2024年4月4日木曜日

細菌戦から核戦略へ!!




















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破壊!殺し合いは無意味だ!!
戦争即停止!!
軍事演習反対!!なんで脅しをかける?


 広島・長崎・ビキニ・福島と4度被ばくした日本はいつまで、危険な原発をやるつもりなのだ!! 核兵器廃絶!!脱原発!!医学者も声を上げよ!! 日本は、毒ガスの処理にも手を焼いているというのに!いつ大地震が起きるかわかりゃしない!!


 3月20日に飯田市の飯田市平和祈念館に寄りました。下の写真のパネルは市教委が昨年9月に新たに作成したパネル。もう少し、詳しいパネルがほしい!!なんで日本は医学者が中心となって細菌兵器の開発に突き進んだのか?
                 飯田平和祈念館展示

検討委員会のある方のご意見 
・9月1日に新たに展示された731部隊のパネル(上の写真)は一歩前進ではあるが、下に展示されている医療器具や本との関連が説明されていません。どうしても731部隊の証言が必要です。 

               市教委が展示したパネル案




会場には、100名を超える人々が参加して、山田さんの講演を聞き、又意見交換もしました。
              三笠宮と731部隊員の記念写真
※三笠宮は回顧録の中で、「多数の中国人捕虜を貨車やトラックに積んで満州の広野に連行し毒ガスの生体実験をしている映画」を見たのを憶えている、としている。彼は次の様にも述べている。
「その実験に参加したある高級軍医は、かつて満州事変を調査するために国際連盟から派遣されたリットン卿の一行に、コレラ菌を付けた果物を出したが成功しなかった」、と語っていました。
(『死の工場』シェルダン・H・ハリス著 柏書房 p227)
※三笠宮は紀元節復活に反対(ウィキペディアより)
1950年代後半から「紀元節」(神武天皇即位紀元(皇紀)に基づき、三笠宮自身の父系祖先と伝承される初代天皇・神武天皇が即位したとされる西暦紀元前660年2月11日を「日本建国の日」とするもの)の復活への動きが具体的なものになってくると、考古学者及び歴史学者としての立場から「神武天皇の即位は神話であり史実ではない」として、「『神話』と『史実』は切り離して研究されるべき」と強く批判し、皇族の身分でありながらも積極的に「紀元節復活反対」の論陣を張った。編著『日本のあけぼの』は、このときに刊行されたものである。

                卒業式の日の丸

     

「はだしのゲン」巡り揺れる広島 教材から削除、販売は急増―原爆忌 

「香川の子どもと教科書ネット」通信  
第68回会議報告(2024年3月10日・日) 
【二】 「はだしのゲン」
【二】 「はだしのゲン」
【4巻】
(2P)
「昭和20年8月30日 連合軍司令官マッカーサ-元帥 厚木飛行場へ進駐」
「敗戦後の日本は、すべてこのマッカーサー元帥の命令によってうごかされた・・・天皇に変わって日本の新しい権威者として・・・」
「もうすぐアメリカが日本に上陸してくるそうじゃ」
「この広島にもか」
「ほうよ」
「なにしろ日本は無条件降伏で負けた国じゃけえ アメリカになにをされてももんくがいえんということじゃ」
(282P)

石子順 
「その日、ぼくらは勤労奉仕で、戦車壕をほっていた。大型爆弾が広島で爆発した事実を知った時は、被害の恐ろしさも状況も解らず、従って自分らの被害という実感が伝わらなかった。翌日のソ連の宣戦と、満州領内に侵入してきた事実のほうに、すぐに目が向いてしまった。」
「戦争による断末魔に苦しみながら、なお国民の犠牲のうえに居座って、戦争をつづけようと、指導者は、戦争にしがみついていたのだ。一日も早くポツダム宣言を受け入れていたなら、広島、長崎の被害は受けなかったはずだ。
「ゲンの行動は腕白である。腕白でないと時代の激動に対応できないのだ。」





3月10日未明の東京大空襲は日本橋地域にも大きな被害をもたらしました。
この写真は終戦直後にアメリカ軍が撮影した航空写真です。現在の日本橋小伝馬町あたりの上空から東に向けて撮影されているため、日本橋地域(旧日本橋区)を中心に墨田区(旧本所区)や江東区(旧深川区)方面のまちの被災状況がわかります。写真の中央を流れているのが隅田川で、右には新大橋があり、その手前は浜町公園のある場所です。ところどころに焼失をのがれた建物が見られるだけで、あたり一面は焼け野原となっていることがわかります。
 

東京大空襲

死者数が10万人以上の1945年(昭和20年)3月10日の夜間空襲。この3月10日の空襲だけで、
罹災者は100万人を超え、死者は9万5千人を超えたといわれる。
なお、当時の新聞報道では「東京大焼殺」と呼称されていた。

重慶爆撃

日中戦争の最中、中国の国民党政権の臨時首都となっていた重慶市にたいして、日本軍は、無差別爆撃をくり返し、多くの人々を殺傷しました。(中国人民政治協商会議四川省重慶市委員会文史資料研究会編『重慶抗戦紀事』によると、爆撃は1938年2月~43年8月にかけて218回、被害は死傷者2万6千人、焼失家屋1万7千戸。ほかに41年6月5日、
防空壕で数千人から1万人以上が窒息死したといわれる惨劇がある)


ニュース
原発反対!!


原発運転反対!!
デブリの処理もできない!!遺棄毒ガス弾の処理も遅れている!!
次期戦闘機開発反対!! 
公害の深刻さを認識してください!! 
 地震の多い日本には原発はいらない!! 
恐怖・弾圧選挙に意味はない!!
 原発事故が起きたら何処に逃げるの?脱原発!!核の時代を終わらせよう!! 
オスプレイ飛行再開反対!! 
武器輸出反対!! 
日米軍事同盟反対!!
日本は戦争の加害をきちんと伝えるべきだ!!
2024年2月20日初版発行:アテネ出版(3000円+税) 第533回 反核座り込み行動 核も戦争もない平和な21世紀に!!

この映画では、元731部隊員(レントゲン班)の宮川正(東大教授)は協力している。
汚染水放出反対!!(海の生態系の破壊!!)
     

戦後、日本は、GHQ(主にアメリカ)によって占領され、そのGHQは、その占領政策をスムーズに進めるため、開戦を裁可した昭和天皇を戦犯免責にし、軍の上層部で活躍した皇族も全て戦犯免責にした。  又、極悪非道な、細菌戦や毒ガス戦、無差別爆撃に関わった、731部隊、毒ガス部隊、登戸研究所員等も戦犯免責にした。そして、アメリカの行った非人道的な原爆投下、無差別爆撃等は東京裁判では、取り上げられなかった。そして、一部の731部隊関係者はアメリカの核戦略に全面的に協力し、被爆の被害の矮小化を図った。それが、ビキニ、福島、原発政策へと続いている。  又、唯一の最悪の地上戦を経験した沖縄も、昭和天皇によって、見捨てられ、戦後、アメリカの占領下となり、日本に復帰した現在も、米軍基地問題で大きく揺れている。  また、日本は、戦時中、百万人を超す朝鮮人を日本国内に強制的に連行し、苛酷な条件のもとに強制労働させ、戦後日本人ではないとして、戦後補償を受けられずに、非常に困難な生活を強いられた。 だが、軍事裁判では、日本軍兵士として、BC級戦犯となり、厳しく裁かれた。 靖国神社は、A級戦犯であった、東条、広田、板垣、松井等を合祀し、あの戦争を賛美し、反省をしていない。 日本は戦後、軍人や軍属、その遺族らに総額60兆円超の年金や恩給をいまも支払い続けている。戦犯の遺族にも支払っているということには驚く!!
 一方、天皇が、宣戦布告した戦争で、空襲で家や財産、親や子どもを奪われた人たちへの補償は全くなされていないし、日本と中国では、戦後毒ガスによる被害者が多数出ているが、大久野島で毒ガスの製造に関わった被害者だけは、優遇されているがその他の被害者にはわずかの補償か、全く補償がない。又、アジアの国々に対して日本は、戦争責任を認めて、率直に謝罪することが出来ていない。 平和博物館では、展示が日本の空襲や戦時中の暮らし向きだけが展示され、加害の展示は殆どないのが現状だ。過去の侵略の事実を無かったことにしようとする日本政府の姿勢に疑問を強く感じる。

731部隊罪証陳列館見学に並ぶ長蛇の列(中国・ハルビン)

「死んでも解決を」元BC級戦犯が今も背負う不条理  報道特集 群馬の森「朝鮮人追悼碑」撤去問題
群馬の森「朝鮮人追悼碑」撤去問題
長生炭鉱(山口県宇部市)「ヒロシマ通信」から 山口宇部・長生炭鉱の「水非常」は、事故で亡くなった183 名のうちの136 名が朝鮮人でした。2月3日におこなわれた現地での追悼の集いは、さまざまな問いかけを私たちに突きつけてきます。・・・終わり近く9分ごろのところに金平記者が長生炭鉱のピーヤの見える海岸でインタビューしているシーンも出てきます。たいへんに貴重な28分ほどの映像、まだ観ていない方、ぜひ視聴をオススメします!

 敵基地攻撃能力などいらない!!自衛隊を災害救助隊にすべし!! 

    
 日本の中国侵略、原発事故を問う!!

1月19日、「花地蔵物語」の完成披露演奏会が、東京の武蔵小金井の宮地楽器大ホールであった。会場は、満席で、大成功でした。 


珠洲原発があったら大惨事であった!!原発をなくそう!! 
未知の断層はまだまだあるのではないか?? 
同時に、原発事故が起きていたら?? 国策原発推進反対!! 


地球環境の破壊!! 
ウクライナ・ガザに停戦を!! 
戦争は、子々孫々に怨みを残す!! 
戦争反対!!紛争は外交努力で解決を!! 

 ビキニ被災から70年!! 
地球を破壊した戦争・核実験・原発 世界に拡がる放射能汚染!! 
核兵器禁止条約批准せよ!! 
脱原発!! 

あれだけの戦争をし、ヒロシマ・ナガサキ・ビキニ・フクシマで4度の被ばくの体験した日本から、核廃絶・反原発・反戦をアピールしよう!! 

グリーンピースから届いたメールの抜粋(2023年) 1月:南スーダン 歴史的洪水で九州より広い土地が浸水 1月、2月:チリ 10年続く「メガ干ばつ」により広がる火災 2月、3月:南東アフリカ サイクロンが1,000人の命を奪う 4月:インド・バングラデシュ・タイ 「アジア史上最悪」の熱波 5月:イタリア 1日半の間に降った6カ月相当の大雨 6月:日本 台風2号で49名が死傷 7月:カナダ 森林火災950万ヘクタールが焼失 8月:観測史上最高の海水温と1.5度を超える平均気温の上昇 8、9月:ハワイ、ギリシャ、スペイン 大規模森林火災 10月、11月:続く高気温、史上最も暑かった年となる見込み (以上) 地球環境を破壊してきた最大の原因:戦争、核実験、原発 世界は、放射能の影響を無視し続けている!! 1945年から約半世紀の間に2379回(その内大気圏内は502回)の核実験が各国で行われた。そのエネルギーはTNT換算で530メガトン(大気圏内は440メガトン)でこれは広島へ投下されたリトルボーイ(TNT換算で15 kt)の3万5千発以上に相当する。
ビキニ被災から70年!!核廃絶!!

 元乗組員の故大石さんらは「教訓を忘れず、核兵器や放射能の怖さ、平和の尊さを広く訴えたい」と一九九七年から署名活動を展開。講演先などで十円募金を行って約三百万円を集め、石碑を作った。ただ、当時築地市場は移転問題で揺れており、石碑は現在も「都立第五福竜丸展示館」(江東区)のそばに仮置きされたまま。同会は市場跡地の一角に設置を求めている。




ビキニ 隠された被害 

アメリカだけではない!!、全世界で起こっている!!
サイレントフォールアウト 乳歯が語る大陸汚染

   

      
パネル展



アンケートから 
12月16日(土)
9、地球温暖化であのマンモスが7000年前に死滅した地球の破壊と同じ様に人類の絶滅の時期と実証され「人新紀」と地層が命名されております。それは200年前の産業革命以後の化石燃料(石炭、石油)の放出によるものです。大洪水、干ばつ、山林火災が氷河の融解による地球の沈下です。
 その中で大きいのは戦争です。ミサイルの、軍用戦車の、1発の弾道が戦争に関係のない数万人の生活・人権を奪っています。
 今の戦争は、一国内の政権争いで、それを支援する国の名誉によるものです。これは5大国の拒否権により、国連も動けない現状です。
 私は戦争報道で「何人死亡、内約 何名に  これにより何万人の人が気候変動で命を」をする事です。
戦争している国民は、間違った事で反対すると思います。自分たちも土地を奪っても、いずれ地球破滅で死んで行き、単に気休めですね。国連にできることはこれだけです。
(60代以上、不明、チラシ)




    
●三多摩平和交流会の感想 
14、10/1(日)に参加させて頂きました。素晴らしい講演会、映画上映でした。大変な労力だったと思います。ありがとうございました。お疲れさまでした。
 ここ数年はコロナ禍もあり、ほとんど自分は動けていないので、せめてと本日9:30~黒井さんのお話から一日学ばせて頂きました。充実した一日でした。ありがとうございました。
 (チラシ、70代以上)


集会のアンケートから 

平頂山事件については、日本中国友好協会を通じて知りました。  
学校では、アジアの近現代史はなかなか教えられません。自分で興味を持って学んでいくしかない現状に歯がゆさを感じます。裁判の終了後も、こうしてこの歴史を人々に伝える活動をしてくださる人々に感謝します。  
 私の娘は今4歳です。方さんが事件に合われた年齢です。曲さんのお話に自分の娘の姿が重なりました。もう少したったら、娘も連れてこのような学習会に参加できたらと思います。  
 来日してくださった曲さんご夫妻に感謝します。いつかまた、どちらかの国で私の娘共々曲さんにお会いできたらと希望を持ちます。  
 会場への案内に立ってくださっていた実行委員会の方々に助けられました。 
ありがとうございました。 

(中国語) 
我是通过日中友好协会而知道了平顶山事件的。学校几乎不讲授亚洲的近现代史。要想了解这段历史,除了自己产生兴趣自发学习,别无他法。这样的现实让人十分无奈。我非常感谢你们在诉讼结束后仍继续以这样的方式让世人了解这段历史所做的努力。  
 我的女儿今年四岁,正好是方女士遭遇惨案时的年龄。曲先生的讲演使我在方女士的故事中看到了我女儿的影子。我希望今后能带我的女儿一起来参加类似的讲演会。  
 我也要感谢曲先生和夫人来到日本。希望有一天能和我的女儿一起在中国或日本再次见到他们。同时感谢会议组织委员会成员在会场外为与会者提供指路等帮助。 
谢谢大家。



一昨年(2022年)4月2日に開かれた日本医学会記念事業では、「過去の過ちに学ぶ」で、731部隊のことが取り上げられた。


731部隊で非人道的な人体実験があったことを述べている!!
(以下の動画、5分20秒過ぎ)

医療倫理・研究倫理の深化




●ビキニ被ばく船員訴訟意見陳述
(2023年9月12日東京地裁) 
令和3年(行ウ)第594号 
原告増本美保外11名 被告
全国健康保険協会 

 意見陳述書              
2023年(令和5年) 9月12日

 東京地方裁判所 民事第51部lA係御中                       
原告ら訴訟復代理人 弁護士 内藤雅義 

第3 本件の被ばくとその問題点

被告の主張は、保険部報告をもとに、外部被ばく、内部被ばくを合わせても、最大0.92mSvであり、 lmSvにも達しないと主張します。
これをめぐる争点について述べます。

2  本件被ばくにおける放射性物質の生成量と降下範囲
 被告はアメリカの一部の報告を根拠に大部分の放射性物質は、成層圏まで上昇して地球全体にばらまかれてゆっくり降下したとして、高い線量の放射性物質が降下したのは、ごく狭い範囲であり、第五福竜丸は特殊だと主張します。また、当時航空機で測定したりした線量ではごくわずかの線量であったと主張しています。










●ビキニ被ばく船員訴訟意見陳述(2023年9月12日東京地裁)


被爆地選出の首相が、なぜ放射能の恐ろしさを語らない?? 再生可能エネルギーの積極的活用を!!

 ●汚染水放出反対!!


福島原発周辺8町村 1514人が震災関連死 7割が3回以上移転 世界史上最悪(レベル7)の原発事故福島第1原発 原発推進、汚染水放出、アメリカと日本の関係?? 日本の医学界も、原発推進、汚染水放出等の問題に、なぜ沈黙する。
グリーンピースからのメールの一部より 

汚染水放出に反対、再生可能エネルギーへの早期転換を求めて 

8月22日、日本政府は、東京電力福島第一原発敷地内に貯留されている「ALPS処理汚染水」の海洋放出を気象や海象条件などに支障がなければ、9月24日にも開始することを発表しました。 グリーンピース・ジャパンは、 2023年8月17日、汚染水の海洋放出に反対する署名36,334筆を経済産業省に、原子力発電所に反対する署名18,642筆を内閣府に提出しました。  「放射能汚染水を海洋放出しないで」署名を経済産業省の担当者に提出しました。 日本政府および東京電力は、漁業関係者や住民、太平洋地域や近隣諸国の懸念を押し切って、放射性物質を含むALPS処理汚染水を海に放出する決断に踏み切りました。あらゆる問題を山積みにしたまま、数日のうちにも海洋放出が開始するかもしれないこの状況に、憤りを覚えていらっしゃる方も多いのではないでしょうか。 グリーンピースは8月17日、54,976筆の署名を、国際環境NGO FoE Japanなどが主催する政府・東電との討論会の場などで政府に提出しました。また8月18日には、市民団体「これ以上海を汚すな!市民会議」が、首相官邸前にて行った汚染水の海洋放出に反対する要請行動に参加しました。  

8月18日の「これ以上海を汚すな!市民会議」主催の抗議集会  

 放射性廃棄物の海洋放出は、福島第一原発の廃炉計画の失敗を明らかにしています。いったん海に流された放射性物質は決して回収できません。一方で、汚染水の発生を止める有効な手段はとられていないままです。放射性廃棄物を意図的に放出し、海を汚染するという選択は、日本の数十年にわたる原発政策が招いたものです。 

 署名提出、討論会でわかったこと 

 グリーンピースが政府に署名を提出した2023年8月17日、市民と政府および東京電力との討論会がありました(国際環境NGO FoE Japan主催)。経産省、原子力規制庁、東京電力から10名以上が出席し、市民側は放出に反対する福島県民、オンライン参加者も含め多くの参加がありました。 
 2015年、政府・東電は、「関係者の理解なしにいかなる処分も行わず、他核種除去設備で処理した水は発電所敷地内のタンクに貯留します」と文書で約束しています。討論会で「この約束は守られるのか」と問われた際には、はっきりと「守る」と回答していました。それにもかかわらず、海洋放出を推し進めようとする政府の不誠実な姿勢は、到底受け入れられるものではありません。 
 また、討論会では、グリーンピースはじめ、多くの研究者らが提案してきた陸上に保管する代替案について、ほとんど議論されていなかったことが改めて浮き彫りとなりました。東電は「モルタル固化処分案」については「ALPS小委員会においても検討が行われている」と回答しましたが、検討されたのは地下に埋設する別の方法についてであり、さらにそれも2行書いてあるだけで、会議資料にも議論の記録はありません。 処理費用と期間も大幅に膨れ上がっています。様々な処理方法が検討されていた2018年の時点で、海洋放出の費用は17〜34億円とされていましたが、現在の試算では1200億円となり、処理にかかる期間も52〜88ヶ月程度と書かれていましたが、現在は少なくとも30年以上と言われています。 

 海を汚染しない選択を求めます 

 福島第一原発の廃炉作業を進めるために「ALPS処理汚染水」の海洋放出は必要ありません。抜本的な解決策について、グリーンピースは元ゼネラル・エレクトリック社で東電福島第一原発などに勤務していた原子力コンサルタントの佐藤聡氏に委託し、2021年に具体的な提案を含むレポートを公表しています。 
 欧米で運用されているより高精度な多核種除去設備で限界まで放射性物質を取り除いた処理汚染水を、現行のタンクより堅牢な大型タンクに移し、さらに高度な除去技術を開発するのことが、現段階では最善の解決策であるとグリーンピースは考えます。 



2023年の「戦争の加害展」の感想 
◆9月2日(土)
150, 8月・9月だけでなく何時でもどこでも日本の加害の歴史を広めていく事が学校で、各地の公民館等で、小さくてもよいから 根強く運動をし、70代へ 60代へ 50代へと......。伝えていく事が大切と思います。731部隊の事を特に広く...
(80代以上・-・その他:こちらで・-)
記憶の継承を進める神奈川の会
横浜の「戦争の加害展」2023 長野県飯田市で起こっている731問題

飯田市の資料収集委員の方々が作られたパネル(展示されていない)
こんな大事なパネルが展示されていないとは!!





日本が中国に棄ててきた毒ガス問題
中国に戦後日本軍が遺棄した毒ガス被害に苦しむ人がいる(日本政府は補償していない)が、日本にも毒ガス工場で働いた人、毒ガス工場解体時に被害にあった人がいるが、大久野島の毒ガス工場で働いた人以外は補償が全くないか、十分でない(工場解体に関わった人々など)。
忘れられた毒ガス被害者(相模海軍工廠)
毒ガス工場46年目の証言(東京第二陸軍造兵廠 曽根製造所跡)
毒ガス工場解体(大久野島の毒ガス工場解体)

化学兵器禁止条約が発効(1997年4月29日)されて10年過ぎても20年過ぎても(原則10年以内に廃棄)、中国に遺棄した日本軍の毒ガスは廃棄できないでいる。(廃棄完了は2027年の予定)分解できない砒素はドイツの地下に貯蔵?

 なぜ、処理事業で、処分できない砒素がドイツへ行くの? その遺棄化学兵器の処理が化学兵器禁止条約が発効した1997年から26年経ってもまだ終了していない。本当に内閣府の計画通り、今までに発見されている遺棄化学兵器は、2027年までに処理が完了するのであろうか? 次回裁判期日 5月16日(木)11時~703号法廷 

    
     News & Information \本日の弁論のご報告/  

被告は①3月末に開示決定変更通知を提示し、開示できる部分については開示する、②不開示理由については4月末に500ページ、5月末までに更に500ページ提出し、半年以内に全不開示理由を提出する旨陳述しました。これを受け、裁判長は原告に対し申立の変更手続きをするよう伝えました(元となる開示決定が無効になるため)。  原告の私としては不開示であったことの違法性について判決があってほしいところですが、裁判の進め方として、開示できる部分については開示させていくことや、新たな開示内容やその理由について追求したほうがよいという弁護団の判断で、どういうものが出てくるのか様子を見ることになりました。 なかなか亀の歩みで地味な裁判ですが、少しずつ進展を見せています。皆さまの注目が頼りです。引き続き、ご関心をお寄せ頂けたら幸いです。 \ご支援よろしくお願いします/ 





リーフレット

プレ企画 映画「隠された爪痕」「払い下げられた朝鮮人」の感想 
9、貧困が差別を生み、差別が虐殺を招いていると感じた。負の遺産は、正しく継承しなければ、誤ちは繰り返されていくだろう。現東京都知事、自民党、公明党、維新の会などは、都合の悪い負の遺産をなかったことにして、教科書から削り、継承を拒んでいる。子どもたちは誤った歴史観を持ち、日本はますます誤った方向へ進んでいく。いじめも差別も根は同じ。きちんと向き合うことをしなければ改善はなく、繰り返されていく。
 しかし、都合が悪いことは聞こえないふりをして、なかったことにして済ませたがる人が世の中に多く、良い方向へは行かない。残念だ。習志野のことは全く知らなかった。機会を作って、隣の人にも伝えたいと思った。(60代、市外、チラシ)







「戦後50周年の終戦記念日にあたって」(いわゆる村山談話)
                             1995年8月15日
 
平和で豊かな日本となった今日、私たちはややもすればこの平和の尊さ、有難さを忘れがちになります。私たちは過去のあやまちを2度と繰り返すことのないよう、戦争の悲惨さを若い世代に語り伝えていかなければなりません。とくに近隣諸国の人々と手を携えて、アジア太平洋地域ひいては世界の平和を確かなものとしていくためには、なによりも、これらの諸国との間に深い理解と信頼にもとづいた関係を培っていくことが不可欠と考えます。政府は、この考えにもとづき、特に近現代における日本と近隣アジア諸国との関係にかかわる歴史研究を支援し、各国との交流の飛躍的な拡大をはかるために、この2つを柱とした平和友好交流事業を展開しております。また、現在取り組んでいる戦後処理問題についても、わが国とこれらの国々との信頼関係を一層強化するため、私は、ひき続き誠実に対応してまいります。

南京大虐殺 
 
南京大虐殺(マギーフィルム) パネー号撃沈
 
 重慶爆撃               
原爆投下や東京大空襲ばかり取り上げて、 日本のテレビや教科書が重慶爆撃を取り上げないのは問題だと思います。 (視聴者のコメント)
731部隊展

 原爆    
ニュース257号

1945年8月、日本に投下された二つの原爆。その年末までに、広島で14万人、長崎で7万人以上が亡くなったといわれます。なぜ広島と長崎に落とされたのか、街や人びとはどうなったのか。原爆のこと、知っていますか。

日航123便の怪(1985年8月12日)


     

●東京帝国大学伝染病研究所
   伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より ●東京帝国大学伝染病研究所『実験医学雑報』 ・東大伝研とは戦前、どんなことをやっていた機関なのか? ・1934年6月、宮川米次と阿部俊男は何をしに満洲国へ行ったのか? ・満洲衛生技術廠とは、一体何をやっていたところなのか?? ・東大伝研は731部隊と連携を図っていなかったのか?? ・伝研で毒ガスの講演?毒ガスへの対処法も考えることになるのか?? ・小島三郎の渡満では、満洲衛生技術廠や大連衛生研究所にもいったのだろうか? ・1933年頃から細菌兵器開発の一環として、「満洲」の背蔭河では人体実験が行なわれているが、そこでも赤痢菌の研究が行なわれていたのだろうか?35年の川崎市の爆発赤痢は、人為的に行なわれたものなのか?それとも自然流行なのか? ・1936年5月に浜松一中で大福餅事件、37年9月に大牟田で爆発赤痢事件が起きているが、これなども細菌兵器・研究の一環として軍医学校や伝研の関与による仕掛けられたものか、自然に発生したものか究明する必要がある。 ・1936年5月と37年9月の両事件に、小島三郎が出張しているが、果たして何をやったのであるか?? ・河本禎助も毒ガスの研究をしていた。 ・1938年6月1日の伝染病研究所で石井の厚意によって上映された映画には、731部隊の生体解剖でも映っていたのでであろうか? 精神的緊張裡とは、何のことだろうか? 実験医学雑報20巻 第7号(1936年) 本所職制改正 この度本所では職制を次の如くに改正し7月より実施することとなった。 *特別研究室とは何だ??



 雑報10号(22巻、1938年)

※中込亘は、731部隊で細菌に感染して死んだのだろうか?
三田村は、真実を隠すだろう。

尚所長に代わって述べられた三田村教授の追悼の辞は次の様であった。
故中込亘君を想う
                    三田村篤志郎
更に君は結核菌に対する核種のクレゾールの殺菌力を検し、最近では液体空気の細菌に及ぼす影響について研究の歩を進められておりました。第2の種類の業績は環境医学に関する衛生学的の研究で、本研究は上述の液体空気に関する研究と相まって寒地衛生学上資する処多く、率いてはわが国国防上にも寄与するに到るものであったろうと信じます。君の第三種の研究は河本、小島両博士と協同でなされたマラソン競走者の生理に関するもので運動医学に寄与する処少なくなかったのであります。



●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より) 吉田裕監修  
2001年ピュリッツァー賞受賞 
※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。

好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
 戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!   

第2部    
仁愛の政治 1922(大正11)年―1930(昭和5)年   
第6章 政治的君主の誕生 

 V 

 9月15日、外相幣原は奉天総領事から、関東軍が大規模な攻撃を始めようとしているとの極秘電を受け取った。その後数日にわたって報告が相次ぎ、幣原には関東軍の企みの大要が明らかになった。にもかかわらず、幣原は満州事変の当初数ヵ月間、被害者である日本は条約の尊厳を守るため、単に自衛権を発動しているにすぎないと主張して、西洋諸国に対する関東軍の中心的弁護者となった。南は、参謀本部第1部(作戦)長の陸軍少将建川美次に書簡を託し、新任の関東軍司令官本庄繁に私的にそれを届けるよう依頼した。 



●日本国憲法9条 第9条【戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認】 

①、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、 国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、 国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。 

②.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、 これを保持しない。
国の交戦権は、これを認めない。 

 RENUNCIATION OF WAR Article 9.
 Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order,  the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation and the threat or use of force as means of settling international disputes. 
In order to accomplish the aim of  the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained. 
The right of belligerency of the state will not be recognized.

IMAGINE9 
解説 

9条をつかって、 戦争のない世界をつくる。 

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武器を使わせない世界

いわば「タバコをくわえながら『みんなタバコをやめろ』と言つているようなもの」  (エルバラダイ国際原子力機関事務局長、ノーベル平和賞受賞者)です。自分たちの核はいいのだと大国が言い続けているかぎり、ほかの国々もそれに続こうとするでしょう。
 核兵器を全面禁止する事こそ必要です。世界のNGOは、「核兵器禁止条約」  をつくることを提案しており、国連で交渉を始めることを呼びかけています。
 生物・化学兵器は、国際条約ですでに全面禁止されています。もちろん禁止しても、隠れて開発する国や人びとが出てくる可能性はあります。そのときには国際機関が査察を行い、科学技術を用いて調査し、法に従って解決すべきです。



※次期戦闘機の輸出が閣議決定され、色々な武器を自民党は輸出しようとしているし、武器の輸入も拡大している!!



『鹿屋(かのや)航空基地  史料館』(鹿児島県鹿屋市)について 
 ~ご理解していただきたいことを文章にしました~ 
 2022年7月17日記鶴ヶ岡裕一(都内在住)  

私は若い頃、『きけ わだつみのこえ』をよく読んでいました。読んでいく中で波長の合う戦没学生を数名見つけて、現在も時々、読み返しています。とりわけ、佐々木八郎さんの残した手記や日記は私の魂にピタッと伝わってきました。その佐々木さんも、当該鹿屋航空基地から出撃しています。学徒出陣の22歳、沖縄海上で戦死。宮沢賢治の『烏の北斗七星』に関連して書いた自分のエッセイを(第一高校の)クラス会にて発表するほど、戦争(戦いで敵を殺すこと)に対して根本的な疑問を持っていた佐々木さんの、出撃直前と思われる機上での笑顔の写真もあります。それは、生来の朗らかさと親友たちへの別れの笑顔が重なったものと思われます。


黒井さんのメールより 
授業の生徒感想文の一部を紹介いたします。 
2024年2月16日、50分の授業を受け持ちました。 
★感想文 
3、人を殺めること求められた時代を生きることは、今の自分にはとてもではないが、考えられないと思った。今回、一番印象に残った言葉は黒井さんの言った「未来は自分たちで作るもの」という言葉です。何十年前の人たちが戦場でつらい思いをして銃の下をくぐりぬけてきたから今がある。それを忘れず、自分の考えで戦争のない日本、世界を作るべきだと思った。

黒井秋夫さんのメールより 
「戦争のない世界」 

私は「戦争のない世界」をめざしています。
戦争のない世界は戦争で作り出すことはできません。
戦争は強い方が勝ちます。
正義や道理が通った方が勝つわけではありません。
戦争に負けた方の集団や国家にも必ず掲げた正義や道理があります。負けてその時は服従しても掲げた正義や道理はその集団や国家に残ります。時が経てば一度は引き下げた正義や道理は息を吹き返すでしょう。
戦争は問題を解決できないと私が言うのはそのことです。


 祝 PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会
(元・PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会) 
立ち上げ6周年 

 ★2018年1月17日の立ち上げ宣言・全文 

父は戦争の事だけでなく他の事にも無口でした。 1948年生まれの私はそういう父を生来の父の姿と思ってきました。 しかしベトナム戦争で米兵の3割前後が悲惨な戦争体験で精神を崩し、元の社会に復帰できないという。 同じような日中戦争や太平洋戦争を体験した日本兵も、つまりは私の父たちも精神を侵されたとして不思議ではない。 本当は父は正常な精神に戻りたいと必死に戦後社会を生きていたのではないだろうか。 私は快活だったかも知れない出征前の父は知らない。復員した後の無口な父しか知らない。 私は「本当の父」を知らないままに父を亡くしたのではないだろうか。 2~3年前からそんな思いで父を振り返るようになりました。 だとしたら、父も私も不幸だった。本当の自分を見せることも心の内を語ることもできずに苦しんだかもしれない父。 そんな風には生前一度も思ったことの無い息子。 その無口の父に反発し続けた私。父を通じて私も又戦争の傷を心に負ったのかもしれない。 私たちの世代にも呼びかけたい。 父親たちを見直そう。父親たちの精神世界を想像してみよう。 語り合おうではないか。 若い人たち、我々の子供たち、孫たちにも戦争は兵士のみならずその家族をも。戦争が終わったその後も家族を通じて長い間影響を与え続けるのだと伝えたい。 この指にとまってほしい! 

2018年1月17日  黒井秋夫。






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