2019年10月6日日曜日

細菌戦の系譜!!


黒岩知事に抗議!
第5回 三多摩平和交流会
旧日立航空機(株)変電所ほかフィールドワーク
脱原発!!
もっと知りたい、見つけたい(peace8)八王子
佐々木寛講演会
前川喜平講演会
東京発!“核関連施設立地地域と東京を繋ぐ”核燃料サイクル計画映画制作プロジェクト
「日本の毒ガス戦と遺棄毒ガス」展
「医学者たちの戦争犯罪ー731部隊・100部隊」展
「731部隊犠牲者遺族の声を聞け!①のご案内
沖縄と枯葉剤
日本はこういう国だった  戦後に生まれたあなたに
2019 平和をねがう中央区民の戦争展2
天皇制廃止に向けての第一歩:雲上人を人間化する運動を!
京都大学に対する第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求める活動
北支那防疫給水部留守名簿
平沢正欣論文を検証する(人体実験は行われたか?)
武蔵村山の国立感染症研究所問題!!



核兵器、生物兵器、化学兵器廃絶!! 戦力不保持!!
●ニュース



元慰安婦の半生描いた映画上映 「歴史否定、許されない」

森永卓郎が推測 日米貿易交渉の裏に潜む“横浜市カジノ誘致”


萩生田文科相の後押しで「幸福の科学大学」ついに開学か

「高浜町に補償金ほとんど入らず」…関電原発マネー


#大竹まことゴールデンラジオ#金子勝 (文化放送 2019-10-04)




このままでは終わらせない…“森友事件”のいま【ザ・ドキュメンタリー】





●日本政府・自衛隊は情報を公開せよ!!(情報開示!!)
特別秘密保護法撤廃!!

憲法9条はどこ行った!!
防衛省がフリーランスを排除

全日空機雫石衝突事故
岩手県岩手郡雫石町上空を飛行中の全日本空輸の旅客機に航空自衛隊の戦闘機が飛行中に追突され、双方とも墜落した。自衛隊機の乗員は脱出に成功したが、機体に損傷を受けた旅客機は空中分解し、乗客155名と乗員7名の計162名全員が死亡した。1985年(昭和60年)8月12日に日本航空123便墜落事故が発生するまで、日本国内の航空事故としては最大の犠牲者数を出した事故であった。

アシタノワダイ削除「日航123便 墜落事件」


自衛隊の不祥事!!
日航機123便墜落の真相 〜JALボーインング747に訪れた悲劇の全貌〜



日航機墜落事故から34年 御巣鷹で慰霊登山始まる


日本は、あの侵略戦争を反省して、憲法9条を作った!!

平和条約締結は「日本が大戦の結果認めること」 露外相
●憲法第9条(自衛隊は違憲ではないか!!)
自衛隊は、防護のためと言って毒ガスを製造している!!(日中戦争時のも日本軍は本格的な毒ガス戦を中国で行った!!)
日本の毒ガス
1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

日本の政治の常道【historyとは、彼(his)(権力者)の物語(story)】

・まずい事は隠す!!(=あったことを無かったことにする、=データ改ざんは当たり前)
・責任を下に押し付ける!!(=権力者は、責任を取らない)
これでは客観性がないではないのか??官邸主導


なぜ、「731」と書かれた戦闘機に乗れるのだ???

2013年5月12日 安倍 731と書かれた戦闘機に乗る!!宮城県松島市にある航空自衛隊の基地で撮影

オリンピックにお金をかけるのではなく、いじめ対策・貧困対策・戦争被害者対策にお金をかけるべきだ!!




●国立感染症研究所村山庁舎(武蔵村山)
特定一種病原体等の受入れについて
このことについて、令和元年9月26日(木曜日)夜、加藤厚生労働大臣から藤野市長に対し、国立感染症研究所村山庁舎が一種病原体を所持するに至ったとの電話連絡がありました。
また、本日、国立感染症研究所から以下のとおり情報提供がありましたので、お知らせします。
令和元年7月5日付で、特定一種病原体等所持者である国立感染症研究所が、特定一種病原体等であって外国から調達する必要があるものとして輸入するウィルスを厚生労働大臣より指定されたところですが、今般、国立感染症研究所は、次に掲げるウィルスを外国より受入れ、所持したことを報告します。

南米出血熱ウィルス
ラッサウィルス
エボラウィルス
クリミア・コンゴ出血熱ウィルス
マールブルグウィルス

エボラ出血熱のウィルスなど危険の高いものをなぜ輸入する?
日本は全く細菌戦の反省をしていない!!
感染症対策のウイルス保管を説明

エボラ病原体”輸入”国に安全対策求める





●なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より
・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。
封印された原爆報告書



水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した!!
ビキニ「死の灰」世界各地へ


JCOの臨界事故


福島第1原発事故

「わざわざ自分らのことを『げんしりょくむら』とは?

「あつまれ!げんしりょくむら」に批判相次ぐ サイト閉鎖

●核兵器廃絶
長崎平和宣言(全文)


安倍首相 核兵器禁止条約参加に否定的姿勢 核廃絶へ対話促す


2019  所沢市 平和祈念資料展


徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!

「731部隊・100部隊・毒ガス戦」パネル展 2019年4月29日~5月3日
「日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか 」 田中利幸さん
日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病



●731部隊
731部隊の病理解剖の顧問をした清野謙治も、窃盗事件で京大を追われた後、戦後は東京医大教授になった。731部隊で細菌を製造していた柄沢も東京医大だ!!
日本の底にツルハシでも崩れない差別がある 東京医科大の不正入試提訴 会見詳報


新宿戸山の人骨もきちんとDNA鑑定せよ!!
抑留者遺骨「全て日本人でない」

竹田恒和JOC会長、IOC委員を辞任


竹田会長の記者会見は本当に「潔白主張」なのか
海外メディア「かえって疑惑深まった」 JOC竹田会長の会見



森友・加計問題 疑惑の核心/下 政治家、官邸官僚… 「安倍側用人」を覆う「黒い霧」

「水俣病は終わらない」公式確認から60年―私たちに託されたメッセージ

松本元死刑囚らの死刑執行文書、ほぼ全て黒塗りで開示

“旧優生保護法”強制的な不妊手術 事業として推進(18/04/27)


真実を隠すために死刑にしたのでは??
オウム13人死刑で「上川陽子法相」一生SPつきの生活


京大の「731部隊」論文疑惑(上) 勝間田秀樹(京都支局)

731部隊将校の学位取り消しを 人体実験疑い論文で京大に





●昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!!
昭和天皇の戦争帰任をもっと追及しよう!!
戦前の天皇がいかに大きな存在であったかが分かる。
NHKスペシャル「 昭和天皇は何を語ったのか」拝謁記

昭和天皇の戦争責任を問う!!
昭和天皇、戦争を悔い退位に言及 改憲再軍備も主張、長官の拝謁記

昭和天皇、戦争の「反省」表明望んだ 詳細記録見つかる

京都大学に対する第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求める活動
人骨発見から30年

1937年7月7日→日中全面戦争

7.7集会(2019)「戦争を始めた日」国会前集会










●横浜「戦争の加害展」感想


2月15日

29. 731部隊が衝撃的だった。(女性、20代)

●(「琉球処分」から140年、今の沖縄を考える)パネル展感想

100.どれもみな心が痛みます。今後がますます心配になります。(女.60.市内.チラシ)

●日中戦争(『三光』より

小美野義利
戦務班長 憲兵曹長
〈旧部隊名〉
関東軍特別警備隊2大隊本部

午後の陽ざしがようやく西に傾いた頃、2台の自動車が大同大街(だいどうだいがい)を矢のように走っている。前の車には今日の指揮官小林少尉と山垣内通訳、それに憲兵隊司令部の小笠原軍医大尉と土倉衛生曹長が乗っており、すぐその後を追っかけるように、太田曹長の運転する車が走っている。車中には、真っ赤な長靴に日本刀を握った小美野伍長と、ささくれ立った竹刀を押っ立てた桐原軍曹が、後ろ手に縛り上げた中国人3人を踏みつけるように体全体を押えていたが、左腕に巻いた白地に赤の憲兵という2字が毒々しく大きく見える。
《もうすぐだ、俺の腕がどんなものか見せてやる》―小美野は出発前に太田や桐原から、「いくら剣道3段でも人間は巧く(うまく)斬れまい」と言って笑われたことに無性に腹が立って仕方がなかった。と、ともに、斬り損じてはという不安も加わって、いらいらして落ち着かない。





●日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より

第8章 無辜の被害者

戦争における残虐な殺傷性の化学兵器の使用は、本来既に国際公約に背く行為であるが、日本帝国主義は中国侵略戦争において、中国軍に対して大量の化学兵器を使ったばかりでなく、寸鉄帯びぬ民間人に対しても、殺人鬼としか思えない毒ガス使用による殺戮を行った。
 1939年のはじめより、日本侵略軍は、抗日ゲリラ戦を展開する華北の中国軍の背後において大規模な進攻と「掃討」を実施した。抵抗する中国軍民を排除するため、日本軍は「焼き尽くし、殺しつくし、略奪しつくす」という「三光政策」を実行、この政策を推進するにあたって、頻繁に化学兵器を使用し、無辜の一般市民を大量に虐殺、迫害した。
 ここでは、そのうちの数例をあげるにとどめる。





(広島県大久野島毒ガス工場)




●証言 人体実験(731部隊とその周辺)
中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳

田村良雄自筆供述書(1954年9月30日)

1、本部(一般に本部又は1棟と呼ばれる)
参謀室  責任者は歩兵中佐、加藤。1939年12月同室は廃止、加藤は転出した。
動力班  責任者は、在田勉。部隊の電力、燃料の供給。
保密隊  責任者不詳。特別班及び機密保持事項の監視。
守衛所  責任者不詳。門衛。
少年隊  責任者は衛生少尉佐々木重吉。少年隊員を訓練し、各室所で作業させた。
教育班  責任者は山下建次。部隊の人員の教育。
医務室  責任者は軍医中尉、村田。部隊の医療。
売店   責任者不詳。日用品の販売。
吉林街分室 責任者不詳。対外事務担当と思われる。




●『人間の価値』
―1918年から1945年までのドイツ医学
Ch.ブロス/G.アリ編
林 功三訳


■ラインの黒い恥
 1920年にラインラントがフランスに占領された時、占領軍と共に黒人兵もやってきた。ドイツ人は、これを「ラインの黒い恥」と理解した。独立社会民主党以外のすべての右寄りの国会議員会派はこのことで政府に質問した。
「ドイツ婦女子にとって―男たちや少年にとっても―この野蛮人は恐ろしい危険である。ドイツの婦女子の名誉、肉体と生命、純血と無垢が損なわれるからだ。黒人部隊がドイツの婦女子を犯し、抵抗する者を傷つけている、のみならず殺戮までしている事例がますます多く挙げられている」
 同じ年に『医師評論』はこう質問している。
「将来、ラインの岸辺で、白い肌の美しい顔をした、すくすくと育った、精神的にも秀でた、健康で活発なドイツ人がよくとおる声で歌っているのではなく、有色の、梅毒に罹った混血児が割れるような声でどなっているようになるとしたらどうか。われわれはそうなるのをみずみす黙認しなければならないのか。」

昨年2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)


●自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作ってもいいのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!
日本の毒ガス

沖縄・南西諸島が軍事要塞化している現実はおかしくないか??
「琉球処分」から140 今の沖縄を考える

●「化学学校記事」情報公開裁判
次回 11月13日(水)11:30~ 東京地裁522号廷


●「衛生学校記事」とはどんなものだろうか?
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?

次回 第23回『衛生学校記事』情報公開裁判
12月12日(木)14:00~419法廷

金原節三氏が寄贈した資料が、衛生学校庁舎3階の彰古館に1982年に「金原節三コーナー」として展示された。
その2000点を超える資料はその後どうなったのであろうか?
防衛省の回答では、金原氏の目録と一致する資料は、今現在は641点だという。
しかし、それも一致するだけで、寄贈されたものではないという。
彰古館に勤めていた人(1996年から2013年)の聞き取りでは、彰古館では、きちんと整理していていなかったようである。
金原資料は、1995年に防衛庁戦史部に移管されたが、翌年また彰古館へ戻したという。
その時はすべてを戻したわけではなかったようだ。
2010年に、彰古館が学校庁舎3階から今の建屋になり、資料も移管されたが、金原資料の整理はきちんとされていないようだ。
金原資料の一部はあるようだが、その他の金原資料は、どこに保管しているのだろうか。
また、彰古館には旧軍資料しか置いていないともいう。本当に「衛生学校記事」や教範類は置いていないのだろうか?
次の裁判までに、勤めていた人の陳述書を防衛省側は出すという。

1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊


第4代衛生学校長
『衛生学校記事』を発刊したときの、衛生学校長金原節三とはどんな人物なのだろうか?
金原節三(1901~1976)
陸軍省医事課長時代(1941.11~43.8)に731部隊から報告を受けていた。「陸軍省業務日誌摘録」
厚生省東海北陸医務出張所から衛生学校へ 1955.8.1

金原節三と細菌戦
金原の略歴を見ると、昭和16年11月に陸軍省医務局医事課長になっていて、17年に8月に軍医大佐になっている。
細菌戦資料センターの会報には、次のような記載がある。「陸軍省医務局医事課長だった金原節三元軍医大佐が、1955年に陸上自衛隊に入隊した。細菌戦部隊を指導していたのは、陸軍参謀本部、陸軍省医務局衛生課そして陸軍省医務局医事課である。金原は、「金原業務日誌摘録」に細菌戦部隊からの報告を記録している。


金原節三と武見太郎
金原と戦後日本医師会会長になり、医師会、薬剤師会、歯科医師会に大きな影響を及ぼした武見太郎は、軍隊内の先輩・後輩関係にあった。『金原節三資料目録』(陸上自衛隊衛生学校)の巻頭言は、日本医師会長武見太郎が書いている。

『BC兵器』 久保綾三著(1969年)より

2、ベトナムにおける生物・化学兵器使用とその背景

ダクウェイ事件とその背景

 数年前『ジャーナル・オブ・アメリカ・メディカル』誌に、細菌戦に関して3人の軍医が「攻撃を成功させるために住民の大部分が病気になる必要がないと指摘しておくべきである。なぜなら、そのようなことは生物兵器の副次的効果にすぎないからである」と書いている。また1964年1月に、フォート・デトリックの生物研究所顧問フォットエギル博士は『テキサス医学雑誌』に、「我々は特別に感染性の高い病原性微生物をもっている。特にそれはエアゾルにしたとき吸収して発病するものである。そのための現代なされている公衆衛生学の諸処置は無効にすることができるのである。」と書かれている。非武装の市民にとっては、まことに恐るべきことと言わねばなるまい。



第5代衛生学校長
井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身
1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】
第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を転任になり、その後を井上が引き継いだ。
井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。
又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。
南方軍防疫給水部(岡9420部隊)





イタイイタイ病を究明した男 萩野昇

驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く

水俣病問題

小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去

小泉親彦と宮川米次の絆

ヒロシマからフクシマへ

宮川正

「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—

ビキニ「死の灰」世界各地へ

自衛隊とサリン

相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場

日本の国家機密

兒嶋俊郎さんを偲ぶ



●昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!!
天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より
重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。





●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)

※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!


第10章 戦争の泥沼化と拡大


とくに、日本はオランダ領東インド、イギリス領マラヤをはじめ東南アジアの資源が豊かな地域を 「新秩序」に組み込み、同時に枢軸国との連携を強化しようとしていた。昭和天皇はこれらの問題を検討した後、近衛内閣の政策について最終的な決定を下した。天皇は、個人的には松岡を嫌っており、むしろ近衛の方を信頼していた。これらの措置をとれば、当時、日本が資源の多くを輸入していたアメリカと歴史上はじめて戦略的に衝突することになった。アメリカでは政府、民間の戦略家たちは、誰が東南アジアの植民地を支配することになるかを見守っていた。東南アジアはアメリカの国家安全保障にとって不可欠な地域と認識され始めていた。2ヵ月も経たない9月、日本はこれらの「国策」の諸決定にしたがい、長期間にわたり準備してきた「南進」を開始した。そしてフランス領インドシナの北部に部隊を派遣し、他方でドイツ、イタリアと三国同盟を締結したのである。

小泉親彦と昭和天皇

近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~

近代天皇制の真髄は

福沢諭吉

神武と戦争




憲法9条を生かそう!!














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