2020年1月30日木曜日

細菌戦の系譜!!


パネル展「日中戦争ーその実相に迫る!
知っていますか?「731部隊」
情報公開裁判「化学学校記事」「衛生学校記事」
小林開さん 映画「ひろしま」を語る!!
核なき世界へ 映画「ひろしま」
ABC企画委員会パネル展2019中野
第5回三多摩平和交流会2019
南方軍防疫給水部の記録を探し求めて(リム・シャオピンさん)
小津安二郎と宮柊二と毒ガス戦
天皇制廃止に向けての第一歩:雲上人を人間化する運動を!
京都大学に対する第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求める活動
平沢正欣論文を検証する(人体実験は行われたか?)
武蔵村山の国立感染症研究所問題!!
731部隊・100部隊展




核なき未来へ(森川聖詩)



日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?
地球の温暖化や異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??
●『二酸化炭素温暖化説の崩壊』広瀬隆(集英社新書)
奇々怪々の現代

科学が明らかにした地球の気温変化
事件を離れ、冷静に本来の科学を考えよう。地球の気温上昇は、CO₂温暖化説の原理を図解すると、【図13】のようになる。太陽から地球に光と紫外線が降り注ぎ、地球から反射される赤外線(熱)が宇宙に逃げてくれる。その地球を二酸化炭素やメタンガスが厚く包むと、その分子が熱を吸収しやすく、そこから地球に向かって赤外線を放射するために、地球表面はこの赤外線を吸収して温度が上昇し、冷えにくくなる。そしてビニールハウスと同じ温室効果が起こり、温暖化するという「仮説」である。


●核実験(ウキペディアより)
若くして白血病で亡くなった有名女優、有名歌手、また五輪候選手だったスイマーが白血病になったのは、放射能の影響ではないのか?
月の砂漠の犠牲者 夏目雅子と本田美奈子

核実験(かくじっけん,英語:Nuclear weapons testing)とは、核爆弾の新たな開発や性能維持を確認したり、維持技術を確立したりするために、実験的に核爆弾を爆発させることを指す。1945年から約半世紀の間に2379回(その内大気圏内は502回)の核実験が各国で行われた。そのエネルギーはTNT換算で530メガトン(大気圏内は440メガトン)でこれは広島へ投下されたリトルボーイの3万5千発以上に相当する。

核実験の探知
東西冷戦中には、アメリカ合衆国が地下核実験の探知を目的として世界中に地震計を設置した。おもにソビエト連邦が実施した地下核実験によって生じる地震波をとらえた。いっぽう、核実験実施国も自然地震と見せかけるために巧妙な核実験を行った。たとえば爆弾を並べて短時間に順に爆発させていき断層破壊と偽ったり、2発の爆弾を短時間に続けて爆発させ自然地震特有のpP波に似た波を発生させたりしていた。
このような経緯で設置された地震計は、現在では純粋に地震学の分野で大きく活用されている(たとえば地震波トモグラフィー)。
なお、地震計による核実験探知については、ブルース・A・ボルト著『地下核実験探知』に詳しく記してある。


水素爆弾の恐怖・ビキニ環礁 (アメリカ)


「北朝鮮の核実験の威力」と「史上最強の核兵器"ツァーリ・ボンバ"の破壊力」【核兵器】



●核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について


●原発・化石燃料発電→再生可能エネルギー発電の増加
【金子勝の言いたい放題】NO5 世界は電力タダの時代に エネ転が拓く経済転換(飯田哲也さんと) 20191230



核兵器、生物兵器、化学兵器廃絶!! 戦力不保持!!安倍政権打倒!!
どこの研究所で新型コロナウィルスが誕生したのだろうか??
●ニュース
戦争責任を取らぬまま、そのまま在位した昭和天皇、その後の天皇も日本の侵略戦争の謝罪をしていない!!
新型肺炎、帰国者に思いやりを 「特定の人避けるなど差別的行動は意味なし」

内閣府、「桜を見る会」資料を8カ月間隠す 「不明」と説明…実は19年5月に把握

パレスチナ議長、国連安保理で米の中東和平案巡り演説へ

カジノ国会論戦、“誘致”の横浜でイベントも



大竹まことゴールデンラジオ#金子勝 (文化放送 2020-01-24)




日本政府・自衛隊は情報を公開せよ!!(情報開示!!)
今年も8月12日がくる──。33年前 520人が犠牲になった日航機墜落、遺物の化学分析で判明した事実とは?

中曽根元総理が知る日航機墜落事故の真実とは?墓場まで発言の真意を調査!

ここの研究所は、どんなことをやっているのだろうか??
国立感染症研究所村山庁舎(武蔵村山)

●なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より
・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。
封印された原爆報告書



水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した!!
ビキニ「死の灰」世界各地へ



JCOの臨界事故


福島第1原発事故


核兵器廃絶

徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!

「731部隊・100部隊・毒ガス戦」パネル展 2019年4月29日~5月3日
「日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか 」 田中利幸さん
日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病



731部隊(unit731)


昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!



●読者から寄せられた記事


タイトル:
ロスチャイルドの犯罪とは、戦争がかれらの最も収益性の高い事業である事なのだ。
ホスト:KD106180012236.au-net.ne.jp
********************
その結果、確立された銀行機関の全ての従業員は、起訴と監視の影響を受けないのだ。
彼ら(ロスチャイルド)の力は、銀行帝国をはるかに超えているのだ。
5番目の階層は、通常の銀行と株式市場を保持している。
これらは、金利操作を伴う債務システムの行政部門を形成している。
ロスチャイルド家は,ナポレオンのウォータールー戦争以来、全ての戦争の背後にあった。
1815年のウォータールーの戦いでネイサンロスチャイルドがイングランドの購入と支払いの為に
株式市場を操作したのはその時である。
彼は又、彼らがそれ以来ずっとしてきた戦争の両側に資金を供給する事がいかに有益であるかを発見したのだ。



●横浜「戦争の加害展」感想


2月10日

6.原爆や、らち問題等、被害の歴史ばかりが強調されて戦前、戦中に日本国家及び軍部が行った中国、朝鮮、さらに沖縄等の非人間的な加害行為をあらためて、居間に生きる日本人として恥入る想いです。
二度とこのような時代を創らないためにも、今後共、このような企画を全国津々浦々に広げていただきたいと思います。(男性70代千葉県)

●映画「ひろしま」アンケート(1月13日 横浜)
( )は性別・年代・住まい・情報

10、実際の物を使って、よりリアリティーのある映画で素晴らしかったです。当時の環境で成り立っていて、現在では再現できなくて、唯一の映画だと思います。戦争を知らない子どもたちこそ、刺激が強いですが見て「平和とは何か」を考えてほしいと思いました。
(女性・10代・市外・朝日新聞)


●【真相】(unit731)
石井細菌戦部隊―極秘任務を遂行した隊員たちの証言
郡司陽子編(1982年11月30日初刷:徳間書店)
編者まえがき


Ⅰ ファインダーがとらえた地獄
―総務部調査課写真班 T・K

なるほど、作戦上は731部隊は、戦場にある野戦部隊だったかもしれない。だが、私には、特殊なものであれ、まごうことなく「職場」であった。いったい、どこに戦場があったというのか。
私を含めて、多くの隊員が、ここで結婚し、子供を産んだ。私は、隊員に子供が産まれると、記念写真を撮ってあげた。今も、その幾つかは、私の、色あせたアルバムに残っている。
隊員宿舎付近は東郷村と称していた。異郷辺土の広野に鉄骨住宅が並んで、東京の一角をすえたように見えた。ここには隊員・家族合わせて3000余人が住んでいた。主人が出勤すると、後は奥さんたちの天下で、隣近所でお茶を飲んだり、世間話をしたり、時にはお国自慢も出て、東郷村は平和そのものだった。






●日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より

第10章 残酷な人体実験毒ガス実験

「戦犯管理所」からの証言

平田日出雄及び柴田修蔵、黒瀬市夫も、1940年9月14日からの2週間に、第39師団工兵第233連隊が湖北当陽県当陽の西南高地において、捕虜を使って毒ガス実験を行った情況を証言している。
1、時期:1940年9月14日より2週間
2、地点:湖北当陽県当陽西南高地
3、毒ガス訓練の責任者:酒井中将
4、教官:第39師団工兵第39連隊隊長金原中佐
5、被訓練人員:第39師団第233連隊大隊長蓑毛少佐をはじめとする将校、下士官、兵卒及び第13師団並びに当陽駐留各部隊派遣人員計150人。
6、警戒兵力:1個大隊(機密保持任務担当)






●証言 人体実験(731部隊とその周辺)
中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳

河本大作供述書(1953年4月10日)
石井は太原に来てからも細菌関係の仕事を全面的に任されていたらしく、いつも出張に出かけて、ほとんど太原にいなかった。機密保持の為だろう。細菌に関することは、なんら聞かされなかった。
1944年の夏、石井は日本に呼び戻され、東京牛込区河田町にあった経理學校を改築して細菌戦の本部を作り、再び細菌戦に関する研究に従事した。このことは花谷参謀長のところから聞いた。




●『人間の価値』
―1918年から1945年までのドイツ医学
Ch.ブロス/G.アリ編
林 功三訳

後書きに代えて
アレクサンダー・ミッチャーリヒ/フレート・ミールケ
後書きに代えて
アレクサンダー・ミッチャーリヒ/フレート・ミールケ
過去の恐るべき行為が今静かな法廷で法廷で明らかにされているが、あの過去を本当に克服できるのは、破局の歴史的原因をさかのぼって究明できる者だけである。それが唯一我々にふさわしい客観性である。なぜなら、裁判官の判決がどのようなものになろうと、23人の被告だけを罪人として見、彼らを異常な性格の持ち主にみることは、まったく許されないことであろう。仮に彼らが、現実にそうであるよりも、個人的にもっと重要な人々であったとしても、この少数の人間だけであの巨大な危害を作り出せたわけではあるまい。我々は死と絶望と、嫌悪に満ちた人間蔑視の行為の記録者にならなければならない。我々の任務は、告発でもなければ、免罪でもなく、同時代史を伝達することである。我々は、我々の報告を大きな声をあげることなく、行おうと努めてきた。殺戮を行い、人を苦しめ、その上、あのような自己抑制の欠如によって支配をめざし、支配者の方法を編み出したのはドイツ人であるが、そのことに深刻な苦痛を感じたいから報告したわけではない。嫌悪と落胆と悲しみを忘れたいから報告したのでもない。そのことについての知識が今この地上のどの片隅にも届いている、この現実をまず身じろぎしないで、声を上げないで、受け止め、その重要さを全面的に理解することが必要だと考えるからこの報告をしたのである。
読者も、この医師たちのディレッタンティズムと権力意識、うぬぼれと従僕的屈従に驚くであろうが、その場合でも、早急な判断を控えて欲しい。このドキュメンテーションの読者は、今半ば過去のものとなっているものを、ありのままに理解し、現在化させることによって、我々すべてにかかわる真実に到達することができるであろう。


昨年2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)



●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作ってもいいのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!
日本の毒ガス

沖縄・南西諸島が軍事要塞化している現実はおかしくないか??
「琉球処分」から140 今の沖縄を考える

●「衛生学校記事」とはどんなものだろうか?
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?

次回 第23回『衛生学校記事』情報公開裁判
2020年2月4日(火)16:00~419法廷

金原節三氏が寄贈した資料が、衛生学校庁舎3階の彰古館に1982年に「金原節三コーナー」として展示された。
その2000点を超える資料はその後どうなったのであろうか?
防衛省の回答では、金原氏の目録と一致する資料は、今現在は641点だという。
しかし、それも一致するだけで、寄贈されたものではないという。
彰古館に勤めていた人(1996年から2013年)の聞き取りでは、彰古館では、きちんと整理していていなかったようである。
金原資料は、1995年に防衛庁戦史部に移管されたが、翌年また彰古館へ戻したという。
その時はすべてを戻したわけではなかったようだ。
2010年に、彰古館が学校庁舎3階から今の建屋になり、資料も移管されたが、金原資料の整理はきちんとされていないようだ。
金原資料の一部はあるようだが、その他の金原資料は、どこに保管しているのだろうか。
また、彰古館には旧軍資料しか置いていないともいう。本当に「衛生学校記事」や教範類は置いていないのだろうか?
次の裁判までに、勤めていた人の陳述書を防衛省側は出すという。防衛省が提出する資料は内輪の調査であり、本当にきちんと聴取しているのかが、疑問だ。憲法9条で戦力不保持を宣言しているのだから、情報公開に、制限を一方的にかけるのは、本当におかしいと思う。今の自衛隊の実情をきちんと国民に知らせるべきだ!!

●「化学学校記事」情報公開裁判
次回 2020年2月12日(水)11:30~ 東京地裁522号廷
1977年発行の化学学校発行の『20年のあゆみ』について、防衛省はマスキングに時間がかかるため、2か月後の提出は難しいかも知れないと述べた。
『20年のあゆみは』は1970年代だから、沖縄での、毒ガス漏洩事件や本土の相模原補給廠での毒ガスの問題がある中、毒ガスや核兵器に関する研究の記述もあるのだろう。それらをマスキングして公開しないというのは、日本の情報公開がいかに遅れているかと象徴している。防衛省は、化学学校記事16号の存在を認め、その間に自衛隊がどのような研究をしていたかを明らかにすべきだ。佐藤内閣時代に実際に核兵器を持とうとしていたのだから、自衛隊ではどんなことが研究をしていたかは、国民に広く知らせるべきである。ましてや日本は、広島、長崎、ビキニ、福一で甚大な被曝をしている国なのだから。
また、『化学学校記事』16号が存在するのだから、正直に防衛省はそれを認め、その他の全ての『化学学校記事」を公開すべきだ!!


1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊


第4代衛生学校長
『衛生学校記事』を発刊したときの、衛生学校長金原節三とはどんな人物なのだろうか?
金原節三(1901~1976)
陸軍省医事課長時代(1941.11~43.8)に731部隊から報告を受けていた。「陸軍省業務日誌摘録」
厚生省東海北陸医務出張所から衛生学校へ 1955.8.1

金原節三と細菌戦
金原の略歴を見ると、昭和16年11月に陸軍省医務局医事課長になっていて、17年に8月に軍医大佐になっている。
細菌戦資料センターの会報には、次のような記載がある。「陸軍省医務局医事課長だった金原節三元軍医大佐が、1955年に陸上自衛隊に入隊した。細菌戦部隊を指導していたのは、陸軍参謀本部、陸軍省医務局衛生課そして陸軍省医務局医事課である。金原は、「金原業務日誌摘録」に細菌戦部隊からの報告を記録している。


金原節三と武見太郎
金原と戦後日本医師会会長になり、医師会、薬剤師会、歯科医師会に大きな影響を及ぼした武見太郎は、軍隊内の先輩・後輩関係にあった。『金原節三資料目録』(陸上自衛隊衛生学校)の巻頭言は、日本医師会長武見太郎が書いている。

『BC兵器』 久保綾三著(1969年)より


Ⅱ 自衛隊と生物・化学兵器―その思想と作戦

2、研究開発と自衛官の入学拒否

自衛官の入学 研究発表の拒否
一般大学や大学院からの自衛隊員締め出しが問題になったが、このことは自衛隊の生物・化学作戦にも大きく関わり合いを持っている。
自衛隊の大学入学には、大別して2つのケースがある。1つは自衛隊員がその身分のまま全く個人の向学心から大学に入学するというもので、主として夜間部(2部)や通信教育部の自衛隊員学生たちである。これに対して防衛庁が自衛隊員を「任務」として大学や大学院などへ派遣する制度がある。





第5代衛生学校長
井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身
1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】
第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を転任になり、その後を井上が引き継いだ。
井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。
又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。
南方軍防疫給水部(岡9420部隊)





イタイイタイ病を究明した男 萩野昇

驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く

水俣病問題

小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去

小泉親彦と宮川米次の絆

ヒロシマからフクシマへ

宮川正

「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—

ビキニ「死の灰」世界各地へ

自衛隊とサリン

相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場

日本の国家機密

兒嶋俊郎さんを偲ぶ



●昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!!
天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より
重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。


●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)吉田裕監修 2001年ピュリッツァー賞受賞

※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!



第11章 真珠湾への道



当時、近衛は、日本を助けるどころか窒息させようとするアメリカ大統領との頂上会談のことではなく、辞任を考えていた。9月26日、近衛は、9月6日に決定して最終期限が間近となるなか、木戸内大臣に、もし軍部が10月中旬に開戦の決定をするならば、自分は進退を考えると苦衷を訴えた。

小泉親彦と昭和天皇

近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~

近代天皇制の真髄は

福沢諭吉

神武と戦争




憲法9条を生かそう!!

















2020年1月29日水曜日

細菌戦の系譜!!


パネル展「日中戦争ーその実相に迫る!
知っていますか?「731部隊」
情報公開裁判「化学学校記事」「衛生学校記事」
小林開さん 映画「ひろしま」を語る!!
核なき世界へ 映画「ひろしま」
ABC企画委員会パネル展2019中野
第5回三多摩平和交流会2019
南方軍防疫給水部の記録を探し求めて(リム・シャオピンさん)
小津安二郎と宮柊二と毒ガス戦
天皇制廃止に向けての第一歩:雲上人を人間化する運動を!
京都大学に対する第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求める活動
平沢正欣論文を検証する(人体実験は行われたか?)
武蔵村山の国立感染症研究所問題!!
731部隊・100部隊展




核なき未来へ(森川聖詩)



日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?
地球の温暖化や異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??
●『二酸化炭素温暖化説の崩壊』広瀬隆(集英社新書)
奇々怪々の現代

日本人全体が、この「考えない葦」メディアと政治家の為、無知という名の島に置き去りにされている。インターネットは、本当に発達したのか。インターネット辞書として多用されているWikipediaが、CO₂温暖化説の広告塔だったことも、現在では強く批判を浴びている。地球科学の事実を知るために、大半の読者はインターネットが必要だと思っているだろうが、それも思い違いであることを、過去の資料から実証してゆこう。


●核実験(ウキペディアより)
若くして白血病で亡くなった有名女優、有名歌手、また五輪候選手だったスイマーが白血病になったのは、放射能の影響ではないのか?
月の砂漠の犠牲者 夏目雅子と本田美奈子

核実験(かくじっけん,英語:Nuclear weapons testing)とは、核爆弾の新たな開発や性能維持を確認したり、維持技術を確立したりするために、実験的に核爆弾を爆発させることを指す。1945年から約半世紀の間に2379回(その内大気圏内は502回)の核実験が各国で行われた。そのエネルギーはTNT換算で530メガトン(大気圏内は440メガトン)でこれは広島へ投下されたリトルボーイの3万5千発以上に相当する。

朝鮮民主主義人民共和国
詳細は「北朝鮮の核実験 (2006年)」、「北朝鮮の核実験 (2009年)」、「北朝鮮の核実験 (2013年)」、「北朝鮮の核実験 (2016年1月)」、「北朝鮮の核実験 (2016年9月)」、および「北朝鮮の核実験 (2017年)」を参照
・1986年3月、アメリカの偵察衛星が北朝鮮の核施設のある寧辺を撮影、高性能爆発実験の痕跡を示す幾つかの円筒状のクレーターを発見。
・2006年10月9日 咸鏡北道吉州郡豊渓里で初の核実験。
・2009年5月25日 咸鏡北道吉州郡豊渓里で2回目の核実験。
・2013年2月12日 咸鏡北道吉州郡豊渓里で3回目の核実験。
・2016年1月6日 咸鏡北道吉州郡豊渓里で初の水爆実験。しかしこの実験の水素爆弾というのは疑わしい見方も多い。
・2016年9月9日 5回目の核実験。
・2017年9月3日 6回目の核実験。北朝鮮は「水爆実験」と主張している。


水素爆弾の恐怖・ビキニ環礁 (アメリカ)


「北朝鮮の核実験の威力」と「史上最強の核兵器"ツァーリ・ボンバ"の破壊力」【核兵器】



●核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について


●原発・化石燃料発電→再生可能エネルギー発電の増加
【金子勝の言いたい放題】NO5 世界は電力タダの時代に エネ転が拓く経済転換(飯田哲也さんと) 20191230



核兵器、生物兵器、化学兵器廃絶!! 戦力不保持!!安倍政権打倒!!
どこの研究所で新型コロナウィルスが誕生したのだろうか??
●ニュース
戦争責任を取らぬまま、そのまま在位した昭和天皇、その後の天皇も日本の侵略戦争の謝罪をしていない!!
搭乗全員が日本国籍で発症者いないと外務省


昭恵夫人の招待者推薦どのようなルートで?

【音声入手】河井案里議員が選対スタッフに“口裏合わせ”要求 秘書を自宅に行かせ、「弁護士に連絡して」〈週刊朝日〉


田原総一朗「疑惑国会ゼロ回答の安倍首相 自民党から総辞職の声を」〈週刊朝日〉

リニア大井川問題、国専門家会議受け入れへ 新設提案に条件付きで調整 知事会見

「桜」名簿廃棄記録開示しないのは「国家機密漏えいの危険増すから」 菅氏、国会で

自衛隊が「領海侵犯やテロ」に対抗しにくい根因

伊方原発 運転できない状態が長期化か 四電 異議当面見送り

弾劾裁判ではっきりした「トランプこそ腐っている!」

大竹まことゴールデンラジオ#金子勝 (文化放送 2020-01-24)




日本政府・自衛隊は情報を公開せよ!!(情報開示!!)
今年も8月12日がくる──。33年前 520人が犠牲になった日航機墜落、遺物の化学分析で判明した事実とは?

中曽根元総理が知る日航機墜落事故の真実とは?墓場まで発言の真意を調査!

ここの研究所は、どんなことをやっているのだろうか??
国立感染症研究所村山庁舎(武蔵村山)

●なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より
・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。
封印された原爆報告書



水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した!!
ビキニ「死の灰」世界各地へ



JCOの臨界事故


福島第1原発事故


核兵器廃絶

徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!

「731部隊・100部隊・毒ガス戦」パネル展 2019年4月29日~5月3日
「日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか 」 田中利幸さん
日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病



731部隊(unit731)


昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!



●読者から寄せられた記事


タイトル:
ロスチャイルドの犯罪とは、戦争がかれらの最も収益性の高い事業である事なのだ。
ホスト:KD106180012236.au-net.ne.jp
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ほんの数例の列挙だが、
ロンドン市のイングランド中央銀行
ローマのバチカン銀行
ワシントンDCの連邦準備銀行
及び欧州中央銀行(フランクフルトam/MのECB)
である。
ロンドンの中央銀行は金の価格を毎日操作しているのだ。
ロンドン市、ローマのバチカン市国、ワシントンDCは文字通り全ての人々から免責を保証する為に
自由国家として認められている。



●横浜「戦争の加害展」感想


2月10日

5.戦争が起こってしまえば、虐殺も慰安婦も出てしまうのが残念ながら普通のことなのだから、戦争をやっちゃいけないと思っています。
「なかった」など平然と言えるやつは、何か利害を持っている者なのか、、、。
松代地下大本営は40年ほども前に、中に入ってみたことがあります。朝鮮語と思われる文が洞窟の壁に残っているのも見て来ました。
AがK学園でそんな大きな奥の目的を達成させようとしているなんて、Aにそんな頭脳はないと思っていますが、Aのジイサマがそれを考えていたという記録があるのなら、Aも考えてしまうかもしれませんね。Aとその仲間はなぜこうも庶民をないがしろにできるのか、全く理解できないし、そのまわりの党所属者もそろそろ「おかしいっ!」と言い出すのがいっぱい出てこないのかな、と不思議です。
官僚が自分の将来を考えて動くのはちょっとわかったりしますが、正義感など表せないのはとても残念だし勤勉だし、思い込んでいた日本全体が不正とウソのかたまりだったとわかってきたのはものすごくショックです。老後は外国で暮らしたいと思うく

●映画「ひろしま」アンケート(1月13日 横浜)
( )は性別・年代・住まい・情報

9、NHKでこの作品を知りました。「原爆の子」のことは知っていましたが、この作品のことは知りませんでした。デジタルリマスターされ、観るkとができたことはとても幸運でした。ありがとうございました。多くの関わってきた方に感謝したいです。たくさんの苦労があったでしょう。一人一人の思いの強さを感じます。生存者・体験者がどんどんいなくなってしまう今だからできることを、次の世代へ伝えなければならないことはたくさんあるはずです。平和への願いをさらに強くしました。
★要望
昼の部に来ました。その部では入れませんでした。会場をあとにしてもエレベーターやロビーなどにたくさんの方々がいらっしゃいました。上映の機会が増えるといいと思いました。
(女性・50代・市外・朝日新聞)


●【真相】(unit731)
石井細菌戦部隊―極秘任務を遂行した隊員たちの証言
郡司陽子編(1982年11月30日初刷:徳間書店)
編者まえがき


Ⅰ ファインダーがとらえた地獄
―総務部調査課写真班 T・K

 ノモンハン事件には、石井部隊からも出動した。石井部隊長も前線に出た。制空権は、イ16型戦闘機を投入したソ連側にあった。劣勢の日本空軍の中で、篠原中尉機の活躍は目を見張るものがあった。単機よく敵18機を撃墜し、その際、自らも撃墜されて壮烈な戦死を遂げた。石井部隊長は、この篠原中尉機の焼け焦げたエンジンやその他の部品を集めて、部隊本部1棟2階にある特別標本陳列室に展示し、その戦功を称えていた。実験に使われた人体標本のずらりと並んでいる標本室に、篠原機の残骸が、いかにも場違いな感じで置かれていたのが、印象的だった。
 こうして、私は、次第に731部隊を「職場」とし、「丸太」を「材料」とみなすことに慣れていったように思う。少なくとも、意識的には、そうだった。
 だからこそ、私たちは、平房の731部隊の本部にいても、「生活」を営むことができたのだ。






●日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より

第10章 残酷な人体実験毒ガス実験

「戦犯管理所」からの証言

 1954年、当時中国の戦犯管理所にいた日本軍第39師団の軍人が、その部隊の行った人体毒ガス実験を暴露した。平田日出雄は次のように認めている。
「1940年5月から9月にかけて、39師団233連隊第5中隊は、湖北省当楊県から南西3㎞のところにある丘陵地帯において、持久性、糜爛性、催涙性毒ガス及びガス榴弾の効力を試すために、金原大佐の命令のもとで演習を行った。当時、私は訓練生としてその演習に参加した。捕まえて来た捕虜を丸裸にして、他の兵士と一緒に、彼の顔に糜爛性ガスを散布したのである。その結果、3名の抗日軍捕虜は上半身がすっかりただれ、直ちに日本兵某によって銃殺された。またある時は、2度にわたって80名の抗日軍捕虜の手足を縛り、連絡壕や2つのトーチカに投げ込んだ後、12門の迫撃砲と1門の野砲で、1㎞の所からガス弾や榴弾を発射し、この80名の捕虜を1度にまとめて殺した。(『細菌戦と毒ガス戦』592頁)







●証言 人体実験(731部隊とその周辺)
中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳

河本大作供述書(1953年4月10日)
石井四郎はもともと細菌学者で、陸軍中佐だったときに濾水器を発明した。(日中事変の期間)揚子江一帯の部隊はみな、作戦期間中この濾水器を携帯した。あとで聞いたところでは、石井は濾水器を普及させるため参謀本部で宣伝活動を行ったことがあり、参謀たちを集合させたうえ、濾水器で参謀本部前にあった池の水を濾過し、その場で飲んで見せて、十分に濾過すれば細菌は無くなると説明した。




●『人間の価値』
―1918年から1945年までのドイツ医学
Ch.ブロス/G.アリ編
林 功三訳

後書きに代えて
アレクサンダー・ミッチャーリヒ/フレート・ミールケ
恐ろしい行為があのように日常性を規定し、化け物じみた思想が現実生活の指針となったが、そうなるまでに、あの宿命的な歴史の流れはさまざまな源泉を持っていたに違いない。医者たちは、彼らの攻撃的な真理追求と独裁のイデオロギーとの二つの発展が交錯する点にたったとき、はじめて公認の殺戮者・公的に任命された拷問吏になったのである。人間を『症例』としてみるか、腕に入れ墨された番号としてみるかは、彼らにとってほとんどどちらでもいいことだった。残酷的な時代を示す二重の無表情がそこにみられる。この裁判では絶えず高い学問的レベルの男たちの名前が出てくるが、それはなぜか。彼らは直接的には刑事罰的行為をしていないかもしれない。しかし、彼らは、客観的には、無防備の人間に加えられた残酷な運命に肯定的な関心を抱いていた。なぜだろうか。学問の実践と政治の間に、ある種の秘かな一致があったからこそである。深刻な非人間性がずっと以前から準備されていたのだ。これは、現代の錬金術であり、主体の客観への転換、人間の、抑制も知らぬ破壊本能が発揮される事物への転換である。


昨年2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)



●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作ってもいいのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!
日本の毒ガス

沖縄・南西諸島が軍事要塞化している現実はおかしくないか??
「琉球処分」から140 今の沖縄を考える

●「衛生学校記事」とはどんなものだろうか?
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?

次回 第23回『衛生学校記事』情報公開裁判
2020年2月4日(火)16:00~419法廷

金原節三氏が寄贈した資料が、衛生学校庁舎3階の彰古館に1982年に「金原節三コーナー」として展示された。
その2000点を超える資料はその後どうなったのであろうか?
防衛省の回答では、金原氏の目録と一致する資料は、今現在は641点だという。
しかし、それも一致するだけで、寄贈されたものではないという。
彰古館に勤めていた人(1996年から2013年)の聞き取りでは、彰古館では、きちんと整理していていなかったようである。
金原資料は、1995年に防衛庁戦史部に移管されたが、翌年また彰古館へ戻したという。
その時はすべてを戻したわけではなかったようだ。
2010年に、彰古館が学校庁舎3階から今の建屋になり、資料も移管されたが、金原資料の整理はきちんとされていないようだ。
金原資料の一部はあるようだが、その他の金原資料は、どこに保管しているのだろうか。
また、彰古館には旧軍資料しか置いていないともいう。本当に「衛生学校記事」や教範類は置いていないのだろうか?
次の裁判までに、勤めていた人の陳述書を防衛省側は出すという。防衛省が提出する資料は内輪の調査であり、本当にきちんと聴取しているのかが、疑問だ。憲法9条で戦力不保持を宣言しているのだから、情報公開に、制限を一方的にかけるのは、本当におかしいと思う。今の自衛隊の実情をきちんと国民に知らせるべきだ!!

●「化学学校記事」情報公開裁判
次回 2020年2月12日(水)11:30~ 東京地裁522号廷
1977年発行の化学学校発行の『20年のあゆみ』について、防衛省はマスキングに時間がかかるため、2か月後の提出は難しいかも知れないと述べた。
『20年のあゆみは』は1970年代だから、沖縄での、毒ガス漏洩事件や本土の相模原補給廠での毒ガスの問題がある中、毒ガスや核兵器に関する研究の記述もあるのだろう。それらをマスキングして公開しないというのは、日本の情報公開がいかに遅れているかと象徴している。防衛省は、化学学校記事16号の存在を認め、その間に自衛隊がどのような研究をしていたかを明らかにすべきだ。佐藤内閣時代に実際に核兵器を持とうとしていたのだから、自衛隊ではどんなことが研究をしていたかは、国民に広く知らせるべきである。ましてや日本は、広島、長崎、ビキニ、福一で甚大な被曝をしている国なのだから。
また、『化学学校記事』16号が存在するのだから、正直に防衛省はそれを認め、その他の全ての『化学学校記事」を公開すべきだ!!


1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊


第4代衛生学校長
『衛生学校記事』を発刊したときの、衛生学校長金原節三とはどんな人物なのだろうか?
金原節三(1901~1976)
陸軍省医事課長時代(1941.11~43.8)に731部隊から報告を受けていた。「陸軍省業務日誌摘録」
厚生省東海北陸医務出張所から衛生学校へ 1955.8.1

金原節三と細菌戦
金原の略歴を見ると、昭和16年11月に陸軍省医務局医事課長になっていて、17年に8月に軍医大佐になっている。
細菌戦資料センターの会報には、次のような記載がある。「陸軍省医務局医事課長だった金原節三元軍医大佐が、1955年に陸上自衛隊に入隊した。細菌戦部隊を指導していたのは、陸軍参謀本部、陸軍省医務局衛生課そして陸軍省医務局医事課である。金原は、「金原業務日誌摘録」に細菌戦部隊からの報告を記録している。


金原節三と武見太郎
金原と戦後日本医師会会長になり、医師会、薬剤師会、歯科医師会に大きな影響を及ぼした武見太郎は、軍隊内の先輩・後輩関係にあった。『金原節三資料目録』(陸上自衛隊衛生学校)の巻頭言は、日本医師会長武見太郎が書いている。

『BC兵器』 久保綾三著(1969年)より


Ⅱ 自衛隊と生物・化学兵器―その思想と作戦

1、自衛隊の装備・訓練を探る

装備・訓練の実体は

M25A1型CN内乱鎮圧用手榴弾
〔応急手当〕
M’7A1型擲弾に対する応急手当処置と同じである。

不戦屈敵戦略

(新型コロナウィルスのそうだろうか?)
吉田大桂司陸上自衛隊化学学校長は『化学学校記事』の中でいみじくもこのことを認めているのである。「強大な軍事力を保有し、その威嚇、脅迫のみによって政治目的を達成することができれば、極めて有利であることは申すまでもない。
特殊武器の出現は、このようなことを可能ならしめるに至った。即ち、その驚異的な威力を国力の策源である国民に対し単に誇示することのみによって、その意志の屈上を余儀なくさせることを可能ならしめたのである。この場合、もし、相手国及び国民に防護準備や防護手段が無いとすればそれには屈上の道を選ぶしか方法が無いということになろう」(68年7月第13号)と彼は書いている。



第5代衛生学校長
井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身
1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】
第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を転任になり、その後を井上が引き継いだ。
井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。
又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。
南方軍防疫給水部(岡9420部隊)





イタイイタイ病を究明した男 萩野昇

驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く

水俣病問題

小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去

小泉親彦と宮川米次の絆

ヒロシマからフクシマへ

宮川正

「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—

ビキニ「死の灰」世界各地へ

自衛隊とサリン

相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場

日本の国家機密

兒嶋俊郎さんを偲ぶ



●昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!!
天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より
重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。


●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)吉田裕監修 2001年ピュリッツァー賞受賞

※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!



第11章 真珠湾への道



近衛は外交による打開を望んでいたが、しかし、たとえルーズベルトと会談をしても何ら得ることもなく、戦争が始まるものではないかと懸念していた。山本五十六は、日本の戦争決意を悟られないようにすることを示唆していた。「然し若し希望を言えば洋上会談が仮令(たとい)決裂することとなるも尻を捲ることをせず白黒をはっきり言わず一抹の余裕を残して帰って貰いたし、然らば艦隊はその瞬間より行動を開始すべし」。

小泉親彦と昭和天皇

近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~

近代天皇制の真髄は

福沢諭吉

神武と戦争




憲法9条を生かそう!!

















2020年1月28日火曜日

細菌戦の系譜!!


パネル展「日中戦争ーその実相に迫る!
知っていますか?「731部隊」
情報公開裁判「化学学校記事」「衛生学校記事」
小林開さん 映画「ひろしま」を語る!!
核なき世界へ 映画「ひろしま」
ABC企画委員会パネル展2019中野
第5回三多摩平和交流会2019
南方軍防疫給水部の記録を探し求めて(リム・シャオピンさん)
小津安二郎と宮柊二と毒ガス戦
天皇制廃止に向けての第一歩:雲上人を人間化する運動を!
京都大学に対する第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求める活動
平沢正欣論文を検証する(人体実験は行われたか?)
武蔵村山の国立感染症研究所問題!!
731部隊・100部隊展




核なき未来へ(森川聖詩)



日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?
地球の温暖化や異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??
●『二酸化炭素温暖化説の崩壊』広瀬隆(集英社新書)
奇々怪々の現代

滑稽なのは、世紀のスキャンダルに口をつぐんで、「明日のエコでは遅すぎる」と繰り返すNHKを筆頭とする日本のメディアの知性である。彼らが「地球を愛していない」偽善者であることだけは断言できる。民主党内閣が、温室効果ガス削減を謳って、地球温暖化対策基本法の制定に向かって動き出し、大量の排熱を出す原発の増設に猛進しようとしてきた。この内閣の知性が世界中で失笑を買った通り、日本は孤高となっているのだ。


●核実験(ウキペディアより)
若くして白血病で亡くなった有名女優、有名歌手、また五輪候選手だったスイマーが白血病になったのは、放射能の影響ではないのか?
月の砂漠の犠牲者 夏目雅子と本田美奈子

核実験(かくじっけん,英語:Nuclear weapons testing)とは、核爆弾の新たな開発や性能維持を確認したり、維持技術を確立したりするために、実験的に核爆弾を爆発させることを指す。1945年から約半世紀の間に2379回(その内大気圏内は502回)の核実験が各国で行われた。そのエネルギーはTNT換算で530メガトン(大気圏内は440メガトン)でこれは広島へ投下されたリトルボーイの3万5千発以上に相当する。

パキスタン
詳細は「パキスタンの核実験 (1998年)」を参照
・1998年5月28日・30日 チャガイで初の原爆実験。5月30日の原爆実験はプルトニウム型である事が判明しており、北朝鮮の代理核実験である可能性が高い。


水素爆弾の恐怖・ビキニ環礁 (アメリカ)


「北朝鮮の核実験の威力」と「史上最強の核兵器"ツァーリ・ボンバ"の破壊力」【核兵器】



●核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について


●原発・化石燃料発電→再生可能エネルギー発電の増加
【金子勝の言いたい放題】NO5 世界は電力タダの時代に エネ転が拓く経済転換(飯田哲也さんと) 20191230



核兵器、生物兵器、化学兵器廃絶!! 戦力不保持!!安倍政権打倒!!
●ニュース
戦争責任を取らぬまま、そのまま在位した昭和天皇、その後の天皇も日本の侵略戦争の謝罪をしていない!!
新型肺炎、中国で死者100人突破 患者4000人超 WHOトップも北京に

安倍総理「問題ない」河井案里議員に1億5000万円

集中審議~野党は「桜が散っても桜で行く」

「あまりにもひどい」 聖マリアンナ医科大の入試不正を“受験の現場”はどう見るか (1/2)



大竹まことゴールデンラジオ#金子勝 (文化放送 2020-01-24)




日本政府・自衛隊は情報を公開せよ!!(情報開示!!)
今年も8月12日がくる──。33年前 520人が犠牲になった日航機墜落、遺物の化学分析で判明した事実とは?

中曽根元総理が知る日航機墜落事故の真実とは?墓場まで発言の真意を調査!


国立感染症研究所村山庁舎(武蔵村山)

●なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より
・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。
封印された原爆報告書



水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した!!
ビキニ「死の灰」世界各地へ



JCOの臨界事故


福島第1原発事故


核兵器廃絶

徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!

「731部隊・100部隊・毒ガス戦」パネル展 2019年4月29日~5月3日
「日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか 」 田中利幸さん
日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病



731部隊(unit731)


昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!



●読者から寄せられた記事


タイトル:
ロスチャイルドの犯罪とは、戦争がかれらの最も収益性の高い事業である事なのだ。
ホスト:KD106180012236.au-net.ne.jp
********************
彼らは、子供の性的人身売買、臓器採取、小児性愛等の様々な活動を通じてこれらの国の首長を脅迫し、全ての国が金融システムの絶望的な奴隷として完全に統合されている事を確認しているのだ。
地球上の全ての国に融資を提供する2つのメガバンクに世界銀行とIMFがある。
1つ目は世界のトップバンキングファミリーが共同で所有しており、ロスチャイルドが最上位の株主であり、2つ目はロスチャイルドだけが個人所有している。
これら2つのメガバンクは「開発途上国」に融資を提供し、ほとんど返済不可能な利益を活用して
土地、鉱物資源、貴金属などの本当の富を手に入れているのだ。
以下で説明する4番目の階層は、ほぼ全てがロスチャイルド家によって所有されている世界の中央銀行である。



●横浜「戦争の加害展」感想


2月10日

4.悲しい事です。(男性60代市内)

●映画「ひろしま」アンケート(1月13日 横浜)
( )は性別・年代・住まい・情報

8、観ることが出来、本当に良かったです。どんどん広まる事を願っています。小学生の頃、原爆の写真集を恐ろしくて見られませんでした。70代になりましたが、今9条を変えようとしている現政府を思うと、この映画がどんどん広まる事を心から願っています。
(女性・70代・市内・朝日新聞)


●【真相】(unit731)
石井細菌戦部隊―極秘任務を遂行した隊員たちの証言
郡司陽子編(1982年11月30日初刷:徳間書店)
編者まえがき


Ⅰ ファインダーがとらえた地獄
―総務部調査課写真班 T・K


そして、私は、ノモンハン事変に出動した時のことを思い浮かべる。あの時は、私は、まだ衛生兵だった。私たちの任務は、ソ連軍の使用したイペリット毒ガスによる負傷者の護送と手当てだった。

新京陸軍病院には、ノモンハン事件による多くの負傷者が収容された(直接ノモンハン事件による捕虜かどうかはっきりしないが、ソ連軍の将校も収容されていた)。窒息性や催涙性の毒ガスと違って、イペリット毒ガスは、本人が、いつ、どこで攻撃されたか分からないうちにやられてしまう、恐ろしいものだった。この糜爛性(びらんせい)毒ガスにやられると、防毒面が支給されていても、全く役に立たない。運よく助かっても、水泡を生じ、やがてひどい火傷状態になり、大きなケロイドが残る。
したがって敵の細菌兵器による攻撃から身を守る云々、という説明は、私には、受け入れやすいものだったのだ。

※ソ連軍の将校が、ソ連軍の使った毒ガスを浴びて、入院していた?日本軍が毒ガスを使ったので、ソ連の将校が毒ガスの被害に遭ったのではないか。





●日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より

第10章 残酷な人体実験毒ガス実験

「戦犯管理所」からの証言

重視すべきは、日本側が何度も逃げ隠してきた化学兵器・細菌兵器使用問題について、戦犯たちが行った証言である。こうした証言が事情を知る者の口から出て来たことで、特に説得力を有するのだ。彼らの証言によって、日本側が絶対に認めようとしなかった化学兵器使用問題が、ついに太陽の光に照らされた氷山のように融け始めたのである。あるいは、堅い砦が攻め破られ始めた、といってもいい。







●証言 人体実験(731部隊とその周辺)
中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳

河本大作供述書(1953年4月10日)
問:山西で細菌兵器を製造した機関の名称は何と言うか。どこで製造したのか。
答:知らない。
問:山西派遣軍(北支那方面軍第1軍)軍医部長の石井四郎とどんな関係だったか。
答:関係はない。1943年11月、軍参謀長の花谷正に招待されて、一緒に太原亭(海子辺公園の池の南側)で食事をしたことがあるだけだ。
問:彼は何をしていたか知っているか。
答:知っている。
問:では、彼がどんなことをしたかを述べよ。
答:彼は日本の細菌戦研究の大御所である。満洲ハルピンの西部と東部に特殊機関を置いて、細菌戦の研究に従事した。飛行機2機を持ち、飛行機を使用して細菌弾投下の研究を行った。又カメラを携帯し、必要な写真を撮影して研究上の資料を収集した。





●『人間の価値』
―1918年から1945年までのドイツ医学
Ch.ブロス/G.アリ編
林 功三訳

後書きに代えて
アレクサンダー・ミッチャーリヒ/フレート・ミールケ
人間の相互関係の冷却は想像を絶するほど大きく、気候変動にも似た宇宙的規模になっている。この冷却が医師をも包み込んでいることは衝撃的である。医師という職業の前提であったものが、突然、医師にとっての不幸になってしまった。医師は人を助けようとするが、助けることができるためには知らなければならない。事柄をその根元においてとらえなければならない。真理を認識しなければならない。「真理を具現する文化の根は」とカイザーリングはいっている。「根元的な攻撃性に、新しい生活空間を征服して、そこから他者を排除しようとする根元的な生の衝動にある。いわゆる学問的真理がいわゆる宗教的誤謬に代わろうとするとき、まさにその衝動が現れる。」こうゆう衝動がヨーロッパ的特徴であるのかどうかはわからないが、少なくとも我が国ではこの言葉は、本当の事実関係を言い表している。個人が集団的に固定化された世界から強力に自己を際立たせようとすればするほど、個人は個性的質を失う。個人は、学問によって、個人を離れた力に、ついには非人間的な力に起源を求めるようになる。そしてやがては、あのよく知られた、無表情な存在だけが残る。これがわたしたちの歴史の決算の謎である。 


昨年2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)



●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作ってもいいのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!
日本の毒ガス

沖縄・南西諸島が軍事要塞化している現実はおかしくないか??
「琉球処分」から140 今の沖縄を考える

●「衛生学校記事」とはどんなものだろうか?
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?

次回 第23回『衛生学校記事』情報公開裁判
2020年2月4日(火)16:00~419法廷

金原節三氏が寄贈した資料が、衛生学校庁舎3階の彰古館に1982年に「金原節三コーナー」として展示された。
その2000点を超える資料はその後どうなったのであろうか?
防衛省の回答では、金原氏の目録と一致する資料は、今現在は641点だという。
しかし、それも一致するだけで、寄贈されたものではないという。
彰古館に勤めていた人(1996年から2013年)の聞き取りでは、彰古館では、きちんと整理していていなかったようである。
金原資料は、1995年に防衛庁戦史部に移管されたが、翌年また彰古館へ戻したという。
その時はすべてを戻したわけではなかったようだ。
2010年に、彰古館が学校庁舎3階から今の建屋になり、資料も移管されたが、金原資料の整理はきちんとされていないようだ。
金原資料の一部はあるようだが、その他の金原資料は、どこに保管しているのだろうか。
また、彰古館には旧軍資料しか置いていないともいう。本当に「衛生学校記事」や教範類は置いていないのだろうか?
次の裁判までに、勤めていた人の陳述書を防衛省側は出すという。防衛省が提出する資料は内輪の調査であり、本当にきちんと聴取しているのかが、疑問だ。憲法9条で戦力不保持を宣言しているのだから、情報公開に、制限を一方的にかけるのは、本当におかしいと思う。今の自衛隊の実情をきちんと国民に知らせるべきだ!!

●「化学学校記事」情報公開裁判
次回 2020年2月12日(水)11:30~ 東京地裁522号廷
1977年発行の化学学校発行の『20年のあゆみ』について、防衛省はマスキングに時間がかかるため、2か月後の提出は難しいかも知れないと述べた。
『20年のあゆみは』は1970年代だから、沖縄での、毒ガス漏洩事件や本土の相模原補給廠での毒ガスの問題がある中、毒ガスや核兵器に関する研究の記述もあるのだろう。それらをマスキングして公開しないというのは、日本の情報公開がいかに遅れているかと象徴している。防衛省は、化学学校記事16号の存在を認め、その間に自衛隊がどのような研究をしていたかを明らかにすべきだ。佐藤内閣時代に実際に核兵器を持とうとしていたのだから、自衛隊ではどんなことが研究をしていたかは、国民に広く知らせるべきである。ましてや日本は、広島、長崎、ビキニ、福一で甚大な被曝をしている国なのだから。
また、『化学学校記事』16号が存在するのだから、正直に防衛省はそれを認め、その他の全ての『化学学校記事」を公開すべきだ!!


1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊


第4代衛生学校長
『衛生学校記事』を発刊したときの、衛生学校長金原節三とはどんな人物なのだろうか?
金原節三(1901~1976)
陸軍省医事課長時代(1941.11~43.8)に731部隊から報告を受けていた。「陸軍省業務日誌摘録」
厚生省東海北陸医務出張所から衛生学校へ 1955.8.1

金原節三と細菌戦
金原の略歴を見ると、昭和16年11月に陸軍省医務局医事課長になっていて、17年に8月に軍医大佐になっている。
細菌戦資料センターの会報には、次のような記載がある。「陸軍省医務局医事課長だった金原節三元軍医大佐が、1955年に陸上自衛隊に入隊した。細菌戦部隊を指導していたのは、陸軍参謀本部、陸軍省医務局衛生課そして陸軍省医務局医事課である。金原は、「金原業務日誌摘録」に細菌戦部隊からの報告を記録している。


金原節三と武見太郎
金原と戦後日本医師会会長になり、医師会、薬剤師会、歯科医師会に大きな影響を及ぼした武見太郎は、軍隊内の先輩・後輩関係にあった。『金原節三資料目録』(陸上自衛隊衛生学校)の巻頭言は、日本医師会長武見太郎が書いている。

『BC兵器』 久保綾三著(1969年)より


Ⅱ 自衛隊と生物・化学兵器―その思想と作戦

1、自衛隊の装備・訓練を探る

装備・訓練の実体は

M25A1型CN内乱鎮圧用手榴弾
〔応急手当〕
M’7A1型擲弾に対する応急手当処置と同じである。

不戦屈敵戦略

特殊武器の出現は、このようなことを可能ならしめるに至った。即ち、その脅威的な威力を国力の策源である国民に対し単に誇示することのみによって、その意志の屈上を余儀なくさせることを可能ならしめたのである。この場合、もし相手国及び国民に防護準備や防護手段がないとすればそれには屈上の道を選ぶしか方法がないということになろう」(68年7月第13号)と彼は書いている。



第5代衛生学校長
井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身
1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】
第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を転任になり、その後を井上が引き継いだ。
井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。
又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。
南方軍防疫給水部(岡9420部隊)





イタイイタイ病を究明した男 萩野昇

驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く

水俣病問題

小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去

小泉親彦と宮川米次の絆

ヒロシマからフクシマへ

宮川正

「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—

ビキニ「死の灰」世界各地へ

自衛隊とサリン

相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場

日本の国家機密

兒嶋俊郎さんを偲ぶ



●昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!!
天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より
重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。


●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)吉田裕監修 2001年ピュリッツァー賞受賞

※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!



第11章 真珠湾への道



山本はとりわけ飛行機、潜水艦を重視して全艦隊を投入し、速戦即決の土壇場の戦いを強行するために、なしうるかぎりのことをするつもりだった。この緒戦に勝てば、長期におよぶ消耗戦を避けることができるが、緒戦に勝てなかったとしても、やはり勝つ。落ち込んだ首相を励まそうとしたこのトップレベル会談で、両者ともに近衛衛とルーズベルトによる洋上会談が実現する可能性を依然、信じているようだった。

小泉親彦と昭和天皇

近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~

近代天皇制の真髄は

福沢諭吉

神武と戦争




憲法9条を生かそう!!

















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