2019年3月9日土曜日

細菌戦の系譜!!

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4月18日(木)ビザ発給拒否国賠裁判(最大の山場)
ABC企画総会・講演、「講演と合唱の夕べ」
ソビエト連邦、中華人民共和国とハバロフスク裁判の忘却1949-1956
情報公開裁判、意見交換会、細菌戦センター総会・講演
731部隊関連年表
人体実験疑い 京大調査継続せず(731部隊)
日本の核開発(加藤哲郎さん)

●水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、1000隻近くの漁船が被爆した!!
ビキニ「死の灰」世界各地へ
日本の核開発

「徴用工問題」とは何か


日本は、あの侵略戦争を反省して、憲法9条を作った!!
平和条約締結は「日本が大戦の結果認めること」 露外相
●日本国憲法第9条
1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

日本の政治の常道【historyとは、彼(his)(権力者)の物語(story)】

・まずい事は隠す!!(=あったことを無かったことにする、=データ改ざんは当たり前)
・責任を下に押し付ける!!(=権力者は、責任を取らない)
統計不正聴取に厚労省官房長同席 中立性への疑念、更に
水爆実験で被爆したのは第五福竜丸だけではない!!延べ992隻が被爆!!

2013年5月12日 安倍 731と書かれた戦闘機に乗る!!宮城県松島市にある航空自衛隊の基地で撮影

●ニュース
人体実験疑い 京大調査継続せず

記者会見を兼ねた報告会「 京都大学の『学位論文における研究活動上の不正行為に関する調査結果について(通知)』に対する異議申し立て 」

透析中止、倫理委開かず 病院幹部判断で

「腹膜透析」示さず治療法限定 公立福生病院、死亡の女性に

人工透析せず、20人全員死亡か

国会批判? 「越権行為」に広がる波紋 法制局長官発言に厳重注意



【金子勝】安倍政権は疑惑多数?国会の厚労省不適切統計を追求も自民党も野党も駄目?2019年3月



自衛隊の名、実態と合ってない? 無線では「日本海軍」

「南スーダンPKO動画」開示 防衛省


根元から腐り始めた国の機構/防衛省PKO動画公開




3 11人工地震の証明~日本人が知らねばならない真実~



「歴史の真相」内海聡の内海塾



【大竹まこと×近藤誠×倉田真由美】 〈目から鱗の医療〉 がん手術・抗がん剤治療・早期発見は効果がない!




竹田会長の記者会見は本当に「潔白主張」なのか
海外メディア「かえって疑惑深まった」 JOC竹田会長の会見

【大竹まこと×金子勝×室井佑月】 日立がイギリス原発輸出を断念! 世界に逆行する日本と経団連の責任


森友・加計問題 疑惑の核心/下 政治家、官邸官僚… 「安倍側用人」を覆う「黒い霧」

「水俣病は終わらない」公式確認から60年―私たちに託されたメッセージ

松本元死刑囚らの死刑執行文書、ほぼ全て黒塗りで開示

“旧優生保護法”強制的な不妊手術 事業として推進(18/04/27)


真相を解明していないからこうなるのだろう!!
オウム13人死刑で「上川陽子法相」一生SPつきの生活


731部隊員・長友浪男軍医少佐の戦中・戦後、甲第1855部隊考、他


国立公文書館で公開された留守名簿を巡る問題


中国の侵略被害者の証言を聞く集い2018 11.30




京大の「731部隊」論文疑惑(上) 勝間田秀樹(京都支局)

731部隊将校の学位取り消しを 人体実験疑い論文で京大に

●横浜「戦争の加害展」感想
2月10日
・被害は当たり前のように聞くのに、なかなか知ることのない加害について考える良い機会になりました。
スタッフの方が話しかけてくれ、パネルにはない情報なども丁寧に教えていただけたことが印象に残り嬉しく思います。
講演会「この世界の片隅に」について深く掘り下げる回についても一度観ただけでは汲み取ることの出来なかったメタファーに気づかされ目から鱗でした!みなさんありがとうございました!(女性20代中野区)

「特殊部隊731」
秋山 浩著 (三一書房 1956年6月30日 発行)

第2部
惨!人間モルモット

いつか写真で見て、「マルタ」の残酷な死の表情を一応知っていたのだが、今、こうして、目の当たりに見る死体の不気味さは、この世のものとは思われぬほど、じっと見ていると、こちらの気が遠くなりそうであった。私は思わず目を背けずにいられなかったが、猫のように執念深く、無念そうにゆがんだ唇と絶命してもなお、薄目を開けて私達を見続けているような血走った目玉の凄惨な輝きに射すくめられてしまうのだった。
直接注射をした軍医は、いったいどんな気持なのであろうか?死体など何とも思っていない医者であろうとも、自分が手をかけて、このようにみじめな殺し方をした後味は、決していいものではないだろう。研究とは、こんな残酷なものであろうか。新しい兵器を作って戦に勝ち、大君のしんきんを安んじ奉るには、あえてこのような実験をもやらなくてはならないのであろうか?ただ、恐怖の為に夢中になっている私には、そうした思案がその時はっきり浮かんだわけではなかったが、その後いつまでも、とりとめない疑問に悩まされたことであった。
死体は、いったん濃い石灰酸液につけてから、手押し車に乗せて、私が運搬した。
実験室から死体焼却場までの暗い地下道がどんなに長く感じられたことか。冷たい車の手を握りしめる両手は、わなわなと震えた。何かの弾みで車がつかえ、死体がピクリと動くたびに、恐ろしい形相のマルタが、今にも飛びついてくるような錯覚にとらわれた。



・陸軍軍医少佐 平澤正欣の学位授与授与の内容
(731資料センター会報28号より:西山勝夫「731部隊問題、克服への道」より)
1945年6月6日に京都大学医学部教授会で審査後纏められた平澤正欣論文要旨(国立公文書館学位授与記録より翻刻、京都大学公文書館の内容と同一)は以下の通り




京都大学は何を学位授与に値すると認定したか。【先人の見解と異なり「イヌノミ」もまた人類に対する「ペスト」媒介蚤なる新事実を発見せり】、人と獣(イヌ)、両方同じ媒体、「イヌノミ」により「ペスト」に感染すること、「ペスト」の人獣感染を新事実として評価しました。ネズミ、モルモットやサルで実験をやっていて、どうして人に感染したと言えるのでしょうか。
審査員の戸田元医学部長、木村医学部長は731部隊に教え子を送った人達です。彼らは、自らも陸軍軍医学校の嘱託研究員などを務め、戦後に戸田は金沢大学の学長、木村は名古屋市立大学学長になったことで知られています。
これらの論文を2014年から15年に検討し、15年3月の戦医研例会で紹介し、問題を、以下の4点にまとめました。
・実験対象がヒトであるにもかかわらず、「さる」と偽った
・当該対象者を治療することを目的とした実験ではなかった
・当該対象者の発症後も治療せずに死亡に至るまで経過を観察した
・死亡後の学位授与認可
・・・・・
人体実験疑い 京大調査継続せず

記者会見を兼ねた報告会「 京都大学の『学位論文における研究活動上の不正行為に関する調査結果について(通知)』に対する異議申し立て 」








日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
●『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より
第5章 陸軍習志野学校

秘密の軍事学校
日本軍の化学兵器の研究活動は早くから開始され、その上1931年に制度化が始まっていたけれども、生産はなお進行中で、正式に各部隊に装備されるまでにはまだ一定の道のりがあった。大事なのは、軍隊の中に化学兵器をいかに装備するかの原則が、当時まだ未制定だったことだ。この原則を打ち立てるには、軍事学校でまず実験し、次いで部隊の中に推し進めねばならない。ただし当時の日本軍の原則によると、一般の軍事学校あるいは砲兵学校にはおしなべて化学兵器を使用する訓練はなく、その上国際条約の制限を受けて、この種の訓練を大っぴらにやることもできなかった。このように、化学戦の各種戦略と戦術の原則を確実に実験するのは難しく、化学戦専門の学校の設立は日本が化学兵器を発展させる上で必然の要請だったのだ。





●登戸研究所資料館
第1展示室

第1展示室では、登戸研究所が設置された歴史的な背景と目的、立地条件、組織の概要、運営体制、他機関との関係、そして戦争の進展とともに研究所の規模と役割が次第に変化していく過程を中心に研究所の全体像(全容)を紹介しています。

日中戦争の拡大と登戸研究所

1944(昭和19)年
大陸打通作戦が行われている頃の日本軍の勢力図。当時の中国の首都・重慶へと進攻するだけの余力は日本軍は残されていませんでした。

1945(昭和20)年
終戦直前の日本軍の勢力図。太平洋方面から米軍による中国沿岸への上陸が予想され、日本軍の主力は、揚子江下流域に撤退しました。大陸打通作戦により消耗した日本軍に、広大な中国戦線を維持するだけの能力はなくなりました。


●特集 軍拡に走る安倍政権と学術①

15年戦争中の「医学犯罪」に目を閉ざさず、繰り返さないために
1、戦争における医学者・医師たちの犯罪

西山勝夫さん(滋賀医科大学名誉教授)に聞く
にしやま・かつお=滋賀医科大学名誉教授、 15年戦争と日本の医学医療研究会事務局長、「戦争と医の倫理」の検証を進める会代表世話人、軍学共同反対連絡会共同代表


■731部隊以外でも
―731部隊・「石井機関」以外では、どのような罪悪がくりひろげられていたのでしょうか。

台北帝国大学医学部(1928年3月16日、勅令第30号による台北帝国大学の設立。1936年1月1日医学部設置)における「現地人44名の生体よりマラリア脾腫(ひしゅ)を剔出(てきしゅつ)して材料とした研究」。京城帝国大学医学部(1924年京城帝国大学開学、1926年5月医学部設置)にみられた植民地支配、医学のもつ植民地支配上の効果を期待して設立された満州医科大学(1911年に南満鉄道株式会社が創立した南満医学堂が前身、1922年に満州医科大学に昇格)の解剖学教室の「生体解剖」がありました。そのほかにも、占領地の大学や研究所以外における「非人道的な人体実験」、植民地における本邦よりも過酷な「ハンセン病対策」、将兵への伝染を防ぐための軍用「慰安婦」の性病罹患検査など軍医による「慰安所の衛生管理」などもあげられます。


昨年2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)



●「衛生学校記事」とはどんなものだろうか?
井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身
1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】
第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を転任になり、その後を井上が引き継いだ。
井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。
又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。
南方軍防疫給水部(岡9420部隊)



復刊衛生学校記事1(2)(井上義弘)
1961年7月

昭和20年の頃

3、特殊爆弾から原子爆弾へ
被災後2週間もすれば、被爆者は外科的症状よりも放射能障害による出血、下血、発熱、衰弱等の症状を著明に現わしていた。そのため内科の本橋少佐と防疫の秦少佐が派遣されて、8月22日から調査に従事した。29日からは嘱託の都築教授、三宅助教授以下が広島に派遣され、御園生、山科の両少佐も再び出張した。これ等の人々は広島戦災再調査班という名称で行動し、原爆症の臨床、病理、及び対策等に関して詳細な観察を行なって9月1日から毎日報告を陸軍軍医学校長へ提出した。

この報告により陸軍省は9月9日次官通牒(陸普第177号)をもって陸軍一般へ次のように処置をしました。
(1)治療法
a. 安静
b. 自家血液の筋肉注射
c. 生理食塩液または5%ブドウ糖液の皮下注射
d. 食塩の静脈内注射
e. ビタミンB₁及びCの大量投与
f. 肝臓製剤の投与
(2)爆心から半径2キロ以内の者(でき得れば4キロ以内の者)は健康診断(特に白血球数、赤血球沈降速度)の要あり。白血球数3000以下、赤沈50ミリ以上の者は患者として取り扱い、白血球3000-5000、赤沈30ミリ程度のものは要注意者として安静を必要とす。
原爆調査団をきわめて初期から派遣し、比較的詳細な調査ができたことは、組織と訓練と人材が揃っていたことによるのであろう。また食も住もない被災地の行動は軍に期待するよりほかになかったのである。




イタイイタイ病を究明した男 萩野昇

驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く

水俣病問題

小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去

小泉親彦と宮川米次の絆

ヒロシマからフクシマへ

宮川正

「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—

ビキニ「死の灰」世界各地へ

自衛隊とサリン

相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場

日本の国家機密

兒嶋俊郎さんを偲ぶ



●昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!!


●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
第3部   陛下の戦争
1931(昭和6)年―1945 (昭和20)年


第8章 昭和維新と統制

ウィスウェルはその村の読み書きのできるある女性との会話を次のように記録している。

私は、「とくに偉いのは誰ですか?」と尋ねた。「それは天照大神でいらっしゃいます。一番偉い女神様です」「それなら、どうして一緒におまつりしているのですか?天照と今の天皇はどんな関係になるのですか?」
「わかりません。でも、おそらく天照大神が一番偉い神様で、天皇陛下が国の代表で日本で一番偉いお方ですから、一緒においでなのでしょう」「それじゃあ、天皇は神様ではないのね?」「いいえ、天皇陛下は神のように崇拝されているのです・・・・しかし、天皇は本当の本当の神ではありません。天皇は人間であり、非常に偉大な方なのです」「もし、警察官が私たちのことを聞いていたら、私を捕まえて牢屋にいれてしまうでしょう。しかし、これが警察に漏れるようなことはないですよね」、私は大丈夫だと思うと言った。私は、彼女が漆器のほこりを払ったり、乾かしたりしていた縁側から離れた。天皇信仰とはその程度のものであった。
質問が誘導的であることを考慮に入れたとしても、「国体明徴運動」の最中に行われたこのインタビューは、戦争への支持を目論んだ試みは民衆に深く広範には浸透していなかったことを示している。


小泉親彦と昭和天皇

近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~

近代天皇制の真髄は

福沢諭吉

神武と戦争




憲法9条を生かそう!!





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