2019年3月25日月曜日

細菌戦の系譜!!

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731部隊関連行事
(戦争と医の倫理)パネル展とシンポジウム
武見太郎と金原節三の関係
第21回『衛生学校記事』情報公開裁判
日本反戦平和記憶国際シンポジウム
4月18日(木)ビザ発給拒否国賠裁判(最大の山場)
ABC企画総会・講演、「講演と合唱の夕べ」
ソビエト連邦、中華人民共和国とハバロフスク裁判の忘却1949-1956
情報公開裁判、意見交換会、細菌戦センター総会・講演
731部隊関連年表
人体実験疑い 京大調査継続せず(731部隊)
日本の核開発(加藤哲郎さん)

明仁・日本政府・日本医学会は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!
又、ヒロシマ・ナガサキ・ビキニ・フクシマと4度被曝した日本は、世界に先駆けて核兵器廃絶・脱原発と叫ぶべきではないか!!
●水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、1000隻近くの漁船が被爆した!!

ビキニ「死の灰」世界各地へ
日本の核開発

「徴用工問題」とは何か


日本は、あの侵略戦争を反省して、憲法9条を作った!!

平和条約締結は「日本が大戦の結果認めること」 露外相
●憲法第9条
1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

日本の政治の常道【historyとは、彼(his)(権力者)の物語(story)】

・まずい事は隠す!!(=あったことを無かったことにする、=データ改ざんは当たり前)
・責任を下に押し付ける!!(=権力者は、責任を取らない)
統計不正聴取に厚労省官房長同席 中立性への疑念、更に
水爆実験で被爆したのは第五福竜丸だけではない!!延べ992隻が被爆!!

2013年5月12日 安倍 731と書かれた戦闘機に乗る!!宮城県松島市にある航空自衛隊の基地で撮影

オリンピックにお金をかけるのではなく、いじめ対策・貧困対策・戦争被害者対策にお金をかけるべきだ!!

●ニュース
人体実験疑い 京大調査継続せず

イージス・アショア 田岡俊次 青木理




必要ないのでは!!
離島防衛で滑走路復旧部隊新設を検討、防衛省

米民主、司法長官に批判強める 議会証言を要求

石破氏「なかったことにするつもりない」森友・加計問題

辺野古新区域で土砂投入へ 対立さらに深まる情勢


大韓航空労組、厚労省前課長に謝罪と賠償を要求

戦後の「闇」優生保護法 障害者らに繰り返された強制不妊手術

なぜ、日本は脱原発と叫ばないのか??
20181104 小出裕章と樋口健二のコラボ講演会


2005/12/25 【原発問題】推進派vs反対派 小出裕章氏


JOC会長の後任選びは山下氏を軸に 国際的な信頼回復が課題


天皇神話はいらないのでは?
天皇皇后両陛下 来月伊勢神宮へ 最後の地方訪問



竹田会長の記者会見は本当に「潔白主張」なのか
海外メディア「かえって疑惑深まった」 JOC竹田会長の会見

【大竹まこと×金子勝×室井佑月】 日立がイギリス原発輸出を断念! 世界に逆行する日本と経団連の責任


森友・加計問題 疑惑の核心/下 政治家、官邸官僚… 「安倍側用人」を覆う「黒い霧」

「水俣病は終わらない」公式確認から60年―私たちに託されたメッセージ

松本元死刑囚らの死刑執行文書、ほぼ全て黒塗りで開示

“旧優生保護法”強制的な不妊手術 事業として推進(18/04/27)


真相を解明していないからこうなるのだろう!!
オウム13人死刑で「上川陽子法相」一生SPつきの生活


731部隊員・長友浪男軍医少佐の戦中・戦後、甲第1855部隊考、他


国立公文書館で公開された留守名簿を巡る問題


中国の侵略被害者の証言を聞く集い2018 11.30




京大の「731部隊」論文疑惑(上) 勝間田秀樹(京都支局)

731部隊将校の学位取り消しを 人体実験疑い論文で京大に

●横浜「戦争の加害展」感想
2月10日
・植松さん講演会 たいへんわかりやすいお話で良かったです。終了後「楽しかったです」と感謝を話されていた方が多かったです。実は硬く難しいテ-マを柔らかく易しくお話しいただきありがとうございました。(男性50代八王子)



「特殊部隊731」
秋山 浩著 (三一書房 1956年6月30日 発行)

第2部
青年の美しい恋

「嘘だったら承知しないぞ。いいな?この写真は俺が届けてやる」
近江属はこの場の敗北をさとる半面、より手痛い復讐をしてやるぞという意味を言外に含めて、靴音荒く部屋を出て行った。
浜中はにわかに、その場にくず折れて泣き出した。
「ちくしょう!ちくしょう・・・・」
浜中の涙は複雑だった。入隊以来いじめ抜かれた、悔しさと淋しさが一度に出たようでもあり、恋人からもらった、かけがえの無い写真を拾ったと偽って人手に渡した自分の不甲斐なさ、彼女に対するすまなさにもだえているようでもあった。



・陸軍軍医少佐 平澤正欣の学位授与授与の内容
(731資料センター会報28号より:西山勝夫「731部隊問題、克服への道」より)
1945年6月6日に京都大学医学部教授会で審査後纏められた平澤正欣論文要旨(国立公文書館学位授与記録より翻刻、京都大学公文書館の内容と同一)は以下の通り




京都大学は何を学位授与に値すると認定したか。【先人の見解と異なり「イヌノミ」もまた人類に対する「ペスト」媒介蚤なる新事実を発見せり】、人と獣(イヌ)、両方同じ媒体、「イヌノミ」により「ペスト」に感染すること、「ペスト」の人獣感染を新事実として評価しました。ネズミ、モルモットやサルで実験をやっていて、どうして人に感染したと言えるのでしょうか。
審査員の戸田元医学部長、木村医学部長は731部隊に教え子を送った人達です。彼らは、自らも陸軍軍医学校の嘱託研究員などを務め、戦後に戸田は金沢大学の学長、木村は名古屋市立大学学長になったことで知られています。
これらの論文を2014年から15年に検討し、15年3月の戦医研例会で紹介し、問題を、以下の4点にまとめました。
・実験対象がヒトであるにもかかわらず、「さる」と偽った
・当該対象者を治療することを目的とした実験ではなかった
・当該対象者の発症後も治療せずに死亡に至るまで経過を観察した
・死亡後の学位授与認可
・・・・・
人体実験疑い 京大調査継続せず




日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
●『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より
第5章 陸軍習志野学校

残酷な軍事演習
ここから見えてくるのは、この演習で発生した事故に、日本の軍隊が非常に興奮した態度で対応したことである。つまり、事故がもたらした「収穫」は損失よりもはるかに大きいということだった。このため、関係のある責任者を誰も処分しなかったばかりか、彼らを習志野学校に留めた。そして今村均は、以後軍隊の中でとんとん拍子に出世をしたが、あの演習に無関係ではなかったというべきだろう。




(広島県大久野島毒ガス工場)




●登戸研究所資料館(明治大学平和教育登戸研究所資料館ガイドブックより)
第二展示室


第一科の研究内容と変遷
風船爆弾開発の中心となった登戸研究所第一科は、もともとは電波兵器開発などの物理分野を担当する部署で、1936年に陸軍科学研究所に設けられた研究班が母体でした。開発していたのは、電波を使用して人体を攻撃する兵器やレーダーなどでした。1943年に風船爆弾の開発が決定されると、第一科の組織はそのための研究に対応したものに変化していきました。

ち号兵器
登戸研究所第一科において研究開発されたレーダー兵器の1つ。超短波域を利用したレーダーだったため、頭文字をとって「ち号」と呼んでいた。(増子安春氏寄贈)






●特集 軍拡に走る安倍政権と学術①

15年戦争中の「医学犯罪」に目を閉ざさず、繰り返さないために
1、戦争における医学者・医師たちの犯罪

西山勝夫さん(滋賀医科大学名誉教授)に聞く
にしやま・かつお=滋賀医科大学名誉教授、 15年戦争と日本の医学医療研究会事務局長、「戦争と医の倫理」の検証を進める会代表世話人、軍学共同反対連絡会共同代表


2、戦争医学犯罪に医学界・大学医学部はどうかかわったのか

3、戦後、日本の戦争医学犯罪は裁かれなかったのか
■隠蔽・極秘取引・タブー・無視と検証・克服
―これらのことについて、戦後の医学界・医療界、医学者・医師はどのように向き合ってきたのでしょうか。団体の動きや、個人の発言などもふくめて紹介してください。

 日本医師会は、日本医師会年次代議員会(1949年3月30日)で「日本の医師を代表する日本医師会は、この機会に、戦時中に敵国人に対して加えられた残虐行為を公然と非難し、また断言され、そして時として生じたことが周知とされる患者の残虐行為を糾弾するものである」 という声明文を決議して世界医師会(第1回総会、1947年9月18日)への加盟が認められました。しかし、日本医師会は731部隊問題については声明文の決議で解決済みとして、自ら検証をすることを怠り、現在に至っています。

※戦時中の細菌戦のデータを基にして書いた金子順一論文の主査が東大医学部長の田宮猛雄だった。戦後、田宮が日本医師会会長だった当時、副会長は、戦時中仁科の下で、原爆の研究に携わった武見太郎。武見は、1955年に第4代衛生学校長になった金原節三(731部隊の指導的立場にあった)とも通じていた。
 戦時中は、国家総動員だったから、日本の医学界は、国家に協力し、731部隊に関与した。戦後の日本医師会は、田宮や武見らが牛耳っていたから、731部隊のことに関しては、米軍と協力して緘口令を敷いた。



昨年2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)



●「衛生学校記事」とはどんなものだろうか?
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?
第21回『衛生学校記事』情報公開裁判

1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊


衛生学校の人々
園口忠男(第8代衛生学校長 在任期間 1969.8.1~1971.6.30)
S14 熊本医大
S15.6.18~18.4.1
19.12~〇 軍医少佐 731部隊第2部教育部長
寧波作戦の輸送指揮官
戦後、園口は学位授与されている
博士論文 「赤痢菌族の分類に就いて」 授与大学名 熊本医科大学 授与年月日 S21.5.17

その園口は、自衛隊の部内誌に次のように紹介されている。
園口忠男(元陸将)
園口氏は、昭和31年8月31日入隊、衛生学校教育部教官(第4科長)、技術研究本部第2研究所第2部衛生研究室長、衛生学校教育部長、同副校長、同校長等の要職を歴任され、昭和46年7月1日退職された。
 今回は、入隊前における地域医療の発展に貢献したこと、在隊間における防衛医学の教育研究に心血を傾注し、衛生科職種の充実発展に貢献したこと、及び自衛隊における集団予防医学を世界に高らしめた功績、及び自衛隊退職後も熊本県民の保健、衛生の向上に貢献したこと等が認められ、栄誉に浴された。



第5代衛生学校長
井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身
1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】
第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を転任になり、その後を井上が引き継いだ。
井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。
又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。
南方軍防疫給水部(岡9420部隊)





イタイイタイ病を究明した男 萩野昇

驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く

水俣病問題

小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去

小泉親彦と宮川米次の絆

ヒロシマからフクシマへ

宮川正

「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—

ビキニ「死の灰」世界各地へ

自衛隊とサリン

相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場

日本の国家機密

兒嶋俊郎さんを偲ぶ



●昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!!


●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
第3部   陛下の戦争
1931(昭和6)年―1945 (昭和20)年


第8章 昭和維新と統制



軍国主義者やその政治的便乗者にとって、美濃部の重大な罪のひとつは、統帥権について国務大臣の責任が及ばないという例外は、きわめて重大な意味を持つので、その範囲をできる限り限定すべきであると明言した点にあった。それゆえ、もし日本が、法と勅令がそれぞれ異なる体系から出される「二重政府」を持つべきでないなら、その「適用範囲」は議会によって慎重に制約されなければならない。そうでなければ、極端な場合、軍隊の勢力が「国政を左右し、軍国主義の弊、窮まる所なかるべし」と美濃部は警告した。

小泉親彦と昭和天皇

近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~

近代天皇制の真髄は

福沢諭吉

神武と戦争




憲法9条を生かそう!!








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