2021年3月3日水曜日

細菌戦の系譜!!

  
















中国侵略戦争

細菌(生物)戦争
『BCGと人体実験』 美馬聡昭著

731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)
防疫研究室と昭和天皇の関係
1940年と2020年の東京オリンピック
731部隊と国立感染症研究所の問題
731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
ABC企画委員会
731部隊・100部隊展
記憶の継承を進める神奈川の会

細菌(生物)戦争

米中の生物兵器開発?

20201107 UPLAN 西里扶甬子「生物戦部隊731研究の現在地~今を生きる日本人が知るべきこと」






『化学学校記事』 情報公開裁判(第17回)
3月3日(水)11時~
「703号法廷」東京地裁民事3部
今日です!!
全資料公開に向けて皆さまの支援、 傍聴をお願いします。



731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会・第4回

「731部隊被害者遺族を訪ねて」



日 時:2021年3月22日(月)18:30~

お話:大谷 猛夫さん

オンライン中継(zoomによる)

主催:731ネットワーク

 731部隊で人体実験された被害者は一人も生き残っていません。人体実験で殺され、敗戦間際に731部隊に収容されていた人たちは皆、殺されてしまったからです。それでも人体実験に供するために捕まえた憲兵隊の記録は残っています。そこから戦後になって被害者遺族が自分の親や親族が731部隊に連行され、無残に殺害された事実を知ります。これまで731部隊被害者遺族のうち、敬蘭芝さん、王亦兵さんが原告になり、日本政府を訴えた訴訟については、学習してきました(連続講座の1~3回)。この裁判の過程で、日本の市民運動のなかで、裁判支援の動きがおこり、被害者遺族が来日の際、市民集会を開くなど日本人に731部隊の事実を弘知ってもらう機会をつくってきました。そして、原告になった方以外にも731部隊の被害者遺族と出会う機会がありました。

 2012年秋に牡丹江・鶏西をたずね、被害者遺族と会いました。また裁判終了後も731記念館の協力で被害者遺族をお呼びし、市民集会を開いてきました。そんな遺族の紹介をしたいと思います。


曽漢卿さん。お父さんが憲兵隊に捕まり、731部隊に連行されました。

 

大谷猛夫さん

中国人戦争被害者の要求を支える会の事務局長を長く続けてきました。裁判終了後もその被害者とその遺族の要求を実現するために運動を続けています。

 

※zoomによるオンライン講演なので、申し込みは100名で締め切らせて頂きます。

18:30~19:30 講演(講演中はミュートでお願いします)

19:30~20:00 質疑応答(場合によっては質問はチャットでお願いするかもしれません)

 連絡先・申し込み E-mail : nobu51@jcom.zaq.ne.jp(五井)









原告たちのあまりに理不尽な被害

JUSTICE 中国人戦後補償裁判の記録』(中国人戦争被害賠償請求事件弁護団 編著、高文研)評者:根岸恵子

       昭和への挽歌   野崎忠郎










自衛隊における731部隊の記述

「部外秘 参考資料 CBR講習資料」11頁 作成日時不詳 陸上幕僚監部化学科より

d旧日本軍の細菌戦活動

旧日本軍の石井部隊は又の名を関東軍防疫、給水、731部隊、加茂部隊、特25204部隊と呼ばれた。細菌戦闘専門の特殊部隊であった。隊の設立は昭和6(1931)年で満州の研究所完成は昭和10(1935)年である。日本軍細菌戦部隊の本拠は満州ハルビン郊外濱江省(ひんこうしょう)双城県平房の4階建近代建築でその中で遮断隔離の生活をしていた。設備は爆撃機(細菌撒布用)10機、1000kwタービン発電機2台である。この本部の元に、孫呉、海拉爾(ハイラル)、牡丹江、林口、大連の5支部があり、大連のものは大連研究所または松林機関とも言われていた。他の部課は細菌の攻撃方法、容器散布方法、防疫問題を研究していた。最も力を入れたのはヒタツリ菌(注:脾脱疽菌)であった。この菌を粉末にして榴散弾の70g位の鉛製弾子に混ぜ、これを砲弾内に詰め、炸薬が爆発すると弾子が飛散して人馬に感染さすようになっている。実験場所は731部隊研究所から北に300(?)㎞ばかりのアンダ飛行場を使用した。そして砲弾が爆発しても菌の40%は生きていること及び培養器に飛ばされた菌は確実に付着する事、負傷者は発病することが確認されている。1938年中国廬山の戦闘で日本軍が毒ガス、ホスゲンを使用したという2,3の細菌記録がある。この記録を持つ731部隊は1945年8月9日午前6時ハルビンの工兵、歩兵、砲兵によって徹底的に破壊され付属設備は地上から姿を消した。ソ連の対日参戦による退却の結果である」

 

長岡大学 研究論叢 第16号より(2018年8月)

・・・731部隊に関する概要が正確に記述されており、更に1938年に毒ガスを作戦で使用したことまで記している。これは化学学校の教育部長が、特殊課程の学生に講義した内容である。内容は事実であると確認して行ったと考えるほかはない。戦後自衛隊は731部隊の実態とその活動を把握した上で、何ら反省することなく自衛官に「教育」してきたのである。また教科書裁判では日本政府は長きにわたり731部隊の活動の事実認定さえ回避してきたが、陸上自衛隊の内部教育資料にも明記されるほど、自衛隊幹部周知の事実だったのであり、日本政府は一貫して内外に虚偽の主張をしてきたと言える。


731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第1回

731部隊と人権ー裁判から考える

お話:南典男さん(弁護士)

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第2回

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第3回







パネル展「731部隊 戦前・戦後の医学」
      医学と人権を考える―

(以下、パネル展の内容)

水俣病

田宮猛雄(たみやたけお)

<a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjZEmJ_w0gLZSrizAccXvygRDC8HYbLrzn09kAyAYXyiBtEfwp3ZtjEklMipOUuJvo_h9o7J9rxNH_wfoqJECP6ETmfk3NpFJsmjYRwEUoYOTZALLshkC2cX5_OXybsEmRwTVT2qLHYIv4/s229/%25E7%2594%25B0%25E5%25AE%25AE%25E7%258C%259B%25E9%259B%2584.PNG" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="180" data-original-width="229" height="252" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjZEmJ_w0gLZSrizAccXvygRDC8HYbLrzn09kAyAYXyiBtEfwp3ZtjEklMipOUuJvo_h9o7J9rxNH_wfoqJECP6ETmfk3NpFJsmjYRwEUoYOTZALLshkC2cX5_OXybsEmRwTVT2qLHYIv4/w320-h252/%25E7%2594%25B0%25E5%25AE%25AE%25E7%258C%259B%25E9%259B%2584.PNG" width="320" /></a>

[経歴] 
1889年 大阪府で生まれる。
1915年 東京帝國大学医科大学(現・東京大学医学部)を12月に卒業、伝染病研究所の技手となる。
1918年 伝染病研究所の技官となる。
1924年 医学博士号を取得。論文の題は「脾脱疽感染及び免疫に関する実験的研究」
1927年 東京帝國大学伝染病研究所教授に就任。
1931年 同大学医学部教授となる。衛生学講座を担当。
1944年 伝染病研究所第7代所長に就任。
1945年 同大医学部長に就任。
1948年 日本医学会会長に就任、亡くなるまで務める。
1949年 東京大学を停年退官。名誉教授となる。
1950年 日本医師会会長となり2期務める。
1960年 水俣病研究懇談会(田宮委員会)の委員長となる。
1962年 国立がんセンター初代総長となる。
1963年 日本学士院会員になる。7月11日に胃癌のため死去。墓所は大阪市阿倍野区。正三位、勲一等。

医学者としてこれ以上は望めない輝かしい経歴だが、御用医学者としての業績もまた超一流である。

田宮猛雄といえば、水俣病研究懇談会、通称「田宮委員会」での悪行が有名である。
医師会会長の権威を利用して、腐った魚を喰ったせいだなどという説をでっちあげ、真の原因である有機水銀説をつぶし、被害を拡大させ新潟での第二水俣病まで引き起こした。




隠された毒ガス兵器


小津安二郎も毒ガス部隊だった

『従軍日記』 小津安二郎

森友・加計問題などで公文書改ざん、事実の隠蔽などが問題になっているが、敗戦時の証拠隠滅、文書焼却、事実の隠蔽は、その比ではない!今も続く歴史改ざん!!           





※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!


  新宿・謎の人骨100体・731部隊【歴史解説】

1989年7月22日、新宿で謎の人骨が大量に発見された

    歴史改ざん(「風を読む」)


     

 

 

●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。


今、世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス。これは、細菌戦(生物戦)ではないのか?
過去に、日本が中国で行なった細菌戦のように。(以下は現在分かっている細菌戦)

 日本政府・日本医学界が、真摯に過去に向き合い、生物兵器を作ったことを謝罪し、今のこの難局に立ち向かわない限り、オリンピック開催はないであろう。

 

 

東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫

元731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉

「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」


1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日  731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日  731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日  731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した 
8月  731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月  100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置



10分で学びなおす 「731部隊」より(『週刊現代』より)






 

 

1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察

 

 

731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。


NHKスペシャル 「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」 2017年8月13日


 

●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!

 

731部隊被害者遺族の訴え!!        

 

 







 1929(昭和4)年 実験医学雑誌第13巻雑報


雑報

◎11月職員異動調べ

月日   異動事項       官職   氏名

11.5 東京都下へ出張を命ず   技手  滋賀秀俊

 .6 神奈川県下へ出張を命ず  技手  若林宏

 .7 依願伝染病研究所

   蛇毒研究業務嘱託を解く        岸野茂樹

 .7 伝染病研究所に於ける

   蛇毒研究業務を嘱託す       寺尾秀三

 .11 医師試験委員被仰付    教授   二木謙三

 .11 同            技師   石原喜久太郎

 

 

  伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より 

 

   

この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?

 

 

●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)

「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 

本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。


3部

 

第1審判決に対する中国の各界の支援の声


3章 浙江省支援者から

 東京紀行~細菌戦訴訟の一審判決~

何必会(義烏市、原告団事務局)

8月27日13時15分、原告代表と日本の弁護士など10数人が、東京地方裁判所の103号法廷に入って原告席に座った。裁判官席には、男性の裁判官2人、女性の裁判官1人とその近くに書記官1人が座った。被告側には、日本政府の代理人3人がいた。傍聴席には、抽選で78名が入場した。法廷の中では、中国山東テレビと、日本のあるテレビ局の2社が、開廷前の2分の間代表撮影を許されたのみで、その他の全ての撮影が禁止された。13時40分に開廷され、岩田好二裁判長は10分余りにわたって、44頁の判決理由の要旨を読み上げた後、すぐに法廷から立ち去った。 

 

 



  731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われて

いるのではないか?

     731部隊の行なった細菌戦

 

●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!

安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難

 

           

2013年5月12日、安倍晋三は宮城県東松島市の航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。

           

731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)
旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!

731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記

 

 

 

 

 

●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』

 

 

 

四月二四日

 

小供たちと遊んだ 小供に帰ったような朗らかな一日 晴 今日は雑役であった

御勝手仕事が非常に上手になったように自分ながら思はれる。

「兵隊さん、わたしは公主令よ もっと寒くて遠いのよ」「かよちゃんは ここで生まれたんでしょう」

「いいえ、わたし撫順よ ほんとうに美しいにぎやかな町だわ」「今度は皆と一緒に奉天や公主令を遊びに行かない 兵隊さんが連れてってあげるから」「いや」「いや」「私好くは」「いやいや」のない人達よ。春ですね。私にも又懐かしい小供の世界が生まれた 春なればこそ庭のアンズの花が咲き始めた。大きなタンスと花見の姿・・・まだ見ぬ小さい天使たちの桜の国が いかに小供に懐かしまれる事か 海外に働く人達はまだ多少幸せな希望があるのだろう。



大江健三郎著

「ヒロシマノート」岩波新書(1965年発行)

 

 







挿絵カット 丸木位里・赤松俊子『ピカドン』(1950年86日ポツダム書店発行)より

 

Ⅲ モラリストの広島

 

≪ピカまでは薬一服飲んだことのない私も、だんだん体が弱り、去年の12月、遂に肝臓と盲腸を手術することになりました。手術した結果、膵臓も悪いことがわかりました。その上太田川放水路は工事が再開され、市電がその方面を通ることになりましたので立退きをしなければならなくなりました。もう何度死のうと思ったか分かりませんが、死んではつまらないと自分に言い聞かせては、思い返しています≫

 

 

 


唯一の戦争被爆国 日本政府は核兵器禁止条約に署名・批准してください!

  日本は、日中戦争で国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!

 

●『細菌戦部隊』

731研究会編   1996年9月(核時代51年)初版発行


Ⅰ 731部隊


731部隊破壊と証拠隠滅作業

ロ号棟に書かれた血文字が一生忘れられない

 

篠原鶴男(しのはらつるお)

731部隊・教育部

〈略歴〉

1926年生まれ
1945年5月 731部隊入隊(教育部に所属)第8分隊
1945年8月 帰国
■この証言は鹿児島731部隊展(1994年1月)の『報告集』をもとに本人がまとめたも

 

部隊の破壊と証拠隠滅作業

14日の18時に、731部隊を爆破する」という命令が下りまして、“マルタ”を“処分”し、13日の夜から14日の朝方にかけて、研究器材や薬品、標本を入れてあった容器などを松花江という川へ何度もトラックで運んで捨てました。 

 

 『証言 人体実験(731部隊とその周辺)』


中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳


六 第731部隊の各支隊


1 関東軍第100部隊

 

問:100部隊に提供した菌株が、細菌戦の研究と準備のためのものであるいことを知っていたのか。

答:1941年に100部隊が秘密部隊となってから、私は細菌戦の研究と準備の為のものであることを知っていた。しかし、関東軍の命令とあれば提供しなないわけにはいかなかった。


●毒ガス戦
・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著

4章

毒ガス使用禁止をめぐる国際的な動向と日本軍の対応

3、「満州事変」とジュネーブ一般軍縮会議での日本の態度

陸軍省、関東軍の毒ガス交付申請を拒否

 関東軍は、日本軍の軍事行動に抵抗する中国人の抗日ゲリラに対して催涙性ガス及びくしゃみ性・嘔吐性ガスの使用を計画したが、陸軍省は、①毒ガスの使用は国際法違反であり、抗日ゲリラに対する使用は国際法を無視したと非難される事、②使用すれば中国がこれを宣伝し、「満洲事変」を起こした日本に対する各国の非難が増大してしまうこと、③使用すれば日本軍に協力的な民衆も被害に遭う事、を理由に許可しなかった。植民地台湾では毒ガスの使用を認めた陸軍省だが、「帝国外の地」=中国での毒ガス使用については国際法に基づいて許可しなかったのである。


 

 


・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)




 

2章 地図から消えた神秘の大久野島

 最初の毒ガス被害者


「被害者」はまた「加害者」でもある

付記・「毒ガス島」を訪れる


記録2 村上初一館長と「毒ガス資料館」

「私は以前友達と加害の問題について話したことがあるが、多くの人々はこれを理解していないと思う。今、私は私自身の観点を十分に事実をもって証明することができる、私は彼らをきっと説得することができるだろう。だから、私は中国の学者の方々に心から感謝します」

 村上先生の被害者と加害者に関する話を聞きながら、私の心は平静ではいられなくなった。中国で調査をしている時、私は多くの戦争被害者を見てきた。彼らのなかのある者は体に傷痕を残し、ある者はすでに一生障害を負い、ある者は身内を日本の侵略者に殺されてる。・・・・当然この中には毒ガスの被害者もいた。これらの人々が苦しい過去を回顧する時、普通では、日本人も被害者であるとの観点を承認しない。だが、戦争の悲劇を再び繰り返さないために、世界の恒久平和のために、私達は彼らが冷静に過去を考えるように導き、客観的に歴史に向き合わねばならないと思う。しかし、この様な仕事は日本ではもっと大変だろう。それに、これは特別に気を使って事を進めなければならず、粗略な方法では効果がない。村上先生のように自分の体験を元にしたい方は、特に必要な事であろう。









 

 

 

日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題







 

●『三光』     中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)

 

汚された泉

井戸へ放り込み惨殺

杉本千代吉(すぎもとちよきち)

大尉

〈略歴〉

学歴 中学高卒業

旧部隊名 第59師団第54旅団第45大隊

出身県 静岡県

年齢 38歳(1919年生まれ)

 

「おい、白状しないか。八路はいつ来たのか」いつもの決まり文句とともに鞭が執拗に農民の背中に絡みついた。うめき声をあげてのたうち回る農民、紺の仕事着がボロボロに引き裂かれ、雨の日も風の日もたゆみなく働き通してきたたくましい体は、血と土でどす黒くなり、激しい息づかいの中で農民はなおも一生懸命に哀願し続けている。

 


2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)

 



●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!


日本の毒ガス


在日米海軍厚木基地(大和、綾瀬市)で米陸軍が化学、生物、放射線、核(CBRN)の対応訓練を予定していることに対し、厚木基地爆音防止期成同盟(爆同)など関連4団体が4日、同基地正門前で抗議集会を開き、訓練の中止を訴えた。

 訓練実施は1月28日に、日米合同委員会で合意。防衛省南関東防衛局が大和、綾瀬市に連絡した内容によると、訓練場所は、同基地を共同使用する海上自衛隊が管理する区域内にある滑走路南端の約2万平方メートル。今月5日から9月30日まで使用することで合意した。

 米側は訓練への参加部隊に関し米本土所属と説明しているが、参加人員や日程については知らせていない。危険物の持ち込みや騒音の発生はないなどの情報提供にとどまっている。

 CBRNへの対応訓練は同基地で過去に例がなく、周辺住民に不安が広がっている。

 今月4日には同基地正門前に爆同など住民団体から約60人が集まり「危険な訓練をやめろ」などと声を上げた。爆同の石郷岡忠男委員長は「昨秋には迎撃ミサイル訓練があった。米空母艦載機部隊の移駐後に空いた施設を使った新たな訓練場になることを危惧している」と強調。基地司令官宛てに、基地の機能強化につながる運用などに抗議する要請書を提出した。


CBRNとはchemical weapon:化学兵器、biological weapon:生物兵器、radiation:放射能物質、nuclear weapon:核兵器を意味する。従来はCBRだけで用いられることが多かったが、近年は核兵器Nを加えてCBRN(日本語ではシーバーンと発音する)として用いることが多くなっている。

●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?


『化学学校記事』 情報公開裁判(第17回)

3月3日(水)11時

「703法廷」東京地裁民事3部

これまで防衛省は 『化学学校記事』 1号~12号 (1967年) までの発行は認めたが、 私たちが入手し提出した「16号」(1970年)について頑なに発行を認めませんでした。しかし19年末「16号」関係者の証言が得られたとしてやっと「16号」の発行を認めました。また、発行元が「大宮化学学校修親会」 と記されている事から「他団体の発行で関係ない」「1冊も保管していない」 と主張しています。 現在 「16号」 関係者の詳細証言と何年、 何号まで発行していたのかを追及しています。

 周知のとおり戦前の日本軍は、毒ガス・生物兵器を実戦使用し多数の軍民に残虐な被害を与えました。 旧軍を引き継いで発足した自衛隊も発足直後から秘密裏に化学兵器を所持、 研究していますが、現在ではCBRN(化学兵器・生物兵器・放射線・核)攻撃への防護のためと称して、研究・演習を行っています。

政府・防衛省の隠蔽体質は民主主義の否定、更に戦争への道にも通じる危険なものです。

全資料公開に向けて皆さまの支援、 傍聴をお願いします。


●「衛生学校記事」情報公開裁判 423日(金)14:00~103号法廷

◎「衛生学校記事」「化学学校記事」その他自衛隊に関する

情報をお持ちの方は下記のアドレスまでご連絡ください。

連絡先:exhibition731@yahoo.co.jp


自衛隊におけるCBRN対応
         長岡大学教授  兒島 俊郎

3 陸上自衛隊内部におけるCBRN研究

2)化学兵器関係資料

「第3節 部隊安全」は自部隊の安全確保について考慮すべき事項である。

 

 次に「化学目標分析(形式見本)」を紹介する。これは上で述べた「化学目標分析」をまとめる際のより詳細な指示書と言えるものである。内容は以下の引用を参照されたいが、「a、彼我の状況」では、「部隊任務と作戦計画に影響する化学剤を挙げる」として、状況に応じて使用する化学剤の選定がなされなければならないとしている。最後の「3、分析」では、化学剤を用いる際に具体的に決定すべき事項を詳細に記述することを求めている。例えば化学剤を「空中破裂」にするか「爆発破裂」にするか。用いる予定の化学弾の補給率や予想される消費量。敵死傷者の見積もり。友軍への警報、などが挙がっている。そして最後に幕僚が具申すべき事項として「5、具申」のa~gが列挙されている。

「a、目標の位置及び型 b、使用せらるる化学剤 c、戦剤投射部隊及び所用弾数 d、攻撃時刻 e、投射完了の時間的制約 f、部隊安全手段と所要の調整 g、攻撃後の分析計画」

 





1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊



 


●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。

4、日本本土も汚されている

Ⅱ 自衛隊と生物・化学兵器―その思想と作戦

2、研究開発と自衛官の入学拒否

自衛官の入学研究発表の拒否

「(前略)また、本件を契機としてこのような事態が他の学会等に波及していくことは、とうてい考えられない。したがって、研究に携わる隊員においても、何らかの心配をすることはなく、今後もどしどし各自の研究を進めていってもらいたいし、また、優れた研究成果も機会をとらえて積極的に学会誌等に発表して戴きたいと思う。特に当庁は、航空医学、潜水医学その他当庁でなければできないと思われる独特の研究分野をもっており、これらの研究成果が我が国の近年における医療技術の進歩に大いに貢献してきたと思うし、これを研究し、学会等で発表することは、我々隊員の任務であると考えるので、今後とも大いに研究、発表を行ってもらいたい。」

 


 


 

 ●昭和天皇の戦争責任を問う!!


天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より

重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。


 


 



●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)

吉田裕監修 

 

2001年ピュリッツァー賞受賞

 

 


※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!

戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
  

     



4部 内省なきその人生

1945(昭和20)年―1989(昭和64) 年

 

第十四章  創り直された君主制

 幣原内閣の厚生大臣を務めた穏健な保守主義者で、憲法改正案が付託された衆議院の特別委員会の委員長でもあった声田均の日記には、閣議でのアメリカ草案をめぐる審議の2日目、2月22日に幣原がその前日にGHQを往訪した際の様子を報告したことが書かれている。いわく、「MacArthurは先ず例の如く演説をはじめた。『我輩は日本の為に誠心誠意図つて居る。天皇に拝謁して以来如何にもして天皇を安泰にしたいと念じてゐる』。・・・・・」。しかし、最高司令官は続けて、ワシントンの極東委員会における日本に関する「不愉快な」討議内容や、自身の地位の不確実性についても伝えていた。アメリカの草案は天皇を皇位に留めると規定していたので、彼は日本案とGHQ案との間に「越ゆ可らざる溝ありとは信じない」述べた。さらにマッカーサーは、GHQ案においては、天皇は護持されており、従来のように祖宗からその地位を継承するのではなく、国民の信頼によって皇位に就くとしているから、天皇の権威はかえって高まると確信しているというのである。


 



731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!

 

日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?

●地球の異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!


※私が考える、今の異常気象の要因は

1、1940年代から60年代にかけて大規模に行われた、核実験による環境破壊の影響

2、都市化したコンクリート(アスファルト)ジャングルによるヒート・アイランド現象

3、その結果による、交通機関(電車・バス・乗用車・航空機・船舶)やオフィス・住居などの冷暖房による排熱

4、自動車社会の排ガス

5、原子力発電による温排水の排出・・などに拠っているのではないか?

 

 

 

●核実験(ウキペディアより)

若くして白血病で亡くなった夏目雅子、本田美奈子、また五輪候補選手だったスイマーが白血病になったのは、放射能の影響ではないのか?

月の砂漠の犠牲者 夏目雅子と本田美奈子

核実験(かくじっけん,英語:Nuclear weapons testing)とは、核爆弾の新たな開発や性能維持を確認したり、維持技術を確立したりするために、実験的に核爆弾を爆発させることを指す。1945年から約半世紀の間に2379回(その内大気圏内は502回)の核実験が各国で行われた。そのエネルギーはTNT換算で530メガトン(大気圏内は440メガトン)でこれは広島へ投下されたリトルボーイ3万5千発以上に相当する。

アメリカ合衆国

マーシャル諸島での核実験

1946年7月1日からアメリカ軍占領下にある日本の委任統治領であるマーシャル諸島ビキニ環礁で核実験を行い、1947年にアメリカ領となった後も核実験を継続し、エニウェトク環礁と合わせて67回の核実験を行っ

1946年7月、原爆実験クロスロード作戦では、日本戦艦長門など約70隻の艦艇が標的として集められ、そこを原爆で攻撃して効果を測定した。1回目は7月1日に実験(エイブル)し、2回目(ベイカー)は7月25日に行なわれた。

その後、太平洋核実験場として指定され、1954年3月1日ビキニ環礁で水爆実験(キャッスル作戦)では、実験計画では数Mtクラスの爆発力と見積もっていたものが、実際には15Mtの爆発力があったため予想よりも広範囲に死の灰が拡散して、多数の被曝者を出した。

· ビキニ環礁の島民は、強制的にロンゲリック環礁へ移住させられ、現在に至るまで帰島出来ていない。

· 日本のマグロ漁船第五福竜丸など数百〜千隻の漁船が、死の灰で被曝した。

· 240km離れたロンゲラップ環礁にも死の灰が降り、実験の3日後に住民全員が強制避難させられた。

· ビキニ環礁面積の80%のサンゴ礁が回復しているが、28種のサンゴが原水爆実験で絶滅した。






 

 

 

 

 




●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future




●核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について






なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!

       

      

原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より

・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。

封印された原爆報告書




水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が
被爆した!!






























 

           

JCOの臨界事故


福島第1原発事故

核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!

日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病


731部隊(unit731)
昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!


0 件のコメント:

フォロワー

ブログ アーカイブ

自己紹介

新しい自分を発見中