ってはならないこと。
あたりまえだ、という反応が帰ってきそうだが、歴史が我々に教えているのはむしろ、戦争とそのための船上および鉄道での移動がこのあたりまえの習慣を困難にしたことである。
人間を不衛生な場所に収容・監禁することがこれを困難にしてきた歴史も、私たちは知っている。
仕事が忙しくても、仕事中に上記の基本的な予防(たとえば昼休みにも歯磨きをすることや共有のゴミ箱やトイレを丁寧に使うこと)を部下が実践することを、上司が止めず、上司もみずから進んでやること。
よく食べ、よく笑い、よく寝る、という免疫力をつける重要な行為が、これまで仕事よりもあまり重視されなかったことを反省してみても よい。
第二に、組織内、家庭内での暴力や理不尽な命令に対し、組織や家庭から逃れたり異議申し立てをしたりすることをいっさい自粛しないこと、なにより、自粛させないこと。
その受け皿を地方自治体は早急に準備すること。
総力戦体制だから「城内平和Burgfrieden」(第一次世界大戦時にドイツで唱えられたスローガン)でいきましょう、というのが、20世紀の歴史の常道だったが、異議申し立ての抑制こそが、かえって新型コロナウイルスによる被害を増大させるだろう。
フランス大統領のエマニュエル・マクロンは3月16日のテレビ演説で 「我々は戦争状態にある」と繰り返し、アメリカ大統領のドナルド・トランプもみずからを「戦時下の大統領」と呼んで憚らないが、この言葉は諸刃の剣である。
緊急性を高めることのみならず、異論を弾圧すること にも極めて効果的な言葉だからだ。
第三に、戦争にせよ、五輪にせよ、万博にせよ、災害や感染などで簡単に中止や延期ができないイベントに国家が精魂を費やすことは、税金のみならず、時間の大きな損失となること。
どのイベントも、その基本的な精神に立ち戻り、シンプルな運営に戻ること。
とくに、日本のような災害多発列島はいつキャンセルしても対応可能な運営が望まれる。
第四に、現在の経済のグローバル化の陰で戦争のような生活を送ってきた人たちにとって、新型肺炎の飛沫感染の危機がどのような意味を持つのか考えること。
危機は、生活がいつも危機にある人びとにとっては日常である、というあたり前の事実を私たちは忘れがちである。
いつ落ちてくるかわからない戦闘機に毎日さらされ ている基地周辺に住む人びとにとって、爆音で神経が参ってしまうリスクや事故に遭うリスクは、新型コロナ ウイルスに感染するリスクよりも低いだろうか。
原発事故によって放射性物質にさらされ、いまだに避難中の 人びとにとって、病気になるリスクは、新型コロナウイルスに感染するリスクよりも低いだろうか。
上司の嫌がらせを受けながら働く人間にとって、過労死や自殺やうつ病になるリスクは、新型肺炎で死ぬリスクよりも低いだろうか。
ホームレスが病気を患っている可能性は、新型コロナウイルスに感染する可能性よりも低いだろうか。
派遣労働者として働いているシングルマザーにとって、体を崩して子どもに負担をかける怖さは、新型コロナウイルスの怖さよりも小さいだろうか。
学校に馴染めない子どもたちが学校によって傷つくリスクは、この子たちに新型肺炎が発症するリスクよりも低いだろうか。
権力を握る者たちは、毎日危機に人びと晒してきたことを忘れているのだろうか。
なにより、新型コロナウイルスが、こういった弱い立場に追いやられている人たちにこそ、甚大かつ長期的な影響を及ぼすという予測は、現代史を振り返っても十分にありうる。
第五に、危機の時代に立場にあるにも関わらず、情報を抑制したり、情報を的確に伝えなかったりする人たちに異議申し立てをやめないこと。
台湾の保健省大臣のように、体力的にも知能的にも、何時間でもどんな質疑が来ても誠実に応答できる人間だけが、政治を担うことができる。
また、インターネット上の新聞記事は、個人の生命に関わる重要な記事にもかかわらず、有料が多い。情報の制限が一人の救えたかもしれない命を消す こともあるのだ。せめて新型コロナウイルスに関する記事だけでも無料で配信するのが、メディアの社会的責任である。 日本は、各国と同様に、歴史の女神クリオによって試されている。
果たして日本はパンデミック後も生き残るに値する国家なのかどうかを。
クリオが審判を下す材料は何だろうか。
危機の時期に生まれる学術や芸術も指標の一つであり、学術や芸術の飛躍はおそらく各国で見られるだろうが、それは究極的には重要な指標ではない。
死者数の少なさも、最終的な判断の材料からは外れる。
試されるのは、すでに述べてきたように、いかに、人間価値の値切りと切り捨てに抗うかである。
いかに、感情に曇らされて、フラストレーションを「魔女」狩りや 「弱いもの」への攻撃で晴らすような野蛮に打ち勝つか、である。 武漢で封鎖の日々を日記に綴って公開した作家、方方は、「一つの国が文明国家であるかどうか[の]基準 は、高層ビルが多いとか、クルマが疾走しているとか、武器が進んでいるとか、軍隊が強いとか、科学技術が 発達しているとか、芸術が多彩とか、さらに、派手なイベントができるとか、花火が豪華絢爛とか、おカネの力で世界を豪遊し、世界中のものを買いあさるとか、決してそうしたことがすべてではない。
基準はただ一つしかない、それは弱者に接する態度である」(日本語訳は日中福祉プランニングの王青 ④)と喝破した。
この危機の時代だからこそ、危機の皺寄せがくる人びとのためにどれほどの対策を練ることができるか、という方方の試金石にはさらなる補足があってもよいだろう。
危機の時代は、これまで隠されていた人間の卑しさと日常の危機を顕在化させる。
危機以前からコロナウイルスにも匹敵する脅威に、もう嫌になるほどさらされ てきた人びとのために、どれほど力を尽くし、パンデミック後も尽くし続ける覚悟があるのか。
皆が石を投げる人間に考えもせずに一緒になって石を投げる卑しさを、どこまで抑えることができるのか。
これがクリオの判断材料にほかならない。
「しっぽ」の切り捨てと責任の押し付けでウイルスを「制圧」したと奢る国家は、 パンデミック後の世界では、もはや恥ずかしさのあまり崩れ落ちていくだろう。


① ② ③ ④ *** 藤原辰史(ふじはら たつし) 1976 年、北海道旭川市生まれ、島根県横田町(現・奥出雲町)出身。京都大学人文科学研究所准教授。専門は 農業史。著書に『給食の歴史』(岩波新書、2018)、『分解の哲学』(青土社、2019)『トラクターの世界史』(中公 新書,2017)、『戦争と農業』(集英社インターナショナル新書、2017)、『カブラの冬』(人文書院、2011)、共編 に『現代の起点 第一次世界大戦』(全四巻、岩波書店



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