2019年3月8日金曜日

細菌戦の系譜!!

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731部隊関連年表
人体実験疑い 京大調査継続せず(731部隊)
日本の核開発(加藤哲郎さん)
第4回 「戦争の加害」パネル展 2019 in 横浜
第20回『衛生学校記事』情報公開裁判
細菌戦部隊(731部隊と100部隊)パネル展を開催しませんか?
石垣島の自衛隊!!
元731部隊軍医と強制不妊手術
731部隊・100部隊と戦後の流れ
細菌戦部隊員の戦後

●水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、1000隻近くの漁船が被爆した!!
ビキニ「死の灰」世界各地へ
日本の核開発

「徴用工問題」とは何か


日本は、あの侵略戦争を反省して、憲法9条を作った!!
平和条約締結は「日本が大戦の結果認めること」 露外相
●日本国憲法第9条
1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

日本の政治の常道【historyとは、彼(his)(権力者)の物語(story)】

・まずい事は隠す!!(=あったことを無かったことにする、=データ改ざんは当たり前)
・責任を下に押し付ける!!(=権力者は、責任を取らない)
統計不正聴取に厚労省官房長同席 中立性への疑念、更に
水爆実験で被爆したのは第五福竜丸だけではない!!延べ992隻が被爆!!

2013年5月12日 安倍 731と書かれた戦闘機に乗る!!宮城県松島市にある航空自衛隊の基地で撮影

●ニュース
人体実験疑い 京大調査継続せず

記者会見を兼ねた報告会「 京都大学の『学位論文における研究活動上の不正行為に関する調査結果について(通知)』に対する異議申し立て 」

東日本大震災「不明者2,533人」 3.11まもなく8年

トランプ大統領、北朝鮮に「失望している」

県民投票の結果を受け、玉城デニー沖縄県知事は辺野古基地の埋立承認を再撤回する!?

戦後最長の景気拡大局面」が幻の恐れ 1月の一致指数"下方への局面変化"に引き下げ

【金子勝】安倍政権は疑惑多数?国会の厚労省不適切統計を追求も自民党も野党も駄目?2019年3月



自衛隊の名、実態と合ってない? 無線では「日本海軍」

「南スーダンPKO動画」開示 防衛省


根元から腐り始めた国の機構/防衛省PKO動画公開




3 11人工地震の証明~日本人が知らねばならない真実~



「歴史の真相」内海聡の内海塾



【大竹まこと×近藤誠×倉田真由美】 〈目から鱗の医療〉 がん手術・抗がん剤治療・早期発見は効果がない!




竹田会長の記者会見は本当に「潔白主張」なのか
海外メディア「かえって疑惑深まった」 JOC竹田会長の会見

【大竹まこと×金子勝×室井佑月】 日立がイギリス原発輸出を断念! 世界に逆行する日本と経団連の責任


森友・加計問題 疑惑の核心/下 政治家、官邸官僚… 「安倍側用人」を覆う「黒い霧」

「水俣病は終わらない」公式確認から60年―私たちに託されたメッセージ

松本元死刑囚らの死刑執行文書、ほぼ全て黒塗りで開示

“旧優生保護法”強制的な不妊手術 事業として推進(18/04/27)


真相を解明していないからこうなるのだろう!!
オウム13人死刑で「上川陽子法相」一生SPつきの生活


731部隊員・長友浪男軍医少佐の戦中・戦後、甲第1855部隊考、他


国立公文書館で公開された留守名簿を巡る問題


中国の侵略被害者の証言を聞く集い2018 11.30




京大の「731部隊」論文疑惑(上) 勝間田秀樹(京都支局)

731部隊将校の学位取り消しを 人体実験疑い論文で京大に

●横浜「戦争の加害展」感想
2月10日
・私は朝鮮人慰安婦と虐殺問題を中心に勉強と活動をしているが、南京大虐殺、重慶爆撃、マレー半島、731、毒ガスに関してはあまり知らなかったので知ることが出来た。次回は、朝鮮人虐殺のことも取り上げてほしい。(女性50代市内)

「特殊部隊731」
秋山 浩著 (三一書房 1956年6月30日 発行)

第2部
惨!人間モルモット

 第2の扉を開けて、私は再び使役である旨を報告した。
 1人の「マルタ」がコールタルを塗ったような真黒い鉄のベッドに縛り付けられて、うめき悶えている。助手たちがそれを強引に押さえつけるのだ。潜水服に似た予防薬を着た人間の手は非情な機械のそれのように少しの躊躇もなくこの獲物に襲いかかる。「マルタ」は、すさまじい死力ふるって暴れた。栄養状態もよく適度に入浴もして完全に健康なので、手足を縛られていても、その力は不気味なほど強かった。実験に用いる動物が健康でなくてはならないのと同様、人間の場合も病弱であっては普遍性のある実験結果は生れない。だから、この部隊の監獄では栄養と衛生に特別な注意を払わざるを得ないのである。そこが普通の監獄と異なるところの最たるものと言えよう。
 私は、命じられるままに薬品や器具などを選びながら、軍医が注射するなりゆきを見ていた。いかなる目的の実験で何を注射したのかは、私には分からないが、計時係が手に時計をのせて注射による病変の経過を見ているので、かなり即効性の実験であると分かった。「マルタ」は血を吐くような絶叫と共にもがき苦しみ、やがて精力を使い果たしたかに息を引き取った。長い時間であったがせいぜい2、3時間の出来事なのである。
 夕方、私はその死体運搬を命じられた。
「マルタ」の死体は無惨であった。胸から顔面にかけては皮下出血のため紫黒色にうるんで見え、腋の下や股などのリンパ腺がひどく腫れ上がって、その皮膚は暗い桃色を呈していた。



・陸軍軍医少佐 平澤正欣の学位授与授与の内容
(731資料センター会報28号より:西山勝夫「731部隊問題、克服への道」より)
1945年6月6日に京都大学医学部教授会で審査後纏められた平澤正欣論文要旨(国立公文書館学位授与記録より翻刻、京都大学公文書館の内容と同一)は以下の通り




京都大学は何を学位授与に値すると認定したか。【先人の見解と異なり「イヌノミ」もまた人類に対する「ペスト」媒介蚤なる新事実を発見せり】、人と獣(イヌ)、両方同じ媒体、「イヌノミ」により「ペスト」に感染すること、「ペスト」の人獣感染を新事実として評価しました。ネズミ、モルモットやサルで実験をやっていて、どうして人に感染したと言えるのでしょうか。
審査員の戸田元医学部長、木村医学部長は731部隊に教え子を送った人達です。彼らは、自らも陸軍軍医学校の嘱託研究員などを務め、戦後に戸田は金沢大学の学長、木村は名古屋市立大学学長になったことで知られています。
これらの論文を2014年から15年に検討し、15年3月の戦医研例会で紹介し、問題を、以下の4点にまとめました。
・実験対象がヒトであるにもかかわらず、「さる」と偽った
・当該対象者を治療することを目的とした実験ではなかった
・当該対象者の発症後も治療せずに死亡に至るまで経過を観察した
・死亡後の学位授与認可
・・・・・
人体実験疑い 京大調査継続せず

記者会見を兼ねた報告会「 京都大学の『学位論文における研究活動上の不正行為に関する調査結果について(通知)』に対する異議申し立て 」








日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
●『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より
第5章 陸軍習志野学校

秘密の軍事学校
このように厳格な機密保持の措置から、この学校には外部の者はもちろん入れないが、日本軍隊内部の者でさえ、この学校へ侵入するには規定があった。外国人には勿論開放されていない。1935年、つまりこの学校の設立2年後、ある国の武官がどこから情報を得たか知らないが、何度もこの学校の参観を求めた。日本軍側は勿論同意せず、この武官は「門前払い」を食った。
 なぜ化学戦に従事するこのような専門的な軍事学校を設立せねばならなかったのか。
 理論上から見て、化学兵器は研究から始まって実戦使用に至るまで、その間にたくさんの過程があり、左記の方式で表示できる。
 研究ー実験ー制度化ー生産ー専門人員の訓練ー部隊への装備
 この過程の中で、専門人員の訓練は大変重要な段階だ。





●登戸研究所資料館
第1展示室

第1展示室では、登戸研究所が設置された歴史的な背景と目的、立地条件、組織の概要、運営体制、他機関との関係、そして戦争の進展とともに研究所の規模と役割が次第に変化していく過程を中心に研究所の全体像(全容)を紹介しています。

日中戦争の拡大と登戸研究所

1937(昭和12)年
南京を占領した頃の日本軍の勢力図。中国側の抵抗は激しく、日本は、当初の見通しとは異なり、一撃で戦争を終結させることはできませんでした。

1939(昭和14)年
1939年頃の日本軍の勢力図。日中戦争は長期持久戦へと移行し、かわって南進への関心が高まりました。1939年2月には、海南島の攻略が行われ、南進への足場が築かれました。


●特集 軍拡に走る安倍政権と学術①

15年戦争中の「医学犯罪」に目を閉ざさず、繰り返さないために
1、戦争における医学者・医師たちの犯罪

西山勝夫さん(滋賀医科大学名誉教授)に聞く
にしやま・かつお=滋賀医科大学名誉教授、 15年戦争と日本の医学医療研究会事務局長、「戦争と医の倫理」の検証を進める会代表世話人、軍学共同反対連絡会共同代表


■731部隊以外でも
―731部隊・「石井機関」以外では、どのような罪悪がくりひろげられていたのでしょうか。

 以下のような事実が明らかになりました。
 1945年の5月から6月にかけて、九州帝国大学医学部第一外科の石山福二郎教授やその弟子たちが、撃墜されたアメリカ軍B29の搭乗員捕虜8名を手術実験で殺害した「九州帝国大学医学部事件」。1941年1月31日から2月11日にかけて内蒙古で、中国人を手術材料と称して用い、凍傷、テントでの手術、止血、輸血などについて研究する野外演習を行った「冬季衛生研究」。各地の陸軍病院での「手術演習」。



昨年2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)



●「衛生学校記事」とはどんなものだろうか?
井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身
1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】
第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を転任になり、その後を井上が引き継いだ。
井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。
又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。
南方軍防疫給水部(岡9420部隊)



復刊衛生学校記事1(2)(井上義弘)
1961年7月

昭和20年の頃

3、特殊爆弾から原子爆弾へ
五日市分院に収容した患者で火傷の範囲が小さく、初めは元気であったが、次第に経過不良となり死亡したので、調査したところ、白血球数が600とか1200,1300、3400というように低かった。いずれにしても、もっと長期の臨床観察を必要とするとの意見であった。また広島は今後75年は住めない、植物も生えないとの説が流布されていたが、練兵場付近で樹木の新芽やひまの種子の発芽を認めていたので、植物栽培の実験を行なうのも人心安定策の一助であろうと書いている。




イタイイタイ病を究明した男 萩野昇

驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く

水俣病問題

小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去

小泉親彦と宮川米次の絆

ヒロシマからフクシマへ

宮川正

「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—

ビキニ「死の灰」世界各地へ

自衛隊とサリン

相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場

日本の国家機密

兒嶋俊郎さんを偲ぶ



●昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!!


●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
第3部   陛下の戦争
1931(昭和6)年―1945 (昭和20)年


第8章 昭和維新と統制

ウィスウェルはその村の読み書きのできるある女性との会話を次のように記録している。
 
 聞き取りに立ち寄った先で、私は、床の間の掛軸に吊るされた天皇皇后両陛下の写真を指しながら「あなたは天皇を神様のように崇拝しているのですか?」と女性に尋ねた。「はい、神様にお供え物をするときは、天皇陛下にもお供え物をします。神様にお祈りをするときは、天皇陛下にもお祈りをし、お花を捧げます」と彼女はこたえた。「どうして?」「はい、それは天皇陛下はお国の大将だからだと思います」と、彼女はこたえた。
そして、彼女は掛軸の肖像について述べた。「左側においでになるのが神武天皇。初代天皇です。その右側にいらっしゃるのが皇后。次が、大正天皇皇后両陛下。その下は宮城です。その次にいらっしゃるのが3人の皇女様。そして秩父宮、三笠宮、高松宮様。さらにその下の花の後ろにいらっしゃるのが(彼女は掛軸の前に背の高い花瓶を置いていた)、いまの天皇皇后両陛下です。皆様、とてもお偉いかたです」


小泉親彦と昭和天皇

近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~

近代天皇制の真髄は

福沢諭吉

神武と戦争




憲法9条を生かそう!!





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