2019年9月23日月曜日

細菌戦の系譜!!


脱原発!!
もっと知りたい、見つけたい(peace8)八王子
佐々木寛講演会
前川喜平講演会
東京発!“核関連施設立地地域と東京を繋ぐ”核燃料サイクル計画映画制作プロジェクト
「日本の毒ガス戦と遺棄毒ガス」展
「医学者たちの戦争犯罪ー731部隊・100部隊」展
「731部隊犠牲者遺族の声を聞け!①のご案内
青汁王子が訴える森友問題!!
沖縄と枯葉剤
『化学学校記事』『衛生学校記事』情報公開裁判のお知らせ
日本はこういう国だった  戦後に生まれたあなたに
2019 平和をねがう中央区民の戦争展2
天皇制廃止に向けての第一歩:雲上人を人間化する運動を!
京都大学に対する第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求める活動
北支那防疫給水部留守名簿
旧陸軍毒ガス詳報、確認 中国北部で使用部隊が記録
平沢正欣論文を検証する(人体実験は行われたか?)
武蔵村山の国立感染症研究所問題!!



核兵器、生物兵器、化学兵器廃絶!! 戦力不保持!!
●ニュース
「日本死ね!」ブログが予言した日本 あれから3年……自己責任論の果て、引火寸前「ささくれ立った気分」

自分の役所の文書を「迷惑」と非難した萩生田文科相の加計学園問題とは

恵那市で豚コレラ 飼育豚8000頭殺処分へ

天皇制反対!!
ハンガリー訪問の佳子さま 修道院や国立牧場を視察(19/09/22)


子どもを「薬漬け」にする児童養護施設の現実

犯罪被害にあった上、苦しい生活 なぜ経済的支援は届かないのか

空母も戦闘機もいらない!!
海自護衛艦「いずも」わずか31億円で「空母化」のワケ F-35B戦闘機の発着艦が可能に

大嘗祭反対!!
陛下入室、伝統の経路復活=10月の即位礼、細目を決定-190カ国以上から賓客

汚染水処理、深刻な問題だ!!
福島原発処理水、松井市長の「大阪湾放出」構想は不可能…すでに福島では地下水放出

汚染処理水発言撤回せよ 松井大阪市長に府漁連が抗議文

世界的危機でも能天気、腐敗した「官僚制度」の先にある日本の末路


なぜこんな旗を許すのだ??
「旭日旗」(きょくじつき)持ち込み 組織委見解支持 小池知事

韓国 IOCに東京五輪での“旭日旗”禁止要請

韓国環境相「到底信じ難い」福島原発処理水の海洋放出に発言

豚コレラ拡大で対策会議 農相「ステージ変わった」


毒性や発がん性などを調べる安全性の審査は必要ない??
「ゲノム編集」食品 流通ルール来月運用開始へ


愛媛県、「黒塗り」忘れ文書開示 契約金額など30カ所以上 「加計学園」設置書類


苦しみ60年、けじめつかぬ 札幌の男性「裁判続ける」 強制不妊救済法成立

かけ問題をきちんと説明してください!!
安倍首相、無届けで加計学園「名誉客員教授」兼職の萩生田氏を「文科大臣」に起用


医学部不正入試問題 消費者機構日本が順天堂大提訴へ、受験料返還


旧日本陸軍資料、相次ぐ出版 毒ガス戦や731部隊、活用期待


旧民族衛生学会「優生条項」成立の責任認める 強制不妊の根拠に



無駄遣い!!
防衛省 宇宙監視強化へ 来年度予算の概算要求 過去最大に

昭和天皇の戦争責任を問う!!
昭和天皇、戦争を悔い退位に言及 改憲再軍備も主張、長官の拝謁記

昭和天皇、戦争の「反省」表明望んだ 詳細記録見つかる





昭和天皇の戦争帰任をもっと追及しよう!!
戦前の天皇がいかに大きな存在であったかが分かる。
NHKスペシャル「 昭和天皇は何を語ったのか」拝謁記


昭和天皇 拝謁記 歴代首相の人物評繰り返す

二・二六事件 海軍極秘文書 昭和天皇 事件拡大 懸念する発言

細菌戦・毒ガス戦を裁可したもの昭和天皇でしょ!!
昭和天皇 拝謁記「国民が退位希望するなら躊躇せぬ」






●日本政府・自衛隊は情報を公開せよ!!(情報開示!!)
特別秘密保護法撤廃!!

憲法9条はどこ行った!!
防衛省がフリーランスを排除

全日空機雫石衝突事故
岩手県岩手郡雫石町上空を飛行中の全日本空輸の旅客機に航空自衛隊の戦闘機が飛行中に追突され、双方とも墜落した。自衛隊機の乗員は脱出に成功したが、機体に損傷を受けた旅客機は空中分解し、乗客155名と乗員7名の計162名全員が死亡した。1985年(昭和60年)8月12日に日本航空123便墜落事故が発生するまで、日本国内の航空事故としては最大の犠牲者数を出した事故であった。

アシタノワダイ削除「日航123便 墜落事件」



日航機墜落事故から34年 御巣鷹で慰霊登山始まる

「『ノモンハン』血ノ教訓」 大阪・難波宮跡から旧陸軍機密文書見つかる



核兵器廃絶
長崎平和宣言(全文)


安倍首相 核兵器禁止条約参加に否定的姿勢 核廃絶へ対話促す

旧優生保護法のもとで不妊手術 一時金申請の2人に支給認めず

2019  所沢市 平和祈念資料展




新宿戸山の人骨もきちんとDNA鑑定せよ!!
抑留者遺骨「全て日本人でない」


旧陸軍毒ガス詳報、確認 中国北部で使用部隊が記録

遺伝子「優性・劣性」“高校教科書では別表現を”日本学術会議



エボラ出血熱など輸入で国と東京・武蔵村山市が合意 国立感染症研究所に

エボラ出血熱のウィルスなど危険の高いものをなぜ輸入する?
日本は全く細菌戦の反省をしていない!!
感染症対策のウイルス保管を説明

エボラ病原体”輸入”国に安全対策求める


自衛隊の不祥事!!
日航機123便墜落の真相 〜JALボーインング747に訪れた悲劇の全貌〜



このままでは終わらせない…“森友事件”のいま【ザ・ドキュメンタリー】



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●なぜ、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
「わざわざ自分らのことを『げんしりょくむら』とは?

「あつまれ!げんしりょくむら」に批判相次ぐ サイト閉鎖

731部隊の病理解剖の顧問をした清野謙治も、窃盗事件で京大を追われた後、戦後は東京医大教授になった。731部隊で細菌を製造していた柄沢も東京医大だ!!
日本の底にツルハシでも崩れない差別がある 東京医科大の不正入試提訴 会見詳報


竹田恒和JOC会長、IOC委員を辞任


竹田会長の記者会見は本当に「潔白主張」なのか
海外メディア「かえって疑惑深まった」 JOC竹田会長の会見



森友・加計問題 疑惑の核心/下 政治家、官邸官僚… 「安倍側用人」を覆う「黒い霧」

「水俣病は終わらない」公式確認から60年―私たちに託されたメッセージ

松本元死刑囚らの死刑執行文書、ほぼ全て黒塗りで開示

“旧優生保護法”強制的な不妊手術 事業として推進(18/04/27)


真実を隠すために死刑にしたのでは??
オウム13人死刑で「上川陽子法相」一生SPつきの生活


京大の「731部隊」論文疑惑(上) 勝間田秀樹(京都支局)

731部隊将校の学位取り消しを 人体実験疑い論文で京大に





●昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!!
京都大学に対する第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求める活動
人骨発見から30年

1937年7月7日→日中全面戦争

7.7集会(2019)「戦争を始めた日」国会前集会





何で微罪で長期勾留する??
微罪で長期勾留?おかしくないか?日本は人権意識が欠如している!!
以前までは香港の日本領事館が南京大虐殺の抗議を受け取っていたが、去年は受け取らないので、日本まで抗議に来たという。
香港人「靖国神社」建造物侵入事件"長期勾留"の謎?

靖国神社でぼや、横断幕も=中国籍の男を逮捕




徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!
日本の医学界はなぜ謝罪しない???
又、ヒロシマ・ナガサキ・ビキニ・フクシマと4度被曝した日本は、世界に先駆けて核兵器廃絶・脱原発と叫ぶべきではないか!!
なぜ、日本医学界は、先頭に立って「脱原発!!」と叫ばないのか!!
戦後、731部隊員はアメリカの核戦略に協力した!!

「731部隊・100部隊・毒ガス戦」パネル展 2019年4月29日~5月3日
「日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか 」 田中利幸さん
日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか


●水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した!!

ビキニ「死の灰」世界各地へ


日本は、あの侵略戦争を反省して、憲法9条を作った!!

平和条約締結は「日本が大戦の結果認めること」 露外相

●憲法第9条(自衛隊は違憲ではないか!!)
自衛隊は、防護のためと言って毒ガスを製造している!!(日中戦争時のも日本軍は本格的な毒ガス戦を中国で行った!!)
日本の毒ガス
1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

日本の政治の常道【historyとは、彼(his)(権力者)の物語(story)】

・まずい事は隠す!!(=あったことを無かったことにする、=データ改ざんは当たり前)
・責任を下に押し付ける!!(=権力者は、責任を取らない)
これでは客観性がないではないのか??官邸主導
統計不正 統一水準でチェックし品質向上を 菅官房長官
水爆実験で被爆したのは第五福竜丸だけではない!!延べ992隻が被爆!!
なぜ、「731」と書かれた戦闘機に乗れるのだ???

2013年5月12日 安倍 731と書かれた戦闘機に乗る!!宮城県松島市にある航空自衛隊の基地で撮影

オリンピックにお金をかけるのではなく、いじめ対策・貧困対策・戦争被害者対策にお金をかけるべきだ!!






●横浜「戦争の加害展」感想


2月15日

15.日本軍「慰安婦」:被害者の方々の体験はもとより、強姦や慰安所を利用した加害者の方の話があったのが、考えさせられる展示であった。平時であれば起きなかったであろうことが、戦時では人がそのように動いてしまうことが恐ろしい。(女性、40代)

●(「琉球処分」から140年、今の沖縄を考える)パネル展感想

84.国は国民のためにあるのではない。国民の犠牲をなんとも思っていない。昔から今現在まで全く変わらない。黙って従う人間を作り出す教育が完成し、ますますエスカレートしているのを感じる。「生きさせろ」と叫ばないと生き残れない。死ぬまで叫んでいなければならないのだと思った。(女.50.市内.友人)


●細菌戦(『三光』より (篠塚良雄、旧姓田村良雄)

大木と細島は将校室にしけこみ、休憩室には私と宇田の2人が残りました。宇田は消毒薬でビタビタにぬらした防菌衣を脱ぎながら、「オイ田村、今の丸太の肺を見たか、肺ペストには間違いないが、4日目でまだ完全な致死の状態ではないんだ」「そうすると原因は何ですか」「彼らの反抗による絶食だ、奴らの、俺たちの細菌戦を行なわせまいとしての反抗だよ」―反抗すれば叩き殺すまでの話じゃないか―口には出さずに私は宇田の眼を見ました。
「奴ら八路軍には確かに俺たちよりも優秀な予防注射ができてるんだ。石田技師の話によると生菌ワクチンではないかというんだが、どうしてもそれよりも毒力の強い細菌を培養しないことには細菌戦にはならないんだ」宇田はアルコールでガーガーと口をゆすぐと言葉を続け、「毒力をウンと高くしないでみろ、感染して死んでいくのは、俺たちと友軍の兵隊ということになるんだ。細菌戦はもともと共倒れは避けられないんだがなあ」「細菌戦は共倒れ」と口の中でブツブツ言いながら、私は夢中で全身に消毒薬を浴び、アルコールをガブリと口の中に注ぎ込みました。





●日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より

第7章  残虐な毒ガス戦

瀕死の抵抗―山西汾陽(フェンヤン)における日本軍毒ガス使用の罪状

1945年8月15日、中国人民は長期にわたる艱難辛苦の闘争を経て抗日戦争の勝利を迎え、日本帝国主義はこの日、無条件降伏を宣言する。だが華北に不法占拠する日本軍の残留部隊は敗北を認めようとせず、侵略行為を継続、山西省汾陽県においてさらに毒ガス事件を引き起こし、残虐な罪を重ねた。
以下は、日本軍戦犯、日下俊孝2等兵の1954年12月5日における証言記録である。
「1945年8月23日から26日、日本軍の北支派遣軍、114師団201大隊第3中隊は汾陽の北関において、解放軍の汾陽解放を阻止するため、毒ガスにより解放軍兵士約30名を虐殺、砲撃により3人を爆殺、住民2人を殺害した。私は当戦闘に参加した。8月23日夜、解放軍が城壁の横穴より城北に進入してきたため、城内の大隊本部はこの穴を塞ぎ、その中に毒ガスを放射、解放軍兵士が逃げられないようにした。この時、私は北関南門の歩哨をしており、城外からの解放軍の救援を妨害阻止した」





(広島県大久野島毒ガス工場)




●証言 人体実験(731部隊とその周辺)
中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳

1、第731部隊本部

秦正氏補足自筆供述書(1954年10月5日)

一、本部   人員総数、3000名(軍属を含む)。
6、第2部 第1部で研究された細菌兵器の効力の実験、及びその生産。部長は碇軍医大佐。同部の組織及び人員は不詳。同部は浜江省安達県に大規模な野外実験場をもっていた。
7、第3部 血清とワクチンの生産(関東軍)。病種により各班に分かれていたと推測される。私の知っているものとして有田班があり、有田軍医少佐を班長として発疹チフスのワクチンを生産していた。
8、第4部 江口軍医中佐を部長とし、各号の石井式濾水機を製造した。ハルピン市南崗文廟街の診療部伝染病棟の南隣に製造工場があった。




●『人間の価値』
―1918年から1945年までのドイツ医学
Ch.ブロス/G.アリ編
林 功三訳

■国家の代理人
〔「判決
ベルリン遺伝法廷第1室は、法廷顧問医マッツナー博士、顧問医ベーム博士および神経科医師キップ博士の協力を得て、1935年2月7日の審議において以下のような決定を行った。
法廷はベルリンNW区・トゥルム街19番地居住の1898年7月12日生まれのオットー・Bに断種手術を行わしめるものとする。
理由
オットー・Bが当街地区に居住する故、当法廷はその権限を有する。
告訴はベルリン・ティアガルテン地区の地区担当医師によって、オットー・Bに断種の何たるかについて、またその結果について説明がなされた後、行われたものである。
法廷は法廷顧問医による鑑定書および専門家による検査書・診察を行った医師の所見の提示を受け、さらに市立モアビート病院の病歴カルテ、ティアガルテン保健局精神救護施設の書類B344を提示されている。
トレミンにおいて嫡出子として生まれたオットー・Bは幼児期に歩くのも話すのも遅く、小学校は5年生まで修学し、職業教育は受けることがなかった。1926年彼は梅毒に感染し、1930年にはアルコール中毒に罹っている。しかし自己申告によれば1932年からは時々アルコールを飲んでいるにすぎない。7歳か8歳のとき、彼はブランコから落下し、その後痙攣発作を起こすようになったという。また彼は重い発作を起こした後、1931年に市立モアビート病院で治療を受けているが、この発作の4日前の誕生日に8リットルのビールを飲んだという。知られている限りでは、医師はこのとき発作を認めていない。
これらの経過から、法廷はオットー・Bが生まれつきの精神薄弱であることを確信するにいたり、この確信に基づき断種手術を命じることにしたものである。
メッツナー博士、ベーム博士、キップ博士の名において
1935年7月24日ベルリン・シャルロッテンブルグにて、遺伝法廷事務局担当書記官作成。



〔上はオットー・Bのベルリンのローバート・コッホ病院への引き渡しを警察に依頼する役所の警察宛書状。下は地区警察が患者オットー・Bをベルリン市立ローバート・コッホ病院に収容したことを彼の家族に告げている通知書。〕


昨年2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)


●自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作ってもいいのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!
日本の毒ガス

沖縄・南西諸島が軍事要塞化している現実はおかしくないか??
「琉球処分」から140 今の沖縄を考える

●「化学学校記事」情報公開裁判
次回 11月13日(水)11:30~ 東京地裁522号廷


●「衛生学校記事」とはどんなものだろうか?
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?

次回 第23回『衛生学校記事』情報公開裁判
9月26日(木)11:30~419法廷

金原節三氏が寄贈した資料が、衛生学校庁舎3階の彰古館に1982年に「金原節三コーナー」として展示された。
その2000点を超える資料はその後どうなったのであろうか?
防衛省の回答では、金原氏の目録と一致する資料は、今現在は641点だという。
しかし、それも一致するだけで、寄贈されたものではないという。
彰古館に勤めていた人(1996年から2013年)の聞き取りでは、彰古館では、きちんと整理していていなかったようである。
金原資料は、1995年に防衛庁戦史部に移管されたが、翌年また彰古館へ戻したという。
その時はすべてを戻したわけではなかったようだ。
2010年に、彰古館が学校庁舎3階から今の建屋になり、資料も移管されたが、金原資料の整理はきちんとされていないようだ。
金原資料の一部はあるようだが、その他の金原資料は、どこに保管しているのだろうか。
また、彰古館には旧軍資料しか置いていないともいう。本当に「衛生学校記事」や教範類は置いていないのだろうか?
次の裁判までに、勤めていた人の陳述書を防衛省側は出すという。

1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊


第4代衛生学校長
『衛生学校記事』を発刊したときの、衛生学校長金原節三とはどんな人物なのだろうか?
金原節三(1901~1976)
陸軍省医事課長時代(1941.11~43.8)に731部隊から報告を受けていた。「陸軍省業務日誌摘録」
厚生省東海北陸医務出張所から衛生学校へ 1955.8.1

金原節三と細菌戦
金原の略歴を見ると、昭和16年11月に陸軍省医務局医事課長になっていて、17年に8月に軍医大佐になっている。
細菌戦資料センターの会報には、次のような記載がある。「陸軍省医務局医事課長だった金原節三元軍医大佐が、1955年に陸上自衛隊に入隊した。細菌戦部隊を指導していたのは、陸軍参謀本部、陸軍省医務局衛生課そして陸軍省医務局医事課である。金原は、「金原業務日誌摘録」に細菌戦部隊からの報告を記録している。


金原節三と武見太郎
金原と戦後日本医師会会長になり、医師会、薬剤師会、歯科医師会に大きな影響を及ぼした武見太郎は、軍隊内の先輩・後輩関係にあった。『金原節三資料目録』(陸上自衛隊衛生学校)の巻頭言は、日本医師会長武見太郎が書いている。

『BC兵器』 久保綾三著(1969年)より

2、ベトナムにおける生物・化学兵器使用とその背景

枯葉作戦とその被害

けれども、これらの砒素系薬剤は有毒であることが立証されている。
「犬に対する致死量は1㎏の体重に対して1gである」(メルク社『化学薬品インデックス』-ゴールストン著〈ヤール大学動物学者))
「人間に対しては、150ポンドの体重に7gである」(『サイエンス&シチズン』1967、8・9月号)
また、カリフォルニア大学の学者アルデン・S ・クラフトは、「砒素系農薬は“米”に対して枯死効果が高い。24Dや245Tは雑穀類、米類にはあまり効果がなく、広葉樹林を枯らす為には非常に大きな効果をもたらすものである」そして、「非常に重要な問題は、砒素系薬剤が果物に大量にかかった場合、人間に対しても多大な害を与えるものである」と言っている。



第5代衛生学校長
井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身
1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】
第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を転任になり、その後を井上が引き継いだ。
井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。
又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。
南方軍防疫給水部(岡9420部隊)





イタイイタイ病を究明した男 萩野昇

驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く

水俣病問題

小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去

小泉親彦と宮川米次の絆

ヒロシマからフクシマへ

宮川正

「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—

ビキニ「死の灰」世界各地へ

自衛隊とサリン

相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場

日本の国家機密

兒嶋俊郎さんを偲ぶ



●昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!!
天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より
重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。





●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)

※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!


第10章 戦争の泥沼化と拡大

1940年6月1日昭和天皇は自らの裁定で新しい内大臣の任命を行った。これまで元老西園寺公望は、木戸幸一の右翼的な傾向を懸念して、木戸を候補者とすることを拒んできた。しかし、昭和天皇はこれを無視して近衛文麿や湯浅倉平が積極的に木戸を推薦していることに留意し、木戸を指名することに決定した。木戸は革新派官僚であり、華族階級の意識が強い指導者であり、健康を害していたもっとも重要な政治顧問、湯浅の跡を継いだ。51歳を間近にした木戸は、これまでの内大臣でもっとも若かった。このとき昭和天皇自身は39歳だった。1年以上前、木戸は原田熊雄〔西園寺の秘書〕に、昭和天皇は本来、「科学者」であり、「非常に自由主義的な方であると同時に、また平和主義者の方でもある」と語ったという。

小泉親彦と昭和天皇

近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~

近代天皇制の真髄は

福沢諭吉

神武と戦争




憲法9条を生かそう!!












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