2020年5月22日金曜日

細菌戦の系譜!!


細菌(生物)戦争
『BCGと人体実験』 美馬聡昭著
731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)
防疫研究室と昭和天皇の関係
1940年と2020年の東京オリンピック
『ウサギと化学兵器』いのうえせつこ著
731部隊と国立感染症研究所の問題!!
731部隊・細菌戦資料センター総会のご案内
731部隊の罪業
731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
情報公開裁判「化学学校記事」「衛生学校記事」
武蔵村山の国立感染症研究所問題!!
731部隊・100部隊展

●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。
今、世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス。これは、細菌戦(生物戦)ではないのか?
過去に、日本が中国で行なった細菌戦のように。(以下は現在分かっている細菌戦)


1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日  731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日  731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日  731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した 
8月  731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月  100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置
【コロナは生物兵器か】人工のコロナウイルスショックによる文明の転換点 船瀬俊介氏が語る


米軍300人が新型コロナの感染が広がる前に武漢にいたという。
新型コロナウィルスを撒いたのは??




この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、
日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、事実も認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?

今回の新型コロナウイルスは、日本軍が遺棄してきたものが影響しているのか、それともどこかで作られたのか?それとも動物を介して新たに自然発生したのか?
作ったとすれば、アメリカが作ったのか、それとも、日本軍の細菌戦に苦しんだ中国が作ったのか、はたまた、ロシアかそれとも日本(又は日米共同)が作ったのか?よくわからないが、世界各国で生物戦の研究がなされていることは確かであろう。
生物兵器禁止条約の署名を日本は1972年にして、この条約は、1975年に発効されたが、日本がこの条約を批准したのは、1982年。なんでこんなに時間がかかったのか?批准されてからも、細菌(生物)兵器は、極秘裏にアメリカ、中国、ロシア、日本などで研究開発しているのだろう??

中国もロシアもアメリカも細菌戦の事は厳しく裁かなかった!!
埋もれた細菌戦調査書



●細菌戦裁判
資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)
「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 
本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。
弁護団声明
団長 弁護士 土屋公献
このように細菌戦は、すさまじい被害を中国と中国民衆にもたらした。しかも日本は細菌戦の証拠を隠蔽し、細菌戦実行の事実を敗戦後も一貫して否定してきた。極東国際軍事裁判では秘密裏にアメリカに細菌戦情報を提供して細菌戦部隊幹部ほか軍部中枢及び天皇に細菌戦の戦争責任が波及するのを食い止めようとした。日本が細菌戦に関して採ってきた行動は、かくも不正義なものであった。
 換言すれば、細菌戦に関する被告日本国の不正義さはもはや明々白々なのである。にもかかわらず細菌戦に関する日本の国家責任を追及できないような法理論は、正義と公平の理念に真向から反するものである。一片の価値も認めることはできない。

●731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?
731部隊の行なった細菌戦


東大伝染病研究所は、1947年に主に検査・製造に関わる部門などを厚生省所管の国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)として分離し、1967年に伝染病研究所を改組して医科学研究所が設置された。
国立予防衛生研究所所長と731部隊員の繋がり(教えてげんさんより
(所長が731部隊員であれば、元隊員もたくさん入るだろう)
戦争中細菌戦部隊及び組織に属していて、戦後、国立予防衛生研究所に関係した人です。

*朝比奈正二郎 (当時)731部隊第1部第9課(水棲昆虫)長。発疹チフスワクチン製造
(戦後)国立予防衛生研究所 名誉所長
*小林六造   (当時)京大教授、防疫研究室嘱託
(戦後)国立予防衛生研究所 初代所長
*小島三郎   (当時)東大伝染病研究所教授、栄1644部隊所属 サルモネラ菌の研究
(戦後)国立予防衛生研究所 第2代所長
文部省百日咳研究班員
*小宮義孝   (当時)華中衛生研究所(栄1644部隊関連)
(戦後)国立予防衛生研究所第4代所長
*柳沢謙    (当時)陸軍軍医学校防疫研究室で嘱託として結核研究 凍結乾燥BCG
(戦後)国立予防衛生研究所 第5代所長
*福見秀雄   (当時)陸軍軍医学校防疫研究室  インフルエンザ
(戦後)国立予防衛生研究所 第6代所長
文部省百日咳研究班員
(注)1951年、国立東京第一病院に入院中の乳児たちに、
両親に告知や許可を受けずに大腸菌を飲ませる実験を行なった
*村田良介  (当時)1644部隊
(戦後)国立予防衛生研究所 第7代所長

*倉内喜八郎  (当時)731部隊細菌戦研究班
(戦後)永寿病院院長
【コロナウイルス・4/17追記】永寿総合病院でメガクラスター発生、160人以上が感染・20人死亡、屋形船から感染拡大

・・・・・・・
自衛隊に入った731部隊員・・増田美保、近喰秀大、神子謙、金原節三、井上義弘、中黒秀外之、園口忠男、高橋三郎、佐伯実、木村直正など
コロナウイルス「PCR検査」を遅らせた“戦犯”は?〈週刊朝日〉

帝国陸海軍の「亡霊」が支配する新型コロナ「専門家会議」に物申す(下)


それともロシアや中国などが研究しているだろうか?
新型肺炎、米メディアが報じた「研究所が発生源」説

生物兵器禁止条約が1975年に発効されたにもかかわらず、その裏でどんなことが起こっているのだろうか??
免責された731部隊員は、戦後、ABCC(原爆傷害調査委員会)に全面協力し、原爆被爆者を治療するのではなく、放射能の人体に対する影響を追跡した。そして日本は、アメリカの非人道的な原爆投下を問うこと全くなく、原子力の平和利用に突っ走った。

新型コロナは「パンデミック」 WHOが表明




●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!
安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難
2013年5月12日、安倍晋三は宮城県東松島市の航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。

731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)



旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!

731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記




核兵器、生物兵器、化学兵器廃絶!! 戦力不保持!!安倍政権打倒!!
どこの研究所で新型コロナウィルスが誕生したのだろうか??
●ニュース
戦争責任を取らぬまま、そのまま在位した昭和天皇、その後の天皇も日本の侵略戦争の謝罪をしていない!!
このウィルスは自然発生なのか?どこの研究所がこんなウィルスを開発したのか??それとも日本軍が遺棄した生物兵器が影響しているのだろうか?
もし人工的につくられたのであれば、どこで製造されたのだろうか?アメリカか?それとも中国?、日本?・・・


731部隊が建物を爆破して日本に逃走した後、その近くの村でペストが流行した。100部隊の逃走した時は、鼻疽菌などに汚染された馬を放ってきた。
中国各地に日本軍の細菌戦研究所が存在したのだから、その施設が遺棄した生物兵器はその後どうなっているのか?
中国の細菌戦被害地では、今でも毎年鼠を捕獲してペストの検疫を行っている。日本軍の遺棄した生物兵器がその後も生きていて、いま中国で広がっている新型コロナウィルスや豚熱に影響はしていないのだろうか?遺棄毒ガス弾が多くの中国人を苦しめているように。
重慶爆撃を考える集会

なぜ天皇はコロナ禍にビデオメッセージを発しないのか、皇室記者の考え

コロナ死者、世界で33万人超す 再び2日で1万人増に

黒川氏「訓告」に批判の声殺到「国民をなめた処分」

検察は「正義の味方」ではない…マスコミとの癒着と「暴走の過去

揺らぐ政権基盤 「不可欠」人材の醜聞直撃 検事長辞任

「news zero」有働由美子キャスター、黒川検事長の辞任で日テレ政治部長に質問「検察とメディアの関係がズブズブなんじゃない?」

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河井夫妻の自宅から現金配布先リストか 検察が押収、議員ら100人以上の名

安倍昭恵さんとのスリーショット写真の籠池氏証言は真実だった→100万円の証言も真実味が増してくる

森友問題「国有地8割値下げ&直後に資産価値10倍」のトリックに新事実!

神奈川で13人感染2人死亡 幼児3人も陽性

「川崎病」症状、25州に拡大 NY州では157人 米

中国全人代、香港の治安法制審議へ デモ摘発へ「一国二制度」骨抜きか

自殺した近畿財務局職員の遺書公開…そもそも「森友学園問題」はどう始まったのか〈dot.〉

福島原発、見えぬ「トリチウム水処分」のゆくえ

チェルノブイリ原発付近で森林火災が発生 放射線量が上昇したとの報告も


戦闘機は必要なのだろうか???
河野防衛相、F35A視察 空自三沢基地

イージス艦もいらない!!

河野太郎防衛相が訓示 イージス艦「まや」就役

自衛隊とオウムのサリン製造の関係は??情報が漏れていたのでは??
地下鉄サリン事件から25年…「オウム」の跡を訪ねて 熊本・旧波野村



大竹まことゴールデンラジオ・金子勝・2020-05-15(文化放送)



●パネル展「日中戦争―その実相に迫る!」感想(2020年2月8日~13日)

9. 印象的なのは、村瀬写真、万人坑・写真は訴える力がある。(男、70、市外、ネット)


●映画「ひろしま」アンケート(1月13日 横浜)

( )は性別・年代・住まい・情報
16、圧倒的な熱量を感じました。山田五十鈴さんの鬼気迫る演技以上の演技に吸い込まれました。全国の学校での上映がなされると平和を考えるきっかけになると思います。今の状況と重なる点もあるので平和教育は必須であると思います。
(女性・60代・板橋区・フェイスブック)



日本は、日中戦争で国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
●細菌戦
【真相】(unit731)
・『石井細菌戦部隊―極秘任務を遂行した隊員たちの証言』
郡司陽子編(1982年11月30日初刷:徳間書店)

Ⅲ ペスト攻撃班、恐怖の実戦秘録
―第2部5課(攻撃・実戦担当)K・S
マニラで細菌戦の予備訓練を受ける

 それから2、3日の間、我々はその連絡所で息を殺していた。かわりに同行した情報専門の隊員が、町に出て行く。中国語に堪能で中国服を着たその隊員は、我々が見ても中国人そのものであった。町へ出たその情報員は、毎日、町の様子を探っては、報告を行なった。
 3日ほどたつと、「どうもだんだん変になってきたぞ。原因不明の伝染病が出たという噂だ」という報告がもたらされた。我々は、それを確認すると、大急ぎでその町を引き揚げた。うかうかしていると、こっちが危ないのである。P(ペスト)の攻撃については、我々の側も防御が整っていなかった。

*第5課はペスト菌担当で班長は高橋正彦であった。



・『証言 人体実験(731部隊とその周辺)』
中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳

二 大規模な細菌生産と残虐非道な人体実験

山内豊紀自筆供述書(1951年11月4日)

その結果、菌体中に雑菌が多くなり、生産単位が低く、製品の生産時期が遅れてしまった。渡辺博士は石井四郎から電話で厳しく叱責された。博士は辞職を決意し、その日の夜長春に向けて出発したが、翌日の朝、長春のヤマトホテルの前で交通事故に遭って死亡した。渡辺博士の死について、私は多くの疑問を抱いており、石井四郎に殺されたのではないかと思っている。石井四郎の性格からすれば、部下に対しどんな残酷な手段をとっても不思議ではない。

●毒ガス戦
・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著
第1章 毒ガス兵器の研究と開発
1、第1次世界大戦と毒ガス戦
毒ガス戦の幕開け
連合国軍は塩素に対する防毒面(ガスマスク)を用意するとともに、同年9月以降ドイツ軍に対して塩素ガス攻撃を開始した。さらにフランス軍は16年2月から、吸入すると肺水腫を起こして窒息死するホスゲンを砲弾に詰めて使用、ドイツ軍はこれに対抗して同年6月から同じ窒息性ガスのジホスゲンを使用している。


・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)
第12章 癒しがたい傷
毒ガスの焼却
 もしも平常時であったなら、労働者たちは命令を受け取ると、必ずいささかの猶予もなく断固として執行するはずであった。しかし、既に日本敗戦の報を聞き、不安におののいているところであった労働者たちは、軍隊や政府の為に働きたいとは思わなかった。このため、命令に従って工場を焼却する仕事に加わる者は数えるほどしかいなかった。これは以前だったら決して見られなかった現象である。やって来た者が少なかったため、職員は予定通りに任務を果たすことができず、焦って焼却業務に参加する労働者の労賃を倍増するよう命じた。また、もし予定通りこの工場を破壊しなければ、連合軍がやって来て、労働者たちを拘禁するぞと脅した。




日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題




●『三光』     中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)
軍医の野天解剖
小美野義利
戦務班長 憲兵曹長
〈旧部隊名〉
関東軍特別警備隊2大隊本部

 中国人は穴の中の青年の死体に折り重なるように落ち込んだが、まだ斬れ落ちていない首が逆さになってスースーと息が洩れるたびに赤黒い血がどくどくと流れ出し、のぞき込んだ小美野を、カーッと睨みつけている。血のかかった骸骨が不気味に並んでいる。
 「ギャーッ」小美野は悲鳴を上げ、何かを払いのけるように夢中で手を振ったが、逆さになった首がグーッと大きく自分の方へのしかかってきているような気がしてならない。
 「エーイ執念深い奴だ」
 わめきながら足下の石を拾い上げると、気が狂ったように斬り口めがけて投げつけた。そばで太田、桐原が、「野郎、今晩とっつかれるぞ」と、ニタニタして顔を見合わせていた。

昨年2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)



●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作ってもいいのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!
日本の毒ガス

沖縄・南西諸島が軍事要塞化している現実はおかしくないか??
「琉球処分」から140 今の沖縄を考える



●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?

・731部隊関連の「情報公開裁判」に関する報告
和田千代子(731細菌戦部隊の実態を明らかにする会事務局長)

第3『化学学校記事』裁判の問題点と争点

この点に関連し、故藤井治夫氏(軍事評論家)は、自身の著書の中で次のように述べていました。
即ち、「防衛庁図書館(国立国会図書館防衛庁分館)の毎年度の『図書目録』を見ていると、公刊資料が次々に姿を消しているのがわかる。68年度と69年度を比較してみよう。定期刊行物で目録に収録されなくなったのは、陸上自衛隊の『幹部学校記事』、『航空自衛隊幹部学校記事』をはじめ、陸自の『富士学校記事』『化学学校記事』、『会計記事』、『施設学校記事』、『衛生学校記事』、『武器』、『高射』、『通信電子』、『輸送』などで、いずれも月刊ないし季刊の公刊雑誌である。その多くはアメリカは勿論、韓国、台湾や、西ヨーロッパ諸国の軍隊にまで送付されているのである。目録から消えたばかりか、現物も図書館に置かれていない。教範類も完全になくなり、『防衛庁法規類集』さえ置かれなくなった。近頃では、陸海空自衛隊の『公報』さえも消えてしまった。書棚はガラガラで、戦記読物や大衆小説が並んでいるにすぎない。」(『日本の国家機密』(現代評論社、1972年10月、76頁)と指摘していました。

・次回『衛生学校記事』情報公開裁判(第26回)
緊急事態宣言が出たため、4月の裁判は延期になりました。東京地裁419号法廷

・化学学校記事」情報公開裁判 (第16回)
次回 2020年6月3日(水)11:30~ 東京地裁522号廷



第4代衛生学校長だった金原節三が亡くなってから、遺族が、当時の防衛庁に寄贈した金原節三資料の中に13点の『衛生学校記事』が含まれている。それがいまだに未開示であり、その行方が防衛省は分からないという。
1995年に防衛研究所に衛生学校から金原資料の全部を移管した。翌年1996年には、その資料の中で旧軍資料の価値の高いものを、防衛研究所に残して、あとは衛生学校に戻した。
『金原文庫』はいつまで、衛生学校の彰古館に開設されていたのであろうか?その中に果たして『衛生学校記事』があったのか?また、金原資料はキチンと整理をされていたのだろうか?金原資料の中には『特殊武器衛生』というものもある。防衛省は、金原資料をすべて開示すべきである。

1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊


第4代衛生学校長
『衛生学校記事』を発刊したときの、衛生学校長金原節三とはどんな人物なのだろうか?
金原節三(1901~1976)
陸軍省医事課長時代(1941.11~43.8)に731部隊から報告を受けていた。「陸軍省業務日誌摘録」
厚生省東海北陸医務出張所から衛生学校へ 1955.8.1

金原節三と細菌戦
金原の略歴を見ると、昭和16年11月に陸軍省医務局医事課長になっていて、17年に8月に軍医大佐になっている。
細菌戦資料センターの会報には、次のような記載がある。「陸軍省医務局医事課長だった金原節三元軍医大佐が、1955年に陸上自衛隊に入隊した。細菌戦部隊を指導していたのは、陸軍参謀本部、陸軍省医務局衛生課そして陸軍省医務局医事課である。金原は、「金原業務日誌摘録」に細菌戦部隊からの報告を記録している。

金原節三と武見太郎
金原と戦後日本医師会会長になり、医師会、薬剤師会、歯科医師会に大きな影響を及ぼした武見太郎は、軍隊内の先輩・後輩関係にあった。『金原節三資料目録』(陸上自衛隊衛生学校)の巻頭言は、日本医師会長武見太郎が書いている。

※彰古館には、自衛隊関係の資料も保管している!!
『軍事史研究』2010年9月
軍事史関係史料館探訪(56)
陸上自衛隊衛生学校 医学情報史料室 彰古館
喜多義人
収蔵品の多くは、旧陸軍軍医学校由来の品々と医学文献であり、『大東亜戦争陸軍衛生史』編纂の際に寄贈された史料も所蔵されている。また、衛生学校にかつて開設されていた同校戦史室が収集した戦史史料、戦後の警察予備隊から保安隊を経て陸上自衛隊に至る草創期の衛生科部隊の行動史、研究報告なども含まれている。




●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。

Ⅲ 日本における生物・化学兵器の歩み
1、 生物・化学兵器の開発の歩み
正体つかめぬ生物兵器

日本では、1931年満洲に細菌作戦遂行のため731部隊が編成された。「石井部隊」と言われるこの細菌部隊は、1935年にはネズミ2000匹を使い、ノミを飼ってペスト菌を培養した記録がある。石井部隊の細菌作戦は後述するように諸外国に類例を見ないほどの残忍さであった。
 福岡県大牟田市で起こった「爆発赤痢事件」(日中戦争が始まった年の1937年9月25日発生)は、現在でもその原因が謎とされているのだが、これは明らかに「細菌爆弾」の誤爆による惨事であろうと言われている。 



第5代衛生学校長
井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身
1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】
第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任(『大東亜戦争陸軍衛生史』を編纂するため、膨大な旧軍資料を集め、又戦後に日本独自の細菌戦部隊の復活させようとしたことが原因か??)になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を解任され、その後を井上が引き継いだ。
井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。
又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。
南方軍防疫給水部(岡9420部隊)





イタイイタイ病を究明した男 萩野昇

驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く

水俣病問題

小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去

小泉親彦と宮川米次の絆

ヒロシマからフクシマへ

宮川正

「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—

ビキニ「死の灰」世界各地へ

自衛隊とサリン

相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場

日本の国家機密

兒嶋俊郎さんを偲ぶ



●昭和天皇の戦争責任を問う!!
天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より
重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。


●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)吉田裕監修 2001年ピュリッツァー賞受賞

※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!



第12章大元帥の試練


天皇は、1942年の秋、前線部隊へ自身の気持ちを伝えたが、中でも南西太平洋での海戦を取り上げ海軍の成功を嘉賞(かしょう)した。このため、海軍はガダルカナル作戦の中止を奏請することが著しく困難となった。昭和天皇は、同様の圧力を陸軍にも加え、ガダルカナルの部隊に勅語で、「朕が信倚(しんい)に副(そ)はんことを期せよ」と述べ、暗に部隊が天皇の期待に応えていることを示した。しかし、1942年11月にいたり、天皇と東条はガダルカナル奪還が不可能であることを、そしてガダルカナル放棄は必ずしも、ソロモン戦線全体の崩壊を意味しないことを悟った。実際、ガダルカナルを放棄すればそれ以外の戦略拠点での作戦は、容易となったであろう。

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小泉親彦と昭和天皇

近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~

近代天皇制の真髄は

福沢諭吉

神武と戦争

憲法9条を生かそう!!



731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!!
日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?
地球の温暖化や異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!
●『二酸化炭素温暖化説の崩壊』広瀬隆(集英社新書)
第1章 二酸化炭素温暖化論が地球を破壊する

南極の氷と氷河は大丈夫か

炭酸ガスの身になるべきだ。罪もないのに、これだけ悪者にされて、かわいそうだ。IPCCの会議が終わると、皆ビールで乾杯しているが、あれは、炭酸ガスがぶくぶく出ている飲み物だというのに。

温暖化で山火事が起こる?

1871年は明治4年、日本ではまだチョンマゲの時代にあり、後年の石油王ロックフェラーが小さなスタンダード石油を創業した翌年に当り、人類が石油時代の第1歩を踏み出した大昔である。つまり人為的な二酸化炭素の排出は無関係である、
 最近の例を引けば、2003年に温暖化の兆候と大々的に報道されたカリフォルニア州の山火事は、それらより1桁小さい74万エーカーの焼失だった。しかも原因は放火であったのに、日本の新聞はとテレビはその部分を小声でしか報じなかった。


●核実験(ウキペディアより)
若くして白血病で亡くなった夏目雅子、本田美奈子、また五輪候補選手だったスイマーが白血病になったのは、放射能の影響ではないのか?
月の砂漠の犠牲者 夏目雅子と本田美奈子
中華人民共和国

中国初の核爆弾(模型)
1964年10月16日 初の核実験「596 (核実験)」。
1967年6月17日 初の水爆実験。
詳細は「中国の核実験」を参照
水素爆弾の恐怖・ビキニ環礁 (アメリカ)


「北朝鮮の核実験の威力」と「史上最強の核兵器"ツァーリ・ボンバ"の破壊力」【核兵器】


●核なき世界へ!!
Toward a Nuclear-Free Future



●核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について


●原発・化石燃料発電→再生可能エネルギー発電の増加
【金子勝の言いたい放題】NO5 世界は電力タダの時代に エネ転が拓く経済転換(飯田哲也さんと) 20191230


日本政府・自衛隊は情報を公開せよ!!(情報開示!!)
今年も8月12日がくる──。33年前 520人が犠牲になった日航機墜落、遺物の化学分析で判明した事実とは?

中曽根元総理が知る日航機墜落事故の真実とは?墓場まで発言の真意を調査!

ここの研究所は、どんなことをやっているのだろうか??
国立感染症研究所村山庁舎(武蔵村山)


●1954年3月1日第5福竜丸他1000隻もの船が被曝!核兵器廃絶!!
なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より
・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。
封印された原爆報告書




水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した!!




JCOの臨界事故


福島第1原発事故


核兵器廃絶

徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!

「731部隊・100部隊・毒ガス戦」パネル展 2019年4月29日~5月3日
「日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか 」 田中利幸さん
日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病



731部隊(unit731)


昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!!
























2020年5月21日木曜日

細菌戦の系譜!!


細菌戦争2(1952年 元731部隊員)
細菌戦争1(1952年 元731部隊員)
『BCGと人体実験』 美馬聡昭著
731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)
防疫研究室と昭和天皇の関係
1940年と2020年の東京オリンピック
『ウサギと化学兵器』いのうえせつこ著
731部隊と国立感染症研究所の問題!!
731部隊・細菌戦資料センター総会のご案内
731部隊の罪業
731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
情報公開裁判「化学学校記事」「衛生学校記事」
武蔵村山の国立感染症研究所問題!!
731部隊・100部隊展

●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。
今、世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス。これは、細菌戦(生物戦)ではないのか?
過去に、日本が中国で行なった細菌戦のように。(以下は現在分かっている細菌戦)


1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日  731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日  731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日  731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した 
8月  731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月  100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置
【コロナは生物兵器か】人工のコロナウイルスショックによる文明の転換点 船瀬俊介氏が語る


米軍300人が新型コロナの感染が広がる前に武漢にいたという。
新型コロナウィルスを撒いたのは??




この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、
日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、事実も認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄した生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?

今回の新型コロナウイルスは、日本軍が遺棄してきたものが影響しているのか、それともどこかで作られたのか?それとも動物を介して新たに自然発生したのか?
作ったとすれば、アメリカが作ったのか、それとも、日本軍の細菌戦に苦しんだ中国が作ったのか、はたまた、ロシアかそれとも日本(又は日米共同)が作ったのか?よくわからないが、世界各国で生物戦の研究がなされていることは確かであろう。
生物兵器禁止条約の署名を日本は1972年にして、この条約は、1975年に発効されたが、日本がこの条約を批准したのは、1982年。なんでこんなに時間がかかったのか?批准されてからも、細菌(生物)兵器は、極秘裏に各国は研究開発しているのだろう??


●細菌戦裁判
資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)
「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 
本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。
弁護団声明
団長 弁護士 土屋公献
細菌戦の被害を受けた中国の地域は、判明しているだけでも驚くほど広い。本裁判で訴えている被害は浙江省と湖南省だけであるが、細菌戦尾全被害地はもっと広い範囲に及んでいる。何百万人、否、何千万人が住む中国の各地に広がっている。細菌戦は、これらの地域で疫病を流行させ、多数の犠牲者を出した。死傷者だけでも数十万人に上るであろう。疫病の感染者を出して家庭崩壊などの悲惨な被害に遭った人々は何百万人もいるだろう。また村落や家庭を破壊させ、人々から住む家を奪い、ペスト菌などで長期に環境を破壊した。
細菌戦は、どこに、いつ、どの種類の細菌兵器が用いられたか明らかにできないため、実際の被害は現在判明している以上であろう。

●731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?
731部隊の行なった細菌戦


東大伝染病研究所は、1947年に主に検査・製造に関わる部門などを厚生省所管の国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)として分離し、1967年に伝染病研究所を改組して医科学研究所が設置された。
国立予防衛生研究所所長と731部隊員の繋がり(教えてげんさんより
(所長が731部隊員であれば、元隊員もたくさん入るだろう)
戦争中細菌戦部隊及び組織に属していて、戦後、国立予防衛生研究所に関係した人です。

*朝比奈正二郎 (当時)731部隊第1部第9課(水棲昆虫)長。発疹チフスワクチン製造
(戦後)国立予防衛生研究所 名誉所長
*小林六造   (当時)京大教授、防疫研究室嘱託
(戦後)国立予防衛生研究所 初代所長
*小島三郎   (当時)東大伝染病研究所教授、栄1644部隊所属 サルモネラ菌の研究
(戦後)国立予防衛生研究所 第2代所長
文部省百日咳研究班員
*小宮義孝   (当時)華中衛生研究所(栄1644部隊関連)
(戦後)国立予防衛生研究所第4代所長
*柳沢謙    (当時)陸軍軍医学校防疫研究室で嘱託として結核研究 凍結乾燥BCG
(戦後)国立予防衛生研究所 第5代所長
*福見秀雄   (当時)陸軍軍医学校防疫研究室  インフルエンザ
(戦後)国立予防衛生研究所 第6代所長
文部省百日咳研究班員
(注)1951年、国立東京第一病院に入院中の乳児たちに、
両親に告知や許可を受けずに大腸菌を飲ませる実験を行なった
*村田良介  (当時)1644部隊
(戦後)国立予防衛生研究所 第7代所長

*倉内喜八郎  (当時)731部隊細菌戦研究班
(戦後)永寿病院院長
【コロナウイルス・4/17追記】永寿総合病院でメガクラスター発生、160人以上が感染・20人死亡、屋形船から感染拡大

・・・・・・・
自衛隊に入った731部隊員・・増田美保、近喰秀大、神子謙、金原節三、井上義弘、中黒秀外之、園口忠男、高橋三郎、佐伯実、木村直正など
コロナウイルス「PCR検査」を遅らせた“戦犯”は?〈週刊朝日〉

帝国陸海軍の「亡霊」が支配する新型コロナ「専門家会議」に物申す(下)


それともロシアや中国などが研究しているだろうか?
新型肺炎、米メディアが報じた「研究所が発生源」説

生物兵器禁止条約が1975年に発効されたにもかかわらず、その裏でどんなことが起こっているのだろうか??
免責された731部隊員は、戦後、ABCC(原爆傷害調査委員会)に全面協力し、原爆被爆者を治療するのではなく、放射能の人体に対する影響を追跡した。そして日本は、アメリカの非人道的な原爆投下を問うこと全くなく、原子力の平和利用に突っ走った。

新型コロナは「パンデミック」 WHOが表明




●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!
安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難
2013年5月12日、安倍晋三は宮城県東松島市の航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。

731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)



旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!

731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記




核兵器、生物兵器、化学兵器廃絶!! 戦力不保持!!安倍政権打倒!!
どこの研究所で新型コロナウィルスが誕生したのだろうか??
●ニュース
戦争責任を取らぬまま、そのまま在位した昭和天皇、その後の天皇も日本の侵略戦争の謝罪をしていない!!
このウィルスは自然発生なのか?どこの研究所がこんなウィルスを開発したのか??それとも日本軍が遺棄した生物兵器が影響しているのだろうか?
もし人工的につくられたのであれば、どこで製造されたのだろうか?アメリカか?それとも中国?、日本?・・・


731部隊が建物を爆破して日本に逃走した後、その近くの村でペストが流行した。100部隊の逃走した時は、鼻疽菌などに汚染された馬を放ってきた。
中国各地に日本軍の細菌戦研究所が存在したのだから、その施設が遺棄した生物兵器はその後どうなっているのか?
中国の細菌戦被害地では、今でも毎年鼠を捕獲してペストの検疫を行っている。日本軍の遺棄した生物兵器がその後も生きていて、いま中国で広がっている新型コロナウィルスや豚熱に影響はしていないのだろうか?遺棄毒ガス弾が多くの中国人を苦しめているように。
重慶爆撃を考える集会

なぜ天皇はコロナ禍にビデオメッセージを発しないのか、皇室記者の考え

黒川検事長が辞意 賭けマージャン、法務省調査に認める

緊急事態宣言、首都圏4都県や北海道は継続

安倍首相へ…元内閣官房参与の直言「政権が腐敗してしまった」

院内感染78人、異例の3度目立ち入り調査 聖マリ西部


安倍首相らの告発状提出へ「桜見る会」巡り寄付疑い



自殺した近畿財務局職員の遺書公開…そもそも「森友学園問題」はどう始まったのか〈dot.〉

福島原発、見えぬ「トリチウム水処分」のゆくえ

チェルノブイリ原発付近で森林火災が発生 放射線量が上昇したとの報告も


戦闘機は必要なのだろうか???
河野防衛相、F35A視察 空自三沢基地

イージス艦もいらない!!

河野太郎防衛相が訓示 イージス艦「まや」就役

自衛隊とオウムのサリン製造の関係は??情報が漏れていたのでは??
地下鉄サリン事件から25年…「オウム」の跡を訪ねて 熊本・旧波野村



大竹まことゴールデンラジオ・金子勝・2020-05-15(文化放送)



●パネル展「日中戦争―その実相に迫る!」感想(2020年2月8日~13日)

8. 印象的なのは、南京事件。(男、70、市内、記事)

●映画「ひろしま」アンケート(1月13日 横浜)

( )は性別・年代・住まい・情報
15、この映画はひろしまの真実を語っていると思います。母から聞いていた内容と全て一致しています。もっとよく聞いておけば良かったと後悔しています。NHKで放映されたものを子供、孫達にも見せたいと思います。ただ見せない方がいいかも。(両親は長崎で被爆しました。)映画最初の場面女学生が鼻血を出した映像は私の小学生の時の体験と同一です。(2世も苦しんでいます。)
(男性・60代・市内・朝日新聞)



日本は、日中戦争で国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
●細菌戦
【真相】(unit731)
・『石井細菌戦部隊―極秘任務を遂行した隊員たちの証言』
郡司陽子編(1982年11月30日初刷:徳間書店)

Ⅲ ペスト攻撃班、恐怖の実戦秘録
―第2部5課(攻撃・実戦担当)K・S
マニラで細菌戦の予備訓練を受ける

我々の5課は、ペスト菌を用いた攻撃・実戦担当であった。そのため、「実戦」出動も行なった。
昭和19年5月のことであった。私は選抜されて、「実戦」に出動した。軍医大尉を長に、7、8名の編成であった。すでに目的地は、地図を細密に調べて選定されていたが、我々には知らされなかった。兵隊の恰好(ふだん、部隊では軍属服)をした我々は、部隊の飛行場から呑龍(どんりゅう)爆撃機で出撃した。目的地に近い飛行場で降りると、今度は車に乗り換える。どうやら、ソ満国境付近の町を目指しているようであった。
町に着くと、分散して行動することになった。私は、町の貧民窟(ひんみんくつ)みたいな所に行き、歩きながら、手中に隠した容器内のペスト菌を、密かにあたりにばら撒いた。終わると急いでそこを離脱し、町なかにあらかじめ決められていた連絡所に戻った。全員が戻って来た。



・『証言 人体実験(731部隊とその周辺)』
中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳

二 大規模な細菌生産と残虐非道な人体実験

山内豊紀自筆供述書(1951年11月4日)

人体実験の結果は、超音波ワクチンの効力が特に優れていることを証明するものだった。超音波ワクチンを接種した人は皆元気で、1人だけ軽い頭痛と腹痛を覚えたが、3日目には回復した。しかし軍医学校製ののワクチンを注射した人は、その多くが下痢をし、うち3名は重症、1名が死亡した。対照用の4人はいずれも発病し、3日目に全員死亡した。石井四郎は超音波ワクチンに効果があると知って、我々に大量に生産する様命令した。9月下旬、長春でペストが発生すると、石井四郎はいわゆる防疫、ワクチン班を組織し、昼も夜もペスト菌(イムノゲン)を製造させた。

●毒ガス戦
・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著
第1章 毒ガス兵器の研究と開発
1、第1次世界大戦と毒ガス戦
毒ガス戦の幕開け
しかし、1915(大正4)年に入って大戦が機動戦から陣地戦へ移行し、両軍とも堅固な陣地を築いて対峙するようになると、その突破は困難な状況となった。そこでドイツ軍は、大量の有毒ガスをボンベから放射して風下の敵陣地を覆うという使用方法を発案し、15年4月22日にベルギーのイープル付近でイギリス・フランス軍に対して大量の塩素を使用したのである。
塩素ガスの雲の中で逃げ場もなく、多くの兵士が呼吸困難で苦しみ悶えてから死亡した衝撃から、連合国はこの日を「イープルの暗黒の日」と呼び、毒ガス戦の幕開けとなった。


・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)
第12章 癒しがたい傷
毒ガスの焼却
8月16日、大久野島の毒ガス工場は突然1つの命令を受け取る。1941年に建設されたシアン化水素酸工場を焼却せよというのである。この工場は当時島で最も先進的設備を誇るところであり、また最も秘密にされたところでもあった。平素から関係の無い者が近づくことは厳重に禁止されており、軍人たちですら勝手に入ることはできなかった。そこを徹底的に焼却しようというのである。この中に特に重要な秘密が隠されていたのは明らかである。



日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題




●『三光』     中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)
軍医の野天解剖
小美野義利
戦務班長 憲兵曹長
〈旧部隊名〉
関東軍特別警備隊2大隊本部

「少尉殿、やってもいいですか」
日本刀を抜きながら小林の横顔に声をかけた。小笠原軍医と土倉衛生曹長が、いろいろな解剖道具を出しているのを見ていた小林は、のそのそと青年に近づいた。青年は立ち上がりざま「カッ」と血の塊りを小林に吐きかけた。
「アッ」と叫び、あわててよろけた小林の服に血痰がへばりついた。さっと土色に顔を変えた小林は、「コン畜生、き、斬れ」と金切り声をあげた。
じりじりとしていた小美野は、バサーッと青年の首を斬り落とした。サッと吹き上がる血潮は草むらを染め、前のめりになった胴体を穴に蹴りこんだ。小美野はすっかり逆上していた。桐原軍曹が引きずってきた40歳くらいの中国人を、「こいつも斬らせてくれ」と言ったかと思うと、次の瞬間には血刀を振り下ろしていた。

昨年2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)



●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作ってもいいのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!
日本の毒ガス

沖縄・南西諸島が軍事要塞化している現実はおかしくないか??
「琉球処分」から140 今の沖縄を考える



●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?

・731部隊関連の「情報公開裁判」に関する報告
和田千代子(731細菌戦部隊の実態を明らかにする会事務局長)

第3『化学学校記事』裁判の問題点と争点

そのために、被告は、1969年12月発行の『化学学校史 昭和43年度』以降、『化学学校記事』発行の事実を記載せず秘匿したのであり、1970年4月以降の発行になる1969(昭和44)年度版『防衛庁図書目録』以降、前年度まで掲載していた『化学学校記事』保管の事実を記載しなくなりました。
この点に関連し、故藤井治夫氏(軍事評論家)は、自身の著書の中で次のように述べていました。
即ち、「防衛庁図書館(国立国会図書館防衛庁分館)の毎年度の『図書目録』を見ていると、公刊資料が次々に姿を消しているのがわかる。

・次回『衛生学校記事』情報公開裁判(第26回)
緊急事態宣言が出たため、4月の裁判は延期になりました。東京地裁419号法廷

・化学学校記事」情報公開裁判 (第16回)
次回 2020年6月3日(水)11:30~ 東京地裁522号廷



第4代衛生学校長だった金原節三が亡くなってから、遺族が、当時の防衛庁に寄贈した金原節三資料の中に13点の『衛生学校記事』が含まれている。それがいまだに未開示であり、その行方が防衛省は分からないという。
1995年に防衛研究所に衛生学校から金原資料の全部を移管した。翌年1996年には、その資料の中で旧軍資料の価値の高いものを、防衛研究所に残して、あとは衛生学校に戻した。
『金原文庫』はいつまで、衛生学校の彰古館に開設されていたのであろうか?その中に果たして『衛生学校記事』があったのか?また、金原資料はキチンと整理をされていたのだろうか?金原資料の中には『特殊武器衛生』というものもある。防衛省は、金原資料をすべて開示すべきである。

1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊


第4代衛生学校長
『衛生学校記事』を発刊したときの、衛生学校長金原節三とはどんな人物なのだろうか?
金原節三(1901~1976)
陸軍省医事課長時代(1941.11~43.8)に731部隊から報告を受けていた。「陸軍省業務日誌摘録」
厚生省東海北陸医務出張所から衛生学校へ 1955.8.1

金原節三と細菌戦
金原の略歴を見ると、昭和16年11月に陸軍省医務局医事課長になっていて、17年に8月に軍医大佐になっている。
細菌戦資料センターの会報には、次のような記載がある。「陸軍省医務局医事課長だった金原節三元軍医大佐が、1955年に陸上自衛隊に入隊した。細菌戦部隊を指導していたのは、陸軍参謀本部、陸軍省医務局衛生課そして陸軍省医務局医事課である。金原は、「金原業務日誌摘録」に細菌戦部隊からの報告を記録している。

金原節三と武見太郎
金原と戦後日本医師会会長になり、医師会、薬剤師会、歯科医師会に大きな影響を及ぼした武見太郎は、軍隊内の先輩・後輩関係にあった。『金原節三資料目録』(陸上自衛隊衛生学校)の巻頭言は、日本医師会長武見太郎が書いている。

※彰古館には、自衛隊関係の資料も保管している!!
『軍事史研究』2010年9月
軍事史関係史料館探訪(56)
陸上自衛隊衛生学校 医学情報史料室 彰古館
喜多義人
収蔵品の多くは、旧陸軍軍医学校由来の品々と医学文献であり、『大東亜戦争陸軍衛生史』編纂の際に寄贈された史料も所蔵されている。また、衛生学校にかつて開設されていた同校戦史室が収集した戦史史料、戦後の警察予備隊から保安隊を経て陸上自衛隊に至る草創期の衛生科部隊の行動史、研究報告なども含まれている。




●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。

Ⅲ 日本における生物・化学兵器の歩み
1、 生物・化学兵器の開発の歩み
正体つかめぬ生物兵器

第1世界大戦では、ドイツのスパイがアメリカから積み出された牛馬に病原菌を注射して疫病を流行させ、また、ルーマニアでは馬に馬鼻疽を流行させて戦力を低下させた。
生物兵器による攻撃は、いつ誰がやったのか判断しにくい上に、人為的なものと自然発生な流行との判別もほとんど不可能である。そのためもあって従来余り問題にされなかった傾向がある。それでも第2次世界大戦中とそれ以降委は、生物兵器の研究が急速に進み本格的な生物兵器時代に入る。しかし生物兵器の研究・使用は各国ともに極秘であるため、その資料は秘密のベールに閉ざされたままである。 



第5代衛生学校長
井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身
1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】
第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任(『大東亜戦争陸軍衛生史』を編纂するため、膨大な旧軍資料を集め、又戦後に日本独自の細菌戦部隊の復活させようとしたことが原因か??)になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を解任され、その後を井上が引き継いだ。
井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。
又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。
南方軍防疫給水部(岡9420部隊)





イタイイタイ病を究明した男 萩野昇

驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く

水俣病問題

小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去

小泉親彦と宮川米次の絆

ヒロシマからフクシマへ

宮川正

「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—

ビキニ「死の灰」世界各地へ

自衛隊とサリン

相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場

日本の国家機密

兒嶋俊郎さんを偲ぶ



●昭和天皇の戦争責任を問う!!
天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より
重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。


●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)吉田裕監修 2001年ピュリッツァー賞受賞

※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!



第12章大元帥の試練


9月15日、杉山参謀長が第2回目となるガダルカナル島への〔川口〕支隊の派遣とその総攻撃の失態について上奏をした。この攻撃には「多くを期待できなかった」と杉山が述べたのに対し、昭和天皇は陸軍航空部隊の戦闘への投入を要求し、いつになればニューギニア東端のラビを占領できるかと、飛躍した提案を行った。ガダルカナルを懸念する一方で、昭和天皇はすでにニューギニアでの新たな攻勢を考えていた。

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小泉親彦と昭和天皇

近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~

近代天皇制の真髄は

福沢諭吉

神武と戦争

憲法9条を生かそう!!



731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!!
日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?
地球の温暖化や異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!
●『二酸化炭素温暖化説の崩壊』広瀬隆(集英社新書)
第1章 二酸化炭素温暖化論が地球を破壊する

南極の氷と氷河は大丈夫か

炭酸ガスの身になるべきだ。罪もないのに、これだけ悪者にされて、かわいそうだ。IPCCの会議が終わると、皆ビールで乾杯しているが、あれは、炭酸ガスがぶくぶく出ている飲み物だというのに。

温暖化で山火事が起こる?

近年アメリカで山火事が増え、大災害化していると騒がれるが、これは誤報の最たるもの。英語では、山火事をワイルドファイアという。1988年のイエローストーン・ワイルドファイアでは、158万エーカーという焼失面積を記録して温暖化のせいだと騒がれたが、アメリカ火災局の記録では、それよりはるか昔の1910年のグレート・アイダホ・ワイルドファイアではその2倍の300万エーカーが焼失している。それより前の19世紀には、1894年のウィスコンシン・ワイルドファイアで数百万エーカー、1871年のペシュティゴ・ワイルドファイアで378万エーカーと、はるかに大規模な山火事が頻発している。


●核実験(ウキペディアより)
若くして白血病で亡くなった夏目雅子、本田美奈子、また五輪候補選手だったスイマーが白血病になったのは、放射能の影響ではないのか?
月の砂漠の犠牲者 夏目雅子と本田美奈子
フランス
サハラ砂漠での核実験
1960年2月13日 初の原爆実験(ジェルボアーズ・ブルー)。イスラエルの科学者が同席。事実上イスラエルとの共同実験。
1968年8月24日 初の水爆実験。
フレンチポリネシアでの核実験。
1966年から1996年1月までに約200回実施。
詳細は「フランスの大量破壊兵器」を参照
水素爆弾の恐怖・ビキニ環礁 (アメリカ)


「北朝鮮の核実験の威力」と「史上最強の核兵器"ツァーリ・ボンバ"の破壊力」【核兵器】


●核なき世界へ!!
Toward a Nuclear-Free Future



●核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について


●原発・化石燃料発電→再生可能エネルギー発電の増加
【金子勝の言いたい放題】NO5 世界は電力タダの時代に エネ転が拓く経済転換(飯田哲也さんと) 20191230


日本政府・自衛隊は情報を公開せよ!!(情報開示!!)
今年も8月12日がくる──。33年前 520人が犠牲になった日航機墜落、遺物の化学分析で判明した事実とは?

中曽根元総理が知る日航機墜落事故の真実とは?墓場まで発言の真意を調査!

ここの研究所は、どんなことをやっているのだろうか??
国立感染症研究所村山庁舎(武蔵村山)


●1954年3月1日第5福竜丸他1000隻もの船が被曝!核兵器廃絶!!
なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より
・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。
封印された原爆報告書




水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した!!



JCOの臨界事故


福島第1原発事故


核兵器廃絶

徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!

「731部隊・100部隊・毒ガス戦」パネル展 2019年4月29日~5月3日
「日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか 」 田中利幸さん
日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病



731部隊(unit731)


昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!!
























2020年5月20日水曜日

細菌戦争2(1952年 元731部隊員作)


今、流行している新型コロナウィルスは生物兵器なのか?それとも自然発生したのか?

細菌は生ける原子爆弾である。北満の一角で細菌の研究に従事した筆者の憂うるものは来るべき戦争への細菌参加である。大試験管5本あれば全世界の人類はことごとく死滅してしまうという。こんな恐ろしい戦争が来ないとは限らない。どこかの国がそれを考えているかも知れぬ。避けねばならぬ。平和を祈念しつつ過去の記録をたどったのがこの一文である。

細菌戦争(『サンデー毎日』1952年1月27日掲載)
関東軍防疫部部員       榊亮平

恐るべき7つの細菌兵器
炭疽菌(たんそ)兵器
炭疽菌の研究は、小畠中佐の担任である。炭疽菌は、脾脱疽菌(ひだっそきん)とも言い、もともと馬やその他の家畜の疫病の病源体であるが、人に感染しても高熱を発し、四肢の末端から漸次壊疽(えそ)を起して腐れ落ち、また内臓に入れば、重い胃腸症状を発し、遂に膿毒症を起こして、人命を奪うという恐るべきものである。牛馬の間に流行すれば、次から次へたおしていき、罹患したものを、焼き捨てていかねば、流行が終息することがない。これはこの菌が極めて抵抗力が強く、菌体に芽胞(がほう)という耐久物質ができると、乾燥の状態でも、永久に死滅することがない。摂氏100℃の蒸気を通じても、普通の消毒薬中でも、よほど長い時間せい息することができる。したがってこの菌が、最も早く兵器化に成功したわけである。乾燥するにも、粉末化するにも、何ら顧慮を要しないので、早速兵器応用の研究を始め、まず前線には榴散弾(りゅうさんだん)爆弾(図1)の弾子にまぶし、爆撃に使用し、弾子は創傷を与えるとともに、創傷伝染を併発させる企図の下に備え、後方戦場では軍馬の集繋場、飼料の集積場等の撒布雨下攻撃、兵站地区には牧場の雨下または謀略用食料品、特に菓子類に混入する方法の研究が進められ、これがため研究助手は、市井に菓子職人として、見習いを終え、研究室の一隅は、さながら菓子工場を見るようであった。赤、青、金、銀、色とりどりのセロファン紙に包まれたチョコレートが、きれいな包装箱に入れ、並べてあった。誰の目にもおいしそうなこの菓子の中身が猛毒の炭疽菌であろうとは、想像し得ようか。


ガス壊疽菌兵器
瓦斯壊疽菌(がすえそきん)も、小畠中佐の担任である。この菌は、創傷伝染病の中で最も恐れられるもので、一旦この菌が侵入すると、含気(がんき)の浮腫(ふしゅ)を起し、それがたちまちのうちに壊疽になり、遂に内部に進み、敗血症を起してたおれるものである。この疾病に罹患すると、敗血症を予防するために、患部の、上の関節から、切断手術をせねば助かる方法はない。
この菌も比較的、熱、乾燥に強いので、炭疽菌兵器と同様に散弾爆弾に充填し、第1線に使用する目的の下に、備えられていた。
小畠研究班には、その他破傷風菌兵器、ボツリヌス菌兵器がある。前者は創傷伝染病中で最も多いもので、戦傷にも漏れなく、この免疫血清を注射し、予防方法を講じておるほどである。従って、兵器よりも、予防用として、毒力の強い免疫単位の高いものを重要視していた。しかし本菌の毒作用が、痙攣性卒中のような、はげしい症状を起こすので、兵器としてもまた、有効なので、ガス壊疽菌兵器と同様な目的、方法で使用するに備えられていた。
ボツリヌス菌は、一名腸結菌とも言われ、ソーセージの中にせい息するので、この名がある。嫌気性菌で、酸素のある所には発育し難い欠点はあるが、その特性を利用し、ソーセージや缶詰に混入し、謀略用兵器として使用すれば、はげしい胃腸症状を起こすので、兵器価値を認められていた。

ペスト菌兵器
ペスト菌は、下仲少佐の研究に属し、菌そのものの抵抗力は大して強くはないが、人体に侵入して、これほど猛烈な作用をするものは、他にその例がなく、しかもその侵入門戸が、多種多様で、気道より入れば、肺ペストとなり、皮膚から入れば、皮膚ペスト、または腺ペストを起し、眼より入れば、眼ペストとなる。その経過の急激なことは、早いのは数時間、遅くも数日を出ずして、人命を奪う。罹患したものは、100%の死亡率を示す恐るべきもので、細菌兵器としては、最も効果的で、兵器化条件に適合するが、取扱いに最も慎重を要するものである。粉末化は不可能であるが、使用方法も種々の方法で行われる。第1線には、散弾爆弾の弾子に付着して、爆撃に液状としての霧状攻撃に使用し、またこの菌は、鼠(ネズミ)族間に流行し、ノミを介して、人体に侵入する経過をとるので、この菌を家ネズミまたは畑栗鼠(はたりす)に注射し、鼠を飛行機より落下する場合と、注射した鼠を吸血させた毒ノミ収集、特別の方法で撒布あるいは落下傘をもって、敵陣地等に落下せしむる方法等も用いらる。

ノミの培養
蚤(ノミ)は、ペストの媒介体として、有効であるばかりでなく、回帰熱、発疹チフス等もまた、これによって媒介することは広く知られているところである。畑野技師の担任するこの蚤の飼育研究が、ペストが最も有効なる兵器であるだけに、重要な研究の1つだということができる。昆虫学者としての畑野技師は、蚤の飼料、飼育床、発育温度等の、綿密な研究により、遂に最短期間に、多量の増殖を得ることに成功したのである。
蚤の生存期間は、夏期に吸血したものは、40日以上、吸血しなかったものは約2週間で、死亡するものである。冬期では、吸血しなくとも1か月以上、生存することができるといわれている。産卵数は、1回に8~10個であるが、その生涯を通じて、800個内外の卵を産むという。
普通の家の中では、畳の間、または床板の隙間に産卵し、夏は2日~6日、冬は12日ぐらいで幼虫となり、10日~12日の後に、化してさなぎとなる。更に12日ぐらいを経て成虫となる。従って成虫となるには、4週~6週間を要するとされている。しかし、畑野技師は、詳細な温度差の研究と、たゆまない観察と豊富な飼料の給与により、4週間以内で、最大限の増殖を成し遂げたのである。
その方法は(第2図)、石油缶の内面の腐銹しないものを選び、上部を開放し、中に粟の穀皮と砂とを等分にしたものを、缶の口から6インチ以下まで入れる。これは蚤の跳躍距離6インチに達しないためである。この中に金網籠に封じたラッテ(大黒鼠)を飼料として入れ、防虫菊粉等に馴らした強い種蚤(たねのみ)を、雌雄2組ぐらい、別に雌蚤5匹ぐらいを投じ、温度を適度にし、暗所に置いて、ラッテの斃死するたびに取換え、相当に繁殖した時期を見て、蚤を捕集するのである。



コレラ菌兵器
コレラ菌は綿貫中佐の担任である。この菌は人体に対する毒力の点は、ペスト菌と双璧である。しかし、毒作用の猛烈なのに引き換え、菌そのものの抵抗力は至って弱く、強酸性のものにあってさえ、容易に死滅する。一般消毒薬に対しても極めて弱い。この点は、兵器価値としての規格に、大きなマイナスである。従ってこの菌の研究は、毒力を高めることよりも、抵抗力を増し、耐酸性を増し、耐乾燥性を増すことに力を入れ、研究が繰り返された。その結果は、数代重ねた移植の菌株は、ある程度この欠点を除くことができた。
この菌の特徴は、抵抗力が弱いにもかかわらず、水中、海水中には比較的長時間せい息する特性があるので、これを利用して、河川、海岸地帯の雨下攻撃、または井戸水、水源地の攻撃、謀略用として、水性飲食品の混入等に使用する。時期は特に雨期に用いるのが効果的である。
奥地研究時代の1932年の夏、ハルピン市内に本菌の大流行があった。その際の調査によると、河江、鉄路等の経路によっても、侵襲源を、突きとめることができなかった。結局は某国の謀略によるものであると断定されたのであるが、その使用方法は、至って幼稚で、数人のスパイが相当多数の培養菌を持ち回って、水源や、水槽を汚染したものであることが想像された。多量の菌を使用したことは、当時路上の水たまりをとって検鏡しても、明らかにコレラ菌の活動を見ることができたほどであった。

馬鼻疽菌兵器
馬鼻疽菌(ばびそきん)は、その名の如く、馬の疾患で、馬の鼻粘膜に棲息し、くしゃみや咳で飛沫と共に飛散し、伝染するものである。研究室における取扱中に、培養飛沫を、鼻腔等に吸収して業務感染することが最も多い菌である。現に、この担任である佐和少佐の前に、本菌の研究担当者であった山口少佐は、当隊の尊い犠牲第1号である。人に感染すれば血行に添って、各所に膿瘍(のうよう)を形成し、膿毒症によってたおれるのが普通である。
この菌は粘膜を透して侵入するので、霧状攻撃または腸管粘膜を狙っての、食料品の謀略に主として用いられる。

チフス菌兵器
本菌は河内大尉の研究に属するもので、一般的に、非常によく知られているが、当研究室に保有する菌種は、一般のものと、その性格が一変しており、抵抗力の強靭なことと、その耐寒性の強いのは、炭疽兵器を除いて、他にその類を見ず、特に当隊独特の低温乾燥装置を用いるときは、粉末化も容易である。
この兵器の欠点である潜伏期間の長いのも、研究者の努力で、48時間以内に短縮することに成功している。毒力も、小動物の実験によれば、その致死量を5分の1に減少し得たことが、証明された。人間に対する毒力は知ることはできないが、当研究室の一助手は、指先の創傷から、本菌に感染し、非常に烈しい症状を起こし、当隊の全知全能を傾け、あらゆる治療剤の投与も、遂に効なく犠牲第9号になってしまった。この尊い体験者の症状より判断して、人間に対する毒力も、極めて強力であることを知ることができたのである。
この兵器の使用範囲は、極めて広く、爆弾、撒布、雨下等の戦場攻撃は勿論、後方謀略兵器としては、各種食料品に混入して用いる。しかも混入後の棲息期間が極めて長く、2週間から1か月余に及ぶことを、立証することができたのである。

赤痢菌兵器
この赤痢菌(せきりきん)兵器は、岬技師の担任である。チフス菌と共に、非常に応用範囲の広い菌である。しかしこの菌は、抵抗力が極めて弱く、患者から本菌の検出をする場合でも、排便直後の便を、培養基に塗らないと、発育しないほどである。また罹患者の予後の危険が少ない。この2つの欠点について、岬技師は研究を重ね、遂に毒力は、小動物に対し、3~5倍に増強し、抵抗力もかなり増強することに成功した。この研究室で保存する菌株の内、1株は数年間乾燥状態で放置するに、なお生存するものがある。これは異例に属し、学問上の奇跡ともいうべきで、赤痢菌中の反逆児である。
この兵器の使用は、チフス菌兵器と大同小異であるが、大都市の水源の攻撃や、集団攻撃には、この兵器の方が、却って効果的であることが予想される。

植物菌兵器
沼田技師は植物病理学者であるが、日々トラクターを駆って、数十町歩の試験農場と戦っていた。また一方、農場の一隅の温室には、何時でも、四季の果実、野菜が見られるように、この栽培にも丹精を込めていた。他から見ると、一般百姓と何ら変わるところがないが、その実は植物攻撃兵器の研究に没頭していたのである。
大麦、小麦を、数度の鋤耕、施肥等、丹念に育成させ、豊穣に実って黄金色になった時期に、あらかじめ収集してある赤錆病、黒穂病の病源体を、これに撒布し、一朝にしてこれを枯草に化せしめる。この実験が繰り返されたのである。
研究の成果は、これらの病源体を、人工的に培養し、増殖することに成功したのである。
この兵器の使用は、言うまでもなく、敵の食料基地、特に敵の穀倉とも言うべき地域を選び、飛行機から撒布し、農作物の収穫を皆無にし、敵国を食糧危機に陥れ、総合的戦力の滅殺を図るような雄大な構想の下に、備えられた兵器である。

以上の数種が、細菌兵器として実用化の域に達したもののみである。この外、病源体の未だ明瞭でない痘瘡(とうそう)、発疹チフス等の、病原に関係ありとされるウィルス、リケッチアの収集やその兵器化についても、研究が進められていた。


大試験管5本で人類壊滅
これらの研究課程を脱した細菌兵器は、攻撃部に回され、その性格に合致する使用器具が創案され、気象、気温等に即応した細菌戦術が案出され、大がかりの攻撃実験を繰り返した後、生産部にその生産データが回され、生産の整備が出来上がって、初めて正規の細菌兵器として記録され、使用に備えられるのである。
今我々が、この研究経過のみを知って、将来の細菌戦を想像してさえ、身内のおののきを覚えるのである。まして彼我共に、これを使用する全面的の細菌戦が展開された場合には、銃後においても、日常生活の間ですら、手にする一物も、口にする一さじの食品も、常に猛毒の潜んでいることを、覚悟せねばならない。濡れて行こう春雨の一滴には、チフス菌が宿り、爽快なるべき朝の煙霧は、恐るべきペスト菌の微粒子であるかもしれない。
かく考えるとき、細菌兵器が如何に絶大な威力を持つかを、何人も首肯することができるのである。
原爆・水爆が、その生産に膨大な工場施設を要するのに反し、細菌兵器は一小研究室さえあれば、極めて大量を生産しうる。また原爆等の原料は、地球上に稀有なものを必要とするが、細菌兵器は無限に存在する。1個の細菌は、30分間に1回の分裂を繰り返すとして、15時間には5億3千万という驚くべき繁殖力を持つのである。大試験管5本の培養菌は、世界人類10数億を、一時にたおしうる毒力を持つのである。
けだし細菌兵器は、潜行する原子兵器であり、、生きた原子兵器である。




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