2019年3月7日木曜日

細菌戦の系譜!!

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731部隊関連年表
人体実験疑い 京大調査継続せず(731部隊)
日本の核開発(加藤哲郎さん)
第4回 「戦争の加害」パネル展 2019 in 横浜
第20回『衛生学校記事』情報公開裁判
細菌戦部隊(731部隊と100部隊)パネル展を開催しませんか?
石垣島の自衛隊!!
元731部隊軍医と強制不妊手術
731部隊・100部隊と戦後の流れ
細菌戦部隊員の戦後

●水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、1000隻近くの漁船が被爆した!!
ビキニ「死の灰」世界各地へ
日本の核開発

「徴用工問題」とは何か


日本は、あの侵略戦争を反省して、憲法9条を作った!!
平和条約締結は「日本が大戦の結果認めること」 露外相
●日本国憲法第9条
1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

日本の政治の常道【historyとは、彼(his)(権力者)の物語(story)】

・まずい事は隠す!!(=あったことを無かったことにする、=データ改ざんは当たり前)
・責任を下に押し付ける!!(=権力者は、責任を取らない)
統計不正聴取に厚労省官房長同席 中立性への疑念、更に
水爆実験で被爆したのは第五福竜丸だけではない!!延べ992隻が被爆!!

2013年5月12日 安倍 731と書かれた戦闘機に乗る!!宮城県松島市にある航空自衛隊の基地で撮影

●ニュース
人体実験疑い 京大調査継続せず

記者会見を兼ねた報告会「 京都大学の『学位論文における研究活動上の不正行為に関する調査結果について(通知)』に対する異議申し立て 」

医師が「死」の選択肢提示 透析中止、患者死亡 東京の公立病院

籠池夫妻、初公判で無罪を主張 森友学園補助金詐欺事件

ゼロから分かる安倍政権の統計不正問題


【金子勝】安倍政権は疑惑多数?国会の厚労省不適切統計を追求も自民党も野党も駄目?2019年3月



自衛隊の名、実態と合ってない? 無線では「日本海軍」

「南スーダンPKO動画」開示 防衛省


根元から腐り始めた国の機構/防衛省PKO動画公開




3 11人工地震の証明~日本人が知らねばならない真実~



「歴史の真相」内海聡の内海塾



【大竹まこと×近藤誠×倉田真由美】 〈目から鱗の医療〉 がん手術・抗がん剤治療・早期発見は効果がない!




竹田会長の記者会見は本当に「潔白主張」なのか
海外メディア「かえって疑惑深まった」 JOC竹田会長の会見

【大竹まこと×金子勝×室井佑月】 日立がイギリス原発輸出を断念! 世界に逆行する日本と経団連の責任


森友・加計問題 疑惑の核心/下 政治家、官邸官僚… 「安倍側用人」を覆う「黒い霧」

「水俣病は終わらない」公式確認から60年―私たちに託されたメッセージ

松本元死刑囚らの死刑執行文書、ほぼ全て黒塗りで開示

“旧優生保護法”強制的な不妊手術 事業として推進(18/04/27)


真相を解明していないからこうなるのだろう!!
オウム13人死刑で「上川陽子法相」一生SPつきの生活


731部隊員・長友浪男軍医少佐の戦中・戦後、甲第1855部隊考、他


国立公文書館で公開された留守名簿を巡る問題


中国の侵略被害者の証言を聞く集い2018 11.30




京大の「731部隊」論文疑惑(上) 勝間田秀樹(京都支局)

731部隊将校の学位取り消しを 人体実験疑い論文で京大に

●横浜「戦争の加害展」感想
2月10日
・2018年9月、南京の戦争記念館を見学しました。中国の人たちにとっては、抗日戦争を勝利し、亡くなった方を慰霊する建物でした、南京大虐殺はなかったという人がいるのが信じられません、2000年に入り、右派の言説がネット上に広まるようになり安倍政権はそれらの人々の支持を基盤としていて恐ろしい。この状況を変えたいと切に願っています。(女性60代、藤沢市)


「特殊部隊731」
秋山 浩著 (三一書房 1956年6月30日 発行)

第2部
惨!人間モルモット

すると、その途端に、傷を負った獣がわめくに似た悲鳴が聞こえてきた。赤い壁に当たってはねかえり、渦巻となってガーンと響いてくる。はっとして前方を見つめると、3人の隊員に両腕を抱えられた「マルタ」が、実験室の扉の前で、わめいているのだ。1人の隊員が、後から押してようやく中に入るまで、私はその場に立ちすくんでみていた。人体実験の事実を、自分の眼で確めたいと思っていた私であったが、地下へ踏み込んだだけで恐怖に近い感情を覚え身震いしていたのである。
「使役、参りました」
26号実験室の前で、室から出てきた1人の技師に向って、私は敬礼をした。
「ご苦労、入って予防服をつけろ」
 技師はそういって、気ぜわしげに隣の室へ入って行った。赤い廊下の両側は幾つもの実験室が並んでいる。暑いので、ほとんどが廊下に面した窓を開けて仕事をしていた。しかし私達のいる高木班の研究室に比べて、はるかに重々しく厳粛な雰囲気が漂っている。
 第1の扉を開けたところには頭上に噴霧消毒装置があり、私はそこで、まず全身に石炭酸液を浴び、ゴムの予防服を着た上に、また消毒液を浴びた。ここでは、かっての動物試験の時の服装と大差なく、肌を一切露出しないように包み、さらに小型の酸素吸入器を背負うのであった。



・陸軍軍医少佐 平澤正欣の学位授与授与の内容
(731資料センター会報28号より:西山勝夫「731部隊問題、克服への道」より)
1945年6月6日に京都大学医学部教授会で審査後纏められた平澤正欣論文要旨(国立公文書館学位授与記録より翻刻、京都大学公文書館の内容と同一)は以下の通り




京都大学は何を学位授与に値すると認定したか。【先人の見解と異なり「イヌノミ」もまた人類に対する「ペスト」媒介蚤なる新事実を発見せり】、人と獣(イヌ)、両方同じ媒体、「イヌノミ」により「ペスト」に感染すること、「ペスト」の人獣感染を新事実として評価しました。ネズミ、モルモットやサルで実験をやっていて、どうして人に感染したと言えるのでしょうか。
審査員の戸田元医学部長、木村医学部長は731部隊に教え子を送った人達です。彼らは、自らも陸軍軍医学校の嘱託研究員などを務め、戦後に戸田は金沢大学の学長、木村は名古屋市立大学学長になったことで知られています。
これらの論文を2014年から15年に検討し、15年3月の戦医研例会で紹介し、問題を、以下の4点にまとめました。
・実験対象がヒトであるにもかかわらず、「さる」と偽った
・当該対象者を治療することを目的とした実験ではなかった
・当該対象者の発症後も治療せずに死亡に至るまで経過を観察した
・死亡後の学位授与認可
・・・・・
人体実験疑い 京大調査継続せず

記者会見を兼ねた報告会「 京都大学の『学位論文における研究活動上の不正行為に関する調査結果について(通知)』に対する異議申し立て 」








日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
●『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より
第5章 陸軍習志野学校

秘密の軍事学校
この学校の機密保持制度は、陸軍省が配布した「陸軍秘密兵器」の定める原則に厳格に従っていた。例えば、大部分の兵器と機械はすべて秘密兵器に属し、「軍事機密」のしるしがあり、これらの兵器を運搬する用具でさえもすべて機密保持に属した。これら兵器にいったん故障が発生すると自分で分解修理することは許されず、必ず工場に転送して壊すか廃棄して、必ずそこで焼却しなければならなかった。当時日本では全国的にいわゆる化学兵器攻撃防御教育が進行し、教材あるいは展示のため防毒マスクの使用が必要だった。しかしこの学校内の大量の防毒マスクは秘密保持性のもので、ごく一部分だけしか貸し出されず、かつ厳重な監督が必要だった。学校の教材も大部分が機密とされ、表面に「軍事機密」、「軍事秘密」、「秘」、「部外秘」等の標記が加えられた。一冊の本の中で、内容が異なれば機密保持の等級も異なり、異なった色の紙を使って区分された。このような本を使用するにも厳格煩瑣な手続きがあって、紛失すると厳重な懲罰を受けた。





●登戸研究所資料館
第1展示室

第1展示室では、登戸研究所が設置された歴史的な背景と目的、立地条件、組織の概要、運営体制、他機関との関係、そして戦争の進展とともに研究所の規模と役割が次第に変化していく過程を中心に研究所の全体像(全容)を紹介しています。

日中戦争の拡大と登戸研究所

1937年7月に日中戦争が始まりました。日本の指導者層は中国側の戦力を過小評価し、戦争は早期に解決できると安易に考えていました。しかしその見通しに反し、中国軍や中国民衆の抵抗は激しく、欧米諸国も次第に中国を支援するようになって日本軍は苦戦し、戦線は拡大、戦争は長期化しました。
 日本側は、有効な戦争収拾策を見出すことができず、戦局打開のため登戸研究所が研究する秘密戦に大きな期待をかけました。登戸研究所が支える秘密戦(スパイ活動・謀略工作・偽札など)は、戦争の拡大・長期化とともに日本軍の作戦のなかでも次第に大きな比重を占めるようになり、日中戦争の拡大・長期化=登戸研究所の拡充・発展といえるような構図が出来上がりました。


日中戦争拡大図

●特集 軍拡に走る安倍政権と学術①

15年戦争中の「医学犯罪」に目を閉ざさず、繰り返さないために
1、戦争における医学者・医師たちの犯罪

西山勝夫さん(滋賀医科大学名誉教授)に聞く
にしやま・かつお=滋賀医科大学名誉教授、 15年戦争と日本の医学医療研究会事務局長、「戦争と医の倫理」の検証を進める会代表世話人、軍学共同反対連絡会共同代表

■731部隊による人体実験・細菌兵器使用
―731部隊の罪悪をもう少し具体的にお話しください。
731部隊は、現中国黒竜江省の省都・哈爾浜市近郊の平房に、 1939年頃までに完成した細菌兵器開発の一大軍事基地にありました。731部隊では、実験材料にされる人々は、特別に定められた「特移扱」と呼ばれる手続きで憲兵隊により供給されて、「マル夕」と称されていました。敗戦までの5年間に少なくとも3000名が送り込まれ、生存者はいませんでした。21世紀になって、中国では、証拠隠減の焼却跡から発掘された憲兵隊の「特移扱」資料の調査が進み、300名以上の氏名が判明しつつあり、被害遺族からの訴えも出始めました。


2015年には、731部隊の跡地で心臓部ともいわれていた建物「ロ号棟」の基礎部分(東西170m、南北140 m四方)の中国による全面発掘が完了し、新館の展示スペースとともに8月15日に公開されました。この発掘は、元731部隊員の証言に基づいて作成された平面図を実証したもので、「ロ号棟」の存在が戦後70年にして白日のもとにさらされました。



昨年2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)



●「衛生学校記事」とはどんなものだろうか?
井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身
1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】
第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を転任になり、その後を井上が引き継いだ。
井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。
又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。
南方軍防疫給水部(岡9420部隊)



復刊衛生学校記事1(2)(井上義弘)
1961年7月

昭和20年の頃

3、特殊爆弾から原子爆弾へ
これらの人々は8月14日から広島で業務を開始したが、終戦になってからは調査の方針も変えなければならず、一応8月19日で打ち切って帰京した。この報告には次の事などが書いてあった。即ち、白血球については、8月16日までに調査した軍関係の負傷者と健康者合わせて143名中、白血球減少は健康者には比較的少なく、何らかの負傷をしている者には多かった。また原爆を受けた後、2,3日の間に嘔吐、吐き気のあった者に白血球減少が多かった。これはX線縮酔に一致している。受傷者も健康者も原爆を受けた時の位置が明らかでないし、白血球減少症が放射線のみによって生じるわけでもないので結論を下し得ないが、もしこの患者が死亡すれば、骨の放射能やその他の病理学的検査をすれば明らかになるだろう。



イタイイタイ病を究明した男 萩野昇

驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く

水俣病問題

小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去

小泉親彦と宮川米次の絆

ヒロシマからフクシマへ

宮川正

「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—

ビキニ「死の灰」世界各地へ

自衛隊とサリン

相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場

日本の国家機密

兒嶋俊郎さんを偲ぶ



●昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!!


●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
第3部   陛下の戦争
1931(昭和6)年―1945 (昭和20)年


第8章 昭和維新と統制

 地方で天皇の権威が周知徹底されていなかったが、地域社会に責任をもつ地位の人々は例外であることに注目する必要ある。村長や助役、教員、警察官、僧侶、神官、言うなれば、日本のナショナリズムの草の根の兵士たちが、地方でみずからの権威を強化するために、天皇の権威と国家の権力とを代行していた。彼らの天皇に対する忠誠と尊崇は、しばしば自発的であり、深い実感によっていた。しかし、ほとんどの村民は公的に責任ある地位にいたわけではなく、おそらくは天皇制の献身的な信者というわけでもなかった。彼らの愛国心は異なった秩序に由来していた。
例えば、1935年、エンブリー夫妻〔ジョン・エンブリー、エラ・エンブリー(ラリーウィスウェル)〕は、九州の僻地の農村、須恵村で、農民にインタビューしている。後年、エラ・ウィスウェルは『須恵村の女たち』を発表したが、その本は天皇の権威を笑い、大酒を飲み歯に衣着せぬ農民の女たちの世界を描いていた。


小泉親彦と昭和天皇

近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~

近代天皇制の真髄は

福沢諭吉

神武と戦争




憲法9条を生かそう!!





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