2019年9月24日火曜日

細菌戦の系譜!!


脱原発!!
もっと知りたい、見つけたい(peace8)八王子
佐々木寛講演会
前川喜平講演会
東京発!“核関連施設立地地域と東京を繋ぐ”核燃料サイクル計画映画制作プロジェクト
「日本の毒ガス戦と遺棄毒ガス」展
「医学者たちの戦争犯罪ー731部隊・100部隊」展
「731部隊犠牲者遺族の声を聞け!①のご案内
青汁王子が訴える森友問題!!
沖縄と枯葉剤
『化学学校記事』『衛生学校記事』情報公開裁判のお知らせ
日本はこういう国だった  戦後に生まれたあなたに
2019 平和をねがう中央区民の戦争展2
天皇制廃止に向けての第一歩:雲上人を人間化する運動を!
京都大学に対する第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求める活動
北支那防疫給水部留守名簿
旧陸軍毒ガス詳報、確認 中国北部で使用部隊が記録
平沢正欣論文を検証する(人体実験は行われたか?)
武蔵村山の国立感染症研究所問題!!



核兵器、生物兵器、化学兵器廃絶!! 戦力不保持!!
●ニュース
鳩山元首相、日韓の徴用工問題を「解決済み」とする安倍政権に「常識ではない」

強制徴用被害者を支援する日本の市民団体、三菱徴用の証拠を公開

自分の役所の文書を「迷惑」と非難した萩生田文科相の加計学園問題とは

恵那市で豚コレラ 飼育豚8000頭殺処分へ


子どもを「薬漬け」にする児童養護施設の現実

犯罪被害にあった上、苦しい生活 なぜ経済的支援は届かないのか

空母も戦闘機もいらない!!
海自護衛艦「いずも」わずか31億円で「空母化」のワケ F-35B戦闘機の発着艦が可能に

大嘗祭反対!!
陛下入室、伝統の経路復活=10月の即位礼、細目を決定-190カ国以上から賓客

汚染水処理、深刻な問題だ!!
福島原発処理水、松井市長の「大阪湾放出」構想は不可能…すでに福島では地下水放出

汚染処理水発言撤回せよ 松井大阪市長に府漁連が抗議文

世界的危機でも能天気、腐敗した「官僚制度」の先にある日本の末路


なぜこんな旗を許すのだ??
「旭日旗」(きょくじつき)持ち込み 組織委見解支持 小池知事

韓国 IOCに東京五輪での“旭日旗”禁止要請

韓国環境相「到底信じ難い」福島原発処理水の海洋放出に発言

豚コレラ拡大で対策会議 農相「ステージ変わった」


毒性や発がん性などを調べる安全性の審査は必要ない??
「ゲノム編集」食品 流通ルール来月運用開始へ


愛媛県、「黒塗り」忘れ文書開示 契約金額など30カ所以上 「加計学園」設置書類


苦しみ60年、けじめつかぬ 札幌の男性「裁判続ける」 強制不妊救済法成立

かけ問題をきちんと説明してください!!
安倍首相、無届けで加計学園「名誉客員教授」兼職の萩生田氏を「文科大臣」に起用


医学部不正入試問題 消費者機構日本が順天堂大提訴へ、受験料返還


旧日本陸軍資料、相次ぐ出版 毒ガス戦や731部隊、活用期待


旧民族衛生学会「優生条項」成立の責任認める 強制不妊の根拠に



無駄遣い!!
防衛省 宇宙監視強化へ 来年度予算の概算要求 過去最大に

昭和天皇の戦争責任を問う!!
昭和天皇、戦争を悔い退位に言及 改憲再軍備も主張、長官の拝謁記

昭和天皇、戦争の「反省」表明望んだ 詳細記録見つかる





昭和天皇の戦争帰任をもっと追及しよう!!
戦前の天皇がいかに大きな存在であったかが分かる。
NHKスペシャル「 昭和天皇は何を語ったのか」拝謁記


昭和天皇 拝謁記 歴代首相の人物評繰り返す

二・二六事件 海軍極秘文書 昭和天皇 事件拡大 懸念する発言

細菌戦・毒ガス戦を裁可したもの昭和天皇でしょ!!
昭和天皇 拝謁記「国民が退位希望するなら躊躇せぬ」






●日本政府・自衛隊は情報を公開せよ!!(情報開示!!)
特別秘密保護法撤廃!!

憲法9条はどこ行った!!
防衛省がフリーランスを排除

全日空機雫石衝突事故
岩手県岩手郡雫石町上空を飛行中の全日本空輸の旅客機に航空自衛隊の戦闘機が飛行中に追突され、双方とも墜落した。自衛隊機の乗員は脱出に成功したが、機体に損傷を受けた旅客機は空中分解し、乗客155名と乗員7名の計162名全員が死亡した。1985年(昭和60年)8月12日に日本航空123便墜落事故が発生するまで、日本国内の航空事故としては最大の犠牲者数を出した事故であった。

アシタノワダイ削除「日航123便 墜落事件」



日航機墜落事故から34年 御巣鷹で慰霊登山始まる

「『ノモンハン』血ノ教訓」 大阪・難波宮跡から旧陸軍機密文書見つかる



核兵器廃絶
長崎平和宣言(全文)


安倍首相 核兵器禁止条約参加に否定的姿勢 核廃絶へ対話促す

旧優生保護法のもとで不妊手術 一時金申請の2人に支給認めず

2019  所沢市 平和祈念資料展




新宿戸山の人骨もきちんとDNA鑑定せよ!!
抑留者遺骨「全て日本人でない」


旧陸軍毒ガス詳報、確認 中国北部で使用部隊が記録

遺伝子「優性・劣性」“高校教科書では別表現を”日本学術会議



エボラ出血熱など輸入で国と東京・武蔵村山市が合意 国立感染症研究所に

エボラ出血熱のウィルスなど危険の高いものをなぜ輸入する?
日本は全く細菌戦の反省をしていない!!
感染症対策のウイルス保管を説明

エボラ病原体”輸入”国に安全対策求める


自衛隊の不祥事!!
日航機123便墜落の真相 〜JALボーインング747に訪れた悲劇の全貌〜



このままでは終わらせない…“森友事件”のいま【ザ・ドキュメンタリー】



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●なぜ、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担した。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。
封印された原爆報告書

「わざわざ自分らのことを『げんしりょくむら』とは?

「あつまれ!げんしりょくむら」に批判相次ぐ サイト閉鎖

731部隊の病理解剖の顧問をした清野謙治も、窃盗事件で京大を追われた後、戦後は東京医大教授になった。731部隊で細菌を製造していた柄沢も東京医大だ!!
日本の底にツルハシでも崩れない差別がある 東京医科大の不正入試提訴 会見詳報


竹田恒和JOC会長、IOC委員を辞任


竹田会長の記者会見は本当に「潔白主張」なのか
海外メディア「かえって疑惑深まった」 JOC竹田会長の会見



森友・加計問題 疑惑の核心/下 政治家、官邸官僚… 「安倍側用人」を覆う「黒い霧」

「水俣病は終わらない」公式確認から60年―私たちに託されたメッセージ

松本元死刑囚らの死刑執行文書、ほぼ全て黒塗りで開示

“旧優生保護法”強制的な不妊手術 事業として推進(18/04/27)


真実を隠すために死刑にしたのでは??
オウム13人死刑で「上川陽子法相」一生SPつきの生活


京大の「731部隊」論文疑惑(上) 勝間田秀樹(京都支局)

731部隊将校の学位取り消しを 人体実験疑い論文で京大に





●昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!!
京都大学に対する第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求める活動
人骨発見から30年

1937年7月7日→日中全面戦争

7.7集会(2019)「戦争を始めた日」国会前集会





何で微罪で長期勾留する??
微罪で長期勾留?おかしくないか?日本は人権意識が欠如している!!
以前までは香港の日本領事館が南京大虐殺の抗議を受け取っていたが、去年は受け取らないので、日本まで抗議に来たという。
香港人「靖国神社」建造物侵入事件"長期勾留"の謎?

靖国神社でぼや、横断幕も=中国籍の男を逮捕




徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!
日本の医学界はなぜ謝罪しない???
又、ヒロシマ・ナガサキ・ビキニ・フクシマと4度被曝した日本は、世界に先駆けて核兵器廃絶・脱原発と叫ぶべきではないか!!
なぜ、日本医学界は、先頭に立って「脱原発!!」と叫ばないのか!!
戦後、731部隊員はアメリカの核戦略に協力した!!

「731部隊・100部隊・毒ガス戦」パネル展 2019年4月29日~5月3日
「日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか 」 田中利幸さん
日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか


●水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した!!

ビキニ「死の灰」世界各地へ


日本は、あの侵略戦争を反省して、憲法9条を作った!!

平和条約締結は「日本が大戦の結果認めること」 露外相

●憲法第9条(自衛隊は違憲ではないか!!)
自衛隊は、防護のためと言って毒ガスを製造している!!(日中戦争時のも日本軍は本格的な毒ガス戦を中国で行った!!)
日本の毒ガス
1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

日本の政治の常道【historyとは、彼(his)(権力者)の物語(story)】

・まずい事は隠す!!(=あったことを無かったことにする、=データ改ざんは当たり前)
・責任を下に押し付ける!!(=権力者は、責任を取らない)
これでは客観性がないではないのか??官邸主導
統計不正 統一水準でチェックし品質向上を 菅官房長官
水爆実験で被爆したのは第五福竜丸だけではない!!延べ992隻が被爆!!
なぜ、「731」と書かれた戦闘機に乗れるのだ???

2013年5月12日 安倍 731と書かれた戦闘機に乗る!!宮城県松島市にある航空自衛隊の基地で撮影

オリンピックにお金をかけるのではなく、いじめ対策・貧困対策・戦争被害者対策にお金をかけるべきだ!!






●横浜「戦争の加害展」感想


2月15日

16.慰安婦は完全に日本軍の管理下にあったことを知り、政府の隠ぺいへの方策は間違いである。南京問題、もっと事実を知っている人に語ってもらいたい(高齢化でダメか)(70代)

●(「琉球処分」から140年、今の沖縄を考える)パネル展感想

85.勉強させていただきました。(男.80.市内.友人、週刊金曜日)

●細菌戦(『三光』より (篠塚良雄、旧姓田村良雄)

「オイ準備だ」と言いながら入って来た課長・大木は、いつになく顔に笑いを浮かべながら、「今度やるのは須藤良雄だ、いいな極秘だ」。私は、もう少しで手に持っていた指頭消毒器をとり落とすところでした。大木は私の表情から、何ものかを汲み取ろうとして、ジーッと鋭い眼で見つめておりました。この眼は私に特別班の出入りを許可したときの眼でした。テストしていることを感じ取った私は、内心の動揺を押えて平静を装い、「そうでありますか」と大木の顔を見ました。
「よし、お前も1人前になった。須藤良雄をここに入れておいたのも、みんな天皇陛下の御為だなあ」大木は珍しく私の肩を叩き、自分で防菌衣を着始めました。須藤良雄は第4部第1課の雇員として、最近のペスト菌の大量生産でペストに感染し、私は病院に入院しているものとのみ思っていたのでした。それが中国人を監禁し、細菌実験を行なう特別班に入れられているのでした。私は何が何だか分からず、自分の頭を叩きさえして解剖室に入りました。





●日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より

第7章  残虐な毒ガス戦

瀕死の抵抗―山西汾陽(フェンヤン)における日本軍毒ガス使用の罪状

次に日本帝国主義の中国侵略に関する当局の資料の内、山西省汾陽県・史平県長が1955年10月20日に記した日本軍の毒ガス使用罪業に関する申し立てを引用しよう。
「わが国を侵略する日本陸軍の某大隊は1945年「8・15」以後、すぐに投降しないばかりか、汾陽県城の不法占拠を続け、頑強に抵抗、その解放を妨害し、わが抗日分子を惨殺した。当時、賀竜元帥指揮下の部隊は、汾陽城を早急に解放させるため、城内の汾陽中学の地下工作者・趙俊同志と連絡し、秘密裏に同校学生を組織、解放軍の城内進攻を助けるため、城内西北の角から城外に向け地下道を掘った。8月23日夜、わが軍は城内の西北角に向けての攻撃を開始した。17連隊第3中隊隊長・薛村雲同志が率いる66人の武装人員が城外の地下道口より隊を見て地下道に入り、内外呼応して一気に勝利をおさめる時機を待つ態勢に入った。だが不幸なことに、25日、敵の歩哨兵がこれを発見すると、日本軍大隊は直ちに人倫にもとる残虐行為を行った。即ち、地下道の両端を閉鎖し、内部に向けて毒ガス弾を放射、中に潜伏していたわが軍の同志、67名は全員中毒死した。わが県の各界人士は、この時殉死した薛春雲ら67人の烈士を記念するため、1945年5月20日、地下道の入口に(即ち城壁の西北角の外)に塔を建てた。我々は特にこの記念塔と地下道入口をそれぞれ撮影し、これを報告するものである」(『細菌戦と毒ガス戦』544ページ)





(広島県大久野島毒ガス工場)




●証言 人体実験(731部隊とその周辺)
中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳

1、第731部隊本部

秦正氏補足自筆供述書(1954年10月5日)

二、支部   大連衛生研究所が最大の支部で、日本軍が使用する血清とワクチンを生産していた。所長は荻原技師(少将級)、そのほか4つの支部は各方面軍に対する戦時の防疫給水を任務とし、佐官級軍医以下約300名が配属されていた。






●『人間の価値』
―1918年から1945年までのドイツ医学
Ch.ブロス/G.アリ編
林 功三訳

■国家の代理人
54、 1936年11月、16歳でお手伝いさんのエミ・Gはヴィッテナウ療養所へ収容された。彼女はすでに「精神分裂症の疑いで不妊手術の登録」をされていた。遺伝病法廷は「精神分裂病の診断を、裁判関与者たちのヒアリングも行うことなく、確認し」、強制不妊手術を命じた。約半年後にエミ・Dはルドルフ・フィルヒョウ病院へ移され、そこで不妊手術を受け。1937年3月24日「母親のもとへ釈放」された。再度の入院命令はこの若い女性にとっての死刑判決であった。1942年12月7日、彼女は過量の鎮静剤投与によって殺害された。



昨年2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)


●自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作ってもいいのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!
日本の毒ガス

沖縄・南西諸島が軍事要塞化している現実はおかしくないか??
「琉球処分」から140 今の沖縄を考える

●「化学学校記事」情報公開裁判
次回 11月13日(水)11:30~ 東京地裁522号廷


●「衛生学校記事」とはどんなものだろうか?
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?

次回 第23回『衛生学校記事』情報公開裁判
9月26日(木)11:30~419法廷

金原節三氏が寄贈した資料が、衛生学校庁舎3階の彰古館に1982年に「金原節三コーナー」として展示された。
その2000点を超える資料はその後どうなったのであろうか?
防衛省の回答では、金原氏の目録と一致する資料は、今現在は641点だという。
しかし、それも一致するだけで、寄贈されたものではないという。
彰古館に勤めていた人(1996年から2013年)の聞き取りでは、彰古館では、きちんと整理していていなかったようである。
金原資料は、1995年に防衛庁戦史部に移管されたが、翌年また彰古館へ戻したという。
その時はすべてを戻したわけではなかったようだ。
2010年に、彰古館が学校庁舎3階から今の建屋になり、資料も移管されたが、金原資料の整理はきちんとされていないようだ。
金原資料の一部はあるようだが、その他の金原資料は、どこに保管しているのだろうか。
また、彰古館には旧軍資料しか置いていないともいう。本当に「衛生学校記事」や教範類は置いていないのだろうか?
次の裁判までに、勤めていた人の陳述書を防衛省側は出すという。

1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊


第4代衛生学校長
『衛生学校記事』を発刊したときの、衛生学校長金原節三とはどんな人物なのだろうか?
金原節三(1901~1976)
陸軍省医事課長時代(1941.11~43.8)に731部隊から報告を受けていた。「陸軍省業務日誌摘録」
厚生省東海北陸医務出張所から衛生学校へ 1955.8.1

金原節三と細菌戦
金原の略歴を見ると、昭和16年11月に陸軍省医務局医事課長になっていて、17年に8月に軍医大佐になっている。
細菌戦資料センターの会報には、次のような記載がある。「陸軍省医務局医事課長だった金原節三元軍医大佐が、1955年に陸上自衛隊に入隊した。細菌戦部隊を指導していたのは、陸軍参謀本部、陸軍省医務局衛生課そして陸軍省医務局医事課である。金原は、「金原業務日誌摘録」に細菌戦部隊からの報告を記録している。


金原節三と武見太郎
金原と戦後日本医師会会長になり、医師会、薬剤師会、歯科医師会に大きな影響を及ぼした武見太郎は、軍隊内の先輩・後輩関係にあった。『金原節三資料目録』(陸上自衛隊衛生学校)の巻頭言は、日本医師会長武見太郎が書いている。

『BC兵器』 久保綾三著(1969年)より

2、ベトナムにおける生物・化学兵器使用とその背景

アメリカにおける生物・化学兵器の開発

米陸軍が、大量の神経ガス、糜爛ガス(マスタード)を大西洋に投棄しようとしていたことが、マッカーシー米上院議員によって暴露(69年5月)され話題を呼んだことがある。
 同議員が調べたところによると、米陸軍は第2次世界大戦中に製造した2万7千トンにのぼる毒ガスを廃棄することになり、貯蔵している基地から大西洋岸のニュージャージー港まで鉄道輸送する計画であった。しかも米陸軍は、この危険物を輸送するための危険防止措置を講じる計画を持たず、今までも毒ガス入りの3ガロン缶を民間機で普通貨物並みの注意で輸送していたと指摘した。



第5代衛生学校長
井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身
1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】
第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を転任になり、その後を井上が引き継いだ。
井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。
又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。
南方軍防疫給水部(岡9420部隊)





イタイイタイ病を究明した男 萩野昇

驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く

水俣病問題

小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去

小泉親彦と宮川米次の絆

ヒロシマからフクシマへ

宮川正

「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—

ビキニ「死の灰」世界各地へ

自衛隊とサリン

相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場

日本の国家機密

兒嶋俊郎さんを偲ぶ



●昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!!
天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より
重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。





●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)

※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!


第10章 戦争の泥沼化と拡大

したがって、軍に信用があり、ドイツとの同盟に全面的に賛成であった木戸にとって、問題は、政治顧問として昭和天皇の気持ちをわずかでも変えることにあった。つまり、昭和天皇とあいまいな集団である「右翼」との間にさして考えに隔たりがないようにすることだった。 これを木戸の言葉で言うならば、「ちやうど孝明天皇が晩年に側近をすつかり幕府に取替へられてしまつたやうな具合に、どうされるか判らない。で、陸軍に引きずられるやうな恰好でゐながら、結局はこつちが陸軍を引張つて行くといふことにするには、もう少し陸軍に理解をもつたやうな形をとらなけれならん」ということになる。

小泉親彦と昭和天皇

近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~

近代天皇制の真髄は

福沢諭吉

神武と戦争




憲法9条を生かそう!!












2019年9月23日月曜日

細菌戦の系譜!!


脱原発!!
もっと知りたい、見つけたい(peace8)八王子
佐々木寛講演会
前川喜平講演会
東京発!“核関連施設立地地域と東京を繋ぐ”核燃料サイクル計画映画制作プロジェクト
「日本の毒ガス戦と遺棄毒ガス」展
「医学者たちの戦争犯罪ー731部隊・100部隊」展
「731部隊犠牲者遺族の声を聞け!①のご案内
青汁王子が訴える森友問題!!
沖縄と枯葉剤
『化学学校記事』『衛生学校記事』情報公開裁判のお知らせ
日本はこういう国だった  戦後に生まれたあなたに
2019 平和をねがう中央区民の戦争展2
天皇制廃止に向けての第一歩:雲上人を人間化する運動を!
京都大学に対する第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求める活動
北支那防疫給水部留守名簿
旧陸軍毒ガス詳報、確認 中国北部で使用部隊が記録
平沢正欣論文を検証する(人体実験は行われたか?)
武蔵村山の国立感染症研究所問題!!



核兵器、生物兵器、化学兵器廃絶!! 戦力不保持!!
●ニュース
「日本死ね!」ブログが予言した日本 あれから3年……自己責任論の果て、引火寸前「ささくれ立った気分」

自分の役所の文書を「迷惑」と非難した萩生田文科相の加計学園問題とは

恵那市で豚コレラ 飼育豚8000頭殺処分へ

天皇制反対!!
ハンガリー訪問の佳子さま 修道院や国立牧場を視察(19/09/22)


子どもを「薬漬け」にする児童養護施設の現実

犯罪被害にあった上、苦しい生活 なぜ経済的支援は届かないのか

空母も戦闘機もいらない!!
海自護衛艦「いずも」わずか31億円で「空母化」のワケ F-35B戦闘機の発着艦が可能に

大嘗祭反対!!
陛下入室、伝統の経路復活=10月の即位礼、細目を決定-190カ国以上から賓客

汚染水処理、深刻な問題だ!!
福島原発処理水、松井市長の「大阪湾放出」構想は不可能…すでに福島では地下水放出

汚染処理水発言撤回せよ 松井大阪市長に府漁連が抗議文

世界的危機でも能天気、腐敗した「官僚制度」の先にある日本の末路


なぜこんな旗を許すのだ??
「旭日旗」(きょくじつき)持ち込み 組織委見解支持 小池知事

韓国 IOCに東京五輪での“旭日旗”禁止要請

韓国環境相「到底信じ難い」福島原発処理水の海洋放出に発言

豚コレラ拡大で対策会議 農相「ステージ変わった」


毒性や発がん性などを調べる安全性の審査は必要ない??
「ゲノム編集」食品 流通ルール来月運用開始へ


愛媛県、「黒塗り」忘れ文書開示 契約金額など30カ所以上 「加計学園」設置書類


苦しみ60年、けじめつかぬ 札幌の男性「裁判続ける」 強制不妊救済法成立

かけ問題をきちんと説明してください!!
安倍首相、無届けで加計学園「名誉客員教授」兼職の萩生田氏を「文科大臣」に起用


医学部不正入試問題 消費者機構日本が順天堂大提訴へ、受験料返還


旧日本陸軍資料、相次ぐ出版 毒ガス戦や731部隊、活用期待


旧民族衛生学会「優生条項」成立の責任認める 強制不妊の根拠に



無駄遣い!!
防衛省 宇宙監視強化へ 来年度予算の概算要求 過去最大に

昭和天皇の戦争責任を問う!!
昭和天皇、戦争を悔い退位に言及 改憲再軍備も主張、長官の拝謁記

昭和天皇、戦争の「反省」表明望んだ 詳細記録見つかる





昭和天皇の戦争帰任をもっと追及しよう!!
戦前の天皇がいかに大きな存在であったかが分かる。
NHKスペシャル「 昭和天皇は何を語ったのか」拝謁記


昭和天皇 拝謁記 歴代首相の人物評繰り返す

二・二六事件 海軍極秘文書 昭和天皇 事件拡大 懸念する発言

細菌戦・毒ガス戦を裁可したもの昭和天皇でしょ!!
昭和天皇 拝謁記「国民が退位希望するなら躊躇せぬ」






●日本政府・自衛隊は情報を公開せよ!!(情報開示!!)
特別秘密保護法撤廃!!

憲法9条はどこ行った!!
防衛省がフリーランスを排除

全日空機雫石衝突事故
岩手県岩手郡雫石町上空を飛行中の全日本空輸の旅客機に航空自衛隊の戦闘機が飛行中に追突され、双方とも墜落した。自衛隊機の乗員は脱出に成功したが、機体に損傷を受けた旅客機は空中分解し、乗客155名と乗員7名の計162名全員が死亡した。1985年(昭和60年)8月12日に日本航空123便墜落事故が発生するまで、日本国内の航空事故としては最大の犠牲者数を出した事故であった。

アシタノワダイ削除「日航123便 墜落事件」



日航機墜落事故から34年 御巣鷹で慰霊登山始まる

「『ノモンハン』血ノ教訓」 大阪・難波宮跡から旧陸軍機密文書見つかる



核兵器廃絶
長崎平和宣言(全文)


安倍首相 核兵器禁止条約参加に否定的姿勢 核廃絶へ対話促す

旧優生保護法のもとで不妊手術 一時金申請の2人に支給認めず

2019  所沢市 平和祈念資料展




新宿戸山の人骨もきちんとDNA鑑定せよ!!
抑留者遺骨「全て日本人でない」


旧陸軍毒ガス詳報、確認 中国北部で使用部隊が記録

遺伝子「優性・劣性」“高校教科書では別表現を”日本学術会議



エボラ出血熱など輸入で国と東京・武蔵村山市が合意 国立感染症研究所に

エボラ出血熱のウィルスなど危険の高いものをなぜ輸入する?
日本は全く細菌戦の反省をしていない!!
感染症対策のウイルス保管を説明

エボラ病原体”輸入”国に安全対策求める


自衛隊の不祥事!!
日航機123便墜落の真相 〜JALボーインング747に訪れた悲劇の全貌〜



このままでは終わらせない…“森友事件”のいま【ザ・ドキュメンタリー】



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●なぜ、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
「わざわざ自分らのことを『げんしりょくむら』とは?

「あつまれ!げんしりょくむら」に批判相次ぐ サイト閉鎖

731部隊の病理解剖の顧問をした清野謙治も、窃盗事件で京大を追われた後、戦後は東京医大教授になった。731部隊で細菌を製造していた柄沢も東京医大だ!!
日本の底にツルハシでも崩れない差別がある 東京医科大の不正入試提訴 会見詳報


竹田恒和JOC会長、IOC委員を辞任


竹田会長の記者会見は本当に「潔白主張」なのか
海外メディア「かえって疑惑深まった」 JOC竹田会長の会見



森友・加計問題 疑惑の核心/下 政治家、官邸官僚… 「安倍側用人」を覆う「黒い霧」

「水俣病は終わらない」公式確認から60年―私たちに託されたメッセージ

松本元死刑囚らの死刑執行文書、ほぼ全て黒塗りで開示

“旧優生保護法”強制的な不妊手術 事業として推進(18/04/27)


真実を隠すために死刑にしたのでは??
オウム13人死刑で「上川陽子法相」一生SPつきの生活


京大の「731部隊」論文疑惑(上) 勝間田秀樹(京都支局)

731部隊将校の学位取り消しを 人体実験疑い論文で京大に





●昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!!
京都大学に対する第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求める活動
人骨発見から30年

1937年7月7日→日中全面戦争

7.7集会(2019)「戦争を始めた日」国会前集会





何で微罪で長期勾留する??
微罪で長期勾留?おかしくないか?日本は人権意識が欠如している!!
以前までは香港の日本領事館が南京大虐殺の抗議を受け取っていたが、去年は受け取らないので、日本まで抗議に来たという。
香港人「靖国神社」建造物侵入事件"長期勾留"の謎?

靖国神社でぼや、横断幕も=中国籍の男を逮捕




徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!
日本の医学界はなぜ謝罪しない???
又、ヒロシマ・ナガサキ・ビキニ・フクシマと4度被曝した日本は、世界に先駆けて核兵器廃絶・脱原発と叫ぶべきではないか!!
なぜ、日本医学界は、先頭に立って「脱原発!!」と叫ばないのか!!
戦後、731部隊員はアメリカの核戦略に協力した!!

「731部隊・100部隊・毒ガス戦」パネル展 2019年4月29日~5月3日
「日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか 」 田中利幸さん
日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか


●水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した!!

ビキニ「死の灰」世界各地へ


日本は、あの侵略戦争を反省して、憲法9条を作った!!

平和条約締結は「日本が大戦の結果認めること」 露外相

●憲法第9条(自衛隊は違憲ではないか!!)
自衛隊は、防護のためと言って毒ガスを製造している!!(日中戦争時のも日本軍は本格的な毒ガス戦を中国で行った!!)
日本の毒ガス
1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

日本の政治の常道【historyとは、彼(his)(権力者)の物語(story)】

・まずい事は隠す!!(=あったことを無かったことにする、=データ改ざんは当たり前)
・責任を下に押し付ける!!(=権力者は、責任を取らない)
これでは客観性がないではないのか??官邸主導
統計不正 統一水準でチェックし品質向上を 菅官房長官
水爆実験で被爆したのは第五福竜丸だけではない!!延べ992隻が被爆!!
なぜ、「731」と書かれた戦闘機に乗れるのだ???

2013年5月12日 安倍 731と書かれた戦闘機に乗る!!宮城県松島市にある航空自衛隊の基地で撮影

オリンピックにお金をかけるのではなく、いじめ対策・貧困対策・戦争被害者対策にお金をかけるべきだ!!






●横浜「戦争の加害展」感想


2月15日

15.日本軍「慰安婦」:被害者の方々の体験はもとより、強姦や慰安所を利用した加害者の方の話があったのが、考えさせられる展示であった。平時であれば起きなかったであろうことが、戦時では人がそのように動いてしまうことが恐ろしい。(女性、40代)

●(「琉球処分」から140年、今の沖縄を考える)パネル展感想

84.国は国民のためにあるのではない。国民の犠牲をなんとも思っていない。昔から今現在まで全く変わらない。黙って従う人間を作り出す教育が完成し、ますますエスカレートしているのを感じる。「生きさせろ」と叫ばないと生き残れない。死ぬまで叫んでいなければならないのだと思った。(女.50.市内.友人)


●細菌戦(『三光』より (篠塚良雄、旧姓田村良雄)

大木と細島は将校室にしけこみ、休憩室には私と宇田の2人が残りました。宇田は消毒薬でビタビタにぬらした防菌衣を脱ぎながら、「オイ田村、今の丸太の肺を見たか、肺ペストには間違いないが、4日目でまだ完全な致死の状態ではないんだ」「そうすると原因は何ですか」「彼らの反抗による絶食だ、奴らの、俺たちの細菌戦を行なわせまいとしての反抗だよ」―反抗すれば叩き殺すまでの話じゃないか―口には出さずに私は宇田の眼を見ました。
「奴ら八路軍には確かに俺たちよりも優秀な予防注射ができてるんだ。石田技師の話によると生菌ワクチンではないかというんだが、どうしてもそれよりも毒力の強い細菌を培養しないことには細菌戦にはならないんだ」宇田はアルコールでガーガーと口をゆすぐと言葉を続け、「毒力をウンと高くしないでみろ、感染して死んでいくのは、俺たちと友軍の兵隊ということになるんだ。細菌戦はもともと共倒れは避けられないんだがなあ」「細菌戦は共倒れ」と口の中でブツブツ言いながら、私は夢中で全身に消毒薬を浴び、アルコールをガブリと口の中に注ぎ込みました。





●日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より

第7章  残虐な毒ガス戦

瀕死の抵抗―山西汾陽(フェンヤン)における日本軍毒ガス使用の罪状

1945年8月15日、中国人民は長期にわたる艱難辛苦の闘争を経て抗日戦争の勝利を迎え、日本帝国主義はこの日、無条件降伏を宣言する。だが華北に不法占拠する日本軍の残留部隊は敗北を認めようとせず、侵略行為を継続、山西省汾陽県においてさらに毒ガス事件を引き起こし、残虐な罪を重ねた。
以下は、日本軍戦犯、日下俊孝2等兵の1954年12月5日における証言記録である。
「1945年8月23日から26日、日本軍の北支派遣軍、114師団201大隊第3中隊は汾陽の北関において、解放軍の汾陽解放を阻止するため、毒ガスにより解放軍兵士約30名を虐殺、砲撃により3人を爆殺、住民2人を殺害した。私は当戦闘に参加した。8月23日夜、解放軍が城壁の横穴より城北に進入してきたため、城内の大隊本部はこの穴を塞ぎ、その中に毒ガスを放射、解放軍兵士が逃げられないようにした。この時、私は北関南門の歩哨をしており、城外からの解放軍の救援を妨害阻止した」





(広島県大久野島毒ガス工場)




●証言 人体実験(731部隊とその周辺)
中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳

1、第731部隊本部

秦正氏補足自筆供述書(1954年10月5日)

一、本部   人員総数、3000名(軍属を含む)。
6、第2部 第1部で研究された細菌兵器の効力の実験、及びその生産。部長は碇軍医大佐。同部の組織及び人員は不詳。同部は浜江省安達県に大規模な野外実験場をもっていた。
7、第3部 血清とワクチンの生産(関東軍)。病種により各班に分かれていたと推測される。私の知っているものとして有田班があり、有田軍医少佐を班長として発疹チフスのワクチンを生産していた。
8、第4部 江口軍医中佐を部長とし、各号の石井式濾水機を製造した。ハルピン市南崗文廟街の診療部伝染病棟の南隣に製造工場があった。




●『人間の価値』
―1918年から1945年までのドイツ医学
Ch.ブロス/G.アリ編
林 功三訳

■国家の代理人
〔「判決
ベルリン遺伝法廷第1室は、法廷顧問医マッツナー博士、顧問医ベーム博士および神経科医師キップ博士の協力を得て、1935年2月7日の審議において以下のような決定を行った。
法廷はベルリンNW区・トゥルム街19番地居住の1898年7月12日生まれのオットー・Bに断種手術を行わしめるものとする。
理由
オットー・Bが当街地区に居住する故、当法廷はその権限を有する。
告訴はベルリン・ティアガルテン地区の地区担当医師によって、オットー・Bに断種の何たるかについて、またその結果について説明がなされた後、行われたものである。
法廷は法廷顧問医による鑑定書および専門家による検査書・診察を行った医師の所見の提示を受け、さらに市立モアビート病院の病歴カルテ、ティアガルテン保健局精神救護施設の書類B344を提示されている。
トレミンにおいて嫡出子として生まれたオットー・Bは幼児期に歩くのも話すのも遅く、小学校は5年生まで修学し、職業教育は受けることがなかった。1926年彼は梅毒に感染し、1930年にはアルコール中毒に罹っている。しかし自己申告によれば1932年からは時々アルコールを飲んでいるにすぎない。7歳か8歳のとき、彼はブランコから落下し、その後痙攣発作を起こすようになったという。また彼は重い発作を起こした後、1931年に市立モアビート病院で治療を受けているが、この発作の4日前の誕生日に8リットルのビールを飲んだという。知られている限りでは、医師はこのとき発作を認めていない。
これらの経過から、法廷はオットー・Bが生まれつきの精神薄弱であることを確信するにいたり、この確信に基づき断種手術を命じることにしたものである。
メッツナー博士、ベーム博士、キップ博士の名において
1935年7月24日ベルリン・シャルロッテンブルグにて、遺伝法廷事務局担当書記官作成。



〔上はオットー・Bのベルリンのローバート・コッホ病院への引き渡しを警察に依頼する役所の警察宛書状。下は地区警察が患者オットー・Bをベルリン市立ローバート・コッホ病院に収容したことを彼の家族に告げている通知書。〕


昨年2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)


●自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作ってもいいのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!
日本の毒ガス

沖縄・南西諸島が軍事要塞化している現実はおかしくないか??
「琉球処分」から140 今の沖縄を考える

●「化学学校記事」情報公開裁判
次回 11月13日(水)11:30~ 東京地裁522号廷


●「衛生学校記事」とはどんなものだろうか?
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?

次回 第23回『衛生学校記事』情報公開裁判
9月26日(木)11:30~419法廷

金原節三氏が寄贈した資料が、衛生学校庁舎3階の彰古館に1982年に「金原節三コーナー」として展示された。
その2000点を超える資料はその後どうなったのであろうか?
防衛省の回答では、金原氏の目録と一致する資料は、今現在は641点だという。
しかし、それも一致するだけで、寄贈されたものではないという。
彰古館に勤めていた人(1996年から2013年)の聞き取りでは、彰古館では、きちんと整理していていなかったようである。
金原資料は、1995年に防衛庁戦史部に移管されたが、翌年また彰古館へ戻したという。
その時はすべてを戻したわけではなかったようだ。
2010年に、彰古館が学校庁舎3階から今の建屋になり、資料も移管されたが、金原資料の整理はきちんとされていないようだ。
金原資料の一部はあるようだが、その他の金原資料は、どこに保管しているのだろうか。
また、彰古館には旧軍資料しか置いていないともいう。本当に「衛生学校記事」や教範類は置いていないのだろうか?
次の裁判までに、勤めていた人の陳述書を防衛省側は出すという。

1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊


第4代衛生学校長
『衛生学校記事』を発刊したときの、衛生学校長金原節三とはどんな人物なのだろうか?
金原節三(1901~1976)
陸軍省医事課長時代(1941.11~43.8)に731部隊から報告を受けていた。「陸軍省業務日誌摘録」
厚生省東海北陸医務出張所から衛生学校へ 1955.8.1

金原節三と細菌戦
金原の略歴を見ると、昭和16年11月に陸軍省医務局医事課長になっていて、17年に8月に軍医大佐になっている。
細菌戦資料センターの会報には、次のような記載がある。「陸軍省医務局医事課長だった金原節三元軍医大佐が、1955年に陸上自衛隊に入隊した。細菌戦部隊を指導していたのは、陸軍参謀本部、陸軍省医務局衛生課そして陸軍省医務局医事課である。金原は、「金原業務日誌摘録」に細菌戦部隊からの報告を記録している。


金原節三と武見太郎
金原と戦後日本医師会会長になり、医師会、薬剤師会、歯科医師会に大きな影響を及ぼした武見太郎は、軍隊内の先輩・後輩関係にあった。『金原節三資料目録』(陸上自衛隊衛生学校)の巻頭言は、日本医師会長武見太郎が書いている。

『BC兵器』 久保綾三著(1969年)より

2、ベトナムにおける生物・化学兵器使用とその背景

枯葉作戦とその被害

けれども、これらの砒素系薬剤は有毒であることが立証されている。
「犬に対する致死量は1㎏の体重に対して1gである」(メルク社『化学薬品インデックス』-ゴールストン著〈ヤール大学動物学者))
「人間に対しては、150ポンドの体重に7gである」(『サイエンス&シチズン』1967、8・9月号)
また、カリフォルニア大学の学者アルデン・S ・クラフトは、「砒素系農薬は“米”に対して枯死効果が高い。24Dや245Tは雑穀類、米類にはあまり効果がなく、広葉樹林を枯らす為には非常に大きな効果をもたらすものである」そして、「非常に重要な問題は、砒素系薬剤が果物に大量にかかった場合、人間に対しても多大な害を与えるものである」と言っている。



第5代衛生学校長
井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身
1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】
第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を転任になり、その後を井上が引き継いだ。
井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。
又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。
南方軍防疫給水部(岡9420部隊)





イタイイタイ病を究明した男 萩野昇

驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く

水俣病問題

小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去

小泉親彦と宮川米次の絆

ヒロシマからフクシマへ

宮川正

「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—

ビキニ「死の灰」世界各地へ

自衛隊とサリン

相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場

日本の国家機密

兒嶋俊郎さんを偲ぶ



●昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!!
天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より
重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。





●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)

※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!


第10章 戦争の泥沼化と拡大

1940年6月1日昭和天皇は自らの裁定で新しい内大臣の任命を行った。これまで元老西園寺公望は、木戸幸一の右翼的な傾向を懸念して、木戸を候補者とすることを拒んできた。しかし、昭和天皇はこれを無視して近衛文麿や湯浅倉平が積極的に木戸を推薦していることに留意し、木戸を指名することに決定した。木戸は革新派官僚であり、華族階級の意識が強い指導者であり、健康を害していたもっとも重要な政治顧問、湯浅の跡を継いだ。51歳を間近にした木戸は、これまでの内大臣でもっとも若かった。このとき昭和天皇自身は39歳だった。1年以上前、木戸は原田熊雄〔西園寺の秘書〕に、昭和天皇は本来、「科学者」であり、「非常に自由主義的な方であると同時に、また平和主義者の方でもある」と語ったという。

小泉親彦と昭和天皇

近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~

近代天皇制の真髄は

福沢諭吉

神武と戦争




憲法9条を生かそう!!












2019年9月22日日曜日

神奈川県 黒岩知事の「平和の少女像」に関する発言に抗議し、撤回を要請します


神奈川県 黒岩知事の「平和の少女像」に関する発言に抗議し、撤回を要請します
映画『沈黙−立ち上がる慰安婦』は神奈川県内において、昨年から上映に対する抗議・妨害がエスカレートしました。
黒岩知事の「平和の少女像の展示は認めない」との一連の発言はこの抗議・妨害にお墨付きを与え、行政を萎縮させ「検閲」を正当化するものです。同時に、愛知トリエンナーレの「表現の不自由展・その後」の再開の妨げに加担するもので到底許されません。製作委員会と各地の上映実行委員会の有志が中心に呼びかけて、共同で抗議と要請文を提出します。県内外を問わず、個人、団体の賛同を募っています。
「表現の自由」を勝ち取るために声をあげましょう。

※賛同募集は9月23日締め切りです。よろしくお願いいたします。

※神奈川新聞 9月4日「検閲するつもりない」 不自由展で黒岩知事釈明
https://www.kanaloco.jp/article/entry-192857.html

※神奈川新聞  2018年12月12日 時代の正体 元慰安婦映画上映会 右翼団体現れず
https://www.kanaloco.jp/article/entry-40398.html



抗議・要請文
去る8月27日、知事は「あいちトリエンナーレ2019」での「表現の不自由展・その後」について、「同じことが神奈川県であったなら開催を認めない」と発言しました。9月3日には「表現の自由は大切。検閲はしない」という一方で、「韓国政府が2015年の日韓合意を破り、慰安婦像を世界中に建て日本がいかに悪辣だったかという大キャンペーンを展開し、日本政府は抗議している。」と批判し、「韓国政府の一方的な主張に利用される慰安婦像の展示に税金は使えない」と述べました。これはまさに、現政権の見解と異なる内容は認めないとする権力による検閲にあたる暴挙です。

私たちは以下の3点において、知事の発言に抗議するとともに要請をします。

1 知事の「少女像は事実を歪曲したような形で政治的なメッセージ。『慰安婦』の強制的な連行というのは韓国の一方的な見解だ」との発言は、河野談話(1993年8月)や日韓合意(2015年12月)で表明されてきた日本政府の「お詫び」を反故にし、日本の加害の責任を全く省みない暴言です。1991年から被害者が証言してきた事実と日本の歴史学会・歴史教育者団体の声明(2015年5月)でも明らかな通り、日本軍が慰安婦の強制連行に深く関与し、実行したことは揺るぎない事実です。

2 知事は「慰安婦像は韓国政府が展開している反日キャンペーン」だと問題視していますが、韓国に100体以上、米国、ドイツ、フィリピンなど世界各地で、日本軍「慰安婦」を記憶するために建立されている像や碑は、世界各地の市民が自発的に、戦時下の性暴力の被害が決して繰り返されないことを願い、平和を祈り設置を広げているものです。
2011年より、日本政府はソウル大使館前の「少女像」の撤去を求め、世界のあらゆる像や碑の設置を阻止する活動を展開しています。この自国の歴史を直視しない行為は、もはや世界から歴史修正主義の国家と誹りをうけています。政府に追従した知事の発言は、「少女像」の展示撤去を求めた卑劣なテロ予告や脅迫の行為者たちを擁護するもので厳重に抗議します。猛省して下さい。

3 日本軍「慰安婦」の記録映画『沈黙-立ち上がる慰安婦』に関しては、昨年から茅ヶ崎市、横浜市、横須賀市、藤沢市、相模原市での上映会に対し抗議や妨害が起き、市民は力を合わせて対策してきました。茅ヶ崎市と教育委員会の「後援」承認に関しては多数の抗議が集中し、市は業務に支障が出たことを理由に「特定の主義主張についての後援は承認しない」と要綱を変えてしまいました。抗議は「慰安婦の強制連行はなかった、証言は捏造、反日映画」などと歴史を否定し、底流に韓国・朝鮮人への差別と女性蔑視があり、「少女像」への抗議と本質は同じです。ゆえに知事の発言は、県内で続いている上映妨害にお墨付きを与え、行政の萎縮に拍車を招きかねません。
 
 行政は脅迫や妨害行為に屈せず、市民の「表現の自由」を守るべく安全な環境を整えるのが責務です。知事は市民の知る権利を尊重し、「少女像」展示も「慰安婦」に関する映画上映も「政府見解と異なる」という理由で、公的場の使用、公的助成を制限すべきではありません。

以上の3点をもって、知事の「少女像」展示を認めない一連の発言の撤回を求めます。




注意
①ここで集めた情報は抗議文提出以外には使用しません。県知事宛の抗議文書(紙書類)への記載です。インターネットでお名前掲載の可否は、チェック項目を選択して下さい。
②個人と団体名と両方、またはどちらかに、ご記入ください。肩書き・所属は個人名(〇〇)と表記し任意です。


署名はこちらから
https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLSd9kFMYGUfKR6E8zyjivf5rt5biMXIb4mwzoClrKurR3Gpm1g/viewform?fbclid=IwAR3DrtB-kTi_L2I9AXyRZwPCIDxNv-zI5zc-5p8ikJp8c2mhSYhR_oJ2mrk

脱原発!!


脱原発!!脱原発!!
「福島は終っていない、 原発はクリーンではない」


大竹まことゴールデンラジオ#金子勝 (文化放送 2019-09-20)


【緊急署名】東電刑事裁判元経営陣「無罪」判決に控訴してください!

ああ、無罪!原発事故、責任は問えないのか ウイークエンドニュース 2019.9.20



東電刑事裁判元経営陣「無罪」判決に控訴を!

原発汚染水処理「日本政府の公式回答を」 韓国外交省

●なぜ、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
1947年に国立予防衛生研究所が設立され、そこにも多数の731部隊員が入り、広島、長崎にできたABCC(原爆傷害調査委員会)にも協力しました。
放射能被爆の治療はせずに、追跡調査をし、データを収集しました。

原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担した。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。
封印された原爆報告書


広島、長崎、ビキニとそれまで3度も被爆している国なのに、全く原子力の被曝の事を忘れ、原発推進に突き進んでいく日本!!
おかしくありませんか??

2011.3.11の福島原発事故が起きても、また再稼働をしているこの国。この時、ドイツは脱原発にかじを切りました。
医学界の反省も、日本とドイツではだいぶ違います。全く反省していないのが日本。ドイツは少しずつではあるが、反省している。
今の政権は、あの戦争は、自存自衛のための戦争だと言って、全く謝罪の言葉を消し去っている。
昨日の東電裁判でも、東電幹部は無罪で、また日本の原子力政策については、全く触れていない。

以下、ブログ引用!!
驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く

投稿者 魑魅魍魎男 日時 2014 年 5 月 16 日 09:10:14: FpBksTgsjX9Gw


御活躍中の御用医学者と731部隊の関係を調べてみた。意外と簡単に結びつくので驚いた。
(以下敬称略)

まずは長崎大学から。

==== 長崎大学医学部(旧長崎医大) ====

山下俊一、高村昇らが活躍(暗躍)する長崎大医学部は元731部隊関係者の巣窟であった。
少なくとも次の4人が関係者だと言われている。

林一郎(病理) 長崎大学名誉教授・日本先天異常学会会長
斎藤幸一郎 (生理) 長崎医科大学教授・金沢医科大学第1生理学教室教授
青木義勇 (細菌) 長崎医科大学教授
福見秀雄 (細菌・防疫) 長崎大学学長・長崎大学教授・ 国立予防衛生研究所(予研)第6代所長

福見秀雄は1980年に長崎大学学長に就任。
同年、長瀧重信が医学部教授に、のちに医学部長になっている。
長瀧の教え子が山下俊一、そのまた教え子が高村昇である。

長崎大医学部は、731部隊直系の研究組織と言ってよい。
そして、そこから御用学者が何人も出ていることは決して偶然ではない。


==== 重松逸造 ====

重松逸造は御用医学者を語る上で極めて重要な人物、キー・パーソンである。

彼は終戦当時、ラバウルで海軍軍医をしており、731部隊で研究していたわけではないようだ。
しかし彼の恩師や同僚は731関係者が非常に多い。とくに長崎大教授たちとは深い交流があった。
福見秀雄とは共著で論文を書いているし、林一郎とも知己であった。
斎藤幸一郎とは金沢大で働いている。
その金沢大(旧金沢医大)も、戸田正三、石川太刀雄丸、二木秀雄などが在籍し、長崎大と並ぶ
731出身者の巣窟であった。

重松は彼らから731部隊の悪魔的な思想・精神をしっかりと受け継いだと考えてよい。

米国が組織した原爆傷害調査委員会(ABCC、Atomic Bomb Casualty Commission)の
日本側初代代表は都築正男だったが、GHQの原爆に関する研究発表禁止に反発し追放処分となり、
その後継者となったのが重松である。(まともな人間がハネられるのは原子力ムラの常である)

ABCCはデータを取るだけで全く治療をしてくれない、と原爆被爆者の激しい非難を浴びた。

そのABCCは1975年に放射線影響研究所(放影研)に改組され、重松は第3代理事長となり、
1981年から16年にも渡り、原爆被害の隠蔽・過小評価に尽力した。
そのあとを継いだのが弟子の長瀧重信で、第4代理事長に就任した。

重松、長瀧とも1960年前後にハーバード大学に留学している。
当時は、特別なコネでもなければ海外渡航はできなかった時代である。
奨学金をもらい留学"させてもらった"のかもしれない。要するに米国(IAEA)のヒモつきだ。
恩義があるから米国の言うなりであり、原爆の被害を過小評価するのは当然のことであろう。
(アメとムチは米国のお家芸であり、安部首相の祖父・岸信介はA級戦犯だったが、
無罪放免と引き換えに米国の走狗となった)

重松は水俣病、イタイイタイ病、スモン病など多くの公害、薬害事件において、事実を隠蔽・改ざんし、
常に政府・企業側に有利な報告をでっち上げている。

また長瀧らとチェルノブイリ原発事故の調査をし、住民に健康被害はないとのトンデモ報告書をまとめ、
全世界から非難を浴びた。(このときの後援者がIAEAと結託した笹川財団である)
重松はIAEA、ICRP、WHOの委員も務めている。

彼は筋金入りの御用である。困ったことに弟子も多い。
2年前に彼が亡くなったときには、あちこちで歓声が上がったという。むべなるかなである。


==== 広島大学医学部 ====

長崎大と比べて、広島大には731部隊の主だった関係者は在籍していなかったようだ。
しかし放影研、重松逸造との関係は深い。

まずは原子力安全委員会委員の久住静代(放射線影響学)。20ミリシーベルト提案者である。
彼女は重松の教え子であり、放影研、広島大学原爆放射能医科学研究所(原医研)で働いている。

次に神谷研二教授。原医研所長であり、福島県立医科大学副学長に就任した。
この人も重松の弟子であり、長瀧重信とも仕事をしている。

原医研では2006年に放射性ヨウ素131のずさんな取り扱いが内部告発で明らかになり、
文科省による立ち入り調査を受けた。
しかし研究総括責任者の神谷は政治力を駆使、「訓告」だけですんだ。

ほかにも原医研では不祥事が多く、1969年に患者に他人のがん細胞を注射し、体内で生成された抗体を
また元のがん患者に注射するという731顔負けの人体実験が発覚、担当助教授は辞任した。
また2005年、腫瘍外科研究分野の教授が医師派遣に絡む受託収賄容疑で逮捕された。


==== 国立公衆衛生院 ====

東大系の研究所では、国立公衆衛生院、東大医科学研究所(旧伝染病研究所)、
国立感染症研究所(旧国立予防衛生研究所)の3つが731部隊との関わり合いが深い。

まず国立公衆衛生院であるが、関東大震災の復興援助として、ロックフェラー財団から
建物・設備が寄贈されたのがその始まりである。

ここの疫学部長に就任したのが野辺地慶三である。彼は1923年、ハーバード大学に留学、
帰国後数々の業績をあげ「公衆衛生の父」と呼ばれている。
1958年にはABCCの疫学部長に就任している。

この人物も731部隊、そして米国との関わり合いが深い。
戦後、百日咳の研究で、731部隊の最高幹部であった北野政次、安東洪次と協力している。

重松逸造は野辺地の教え子で、1966年に疫学部長に就任している。

国立公衆衛生院は2002年、改組により国立保健医療科学院となり、
現在は、汚染食品からの被ばくは小さいなど安全キャンペーンをやっている。


==== 東大医科学研究所(旧伝染病研究所) ====

上昌広教授、坪倉正治医師の所属する医科学研究所(医科研)は、初代所長があの北里柴三郎で、
由緒ある、エリート医学者のための研究所である。

しかし第7代所長・田宮猛雄は731部隊への人材供給役であった。
宮川米次(第5代伝研所長)、細谷省吾、小島三郎、柳沢謙、金子順一、安東洪次、緒方富雄、浅沼靖
などの研究者が731部隊に関与したと言われる。戦後、何食わぬ顔で東大教授になった人もいる。

戦後、731部隊長・北野政次が伝研に現れたとき、もっとも北野を庇護したのがこの田宮であったと言われる。

戦後、田宮は731部隊で得た成果を利用し、リケッチアによる伝染病、つつが虫病の研究で有名になり、
国立がんセンター初代所長、そして日本医師会会長まで登りつめ、医学界のボスとして君臨した。

水俣病では田宮委員会を組織し、熊本大医学部の有機水銀中毒説をつぶし、被害を拡大させた。

田宮が初代所長になった国立がんセンターだが、ここも問題が多い。

上昌広は、2001年から国立がんセンターで造血器悪性腫瘍の臨床研究をしていた。
国策遂行が最優先され、臨床試験を効率よく行なうために、重篤患者を切り捨て他の病院に回すのが
当たり前だったと語っている。患者の命よりも研究成果が重視されるのだ。

「国立病院に生き続ける陸海軍の亡霊」 (MRIC Vol.198 2008/12/22)
http://mric.tanaka.md/2008/12/22/_vol_198.html

ちなみに、2011年9月に山下俊一は、日本対がん協会(垣添忠生会長)から「朝日がん大賞」を受賞したが、
垣添は元国立がんセンター総長であった。まさにズブズブの関係だ。

フィルムバッジを福島住民に配布することを提言したのもここ。

ここも汚職など不祥事が相次ぎ、2010年に独立行政法人へ移行、国立がん"研究"センターと改称している。

インタビューで、上教授は福島で収集したデータが高く売れると話している。
http://www.asyura2.com/13/genpatu32/msg/595.html

住民の命、健康を守ろうという姿勢は全くうかがえない。彼にとって福島は金ヅルでしかないようだ。
"モルモット"が逃げ出さないよう、後輩の坪倉正治を福島に派遣して安全デマを流布している。

「将来奴ら(福島県民)は、集団訴訟とかするんやろなあ」と酔って話したという話も伝わっている。
しかしまるで他人事、責任感は全く感じられない。
http://blog.goo.ne.jp/mayumilehr/e/aacebb2e3d5f936dce460130bdfd2f30


==== 国立感染症研究所・旧国立予防衛生研究所(予研)====

戦後、米軍命令で予研が設立され、伝染病研究所から約半数が移籍している。
ここもまさしく731部隊の牙城、再就職先であり、柳沢謙(結核研究)、そして前述の福見秀雄など
何人もの731関係者が在籍した。

そして、戦後も米軍と協力して密かに人体実験を続け、犠牲者を出している。
ここにそのまとめがある。福見秀雄の名前が何度も出てくる。
出展は、新井秀雄著「科学者として」(幻冬社)

「わしの本の予定と、『予研』問題のコンジョいる入門講座」 (宮崎学 2000/11/6)
http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Bull/8536/yoken.htm

薬害エイズの非加熱製剤を合格させたのも予研である。
また予研は1947年から1975年にかけてABCCに協力をしている。

1989年、住民の反対を押し切って、東京・新宿区戸山の旧陸軍軍医学校跡地に予研の建物を建設工事中、
大量の人骨が見つかった。ここには731部隊の日本における拠点があったため、その関連性が疑われている。
犠牲者の怨霊のしわざだろうか、ぞっとする事件である。

予研は薬害エイズ等であまりにも評判が悪くなったためか、1997年に国立感染症研究所に改称された。
(不祥事が起きると組織名を変えてごまかすのが日本の伝統である)

福島関連では、被ばくとは直接関係ないこともあって、この研究所の御用活動は今のところ目立っていない。
しかし、マイコプラズマ肺炎や風疹など得体の知れない感染症が流行し始めており、今後は要注意である。
これは稼ぎ時とばかりに、製薬会社とグルになって、効果ゼロかつ危険な副作用をもつワクチンをでっち上げ、
強制接種すべしと圧力をかけるかも知れない。

ちなみに、ここの先生方は子宮頸がんワクチンの恐ろしい副作用を「気のせい」と判断している。


==== 放射線医学総合研究所 (放医研) ====

中川恵一准教授が所属する放医研では、宮川正名誉教授が重要人物である。
http://www.u-tokyo.ac.jp/gen03/kouhou/1232/4.html

この訃報には陸軍軍医として戦時医療に従事されたとあるが、実は731部隊レントゲン班であった。
何をしていたかは容易に想像がつく。

戦後、東京大学医学部放射線科教授、埼玉医科大学教授などを歴任している。
放医研の立ち上げに尽力。放医研は原子力総本山のIAEAとも深い協力関係にある。

彼の弟子が、元放医研所長の佐々木康人教授(現・日本アイソトープ協会・常務理事)であり、
ICRP委員も勤めている。その教え子が、われらが中川先生である。

驚くべきことに、彼の恩師をたった2代さかのぼれば731部隊にたどり着くのである。

また中川と同じく、安全だ安全だと繰り返す明石真言は、この研究所の理事である。

ここも法令違反など度重なる不祥事が起きている。そのうち名称が変わるであろう。
いつも内部被曝は無視するから、放射線外部被曝研究所とでも名付けたらよかろう。


以上、簡単にまとめてみたが、みなさんの感想はいかがだろうか。

あまりにも御用医学者たちが731部隊と簡単に結びつくのにびっくりしたのではないだろうか。
正直、私も驚いた。

活躍中の御用医学者の恩師をさかのぼれば、直接または重松逸造を介して731部隊関係者にたどりつく。
世の中は広いようで狭い。すべて御用の道は731に通ず、というわけだ。

日本の医学界イコール731部隊であり、御用医者のみならず誰をさかのぼっても731部隊に行き着く、
という指摘もあるが、これは荒っぽい性急な議論であろう。

なぜなら、731関係者が多かった組織ほど重大な社会問題を引き起こしているからである。
予研がそうであり、また731部隊員の受け皿であったミドリ十字(旧日本ブラッドバンク)も
薬害エイズを引き起こした。人命軽視、成果・利益最優先の結果である。

本来ならきちんと裁判を行ない、731部隊の行なった残酷な人体実験の責任を明確にし、
関係者を処罰し、医学界から追放すべきだった。
しかし米国と闇取引をして、実験の成果を渡す代わりに全員が無罪放免になった。米国も共犯である。

731関係者は何一つ罪を問われなかったために、人命を軽視し、人間を当たり前のように実験台に使い、
成果を自分の昇進や金儲けに使うおぞましい伝統が日本の医学界に生き残り、はびこってしまった。

国家のため医学のためという大義名分の下に、何千人もの捕虜や住民を丸太(マルタ)と称して使い、
血も凍るような凄惨な人体実験を繰り返した731部隊の思想・精神は、脈々と後進に受け継がれているのだ。

そして今、その何百倍、何千倍という規模の人体実験が福島を中心に行なわれているのである。

731の人体実験の背景には、日本人の民族的優越感があり、劣等民族は犠牲になって当然という
差別意識があった。長年そう思っていたが、福島の事故でこれは正しくないことを思い知らされた。
彼らは、自らの利益のためには、たとえ同胞であろうと誰でも容赦なく犠牲にするのだ。

御用医学者たちが鼻血を必死で否定するのも、被ばく被害に気づかれて、"モルモット"が汚染地帯から
逃げ出してしまうと困るからである。

私は、福島その他の汚染地帯にいる人たちに何度でもこう言いたい。

「あなたたちは、あの悪魔のような731部隊の末裔によってモルモットにされているのですよ。
彼らの言うことを信じてはいけません。
犠牲になりたくなければ、一刻も早くお逃げなさい」


ジャーナリストの竹野内真理さんも、同様なことを指摘しています。
ブログは削除される可能性があるので、全文引用します。

>2013年1月16日水曜日
XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島

思えば、日本と言う国は、世界で初めて米国からの原爆を落とされ、20万という人命をその年のうちに広島と長崎で失い、その後も後遺症に悩まされる人々が現在も数十万いる中、日本政府と米国政府が当時ABCCという機関を創設し、多数の学者や医師らが参加して、被爆者への治療を施すわけでなく、被爆者の体で研究をしました。

実際、広島第一陸軍病院宇品分院では、原爆投下1ヶ月後から1ヶ月間米国の医学者の調査団が日本の医師団に連れられてやってきましたが、日米の両方の医師たちは、生存者の治療よりも遺体解剖を優先し、患者の救援活動に従事したのは多くは看護婦や衛星兵だったと言う記録も残っています。

しかも徹底的に内部被曝の影響を隠ぺいし、急性被曝で死んでしまった者、また原爆の落とされた半径2km以内に住んでいるもの以外への健康被害はないものとして長年されてきました。ようやく2008年になって、ある一定の距離以上離れたものでも、放射性物質の微粒子を体内に取り込んだことによる原爆症を発症したことが裁判で認められてきたのです。原爆が落とされて半世紀以上、広島・長崎の医師たちが患者側ではなく、国側について隠ぺいに加担していたことは特筆すべき事実です。

さらにチェルノブイリ事故の後には、日本からはこのABCCを前身とする放射線影響研究所、RERFからの重松逸造氏や長瀧重信氏を中心に、住民、なにより子供たちに健康被害が出ているにもかかわらず、チェルノブイリの事故の過小評価をすることに加担してきました。

非常に恥ずべきことです。日本は被曝問題において、被害国であると同時に、大いなる加害国でもあるわけです。原爆を落とされた国でありながら、自国内の被爆者に対しても、また他国における原発の被曝者に対しても、目の前で患者が苦しむのを見ていながら、核産業側・政府側について人々の健康障害を長年無視もしくは過小評価してきたのです。

その悲しい歴史が、今福島で繰り返されています。チェルノブイリで過小評価をした長瀧重信氏やその弟子である山下俊一氏、また放射線治療の権威である東大の中川恵一氏らが一緒になって「このくらいの放射能なら安全である」と福島県民に説いて回り、医師会などにおいては、「福島事故で健康被害を受けたものは、1人もいない」という理論を事故から2年近くった現在でも公に発表して廻っているのです!

第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。
封印された原爆報告書


原爆投下後に行われた日米合同調査団への参加には、元731部隊で病理解剖が専門の石川太刀雄丸が、米軍による限界な統治下の中、1945年12月に原爆被害を詳述しています。

731部隊の司令塔「陸軍軍医学校防疫研究室」嘱託の緒方富雄東京帝大名誉教授、同嘱託の木村廉京大教授の名前があり、米国からもプルトニウム注射による人体実験をしたスタッフォード・ウォーレン医師、後にUNSCEAR創設時のメンバーであり、被爆者疫学研究で有名になるシールズ・ウォーレン医師が合同調査団として来日し調査したのでした。

このように米国の人体実験にかかわった医師と日本の人体実験に関わった医師らも協力して、被曝研究を進めていったのです。1946年にはオースチン・ブルースらABCC人体実験医が、東京、京都、大阪、広島、長崎を含む日本の主だった大学病院を廻り、元731部隊の研究員と会って、ABCCに協力する人々の人脈づくりをし、翌年ABCCが正式発足したというのです。

広島長崎の被曝およびチェルノブイリ・プロジェクトで1991年に被曝による健康を否定した有名な疫学者で重松逸造氏という人物がおります。RERFの重松逸造氏(東京帝国大学→ハーバード大学公衆衛生大学院)の直弟子の長瀧重信氏(東京大学医学部→ハーバード大学医学部→長崎大学医学部)とともに、広島長崎、そしてチェルノブイリの甲状腺ガン以外の健康被害を否定しました。そして長瀧の弟子の山下俊一氏(長崎大学→福島県立医科大学)は、チェルノブイリの否定から今回の福島事故後の被曝による健康被害を完全否定しています。

福島で子供で甲状腺異常が5割に届くほど出ているのに、異常なしとし、放置しているやり方に過去の731部隊の人体実験と共通する残酷さを常々感じていた私は、調べてみましたら、なんとこの山下氏の恩師の恩師に当たる重松逸造氏は731部隊とつながっていました。

重松氏の恩師に731部隊の重要人物がいます。731部隊に生物兵器の開発・実戦に従事した多くの医科学者を送り出した、東京帝国大学伝染病研究室の疫学研究室の主任の野邊地慶三医師です。

戦後この東大疫学研究室が、東大医科学研究所、国立公衆衛生院、国立予防衛生研究所(予研)と、3つの研究所に分かれました。戦後、予研が731部隊の資料と被曝者の資料を米軍に伝達していたと言います。

戦前、東大疫学研究室長であった野邊地慶三氏は、1950年代からABCCの疫学部長に就任、その門下の重松逸造氏も後にABCCの理事長に就任したのです。731部隊から原爆被爆実験に至る、東大を介したABCCとの重大な人的接点はここあったのです。

前身が東大疫学研究室である、東大医科学研究所が、今現在福島の南相馬市で、子供を含めたWBCの人体実験を行っていることは先に述べた通りです。上昌弘教授は、個人的発言としては、「南相馬は危ないよ」「将来福島県民は集団訴訟とかするんだろうなあ」と発言したことで知られています。http://savekidsjapan.blogspot.jp/2013/01/vii.html

また福島事故後に有名になった医学者の一人に同じく東大出身で、東大病院放射線科の中川恵一準教授がいます。彼は、「福島で健康被害は出ていない、今後も出ない」と主張する学者の代表格です。私は中川医師の『被ばくと発がんの真実』という著書に、科学的な疑問点が100か所以上見受けられたので、質問を送りましたが、どれひとつとしていまだに回答をいただいておりません。http://koukaishitsumon.blogspot.jp/

実は免責された731部隊は、放射線医療業界にも歴史的につながっています。例えば731部隊、レントゲン班でも致死量を当てる人体実験が行われ、リーダーのひとりであった宮川正は、戦後放射線治療の専門家になりました。第五福竜丸事件の後、福竜丸以外の船員が放射線障害で苦しんでいても、放射線障害ではないだろうという理論を展開し、800あったと言われる被曝船は、一隻とされたのでした

この元731部隊レントゲン班の東大医学部放射線医学講座の主任教授、宮川氏は、放射線医学総合研究所の立ち上げ準備にあたりました。放射線医学総合研究所は、その後も原子力推進の政策を追認する機関として今日に至っており、UNSCEARの日本代表は半世紀以上、ずっと放医研のスタッフです。

長崎においても、731部隊からABCC,そして今日の福島にも有名大学を通じてつながりがあります。長崎で、胎児・新生児の数千例の解剖を手掛けた長崎医科大学の林一郎(京都帝国大学出身)も、元731部隊員であり、731部隊長石井四郎(京都帝国大学)の恩師で同部隊の病理解剖の最高権威であった清野謙次(京都帝国大学出身)の門下でした。林一郎医師は、731部隊長の石井四郎と兄弟弟子であったわけです。

この林一郎氏は、世界は恐怖するという1957年制作の映画の中で、昭和24年から25年にかけて、被ばく者から生まれた子どものうち、22.3%が奇形だった。同じ時期に被曝していない親から生まれた奇形児は、8.7%だったと発表していると引用されています。しかしなぜかこの引用は後から林氏自身によって否定され、広島長崎で遺伝的な影響はなかったこととされています!何と不可思議なことでしょうか。

また、731部隊長石井四郎の右腕であった内藤良一は、薬害エイズで2000人の血友病患者を感染させた日本ミドリ十字社の前身である日本ブラッドバンクの創設者であり、このミドリ十字社と厚生省がグルとなって薬害エイズ事件の原因となったことは有名です。

今回福島県民健康調査のリーダーである山下俊一氏が、福島事故の直前までエイズ患者対象の研究を行っていたことは特筆に値すると思います。彼はエイズ研究を始めるにあたり、「過ちは二度と繰り返しません」と書き、その後、福島事故が起きて、福島医大に行き、住民たちには100mSvまで心配することはないと説得しました。「人々の健康を第一に考えない医学がなぜ存在するのだろう。」、そして「患者を検体として接するような医者は許さない」と、私の知人の薬害HIV患者の方も非常に怒っています。

そして今、福島では有名大学の様々な医者や学者が関わり、子供や妊婦までを研究利用しています。これは明らかに時間軸の伸びた人体実験と言えますし、歴史を見れば、誇張でないことが分かります。

今現在、この瞬間にも被曝しながら、命を削っている福島その他の汚染地帯の子供たちを助けるためにも、私は、この過去と現在における日本の医学界の犯罪性を全世界の人々に知ってほしいです。

「わざわざ自分らのことを『げんしりょくむら』とは?

「あつまれ!げんしりょくむら」に批判相次ぐ サイト閉鎖

20190330 UPLAN 小出裕章「フクシマ事故8年 原子力を廃絶させる道」



世界は、アメリカ・ソ連・中国・イギリス・フランス・・・などが核実験をたくさんやったので、1946年過ぎから温暖化が進んでいる!!
核実験の一覧
核兵器・原発廃絶!!化学兵器廃絶!!生物兵器廃絶!!








細菌戦の系譜!!



脱原発!!
もっと知りたい、見つけたい(peace8)八王子
佐々木寛講演会
前川喜平講演会
東京発!“核関連施設立地地域と東京を繋ぐ”核燃料サイクル計画映画制作プロジェクト
「日本の毒ガス戦と遺棄毒ガス」展
「医学者たちの戦争犯罪ー731部隊・100部隊」展
「731部隊犠牲者遺族の声を聞け!①のご案内
青汁王子が訴える森友問題!!
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『化学学校記事』『衛生学校記事』情報公開裁判のお知らせ
日本はこういう国だった  戦後に生まれたあなたに
2019 平和をねがう中央区民の戦争展2
天皇制廃止に向けての第一歩:雲上人を人間化する運動を!
京都大学に対する第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求める活動
北支那防疫給水部留守名簿
旧陸軍毒ガス詳報、確認 中国北部で使用部隊が記録
平沢正欣論文を検証する(人体実験は行われたか?)
武蔵村山の国立感染症研究所問題!!



核兵器、生物兵器、化学兵器廃絶!! 戦力不保持!!
●ニュース
脱原発!!
「福島は終っていない、 原発はクリーンではない」


大竹まことゴールデンラジオ#金子勝 (文化放送 2019-09-20)


【緊急署名】東電刑事裁判元経営陣「無罪」判決に控訴してください!

ああ、無罪!原発事故、責任は問えないのか ウイークエンドニュース 2019.9.20



東電刑事裁判元経営陣「無罪」判決に控訴を!

原発汚染水処理「日本政府の公式回答を」 韓国外交省

原発事故責任と、戦後補償問題は通じている!!

51年目の戦争責任 加藤周一 速水優 キャスター・山本肇 NHK特集 1996.8.15 のコピー


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子どもを「薬漬け」にする児童養護施設の現実

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かけ問題をきちんと説明してください!!
安倍首相、無届けで加計学園「名誉客員教授」兼職の萩生田氏を「文科大臣」に起用


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旧日本陸軍資料、相次ぐ出版 毒ガス戦や731部隊、活用期待


旧民族衛生学会「優生条項」成立の責任認める 強制不妊の根拠に



無駄遣い!!
防衛省 宇宙監視強化へ 来年度予算の概算要求 過去最大に

昭和天皇の戦争責任を問う!!
昭和天皇、戦争を悔い退位に言及 改憲再軍備も主張、長官の拝謁記

昭和天皇、戦争の「反省」表明望んだ 詳細記録見つかる





昭和天皇の戦争帰任をもっと追及しよう!!
戦前の天皇がいかに大きな存在であったかが分かる。
NHKスペシャル「 昭和天皇は何を語ったのか」拝謁記


昭和天皇 拝謁記 歴代首相の人物評繰り返す

二・二六事件 海軍極秘文書 昭和天皇 事件拡大 懸念する発言

細菌戦・毒ガス戦を裁可したもの昭和天皇でしょ!!
昭和天皇 拝謁記「国民が退位希望するなら躊躇せぬ」






●日本政府・自衛隊は情報を公開せよ!!(情報開示!!)
特別秘密保護法撤廃!!

憲法9条はどこ行った!!
防衛省がフリーランスを排除

全日空機雫石衝突事故
岩手県岩手郡雫石町上空を飛行中の全日本空輸の旅客機に航空自衛隊の戦闘機が飛行中に追突され、双方とも墜落した。自衛隊機の乗員は脱出に成功したが、機体に損傷を受けた旅客機は空中分解し、乗客155名と乗員7名の計162名全員が死亡した。1985年(昭和60年)8月12日に日本航空123便墜落事故が発生するまで、日本国内の航空事故としては最大の犠牲者数を出した事故であった。

アシタノワダイ削除「日航123便 墜落事件」



日航機墜落事故から34年 御巣鷹で慰霊登山始まる

「『ノモンハン』血ノ教訓」 大阪・難波宮跡から旧陸軍機密文書見つかる



核兵器廃絶
長崎平和宣言(全文)


安倍首相 核兵器禁止条約参加に否定的姿勢 核廃絶へ対話促す

旧優生保護法のもとで不妊手術 一時金申請の2人に支給認めず

2019  所沢市 平和祈念資料展




新宿戸山の人骨もきちんとDNA鑑定せよ!!
抑留者遺骨「全て日本人でない」


旧陸軍毒ガス詳報、確認 中国北部で使用部隊が記録

遺伝子「優性・劣性」“高校教科書では別表現を”日本学術会議



エボラ出血熱など輸入で国と東京・武蔵村山市が合意 国立感染症研究所に

エボラ出血熱のウィルスなど危険の高いものをなぜ輸入する?
日本は全く細菌戦の反省をしていない!!
感染症対策のウイルス保管を説明

エボラ病原体”輸入”国に安全対策求める


自衛隊の不祥事!!
日航機123便墜落の真相 〜JALボーインング747に訪れた悲劇の全貌〜



このままでは終わらせない…“森友事件”のいま【ザ・ドキュメンタリー】



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●なぜ、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
「わざわざ自分らのことを『げんしりょくむら』とは?

「あつまれ!げんしりょくむら」に批判相次ぐ サイト閉鎖

731部隊の病理解剖の顧問をした清野謙治も、窃盗事件で京大を追われた後、戦後は東京医大教授になった。731部隊で細菌を製造していた柄沢も東京医大だ!!
日本の底にツルハシでも崩れない差別がある 東京医科大の不正入試提訴 会見詳報


竹田恒和JOC会長、IOC委員を辞任


竹田会長の記者会見は本当に「潔白主張」なのか
海外メディア「かえって疑惑深まった」 JOC竹田会長の会見



森友・加計問題 疑惑の核心/下 政治家、官邸官僚… 「安倍側用人」を覆う「黒い霧」

「水俣病は終わらない」公式確認から60年―私たちに託されたメッセージ

松本元死刑囚らの死刑執行文書、ほぼ全て黒塗りで開示

“旧優生保護法”強制的な不妊手術 事業として推進(18/04/27)


真実を隠すために死刑にしたのでは??
オウム13人死刑で「上川陽子法相」一生SPつきの生活


京大の「731部隊」論文疑惑(上) 勝間田秀樹(京都支局)

731部隊将校の学位取り消しを 人体実験疑い論文で京大に





●昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!!
京都大学に対する第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求める活動
人骨発見から30年

1937年7月7日→日中全面戦争

7.7集会(2019)「戦争を始めた日」国会前集会





何で微罪で長期勾留する??
微罪で長期勾留?おかしくないか?日本は人権意識が欠如している!!
以前までは香港の日本領事館が南京大虐殺の抗議を受け取っていたが、去年は受け取らないので、日本まで抗議に来たという。
香港人「靖国神社」建造物侵入事件"長期勾留"の謎?

靖国神社でぼや、横断幕も=中国籍の男を逮捕




徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!
日本の医学界はなぜ謝罪しない???
又、ヒロシマ・ナガサキ・ビキニ・フクシマと4度被曝した日本は、世界に先駆けて核兵器廃絶・脱原発と叫ぶべきではないか!!
なぜ、日本医学界は、先頭に立って「脱原発!!」と叫ばないのか!!
戦後、731部隊員はアメリカの核戦略に協力した!!

「731部隊・100部隊・毒ガス戦」パネル展 2019年4月29日~5月3日
「日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか 」 田中利幸さん
日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか


●水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した!!

ビキニ「死の灰」世界各地へ


日本は、あの侵略戦争を反省して、憲法9条を作った!!

平和条約締結は「日本が大戦の結果認めること」 露外相

●憲法第9条(自衛隊は違憲ではないか!!)
自衛隊は、防護のためと言って毒ガスを製造している!!(日中戦争時のも日本軍は本格的な毒ガス戦を中国で行った!!)
日本の毒ガス
1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

日本の政治の常道【historyとは、彼(his)(権力者)の物語(story)】

・まずい事は隠す!!(=あったことを無かったことにする、=データ改ざんは当たり前)
・責任を下に押し付ける!!(=権力者は、責任を取らない)
これでは客観性がないではないのか??官邸主導
統計不正 統一水準でチェックし品質向上を 菅官房長官
水爆実験で被爆したのは第五福竜丸だけではない!!延べ992隻が被爆!!
なぜ、「731」と書かれた戦闘機に乗れるのだ???

2013年5月12日 安倍 731と書かれた戦闘機に乗る!!宮城県松島市にある航空自衛隊の基地で撮影

オリンピックにお金をかけるのではなく、いじめ対策・貧困対策・戦争被害者対策にお金をかけるべきだ!!






●横浜「戦争の加害展」感想


2月15日

14.情報の公平性、客観性をどのように担保?(男性、70代)


●(「琉球処分」から140年、今の沖縄を考える)パネル展感想

83.いまさらながら沖縄の人々に犠牲を強いてきたことがわかる。政府の役人お偉いさん、子供達も沖縄に住んでみろといいたい。(女.70.市内.通りがかり)


●細菌戦(『三光』より (篠塚良雄、旧姓田村良雄)

心臓にビタカンフルを注射しても、中国人はもう動きませんでした。口もとがかすかに痙攣していました。頚動脈から鮮血が、私の持っている30ccのコルベンの中にポタリポタリと流れ出しましたが、しばらくするとピタリと止まりました。「ビタカン4本」少し離れたところでこの残虐行為を指揮していた大木が叫びました。ビタカン4本うっても中国人の鮮血をしぼることはできませんでした。中国人は「鬼子ッ(クイズッ)」と憎しみの火と燃える一言を残すと、スーッと顔色が変わり、呼吸(いき)を引き取りました。
「解剖刀をよこせ」細島は解剖刀を逆手に握ると、上腹部から下腹部へ下腹部から胸部へと得意然として切りさいなみ、骨鋸をひいて肋骨をひき切り、内臓の全部を露出させました。てんでに細菌培養の白金耳とシャーレを握り、内臓の露出されるのを待っていた3人は、人肉にむしゃぶりつく飢狼そのままに白金耳を焼いてはジューと中国人の体を焼き、より多くの中国人民を殺害する細菌株を作るために、培養基に塗りたくり始めました。20分後には中国人の肉体は、切って切って切りさいなまれ、血のしたたる肉の塊りとして解剖台上に散乱しました。私たち4人はこの惨殺体を見て満腹した狼のようにフーッと太い息をすると、大木、細島、宇田、私と言う順に隣の休息室へともぐりこみました。





●日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より

第7章  残虐な毒ガス戦

付:百団大戦中に捕獲した敵の毒ガス兵器、及びわが軍の中毒者数

第1段階     第2段階    第3段階
毒ガス兵器  ガス弾   47発      (原文空白)   10発
毒ガス   93箱       28筒      10筒
幹部    50名       100名      30名
兵士   1200名      3000名     500名
(「第1129師団、百団大戦3段階遂行の戦績統計表」より。『百団大戦史料』236ページ参照)





(広島県大久野島毒ガス工場)




●証言 人体実験(731部隊とその周辺)
中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳

1、第731部隊本部

秦正氏補足自筆供述書(1954年10月5日)

一、本部   人員総数、3000名(軍属を含む)。
2、薬剤部  部隊が必要とする薬剤の供給及び薬剤の研究。部長は大谷薬剤少将。
3、教育部  731部隊の隊員の戦時における防疫給水業務の教育。西軍医中佐以下約12名。被教育者は約30名(部隊の衛兵を兼務)。
4、診療部  部長、軍医大佐永山太郎以下約70名。ハルピン伝染病棟に収容された関東軍の伝染病患者の治療(特に永久排菌者)。
5、第1部 部長は菊池軍医少将。多くの研究班が置かれ、各班には佐官級軍医または技師以下数名から数十名がいた。同部の任務は細菌兵器の基礎研究を行うことであった。各班長及び研究対象は以下の通り。笠原班(中佐級笠原技師、ウィルス)、二木班(中佐級二木技師、ガス壊疽)、吉村班(中佐級吉村技師、生理学)、筧班(少佐級筧技師、消化系統伝染病)、高橋班(軍医少将高橋正彦、ペスト)、君島班(中佐級君島技師、炭疽他獣疫)、有田班(有田技師少佐、X線他放射線)、秋元班(大尉級技師秋元寿恵夫、血清学)、田中班(田中技師中佐、ペスト蚤。田中は第2部にもペスト菌兵器の生産班を作っていた)、黒沢班(黒沢技師少佐、農作物の病原菌と害虫)。




●『人間の価値』
―1918年から1945年までのドイツ医学
Ch.ブロス/G.アリ編
林 功三訳

■国家の代理人
52.〔不妊手術がなされる全国各地の施設の紹介一覧表〕





昨年2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)


●自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作ってもいいのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!
日本の毒ガス

沖縄・南西諸島が軍事要塞化している現実はおかしくないか??
「琉球処分」から140 今の沖縄を考える

●「化学学校記事」情報公開裁判
次回 11月13日(水)11:30~ 東京地裁522号廷


●「衛生学校記事」とはどんなものだろうか?
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?

次回 第23回『衛生学校記事』情報公開裁判
9月26日(木)11:30~419法廷

金原節三氏が寄贈した資料が、衛生学校庁舎3階の彰古館に1982年に「金原節三コーナー」として展示された。
その2000点を超える資料はその後どうなったのであろうか?
防衛省の回答では、金原氏の目録と一致する資料は、今現在は641点だという。
しかし、それも一致するだけで、寄贈されたものではないという。
彰古館に勤めていた人(1996年から2013年)の聞き取りでは、彰古館では、きちんと整理していていなかったようである。
金原資料は、1995年に防衛庁戦史部に移管されたが、翌年また彰古館へ戻したという。
その時はすべてを戻したわけではなかったようだ。
2010年に、彰古館が学校庁舎3階から今の建屋になり、資料も移管されたが、金原資料の整理はきちんとされていないようだ。
金原資料の一部はあるようだが、その他の金原資料は、どこに保管しているのだろうか。
また、彰古館には旧軍資料しか置いていないともいう。本当に「衛生学校記事」や教範類は置いていないのだろうか?
次の裁判までに、勤めていた人の陳述書を防衛省側は出すという。

1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊


第4代衛生学校長
『衛生学校記事』を発刊したときの、衛生学校長金原節三とはどんな人物なのだろうか?
金原節三(1901~1976)
陸軍省医事課長時代(1941.11~43.8)に731部隊から報告を受けていた。「陸軍省業務日誌摘録」
厚生省東海北陸医務出張所から衛生学校へ 1955.8.1

金原節三と細菌戦
金原の略歴を見ると、昭和16年11月に陸軍省医務局医事課長になっていて、17年に8月に軍医大佐になっている。
細菌戦資料センターの会報には、次のような記載がある。「陸軍省医務局医事課長だった金原節三元軍医大佐が、1955年に陸上自衛隊に入隊した。細菌戦部隊を指導していたのは、陸軍参謀本部、陸軍省医務局衛生課そして陸軍省医務局医事課である。金原は、「金原業務日誌摘録」に細菌戦部隊からの報告を記録している。


金原節三と武見太郎
金原と戦後日本医師会会長になり、医師会、薬剤師会、歯科医師会に大きな影響を及ぼした武見太郎は、軍隊内の先輩・後輩関係にあった。『金原節三資料目録』(陸上自衛隊衛生学校)の巻頭言は、日本医師会長武見太郎が書いている。

『BC兵器』 久保綾三著(1969年)より

2、ベトナムにおける生物・化学兵器使用とその背景

枯葉作戦とその被害

南ベトナムでは致死性の化学薬品が使用されているが、国防総省は全くデータを公開していない。ハーバード大学の教授たちは66年はじめ、対穀物用の化学薬剤使用に抗議したが、この作戦の責任者の1人ダビソン中将は次のように回答してきた。
「24Dや245Tなどは通常は農業用の除草剤として使われているものである。人間や動物へ害があるかどうかという点は水や土地に集中的な使用をした時には、害が生ずるかもしれない」と。
けれども、これらの砒素系薬剤は有毒であることが立証されている。
「犬に対する致死量は1㎏の体重に対して1gである」(メルク社『化学薬品インデックス』-ゴールストン著〈ヤール大学動物学者))



第5代衛生学校長
井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身
1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】
第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を転任になり、その後を井上が引き継いだ。
井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。
又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。
南方軍防疫給水部(岡9420部隊)





イタイイタイ病を究明した男 萩野昇

驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く

水俣病問題

小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去

小泉親彦と宮川米次の絆

ヒロシマからフクシマへ

宮川正

「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—

ビキニ「死の灰」世界各地へ

自衛隊とサリン

相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場

日本の国家機密

兒嶋俊郎さんを偲ぶ



●昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!!
天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より
重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。





●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)

※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!


第10章 戦争の泥沼化と拡大

さらに海軍指導層は独英間の戦争の早期終結のみならず、ソ連が正式に枢軸側に加盟し、日・独・伊・ソ四強国による新たな体制を作る可能性を想定していた。この想定は、1940年夏の終わりごろまでは可能性がないわけではなく、スターリンが支配するソ連におけるイデオロギーの役割を精査した結果を反映していた。ドイツとの同盟は日本を外交的な孤立から救いだし、より強力な立場からアメリカの外交攻勢に対抗することを可能にすると海軍指導層は考えていた。結局、ドイツとの条約に同意することで、海軍指導層は長年、対抗関係にあった陸軍と大きく事を構えることを避けた。 海軍は、当時、陸軍の内政に対する支配を牽制しようと目論んでいた。こうして海軍が三国同盟支持にまわり、ヨーロッパではドイツが大勝利を収め、あとは昭和天皇をいかに説得するか、という問題だけが残されていた。この天皇の説得は側近の交代により実現された。

小泉親彦と昭和天皇

近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~

近代天皇制の真髄は

福沢諭吉

神武と戦争




憲法9条を生かそう!!












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