2019年1月29日火曜日

細菌戦の系譜!!

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第20回『衛生学校記事』情報公開裁判
細菌戦部隊(731部隊と100部隊)パネル展を開催しませんか?
NO MORE 化学兵器
帝銀事件と登戸研究所
石垣島の自衛隊!!
カネミ油症問題
第20回『衛生学校記事』情報公開裁判
第11回『化学学校記事』情報公開裁判
731部隊『留守名簿』(不二出版)2018年9月
京大 軍医博士論文の検証
731部隊『留守名簿』公開
ある元自衛官の回想 「化学学校の黒い霧」
731部隊と「要塞」遺跡を訪ねる

日本は、あの侵略戦争を反省して、憲法9条を作った!!
平和条約締結は「日本が大戦の結果認めること」 露外相
●日本国憲法第9条
1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

日本の政治の常道
・まずい事は隠す!!(=あったことを無かったことにする、=データ改ざんは当たり前)
・責任を下に押し付ける!!(=権力者は、責任を取らない)
統計不正聴取に厚労省官房長同席 中立性への疑念、更に


●ニュース
(朝鮮日報日本語版) 安倍首相の施政方針演説から「韓国」消える

沖縄県民投票 全域実施へ

“元徴用工”韓国弁護士ら 4月末めどに追加訴訟へ(19/01/26)


【大竹まこと×金子勝×室井佑月】 2004年からだった厚生労働省・賃金データ改ざん! 日本のGDP疑惑


【大竹まこと×森永卓郎×倉田真由美】 やばい日本の製造業! 家電&国産スマホの財政危機


【大竹まこと×近藤誠×倉田真由美】 〈目から鱗の医療〉 がん手術・抗がん剤治療・早期発見は効果がない!


各地の県立高校などで相次ぐ「人骨」問題 6県16校、記録少なく

玉城デニー県知事・金秀グループの呉屋守将会長・屋良朝博さんが鳩山友紀夫と議論




【大竹まこと×森永卓郎×倉田真由美】 日立のイギリス原発輸出撤退の裏側! 日本に生まれる新ビジネスチャンス



竹田会長の記者会見は本当に「潔白主張」なのか
海外メディア「かえって疑惑深まった」 JOC竹田会長の会見

【大竹まこと×金子勝×室井佑月】 日立がイギリス原発輸出を断念! 世界に逆行する日本と経団連の責任


森友・加計問題 疑惑の核心/下 政治家、官邸官僚… 「安倍側用人」を覆う「黒い霧」

「水俣病は終わらない」公式確認から60年―私たちに託されたメッセージ

松本元死刑囚らの死刑執行文書、ほぼ全て黒塗りで開示

“旧優生保護法”強制的な不妊手術 事業として推進(18/04/27)


真相を解明していないからこうなるのだろう!!
オウム13人死刑で「上川陽子法相」一生SPつきの生活


731部隊員・長友浪男軍医少佐の戦中・戦後、甲第1855部隊考、他


国立公文書館で公開された留守名簿を巡る問題


中国の侵略被害者の証言を聞く集い2018 11.30

●お知らせ




京大の「731部隊」論文疑惑(上) 勝間田秀樹(京都支局)

731部隊将校の学位取り消しを 人体実験疑い論文で京大に



「特殊部隊731」
秋山 浩著 (三一書房 1956年6月30日 発行)

隊員は狙われている
林田もいたが、組が遠いので声をかけるわけにもいかない。行先は、ハルビンと決まっていた。
 教習係長も帰り、いよいよ出発だと思っていたところが、近江属が突然、
「注目!」
 と、声を張り上げて、私達が整列している前に進み出た。この人に対して、特に私達勤務に出ている者は好感を寄せていなかった。近江属は、自分の出入できない研究所に入っている私達を何かと目の敵にしているところがあった。
「外出の心構えについて、みなに質問する」
そう、前置きして、
「万が一、組の者から離れたなら、君たちはどうするか第2組の4番、言ってみろ」
指名されたのは浜中であった。同組の3番にいた私は、ひやりとした。
「はい。部隊連絡所に行って、連絡してもらうように、お願いします」
浜中は、どぎまぎしながら答えた。近江属に最初に殴られたのは浜中だったから、彼にとっては、苦手な相手なのである。
「連絡所は迷子の世話までやっておられない。他に、だれかあるか?」
「はい。その場から動かないようにして、戦友たちが探しに来てくれるのを待ってます」
3組の中から、答があった。


・陸軍軍医少佐 平澤正欣の学位授与授与の内容
(731資料センター会報28号より:西山勝夫「731部隊問題、克服への道」より)
1945年6月6日に京都大学医学部教授会で審査後纏められた平澤正欣論文要旨(国立公文書館学位授与記録より翻刻、京都大学公文書館の内容と同一)は以下の通り




京都大学は何を学位授与に値すると認定したか。【先人の見解と異なり「イヌノミ」もまた人類に対する「ペスト」媒介蚤なる新事実を発見せり】、人と獣(イヌ)、両方同じ媒体、「イヌノミ」により「ペスト」に感染すること、「ペスト」の人獣感染を新事実として評価しました。ネズミ、モルモットやサルで実験をやっていて、どうして人に感染したと言えるのでしょうか。
審査員の戸田元医学部長、木村医学部長は731部隊に教え子を送った人達です。彼らは、自らも陸軍軍医学校の嘱託研究員などを務め、戦後に戸田は金沢大学の学長、木村は名古屋市立大学学長になったことで知られています。
これらの論文を2014年から15年に検討し、15年3月の戦医研例会で紹介し、問題を、以下の4点にまとめました。
・実験対象がヒトであるにもかかわらず、「さる」と偽った
・当該対象者を治療することを目的とした実験ではなかった
・当該対象者の発症後も治療せずに死亡に至るまで経過を観察した
・死亡後の学位授与認可
・・・・・


「元満州中川村開拓団 私の敗戦回顧録」





日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
●『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より
第4章 科学はいかにして罪業となったか

様々な化学毒剤
 イペリットは第1次世界大戦中大量に使用された毒剤で、先に挙げたイープルで最初にドイツ軍が用いたため、その地名からイペリットと名付けられたのである。またこれらの物質はあまり純粋でない場合にはカラシ油に似た匂いを発するため、マスタード・ガスとも呼ばれている。しかし陸軍科学研究所の第3部では単純にこの毒剤を導入しのではなく、日本の特殊な必要性に対応させるため、様々な実験を通じて改良を加えたのである。その主な目的は、こうした毒剤の高温及び低温の条件下における発毒性を高める事だった。例えば、北海道で零下20度の気温の下で低温実験を行なった結果、このような低温の下では、イペリットの発毒性が大幅に低下することが分かったが、この結論は日本にとって好ましからざるものだった。というのは、対ソ作戦である「北進」戦略を実施する場合は、いきおい寒冷気候地域における作戦を行なわなければならないからだ。低温という条件の下でも効力の大きな毒剤を開発するために、1930年、研究所は当時すでに日本に併合されていた朝鮮北部の山城山演習場で実験を行なった。その際の温度は零下30度。1933年12月には、日本に占領されていた中国東北地方のチチハルに場所を移してこの実験が行なわれた。気候条件はソ連により近い。1936年には、ついに凍結を防止できるイペリットを開発した。即ち、「きい1号丙」である。


東京第二陸軍造兵廠曽根製造所
平成十二年八月六日、「平和のための戦争展 in 北九州2000」の企画で、旧軍施設の見学会が催されました。見学先は、「東京第二陸軍造兵廠曽根製造所」跡地です。それに参加したときの写真です。
ここは、表向きは普通の爆弾製造工場とされていましたが、実際は、「東京第二陸軍造兵廠忠海製造所(広島県竹原市大久野島)」製の毒ガスを、「小倉陸軍造兵廠(福岡県北九州市小倉北区)」製の砲弾・爆弾に充填する化学兵器製造所でした。日本の製造した毒ガス弾の2割がここで充填されたと言われています。
●B2棟(ホスゲン・青酸の充填場、充填砲弾の一時留め置き場)

撮影できたのは、このような幅の狭い通路のような部分だけです。


●登戸研究所関係略年表
登戸研究所関係略年表




●特集 軍拡に走る安倍政権と学術①

15年戦争中の「医学犯罪」に目を閉ざさず、繰り返さないために
1、戦争における医学者・医師たちの犯罪

西山勝夫さん(滋賀医科大学名誉教授)に聞く
にしやま・かつお=滋賀医科大学名誉教授、 15年戦争と日本の医学医療研究会事務局長、「戦争と医の倫理」の検証を進める会代表世話人、軍学共同反対連絡会共同代表

4、ドイツではどのように向き合ったのか

■二ュルンぺルクにおける訴追
―ところで、医学の戦争への加担ということでは、世界で、とりわけドイツではどのように向き合ったのでしょうか。

 ナチス・ドイツ政権下における医学者・医師の非人道人体実験には、超高度(標高20000mに相当する低気圧)、低体温、マラリア、毒ガス、サルファ剤等の薬品、骨・筋肉・神経の再生および骨移植、海水飲用、流行性黄だん(肝炎)、断種、発疹チフスなど、毒物、焼夷弾治療、障害者の「安楽死」、仮病対策、電気ショック、子宮癌の早期診断法、双子の利用、肝臓移植、血液確定、敗血病などに関する実験がありました。これらがドイツでは裁かれました。


昨年2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)



●「衛生学校記事」とはどんなものだろうか?
井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身
1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】
第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を転任になり、その後を井上が引き継いだ。
井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。
又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。
南方軍防疫給水部(岡9420部隊)



復刊衛生学校記事1(2)(井上義弘)
1961年7月

昭和20年の頃

3、特殊爆弾から原子爆弾へ
8月8日の新聞は大本営発表として、広島へ敵が新型爆弾を投下したことを知らせた。落下傘をつけて空中で破裂させたが、想像もつかない大爆発であったと書いてあった。実際に広島の惨害の第1報が東京へ到着したのは6日の午後であった。特殊の高性能をもった爆弾で、惨害が甚大であるとの報告を受けた陸軍の中央部では、7日の早朝米国のラジオが「原子爆弾」であると放送していることを知ったが、公式の調査によって確認するために、参謀本部第2部長の有末中将を長として、理研の仁科博士や陸軍軍医学校の関係者を広島に派遣した。陸軍軍医学校は委員の差出しによって、爆撃の惨害の程度を確認し、被害者の診療方針を決定し、防護対策を立てることに指示されていたので、以前から爆傷及び爆風傷について研究していた外科の島田、耳鼻科の成田、病理の山科、眼科の松永の諸教官を委員とし、ほかに助手1名を選定した。一行は航空事故のために遅れた8日午後広島に到着し、10日18時、2日間の調査結果を、船舶司令部参謀長依頼特別緊急電報で陸軍省医務局長へ報告した。





イタイイタイ病を究明した男 萩野昇

驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く

水俣病問題

小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去

小泉親彦と宮川米次の絆

ヒロシマからフクシマへ

宮川正

「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—

ビキニ「死の灰」世界各地へ

自衛隊とサリン

相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場

日本の国家機密

兒嶋俊郎さんを偲ぶ



●昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!!


●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
第3部   陛下の戦争
1931(昭和6)年―1945 (昭和20)年

第7章 満州事変



こうして、世界資本主義の崩壊、金融・ブロック経済の出現、国内の政治的イデオロギー的対立は、満州における行動を正当化するため日本の指導者が唱道した考えの援軍となった。1932年1月28日、天皇ならびに側近に対する御進講のなかで、元陸軍大臣南次郎大将は、陸軍が満州に独立国家を創設したことを説明するために、国家の安全保障上の必要、資源、領土の不足を強調した。南は天皇に「日満共同経営」により、日本は「外国の経済封鎖に耐え」、「永遠に強国であり続ける」ことができると主張した。また、満州全土の掌握は、30年代末には7000万に達すると予想される急激な人口増大に対処する土地を供給することで、日本の「人口問題」をも解決するであろうと説明した。


小泉親彦と昭和天皇

近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~

近代天皇制の真髄は

福沢諭吉

神武と戦争




憲法9条を生かそう!!





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