●731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)
●防疫研究室と昭和天皇の関係
●1940年と2020年の東京オリンピック
●731部隊と国立感染症研究所の問題
●731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
●ABC企画委員会
●731部隊・100部隊展
●記憶の継承を進める神奈川の会
細菌(生物)戦争
米中の生物兵器開発?
20201107 UPLAN 西里扶甬子「生物戦部隊731研究の現在地~今を生きる日本人が知るべきこと」
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会・第4回
「731部隊被害者遺族を訪ねて」
日 時:2021年3月22日(月)18:30~
お話:大谷 猛夫さん
オンライン中継(zoomによる)
主催:731ネットワーク
731部隊で人体実験された被害者は一人も生き残っていません。人体実験で殺され、敗戦間際に731部隊に収容されていた人たちは皆、殺されてしまったからです。それでも人体実験に供するために捕まえた憲兵隊の記録は残っています。そこから戦後になって被害者遺族が自分の親や親族が731部隊に連行され、無残に殺害された事実を知ります。これまで731部隊被害者遺族のうち、敬蘭芝さん、王亦兵さんが原告になり、日本政府を訴えた訴訟については、学習してきました(連続講座の1~3回)。この裁判の過程で、日本の市民運動のなかで、裁判支援の動きがおこり、被害者遺族が来日の際、市民集会を開くなど日本人に731部隊の事実を弘知ってもらう機会をつくってきました。そして、原告になった方以外にも731部隊の被害者遺族と出会う機会がありました。
2012年秋に牡丹江・鶏西をたずね、被害者遺族と会いました。また裁判終了後も731記念館の協力で被害者遺族をお呼びし、市民集会を開いてきました。そんな遺族の紹介をしたいと思います。
大谷猛夫さん
中国人戦争被害者の要求を支える会の事務局長を長く続けてきました。裁判終了後もその被害者とその遺族の要求を実現するために運動を続けています。
※zoomによるオンライン講演なので、申し込みは100名で締め切らせて頂きます。
18:30~19:30 講演(講演中はミュートでお願いします)
19:30~20:00 質疑応答(場合によっては質問はチャットでお願いするかもしれません)
連絡先・申し込み E-mail : nobu51@jcom.zaq.ne.jp(五井)
自衛隊における731部隊の記述
「部外秘 参考資料 CBR講習資料」11頁 作成日時不詳 陸上幕僚監部化学科より
d旧日本軍の細菌戦活動
旧日本軍の石井部隊は又の名を関東軍防疫、給水、731部隊、加茂部隊、特25204部隊と呼ばれた。細菌戦闘専門の特殊部隊であった。隊の設立は昭和6(1931)年で満州の研究所完成は昭和10(1935)年である。日本軍細菌戦部隊の本拠は満州ハルビン郊外濱江省(ひんこうしょう)双城県平房の4階建近代建築でその中で遮断隔離の生活をしていた。設備は爆撃機(細菌撒布用)10機、1000kwタービン発電機2台である。この本部の元に、孫呉、海拉爾(ハイラル)、牡丹江、林口、大連の5支部があり、大連のものは大連研究所または松林機関とも言われていた。他の部課は細菌の攻撃方法、容器散布方法、防疫問題を研究していた。最も力を入れたのはヒタツリ菌(注:脾脱疽菌)であった。この菌を粉末にして榴散弾の70g位の鉛製弾子に混ぜ、これを砲弾内に詰め、炸薬が爆発すると弾子が飛散して人馬に感染さすようになっている。実験場所は731部隊研究所から北に300(?)㎞ばかりのアンダ飛行場を使用した。そして砲弾が爆発しても菌の40%は生きていること及び培養器に飛ばされた菌は確実に付着する事、負傷者は発病することが確認されている。1938年中国廬山の戦闘で日本軍が毒ガス、ホスゲンを使用したという2,3の細菌記録がある。この記録を持つ731部隊は1945年8月9日午前6時ハルビンの工兵、歩兵、砲兵によって徹底的に破壊され付属設備は地上から姿を消した。ソ連の対日参戦による退却の結果である」
長岡大学 研究論叢 第16号より(2018年8月)
・・・731部隊に関する概要が正確に記述されており、更に1938年に毒ガスを作戦で使用したことまで記している。これは化学学校の教育部長が、特殊課程の学生に講義した内容である。内容は事実であると確認して行ったと考えるほかはない。戦後自衛隊は731部隊の実態とその活動を把握した上で、何ら反省することなく自衛官に「教育」してきたのである。また教科書裁判では日本政府は長きにわたり731部隊の活動の事実認定さえ回避してきたが、陸上自衛隊の内部教育資料にも明記されるほど、自衛隊幹部周知の事実だったのであり、日本政府は一貫して内外に虚偽の主張をしてきたと言える。
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第1回
731部隊と人権ー裁判から考える
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第2回
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第3回
(以下、パネル展の内容)
ビキニ水爆実験
ブラボー実験(ブラボーじっけん、英語: Castle Bravo)は、キャッスル作戦として1954年3月1日にアメリカ合衆国によりビキニ環礁で実施された、高出力熱核爆弾を用いた最初の核実験である。実験当時としてはアメリカの最大出力の、また世界初の水素化リチウムを用いた核爆弾であった。リチウム7の核反応が想定よりも多かったことが原因で、ブラボー実験での出力はTNT換算15Mtと、事前に見積もられていた6.0Mtの2.5倍となった。これにより、ビキニ環礁の東地域で想定外の放射能汚染が発生した。
この実験による放射性降下物はロンゲラップ環礁とウチリック環礁を中心に降り注ぎ、住民は避難が3日後となったために放射線障害に苦しむこととなった。また、日本の漁船「第五福竜丸」の乗組員23名も放射性降下物に汚染され、急性放射線症候群を訴えた。ブラボー実験を契機として、世界的に大気圏内での核実験に対する反対運動が盛り上がりを見せた。
1954年5月までに6回の核実験が行われたキャッスル作戦の一環であり、同作戦のうち最も有名である。これには2つの理由がある。
・ブラボー実験の成功が、爆撃機に搭載可能な、実用兵器としての水爆の出現を意味した。
・アメリカの不十分な危険水域設定により、第五福竜丸をはじめとする数百隻の漁船が被曝したうえ、ロンゲラップ環礁などにも死の灰の降灰があり、2万人以上が被曝した。これはアメリカが核実験で引き起こした最悪の被曝事故である。
・実験を行なった島は消え去り、深さ120m、直径1.8kmのクレーターが生じた。
隠された毒ガス兵器
『従軍日記』 小津安二郎
森友・加計問題などで公文書改ざん、事実の隠蔽などが問題になっているが、敗戦時の証拠隠滅、文書焼却、事実の隠蔽は、その比ではない!今も
続く歴史改ざん!!
※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!
新宿・謎の人骨100体・731部隊【歴史解説】
1989年7月22日、新宿で謎の人骨が大量に発見された
歴史改ざん(「風を読む」)
●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。
今、世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス。これは、細菌戦(生物戦)ではないのか?
過去に、日本が中国で行なった細菌戦のように。(以下は現在分かっている細菌戦)
日本政府・日本医学界が、真摯に過去に向き合い、生物兵器を作ったことを謝罪し、今のこの難局に立ち向かわない限り、オリンピック開催はないであろう。
東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫
元731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉
「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」
1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日 731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日 731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日 731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日 731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した
8月 731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月 100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置
10分で学びなおす 「731部隊」より(『週刊現代』より)
1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察
731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。
NHKスペシャル 「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」 2017年8月13日
●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!
14巻1号 1930(昭和5)年
実験医学雑誌第14巻雑報
黒屋博士近況
次に小生近況をお知らせいたします。朝は大抵8時頃起きます。パン3切れとコーヒー位で朝飯を済まして9時に家を出て日本人会のすぐそばのNollendorfplatzから地下鉄道でThielplatzまで参ります。この道程は2里以上あると思いますが凡そ20分位で参ります。Thielplatzの駅から歩いて公園の中を通り抜けて研究所まで参ります。御承知のダーレムには理研位の研究所が7つも立ち並んで中々盛況ですが小生の通っているのは名の内では小さい方です。
伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?
●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)
「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって
本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。
第3部
第1審判決に対する中国の各界の支援の声
3章 浙江省支援者から
東京紀行~細菌戦訴訟の一審判決~
何必会(義烏市、原告団事務局)
8月30日、私達は新宿の市民団体に要請され、日本軍細菌兵器の研究所の跡地を見学し、人骨遺骸をと写真展を見に行った。一部の原告は東京、千葉、神奈川などの各地に出向いて裁判報告会を行った。
8月31日、帰国の前日には、観光をした。新幹線に乗って、日本の風景を見た。思い返すと東京湾のにぎやかな光景がありありと目に浮かんできた。焼けつくような日差しだったが、全てのことはとても秩序立っていた。男性はネクタイを締め、服装がとても立派で、礼儀正しく見える。しかし、この国家は昔、中国人を殺害し、中国に侵略したのだ。
731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?
●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!
安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難
四月二五日
だから話は横道にそれたが 今服部の此の公論雑誌でも(四月号)此の意味は少しも包まれていない事は誰が知らなくてもよい 私は十分承知し考えているんだから
来年の正月頃から概求式にと云っては大げさに聞こえるが 真面目に進歩について行こう思っている。それまでは人が何といっても、勿論云ひっこないが すべての雑誌に随所を拾う位の無心さで時間つぶしに読むこと心に画いていいる。
Ⅲ モラリストの広島
琴の老婦人は、≪全く2人になった私も、被爆者の会に入ってからは友達も出来≫と言っているし、歩き回ることで、被爆した体の健康のバランスを取るべく努めている老婦人もまた、こう語っている。≪昭和35年、広島市皆実町の原爆被害者の会に入会させていただき、一人暮らしの淋しさが解消しました。会では悲しいことも嬉しいことも隔てなく話し合えますし、遠い見知らぬ人からもカンパが来たりして、人々の暖かい心に接すればいつまでも生き抜かねばと、勇気が湧いてきます。≫勇気、この原爆孤老たちの用いる勇気という言葉もまた、たとえ陰翳(いんえい)の明暗の違いはあるにしても、死んだ奇形児の母親の同じ言葉同様、既に一つのモラルの力を備えている。
唯一の戦争被爆国 日本政府は核兵器禁止条約に署名・批准してください!
●『細菌戦部隊』
731研究会編 1996年9月(核時代51年)初版発行
Ⅰ 731部隊
731部隊破壊と証拠隠滅作業
ロ号棟に書かれた血文字が一生忘れられない
篠原鶴男(しのはらつるお)
731部隊・教育部
〈略歴〉
1926年生まれ
1945年5月 731部隊入隊(教育部に所属)第8分隊
1945年8月 帰国
■この証言は鹿児島731部隊展(1994年1月)の『報告集』をもとに本人がまとめたもの
帝銀事件
私が働いていた国鉄の勤務先にも、刑事がやって来ました、刑事は、「あなたは731部隊にいましたね。ソ連かアメリカに逮捕された時は自殺せよと言われて、上官から青酸カリをもらっているだろう」と言うのです。私はもらっていないと言って突っぱねたのですが、その後も圭二は職場にやって来ては、私の上司に私の素行などを繰り返し尋ねていくのです。そのうち「あいつは戦争犯罪人だ。公務員の資格がない」と職場に噂が流れ、私は周りの人々から白い目で見られるようになりました。そうして私は職場を辞めることを余儀なくされました。
●『証言 人体実験(731部隊とその周辺)』
中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳
六 第731部隊の各支隊
1 関東軍第100部隊
問:馬疫研究処を離れるにあたり、100部隊に細菌を提供する件について、どのように新美に引き継いだのか。
答:私は新美に、馬疫研究処の研究する炭疽強毒菌は100部隊に細菌戦用に提供するもので、これまでに毎年1,2回提供してきたので、これからも以前と同様に供給するように話した。
●毒ガス戦
・『日本軍の毒ガス兵器』 松野誠也著
第4章
毒ガス使用禁止をめぐる国際的な動向と日本軍の対応
3、「満州事変」とジュネーブ一般軍縮会議での日本の態度
「満洲国」の成立と陸軍省の態度の変化
32年9月中に関東軍は参謀本部に対して警察行為として催涙性ガス使用の許可を求めたようで、真崎甚三郎参謀次長は、9月21日に小磯国昭関東軍参謀長へ「従来の軍縮準備委員会に於て帝国代表は催涙瓦斯を毒瓦斯也と主張せる経緯」」があるし、関東軍の行動が「国内警察行為」であるかどうかは議論の余地があることから、いま毒ガスを使用すれば国際世論が激化して、国際連盟での「満州事変」をめぐる審議が大変なことになるとして、催涙ガス弾もくしゃみ性ガス弾も使用しない方がよいとの電報を送っている。(参謀次長し真崎甚三郎「関参一電台779号返」『資料集』資料2)。
・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)
第2章 地図から消えた神秘の大久野島
最初の毒ガス被害者
「被害者」はまた「加害者」でもある
付記・「毒ガス島」を訪れる
記録3 岡田藜子さんの手紙
最後に「・・・・この画集は、私の被害者に対する謝罪です。被害者への鎮魂の祈りを込めて描きました。この画集を、もし貴方が受け取って下さるなら、私の謝罪と祈りを受けとって戴けたものと存じます。それは私にとって大きな慰めです。今、私は戦争中にこれらの毒ガスを兵器として貴国で使用し、貴国に極めて大きな被害を与えた事を知り、あのような非道な手段を行ったことをとても恥ずかしく思い、心から謝罪を表明し、被害者に鎮魂の祈りを捧げます」と、結んであった。
岡田藜子さんのお手紙を読み終えて、私はおおよそ正義感のある人ならこれを読んで心を動かさないはずは無いと思った。当然のことながら、1人の力は小さいものだが、巨大な社会を動かす力となるのは、つまりは1つ1つの個々の力の集合体ではないだろうか?もし、人々が村上先生や岡田さんのように社会に対する責任感を持っていれば、我々の戦争を阻止し、恒久平和を実現する願望も幻想ではないだろう。
●『三光』 中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)
汚された泉
井戸へ放り込み惨殺
杉本千代吉(すぎもとちよきち)
大尉
〈略歴〉
学歴 中学高卒業
旧部隊名 第59師団第54旅団第45大隊
出身県 静岡県
年齢 38歳(1919年生まれ)
頭大の石は1,2回側壁に当たり、跳ねながら落ちていく。おお命中だ・・・思わず私は手を打った。だが黒影はさっと石を避けていた。「ドブン」大きな水の音、しぶきが側壁と農民の体をバサアと洗った。
「畜生!おい、何をぐずぐずしているんだ。早く石を持ってこい」カッとなった私はうっぷんを部下にぶっつけた。軍靴がガサガサ辺りを乱れ動いた。
2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)
●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!
日本の毒ガス
在日米海軍厚木基地(大和、綾瀬市)で米陸軍が化学、生物、放射線、核(CBRN)の対応訓練を予定していることに対し、厚木基地爆音防止期成同盟(爆同)など関連4団体が4日、同基地正門前で抗議集会を開き、訓練の中止を訴えた。
訓練実施は1月28日に、日米合同委員会で合意。防衛省南関東防衛局が大和、綾瀬市に連絡した内容によると、訓練場所は、同基地を共同使用する海上自衛隊が管理する区域内にある滑走路南端の約2万平方メートル。今月5日から9月30日まで使用することで合意した。
米側は訓練への参加部隊に関し米本土所属と説明しているが、参加人員や日程については知らせていない。危険物の持ち込みや騒音の発生はないなどの情報提供にとどまっている。
CBRNへの対応訓練は同基地で過去に例がなく、周辺住民に不安が広がっている。
今月4日には同基地正門前に爆同など住民団体から約60人が集まり「危険な訓練をやめろ」などと声を上げた。爆同の石郷岡忠男委員長は「昨秋には迎撃ミサイル訓練があった。米空母艦載機部隊の移駐後に空いた施設を使った新たな訓練場になることを危惧している」と強調。基地司令官宛てに、基地の機能強化につながる運用などに抗議する要請書を提出した。
●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?
●「衛生学校記事」情報公開裁判(第27回) 4月23日(金)14:00~103号法廷
●『化学学校記事』 情報公開裁判(第18回)5月26日(水)11:00~703号法廷
◎「衛生学校記事」「化学学校記事」その他自衛隊に関する
情報をお持ちの方は下記のアドレスまでご連絡ください。
連絡先:exhibition731@yahoo.co.jp
自衛隊におけるCBRN対応
長岡大学教授 兒島 俊郎
2 陸上自衛隊におけるCBRN対応
教範から見えるCBRN対応
陸上自衛隊内部におけるCBRN研究
化学兵器関係資料
「第3節 部隊安全」は自部隊の安全確保について考慮すべき事項である。
「化学目標分析(型式見本)
この表では105㎜砲、42インチ迫撃砲、155㎜H砲(イペリット)、45インチロケットの各々の射程、発射速度、部隊への配備・展開の基準が示されている。之を見る空挺歩兵師団や機動機甲師団、再編成型歩兵師団(ROCID)などに広く配備されていることがわかる。ちなみにROCIDの戦術核の攻撃対象となることを避けるため、いくつかの戦闘群に分割されても独自に戦闘できるように編成された部隊である。
1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊
●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。
4、日本本土も汚されている
Ⅱ 自衛隊と生物・化学兵器―その思想と作戦
2、研究開発と自衛官の入学拒否
大学問題に頭を抱える
一般大学や大学院から締め出された自衛官たちは、防衛庁の派遣学生もしくは研究員として「任務」として在学している者がほとんどであり、それらの者は「神聖な学問研究の場を軍事目的に利用する」ことに反対されているのである。これは、当然、自衛官が個人として学問、教育を受ける権利を奪われると言った事ととは無縁のものなのである。派遣学生たちは自衛隊法第57条(隊員は、その職務の遂行に当たっては、上官の職務上の命令に忠実に従わなければならない)に従って「任務」として軍事目的の学術研究を行っているのである。
●昭和天皇の戦争責任を問う!!
天皇万歳に浮かれる無責任国家 田中利幸より
重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
吉田裕監修
※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
第4部 内省なきその人生
1945(昭和20)年―1989(昭和64) 年
第十四章 創り直された君主制
Ⅵ
翌々日の3月7日、日本の国民は新聞を通じて日本政府の憲法草案の概要を知った。新聞を読んだ国民は、主権は天皇の意思にではなく、国民の手に存すること、そして以後、日本は戦争を放棄することを理解したのである。3月9日には『毎日新聞』がリベラルな国際法学者横田喜三郎の見解を報じた。GHQ関係者が起草した進歩的な憲法草案に目を通した横田は、戦争放棄条項は理想主義的なケロッグ=ブリアン条約と同じ意義を有しており、また自衛権の発動、もしくは「国際協力の場合には」兵力の使用は可能である、との見解を発表した。
731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!
日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?
●地球の異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!
※私が考える、今の異常気象の要因は
1、1940年代から60年代にかけて大規模に行われた、核実験による環境破壊の影響
2、都市化したコンクリート(アスファルト)ジャングルによるヒート・アイランド現象
3、その結果による、交通機関(電車・バス・乗用車・航空機・船舶)やオフィス・住居などの冷暖房による排熱
4、自動車社会の排ガス
5、原子力発電による温排水の排出・・などに拠っているのではないか?
●核実験(ウキペディアより)
若くして白血病で亡くなった夏目雅子、本田美奈子、また五輪候補選手だったスイマーが白血病になったのは、放射能の影響ではないのか?
核実験(かくじっけん,英語:Nuclear weapons testing)とは、核爆弾の新たな開発や性能維持を確認したり、維持技術を確立したりするために、実験的に核爆弾を爆発させることを指す。1945年から約半世紀の間に2379回(その内大気圏内は502回)の核実験が各国で行われた。そのエネルギーはTNT換算で530メガトン(大気圏内は440メガトン)でこれは広島へ投下されたリトルボーイの3万5千発以上に相当する。
ソ連
セミパラチンスクでの核実験
· 1949年8月29日 初の原爆実験(長崎型)。22kt。コード名"RDS-1"。アメリカ側のコード名"ジョー(=スターリン)-1"。
· 1953年8月12日 『初の』水爆実験。400kt。コード名"RDS-6"。アメリカ側のコード名"ジョー4号"。
放射性降下物の分析より核融合ではなかったと言われている。
· 1955年11月22日 水爆実験。1.6Mt。コード名"RDS-37"。アメリカ側のコード名"ジョー19号"。
ソ連初の水爆実験成功。
ノヴァヤゼムリャでの核実験
· 1961年10月30日 ノヴァヤゼムリャで、史上最大の水爆実験が行われた。爆弾(ツァーリ・ボンバ)の核出力は50 Mtでファットマンの3000倍近い出力。
セミパラチンスクでの核実験
· 1949年8月29日 初の原爆実験(長崎型)。22kt。コード名"RDS-1"。アメリカ側のコード名"ジョー(=スターリン)-1"。
· 1953年8月12日 『初の』水爆実験。400kt。コード名"RDS-6"。アメリカ側のコード名"ジョー4号"。
放射性降下物の分析より核融合ではなかったと言われている。
· 1955年11月22日 水爆実験。1.6Mt。コード名"RDS-37"。アメリカ側のコード名"ジョー19号"。
ソ連初の水爆実験成功。
ノヴァヤゼムリャでの核実験
· 1961年10月30日 ノヴァヤゼムリャで、史上最大の水爆実験が行われた。爆弾(ツァーリ・ボンバ)の核出力は50 Mtでファットマンの3000倍近い出力。
●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future
●核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について
なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。
XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より
・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。
2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。
封印された原爆報告書
水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した!!
JCOの臨界事故
福島第1原発事故
●核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!
●日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病
●731部隊(unit731)
●昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!
0 件のコメント:
コメントを投稿