2019年12月16日月曜日

細菌戦の系譜!!


戦争を記憶し、伝えることは、平和運動の原点、推進力です
第5回三多摩平和交流会展示の部(2019年)
南方軍防疫給水部の記録を探し求めて(リム・シャオピンさん)
「日本の中国侵略と靖国神社」のご案内
小津安二郎と宮柊二と毒ガス戦
ABC企画委員会パネル展
天皇制廃止に向けての第一歩:雲上人を人間化する運動を!
京都大学に対する第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求める活動
平沢正欣論文を検証する(人体実験は行われたか?)
武蔵村山の国立感染症研究所問題!!
731部隊・100部隊展



日本は唯一の戦争被爆国なのに、なぜ核兵器禁止条約に署名しない?
この異常な降水量の最大の原因は、今までの核実験で地球が壊れてきているからではないか??
●『二酸化炭素温暖化説の崩壊』広瀬隆
奇々怪々の現代
宗教裁判で審問されて火あぶりにかけられたジョルダノ・ブルーノや、ガリレオ・ガリレイさえ卒倒するほどだ。しかしこの宗教裁判の裁判官を気取ってきた国連のノーベル平和賞受賞者「気候変動に関する政府間パネル」(IPCC)という組織については、アメリカ・ヨーロッパで山のような報道が続き、その正体がどれほどいかがわしいものであるか、仮面がはがされつつある。

●核実験(ウキペディアより)
核実験(かくじっけん,英語:Nuclear weapons testing)とは、核爆弾の新たな開発や性能維持を確認したり、維持技術を確立したりするために、実験的に核爆弾を爆発させることを指す。1945年から約半世紀の間に2379回(その内大気圏内は502回)の核実験が各国で行われた。そのエネルギーはTNT換算で530メガトン(大気圏内は440メガトン)でこれは広島へ投下されたリトルボーイの3万5千発以上に相当する。

歴史上重要な核実験
歴史的重要度の高い核爆発・核実験
年月日 名称(実験名) 核出力 (kt) 実施国 重要性
1945年7月16日 ガジェット(トリニティ実験) 19  アメリカ合衆国 人類史上初の原子爆弾実験
1945年8月6日 リトルボーイ 15  アメリカ合衆国 人類史上最初の実戦使用(広島市への原子爆弾投下)
1945年8月9日 ファットマン 21  アメリカ合衆国 人類史上最後の実戦使用(長崎市への原子爆弾投下)
1949年8月29日 RDS-1(ジョー1) 22  ソビエト連邦 ソビエト連邦による初の原子爆弾
1952年10月3日 ハリケーン 25  イギリス イギリスによる初の原子爆弾
1952年11月1日 アイビー マイク 10,400  アメリカ合衆国 人類史上初の多段階熱核反応兵器実験(非実用兵器)
1953年8月12日 RDS-6(ジョー4) 400  ソビエト連邦 ソビエト連邦による初の水爆(非多段階、実用兵器)
1954年3月1日 キャッスル ブラボー 15,000  アメリカ合衆国 水爆(人類史上初の多段階、実用兵器)、放射性降下物事故(第五福竜丸が被曝)
水素爆弾の恐怖・ビキニ環礁 (アメリカ)


東南海地震:「地震の次は何をお見舞いしましょうか」とB29がビラ



●天皇即位の行事、軍事費、原発等にお金を使わず、災害復興に使え!!
終わりにしよう天皇制 11.26大集会・デモ

天皇制の問題・・・①侵略戦争の反省がなされていない、②出自によって差別される構造ができる。③男女差別を助長する。④皇国史観が重んじられる。⑤伝統から抜け切れず、縛られる。


核兵器、生物兵器、化学兵器廃絶!! 戦力不保持!!安倍政権打倒!!
●ニュース
戦争責任を取らぬまま、そのまま在位した昭和天皇、その後の天皇も日本の侵略戦争の謝罪をしていない!!
日韓、輸出管理厳格化で3年半ぶりの局長級の政策対話

「桜を見る会」で総理“国会説明必要”6割近くに

桜を見る会の公文書「捨てたからもう分からない」。 問題の“危うさ“どこにあるのか?専門家に聞いた

安倍総理が天皇陛下へ「熱烈アプローチ」内奏7回の異例、平成の時代から一転

逮捕直前に自決した近衛文麿に、昭和天皇が思わず呟いた言葉とは

護衛艦いずも インド太平洋の象徴は「空母」に生まれ変わる

大竹まことゴールデンラジオ#金子勝 (文化放送 2019-12-13)



【全編動画】「下村氏は氷山の一角」!?〜加計学園から安倍総理に「カネ」は流れていなかったのか!? 下村博文・元文科相告発直後の上脇博之・神戸学院大教授に岩上安身がインタビュー!2017.7.31



●日本政府・自衛隊は情報を公開せよ!!(情報開示!!)
特別秘密保護法撤廃!!

憲法9条はどこ行った!!
防衛省がフリーランスを排除

全日空機雫石衝突事故
岩手県岩手郡雫石町上空を飛行中の全日本空輸の旅客機に航空自衛隊の戦闘機が飛行中に追突され、双方とも墜落した。自衛隊機の乗員は脱出に成功したが、機体に損傷を受けた旅客機は空中分解し、乗客155名と乗員7名の計162名全員が死亡した。1985年(昭和60年)8月12日に日本航空123便墜落事故が発生するまで、日本国内の航空事故としては最大の犠牲者数を出した事故であった。

アシタノワダイ削除「日航123便 墜落事件」


自衛隊の不祥事!!
日航機123便墜落の真相 〜JALボーインング747に訪れた悲劇の全貌〜



日航機墜落事故から34年 御巣鷹で慰霊登山始まる


なぜ、「731」と書かれた戦闘機に乗れるのだ???

2013年5月12日 安倍 731と書かれた戦闘機に乗る!!宮城県松島市にある航空自衛隊の基地で撮影

オリンピックにお金をかけるのではなく、いじめ対策・貧困対策・戦争被害者対策にお金をかけるべきだ!!




●国立感染症研究所村山庁舎(武蔵村山)
特定一種病原体等の受入れについて
このことについて、令和元年9月26日(木曜日)夜、加藤厚生労働大臣から藤野市長に対し、国立感染症研究所村山庁舎が一種病原体を所持するに至ったとの電話連絡がありました。
また、本日、国立感染症研究所から以下のとおり情報提供がありましたので、お知らせします。
令和元年7月5日付で、特定一種病原体等所持者である国立感染症研究所が、特定一種病原体等であって外国から調達する必要があるものとして輸入するウィルスを厚生労働大臣より指定されたところですが、今般、国立感染症研究所は、次に掲げるウィルスを外国より受入れ、所持したことを報告します。

南米出血熱ウィルス
ラッサウィルス
エボラウィルス
クリミア・コンゴ出血熱ウィルス
マールブルグウィルス

エボラ出血熱のウィルスなど危険の高いものをなぜ輸入する?
日本は全く細菌戦の反省をしていない!!
感染症対策のウイルス保管を説明

エボラ病原体”輸入”国に安全対策求める





●なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より
・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。
封印された原爆報告書



水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した!!
ビキニ「死の灰」世界各地へ



JCOの臨界事故


福島第1原発事故

「わざわざ自分らのことを『げんしりょくむら』とは?

「あつまれ!げんしりょくむら」に批判相次ぐ サイト閉鎖

●核兵器廃絶
2019  所沢市 平和祈念資料展

ヒロシマ 私たちの心の傷


徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!

「731部隊・100部隊・毒ガス戦」パネル展 2019年4月29日~5月3日
「日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか 」 田中利幸さん
日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病



●731部隊(unit731)
731部隊の病理解剖の顧問をした清野謙治も、窃盗事件で京大を追われた後、戦後は東京医大教授になった。731部隊で細菌を製造していた柄沢も東京医大だ!!
日本の底にツルハシでも崩れない差別がある 東京医科大の不正入試提訴 会見詳報


新宿戸山の人骨もきちんとDNA鑑定せよ!!
抑留者遺骨「全て日本人でない」

竹田恒和JOC会長、IOC委員を辞任


竹田会長の記者会見は本当に「潔白主張」なのか
海外メディア「かえって疑惑深まった」 JOC竹田会長の会見



森友・加計問題 疑惑の核心/下 政治家、官邸官僚… 「安倍側用人」を覆う「黒い霧」

「水俣病は終わらない」公式確認から60年―私たちに託されたメッセージ

松本元死刑囚らの死刑執行文書、ほぼ全て黒塗りで開示

“旧優生保護法”強制的な不妊手術 事業として推進(18/04/27)


真実を隠すために死刑にしたのでは??
オウム13人死刑で「上川陽子法相」一生SPつきの生活


京大の「731部隊」論文疑惑(上) 勝間田秀樹(京都支局)

731部隊将校の学位取り消しを 人体実験疑い論文で京大に




●昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!!大嘗祭反対!!
昭和天皇の戦争帰任をもっと追及しよう!!
(1)関東軍防疫部の設置経緯
1936年4月13日参謀本部第1課(編制動員課)「満洲派遣部隊一部ノ編成及編制改正要領(決定案)」作成
戦前の天皇がいかに大きな存在であったかが分かる。
中国への細菌戦・毒ガス戦をきちんと謝罪しないばかりか、アメリカの原爆投下をも容認してしまった!!
NHKスペシャル「 昭和天皇は何を語ったのか」拝謁記

昭和天皇の戦争責任を問う!!
昭和天皇、戦争を悔い退位に言及 改憲再軍備も主張、長官の拝謁記

昭和天皇、戦争の「反省」表明望んだ 詳細記録見つかる

京都大学に対する第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求める活動
人骨発見から30年









●横浜「戦争の加害展」感想


2月16日
70.非常にわりゃすい展示になっていたと思います。日本の戦争責任、天皇についても考えられ、良かったと思います。(男性、50代)

●なかのゼロ(「過去からいま 未来をつなぐ」展
2019年12月13日(金)
「ひろしま」の感想
・他の予定を止めて、参加して良かった。(性別不明、70代、都内)


●【真相】(unit731)
石井細菌戦部隊―極秘任務を遂行した隊員たちの証言
郡司陽子編(1982年11月30日初刷:徳間書店)
編者まえがき


Ⅰ ファインダーがとらえた地獄
―総務部調査課写真班 T・K
新京陸軍病院衛生兵から731部隊員へ

※いろいろ調べてみると、何と、防毒面の眼鏡のガラスが片方ないではないか。片方だけ素通しの防毒面をつけていたのに、それまで気が付かなかったのだ。あわてて、取り替えたが、後の祭り。いつもより念入りに消毒したが、2、3日は、今にもペストで発病するのではないか、とそれこそ死ぬ思いをしたものだ。
 初めて安達に行った時、私は、本部で目撃した光景とは比較にならないほどのショックを受けた。それは、医学研究的な雰囲気を取り払った、いわば、処刑場的な風景だったからかもしれない。





●日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より

第9章 戦犯の証言
「中国帰還者連絡会」

裁判官にコメントを求められると、藤田は感激してこう答えた。
「私の罪に照らせば、1万人の藤田茂を殺して当然なのです。凶悪な日本帝国主義が私を人食う野獣に変え、私の前半生の天にも恥じる罪を作りました。中国政府は私を教育し審理に目覚めさせ、私に新しい命をくれました。この厳粛な中国人民の正義の法廷において誓います。私の後半生を断固、反戦と平和事業の為に捧げます」。








●証言 人体実験(731部隊とその周辺)
中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳

萩原英雄自筆供述書(1953年4月15日)
入隊(現役兵)前の状況

2、石井部隊の歴史
その時叔父の石井は平房におらず、防疫給水班のメンバーとして(実際は細菌散布のためであったのかもしれない。我々はその後1945年4月に再会したが、その時も彼は教えてくれなかった)、大部隊と共に南方へ送られていた。明らかに、石井部隊が養成した大量の人員は各地の戦線に派遣され勤務していたのであり、それを疑う余地はない。
 石井四郎はその頃軍医少将として、石井部隊の部隊長を務め、華北派遣軍軍医部長を兼任(正確には石井は1942年8月、北支那方面軍第1軍軍医部長に転任、のち45年3月に731部隊に復帰)していた(伯父萩原の話による)。当時平房研究所に勤務していた人員は1000名程度と思われる。






●『人間の価値』
―1918年から1945年までのドイツ医学
Ch.ブロス/G.アリ編
林 功三訳

■外科用メスと銃
空襲の後、ブレーメンの撤退する教会社会奉仕病院から移送される患者たち。たいていの防空施設は全く役に立たないこと、すべての医学的援助が手遅れになっていることが、遅くとも1943年には明らかになった。1943年7月から8月にかけてのハンブルク大空襲では、爆撃によって防空壕がかえって死を招き、人々が窒息死した。



昨年2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)


●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作ってもいいのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!
日本の毒ガス

沖縄・南西諸島が軍事要塞化している現実はおかしくないか??
「琉球処分」から140 今の沖縄を考える

●「化学学校記事」情報公開裁判
次回 2020年2月12日(水)11:30~ 東京地裁522号廷
1977年発行の化学学校発行の『20年のあゆみ』について、防衛省はマスキングに時間がかかるため、2か月後の提出は難しいかも知れないと述べた。
『20年のあゆみは』は1970年代だから、沖縄での、毒ガス漏洩事件や本土の相模原補給廠での毒ガスの問題がある中、毒ガスや核兵器に関する研究の記述もあるのだろう。それらをマスキングして公開しないというのは、日本の情報公開がいかに遅れているかと象徴している。防衛省は、化学学校記事16号の存在を認め、その間に自衛隊がどのような研究をしていたかを明らかにすべきだ。佐藤内閣時代に実際に核兵器を持とうとしていたのだから、自衛隊ではどんなことが研究をしていたかは、国民に広く知らせるべきである。ましてや日本は、広島、長崎、ビキニ、福一で甚大な被曝をしている国なのだから。


●「衛生学校記事」とはどんなものだろうか?
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?

次回 第23回『衛生学校記事』情報公開裁判
2020年2月4日(火)16:00~419法廷

金原節三氏が寄贈した資料が、衛生学校庁舎3階の彰古館に1982年に「金原節三コーナー」として展示された。
その2000点を超える資料はその後どうなったのであろうか?
防衛省の回答では、金原氏の目録と一致する資料は、今現在は641点だという。
しかし、それも一致するだけで、寄贈されたものではないという。
彰古館に勤めていた人(1996年から2013年)の聞き取りでは、彰古館では、きちんと整理していていなかったようである。
金原資料は、1995年に防衛庁戦史部に移管されたが、翌年また彰古館へ戻したという。
その時はすべてを戻したわけではなかったようだ。
2010年に、彰古館が学校庁舎3階から今の建屋になり、資料も移管されたが、金原資料の整理はきちんとされていないようだ。
金原資料の一部はあるようだが、その他の金原資料は、どこに保管しているのだろうか。
また、彰古館には旧軍資料しか置いていないともいう。本当に「衛生学校記事」や教範類は置いていないのだろうか?
次の裁判までに、勤めていた人の陳述書を防衛省側は出すという。防衛省が提出する資料は内輪の調査であり、本当にきちんと聴取しているのかが、疑問だ。憲法9条で戦力不保持を宣言しているのだから、情報公開に、制限を一方的にかけるのは、本当におかしいと思う。今の自衛隊の実情をきちんと国民に知らせるべきだ!!

1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊


第4代衛生学校長
『衛生学校記事』を発刊したときの、衛生学校長金原節三とはどんな人物なのだろうか?
金原節三(1901~1976)
陸軍省医事課長時代(1941.11~43.8)に731部隊から報告を受けていた。「陸軍省業務日誌摘録」
厚生省東海北陸医務出張所から衛生学校へ 1955.8.1

金原節三と細菌戦
金原の略歴を見ると、昭和16年11月に陸軍省医務局医事課長になっていて、17年に8月に軍医大佐になっている。
細菌戦資料センターの会報には、次のような記載がある。「陸軍省医務局医事課長だった金原節三元軍医大佐が、1955年に陸上自衛隊に入隊した。細菌戦部隊を指導していたのは、陸軍参謀本部、陸軍省医務局衛生課そして陸軍省医務局医事課である。金原は、「金原業務日誌摘録」に細菌戦部隊からの報告を記録している。


金原節三と武見太郎
金原と戦後日本医師会会長になり、医師会、薬剤師会、歯科医師会に大きな影響を及ぼした武見太郎は、軍隊内の先輩・後輩関係にあった。『金原節三資料目録』(陸上自衛隊衛生学校)の巻頭言は、日本医師会長武見太郎が書いている。

『BC兵器』 久保綾三著(1969年)より


Ⅱ 自衛隊と生物・化学兵器―その思想と作戦

1、自衛隊の装備・訓練を探る

国会におけるBC兵器論争

〇増田国務大臣 お答え申し上げます。
クロルアセトフェノンは、日本の法律の毒劇物取締法には入っておりません。したがって毒ガスではないし、催涙ガスである、こう考えております。
〇楢崎委員 それじゃ外務大臣にお尋ねします。国際法との関係についてちょっとお伺いしておきます。非常にこれは重大です。このCNをベトナムでアメリカが使っただけで、全世界の反響を、起こしたのですよ。それを日本の自衛隊なり、警察が持っておるし、警察は既に使っておるんですよ。戦争で人殺しに使っておるやつを、警察はデモに使っておるんですよ。だから、私はこれは重大だから、今問題にしておるのです。外務大臣、この毒ガス類に関する国際法は幾つありますか。






第5代衛生学校長
井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身
1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】
第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を転任になり、その後を井上が引き継いだ。
井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。
又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。
南方軍防疫給水部(岡9420部隊)





イタイイタイ病を究明した男 萩野昇

驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く

水俣病問題

小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去

小泉親彦と宮川米次の絆

ヒロシマからフクシマへ

宮川正

「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—

ビキニ「死の灰」世界各地へ

自衛隊とサリン

相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場

日本の国家機密

兒嶋俊郎さんを偲ぶ



●昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!!
天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より
重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。





●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)

※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!



第11章 真珠湾への道


7月26日、ルーズベルトは、太平洋におけるアメリカの主要な領土であるフィリピンの防衛強化を命じた。そして、272機のB17重爆撃機と130機の新鋭P40戦闘機をフィリピンに送ることを約束した.さらに、ルーズベルトは退役していた陸軍参謀総長ダグラス・マッカーサーをアメリカ極東軍司令官に任命した。5年前、フィリピンの独立共和制への移行の準備に際し、ルーズベルトはマッカーサーを軍事使節団の長としてマニラヘ送った。それは、将来、日本の攻撃からフィリン諸島を防衛するための準備という困難な任務を伴っていた。いまや、大統領は事実上、アメリカの防衛線の外縁を8000キロ西にある多島海へ移動した。たとえその防衛線が南進する日本の近くになろうとも、ドイツ打倒を優先する原則から戦略的な優先順位は第2位とされていた。そして、大統領はカリスマ性があり、荘厳な言辞と独立不羈(どくりつふき)の行動で知られる将軍を太平洋陸軍の責任者に任命したのであった。

小泉親彦と昭和天皇

近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~

近代天皇制の真髄は

福沢諭吉

神武と戦争




憲法9条を生かそう!!
















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