2019年8月7日水曜日

細菌戦の系譜!!


「あいちトリエンナーレ2019」
2019  所沢
元徴用工の強制労働めぐり 不二越に謝罪と賠償求める/富山
京都大学に対する第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求める活動
日本の毒ガス
北支那防疫給水部留守名簿
人骨発見から30年
日本軍の毒ガス戦
7.7「戦争を始めた日」国会前集会
ソビエト連邦、中華人民共和国とハバロフスク裁判の忘却 1949-1956
旧陸軍毒ガス詳報、確認 中国北部で使用部隊が記録
平沢正欣論文を検証する(人体実験は行われたか?)
記憶の継承を進める神奈川の会
沖縄
戦争とは何だろうか??
軍事研究に関する学長声明  龍谷大学 学長 入 澤  崇
第24回  スタディツアー 事前学習会
長崎731部隊・100部隊パネル展
日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
武蔵村山の国立感染症研究所問題!!



●安倍政権打倒!!核兵器廃絶!!
・ニュース
日本はきちんと歴史に向き合え!!

「ヒロシマが全滅です」原爆の一報を伝えたのは14歳の少女だった。あの日彼女が見たものは

2019  所沢市 平和祈念資料展


強制連行論否定の韓国研究員 帰国後罵声浴びる

「日本は利己的な態度を放棄せよ」 韓国外務次官が発言

「立場違い尊重、開かれた議論を」あいちトリエンナーレ参加者抗議声明

『表現の不自由展』中止に対し、芸術祭参加アーティスト72人が声明を発表

江川紹子が【『表現の不自由展』中止問題】を考察…言論・表現の自由を後退させないためには

自衛隊の派遣はやめてもらいたい!!
ホルムズに自衛隊「独自派遣」 政府検討 哨戒機で警戒監視



財務省の回答は最早日本語として理解不能。野党側からは失笑が漏れる場面も ~財務省「森友文書」改ざん問題 野党合同ヒアリング 2019.8.2


元徴用工の強制労働めぐり 不二越に謝罪と賠償求める/富山


「ホワイト国」除外 第三国が異例の批判=ASEAN外相会議

相模原事件・植松聖被告が犠牲者遺族から賠償請求の民事訴訟を起こされていた


沖縄防衛局が辺野古工事の下請け業者名すべて“黒塗り”開示

新宿戸山の人骨もきちんとDNA鑑定せよ!!
抑留者遺骨「全て日本人でない」

憲法9条はどこ行った!!
防衛省がフリーランスを排除

「かが」初入港 大きさに驚き


イージス・アショア「異様なレーダー選定」の茶番を見逃してはいけない



佐川 元財務省理財局長を証人申請へ 森友文書の訴訟で原告弁護団

旧陸軍毒ガス詳報、確認 中国北部で使用部隊が記録

遺伝子「優性・劣性」“高校教科書では別表現を”日本学術会議



エボラ出血熱など輸入で国と東京・武蔵村山市が合意 国立感染症研究所に

エボラ出血熱のウィルスなど危険の高いものをなぜ輸入する?
日本は全く細菌戦の反省をしていない!!
感染症対策のウイルス保管を説明

エボラ病原体”輸入”国に安全対策求める


自衛隊の不祥事!!
日航機123便墜落の真相 〜JALボーインング747に訪れた悲劇の全貌〜



このままでは終わらせない…“森友事件”のいま【ザ・ドキュメンタリー】



“私は不妊手術を強いられた” ~追跡・旧優生保護法~


福島第一原発の原子炉建屋 開けられる鍵が9000本以上


なぜ、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
「わざわざ自分らのことを『げんしりょくむら』とは?

「あつまれ!げんしりょくむら」に批判相次ぐ サイト閉鎖

20190330 UPLAN 小出裕章「フクシマ事故8年 原子力を廃絶させる道」



731部隊の病理解剖の顧問をした清野謙治も、窃盗事件で京大を追われた後、戦後は東京医大教授になった。731部隊で細菌を製造していた柄沢も東京医大だ!!
日本の底にツルハシでも崩れない差別がある 東京医科大の不正入試提訴 会見詳報


なぜ、日本は脱原発と叫ばないのか??
20181104 小出裕章と樋口健二のコラボ講演会


2005/12/25 【原発問題】推進派vs反対派 小出裕章氏


竹田恒和JOC会長、IOC委員を辞任


竹田会長の記者会見は本当に「潔白主張」なのか
海外メディア「かえって疑惑深まった」 JOC竹田会長の会見



森友・加計問題 疑惑の核心/下 政治家、官邸官僚… 「安倍側用人」を覆う「黒い霧」

「水俣病は終わらない」公式確認から60年―私たちに託されたメッセージ

松本元死刑囚らの死刑執行文書、ほぼ全て黒塗りで開示

“旧優生保護法”強制的な不妊手術 事業として推進(18/04/27)


真実を隠すために死刑にしたのでは??
オウム13人死刑で「上川陽子法相」一生SPつきの生活


京大の「731部隊」論文疑惑(上) 勝間田秀樹(京都支局)

731部隊将校の学位取り消しを 人体実験疑い論文で京大に





●昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!!
京都大学に対する第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求める活動
人骨発見から30年

1937年7月7日→日中全面戦争

7.7集会(2019)「戦争を始めた日」国会前集会



香港人見せしめ弾圧事件
香港の皆様へ!!


何で微罪で長期勾留する??
微罪で長期勾留?おかしくないか?日本は人権意識が欠如している!!
以前までは香港の日本領事館が南京大虐殺の抗議を受け取っていたが、去年は受け取らないので、日本まで抗議に来たという。
香港人「靖国神社」建造物侵入事件"長期勾留"の謎?

靖国神社でぼや、横断幕も=中国籍の男を逮捕




徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!
日本の医学界はなぜ謝罪しない???
又、ヒロシマ・ナガサキ・ビキニ・フクシマと4度被曝した日本は、世界に先駆けて核兵器廃絶・脱原発と叫ぶべきではないか!!
なぜ、日本医学界は、先頭に立って「脱原発!!」と叫ばないのか!!
戦後、731部隊員はアメリカの核戦略に協力した!!

「731部隊・100部隊・毒ガス戦」パネル展 2019年4月29日~5月3日
「日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか 」 田中利幸さん
日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか


●水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した!!

ビキニ「死の灰」世界各地へ


日本は、あの侵略戦争を反省して、憲法9条を作った!!

平和条約締結は「日本が大戦の結果認めること」 露外相

●憲法第9条(自衛隊は違憲ではないか!!)
自衛隊は、防護のためと言って毒ガスを製造している!!(日中戦争時のも日本軍は本格的な毒ガス戦を中国で行った!!)
日本の毒ガス
1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

日本の政治の常道【historyとは、彼(his)(権力者)の物語(story)】

・まずい事は隠す!!(=あったことを無かったことにする、=データ改ざんは当たり前)
・責任を下に押し付ける!!(=権力者は、責任を取らない)
これでは客観性がないではないのか??官邸主導
統計不正 統一水準でチェックし品質向上を 菅官房長官
水爆実験で被爆したのは第五福竜丸だけではない!!延べ992隻が被爆!!
なぜ、「731」と書かれた戦闘機に乗れるのだ???

2013年5月12日 安倍 731と書かれた戦闘機に乗る!!宮城県松島市にある航空自衛隊の基地で撮影

オリンピックにお金をかけるのではなく、いじめ対策・貧困対策・戦争被害者対策にお金をかけるべきだ!!






●横浜「戦争の加害展」感想

2月14日
・中国の都市を空爆したことは知らなかったので、日本の都市が米国から空爆されたことに、支配層が反論しない理由が分かった。(男性、70代)



●(「琉球処分」から140年、今の沖縄を考える)パネル展感想

後田多敦氏の講演会場で回収。

28. 沖縄のことを考えるうえで、とても参考になる良い講演でした。琉球140年の節目をもっと、マスコミが取り上げて報道すべきだと思った。本日はありがとうございました。(男.60.市内.チラシ)

●「特殊部隊731」
秋山 浩著 (三一書房 1956年6月30日 発行)

解説
―この作品の信憑性について―
編集部       竹村 一
(2)

大本営陸軍部は、翌15年5月23日に、この感状授与を各新聞紙上に発表した。大本営発表が、なぜ半年も遅れたかの事情はつまびらかにしない。昭和15年5月23日の新聞紙上には、「ホルステン河」という作戦地域は、削除されており、臨時防疫給水部という名称も削除されていた。23日の朝日新聞には、この大本営発表の下に、三木良英軍医中将の談話を掲載している。「この衛生部隊の苦労のありさまは、特殊事情のため公にされなかったが、今度の感状授与によって、重要任務に散った将兵遺族はどんなにか感激していることであろう」。本文で、著者秋山が、「ノモンハンで活躍したということを聞かされた」とあるのはこれである。
 細菌戦部隊の発明者であり、創始者である石井四郎中将は、大正9年京都帝大医学部卒業、同10年見習士官として、近衛歩兵3連隊付、ついで陸軍第一京都衛戍病院、伏見衛戍病院を経て、のち昭和2年京都帝大医学部大学院に在学中、医学博士の学位をとる。昭和3年から5年までドイツ留学。昭和6年、陸軍軍医学校内防疫研究所に勤務する。本文で、「部隊長は、医学博士、理学博士、工学博士の3つも博士号をもっている」と先輩より教えられるが、これは事実ではない。石井四郎中将は医学博士だけである。おそらく石井中将を英雄化し、神格化するための陸軍上層部の意識的な宣伝であったと思われる。このように、著者は、見たこと、聞いたことをそのまま書いており、そのため事実と違っている場合もあるが、それだけに、この作品には、ふかい信憑性があると、僕は思う。






●日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より

第7章  残虐な毒ガス戦

武漢戦役(1938.6.7~11.12)

同時に、日本軍は日本国内及び中国華北などから多数の化学部隊を移転させ、各参戦師団に配置した。その概要は次の通りである。

1, 第2軍
第13師団:迫撃第3大隊、野戦気象隊特殊気象班1個班
第16師団:迫撃第5大隊
第10師団:第2野戦ガス隊本部、野戦ガス第1,2,6中隊、独立ガス第6、7小隊、野戦化学実験(部分)、野戦気象隊特殊気象班1個班

2、第11軍
第6師団:迫撃第4大隊(欠第2中隊)、野戦ガス第5中隊、野戦化学実験部分(部分)、野戦気象隊特殊気象班1個班
第9師団:迫撃第1大隊第2中隊、野戦ガス第13中隊(欠1個小隊)
第27師団:独立ガス第8小隊、野戦気象特殊気象班1個班
第101師団:迫撃第1大隊、第1中隊
第106師団:迫撃第1大隊第3中隊
台湾歩兵旅団:迫撃第4大隊第2中隊、野戦ガス第13中隊の1個小隊

会戦中で、日本軍の第2・11軍は2つの方向から頻繁かつ大量に化学毒剤を使用した。ほとんど戦闘ごとに、毒ガスを進攻あるいは防御の武器とし、8月22日~10月25日の間だけで、大規模(発煙筒もしくは弾100個以上)の毒ガス使用は57回に上った。以下その典型的な例を幾つか示す。





(広島県大久野島毒ガス工場)




●天皇制廃止に向けての第一歩:雲上人を人間化する運動を!
田中利幸
4)明仁宛公開書簡の目的―天皇「人間化」の試み

結論:「象徴権威」打破のための方法について具体的な思案を!

「我らの内なる天皇制」={民衆の天皇の〈象徴権威〉への盲目的な精神的従属」→「あらゆる権威・権力への精神的隷属(その典型例が「忖度」)を打破することは、民主主義の確立にとって不可欠である。その点で、失敗したとはいえ、上記のような前例からも、裁判と言う手段―例えば皇室典範第1条は性差別であり憲法違反であるとの訴え(天皇・皇后の証人喚問を要求)―を通して天皇の神聖を剥がす運動=「天皇人間化」をはかることは、「象徴権威」の打破と言う点では極めて有効であることが分かる。しかし、裁判と言う方法とらなくても、「象徴権威」の打破のための方法はいろいろあるはずである。日本の民主化のために天皇制廃止を目指す運動は、その為の具体的な方法についてもっといろいろ真剣に考えるべきではなかろうか。



●『人間の価値』
―1918年から1945年までのドイツ医学
Ch.ブロス/G.アリ編
林 功三訳

■進歩
 ベルンハルト・ツォンテック(1891-1966)とゼルマー・アッシュハイム(1878-1965)は、1928年、妊娠の早期診断のため、尿の中のコリオンゴナドロトビン・ホルモンの証明による方法を編み出した。シャリテ病院の産婦人科組織学の客員教授であったアッシュハイムは、ユダヤ人であったにもかかわらず、第1次大戦の従軍者であったため、1935年までその地位にとどまることができた。1937年、彼はフランスへ逃げ、ドイツ軍の占領中も地下に潜って生き延びることができた。ツォンデックは、19129年、ベルリン・シュッパンダウ病院の産婦人科部長になったが、1933年、非アーリア人として解雇され、スエーデンを経てパレスチナへ亡命した。その地で彼は1934年から1961年までイェルサルム大学ハダサーブレウ医科大学の産婦人科とホルモン研究所の長として働いた。







昨年2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)


●自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、過去の旧日本軍の毒ガス使用の反省・謝罪もないまま新たな毒ガスを作ってもいいのだろうか??
日本の毒ガス

沖縄・南西諸島が軍事要塞化している現実はおかしくないか??
「琉球処分」から140 今の沖縄を考える

●「化学学校記事」情報公開裁判
9月4日 11:30~(522号法廷)

●「衛生学校記事」とはどんなものだろうか?
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?

次回 第23回『衛生学校記事』情報公開裁判
9月26日(木)11:30~419法廷

金原節三氏が寄贈した資料が、衛生学校庁舎3階の彰古館に1982年に「金原節三コーナー」として展示された。
その2000点を超える資料はその後どうなったのであろうか?
防衛省の回答では、金原氏の目録と一致する資料は、今現在は641点だという。
あとの資料はどこに消えたのか?
彰古館に勤めていた人(1996年から2013年)の聞き取りでは、彰古館では、きちんと整理していていなかったようである。
金原資料は、1995年に防衛庁戦史部に移管されたが、翌年また彰古館へ戻したという。
その時はすべてを戻したわけではなかったようだ。
2010年に、彰古館が学校庁舎3階から今の建屋になり、資料も移管されたが、金原資料の整理はきちんとされていないようだ。
金原資料の一部はあるようだが、その他の金原資料は、どこに保管しているのだろうか。
また、彰古館には旧軍資料しか置いていないともいう。本当に「衛生学校記事」や教範類は置いていないのだろうか?
次の裁判までに、勤めていた人の陳述書を防衛省側は出すという。

1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊


第4代衛生学校長
『衛生学校記事』を発刊したときの、衛生学校長金原節三とはどんな人物なのだろうか?
金原節三(1901~1976)
陸軍省医事課長時代(1941.11~43.8)に731部隊から報告を受けていた。「陸軍省業務日誌摘録」
厚生省東海北陸医務出張所から衛生学校へ 1955.8.1

金原節三と細菌戦
金原の略歴を見ると、昭和16年11月に陸軍省医務局医事課長になっていて、17年に8月に軍医大佐になっている。
細菌戦資料センターの会報には、次のような記載がある。「陸軍省医務局医事課長だった金原節三元軍医大佐が、1955年に陸上自衛隊に入隊した。細菌戦部隊を指導していたのは、陸軍参謀本部、陸軍省医務局衛生課そして陸軍省医務局医事課である。金原は、「金原業務日誌摘録」に細菌戦部隊からの報告を記録している。


金原節三と武見太郎
金原と戦後日本医師会会長になり、医師会、薬剤師会、歯科医師会に大きな影響を及ぼした武見太郎は、軍隊内の先輩・後輩関係にあった。『金原節三資料目録』(陸上自衛隊衛生学校)の巻頭言は、日本医師会長武見太郎が書いている。

「衛生学校30年の歩み」によせて
12代目の懐想
第12代校長  新家 清
昭和52年10月15日は絶好の秋晴れに恵まれて、学校創立25周年並びに駐屯地創立22周年記念式典が厳粛かつ盛大に執り行われた。歴代校長をはじめ学校OB、地元有力者等部内外から約200名の来賓の参列を得て、式典の後、「衛生科の歌」の発表、演芸、器材展示、文化展、祝宴等の記念日にふさわしい催しが行われた。
 翌53年7月1日、前出のように私は衛生学校長兼三宿駐屯地司令を命ぜられた。とりあえずの目標は前回の学校検閲の際に受けた講評を、54年に受ける検閲では「良好」以上にすることであった。
 創立26周年の式辞では、統率方針は泉前校長の方針を継承し、「親和団結」については、よりよい人間関係の確立とセクショナリズムの打破を「積極進取」については、職務に対する自信とマンネリズムの打破並びに自主性の発揮を要望した。

第5代衛生学校長
井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身
1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】
第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を転任になり、その後を井上が引き継いだ。
井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。
又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。
南方軍防疫給水部(岡9420部隊)





イタイイタイ病を究明した男 萩野昇

驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く

水俣病問題

小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去

小泉親彦と宮川米次の絆

ヒロシマからフクシマへ

宮川正

「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—

ビキニ「死の灰」世界各地へ

自衛隊とサリン

相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場

日本の国家機密

兒嶋俊郎さんを偲ぶ



●昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!!
天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より
重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。





●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
第3部   陛下の戦争
1931(昭和6)年―1945 (昭和20)年
※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!


第9章 聖戦



1938年7月、日本軍は夏に武漢攻略を開始する予定だったが、参謀本部はソ連の動静を懸念していた。1938年7月11日、満州国境にある丘陵の領有をめぐり、第19師団長はソ連との大規模な衝突を性急に引き起こした。張鼓峰事(ちょうこほう)事件として知られるこの衝突で日本は完全な大敗北を喫した。この時、昭和天皇が、板垣陸相を、「今後は朕の命令なくして一兵だも動かすことはならん」と叱責したことを原田熊雄はその日記に留めている。 換言すると、天皇は責任を負うはずの陸軍大臣を前にしながら、事件を引き起した将校に対し何ら懲戒措置を取ることを求めなかったのである。程なく、ソ連が国境を越え反撃する意志はないことが判明すると、天皇は中国における攻撃作戦を開始することを認めた。これも、やはり権威を利用して介入する際の天皇の優先順位を示すもうひとつの事例である。

小泉親彦と昭和天皇

近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~

近代天皇制の真髄は

福沢諭吉

神武と戦争




憲法9条を生かそう!!












2019年8月6日火曜日

細菌戦の系譜!!


「あいちトリエンナーレ2019」
2019  所沢
元徴用工の強制労働めぐり 不二越に謝罪と賠償求める/富山
京都大学に対する第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求める活動
日本の毒ガス
北支那防疫給水部留守名簿
人骨発見から30年
日本軍の毒ガス戦
7.7「戦争を始めた日」国会前集会
ソビエト連邦、中華人民共和国とハバロフスク裁判の忘却 1949-1956
旧陸軍毒ガス詳報、確認 中国北部で使用部隊が記録
平沢正欣論文を検証する(人体実験は行われたか?)
記憶の継承を進める神奈川の会
沖縄
戦争とは何だろうか??
軍事研究に関する学長声明  龍谷大学 学長 入 澤  崇
第24回  スタディツアー 事前学習会
長崎731部隊・100部隊パネル展
日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
武蔵村山の国立感染症研究所問題!!



●安倍政権打倒!!核兵器廃絶!!
・ニュース
日本はきちんと歴史に向き合え!!

広島 原爆投下から74年 核兵器ない世界への訴え国内外に発信

掲載されず封印?広島被爆直後の写真、未公開4枚見つかる 新聞社取材班が撮影か

規制継続なら軍事協定破棄、韓国 米に日本説得を要求

菅長官「韓国側の過剰な主張」と反論 「盗っ人」発言に

大村知事に賛同相次ぐ 河村たかし市長を「憲法違反」と猛批判




財務省の回答は最早日本語として理解不能。野党側からは失笑が漏れる場面も ~財務省「森友文書」改ざん問題 野党合同ヒアリング 2019.8.2


元徴用工の強制労働めぐり 不二越に謝罪と賠償求める/富山


「ホワイト国」除外 第三国が異例の批判=ASEAN外相会議

相模原事件・植松聖被告が犠牲者遺族から賠償請求の民事訴訟を起こされていた


沖縄防衛局が辺野古工事の下請け業者名すべて“黒塗り”開示

新宿戸山の人骨もきちんとDNA鑑定せよ!!
抑留者遺骨「全て日本人でない」

憲法9条はどこ行った!!
防衛省がフリーランスを排除

「かが」初入港 大きさに驚き


イージス・アショア「異様なレーダー選定」の茶番を見逃してはいけない



佐川 元財務省理財局長を証人申請へ 森友文書の訴訟で原告弁護団

旧陸軍毒ガス詳報、確認 中国北部で使用部隊が記録

遺伝子「優性・劣性」“高校教科書では別表現を”日本学術会議



エボラ出血熱など輸入で国と東京・武蔵村山市が合意 国立感染症研究所に

エボラ出血熱のウィルスなど危険の高いものをなぜ輸入する?
日本は全く細菌戦の反省をしていない!!
感染症対策のウイルス保管を説明

エボラ病原体”輸入”国に安全対策求める


自衛隊の不祥事!!
日航機123便墜落の真相 〜JALボーインング747に訪れた悲劇の全貌〜



このままでは終わらせない…“森友事件”のいま【ザ・ドキュメンタリー】



“私は不妊手術を強いられた” ~追跡・旧優生保護法~


福島第一原発の原子炉建屋 開けられる鍵が9000本以上


なぜ、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
「わざわざ自分らのことを『げんしりょくむら』とは?

「あつまれ!げんしりょくむら」に批判相次ぐ サイト閉鎖

20190330 UPLAN 小出裕章「フクシマ事故8年 原子力を廃絶させる道」



731部隊の病理解剖の顧問をした清野謙治も、窃盗事件で京大を追われた後、戦後は東京医大教授になった。731部隊で細菌を製造していた柄沢も東京医大だ!!
日本の底にツルハシでも崩れない差別がある 東京医科大の不正入試提訴 会見詳報


なぜ、日本は脱原発と叫ばないのか??
20181104 小出裕章と樋口健二のコラボ講演会


2005/12/25 【原発問題】推進派vs反対派 小出裕章氏


竹田恒和JOC会長、IOC委員を辞任


竹田会長の記者会見は本当に「潔白主張」なのか
海外メディア「かえって疑惑深まった」 JOC竹田会長の会見



森友・加計問題 疑惑の核心/下 政治家、官邸官僚… 「安倍側用人」を覆う「黒い霧」

「水俣病は終わらない」公式確認から60年―私たちに託されたメッセージ

松本元死刑囚らの死刑執行文書、ほぼ全て黒塗りで開示

“旧優生保護法”強制的な不妊手術 事業として推進(18/04/27)


真実を隠すために死刑にしたのでは??
オウム13人死刑で「上川陽子法相」一生SPつきの生活


京大の「731部隊」論文疑惑(上) 勝間田秀樹(京都支局)

731部隊将校の学位取り消しを 人体実験疑い論文で京大に





●昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!!
京都大学に対する第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求める活動
人骨発見から30年

1937年7月7日→日中全面戦争

7.7集会(2019)「戦争を始めた日」国会前集会



香港人見せしめ弾圧事件
香港の皆様へ!!


何で微罪で長期勾留する??
微罪で長期勾留?おかしくないか?日本は人権意識が欠如している!!
以前までは香港の日本領事館が南京大虐殺の抗議を受け取っていたが、去年は受け取らないので、日本まで抗議に来たという。
香港人「靖国神社」建造物侵入事件"長期勾留"の謎?

靖国神社でぼや、横断幕も=中国籍の男を逮捕




徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!
日本の医学界はなぜ謝罪しない???
又、ヒロシマ・ナガサキ・ビキニ・フクシマと4度被曝した日本は、世界に先駆けて核兵器廃絶・脱原発と叫ぶべきではないか!!
なぜ、日本医学界は、先頭に立って「脱原発!!」と叫ばないのか!!
戦後、731部隊員はアメリカの核戦略に協力した!!

「731部隊・100部隊・毒ガス戦」パネル展 2019年4月29日~5月3日
「日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか 」 田中利幸さん
日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか


●水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した!!

ビキニ「死の灰」世界各地へ


日本は、あの侵略戦争を反省して、憲法9条を作った!!

平和条約締結は「日本が大戦の結果認めること」 露外相

●憲法第9条(自衛隊は違憲ではないか!!)
自衛隊は、防護のためと言って毒ガスを製造している!!(日中戦争時のも日本軍は本格的な毒ガス戦を中国で行った!!)
日本の毒ガス
1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

日本の政治の常道【historyとは、彼(his)(権力者)の物語(story)】

・まずい事は隠す!!(=あったことを無かったことにする、=データ改ざんは当たり前)
・責任を下に押し付ける!!(=権力者は、責任を取らない)
これでは客観性がないではないのか??官邸主導
統計不正 統一水準でチェックし品質向上を 菅官房長官
水爆実験で被爆したのは第五福竜丸だけではない!!延べ992隻が被爆!!
なぜ、「731」と書かれた戦闘機に乗れるのだ???

2013年5月12日 安倍 731と書かれた戦闘機に乗る!!宮城県松島市にある航空自衛隊の基地で撮影

オリンピックにお金をかけるのではなく、いじめ対策・貧困対策・戦争被害者対策にお金をかけるべきだ!!






●横浜「戦争の加害展」感想

2月14日
・戦争はだめだ。毒ガス ・・??(男性、80代以上)

●(「琉球処分」から140年、今の沖縄を考える)パネル展感想

後田多敦氏の講演会場で回収。


27.とてもよかったです。講演、パネル展も素晴らしい内容でした。(女.50.市外.友人)(女.50.市外.友人)


●「特殊部隊731」
秋山 浩著 (三一書房 1956年6月30日 発行)

解説
―この作品の信憑性について―
編集部       竹村 一
(2)

特殊部隊731の正体は如何なるものか。以下断片的に、簡単に述べる。
細菌戦の準備と実行をもった特殊部隊は、昭和10年の夏、満洲に編成された。石井四郎中将(当時大佐)を部隊長とし、秘密保持のために「関東軍防疫給水部」と称されていた。昭和14年12月2日関東軍第6軍司令官荻洲立兵中将から感状をもらっている。

感状
第6軍臨時防疫給水部
第23師団臨時防疫給水部
右ハ軍医大佐石井四郎ノ指導並ニ指揮ノ下ニ、第2次「ノモンハン」事件ニ出動シ、全期間ニ亘リ防疫給水ニ任ズ。(中略)
 殊ニ8月下旬ノ敵ノ攻勢ニ際会スルヤ独力ホルステン河附近ノ水源ヲ死守シ井上軍医大尉以下数十名ヲ出シ機材モ亦砲弾ノ為破砕セラレタルニモ拘ラズ、(中略)9月上旬ニ於テハ全軍ノタメ大作業場ヲ開設シ連日有効ナル衛生勤務ヲ担任シ軍ノ作戦準備ニ遺憾ナカラシメタリ(後略)






●日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より

第7章  残虐な毒ガス戦

武漢戦役(1938.6.7~11.12)

武漢作戦は日本軍の全面的な中国侵略期間における、初めて計画的かつ大規模に毒ガスを主要戦略の手段に用いた作戦であった。
 1938年8月初め、日本軍中支派遣軍司令部は毒ガス使用の発令を下した。「迅速な戦局の展開をはかり、作戦の進展状況に基づいて、いついかなる場所でも局部的な使用を原則とし、適当規模による集中的使用を行うべし」。続いて、第2軍司令官東久邇宮が8月16日、各師団に向け≪2軍作命字第466号≫を下達、第11軍司令官岡本寧次が8月20日、≪呂集作命字第33号≫を下達、武漢会戦における各種「特殊煙」の使用を認めることに関する命令であった。





(広島県大久野島毒ガス工場)




●天皇制廃止に向けての第一歩:雲上人を人間化する運動を!
田中利幸
4)明仁宛公開書簡の目的―天皇「人間化」の試み

C,裕仁を狙った「パチンコ玉発射事件」裁判

つまり、憲法1条と暴行罪は無関係であり、14条違反やその他の点に関する主張も、単なる「事実誤認」だと述べ、なぜ事実誤認なのかについての説明も一切しない。こうして、奥崎が見事に指摘した、憲法前文と1条の決定的な矛盾については、最初から議論することを避けているのである。

結論:「象徴権威」打破のための方法について具体的な思案を!



●『人間の価値』
―1918年から1945年までのドイツ医学
Ch.ブロス/G.アリ編
林 功三訳

■進歩
フェルディナンド・ザウアーブルフ(1875-1951)は、今世紀の初め、低圧室によって胸部手術に成功を収め、第1次大戦中に自由自在に動く義手を開発した外科医である。1931年に、彼は右心室のアノイリスマス(拡張)を除去する手術に初めて成功した。ザウアーブルフはチューリッヒ、ミュンヘンの大学病院の外科部長を勤め、1927年からシャリテ病院(=ベルリン大学病院)の外科部長であった。





昨年2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)


●自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、過去の旧日本軍の毒ガス使用の反省・謝罪もないまま新たな毒ガスを作ってもいいのだろうか??
日本の毒ガス

沖縄・南西諸島が軍事要塞化している現実はおかしくないか??
「琉球処分」から140 今の沖縄を考える

●「化学学校記事」情報公開裁判
9月4日 11:30~(522号法廷)

●「衛生学校記事」とはどんなものだろうか?
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?

次回 第23回『衛生学校記事』情報公開裁判
9月26日(木)11:30~419法廷

金原節三氏が寄贈した資料が、衛生学校庁舎3階の彰古館に1982年に「金原節三コーナー」として展示された。
その2000点を超える資料はその後どうなったのであろうか?
防衛省の回答では、金原氏の目録と一致する資料は、今現在は641点だという。
あとの資料はどこに消えたのか?
彰古館に勤めていた人(1996年から2013年)の聞き取りでは、彰古館では、きちんと整理していていなかったようである。
金原資料は、1995年に防衛庁戦史部に移管されたが、翌年また彰古館へ戻したという。
その時はすべてを戻したわけではなかったようだ。
2010年に、彰古館が学校庁舎3階から今の建屋になり、資料も移管されたが、金原資料の整理はきちんとされていないようだ。
金原資料の一部はあるようだが、その他の金原資料は、どこに保管しているのだろうか。
また、彰古館には旧軍資料しか置いていないともいう。本当に「衛生学校記事」や教範類は置いていないのだろうか?
次の裁判までに、勤めていた人の陳述書を防衛省側は出すという。

1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊


第4代衛生学校長
『衛生学校記事』を発刊したときの、衛生学校長金原節三とはどんな人物なのだろうか?
金原節三(1901~1976)
陸軍省医事課長時代(1941.11~43.8)に731部隊から報告を受けていた。「陸軍省業務日誌摘録」
厚生省東海北陸医務出張所から衛生学校へ 1955.8.1

金原節三と細菌戦
金原の略歴を見ると、昭和16年11月に陸軍省医務局医事課長になっていて、17年に8月に軍医大佐になっている。
細菌戦資料センターの会報には、次のような記載がある。「陸軍省医務局医事課長だった金原節三元軍医大佐が、1955年に陸上自衛隊に入隊した。細菌戦部隊を指導していたのは、陸軍参謀本部、陸軍省医務局衛生課そして陸軍省医務局医事課である。金原は、「金原業務日誌摘録」に細菌戦部隊からの報告を記録している。


金原節三と武見太郎
金原と戦後日本医師会会長になり、医師会、薬剤師会、歯科医師会に大きな影響を及ぼした武見太郎は、軍隊内の先輩・後輩関係にあった。『金原節三資料目録』(陸上自衛隊衛生学校)の巻頭言は、日本医師会長武見太郎が書いている。

「衛生学校30年の歩み」によせて
12代目の懐想
第12代校長  新家 清
彰古館の一角に安置顕彰されている第30代陸軍軍医学校長(昭和11年~14年)陸軍軍医中将 寺師義信閣下の胸像についても種々の経緯があるが、泉校長が「偕行」に寄贈され、52年10月号に緑会記事として「寺師軍医中将の胸像陸自衛生学校に安置」の見出し及び写真入りで収録されている。また、寺師閣下が満州国立佳木斯医科大学校長であったことを顕彰して同校同窓生がご存命中に先生の胸像を贈った由来を第1期生 橋爪藤光先生(国立療養所佐倉病院長)が日本医事新法に寄稿しておられるので省略する。


第5代衛生学校長
井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身
1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】
第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を転任になり、その後を井上が引き継いだ。
井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。
又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。
南方軍防疫給水部(岡9420部隊)





イタイイタイ病を究明した男 萩野昇

驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く

水俣病問題

小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去

小泉親彦と宮川米次の絆

ヒロシマからフクシマへ

宮川正

「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—

ビキニ「死の灰」世界各地へ

自衛隊とサリン

相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場

日本の国家機密

兒嶋俊郎さんを偲ぶ



●昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!!
天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より
重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。





●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
第3部   陛下の戦争
1931(昭和6)年―1945 (昭和20)年
※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!


第9章 聖戦



重慶の蒋介石と直接和解をするにせよ、あるいは南京に新たに愧儡政権を樹立するにせよ、日本の戦争終結のための努力は、結局、戦争により獲得したものを拡大し、確保し、正当化することを目的としていた。この和平工作で日本側は華北から日本軍が撤退する期限を設定するつもりはまったくなく、まして満州の愧儡政権の支配権を放棄する意図などさらにないことを明示していた。

小泉親彦と昭和天皇

近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~

近代天皇制の真髄は

福沢諭吉

神武と戦争




憲法9条を生かそう!!












2019年8月5日月曜日

「あいちトリエンナーレ2019」



過去の歴史をきちんと直視しよう!!


「少女像」展示再開求めデモ集会に200人「表現の自由の弾圧だ」名古屋
愛知県内で開催中の国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」で、従軍慰安婦を題材とした「平和の少女像」などの展示が中止された問題で、中止に抗議するデモ集会が4日、名古屋市内の公園で開かれた。約200人が参加して展示の再開を求め、さらに河村たかし・名古屋市長による少女像の撤去要請について「表現の自由の弾圧だ」などと非難した。

少女像頭に紙袋、怒鳴り声…「表現の不自由展」最後の日

国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の企画展「表現の不自由展・その後」が、75日間の予定だったのにわずか3日で幕を下ろした。最後の日となった3日の展示会場とその周辺には、怒りをあらわにする人や、中止を知って惜しむ人がいた。

国際芸術祭の「あいちトリエンナーレ」 いったい何?
会場の愛知芸術文化センター(名古屋市東区)のチケット売り場には3日午前10時の開場前から長蛇の列ができた。「表現の不自由展・その後」の展示室にも午前11時過ぎに行列ができた。

開館直後の展示室で、初老の男性が怒鳴り声をあげた。慰安婦を表現する少女像について「今まで毎回トリエンナーレに来ているけど最悪だ」。さらに少女像の頭部に紙袋をかぶせる男性もいたが、別の来場者が「何をやっているんだ」と怒って紙袋を外した。昭和天皇を想起させる映像作品の前で、涙を流しながら動かない男性たちもいた。職員らが移動を促すと「なんで追い出されなきゃいけない」「肩を押された。威力業務妨害だ」と詰め寄った。

一方で、多くの来場者は静かに作品を鑑賞していた。「少女像は、(韓国の)日本大使館前に置かれたという政治性がなければ、拍子抜けするような作品だった」。岐阜県養老町の野村寛(ゆたか)さん(67)はこう話した。元名古屋市職員で、河村たかし市長が展示中止を求めたことに不安を覚えて急きょ訪れたという。河村氏について「個人の意見を公の意見であるかのように言うのはおかしい」と疑問を投げかけた。

閉館1時間半前の午後4時半、「『表現の不自由展・その後』の受付は終了しました」との看板が出た。午後5時ごろに息子と訪れた名古屋市中川区の会社役員女性(61)は入場できず、「中国や韓国との問題があるし、(終戦の日を迎える)8月だし、仕方ないのかな」と話した。17歳の息子とパフォーミングアーツ(舞台芸術)の作品を見に来ていた愛知県尾張旭市の主婦(54)は「後日見に来て表現の自由について考えようと思っていた。機会が失われ、残念です」と肩を落とした。

会場の外では午後6時過ぎ、東京都杉並区から訪れた会社員男性(38)がスマートフォンで津田大介芸術監督の会見の中継を見ていた。「協賛企業に飛び火し、現場も疲弊し、対応しきれなくなったのだろう。断片的な情報で炎上したのが現代らしいと思う」と話し、こう続けた。「社会や人間の課題を提示し、解決の糸口を考えさせるのが、現代アートの意義であり魅力。それなのに、気にくわないものはクレームでつぶせばいいという主張がまかり通る、悪い事例になったのが残念だ」(江向彩也夏)

細菌戦の系譜!!


「あいちトリエンナーレ2019」
2019  所沢
元徴用工の強制労働めぐり 不二越に謝罪と賠償求める/富山
京都大学に対する第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求める活動
日本の毒ガス
北支那防疫給水部留守名簿
人骨発見から30年
日本軍の毒ガス戦
7.7「戦争を始めた日」国会前集会
ソビエト連邦、中華人民共和国とハバロフスク裁判の忘却 1949-1956
旧陸軍毒ガス詳報、確認 中国北部で使用部隊が記録
平沢正欣論文を検証する(人体実験は行われたか?)
記憶の継承を進める神奈川の会
沖縄
戦争とは何だろうか??
軍事研究に関する学長声明  龍谷大学 学長 入 澤  崇
第24回  スタディツアー 事前学習会
長崎731部隊・100部隊パネル展
日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
武蔵村山の国立感染症研究所問題!!



●安倍政権打倒!!
・ニュース
日本はきちんと歴史に向き合え!!

「少女像」展示再開求めデモ集会に200人「表現の自由の弾圧だ」名古屋

まさに表現の不自由…「暴力で封殺するな」現地で抗議も


戦後憲法裁判の記録を多数廃棄 自衛隊や基地問題、検証不能に


「東京オリンピックをボイコットせよ!」韓国では与党も世論も”過熱暴走”

財務省の回答は最早日本語として理解不能。野党側からは失笑が漏れる場面も ~財務省「森友文書」改ざん問題 野党合同ヒアリング 2019.8.2


元徴用工の強制労働めぐり 不二越に謝罪と賠償求める/富山


「ホワイト国」除外 第三国が異例の批判=ASEAN外相会議

相模原事件・植松聖被告が犠牲者遺族から賠償請求の民事訴訟を起こされていた


沖縄防衛局が辺野古工事の下請け業者名すべて“黒塗り”開示

新宿戸山の人骨もきちんとDNA鑑定せよ!!
抑留者遺骨「全て日本人でない」

憲法9条はどこ行った!!
防衛省がフリーランスを排除

「かが」初入港 大きさに驚き


イージス・アショア「異様なレーダー選定」の茶番を見逃してはいけない



佐川 元財務省理財局長を証人申請へ 森友文書の訴訟で原告弁護団

旧陸軍毒ガス詳報、確認 中国北部で使用部隊が記録

遺伝子「優性・劣性」“高校教科書では別表現を”日本学術会議



エボラ出血熱など輸入で国と東京・武蔵村山市が合意 国立感染症研究所に

エボラ出血熱のウィルスなど危険の高いものをなぜ輸入する?
日本は全く細菌戦の反省をしていない!!
感染症対策のウイルス保管を説明

エボラ病原体”輸入”国に安全対策求める


自衛隊の不祥事!!
日航機123便墜落の真相 〜JALボーインング747に訪れた悲劇の全貌〜



このままでは終わらせない…“森友事件”のいま【ザ・ドキュメンタリー】



“私は不妊手術を強いられた” ~追跡・旧優生保護法~


福島第一原発の原子炉建屋 開けられる鍵が9000本以上


なぜ、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
「わざわざ自分らのことを『げんしりょくむら』とは?

「あつまれ!げんしりょくむら」に批判相次ぐ サイト閉鎖

20190330 UPLAN 小出裕章「フクシマ事故8年 原子力を廃絶させる道」



731部隊の病理解剖の顧問をした清野謙治も、窃盗事件で京大を追われた後、戦後は東京医大教授になった。731部隊で細菌を製造していた柄沢も東京医大だ!!
日本の底にツルハシでも崩れない差別がある 東京医科大の不正入試提訴 会見詳報


なぜ、日本は脱原発と叫ばないのか??
20181104 小出裕章と樋口健二のコラボ講演会


2005/12/25 【原発問題】推進派vs反対派 小出裕章氏


竹田恒和JOC会長、IOC委員を辞任


竹田会長の記者会見は本当に「潔白主張」なのか
海外メディア「かえって疑惑深まった」 JOC竹田会長の会見



森友・加計問題 疑惑の核心/下 政治家、官邸官僚… 「安倍側用人」を覆う「黒い霧」

「水俣病は終わらない」公式確認から60年―私たちに託されたメッセージ

松本元死刑囚らの死刑執行文書、ほぼ全て黒塗りで開示

“旧優生保護法”強制的な不妊手術 事業として推進(18/04/27)


真実を隠すために死刑にしたのでは??
オウム13人死刑で「上川陽子法相」一生SPつきの生活


京大の「731部隊」論文疑惑(上) 勝間田秀樹(京都支局)

731部隊将校の学位取り消しを 人体実験疑い論文で京大に





●昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!!
京都大学に対する第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求める活動
人骨発見から30年

1937年7月7日→日中全面戦争

7.7集会(2019)「戦争を始めた日」国会前集会



香港人見せしめ弾圧事件
香港の皆様へ!!


何で微罪で長期勾留する??
微罪で長期勾留?おかしくないか?日本は人権意識が欠如している!!
以前までは香港の日本領事館が南京大虐殺の抗議を受け取っていたが、去年は受け取らないので、日本まで抗議に来たという。
香港人「靖国神社」建造物侵入事件"長期勾留"の謎?

靖国神社でぼや、横断幕も=中国籍の男を逮捕




徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!
日本の医学界はなぜ謝罪しない???
又、ヒロシマ・ナガサキ・ビキニ・フクシマと4度被曝した日本は、世界に先駆けて核兵器廃絶・脱原発と叫ぶべきではないか!!
なぜ、日本医学界は、先頭に立って「脱原発!!」と叫ばないのか!!
戦後、731部隊員はアメリカの核戦略に協力した!!

「731部隊・100部隊・毒ガス戦」パネル展 2019年4月29日~5月3日
「日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか 」 田中利幸さん
日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか


●水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した!!

ビキニ「死の灰」世界各地へ


日本は、あの侵略戦争を反省して、憲法9条を作った!!

平和条約締結は「日本が大戦の結果認めること」 露外相

●憲法第9条(自衛隊は違憲ではないか!!)
自衛隊は、防護のためと言って毒ガスを製造している!!(日中戦争時のも日本軍は本格的な毒ガス戦を中国で行った!!)
日本の毒ガス
1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

日本の政治の常道【historyとは、彼(his)(権力者)の物語(story)】

・まずい事は隠す!!(=あったことを無かったことにする、=データ改ざんは当たり前)
・責任を下に押し付ける!!(=権力者は、責任を取らない)
これでは客観性がないではないのか??官邸主導
統計不正 統一水準でチェックし品質向上を 菅官房長官
水爆実験で被爆したのは第五福竜丸だけではない!!延べ992隻が被爆!!
なぜ、「731」と書かれた戦闘機に乗れるのだ???

2013年5月12日 安倍 731と書かれた戦闘機に乗る!!宮城県松島市にある航空自衛隊の基地で撮影

オリンピックにお金をかけるのではなく、いじめ対策・貧困対策・戦争被害者対策にお金をかけるべきだ!!






●横浜「戦争の加害展」感想

2月14日
・以前より展示が随分と進歩してとても理解しやすくなってました。(男性、60代)


●(「琉球処分」から140年、今の沖縄を考える)パネル展感想
6 月 24 日

25.米軍調べの人口比 ‘45.8 ; 20歳~44歳までの男性があまりに少なくてほとんどの人びとが殺されていたこと。敗戦後の占領下での生活が働きての乏しい中でいかに困難だったか思い至ります。本土の我々は理解しているのか改めて考えました。(女.60.大磯町.友人)


●「特殊部隊731」
秋山 浩著 (三一書房 1956年6月30日 発行)

解説
―この作品の信憑性について―
編集部       竹村 一
(2)

この本の著者は、当時年も若く、下級であり、しかも731部隊にいた期間は、5ヶ月足らずである。この記録は、731部隊の全貌を伝えていない。著者が、見たこと、感じたことだけをそのまま書いており、その限りにおいて局部的である。だが、調べて書いたのではなく、自分の目で見たことを、自分の耳で聞いたことを書いたからこそ、読む人をして、慄然たらしめるのだ。
この記録が、架空の創作でなく、あるいは、誇大な数字と誇張された表現で、人を驚かす類のものでなく、ましてや、政治的目的のための宣伝、煽動でないことは、本文を読んでもらえば十分納得できることと思う。







●日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より

第7章  残虐な毒ガス戦

武官戦役(1938.6.7~11.12)

武漢は日中戦争期、国民党政府の所在地であり、当時の中国の政治的・経済的中心であった。1938年の後半、日本政府は「国力を集中し支那事変を終結、概ね年内に戦争目的を達成」すべく、6月7日より11月12日のあいだ、過去最大規模の攻撃、即ち武漢作戦をしかけた。
日本軍の進攻部隊、中支派遣軍は、司令官畑俊六大将の指揮で行われた。第11軍管轄下の第6、第9、第27、第106の各師団及び、波田支隊、海軍陸戦隊1部は長江の両岸に沿って進攻、南面より武漢を包囲。第2軍管轄下の第3、第10、第13、第16の各師団及び騎兵第4旅団が大別山麓に沿って西進し、北面より武漢を包囲した。






(広島県大久野島毒ガス工場)




●天皇制廃止に向けての第一歩:雲上人を人間化する運動を!
田中利幸
4)明仁宛公開書簡の目的―天皇「人間化」の試み

C,裕仁を狙った「パチンコ玉発射事件」裁判

この奥崎の見事な喝破に反論するのは、ほとんど不可能のように思える。したがって、最高裁の上告棄却の反論が、全く反論の体をなしておらず、なんの論理性もない誤魔化しに終わっていることも全く不思議ではない。上告棄却は下記のようなごく短いものである。

被告人本人の上告趣意のうち、憲法1条違反をいう点は、被告人の本件所為が暴行罪にあたるとした第1審判決を是認した原判決の結論に影響がないことの明らかな意見の主張であり、同法14条、37条違反をいう点は、実質は単なる法令違反事実誤認の主張であり、その余は、同法1条乃至8条の無効をいうものであって、いずれも刑訴法405条の上告理由に当たらない。



●『人間の価値』
―1918年から1945年までのドイツ医学
Ch.ブロス/G.アリ編
林 功三訳

■進歩
戦争はドイツの医学をも孤立させた。ドイツの医学は、今世紀の初めにはまだ持っていたその国際的意味をみるみる失っていった。にもかかわらず、手術の技術、レントゲン診断、内分泌腺学、生化学、社会衛生学の領域では重要な進歩をかちとった。

オットー・ヴァルブルグ(1883-1970)は、ベルリン=ダーレムのカイザー・ヴィルヘルム病理学研究所の化学物理科の部長であった。彼は、1926年、鉄分を含んだ呼吸酵素、キトクロームの発見によって、細胞の呼吸のメカニズムを解明し、そのため1931年にノーベル賞を授与された。その上、彼は光合成の発見と癌細胞の生理学にも大きな貢献をした。ヴァルブルグは「半ユダヤ人」でありながらナチの時代にも仕事を続けることができたが、それは、彼の研究、例えば癌治療薬の発見に、期待が寄せられていたためであった。



昨年2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)


●自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、過去の旧日本軍の毒ガス使用の反省・謝罪もないまま新たな毒ガスを作ってもいいのだろうか??
日本の毒ガス

沖縄・南西諸島が軍事要塞化している現実はおかしくないか??
「琉球処分」から140 今の沖縄を考える

●「化学学校記事」情報公開裁判
9月4日 11:30~(522号法廷)

●「衛生学校記事」とはどんなものだろうか?
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?

次回 第23回『衛生学校記事』情報公開裁判
9月26日(木)11:30~419法廷

金原節三氏が寄贈した資料が、衛生学校庁舎3階の彰古館に1982年に「金原節三コーナー」として展示された。
その2000点を超える資料はその後どうなったのであろうか?
防衛省の回答では、金原氏の目録と一致する資料は、今現在は641点だという。
あとの資料はどこに消えたのか?
彰古館に勤めていた人(1996年から2013年)の聞き取りでは、彰古館では、きちんと整理していていなかったようである。
金原資料は、1995年に防衛庁戦史部に移管されたが、翌年また彰古館へ戻したという。
その時はすべてを戻したわけではなかったようだ。
2010年に、彰古館が学校庁舎3階から今の建屋になり、資料も移管されたが、金原資料の整理はきちんとされていないようだ。
金原資料の一部はあるようだが、その他の金原資料は、どこに保管しているのだろうか。
また、彰古館には旧軍資料しか置いていないともいう。本当に「衛生学校記事」や教範類は置いていないのだろうか?
次の裁判までに、勤めていた人の陳述書を防衛省側は出すという。

1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊


第4代衛生学校長
『衛生学校記事』を発刊したときの、衛生学校長金原節三とはどんな人物なのだろうか?
金原節三(1901~1976)
陸軍省医事課長時代(1941.11~43.8)に731部隊から報告を受けていた。「陸軍省業務日誌摘録」
厚生省東海北陸医務出張所から衛生学校へ 1955.8.1

金原節三と細菌戦
金原の略歴を見ると、昭和16年11月に陸軍省医務局医事課長になっていて、17年に8月に軍医大佐になっている。
細菌戦資料センターの会報には、次のような記載がある。「陸軍省医務局医事課長だった金原節三元軍医大佐が、1955年に陸上自衛隊に入隊した。細菌戦部隊を指導していたのは、陸軍参謀本部、陸軍省医務局衛生課そして陸軍省医務局医事課である。金原は、「金原業務日誌摘録」に細菌戦部隊からの報告を記録している。


金原節三と武見太郎
金原と戦後日本医師会会長になり、医師会、薬剤師会、歯科医師会に大きな影響を及ぼした武見太郎は、軍隊内の先輩・後輩関係にあった。『金原節三資料目録』(陸上自衛隊衛生学校)の巻頭言は、日本医師会長武見太郎が書いている。

「衛生学校30年の歩み」によせて
12代目の懐想
第12代校長  新家 清
51年には悲しい出来事があった。第4代学校長 金原節三先生の訃報であった。ご長男 隆一氏からの申し出で先生並びに先生のご尊父の遺されたおびただしい図書雑誌俳画の類が文庫と倉庫にあることが判った。先生が生前、隠居所に建築中だった離れに2回宿泊して大体の分類をし、旧陸軍関係、自衛隊関係、全くの個人の趣味に関するものに分けることができたのは、翌52年夏であった。泉校長の諒承を得て学校としては衛生戦史の研究並びに教育に活用する目的をもって、研究部戦史室(室長 山岸2佐)に命じ、研究員 渡壁3佐を名古屋のお宅に派遣し、第10衛生隊(隊長 丹羽2佐)び支援を得て貴重な資料の受領運搬に当たらせたが、資料は2千数百点(段ボール30数箱、トラック1台分)に及んだ。
当初、分類整理に1年位の見積りが、53年度自主研究課題「軍陣衛生要務の変遷」として着手ところ、担当者の交代等もあって結局2年がかりで終了し、昨年(56年)、「金原節三先生資料目録」を受領した。今後の活用が期待されるところである。

第5代衛生学校長
井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身
1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】
第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を転任になり、その後を井上が引き継いだ。
井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。
又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。
南方軍防疫給水部(岡9420部隊)





イタイイタイ病を究明した男 萩野昇

驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く

水俣病問題

小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去

小泉親彦と宮川米次の絆

ヒロシマからフクシマへ

宮川正

「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—

ビキニ「死の灰」世界各地へ

自衛隊とサリン

相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場

日本の国家機密

兒嶋俊郎さんを偲ぶ



●昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!!
天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より
重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。





●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
第3部   陛下の戦争
1931(昭和6)年―1945 (昭和20)年
※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!


第9章 聖戦



何の勝利の兆候もなく、打開策なき戦争という事態に直面して、日本の指導者は戦争の最終目標を、変更したくないというよりは、むしろ変更する事ができないかのように強引に戦争を推し進めた。国家総動員、厳しい報道検閲、かつてないほど高額な軍事支出といった背景とは対照的に、彼らは数多くの和平工作を始めた。これは中国国民党と中国国内の敵対者の対立を助長する事となった。1938年11月、近衛首相による有名な「東亜新秩序」建設の声明は、その最も重要な先導だった。近衛は蒋介石の敵対者を通じて中国との和平を達成する希望を表明した。その敵対者とは国民党政権内部の一派閥の指導者、汪兆銘(おうちょうめい)である。この軍事行動を政略により補完しようとする独特の試みは、やがて1940年3月末の南京に於ける汪兆銘政権の樹立、そして1940年11月の日華基本条約調印により最高潮に達した。しかし、実際にはけっして汪を信任し、彼が戦争を終結させることができると信じていたのではなく、近衛政府は南京政府の承認を先送りにした。汪政権を愧儡政権とした条約には、軍事的、経済的、政治的に日本に大きな特権を付与することが規定されていたが、ほとんどの中国人の目からすれば何の正当性もないものであり、のちにこの条約により汪は日本亡命を余儀なくされたのである。

小泉親彦と昭和天皇

近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~

近代天皇制の真髄は

福沢諭吉

神武と戦争




憲法9条を生かそう!!












2019年8月3日土曜日

細菌戦の系譜!!


元徴用工の強制労働めぐり 不二越に謝罪と賠償求める/富山
京都大学に対する第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求める活動
日本の毒ガス
北支那防疫給水部留守名簿
人骨発見から30年
日本軍の毒ガス戦
7.7「戦争を始めた日」国会前集会
ソビエト連邦、中華人民共和国とハバロフスク裁判の忘却 1949-1956
旧陸軍毒ガス詳報、確認 中国北部で使用部隊が記録
平沢正欣論文を検証する(人体実験は行われたか?)
記憶の継承を進める神奈川の会
沖縄
戦争とは何だろうか??
軍事研究に関する学長声明  龍谷大学 学長 入 澤  崇
第24回  スタディツアー 事前学習会
長崎731部隊・100部隊パネル展
日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
武蔵村山の国立感染症研究所問題!!



●安倍政権打倒!!
・ニュース
日本はきちんと歴史に向き合え!!
「私たちも日本を除外する」…“ホワイト国”除外決定に韓国が報復宣言

韓国を「輸出優遇」除外 負のスパイラルを案じる

“韓国制裁”で戦略なき安倍首相と文在寅の余裕 ほくそ笑むのは金正恩〈dot.〉

元徴用工の強制労働めぐり 不二越に謝罪と賠償求める/富山


「ホワイト国」除外 第三国が異例の批判=ASEAN外相会議

相模原事件・植松聖被告が犠牲者遺族から賠償請求の民事訴訟を起こされていた


沖縄防衛局が辺野古工事の下請け業者名すべて“黒塗り”開示

新宿戸山の人骨もきちんとDNA鑑定せよ!!
抑留者遺骨「全て日本人でない」

憲法9条はどこ行った!!
防衛省がフリーランスを排除

「かが」初入港 大きさに驚き


イージス・アショア「異様なレーダー選定」の茶番を見逃してはいけない



佐川 元財務省理財局長を証人申請へ 森友文書の訴訟で原告弁護団

旧陸軍毒ガス詳報、確認 中国北部で使用部隊が記録

遺伝子「優性・劣性」“高校教科書では別表現を”日本学術会議



エボラ出血熱など輸入で国と東京・武蔵村山市が合意 国立感染症研究所に

エボラ出血熱のウィルスなど危険の高いものをなぜ輸入する?
日本は全く細菌戦の反省をしていない!!
感染症対策のウイルス保管を説明

エボラ病原体”輸入”国に安全対策求める


自衛隊の不祥事!!
日航機123便墜落の真相 〜JALボーインング747に訪れた悲劇の全貌〜



このままでは終わらせない…“森友事件”のいま【ザ・ドキュメンタリー】



“私は不妊手術を強いられた” ~追跡・旧優生保護法~


福島第一原発の原子炉建屋 開けられる鍵が9000本以上


なぜ、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
「わざわざ自分らのことを『げんしりょくむら』とは?

「あつまれ!げんしりょくむら」に批判相次ぐ サイト閉鎖

20190330 UPLAN 小出裕章「フクシマ事故8年 原子力を廃絶させる道」



731部隊の病理解剖の顧問をした清野謙治も、窃盗事件で京大を追われた後、戦後は東京医大教授になった。731部隊で細菌を製造していた柄沢も東京医大だ!!
日本の底にツルハシでも崩れない差別がある 東京医科大の不正入試提訴 会見詳報


なぜ、日本は脱原発と叫ばないのか??
20181104 小出裕章と樋口健二のコラボ講演会


2005/12/25 【原発問題】推進派vs反対派 小出裕章氏


竹田恒和JOC会長、IOC委員を辞任


竹田会長の記者会見は本当に「潔白主張」なのか
海外メディア「かえって疑惑深まった」 JOC竹田会長の会見



森友・加計問題 疑惑の核心/下 政治家、官邸官僚… 「安倍側用人」を覆う「黒い霧」

「水俣病は終わらない」公式確認から60年―私たちに託されたメッセージ

松本元死刑囚らの死刑執行文書、ほぼ全て黒塗りで開示

“旧優生保護法”強制的な不妊手術 事業として推進(18/04/27)


真実を隠すために死刑にしたのでは??
オウム13人死刑で「上川陽子法相」一生SPつきの生活


京大の「731部隊」論文疑惑(上) 勝間田秀樹(京都支局)

731部隊将校の学位取り消しを 人体実験疑い論文で京大に





●昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!!
京都大学に対する第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求める活動
人骨発見から30年

1937年7月7日→日中全面戦争

7.7集会(2019)「戦争を始めた日」国会前集会



香港人見せしめ弾圧事件
香港の皆様へ!!


何で微罪で長期勾留する??
微罪で長期勾留?おかしくないか?日本は人権意識が欠如している!!
以前までは香港の日本領事館が南京大虐殺の抗議を受け取っていたが、去年は受け取らないので、日本まで抗議に来たという。
香港人「靖国神社」建造物侵入事件"長期勾留"の謎?

靖国神社でぼや、横断幕も=中国籍の男を逮捕




徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!
日本の医学界はなぜ謝罪しない???
又、ヒロシマ・ナガサキ・ビキニ・フクシマと4度被曝した日本は、世界に先駆けて核兵器廃絶・脱原発と叫ぶべきではないか!!
なぜ、日本医学界は、先頭に立って「脱原発!!」と叫ばないのか!!
戦後、731部隊員はアメリカの核戦略に協力した!!

「731部隊・100部隊・毒ガス戦」パネル展 2019年4月29日~5月3日
「日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか 」 田中利幸さん
日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか


●水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した!!

ビキニ「死の灰」世界各地へ


日本は、あの侵略戦争を反省して、憲法9条を作った!!

平和条約締結は「日本が大戦の結果認めること」 露外相

●憲法第9条(自衛隊は違憲ではないか!!)
自衛隊は、防護のためと言って毒ガスを製造している!!(日中戦争時のも日本軍は本格的な毒ガス戦を中国で行った!!)
日本の毒ガス
1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

日本の政治の常道【historyとは、彼(his)(権力者)の物語(story)】

・まずい事は隠す!!(=あったことを無かったことにする、=データ改ざんは当たり前)
・責任を下に押し付ける!!(=権力者は、責任を取らない)
これでは客観性がないではないのか??官邸主導
統計不正 統一水準でチェックし品質向上を 菅官房長官
水爆実験で被爆したのは第五福竜丸だけではない!!延べ992隻が被爆!!
なぜ、「731」と書かれた戦闘機に乗れるのだ???

2013年5月12日 安倍 731と書かれた戦闘機に乗る!!宮城県松島市にある航空自衛隊の基地で撮影

オリンピックにお金をかけるのではなく、いじめ対策・貧困対策・戦争被害者対策にお金をかけるべきだ!!






●横浜「戦争の加害展」感想

2月14日
・いろいろなことを(戦争についての)知ろうと努力してきたつもりでしたがこのパネル展で、今までし知らなかったことがたくさんあることに気づかされました。人が人として扱われなくなった時に、その人もまた人として生きられなくなる社会をつくっていく一員になってしまうのだと感じました。誰もが人として大事であるということもう一度、かみしめたいと思います。今後も、パネル展が地づいていくことを望みます。(女性、60代)

●(「琉球処分」から140年、今の沖縄を考える)パネル展感想
6 月 24 日

24.全体的によく整理され、わかりやすかった。(男.70.市内.チラシ、東京新聞、ウエブ、友人、週刊金曜日)


●「特殊部隊731」
秋山 浩著 (三一書房 1956年6月30日 発行)

解説
―この作品の信憑性について―
編集部       竹村 一
(2)

これは、旧731部隊長石井四郎が警視庁の幹部に名を明かし、順次イモヅル式に下級者の名前が判明したのである。これ以後、ますます秘密保持になったのは神経過敏になったのは著者1人でなかったとのことである。
731部隊の生き残りの人たちが、秘密をじっと胸に持ち、今なお、ある意味では日陰に生きているのは、不幸なことである。一日も早くこの人たちが、苦しみから解放されることを望む。普通の軍属だと思い、入隊し、みずからの意志を封じられて、働かされたのである。たとえ、人体実験の手伝いをやり、ペスト菌蔓延の助手としての責任はあるとしても、当時17歳から21歳までの少年であった彼らを、責めることはできない、と僕は思う。
この作品に出てくる人名も、上級者のみは本名であり、下級者は全部偽名であることを記しておく。







●日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より

第7章  残虐な毒ガス戦

山西曲沃(チューウォ)戦役(1938.7)

1938年7月23日、朱徳、彭徳懐は閻錫山、衛立煌に次のような電報を打っている。「今月6日、職路徐海東旅団は陽城西北の町店義の戦闘で、死傷者およそ500余人が出たことはすでに報告済み。これら負傷兵は最近後方に運ばれたが、重傷者がことのほあか多く、治療が極めて困難。その原因の多くは敵のダムダム弾によるものと考えられる。ダムダム弾は国際法で禁じられて久しい。日本軍の悪辣な毒ガス使用の暴挙、その非人道的行為を広く国外に披露されたし」。(以上の引用はいずれも、『細菌戦と毒ガス戦』510、511ページより)





(広島県大久野島毒ガス工場)




●天皇制廃止に向けての第一歩:雲上人を人間化する運動を!
田中利幸
4)明仁宛公開書簡の目的―天皇「人間化」の試み

C,裕仁を狙った「パチンコ玉発射事件」裁判

奥崎は裕仁の戦争責任を追及しただけではなく、上に述べたような憲法1条と憲法前文との決定的な矛盾を、最高裁への上告のために準備した趣意書の中で鋭く指摘した。憲法前文の「人類普遍のの原理」に照らして、憲法第1章「天皇」は違憲であるというのが奥崎の主張であったが、それを奥崎は次のように展開した。
1,2審の判決と求刑をした裁判官、検察官は、本件の被害者と称する人物を『天皇』であると認めているが、現行の日本国憲法の前文によると、「人類普遍の原理に反する憲法は無効である」と規定しており、『天皇』なる存在は「人類普遍の原理」に反する存在であることは自明の常識であり、『天皇』の権威、価値、正当性、生命は、一時的、部分的、相対的、主観的にすぎないものであり、したがってその本質は絶対的、客観的、全体的、永久的に『悪』であるゆえに、『天皇』の存在を是認する現行の日本国憲法第1条乃至第8条の規定は完全に無効であり、正常なる判断力と精神を持った人間にとっては、ナンセンス、陳腐愚劣極まるものである。・・・(強調:原文)




●『人間の価値』
―1918年から1945年までのドイツ医学
Ch.ブロス/G.アリ編
林 功三訳

■ドイツ国民の健康への奉仕
世界経済恐慌が深刻化し、緊縮財政政策が推し進められていく中で、この改革はその規制の側面だけが残るようになった。病気の社会的問題を病理学的に解決せよという要求が声高に叫ばれ、その解決の行き着く先は社会福祉の削減と「劣等人間」の除去であった。
整形外科医のコンラート・ビーザルスキ(1868年―1930年)が設立した「身体障害者のためのドイツ協会」は「喜捨受領者を納税者に変える」こと、彼らを社会に復帰させ、「非障害者にする」-と当時言われた―ことを、その目的に掲げていた。1920年プロイセンに公布された身体障害者法は、自治体に移動相談所を設けること、全国民に申告を行わせることを義務付けていた。20年代の終わりまでに「身体障害者調査」によって全ての身体障害者がリストアップされ、「治癒可能」で「倫理的に健全」であるか、「治癒不可能」で「道徳的に1人前でない白痴の障害者であるかによって、前者には社会復帰のチャンスが与えられた。




昨年2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)


●自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、過去の旧日本軍の毒ガス使用の反省・謝罪もないまま新たな毒ガスを作ってもいいのだろうか??
日本の毒ガス

沖縄・南西諸島が軍事要塞化している現実はおかしくないか??
「琉球処分」から140 今の沖縄を考える

●「化学学校記事」情報公開裁判
9月4日 11:30~(522号法廷)

●「衛生学校記事」とはどんなものだろうか?
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?

次回 第23回『衛生学校記事』情報公開裁判
9月26日(木)11:30~419法廷

金原節三氏が寄贈した資料が、衛生学校庁舎3階の彰古館に1982年に「金原節三コーナー」として展示された。
その2000点を超える資料はその後どうなったのであろうか?
防衛省の回答では、金原氏の目録と一致する資料は、今現在は641点だという。
あとの資料はどこに消えたのか?
彰古館に勤めていた人(1996年から2013年)の聞き取りでは、彰古館では、きちんと整理していていなかったようである。
金原資料は、1995年に防衛庁戦史部に移管されたが、翌年また彰古館へ戻したという。
その時はすべてを戻したわけではなかったようだ。
2010年に、彰古館が学校庁舎3階から今の建屋になり、資料も移管されたが、金原資料の整理はきちんとされていないようだ。
金原資料の一部はあるようだが、その他の金原資料は、どこに保管しているのだろうか。
また、彰古館には旧軍資料しか置いていないともいう。本当に「衛生学校記事」や教範類は置いていないのだろうか?
次の裁判までに、勤めていた人の陳述書を防衛省側は出すという。

1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊


第4代衛生学校長
『衛生学校記事』を発刊したときの、衛生学校長金原節三とはどんな人物なのだろうか?
金原節三(1901~1976)
陸軍省医事課長時代(1941.11~43.8)に731部隊から報告を受けていた。「陸軍省業務日誌摘録」
厚生省東海北陸医務出張所から衛生学校へ 1955.8.1

金原節三と細菌戦
金原の略歴を見ると、昭和16年11月に陸軍省医務局医事課長になっていて、17年に8月に軍医大佐になっている。
細菌戦資料センターの会報には、次のような記載がある。「陸軍省医務局医事課長だった金原節三元軍医大佐が、1955年に陸上自衛隊に入隊した。細菌戦部隊を指導していたのは、陸軍参謀本部、陸軍省医務局衛生課そして陸軍省医務局医事課である。金原は、「金原業務日誌摘録」に細菌戦部隊からの報告を記録している。


金原節三と武見太郎
金原と戦後日本医師会会長になり、医師会、薬剤師会、歯科医師会に大きな影響を及ぼした武見太郎は、軍隊内の先輩・後輩関係にあった。『金原節三資料目録』(陸上自衛隊衛生学校)の巻頭言は、日本医師会長武見太郎が書いている。

「衛生学校30年の歩み」によせて
12代目の懐想
第12代校長  新家 清
第3回目の学校勤務は51年8月、副校長兼企画室長を命ぜられた時に始まった。泉学校長はは教官としては教育部第4科の2等陸佐時代からの大ベテランであり、行政は陸幕衛生課総括班長、方面の課長等の幕僚勤務も終了し、化学学校副校長、仙台地区病院創設期からの病院長、陸幕衛生課長と何でもこなしてこられた方なので、副校長としては学校校務より駐屯地司令業務を主体に補佐したいと考えた。
学校本館のスチーム暖房化、アルミサッシ化、道路舗装、桜並木の手入れ、国設宿舎の赤水対策・アルミサッシ化・塗装・変電所整備、喫茶店・談話室の新設、通信所移設等駐屯地創設後20数年を経過しているとやることは多々あった。陸幕に対する校務報告のほか東部方面総監部への駐屯地業務報告も文書ばかりでなく、出かけて行ってお礼を言ったりお願いをした。

第5代衛生学校長
井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身
1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】
第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を転任になり、その後を井上が引き継いだ。
井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。
又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。
南方軍防疫給水部(岡9420部隊)





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●昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!!
天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より
重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。





●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
第3部   陛下の戦争
1931(昭和6)年―1945 (昭和20)年
※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!


第9章 聖戦



1938年の間に華北、華中、華南の主だった都市と鉄道は、日本陸軍の支配下に入り、内陸部の村や山岳地帯が中国ゲリラの基地となった。日中戦争の前半の4年間、各方面の日本陸軍は全般に毛沢東が指揮する共産党軍を単なる「匪賊」と見なして軽視し、事実上、その攻撃の全てを蒋介石率いる「国民党」勢力に向けていた。同様の事は陸軍航空隊にもいえた。この間、陸軍航空隊は華北内陸部や華中に対して長距離爆撃作戦を5回行なった。共産党の支配地域である延安の軍事施設に対しては、1939年10月に2回空爆したに過ぎなかった。主たる標的はいつも重慶だった。陸軍が延安に対して大規模な空爆を行ったのは1941年8月が最初だった。一方、1938年10月、武漢、広東の占領により、日本軍の陸上での進攻作戦は頂点に達し、それ以降は、戦略的な防衛へと移行した。

小泉親彦と昭和天皇

近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~

近代天皇制の真髄は

福沢諭吉

神武と戦争




憲法9条を生かそう!!












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