731を問う!!
2020年2月3日月曜日
細菌戦の系譜!!
●ビザ発給拒否裁判 1審不当判決
●パネル展「日中戦争ーその実相に迫る!
●知っていますか?「731部隊」
●情報公開裁判「化学学校記事」「衛生学校記事」
●小林開さん 映画「ひろしま」を語る!!
●核なき世界へ 映画「ひろしま」
●ABC企画委員会パネル展2019中野
●第5回三多摩平和交流会2019
●南方軍防疫給水部の記録を探し求めて(リム・シャオピンさん)
●小津安二郎と宮柊二と毒ガス戦
●天皇制廃止に向けての第一歩:雲上人を人間化する運動を!
●京都大学に対する第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求める活動
●平沢正欣論文を検証する(人体実験は行われたか?)
●武蔵村山の国立感染症研究所問題!!
●731部隊・100部隊展
ビザ発給拒否裁判 1審不当判決
安倍政権の歴史改ざん政策(中国人ビザ発給拒否裁判)
日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?
地球の温暖化や異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??
●『二酸化炭素温暖化説の崩壊』広瀬隆(集英社新書)
奇々怪々の現代
科学が明らかにした地球の気温変化
本書では、CO₂温暖化説が出て科学が宗教化する前の、信頼できる書物の冷静な資料をできるだけ引用することにする。【図15】でも【図16】でも、縄文海進時代の気温の高さと、海水面の変化が明確に描かれている。CO₂温暖化説を信じてきた罪のないほとんどの人を私は批判したことがないし、そういう人たちこそ事実を知って、自分の結論を導くべきだと思っているので、私が書くことをそのまま鵜呑みにする人間は嫌いである。
●核実験(ウキペディアより)
若くして白血病で亡くなった有名女優、有名歌手、また五輪候選手だったスイマーが白血病になったのは、放射能の影響ではないのか?
月の砂漠の犠牲者 夏目雅子と本田美奈子
核実験(かくじっけん,英語:Nuclear weapons testing)とは、核爆弾の新たな開発や性能維持を確認したり、維持技術を確立したりするために、実験的に核爆弾を爆発させることを指す。1945年から約半世紀の間に2379回(その内大気圏内は502回)の核実験が各国で行われた。そのエネルギーはTNT換算で530メガトン(大気圏内は440メガトン)でこれは広島へ投下されたリトルボーイの3万5千発以上に相当する。
1953年に行われたW9の発射実験。M65 280mmカノン砲を使用した。核出力は広島に投下されたのと同じ15kt。
水素爆弾の恐怖・ビキニ環礁 (アメリカ)
「北朝鮮の核実験の威力」と「史上最強の核兵器"ツァーリ・ボンバ"の破壊力」【核兵器】
●核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について
●原発・化石燃料発電→再生可能エネルギー発電の増加
【金子勝の言いたい放題】NO5 世界は電力タダの時代に エネ転が拓く経済転換(飯田哲也さんと) 20191230
核兵器、生物兵器、化学兵器廃絶!! 戦力不保持!!安倍政権打倒!!
どこの研究所で新型コロナウィルスが誕生したのだろうか??
●ニュース
戦争責任を取らぬまま、そのまま在位した昭和天皇、その後の天皇も日本の侵略戦争の謝罪をしていない!!
どこの研究所がこんなウィルスを開発したのか??日本は過去、中国で細菌戦をやっていた!!
この騒ぎを高みの見物をしているのは誰だ??
新型肺炎、中国の死者が361人に SARSを超える
新型ウイルス患者、インフル・エイズ薬混合で劇的回復 タイ保健省発表
IR汚職 議員への資金提供「中国企業が原資」と供述
航空自衛隊員が空港で実弾所持 所属基地で模造弾見つかる
望月衣塑子記者の質問外しに官房長官番記者側も加担!?
護衛艦「たかなみ」を視察する安倍首相
#大竹まことゴールデンラジオ#金子勝 (文化放送 2020-01-31)
●日本政府・自衛隊は情報を公開せよ!!(情報開示!!)
今年も8月12日がくる──。33年前 520人が犠牲になった日航機墜落、遺物の化学分析で判明した事実とは?
中曽根元総理が知る日航機墜落事故の真実とは?墓場まで発言の真意を調査!
ここの研究所は、どんなことをやっているのだろうか??
●国立感染症研究所村山庁舎(武蔵村山)
●なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。
XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より
・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。
2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。
封印された原爆報告書
水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した!!
ビキニ「死の灰」世界各地へ
JCOの臨界事故
福島第1原発事故
●核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!
●「731部隊・100部隊・毒ガス戦」パネル展 2019年4月29日~5月3日
●「日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか 」 田中利幸さん
●日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病
●731部隊(unit731)
●昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!!
●読者から寄せられた記事
タイトル:
ロスチャイルドの犯罪とは、戦争がかれらの最も収益性の高い事業である事なのだ。
ホスト:KD106180012236.au-net.ne.jp
********************
全ての米国大統領はカバールマフィアに任命されたCEOであり
彼らのビジネスは毎年利益を分け合う英国国王とバチカンの為にお金を稼ぐ事なのである。
世界は3つの独立した主権国家から支配されている。
英国王室は、ロンドン市として知られる677エーカーの独立した主権国家から秘密裏に世界を支配している。(カナダもオーストラリアもニュージーランドもパキスタン他も英国女王が元首だ。)
もう一つのクラウンは、ロスチャイルドによって制御されているイングランド銀行が率いる12銀行の委員会で構成されている。
●横浜「戦争の加害展」感想
2月10日
10.被害は当たり前のように聞くのに、なかなか知ることのない加害について考える良い機会になりました。
スタッフの方が話しかけてくれ、パネルにはない情報なども丁寧に教えていただけたことが印象に残り嬉しく思います。
講演会「この世界の片隅に」について深く掘り下げる回についても一度観ただけでは汲み取ることの出来なかったメタファーに気づかされ目から鱗でした!みなさんありがとうございました!(女性20代中野区)
●映画「ひろしま」アンケート(1月13日 横浜)
( )は性別・年代・住まい・情報
14、残酷、残酷、残酷、この映画は大変残酷だ。しかし現実の方がもっと残酷だ。最後の遠藤さんに救われた。ニューヨークのスミソニアンの第2次大戦の日本コーナーでは「原爆でアメリカは戦争を終わらせた。」と一言。頑張って下さい。
(男性・80代以上・市内・朝日新聞)
●【真相】(unit731)
石井細菌戦部隊―極秘任務を遂行した隊員たちの証言
郡司陽子編(1982年11月30日初刷:徳間書店)
編者まえがき
Ⅰ ファインダーがとらえた地獄
―総務部調査課写真班 T・K
また、日曜日には、よくハルピン市に出かけた。部隊のバスが、毎日1往復、吉林街の白樺寮まで運行されていた。白樺寮は731部隊の秘密連絡所と言われるが、私は、ここで変装するとか、調べられるというようなことはなかった。普通の外出である。
白樺寮からハルピン駅まで歩いて10分位、そう遠くはなかった。行き先は、地段街にある丸商・チュウリン洋行の両百貨店、そしてキタイスカヤ、中央寺院、ハルピン神社、極楽寺、スンガリー等である。スンガリー(松花江)の右岸はずっと公園みたいな緑地が続いていた。この公園のベンチで白系ロシア人の主婦たちが、編物などしていた。向う岸が太陽島、白系ロシア人の別荘地帯である。ロシア風の建物が並んで、観光地にもなっていた。遊覧船が通い、冬は凍結するので、氷上ソリで客を運んでいた。人力ソリで、氷の上であるため、竹竿のようなもので突っ張るとよくすべり、これを見るのも楽しみだった。
●日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より
第10章 残酷な人体実験毒ガス実験
「戦犯管理所」からの証言
上に掲げた日本軍人の供述から、当時いかに驚くべき残酷な光景が繰り広げられたか想像することができる。残念なのは、40年前には条件に制約があったため、証言を提供した日本の軍人の写真資料が完全な形で残っていないことである。また、当時の目的は戦犯たちに中国での侵略行為を認めさせることだったから、毒ガス実験の情況について専門的な詳細調査を行うことはしなかった。そのため、こうした叙述から毒ガス実験に関する具体的データや細かな情況を把握することは不可能である。
●証言 人体実験(731部隊とその周辺)
中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳
河本大作供述書(1953年4月10日)
原注:河本大作。1882年生まれ。日本兵庫県出身。日本陸軍士官学校及び陸軍大学を卒業の後、日本軍小隊長、中隊長、参謀、連隊長、関東軍高級参謀を歴任。「東方会議」に出席した。1928年6月4日「皇姑屯事件」を起こして張作霖、呉俊陞を爆殺した首謀者である。1931年9月、「9・18」事変に積極的に関与した。後、満洲炭鉱株式会社理事長。1942年9月、山西産業株式会社社長となり、山西省に進駐した日本軍第1軍と協力し、閻錫山と組んでスパイ、謀略活動を行った。日本帝国主義が敗れて降伏したあと西北実業公司総顧問となり、引き続き閻錫山と結託した。
●『人間の価値』
―1918年から1945年までのドイツ医学
Ch.ブロス/G.アリ編
林 功三訳
■訳者あとがき
本書は『人間の価値―1918年から1945年までのドイツの医学―』(ベルリン1989年刊)の抜粋日本語訳である。原書は同名の展示会のおりに刊行された書物(カタログ)で、400ページ近いものであるが、本書に訳出したのはその中心的部分だけである。日本で展示会をご覧になった方はもちろん、展示会をご覧にならなかった方にもお読みいただき、理解していただける内容であるとわたしは信じている。なお、展示された資料よりはこの方が分量的に少し詳しく、また多少の異同があることをお断りしておきたい。
昨年2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)
●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作ってもいいのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!
日本の毒ガス
沖縄・南西諸島が軍事要塞化している現実はおかしくないか??
「琉球処分」から140 今の沖縄を考える
●「衛生学校記事」とはどんなものだろうか?
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?
次回『衛生学校記事』情報公開裁判は、4月23日14:00~東京地裁419号法廷
”桜を見る会”や”森友””防衛省の日報”等で公文書の廃棄や改ざん、隠蔽などが問題になっているかが、『衛生学校記事』・『化学学校記事』での防衛省の公文書管理は一体どうなっているのだろうか?
4年前には、不要決定簿冊というのがあったという。それには、廃棄するものには、2重線が引かれていて、不要決定という印が押されていた。ところが今回閲覧した図書原簿には、2重線だけしかなかった。
これで『衛生学校記事』というのが本当に廃棄されたのかどうか??4年に間にシステムが変わったのか?
第4代衛生学校長だった金原節三が亡くなってから、遺族が、当時の防衛庁に寄贈した金原節三資料の中に13点の『衛生学校記事』が含まれている。それがいまだに未開示であり、その行方が防衛省は分からないという。
1995年に防衛研究所が衛生学校から金原資料の全部を移管したようだ。1996には、その資料の中で価値の高いものを、防衛研究所に残して、あとは衛生学校に戻したようだ。
『金原文庫』はいつまで、衛生学校の彰古館に設置されていたのであろうか?その中に果たして『衛生学校記事』があったのか?また、金原資料はキチンと整理をされていたのだろうか?金原資料の中には『特殊武器衛生』というものもある。毒ガスや生物兵器を指すのだろうか?
次回の裁判では、その移管作業に関わった5人の方々の陳述が出るのかどうかが焦点になる。
●「化学学校記事」情報公開裁判
次回 2020年2月12日(水)11:30~ 東京地裁522号廷
1977年発行の化学学校発行の『20年のあゆみ』について、防衛省はマスキングに時間がかかるため、2か月後の提出は難しいかも知れないと述べた。
『20年のあゆみは』は1970年代だから、沖縄での、毒ガス漏洩事件や本土の相模原補給廠での毒ガスの問題がある中、毒ガスや核兵器に関する研究の記述もあるのだろう。それらをマスキングして公開しないというのは、日本の情報公開がいかに遅れているかと象徴している。防衛省は、化学学校記事16号の存在を認め、その間に自衛隊がどのような研究をしていたかを明らかにすべきだ。佐藤内閣時代に実際に核兵器を持とうとしていたのだから、自衛隊ではどんなことが研究をしていたかは、国民に広く知らせるべきである。ましてや日本は、広島、長崎、ビキニ、福一で甚大な被曝をしている国なのだから。
また、『化学学校記事』16号が存在するのだから、正直に防衛省はそれを認め、その他の全ての『化学学校記事」を公開すべきだ!!
1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊
第4代衛生学校長
『衛生学校記事』を発刊したときの、衛生学校長金原節三とはどんな人物なのだろうか?
金原節三(1901~1976)
陸軍省医事課長時代(1941.11~43.8)に731部隊から報告を受けていた。「陸軍省業務日誌摘録」
厚生省東海北陸医務出張所から衛生学校へ 1955.8.1
金原節三と細菌戦
金原の略歴を見ると、昭和16年11月に陸軍省医務局医事課長になっていて、17年に8月に軍医大佐になっている。
細菌戦資料センターの会報には、次のような記載がある。「陸軍省医務局医事課長だった金原節三元軍医大佐が、1955年に陸上自衛隊に入隊した。細菌戦部隊を指導していたのは、陸軍参謀本部、陸軍省医務局衛生課そして陸軍省医務局医事課である。金原は、「金原業務日誌摘録」に細菌戦部隊からの報告を記録している。
金原節三と武見太郎
金原と戦後日本医師会会長になり、医師会、薬剤師会、歯科医師会に大きな影響を及ぼした武見太郎は、軍隊内の先輩・後輩関係にあった。『金原節三資料目録』(陸上自衛隊衛生学校)の巻頭言は、日本医師会長武見太郎が書いている。
『BC兵器』 久保綾三著(1969年)より
Ⅱ 自衛隊と生物・化学兵器―その思想と作戦
2、研究開発と自衛官の入学拒否
自衛官の入学 研究発表の拒否
防衛庁衛生局長瀬十一太衛生課長の「学会における研究発表の中止事件について」と題する声明が、自衛隊幹部向けの広報誌『広報アンテナ』(67年12月号)に掲載されている。同声明は、学会の取った処置を遺憾としながら、隊員の研究、発表に及ぼす影響を心配して次のように述べている。
「(前略)また、本件を契機としてこのような事態が他の学会等に波及していくことは、とうてい考えられない。したがって、研究に携わる隊員においても、何らかの心配をすることはなく、今後もどしどし各自の研究を進めていってもらいたいし、また、優れた研究成果も機会をとらえて積極的に学会誌等に発表して戴きたいと思う。特に当庁は、航空医学、潜水医学その他当庁でなければできないと思われる独特の研究分野をもっており、これらの研究成果が我が国の近年における医療技術の進歩に大いに貢献してきたと思うし、これを研究し、学会等で発表することは、我々隊員の任務であると考えるので、今後とも大いに研究、発表を行ってもらいたい。」
第5代衛生学校長
井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身
1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】
第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を転任になり、その後を井上が引き継いだ。
井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。
又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。
南方軍防疫給水部(岡9420部隊)
●イタイイタイ病を究明した男 萩野昇
●驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く
●水俣病問題
●小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去
●小泉親彦と宮川米次の絆
●ヒロシマからフクシマへ
●宮川正
●「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—
●ビキニ「死の灰」世界各地へ
●自衛隊とサリン
●相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場
●日本の国家機密
●兒嶋俊郎さんを偲ぶ
●昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!!
天皇万歳に浮かれる無責任国家 田中利幸より
重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)吉田裕監修 2001年ピュリッツァー賞受賞
※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
第11章 真珠湾への道
Ⅲ
首相として近衛の最後の公的な活動のひとつが、東条と協力して東久邇宮を後継首班にすることだった。多くの者が東久邇宮であれば陸海両軍を抑え、国民の団結を高度に維持することができると信じていた。しかしながら、昭和天皇は、以前と同様の理由、つまり、皇室を危険にさらしたくないという理由からこれを拒絶した。のちに、「陸軍の要求は之を退けて東条に組閣をさせた次第である」と昭和天皇自身が認めている。もちろん、東条は天皇の意中の人物であり、天皇はいまこそ自分の選んだ人物が問題を解決すると信じていた。
●小泉親彦と昭和天皇
●近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~
●近代天皇制の真髄は
●福沢諭吉
●神武と戦争
憲法9条を生かそう!!
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