2024年4月11日木曜日

細菌戦から核戦略へ!!





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破壊!殺し合いは無意味だ!!領土問題も根気よく話し合いで解決しよう!!
戦争即停止!!
日本の軍拡反対!!自衛隊解消!!



 広島・長崎・ビキニ・福島と4度被ばくした日本はいつまで、危険な原発をやるつもりなのだ!! 核兵器廃絶!!脱原発!!医学者も声を上げよ!! 日本は、毒ガスの処理にも手を焼いているというのに!いつ大地震が起きるかわかりゃしない!!

 3月20日に飯田市の飯田市平和祈念館に寄りました。下の写真のパネルは市教委が昨年9月に新たに作成したパネル。もう少し、詳しいパネルがほしい!!なんで日本は医学者が中心となって細菌兵器の開発に突き進んだのか?
                 飯田平和祈念館展示

検討委員会のある方のご意見 
・9月1日に新たに展示された731部隊のパネル(上の写真)は一歩前進ではあるが、下に展示されている医療器具や本との関連が説明されていません。どうしても731部隊の証言が必要です。 

               市教委が展示したパネル案




会場には、100名を超える人々が参加して、山田さんの講演を聞き、又意見交換もしました。
              三笠宮と731部隊員の記念写真
※三笠宮は回顧録の中で、「多数の中国人捕虜を貨車やトラックに積んで満州の広野に連行し毒ガスの生体実験をしている映画」を見たのを憶えている、としている。彼は次の様にも述べている。
「その実験に参加したある高級軍医は、かつて満州事変を調査するために国際連盟から派遣されたリットン卿の一行に、コレラ菌を付けた果物を出したが成功しなかった」、と語っていました。
(『死の工場』シェルダン・H・ハリス著 柏書房 p227)
※三笠宮は紀元節復活に反対(ウィキペディアより)
1950年代後半から「紀元節」(神武天皇即位紀元(皇紀)に基づき、三笠宮自身の父系祖先と伝承される初代天皇・神武天皇が即位したとされる西暦紀元前660年2月11日を「日本建国の日」とするもの)の復活への動きが具体的なものになってくると、考古学者及び歴史学者としての立場から「神武天皇の即位は神話であり史実ではない」として、「『神話』と『史実』は切り離して研究されるべき」と強く批判し、皇族の身分でありながらも積極的に「紀元節復活反対」の論陣を張った。編著『日本のあけぼの』は、このときに刊行されたものである。


入学式の日の丸

     

「はだしのゲン」巡り揺れる広島 教材から削除、販売は急増―原爆忌 

「香川の子どもと教科書ネット」通信  
第68回会議報告(2024年3月10日・日) 
萩生田光一は、売ったパーテイー券の収入金の札束を、議員控え室の机の引き出しにバサーとつっこんで鍵をかけ、必要な時に、萩生田自身が開けて使っていたそうだ。
我々市民は、大根1本買うにも、細かく消費税を計算されて徴収されている。その感性の落差に、萩生田光一自身もさることながら、このような政治家を応援し、投票する国民一人一人に、この実態を、しっかりと伝えていかねばいけない。





空から降る炎
道路は火の川と化しており、家々も、その中にある畳も布団もすべて炎の中だった。人々の体にも火がついていた。「燃えている赤ちゃんをおんぶしたまま走っているお母さんもいた」(二瓶さん)
上空ではB29の搭乗員らも熱風と火炎の威力を感じていた。前出のボウマン氏が引用した搭乗員の証言によれば、眼下に見えるすべてが真っ赤に燃え盛っていた。炎で熱せられた空気で飛行中のB29の高度が押し上げられる現象も起きた。 
一方で日本軍は反撃に出ており、別の搭乗員の記録では曳光(えいこう)弾による対空射撃が縦横無尽に飛び交っていた。機体に砲弾が当たることもあったが、この搭乗員は気に留めず、焼夷弾の投下に集中した。
投下を終えると、この搭乗員の機体は海へ向かって飛び去った。東京から240キロ以上離れた太平洋上からもなお、空襲による炎の輝きが視認できたという。
この晩の空襲で、二瓶さんは親友を6人失った。前日の午後に一緒に遊び、次の日もまた会う約束をしていた仲間だった。


※カーチス・ルメイ・・・焦土作戦は東京・大阪・名古屋などの大都市を焼き払った後は、富山市・郡山市などの地方の中小都市も対象となった。これらの空襲は日本国民を震え上がらせ、日本側から「鬼畜ルメイ」「皆殺しのルメイ」と渾名された。

勲一等旭日大綬章の授与
1964年12月7日に日本に返還されたばかりの入間基地で、勲一等旭日大綬章を浦茂航空幕僚長から授与された。理由は日本の航空自衛隊育成に協力があったためである。12月4日の第1次佐藤内閣の閣議で決定された。叙勲は浦がルメイを航空自衛隊創立10周年式典に招待したことを発端とした防衛庁の調査・審査に基づく国際慣例による佐藤内閣の決定であることが明かされている。推薦は小泉純也防衛庁長官と椎名悦三郎外務大臣の連名で行われ、防衛庁から佐藤栄作首相・賞勲局へ叙勲が適当であるという説明があった。勲一等旭日章という種類の選定は大将という階級から慣例に基づいたものである。
授与への批判
ルメイが東京大空襲や原爆投下を行った部隊の指揮官だったことから授与に対して批判も大きく、現在でも「勲章は返還するべきである」と唱える者もいる。当時は日本社会党・原水爆禁止団体・被爆者などから国民感情として納得できないという声が上がった。




 

東京大空襲

死者数が10万人以上の1945年(昭和20年)3月10日の夜間空襲。この3月10日の空襲だけで、
罹災者は100万人を超え、死者は9万5千人を超えたといわれる。
なお、当時の新聞報道では「東京大焼殺」と呼称されていた。

重慶爆撃

日中戦争の最中、中国の国民党政権の臨時首都となっていた重慶市にたいして、日本軍は、無差別爆撃をくり返し、多くの人々を殺傷しました。(中国人民政治協商会議四川省重慶市委員会文史資料研究会編『重慶抗戦紀事』によると、爆撃は1938年2月~43年8月にかけて218回、被害は死傷者2万6千人、焼失家屋1万7千戸。ほかに41年6月5日、
防空壕で数千人から1万人以上が窒息死したといわれる惨劇がある)


ニュース
原発運転反対!!
デブリの処理もできない!!遺棄毒ガス弾の処理も遅れている!!
次期戦闘機開発反対!! 
公害の深刻さを認識してください!! 
 地震の多い日本には原発はいらない!! 
恐怖・弾圧選挙に意味はない!!
 原発事故が起きたら何処に逃げるの?脱原発!!核の時代を終わらせよう!! 
オスプレイ飛行再開反対!! 
武器輸出反対!! 
日米軍事同盟反対!!
日本は戦争の加害をきちんと伝えるべきだ!!
2024年2月20日初版発行:アテネ出版(3000円+税) 第533回 反核座り込み行動 核も戦争もない平和な21世紀に!!

この映画では、元731部隊員(レントゲン班)の宮川正(東大教授)は協力している。
汚染水放出反対!!(海の生態系の破壊!!)
     

 戦後、日本は、GHQ(主にアメリカ)によって占領され、そのGHQは、その占領政策をスムーズに進めるため、東京裁判が始まる前に、開戦を裁可した昭和天皇を戦犯免責にし、象徴天皇制と憲法9条を盛り込んだ憲法草案を提示し、それを日米でアレンジした。1946年6月、枢密院で可決された憲法改正案は、第90回臨時帝国議会に提出され、貴族院・衆議院両院で修正が行われた後、同年10月7日可決。この改正案を10月29日に枢密院が可決したことを受けて、日本国憲法は同年11月3日に公布された。日本軍の上層部で活躍した皇族も全て戦犯免責にした。又、極悪非道な、細菌戦や毒ガス戦、無差別爆撃に関わった、731部隊、毒ガス部隊、登戸研究所員等も戦犯免責にし、自国にその情報を持ち帰り秘匿した。そして、アメリカの行った非人道的な原爆投下、無差別爆撃等は東京裁判では、全く取り上げられなかった。その後、一部の731部隊関係者はアメリカの核戦略に全面的に協力し、被爆の被害の矮小化を図った。その流れが、ビキニ、福島、原発政策へと続き、依然として原子力村、安保村が日本の原発・軍事問題を牛耳っている。 又、唯一の最悪の地上戦を経験した沖縄も、昭和天皇によって、見捨てられ、戦後、アメリカの占領下となり、日本に復帰した現在も、米軍基地問題で大きく揺れている。 また、日本は、戦時中、百万人を超す朝鮮人を日本国内に強制的に連行し、苛酷な条件のもとに強制労働させ、戦後日本人ではないとして、戦後補償を受けられずに、非常に困難な生活を強いられた。 だが、軍事裁判では、日本軍兵士として、BC級戦犯となり、厳しく裁かれた。 靖国神社は、A級戦犯であった、東条、広田、板垣、松井等を合祀し、あの戦争を賛美し、反省をしていない。 日本は戦後、軍人や軍属、その遺族らに総額60兆円超の年金や恩給をいまも支払い続けている。戦犯の遺族にも支払っているが戦後、外国籍になった日本軍兵士には支払っていないということには驚く!!
 一方、天皇が、宣戦布告した戦争で、国は戦争被害者に損害を国民は同じように堪え忍ぶべきだという受忍論を押し付け、空襲で家や財産、親や子どもを奪われた人たちへの補償は全くしていないし、公的資金を投じた追悼施設さえない(東京大空襲)。日本と中国では、戦後毒ガスによる被害者が多数出ているが、大久野島で毒ガスの製造に関わった被害者だけは、優遇されているがその他の被害者にはわずかの補償か、全く補償がない。
 又、アジアの国々に対して日本は、戦争責任を認めて、率直に謝罪することが出来ていない。 平和博物館では、展示が日本の空襲や戦時中の暮らし向きだけが展示され、加害の展示は殆どないのが現状だ。過去の侵略の事実を無かったことにしようとする日本政府の姿勢に疑問を強く感じる。

731部隊罪証陳列館見学に並ぶ長蛇の列(中国・ハルビン)

「死んでも解決を」元BC級戦犯が今も背負う不条理  報道特集 群馬の森「朝鮮人追悼碑」撤去問題
群馬の森「朝鮮人追悼碑」撤去問題
長生炭鉱(山口県宇部市)「ヒロシマ通信」から 山口宇部・長生炭鉱の「水非常」は、事故で亡くなった183 名のうちの136 名が朝鮮人でした。2月3日におこなわれた現地での追悼の集いは、さまざまな問いかけを私たちに突きつけてきます。・・・終わり近く9分ごろのところに金平記者が長生炭鉱のピーヤの見える海岸でインタビューしているシーンも出てきます。たいへんに貴重な28分ほどの映像、まだ観ていない方、ぜひ視聴をオススメします!
 敵基地攻撃能力などいらない!!自衛隊を災害救助隊にすべし!! 

    
 日本の中国侵略、原発事故を問う!!
1月19日、「花地蔵物語」の完成披露演奏会が、東京の武蔵小金井の宮地楽器大ホールであった。会場は、満席で、大成功でした。 


珠洲原発があったら大惨事であった!!原発をなくそう!! 
未知の断層はまだまだあるのではないか?? 
同時に、原発事故が起きていたら?? 国策原発推進反対!! 


地球環境の破壊!! 
ウクライナ・ガザに停戦を!! 
戦争は、子々孫々に怨みを残す!! 
戦争反対!!紛争は外交努力で解決を!! 

 ビキニ被災から70年!! 
地球を破壊した戦争・核実験・原発 世界に拡がる放射能汚染!! 
核兵器禁止条約批准せよ!! 
脱原発!! 

あれだけの戦争をし、ヒロシマ・ナガサキ・ビキニ・フクシマで4度の被ばくの体験した日本から、核廃絶・反原発・反戦をアピールしよう!! 

グリーンピースから届いたメールの抜粋(2023年) 
1月:南スーダン 歴史的洪水で九州より広い土地が浸水 
2月:チリ 10年続く「メガ干ばつ」により広がる火災 
3月:南東アフリカ サイクロンが1,000人の命を奪う 
4月:インド・バングラデシュ・タイ 「アジア史上最悪」の熱波 
5月:イタリア 1日半の間に降った6カ月相当の大雨 
6月:日本 台風2号で49名が死傷 
7月:カナダ 森林火災950万ヘクタールが焼失 
8月:観測史上最高の海水温と1.5度を超える平均気温の上昇 
9月:ハワイ、ギリシャ、スペイン 大規模森林火災 
10月、11月:続く高気温、史上最も暑かった年となる見込み (以上) 
 地球環境を破壊してきた最大の原因:戦争、核実験、原発 世界は、放射能の影響を無視し続けている!! 
 
1945年から約半世紀の間に2379回(その内大気圏内は502回)の核実験が各国で行われた。そのエネルギーはTNT換算で530メガトン(大気圏内は440メガトン)でこれは広島へ投下されたリトルボーイ(TNT換算で15 kt)の3万5千発以上に相当する。
ビキニ被災から70年!!核廃絶!!

原爆マグロ
1954年、キャッスル作戦に巻き込まれた日本の漁船第五福竜丸が築地市場に入荷したマグロ約490tの別名。
当然これも被曝しているため食べることはできず、その他魚類500tと共に廃棄され一部は築地市場へ埋められた。そして都立第五福竜丸展示館の近くにこの悲劇を伝える石碑「マグロ塚」が建てられた。
また、第五福竜丸がマグロ漁船だったことから「マグロを食べたら被曝する」という根も葉もない噂が流れ人々の間では買い控えが続出し鮮魚店では「当店では原子マグロは一切扱っておりません」といった看板を立てなければならないほどの事態に陥った。

ビキニ 隠された被害 

アメリカだけではない!!、全世界で起こっている!!
サイレントフォールアウト 乳歯が語る大陸汚染


原子力村解体!!安保村解体!


アンケートから 
12月17日(日)
6、731部隊の事はウワサ程度しか知らず、ユーチューブなどでも詳しく知ることができなかったので、今回の展示会では私の知らないことを知れてよかったです。前々から戦争の事を知ることが好きな方で、広島や長崎の原爆資料館には、行ったことがあるのですが、それとはまた別の角度から戦争についての知識を持てて良かったと思いました。(20代以下、市内、ウェブ)


    
●三多摩平和交流会の感想 
1、貴重なお話をありがとうございました。戦争は嫌だという思いがより強くなりました。しかし同時に無力感も覚えます。上官から命令が下れば、自分もそれがどんなに非道な命令であったとしても抗うことはできないだろうと思います。大半の人はそうではないかと悲観的な考え方ですがそう思います。ですからそういう命令が下る状況になってしまったらおしまいだ。そうなる前に、一応の平和の中にいると言える今のうちに、歴史を学び、戦争の痛い、悲しい、苦しいことだと感情を動かして理解していきたいと思います。ありがとうございました。(チラシ、30代)


集会のアンケートから 

平頂山事件については、日本中国友好協会を通じて知りました。  
学校では、アジアの近現代史はなかなか教えられません。自分で興味を持って学んでいくしかない現状に歯がゆさを感じます。裁判の終了後も、こうしてこの歴史を人々に伝える活動をしてくださる人々に感謝します。  
 私の娘は今4歳です。方さんが事件に合われた年齢です。曲さんのお話に自分の娘の姿が重なりました。もう少したったら、娘も連れてこのような学習会に参加できたらと思います。  
 来日してくださった曲さんご夫妻に感謝します。いつかまた、どちらかの国で私の娘共々曲さんにお会いできたらと希望を持ちます。  
 会場への案内に立ってくださっていた実行委員会の方々に助けられました。 
ありがとうございました。 

(中国語) 
我是通过日中友好协会而知道了平顶山事件的。学校几乎不讲授亚洲的近现代史。要想了解这段历史,除了自己产生兴趣自发学习,别无他法。这样的现实让人十分无奈。我非常感谢你们在诉讼结束后仍继续以这样的方式让世人了解这段历史所做的努力。  
 我的女儿今年四岁,正好是方女士遭遇惨案时的年龄。曲先生的讲演使我在方女士的故事中看到了我女儿的影子。我希望今后能带我的女儿一起来参加类似的讲演会。  
 我也要感谢曲先生和夫人来到日本。希望有一天能和我的女儿一起在中国或日本再次见到他们。同时感谢会议组织委员会成员在会场外为与会者提供指路等帮助。 
谢谢大家。



一昨年(2022年)4月2日に開かれた日本医学会記念事業では、「過去の過ちに学ぶ」で、731部隊のことが取り上げられた。


731部隊で非人道的な人体実験があったことを述べている!!
(以下の動画、5分20秒過ぎ)

医療倫理・研究倫理の深化




●ビキニ被ばく船員訴訟意見陳述
(2023年9月12日東京地裁) 
令和3年(行ウ)第594号 
原告増本美保外11名 被告
全国健康保険協会 

 意見陳述書              
2023年(令和5年) 9月12日

 東京地方裁判所 民事第51部lA係御中                       
原告ら訴訟復代理人 弁護士 内藤雅義 

初めに
 本件の主たる争点は、原告ら船員の疾病、死亡が水爆被災による放射線によるものか、 
つまり放射線起因性です。
これを考えるうえで、 次の2点を念頭に入れる必要があります。
第1点は 「放射性物質による被ばく」であることです。
第2点は、「原告ら被ばく船員の切捨、放置」です。




●ビキニ被ばく船員訴訟意見陳述(2023年9月12日東京地裁)


被爆地選出の首相が、なぜ放射能の恐ろしさを語らない?? 再生可能エネルギーの積極的活用を!!

 ●汚染水放出反対!!
福島原発周辺8町村 1514人が震災関連死 7割が3回以上移転 世界史上最悪(レベル7)の原発事故福島第1原発 原発推進、汚染水放出、アメリカと日本の関係?? 日本の医学界も、原発推進、汚染水放出等の問題に、なぜ沈黙する。
グリーンピースからのメールの一部より 

汚染水放出に反対、再生可能エネルギーへの早期転換を求めて 

8月22日、日本政府は、東京電力福島第一原発敷地内に貯留されている「ALPS処理汚染水」の海洋放出を気象や海象条件などに支障がなければ、9月24日にも開始することを発表しました。 グリーンピース・ジャパンは、 2023年8月17日、汚染水の海洋放出に反対する署名36,334筆を経済産業省に、原子力発電所に反対する署名18,642筆を内閣府に提出しました。  「放射能汚染水を海洋放出しないで」署名を経済産業省の担当者に提出しました。 日本政府および東京電力は、漁業関係者や住民、太平洋地域や近隣諸国の懸念を押し切って、放射性物質を含むALPS処理汚染水を海に放出する決断に踏み切りました。あらゆる問題を山積みにしたまま、数日のうちにも海洋放出が開始するかもしれないこの状況に、憤りを覚えていらっしゃる方も多いのではないでしょうか。 グリーンピースは8月17日、54,976筆の署名を、国際環境NGO FoE Japanなどが主催する政府・東電との討論会の場などで政府に提出しました。また8月18日には、市民団体「これ以上海を汚すな!市民会議」が、首相官邸前にて行った汚染水の海洋放出に反対する要請行動に参加しました。  

8月18日の「これ以上海を汚すな!市民会議」主催の抗議集会  

 放射性廃棄物の海洋放出は、福島第一原発の廃炉計画の失敗を明らかにしています。いったん海に流された放射性物質は決して回収できません。一方で、汚染水の発生を止める有効な手段はとられていないままです。放射性廃棄物を意図的に放出し、海を汚染するという選択は、日本の数十年にわたる原発政策が招いたものです。 

 署名提出、討論会でわかったこと 

 グリーンピースが政府に署名を提出した2023年8月17日、市民と政府および東京電力との討論会がありました(国際環境NGO FoE Japan主催)。経産省、原子力規制庁、東京電力から10名以上が出席し、市民側は放出に反対する福島県民、オンライン参加者も含め多くの参加がありました。 
 2015年、政府・東電は、「関係者の理解なしにいかなる処分も行わず、他核種除去設備で処理した水は発電所敷地内のタンクに貯留します」と文書で約束しています。討論会で「この約束は守られるのか」と問われた際には、はっきりと「守る」と回答していました。それにもかかわらず、海洋放出を推し進めようとする政府の不誠実な姿勢は、到底受け入れられるものではありません。 
 また、討論会では、グリーンピースはじめ、多くの研究者らが提案してきた陸上に保管する代替案について、ほとんど議論されていなかったことが改めて浮き彫りとなりました。東電は「モルタル固化処分案」については「ALPS小委員会においても検討が行われている」と回答しましたが、検討されたのは地下に埋設する別の方法についてであり、さらにそれも2行書いてあるだけで、会議資料にも議論の記録はありません。 処理費用と期間も大幅に膨れ上がっています。様々な処理方法が検討されていた2018年の時点で、海洋放出の費用は17〜34億円とされていましたが、現在の試算では1200億円となり、処理にかかる期間も52〜88ヶ月程度と書かれていましたが、現在は少なくとも30年以上と言われています。 

 海を汚染しない選択を求めます 

 福島第一原発の廃炉作業を進めるために「ALPS処理汚染水」の海洋放出は必要ありません。抜本的な解決策について、グリーンピースは元ゼネラル・エレクトリック社で東電福島第一原発などに勤務していた原子力コンサルタントの佐藤聡氏に委託し、2021年に具体的な提案を含むレポートを公表しています。 
 欧米で運用されているより高精度な多核種除去設備で限界まで放射性物質を取り除いた処理汚染水を、現行のタンクより堅牢な大型タンクに移し、さらに高度な除去技術を開発するのことが、現段階では最善の解決策であるとグリーンピースは考えます。 



2023年の「戦争の加害展」の感想 
◆9月2日(土)
157、こうして事実に即した展示を、一年に一回振り返させて頂いていることはありがたいです。
 誰もが被害者にも、加害者にも成り得るのだと思います。
 (50代、市内、ウェブ、-) 
記憶の継承を進める神奈川の会
横浜の「戦争の加害展」2023 長野県飯田市で起こっている731問題



飯田市の資料収集委員の方々が作られたパネル(展示されていない)
こんな大事なパネルが展示されていないとは!!

日本が中国に棄ててきた毒ガス問題
中国に戦後日本軍が遺棄した毒ガス被害に苦しむ人がいる(日本政府は補償していない)が、日本にも毒ガス工場で働いた人、毒ガス工場解体時に被害にあった人がいるが、大久野島の毒ガス工場で働いた人以外は補償が全くないか、十分でない(工場解体に関わった人々など)。
忘れられた毒ガス被害者(相模海軍工廠)
毒ガス工場46年目の証言(東京第二陸軍造兵廠 曽根製造所跡)
毒ガス工場解体(大久野島の毒ガス工場解体)

化学兵器禁止条約が発効(1997年4月29日)されて10年過ぎても20年過ぎても(原則10年以内に廃棄)、中国に遺棄した日本軍の毒ガスは廃棄できないでいる。(廃棄完了は2027年の予定)分解できない砒素はドイツの地下に貯蔵?
 なぜ、処理事業で、処分できない砒素がドイツへ行くの? その遺棄化学兵器の処理が化学兵器禁止条約が発効した1997年から26年経ってもまだ終了していない。本当に内閣府の計画通り、今までに発見されている遺棄化学兵器は、2027年までに処理が完了するのであろうか? 次回裁判期日 5月16日(木)11時~703号法廷 

    
     News & Information \本日の弁論のご報告/  

被告は①3月末に開示決定変更通知を提示し、開示できる部分については開示する、②不開示理由については4月末に500ページ、5月末までに更に500ページ提出し、半年以内に全不開示理由を提出する旨陳述しました。これを受け、裁判長は原告に対し申立の変更手続きをするよう伝えました(元となる開示決定が無効になるため)。  原告の私としては不開示であったことの違法性について判決があってほしいところですが、裁判の進め方として、開示できる部分については開示させていくことや、新たな開示内容やその理由について追求したほうがよいという弁護団の判断で、どういうものが出てくるのか様子を見ることになりました。 なかなか亀の歩みで地味な裁判ですが、少しずつ進展を見せています。皆さまの注目が頼りです。引き続き、ご関心をお寄せ頂けたら幸いです。 \ご支援よろしくお願いします/ 





リーフレット


プレ企画 映画「隠された爪痕」「払い下げられた朝鮮人」の感想 
5、関東大震災の時に朝鮮人が殺されたという話は知っていたが、これほど映像で詳細に観る機会はなかったので、改めて事実に驚き、今に続く朝鮮(韓国)の方々への偏見、差別の根深さに心が痛んだ。 
 やはり、事実を知り、過去に学び 現在、未来に生かすことが大事だと思った。このような機会を与えてくださった会の皆様にお礼を申し上げます。
 監督のお話は、映画では描ききれなかった想いを少しでも知る機会となりました。新しい映画を制作されているとのこと。出来上がるのを楽しみ(こんな言葉はダメですね)にしています。ありがとうございました。(70代、不明、チラシ)





「戦後50周年の終戦記念日にあたって」(いわゆる村山談話)
                             1995年8月15日
 敗戦の日から50周年を迎えた今日、わが国は、深い反省に立ち、独善的なナショナリズムを排し、責任ある国際社会の一員として国際協調を促進し、それを通じて、平和の理念と民主主義とを押し広めていかなければなりません。同時に、わが国は、唯一の被爆国としての体験を踏まえて、核兵器の究極の廃絶を目指し、核不拡散体制の強化など、国際的な軍縮を積極的に推進していくことが肝要であります。これこそ、過去に対するつぐないとなり、犠牲となられた方々の御霊を鎮めるゆえんとなると、私は信じております。
 「杖るは信に如くは莫し」と申します。この記念すべき時に当たり、信義を施政の根幹とすることを内外に表明し、私の誓いの言葉といたします。

南京大虐殺 
 
南京大虐殺(マギーフィルム) パネー号撃沈


 重慶爆撃               
原爆投下や東京大空襲ばかり取り上げて、 日本のテレビや教科書が重慶爆撃を取り上げないのは問題だと思います。 (視聴者のコメント)
731部隊展



 原爆    
ニュース257号
1946年にピューリッツァー賞を受賞したこの本により、アメリカが隠蔽しようとした事実が慎重に、そして確実に、世に公表されました。
※本記事は「Esquire」UK版のコンテンツディレクター、ウィル・ハーシーが寄稿した記事を抄訳したものです。
史上最も偉大なジャーナリズム、
『ヒロシマ』に記された衝撃とは?
生存者の6人とは?
佐々木とし子さん…人事課の事務員として働いていた当時20歳前後の女性。爆心から1.6キロ
         の場所にいて、
脚にひどい重傷を負った。
谷本 清さん…広島市内のメソジスト教会の牧師。被爆後に放射線障害をわずらいます。
中村初代さん…仕立屋であった夫はシンガポールで戦死し、10歳を筆頭に幼い子どもたちと
       共に暮らす。
ウィルヘルム・クラインゾルゲさん…カトリック・イエズス会のドイツ人神父。外国人とし
       て日本に滞在する
ストレスを抱えながら、放射線障害と闘った。
藤井正和さん…医師。
佐々木耀文さん…医師。※佐々木とし子さんとの血縁関係はありません。


日航123便の怪(1985年8月12日)


     

●東京帝国大学伝染病研究所
   伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より
 ●東京帝国大学伝染病研究所『実験医学雑報』
・東大伝研とは戦前、どんなことをやっていた機関なのか?
・1934年6月、宮川米次と阿部俊男は何をしに満洲国へ行ったのか?
・満洲衛生技術廠とは、一体何をやっていたところなのか??
・東大伝研は731部隊と連携を図っていなかったのか??
・伝研で毒ガスの講演?毒ガスへの対処法も考えることになるのか??
・小島三郎の渡満では、満洲衛生技術廠や大連衛生研究所にもいったのだろうか?
・1933年頃から細菌兵器開発の一環として、「満洲」の背蔭河では人体実験が行なわれているが、そこでも赤痢菌の研究が行なわれていたのだろうか?35年の川崎市の爆発赤痢は、人為的に行なわれたものなのか?それとも自然流行なのか?
・1936年5月に浜松一中で大福餅事件、37年9月に大牟田で爆発赤痢事件が起きているが、これなども細菌兵器・研究の一環として軍医学校や伝研の関与による仕掛けられたものか、自然に発生したものか究明する必要がある。
・1936年5月と37年9月の両事件に、小島三郎が出張しているが、果たして何をやったのであるか??
・河本禎助も毒ガスの研究をしていた。
・1938年6月1日の伝染病研究所で石井の厚意によって上映された映画には、731部隊の生体解剖でも映っていたのでであろうか? 精神的緊張裡とは、何のことだろうか?
 ・実験医学雑報20巻 第7号(1936年) 本所職制改正 この度本所では職制を次の如くに改正し7月より実施することとなった。 *特別研究室とは何だ??
・中込亘は、731部隊で細菌に感染して死んだのだろうか?


雑報11号(22巻、1938年)

人事異動報告 昭和13年11月2日現在
発令月日    辞令              官職     氏名
10.8    依願解嘱                     香川修事
10.21    依願免本官             技手      松井守一
10.27    任台湾総督府中央研究所技師
      叙高等官4等                     中島壽
〃     中華民国へ主張を命ず        教授     高木逸麿
10.31    依願解嘱                      江島真平
〃     依願解嘱                     安川隆
〃     任伝染病研究所技手                宗像昇  
                               羽田正一
                               市川行正
                               田中継雄
                                  津本淳三
                                金子譲 
                                阿部康男
〃     伝染病研究所業務委託を解く             以上7名
〃     伝染病研究所業務を嘱託す              続木正大
                                川崎治
                                八田善保
〃     依願解嘱                      降旗武臣 




●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より) 吉田裕監修  
2001年ピュリッツァー賞受賞 
※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。

好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
 戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!   

第3部   陛下の戦争
1931(昭和6)年―1945 (昭和20)年  
 
第7章 満州事変
若槻首相は元老西園寺の秘書原田熊雄に助言を求めていた。

外務省の報告も陸軍省の報告も、自分の手許に来ない・・・しかし川崎書記官長を以ていま注意させておいた・・・・また満蒙における支那の現兵力は20万以上もあるのに、日本軍は1万余りであるから、「現在の兵力であまりに傍若無人に振舞って、もし万一のことが起ったらどうするか」といふことを陸軍大臣にきくと、「朝鮮から兵を出す」或は「既に出したらしい」との答なので、「政府の命令なしに、朝鮮から兵を出すとはけしからんぢやないか」となじったところが、「田中内閣(1927-29)の時に、御裁可なしに出兵した事実がある」とのことで、これは後に問題を残さないと思ったらしい。・・・・かういふ情勢であってみると、自分の力では軍部を抑へることはできない。
荀くも陛下の軍隊が御裁可なしに出動するといふのは言語道断な話であるが、この場合一体どうすればいゝのか、こんなことを、貴下に話す筋でないかもしらんけれども、なんとかならないか、・・・・実に困ったものだ。



●日本国憲法9条 第9条【戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認】 

①、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、 国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、 国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。 

②.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、 これを保持しない。
国の交戦権は、これを認めない。 

 RENUNCIATION OF WAR Article 9.
 Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order,  the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation and the threat or use of force as means of settling international disputes. 
In order to accomplish the aim of  the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained. 
The right of belligerency of the state will not be recognized.

IMAGINE9 
解説 

9条をつかって、 戦争のない世界をつくる。 

06 
女性たちが平和をつくる世界

 戦争でいちばん苦しむのは、いつも女たちです。戦争で女たちは、強姦され、殺され、難民となってきました。それだけでなく女たちは、男たちが戦場に行くことを支えることを強いられ、さらに男たちがいなくなった後の家族の生活も支えなければなりません。戦場では軍隊の「慰安婦」として、女たちは強制的に男たちの相手をさせられてきました。これは「性の奴隷制」であると世界の人びとは気づき、このような制度を告発しています。



※次期戦闘機の輸出が閣議決定され、色々な武器を自民党は輸出しようとしているし、武器の輸入も拡大している!!



鹿屋(かのや)航空基地  史料館』(鹿児島県鹿屋市)について 
 ~ご理解していただきたいことを文章にしました~ 
 2022年7月17日記鶴ヶ岡裕一(都内在住)  

私は若い頃、『きけ わだつみのこえ』をよく読んでいました。読んでいく中で波長の合う戦没学生を数名見つけて、現在も時々、読み返しています。とりわけ、佐々木八郎さんの残した手記や日記は私の魂にピタッと伝わってきました。その佐々木さんも、当該鹿屋航空基地から出撃しています。学徒出陣の22歳、沖縄海上で戦死。宮沢賢治の『烏の北斗七星』に関連して書いた自分のエッセイを(第一高校の)クラス会にて発表するほど、戦争(戦いで敵を殺すこと)に対して根本的な疑問を持っていた佐々木さんの、出撃直前と思われる機上での笑顔の写真もあります。それは、生来の朗らかさと親友たちへの別れの笑顔が重なったものと思われます。



黒井さんのメールより 
授業の生徒感想文の一部を紹介いたします。 
2024年2月16日、50分の授業を受け持ちました。 
★感想文 
10、PTSDはその人だけでなく子供にまで害があると聞いて驚いた。また黒井さんが自分の人生は自分の力で切り開いて欲しいという言葉におっしゃる通りだと思った。日本人は責任が強く同調圧力や断われない性格だったりして人と合わせたり、任せたりしがちになってしまう。それを少しの勇気を持って自分の言葉や意見を出して生活すれば平和な世界が作られると思った。


黒井秋夫さんのメールより 
「戦争のない世界」 
「戦争のない世界」をめざす行動の道筋に戦争は必要ありません。暴力は不必要です。
「戦争のない世界」をめざす行動は初めから最後まで戦争や暴力と無縁でなければなりません。戦争や暴力を肯定したり、つまり、戦争をするどちらかに肩入れがあってはなりません。
「戦争のない世界」をめざす人たちが、白旗を掲げる人たちが世界の多数になる時、「戦争のない世界」が実現します。
いや、想像するに世界の10%の家々に白旗が掲げられたら世界は劇的に変わるでしょう。
それは遠い夢物語でしょうか。
ありえない事でしょうか。
戦争や暴力に優れた者たちの正義や道理がこの先100年も続いたら人類は核戦争を回避し生き残れるでしょうか。




 祝 PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会
(元・PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会) 
立ち上げ6周年 

 ★2018年1月17日の立ち上げ宣言・全文 

父は戦争の事だけでなく他の事にも無口でした。 1948年生まれの私はそういう父を生来の父の姿と思ってきました。 しかしベトナム戦争で米兵の3割前後が悲惨な戦争体験で精神を崩し、元の社会に復帰できないという。 同じような日中戦争や太平洋戦争を体験した日本兵も、つまりは私の父たちも精神を侵されたとして不思議ではない。 本当は父は正常な精神に戻りたいと必死に戦後社会を生きていたのではないだろうか。 私は快活だったかも知れない出征前の父は知らない。復員した後の無口な父しか知らない。 私は「本当の父」を知らないままに父を亡くしたのではないだろうか。 2~3年前からそんな思いで父を振り返るようになりました。 だとしたら、父も私も不幸だった。本当の自分を見せることも心の内を語ることもできずに苦しんだかもしれない父。 そんな風には生前一度も思ったことの無い息子。 その無口の父に反発し続けた私。父を通じて私も又戦争の傷を心に負ったのかもしれない。 私たちの世代にも呼びかけたい。 父親たちを見直そう。父親たちの精神世界を想像してみよう。 語り合おうではないか。 若い人たち、我々の子供たち、孫たちにも戦争は兵士のみならずその家族をも。戦争が終わったその後も家族を通じて長い間影響を与え続けるのだと伝えたい。 この指にとまってほしい! 

2018年1月17日  黒井秋夫。










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