2019年10月17日木曜日

細菌戦の系譜!!


主戦場
黒岩知事に抗議!!
第5回 三多摩平和交流会
旧日立航空機(株)変電所ほかフィールドワーク
脱原発!!
もっと知りたい、見つけたい(peace8)八王子
佐々木寛講演会
前川喜平講演会
東京発!“核関連施設立地地域と東京を繋ぐ”核燃料サイクル計画映画制作プロジェクト
「日本の毒ガス戦と遺棄毒ガス」展
「医学者たちの戦争犯罪ー731部隊・100部隊」展
「731部隊犠牲者遺族の声を聞け!①のご案内
沖縄と枯葉剤
日本はこういう国だった  戦後に生まれたあなたに
2019 平和をねがう中央区民の戦争展2
天皇制廃止に向けての第一歩:雲上人を人間化する運動を!
京都大学に対する第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求める活動
北支那防疫給水部留守名簿
平沢正欣論文を検証する(人体実験は行われたか?)
武蔵村山の国立感染症研究所問題!!

18日(金)、19日(土)、20日(日)は、ブログをお休みします。


核兵器、生物兵器、化学兵器廃絶!! 戦力不保持!!
●ニュース

現在の課題

2、自衛隊では何が行われているのか、国民には知らされていない!

今現在の自衛隊ではどんなことをやっているのかと、自衛隊の機関誌『衛生学校記事』『化学学校記事』の公開を求めて裁判が行われているが、『衛生学校記事』の一部は公開されたが、まだ、それらの全面公開がされなばかりか、『化学学校記事』に至っては、1967(S42)年の第12号まで発行が確認できるが、その後、廃刊時期が不明であるという。今自衛隊では、核兵器、生物兵器、化学兵器の開発はどうなっているのであろうか?日中戦争では、毒ガス戦、細菌戦を日本は行っていた。


天皇即位の行事、軍事費、原発等にお金を使わず、災害復興に使え!!
東海・関東は夕方から冷たい雨 あす以降は広く雨で強く降る所も

甚大な被害 台風19号 77人死亡 59河川で決壊 全容は不明

玉城知事 ワシントン到着 米議会関係者と面会へ 


森友問題、真相隠蔽のキーマンは公明党の石井啓一前国交相…国交省、文書改ざん発覚

なぜいずも型を空母に? 海自艦艇ひゅうが型やおおすみ型の空母化が無理な理由


大竹まことゴールデンラジオ#金子勝 (文化放送 2019-10-11)



このままでは終わらせない…“森友事件”のいま【ザ・ドキュメンタリー】





●日本政府・自衛隊は情報を公開せよ!!(情報開示!!)
特別秘密保護法撤廃!!

憲法9条はどこ行った!!
防衛省がフリーランスを排除

全日空機雫石衝突事故
岩手県岩手郡雫石町上空を飛行中の全日本空輸の旅客機に航空自衛隊の戦闘機が飛行中に追突され、双方とも墜落した。自衛隊機の乗員は脱出に成功したが、機体に損傷を受けた旅客機は空中分解し、乗客155名と乗員7名の計162名全員が死亡した。1985年(昭和60年)8月12日に日本航空123便墜落事故が発生するまで、日本国内の航空事故としては最大の犠牲者数を出した事故であった。

アシタノワダイ削除「日航123便 墜落事件」


自衛隊の不祥事!!
日航機123便墜落の真相 〜JALボーインング747に訪れた悲劇の全貌〜



日航機墜落事故から34年 御巣鷹で慰霊登山始まる


日本は、あの侵略戦争を反省して、憲法9条を作った!!

平和条約締結は「日本が大戦の結果認めること」 露外相
●憲法第9条(自衛隊は違憲ではないか!!)
自衛隊は、防護のためと言って毒ガスを製造している!!(日中戦争時のも日本軍は本格的な毒ガス戦を中国で行った!!)
日本の毒ガス
1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

日本の政治の常道【historyとは、彼(his)(権力者)の物語(story)】

・まずい事は隠す!!(=あったことを無かったことにする、=データ改ざんは当たり前)
・責任を下に押し付ける!!(=権力者は、責任を取らない)
これでは客観性がないではないのか??官邸主導


なぜ、「731」と書かれた戦闘機に乗れるのだ???

2013年5月12日 安倍 731と書かれた戦闘機に乗る!!宮城県松島市にある航空自衛隊の基地で撮影

オリンピックにお金をかけるのではなく、いじめ対策・貧困対策・戦争被害者対策にお金をかけるべきだ!!




●国立感染症研究所村山庁舎(武蔵村山)
特定一種病原体等の受入れについて
このことについて、令和元年9月26日(木曜日)夜、加藤厚生労働大臣から藤野市長に対し、国立感染症研究所村山庁舎が一種病原体を所持するに至ったとの電話連絡がありました。
また、本日、国立感染症研究所から以下のとおり情報提供がありましたので、お知らせします。
令和元年7月5日付で、特定一種病原体等所持者である国立感染症研究所が、特定一種病原体等であって外国から調達する必要があるものとして輸入するウィルスを厚生労働大臣より指定されたところですが、今般、国立感染症研究所は、次に掲げるウィルスを外国より受入れ、所持したことを報告します。

南米出血熱ウィルス
ラッサウィルス
エボラウィルス
クリミア・コンゴ出血熱ウィルス
マールブルグウィルス

エボラ出血熱のウィルスなど危険の高いものをなぜ輸入する?
日本は全く細菌戦の反省をしていない!!
感染症対策のウイルス保管を説明

エボラ病原体”輸入”国に安全対策求める





●なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より
・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。
封印された原爆報告書



水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した!!
ビキニ「死の灰」世界各地へ


JCOの臨界事故


福島第1原発事故

「わざわざ自分らのことを『げんしりょくむら』とは?

「あつまれ!げんしりょくむら」に批判相次ぐ サイト閉鎖

●核兵器廃絶
長崎平和宣言(全文)


安倍首相 核兵器禁止条約参加に否定的姿勢 核廃絶へ対話促す


2019  所沢市 平和祈念資料展


徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!

「731部隊・100部隊・毒ガス戦」パネル展 2019年4月29日~5月3日
「日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか 」 田中利幸さん
日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病



●731部隊
731部隊の病理解剖の顧問をした清野謙治も、窃盗事件で京大を追われた後、戦後は東京医大教授になった。731部隊で細菌を製造していた柄沢も東京医大だ!!
日本の底にツルハシでも崩れない差別がある 東京医科大の不正入試提訴 会見詳報


新宿戸山の人骨もきちんとDNA鑑定せよ!!
抑留者遺骨「全て日本人でない」

竹田恒和JOC会長、IOC委員を辞任


竹田会長の記者会見は本当に「潔白主張」なのか
海外メディア「かえって疑惑深まった」 JOC竹田会長の会見



森友・加計問題 疑惑の核心/下 政治家、官邸官僚… 「安倍側用人」を覆う「黒い霧」

「水俣病は終わらない」公式確認から60年―私たちに託されたメッセージ

松本元死刑囚らの死刑執行文書、ほぼ全て黒塗りで開示

“旧優生保護法”強制的な不妊手術 事業として推進(18/04/27)


真実を隠すために死刑にしたのでは??
オウム13人死刑で「上川陽子法相」一生SPつきの生活


京大の「731部隊」論文疑惑(上) 勝間田秀樹(京都支局)

731部隊将校の学位取り消しを 人体実験疑い論文で京大に





●昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!!
昭和天皇の戦争帰任をもっと追及しよう!!
戦前の天皇がいかに大きな存在であったかが分かる。
NHKスペシャル「 昭和天皇は何を語ったのか」拝謁記

昭和天皇の戦争責任を問う!!
昭和天皇、戦争を悔い退位に言及 改憲再軍備も主張、長官の拝謁記

昭和天皇、戦争の「反省」表明望んだ 詳細記録見つかる

京都大学に対する第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求める活動
人骨発見から30年

1937年7月7日→日中全面戦争

7.7集会(2019)「戦争を始めた日」国会前集会








●横浜「戦争の加害展」感想


2月16日

12.日本軍は本当にひどいことをしたんだなと改めて知りました。本などで読んで知っていましたが、DVDを見てびっくりしました。政府は加害者として、慰安婦などに対してきちんと謝罪する必要があると思います。(男性、80以上)

●(「琉球処分」から140年、今の沖縄を考える)パネル展感想

112.「沖縄処分」の写真、条約等の押印文書は初めて接することができた。沖縄戦・今の沖縄;現地の新聞、写真等、知らないことを分かり易く編集していて為になった。沖縄琉球史の年表・処分関係の中学教科書記述の表は労作だと思う。まとめて下さったことに感謝します。自衛隊配備がこうして並べられると身につまされる同時に危機感がつのった。27日の講演はすばらしかったです。リアルに分かり易く、身近に感じ、何かしなくてはという思いに駆られた。未熟な私の質問にも丁寧に対応してくださり人柄に感動しました。地域でお呼びしてもっとお聞きしたいと思いました。とても細かい配慮のもとすごい企画だと感じました。もっと早く見て多くの人に知らせればよかった。いい企画をありがとうございました。(女.70.川崎.チラシ)


●日中戦争(『三光』より

小美野義利
戦務班長 憲兵曹長
〈旧部隊名〉
関東軍特別警備隊2大隊本部

小美野は血刀を乳の上にブスーッと突き立て、小笠原の誘導するメスに従って、ブスブスと腹部に向けて斬り下ろした。続いて反対側から切り下げた後、小笠原軍医は、白いゴム手袋をはめると、腹部をずたずたに切り始めた。
 もう夕陽は沈んで暗闇があたりに迫っていた。土倉の用意してきたロウソクの灯に照らし出された6人の顔はどす黒く、ピクピク痙攣し、ひきつっている。切り開いた肋骨に手をかけた軍医は、めりめりとそれを引きはがした。骨の下から血だらけの内臓が、ロウソクの明かりにニューッと浮かび出た。軍医は無造作に両手を突っ込み、しばらくその中をかき回していたが、赤黒い血の塊りのような物を取り出して、血走った眼の前に、「これが肺臓だ」と突き出した。





●日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より

第8章 無辜の被害者

河北定県北坦(ペイトワン)村事件

河北叩崗(コウカン)毒殺事件

日本軍は小屋の入口と窓に向けて機関銃の照準を合わせ、小林は小屋に向かって再び「八路軍は家族ともども全員出て来い。今なら間に合う、もたもたすると皆殺しだぞ!」と叫んだ。だが、小屋の中から答えはなかった。
 また少しすると、麺棒ほどの太さの、長さ1尺(約33.3㎝)ほどの薄黄色の筒を持った2人の日本兵がやって来て、小屋の
窓からその筒を放り込むと、その筒からは黄色の煙が勢いよく吹き出した。小屋の内部の人達はそれが毒ガスと分かったので、拾い上げ、かまどの中に投げ込む。日本兵は黄煙が煙突から立ち昇っているのに気づき、慌てて乾し草を抱えて梯子で屋根に上り、煙突をふさいだ。




(広島県大久野島毒ガス工場)




●証言 人体実験(731部隊とその周辺)
中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳

田村良雄自筆供述書(1954年9月30日)


2、1943年3月当時の編成と任務
①総務部  部長は陸軍軍医中佐、中山。所属の班、室は以下の通り。
物品販売所  責任者不詳。日用品の販売。
図書室    責任者不詳。図書管理及び翻訳。
写真室    責任者不詳。実験写真の撮影。
憲兵室    責任者不詳。機密保持及び部隊の人員の監視。
守衛所    責任者不詳。門衛。
吉林街分室  責任者不詳。対外事務。
印刷室    責任者不詳。文書及び教材の印刷。





●『人間の価値』
―1918年から1945年までのドイツ医学
Ch.ブロス/G.アリ編
林 功三訳

■医療の根本的変化
1942年の春、小児科医のエルンスト・ヴェンツラーはベルリン・ミッテの区裁判所に「ドイツ小児科病院協会」の協会申請を行った。後援者の役を引き受けたのは全国保健指導者のレオナルド・コンティであった。創立総会には総統官房の代表者(ヴィクトア・ブラック)と「ナチス国民福祉」が参加した。協会理事長にはヴェンツラーが選出され、ブラックが理事長代理になった。協会の目的は、児童のベッド数を住民1万人当たり3.9から8に倍増させ、300の小児科病院をつくることであった。


昨年2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)


●自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作ってもいいのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!
日本の毒ガス

沖縄・南西諸島が軍事要塞化している現実はおかしくないか??
「琉球処分」から140 今の沖縄を考える

●「化学学校記事」情報公開裁判
次回 11月13日(水)11:30~ 東京地裁522号廷
防衛省は、次のように主張する。「昭和35年4月以降は、編集は化学学校が行うものの、発行は大宮修親会業務とされている。昭和43年以後の「化学学校史」には学校記事の記載は無いものの、廃刊に関する記載は無く、化学学校記事が発行されていなかったことは確かであるが、昭和42年発効の第12号が最終号であるかは不明であると。」
何で、自分の所が出している機関誌がいつ廃刊したのか分からないのか?
こんなことでは、税金の無駄遣いである。
それ以後の「化学学校記事」16号は存在しているのである!!


●「衛生学校記事」とはどんなものだろうか?
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?

次回 第23回『衛生学校記事』情報公開裁判
12月12日(木)14:00~419法廷

金原節三氏が寄贈した資料が、衛生学校庁舎3階の彰古館に1982年に「金原節三コーナー」として展示された。
その2000点を超える資料はその後どうなったのであろうか?
防衛省の回答では、金原氏の目録と一致する資料は、今現在は641点だという。
しかし、それも一致するだけで、寄贈されたものではないという。
彰古館に勤めていた人(1996年から2013年)の聞き取りでは、彰古館では、きちんと整理していていなかったようである。
金原資料は、1995年に防衛庁戦史部に移管されたが、翌年また彰古館へ戻したという。
その時はすべてを戻したわけではなかったようだ。
2010年に、彰古館が学校庁舎3階から今の建屋になり、資料も移管されたが、金原資料の整理はきちんとされていないようだ。
金原資料の一部はあるようだが、その他の金原資料は、どこに保管しているのだろうか。
また、彰古館には旧軍資料しか置いていないともいう。本当に「衛生学校記事」や教範類は置いていないのだろうか?
次の裁判までに、勤めていた人の陳述書を防衛省側は出すという。

1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊


第4代衛生学校長
『衛生学校記事』を発刊したときの、衛生学校長金原節三とはどんな人物なのだろうか?
金原節三(1901~1976)
陸軍省医事課長時代(1941.11~43.8)に731部隊から報告を受けていた。「陸軍省業務日誌摘録」
厚生省東海北陸医務出張所から衛生学校へ 1955.8.1

金原節三と細菌戦
金原の略歴を見ると、昭和16年11月に陸軍省医務局医事課長になっていて、17年に8月に軍医大佐になっている。
細菌戦資料センターの会報には、次のような記載がある。「陸軍省医務局医事課長だった金原節三元軍医大佐が、1955年に陸上自衛隊に入隊した。細菌戦部隊を指導していたのは、陸軍参謀本部、陸軍省医務局衛生課そして陸軍省医務局医事課である。金原は、「金原業務日誌摘録」に細菌戦部隊からの報告を記録している。


金原節三と武見太郎
金原と戦後日本医師会会長になり、医師会、薬剤師会、歯科医師会に大きな影響を及ぼした武見太郎は、軍隊内の先輩・後輩関係にあった。『金原節三資料目録』(陸上自衛隊衛生学校)の巻頭言は、日本医師会長武見太郎が書いている。

『BC兵器』 久保綾三著(1969年)より

3、沖縄―核だけなく毒ガスも

秘密の中のBC兵器

確かに米国防総省は、7月22日、米国が海外にガス性兵器を配備していることを初めて認め、沖縄から化学兵器を撤去すると発表したが、復帰協の「毒ガス撤去要求県民集会」が開催された前日の28日夜、米国国防総省スポークスマンは、沖縄にある1米軍基地の1化学兵器が「完全に非武装化され、その内容物は非毒性化された」と言明し、非武器化されたのは問題の起こった1基からガス抜きされただけで、問題の無かった他の兵器が非武器化されたのではないことを示唆した。


第5代衛生学校長
井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身
1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】
第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を転任になり、その後を井上が引き継いだ。
井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。
又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。
南方軍防疫給水部(岡9420部隊)





イタイイタイ病を究明した男 萩野昇

驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く

水俣病問題

小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去

小泉親彦と宮川米次の絆

ヒロシマからフクシマへ

宮川正

「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—

ビキニ「死の灰」世界各地へ

自衛隊とサリン

相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場

日本の国家機密

兒嶋俊郎さんを偲ぶ



●昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!!
天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より
重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。





●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)

※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!


第10章 戦争の泥沼化と拡大


日本は宣戦布告を行うことなく、日中戦争を拡大し、第二次世界大戦へと確実に踏み込んでいった。航空機の「道義的な輸出禁止」にとどまっていたルーズベルト政権は、鉄屑と航空用ガソリンの輸出禁止によって日本への姿勢を明確にした。その後、ルーズベルトはしだいに対日経済制裁を拡大し、泥沼化した日中戦争を長期化させるため中国を支援するかたわら、日本との非公式折衝を続けた。さらに、もっとも重要な措置として、枢軸国との戦争に備え、アメリカ合衆国陸海軍の軍備の拡充を急いでいた。


小泉親彦と昭和天皇

近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~

近代天皇制の真髄は

福沢諭吉

神武と戦争




憲法9条を生かそう!!














0 件のコメント:

フォロワー

ブログ アーカイブ

自己紹介

新しい自分を発見中