731を問う!!
2020年1月8日水曜日
細菌戦の系譜!!
●映画「ひろしま」を観て
●知っていますか?「731部隊」
●ABC企画委員会パネル展2019中野
●第5回三多摩平和交流会2019
●パネル展「日中戦争ーその実相に迫る!
●情報公開裁判「化学学校記事」「衛生学校記事」
●南方軍防疫給水部の記録を探し求めて(リム・シャオピンさん)
●小津安二郎と宮柊二と毒ガス戦
●天皇制廃止に向けての第一歩:雲上人を人間化する運動を!
●京都大学に対する第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求める活動
●平沢正欣論文を検証する(人体実験は行われたか?)
●武蔵村山の国立感染症研究所問題!!
●731部隊・100部隊展
{731部隊展}中国ハルピン(西里扶甬子さん)
http://dw.chinanews.com/chinanews/content.jsp?id=9033541&classify=sp&
日本は唯一の戦争被爆国なのに、なぜ核兵器禁止条約に署名しない?
この異常な降水量の最大の原因は、今までの核実験で地球が壊れてきているからではないか??
●『二酸化炭素温暖化説の崩壊』広瀬隆(集英社新書)
奇々怪々の現代
事件の要点を記す。気温データの捏造を指令してきたこのCRUという機関は、単なるイギリスのグループではなく、気候変動の研究に従事する世界的な学者たちの司令塔であり、NASAのゴダード宇宙研究所と共に世界中のデータを集めて解析してきた。つまりCO₂温暖化説を広めて来たIPCCの理論とデータが、巨大な科学的「嘘」によって作られていたことが明らかになったのだ。
●核実験(ウキペディアより)
若くして白血病で亡くなった有名女優、有名歌手、また五輪候選手だったスイマーが白血病になったのは、放射能の影響ではないのか?
月の砂漠の犠牲者 夏目雅子と本田美奈子
核実験(かくじっけん,英語:Nuclear weapons testing)とは、核爆弾の新たな開発や性能維持を確認したり、維持技術を確立したりするために、実験的に核爆弾を爆発させることを指す。1945年から約半世紀の間に2379回(その内大気圏内は502回)の核実験が各国で行われた。そのエネルギーはTNT換算で530メガトン(大気圏内は440メガトン)でこれは広島へ投下されたリトルボーイの3万5千発以上に相当する。
核実験は、実施された場所と高度により4つの種別に分類される。
1.大気圏内核実験 地上、海上、及び空中で行われる核実験である。実験方法には、棟上、気球、船舶、離島、及び航空機からの投下が用いられる。また数は少ないが、高高度核爆発実験もロケットにより行われる。地上近くの核爆発では、土砂とチリがキノコ雲により巻き上げられ大量の放射性降下物が発生してしまう。また高々度での核爆発では強力な電磁パルスが発生し、周辺の電子機器に深刻な障害を引き起こす。
水素爆弾の恐怖・ビキニ環礁 (アメリカ)
東南海地震:「地震の次は何をお見舞いしましょうか」とB29がビラ
●原発・化石燃料発電→再生可能エネルギー発電の増加
【金子勝の言いたい放題】NO5 世界は電力タダの時代に エネ転が拓く経済転換(飯田哲也さんと) 20191230
核兵器、生物兵器、化学兵器廃絶!! 戦力不保持!!安倍政権打倒!!
●ニュース
戦争責任を取らぬまま、そのまま在位した昭和天皇、その後の天皇も日本の侵略戦争の謝罪をしていない!!
イラン、米軍駐留基地にロケット弾発射か
相模原殺傷8日初公判 19歳女性の母が手記 娘は「甲」でなく「美帆」
「娘が生きた証を」母親 被害者の名前公表 障害者施設殺傷事件
「目立ちたかった」自衛官ら34人を“暴走”で送検(20/01/07)
秋元容疑者を再逮捕へ IR汚職で特捜部、賄賂総額1000万円前後
#大竹まことゴールデンラジオ#金子勝 (文化放送 2019-12-27)
●日本政府・自衛隊は情報を公開せよ!!(情報開示!!)
特別秘密保護法撤廃!!
アシタノワダイ削除「日航123便 墜落事件」
自衛隊の不祥事!!
日航機123便墜落の真相 〜JALボーインング747に訪れた悲劇の全貌〜
日航機墜落事故から34年 御巣鷹で慰霊登山始まる
なぜ、「731」と書かれた戦闘機に乗れるのだ???
2013年5月12日 安倍 731と書かれた戦闘機に乗る!!宮城県松島市にある航空自衛隊の基地で撮影
オリンピックにお金をかけるのではなく、いじめ対策・貧困対策・戦争被害者対策にお金をかけるべきだ!!
●国立感染症研究所村山庁舎(武蔵村山)
特定一種病原体等の受入れについて
このことについて、令和元年9月26日(木曜日)夜、加藤厚生労働大臣から藤野市長に対し、国立感染症研究所村山庁舎が一種病原体を所持するに至ったとの電話連絡がありました。
また、本日、国立感染症研究所から以下のとおり情報提供がありましたので、お知らせします。
令和元年7月5日付で、特定一種病原体等所持者である国立感染症研究所が、特定一種病原体等であって外国から調達する必要があるものとして輸入するウィルスを厚生労働大臣より指定されたところですが、今般、国立感染症研究所は、次に掲げるウィルスを外国より受入れ、所持したことを報告します。
南米出血熱ウィルス
ラッサウィルス
エボラウィルス
クリミア・コンゴ出血熱ウィルス
マールブルグウィルス
エボラ出血熱のウィルスなど危険の高いものをなぜ輸入する?
日本は全く細菌戦の反省をしていない!!
感染症対策のウイルス保管を説明
エボラ病原体”輸入”国に安全対策求める
●なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。
XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より
・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。
2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。
封印された原爆報告書
水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した!!
ビキニ「死の灰」世界各地へ
JCOの臨界事故
福島第1原発事故
●核兵器廃絶
2019 所沢市 平和祈念資料展
ヒロシマ 私たちの心の傷
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!
●「731部隊・100部隊・毒ガス戦」パネル展 2019年4月29日~5月3日
●「日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか 」 田中利幸さん
●日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病
●731部隊(unit731)
731部隊の病理解剖の顧問をした清野謙治も、窃盗事件で京大を追われた後、戦後は東京医大教授になった。731部隊で細菌を製造していた柄沢も東京医大だ!!
日本の底にツルハシでも崩れない差別がある 東京医科大の不正入試提訴 会見詳報
新宿戸山の人骨もきちんとDNA鑑定せよ!!
抑留者遺骨「全て日本人でない」
竹田恒和JOC会長、IOC委員を辞任
竹田会長の記者会見は本当に「潔白主張」なのか
海外メディア「かえって疑惑深まった」 JOC竹田会長の会見
森友・加計問題 疑惑の核心/下 政治家、官邸官僚… 「安倍側用人」を覆う「黒い霧」
「水俣病は終わらない」公式確認から60年―私たちに託されたメッセージ
松本元死刑囚らの死刑執行文書、ほぼ全て黒塗りで開示
“旧優生保護法”強制的な不妊手術 事業として推進(18/04/27)
真実を隠すために死刑にしたのでは??
オウム13人死刑で「上川陽子法相」一生SPつきの生活
京大の「731部隊」論文疑惑(上) 勝間田秀樹(京都支局)
731部隊将校の学位取り消しを 人体実験疑い論文で京大に
●昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!!大嘗祭反対!!
昭和天皇の戦争帰任をもっと追及しよう!!
(1)関東軍防疫部の設置経緯
1936年4月13日参謀本部第1課(編制動員課)「満洲派遣部隊一部ノ編成及編制改正要領(決定案)」作成
戦前の天皇がいかに大きな存在であったかが分かる。
中国への細菌戦・毒ガス戦をきちんと謝罪しないばかりか、アメリカの原爆投下をも容認してしまった!!
NHKスペシャル「 昭和天皇は何を語ったのか」拝謁記
昭和天皇の戦争責任を問う!!
昭和天皇、戦争を悔い退位に言及 改憲再軍備も主張、長官の拝謁記
昭和天皇、戦争の「反省」表明望んだ 詳細記録見つかる
京都大学に対する第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求める活動
人骨発見から30年・
●読者から寄せられた記事
タイトル:
北朝鮮の平壌に、アメリカの横田基地から、アメリカの軍用機が行っているのだ。 ブルドーザー積んで行って、北朝鮮の軍事基地造るのを援助しているのだ。 それで基地を造ってる。
ホスト:KD106180012236.au-net.ne.jp
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北朝鮮の平壌に、アメリカの横田基地から、アメリカの軍用機が行っているのだ。
ブルドーザー積んで行って、北朝鮮の軍事基地造るのを援助しているのだ。
それで基地を造ってる。
それでもってミサイルを「バーン」と日本に撃って、日本は憲法9条で、対処が出来ないので
全部、アメリカに任せている。
アメリカに「パック3」だ、武器だと、お金を何百億も渡している。「おもいやり予算」も
核兵器の部品だって運んでいるのだ。
15分 https://www.youtube.com/watch?v=4SY8CJcPn-E
いつも悪い方に付いて、手先になっているという事は(他の諸外国は)知ってる。
18分半 https://www.youtube.com/watch?v=4SY8CJcPn-E
日本という国は、常に極めて悪い側に付いて、その手下として動き、働いてきたのです。
そして、ロスチャイルドがやってきた様に、米国のような戦争屋にはしこたま国債を買い資金供与し、その戦争相手国にも金を貸し武器を売り、どちらからも儲けを得ようとする金貸しで戦争を世界中で引き起こしているロスチャイルド化した世界の黒幕が天皇をはじめとする安倍らJAPなのです。
第二次大戦前はアヘン帝国、第二次大戦後は原子力帝国がJAPです。
そりゃ武器爆売りする為にトランプと安倍が自作自演で北朝鮮にミサイル持って行って撃たせてるんだからな
トランプ、短距離容認と安倍晋三に 北朝鮮ミサイル巡り、非核化優先
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190804-00000004-kyodonews-int
●横浜「戦争の加害展」感想
2月16日
92.良い展示をして下さりありがとうございます。いろいろすべて勉強になりました。登戸研究所(明治大学生田校舎内)の展示がとても素晴らしいので協力していただけたら良いのではと思います。登戸研究所の偽札製造の利益で現在の自民党の前身ができています。戦争が今の生活に大きく影響していることをこれからも伝えてくださいますようぜひ頑張ってください。例、インフルエンザウイルスの予防注射を始めた人=〇見秀雄(防疫研究所)など。(女性、50代)
●なかのゼロ(「過去からいま 未来をつなぐ」展
12月14日(金)の感想
・大久野島には行ってみたいと思いながら、ずっとそのままになっています。今回山内さんの話を聞けるということで参加しました。731部隊のこともそうですが、やはり資料をしっかり残しておくことの大切さを痛感しています。戦後かなりの書類が燃やされて消失してしまいましたが、丹念に拾っていくと事実が浮かび上がってきます。当時のことを知る方がどんどん亡くなり、地形も変わって分からなくなっている中風化させない努力が必要だと思っています。
この夏リニューアルした平和記念資料館には行ったのですが今後何とか時間を見つけて竹原や大久野島に行きたいと思います。(女性、60代、都外)
●【真相】(unit731)
石井細菌戦部隊―極秘任務を遂行した隊員たちの証言
郡司陽子編(1982年11月30日初刷:徳間書店)
編者まえがき
Ⅰ ファインダーがとらえた地獄
―総務部調査課写真班 T・K
毒ガス実験の撮影は命がけだった
非常呼集で、外部の人間が、武装して入ってくるようなことはなかった。ただ、ロシア語の小川通訳がやってきたのは、覚えている。
3棟の屋上に上ってこの様子を見ていた隊員もいたが、K中尉から叱られて、みなおろされた。
おそらく主犯格のロシア人「丸太」は拳銃で特別班員に射殺され、他の「丸太」は毒ガスでやられたものと思われる。
というのは、このとき使用された毒ガスが外の道路までもれたらしく、外部にいた隊員たちが、異常なノドの渇きを覚えて、いぶかったという事実があるからだ。
●日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より
第9章 戦犯の証言
戦犯たちの戦後50年
私はいつもいうのですけれども、子どもたちは戦争の事を何も知らない。知ろうともしない。例えば私たちの帰還者連絡会で出した侵略戦争を批判した本もたくさんあるんです。その本を読めと言ってもなかなか読んでくれない。『お父さん、これを読んだら怖くて飯が食えないよ』と途中で投げ出してしまう。私は、若い人が戦争の恐ろしさを知り、戦争の事実を知って、戦争が起こることを防いでほしい。それが戦争をやった私たちのやらねばならない任務であると思います」
●証言 人体実験(731部隊とその周辺)
中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳
萩原英雄自筆供述書(1953年4月15日)
入隊(現役兵)前の状況
5、石井四郎という人物
さらに、五常で働いていた人たち(石井の同郷)は1年働いたのち(炊事班で働いたり、発電所でボイラーを焚いたりした)、勲八等旭日章と100円ないし300円の報奨金をもらった。しかしこの論功行賞は政府公報に公布されない、いわば編制外の勲章だったという(青柳の話による)。加茂から来た2人が、五常で働いている間に腸チフスにかかって病死したときは、戦死という名目で功7級の金鵄勲章と1000円以上の弔慰金が支給され、さらに政府公報にも発表されたという。部隊の機密保持という名目を口実にして、自分の部下に編制外の勲章を支給していたという、この青柳の話が事実だとすれば、石井は勿論のこと、賞勲局もいい加減なものであった。
●『人間の価値』
―1918年から1945年までのドイツ医学
Ch.ブロス/G.アリ編
林 功三訳
■ある大学講師のおこなった人体実験
1941年の秋、ハンブルグ大学の私講師ハインリヒ・ベルニングは「水腫病の医学研究」を委託された。委託したのは、クゥルト・グートツァイトが管轄する軍衛生局総監督部であった。ベルニングの研究の「患者材料」はソ連軍の捕虜だった。研究の場所はハンブルグ=ヴァンツベックの「この目的のためにつくられた非公開の部局」であった。ベルニングは、飢餓病に関するこの研究成果を、1949年にゲオルク・ティーメ社から出版された論文に要約している。
昨年2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)
●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作ってもいいのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!
日本の毒ガス
沖縄・南西諸島が軍事要塞化している現実はおかしくないか??
「琉球処分」から140 今の沖縄を考える
●「衛生学校記事」とはどんなものだろうか?
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?
次回 第23回『衛生学校記事』情報公開裁判
2020年2月4日(火)16:00~419法廷
金原節三氏が寄贈した資料が、衛生学校庁舎3階の彰古館に1982年に「金原節三コーナー」として展示された。
その2000点を超える資料はその後どうなったのであろうか?
防衛省の回答では、金原氏の目録と一致する資料は、今現在は641点だという。
しかし、それも一致するだけで、寄贈されたものではないという。
彰古館に勤めていた人(1996年から2013年)の聞き取りでは、彰古館では、きちんと整理していていなかったようである。
金原資料は、1995年に防衛庁戦史部に移管されたが、翌年また彰古館へ戻したという。
その時はすべてを戻したわけではなかったようだ。
2010年に、彰古館が学校庁舎3階から今の建屋になり、資料も移管されたが、金原資料の整理はきちんとされていないようだ。
金原資料の一部はあるようだが、その他の金原資料は、どこに保管しているのだろうか。
また、彰古館には旧軍資料しか置いていないともいう。本当に「衛生学校記事」や教範類は置いていないのだろうか?
次の裁判までに、勤めていた人の陳述書を防衛省側は出すという。防衛省が提出する資料は内輪の調査であり、本当にきちんと聴取しているのかが、疑問だ。憲法9条で戦力不保持を宣言しているのだから、情報公開に、制限を一方的にかけるのは、本当におかしいと思う。今の自衛隊の実情をきちんと国民に知らせるべきだ!!
●「化学学校記事」情報公開裁判
次回 2020年2月12日(水)11:30~ 東京地裁522号廷
1977年発行の化学学校発行の『20年のあゆみ』について、防衛省はマスキングに時間がかかるため、2か月後の提出は難しいかも知れないと述べた。
『20年のあゆみは』は1970年代だから、沖縄での、毒ガス漏洩事件や本土の相模原補給廠での毒ガスの問題がある中、毒ガスや核兵器に関する研究の記述もあるのだろう。それらをマスキングして公開しないというのは、日本の情報公開がいかに遅れているかと象徴している。防衛省は、化学学校記事16号の存在を認め、その間に自衛隊がどのような研究をしていたかを明らかにすべきだ。佐藤内閣時代に実際に核兵器を持とうとしていたのだから、自衛隊ではどんなことが研究をしていたかは、国民に広く知らせるべきである。ましてや日本は、広島、長崎、ビキニ、福一で甚大な被曝をしている国なのだから。
1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊
第4代衛生学校長
『衛生学校記事』を発刊したときの、衛生学校長金原節三とはどんな人物なのだろうか?
金原節三(1901~1976)
陸軍省医事課長時代(1941.11~43.8)に731部隊から報告を受けていた。「陸軍省業務日誌摘録」
厚生省東海北陸医務出張所から衛生学校へ 1955.8.1
金原節三と細菌戦
金原の略歴を見ると、昭和16年11月に陸軍省医務局医事課長になっていて、17年に8月に軍医大佐になっている。
細菌戦資料センターの会報には、次のような記載がある。「陸軍省医務局医事課長だった金原節三元軍医大佐が、1955年に陸上自衛隊に入隊した。細菌戦部隊を指導していたのは、陸軍参謀本部、陸軍省医務局衛生課そして陸軍省医務局医事課である。金原は、「金原業務日誌摘録」に細菌戦部隊からの報告を記録している。
金原節三と武見太郎
金原と戦後日本医師会会長になり、医師会、薬剤師会、歯科医師会に大きな影響を及ぼした武見太郎は、軍隊内の先輩・後輩関係にあった。『金原節三資料目録』(陸上自衛隊衛生学校)の巻頭言は、日本医師会長武見太郎が書いている。
『BC兵器』 久保綾三著(1969年)より
Ⅱ 自衛隊と生物・化学兵器―その思想と作戦
1、自衛隊の装備・訓練を探る
その戦略的根拠
生物・化学戦争に関する装備、訓練の実態は深く秘密のベールに閉ざされていて、到底うかがい知ることができない。このため自衛隊20年の歴史のなかで「生物・化学戦」の装備や訓練がどのような方向をたどって来たのか、今後どのような位置を自衛隊の戦略・戦術の中で占めていくのかについては、教範と技術研究開発計画の中から後付けをしていく方法しか残されていない。
第5代衛生学校長
井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身
1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】
第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を転任になり、その後を井上が引き継いだ。
井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。
又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。
南方軍防疫給水部(岡9420部隊)
●イタイイタイ病を究明した男 萩野昇
●驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く
●水俣病問題
●小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去
●小泉親彦と宮川米次の絆
●ヒロシマからフクシマへ
●宮川正
●「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—
●ビキニ「死の灰」世界各地へ
●自衛隊とサリン
●相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場
●日本の国家機密
●兒嶋俊郎さんを偲ぶ
●昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!!
天皇万歳に浮かれる無責任国家 田中利幸より
重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
第11章 真珠湾への道
Ⅲ
ここで、時間の要素が政策決定の過程に組み入れられた。昭和天皇がこの期限設定の方針を裁可すれば、政府は戦争準備を続けながら、対米交渉を持続することになっていた。そして、 「10月上旬頃」までに外交による解決が認められない場合は、もう一度、御前会議を開き、開戦の是非について最後の、運命的な選択をすることになっていた。
●小泉親彦と昭和天皇
●近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~
●近代天皇制の真髄は
●福沢諭吉
●神武と戦争
憲法9条を生かそう!!
映画「ひろしま」を観て
映画「ひろしま」を観て 五井信治
この映画では、戦時中の大日本帝国の加害の事実が全く出てこないが、広島は軍都であり、日中戦争やアジア太平洋戦争戦争に大きな役割を果たしていた。
大久野島には、毒ガス工場が作られ、中国において、毒ガスを大量に使っていた。その軍都・広島に大日本帝国の敗色が濃くなった8月6日、アメリカはそれまでに巨費を投じて開発し、完成させた原子爆弾を投下した。
今まで、私は、原爆投下の際のきのこ雲の写真や映像は何度も見ているが、その時の広島にいた人たちの様子をリアルに表現した映画は初めて見た。人間が溶けて、階段に影だけが残るシーン、多くの人の皮膚がケロイド状になり、さ迷い歩き水を求めて川に入っていくシーン、原爆の恐ろしさを改めて強く感じた。
原爆の放射能を浴びて、生き残った人々も、すぐに治療される態勢は全くなく、壊れかけた建物に収容され、苦しんで死んでいき、その遺体は集められてガソリンをかけられ、燃やされた。原爆投下後、広島市から少し離れた似島(にのしま)の検疫所が、野戦病院となり、その建物に収容された人もいたが、そこでも患者がひしめき合い、勿論ベッドや包帯・医薬品などはほとんどない大変な惨状の中で、治療と言ったら、軟膏を塗ったりする程度のことしかできなかった。そこで死んだ人は、防空壕のようなところに無造作に葬られ、しゃれこうべになった。2018年時点でもその発掘調査が行われているという。
似島の近くの観光地宮島では、戦後、しゃもじとともに、そのしゃれこうべの模型が土産物として売られていたシーンに私は、寒気を感じた。
原爆投下前の広島には、大規模な空襲は無かった。アメリカが、広島を原爆投下の標的にしていたからだ。
8月6日、いつものように朝から勤労動員や学徒動員が広島では行われていた。そこに1発の原爆が投下され、広島は一瞬にして地獄と化した。
原爆の怖さは、一瞬にして多くの人々の命が奪われるだけでなく、被爆した人や、投下後に広島に救援に入った人々も、放射能の影響を受け、一生後遺症に悩まされることだ。ガンの多発(白血病など)などにおかされる。また、胎児にも影響し、2世、3世の健康問題にも影を落とす。
映画では、日本の原爆開発を進めていた仁科芳雄が、原爆投下後、広島に入り、現地を視察した後、軍部との会議の席上、「これは原子爆弾だ。」というと、軍部は「原子爆弾だと発表すると、民心に不安を与える」ということで、その発表はできないというシーンがあった。その当時の大本営発表も、大日本帝国に不利な情報は流さないように隠蔽をしていた。
悲惨な状況は、人間関係にも深いひびを入れる。2人の子ども(兄・妹)が、疎開先から広島に入り、原爆投下後に、父親を探し求めて、訪ね歩き、やっと収容所で、顔の変わった父親と対面するシーンがあった。お兄さんの方は父親と認め、「父さん!」と叫ぶが、妹の方は「父ちゃんじゃない」と叫んで、その場から立ち去ってしまう。そのまま、妹は行方不明になり、兄は、その後ずっと妹を探し続けることになる。このような、家庭崩壊もたくさんあってであろう。
戦後の日本は、日本国民自らが天皇の戦争責任を問うことなく、象徴天皇制と憲法9条をもつ憲法を作ったが、戦力を保持しないはずの日本が、朝鮮戦争が勃発すると、広島の街にも「軍艦マーチ」が流れ、工場では大砲の弾が作られていくという現実があった。若者は悩み、仕事をやめ、戦災孤児らを連れて、似島にわたり、防空壕に埋められた原爆被爆者の本物のしゃれこうべを掘り起こし、売ることを考えたが、それが警察に発覚し、取り調べを受けることになる。
戦後の広島では、私の想像もつかないいろいろなドラマが展開されたと思う。その一端を、この映画は垣間見させてくれた。
原爆投下直後、大日本帝国政府は、アメリカの原爆投下を非難したが、すぐに、現地に科学者や医学者を送り込み、原爆の威力調査し、2年以上かけて181冊の報告書を作成し、それを英訳して、アメリとの戦後処理の取引に使うことを画策する。そこには、被爆者を助けようとすることは一切なく、アメリカとの戦後処理の交渉を有利に進めることだけがあった。
1947年には、原爆傷害調査委員会(ABCC)が広島に設置され、被爆の追跡調査だけが行われ、治療はほとんどされなかった。
この映画の公開された翌年の1954年には、ビキニ環礁で広島で落とされた原爆の核出力が1000倍の水爆実験(ブラボー実験)が行われ、第5福竜丸をはじめとする日本漁船の1000隻近くが、死の灰を浴び、被爆した。被害額は、事件が発覚した3月から8月までの6か月間で、26億円に達し、その後も増え続けていたが、日本政府が最終的に決着した金額は200万ドル(当時の為替レートで7億2千万円)だった。そして「この見舞金で、ビキニ事件のに関してのアメリカの責任を今後一切問わない」という政治決着をはかった。第5福竜丸の22人の乗組員には一人200万円前後が、その年に亡くなった久保山愛吉さんには550万円が慰謝料が支払われた。しかし、他の漁船で被爆した人たちには、慰謝料は無かった。また本土にも死の灰は降り、汚染された。
日本では原水爆禁止運動が市民を中心に巻き起こったが、日本政府は、アメリカの進める原子力の平和利用の政策を強力に推進し、科学技術庁を設置し、原発を次々に作っていった。勿論元731部隊員らはこれらの政策に積極的に動員され、活躍し、被爆の影響を矮小化している。
1955年末からは、「原子力平和利用博覧会」が日比谷で大々的に行われ、翌年に全国を巡回し、広島でも1956年の5月から6月にかけて行われる。その結果、2011年の福島第1原発事故が起こる前までは、54基の原発が日本で稼働し、2018年現在、約45tのプルトニウムを保有するまでになった。
広島・長崎に原爆が投下され、50年代にも、ビキニ等の核実験によって、また被爆をし、1999年の東海村JCOの臨界事故で死亡者を出し、そして2011年に福島第1原発の事故が起こった。、今まで、日本では多くの方々が被爆している。
「ひろしま」という映画で描かれた被爆者の悲惨さを思うと、2度と戦争は起こすものではないし、日本こそ、「核廃絶!、脱原発!」と叫ばなければ思う。この映画を通して多くの方に放射能の影響について、考えてもらいたい。
※参考資料
①原爆投下目前の広島には、大規模な空襲は無かった。広島を原爆投下の標的にしていたからだ。
映画にも、広島に空襲のサイレンだけがなって、空襲が無かった場面がありましたが。
ウキィペデアの日本への原子爆弾投下に以下のように書いてあります。
・・・
1945年5月28日、第3回目標選定委員会、京都市、広島市、新潟市に投下する地点について重要な決定がされ、横浜市と小倉市が目標から外された[32]。
投下地点は、気象条件によって都度、基地で決定する。
投下地点は、工業地域の位置に限定しない。
投下地点は、都市の中心に投下するよう努めて、1発で完全に破壊する。
これらの原子爆弾投下目標都市への空爆の禁止が決定された。禁止の目的は、原爆のもたらす効果を正確に測定把握できるようにするためである。これが「○○には空襲がない」という流言を生み、一部疎開生徒の帰郷や、他の大都市からの流入を招くこととなった。
②勿論元731部隊員らはこれら【原発の平和利用】の政策積極的に動員され、活躍し、被爆の影響を矮小化している。
原爆投下後、日本は原爆の威力調査はやりましたが、アメリカも広島では比治山にABCCの支所を作って1947年から原爆傷害の調査を始めます。
このABCC(原爆傷害調査委員会)に協力するのか、国立予防衛生研究所(現在の国立感染症研究所)です。
そこの所長は、「教えてゲンさん」によると
*小林六造 (当時)京大教授、防疫研究室嘱託
(戦後)国立予防衛生研究所 初代所長
*小島三郎 (当時)東大伝染病研究所教授、栄1644部隊所属 サルモネラ菌の研究
(戦後)国立予防衛生研究所 第2代所長
文部省百日咳研究班員
*小宮義孝 (当時)華中衛生研究所(栄1644部隊関連)
(戦後)国立予防衛生研究所第4代所長
*柳沢謙 (当時)陸軍軍医学校防疫研究室で嘱託として結核研究 凍結乾燥BCG
(戦後)国立予防衛生研究所 第5代所長
*福見秀雄 (当時)陸軍軍医学校防疫研究室 インフルエンザ
(戦後)国立予防衛生研究所 第6代所長
文部省百日咳研究班員
(注)1951年、国立東京第一病院に入院中の乳児たちに、
両親に告知や許可を受けずに大腸菌を飲ませる実験を行なった
*村田良介 (当時)1644部隊
(戦後)国立予防衛生研究所 第7代所長
*宍戸亮 (当時)防疫研究所嘱託
(戦後)国立予防衛生研究所第8代所長
多くの731部隊関係者が予研の所長になり、1948年から、日本の厚生省国立予防衛生研究所が正式にABCCの調査プログラムに参加しています。
つまり、被爆者の治療をするのではなく、放射能の人体に対する影響を追跡調査をしたのでした。
所長が、731部隊関係者であることから、その他にも多くの隊員がいたと思われます。
また、1954年の3月1日のビキニでのブラボー実験で、第五福竜丸事件が起こると、元731部隊員の宮川正(レントゲン班の班長、当時横浜市立大教授)は、4月から5月にかけて横浜・川崎両港に入港した民間船の放射能汚染調査と、5月からの横決市内の上水道の放射性物質の測定を開始する。これが評価されたためか、宮川は、10月に厚生省に設置された「原爆被害対策に関する調査研究連絡協議会」の環境衛生部会の委員に任命されることになる。
(引用文献:ヒロシマからフクシマへ「戦後放射線影響調査の光と影」 堀田伸永)
勿論、放射能汚染を矮小化するためです。この人は1956年に東大医学部の教授になります。
(東大医学部放射線科・宮川正教授は退官記念講義で731部隊員だったことを曝露・追及された
:http://www.asyura2.com/16/genpatu47/msg/109.html)
その他に、戦後復員して厚生省に入り、強制不妊手術を推進していた同じく元731部隊員の長友浪男は、1957~1958年に、科学技術庁(原発推進の官庁)に出向しています。
2020年1月7日火曜日
細菌戦の系譜!!
●知っていますか?「731部隊」
●ABC企画委員会パネル展2019中野
●第5回三多摩平和交流会2019
●パネル展「日中戦争ーその実相に迫る!
●情報公開裁判「化学学校記事」「衛生学校記事」
●南方軍防疫給水部の記録を探し求めて(リム・シャオピンさん)
●小津安二郎と宮柊二と毒ガス戦
●天皇制廃止に向けての第一歩:雲上人を人間化する運動を!
●京都大学に対する第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求める活動
●平沢正欣論文を検証する(人体実験は行われたか?)
●武蔵村山の国立感染症研究所問題!!
●731部隊・100部隊展
{731部隊展}中国ハルピン(西里扶甬子さん)
http://dw.chinanews.com/chinanews/content.jsp?id=9033541&classify=sp&
日本は唯一の戦争被爆国なのに、なぜ核兵器禁止条約に署名しない?
この異常な降水量の最大の原因は、今までの核実験で地球が壊れてきているからではないか??
●『二酸化炭素温暖化説の崩壊』広瀬隆(集英社新書)
奇々怪々の現代
欧米のメディアは、「灼熱のペテンが破綻する」“ワシントン・タイムス”、「気候変動を論ずる学者グループは、今や全く支持されていない」“ウォールストリート・ジャーナル”、「気候の“同意”が崩壊」“ニューヨーク・ポスト”とIPCCが行ってきた悪質な気温データの捏造を次々と暴き出した。
日本の科学誌「化学」2010年3月号と5月号で、東京大学の渡辺正教授が詳細にこの事件の解析をしているので、図書館で読まれたい。
●核実験(ウキペディアより)
核実験(かくじっけん,英語:Nuclear weapons testing)とは、核爆弾の新たな開発や性能維持を確認したり、維持技術を確立したりするために、実験的に核爆弾を爆発させることを指す。1945年から約半世紀の間に2379回(その内大気圏内は502回)の核実験が各国で行われた。そのエネルギーはTNT換算で530メガトン(大気圏内は440メガトン)でこれは広島へ投下されたリトルボーイの3万5千発以上に相当する。
1953年に行われたW9の発射実験。M65 280mmカノン砲を使用した。核出力は広島に投下されたのと同じ15kt。
水素爆弾の恐怖・ビキニ環礁 (アメリカ)
東南海地震:「地震の次は何をお見舞いしましょうか」とB29がビラ
●原発・化石燃料発電→再生可能エネルギー発電の増加
【金子勝の言いたい放題】NO5 世界は電力タダの時代に エネ転が拓く経済転換(飯田哲也さんと) 20191230
核兵器、生物兵器、化学兵器廃絶!! 戦力不保持!!安倍政権打倒!!
●ニュース
戦争責任を取らぬまま、そのまま在位した昭和天皇、その後の天皇も日本の侵略戦争の謝罪をしていない!!
首相「憲法改正原案の策定加速させたい」 年頭会見要旨
内閣府、「桜を見る会」入札公告前に委託業者に日程伝え打ち合わせ
“クーデター”証拠公表か ゴーン被告 8日の会見で
#大竹まことゴールデンラジオ#金子勝 (文化放送 2019-12-27)
●日本政府・自衛隊は情報を公開せよ!!(情報開示!!)
特別秘密保護法撤廃!!
アシタノワダイ削除「日航123便 墜落事件」
自衛隊の不祥事!!
日航機123便墜落の真相 〜JALボーインング747に訪れた悲劇の全貌〜
日航機墜落事故から34年 御巣鷹で慰霊登山始まる
なぜ、「731」と書かれた戦闘機に乗れるのだ???
2013年5月12日 安倍 731と書かれた戦闘機に乗る!!宮城県松島市にある航空自衛隊の基地で撮影
オリンピックにお金をかけるのではなく、いじめ対策・貧困対策・戦争被害者対策にお金をかけるべきだ!!
●国立感染症研究所村山庁舎(武蔵村山)
特定一種病原体等の受入れについて
このことについて、令和元年9月26日(木曜日)夜、加藤厚生労働大臣から藤野市長に対し、国立感染症研究所村山庁舎が一種病原体を所持するに至ったとの電話連絡がありました。
また、本日、国立感染症研究所から以下のとおり情報提供がありましたので、お知らせします。
令和元年7月5日付で、特定一種病原体等所持者である国立感染症研究所が、特定一種病原体等であって外国から調達する必要があるものとして輸入するウィルスを厚生労働大臣より指定されたところですが、今般、国立感染症研究所は、次に掲げるウィルスを外国より受入れ、所持したことを報告します。
南米出血熱ウィルス
ラッサウィルス
エボラウィルス
クリミア・コンゴ出血熱ウィルス
マールブルグウィルス
エボラ出血熱のウィルスなど危険の高いものをなぜ輸入する?
日本は全く細菌戦の反省をしていない!!
感染症対策のウイルス保管を説明
エボラ病原体”輸入”国に安全対策求める
●なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。
XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より
・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。
2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。
封印された原爆報告書
水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した!!
ビキニ「死の灰」世界各地へ
JCOの臨界事故
福島第1原発事故
●核兵器廃絶
2019 所沢市 平和祈念資料展
ヒロシマ 私たちの心の傷
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!
●「731部隊・100部隊・毒ガス戦」パネル展 2019年4月29日~5月3日
●「日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか 」 田中利幸さん
●日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病
●731部隊(unit731)
731部隊の病理解剖の顧問をした清野謙治も、窃盗事件で京大を追われた後、戦後は東京医大教授になった。731部隊で細菌を製造していた柄沢も東京医大だ!!
日本の底にツルハシでも崩れない差別がある 東京医科大の不正入試提訴 会見詳報
新宿戸山の人骨もきちんとDNA鑑定せよ!!
抑留者遺骨「全て日本人でない」
竹田恒和JOC会長、IOC委員を辞任
竹田会長の記者会見は本当に「潔白主張」なのか
海外メディア「かえって疑惑深まった」 JOC竹田会長の会見
森友・加計問題 疑惑の核心/下 政治家、官邸官僚… 「安倍側用人」を覆う「黒い霧」
「水俣病は終わらない」公式確認から60年―私たちに託されたメッセージ
松本元死刑囚らの死刑執行文書、ほぼ全て黒塗りで開示
“旧優生保護法”強制的な不妊手術 事業として推進(18/04/27)
真実を隠すために死刑にしたのでは??
オウム13人死刑で「上川陽子法相」一生SPつきの生活
京大の「731部隊」論文疑惑(上) 勝間田秀樹(京都支局)
731部隊将校の学位取り消しを 人体実験疑い論文で京大に
●昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!!大嘗祭反対!!
昭和天皇の戦争帰任をもっと追及しよう!!
(1)関東軍防疫部の設置経緯
1936年4月13日参謀本部第1課(編制動員課)「満洲派遣部隊一部ノ編成及編制改正要領(決定案)」作成
戦前の天皇がいかに大きな存在であったかが分かる。
中国への細菌戦・毒ガス戦をきちんと謝罪しないばかりか、アメリカの原爆投下をも容認してしまった!!
NHKスペシャル「 昭和天皇は何を語ったのか」拝謁記
昭和天皇の戦争責任を問う!!
昭和天皇、戦争を悔い退位に言及 改憲再軍備も主張、長官の拝謁記
昭和天皇、戦争の「反省」表明望んだ 詳細記録見つかる
京都大学に対する第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求める活動
人骨発見から30年・
●読者から寄せられた記事
タイトル
米国、ロシアの老朽核兵器の爆破処理を地震と称して1992年から日本の地下でしているのです。つまり日本は世界の核兵器の最終処分場
ホスト:KD106180012236.au-net.ne.jp
********************
311の少し前からと311当日そしてそれ以降に非常に多くの米露の老朽核兵器が三陸沖で爆破処理された!
もう、暗黒殺糞ンと下衆魔ン民賊とは、永久に関わる事も接触も禁ずる!!関係深化など朝鮮人李家だけにさせておけ!!
日本で地震を偽装した地下核実験を繰り返しているのは一体誰だ!?
https://www.youtube.com/watch?v=iPJNZFW9YCQ
https://ameblo.jp/bokeneko22/entry-12520154648.html
2018年07月17日
ついに出た!!「日本は、数十年にわたり、
地震を偽装した地下核実験を繰り返している。」
ロシア国防省でイゴーリ・トカレフ大佐。
メディアで爆弾発言
https://wake-up.publishers.fm/article/18462/?fbclid=IwAR2CGisYVRAnydqMx6j97I-EYrmSjqoSI5Nw-BgkHMn_DedcX1CNDvXKD34
ロシア国防省:日本は地震を偽装した核実験を止めよ
ロシアの専門家が、日本の地震は核を使った人工地震だと
ばらしちゃいました。
目的は地下核実験だった。その視点で地震を考えた事が
ありませんでした。有難うございます、トカレフ大佐。
大佐のご発言、プーチンさんのお墨付きなんでしょうね。
311の真実が、ロシア発で暴かれる。
↓↓↓必見
https://www.youtube.com/watch?time_continue=65&v=eKp5cA2sM28&feature=emb_logo
●横浜「戦争の加害展」感想
2月16日
91.毒ガスについて、アメリカが使用したいから裁判で裁かない。沖縄で友軍から殺されていた。勉強にななりました。あらためて戦争で殺されてしまった人、生き残っても人生メチャクチャにさせられてしまうこと。戦争でほんの一部の企業はうるおうかもしれあせんが、死の商人です。一般の住民は、悲惨極まりないです。今の右傾化した状況、戦争へ向かおうとしている気がして恐ろしいです。今の状況を何とか変えていきたいです。教科書問題に参加しましたが、子供たちに複数の情報から自分で考える事、難しいですが、少しでも伝えていきたいと思いました。(女性、50代)
●なかのゼロ(「過去からいま 未来をつなぐ」展
12月14日(金)の感想
・この展示場へ来たそもそもの目的は、原子爆弾についての資料を拝見することであった。なぜならば、私は、かねてより、原子爆弾について興味を持ち、小学生の頃より、あらゆる資料を調べ、核弾頭の仕組みから爆発後の人や街の様や、人体への後遺症等による被害に注目していた。それだけにとどまらず、実際に広島まで出向く程であった。
しかし、今回、731部隊のペスト実験及び生体解剖等という物を知り、改めて戦争の惨劇と、その悲惨さについて考えさせられ、私がここで「原爆反対、戦争なき世界へ」等と言ったところで、どれだけの意味があるかは分からないが、せめて、同じ過ちを繰り返されないことを心より願っている。(男性、20代、都内)
●【真相】(unit731)
石井細菌戦部隊―極秘任務を遂行した隊員たちの証言
郡司陽子編(1982年11月30日初刷:徳間書店)
編者まえがき
Ⅰ ファインダーがとらえた地獄
―総務部調査課写真班 T・K
毒ガス実験の撮影は命がけだった
でも、全くなかったわけではない。私の勤務期間中に、起こったことといえば、終戦の年のいわゆる「丸太」の暴動と、3、4件あった「丸太」の自殺である。
暴動は、7棟の2階で起きた。暴動といっても、ロシア人の「丸太」が監房を出て、2階の廊下を歩き回り、他の「丸太」を監房から出してやったということらしい。しかし、2階から外へは一歩も出られないのだ。
私は、たまたま、中にいた。が、異常事態らしいということは感じ取ったものの、大事件という印象は余りなかった。もちろん、私は近づくことを許されず、遠くから見ていた。でも、私が見たのは、7棟の2階にハシゴをかけて、特別班員がのぼっていって、内部に拳銃を向けて威嚇している場面だけである。
●日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より
第9章 戦犯の証言
戦犯たちの戦後50年
その時の進攻は今でも私の記憶に残っています。私は杉という老兵と一緒に1軒の農家に踏み込み、1人の女性がいるのを見つけました。杉は強姦しようとしましたが、その女性が必死に抵抗したため、怒って軍刀でその女性の頭をかち割り、その死体を外の井戸に投げ込むのを私に手伝わせたのです。その時、4歳くらいの子どもが『媽媽(マーマー、お母さん、お母さん)』と泣き叫びながら、椅子を井戸のところへ持って来て、見る間に井戸に飛び込んだのです。杉は井戸に手榴弾を投げ込みました。この時の悲惨な情景は一生忘れられません。
●証言 人体実験(731部隊とその周辺)
中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳
萩原英雄自筆供述書(1953年4月15日)
入隊(現役兵)前の状況
5、石井四郎という人物
私が平房で働いていた時に、華北へ派遣された石井部隊の行動を記録した映画を部隊の食堂で上映したことがあり、石井がそれを解説した。その中で裸で戦死した中国人兵士を映したシーンがあり、彼が「チャンコロめ、何から何まで丸出した」といったので、みんなどっと笑った(私もその中の1にんだった)。この言葉は生きた人間を人間としてではなく、実験材料としか見なかった石井の独裁的排外思想を物語る以外の何物でもないだろう。
●『人間の価値』
―1918年から1945年までのドイツ医学
Ch.ブロス/G.アリ編
林 功三訳
■肝炎の実験
外のバラックの通路でわたしは、ちょうど立ち去ろうとしているドーレン博士に会いました。わたしは彼の足を留め、彼の良心に訴えようとしました。わたしは言いました。わたしは召集されており、前線へ行かなければならない。ただ子どもたちと別れるのはつらい。どうか、彼らのここの恐ろしい生活を少し楽にやってはくれまいか、と。彼は何も返事をしませんでした。」
昨年2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)
●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作ってもいいのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!
日本の毒ガス
沖縄・南西諸島が軍事要塞化している現実はおかしくないか??
「琉球処分」から140 今の沖縄を考える
●「衛生学校記事」とはどんなものだろうか?
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?
次回 第23回『衛生学校記事』情報公開裁判
2020年2月4日(火)16:00~419法廷
金原節三氏が寄贈した資料が、衛生学校庁舎3階の彰古館に1982年に「金原節三コーナー」として展示された。
その2000点を超える資料はその後どうなったのであろうか?
防衛省の回答では、金原氏の目録と一致する資料は、今現在は641点だという。
しかし、それも一致するだけで、寄贈されたものではないという。
彰古館に勤めていた人(1996年から2013年)の聞き取りでは、彰古館では、きちんと整理していていなかったようである。
金原資料は、1995年に防衛庁戦史部に移管されたが、翌年また彰古館へ戻したという。
その時はすべてを戻したわけではなかったようだ。
2010年に、彰古館が学校庁舎3階から今の建屋になり、資料も移管されたが、金原資料の整理はきちんとされていないようだ。
金原資料の一部はあるようだが、その他の金原資料は、どこに保管しているのだろうか。
また、彰古館には旧軍資料しか置いていないともいう。本当に「衛生学校記事」や教範類は置いていないのだろうか?
次の裁判までに、勤めていた人の陳述書を防衛省側は出すという。防衛省が提出する資料は内輪の調査であり、本当にきちんと聴取しているのかが、疑問だ。憲法9条で戦力不保持を宣言しているのだから、情報公開に、制限を一方的にかけるのは、本当におかしいと思う。今の自衛隊の実情をきちんと国民に知らせるべきだ!!
●「化学学校記事」情報公開裁判
次回 2020年2月12日(水)11:30~ 東京地裁522号廷
1977年発行の化学学校発行の『20年のあゆみ』について、防衛省はマスキングに時間がかかるため、2か月後の提出は難しいかも知れないと述べた。
『20年のあゆみは』は1970年代だから、沖縄での、毒ガス漏洩事件や本土の相模原補給廠での毒ガスの問題がある中、毒ガスや核兵器に関する研究の記述もあるのだろう。それらをマスキングして公開しないというのは、日本の情報公開がいかに遅れているかと象徴している。防衛省は、化学学校記事16号の存在を認め、その間に自衛隊がどのような研究をしていたかを明らかにすべきだ。佐藤内閣時代に実際に核兵器を持とうとしていたのだから、自衛隊ではどんなことが研究をしていたかは、国民に広く知らせるべきである。ましてや日本は、広島、長崎、ビキニ、福一で甚大な被曝をしている国なのだから。
1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊
第4代衛生学校長
『衛生学校記事』を発刊したときの、衛生学校長金原節三とはどんな人物なのだろうか?
金原節三(1901~1976)
陸軍省医事課長時代(1941.11~43.8)に731部隊から報告を受けていた。「陸軍省業務日誌摘録」
厚生省東海北陸医務出張所から衛生学校へ 1955.8.1
金原節三と細菌戦
金原の略歴を見ると、昭和16年11月に陸軍省医務局医事課長になっていて、17年に8月に軍医大佐になっている。
細菌戦資料センターの会報には、次のような記載がある。「陸軍省医務局医事課長だった金原節三元軍医大佐が、1955年に陸上自衛隊に入隊した。細菌戦部隊を指導していたのは、陸軍参謀本部、陸軍省医務局衛生課そして陸軍省医務局医事課である。金原は、「金原業務日誌摘録」に細菌戦部隊からの報告を記録している。
金原節三と武見太郎
金原と戦後日本医師会会長になり、医師会、薬剤師会、歯科医師会に大きな影響を及ぼした武見太郎は、軍隊内の先輩・後輩関係にあった。『金原節三資料目録』(陸上自衛隊衛生学校)の巻頭言は、日本医師会長武見太郎が書いている。
『BC兵器』 久保綾三著(1969年)より
Ⅱ 自衛隊と生物・化学兵器―その思想と作戦
1、自衛隊の装備・訓練を探る
ひとり立ちする自衛隊の研究
一方、あとに述べるように旧帝国陸軍の石井部隊に代表されるように細菌毒ガスの研究と実戦記録が、、自衛隊の生物・化学兵器の研究に多大の影響を与えている事実を見逃すことができない。
57年4月、陸上自衛隊として「案32-119化学防護」が全く新しい形のものとして出され、その後10年間広く自衛隊内で生物・化学作戦の訓練が積み上げられていったのである。67年8月、「特殊武器防護教範」が制定されるに及んで、自衛隊の生物・化学兵器とその防護に関する教範はいよいよ「自前」のものとなるのである。
第5代衛生学校長
井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身
1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】
第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を転任になり、その後を井上が引き継いだ。
井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。
又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。
南方軍防疫給水部(岡9420部隊)
●イタイイタイ病を究明した男 萩野昇
●驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く
●水俣病問題
●小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去
●小泉親彦と宮川米次の絆
●ヒロシマからフクシマへ
●宮川正
●「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—
●ビキニ「死の灰」世界各地へ
●自衛隊とサリン
●相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場
●日本の国家機密
●兒嶋俊郎さんを偲ぶ
●昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!!
天皇万歳に浮かれる無責任国家 田中利幸より
重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
第11章 真珠湾への道
Ⅲ
ここで、時間の要素が政策決定の過程に組み入れられた。昭和天皇がこの期限設定の方針を裁可すれば、政府は戦争準備を続けながら、対米交渉を持続することになっていた。そして、 「10月上旬頃」までに外交による解決が認められない場合は、もう一度、御前会議を開き、開戦の是非について最後の、運命的な選択をすることになっていた。
●小泉親彦と昭和天皇
●近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~
●近代天皇制の真髄は
●福沢諭吉
●神武と戦争
憲法9条を生かそう!!
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