2019年7月26日金曜日

細菌戦の系譜!!


人骨発見から30年
日本軍の毒ガス戦
7.7「戦争を始めた日」国会前集会
ソビエト連邦、中華人民共和国とハバロフスク裁判の忘却 1949-1956
旧陸軍毒ガス詳報、確認 中国北部で使用部隊が記録
平沢正欣論文を検証する(人体実験は行われたか?)
記憶の継承を進める神奈川の会
沖縄
戦争とは何だろうか??
軍事研究に関する学長声明  龍谷大学 学長 入 澤  崇
第24回  スタディツアー 事前学習会
文学者の戦争協力
北宏一朗さんを偲ぶ
長崎731部隊・100部隊パネル展
京大 学位授与問題!!
長野平和の旅
日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
武蔵村山の国立感染症研究所問題!!



●昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!!
人骨発見から30年

1937年7月7日→日中全面戦争

7.7集会(2019)「戦争を始めた日」国会前集会



香港人見せしめ弾圧事件
香港の皆様へ!!


何で微罪で長期勾留する??
微罪で長期勾留?おかしくないか?日本は人権意識が欠如している!!
以前までは香港の日本領事館が南京大虐殺の抗議を受け取っていたが、去年は受け取らないので、日本まで抗議に来たという。
香港人「靖国神社」建造物侵入事件"長期勾留"の謎?

靖国神社でぼや、横断幕も=中国籍の男を逮捕




徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!
日本の医学界はなぜ謝罪しない???
又、ヒロシマ・ナガサキ・ビキニ・フクシマと4度被曝した日本は、世界に先駆けて核兵器廃絶・脱原発と叫ぶべきではないか!!
なぜ、日本医学界は、先頭に立って「脱原発!!」と叫ばないのか!!
戦後、731部隊員はアメリカの核戦略に協力した!!

「731部隊・100部隊・毒ガス戦」パネル展 2019年4月29日~5月3日
「日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか 」 田中利幸さん
日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか


●水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した!!

ビキニ「死の灰」世界各地へ


日本は、あの侵略戦争を反省して、憲法9条を作った!!

平和条約締結は「日本が大戦の結果認めること」 露外相

●憲法第9条
1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

日本の政治の常道【historyとは、彼(his)(権力者)の物語(story)】

・まずい事は隠す!!(=あったことを無かったことにする、=データ改ざんは当たり前)
・責任を下に押し付ける!!(=権力者は、責任を取らない)
統計不正聴取に厚労省官房長同席 中立性への疑念、更に
水爆実験で被爆したのは第五福竜丸だけではない!!延べ992隻が被爆!!
なぜ、「731」と書かれた戦闘機に乗れるのだ???

2013年5月12日 安倍 731と書かれた戦闘機に乗る!!宮城県松島市にある航空自衛隊の基地で撮影

オリンピックにお金をかけるのではなく、いじめ対策・貧困対策・戦争被害者対策にお金をかけるべきだ!!





●ニュース
【やまゆり園事件3年】揺らがぬ独善今なお 植松被告「責任能力ある」「僕が死ななければ社会が丸く収まらないのでは」

韓国での日本製品不買運動、若者層が積極的

山口「八つ墓村事件」、保見光成死刑囚が弁護士にも語らなかった“田舎暮らしの地獄”


ハンセン病元患者の家族 全面解決へ厚労相に要求書提出

イージス・アショア「異様なレーダー選定」の茶番を見逃してはいけない



軍事費突出!!
海自イージス艦「はぐろ」進水 ミサイル防衛、8隻態勢に

日韓関係は「戦後最悪」に 収拾困難、歴史的転換点か

韓国 輸出規制や「徴用」問題で日本へ対抗姿勢強める


【横田現場直撃】山口イージス/参院選大物直撃!進次郎・二階・菅20190712




佐川 元財務省理財局長を証人申請へ 森友文書の訴訟で原告弁護団

旧陸軍毒ガス詳報、確認 中国北部で使用部隊が記録

消えゆく「陸軍中野学校」の跡と記憶 「結局は駒」と卒業生は語った


遺伝子「優性・劣性」“高校教科書では別表現を”日本学術会議



エボラ出血熱など輸入で国と東京・武蔵村山市が合意 国立感染症研究所に

エボラ出血熱のウィルスなど危険の高いものをなぜ輸入する?
日本は全く細菌戦の反省をしていない!!
感染症対策のウイルス保管を説明

エボラ病原体”輸入”国に安全対策求める


「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」と言っている国が、なんで空母を持つのだ???
防衛省、護衛艦「いずも」「かが」を空母化へ 自衛隊内部からも疑問の声


辺野古の埋め立て加速 玉城デニー知事「暴挙以外の何ものでもない」

自衛隊の不祥事!!
日航機123便墜落の真相 〜JALボーインング747に訪れた悲劇の全貌〜



このままでは終わらせない…“森友事件”のいま【ザ・ドキュメンタリー】



“私は不妊手術を強いられた” ~追跡・旧優生保護法~

医学界の反省の弁はないのだろうか???原因は何だ???
強制不妊、首相「反省とおわび」 救済法成立時、談話発表へ

福島第一原発の原子炉建屋 開けられる鍵が9000本以上


彼の無念晴らしたい 森友疑惑 自殺職員の元同僚


なぜ、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
「わざわざ自分らのことを『げんしりょくむら』とは?

「あつまれ!げんしりょくむら」に批判相次ぐ サイト閉鎖

20190330 UPLAN 小出裕章「フクシマ事故8年 原子力を廃絶させる道」



731部隊の病理解剖の顧問をした清野謙治も、窃盗事件で京大を追われた後、戦後は東京医大教授になった。731部隊で細菌を製造していた柄沢も東京医大だ!!
日本の底にツルハシでも崩れない差別がある 東京医科大の不正入試提訴 会見詳報


なぜ、日本は脱原発と叫ばないのか??
20181104 小出裕章と樋口健二のコラボ講演会


2005/12/25 【原発問題】推進派vs反対派 小出裕章氏


竹田恒和JOC会長、IOC委員を辞任




竹田会長の記者会見は本当に「潔白主張」なのか
海外メディア「かえって疑惑深まった」 JOC竹田会長の会見

【大竹まこと×金子勝×室井佑月】 日立がイギリス原発輸出を断念! 世界に逆行する日本と経団連の責任


森友・加計問題 疑惑の核心/下 政治家、官邸官僚… 「安倍側用人」を覆う「黒い霧」

「水俣病は終わらない」公式確認から60年―私たちに託されたメッセージ

松本元死刑囚らの死刑執行文書、ほぼ全て黒塗りで開示

“旧優生保護法”強制的な不妊手術 事業として推進(18/04/27)


真実を隠すために死刑にしたのでは??
オウム13人死刑で「上川陽子法相」一生SPつきの生活


京大の「731部隊」論文疑惑(上) 勝間田秀樹(京都支局)

731部隊将校の学位取り消しを 人体実験疑い論文で京大に




●横浜「戦争の加害展」感想

2月14日
・言無し。(悲しいです。)(男性、60代)

●(「琉球処分」から140年、今の沖縄を考える)パネル展感想
6 月 24 日
14このような活動を継続させていることに敬意を表します。(60.市内.東京新聞)


●「特殊部隊731」
秋山 浩著 (三一書房 1956年6月30日 発行)

第3部

秘密厳守の誓い

また、私が気にかけていた明石氏の話が、輸送機に同乗して来た人の口から伝えられた。
 13日の夜、残務整理を終えていよいよ最後の輸送機が、廃墟と化した「731」本部を去るとき、残っていたはずの明石氏の姿がない。あちこち捜し回ったあげく、もしやと思って焼け残った官舎の一角に入ってみると、床の上に血がしたたり、それが押入れのところまで続いている。明石氏が自決したのではないかという、慄然たる気持で、恐る恐る押入れの戸を開けてみた。
「なんだ、おめぇらか・・・・」
と、明石氏が、少しもあわてる様子もなく、こともなげに言った。
「ロスケがやってくるにしては、少し早いと思ったよ。どうだい、鶏でもつつかんか?」
みると、明石氏は、一人で鶏鍋をつついて酒を飲んでいるのだった。
 一刻を争って逃げなければならない、土壇場にあって、兢々としていたときだけに、明石氏の豪胆さに皆舌を巻いたと言うのである。
 明石氏はすでに観念のほぞを固めていたのであろう。部隊本部から脱出したにしても、何処で捕まるか分からないし、内地へうまく逃げついたにしても、戦犯として裁かれざるを得ない、と思ったものらしい。
 だが、とにかく平壌までは一緒に脱出してきたという。しかし、それから一人で、何処へともなく消えてしまった。
「あの人のことだから、めったなことでは捕まるまい・・・」
そう思いながらも、やはりあの人の無事を祈らずにいられない私だった。





●日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より

第7章  残虐な毒ガス戦

動かしようのない事実

1938年5月16日、国民党中央政治部部長、陳誠は在華外国人記者を集めて記者会見を開き、日本軍の毒ガス使用状況を明らかにした。
陳誠は同会席上で、以下のように述べた。
「 我々は以下の数点を希望する。
1、国連行政部は中国政府の申し立てを受け入れ、日本が進めている化学戦争が違法であることを明確に非難し、かつ警告を与えること。日本が再度毒ガスをした場合、即刻、団結して対日制裁を行うこと。
2、国際公法と人道主義を擁護する各国政府は、個別に日本に対して警告を発し、日本が再度毒ガスを使用できないようにする。それがかなわない場合、団結して国連の対日制裁を支持すること。
3、各国マスコミは、日本の毒ガス使用に関する申し立てを一斉に取り上げ、全世界の世論を盛り上げて日本の野蛮な行為に対する大制裁を行うこと。
4、広範な各国国民、慈善宗教団体、労働団体などは、デモ、集会、放送、講演、宣伝ビラ配布などの各種活動を通して日本の蛮行を非難し、日本軍が山東省南部で画策している非人道的化学戦争を阻止するよう圧力を与えること」



(広島県大久野島毒ガス工場)




●天皇制廃止に向けての第一歩:雲上人を人間化する運動を!
田中利幸
4)明仁宛公開書簡の目的―天皇「人間化」の試み

B.京都大学訪問の天皇裕仁への公開質問状

この質問状は京都大学理学部学生で同学会委員の一人、中岡哲郎(現在は大阪市立大学名誉教授)が書いたものであるが、中岡は戦時中は海軍兵学校の生徒であった。後年、中岡は、この質問状を執筆しているとき、自分の眼の前に浮かんでいたのは、38式小銃の銃身に刻まれた「菊の紋章」であったと述懐している。

以下がその質問状の全文である。

しかし、貴方からかつて平和な宮殿の中にいて、その宮殿の外で多くの若者達がわだつみの叫びをあげ、恨みを飲んで死んでいる事を知ろうともされなかったこと、又今と同じように筋書に従って歩きながら太平洋戦争のために、軍国主義の支柱となられたことを考える時、私達はもはや貴方に同情していることはできないのです。しかし貴方は今も変わっていません。名前だけは人間天皇であるけれどそれはかつての神様天皇のデモクラシー版にすぎないことを私達は考えざるを得ず、貴方が今又、単独講和と再軍備の日本でかつてと同じような戦争イデオロギーの1つの支柱として役割を果たそうとしていることを認めざるを得ないのです。我々は勿論かつての貴方の責任を許しはしないけれど、それよりもなお一層貴方が同じ過ちを繰り返さないことを望みます。



●『人間の価値』
―1918年から1945年までのドイツ医学
Ch.ブロス/G.アリ編
林 功三訳

■医療の危機
開業医で社会民主党員であったユゥリウス・モーゼスは同業者達に「無免許医から学ぶこと」を勧めた。「大衆が無免許医のもとへ走るのは、彼らが迷信を信じるからでもなければ、無教養で、愚かだからでもない。大衆は無免許医のところで公的な大学医学が提供できない多くのものを、心理的理解、個人的治療を、得ることができるからであり、何よりも、治してもらえるからだ。」


昨年2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)


●「化学学校記事」情報公開裁判
9月4日 11:30~(522号法廷)

●「衛生学校記事」とはどんなものだろうか?
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?

次回 第23回『衛生学校記事』情報公開裁判
9月26日(木)11:30~419法廷

金原節三氏が寄贈した資料が、衛生学校庁舎3階の彰古館に1982年に「金原節三コーナー」として展示された。
その2000点を超える資料はその後どうなったのであろうか?
防衛省の回答では、金原氏の目録と一致する資料は、今現在は641点だという。
あとの資料はどこに消えたのか?
彰古館に勤めていた人(1996年から2013年)の聞き取りでは、彰古館では、きちんと整理していていなかったようである。
金原資料は、1995年に防衛庁戦史部に移管されたが、翌年また彰古館へ戻したという。
その時はすべてを戻したわけではなかったようだ。
2010年に、彰古館が学校庁舎3階から今の建屋になり、資料も移管されたが、金原資料の整理はきちんとされていないようだ。
金原資料の一部はあるようだが、その他の金原資料は、どこに保管しているのだろうか。
また、彰古館には旧軍資料しか置いていないともいう。本当に「衛生学校記事」や教範類は置いていないのだろうか?
次の裁判までに、勤めていた人の陳述書を防衛省側は出すという。

1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊


第4代衛生学校長
『衛生学校記事』を発刊したときの、衛生学校長金原節三とはどんな人物なのだろうか?
金原節三(1901~1976)
陸軍省医事課長時代(1941.11~43.8)に731部隊から報告を受けていた。「陸軍省業務日誌摘録」
厚生省東海北陸医務出張所から衛生学校へ 1955.8.1

金原節三と細菌戦
金原の略歴を見ると、昭和16年11月に陸軍省医務局医事課長になっていて、17年に8月に軍医大佐になっている。
細菌戦資料センターの会報には、次のような記載がある。「陸軍省医務局医事課長だった金原節三元軍医大佐が、1955年に陸上自衛隊に入隊した。細菌戦部隊を指導していたのは、陸軍参謀本部、陸軍省医務局衛生課そして陸軍省医務局医事課である。金原は、「金原業務日誌摘録」に細菌戦部隊からの報告を記録している。


金原節三と武見太郎
金原と戦後日本医師会会長になり、医師会、薬剤師会、歯科医師会に大きな影響を及ぼした武見太郎は、軍隊内の先輩・後輩関係にあった。『金原節三資料目録』(陸上自衛隊衛生学校)の巻頭言は、日本医師会長武見太郎が書いている。

「衛生学校30年の歩み」によせて
若き教官諸官のために

第11代校長 泉 将

(注5)
今を去る40年前、東北大学名誉教授の1人に木村男也先生がご健在だった。・・・・
時移り、既に敗戦の色濃い昭和19年、木村教授はクアラルンプール熱帯医学研究所長に就任されることとなり、最終講義が行われた。講義を終えるに当たり、「自分は東北大学着任以来、年々歳々学生諸君をしごき通して来た。非常識な男と思ったであろう。(中略)しかし、諸君が社会に出てから、或いは軍務に服し出陣した時、傷病者の救命のため、連日連夜、不眠不休で働かなければならないことが必ずあるはずである。その時、かつて病理学教室で睡魔と闘いながら辛苦惨憺したことを思い出してほしい。必ずや勇猛心が湧き出て敢然として苦難を乗り切ることができるであろう。今日まであえて厳しく指導してきた所以は、学生時代に一度臥薪嘗胆の経験をしてほしかったからである。わが意を諒とされよ。」と温情あふるる講和をされたのであった。
 私どもは折に触れ、鬼人も避ける木村教授の言行と英姿?を感銘深く追憶しては往時を偲んでいる。
先生逝きて既に久しい。しかし先生の心魂は、木村イズムは今日なお私達の胸の中に脈々として生きている。


第5代衛生学校長
井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身
1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】
第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を転任になり、その後を井上が引き継いだ。
井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。
又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。
南方軍防疫給水部(岡9420部隊)





イタイイタイ病を究明した男 萩野昇

驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く

水俣病問題

小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去

小泉親彦と宮川米次の絆

ヒロシマからフクシマへ

宮川正

「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—

ビキニ「死の灰」世界各地へ

自衛隊とサリン

相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場

日本の国家機密

兒嶋俊郎さんを偲ぶ



●昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!!
天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より
重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。





●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
第3部   陛下の戦争
1931(昭和6)年―1945 (昭和20)年
※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!


第9章 聖戦



1937年11月、米英の提案により9ヵ国条約調印国による会議がブリュッセルで開催されたが、日本はこれをボイコットした。国民政府代表は日本を侵略者として非難するよう参加国を説得したが、それすら失敗に終わった。ブリュッセルの会議が日本への制裁を決議せずに終了すると、近衛内閣と大本営は戦闘地域を直ちに拡大した。そして、南京攻略に伴い他の条約加盟国の人命や財産が損害を被ることを考慮することもなかった。11月末、軍事力による南京防衛に失敗し、必死で外交により日本の進撃を遅らせようとして、蒋は結局、かつてドイツが提案した調停を受け入れることとした。東京の参謀本部も受け入れるつもりだった。そこで、ドイツの中国大使オスカー・トラウトマンが、日中和平交渉の再開に努めたが成功しなかった。

小泉親彦と昭和天皇

近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~

近代天皇制の真髄は

福沢諭吉

神武と戦争




憲法9条を生かそう!!












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