2019年7月15日月曜日

香港人見せしめ弾圧事件



以下、村山首相談話の会からの転載です。


南京大虐殺・靖国に抗議した香港人見せしめ弾圧事件の第6回裁判と7.17抗議集会が、来たる7月17日(水)の午後と夜、下記の要領で開催されます。

何で微罪で長期勾留する??
微罪で長期勾留?おかしくないか?日本も人権意識が欠如している!!
以前までは香港の日本領事館が南京大虐殺の抗議を受け取っていたが、去年は受け取らないので、日本まで抗議に来たという。
香港人「靖国神社」建造物侵入事件"長期勾留"の謎?

靖国神社でぼや、横断幕も=中国籍の男を逮捕


香港の皆様へ!!

●香港人見せしめ弾圧事件の経過

——昨年12月12日、香港市民・郭紹傑(グオ・シウギ)さんは、「南京大虐殺を忘れるな!」「A級戦犯東條英機の靖国合祀に反対する」と日本政府と靖國神社に抗議をして不当に逮捕されました。


香港市民・嚴敏華(イン・マンワ)さんは、香港民間電台の記者として郭紹傑(グオ・シウギ)さんの抗議行動を撮影し報道したところ、逮捕されました。

日本の国家権力は、2人の香港市民を建造物侵入罪で起訴し、東京地方裁判所刑事第7部で審理されています。度重なる弁護団による保釈申請も却下され続けて、2人の勾留はすでに7か月近くの長期にわたっています。

これまでも、靖国神社は、多数の抗議を受けています。例えば2009年8月11日の台湾の高金素梅氏(立法委員)ら約50 名による台湾兵合祀問題の抗議は靖国神社内苑で約20分行なわれましたが、逮捕も起訴もされていません。

今回のような逮捕・起訴自体がきわめて異例な対応です。アジアの民衆の告発など一切耳を貸さず、公然と批判の声を上げることは許さない、という安倍政権の強権的な態度が反映した弾圧というほかありません。

●7月17日(水)13時30分からの裁判(ただし、13時に傍聴抽選の締め切りとなりますので、必ず13時までに東京地裁正面玄関にきて、抽選券を受け取って下さい)では、歴史認識問題での日本での第一人者である田中宏(一橋大学名誉教授)先生の弁護側証人尋問が1時間30分にわたって行なわれます。



●また、夜の集会では、盧溝橋事件や日中戦争・南京大虐殺事件に詳しい笠原十九司(都留文科大学名誉教授)先生から講演があります。

午後の裁判、夜の集会は、ともに、戦争と平和の問題を考える、大変、充実した内容の裁判・集会となりますので、皆さんのご出席を、是非とも、よろしくお願いいたします。




以下、ご案内です。

【集会と公判のご案内】

●第6回公判のご案内

7月17日(水)午後1時半から、第6回公判で、弁護側証人尋問として田中宏・一橋大学名誉教授の証人尋問が行なわれます。

ご多忙中恐縮ですが、皆様の、ご出席をお待ちしております。

(東京地方裁判所429号法廷、午後1時に傍聴抽選の締め切りになります。必ず、13時までに東京地裁正面玄関で抽選券を受け取り、抽選に望んで下さい)


●集会のご案内

南京大虐殺・靖国に抗議した香港人弾圧を許すな! 7.17集会

——————————————————————————————日時:7月17日(水) 18時30分(18時開場)

場所:文京区民センター2A (地下鉄)都営三田線・大江戸線「春日駅A2出口」

講演:「安倍政権下の国会で公然と主張されるようになった南京事件否定論」

笠原十九司さん(都留文科大学名誉教授)

著書に『増補南京事件論争史̶ 日本人は史実をどう認識してきたか』(平凡社新書, 2018年)など

報告:弁護団など

*資料代500円



●積極的な傍聴支援と集会参加を呼びかけます!

———12・12靖国抗議見せしめ弾圧を許さない会

●南京大虐殺
南京大虐殺:侵華日軍南京大屠殺 南京電影制片庁 21分


『南京事件Ⅱ』



●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
第3部   陛下の戦争
 皇族はみな、大虐殺があり、軍紀が崩壊同然にあることを知っていた。そして、この皇族には、松井大将指揮による南京攻略戦で司令官を務め、虐殺がもっとも激しかった時点で南京駐在の最高級将校だった皇后良子の叔父で50歳の朝香宮、陸軍航空本部長で、やはり皇后良子の叔父にあたる49歳の東久邇宮、参謀総長を務める71歳の閑院宮が含まれていた。もとより、杉山陸相も知っていた。大本営の多くの中級、上級将校も知っていた。衆議院議員で予備役の江藤少将も知っていた。外務省は確実に知っていた。外務省東亜局長の石射猪太郎はその日記に、「上海から来信、南京に於ける我軍の暴状を詳報し来る、略奪、強姦目も当てられぬ惨状とある。嗚呼(ああ)これが皇軍か」と嘆じている。外交官であり、老練な中国通であった重光葵(しげみつまもる)は、その後、戦時中に特命全権大使として南京に駐箚(ちゅうさつ)した際に「南京占領当時の罪科を償ふ為め支那に善政を布くことを極力努めた」と記している。


 したがって、近衛内閣は南京での強姦や強奪を知っていたが、多くの報告を受けていた天皇は知らなかった、というのはありそうもないことである。昭和天皇は指揮命令系統の頂点にあり、たとえその指揮系統にどんな欠点があろうとも命令のまさに初期の起点に位置する天皇が、上位、中位の段階での決定を知らずにいることは容易にありえないことだった。天皇は、あらゆる日本軍の動静を詳細に追っており、外信に目を通し、毎日、新聞に目を通し、そして、そのようにして知ったことについて、しばしば側近に質問をしていた。南京奪取と占領を裁可した最高司令官として、日本の精神的な指導者―中国の「膺懲」(ようちょう)に正当性を与えた個人―として天皇は、公ではないにせよ、軍紀崩壊に少しは関心を持つ義務を、憲法上はもちろんとして、最低限の道義的義務として負っていた。天皇は決してそれを行ったようには見えない。


 上海―南京の戦闘地域での皇軍の行為に対し、諸外国から外交ルートで寄せられる抗議が増え、それは昭和天皇の目に留まるようになったかもしれない。確かに南京の諸問題は、何人かの帝国議会議員は言うまでもなく、最高司令部や外務省が注目するところとなった。アメリカ大使グルーは、日本陸軍がアメリカ人の資産を略奪した事、そしてアメリカの国旗を冒瀆(ぼうとく)したことについて、広田外務大臣に2度、正式に抗議した。そして、広田は1938年1月中旬、この問題を閣議に上げた。


 陥落直後の南京を訪れていた外交官日高信六郎(ひだかしんろくろう)も、広田に詳細な報告をしており、確かな証拠はないが、1月末に虐殺について天皇に報告した可能性がある。日高は流暢に英語を話した。彼はナチス党員だったドイツ人、ジョン・ラーベと個人的に親交があり、ラーベは避難民の保護のため西洋人により南京市中央に設立された南京安全区国際委員会の組織者の1人だった。「マンチェスター・ガーディアン」の記者、ハロルド・J・ティンパーリーの著書「中国に於ける日本のテロ」(1938年)は、南京大虐殺を扱った最初の本だが、彼は日高の個人的な友人だった。彼もまた、南京での出来事について「ニューヨーク・タイムズ」記者はレット・アベントと議論していた。日高は、南京安全区国際委員会メンバーの苦情を外務省に取り次いでさえいた。それにはラーベや、南京大学教授ルイス・スマイスの書面も含まれていた。日高か、広田外相のいずれかが陸軍による南京の蛮行を昭和天皇に伝えていたとすると、天皇は事態を非常によく知っていたはずである。










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