2020年6月26日金曜日

細菌戦の系譜!!


中国侵略戦争
第5回「戦争の加害」パネル展in横浜
細菌(生物)戦争
『BCGと人体実験』 美馬聡昭著
731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)
防疫研究室と昭和天皇の関係
1940年と2020年の東京オリンピック
731部隊と国立感染症研究所の問題
731部隊・細菌戦資料センター総会のご案内
731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
情報公開裁判「化学学校記事」「衛生学校記事」
ABC企画委員会
731部隊・100部隊展
記憶の継承を進める神奈川の会






●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。

今、世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス。これは、細菌戦(生物戦)ではないのか?
過去に、日本が中国で行なった細菌戦のように。(以下は現在分かっている細菌戦)

1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日  731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日  731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日  731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した 
8月  731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月  100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置

【コロナは生物兵器か】人工のコロナウイルスショックによる文明の転換点 船瀬俊介氏が語る



米軍300人が新型コロナの感染が広がる前に武漢にいたという。
新型コロナウィルスを撒いたのは??



1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察


731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。

●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!

731部隊被害者遺族の訴え!!        
 


検証・中国に於ける生体実験
東京帝大医学部の犯罪   美馬聡昭著  桐書房(2013年)

第3章 国家機密の抹殺


BCGの人体接種試験


 長与又郎は伝染病研究所所長在任中は、結核対策について傍観していた。ところが第8小委員会では積極的に参画するようになった。この頃の長与又郎日記の中に何度も学術振興会や結核研究所の問題が書かれている。

 柳澤謙は『わが一生の思い出』で、第8小委員会のことを以下のように追憶している。

「BCGの人体使用を我が国で最初に試みたのは、阪大の今村荒男で1929年のことである。1935年には、九大の戸田忠雄と伝研で人体接種試験が開始されている。阪大および九大では竹尾株が使用され、伝研では伝研株が使われた。学術振興会第8小委員会が協同研究を行なう場合、どちらの株菌、すなわち竹尾株を選ぶか、伝研株をとるかで可成りの討議が行なわれたが、長与委員長は両株の毒性や免疫試験を至急するように指示された。ある日の委員会終ったあとで、長与又郎が今村荒男と私を呼んで、今週中にでも私が、1ケ所で伝研株と竹尾株の毒性や免疫効果を至急比較するように言われた。菌株の検査は伝研でやることになったので私の責任は重大なものであった。



  伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より 

   
この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、事実も認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?

●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)

「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 

本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。

裁判による事実解明と人間の尊厳回復
                  松村高夫(慶応義塾大学教授)

 寧波の被害者は109人、常徳の場合は、1941114日、731部隊が、ペスト感染ノミ、綿などを投下したことが認定されました。それから、更に常徳周辺の農村にペストが伝播し、被害調査委員会によると、死亡者は7643人に上ると認定されています。

 そして、これらの細菌兵器の実戦使用は、日本軍の戦闘行為の一貫として行われたものであるということが認定されたことと、また陸軍中央司令部の指令によって行われたものであることが認定されたことは、非常に重要なことであります。ペストの感染が人々の間に疑心暗鬼を起こさせ、社会の崩壊を招くという、非常に深刻な結果をもたらすものであることも認定しています。

 


●731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?

731部隊の行なった細菌戦


●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!
安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難

           

2013年5月12日、安倍晋三は宮城県東松島市の航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。
           
731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)
旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!

731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記


731部隊新文書公開   赤旗200620
京都 隊員の敗戦時の行動
 旧日本陸軍の細菌戦部隊・731部隊に所属した隊員の敗戦時の行動などについて、公文書により新たに明らかになった資料が19日、公表されました。研究者2氏が、京都市内で記者会見しました。
 会見したのは、滋賀医科大学の西山勝夫名誉教授と、「15年戦争と日本の医学医療研究会」幹事の原文夫氏。
 今回明らかにされた資料は、731部隊を本部とする関東軍防疫給水部(関防給)の各支部、隊員の詳細について記された「関東軍防疫給水部部隊概況」。国立公文書館から今年3月に西山氏らが入手し、判読できるよう両氏によって翻刻(ほんこく)されました。
 これまで関防給の部隊員名薄は、当時、陸軍の全部隊が作成していた「留守名簿」が初めて公となった文書でしたが、隊員の詳細までは明らかになっていませんでした。今回の資料では、五つの支部ごとの所属隊員の氏名が、行動群別に階級、本籍、行動状況とともに記されています。また関防給の敗戦時隊員数が、総計3262人であったことも明らかになり、「公文書によって明らかになったのはおそら初めて」としています。
 会見で西山氏は「『留守名簿』で不明だったことが明らかになった意義は大きい。731部隊生き残りの方たちの証言の裏付けにもなる」と強調。原氏は「政府は731部隊を公式には認めていない。およそ全体像が明らかになってきたもとで、研究者が協力して、早く解明すべきだ」と述べました

1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』

 
「1931」斉藤準太郎の日記


11

前方の工兵大隊表門には早くも日章旗。降る意志もないような降り方で楽しい

地上に降ったり止んだり積もらない 積もったり止んだり降ったり ああ忙しい―雪の空見ていては中々書ききれない。

昭和6年と云ふよりも私の満期年と言った方が心持ちよい 2ヶ年の軍隊生活が無意義であってはならないのだ。

昔の様に暗の中で理想を追ふ様な少年的な生活をしてはならない。堅実な理性はよく私を幸福にみびいてくれる.

私には友が待っている 親が待っている 私は未だお坊ちゃんだ

私が此の生を受けて以来の初めて歴史を飾る記念の年だ 1931年  ー 満期・・・⋮満期

こんなに書いてもいまだに1ヶ年あるんだな 困ったな  ー あ・・・・帰りたい・・・・・・・・・親がある・・・・。

 ●パネル展「日中戦争―その実相に迫る!」感想(2020年2月8日~13日)

2月9日(日)

8. 村瀬さんの写真、万人坑が印象的。万人坑も毒ガスも数年前に知った。加害の歴史を日本人はちゃんと知るべきと強く思う。(女、60、八王子、チラシ)

    
●映画「ひろしま」アンケート(1月13日 横浜)
( )は性別・年代・住まい・情報

51.・私は原爆投下の1か月前、呉で生まれました。物心がつく前に(3~5才頃)身体の肉が溶けてぶら下がったまま歩いている大人を何人も観た記憶が忘れられません。

・「ひろしま」はとても悲惨な映像と伺っていたので、若干躊躇しました。実は昨年11月に、新しくなった原爆資料館で気分が悪くなってしまったからです。

・その点では見易い綺麗な画像でホッとしました。この映画なら、若い人達にも観てもらえるでしょう。

・戦争の恐ろしさを多くの若者に伝えることは、この時代に生きた者の使命だと思います。

・「記憶の継承を進める神奈川の会」の皆様にこれからも是非頑張って頂きたいと思います。

・私も微力ですが「ひろしま」を周囲の若い方達に伝えたいと思っています。

・この度はありがとうございました。

(男性・70代・市外・朝日新聞)

 



日本は、日中戦争で国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!

●細菌戦
【真相】(unit731)

・『石井細菌戦部隊―極秘任務を遂行した隊員たちの証言』
郡司陽子編(1982年11月30日初刷:徳間書店)

V 私は中国軍の捕虜だった

<ー総務部調査課翻訳(情報)班 H・M

命令、満洲第731部隊に転属を命ず

812日だったと思う、遠く平房の方向から、鈍い爆発音と黒煙が上がるのが、ハルピン市内から認められた。石井部隊本部の最期であった。

 私は、そんな中で、白樺寮の庭で、残された厖大な部隊関係の極秘書類の焼却を行なっていた。8月21日、最後まで留まって撤退処理にあたっていた、中村准尉以下の30数名が、トラックで、朝鮮を目指して、ハルピンを脱出した。ソ連軍先鋒部隊を目前にしての、あわただしい脱出であった。中村准尉は、奥さんとも会えず、私に彼女宛の行李を託して行った。



・『証言 人体実験(731部隊とその周辺)』

中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳

三 警察・憲兵の第731部隊への「特移扱」 

森三吾供述書(1954年)

問:先に述べた石井部隊送りの基準についてだが、それでは、人為的にこうした基準に合うようにする方法はなかったか。

答:「特移扱」の条件づくりのための唯一の手段は、残酷な拷問だった。人を捕まえて来てから、水責め、殴打、電気ショック、手の指に鉛筆を挟むなどの拷問を加え、スパイだと無理やり自供させたのである。

原注:この文書には日付が記載されていない。

*訳注:特移扱ー中国語原文は「特殊輸送」。関東憲兵隊作戦命令(122頁参照)にも「特殊輸送」とあるが、1949年のハバロフスク裁判における731部隊関係の証人たちが「特移扱」という語を用い、ある日本軍憲兵の回想も「特移扱」を用いているように、この憲兵に依る731部隊への移送は当時「特移扱」と呼ばれていた。したがって、本訳書では前記の関東憲兵隊作戦命令以外の資料については、「特移扱」の語を用いる(『細菌戦用兵器の準備及び使用の廉で起訴された元日本軍軍人の事件に関する公判書類』外国語図書出版所[モスクワ]1950年、、及び136頁訳注所掲の吉房虎雄「特移扱ー細菌実験の為の拉致、逮捕ー」)。

**訳注:大東公司ー19343月、華北から満洲国に流入する労働者を制限するため、天津に設けられた特殊会社。労働者の身分証明・募集・輸送などを業務とした。のち満洲労工協会(154頁訳注参照)に吸収され、同協会天津支部となった(「労務統制の一元化」『支研経済旬報』19411111日号、満洲国史編纂刊行会『満洲国史』各論、満蒙同胞援護会、1971年、115556頁)


  

●毒ガス戦
・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著
第1章 毒ガス兵器の研究と開発

4 対ソ戦を想定した毒ガス兵器開発と人体実験

対ソ戦を想定した毒ガス戦研究と準備の進展

非常に詳細なこの報告書の最終的な結論は次の通りだった。

対〇化学戦の主眼は徹底的大規模なる化学的奇襲及び強襲により戦捷(せんしょう)の動機を構成するにあり。・・・戦争の成果は平時の研究準備に俟つこと最も大なり。国軍は速やかに上述諸件の応ずる施設を徹底的に強化し国家各方面の努力を集中し溌溂たる気力を以て化学戦の研究並びに準備の完成に向かい邁進すること極めて緊要なりと信ず。

 

  
  ・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)
第12章 癒しがたい傷
付記・忠海病院及び行武正刀院長訪問記

 既に私達の訪問はお伝えしており、私達が毒ガスによる傷害についてある程度理解していることもご存知だったので、特に紹介や挨拶をする必要もなく、そのまま私達を病院の玄関に案内された。病院に入ると、第1印象はやはり清潔なことである。ホールの片側に靴箱が置かれ、来訪者や患者は皆自分の靴から病院のスリッパに履き替えなければならない。こうしたスリッパを履いて病院のぴかぴかに磨かれたタイルの床の上を歩くと、「サッ、サッ」をいうかすかな音がして、ここが本当に塵1つないほど清潔であることを感じさせる。日曜日であった為、病院には患者がおらず、ホールに並べられた椅子には誰も座っていない。



 
              毒ガス工場の焼却


現在、大久野島国民休暇村


日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題

●『三光』     中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)

細菌戦ー731部隊の蛮行
 田村良雄(たむらよそお)防疫診療助手 兵長
(略歴〉
1939年5月  元関東軍防疫給水部本部(731部隊)に入隊
1943年3月  退職
1944年3月  元関東軍59師団32連隊に現役兵として入隊
1945年8月  元関東軍125師団軍医部兵長
1952年6月  逮捕さる。河北省永年県において

本籍地=千葉県長生郡 出身階級=雇農 年齢=34歳

   私を見た婦人は、顔にあざける様な笑いを浮かべながら「你、甚麼事(ニイ、ションマス・・・お前は何の用だ)」と、言い終わるとガックリと頭を壁にもたれ、眼をつぶりました。人が来たら具合が悪い、早いことやってやれ、私は婦人に近づきしゃがみこむと肩に抱きつこうとしました。婦人は眼をつむったまま布団から手を出し、私を払いのけようとしました。

    その手には指が無く、先の方に黒い骨がついていました。吉村班の凍傷試験の結果を見た私は、これは引っかかれる心配はないわいと、今度は力任せに婦人を横倒しにしました。婦人は体を支える力も無く、どかりとその場にあお向けに投げ出され、指の無い手が虚空をつかみ、痛さにもだえるように顔をしかめ、どんよりした眼はかっと見開かれ、憎しみに燃えた眼を投げかけました。


2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)



●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!

日本の毒ガス

沖縄・南西諸島が軍事要塞化している現実はおかしくないか??

「琉球処分」から140 今の沖縄を考える

●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?

・731部隊関連の「情報公開裁判」に関する報告

和田千代子(731細菌戦部隊の実態を明らかにする会事務局長)

 
 3 『化学学校記事』裁判の問題点と争点

裁判になっても不誠実な態度をまだまだ続けようと言うのです。許せません!!

 私達は、これに対し“『化学学校記事』第16号の編集・執筆者は、化学学校の校長、副校長、研究部員なので、『化学学校記事』第16号の編集・執筆の関係者と化学学校の20年史、40年史である『20年のあゆみ』『40年のあゆみ』に掲載されている1973年から1995年3月の間の化学学校の校長、副校長、研究部の役職員の名前を挙げて聞き取り調査を行なうべきだ”と求めています(末尾年譜参照)

 ところが、つい最近被告は「本件訴訟の争点と関連性がない」等と開き直って私達の要請に誠実に応じようとしません。


・次回『衛生学校記事』情報公開裁判(第26回)東京地裁419号法廷
緊急事態宣言が出たため、4月の裁判は延期になりました。

・次回 2020年6月3日(水)11:30~ 東京地裁522号廷の予定でしたが、
新型コロナウィルスの影響の為、延期になりました!!


第4代衛生学校長だった金原節三が亡くなってから、遺族が、当時の防衛庁に寄贈した金原節三資料の中に13点の『衛生学校記事』が含まれている。それがいまだに未開示であり、その行方が防衛省は分からないという。

1995年に防衛研究所に衛生学校から金原資料の全部を移管した。翌年1996年には、その資料の中で旧軍資料の価値の高いものを、防衛研究所に残して、あとは衛生学校に戻した。

『金原文庫』はいつまで、衛生学校の彰古館に開設されていたのであろうか?その中に果たして『衛生学校記事』があったのか?また、金原資料はキチンと整理をされていたのだろうか?金原資料の中には『特殊武器衛生』というものもある。防衛省は、金原資料をすべて開示すべきである。

1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊


第4代衛生学校長

『衛生学校記事』を発刊したときの、衛生学校長金原節三とはどんな人物なのだろうか?

金原節三(1901~1976)

陸軍省医事課長時代(1941.11~43.8)に731部隊から報告を受けていた。「陸軍省業務日誌摘録」

厚生省東海北陸医務出張所から衛生学校へ 1955.8.1
          


金原節三と細菌戦

金原の略歴を見ると、昭和16年11月に陸軍省医務局医事課長になっていて、17年に8月に軍医大佐になっている。

細菌戦資料センターの会報には、次のような記載がある。「陸軍省医務局医事課長だった金原節三元軍医大佐が、1955年に陸上自衛隊に入隊した。細菌戦部隊を指導していたのは、陸軍参謀本部、陸軍省医務局衛生課そして陸軍省医務局医事課である。金原は、「金原業務日誌摘録」に細菌戦部隊からの報告を記録している。

金原節三と武見太郎

金原と戦後日本医師会会長になり、医師会、薬剤師会、歯科医師会に大きな影響を及ぼした武見太郎は、軍隊内の先輩・後輩関係にあった。『金原節三資料目録』(陸上自衛隊衛生学校)の巻頭言は、日本医師会長武見太郎が書いている。

※彰古館には、自衛隊関係の資料も保管している!!

『軍事史研究』2010年9月
軍事史関係史料館探訪(56)
陸上自衛隊衛生学校 医学情報史料室 彰古館
喜多義人

収蔵品の多くは、旧陸軍軍医学校由来の品々と医学文献であり、『大東亜戦争陸軍衛生史』編纂の際に寄贈された史料も所蔵されている。また、衛生学校にかつて開設されていた同校戦史室が収集した戦史史料、戦後の警察予備隊から保安隊を経て陸上自衛隊に至る草創期の衛生科部隊の行動史、研究報告なども含まれている。



●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。

Ⅲ 日本における生物・化学兵器の歩み

1、 生物・化学兵器の開発の歩み

石井部隊と細菌戦

昭和17年当時、石井四郎軍医中将は第731部隊を訪ねた関東軍憲兵司令官原大佐と吉房中佐に細菌戦の意義について、次のように述べている。

「細菌攻撃の第1の特徴は、効力が偉大である事である。鉄による砲、爆撃はその周囲一定の範囲のものを殺傷するだけだって、傷ついた者もすぐに回復して、再び戦闘に参加することができる。ところが細菌戦は人から人へ村から村へと効力圏を拡大するばかりではなく、その実毒は人体深く食い込んで死亡率は砲、爆撃に比べて非常に高い。また一旦傷つけば回復は極めて困難で再び戦闘に加わることは期待しがたい。」

「第2の特徴は、鉄の少ない日本にとっては、最も適当な戦争方法であり、経費も安いことにある。」

  




第5代衛生学校長
井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身

1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】

第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任(『大東亜戦争陸軍衛生史』を編纂するため、膨大な旧軍資料を集め、又戦後に日本独自の細菌戦部隊の復活させようとしたことが原因か??)になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を解任され、その後を井上が引き継いだ。

井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。

又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。

南方軍防疫給水部(岡9420部隊)
            

イタイイタイ病を究明した男 萩野昇
驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く
水俣病問題
小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去
小泉親彦と宮川米次の絆
ヒロシマからフクシマへ
宮川正
「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—
ビキニ「死の灰」世界各地へ
自衛隊とサリン
相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場
日本の国家機密
兒嶋俊郎さんを偲ぶ


●昭和天皇の戦争責任を問う!!

天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より

重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。





●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)吉田裕監修 
2001年ピュリッツァー賞受賞

※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!

戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
          


第12章大元帥の試練

 

民族自決の原則は、連合国にとって戦時外交の重要な問題だったが、昭和天皇自身はこれを認めていなかった。まして、植民地の台湾、朝鮮との関係を見直すことを求めはしなかった。東郷外相やその後継外相の重光葵と同じく、昭和天皇は「分」相応の観点から考えていた。それは条約により保障された日本の特権を伴い、日本が主導する序列化された 「共栄圏」の範囲内で、個々の人種の集まりにふさわしい位置を与えることを意味していた。だが、天皇は戦況悪化につれて、急迫した情勢に意志を曲げ、ふたたび政治的主導権を発揮した。昭和天皇は、「1号作戦」の攻勢によりつくられた機会を、いかに利用すべきかを東条と議論していた。彼らは延安に対する政策の変更を決定し、実際、重慶政府と対立させることを目的として、延安の毛沢東率いる共産主義政権に対し、暗黙の承認を与えた。これは同時に、ソ連に対する宥和政策でもあった。

                    "



731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!!
日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?

地球の温暖化や異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!


『二酸化炭素温暖化説の崩壊』広瀬隆(集英社新書 2010年発行)

第1章 二酸化炭素温暖化論が地球を破壊する

異常な寒さを全くニュースにしない「異常なメディア」

 人間の知り得る科学では複雑すぎて計算できないことを、強引にコンピューターで計算してみせたが、矛盾だらけだったということに尽きる。なぜ将来のシミュレーションを間違えたかという理由がふるっている。IPCCでは、「CO₂増加と温度上昇」の計算結果に関して「目標値」が定められていて、駆り出された自称学者たちに、その目標値に向かって計算を指示したため、彼らが思い思いに計算の指標となる係数(パラメーター)を選んでからスーパーコンピューターに数字を放り込み、出て来た数値が目標値と大きく異なると、パラメーターを手直しした後に計算し直し、最後に全員に花丸がついて及第したのだという。

●核実験(ウキペディアより)

若くして白血病で亡くなった夏目雅子、本田美奈子、また五輪候補選手だったスイマーが白血病になったのは、放射能の影響ではないのか?

月の砂漠の犠牲者 夏目雅子と本田美奈子

核実験

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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1945年7月16日に行われた人類初の核実験。詳細はトリニティ実験を参照。







●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future




●核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について




日本政府・自衛隊は情報を公開せよ!!(情報開示!!)

今年も8月12日がくる──。33年前 520人が犠牲になった日航機墜落、遺物の化学分析で判明した事実とは?

中曽根元総理が知る日航機墜落事故の真実とは?墓場まで発言の真意を調査!

ここの研究所は、どんなことをやっているのだろうか??

国立感染症研究所村山庁舎(武蔵村山)

●1954年3月1日第5福竜丸他1000隻もの船が被曝!核兵器廃絶!!

なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
       
      
原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より

・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。

封印された原爆報告書



水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した!!
       



           

JCOの臨界事故


福島第1原発事故

核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!
「731部隊・100部隊・毒ガス戦」パネル展 2019年4月29日~5月3日
「日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか 」 田中利幸さん
日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病

731部隊(unit731)
昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!

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