731を問う!!
2019年7月3日水曜日
細菌戦の系譜!!
●パネル展「琉球処分」から140年 今の沖縄を考える
●「琉球処分」から140年、今の沖縄を考えるパネル展
●「琉球処分」140年 後田多敦さん講演
●沖縄
●戦争とは何だろうか??
●軍事研究に関する学長声明 龍谷大学 学長 入 澤 崇
●第24回 スタディツアー 事前学習会
●文学者の戦争協力
●香港の皆様へ!!
●北宏一朗さんを偲ぶ
●長崎731部隊・100部隊パネル展
●京大 学位授与問題!!
●長野平和の旅
●日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
●武蔵村山の国立感染症研究所問題!!
●安倍政権の歴史改ざん政策(中国人ビザ発給拒否裁判)
●「北東アジア国際関係の激変と日中関係」 大西広慶応義塾大学教授
●731と米国の核戦略
●防衛省731部隊情報公開裁判の途中経過から見えてきたこと
●香港の皆様へ!!
●北宏一朗さんを偲ぶ
相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場
北宏一朗
海軍の毒ガス工場・相模海軍工廠 (寒川町)で、どのような化学兵器が作られていたのか、化学実験部=海軍技術研究所(平塚)では?
―毒ガス、化学戦、悪魔のネットワーク―
一本土決戦に備える毒ガス部隊一
昭和18年5月には、大川中佐を中心に士官2名、下士官6名を陸軍習志野学校(毒ガス戦将校養成の秘密学校)に派遣、後に彼らが、教官、教員にあたった。 この年は相模寒川本廠が完成、毒ガスの大規模生産が始まった年でもある。昭和20年6月館山砲術学校と横須賀海軍砲術学校が併合し、化兵戦の研究・教 は横須賀砲術学校の所管となった。養成要員は士官250名、要員450名であった。
●何で微罪で長期勾留する??
微罪で長期勾留?おかしくないか?日本も人権意識が欠如している!!
以前までは香港の日本領事館が南京大虐殺の抗議を受け取っていたが、去年は受け取らないので、日本まで抗議に来たという。
香港人「靖国神社」建造物侵入事件"長期勾留"の謎?
靖国神社でぼや、横断幕も=中国籍の男を逮捕
●徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!
日本の医学界はなぜ謝罪しない???
又、ヒロシマ・ナガサキ・ビキニ・フクシマと4度被曝した日本は、世界に先駆けて核兵器廃絶・脱原発と叫ぶべきではないか!!
なぜ、日本医学界は、先頭に立って「脱原発!!」と叫ばないのか!!
戦後、731部隊員はアメリカの核戦略に協力した!!
●「731部隊・100部隊・毒ガス戦」パネル展 2019年4月29日~5月3日
●「日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか 」 田中利幸さん
●日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
●水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した!!
ビキニ「死の灰」世界各地へ
日本は、あの侵略戦争を反省して、憲法9条を作った!!
平和条約締結は「日本が大戦の結果認めること」 露外相
●憲法第9条
1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
日本の政治の常道【historyとは、彼(his)(権力者)の物語(story)】
・まずい事は隠す!!(=あったことを無かったことにする、=データ改ざんは当たり前)
・責任を下に押し付ける!!(=権力者は、責任を取らない)
統計不正聴取に厚労省官房長同席 中立性への疑念、更に
水爆実験で被爆したのは第五福竜丸だけではない!!延べ992隻が被爆!!
なぜ、「731」と書かれた戦闘機に乗れるのだ???
2013年5月12日 安倍 731と書かれた戦闘機に乗る!!宮城県松島市にある航空自衛隊の基地で撮影
オリンピックにお金をかけるのではなく、いじめ対策・貧困対策・戦争被害者対策にお金をかけるべきだ!!
●ニュース
エボラ出血熱など輸入で国と東京・武蔵村山市が合意 国立感染症研究所に
エボラ出血熱のウィルスなど危険の高いものをなぜ輸入する?
日本は全く細菌戦の反省をしていない!!
感染症対策のウイルス保管を説明
エボラ病原体”輸入”国に安全対策求める
「最高裁決定は法令適用に誤りあり」~大崎事件で弁護団が異議申立
がん新薬の臨床試験 全国の情報集めたHP作成
「生活苦しい」57% 平均所得4年ぶり減少 厚労省調査
チェルノブイリ「石棺」をさらに外側から覆う新シェルター設置
「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」と言っている国が、なんで空母を持つのだ???
防衛省、護衛艦「いずも」「かが」を空母化へ 自衛隊内部からも疑問の声
辺野古の埋め立て加速 玉城デニー知事「暴挙以外の何ものでもない」
自衛隊の不祥事!!
日航機123便墜落の真相 〜JALボーインング747に訪れた悲劇の全貌〜
このままでは終わらせない…“森友事件”のいま【ザ・ドキュメンタリー】
“私は不妊手術を強いられた” ~追跡・旧優生保護法~
医学界の反省の弁はないのだろうか???原因は何だ???
強制不妊、首相「反省とおわび」 救済法成立時、談話発表へ
福島第一原発の原子炉建屋 開けられる鍵が9000本以上
彼の無念晴らしたい 森友疑惑 自殺職員の元同僚
なぜ、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
「わざわざ自分らのことを『げんしりょくむら』とは?
「あつまれ!げんしりょくむら」に批判相次ぐ サイト閉鎖
20190330 UPLAN 小出裕章「フクシマ事故8年 原子力を廃絶させる道」
731部隊の病理解剖の顧問をした清野謙治も、窃盗事件で京大を追われた後、戦後は東京医大教授になった。731部隊で細菌を製造していた柄沢も東京医大だ!!
日本の底にツルハシでも崩れない差別がある 東京医科大の不正入試提訴 会見詳報
【撮て出し!】田岡俊次の緊急解説 緊迫の中東とイージスアショア
なぜ、日本は脱原発と叫ばないのか??
20181104 小出裕章と樋口健二のコラボ講演会
2005/12/25 【原発問題】推進派vs反対派 小出裕章氏
竹田恒和JOC会長、IOC委員を辞任
竹田会長の記者会見は本当に「潔白主張」なのか
海外メディア「かえって疑惑深まった」 JOC竹田会長の会見
【大竹まこと×金子勝×室井佑月】 日立がイギリス原発輸出を断念! 世界に逆行する日本と経団連の責任
森友・加計問題 疑惑の核心/下 政治家、官邸官僚… 「安倍側用人」を覆う「黒い霧」
「水俣病は終わらない」公式確認から60年―私たちに託されたメッセージ
松本元死刑囚らの死刑執行文書、ほぼ全て黒塗りで開示
“旧優生保護法”強制的な不妊手術 事業として推進(18/04/27)
真実を隠すために死刑にしたのでは??
オウム13人死刑で「上川陽子法相」一生SPつきの生活
京大の「731部隊」論文疑惑(上) 勝間田秀樹(京都支局)
731部隊将校の学位取り消しを 人体実験疑い論文で京大に
●横浜「戦争の加害展」感想
2月13日
・若い人たちに見てほしい。(男性、50代)
●「特殊部隊731」
秋山 浩著 (三一書房 1956年6月30日 発行)
第3部
追われるもの
「ええ!くそったれ。ようよう、かまどができたと思ったら・・・・・」
不意の発車に、腹立たしげな声を発するものもあるが、まだ、ひもじさがこうじていない今は、飯よりも、早く走ってくれたほうが有難いのである。
私達は、水まで入れてある鍋を、あわてて車内に持ち込んだ。
列車が動き出してから、首を外に出して外景を見廻していた雇員の一人が、
「後尾の方から煙が出ているぞ」
と、けげんそうに言って、のびあがった。
「どうしたのだ!」
尾藤属が、きっと顔を緊張させて立ち上がった。私も、あるいは、列車が燃え出したのではないかという自分の直感におびえて、腰を落着けて坐っていられなくなった。
前から5、6輌目の位置にある私達の車輌から見ると、煙の中に、ぽっぽっと赤い炎の先が見え、後方の車が火を噴いているように見える。死体を焼き、器具を焼き、建物にひをかけて、部隊中が燃え盛る有様を二昼夜見続けてきた私達は、火に対して殊更敏感になっていた。まぶたを閉じると、まだ網膜に焼き付いている光景が、紅蓮となって燃え盛る火の海がありありと見えてきたり、蒸し暑い貨車の中でのまどろみの中に、火に包まれて蒸し殺される夢を見たりしているのであった。
が、煙は、敵が今来るか、今来るかとびくびくしながら逃げている者の疑心が生んだ思いすぎで、実は、後部の無蓋車の連中が車内で飯を炊いている煙だった。
●日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より
第6章 悪魔の兄弟たちの毒ガス網
共同の人体実験
この「死の箱」の状況について、森村誠一の本の中に元731部隊員の回想に基づいた次の記述がある。
「特別車から降ろされた“マルタ”は、1人ずつ、台車に移された。台車の大きさはトロッコの半分ぐらいで、・・・台上に柱が立っていた。“マルタ”はその柱に縛り付けられ、レールに従って装置内に送り込まれた」
「ガラス張りの小室は電話ボックスを少し大きくしたほどの広さだった・・・“マルタ”を縛り付けた台車をゴロゴロと押し、小室のドアを開くと、外のレールと中のレールは接続するようになっていた・・・・台車を室内に押し込んでドアを閉めると、実験準備が完了した」
(広島県大久野島毒ガス工場)
●天皇制廃止に向けての第一歩:雲上人を人間化する運動を!
田中利幸
3)憲法前文、9条と第1章の根本的矛盾
ところが、その憲法の第1章にはまず「天皇」についての条項が8条にわたって置かれているにも関わらず、前文では、戦前・戦中には「直接的暴力」装置の帝国陸海軍の大元帥で、反民主主義的な天皇制軍国主義の象徴的存在であった天皇の地位が、国民主権主義と平和主義の人類普遍原理という観点から見て、どのように変革されたのか、あるいは、「民主化されたはずの天皇制」が前文で強調されている国民主権主義と平和主義の普遍原理とどのように関連しているのかについては一切説明されていない。
●『人間の価値』
―1918年から1945年までのドイツ医学
Ch.ブロス/G.アリ編
林 功三訳
ベルリン医師会理事会を代表して
ヘルムート・ベッカー博士
エリス・フーバー博士
序言
数百年来、学者や医師たちはたえず新たな認識を追求してやまなかった。かれらがいなければどんな進歩もなく、現代の診断学も治療もなかったろう。しかしこの追求は、19世紀の自然科学の中で、ますます客観的な、客体化可能な真理の追求になっていった。医学は、個々の患者の治療、患者の苦痛の緩和、患者を「傷つけない」という本来の目的を見失い、それ自体が自己目的になり、そして「上位の」目的に包含されるようになり、破壊的なものに変わってしまった。攻撃的な診断への誘惑、隠された肉体の中を覗きたいという魅惑に誘われたことがない医者がいるだろうか。好奇心、競争、業績、倒錯した報酬システム、聴取し五感を用いる古典的な医術の喪失、医者たちの間にみられるこのような傾向は、かれらを技術に走らせるばかりである。機械と学問が医者と患者の間に割り込んできて、医者と患者を隔絶する。医者は人間の不完全性・予測不可能性に向うことを避け、そのかわりに、実験室の一見確実な価値とコンピューターの断層写真に逃げ込んでいる。こうして、医学は診断の科学にすぎないものになってしまったのではないかという問題が出てくるが、この問題は、すでにワイマル共和国時代にも、医学の危機を巡る論争の中でさかんに取り上げられていた。
昨年2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)
●「化学学校記事」情報公開裁判
9月4日 11:30~(522号法廷)
●「衛生学校記事」とはどんなものだろうか?
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?
次回 第23回『衛生学校記事』情報公開裁判
9月26日(木)11:30~419法廷
金原節三氏が寄贈した資料が、衛生学校庁舎3階の彰古館に1982年に「金原節三コーナー」として展示された。
その2000点を超える資料はその後どうなったのであろうか?
防衛省の回答では、金原氏の目録と一致する資料は、今現在は641点だという。
あとの資料はどこに消えたのか?
彰古館に勤めていた人(1996年から2013年)の聞き取りでは、彰古館では、きちんと整理していていなかったようである。
金原資料は、1995年に防衛庁戦史部に移管されたが、翌年また彰古館へ戻したという。
その時はすべてを戻したわけではなかったようだ。
2010年に、彰古館が学校庁舎3階から今の建屋になり、資料も移管されたが、金原資料の整理はきちんとされていないようだ。
金原資料の一部はあるようだが、その他の金原資料は、どこに保管しているのだろうか。
また、彰古館には旧軍資料しか置いていないともいう。本当に「衛生学校記事」や教範類は置いていないのだろうか?
次の裁判までに、勤めていた人の陳述書を防衛省側は出すという。
1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊
第4代衛生学校長
『衛生学校記事』を発刊したときの、衛生学校長金原節三とはどんな人物なのだろうか?
金原節三(1901~1976)
陸軍省医事課長時代(1941.11~43.8)に731部隊から報告を受けていた。「陸軍省業務日誌摘録」
厚生省東海北陸医務出張所から衛生学校へ 1955.8.1
金原節三と細菌戦
金原の略歴を見ると、昭和16年11月に陸軍省医務局医事課長になっていて、17年に8月に軍医大佐になっている。
細菌戦資料センターの会報には、次のような記載がある。「陸軍省医務局医事課長だった金原節三元軍医大佐が、1955年に陸上自衛隊に入隊した。細菌戦部隊を指導していたのは、陸軍参謀本部、陸軍省医務局衛生課そして陸軍省医務局医事課である。金原は、「金原業務日誌摘録」に細菌戦部隊からの報告を記録している。
金原節三と武見太郎
金原と戦後日本医師会会長になり、医師会、薬剤師会、歯科医師会に大きな影響を及ぼした武見太郎は、軍隊内の先輩・後輩関係にあった。『金原節三資料目録』(陸上自衛隊衛生学校)の巻頭言は、日本医師会長武見太郎が書いている。
「衛生学校30年のあゆみ」
校長在職時代の憶い出
第4代校長 金原節三
また、研究部という看板なので、何か自衛隊衛生の必要とする特殊な「科学研究」を実際的にやっているかと思ったら、研究員のエネルギーの大部分は、外国資料の翻訳と教範作成に費やされるというふうだった。教官や研究員に尋ねても、施設が狭い、教室が足りない、実験室が欲しい、図書がない、教材がない、諸謝金が少ないなど、ないないづくしの不平不満を異口同音に訴えるが、これは、私には当然すぎる程当然だと思われた。これらのことは、学校の総経費年額1億なにがしの中で、人件費や糧食費など、いわゆる生活するだけの経費を差し引き、世間で事業費と言っているものに当たる学校の本務である教育研究に費やされる経費が、わずかに4%に過ぎない事実が明瞭に実証しているのであった。
※細菌戦に関わった金原と、戦後日本医師会で権力をふるった武見。こんな2人に関係があると、日本医師会が細菌戦のことなど反省するはずがない。防衛医科大学校は、武見と金原の人間関係で設立された。もちろん、生物戦、化学戦、原子戦などを想定して、色々なことに取り組んでいるのではないかと思う。すべて防御のためと称して。
第5代衛生学校長
井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身
1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】
第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を転任になり、その後を井上が引き継いだ。
井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。
又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。
南方軍防疫給水部(岡9420部隊)
●イタイイタイ病を究明した男 萩野昇
●驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く
●水俣病問題
●小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去
●小泉親彦と宮川米次の絆
●ヒロシマからフクシマへ
●宮川正
●「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—
●ビキニ「死の灰」世界各地へ
●自衛隊とサリン
●相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場
●日本の国家機密
●兒嶋俊郎さんを偲ぶ
●昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!!
天皇万歳に浮かれる無責任国家 田中利幸より
重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
第3部 陛下の戦争
1931(昭和6)年―1945 (昭和20)年
※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
第9章 聖戦
昭和天皇は即位以来、正式の決定の前に内閣からの非公式な報告(内奏)を受けてきたが、この内奏は1937年末以降、大元帥としての昭和天皇を正規に輔翼する大本営の設置によって増加することとなった。この内奏は、ある程度、天皇の質問(御下問)、内奏者の奉答という質疑応答の場となっていた。一般に参内したのは統帥部と特定の閣僚であった。それがより形式化したものとなる場合もあった。そのような場合、天皇は黙って臣下の大臣か、統帥部からの文書または口頭による報告(上奏)を受けていた。内奏の間、情報や意見のやりとりが政策、戦略、戦術的な議論に及ぶことさえあり、日本的な「合意」として決定にいたることがあった。その結果、内奏後に行われる閣議決定はあらかじめ決められた「完成品」であり、それは昭和天皇の考えを反映したものなので修正されることはまずなかった。
●小泉親彦と昭和天皇
●近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~
●近代天皇制の真髄は
●福沢諭吉
●神武と戦争
憲法9条を生かそう!!
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