2019年8月18日日曜日

日本はこういう国だった  戦後に生まれたあなたに


戦時中だけではなかった。

政府は、いつも自分たちに都合の良いようにメディア操作をする。
秘密国家日本!!
森友問題の文書改ざん、加計問題の面談記録、厚労省の不正統計問題、極めつけは自衛隊の日報問題、日航機墜落事故の原因、
地下鉄サリン事件の自衛隊とオウムの関係、731問題、核兵器、生物兵器、化学兵器の開発、アメリカとの裏で進められている軍事戦略等々
いつも国民は騙されていないか??

2014/01/01 16:12:35
【転載】緊急のメッセージ:戦後に生まれたあなたに
【拡散希望】世界的指揮者である小澤征爾さんの兄にして、オザケンの父。民話研究で知られるドイツ文学者小澤俊夫さんが、緊急のメッセージを発信しています。「内容に納得できた方は、友人・知人にも回してください」ということでしたので、全文転載します。

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メール通信 昔あったづもな 第1号
日本はこういう国だった
戦後に生まれたあなたに
発信者 小澤俊夫 小澤昔話研究所所長
昨年12月6日に成立した「特定秘密保護法」は国民の首をじわりじわりと絞めていくことになる危険な法律です。日本人は1945年8月15日の敗戦まで 「治安維持法」や「国家総動員法」によって苦しめられて来ました。ぼくには、あの日本がまたやってくるという強い危機感があります。安倍首相が選挙で唱え た「日本を取り戻す」とは、そういう日本のことだったのです。
ぼくは2014年4月に84歳になります。戦後に生まれた人にとっては、敗戦以前 の日本がどんな国だったか、ほとんど想像がつかないでしょう。そこで、ぼくが体験した、そして実際に見た、そして聞いた日本のことを、勝手に「通信」とし て広く読んでもらおうと思いたちました。内容に納得できた方は、どうか知人・友人に回してください。メールでも紙でもかまいません。ぼくに断らなくて結構 です。そしてその知人・友人にも、もし納得できたら更に広めるよう依頼してください。特に若い人たちに読んでもらいたいと思います。

この「通信」を読むほとんどの方は、生まれた時にはもう現在の平和憲法があり、自由で民主主義を標榜する日本になっていたであろう。今の平和憲法を獲得するまでの、暗い日本のことは知るはずがなく、今の日本が当たり前と思っていることだろう。
だが、今の平和憲法を獲得するには、約三百万の日本人が命を落とし、約三千万のアジアの人が命を落としたことを忘れてはならない。そして、日本は暗い秘密国家だったことを。
ぼくは昭和二十年八月十五日まで、東京の陸軍第二造兵廠で神風特攻隊用の爆薬を作っていた。戦争中の日本の雰囲気にもろに呑み込まれて軍国少年だった。当 時日本国民は戦争についての真相はまったく知らされず、日本は勝つものだと信じ込んで、ひたすらお国のために働いていたのだ。大事なことはすべて秘密の ベールの中だった。日本海軍がミッドウエイ海戦で壊滅的打撃を受けたことなどまったく知らされていなかった。その後の敗戦のプロセスについても、きれいな 言葉でごまかされていた。
後で退却だったことが分かったマダガスカル島の戦況については「戦略的転向」と報じられた。ビルマ(今のミャンマー) 戦線の敗戦も「戦略的転向」だった。アリューシャン列島のアッツ島での全滅は「玉砕」と言われた。もちろんそれは「全滅」だと想像できたが、国民はあから さまにそうは言えなかった。そのうちにアジア各地の前線での「玉砕」が報じられるようになった。国民は不安を感じ始めたが、「大本営発表」は「皇軍は赫々 たる戦果を挙げている」とか、「敵を殲滅した」とか、「最後の勝利は我にあり」というばかりだった。そして、極めつけは「そのうちに必ず神風が吹く」とい う言葉だった。国民はみんなそれを信じさせられた。笑ったら国賊と呼ばれた。
だが、昭和20年3月10日のいわゆる「東京大空襲」の時も、5月 25日夜の東京西部地区(中野、荻窪、阿佐ヶ谷方面)の大空襲の時も、吹いたのは神風どころか、火災による大風で、そのためにあたり一面、完全に焼け野原 になったのである。ぼくは立川でその空襲を経験したのだが、東の空が真っ赤に焼けて、新聞が読めるほど明るくなった。
情報は大本営発表しかな かったから、軍の高官や政治家、官僚、有力者たちが陰で利権をあさったりピンハネしたりしていてもわからなかった。それがわかったのは、敗戦後、いろいろ な暴露雑誌が出始めてからであった。暴露されてみると、秘密裏に行われていたことは、ひどいものだった。
ぜいたく品追放とか、精密機械製造に必 要と称して国民に無償提供させた貴金属類は、軍部の高官や政治家たち、官僚たち、地方のボスたちがポケットに入れてしまったということだった。戦車製造の ためと称して供出させた鉄類の多くは、放置されたまま錆ていったということだった。
それらのことが秘密裏に行われていたということは、一般国民 にはそれを知る権利はまったくなかったということである。今回成立した「特定秘密保護法」でも、国民の知る権利については、「配慮するよう努力する」程度 のことでごまかされている。知る権利がないということは、知ろうとしたら犯罪になるということである。
戦争中、「壁に耳あり、障子に目あり」と いう言葉が国中に徹底して言われていた。それは、どこにスパイがいるかわからないから、発言に用心せよという意味で言われていた。だが、当時、鎖国状態の 日本国内のいたるところにスパイが潜んでいるはずはなかった。本当の意味は、国民に、「何かを知ろうとすることはやめろ」という意味だったのである。「目 も耳もふさいでいろ。何かを知ろうとしたり、考えたりすることをやめろ」という意味だったのである。
では、それをやめて何をしろというのか。「ひたすら、政府の言うことだけを信じて、黙ってついてこい」というのである。言論の自由の正反対の考え方である。「特定秘密保護法」はそれをめざしている。なんとしても廃止しなければならない。(2013/12/26)
小澤俊夫さんの「メール通信 昔あったづもな 第一号」
http://amanatsuhouse.tumblr.com/post/71699174269


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