2020年2月19日水曜日

細菌戦の系譜!!


731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
『ヒロアカ』騒動で集英社がお詫び (731部隊の新資料)
ビザ発給拒否裁判 1審不当判決
情報公開裁判「化学学校記事」「衛生学校記事」
小林開さん 映画「ひろしま」を語る!!
核なき世界へ 映画「ひろしま」
ABC企画委員会パネル展2019中野
南方軍防疫給水部の記録を探し求めて(リム・シャオピンさん)
小津安二郎と宮柊二と毒ガス戦
天皇制廃止に向けての第一歩:雲上人を人間化する運動を
京都大学に対する第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求める活動
平沢正欣論文を検証する(人体実験は行われたか?)
武蔵村山の国立感染症研究所問題!!
731部隊・100部隊展




ビザ発給拒否裁判 1審不当判決


安倍政権の歴史改ざん政策(中国人ビザ発給拒否裁判)


731部隊の行なった細菌戦




日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?
地球の温暖化や異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!
●『二酸化炭素温暖化説の崩壊』広瀬隆(集英社新書)
奇々怪々の現代

科学が明らかにした地球の気温変化
1993年には、エルニーニョのため日本は暖冬で、1~3月の真冬日が一日しかなかった。そして夏は低温、日照不足、豪雨に見舞われた。この年には、後に述べる1991年のフィリピンのビナツボ火山の噴火も重なって冷害が続き、岩手県では作況指数30の大凶作を記録し、全国平均のコメの作況指数は戦後最悪の74となり、コメ不足の為、国産米の価格高騰やタイ米の緊急輸入などで大騒動を引き起こした。1997年春から98年夏にかけては、過去最大規模のエルニーニョが発生し、全世界で数千人が死亡した。


●核実験(ウキペディアより)
若くして白血病で亡くなった有名女優、有名歌手、また五輪候選手だったスイマーが白血病になったのは、放射能の影響ではないのか?
月の砂漠の犠牲者 夏目雅子と本田美奈子

核実験(かくじっけん,英語:Nuclear weapons testing)とは、核爆弾の新たな開発や性能維持を確認したり、維持技術を確立したりするために、実験的に核爆弾を爆発させることを指す。1945年から約半世紀の間に2379回(その内大気圏内は502回)の核実験が各国で行われた。そのエネルギーはTNT換算で530メガトン(大気圏内は440メガトン)でこれは広島へ投下されたリトルボーイの3万5千発以上に相当する。

歴史上重要な核実験
歴史的重要度の高い核爆発・核実験
年月日 名称(実験名) 核出力 (kt) 実施国 重要性
1952年10月3日 ハリケーン         25  イギリス イギリスによる初の原子爆弾
1952年11月1日 アイビー マイク       10,400  アメリカ合衆国 人類史上初の多段階熱核反応兵器実験(非実用兵器)
1953年8月12日 RDS-6(ジョー4)     400  ソビエト連邦 ソビエト連邦による初の水爆(非多段階、実用兵器)
1954年3月1日 キャッスル ブラボー   15,000  アメリカ合衆国 水爆(人類史上初の多段階、実用兵器)、放射性降下物
事故(第五福竜丸が被曝)
水素爆弾の恐怖・ビキニ環礁 (アメリカ)


「北朝鮮の核実験の威力」と「史上最強の核兵器"ツァーリ・ボンバ"の破壊力」【核兵器】



●核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について


●原発・化石燃料発電→再生可能エネルギー発電の増加
【金子勝の言いたい放題】NO5 世界は電力タダの時代に エネ転が拓く経済転換(飯田哲也さんと) 20191230



核兵器、生物兵器、化学兵器廃絶!! 戦力不保持!!安倍政権打倒!!
どこの研究所で新型コロナウィルスが誕生したのだろうか??
●ニュース
戦争責任を取らぬまま、そのまま在位した昭和天皇、その後の天皇も日本の侵略戦争の謝罪をしていない!!
どこの研究所がこんなウィルスを開発したのか??それとも日本軍が遺棄した生物兵器が影響しているのだろうか?
731部隊が建物を爆破して日本に逃走した後、その近くの村でペストが流行した。100部隊の逃走した時は、鼻疽菌などに汚染された馬を放ってきた。
中国各地に日本軍の細菌戦研究所が存在したのだから、その施設が遺棄した生物兵器はその後どうなっているのか?
中国の細菌戦被害地では、今でも毎年鼠を捕獲してペストの検疫を行っている。日本軍の遺棄した生物兵器がその後も生きていて、いま中国で広がっている新型コロナウィルスや豚熱に影響はしていないのだろうか?遺棄毒ガス弾が多くの中国人を苦しめているように。
新型肺炎、中国の死者2千人に 7万4千人超が感染、拡大続く

クルーズ船の感染「予想以上に増えた」 WHO

安倍首相の「桜」答弁に野党反発 ホテル説明と食い違い? 

リニア問題、JRの補償方針批判 志太3市自治会連会長が川勝知事に要望書

「営業の秘密に関わるため」なくても「全体として同じこと」? ANAホテル「回答」めぐり国会紛糾続く

証拠あがってるのに…不正入試認めない聖マリアンナ医科大に批判高まる

森友学園 きょう前理事長らに判決予定 延期の可能性も

大竹まことゴールデンラジオ#金子勝 (文化放送 2020-02-14)



日本政府・自衛隊は情報を公開せよ!!(情報開示!!)
今年も8月12日がくる──。33年前 520人が犠牲になった日航機墜落、遺物の化学分析で判明した事実とは?

中曽根元総理が知る日航機墜落事故の真実とは?墓場まで発言の真意を調査!

ここの研究所は、どんなことをやっているのだろうか??
国立感染症研究所村山庁舎(武蔵村山)

●なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より
・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。
封印された原爆報告書



水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した!!
ビキニ「死の灰」世界各地へ



JCOの臨界事故


福島第1原発事故


核兵器廃絶

徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!

「731部隊・100部隊・毒ガス戦」パネル展 2019年4月29日~5月3日
「日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか 」 田中利幸さん
日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病



731部隊(unit731)


昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!



●横浜「戦争の加害展」感想


2月10日

19.非常に怖い(男性30代市内)

●映画「ひろしま」アンケート(1月13日 横浜)
( )は性別・年代・住まい・情報
23、映画「ひろしま」を見られて本当に良かったです。火災により家の下敷きになった家族を助けられない場面は心が痛みました。阪神淡路大震災でも同じ場面がありましたが、地震は天災、原爆は人災です。戦争がなければ起こらなかったのですから、なおさら心が痛みました。
又、教師が子どもたちの生死を確かめるシーンも本当に悲しかったです。あの場面が実際にあちこちで、家族間でもあったのでしょう。本当に実際にあったつらい場面でした。
大根の種をまいて芽が出た―みんなの希望になったのでしょうね。
私も友人が広島におり、広島米を送ってくれます。また、友人にこの映画をみたことを知らせます。
又、小学校で教育支援をしており、「平和学習コーナー」の掲示板をもらっているので、そこにチラシを掲示し、この映画のことを知らせます。
(女性・70代・市内・朝日新聞)


●【真相】(unit731)
石井細菌戦部隊―極秘任務を遂行した隊員たちの証言
郡司陽子編(1982年11月30日初刷:徳間書店)


Ⅱ 中支・寧波(ニンポー)細菌戦出動始末
-元千葉班・工務班 H・F

いつもとは違う「出張」命令
だだっ広い野原に、2、3の仮小屋が建っているだけの場所に「丸太」を連れて行く。その「丸太」たちを縛り付ける杭や板を、地中に穴を掘って立てていくのが、我々の仕事だった。
定められた中心から、いろいろな距離や角度に立てられた杭に縛り付けられた「丸太」に、様々な実験が試みられた。私が目撃したのは、飛行機による細菌爆弾の投下(これは、我々が防毒衣を着用させられたのでわかった)、それに、地上にセットされた爆弾の威力テストだった。
実験終了後の、資材の完全な回収も、我々の仕事だった。とにかく、実験の痕跡を残してはならなかった。






●日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より

第10章 残酷な人体実験毒ガス実験

科学に対する冒涜
1993年6月、『従軍慰安婦』問題を調査する為、吉見義明、伊香俊哉らの学者が日本の防衛庁防衛研究所図書館で資料を調べ、旧日本陸軍の一部の重要な士官の業務日記を発見した。その中に軍医大佐金原節三の『陸軍省業務日誌摘録』があった。金原節三は1937年8月から日本陸軍省医務局医事課員となり、1941年11月からは医事課長を務めた。合わせて35冊の『日誌』の中に、各種の化学毒剤による人体実験を行ったことに関する重要な資料がある。







●証言 人体実験(731部隊とその周辺)
中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳

松本英雄供述書(1954年10月23日)

種村文三供述書(1954年8月31日)
問:炭疽菌に冒された馬を川に捨てたら下流の人民にどんな悪影響があるか、そのことはわかっていただろう。
答:わかっていた。私は11月になると帰国したので、こうすれば下流の地域ではいたるところで炭疽菌による伝染病が発生するだろうと思ったが、当時調査しなかったので、発生したかどうかわからない。






●『人間の価値』
―1918年から1945年までのドイツ医学
Ch.ブロス/G.アリ編
林 功三訳

■訳者あとがき(1992年11月 林功三)
この展示会と本書をご覧になれば、ドイツでどれほど「過去の克服」がおこなわれているかを理解していただけるだろう。ドイツでは、これと同様、各地で連邦司法省による『司法とナチズム』の展示会(1989年)とカタログの刊行がおこなわれている。本来どこの国でも医師層や司法界などは最も保守的な層である。その層がこのように自分たちの過去を問い、「悲しみと恥を」まともに表明しているのは驚くべきことではないだろうか。しかも個人や個々のグループだけではなく、公的な機関がそこをおこなうまでになっている。現代医療の問題に関しても、このような反省無しには倫理の確立はありえまい。その他にも、ここで紹介することはできないが、歴史研究、ジャーナリズム、教育界など、ドイツではあらゆる分野でナチズムの歴史への反省がおこなわれている。その事例は枚挙にいとまがない。それをみると、わたしたちは目をみはらないではいられない。どうしてこうなのか。なぜドイツでは今までこういう「過去の克服」が可能であったのか、なぜそれが日本ではできないのか。ドイツと比べてわたしたちの社会の歪みは大きい。そのことと「過去の克服」のおこなわれていないこととは無関係でないはずである。


昨年2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)



●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作ってもいいのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!
日本の毒ガス

沖縄・南西諸島が軍事要塞化している現実はおかしくないか??
「琉球処分」から140 今の沖縄を考える

●「衛生学校記事」とはどんなものだろうか?
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?


次回『衛生学校記事』情報公開裁判
4月23日14:00~東京地裁419号法廷

”桜を見る会”や”森友””防衛省の日報”等で公文書の廃棄や改ざん、隠蔽などが問題になっているかが、『衛生学校記事』・『化学学校記事』での防衛省の公文書管理は一体どうなっているのだろうか?

4年前には、不要決定簿冊というのがあったという。それには、廃棄するものには、2重線が引かれていて、不要決定という印が押されていた。ところが今回閲覧した図書原簿には、2重線だけしかなかった。
これで『衛生学校記事』というのが本当に廃棄されたのかどうか??4年に間にシステムが変わったのか?

第4代衛生学校長だった金原節三が亡くなってから、遺族が、当時の防衛庁に寄贈した金原節三資料の中に13点の『衛生学校記事』が含まれている。それがいまだに未開示であり、その行方が防衛省は分からないという。
1995年に防衛研究所が衛生学校から金原資料の全部を移管したようだ。1996には、その資料の中で価値の高いものを、防衛研究所に残して、あとは衛生学校に戻したようだ。
『金原文庫』はいつまで、衛生学校の彰古館に設置されていたのであろうか?その中に果たして『衛生学校記事』があったのか?また、金原資料はキチンと整理をされていたのだろうか?金原資料の中には『特殊武器衛生』というものもある。毒ガスや生物兵器を指すのだろうか?

次回の裁判では、その移管作業に関わった5人の方々の陳述が出るのかどうかが焦点になる。


※彰古館には、自衛隊関係の資料も保管している!!
『軍事史研究』2010年9月
軍事史関係史料館探訪(56)
陸上自衛隊衛生学校 医学情報史料室 彰古館
喜多義人
収蔵品の多くは、旧陸軍軍医学校由来の品々と医学文献であり、『大東亜戦争陸軍衛生史』編纂の際に寄贈された史料も所蔵されている。また、衛生学校にかつて開設されていた同校戦史室が収集した戦史史料、戦後の警察予備隊から保安隊を経て陸上自衛隊に至る草創期の衛生科部隊の行動史、研究報告なども含まれている。


●「化学学校記事」情報公開裁判
次回 2020年6月3日(水)11:30~ 東京地裁522号廷
防衛省は、化学学校記事16号の存在を今回初めて認めた。まだ公開していない『化学学校記事』がたくさんあるはずだ。果たして自衛隊は、どんなことをしているのかその全貌を明らかにすべきだ。戦力を保持しないという憲法に本当に抵触していないかを明らかにすべきだ。
1977年発行の化学学校発行の『20年のあゆみ』について、防衛省はマスキングに時間がかかるため、2か月後の提出は難しいかも知れないと述べた。
『20年のあゆみは』は1970年代だから、沖縄での、毒ガス漏洩事件や本土の相模原補給廠での毒ガスの問題がある中、毒ガスや核兵器に関する研究の記述もあるのだろう。それらをマスキングして公開しないというのは、日本の情報公開がいかに遅れているかと象徴している。
、佐藤内閣時代に実際に核兵器を持とうとしていたのだから、自衛隊ではどんなことが研究をしているかを、国民に広く知らせるべきである。ましてや日本は、広島、長崎、ビキニ、福一で甚大な被曝をしている国なのだから。



1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊


第4代衛生学校長
『衛生学校記事』を発刊したときの、衛生学校長金原節三とはどんな人物なのだろうか?
金原節三(1901~1976)
陸軍省医事課長時代(1941.11~43.8)に731部隊から報告を受けていた。「陸軍省業務日誌摘録」
厚生省東海北陸医務出張所から衛生学校へ 1955.8.1

金原節三と細菌戦
金原の略歴を見ると、昭和16年11月に陸軍省医務局医事課長になっていて、17年に8月に軍医大佐になっている。
細菌戦資料センターの会報には、次のような記載がある。「陸軍省医務局医事課長だった金原節三元軍医大佐が、1955年に陸上自衛隊に入隊した。細菌戦部隊を指導していたのは、陸軍参謀本部、陸軍省医務局衛生課そして陸軍省医務局医事課である。金原は、「金原業務日誌摘録」に細菌戦部隊からの報告を記録している。


金原節三と武見太郎
金原と戦後日本医師会会長になり、医師会、薬剤師会、歯科医師会に大きな影響を及ぼした武見太郎は、軍隊内の先輩・後輩関係にあった。『金原節三資料目録』(陸上自衛隊衛生学校)の巻頭言は、日本医師会長武見太郎が書いている。

『BC兵器』 久保綾三著(1969年)より


Ⅱ 自衛隊と生物・化学兵器―その思想と作戦

2、研究開発と自衛官の入学拒否

大学問題に頭を抱える

3次防以降の技術者の増強計画を見込んで32年度から始めた「貸費学生」(派遣学生)の制度が、大学側から拒否されるという事態に直面して完全に挫折状態となり、庁内では3次防計画どころかこのままだと現状維持すら危ぶまれると心配する者が多くなっているほどの打撃である。他の省庁ならともかく、札付きの防衛庁であってみれば“青田刈り”でもしようものなら薮ヘビになることは請け合いだ。


第5代衛生学校長
井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身
1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】
第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任(『大東亜戦争陸軍衛生史』を編纂するため、膨大な旧軍資料を集め、又戦後に日本独自の細菌戦部隊の復活させようとしたことが原因か??)になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を解任され、その後を井上が引き継いだ。
井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。
又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。
南方軍防疫給水部(岡9420部隊)





イタイイタイ病を究明した男 萩野昇

驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く

水俣病問題

小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去

小泉親彦と宮川米次の絆

ヒロシマからフクシマへ

宮川正

「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—

ビキニ「死の灰」世界各地へ

自衛隊とサリン

相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場

日本の国家機密

兒嶋俊郎さんを偲ぶ



●昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!!
天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より
重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。


●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)吉田裕監修 2001年ピュリッツァー賞受賞

※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!



第11章 真珠湾への道


この日、天皇は驚くべき提案を東条にしていた。昭和天皇は、戦争の収拾策について、その最終的な行動を統制下におき、予測できるようにしておくために、行動計画を用意しておくように話したのある。驚くべきことにバティカンにいる「ロ-マ法王」と連絡をとるようにうにというのである。東条はすばやく行動し、忠誠心を見せた。しかし、11月15日、戦争の終結を促進させる案として連絡会議で正式に採用された計画は、まだ始まってもいない戦争(せいぜい引き分けに終わる見込みの戦争)で、日独がまず大勝利をおさめれば、そこから戦争終結の好機をつかもうという程度の筋書きでしかなかった。それにもかかわらず、それは天皇を満足させるものであった。

小泉親彦と昭和天皇

近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~

近代天皇制の真髄は

福沢諭吉

神武と戦争




憲法9条を生かそう!!

















2020年2月18日火曜日

731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書





細菌戦の系譜!!


731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
『ヒロアカ』騒動で集英社がお詫び (731部隊の新資料)
ビザ発給拒否裁判 1審不当判決
情報公開裁判「化学学校記事」「衛生学校記事」
小林開さん 映画「ひろしま」を語る!!
核なき世界へ 映画「ひろしま」
ABC企画委員会パネル展2019中野
南方軍防疫給水部の記録を探し求めて(リム・シャオピンさん)
小津安二郎と宮柊二と毒ガス戦
天皇制廃止に向けての第一歩:雲上人を人間化する運動を
京都大学に対する第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求める活動
平沢正欣論文を検証する(人体実験は行われたか?)
武蔵村山の国立感染症研究所問題!!
731部隊・100部隊展




ビザ発給拒否裁判 1審不当判決


安倍政権の歴史改ざん政策(中国人ビザ発給拒否裁判)




日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?
地球の温暖化や異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!
●『二酸化炭素温暖化説の崩壊』広瀬隆(集英社新書)
奇々怪々の現代

科学が明らかにした地球の気温変化
ある時代までミランコビッチ・サイクルが成り立ち、太陽の日射量と氷河期の成立に大きな相関性のあることを、現在では誰もが認めている。
このように広大な宇宙にある惑星としての地球は、一方で、地球内部のマグマからも、大気と海流からも、様々な影響を受ける。いずれも、CO₂と全く無関係の、昔からある事象である。代表的なものに、エルニーニョとラニーニャがある。自然現象のエルニーニョは南米沖から日付変更線までの赤道付近の太平洋海域の海水温が平年より2~4℃ほど高くなり、その状態が半年~1年半も続く現象で、数年おきに起きる。


●核実験(ウキペディアより)
若くして白血病で亡くなった有名女優、有名歌手、また五輪候選手だったスイマーが白血病になったのは、放射能の影響ではないのか?
月の砂漠の犠牲者 夏目雅子と本田美奈子

核実験(かくじっけん,英語:Nuclear weapons testing)とは、核爆弾の新たな開発や性能維持を確認したり、維持技術を確立したりするために、実験的に核爆弾を爆発させることを指す。1945年から約半世紀の間に2379回(その内大気圏内は502回)の核実験が各国で行われた。そのエネルギーはTNT換算で530メガトン(大気圏内は440メガトン)でこれは広島へ投下されたリトルボーイの3万5千発以上に相当する。

歴史上重要な核実験
歴史的重要度の高い核爆発・核実験
年月日 名称(実験名) 核出力 (kt) 実施国 重要性
1945年7月16日 ガジェット(トリニティ実験) 19  アメリカ合衆国 人類史上初の原子爆弾実験
1945年8月6日 リトルボーイ 15  アメリカ合衆国 人類史上最初の実戦使用(広島市への原子爆弾投下)
1945年8月9日 ファットマン 21  アメリカ合衆国 人類史上最後の実戦使用(長崎市への原子爆弾投下)
1949年8月29日 RDS-1(ジョー1) 22  ソビエト連邦 ソビエト連邦による初の原子爆弾
水素爆弾の恐怖・ビキニ環礁 (アメリカ)


「北朝鮮の核実験の威力」と「史上最強の核兵器"ツァーリ・ボンバ"の破壊力」【核兵器】



●核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について


●原発・化石燃料発電→再生可能エネルギー発電の増加
【金子勝の言いたい放題】NO5 世界は電力タダの時代に エネ転が拓く経済転換(飯田哲也さんと) 20191230



核兵器、生物兵器、化学兵器廃絶!! 戦力不保持!!安倍政権打倒!!
どこの研究所で新型コロナウィルスが誕生したのだろうか??
●ニュース
戦争責任を取らぬまま、そのまま在位した昭和天皇、その後の天皇も日本の侵略戦争の謝罪をしていない!!
どこの研究所がこんなウィルスを開発したのか??それとも日本軍が遺棄した生物兵器が影響しているのだろうか?
731部隊が建物を爆破して日本に逃走した後、その近くの村でペストが流行した。100部隊の逃走した時は、鼻疽菌などに汚染された馬を放ってきた。
中国各地に日本軍の細菌戦研究所が存在したのだから、その施設が遺棄した生物兵器はその後どうなっているのか?
中国の細菌戦被害地では、今でも毎年鼠を捕獲してペストの検疫を行っている。日本軍の遺棄した生物兵器がその後も生きていて、いま中国で広がっている新型コロナウィルスや豚熱に影響はしていないのだろうか?遺棄毒ガス弾が多くの中国人を苦しめているように。

【速報】クルーズ船 新たに99人感染

新型コロナの政府対応「評価せず」50% 朝日世論調査

内閣支持率じわり低下、危機感募る政府・与党

ANAホテル「営業の秘密と言った事実はない」 安倍首相答弁を否定

辻元清美議員「桜を見る会」新資料で安倍首相追及 「答弁と違う」

国内の全原発「廃炉に」 脱原発をめざす首長会議 「核燃サイクル、既に破綻」

自衛隊F15戦闘機 嘉手納基地に緊急着陸

共産系と誤認し講演依頼撤回 横浜市緑区、理由も虚偽説明

大竹まことゴールデンラジオ#金子勝 (文化放送 2020-02-14)



日本政府・自衛隊は情報を公開せよ!!(情報開示!!)
今年も8月12日がくる──。33年前 520人が犠牲になった日航機墜落、遺物の化学分析で判明した事実とは?

中曽根元総理が知る日航機墜落事故の真実とは?墓場まで発言の真意を調査!

ここの研究所は、どんなことをやっているのだろうか??
国立感染症研究所村山庁舎(武蔵村山)

●なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より
・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。
封印された原爆報告書



水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した!!
ビキニ「死の灰」世界各地へ



JCOの臨界事故


福島第1原発事故


核兵器廃絶

徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!

「731部隊・100部隊・毒ガス戦」パネル展 2019年4月29日~5月3日
「日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか 」 田中利幸さん
日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病



731部隊(unit731)


昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!



●横浜「戦争の加害展」感想


2月10日

18.毒ガス兵器や細菌兵器やあらゆる物をつかい戦争においてどのようになるという想像力をなくする。
京城帝大内に対する犯罪は昭和20年に田保橋茂に対する犯罪とか、吉野作造の弟子奥平武彦が腸チフスで死んだ。(男性70代市内)


●映画「ひろしま」アンケート(1月13日 横浜)
( )は性別・年代・住まい・情報

22、長い間上映されてこなくて残念でした。今回初めて見れて良かったです。
(女性、70代、市内、友人)

●【真相】(unit731)
石井細菌戦部隊―極秘任務を遂行した隊員たちの証言
郡司陽子編(1982年11月30日初刷:徳間書店)


Ⅱ 中支・寧波(ニンポー)細菌戦出動始末
-元千葉班・工務班 H・F

いつもとは違う「出張」命令
私は、「千葉班」が解散された後、前述の工務班に配属された。もともと田舎で1人前の大工として認められていた私は、自分の腕がふるえて、しかも不況のどん底にあった内地よりはるかに給料のいい731部隊での新たな職場に、異存はなかった。
工務班の仕事は、主に部隊内の営繕、ちょっとした設備の新築、改装それに修理などだった。
ところが、しばらくして、私は工務班のもう1つの仕事を体験することになった。
それは、「丸太」を使った野外での実験のための設営をすることだった。
部隊本部のある平房から130キロほどの距離に、安達(アンダー)というところがあった。そこが、通常、「丸太」を使って実験を行なう、野外演習場だったのだ。





●日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より

第10章 残酷な人体実験毒ガス実験

科学に対する冒涜

その実、人体による毒ガス実験の面でも、情況は同じである。こうした身の毛のよだつ資料を読むと、私たちは心に震えを覚えると同時に、理解しがたいものを感じるのである。世界にはかくも人間性のかけらもない「人」が存在しるるのか?
しかも、こうした実験が日本軍の中で行われたのは1,2回ではない。別の文献資料から、この実験の存在がより証明された。






●証言 人体実験(731部隊とその周辺)
中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳

松本英雄供述書(1954年10月23日)

種村文三供述書(1954年8月31日)
問:石井四郎が派遣した軍属は、どんなふうに死んだ馬の体から炭疽菌を採取したか見たか。
答:見ていない。聞いたところでは、馬の口の血を饅頭(マントウ)につけてハルビンに持ち帰ったということだ。
問:死んだ馬1頭を川に捨てたのは何のためか。
答:川岸に埋めるのが面倒だったので、死んだ馬1頭を川に捨てた。





●『人間の価値』
―1918年から1945年までのドイツ医学
Ch.ブロス/G.アリ編
林 功三訳

■訳者あとがき(1992年11月 林功三)
せっかく膨大な展示資料をアメリカから日本まで送ってもらって京都だけで終えるのはあまりにも残念だったので、大阪のドイツ文化センター(エンゲルキング館長)にもお願いし、またPeace Osaka(「大阪国際平和センター」、館長は勝部元さん)に会場を提供してくださるようお願いして、ご快諾をいただいた。
さらにわたしは、広島でも開催できるよう、山田浩教授にお願いしたところ、広島では山田教授、庄野直美教授をはじめみなさんの協力によって広島県医師会、国際文化財団(中国新聞)、平和文化センター、日本平和学会中国・四国支部、ヒロシマ・ナガサキ平和基金の5者がドイツ文化センターとともに主催者となって、展示会とシンポジウムを開催してくださることになった。
ここに1人ひとりの名前を挙げないが、こうしてみなさんのご協力を得て、日本の各都市で展示会・シンポジウムを開催することが可能になった。このことについて、また本書の刊行について、わたしはみなさんに心からお礼を申し上げたい。


昨年2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)



●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作ってもいいのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!
日本の毒ガス

沖縄・南西諸島が軍事要塞化している現実はおかしくないか??
「琉球処分」から140 今の沖縄を考える

●「衛生学校記事」とはどんなものだろうか?
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?


次回『衛生学校記事』情報公開裁判
4月23日14:00~東京地裁419号法廷

”桜を見る会”や”森友””防衛省の日報”等で公文書の廃棄や改ざん、隠蔽などが問題になっているかが、『衛生学校記事』・『化学学校記事』での防衛省の公文書管理は一体どうなっているのだろうか?

4年前には、不要決定簿冊というのがあったという。それには、廃棄するものには、2重線が引かれていて、不要決定という印が押されていた。ところが今回閲覧した図書原簿には、2重線だけしかなかった。
これで『衛生学校記事』というのが本当に廃棄されたのかどうか??4年に間にシステムが変わったのか?

第4代衛生学校長だった金原節三が亡くなってから、遺族が、当時の防衛庁に寄贈した金原節三資料の中に13点の『衛生学校記事』が含まれている。それがいまだに未開示であり、その行方が防衛省は分からないという。
1995年に防衛研究所が衛生学校から金原資料の全部を移管したようだ。1996には、その資料の中で価値の高いものを、防衛研究所に残して、あとは衛生学校に戻したようだ。
『金原文庫』はいつまで、衛生学校の彰古館に設置されていたのであろうか?その中に果たして『衛生学校記事』があったのか?また、金原資料はキチンと整理をされていたのだろうか?金原資料の中には『特殊武器衛生』というものもある。毒ガスや生物兵器を指すのだろうか?

次回の裁判では、その移管作業に関わった5人の方々の陳述が出るのかどうかが焦点になる。


※彰古館には、自衛隊関係の資料も保管している!!
『軍事史研究』2010年9月
軍事史関係史料館探訪(56)
陸上自衛隊衛生学校 医学情報史料室 彰古館
喜多義人
収蔵品の多くは、旧陸軍軍医学校由来の品々と医学文献であり、『大東亜戦争陸軍衛生史』編纂の際に寄贈された史料も所蔵されている。また、衛生学校にかつて開設されていた同校戦史室が収集した戦史史料、戦後の警察予備隊から保安隊を経て陸上自衛隊に至る草創期の衛生科部隊の行動史、研究報告なども含まれている。


●「化学学校記事」情報公開裁判
次回 2020年6月3日(水)11:30~ 東京地裁522号廷
防衛省は、化学学校記事16号の存在を今回初めて認めた。まだ公開していない『化学学校記事』がたくさんあるはずだ。果たして自衛隊は、どんなことをしているのかその全貌を明らかにすべきだ。戦力を保持しないという憲法に本当に抵触していないかを明らかにすべきだ。
1977年発行の化学学校発行の『20年のあゆみ』について、防衛省はマスキングに時間がかかるため、2か月後の提出は難しいかも知れないと述べた。
『20年のあゆみは』は1970年代だから、沖縄での、毒ガス漏洩事件や本土の相模原補給廠での毒ガスの問題がある中、毒ガスや核兵器に関する研究の記述もあるのだろう。それらをマスキングして公開しないというのは、日本の情報公開がいかに遅れているかと象徴している。
、佐藤内閣時代に実際に核兵器を持とうとしていたのだから、自衛隊ではどんなことが研究をしているかを、国民に広く知らせるべきである。ましてや日本は、広島、長崎、ビキニ、福一で甚大な被曝をしている国なのだから。



1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊


第4代衛生学校長
『衛生学校記事』を発刊したときの、衛生学校長金原節三とはどんな人物なのだろうか?
金原節三(1901~1976)
陸軍省医事課長時代(1941.11~43.8)に731部隊から報告を受けていた。「陸軍省業務日誌摘録」
厚生省東海北陸医務出張所から衛生学校へ 1955.8.1

金原節三と細菌戦
金原の略歴を見ると、昭和16年11月に陸軍省医務局医事課長になっていて、17年に8月に軍医大佐になっている。
細菌戦資料センターの会報には、次のような記載がある。「陸軍省医務局医事課長だった金原節三元軍医大佐が、1955年に陸上自衛隊に入隊した。細菌戦部隊を指導していたのは、陸軍参謀本部、陸軍省医務局衛生課そして陸軍省医務局医事課である。金原は、「金原業務日誌摘録」に細菌戦部隊からの報告を記録している。


金原節三と武見太郎
金原と戦後日本医師会会長になり、医師会、薬剤師会、歯科医師会に大きな影響を及ぼした武見太郎は、軍隊内の先輩・後輩関係にあった。『金原節三資料目録』(陸上自衛隊衛生学校)の巻頭言は、日本医師会長武見太郎が書いている。

『BC兵器』 久保綾三著(1969年)より


Ⅱ 自衛隊と生物・化学兵器―その思想と作戦

2、研究開発と自衛官の入学拒否

大学問題に頭を抱える

第2表のように、医官を例にとってみても1004人の定員の対して、現在員が378人という有様である。自衛隊では、3次防で全国の駐屯地の医療施設の充実を目指しているほか、衛生学校などでの生物兵器関係の医官が不足しており、深刻な問題となっていると言う。こうした学者、研究員の不足は3次防の技術研究開発にも大きな狂いを生じそうな気配とも言われ、その対策に頭を痛めているという状況である。


第5代衛生学校長
井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身
1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】
第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任(『大東亜戦争陸軍衛生史』を編纂するため、膨大な旧軍資料を集め、又戦後に日本独自の細菌戦部隊の復活させようとしたことが原因か??)になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を解任され、その後を井上が引き継いだ。
井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。
又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。
南方軍防疫給水部(岡9420部隊)





イタイイタイ病を究明した男 萩野昇

驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く

水俣病問題

小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去

小泉親彦と宮川米次の絆

ヒロシマからフクシマへ

宮川正

「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—

ビキニ「死の灰」世界各地へ

自衛隊とサリン

相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場

日本の国家機密

兒嶋俊郎さんを偲ぶ



●昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!!
天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より
重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。


●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)吉田裕監修 2001年ピュリッツァー賞受賞

※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!



第11章 真珠湾への道


11月2日、東条と統帥部の永野軍令部総長、杉山参謀総長は先に決まった国策について天皇に報告した。東条は資源の状況を含めた11項目についての再検討を10月23日から始めていたが、結局、無駄であり、貴重な時間を失うだけだった。昭和天皇は満足しているように見えた。疑いもなく天皇は、戦争へと大きく踏み出したと思っていた。いまや、天皇は戦争開始の決定を裁可するための口実を手に入れたのであった。開戦に向け残された手続きはわずかであったが、天皇はより詳細な説明を必要とした。「(戦争の)の大義名分を如何に考ふるや」と天皇は東条に尋ねた。軍や政府の指導者とはまったく異なる公的イメージを守るために、さらに来たるべき戦争に対する国民の全面的な支持も配慮し、昭和天皇は忠臣東条にできるだけもっともらしい戦争の理由を考えるように命じた。東条はこれに「目下研究中でありまして何れ奏上致します」と答えた。

小泉親彦と昭和天皇

近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~

近代天皇制の真髄は

福沢諭吉

神武と戦争




憲法9条を生かそう!!

















2020年2月17日月曜日

『ヒロアカ』騒動で集英社がお詫び (731部隊の新資料)


第2次世界大戦中に細菌戦の準備を進めた旧関東軍防疫給水部(731部隊)について、戦後に日本政府が作成した公文書が6日までに、発見された。京都帝大などから派遣された医師らが人体実験を行ったとされる731部隊について、政府はこれまで国会で政府内に「活動詳細の資料は見当たらない」と答弁をしており、発見した西山勝夫滋賀医大名誉教授は「まだまだ731部隊に関係する資料が埋もれている可能性がある」と話している。

 発見された公文書は戦後5年目の1950年9月に厚生省(現・厚生労働省)復員局留守業務第三課が作成した「資料通報(B)第50号 関東軍防疫給水部」との文書。西山名誉教授が昨年11月、国立公文書館から開示決定を受けた。文書は計4ページあるが、もっと分厚い資料の一部だった可能性がある。戦後中ソに取り残された元731部隊の軍医や軍人らの状況を把握するために作成された資料で、「関東軍防疫給水部の特異性 前職に依る(サ)関係者が多い」と書かれている。

 うち1枚は「関東軍防疫給水部行動経過概況図」と題された縦約90センチ、横約60センチある大きな図面。「防給本部」について「部隊長 石井四郎中将以下約1300人内外 本部は開戦と共に全部を揚げて北鮮方面に移動すべく」などと満州(現・中国東北部)から日本に帰国するまでの経路が図説され、本部第一部が細菌研究、第四部が細菌生産などと部隊構成も記載されている。

 図は大連支部や牡丹江支部、ペスト防疫部隊など、関東軍防疫給水部の各支部がソ連参戦時にどういう部隊構成だったか、武装解除や敗走経路、ソ連に抑留された人数や指揮官の氏名、中国側に残留している人数なども記載している。731部隊はハルビン近郊にあった本部と実験施設を爆破し研究資料も廃棄処分したとされるが、撤退の経路が日本側公文書で裏付けられるのは初。731部隊の本部では日本に帰国し、戦後の医学界や製薬会社で活躍した人物が多いが、今回の資料で各支部は混乱した状況だったことも明らかになった。

 731部隊の生体実験やペスト菌散布などを示す戦時中に作成された文書や論文は国内や中国で発掘が相次ぎ、占領期に米国が石井元731部隊長や解剖した医学者らに尋問した調書も機密開示されているが、戦後に日本政府は731部隊について「調査しない」との見解を繰り返しており、公文書が存在した意義は大きい。

 日本政府は、731部隊のペスト菌散布を裏付ける金子軍医少佐論文(1943年付)が国会図書館関西館(精華町)で発見された際も、2012年の国会答弁で「政府内部に資料が見当たらないのが実態」と答弁している。




『ヒロアカ』騒動で集英社がお詫びも、ネトウヨが「731部隊は捏造なのに」と妄言! ならば突きつけよう、“人体実験”の証言
「週刊少年ジャンプ」(集英社)で連載中の漫画『僕のヒーローアカデミア』(作・堀越耕平)に登場するキャラクターの名前が、細菌兵器の開発や人体実験を行なっていた日本軍の「731部隊」を彷彿させるとして、SNSで批判が集まった問題。『ヒロアカ』との愛称で知られる本作はアニメ化もされた人気作で、海外ファンも多いという。

 念のため振り返っておくと、3日発売の「ジャンプ」2020年10号掲載『ヒロアカ』最新話のなかで、改造人間を生み出す総合病院の創設者という設定の「志賀丸太」なる名称のキャラクターが登場したのだが、これが、731部隊で殺害や人体実験の対象にした捕虜を呼ぶ隠語になっていた「丸太」「マルタ」を思い起こさせるとして、SNS上で主に海外から強い批判が出た。

 これらを受けて、まず3日に「週刊少年ジャンプ」の公式サイトなどに編集部名義で〈週刊少年ジャンプ10号(2月3日発売)『僕のヒーローアカデミア』の登場人物「志賀丸太」について、その名前が「過去の史実を想起させる」とのご指摘がありました。命名に当たり、作者や編集部にそのような意図はありません。しかしながら、無関係の史実と作品を重ね合わせられることは本意ではないため、作者と相談の上、コミックス収録時に当該人物の名前を変更することにいたしました。〉と、キャラクターの名前の変更を告知。

 さらに7日には、集英社の公式サイトなどに集英社として日本語のほか複数言語へ翻訳した詳細な「お詫び」文を発表。〈「志賀(しが)」は他の登場人物名の一部から、「丸太(まるた)」はその外見から命名したもので、過去の歴史と重ね合わせる意図は全くありませんでした〉と釈明したうえで、〈しかしながら、「悪の組織の医師」というキャラクターの設定とこれらの名前が合わさった結果、中国をはじめとする海外の読者の皆様に不快な思いをさせてしまいました。事前に編集部が表現について十全な検討を行うべきでした〉と述べた。「志賀丸太」のキャラクター名は、コミックス収録時や電子版にて変更するという。

 作者の堀越耕平も、キャラクターの名称について〈いずれも偶然で、読者のみなさんを傷つける意図は全くありませんでした〉としつつ、〈大勢の方に大変不快な思いをさせてしまい、誠に申し訳ございません〉〈今後、二度とこのようなことを繰り返さぬよう、努めてまいります〉とお詫びした。

 しかし、日本国内のネットやSNSでは、3日に集英社が名前変更を告知した直後から、731部隊を想起させるという抗議の声とそれに対応した集英社に対して、非難が殺到した。〈日本には表現の自由がある〉〈難癖だろ〉〈今一番好きなアニメのヒロアカが韓国中国に攻撃されているのに頭きてる〉〈名前を変えさせた集英社にがっかり〉〈突っぱねればいいのにヒロアカの作者も集英社もアホだろ〉〈謝るべきではなかった〉、さらには〈そもそも731部隊も人体実験も捏造なのに〉という声まで……。

 だが、これらの非難は明らかに的外れだ。たとえば、欧米でナチスやホロコーストを彷彿とさせるデザインや名称が無闇に表現物に使われれば批判される。一般論として、戦争犯罪や民族浄化、あるいは大量殺戮等にちなむキャラクターが議論を呼ぶのは、いたって自然なことだ。

 しかも、今回は「丸太=731部隊のマルタ」と見なされたのは、単に読み方が同じだっただけでなく、当該キャラクターの設定が「改造人間をつくる医師」であったことが要因だ。つまり、731部隊を想起させる加害者側の名前に、被害者を指し示す隠語を使うという転倒を用いていたのだ。

 仮にこれが、表現とその他の自由や権利がぶつかる「表現の自由」の問題であるならば、制作者側は表現の意図を説明し、理解を求めるなりなんなりすればよい。たとえば、ナチを描く作品が適切かは、単に「ヒトラー」を登場させたかどうかではなく、その内容や文脈による。しかし、今回の『ヒロアカ』には批評性も必然性もない。そのことは、今回、制作者が「過去の歴史と重ね合わせる意図は全くなかった」としてキャラクター名をあっさり変更したことからも明らかだろう。

 つまるところ、今回の『ヒロアカ』をめぐる騒動は「表現の自由」の問題ではなく「想定の甘さ」と考えるべきで、現に制作者側がそうした認識を示している。むしろ、集英社が公式に〈今後、このような事態を起こさないよう、様々な歴史と文化への理解を深める努力を続ける〉(「お詫び」より)と明言し、負の歴史にかかる議論をうやむやにしなかったことを評価すべきではないのか。


731部隊を「『悪魔の飽食』の創作」と信じるネトウヨの歴史への無知、リテラシー欠如
 さらに呆れたのは、今回、海外からの抗議や集英社を非難する声の中に、歴史への無知を丸出しにしたネトウヨの妄言が多数含まれていたことだ。

 たとえば、731部隊が人体実験をしていたのは中国人とロシア人なのに、〈文句言う韓国人は頭大丈夫か?病院行ってこい〉などと、まるで韓国人がクレームをつけたかのような投稿、さらに、前述したように731部隊やその人体実験を「捏造」とする書き込みも多数見られた。

〈マルタ?731部隊?全部デマだよ〉
〈はっきり言ってこれは運動家による言論弾圧である。731を想起させるというが、そもそも731部隊による人体実験自体捏造だらけで疑わしい。〉
〈そもそも731部隊は防疫部隊であって、人体実験してた事実はなく、そんな話は森村誠一の小説であり完全にフィクションなのに〉
〈ヒロアカの件 そもそも731部隊の人体実験は創作、捏造なんだからさってところを突っ込む人が少なすぎるし、公式側があっさり折れてしまって日本人の中にも731部隊は残虐な人体実験をしたってのが史実だと思った人がきっと沢山いるでしょう〉
〈まず連中の言ってる人体実験だのは、旧ソ連が戦後ハバロフスク裁判で自白強要させ創作したプロパガンダ〉
〈731部隊 嘘 …で検索すれば、種々確認できます。731部隊が細菌兵器研究をしていたとしても、人体実験とか実戦で使われた事はないという調査結果が米国の国立公文書館で公表されてます〉
〈そもそも731部隊の人体実験の話自体が小説「悪魔の飽食」の森村誠一率いる極左連中の捏造なのに。バカが悪しき前例をつくりましたね〉

 呆れる。つっこみたいことは山ほどあるが、そもそも「731部隊」の存在は1980年代以降の実証的研究で確定しているし、人体実験やマルタ=捕虜の殺害・非人道的扱いについても史料や元部隊関係者らの証言で裏づけされていることだ。「731部隊は存在しなかった」「人体実験なんてやってない」なる話は、保守系の現代史家である秦郁彦氏らも否定するようなトンデモで、それこそネットで出回ったデマである。

 あらためて説明しておこう。731部隊とは、日本の満州国建設から4年後、日中戦争の前年にあたる1936年8月に、関東軍防疫部(のちに関東軍防疫給水部本部に改称)の名称で発足した陸軍の秘密部隊の通称で、創設者である石井四郎軍医中将の名から「石井部隊」とも呼ばれる。731部隊は、満州で日本軍の細菌兵器の開発を行い、中国人やロシア人を使った人体実験を行っていた。日本の敗戦と同時に、証拠隠滅のために部隊の研究施設は破壊され、被験体も殺害・焼却されている。

 いまさら「『悪魔の飽食』が創作したデマ」などと言っている人は、実際、同書を読んだこともなければその立ち位置も知らないのだろう。戦後の80年代初頭、731部隊を描いた『悪魔の飽食』はそのセンセーショナルな内容で話題となったが、一部写真の誤用が発覚し、右翼から攻撃の対象となった。また、『悪魔の飽食』が指摘するいくつかの点については歴史家から疑問視されているものもあるが、あくまで文献の一つであって、現在までに確実視されている事実がすべて同書に依拠するわけではない。

『悪魔の飽食』を批判した元731部隊員の本にも残酷な人体実験の詳細が
 実例を出しておこう。『悪魔の飽食』が出版された後、たしかに元731部隊関係者のなかには同書への“違和感”を表明する人もいた。たとえば1982年には、731部隊の元部隊員だと告白した女性が「郡司陽子」とのペンネームで『証言 七三一部隊』なる本を出している。

 郡司氏は同書「まえがき」で『悪魔の飽食』を指して〈「わたしたち」が戦後三七年間、家族にも告げずに守ってきたものは、この「本」に書かれているようなことだったのだろうか〉などと記しているが、一方で「マルタ」の扱いや人体実験については、やはり731部隊員であったという「弟」の証言として、こう書き留めているのだ。

〈通称「呂の字」と呼ばれた「本部」の建物内には、「七棟八棟」という特別監獄があり、「丸太」といわれる囚人が収容されていた。
「丸太」とは、日本軍の捕虜となった八路軍(中国の共産軍)兵士やロシア人兵士、スパイ等のことで、ここでは「一本、二本」というふうに数える。つまり彼らは、すでに「死刑」を宣告された捕虜たちで、人間であっても、人間ではない。その処分は自由だから、実験のための材料として生かされてはいるが、「物」としてあつかわれているのだ。〉
〈自分が直接体験したのは、この「丸太」を使った細菌爆弾の実験と、その結果、完成された細菌爆弾等を用いた細菌戦の実戦である。〉(同書より「弟」の証言)

『証言 七三一部隊』に出てくる〈「丸太」を使った実験にも、何回か出動した〉という「弟」の証言によれば、安達の特別演習場に「マルタ」たちを連れて行き、目隠しをしたままベニヤ板を背に後ろ手に縛った。隊員たちはトラックで約150メートル後方に避難し、防毒衣やマスク着用して待機。円状にまちまちの距離で立たせられている「マルタ」たちの中心点へ爆弾を投下し、それを観察したという。

〈そこは、「丸太」の地獄だった。
「丸太」は例外なく吹き飛ばされていた。爆撃で即死した者、片腕を飛ばされた者、顔といわず身体のあちこちからおびただしい血を流している者──あたりは、苦痛の呻き声と生臭い血の匂いとで、気分が悪くなるほどだった。
 そんななかで、記録班は冷静に写真や映画を撮り続けていた。爆弾の破片の分布や爆風の強度、土壌の状態を調べている隊員もいた。
 自分たちもまた、てきぱきと「丸太」を収容した。あとかたづけは、実験内容の痕跡を残さないように、ていねいに行われた。
「丸太」は、死んだ者もまだ生きている者も一緒にトラックに積み込まれた。それがすむと、自分たちは全員がその場で噴霧器のようなもので消毒され、隊に戻ることになる。
 部隊に戻ると、ふたたび消毒され、さらに消毒風呂、シャワーを浴びて着換え、ようやく解散となるのだった。
 自分が耳にしたところでは、死んだ「丸太」も負傷した「丸太」も、それぞれ専門的に検査され、死体は消毒のあと、焼却場で焼かれるとの話だった。
 こうした一連の実験が、細菌爆弾の効果測定のためであることは、疑いの余地はないと思う。「口外無用」と命令されていたことや防毒衣、防毒マスクの着用、身体の厳重な消毒など、すべてのことが、それを物語っているからだ。さらに、この実験では、爆弾の効果をいかにして水平に拡大するかが、併せて研究されていたと思われる。〉(「弟」の証言)

 先に「まえがき」を引用したように、郡司氏は『悪魔の飽食』にかんして731部隊員の「わたしたち」を「悪魔」として描いたと感じており、少なからぬ違和感を持っている。その元隊員ですら、こうした「丸太を使った人体実験」の当事者証言を生々しく記しているのだ。

NHKスペシャルが放送した証言「チフス菌を飲ませた」「ペスト蚤を散布」
 731部隊では、「マルタ」を凍傷や細菌の実験台にもしていた。部隊には当時、京都帝国大学や東京帝国大学などからエリート医学者たちが集められていた。石井中将や軍医たちが東京裁判で「戦犯」として訴追されなかったのは、人体実験や細菌研究のデータを米国に提供することをバーターにしたからだ。そのことは機密開示された米国側の資料などから判明している。

 当時、本サイトでも紹介したが、2017年に放送されたNHKスペシャル『731部隊の真実〜エリート医学者と人体実験〜』では、1949年にソ連で開かれた軍事裁判「ハバロフスク裁判」での731部隊関係者の証言の数々をテレビ放送し、大きな話題になった。たとえばこんな証言だ。

「昭和18年の末だと記憶しています。ワクチンの効力検定をやるために、中国人それから満(州)人を約50名あまり人体実験に使用しました。砂糖水を作って砂糖水の中にチブス菌を入れて、そして、それを強制的に飲ませて、細菌に感染をさせて、そして、その人体実験によって亡くなった人は12から13名だと記憶しています」(731部隊隊衛生兵・古都良雄)

「ペスト蚤(ペストに感染させた蚤)の実験をする建物があります。その建物の中に、約4〜5名の囚人を入れまして、家の中にペスト蚤を散布させて、そうしてその後、その実験に使った囚人は全部ペストにかかったと言いました」(731部隊軍医・西俊英)

「使われる細菌は、主として、ペスト菌、コレラ菌、パラチフス菌であることが決定しました。ペスト菌は主として、ペスト蚤の形で使われました。その他のものはそのまま、水源とか井戸とか貯水池というようなところに散布されたのであります」
「あの当時、現地に中国人の捕虜収容所が2カ所ありました。その人員は約3000名と言われていました。その饅頭をつくりに参加しました。少し冷やしてから、それに注射器でもって、菌を注射しました」(731部隊第一部〔細菌研究〕部長・川島清)

 これら証言や歴史家の研究から、731部隊が細菌を含む「マルタ」の人体実験を行なっていたことは明らかだが、政府は〈外務省、防衛庁等の文書において、関東軍防疫給水部等が細菌戦を行ったことを示す資料は、現時点まで確認されていない〉(2003年10月答弁書)などとして、「資料がない」ことを理由に調査を否定している。

 ところが、「ない」はずの731部隊関連の公文書は存在していた。戦後に日本政府が作成した、731部隊の満州からの撤退状況をまとめた公文書で、昨年11月、西山勝夫・滋賀医科大学名誉教授が開示を受けたものだ。今月7日に京都新聞と共同通信が伝えた。京都新聞によれば、発見されたもののうち1枚は「関東軍防疫給水部行動経過概況図」と題された大きな図面で、〈本部第一部が細菌研究、第四部が細菌生産などと部隊構成も記載されている〉という。731部隊をめぐっては敗戦時に施設や文書の焼却等、軍ぐるみの隠蔽工作が行われた。今回、西山名誉教授らが発見した731部隊に関連する公文書はほかにも眠っている可能性が高いだろう。

 いずれにしても、くしくも『ヒロアカ』の騒動が浮き彫りにしたのは、日本と海外の戦争責任・戦争加害をめぐる認識のグロテスクなギャップだった。「731部隊は捏造」などとデマを拡散させているネトウヨたちが象徴するように、この国では、日本軍による加害行為や非人道行為は、それがれっきとした事実であるにもかかわらず、「なかった」ことにされてしまう。『ヒロアカ』の問題を「表現の自由」に結びつけて論じる以前に、まず、向き合わなければならないことがある。

(編集部)

細菌戦の系譜!!


『ヒロアカ』騒動で集英社がお詫び (731部隊の新資料)
ビザ発給拒否裁判 1審不当判決
パネル展「日中戦争ーその実相に迫る!
知っていますか?「731部隊」
情報公開裁判「化学学校記事」「衛生学校記事」
小林開さん 映画「ひろしま」を語る!!
核なき世界へ 映画「ひろしま」
ABC企画委員会パネル展2019中野
第5回三多摩平和交流会2019
南方軍防疫給水部の記録を探し求めて(リム・シャオピンさん)
小津安二郎と宮柊二と毒ガス戦
天皇制廃止に向けての第一歩:雲上人を人間化する運動を!
京都大学に対する第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求める活動
平沢正欣論文を検証する(人体実験は行われたか?)
武蔵村山の国立感染症研究所問題!!
731部隊・100部隊展




ビザ発給拒否裁判 1審不当判決


安倍政権の歴史改ざん政策(中国人ビザ発給拒否裁判)




日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?
地球の温暖化や異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!
●『二酸化炭素温暖化説の崩壊』広瀬隆(集英社新書)
奇々怪々の現代

科学が明らかにした地球の気温変化
ユーゴスラビア(セルビア)の地球物理学者で数学者のミルティン・ミランコヴィッチは、この3つの周期的な変化の組み合わせによって、地球に降り注ぐ太陽の日射量が変化し、そのために気候の寒暖の変化が生ずるとして、極めて高度な計算を行った。そして、周期的な寒暖の変化が起こることを明らかにした。ミランコヴィッチ・サイクルと呼ばれるこの天才の考えは長らく認められなかったが、これが考古学者の推定した氷河期年代と合致したため、氷河期の周期理論が確立されたのである。


●核実験(ウキペディアより)
若くして白血病で亡くなった有名女優、有名歌手、また五輪候選手だったスイマーが白血病になったのは、放射能の影響ではないのか?
月の砂漠の犠牲者 夏目雅子と本田美奈子

核実験(かくじっけん,英語:Nuclear weapons testing)とは、核爆弾の新たな開発や性能維持を確認したり、維持技術を確立したりするために、実験的に核爆弾を爆発させることを指す。1945年から約半世紀の間に2379回(その内大気圏内は502回)の核実験が各国で行われた。そのエネルギーはTNT換算で530メガトン(大気圏内は440メガトン)でこれは広島へ投下されたリトルボーイの3万5千発以上に相当する。

歴史上重要な核実験
核実験は、軍事的・科学的な実験に留まるものではなく、政治的なプロパガンダの役割を果たす場合も少なくない。特にソ連や中国においては、「米帝」などに対する「やむにやまれぬ」「苦渋に満ちた」核実験であると表明するケースも少なからずあり、同時に国力を誇示する役割を果たす場合も少なくない。こうした例は、中国の記録映画『中国の核実験』の作成・上映などといった形態で見ることが出来る。北朝鮮の核実験もまた、同様の性質を持っているといえよう。

水素爆弾の恐怖・ビキニ環礁 (アメリカ)


「北朝鮮の核実験の威力」と「史上最強の核兵器"ツァーリ・ボンバ"の破壊力」【核兵器】



●核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について


●原発・化石燃料発電→再生可能エネルギー発電の増加
【金子勝の言いたい放題】NO5 世界は電力タダの時代に エネ転が拓く経済転換(飯田哲也さんと) 20191230



核兵器、生物兵器、化学兵器廃絶!! 戦力不保持!!安倍政権打倒!!
どこの研究所で新型コロナウィルスが誕生したのだろうか??
●ニュース
戦争責任を取らぬまま、そのまま在位した昭和天皇、その後の天皇も日本の侵略戦争の謝罪をしていない!!
どこの研究所がこんなウィルスを開発したのか??それとも日本軍が遺棄した生物兵器が影響しているのだろうか?
731部隊が建物を爆破して日本に逃走した後、その近くの村でペストが流行した。100部隊の逃走した時は、鼻疽菌などに汚染された馬を放ってきた。
中国各地に日本軍の細菌戦研究所が存在したのだから、その施設が遺棄した生物兵器はその後どうなっているのか?
中国の細菌戦被害地では、今でも毎年鼠を捕獲してペストの検疫を行っている。日本軍の遺棄した生物兵器がその後も生きていて、いま中国で広がっている新型コロナウィルスや豚熱に影響はしていないのだろうか?遺棄毒ガス弾が多くの中国人を苦しめているように。

新型コロナで「安倍政権の支持率急落」か…対応のマズさを検証する

「新型肺炎感染者、国内で400人超」報道はミスリード 350人超が船内感染

<公文書クライシス>廃棄記録作成・公表ゼロ 保存1年未満の公文書 全府省と内閣官房、指針拡大解釈か

辻元氏への「意味のない質問だよ」とのヤジ、首相が謝罪…衆院予算委

「森友小学校」はいま…宙に浮く跡地問題、19日に籠池夫妻判決



大竹まことゴールデンラジオ#金子勝 (文化放送 2020-02-14)



日本政府・自衛隊は情報を公開せよ!!(情報開示!!)
今年も8月12日がくる──。33年前 520人が犠牲になった日航機墜落、遺物の化学分析で判明した事実とは?

中曽根元総理が知る日航機墜落事故の真実とは?墓場まで発言の真意を調査!

ここの研究所は、どんなことをやっているのだろうか??
国立感染症研究所村山庁舎(武蔵村山)

●なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より
・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。
封印された原爆報告書



水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した!!
ビキニ「死の灰」世界各地へ



JCOの臨界事故


福島第1原発事故


核兵器廃絶

徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!

「731部隊・100部隊・毒ガス戦」パネル展 2019年4月29日~5月3日
「日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか 」 田中利幸さん
日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病



731部隊(unit731)


昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!



●読者から寄せられた記事


タイトル:
ロスチャイルドの犯罪とは、戦争がかれらの最も収益性の高い事業である事なのだ。
ホスト:KD106180012236.au-net.ne.jp
********************
最初の数千年の初期の世紀からヨーロッパのハザールは悪魔的な「蛇の民」
そして今、イスラエル国民はその国民がハザールであると認めている。
~ロスチャイルドの家族が1%のトップエリートでさえも支配している事を知っていましたか?
この情報を知り合いと共有してください。
充分な人々が覚醒すれば、私達はこの戦いに勝利します。
私達の子供達と孫達は、あなたの助けに感謝するでしょう。
このメッセージを共有し、他の人にも同じ事をするように助言する事であなた自身の貢献をしてください。

【超重要】ロスチャイルド家犯罪構成(詐欺金融システムの歴史)
https://www.youtube.com/watch?v=iVpWeemhFIE



●横浜「戦争の加害展」感想


2月10日

17.第1回目から来させていただいており今回4回目、来ることができてよかったです。
回を重ねるごとに充実していく展示の数々すばらしいです。加害しかない(と言って言い過ぎじゃないはず)日本でこの貴重な取り組みをぜひ続けてほしいとおもいます。
植松さんの講演を聴かせていただきました。
映画やアニメを観るのが苦手なので細かく説明していただけてよかったです。ただやっぱり「さりげなさ」がさりげなさすぎて観たほとんどのひとたちが気付かないのだろうと思いました。そしてそれはやはり戦争責任、加害責任もあいまいにすることにつながってしまうのではないだろうか(だからヒットした)とおもいました。「男」が主人公ではなく脇役だったかもだけど、同時に男の加害も見えなくなる作品なのではないかなとおもいました。(みてないのでアレですが)とても色々考える機会になりとてもよかったですありがとうございました。
このところますますエスカレートする“天皇ほのぼの報道”に頭を抱えています。加害のパネル展に後援、協賛してくれている各社も他の各社マスコミと何もかわらず天皇にだけはいい顔するよね、と思っています。もっとまじめにやって。(川崎市)


●映画「ひろしま」アンケート(1月13日 横浜)
( )は性別・年代・住まい・情報

21、何度も見るべきと思いました。若い方が!!ありがとうございました。
(男性、60代、寒川、朝日新聞)


●【真相】(unit731)
石井細菌戦部隊―極秘任務を遂行した隊員たちの証言
郡司陽子編(1982年11月30日初刷:徳間書店)


Ⅱ 中支・寧波(ニンポー)細菌戦出動始末
-元千葉班・工務班 H・F

いつもとは違う「出張」命令
7棟・8棟は、銃撃にも耐えられるように建造されており、各房、各階、各棟は、すべて頑丈な片開きの鋼鉄製扉で遮断されていた。その上、7棟・8棟のある中庭を取り囲む壁は、ふり仰ぐほど高く、唯一の中庭からの出口は、これまた鋼鉄の扉と「丸太」監視専門の特別班員によって、守られていた。
「丸太」は、この7棟・8棟から、部隊の各専門研究班に連行され、様々な医学的(細菌も含む)実験や処置を施され、次々と死んでいったのである。





●日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より

第10章 残酷な人体実験毒ガス実験

科学に対する冒涜

上述の報告資料は、文字にすると高々39頁しかない薄いものだが、正常な人ならば、誰が読んでも、並の文字ではなく、日本の侵略者が銃剣で中国人の鮮血を垂らしながら書き上げたものだと感じるだろう。当時日本軍で医学研究に従事した軍人たちの多くは、戦後著名な医学者になったということだが、それは彼らが一般の人には持つべくもない、生きた人間を使って実験をするという条件を有していたからである。いくつかの論文や書籍の中で、日本の軍医が細菌の細菌の人体実験に携わったという問題は既に明らかにされている。






●証言 人体実験(731部隊とその周辺)
中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳

松本英雄供述書(1954年10月23日)

種村文三供述書(1954年8月31日)
問:1934年8月に黒河線辰清駅で埋めた100余頭の中国馬は、どうして死んだのか知っているか。
答:当時、この100余頭の中国馬が死亡したことについては、辰清駅に鉄道器材を運ぶ途中、森島軍医から、石井四郎が炭疽菌の効力を実験するため、これらの馬で実地試験を行って殺したと聞いた。また、ハルピンを発つ前に大隊長から、辰清駅で炭疽菌伝染病が発生したので濾水器を携行するよう話があった。森島軍医大尉の話では、炭疽病にかかると死後も血が固まらないということだったが、確かに、死んだ馬を埋める時、馬の口と猿に咬まれた傷口から流れ出た血が固まっていなかったので、炭疽菌病の症状だということが分かった。また、石井四郎が派遣した軍属が死んだ馬の体から炭疽菌を採取してハルピンに持ち帰るのをこの眼で見たので、これらの馬は石井四郎が炭疽菌で殺したのだと知った。




●『人間の価値』
―1918年から1945年までのドイツ医学
Ch.ブロス/G.アリ編
林 功三訳

■訳者あとがき(1992年11月 林功三)
日本でもわたしはまず自分の住む京都のドイツ文化センターに相談した。わたしの相談に対して、ループレヒト館長は、展示会だけでなく、シンポジウムを行うこと、また同時に日本の問題を取り上げることにすることを条件に、主催者になることを承諾してくださった。会場の問題で苦慮していたわたしは、たまたま立命館大学の「国際平和ミュージアム」(館長は加藤周一さん、館長代理は安斎育郎さん)が92年5月に開館されたことを知ったので、ここへも相談を持ちかけた。その後立命館大学では大学を挙げて、ドイツ文化センターと共催でこの展示会とシンポジウムに取り組むことに決められた。またわたしは自身が理事の1人である「ドイツ文化・社会史学会」(代表は河上倫逸京大教授)がバックアップしてくれることになり、こうして京都で展示会とシンポジウムが開催されることになった。本書の刊行は風光社の犬塚さんが引き受けてくださることになり、非常なお世話をいただいた。


昨年2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)



●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作ってもいいのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!
日本の毒ガス

沖縄・南西諸島が軍事要塞化している現実はおかしくないか??
「琉球処分」から140 今の沖縄を考える

●「衛生学校記事」とはどんなものだろうか?
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?


次回『衛生学校記事』情報公開裁判
4月23日14:00~東京地裁419号法廷

”桜を見る会”や”森友””防衛省の日報”等で公文書の廃棄や改ざん、隠蔽などが問題になっているかが、『衛生学校記事』・『化学学校記事』での防衛省の公文書管理は一体どうなっているのだろうか?

4年前には、不要決定簿冊というのがあったという。それには、廃棄するものには、2重線が引かれていて、不要決定という印が押されていた。ところが今回閲覧した図書原簿には、2重線だけしかなかった。
これで『衛生学校記事』というのが本当に廃棄されたのかどうか??4年に間にシステムが変わったのか?

第4代衛生学校長だった金原節三が亡くなってから、遺族が、当時の防衛庁に寄贈した金原節三資料の中に13点の『衛生学校記事』が含まれている。それがいまだに未開示であり、その行方が防衛省は分からないという。
1995年に防衛研究所が衛生学校から金原資料の全部を移管したようだ。1996には、その資料の中で価値の高いものを、防衛研究所に残して、あとは衛生学校に戻したようだ。
『金原文庫』はいつまで、衛生学校の彰古館に設置されていたのであろうか?その中に果たして『衛生学校記事』があったのか?また、金原資料はキチンと整理をされていたのだろうか?金原資料の中には『特殊武器衛生』というものもある。毒ガスや生物兵器を指すのだろうか?

次回の裁判では、その移管作業に関わった5人の方々の陳述が出るのかどうかが焦点になる。


※彰古館には、自衛隊関係の資料も保管している!!
『軍事史研究』2010年9月
軍事史関係史料館探訪(56)
陸上自衛隊衛生学校 医学情報史料室 彰古館
喜多義人
収蔵品の多くは、旧陸軍軍医学校由来の品々と医学文献であり、『大東亜戦争陸軍衛生史』編纂の際に寄贈された史料も所蔵されている。また、衛生学校にかつて開設されていた同校戦史室が収集した戦史史料、戦後の警察予備隊から保安隊を経て陸上自衛隊に至る草創期の衛生科部隊の行動史、研究報告なども含まれている。


●「化学学校記事」情報公開裁判
次回 2020年6月 日( )11:30~ 東京地裁522号廷
防衛省は、化学学校記事16号の存在を今回初めて認めた。まだ公開していない『化学学校記事』がたくさんあるはずだ。果たして自衛隊は、どんなことをしているのかその全貌を明らかにすべきだ。戦力を保持しないという憲法に本当に抵触していないかを明らかにすべきだ。
1977年発行の化学学校発行の『20年のあゆみ』について、防衛省はマスキングに時間がかかるため、2か月後の提出は難しいかも知れないと述べた。
『20年のあゆみは』は1970年代だから、沖縄での、毒ガス漏洩事件や本土の相模原補給廠での毒ガスの問題がある中、毒ガスや核兵器に関する研究の記述もあるのだろう。それらをマスキングして公開しないというのは、日本の情報公開がいかに遅れているかと象徴している。
、佐藤内閣時代に実際に核兵器を持とうとしていたのだから、自衛隊ではどんなことが研究をしているかを、国民に広く知らせるべきである。ましてや日本は、広島、長崎、ビキニ、福一で甚大な被曝をしている国なのだから。



1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊


第4代衛生学校長
『衛生学校記事』を発刊したときの、衛生学校長金原節三とはどんな人物なのだろうか?
金原節三(1901~1976)
陸軍省医事課長時代(1941.11~43.8)に731部隊から報告を受けていた。「陸軍省業務日誌摘録」
厚生省東海北陸医務出張所から衛生学校へ 1955.8.1

金原節三と細菌戦
金原の略歴を見ると、昭和16年11月に陸軍省医務局医事課長になっていて、17年に8月に軍医大佐になっている。
細菌戦資料センターの会報には、次のような記載がある。「陸軍省医務局医事課長だった金原節三元軍医大佐が、1955年に陸上自衛隊に入隊した。細菌戦部隊を指導していたのは、陸軍参謀本部、陸軍省医務局衛生課そして陸軍省医務局医事課である。金原は、「金原業務日誌摘録」に細菌戦部隊からの報告を記録している。


金原節三と武見太郎
金原と戦後日本医師会会長になり、医師会、薬剤師会、歯科医師会に大きな影響を及ぼした武見太郎は、軍隊内の先輩・後輩関係にあった。『金原節三資料目録』(陸上自衛隊衛生学校)の巻頭言は、日本医師会長武見太郎が書いている。

『BC兵器』 久保綾三著(1969年)より


Ⅱ 自衛隊と生物・化学兵器―その思想と作戦

2、研究開発と自衛官の入学拒否

大学問題に頭を抱える

そして、防衛大学校が「大学」になり、医学部が設置されたとしても、一般大学や大学院における自衛官拒否問題で大学、学界、学生が提起した本質的な事柄は何等解決されるものではない。
自衛隊が3次防計画に基づいて技術研究本部の拡充をはじめとする大幅な技術研究開発計画を推し進めていることは、前述の通りであるが、肝心の研究員、技官、医官などの学者、専門研究者の集まりが悪くて頭をかかえている。


第5代衛生学校長
井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身
1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】
第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任(『大東亜戦争陸軍衛生史』を編纂するため、膨大な旧軍資料を集め、又戦後に日本独自の細菌戦部隊の復活させようとしたことが原因か??)になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を解任され、その後を井上が引き継いだ。
井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。
又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。
南方軍防疫給水部(岡9420部隊)





イタイイタイ病を究明した男 萩野昇

驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く

水俣病問題

小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去

小泉親彦と宮川米次の絆

ヒロシマからフクシマへ

宮川正

「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—

ビキニ「死の灰」世界各地へ

自衛隊とサリン

相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場

日本の国家機密

兒嶋俊郎さんを偲ぶ



●昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!!
天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より
重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。


●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)吉田裕監修 2001年ピュリッツァー賞受賞

※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!



第11章 真珠湾への道


東郷はこれに「短期にする望みなきや―皆確たる方法なしと答えている」と切り返した。しかし、連絡会議が終わった後、東郷は対米交渉打ち切りの日程について、陸海軍に同意し、アメリカを欺く外交を行うことでこれに追随した。この後、東条は、アメリカにとって意味のある譲歩をすべきであるという野村駐米大使の要請を繰り返し拒絶した。

小泉親彦と昭和天皇

近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~

近代天皇制の真髄は

福沢諭吉

神武と戦争




憲法9条を生かそう!!

















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