2018年12月20日木曜日

細菌戦の系譜!!

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防衛費の異常な増加に抗議!!
映画「沈黙」アンケート
「731部隊と100部隊」の現在の課題(八王子)
第10回『化学学校記事』情報公開裁判
第19回「衛生学校記事」情報公開裁判
731部隊『留守名簿』(不二出版)2018年9月
京大 軍医博士論文の検証
731部隊『留守名簿』公開
ある元自衛官の回想 「化学学校の黒い霧」
第10回ビザ発給拒否・集会妨害国賠訴訟【9月21日(金)11:30~東京地裁415号室】
731部隊と「要塞」遺跡を訪ねる

日本は、あの侵略戦争を反省して、憲法9条を作った!!
平和条約締結は「日本が大戦の結果認めること」 露外相
●日本国憲法第9条
1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

●ニュース
NHK元記者「森友報道で上層部が介入」 局側は反論

辺野古埋め立て停止 ホワイトハウスへの嘆願署名10万超す

中国「強烈な不満と反対」…日本の防衛大綱に

医学部「入試差別」根絶を 現役医大生、国に1万5000人分の署名提出

医学部の入試不正、9大学で確認

「いずも空母化」は自衛隊の要望ではなく実は「自民党主導」だった

iPS細胞の備蓄事業、京大から独立へ 山中教授が意向

橋下氏、徴用工問題の解決に向け持論「こういうことを言うと売国奴だと言われる…」

防衛大綱改定 いずも事実上空母化明記

「国民はだまされている」 森友問題・籠池被告ら懇談会 水戸

防衛大綱改定 いずも事実上空母化明記

「国民はだまされている」 森友問題・籠池被告ら懇談会 水戸

憲法9条を守れ!!
「空母化」ありき 現場困惑 政府、違憲否定「F35B常時は搭載せず」

「水俣病は終わらない」公式確認から60年―私たちに託されたメッセージ

松本元死刑囚らの死刑執行文書、ほぼ全て黒塗りで開示

“旧優生保護法”強制的な不妊手術 事業として推進(18/04/27)


真相を解明していないからこうなるのだろう!!
オウム13人死刑で「上川陽子法相」一生SPつきの生活


731部隊員・長友浪男軍医少佐の戦中・戦後、甲第1855部隊考、他


元731部隊軍医と強制不妊手術

「明治150年」史観批判ー近現代日本の戦争・植民地支配と国民統制ー山田朗、他


中国の侵略被害者の証言を聞く集い2018 11.30

●お知らせ





京大の「731部隊」論文疑惑(上) 勝間田秀樹(京都支局)

731部隊将校の学位取り消しを 人体実験疑い論文で京大に



「特殊部隊731」
秋山 浩著 (三一書房 1956年6月30日 発行)

職種不明の軍属
広野に建つビル街
   * * *

 教育部長は、西軍医中佐であった。
 その人が登壇した時、私は内心、仕事の内容が説明されるものと期待していたのだが、中佐はただ、遠路の労をねぎらい、健康に留意して職務に精励するように・・・・。と、ありきたりの言葉を連ねただけだった。

 その夜は、豚肉やら、甘いケーキなど、内地では貴重とされるご馳走がふんだんに出された。しかし、それは別に特別なものではなく、食糧には大いに恵まれた日常だったのである。
 翌日、私達と前後して入隊した百人ばかりの者が一緒にされて、あらためて班の編成がなされた。年齢は大体同じくらいの者ばかりだが、中学3年で来た者、4年で来た者、卒業して来た者、あるいは国民学校を出て来た者など多種多様な集まりであった。私と林田は、同じ班に入りたいと思って2人ならんでいたが、結局、別々の班になってしまい、林田は第3班、私は第4班に入った。1つの班の人員は17人か18人である。私の班長は、下関からの引率者である大角雇員だったので、何かほっとする気持ちであったが、林田の班長は、前日、意地の悪そうな印象を受けた、あの小宮という雇員だった。
 宿舎は、ペーチカのある、小じんまりした平屋で、真ん中に土間の廊下が縦に通り、両側が一段高くなっていて、そこに1人1人の袋布団が並べられる。窓は2重になっていて、その下に各自の棚ができている。
 ここでの生活は、普通の部隊の内務班のような規律に縛られたが、物質的には充分すぎるほど恵まれていた。内地では草の葉やふすままで食っているのに、この部隊では朝晩とも銀めしであった。


「元満州中川村開拓団 私の敗戦回顧録」


日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
●『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より
第2章 地図から消えた神秘の大久野島

記録1 今日の大久野島
そのなかの1つの倉で、ふと異常な現象が私の注意を引いた。地上に石を刻んだ人形が置かれ、そばに長くつながった彩色鮮やかな、見慣れない紙の装飾品があった。良く見てみると、それは無数の折り鶴で、何千羽もあるだろうか。鶴は日本でも中国でも長寿の象徴で、現実の人間と幻想の仙境を結ぶ架け橋でもある、でもこんなところにこんなにたくさんの鶴を置くとはなぜだろう?私は思わずその1つを手に取ってみると、その下に書かれた文字が私の疑問を解明してくれた。このたくさんの鶴はここに参観に来た小学生たちが、自分の平和への願いを込めて1つ1つ折ったものなのだ。彼らの願いはこのように書かれていた。
「みんなの力で平和をまもろう!」
「毒ガス工場で働いた人びとよ、私たちの力で平和な社会を築こう!」



●特集 軍拡に走る安倍政権と学術①

15年戦争中の「医学犯罪」に目を閉ざさず、繰り返さないために
1、戦争における医学者・医師たちの犯罪

西山勝夫さん(滋賀医科大学名誉教授)に聞く
にしやま・かつお=滋賀医科大学名誉教授、 15年戦争と日本の医学医療研究会事務局長、「戦争と医の倫理」の検証を進める会代表世話人、軍学共同反対連絡会共同代表

5、いまどんな議論が必要か

■世界と日本での議論の進展

―それに対し、日本の科学者の世界では、全体の問題としてどう議論されていますか。

 さらに、2005年の平和問題研究連絡委員会報告「21世紀における平和学の課題」では、日本学術会議としても日本の未決の戦争責任などの諸問題を学術的に解明することが重要であると述べられていました。
 このように、731部隊などの戦争医学犯罪だけではなく戦争責任全般についての学術的解明が日本の学術界の俎上(そじょう)にのる兆しが出てきました。
 しかし、2005年に学術会議会員の選考法がさらに改悪され、学術会議会員が自ら選考する方法となった後に公表された学術会議の諸文書には、戦争医学犯罪のみならず、日本の科学者の軍事研究への加担の歴史や戦争責任全般についての学術的解明について、言及したものは見当たりません。731部隊などの戦争医学犯罪だけではなく戦争責任全般についての学術的解明が日本の学術界の俎上にのったことを契機に、それまでの不作為も含めて、学術会議自身が自らの課題として検証を進めることは、1950年、1967年の2度にわたる戦争や軍事日的のための研究を拒否する誓いの見直しにストップをかけ、軍事研究復活阻止にもつながると思います。



●『人間の価値』
―1918年から1945年までのドイツ医学
Ch.ブロス/G.アリ編
林 功三訳

■ヘルマン・フォスの日記
「今日わたしは上級検事のハイゼ博士と解剖研究所の死体調達について興味深い話し合いをすることができた。ケーにスベルグもブレスラウもここから死体の供給を受けているという。3つの研究所を全部まかなうことができるほど多くの処刑が行われているのだ。」
(1941年9月30日)
「解剖教育には約60名の学生が参加した。使われた死体は19体だった。そのうち7体ははポーランド時代のもので、残りはほとんど全部が処刑者で、死後数時間以内にフォルマリン注射されたものだった。ふつうの筋肉、関節の標本のほかに、胸部組織、腹部組織、性器の標本も作成された。処刑者の組織標本は、わたしがこれまで標本室で見たことがないほどすばらしいものだった。」(1942年3月10日の日誌)
「日曜日にV.H.氏(標本製作官のヒルシュハイトのこと―編者)がわたしに話してくれたところによれば、彼は土曜日に、あるユダヤ人の若者の死体から数匹の虱(しらみ)をもらったという。ウィーンの人類学博物館のためにユダヤ人の頭のギブスの型がとられたからである。これはすばらしいメッセージだ。ここに供給されるユダヤ人の死体はしばしば発疹チフスで死んだ死体だからだ。」(1942年5月19日)




イタイイタイ病を究明した男 萩野昇

●驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く

水俣病問題

小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去

小泉親彦と宮川米次の絆

ヒロシマからフクシマへ

宮川正

「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—

ビキニ「死の灰」世界各地へ

自衛隊とサリン

相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場

日本の国家機密

兒嶋俊郎さんを偲ぶ



●昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!!


●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
第3部   陛下の戦争
1931(昭和6)年―1945 (昭和20)年

第7章 満州事変


満州での軍部の放縦を許す犬養の姿勢を知って、宮中グループは、西園寺に大養を総理に任命する際の条件について大養自身と話し合うよう指示をした。そこには対外もしくは対内経済政策のいずれかにおいて急激な変化は避けるという合意があった。西同寺は牧野伸顕、鈴木貫太郎、一木喜徳郎、そして天皇と協議した後、12月12日の午後遅く、犬養と話し合った。4日後、犬養は天皇から組閣の裁可を得るが、この内閣は森恪(もりつとむ)を内閣書記官長、荒木中将を陸軍大臣に、そしてより自由主義的な高橋是清を蔵相に据えるという不和和音を伴う閣僚により構成されていた。


小泉親彦と昭和天皇

近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~

近代天皇制の真髄は

福沢諭吉

神武と戦争




憲法9条を生かそう!!




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