2019年7月14日日曜日

細菌戦の系譜!!


日本軍の毒ガス戦
7.7「戦争を始めた日」国会前集会
「旧優生保護法優生手術問題と人権」
ソビエト連邦、中華人民共和国とハバロフスク裁判の忘却 1949-1956
旧陸軍毒ガス詳報、確認 中国北部で使用部隊が記録
平沢正欣論文を検証する(人体実験は行われたか?)
記憶の継承を進める神奈川の会
沖縄
戦争とは何だろうか??
軍事研究に関する学長声明  龍谷大学 学長 入 澤  崇
第24回  スタディツアー 事前学習会
文学者の戦争協力
香港の皆様へ!!
北宏一朗さんを偲ぶ
長崎731部隊・100部隊パネル展
京大 学位授与問題!!
長野平和の旅
日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
武蔵村山の国立感染症研究所問題!!



7.7集会(2019)「戦争を始めた日」国会前集会


香港の皆様へ!!


何で微罪で長期勾留する??
微罪で長期勾留?おかしくないか?日本も人権意識が欠如している!!
以前までは香港の日本領事館が南京大虐殺の抗議を受け取っていたが、去年は受け取らないので、日本まで抗議に来たという。
香港人「靖国神社」建造物侵入事件"長期勾留"の謎?

靖国神社でぼや、横断幕も=中国籍の男を逮捕


●徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!
日本の医学界はなぜ謝罪しない???
又、ヒロシマ・ナガサキ・ビキニ・フクシマと4度被曝した日本は、世界に先駆けて核兵器廃絶・脱原発と叫ぶべきではないか!!
なぜ、日本医学界は、先頭に立って「脱原発!!」と叫ばないのか!!
戦後、731部隊員はアメリカの核戦略に協力した!!

「731部隊・100部隊・毒ガス戦」パネル展 2019年4月29日~5月3日
「日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか 」 田中利幸さん
日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか


●水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した!!

ビキニ「死の灰」世界各地へ


日本は、あの侵略戦争を反省して、憲法9条を作った!!

平和条約締結は「日本が大戦の結果認めること」 露外相
●憲法第9条
1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

日本の政治の常道【historyとは、彼(his)(権力者)の物語(story)】

・まずい事は隠す!!(=あったことを無かったことにする、=データ改ざんは当たり前)
・責任を下に押し付ける!!(=権力者は、責任を取らない)
統計不正聴取に厚労省官房長同席 中立性への疑念、更に
水爆実験で被爆したのは第五福竜丸だけではない!!延べ992隻が被爆!!
なぜ、「731」と書かれた戦闘機に乗れるのだ???

2013年5月12日 安倍 731と書かれた戦闘機に乗る!!宮城県松島市にある航空自衛隊の基地で撮影

オリンピックにお金をかけるのではなく、いじめ対策・貧困対策・戦争被害者対策にお金をかけるべきだ!!





●ニュース
韓国「理解も同意もせず」 日本が協議拒否と主張 輸出規制強化問題

【横田現場直撃】山口イージス/参院選大物直撃!進次郎・二階・菅20190712


【横田現場直撃】決定版!イージスアショアの虚妄 防衛省の杜撰/維新お忍び謝罪/滋賀の野党共闘候補



過去を反省しない日本これでいいのだろうか??
輸出規制 日本側は韓国の対応見極めたい考え

佐川 元財務省理財局長を証人申請へ 森友文書の訴訟で原告弁護団

旧陸軍毒ガス詳報、確認 中国北部で使用部隊が記録

消えゆく「陸軍中野学校」の跡と記憶 「結局は駒」と卒業生は語った


遺伝子「優性・劣性」“高校教科書では別表現を”日本学術会議



エボラ出血熱など輸入で国と東京・武蔵村山市が合意 国立感染症研究所に

エボラ出血熱のウィルスなど危険の高いものをなぜ輸入する?
日本は全く細菌戦の反省をしていない!!
感染症対策のウイルス保管を説明

エボラ病原体”輸入”国に安全対策求める


「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」と言っている国が、なんで空母を持つのだ???
防衛省、護衛艦「いずも」「かが」を空母化へ 自衛隊内部からも疑問の声


辺野古の埋め立て加速 玉城デニー知事「暴挙以外の何ものでもない」

自衛隊の不祥事!!
日航機123便墜落の真相 〜JALボーインング747に訪れた悲劇の全貌〜



このままでは終わらせない…“森友事件”のいま【ザ・ドキュメンタリー】



“私は不妊手術を強いられた” ~追跡・旧優生保護法~

医学界の反省の弁はないのだろうか???原因は何だ???
強制不妊、首相「反省とおわび」 救済法成立時、談話発表へ

福島第一原発の原子炉建屋 開けられる鍵が9000本以上


彼の無念晴らしたい 森友疑惑 自殺職員の元同僚


なぜ、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
「わざわざ自分らのことを『げんしりょくむら』とは?

「あつまれ!げんしりょくむら」に批判相次ぐ サイト閉鎖

20190330 UPLAN 小出裕章「フクシマ事故8年 原子力を廃絶させる道」



731部隊の病理解剖の顧問をした清野謙治も、窃盗事件で京大を追われた後、戦後は東京医大教授になった。731部隊で細菌を製造していた柄沢も東京医大だ!!
日本の底にツルハシでも崩れない差別がある 東京医科大の不正入試提訴 会見詳報


なぜ、日本は脱原発と叫ばないのか??
20181104 小出裕章と樋口健二のコラボ講演会


2005/12/25 【原発問題】推進派vs反対派 小出裕章氏


竹田恒和JOC会長、IOC委員を辞任




竹田会長の記者会見は本当に「潔白主張」なのか
海外メディア「かえって疑惑深まった」 JOC竹田会長の会見

【大竹まこと×金子勝×室井佑月】 日立がイギリス原発輸出を断念! 世界に逆行する日本と経団連の責任


森友・加計問題 疑惑の核心/下 政治家、官邸官僚… 「安倍側用人」を覆う「黒い霧」

「水俣病は終わらない」公式確認から60年―私たちに託されたメッセージ

松本元死刑囚らの死刑執行文書、ほぼ全て黒塗りで開示

“旧優生保護法”強制的な不妊手術 事業として推進(18/04/27)


真実を隠すために死刑にしたのでは??
オウム13人死刑で「上川陽子法相」一生SPつきの生活


京大の「731部隊」論文疑惑(上) 勝間田秀樹(京都支局)

731部隊将校の学位取り消しを 人体実験疑い論文で京大に




●横浜「戦争の加害展」感想


2月13日
・改めて戦争の闇の深さを思い知りました。なぜ、戦争をするのか、なぜ人を殺すのか、何の為の戦争なのか?これからずっとこの疑問を持ちつつ人間はどこに落ちていくのか悲しいことです。(女性、70代)

●(「琉球処分」から140年、今の沖縄を考える)パネル展感想
6 月 24 日
1、知らないことがいかに多いか痛感させられました。知って考えて行動せねばと思いました。 (女、70 代、市内、友人)

●「特殊部隊731」
秋山 浩著 (三一書房 1956年6月30日 発行)

第3部

群がる避難民

しばらくして、一間堡から出た連絡隊が帰ったことが伝えられた。軍司令官は不在だったので正式な命令を受領することはできなかったが、居合わせた高級副官にあって、
「万全の措置を講ずるから、とにかく内地へ向って逃げろ」
と言われてきたそうである。
 憲兵の護衛も、その措置の一つなのであろう。
 場内アナウンスが、しきりに静粛を促している。
「・・・戦いには敗れましたが、国体は護持され、民族の栄誉は保たれるのであります。私達は、日本人としての誇りを忘れず、秩序正しく行動しようではありませんか。・・・・」
 だが、生きて内地へ帰れるかどうか、また帰ったにしても、果して内地は平穏なのかどうか、それすら分からぬ不安と恐怖におののいている人々は、誰もそんな放送など聞いている様子はない。生きるか死ぬかの瀬戸際にある一個の生命にとって、国体も民族もあったものではなかろう。
 列車は、いつ発車するとも知れず、とうとう正午になった。前方に他の列車が、つかえていて整理がつかず、くわえて満人の機関士に逃げられてしまった。それで目下運転のできる者を探しているのだと言う。
 私達は空腹であった。





●日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より

第6章 悪魔の兄弟たちの毒ガス網

悪魔の兄弟の毒網

 日本陸軍の首脳は演習計画を直ちに裁可したが、真崎甚三郎の日記にはさらに、当時ソ連のスパイが北安地区に出没しているのを心配して、関東軍に調査を要求し、もし危険であれば、演習地点は洮南付近に変更することにしたと記載されている。
 演習に参加した部隊は全部で135人(将校13人、准士官2人、兵120人)これらの人は12月4日に集合後、下関から乗船中国に向かい、28日、演習地点に着いた。そこで駐屯軍が提供した兵営に泊まったが、演習は1935年1月4日に始まり10日に終了した。
 この時の演習後から、中国東北は日本陸軍習志野学校が化学戦演習を行う理想的な場所になり、演習地点は同時に北部の辺境地区に移動した。


(広島県大久野島毒ガス工場)




●天皇制廃止に向けての第一歩:雲上人を人間化する運動を!
田中利幸
4)明仁宛公開書簡の目的―天皇「人間化」の試み

A.「食料メーデー・プラカード事件」裁判

私がこの裁判で重要視するのは、第1審の公判で松島の弁護人を務めた正木ひろし弁護士が主張したその内容である。すなわち、検察側が主張するように松島のプラカードが名誉棄損罪に確当するのであれば、それは刑法232条の「告訴ヲ待テ之ヲ論ズ」という親告罪を前提としている。したがって、裕仁本人が出廷してその「被害」を述べなけらばならない、という主張しである。法廷に天皇を引きずり出し、じかに発言させる。これは旧憲法で規定された天皇の「神聖不可侵」、それを継承する新憲法をよりどころとする「象徴権威」に対する真っ向からの挑戦である。天皇が普通の人間であり、名誉棄損の被害者であるなら、出廷してはっきりと自分の意見を述べるべきだという、いたって当然の論理だ。おそらく、天皇を証人喚問するために出廷を要求したのは、日本の裁判史上これが初めてのケースであったと思われる。



●『人間の価値』
―1918年から1945年までのドイツ医学
Ch.ブロス/G.アリ編
林 功三訳

■処方箋による4分の1リットルのミルク
・・・・・・・
 戦争(※第1次世界大戦)が終わった時、ドイツには100万の住居が不足していた。労働者の住まいは過密でひどい状態にあり、肺結核、チフス、赤痢が蔓延していた。ベルリンの学童の77%が自分のベッドを持っておらず、開放性結核にかかっているベルリン市民の66%は自分たちの寝室すら持っていなかった。その後1918年にスペイン風邪が大流行した時、人々の肉体的抵抗力がどれほど失われていたかが明らかになった。「若い人々は朝病気になると、夕方にはもう死亡してしまった。」当時シャリテ病院(ベルリン・フンボルト大学付属病院)の医局医だったケーテ・フランケンタールは彼女の回想録に次のように書いている。
「1918年6月5日、ベルリンでは1週間の割当食糧は1ポンドのジャガイモと1キロのパンだった。わたしが本物の飢餓水腫をみたのはこのときだった。医者たちは毎日4分の1リットルのミルクを『治療薬』として処方することが許された。人々が闇値で医師の診断書を得ようとしたのを不思議に思う人がいるだろうか。飢餓はあらゆるモラルを破滅させた。わたしは診療時間にいつも文字通り恐怖を覚えていた。わたしたちはもう医者ではなく、予審判事であった。」




昨年2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)


●「化学学校記事」情報公開裁判
9月4日 11:30~(522号法廷)

●「衛生学校記事」とはどんなものだろうか?
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?

次回 第23回『衛生学校記事』情報公開裁判
9月26日(木)11:30~419法廷

金原節三氏が寄贈した資料が、衛生学校庁舎3階の彰古館に1982年に「金原節三コーナー」として展示された。
その2000点を超える資料はその後どうなったのであろうか?
防衛省の回答では、金原氏の目録と一致する資料は、今現在は641点だという。
あとの資料はどこに消えたのか?
彰古館に勤めていた人(1996年から2013年)の聞き取りでは、彰古館では、きちんと整理していていなかったようである。
金原資料は、1995年に防衛庁戦史部に移管されたが、翌年また彰古館へ戻したという。
その時はすべてを戻したわけではなかったようだ。
2010年に、彰古館が学校庁舎3階から今の建屋になり、資料も移管されたが、金原資料の整理はきちんとされていないようだ。
金原資料の一部はあるようだが、その他の金原資料は、どこに保管しているのだろうか。
また、彰古館には旧軍資料しか置いていないともいう。本当に「衛生学校記事」や教範類は置いていないのだろうか?
次の裁判までに、勤めていた人の陳述書を防衛省側は出すという。

1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊


第4代衛生学校長
『衛生学校記事』を発刊したときの、衛生学校長金原節三とはどんな人物なのだろうか?
金原節三(1901~1976)
陸軍省医事課長時代(1941.11~43.8)に731部隊から報告を受けていた。「陸軍省業務日誌摘録」
厚生省東海北陸医務出張所から衛生学校へ 1955.8.1

金原節三と細菌戦
金原の略歴を見ると、昭和16年11月に陸軍省医務局医事課長になっていて、17年に8月に軍医大佐になっている。
細菌戦資料センターの会報には、次のような記載がある。「陸軍省医務局医事課長だった金原節三元軍医大佐が、1955年に陸上自衛隊に入隊した。細菌戦部隊を指導していたのは、陸軍参謀本部、陸軍省医務局衛生課そして陸軍省医務局医事課である。金原は、「金原業務日誌摘録」に細菌戦部隊からの報告を記録している。


金原節三と武見太郎
金原と戦後日本医師会会長になり、医師会、薬剤師会、歯科医師会に大きな影響を及ぼした武見太郎は、軍隊内の先輩・後輩関係にあった。『金原節三資料目録』(陸上自衛隊衛生学校)の巻頭言は、日本医師会長武見太郎が書いている。

「衛生学校30年の歩み」によせて
入隊から退官まで
第8代校長 園口忠男

陸上自衛隊の衛生支援は、衛生学校で教育を受けた学生が原隊復帰後、曹士に普及徹底することによって成立すべきである。ところが当時の教育は、口述原稿の作成にはうるさく言われたが、同一科目の教育内容が教官の質によって変わっていた。各科目の最低限の基準を示す教程が全然なかったためである。
中黒校長は着任以来、教育、研究、学校の整備並びに運営に極めて意欲的であったが、とりわけ、衛生科全体の教育を重視され、口述原稿、教授観察と、それらの検討が厳格で、各科目の教程作成を強力に指導された。退官されるまでには、ほとんど全ての教程を当時のレベルで完成された。その後の教育は整々と実施できた。この意味で、同校長が教育の基本を確立されたと考えている。


第5代衛生学校長
井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身
1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】
第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を転任になり、その後を井上が引き継いだ。
井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。
又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。
南方軍防疫給水部(岡9420部隊)





イタイイタイ病を究明した男 萩野昇

驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く

水俣病問題

小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去

小泉親彦と宮川米次の絆

ヒロシマからフクシマへ

宮川正

「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—

ビキニ「死の灰」世界各地へ

自衛隊とサリン

相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場

日本の国家機密

兒嶋俊郎さんを偲ぶ



●昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!!
天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より
重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。





●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
第3部   陛下の戦争
1931(昭和6)年―1945 (昭和20)年
※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!


第9章 聖戦



 上海―南京の戦闘地域での皇軍の行為に対し、諸外国から外交ルートで寄せられる抗議が増え、それは昭和天皇の目に留まるようになったかもしれない。確かに南京の諸問題は、何人かの帝国議会議員は言うまでもなく、最高司令部や外務省が注目するところとなった。アメリカ大使グルーは、日本陸軍がアメリカ人の資産を略奪した事、そしてアメリカの国旗を冒瀆(ぼうとく)したことについて、広田外務大臣に2度、正式に抗議した。そして、広田は1938年1月中旬、この問題を閣議に上げた。


小泉親彦と昭和天皇

近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~

近代天皇制の真髄は

福沢諭吉

神武と戦争




憲法9条を生かそう!!










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