2019年7月8日月曜日

旧陸軍毒ガス詳報、確認 中国北部で使用部隊が記録


 日中戦争中の一九三九年に日本陸軍の毒ガス戦部隊が、中国北部の戦闘で皮膚や粘膜をただれさせる「びらん剤」や、呼吸器に激しい苦痛を与える「くしゃみ剤」が入った毒ガス弾を使った詳細な記録が残されていることが七日、分かった。部隊の公式報告書に当たる「戦闘詳報」を歴史研究者の松野誠也さんが入手した。松野さんによると、毒ガス戦部隊が自ら使用状況を詳細に記した報告書の確認は今回が初めて。


 旧日本軍は敗戦時に記録類を組織的に廃棄したため、毒ガス使用の全容は判明していない。今回の戦闘詳報には、よく分かっていない初期のびらん剤使用の様子などが示されている。松野さんは「日中戦争期の戦場の実態で明らかになっているのは氷山の一角だ。事実を解明してそこから教訓を学び、悲惨な歴史を繰り返さないようにする必要がある」と話した。

 戦闘詳報は中国北部に展開した北支那方面軍所属の毒ガス戦部隊、迫撃第五大隊のもの。日中戦争の開始から二年後の三九年七月に、山西省の山岳地帯で実施した晋東(しんとう)作戦の様子を詳述している。約百枚のつづりで戦闘の状況、砲弾の使用実績、毒ガス弾使用命令の写しなどが含まれる。

 それによると、大隊は上級部隊の命令を受け、びらん剤が入った砲弾「きい弾」と、くしゃみ剤入りの「あか弾」を使う方針を決定。七月六日の戦闘で、前進する日本軍の歩兵に機関銃で応戦する中国軍陣地に向け、あか弾三十一発を撃ち込んだ。同十七日にも歩兵支援のためあか弾六十発、きい弾二十八発を使用した。翌十八日はあか弾百四十発、きい弾二十発を使って砲撃した。

 威力も分析し、山岳地帯に強固な陣地を築く敵にはあか弾による攻撃が欠かせないと指摘。きい弾は初めて使用したと記し「効果甚大」と評価した。松野さんによると、これまで確認されている中で、地上部隊が中国できい弾を使った最初の事例だという。陸軍は戦争犯罪の証拠を残さないために記録類を廃棄したが、今回の資料は部隊関係者が個人的に保管していて廃棄を免れた可能性がある。

 松野さんは日本現代史研究者で、二〇一〇年に明治大で博士号(史学)を取得。日本軍の生物化学兵器などに関する本や資料集、論文などを数多く出している。戦闘詳報の詳しい内容と分析をまとめた松野さんの論文が月刊誌「世界」八月号に掲載される。

<旧日本軍の毒ガス兵器> 敵を殺したり戦闘能力をそいだりするために使われた。陸軍は秘匿のためにびらん剤は「きい」、くしゃみ剤は「あか」と呼び、青酸ガスの「ちゃ」、催涙ガスの「みどり」などもあった。広島県・大久野島に毒ガスの製造拠点を設け、福岡県の施設で砲弾などに充填(じゅうてん)。旧満州(中国東北部)では人体実験をしている。海軍も神奈川県内の施設で研究開発や製造を行った。びらん剤は皮膚をただれさせ、呼吸器が損傷して死ぬこともある。くしゃみ剤は目や呼吸器に作用し、濃度によって胸をかきむしられるような刺激を受ける。中国軍は毒ガス戦の能力が低く、報復の恐れが小さかったことや、ガスマスクの性能や数が不十分だったことが使用を後押しした一因とされる。



迫撃第5大隊の戦闘詳報に記された砲弾の使用量。あか弾は計231発、きい弾は計48発使ったとの記載がある=松野誠也さん提供






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