731を問う!!
2020年2月16日日曜日
細菌戦の系譜!!
●ビザ発給拒否裁判 1審不当判決
●パネル展「日中戦争ーその実相に迫る!
●知っていますか?「731部隊」
●情報公開裁判「化学学校記事」「衛生学校記事」
●小林開さん 映画「ひろしま」を語る!!
●核なき世界へ 映画「ひろしま」
●ABC企画委員会パネル展2019中野
●第5回三多摩平和交流会2019
●南方軍防疫給水部の記録を探し求めて(リム・シャオピンさん)
●小津安二郎と宮柊二と毒ガス戦
●天皇制廃止に向けての第一歩:雲上人を人間化する運動を!
●京都大学に対する第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求める活動
●平沢正欣論文を検証する(人体実験は行われたか?)
●武蔵村山の国立感染症研究所問題!!
●731部隊・100部隊展
ビザ発給拒否裁判 1審不当判決
安倍政権の歴史改ざん政策(中国人ビザ発給拒否裁判)
日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?
地球の温暖化や異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!
●『二酸化炭素温暖化説の崩壊』広瀬隆(集英社新書)
奇々怪々の現代
科学が明らかにした地球の気温変化
21世紀現在はかなり太陽に近く、温暖な位置にある。第2に、【図18】のように、地球の地軸は太陽に対して傾いており、4万1000年周期で、この傾きが21-5度~24-5度の間で行ったり来たりしている。傾きが小さいと地球の気温の変化が小さくなり、傾きが大きいと夏の暑さと冬の寒さが強くなる。現在は23-4度あるので、寒暖が強くなる傾きにある。第3に、【図19】のように、地軸そのものが回転運動をしている。昔は子どもたちがタコ糸を張って地球ゴマで遊んだが、そのコマが首を振るのと同じように、太陽と月から引力を受ける地球は、約2万5800年かけて自転軸が回る運動をしている。これを歳差運動と呼ぶ。
●核実験(ウキペディアより)
若くして白血病で亡くなった有名女優、有名歌手、また五輪候選手だったスイマーが白血病になったのは、放射能の影響ではないのか?
月の砂漠の犠牲者 夏目雅子と本田美奈子
核実験(かくじっけん,英語:Nuclear weapons testing)とは、核爆弾の新たな開発や性能維持を確認したり、維持技術を確立したりするために、実験的に核爆弾を爆発させることを指す。1945年から約半世紀の間に2379回(その内大気圏内は502回)の核実験が各国で行われた。そのエネルギーはTNT換算で530メガトン(大気圏内は440メガトン)でこれは広島へ投下されたリトルボーイの3万5千発以上に相当する。
歴史上重要な核実験
歴史上重要な核実験の一覧を次に示す。広島と長崎の原子爆弾の投下に加え、既定の兵器のその国における初の核実験、さもなければ、例えばこれまでに最も大きな核実験だったなど顕著だった核実験が含まれる。すべての核出力(爆発力)は、推定エネルギーと等価とされるTNTの質量(kt)で与えられる。
表中の「実用兵器/非実用兵器」は、実験された装置が(理論実証装置と対照的に)実際の戦闘において仮定として使われることができたかどうかを意味する。
核爆発を起こすために大規模な機器に取り囲まれているような初期の実験用核爆弾は、実用的な兵器とは言えない。「多段階/非多段階」は、それがいわゆるTeller-Ulam構成の“本当の”水素爆弾か単に増幅核分裂兵器の形態であったかどうかを意味する。
なお、ツァーリ・ボンバと1998年のインドとパキスタンによる実験の核出力のように、いくつかの核実験の正確な核出力の推定は、専門家との間で論争となっている。
水素爆弾の恐怖・ビキニ環礁 (アメリカ)
「北朝鮮の核実験の威力」と「史上最強の核兵器"ツァーリ・ボンバ"の破壊力」【核兵器】
●核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について
●原発・化石燃料発電→再生可能エネルギー発電の増加
【金子勝の言いたい放題】NO5 世界は電力タダの時代に エネ転が拓く経済転換(飯田哲也さんと) 20191230
核兵器、生物兵器、化学兵器廃絶!! 戦力不保持!!安倍政権打倒!!
どこの研究所で新型コロナウィルスが誕生したのだろうか??
●ニュース
戦争責任を取らぬまま、そのまま在位した昭和天皇、その後の天皇も日本の侵略戦争の謝罪をしていない!!
どこの研究所がこんなウィルスを開発したのか??それとも日本軍が遺棄した生物兵器が影響しているのだろうか?
731部隊が建物を爆破して日本に逃走した後、その近くの村でペストが流行した。100部隊の逃走した時は、鼻疽菌などに汚染された馬を放ってきた。
中国各地に日本軍の細菌戦研究所が存在したのだから、その施設が遺棄した生物兵器はその後どうなっているのか?
中国の細菌戦被害地では、今でも毎年鼠を捕獲してペストの検疫を行っている。日本軍の遺棄した生物兵器がその後も生きていて、いま中国で広がっている新型コロナウィルスや豚熱に影響はしていないのだろうか?遺棄毒ガス弾が多くの中国人を苦しめているように。
新型コロナウイルスQ&A 行動の見直しが予防に
“新型コロナ”感染医師は大阪の病院でも発熱後に勤務 府は濃厚接触者について調査
籠池氏「安倍政権の不正ただす」 森友巡る補助金詐欺、19日判決
辺野古70メートル以深 「調査必要ない」と河野防衛相
看板倒れ加計学園 獣医学部はコロナ感染症対策で機能せず
大竹まことゴールデンラジオ#金子勝 (文化放送 2020-02-14)
●日本政府・自衛隊は情報を公開せよ!!(情報開示!!)
今年も8月12日がくる──。33年前 520人が犠牲になった日航機墜落、遺物の化学分析で判明した事実とは?
中曽根元総理が知る日航機墜落事故の真実とは?墓場まで発言の真意を調査!
ここの研究所は、どんなことをやっているのだろうか??
●国立感染症研究所村山庁舎(武蔵村山)
●なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。
XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より
・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。
2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。
封印された原爆報告書
水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した!!
ビキニ「死の灰」世界各地へ
JCOの臨界事故
福島第1原発事故
●核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!
●「731部隊・100部隊・毒ガス戦」パネル展 2019年4月29日~5月3日
●「日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか 」 田中利幸さん
●日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病
●731部隊(unit731)
●昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!!
●読者から寄せられた記事
タイトル:
ロスチャイルドの犯罪とは、戦争がかれらの最も収益性の高い事業である事なのだ。
ホスト:KD106180012236.au-net.ne.jp
********************
私達は料金の90%を支払う事で、ピラミッドのトップ10%または最高のトップに分割される。
それが、ロスチャイルドが私達の周りに織り込んだウェブの結果として500兆ドルを超える富を築いた方法である。
ロスチャイルドの計画は、惑星を完全に引き継ぐ事であり、その点でロスチャイルドは操り人形の陰に隠れ信じられない程、成功している。
彼らは人間をヒモで操る人形のように制御しそれで彼らは惑星地球の裕福な支配者と闇の支配者になった。
ロスチャイルド家は、シュメール人ーバビロニア人ーハザリア人のように、血統の繁殖を通じて、王族と貴族に浸透し王室と貴族の家族に浸透する為に公式の結婚と側室を使用しました。
DNA科学は時間の幕を引き裂き、これらの人々の中で蛇を明らかにしました。
今日、「ユダヤ人」と呼ばれる人々は聖書で「あの古い蛇、悪魔」と表現されている悪の実体の弟子である。
●横浜「戦争の加害展」感想
2月10日
16.単なるアニメ映画とばかり考えて、見ておりませんでした。深い意味があったとは!見てみます。
明治維新から続く抑圧の歴史は現在も変化していないように思います。明治150年なんてもってのほかの感が強い。(男性60代市内)
●映画「ひろしま」アンケート(1月13日 横浜)
( )は性別・年代・住まい・情報
20、実際に体験された方の体験を忠実に再現されたとのこと、納得の迫力です。NHKTVで観ましたが、大きな画面で、たくさんの人と共有したく見せていただきました。ラストシーン、亡くなった生徒たち、子供たち、町の人々がゆっくり立ち上がり、こちらを見据えて歩く様子は私たちに“2度と戦争を起こしてはダメ!”と強く叫んでいるように思えました。
この映画を作って、守り続けてくださったことに感謝です。帰って家族や友人に伝えますね。
森川さんのお話もよかったです。
金縛りに負けないよう、しっかり踏ん張りますね。
(女性、50代、相模原、ウェブ、友人)
●【真相】(unit731)
石井細菌戦部隊―極秘任務を遂行した隊員たちの証言
郡司陽子編(1982年11月30日初刷:徳間書店)
Ⅱ 中支・寧波(ニンポー)細菌戦出動始末
-元千葉班・工務班 H・F
いつもとは違う「出張」命令
私は昭和14年から、関東軍第731部隊の工務班に軍属として勤務していた。それ以前の2年間ほどは、石井四郎部隊長の郷里千葉の出身者で編成された、「千葉班」員として、731部隊の諸施設の中でも極秘中の極秘といわれた、7棟・8棟の建設に従事していた(千葉班については『証言・731石井部隊』参照)。
本部建物の、いわゆるロ号棟中庭に建設された7棟・8棟は、731部隊が細菌戦その他の研究・実験を行なう際に、材料とされた敵性スパイ、すなわち「丸太」を収容する特別監獄だった。すでに死刑が確定したと言う、中国人、ロシア人などが、「丸太」として731部隊に送り込まれ、我々の作った7棟・8棟に、厳重な監視の下に閉じ込められていた。
●日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より
第10章 残酷な人体実験毒ガス実験
動かぬ証拠は山の如し
つまり、これらの人々の置かれた位置は、実験の必要に基づいて設計されたのだ。勿論被験者の移動は許されなかった。この意味からいって、被験者とは、被験物だった。これらの被験者とは、被験物だった。これらの被験物はいかなる状態に置かれたのだろうか。報告書から、ある者は粗末な覆いの中に放置され、またある者はじかに地面にさらされ、身体のどこかの部位を覆われた者もいれば、わざと身体とどこかをさらされた者もいた、ということが分かる。しかしいかなる場所、いかなる状態に置かれようと、いずれも目的は1つ、毒ガス砲弾の砲撃の結果を見るためであった。
表―15を示すのは、報告の内容に基づいて整理した3地区の実験状態である。
●証言 人体実験(731部隊とその周辺)
中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳
松本英雄供述書(1954年10月23日)
種村文三供述書(1954年8月31日)
問:中国で中国人民に対しどのような犯罪行為を行ったか。
答:1934年8月29日、私が鉄道第3連隊第1大隊衛生曹長をしていた時、大隊長の阿久井薩雄工兵少佐の命令を受けて、石井四郎が細菌を使って100余頭の中国馬を殺した犯罪事実を隠すため、黒河線辰清駅で屍体を埋める作業をしたが、その時私自ら15名の中国人労働者を使って行なわせた。この作業の過程で、私は死んだ馬1頭を川を捨て、また、石井四郎が派遣した軍属2名が1頭の馬の体から炭疽菌の実験結果を採取するのを助けた。
●『人間の価値』
―1918年から1945年までのドイツ医学
Ch.ブロス/G.アリ編
林 功三訳
■訳者あとがき(1992年11月 林功三)
わたしの見た展示会はベルリンでは3回目のもので、最初の展示会は1988年11月ベルリンで開かれた西ドイツの全国医師会議に際して開催された。この間のいきさつについては、本書の「ベルリン医師会の声明」とベルリン医師会理事会の『刊行に寄せて』をごらんいただきたい。(エリス・フーバー博士は現在のベルリン医師会会長である。)その後、『人間の価値』の展示会はドイツの各地で開かれ、人びとに感動を与えた。それだけでなく、アメリカのボストン、ワシントンなど各地でも開かれ、圧倒的な好評を博したことが当地のいくつかの新聞に報じられている。またこの展示会は、日本で開催された後、モンテヴィデオ、ブエノスアイレス、サンチアゴなどラテンアメリカ諸国の都市でも開催されることが既に決まっている。これらはいずれもその地のドイツ文化センターの主催によって行われており、また行われることになっている。
昨年2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)
●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作ってもいいのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!
日本の毒ガス
沖縄・南西諸島が軍事要塞化している現実はおかしくないか??
「琉球処分」から140 今の沖縄を考える
●「衛生学校記事」とはどんなものだろうか?
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?
次回『衛生学校記事』情報公開裁判
4月23日14:00~東京地裁419号法廷
”桜を見る会”や”森友””防衛省の日報”等で公文書の廃棄や改ざん、隠蔽などが問題になっているかが、『衛生学校記事』・『化学学校記事』での防衛省の公文書管理は一体どうなっているのだろうか?
4年前には、不要決定簿冊というのがあったという。それには、廃棄するものには、2重線が引かれていて、不要決定という印が押されていた。ところが今回閲覧した図書原簿には、2重線だけしかなかった。
これで『衛生学校記事』というのが本当に廃棄されたのかどうか??4年に間にシステムが変わったのか?
第4代衛生学校長だった金原節三が亡くなってから、遺族が、当時の防衛庁に寄贈した金原節三資料の中に13点の『衛生学校記事』が含まれている。それがいまだに未開示であり、その行方が防衛省は分からないという。
1995年に防衛研究所が衛生学校から金原資料の全部を移管したようだ。1996には、その資料の中で価値の高いものを、防衛研究所に残して、あとは衛生学校に戻したようだ。
『金原文庫』はいつまで、衛生学校の彰古館に設置されていたのであろうか?その中に果たして『衛生学校記事』があったのか?また、金原資料はキチンと整理をされていたのだろうか?金原資料の中には『特殊武器衛生』というものもある。毒ガスや生物兵器を指すのだろうか?
次回の裁判では、その移管作業に関わった5人の方々の陳述が出るのかどうかが焦点になる。
※彰古館には、自衛隊関係の資料も保管している!!
『軍事史研究』2010年9月
軍事史関係史料館探訪(56)
陸上自衛隊衛生学校 医学情報史料室 彰古館
喜多義人
収蔵品の多くは、旧陸軍軍医学校由来の品々と医学文献であり、『大東亜戦争陸軍衛生史』編纂の際に寄贈された史料も所蔵されている。また、衛生学校にかつて開設されていた同校戦史室が収集した戦史史料、戦後の警察予備隊から保安隊を経て陸上自衛隊に至る草創期の衛生科部隊の行動史、研究報告なども含まれている。
●「化学学校記事」情報公開裁判
次回 2020年6月 日( )11:30~ 東京地裁522号廷
防衛省は、化学学校記事16号の存在を今回初めて認めた。まだ公開していない『化学学校記事』がたくさんあるはずだ。果たして自衛隊は、どんなことをしているのかその全貌を明らかにすべきだ。戦力を保持しないという憲法に本当に抵触していないかを明らかにすべきだ。
1977年発行の化学学校発行の『20年のあゆみ』について、防衛省はマスキングに時間がかかるため、2か月後の提出は難しいかも知れないと述べた。
『20年のあゆみは』は1970年代だから、沖縄での、毒ガス漏洩事件や本土の相模原補給廠での毒ガスの問題がある中、毒ガスや核兵器に関する研究の記述もあるのだろう。それらをマスキングして公開しないというのは、日本の情報公開がいかに遅れているかと象徴している。
、佐藤内閣時代に実際に核兵器を持とうとしていたのだから、自衛隊ではどんなことが研究をしているかを、国民に広く知らせるべきである。ましてや日本は、広島、長崎、ビキニ、福一で甚大な被曝をしている国なのだから。
1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊
第4代衛生学校長
『衛生学校記事』を発刊したときの、衛生学校長金原節三とはどんな人物なのだろうか?
金原節三(1901~1976)
陸軍省医事課長時代(1941.11~43.8)に731部隊から報告を受けていた。「陸軍省業務日誌摘録」
厚生省東海北陸医務出張所から衛生学校へ 1955.8.1
金原節三と細菌戦
金原の略歴を見ると、昭和16年11月に陸軍省医務局医事課長になっていて、17年に8月に軍医大佐になっている。
細菌戦資料センターの会報には、次のような記載がある。「陸軍省医務局医事課長だった金原節三元軍医大佐が、1955年に陸上自衛隊に入隊した。細菌戦部隊を指導していたのは、陸軍参謀本部、陸軍省医務局衛生課そして陸軍省医務局医事課である。金原は、「金原業務日誌摘録」に細菌戦部隊からの報告を記録している。
金原節三と武見太郎
金原と戦後日本医師会会長になり、医師会、薬剤師会、歯科医師会に大きな影響を及ぼした武見太郎は、軍隊内の先輩・後輩関係にあった。『金原節三資料目録』(陸上自衛隊衛生学校)の巻頭言は、日本医師会長武見太郎が書いている。
『BC兵器』 久保綾三著(1969年)より
Ⅱ 自衛隊と生物・化学兵器―その思想と作戦
2、研究開発と自衛官の入学拒否
大学問題に頭を抱える
一般大学や大学院から締め出された自衛官たちは、防衛庁の派遣学生もしくは研究員として「任務」として在学している者がほとんどであり、それらの者は「神聖な学問研究の場を軍事目的に利用する」ことに反対されているのである。これは、当然、自衛官が個人として学問、教育を受ける権利を奪われると言った事ととは無縁のものなのである。派遣学生たちは自衛隊法第57条(隊員は、その職務の遂行に当たっては、上官の職務上の命令に忠実に従わなければならない)に従って「任務」として軍事目的の学術研究を行っているのである。
第5代衛生学校長
井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身
1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】
第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任(『大東亜戦争陸軍衛生史』を編纂するため、膨大な旧軍資料を集め、又戦後に日本独自の細菌戦部隊の復活させようとしたことが原因か??)になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を解任され、その後を井上が引き継いだ。
井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。
又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。
南方軍防疫給水部(岡9420部隊)
●イタイイタイ病を究明した男 萩野昇
●驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く
●水俣病問題
●小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去
●小泉親彦と宮川米次の絆
●ヒロシマからフクシマへ
●宮川正
●「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—
●ビキニ「死の灰」世界各地へ
●自衛隊とサリン
●相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場
●日本の国家機密
●兒嶋俊郎さんを偲ぶ
●昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!!
天皇万歳に浮かれる無責任国家 田中利幸より
重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)吉田裕監修 2001年ピュリッツァー賞受賞
※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
第11章 真珠湾への道
Ⅳ
11月1日、17時間の長さにおよぶ連絡会議が、「帝国国策遂行要領」の改変を決定するために開催された。そこで東郷は開戦決定を回避するために、陸海軍が望んでいた期を越えてアメリカとの交渉を引き延ばそうとした。結局、東郷は軍部の圧力や東条の主張に屈した。東条は次のように主張した。「国民は困難が来れば緊張すると信ずる。日露戦争も勝算なくして起ち上り、〔鴨緑江戦より1ヵ年は持った〕、しかして勝てり」
●小泉親彦と昭和天皇
●近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~
●近代天皇制の真髄は
●福沢諭吉
●神武と戦争
憲法9条を生かそう!!
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