2020年4月3日金曜日

細菌戦の系譜!!


731部隊の罪業
歴史の分岐点に立って歴史認識からアジアの平和を考える
東京の水と空は大丈夫?(横田基地問題)
パネル展「日中戦争ーその実相に迫る!」
731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
ビザ発給拒否裁判 1審不当判決
情報公開裁判「化学学校記事」「衛生学校記事」
小林開さん 映画「ひろしま」を語る!!
核なき世界へ 映画「ひろしま」
ABC企画委員会パネル展2019中野
南方軍防疫給水部の記録を探し求めて(リム・シャオピンさん)
天皇制廃止に向けての第一歩:雲上人を人間化する運動を
京都大学に対する第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求める活動
武蔵村山の国立感染症研究所問題!!
731部隊・100部隊展


●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。
今、世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス。これは、細菌戦(生物戦)ではないのか?
過去に、日本が中国で行なった細菌戦のように。
この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、
日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事は、日本の裁判所は事実認定をしているが、日本政府は未だに隠し続け、事実を認めていない。勿論謝罪もない。
今回の新型コロナウイルスは、どこで作られたのか?アメリカが作ったのか、それとも、日本軍の細菌戦に苦しんだ中国が作ったのか、はたまた、ロシアかそれとも日本(又は日米共同)が作ったのか?よくわからないが、世界各国で生物戦の研究がなされていることは確かであろう。
生物兵器禁止条約の署名を日本は1972年にして、この条約は、1975年に発効されたが、日本がこの条約を批准したのは、1982年。なんでこんなに時間がかかったのか?
米中、新型コロナの責任で対立 外交担当が非難の応酬

米国務省、中国大使に抗議 新型コロナ軍関与主張で

新型ウイルスで「陰謀論」 米高官、ロシアが偽情報流布と警告

731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?
731部隊の行なった細菌戦


東大伝染病研究所は、1947年に主に検査・製造に関わる部門などを厚生省所管の国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)として分離し、1967年に伝染病研究所を改組して医科学研究所が設置された。
国立予防衛生研究所所長と731部隊員の繋がり(教えてげんさんより
(所長が731部隊員であれば、元隊員もたくさん入るだろう)
戦争中細菌戦部隊及び組織に属していて、戦後、国立予防衛生研究所に関係した人です。

*朝比奈正二郎 (当時)731部隊第1部第9課(水棲昆虫)長。発疹チフスワクチン製造
(戦後)国立予防衛生研究所 名誉所長
*小林六造   (当時)京大教授、防疫研究室嘱託
(戦後)国立予防衛生研究所 初代所長
*小島三郎   (当時)東大伝染病研究所教授、栄1644部隊所属 サルモネラ菌の研究
(戦後)国立予防衛生研究所 第2代所長
文部省百日咳研究班員
*小宮義孝   (当時)華中衛生研究所(栄1644部隊関連)
(戦後)国立予防衛生研究所第4代所長
*柳沢謙    (当時)陸軍軍医学校防疫研究室で嘱託として結核研究 凍結乾燥BCG
(戦後)国立予防衛生研究所 第5代所長
*福見秀雄   (当時)陸軍軍医学校防疫研究室  インフルエンザ
(戦後)国立予防衛生研究所 第6代所長
文部省百日咳研究班員
(注)1951年、国立東京第一病院に入院中の乳児たちに、
両親に告知や許可を受けずに大腸菌を飲ませる実験を行なった
*村田良介  (当時)1644部隊
(戦後)国立予防衛生研究所 第7代所長
・・・・・・・

自衛隊に入った731部隊員・・増田美保、近喰秀大、神子謙、金原節三、井上義弘、中黒秀外之、園口忠男、高橋三郎、佐伯実、木村直正など
コロナウイルス「PCR検査」を遅らせた“戦犯”は?〈週刊朝日〉

帝国陸海軍の「亡霊」が支配する新型コロナ「専門家会議」に物申す(下)


それともロシアや中国などが研究しているだろうか?
新型肺炎、米メディアが報じた「研究所が発生源」説

生物兵器禁止条約が1975年に発効されたにもかかわらず、その裏でどんなことが起こっているのだろうか??
免責された731部隊員は、戦後、ABCC(原爆傷害調査委員会)に全面協力し、原爆被爆者を治療するのではなく、放射能の人体に対する影響を追跡した。そして日本は、アメリカの非人道的な原爆投下を問うこと全くなく、原子力の平和利用に突っ走った。

新型コロナは「パンデミック」 WHOが表明




●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!
安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難
2013年5月12日、安倍晋三は宮城県東松島市の航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。

731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)



旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!

731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記




有機フッ素化合物の汚染を知る学習会




日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題






核兵器、生物兵器、化学兵器廃絶!! 戦力不保持!!安倍政権打倒!!
どこの研究所で新型コロナウィルスが誕生したのだろうか??
●ニュース
戦争責任を取らぬまま、そのまま在位した昭和天皇、その後の天皇も日本の侵略戦争の謝罪をしていない!!
どこの研究所がこんなウィルスを開発したのか??それとも日本軍が遺棄した生物兵器が影響しているのだろうか?
この新型コロナウィルスはどこで製造されたのだろうか?アメリカか?それとも中国?、日本?・・・


731部隊が建物を爆破して日本に逃走した後、その近くの村でペストが流行した。100部隊の逃走した時は、鼻疽菌などに汚染された馬を放ってきた。
中国各地に日本軍の細菌戦研究所が存在したのだから、その施設が遺棄した生物兵器はその後どうなっているのか?
中国の細菌戦被害地では、今でも毎年鼠を捕獲してペストの検疫を行っている。日本軍の遺棄した生物兵器がその後も生きていて、いま中国で広がっている新型コロナウィルスや豚熱に影響はしていないのだろうか?遺棄毒ガス弾が多くの中国人を苦しめているように。
重慶爆撃を考える集会

米国で今後2週間に10万人以上死亡の恐れ、米空母では乗員80人感染か


軽症・無症状者はホテルに 都


首相、森友再調査になお応じず 手記の事実確認も答弁避ける

羽田新ルートは機長も怖がる急降下、試験飛行では着陸断念も



戦闘機は必要なのだろうか???
河野防衛相、F35A視察 空自三沢基地

イージス艦もいらない!!
河野太郎防衛相が訓示 イージス艦「まや」就役

自衛隊とオウムのサリン製造の関係は??情報が漏れていたのでは??
地下鉄サリン事件から25年…「オウム」の跡を訪ねて 熊本・旧波野村






●パネル展「日中戦争―その実相に迫る!」感想(2020年2月8日~13日)

9. 戦争=死です。戦争は絶対ダメですね。(男、60、市外、記事)

●映画「ひろしま」アンケート(1月13日 横浜)
( )は性別・年代・住まい・情報
65、今、私達家族 平和で暮らせていること 子ども達に伝えていかなければいけないこと いろんな角度から考えさせられました。
★要望
風化させないよう継承していけるよう広めてほしいと思います。
(女性・40代・藤沢市・朝日新聞)

●【真相】(unit731)
石井細菌戦部隊―極秘任務を遂行した隊員たちの証言
郡司陽子編(1982年11月30日初刷:徳間書店)


Ⅱ 中支・寧波(ニンポー)細菌戦出動始末
-元千葉班・工務班 H・F

いつもとは違う「出張」命令
ある地点に来ると、全員車から降りて、防毒衣・防毒面を着用する。白い潜水服を着たような異様な一団となって、さらに山道をたどり集落に入る。
 集落では、すでに家を明けて逃げ出す者も多い。あちこちに、発病した村人が横たわっている。例外なく高熱にうなされている。
 軍医たちは、すばやく手分けして、病人の状態を調べる。呼吸、脈拍、体温を記録していく。病人が、爆弾を落とされた時、どこにいたのかなどを質問する。





●日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より

第11章 今も続く毒ガスの被害

まちがいなく日本軍の毒ガス砲弾

第4に、資料による証明が可能である。1939年、関東軍化学部隊(516部隊)が実験場としてジャムスに設立した付属支部隊が「三島理化学研究所」であった。この研究所についての調査は現在進行中であるが、研究所と化学兵器との密接な関係は明らかになっている。
 以上の状況を総合すれば、掘り起こされ、人民に危害を加えている毒ガス弾が旧日本軍に属するものであり、その規格とは「10厘(㎝)」即ち直径105㎜の黄(きい)弾であることが確認されよう。









●証言 人体実験(731部隊とその周辺)
中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳

二 大規模な細菌生産と残虐非道な人体実験

平中清一供述書(1954年9月21日)
問:中国に2度めに来たのはいつか。当時どんな職務を担当したか。
答:1933年1月5日、命令によって中国奉天憲兵隊本部の庶務係に勤務した。同年12月憲兵准尉に昇進し、その後庶務主任の仕事を担当した。この間、旅順憲兵分遣隊長と鞍山憲兵分遣隊長を兼任した。
 1934年10月、憲兵司令官の命令を受け、下士官以下3名を選んで四平の細菌演習に派遣し参加させた。1935年9月10日、吉林省下九台で毒ガス演習に参加した。細菌演習中に殺害した中国人民は約1000名、毒ガス演習の際、偽新京、吉林の監獄に収容した中国人約200名を使って実験を行なった。






70年間の沈黙を破って

―ドイツ精神医学精神療法神経学会(DGPPN)の2010年総会における謝罪声明
(付)追悼式典におけるDGPPNフランク・シュナイダー会長の談話
「ナチ時代の精神医学―回想と責任」(邦訳)
岩井一正
しかし、これだけではありません。というのも、中枢で企画された「T4」活動が公式に終了したあとも、殺人は続いたのでした。そのような「安楽死」の辺縁期には精神科施設の中で、患者は―おそらく数万人にも昇る―医薬品の過量投与によって殺され、計画的に餓死させられました。ベッドをあけるため、金を節約するためでした。患者は食事を与えられたとはいえ、死に至るわずかの量でした。


昨年2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)



●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作ってもいいのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!
日本の毒ガス

沖縄・南西諸島が軍事要塞化している現実はおかしくないか??
「琉球処分」から140 今の沖縄を考える

●「衛生学校記事」とはどんなものだろうか?
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?


次回『衛生学校記事』情報公開裁判(第26回)
4月23日14:00~東京地裁419号法廷

”桜を見る会”や”森友””防衛省の日報”等で公文書の廃棄や改ざん、隠蔽などが問題になっているかが、『衛生学校記事』・『化学学校記事』での防衛省の公文書管理は一体どうなっているのだろうか?

4年前には、不要決定簿冊というのがあったという。それには、廃棄するものには、2重線が引かれていて、不要決定という印が押されていた。ところが今回閲覧した図書原簿には、2重線だけしかなかった。
これで『衛生学校記事』というのが本当に廃棄されたのかどうか??廃棄するはずがないはずだ!!

第4代衛生学校長だった金原節三が亡くなってから、遺族が、当時の防衛庁に寄贈した金原節三資料の中に13点の『衛生学校記事』が含まれている。それがいまだに未開示であり、その行方が防衛省は分からないという。
1995年に防衛研究所に衛生学校から金原資料の全部を移管した。翌年1996年には、その資料の中で旧軍資料の価値の高いものを、防衛研究所に残して、あとは衛生学校に戻した。
『金原文庫』はいつまで、衛生学校の彰古館に開設されていたのであろうか?その中に果たして『衛生学校記事』があったのか?また、金原資料はキチンと整理をされていたのだろうか?金原資料の中には『特殊武器衛生』というものもある。防衛省は、金原資料をすべて開示すべきである。

次回の裁判では、その移管作業に関わった5人の方々の陳述が出るのかどうかが焦点になる。


※彰古館には、自衛隊関係の資料も保管している!!
『軍事史研究』2010年9月
軍事史関係史料館探訪(56)
陸上自衛隊衛生学校 医学情報史料室 彰古館
喜多義人
収蔵品の多くは、旧陸軍軍医学校由来の品々と医学文献であり、『大東亜戦争陸軍衛生史』編纂の際に寄贈された史料も所蔵されている。また、衛生学校にかつて開設されていた同校戦史室が収集した戦史史料、戦後の警察予備隊から保安隊を経て陸上自衛隊に至る草創期の衛生科部隊の行動史、研究報告なども含まれている。


●「化学学校記事」情報公開裁判 (第16回)
次回 2020年6月3日(水)11:30~ 東京地裁522号廷
防衛省は、化学学校記事16号の存在を今回初めて認めた。まだ公開していない『化学学校記事』がたくさんあるはずだ。果たして自衛隊は、どんなことをしているのかその全貌を明らかにすべきだ。戦力を保持しないという憲法に本当に抵触していないかを明らかにすべきだ。
1977年発行の化学学校発行の『20年のあゆみ』について、防衛省はマスキングに時間がかかるため、2か月後の提出は難しいかも知れないと述べた。
『20年のあゆみは』は1970年代だから、沖縄での、毒ガス漏洩事件や本土の相模原補給廠での毒ガスの問題がある中、毒ガスや核兵器に関する研究の記述もあるのだろう。それらをマスキングして公開しないというのは、日本の情報公開がいかに遅れているかと象徴している。
、佐藤内閣時代に実際に核兵器を持とうとしていたのだから、自衛隊ではどんなことが研究をしているかを、国民に広く知らせるべきである。ましてや日本は、広島、長崎、ビキニ、福一で甚大な被曝をしている国なのだから。



1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊


第4代衛生学校長
『衛生学校記事』を発刊したときの、衛生学校長金原節三とはどんな人物なのだろうか?
金原節三(1901~1976)
陸軍省医事課長時代(1941.11~43.8)に731部隊から報告を受けていた。「陸軍省業務日誌摘録」
厚生省東海北陸医務出張所から衛生学校へ 1955.8.1

金原節三と細菌戦
金原の略歴を見ると、昭和16年11月に陸軍省医務局医事課長になっていて、17年に8月に軍医大佐になっている。
細菌戦資料センターの会報には、次のような記載がある。「陸軍省医務局医事課長だった金原節三元軍医大佐が、1955年に陸上自衛隊に入隊した。細菌戦部隊を指導していたのは、陸軍参謀本部、陸軍省医務局衛生課そして陸軍省医務局医事課である。金原は、「金原業務日誌摘録」に細菌戦部隊からの報告を記録している。


金原節三と武見太郎
金原と戦後日本医師会会長になり、医師会、薬剤師会、歯科医師会に大きな影響を及ぼした武見太郎は、軍隊内の先輩・後輩関係にあった。『金原節三資料目録』(陸上自衛隊衛生学校)の巻頭言は、日本医師会長武見太郎が書いている。

『BC兵器』 久保綾三著(1969年)より

※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。

●『BC兵器』久保綾三著

Ⅱ 自衛隊と生物・化学兵器―その思想と作戦

4 公害調査に名を借りたBCW作戦
蛍光粒子使用の意味
 もとより、細菌を散布されたかどうかを検知するためにもエア・トレーナーを利用するので、訓練における攻撃と防護は実際上は何ら変わるところは無い。実際、瀬戸内海沿岸における訓練では米陸軍生物戦争研究所の発表にあるように、「無害化した炭疽病菌」を使用する可能性は充分に考えられることであった。

第5代衛生学校長
井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身
1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】
第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任(『大東亜戦争陸軍衛生史』を編纂するため、膨大な旧軍資料を集め、又戦後に日本独自の細菌戦部隊の復活させようとしたことが原因か??)になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を解任され、その後を井上が引き継いだ。
井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。
又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。
南方軍防疫給水部(岡9420部隊)





イタイイタイ病を究明した男 萩野昇

驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く

水俣病問題

小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去

小泉親彦と宮川米次の絆

ヒロシマからフクシマへ

宮川正

「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—

ビキニ「死の灰」世界各地へ

自衛隊とサリン

相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場

日本の国家機密

兒嶋俊郎さんを偲ぶ



●昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!!
天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より
重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。


●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)吉田裕監修 2001年ピュリッツァー賞受賞

※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!





第12章大元帥の試練

他の国の最高司令官と異なり、昭和天皇はけっして戦場を訪れることはなかった。しかし、作戦の企画と実施の双方において、天皇の関与は必ず現地の作戦に決定的かつ重大な影響力を及していた。日中戦争初期の4年間、昭和天皇は大本営で最上級の軍事命令を発してきた。そして、天皇の名のもとに伝達される決定を下した会議に、しばしば臨席した太平洋や中国の前線から帰ってきた陸海の将軍から拝謁を不断に受けていた。昭和天皇は、公に前線部隊(後には、銃後の組織も)を督戦し、嘉賞した。「お言葉」やそれを伝える勅使を前線に送りつづけ、そして勅語(それはアメリカの司令官に贈られる大統領の感〔謝〕状よりもはるかに名誉と権威を持つものであった)を軍功のあった将官に授けた。昭和天皇は、勅語で用いられる言葉が正確にその意を伝えられるように、注意深く手直ししていた。

小泉親彦と昭和天皇

近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~

近代天皇制の真髄は

福沢諭吉

神武と戦争

憲法9条を生かそう!!

731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!!
日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?
地球の温暖化や異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!
●『二酸化炭素温暖化説の崩壊』広瀬隆(集英社新書)
第1章 二酸化炭素温暖化論が地球を破壊する

赤祖父俊一教授が実証した小氷期の存在

2009年10月17日に、私の住む東京都杉並区で、赤祖父氏と、IPCC論の信奉者である東北大学・明日香(あすか)壽川(じゅせん)教授が対決するかのような珍しいシンポジウムが開かれた。赤祖父氏がどれほど冷静で誠実であるかは、次々と繰り出される科学的な実証資料を見れば一目瞭然であった。一方のIPCC側の教授は、江守と組んで文部科学省の金で前述の問題冊子を作った1人であり、赤祖父氏に何も反論できず、「消費量を減らすことが大切です」などと子どもでも言える底屈極まりない話を1時間も続けて逃げまくった。最後に聴衆が見えないほどのスピードで反論資料と称するものを一瞬だけ出して、「これは江守さんのものです」と言って自分でそのグラフを説明もできないままであった。

●核実験(ウキペディアより)
若くして白血病で亡くなった有名女優、有名歌手、また五輪候選手だったスイマーが白血病になったのは、放射能の影響ではないのか?
月の砂漠の犠牲者 夏目雅子と本田美奈子

核実験(かくじっけん,英語:Nuclear weapons testing)とは、核爆弾の新たな開発や性能維持を確認したり、維持技術を確立したりするために、実験的に核爆弾を爆発させることを指す。1945年から約半世紀の間に2379回(その内大気圏内は502回)の核実験が各国で行われた。そのエネルギーはTNT換算で530メガトン(大気圏内は440メガトン)でこれは広島へ投下されたリトルボーイの3万5千発以上に相当する。


水素爆弾の恐怖・ビキニ環礁 (アメリカ)


「北朝鮮の核実験の威力」と「史上最強の核兵器"ツァーリ・ボンバ"の破壊力」【核兵器】



●核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について


●原発・化石燃料発電→再生可能エネルギー発電の増加
【金子勝の言いたい放題】NO5 世界は電力タダの時代に エネ転が拓く経済転換(飯田哲也さんと) 20191230


日本政府・自衛隊は情報を公開せよ!!(情報開示!!)
今年も8月12日がくる──。33年前 520人が犠牲になった日航機墜落、遺物の化学分析で判明した事実とは?

中曽根元総理が知る日航機墜落事故の真実とは?墓場まで発言の真意を調査!

ここの研究所は、どんなことをやっているのだろうか??
国立感染症研究所村山庁舎(武蔵村山)


●1954年3月1日第5福竜丸他1000隻もの船が被曝!核兵器廃絶!!
なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より
・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。
封印された原爆報告書



水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した!!
ビキニ「死の灰」世界各地へ




JCOの臨界事故


福島第1原発事故


核兵器廃絶

徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!

「731部隊・100部隊・毒ガス戦」パネル展 2019年4月29日~5月3日
「日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか 」 田中利幸さん
日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病



731部隊(unit731)


昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!!























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